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認知症・がんなどの実態を明かした上で、どう老いればよいかを説く。


『人はどう老いるのか (講談社現代新書 2724)』['23年]
在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本で、『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)の続編・姉妹版のような位置づけでしょうか。
第1章では、「老いの不思議世界」として、高齢者における重症度と苦悩も深さは必ずしも一致しないことや、それまで死を恐れていたのが、90歳を超えると、ここまで生きればあとどれくらい生きるか楽しみだという心境になり、「早ようお迎えがこんか」という冗談も出るようになると。ただ、その前の段階では。死にたい願望に囚われることもあるとしています。また、死ぬ準備は不愉快かもしれないが、その準備ができてなくて悔いの残る死に方をした人が多いとしており、これなどは考えさせられます。
第2章では、認知症高齢者について述べています。認知症の種類としてアルツハイマー型などがあるとし、一方、認知症の主なタイプとして、「多幸型」「不機嫌型」などがあり、そのほかに「怒り型」「泣き型」「情緒不安定型」には困惑させられ(酔っぱらいの種類みたい)、「笑い型」は楽しく、困るのは「意地悪型」だと。また高齢者の「俳諧」は無目的なものではないとし、その抑制方法を説いています。
著者が自身の父親の老いと死を描いた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)で、老人認知症の肉親を持った家族の苦しみは測り知れないとしながら、本自体は暗さを感じさせない楽しい作りになっていたのは、著者の父親の場会、「笑い型」だったということで腑に落ちました。
第3章は、認知症にだけはなりたくないという人に向けて書かれていて、認知症を恐れるのは、健康な時に認知症になった自分を思い浮かべるからであって、なってしまえば、死の恐怖も無くなり、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の主人公が最後「無理解の平安」に帰還したように、知的障害も必ずしも悪くないとしています。また、脳トレは、脳の老化を遅くするかもしれないが、認知症とは無関係であるとしています(元聖マリアンナ医科大学の教授で認知症研究の第一人者だった長谷川和夫氏(2021年没)が認知症になったという例もあった)。
第4章では、医療幻想の不幸を説いています。日本人は医療万能の幻想を抱いていて、クリニックや病院でもCTスキャンやMRIなど高価な検査機器を入れなければ患者は来ないし、検査機器を入れただけでは収益を生まないので、過剰な検査をするとのことです。
第5章では、新しいがんの対処法について述べています。ここでは、実はがんで死ぬには良い面もあり、医者の希望する死因の第1位はがんで(前著『人はどう死ぬか』にも書かれていた)、がん検診にはメリット・デメリットがあるとしています。
第6章は、"死"を先取りして考えるということを説いています。上手に死ぬ準備はやはり必要だということです。胃ろうやCVポートで延ばされる命は、当人にとっても家族にとっても過酷なものであると。坂本龍一氏も享年71で早すぎる死と悼まれたが、あまり死に抵抗すると、無用の苦しみを強いられる危険があり、坂本龍一氏が最後「もう逝かせてくれ」と言ったというのは、そのことに気づいたからではないかとしています。尊厳死したゴダールの例を挙げ、著者自身も尊厳死に肯定的なようです。
第7章は、「甘い誘惑の罠」として、長生きしたいという欲望につけ込むビジネスが横行しているとしています。よく取り上げられる「スーパー元気高齢者」なども、その罠の1つであるかもしれないと。
第8章では、これからどう老いればよいかを説いています。著者がその死生観を称え、個人的にも印象に残ったのは水木しげるの言葉で、「名前なんて一万年もすればだいたい消えてしまうものだ」というもの。だから、有名になることに努力するより、自分の人生を充実させるための努力をした方がいいと。
実は今がいちばん幸福なのだと気づけば、これからどう老いるべきかということも考えずにすむという著者の言葉も響きました。でも、考えるべき時には考えた方がいいのだろうなあ(著者自身は"隠居"するという考えを勧めている)。
