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わかりやすいが、入門書として良いかどうかは別問題。
『「タオ=道」の思想』講談社現代新書〔'02年〕 諸橋轍次『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』('82年/講談社学術文庫)
『「タオ=道」の思想』は、中国文学者による「老子」の入門書で、その思想をわかりやすく紹介し、終章には「老子」の思想の影響を受けた、司馬遷や陶淵明ら中国史上の人物の紹介があります。
「和光同塵」
「功遂げ身退くは、天の道なり」
「無用の用」
「天網恢恢、疎にして漏らさず」
などの多くの名句が丁寧に解説されていて、
「大器は晩成す」
という句が一般に用いられている意味ではなく、完成するような器は真の大器ではなく、ほとんど完成することがないからこそ大器なのだとする解釈などは、興味深かったです。
但し、「もし今日、老子がなお生きていたならば、いつもこの地球上のどこかでくり返し戦争を起こし、どこまで行きつくか知れない自然環境の破壊に手を貸している人智の愚かしさに、彼はいきどおっているにちがいない」という記述のように、著者の主観に引きつけて筆が走っている部分が多々見られます。
「老子」が"老子"という人物1人で成ったものでないことは明らかだし、その"老子"という人物すら、実在したかどうか疑わしいというのが通説であるはずですが...。
漢字学者・諸橋轍次(1883-1982/享年99)の『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』('82年/講談社学術文庫)などもそうでしたが、文学系の人の「老子」本には、同じような「人格化」傾向が(諸橋氏の場合はわざとだが)見られます。
『孔子・老子・釈迦「三聖会談」』は、聖人らの三者鼎談という架空のスタイルを用いることにより、例えば老子の説く「無」と釈迦の説く「空」はどう異なるのかといった比較検討がなされていて、そうした解説にもいきなりではなく落語の枕のようなものを経て入っていくため親しみ易く、入門書としてはそう悪くもないのかも知れませんが、「学術文庫」に入っているというのはどんなものでしょうか(見かけ上"学術"っぽく見える部分も多々あるから紛らわしい)。
英米文学者・加島祥造氏(1923-2015/享年92)の『タオ―老子』('00年/筑摩書房)における「老子」の名訳(超"意訳"?)ぐらいに突き抜けてしまえばいいのかも知れませんが(「加島本」の"抽象"を自分はまだ理解できるレベルにないのですが)、本書も含め入門書として良いかというと別問題で、入門段階では「中国思想」の専門家の著作も読んでおいた方がいいかも知れません。