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新たな知見も得られたし、それ以上に、死とどう向き合うかをきちんと考えさせられる内容だった。


『人はどう死ぬのか (講談社現代新書 2655) 』['22年]
在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本。
第1章では、死の実際を見ると、医療行為として行われているものの中には、死に際して行う"儀式"のようなものもあり、そこには。死にいくつかの種類(段階)があることが関係しているとしています。
第2章では、さまざまな死のパターンを見ています。ここでは、延命治療は要らないという人には、助かる見込みがあっても病院に行かないとする覚悟が必要で、在宅での看取りを希望していたのが、間際になって家族によって全く反対の最期になる場合もあるとしています(ただし、それで奇跡的に回復することもある)。また、死を受け入れることの効用を、著者の父親を例に、道教的な「足るを知る」という考えを引いて、説いています。
第3章では。著者がかつて外務省の医務官として赴任した、海外各地での"死"の扱われ方を紹介しています。サウジアラビア人医師の、「死を恐れるな。アッラーが永遠の魂を保証してくれる」という言葉に、宗教がある国の日本とは彼岸の差がある強さを感じたり、パプアニューギニアの死を受け入れやすい国民性に感心したりしていますが、ウィーンで開催されていた「死の肖像展」や、医学歴史博物館の蝋人形など、死をリアルに表現したものがあるというのが興味深かったです。
第4章では、死の恐怖とは何かについてです。日常的に死に接している医者は、死体を見ても慣れてしまい、緊張しなくなるとのことです。また、よく「死ぬ時に苦しむのはゴメンだ」と言う人ほど苦しむのが人の死だとも述べています。死は、戦うより受け入れる気持ちになった方が楽だということです。
第5章では、死に目に会うことの意味はあまりないとしています。むしろ、安らかに死のうとしているとこころを無理に覚醒させると、本人に苦痛を与えかねないし、エンゼルケアと呼ばれる死後処置も、実際にそのために遺体がどう扱われるか。それを見ると、あまりいいとは思えないとしています。
第6章では、メディアは不愉快なことは伝えないため知られていないが、老衰死というのも、体の全機能が低下して悲惨な最期だったりするし、「ピンピンコロリ」も、理想の死に方のように言われるが、若い時から摂生している人ほどなかなか死ねず、コロリと死ぬのは不摂生してきた人だと。言われてみれば確かにそうかも。
第7章では、がんに関する世間の誤解を述べています。ここでは、近藤誠氏の「がんもどき理論」も紹介されていて、良性のがんは治療せずとも転移しないし、悪性のがんは治療しても治らないので、結局がん治療は意味がないという話ですが、一理あるとしながらも、現実そうはいかないとも。また「生検」ががんを転移させる可能性を危惧しています。
第8章では、安楽死・尊厳死について、その弊害や実際に国内外で起きた事件を取り上げながらも、本人が極度の苦しみを抱き、そこから逃れられない状況にあるときは、本人の意思を大事にすべきではないかとしています。
第9章では、上手な最期を迎えるにはどうすればよいかを考察し、最後に「新・老人力」という考えを推奨し、また。同じく医師兼作家の帚木蓬生氏が着眼した「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を紹介するとともに、詩人・翻訳家でタオイストだった加島祥造氏の「求めない」という発句で始まる詩を紹介しています。
読んでいて、新たな知見も得られましたが、それ以上に、死とどう向き合うかをきちんと考えさせられる内容です。やはり、作家としての筆力が大きいということでしょうか。お薦め本です。
