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ドキュメントとして引き込まれ、がん・認知症などについて新たな知見もあった。

『人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期 (幻冬舎新書)』['14年]
作家であり医師でもある著者が、2013年に87歳で亡くなった父親の「死に方」を書いたもの(2014年刊)。
著者の父親は元医師でありながら医療否定主義者で、不摂生ぶりも医者に不養生どころではなく、若い頃に糖尿病をやって、それでも血糖値も測らず甘いものを食べ続け、自らが注射するインシュリンの量を増やして自然治癒させたともこと。極めつけは、前立腺がんを宣告されて「これで長生きせんですむ!」と治癒を拒否したというスゴイ人です。
最初は、非常に特殊なキャラクターかとも思いましたが、読んでいくうちにQOLを実践しているようにも思ええてきて、作家としての筆力あるドキュメントタッチと相俟って引き込まれました。
著者自身、「がん」は「いい死に方」との考えであり、ポックリ死だと、本人にも周囲にも何の準備もないで亡くなるのに対し(心筋梗塞や脳梗塞だと死ぬまでに少し時間があるため、その間やり残したことを後悔することになるという)、がんなら死ぬまでに結構時間があるので、やり残したことができるといいます(87p)。ただし、がんで上手に死ぬためには、ふだんからの心構えが必要で、それなしにがん宣告を受けて死ぬとなると、おいしいものを食べても味もわからないだろうと(88p)。
著者の父親は、最期は「認知症」気味だったようですが、認知症に関する記述も印象に残りました。著者は、認知症の患者を抱えた家族の苦労は筆舌尽くしがたい(156p)として、その実際例を挙げながらも、自分の父親が認知症のおかげで、死の恐怖や家族に迷惑をかける申し訳なさを感じなかったようだとし、認知症は確かに多くの問題を孕んでいるが、不安や恐怖を消してくれるという一面もあり、自然の恵みのようにも思えるとしています(164p)
また、「孤独死」は暗いイメージがありますが、著者は、よけいな医療を施されない分、死の苦しみが最低限で収まるという、よい面もあるとしており(215p)、なるほどと思いました。
さらに、親の「死に目に会う」ことに人はこだわりがちだが、家族が死に目に会えたといってもそれは捏造された死に目であって、本当は前夜に亡くなっていたものを医療で強引に死を引き延ばしたところで本人には意識はなく、むしろ意識を取り戻したら人生の最期にとんでもない苦痛を味合わせることになると。
このように、自身の親の死に方の記録であり、それを作家的視点と医師の視点の両面から描いているのがよく、さらに、それと並行して、先述のように「がん」「認知症」「孤独死」「死に目に会う」といったイシューについて新たな見方を提供してくれました。
父親の死までの記録としては、「自宅における療養」と言っても著者自身が医師であることによって、結果的に自宅で専門的知見にもとづく医療・介護的ケアがなされる状況となっており、一般の人にはあまり参考にならないとの見方もあるかもしれません。ただ、家系的に子どもが皆医者の親で、子らが医者として手を尽くすので、"なかなか死なせてもらえなかった"と思わる例を見聞きしたことがあり、この親子の関係はそういうのとも違っているように思いました。
新書本ですが、作家によるものであることもあり、読み応えのある随想とも言える本でした。
