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「幸福」を学問的に捉えているのがユニークで、説得力もあった。


『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書 2238) 』['13年]
本書は、脳・ロボット学者である著者が、個人の幸福追求、幸せにつながるビジネスのために「幸福」の仕組みを解き明かし、「幸せはコントロール
できる」ことを示した、誰でも分かる学術書、学問としての体系的幸福学の本であるとのことです。
第1章では、前提知識として、幸福の定義、測り方、世界的な研究動向、および幸福に影響することがら、主に心理学の分野で行われてきた幸福研究の成果とその限界」について述べてます。
第2章では、著者らのグループが行った幸福学の研究成果に的を絞って、幸福の因子分析をした結果、次の幸せの4つの因子が得られたとしています。
・「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
・「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
・「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
・「あなたらしく!」因子(独立とマイペースの因子)
著者はこれらを「幸せの四葉のクローバー」としています。
「やってみよう!」因子は、コンピテンス、社会の要請、個人的成長、自己実現に関係した因子。自分の得意なことを伸ばす楽しみ。オタク・天才・達人を目指せ!としています。
「ありがとう!」因子は、人を喜ばせる、愛情、感謝、親切などの要素から成りたち、たくさんの友人より多様な友人を持てと。さらに、人を幸せにすると自分も幸せになるとしています。
「なんとかなる!」因子は、楽観性、気持ちの切り替え、積極的な他者関係、自己受容に関連した因子。「そこそこで満足する人」が幸せであるとしています。
「あなたらしく!」因子は、社会的比較のなさ、制約の知覚のなさ、自己概念の明確傾向、最大効果の研究に関係し、人の目なんて気にせず、マイペースな自分を、と。また、「満喫」する態度を持つと幸せになれるとしています。
第3章は応用編で、第2章で得た4つの因子から見て、世の中はどうなっていくのか、どうすべきかを考察しています。
この本はある読書会の課題本として読んだもので、個人的には、これまであまり「(幸福を学問として捉える)幸福学」というものを意識してきませんでしたが、第1章の冒頭で、「幸福」「幸せ」(両者は同意だとしている)と「happiness」「well-being」の違いなどを解説しているのは興味深かったです(「happy」と「幸福」は、時間的スパンにおいて違うのだとしている)。
「幸せって何だろう」的な本は、それをテーマにしたエッセイなどのも含めると結構出ていますが、「幸福」を学問的に解明しようとしてる本である点がユニークであったし(前からこの分野は存在していたと思うが、自分にとっては目新しかっった)、科学的・統計的手法を駆使しているため説得力もあったように思います。
ジャンル的には心理学に近いと思うけれど、学問的な心理学の範疇ではないので、逆に、脳・ロボット学者である著者のように学際的な観点を持つ人が参入してくるのでしょう。海外などは、心理学者が経営学にどんどん参入したりしているけれど、そういうのも日本ではあまりないなあ、と思った次第です。
《同著者の本》

・前野 隆司『実践 ポジティブ心理学―幸せのサイエンス』(2017/08 PHP新書)
・前野 隆司『幸せな職場の経営学―「働きたくてたまらないチーム」の作り方』(2019/05 小学館)
・前野 隆司/前野 マドカ『ウェルビーイング』(2022/03 日経文庫)
・前野 隆司/太田 雄介『実践!ウェルビーイング診断』(2023/05 ビジネス社)
・前野 隆司『幸せに働くための30の習慣―社員の幸せを追求すれば、会社の業績は伸びる』(2023/12 ぱる出版
《読書MEMO》
●幸福と相関が高いもの...健康、信仰、結婚(58p)
●ダニエル・カーネマンの「フォーカス・イリュージョン」(63p)
「人は所得など特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないにもかかわらず、それらを過大評価してしまう傾向がある」
●ネッシィ「地位財と非地位財のバランスを取れ!」(70--74p)
●自由時間の長さは幸福に結びつかない(78p)
●「プロスぺクト理論」(87p)
●幸せは間接的にやってくる(91p)






竹倉 史人 氏
第4章では「前世を記憶している子どもたち」について、米国ヴァージニア大学医学部の付属機関DOPSで行われている、子どもたちが語る「前世の記憶」が客観的事実と一致しているかという研究を中心に考察しています。そもそも、大学付属でそうした研究機関があるのが驚きですが、精神科医で「生まれ変わり現象」研究で知られ、『前世を記憶する20人の子供』『前世を記憶する子どもたち』といった著書のあるイアン・スティーヴンソン(1918-2007)が創始者で、その研究を巨額の私財で支えたのが、世界で初めてゼログラフィー(コピー機の原理である技術)の開発で巨万の富を得たチェスター・カールソン(1906-1968)だそうです(大学側を、金出してくれるならいいだろという感じか)。
この章では、「前世を記憶する子ども」の証言も紹介されており、またそれに対する意見なども紹介されていますが、アメリカの惑星学者カール・セーガン(1934-1996)が『人はなぜエセ科学に騙さされるのか』という本の中で、「前世ついて具体的に語る幼い子供が一部におり、それは調べてみると正確であることがわかり、生まれ変わり以外では知ることができなかったはずのことである」と述べていることです。セーガンも生まれ変わりは信じていないとしており(否定派)、でも「自分の考えがも違っている可能性もある」「真面目に調べてみるだけの価値はある」としているそうです。
また、この章では、、「前世を記憶する子ども」について、言語学者の大門正幸(1963- )(肯定派)の発表した資料なども紹介されています(前世を記憶している子供たちがそれを語り始めるのは平均2歳からで、自分から話さなくなるのは平均7歳までということと、過去生の死から次の誕生までは平均4年5か月。前世を記憶しているのは、非業の死を遂げた場合が多いことなど)。

第7章「人は最後に老年的超越を目指す」では、老年的超越の心理的特徴(宇宙的・超越的・非合理的な世界観、感謝、利他、肯定)を紹介し、その生物学的な意味を考察し、そこに至る70歳~80歳くらいが人生で一番きついかも、としています。

なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか? 張り紙が増えると事故も増える理由とは? 飲み残しを置き忘れる夫は経営が下手? 貧乏から家庭、恋愛、勉強、虚栄、心労、就活、仕事、憤怒、健康、孤独、老後、さらに、芸術、科学、歴史まで15のテーマについて、東大初の経営学博士(今まで一人もいなかったのか!)であるという著者が、「経営」というキーワードで人生の課題や世界の事象を解き明かした本です。
個人的にいいなあと思ったのは、著書のこれまでの人生に関する記述がある箇所で、父親の会社が倒産し、中卒自衛官になって、日中働きながら高卒認定試験(旧・大検)を受け、東大に入って、父の借金の整理をしながら学生起業もした(ただし、失敗した)という凄まじい人生ですが、その話は半ページ足らずでとどめ、自身は日本社会に恩義があるとし、「(社会への)感謝を忘れ、苦労を商売道具とする、飽食の時代に卑劣を売り歩く偽物たちと一緒になりたくない」ときっぱり言っている点でした(最近著者が亡くなったが、家族との苦労話が本のすべてを占める、佐々木常夫『ビッグツリー その後―母、娘、そして家族』('23年/光文社)などとは対極にあるスタンスである)。
同著者の前著では、『日本企業はなぜ「強み」を捨てるのか』('23年/光文社新書)を読みましたが(本書もかなり注目された)、こちらは、かつて日本企業が描いていた「お金より人が大事」という考えは、決して理想主義ではなく実利に沿ったもので、ビジネス繁栄の基盤だったのが、日本企業はその考え方を捨て、アメリカ式経営を表層的に模倣し、今や、それを実践しようとしているのは海外企業の方だと訴えています。
両利きの経営、オープン・イノベーション、ユーザー・イノベーション、リーン・スタートアップ、アジャイル開発、ティール組織―これらは海外企業による日本企業研究の結果生まれた概念で、それらが言わば"逆輸入"されているのが現状であると。「カイゼン」研究はインド、スウェーデン、中国で進んでいるとか。










『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』は、社会人類学者の中根千枝氏が1967年に出版した日本論であり、半世紀以上を経た今も読み継がれているロングセラーです。よく「日本はタテ社会だ」と言われますが、その本質を、日本社会の構造、組織のあり方という観点から説明したものです。
『日本人とユダヤ人』はイザヤ・ベンダサン名義で1970年に山本書店より刊行された本で、ベストセラーという意味では『タテ社会の人間関係』以上に売れ、『日本人と○○人』といった題名の比較型日本人論が一時流行したほどですが、やがて著者は山本書店の店主で、ベンダサン名義の作品の日本語訳者と称してきた山本七平(1921-1991/享年69)であることが明らかになり、'04年に、今は無き新書レーベルの「角川oneテーマ21」には著者名「山本七平」として収められました(解説にも「イザヤは山本のペンネーム」という旨が明記されている)。






これで思い出すのが、岩波新書のアインシュタインとインフェルトの共著『物理学はいかに創られたか(上・下)』で、1939年10月刊行という岩波新書が創刊された翌年に出た本ですが、こちらも、数式を一切使わずに、一般性相対理論や量子論まで展開される物理学の世界がコンパクトにまとめられています。
共著者のレオポルト・インフェルト(1898-1968)はユダヤ系ポーランド人の物理学者で、アインシュタインはインフェルトのポーランドからの救出を米国に嘆願したものの、すでに何人ものユダヤ人の脱出を援助していたため効力が弱く、そこで、インフェルトとの共著でこの物理学の一般向けの本を書き、推薦書の代わりにしたとのことです。アメリカに渡ったインフェルトは1936年からプリンストン大学の教職に就き、アインシュタインの弟子となって、必ずしも数学が得意ではなかったアインシュタインに対して多くの数学的助言をしたとのことです(ブルーバックスに『



第2章「美人・白楽天二題」では、まずは「明眸皓歯」で、これは、杜甫が「哀江頭」において、玄宗皇帝の寵愛を受けながらも無残な最期を遂げた楊貴妃のことを悼んだもの。「顰に倣う」は「荘子』にあり、こちらは越王(勾践(こうせん)の復讐の道具として使われた悲劇のヒロインである西施(せいし)ですが、紀元前500年くらいの人なんだなあ(因みに、「中国四大美女」とは一般に、西施(春秋時代) · 王昭君(前漢) · 貂蝉(後漢) · 楊貴妃(唐)を指す)。
ヒトか」ということで、多くの人が思い当たるのではないかと思います。






NHKスペシャルのメルトダウンシリーズとして5つの番組を放送してきた取材班が、取材の過程で新たな証言等を得ることで、それまでわかった気でいた事実関係の確度が怪しくなり、新たな謎として立ちはだかってきたとして、その主だったものを7つ取り上げて、章ごとに検証と考察を行っています。
第4章では、なぜ爆発しなかった2号機で大量の放射性物質の放出があったのか、第5章では、3号機への消防車の注水がなぜメルトダウンを防ぐ役割を果たせなかったのか、消防車が送り込んだ400トンの水はどこに消えたのか、第6章では、2号機のSR弁と呼ばれる緊急時の減圧装置がなぜ動かなかったのかについて、そして最終第7章では、「最後の砦」とされていた格納容器が壊れたのはなぜか、原発内部の最新の調査結果にメスを入れています。
国内の原発としては1年11か月ぶりに再稼働した鹿児島県の川内原発1号機〔NHKニュースウェブ・2015(平成27)年8月13日〕

中沢 彰吾 氏 [Yahoo ニュース 
塩崎恭久厚生労働大臣が全国の労働局長にブラック企業の公表を指示したというニュースが最近ありましたが(2015年5月18日)、一方で、働く側も派遣などの「多様な働き方」を望んでいるとしており、そうなると、本書にあるブッラク派遣の実態は企業名の公表で対処出来るような業界内での極めて局所的・例外的実態ということなのでしょうか。個人的にはそうは思えず、人材派遣業界のある一定数の企業は、こうした再就職難の中高年を更にスポイルし消耗するという構造の上に成り立っているように思えます。たとえそのことを糾弾されても、そうした企業は、自分たちが再就職難の中高年の受け皿になっているのだとかいった理屈を捏ねるんだろなあ。

40年余に渡って経営コンサルティングに携わり、とりわけこの20年は管理職層を対象に、人材の能力評価と能力開発を主題とするヒューマン・アセスメントを行うことで企業を支援してきた著者が、ビジネスマンを読者として想定し、上級管理職である部長に焦点を合せ、彼らの仕事ぶりや様々な言動特徴を取り上げ、彼らのマネジメント能力とその開発方法を解説した本です。
ビジネスパーソンにとって啓発される要素が多いばかりでなく、人事パーソンの視点から見ても、上級管理職についてのアセスメントの重点項目を分かり易く説いたものと言えます。社内に「なんであんな人が部長をやっているんだろう」というような「困った部長」がいる企業の人事パーソンには、自社の管理職任用アセスメントが形骸化していないかどうかをチェックするうえでも、是非一読をお勧めします。

第4章では、購買力平価から見た円の価値を探っていますが、マクドナルドのビックマックの購買力平価を基準に、各国の通貨価値を探っている点が興味深く、どうしても対ドルレート基準でのみ円の価値を見ようとしがちになる世間に対し、新たな価値基準を示すとともに(これで見ると必ずしも"円高"ではないということになる。但し、これは、"こんな見方も出来る"程度に捉えるべきではないか)、日銀の円安にするための市場介入の失敗及び各国の冷ややかな対応の背景が解説されています。

森 炎(ほのお)氏(略歴下記)



社会の状況や顧客の要望、嗜好に合わせ、サービスの内容や提供方法を変化させることで成功し、今も成長を続ける企業8社の事例が紹介されていますが、最初に登場する「加賀屋」の事例が(すでに台湾進出などで、マスコミで取り上げられることも多いが)際立っているように思えました。





前著共著者の1人による本書は、「ベストセラー『不機嫌な職場』の解決編登場!」というキャッチコピーで、組織にも「感情」特性があるという視点から、それを「イキイキ感情」「あたたか感情」「ギスギス感情」「冷え冷え感情」の4象限に分類し、それぞれの処方箋を示しています。
20年前に比べ今は、正社員が減って非正規社員は増えているが常用雇用率は減っていない、つまり常用雇用に占める「常用・非正規社員」の割合が増えているのであり(正規・非正規2元論から「正社員」「常用・非正規社員」「臨時・非正規社員」の3層化への雇用構造の変化)、また、企業がそれら「常用・非正規社員」を解雇することは、生産性維持のうえでも法規制のうえでも難しくなってきているとしています。


内藤朝雄 氏





日本人が聖書を読んでよく引っ掛かるのが「奇跡」に関することですが、著者は、「奇跡」と「異象(異常な現象)」とは別であり、現象として信仰の有無に関係なく、誰にも認識できるものは(現象化されたもの)は「奇跡」ではなく「異常な現象」であり、「奇跡」とは認識の対象ではなく、現象の背後にあるものに対する信仰の対象であるとしていて、こうした見方を通して、処女降臨やキリストの復活をどう読むかが、分かり易く解説されています。


この物語は、セシル・B・デミル監督により「サムソンとデリラ」('49年/米)という映画作品になっていて、ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」('46年/米)でドク・ホリデイを演じたヴィクター・マチュア(1913-1999)が主演しました。往々にして怪力男は純粋というか単純というか、デリ
ラのような悪女にコロっと騙されるというパターナルな話であり(アブラハム、サラ、ハガルの三角関係同様に?)、全体にややダルい感じがしなくも無いけれど、ヴィクター・マチュアの"コナン時代"のアーノルド・シュワルツネッガーのようなマッチョぶりは様になっていました。最後の方で、髪を切られて怪力を失ったサムソンが囚われの身となり神に嘆願するシーンはストレートに胸をうち、ラストの神から力を得て大寺院を崩壊させるスペクタルシーンは圧巻、それまで結構だらだら観ていたのに、最後ばかりは思わず力が入り、また、泣けました(カタルシスだけで終わってはマズイいんだろうけれど・・・。と言って、勝手にストーリーを変えたりすることも出来ないだろうし、聖書の物語の映像化は案外と難しい?)
これ、オペラにもなっていて、カミーユ・サン=サーンスが作曲したテーマ曲はフィギアスケートの安藤美姫選手が以前SP(ショート・プログラム)で使っていましたが、その時の衣装もこの物語をイメージしたものなのかなあ。
とデリラ」●原題:SAMSON AND DELILAH●制作年:1949年●制作国:アメリカ●監督・製作:セシル・B・デミル●脚本:ジェシー・L・ラスキー・ジュニア/フレドリック・M・フランク●撮影:ジョージ・バーンズ●音楽:ヴィクター・ヤング●原作:ハロルド・ラム●時間:128分●出演:ヴィクター・マチュア/ヘディ・ラマー/ジョージ・サンダース/アンジェラ・ランズベリー/ヘンリー・ウィルコクスン●日本公開:1952/02●配給:パラマウント日本支社(評価:★★★☆)
「奇跡」●原題:ORDET●制作年:1955年●制作国:デンマーク●監督・脚本:カール・テオドア・ドライヤー●製作:エーリク・ニールセン●撮影:ヘニング・ベンツセン●音楽:ポール・シーアベック●原作:カイ・ムンク ●時間:126分●出演:プレベン・レアドーフ・リュエ/ヘンリック・マルベア/ビアギッテ・フェザースピール/カイ・クリスチアンセン/エーミール・ハス・クリステンセン●日本公開:1979/02●配給:フランス映画社●最初に観た場所:岩波ホール (79-02-27) (評価:★★★★)







本書は、講談社現代新書としては珍しい(?)カラー版で、同氏の『カラー版 ハッブル望遠鏡の宇宙遺産』('04年/岩波新書)と内容的にかぶるのではないかとも思ったのですが、読んでみて、或いは写真を見て、今回も期待を裏切るものではありませんでした。
老朽化しつつあるハッブル宇宙望遠鏡について、NASAが、国際宇宙ステーションの軌道外にハッブル宇宙望遠鏡があることから、予算難に加えて宇宙飛行士の安全を確保出来ないことを理由に修理見送りの決定を下したため、著者が前著で、"人類遺産"の対語として命名された"宇宙遺産"だが、ハッブル宇宙望遠鏡そのものの"遺産"ということになってしまうのかと嘆いていたのを覚えています。




「新人」に関しては、ネアンデアルタール人(ホモ・ネアンデアルターレンシス)とクロマニヨン人(ホモ・サピエンス)の関係などを図説でもって分かり易く解説していますが、形態的な進化の過程を探るだけでなく、"おしゃれ"の始まりなどの「心の進化」の過程や、農耕、家畜の飼育、飲酒などの習慣がいつ頃から始まったのかを解説し、また我々にとって興味深い「日本人の起源」についても考察していますが、こと後者については、遺伝子情報から解析すると相当複雑で、単に「南から来た」とか「北から来た」といった二者択一的な解答を出すのは難しいようです(このテーマについては、篠田謙一著『日本人になった祖先たち-DNAから解明するその多元的構造』('07年/NHKブックス)により詳しく解説されている)。

冷徹な分析的知能と炎のような情熱を併せ持ち、20世紀最大の哲学的天才と言われるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein、1889‐1951)の評伝で、著者は、かつて彼の学生であり、後に公私にわたって彼と長く親交のあった米国の哲学者であり、評伝と言うより、サブタイトルにある「思い出」と言った方が確かにぴったりくる内容。
訳者は、ハーバード大学で日本文学・日本語を教えていた板坂元で、同著者(N・マルコム)による『回想のヴィトゲンシュタイン』('74年/教養選書)という似たタイトルの本(哲学者の藤本隆志の訳)がありますが、同じ元本を同時期に別々の訳者が訳した偶然の結果であるとのこと、哲学者ではない板坂元が本書を訳したのは、本書にも見られる、異国の地で苦悶しながらも真摯に学生と向き合う教育者としてのウィトゲンシュタインの姿への共感からではないかと思われます。

入門書でありながら、所々で著者の"持ち味"が出るのが面白かったですが、

著者のもう1つの専門領域である児童虐待に関する本を読んだ際に、子どもへの虐待を、「資本家-労働者」、「男-女」と並ぶ「親-子」の支配構造の結果と捉えていることでフェニミズム色が濃くなっていて、子どもへの虐待をことさらにイデオロギー問題化するのはどうかなあと(読んでいて、しんどい。論理の飛躍がある)。


中国の著名な映画監督チェン・カイコー(陳凱歌、1952年生まれ)が、60年代半ばから70年代初頭の「文化大革命」の嵐の中で過ごした自らの少年時代から青年時代にかけてを記したもので、「文革」というイデオロギー至上主義、毛沢東崇拝が、人々の人間性をいかに踏みにじったか、その凄まじさが、少年だった著者の目を通して具体的に伝わってくる内容です。
著者の父親も映画人でしたが、国民党入党歴があったために共産党に拘禁され、一方、当時の共産党員幹部、知識人の子弟の多くがそうしたように、著者自身も「紅衛兵」となり、「毛沢東の良い子」になろうとします(そうしないと身が危険だから)。
結果的には「農民から学んだ」とも言える著者ですが、17年後に映画撮影のため同地を再訪し、その時撮られたのが監督デビュー作である「黄色い大地」('84年)で、撮影はチャン・イーモウ(

その前月にシネヴィヴァン六本木で観た台湾映画「童年往時 時の流れ」('85年/台湾)は、中国で生まれ、一家とともに台湾へ移住した"アハ"少年の青春を描いたホウ・シャオシェン(
劇を描いたもので、台湾の3監督によるオムニバス映画の内の1小品。他の2本も台湾の庶民の日常を描いて、お金こそかかっていませんが、何れもハイレベルの出来でした。


一方、チェン・カイコー(陳凱歌)監督の名が日本でも広く知られるようになったのは、もっと後の、
(●2023年10月12日、シネマート新宿にて4K修復版を鑑賞(劇場で観るのは初)。張國榮(レスリー・チャン)と鞏俐(コン・リー)が一人の男を巡って恋敵となるという、ある意味"空前絶後"的映画だったと改めて思った。)
中国は今月('09年10月1日)建国60周年を迎え、しかし今も、共産党の内部では熾烈な権力抗争が続いて(このことは、清水美和氏の『「中国問題」の内幕』('08年/ちくま新書)に詳しい)、一方で、ここのところの世界的な経済危機にも関わらず、高い経済成長率を維持していますが(GDPは間もなく日本を抜いて世界第2位となる)、今や経済界のリーダーとなっている人達の中にも文革や下放を経験した人は多くいるでしょう。記念式典パレードで一際目立っていたのが毛沢東と鄧小平の肖像画で、「改革解放30年」というキャッチコピーは鄧小平への称賛ともとれます(因みに、このパレードの演出を担当したのもチャン・イーモウ)。
「童年往時/時の流れ」●原題:童年往来事 THE TIME TO LIVE AND THE TIME TO DIE●制作年:1985年●制作国:台湾●監督:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)●製作:徐国良(シュ・クオリヤン)●脚本:侯孝賢(ホウ・シャオシェン






CONCUBI●制作年:1993年●制作国:香港●監督:陳凱歌(チェン・カイコー)●製作:徐淋/徐杰/陳凱歌/孫慧婢●脚本:李碧華/盧葦●撮影:顧長衛●音楽:趙季平(ヂャオ・ジーピン)●原作:李碧華(リー・ビーファー)●時間:172分●出演:張國榮(レスリー・チャン)/張豊毅(チャン・フォンイー)/鞏俐(コン・リー)/呂齊(リゥ・ツァイ)/葛優(グォ・ヨウ)/黄斐(ファン・フェイ)/童弟(トン・ディー)/英達(イン・ダー)●日本公開:1994/02●配給:ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画(評価:★★★★☆)●最初に観た場所(再見)[4K版]:シネマート新宿(23-10-12)


鞏俐(コン・リー)in「さらば、わが愛 覇王別姫」(1993年・




文学者の眼から見たサルトル像、サルトルの小説や戯曲への手引書であると言え(とりわけ『嘔吐』の主人公ロカンタンが感じた〈吐き気〉などについては、詳しく解説されている。片や『存在と無』などの解説が物足りなさを感じるのは、著者がやはり文学者だからか)、その一方で、彼の生い立ちや人となり(これがなかなか興味深い)、ボーヴォワールをはじめ多くの同時代人との交友やカミュなどとの論争についても書かれています。下.jpg)
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「政治家のイメージも暗示で作られる」としているのは、最近言われる「ポピュリズム政治」をある意味先取りしており、リーダーを「父親型」と「母親型」に分類していて、"最近のわが国の政治家"の例としてそれぞれ、'68年の参議院議員選挙の全国区でトップ当選した石原慎太郎と、'67年に東京都知事選挙で勝利した美濃部亮吉を挙げているのが興味深く、また、時代を感じさせます(宗教界の父親型リーダーに創価学会の池田大作、母親型リーダーとして立正佼成会の庭野日敬を挙げており、集団の性格は、リーダーのタイプによって象徴されるとしている)。

著者によれば、日本は企業ブランド社会であるとのこと、だから醤油メーカーのキッコーマンが70年代に初めてワインを発売した当初、「キッコーマンのワインは醤油が入っているような気がする」と関係者に言われ、「マンズワイン」というブランドを作ることで企業ブランドの使用を避けたとのこと。
一方、ネスレの調味料マギーのように、ネスレというブランドがマギーという当初はあまり認知されていなかったブランドの「保証マーク」として働く場合もあるわけで、この辺り、単一製品をイメージさせるブランドなのか、製品より(食品ならば食品全般にわたる)技術水準をイメージさせるブランドなのかの違いは大きいなあ(後者の方が汎用性が高い)。
また、「スター・バックス」の日本での成功例などに見られるように、今日ではブランドを短期的に育成し活用していくような経営・マーケティング戦略が競争優位をもたらす市場状況が出現しているという指摘も興味深いものでした(デル・コンピュータなどもそうだが、サービスプロバイダー型のブランドにとりわけ見られる特色とも言えるが)。
伊勢丹とか資生堂の広告コピーは、一時この人の独壇場だったなあ。竹内まりやのデビューシングルにもなった伊勢丹の「戻っておいで・私の時間」(1978年11月25日にRCA(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)より発売 )、アリスの堀内孝雄によりヒットした資生堂の「君のひとみは10000ボルト」(1978年8月5日に堀内孝雄がソロとしてリリース)など、CMソングがヒットチャートの上位を占める現象のハシリもこの人の作品でした。
"ひらめき"と"思いつき"はやはり違うわけで、本書によれば、「唐突に、頭の中の風にやってくるものは、浜べに打ち寄せられる、あの、とりとめのない浮遊物と同じであって、すべては単なる思いつきのたぐいにすぎないのだ」と。
「ひらめきだって結局は頭の中に、ぱっとやってくることは、やってくるのだ。ただ、その現われたものが、ほかの浮遊物とちがうところは、それの到着をこちら側で待ちのぞんでいたものがやってくる、という、このところでありますね。ひらめきとは、じつに、『待っていた人』なのである」とのこと。何となく分る気がします。













今は小学生ぐらいから "ケータイ・デビュー"することがごく普通になってきていますが、親が日常で使っているのを見れば、子どもも自然とそうなるのでしょう。中学生などは、自宅からでも置き電話を使わず、メールで友だちと連絡を取り合うことが普通みたいだし...。つまり彼らは、電話としてよりも、メールやゲームでケータイを使用しているわけですが、本書を読んで、小中学生にとってケータイの世界が、かなりウェイトが大きいものになっているということがわかりました。本書で「人気ベスト3」として紹介されている、「モバゲータウン」や「プロフ」、多くの"ケータイ小説"を生んでいる「魔法のiらんど」など、それぞれに凄い数の利用者がいるわけです。











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「芥川の言葉じゃないが、人生は一行のボードレールにもしかない」ってまさに芥川の言葉なのに、どうしてわざわざ「芥川の言葉じゃないが」と言う表現を用いるのか? こんな切り口から入って、日本語の言葉の背後にある日本人独特の論理や価値観を探り出した本。




映画もミュージカル映画として作られていて、テーマ曲のバイオリン独奏はアイザック・スターン。ラストの「サンライズ・サンセット」もいい。

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の策略で国を追い出されアメリカ大陸に向かったものの、キューバ、米国で入港拒否をされ(ナチス側もそれを予測し、ユダヤ人差別はナチスだけではないことを世界にアピールするためわざと出航させた)、結局また大西洋を逆行するという先の見えない悲劇に見舞われます。
この映画はユダヤ人資本で作られたもので、マックス・フォン・シドーの船長役以下、オスカー・ヴェルナーとフェイ・ダナウェイの夫婦役、ネヘミア・ペルソフ、マリア・シェルの夫婦役、オーソン・ウェルズやジェームズ・メイソンなど、キャストは豪華絢爛。今思うと、フェイ・ダ
ナウェイの
ような大物女優からリン・フレデリック、キャサリン・ロスのようなアイドル女優まで(キャサリン・ロスは今回は両親を養うために娼婦をしている娘の役でゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞。アイドル女優と言っては失礼か)、よく揃えたなあと。さすがユダヤ人資本で作られた作品。但し、グランドホテル形式での人物描写であるため、どうしても1人1人の印象が弱くならざるを得なかったという、このタイプの映画にありがちな弱点も見られたように思います。
「屋根の上のバイオリン弾き」●原題:FIDDLER ON THE ROOF●制作年:1971年●制作国:アメリカ●監督・製作:ノーマン・ジュイスン●脚本:ジョセフ・スタイン●撮影:オズワルド・モリス●音楽:ジョン・ウィリアムス●原作:ショーレム・アレイヘム「牛乳屋テヴィエ」●時間:179分●出演:トポル/ノーマ・クレイン/ロザリンド・ハリス/ミシェル・マーシュ/モリー・ピコン/レナード・フレイ/マイケル・グレイザー/ニーバ・スモール/レイモンド・ラヴロック/ハワード・ゴーニー/ヴァーノン・ドブチェフ●日本公開:1971/12●配給:ユナイト●最初に観た場所:新宿ビレッジ2(88-11-23)(評価:★★★☆)



新宿ビレッジ1・2 新宿3丁目「新宿レインボービル」B1(

「さすらいの航海」●原題:VOYAGE OF THE DAMNED●制作年:1976年●制作国:イギリス●監督:スチュアート・ローゼンバーグ●製作:ロバート・フライヤー●脚本:スティーヴ・シェイガン/デヴィッド・バトラー●撮影:オズワルド・モリス●音楽:ラロ・シフリン●原作:ゴードン・トマス/マックス・モーガン・ウィッツ「絶望の航海」●時間:179分●出演:フェイ・ダナウェイ/オスカー・ヴェルナー/オーソン・ウェルズ/リン・フレデリック/マックス・フォン・シドー/マルコム・マクダウェル/リー・グラント/キャサリン・ロス/ジェームズ・メイソン/マ

リア・シェル/ネヘミア・ペルソフ/ホセ・フェラ
ビルの部屋」(ネリー・カフラン)








飯田 経夫(1932‐2003/享年70)
理論経済学者・飯田経夫の本で、第1章で、「日本人はもう充分豊かになっている」「自分たちの住まいをウサギ小屋というのはやめよう」といい、これは当時('80年)としては多くから反発もありそうな呼びかけですが、そう述べる論拠を著者なり示していて、この章と、続く第2章で「ヒラの人たちの頑張りと平等社会」が日本を支えているという論は、今読んでもなかなか面白いし、外国人労働者が日本に入ってきたとき、日本の"平等社会"はどう変質するかといった考察などには、興味深いものがありました。
著者は、本書を著した後も、日本経済が好況を持続し向かうところ敵無しという状況の中で、本当の意味での豊かさを問う『「ゆとり」とは何か-成熟社会を生きる』('82年)、『「豊かさ」のあとに-幸せとは何か』('84年)を著し、これは講談社現代新書における「豊かさ」3部作というべきものになっていますが、当時としては、このようなテーマに執拗に注目している経済学者は少なかったのではないでしょうか(むしろ、社会学のテーマとされていた)。


都留重人 
本書『経済学はむずかしくない』と同じ講談社現代新書にあった理論経済学者の伊達邦春・早大名誉教授の『経済はなぜ変動するか』('70年)は、経済変動がなぜ生じるかを、ケインズの国民所得決定理論から始めて、ハロッドやドーマーの成長理論などを説いたもので、学部生の副読本に勝るとも劣らないカッチリした内容。
本書で、都留重人は、資本主義が変わってきたからこそ、マクロ経済が生まれるようになったのであり、経済の仕組みは一度それが定着すると永久に変化しないというようなものではないとし、また、我々は、資本主義により発展してきた国にいるため、資本主義の「競技規則」に従わざるを得ないが、その中で「必然を洞察した自由」を持つべきで、そのためには資本主義の仕組みをよく知らねばならず、そのことにより、仕組みそのものをより良いものに変えていくこともできるだろうと言っています。






本書は"トリック"というテーマには限定せず、ロス疑惑事件の三浦和義"疑惑人"逮捕('85年9月)前後の過熱報道など様々なケースを取り上げていますが、多くの報道陣の目の前で殺人が為された豊田商事事件(永野会長刺殺事件)('85年6月-何だか、事件が続いた時期だった)について、現場に居合わせたカメラマンの、夢中でシャッターだけ切り、急に身の危険を感じて逃げるべきかその場に居るべきか、という考えが一瞬頭の中をよぎったものの、後は冷静さを失い、結局自らはどうすることも出来なかったという証言を載せているのが関心を引きました。
何だか現代社会の疎外を象徴する殺伐とした「お話」だと思っていたら、秋葉原通り魔事件が今月('08年6月8日)に起き、その際に居合わせた群集の一部が、一斉に"ケータイ"カメラを現場に向けているという光景が見られ、「現実」のこととしておぞましく感じられました。そんな中、ある30代の男性が、倒れた被害者を救助すべく、素手で口に手をこじ入れ気道確保をしたうえで、他の通行人と協力して心臓マッサージや人工呼吸を試み、到着した救急隊に被害者を引き渡したが、この人は写真が趣味で、当日も首からカメラをぶら下げていたにも関わらず、「目の前に倒れている人を救助したい一心」で、事件の写真は1枚も撮らなかった―という記事が読売新聞にあり、多少救われたような気持ちになりました。
「カプリコン・1」●原題:CAPRICORN ONE●制作年:1977年●制作国:アメリカ/イギリス●監督・脚本・原作:ピーター・ハイアムズ●製作:ポール・N・ラザルス3世●音楽:ジェリー・ゴールドスミス●出演:エリオット・グールド/ジェームズ・ブローリン/ブレンダ・バッカロ/サム・ウォーターストーン/O・J・シンプソン/ハル・ホルブルック/カレン・ブラック/テリー・サバラス●時間:124分●日本公開:1977/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋文芸坐 (78-12-13) (評価:★★★)●併映「ネットワーク」(シドニー・ルメット)


会田雄次(1916‐1997/享年81)
子どもを危険から守る時、日本人は必ず前に抱きかかえるのは何故か。日本人が危険に対して咄嗟に背を向ける形になるのに対し、アメリカ人は子どもをまず後ろに跳ね除け、危険と対峙する形をとるそうで、本書では、普段は意識されることがないこうした動作の民族的固有性、例えば、西洋鉋(かんな)は押して削るが、日本の鉋は引いて削る(日本刀も引いて斬る)といったことなどから、日本人論を展開しているのがまず興味深かったです。













福岡 伸一 氏 (略歴下記)
プロローグで、表題に関するテーマ、「生物」とは何かということについて、「自己複製を行うシステム」であるというワトソン、クリックらがDNAの螺旋モデルで示した1つの解に対して、「動的な平衡状態」であるというルドルフ・シェ―ンハイマーの論が示唆されています。








Clyde Kluckhohn
米国の人類学者クライド・クラックホーン(1905-1960)の『人間のための鏡("Mirror for Man")』(原著は'49年刊行)の訳本(光延明洋訳/サイマル出版会)とほぼ同時期に新書として刊行された、言語学者・外山滋比古氏らによる同本の抄訳です。原著では自然人類学、文化人類学の双方を扱っているところを、入門書として文化人類学に関する部分を主に抽出して訳したとのことですが、自然人類学についての記述も一部含まれていて、人類学とは何をする学問なのかを、人類と文化、人種、言語、習慣などとの関係を説きながら、幅広い観点から解説しています。
●知能指数200の人は、黒人にも白人にも同じ割合でいる
精神医学者が、「正常と異常の間」を指す「境界線」の視点から、主に病める現代の青春群像を巡って語ったもので、"現代"と言っても本書の刊行は'89年ですが、この頃から既に、極端な精神病状を示す患者は減っていて、逆に、青春期危機、青い鳥症候群、登校拒否や家庭内暴力など、つまり、正常と異常の境界領域に位置する人が、とりわけ若者を中心に多くなってきていたことが窺えます。
精神医学上の「境界例」と「青春期境界線症候群」の各種との対応関係を整理していますが、この辺りからかなり専門的な話になってきて難しい。



野村 総一郎 氏(防衛医科大学教授) NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」 '05.05.28 放映 「ETVワイド-"うつに負けないで"」より
「うつ病」の入門書であり、「うつ病」を「うつ病性障害」、「双極性障害(躁うつ病)」、「気分変調症」の3タイプに分け、代表的症状をわかり易く解説していますが、この内「うつ病性障害」が「大うつ病」と訳されているのに対し、このタイプを「うつ病」と呼び、いろいろなタイプを総括した呼び名を「気分障害」とした方が良いのでは、といった著者なりの考えも随所に織り込まれています。







アインシュタインの相対性理論の入門書として、たいへん分かり易い本で、同時期に読んだ何冊かの中で、内容が最もすんなり頭に入った本でした。
版元は講談社ですが、〈ブルーバックス〉ではなく〈現代新書〉の方に入っているのがミソというか、初心者向きであるとともに文系向きであり、殆ど数式を使わず、比喩表現など言い表し方を工夫することで補っています。


本書でも紹介されている、子犬を絞め殺した夢を見た女性のフロイトによる分析の話は有名ですが、こうした憎しみの「転移」は、夢の中で自分に嘘をついているとも言え、本書を読むと、人間というのは、夢に限らず現実においても嘘をつくようにできているということになります。但し、自己中心的な嘘をつき続ける人は、やはり虚言症と呼ばれる病気であり、クレペリンの調べでは、虚言症者の43%は自殺を図っているそうです(周囲の誰かが病気だということに気づいてあげないと危険な状況になるかも)。

こうした記憶喪失は映画などのモチーフしても扱われており、よく知られているのがマーヴィン・ルロイ監督の「心の旅路」(原題:Random Harvest、'42年/米)です(原作は『チップス先生、さようなら』『失われた地平線』などの作者ジェームズ・ヒルトン)。
第1次世界大戦の後遺症で記憶を失ったスミシィ(仮称)という男が、入院先を逃げ出し彷徨っているところを、踊り子ポーラにに助けられ、2人は結婚し田舎で安穏と暮らすが、出張先で転倒したスミシィは、自分がレイナーという実業家の息子であった記憶喪失以前の記憶を取り戻し、逆に、ポーラと過ごした記憶喪失以後の3年間のことは忘れてしまう―。
「心の旅路」●原題:RANDOM HARVEST●制作年:1942年●制作国:アメリカ●監督:マーヴィン・ルロイ●製作:シドニー・フランクリン ●脚本:クローディン・ウェスト/ジョージ・フローシェル/アーサー・ウィンペリス●撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ ●音楽:ハーバート・ストサート●原作:ジェームズ・ヒルトン「心の旅路」●時間:124分●出演: ロナルド・コールマン/グリア・ガーソン/フィリップ・ドーン/スーザン・ピータース/ヘンリー・トラヴァース/レジナルド・オーウェン/ライス・オコナー●日本公開:1947/07●配給:MGM=セントラル●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(84-12-23)(評価:★★★★)●併映「舞踏会の手帖」(ジュリアン・デュビビエ)

一人の歴史家が単独で著した世界史の通史で、しかも新書1冊にコンパクトに纏められていますが、過去にも現在にもこうした試みを為した歴史学者は少ないように思え、また、そうしたことが出来る人というのもあまりいなくなっている気がします。

『サラリーマン武士道』('01年/講談社現代新書)に続く週刊誌連載コラムの新書化で、内容と共に黒鉄ヒロシの絵も楽しめ、また本書では、長谷川平蔵と森山孝盛の2人に焦点を絞っているために、コラムとコラムの繋がりがスムーズで一気に読めます。


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著者は、東京大学史料編纂所の先生で、「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞した『江戸お留守居役の日記』('91年/読売新聞社、'94年/講談社文庫)が、"エッセイ"のわりには結構アカデミックだったのに対し(その後、講談社学術文庫に収録)、近年の著作はかなりわかりやすいものが多いような気がします。
参勤交代の行列は、加賀前田家などの最大規模のもので数千人、遠方の藩だと江戸まで1箇月以上の旅程となり、その費用は現在価値で数億円にもなったことを、詳細な史料から細かく試算しています。今でも「加賀百万石祭り」など各地の祭りで大名行列が再現されていますが、当時デモンストレーション的要素もあって、徳川吉宗などは簡素化を図ったようですが、なかなかそうもいかなかったらしいです。


秋山氏の言う「数学を理解する能力」=「日常生活を支障なく過ごす能力」とは、


山折 哲雄 氏 (宗教学者)
多い山折哲雄氏が、神秘体験について考察したもので、刊行は'89年。

とは言え、「リストカット」は自傷行為の"代表格"であるには違いなく、本書で事例として登場するダイアナ妃もリストカッターだったわけです(彼女については、最終的には自傷行為を克服した例とされている)。

本書によると、日本軍は開戦後まもなく上海に上陸し、さらに南京に侵攻、国民政府・蒋介石は首都・南京を捨て、重慶にまで後退して戦力補充を図ったために戦局は消耗戦へと移行する―、こうした流れはもともと蒋介石により仕組まれたものであり、過去に消耗戦の経験を持たず「決戦」的な戦争観しか持たない日本(このことは太平洋戦争における真珠湾攻などで繰り返される)に対し、蒋介石は、日本側の長所・短所、自国の長所・短所を的確に把握していて、消耗戦に持ち込めば日本には負けないと考えていたようです。


さらにマヤ文明は、西暦10世紀には最盛を誇った古典期を終え、ヨーロッパ人到来の500年前にはマヤの都市はほとんど廃墟となっていたという点でも、16世紀にコルテス、ピサロによって一気に滅ぼされた他の2つの文明とは異なります。


ラテンアメリカ民俗学の第一人者・増田義郎氏の『古代アステカ王国―征服された黄金の国』('63年/中公新書)の中にも、高度に文明化した水上首府(公衆トイレとかもあってスペイン人が驚いたという)の街の中央にピラミッドがあり、その頂きの祭壇は、生け贄になった犠牲者の血に塗られているという、現代の我々から見れば極めてアンバランスな宗教と文明の同居状態が紹介されていました。
著者は国際会計事務所KPMGの出身のM&Aコンサルタントで、第1章で、近年なぜ日本でM&Aが増え、「企業価値」という言葉が登場してきたのかを、第2章では、「会社は誰のものか」議論の背景にある日本特有の「企業意識」と「企業価値」との関係を述べ、第3章、第4章は、M&Aの種類や財務理論を解説したテキストになっています。


高城 幸司 氏(セレブレイン社長)

Kim Peek/Dustin Hoffman
少し以前に書かれた本ですが、一般向けの自閉症入門書としては読みやすい内容だと思います。映画「
「レインマン」●原題:RAIN MAN●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督:バリー・レヴィンソン●撮影:ジョン・シール●音楽:ハンス・ジマー●原作・脚本:バリー・モロー●時間:133分●出演:ダスティン・ホフマン/トム・クルーズ/バレリア・ゴリノ/ジェリー・モルデン/ジャック・ マードック/マイケル・D・ロバーツ/ボニー・ハント●日本公開:1989/02●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:新宿グランドヲデオン座(89-04-15) (評価★★★★)
笠原 嘉(よみし) 氏(略歴下記)
著者は、大学生の「スチューデン・アパシー」現象について書かれた海外の論文を見つけたことから、これらが大学紛争の際の一時的現象ではなく、その後も続いている現象であると考え、これを「退却神経症」という新しいタイプのノイローゼと位置づけて、うつ病やパーソナリティ障害との比較をしています。



ノイローゼの種類を神経衰弱(疲労蓄積による)・ヒステリー(病気への逃避・性欲抑制など)・精神衰弱(強迫観念・恐怖症・不安神経症など)の3つに区分し(この区分は現在もほぼ変わらないと思いますが)、症例と併せわかりやすく解説しています。 

木村敏氏(略歴下記)

山元 大輔 ・東北大教授(行動遺伝学)(略歴下記)
冒頭の、「頭の記憶」(陳述記憶)がダメになるアルツハイマーと、「体の記憶」(手続き記憶)がダメになるピック病との対比で、記憶とは何かを述べるくだりはわかりやすいものでした。扁桃体が情動記憶センターだとすれば、海馬は陳述記憶の集配基地であり長期記憶に関わる-この説明の仕方もわかりやすい。





そうした著者の言説をわかりやすく噛み砕いたもの(元々そうした趣旨において書かれたもの)が本書『進化論という考えかた』('02年/講談社現代新書)であるとも言えますが、ただし、本書において具体的にそうした学問領域の間隙を埋める作業に入っているのではなく、むしろそうした作業をする場合に著者が自らに課す"心構え"のようなものを「センス・オブ・ワンダー」(自然への畏敬の念)という概念基準で示しています(この言葉はレイチェル・カーソンの著作名からとっているが、著者なりの言葉の使い方とみた方がよいのでは)。そして、この基準を満たさないものとして、竹内久美子氏の"俗流"進化生物学や澤口俊之氏の『平然と車内で化粧する脳』('00年/扶桑社)などを挙げて批判しています。

東 浩紀 氏







最初に一般論としてのエコノミストの分類をしていますが、「政策プロモーター型」の竹中平蔵氏について、度々の変節を揶揄して「カオナシ」と呼んでいるところは著者らしいユーモア。

『






一方、先に劇場映画作品として公開された宮崎駿監督の「ルパン三世〜カリオストロの城」は、ヒロインのクラリス姫が特定のファンの間で非常に人気があるこ
のカッコ良さの方が個人的には印象に残ったかなあ。
「カリオストロの城」のモデルと言われる(諸説あり)リヒテンシュタイン城。ドイツの南西部の都市・シュトゥットガルトの郊外にあり、映画と同じく古代ローマ様式の水道橋がある。
第1シリーズ当初からのファンの中には、そのやや大人びた雰囲気が好きな層も多くいたようで、劇場版第1作「ルパン三世~ルパンVS複製人間」は、低年齢化したテレビ版の反動からか、クローン人間をテーマとしたSFチックな壮大なストーリーでした。怪人「マモー」(ブライアン・デ・パルマ監督の「
「海のトリトン」●演出:富野喜幸(富野由悠季)●制作:ア
ニメーション・スタッフルーム●脚本:辻真先/松岡清治/宮田雪/松元力/斧谷稔●音楽:鈴木宏昌●原作:手塚治虫「青いトリトン」●出演(声):塩谷翼/広川あけみ/北浜晴子/八奈見乗児/野田圭一/沢田敏子/杉山佳寿子/北川国彦/渡部猛/増岡弘/渡辺毅/塩見龍助/滝口順平/矢田耕司/中西妙子/柴田秀勝●放映:1972/04~09(全27回)●放送局:朝日放送

色:押井守●製作:多賀英典●演出:安濃高志●脚本:金春智子●撮影監督:若菜章夫●音楽:小林泉美・安西史孝・天野正道●原作:高橋留美子●時間:80分●声の出演:平野文/古川登志夫/島津冴子/神谷明●公開:1983/02●配給:東宝●最初に観た場所:大井ロマン(85-05-05)(評価:★★☆)●併映:「うる星やつら2」(押井守)/「うる星やつら3」(やまざきかずお)
「うる星やつら2/ ビューティフル・ドリーマー」●制作年:1984年●監督・脚本:押井守●製作:多賀英典●演出:西
村純二●撮影監督:若

子/田中真弓/藤岡琢也/千葉繁/村山明●公開:1984/02●配給:東宝●最初に観た場所:大井ロマン(85-05-05)(評価:★★★)●併映:「うる星やつら」(押井守)/「うる星やつら3」(やまざきかずお)
「うる星やつら3/リメンバー・マイ・ラブ」●制作年
「うる星やつら」(テレビアニメ版)●チーフディレクター:押井守(1話 - 129話)/やまざきかずお(130話 - 218話)●プロデューサー:布川ゆうじ/井上尭

「ルパン三世〜カリオストロの城」●制作年:1979年●監督:宮崎駿●製作:片山哲生●脚本:宮崎駿/山崎晴哉●作画監督:大塚康生●音楽:大野雄二 ●原作:モンキー・パンチ●時間:98分●声の出演:山田康雄(1932-1995)/島本須美/納谷悟朗(1929-2013)/小林清志/井上真樹夫/増山江威子/石田太郎/加藤正之/宮内幸平/寺島幹夫/山岡葉子/常泉忠通/平林尚三/松田重治/永井一郎/緑川稔/鎗田順吉/阪脩●公開:1979/12●配給:東宝 (評価:★★★☆)


「ルパン三世」(テレビアニメ版)●監督:(第1シリーズ)大隈正秋/(第3シリーズ)こだま兼嗣/鍋島修/亀垣一/奥脇雅晴ほか●プロデューサー:(第2シリーズ)高橋靖二(NTV)/高橋美光(TMS)/(第3シリーズ) 松元理人(東京ムービー新社)/佐野寿七(YTV)●音楽:山下毅雄/(第2シリーズ)大野雄二●原作:モンキー・パンチ●出演(声):山田康雄/小林清志/二階堂有希子/増山江威子/井上真樹夫/大塚周夫/納谷悟朗●放映:1971/10~1972/03(全23回)/1977/10~1980/10(全155回)/1984/03~1985/12(全50回)●放送局:読売テレビ(第1シリーズ)/日本テレビ(第2・第3シリーズ)








例えば、白と黒の縞模様を見ると発作を起こす医師をグレゴリー・ペック、彼を愛し発作の原因を探りだそうとする精神科医をイングリッド・バーグマンが演じた「白い恐怖」(原作はフランシス・ヒーディングの『白い恐怖』、本国での発表は1927年)では、グレゴリー・ペックの見る夢のシーンで用いられたサルバドール・ダリによるイメージ構成にダリの実験映画と同じような表現手法が見出せましたが(これにテルミンの音楽が被る)、この部分はあまりにストーレートで杓子定規な精神分析的解釈で、個人的にはさほどいいとは思えず、著者も「本来のヒチコックの映像造形とはかけ離れている」としています。
一方、イングリッド・バーグマンがはじめはメガネをかけていたことにはさほど気にとめていませんでしたが、他の作品では眼鏡をかけた女性が悪役で出てくるのに対し、この映画では、一見冷たさそうに見える女性が、恋をすると情熱的になることを効果的に表すために眼鏡を使っているとのことで、ナルホドと(イングリッド・バーグマンはこの作品で「全米映画批評家協会賞」の主演女優賞を受賞)。
一方、「白い恐怖」と同様に精神分析の要素が織り込まれていたのが「マーニー」('64年)でした(日本では「マーニー/赤い恐怖」の邦題でビデオ発売されたこともある)。ある会社の金庫が破られ、犯人は近頃雇い入れたばかりの女性事務員に違いないとういうことになるが、当の彼女はその頃ホテルでブルネットの髪を洗って黒い染髪料を洗い流すとブロンドに様変わり。よって、その行方は知れない―幼児期の体験がもとで盗みを繰り返し、男性やセックスにおびえる女性マーニーを「鳥」('63年)のティッピ・ヘドレンが演じ(彼女も血筋的にはバーグマンと同じ北欧系)、彼女と結婚して彼女を救おうとする夫を「
著者はこの映画を初めて観たとき、ブルネットのときは盗みを働き、ブロンドの時は本質的に善であるマーニーから、ヒッチコックのブロンド贔屓もずいんぶん露骨だと思ったそうです。「裏窓」('54年)のグレース・ケリー、「
ますが、実際セクハラまがいのこともしたようです(ヒッチコックによるヘドレンへのセクハラを描いたドナルド・スポトの『Spellbound by Beauty: Alfred Hitchcock and His Leading Ladies』が、2012年に米・英・南アフリカ合作のテレビ映画「
著者なりの作品のテーマ分析もありますが、「すべてエンターテイメントのために撮った」というヒチコックの言葉に沿ってか、それほど突っ込んで著者の考えを展開しているわけではありません。




「マーニー(マーニー/赤い恐怖)」●原題:MARNIE●制作年:1964年●制作国:アメリカ●監督・製作:アルフレッド・ヒッチコック●脚本:ジェイ・プレッソン・アレン●撮影:ロバート・バークス●音楽:バーナード・ハーマン●原作:ウィンストン・グレアム「マーニー」●時間:130分●出演:ショーン・コネリー/ティッピー・ヘドレン/マーティン・ガベル/ダイアン・ベイカー/ルイーズ・ラサム/アラン・ネイピア/マリエット・ハートレイ/キンバリー・ベック/ブルース
・ダーン●日本公開:1964/08●配給:ユニバーサル・ピクチャーズ(評価:★★★☆)

ランベルト・マジョラーニ(右)
ビットリオ・デ・シーカ監督に「自転車泥棒」('48年/伊)という名画があり、世界中の人を感動させたわけですが、実際自分がフィルムセンター(焼失前の)でこの作品を観たときも、上映が終わって映画館から出てくる客がみんな泣いていました。
この映画の主人公を演じたランベルト・マジョラーニは、演技においては全くのズブの素人だったとのことで、ではなぜ、そんな素人が演じた映画が名画たりえたかと言うと、それは"モンタージュ"によるものであるとして、著者は、その"モンタージュ"という「魔法」を、この本でわかり易く解説しています(素人の演技が何故世界中の人々を泣かせるのかという導入自体がすでに"モンタージュ"の威力を示しており、効果的なイントロだと言える)。



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エイゼンシュテインは更に歌舞伎の影響を強く受け、結局「イワン雷帝」(第1部'44年/第2部'46年/ソ連)などはその影響を受け過ぎて歌舞伎っぽくなってしまったとのことですが、確かに、あまりに大時代的で自分の肌に合わなかった...(この映画、ずーっと白黒で、第2部の途中からいきなり極彩色カラーになるのでビックリした。「民衆の支持を得た独裁者」というパラドクサルな主題のため、時の独裁者スターリンによって公開禁止になった作品。第3部は未完)。そのエイゼンシュテインに影響を与えた歌舞伎は、実は人形浄瑠璃の影響を受けているというのが興味深く、まさに「自然は芸術を模倣する」(人が人形の動きを真似する)という言葉の表れかと思います。



「自転車泥棒」●原題:LADRI DI BICICLETTE●制作年:1948年●制作国:イタリア●監督・製作:ビットリオ・デ・シーカ●脚本:チェーザレ・ザヴァッティーニ/オレステ・ビアンコーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ/アドルフォ・フランチ/ジェラルド・グェリエリ●撮影:カルロ・モンテュオリ●音楽:アレッサンドロ・チコニーニ●原作:ルイジ



「イワン雷帝」●原題:IVAN THE TERRIBLE IVAN GROZNYI●制作年:1946年(第1部・1944年)●制作国:ソ連●監督・脚本:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン●撮影:アンドレイ・モスクヴィン/エドゥアルド・ティッセ ●音楽:セルゲイ・プロコフィエフ●時間:209分●出演:ニコライ・チェルカーソフ/リュドミラ・ツェリコフスカヤ/セラフィマ・ビルマン/パーヴェル・カドチニコフ/ミハイル・ジャーロフ●日本公開:1948/11●配給:東和●最初に観た場所:池袋文芸坐 (79-04-11) (評価:★★★)●併映:「戦艦ポチョムキン」(セルゲイ・エイゼンシュタイン)
杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2012年5月19日)詩人、 映画評論家。2012年5月19日、肺炎のため死去。97歳。

杉山 平一 氏
著者は関西では長老格の現役詩人で、最近も『詩と生きるかたち』 ('06年/編集工房ノア)を出版するなど息の長い活動を続けていますが、『映画芸術への招待』('75年/講談社現代新書)、『映画の文体』('03年/行路社)などの著書もあるように映画評論家でもあり、本書は、そうした幅広い素地を生かした一般向けの "美学"入門書とも言える本であり、人はどういうものに「美」やその喜びを見出すかが、模倣、カタルシス、リズムなど19のキーワードに沿ってわかりやすく書かれています。
坂崎 乙郎 (1927-1985/享年57)

ロマン主義の画家にどのような人がいたかと調べてみれば、ブレーク、フリードリヒ、ターナー、ジェリコー、そして大御所ドラクロアなどが代表的画家であるようですが、著者はロマン主義の画家に見られる特質を分析し、背景としての「夜」の使われ方や、モチーフとしての「夢」の役割、分裂病質とも言える「狂気」の表れ、デフォルメなどの背後にある「美の計算」などを独自に解き明かしています。



