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寿命が尽きる2年前、それは「今でしょ」、というつもりで生きる。

『寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書 669)』['22年]
2年後に死ぬとわかったら何を想うか。うろたえ、嘆き続けるわけにもいかない。たった一度の人生を終えるのに際し、もっと大事なことがあるはず。人はみな自分の寿命を生きる。そもそも寿命とは何か。「死を受け入れるのはむずかしい」と人は言うが、その達人はいるのか、楽な方法はあるのか。悔いなき人生をまっとうするには? 本書は現役の医師で作家である著者が、こうした様々な問いに答えようとした本です。
第1章では、「寿命」とは何かを考察しています。何が寿命を決めるのかについて、「テロメア説」や「心拍数説」などあるものの、十分なエビデンスは無いとし、70代で亡くなっても「老衰」とされることがあるように、「寿命」の範囲というものは特定されていないと。確かに平均寿命は延びてはいるが、むしろ「健康寿命」が大事であるとしています。
第2章では、寿命を延ばす方法というものを、伝承や疑似科学から週刊誌の特集、さらには科学的な方法から拾う一方、ベストセラーとなったハーバード大学のデビッド・シンクレア教授の『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』における「死」は「病気」であり、NMNという治療薬で克服できるという論に対しては、酵母やマウスでの実験が人間にすぐに応用できるのかというと疑問だとし、「本書はどこにも嘘は書いていない。あるのは都合のいい事実と、楽観主義に貫かれた明るい見通しだ。万一、本書に書かれたことが実現するなら、この世はまちがいなくバラ色になる」と、皮肉を込めて批判しています。この章では、がんや心筋梗塞、脳血管障害などの寿命を縮める病気についても解説しています。
デビッド・シンクレア『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]
第3章では、寿命に逆らうことの苦しみを説いています。老いを否定するのは負け戦となり、がんを最後まで治療するのもどうかと。ただ、業界的には老化を拒絶する傾向にあり、アンチエイジングで盛り上がってしまっていると。でも実際は、無益な延命治療をはじめ寿命に逆らうのは最悪の苦しみであり、逆らわない方が楽であるとしています。
第4章では、表題にもある「2年後の死」は予測できるかという問題を扱っています。気品的には今は元気でも2年後は分からないということですが、分わからないのはいいことだと。でも、もしいつ死ぬか分かったら、死をシミュレーションするといいと(ただし、シミュレーションしていても、実際に自分の死が迫ったら冷静でいられるかは別問題であるとも)。また、ほぼ2年後の死が分かるケースとして〈がん〉があり、その意味で〈がん〉にはいい面もあると。ただし、それは死を受け入れている場合であって、生きることに執着している人にはきついと。黒澤明の「生きる」で志村喬が演じた主人公の話や、一年以内の死を予測して62歳で亡くなった内科医・丸山理一氏の話が出てきます。丸山氏は、がんで死ぬことをむしろ歓迎すべきではないかとし、死が近づくにつて、死の恐怖も鈍くなったという文章を遺しているとのことです。
第5章では、現代日本は〈心配社会〉であるとしています(世界中のCTスキャンの約30%が日本にあるという)。日本人は健康診断の数値に惑わされ過ぎであると。しかしながら、がん検診もメリット・デメリットがあり、むしろデメリットが多く、著者は受けていないと(医者で受けていない人は、一般人より比率的に高いようだ)。検診を受けても不摂生していればどうしようもないわけで、検診より大事なことは、日常で健康的な生活を送ることであると。「安心は幻想、心配は妄想」としています。
第6章では、医療の進歩が新たな不安をもたらしているという問題を取り上げています。気楽に60歳まで生きるにと、心配しながら80歳まで生きるのとどちらがいいのか疑問だと。治療すべきせざるべきか、予防的切除すべきか否か。拡大手術か温存手術か―どちらに転んでも悩ましい選択を迫られるのが現代医療であると。インフォームドコンセントも良し悪しで、医療は新興宗教みたいになってきてしまっていると。
第7章では、望ましい最期の迎え方について述べています。その例として、老いへの不安よりも新たな感動を求め続けたレニ・リーフェンシュタール氏(著者がパプアニューギニアに勤務していた時、94歳の彼女に実際に会ったという)や、著者が熱烈なファンであること自認する水木しげる氏、著者が所属していた同人誌の創始者の富士正晴氏の話などが紹介されています(レニ・リーフェンシュタールについては2022年に亡くなった石原慎太郎も、曽野綾子氏との対談『死という最後の未来』('20年/幻冬舎)の中で生き方の理想としていた)。
レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)
第8章では、寿命が尽きる2年前にするべきことは何かを述べています。要は、あらかじめある年齢を超えたら、もう十分生きたと満足するこころづもりをしておくことということになります。それまでに具体的にしたらいいこととして、絵画旅行でも豪華船の旅でもいいし、映画好きならDVDを観まくるとか、何ならホームシアターを作ってもいいと。長年世話になった人に感謝の気持ちを伝えるとか、家族と過ごす時間の増やすとか。逆に、しなくていいこと、してはいけないことは、病院通いで時間をつぶすこと、酒・タバコをやめるといった身体的節制、貯金・節約、アンチエイジングも無意味であると。
最後に、寿命が尽きる2年前、それはいつなのか、それが分からないから問題なのだと思っていましたが、著者は、それは「今でしょ」(林修先生か(笑))と。間違っていてもそう考えることで損はないはずだと。ナルホド!そういうつもりで生きれば、密度の濃い日々を送ることができるのだと納得しました。


個人的には、今回は再読。著者のこのテーマの本の中では最初に読んだものであり、2つ前に取り上げた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)、1つ前に取り上げた『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)など著者の他の本を遡及して読む契機にもなった本であることもあって◎評価としました(次に取り上げる「老い」について述べた『人はどう老いるのか』('23年/講談社現代新書)を含め、この辺りは全部◎にしてもいいぐらい)。
