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面白かった。リーダーシップ本としても読まれた。"実話"は強い。


『マネー・ボール〔完全版〕 (ハヤカワ文庫 NF 387)』['13年] 「マネーボール [AmazonDVDコレクション]」ブラッド・ピット
勝つためには一流の選手を集める、そのためには資金が必要、というのが、球界の常識。その常識を覆したのが1997年に35歳でオークランド・アスレチックスのGMに就任したビリー・ビーンです。彼は「無名の実力派」を「格安」で手に入れて、4年連続でプレーオフに進出するという見事な勝ちっぷりを見せます。この貧乏メジャーリーグチームが一体どのようにして目覚しい実績を勝ち取ったのか?ドラフトやトレードでの絶妙な駆け引き、まったく新しいデータ活用法と戦術、さらにアスレチックスという新天地で見違えるように才能を開花させる選手たちの様子が詳しく描かれています。
面白かったです。かつて将来を嘱望されながら夢破れてグラウンドを去った元大リーガーが、1990年代末、資金不足から戦力が低下し、成績も沈滞していたオークランド・アスレチックスに新任GMとして着任、統計データを駆使した野球界の常識を覆す手法で球団を改革、チームを強豪へと変えるという流れは、ノンフィクションですが、極めて物語的に読めます。ビジネスパーソンには、組織改革とそのためのリーダーシップの本としてもよく読まれたようです。
この物語の主人公ビリー・ビーンは、「生まれながらのスポーツの天才」のような青年で、容姿端麗なだけでなく勉強も優秀でスポーツ万能。欠点らしい欠点がないと言われ、大学からもスカウトからも申し出が殺到していたそうです。子供の頃から「負け知らず」だった彼は、大リーグ入りして初めて周囲の人間に「負け」ることがあることを意識し、精神的葛藤に苦しむことにないますが、そこからGMとして自らのキャリアを切り開きます。彼は、「データ」をもとに選手の真価を見極め、「出塁率」「四球率」を上げるよう選手を育てて試合を行い、チームの勝率をぐんぐん伸ばしていきました。その華々しい成果は、キャリア面での逆転劇にもなっています。
ビリー・ビーン
ベネット・ミラー監督、ブラッド・ピット主演で「マネーボール」('11年/米)として映画化されましたが、組織改革を行うリーダー像が上手く描かれていたのではないでしょうか。2002年の、アメリカンリーグ史上初の20連勝を達成できるかできないかという試合がスポーツドラマ的なクライマックスになっていますが、これは原作にあるように、実際にそうした状況があったのです。11点差から同点にされましたが、サヨナラ勝ちしています、ノンフィクションで、こうした山場があるのは強いと思います。
ブラッド・ピット/ジョナ・ヒル

ビリー・ビーンの補佐役でイェール大学卒業となっているピーター・ブランドのモデルは、ポール・デポデスタでありハーバード大卒だそうで、映画化にであまりに自分とは異なる外見の俳優ジョナ・ヒルがキャスティングされ、"データおたく"のようなキャラの描かれ方をされたのに納得できず、実名の使用を拒否したそうです(まあ、冴えなさそうなデータおたくという設定の方が映画的には面白いと言える。本人に会ってみたら意外といい男だったというのではダメなのか)。ポール・デポデスタはアスレチックスではGM補佐としてビリー・ビーンを5年間支えた後、2004年にはロサンゼルス・ドジャースのGMに就任し、積極的にトレードを敢行しながら9年ぶりの地区優勝を果たしています。
ポール・デポデスタ
いずれにせよ、映画の面白さは原作に拠るところが大きいですが、原作も映画も星4つ(★★★★)評価にしました。
「マネーボール」●原題:MONEYBALL●制作年: 2011年●制作国:アメリカ●監督:ベネット・ミラー●製作:マイケル・デ・ルカ/レイチェル・ホロヴィッツ●撮影:ウォーリー・フィスター●音楽:マイケル・ダナ●時間:133分●出演:ブラッド・ピット/ジョナ・ヒル/フィリップ・シーモア・ホフマン/ロビン・ライト/クリス・プラット/スティーヴン・ビショップ/リード・ダイアモンド/ブレント・ジェニングス/タミー・ブランチャード/ジャック・マクギー/ヴィト・ルギニス/ニック・サーシー/グレン・モーシャワー/ケイシー・ボンド/ニック・ポラッツォ/ケリス・ドーシー/アーリス・ハワード/ロイス・クレイトン/スパイク・ジョーンズ●日本公開:2011/11●配給:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(評価:★★★★)
【2203】 ○ ジャック・コヴァート/トッド・サッターステン (庭田よう子:訳) 『アメリカCEOのベストビジネス書100』 (2009/11 講談社)



日中欧の諜報員が暗躍する魔都・上海。真珠湾攻撃7日前の1941年12月1日、人気女優ユー・ジン(鞏俐(コン・リー))は新作舞台「サタデー・フィクション」に主演するため上海を訪れる。かつてフランスの諜報員ヒューバート(パスカル・グレゴリー)に孤児院から救われた過去を持つ彼女は、女優であると同時に諜報員という裏の顔をもっていた。ユー・ジンの到着から2日後、日本の暗号通信の専門家である海軍少佐・古谷三郎(オダギリジョー)が、暗号更新のため上海にやって来る。古谷の亡き妻によく似たユー・ジンは、古谷から太平洋戦争開戦の奇襲情報を得るためフランス諜報員が仕掛けた「マジックミラー計画」に身を投じていく―。
中国の婁燁(ロウ・イエ)監督が、太平洋戦争直前の上海で繰り広げられる愛と謀略の行方をモノクロ映像で描いたスパイ映画。主人公ユー・ジンを鞏俐(コン・リー)、日本海軍少佐・古谷をオダギリジョーが演じ、中島歩、台湾の俳優・趙又廷(マーク・チャオ)、ドイツの俳優トム・ブラシア、フランスの俳優パスカル・グレゴリーらが共演。2019年の中国映画ですが、中国本国では2021年10月に、日本では2023年11月にそれぞれ公開されています。
婁燁(ロウ・イエ)監督が前半で見せようとしていたのは、手に汗握るスパイ戦ではなく、鞏俐(コン・リー)演じるスパイとしての使命を負ったユー・ジンが(そのことさえ最初観ているうちは判らないのだが)、かつての恋人だった舞台演出家やフランス諜報員、日本の海軍少佐らと接触することで、ユー・ジンとそれら登場人物との間に生まれる情感を描くことに重きが置かれているように思いました。
コン・リーは、たまたま陳凱歌(チェン・カイコー)監督の「
この映画の良かった点は、この時代を描いた中国映画では珍しく、日本の軍人が悪や残虐性の権化として描かれていないということです。中島歩(「
演じる海軍少佐・
古谷にも寄り添っているし(オダギリジョーは凖主演だが、役柄のせいかやや線が細い感じで、脇の中島歩の方が目立っていた)、一方で、中国人の舞台演出家は同胞に裏切られたりもし(中国人の中にも卑怯な人間がいたということ)、対等な視点で描かれているように思いました(観劇マナーも、中国人の方が日本兵以上に酷いものとして描かれている)。
「サタデー・フィクション」●原題:蘭心大劇院(英:SATURDAY FICTION)●制作年:2019年●制作国:中国●監督:婁燁(ロウ・イエ)●脚本:馬英力(マー・インリー)●製作:マー・インリー/チャン・ジーホン/ロウ・イエ/ドン・ペイウェン/ウー・イー●撮影:曾剑(ツォン・ジエン)●原作:虹影『上海の死』/横光利一『上海』●時間:126分●出演:鞏俐(コン・リー)/趙又廷(マーク・チャオ)/オダギリジョー/中島歩/パスカル・グレゴリー/トム・ブラシア/黄湘麗(ホァン・シャンリー)/王傳君(ワン・チュアンジュン)/張頌文(チャン・ソンウェン)●日本公開:2023/11●配給:アップリンク●最初に観た場所:シネ・リーブル池袋(スクリーン2)(20-11-14)(評価:★★★★)●同日上映:「私がやりました」(フランソワ・オゾン)

「
この映画では、自身の性的傾向に悩むフレディが描かれていて、個人的にはバレエダンサーのニジンスキーと、彼を育て愛人関係にもあったロシア・バレエ団の主宰者セルゲイ・ディアギレフを描いた「
例えばフレディがメアリー・オースティンと出会ったのは、映画では彼女がクイーンの前身の「スマイル」のライブを初めて観た日にライブハウスの廊下で偶然出会ったようになっていますが、実際はメアリーは最初メンバーのブライアン・メイと交際していたとか(このメアリーという女性はフレディの遺産の半分を相続した)、フレディがバンドに加わった経緯は、映画ではスマイルのライブを偶々観たフレディがブライアンとロジャー・テイラーに自己紹介してバンドに加わったように描かれていますが、実際は加入前から2人とは知り合いだったとか、映画では、フレディがCBSとソロ・アルバム契約を結んだことで「クィーン」は事実上解散状態になったように描かれていますが、実際には一度も解散状態に至ったことは無かったとか...。
そして、これはかなり大きな改変だと思うのですが、映画ではライブ・エイドに向けたリハーサルをしている最中に、フレディは自分がHIVポジティブであることをメンバーに明かしますが、'85年の検査では彼はHIVネガティブであり、'87年頃の再検査でポジティブであることが初めて判明したようです。したがって、ライブ・エイドに向けたリハーサル中にフレディが自分がHIVポジティブだとメンバーに告白することはあり得ないことになります(映画にも登場するフレディの最後の恋人ジム・ハットンは、フレディは'87年4月には感染を認識していたと証言している。しかしそれを公にしたのは、彼が亡くなる前日の'91年11月23日だったと英紙は報じた)。
クイーンがライブ・エイドのステージ上でパフォーマンスを披露した時間がおおよそ21分であったことにちなんで、「魂に響くラスト21分」と映画のキャッチコピーにもありましたが、映画内では13分30秒に圧縮されているとのことです。逆にショット数の方は、ライブ・エイドの記録映像(YouTubeで視聴可)が21分を175のショットで構成しているのに対し、映画での再現シーンは13分30秒を約360のショットに割っていて、使われているショット数に倍以上の違いがあるそうです。
そうした効果もあったのかもしれませんが、映画におけるライブ・エイドのシーンは良かったです。後で映画撮影の舞台裏を明かすような内容のテレビ番組を見て知ったのですが、ライブシーンにおける観客席はほとんど合成で撮影されていました。観客エキストラは900人ほどで、それを画面いっぱいに"コピペ"したのです。それでも、映画を観ていて違和感が無かったです。
余談ですが、ブライアン・メイは2006年には、かねてより研究していた天文学についての本を2年半以上の時間を費やし執筆、2007年に天体物理を授与されていて、さらに、今年['22年]7月、英王立ハル大学より科学の名誉博士号を授与されましたが、スピーチで「唯一の正しい道はない」と述べています。これは、キャリアへの不安を持つ若者に対して、自身のキャリア(研究者→ミュージシャン→研究者と"回り道"(?)した)を振り返った上での励ましの言葉を送ったものであるとのことですが、この映画の表現にも当て嵌まる(彼が"当て嵌めて"言っている)ように思えました。
「ボヘミアン・ラプソディ」●原題:BOHEMIAN RHAPSODY●制作年: 2018年●制作国:イギリス・アメリカ●監督:ブライアン・シンガー●脚本・原案:アンソニー・マクカーテン●製作:グレアム・キング/ジム・ビーチ/ロバート・デ・ニーロ/ピーター・オーベルト/ブライアン・メイ/ロジャー・テイラー●撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル●音楽:ジョン・オットマン●時間:134分●出演:ラミ・マレック/ルーシー・ボイントン/グウィリム・リー/ベン・ハーディ/ジョゼフ・マゼロ/エイダン・ギレン/トム・ホランダー/アレン・リーチ/マイク・マイヤーズ●日本公開:2018/11●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:OSシネマズ ミント神戸(19-01-01)(評価:★★★★)

フレデリック・ワイズマン監督の2011年発表のフランス・アメリカ合作作で、「BALLET/アメリカン・バレエ・シアターの世界」('95年)、「パリ・オペラ座のすべて」('09年)に続くダンスをテーマとした作品であり、有名なパリの老舗ナイトクラブ「クレイジーホース」に10週間、70時間密着したドキュメンタリーです。幻想的できらびやかなショーの模様から、そこで働く女性ダンサーたちの姿、スタッフや舞台裏、オーディションの風景なども収められています。
クレイジーホースには以前にスペイン旅行の帰りに寄ったパリの観光ツアーで行ったことがあり、懐かしかったですが、映画では、ショーそのものを見せるというより、練習風景と裏方の様子、そして完成形に近いダンスを見せるという点で、構成は前作の「パリ・オペラ座のすべて」と似ています。
フレデリック・ワイズマン監督のこの作品を観ると、舞台上で女性をもっとも美しく表現するためにはダンサーの美しさのみならず演出、音楽、衣装、小道具、照明等に工夫をこらさなければならないことが分かり、そうしたことに関わるスタッフの大変さや細やかさと、「世界最高のヌードショー」を自負するプライドが伝わってきました。
総監督がショーの質を上げるために一定期間休業しようと提案するものの、女性支配人が株主の指示が得られないとして反対するなどの生々しいやり取りもあります。総監督と監督の激論もあって、総監督のフィリップ・ドゥクフレは、1992年のアルベールビルオリンピックで僅か31歳にして開会式・閉会式の演出を担当したダンサー出身の振付師であり(オリンピックでのサーカスとダンスを融合させた演出は今も記憶に残っている。この人、近年では尊敬する
監督とダンサーたちの討議、ダンサーのくつろいでいる様子(ボリショイバレ団か何かのNG集ビデオを観て大笑いしている)、オーディションの様子などがあり、特にオーディションでは選ぶ側が最初から「あくまでボディライン」を見ると明言していました(だから開脚しなくてもいいとも言っていた)。
また、クレイジーホースには、女性同士でレズビアンを示唆するものやエレガントな形でマスターベーションを示唆する演目はあるものの(男性二人のタップダンスなどもある)、一方で、異性間の性交を示唆するようなものが一切ないのが面白いとも言っています。女性がひとり、あるいは女性同士のグループで見に来ることもあり、これも特筆すべきことであると。ナルホドと思いました。
「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち」●原題:CRAZY HORSE●制作年: 2012年●制作国:フランス●監督.:フレデリック・ワイズマン●製作:ピエール=オリヴィエ・バルデ●撮影:ジョン・デイヴィ●時間:134分●出演:フィリップ・ドゥクフレ/フィリップ・ドゥワレ/フィリップ・ボウ/ナアマ・アルバ/ディーバ・ノヴィタ●日本公開:2012/06●配給:ショウゲート●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(22-10-18)(評価:★★★★)

ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に疑問や反戦の気運が高まっていたリチャード・ニクソン大統領政権下の1971年、政府がひた隠す、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在をニューヨーク・タイムズがスクープし、政府の欺瞞が明らかにされる。ライバル紙でもあるワシントン・ポスト紙は、亡き夫に代わり発行人・社主
に就任していた女性キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)のもと、編集長のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)らが文書の入手に奔走。なんとか文書を手に入れることに成功するが、ニクソン政権は記事を書いたニューヨーク・タイムズの差し止めを要求。新たに記事を掲載すれば、ワシントン・ポストも同じ目に遭うことが危惧された。記事の掲載を巡り会社の経営陣とブラッドリーら記者たちの意見は対立し、キャサリンは経営か報道の自由かの間で難しい判断を迫られる―。
スティーブン・スピルバーグ監督の2017年公開作で、メリル・ストリープ、トム・ハンクス出演の二大オスカー俳優の共演で、政府と報道機関の闘いを通してジャーナリズムの使命や良心とはなにかを問うたアメリカ映画らしい作品(原題は"The Post")。背景は複雑ですが、見どころを明日の新聞にスクープ記事を掲載するかしないか、掲載すれば新聞社は潰れるかもしれないという究極の状況にフォーカスすることで、娯楽性も兼ね添えた作品となっています。
こうした単純化の手法は、アラン・J・パクラ監督がよく使っていたように思いますが、この映画の最後に、政府の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴露された当時の大統領リチャード・ニクソンが、怒り心頭に発して電話で怒鳴りながら何やら指示しており、さらにその後のラストシーンが、アラン・J・パクラ監督の「
テーマ的にはいいテーマだと思います。ただ、脚本のせいなのか、6カ月という短期間で撮り上げたせいなのか(スピルバーグの作品で「最も短期間で完成」した作品とのこと)よくわかりませんが、オスカー3度受賞のメリル・ストリープとオスカー2度受賞のトム・ハンクスの共演にしては演出的な盛り上がりはやや物足りず、トム・ハンクスが役柄上のこともあってメリル・ストリープに喰われるかたちで、両者の共演が相乗効果に至っていない印象を受けました。
因みに、2013年10月、グラハム家(社主はキャサリンの息子に代替わりしていた)は同紙をアマゾン創業者のジェフ・ベゾスが設立した持株会社ナッシュ・ホールディングスに2億5千万ドルで売却しており、以来、同紙の実質的オーナーはジェフ・ベゾスということになります(イーロン・マスクがTwitter(ツイッター)社を約440億ドル(5.6兆円)で買収するという最近の話と比べればその180分の1というずっと小規模な売却額だが)。ジェフ・ベゾスに買収されてからというもの、「ワシントン・ポスト」はデジタルファーストを掲げて急速な変化を遂げており、2015年10月、「ワシントン・ポスト」のWebサイトへの訪問者数が6690万人と、はじめて「ニューヨーク・タイムズ」の数字(6580万人)を上回っています(それ以前の同紙は、知名度は高いがあくまで「地方紙」という存在で、発行部数も50万部程度だった)。
スキー●音楽:ジョン・ウィリアムズ●時間:116分●出演:メリル・ストリープ/トム・ハンクス/サラ・ポールソン/ボブ・オデンカーク/トレイシー・レッツ/ブラッドリー・ウィットフォード/ブルース・グリーンウッド/マシュー・リース●日本公開:2018/03●配給:東宝東和(評価:★★★☆)








東西冷戦下、英国情報局秘密情報部MI6(通称サーカス)とソ連情報部KGB(通称モスクワセンター)は熾烈な情報戦を繰り広げていた。長年の作戦失敗や情報漏洩から、サーカスの長官であるコントロール(ジョン・ハート)は内部にソ連情報部の二重スパイ〈もぐら
〉がいるとの情報を掴む。ハンガリーの将軍が〈もぐら〉の名前と引き換えに亡命を要求。コントロールは独断で、工作員ジム・プリドー(マーク・ストロング)をブダペストに送り込むが、ジムが撃たれて作戦は失敗に終わる。責任を問われたコントロールは、長年の右腕ジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)と共に組織を去ることに。退職後ほどなくコントロールは謎の死を遂げ、ほぼ同時期にイスタンブールに派遣されていたリッキー・ター(トム・ハーディ)の前に、持つソ連情報部の女イリーナ(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)が現れる。彼女と恋仲になったターはイリーナを英国に亡命させるためロンドンのサーに連絡するが、翌日イリーナはソ連情報部に発見され連れ去られる。サーカス内部に「もぐら」がいることを察知したターはイギリスへ戻り、外務次官でサーカスの監視役のオリバー・レイコン(サイモン・マクバーニー)に連絡。レ
カス本部イコンは、引退したスマイリーに
「もぐら」探しを要請する。スマイリーは、ターの上司のピーター・ギラム(ベネディクト・カンバーバッチ)と、ロンドン警視庁公安部のメンデル警部(ロジャー・ロイド=パック)とともに調査を始める。標的は、組織幹部である"ティンカー(鋳掛け屋)"ことパーシー・アレリン(トビ-・ジョー、"テイラー(仕立て屋)"ことビル・ヘイドン(コリン・ファー
ンズ)ス)、"ソルジャー(兵隊)"ことロイ・ブランド(キアラン・ハインズ)、
"プアマン(貧乏人)"ことトビー・エスタヘイス(デヴィッド・デンシック)の4人。スマイリーは、過去の記憶を遡り、証言を集め、容疑者を洗いあげていくと、ソ連の深部情報ソース〈ウィッチクラフト〉が浮かび上がる。そしてかつての宿敵のソ連のスパイ、カーラ(マイケル・サーン(声のみ))の影。やがてスマイリーが見い出した意外な裏切り者とは―。
一度観ただけでは、複雑な人物相関を理解するのが難しく、原作を読んでからもう一度映画を観直してみて、やっと理解できたという感じでした(でも、1度目に観た時も雰囲気は愉しめた)。
しかし、コリン・ファースが演じる戦略的に人妻を誘惑したヘイドンも、ベネディクト・カンバーバッチが演じる職場の女性に対
してプレイボーイとして振る舞うギラムも、実はどちらもゲイだったということか...。原作では、ギラムの方はゲイということになっていないので、これは映画のオリジナルです(ゲイ映画ブームに乗っかった?)。二重スパイとその"愛人"の哀しい結末は、原作と同じです。
6世を演じて第83回アカデミー賞の主演男優賞受賞と第68回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)をダブル受賞しています。一方、スマイリーを演じたゲイリー・オールドマンは、この作品でアカデミー主演男優賞に初ノミネートされるも受賞は果たせませんで
したが、その後「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」('17年/英・米)でチャーチルを演じて、こちらも第90回アカデミー賞の主演男優賞と第75回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)をダブル受賞しています(リュック・ベッソン監督の「
「裏切りのサーカス」●原題:TINKER TAILOR SOLDIER SPY●制作年:2011年●制作国:イギリス・フランス・ドイツ●監督:トーマス・アルフレッドソン●製作:ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー/ロビン・スロヴォ●脚本:ブリジット・オコナー/ピーター・ストローハ●撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ●音楽:アルベルト・イグレシアス●原作:ジョン・ル・カレ●時間:128分●出演:ゲイリー・オールドマン/コリン・ファース/トム・ハーディ/ジョン・ハート/トビー・ジョーンズ/マーク・ストロング/ベネディクト・カンバーバッチ/キアラン・ハインズ/デヴィッド・デンシック/スティーヴン・グレアム/サイモン・マクバーニー/スヴェトラーナ・コドチェンコワ/キャシ
ー・バーク/ロジャー・ロイド=パック/クリスチャン・マッケイ/コンスタンチン・ハベンスキー/マイケル・サーン(声のみ)/ジョン・ル・カレ(カメオ出演)●日本公開:2012/04●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-03-20)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(19-03-26)(評価:★★★★)




ヘルシンキ。トルコからやってきた貨物船に身を隠していたカーリド(シェルワン・ハジ)は、この街に降り立ち難民申請をする。彼はシリアの故郷アレッポで家族を失い、たったひとり生き残った妹ミリアム(ニロズ・ハジ)と生き別れになっていたのだ。彼女をフィンランドに呼び、慎ましいながら幸福な暮らしを送らせることがカーリドの願いだった。一方、この街でセールスマン稼業と酒浸りの妻に嫌気がさしていた男ヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)は遂に家出し、全てを売り払った金をギャンブルにつぎ込んで運良く大金を手にした。彼はその金で一軒のレストランを買い、新しい人生の糧としようとする。店と一緒についてきた従業員たちは無愛想でやる気の
ない連中だったが、ヴィクストロムにはそれなりにいい職場を築けるように思えた。その頃カーリドは、申請空しく入国管理局から強制送還されそうになり、逃走を目論んだあげく出くわしたネオナチの男たちに襲われるが、偶然ヴィクストロムに救われる。拳を交えながらも彼らは友情を育み、カーリドはレストランの従業員に雇われたばかりか、寝床や身分証までもヴィクストロムに与えられた。商売繁盛を狙って手を出した寿司屋事業には失敗するものの、いつしか先輩従業員たちまでもカーリドと深い絆で結ばれていく。そんなある日、カーリドは難民仲間からミリアムの居場所を知らされる。ヴィクストロムらの協力で彼は妹と再会、目的を果たすに至る。だが、安心しきった彼をいつかのネオナチの一員が襲う―。
フィンランドのアキ・カウリスマキ監督・脚本による2017年の映画で、カンヌ国際映画祭でプレミア上映された前作の「
映画は、「ル・アーヴルの靴みがき」と似た流れで、主人公が偶然出くわした一人の難民を庇護するというものです。レストラン経営のヴィクストロムは偶然にシリア難民の青年カーリドと出くわし、最初は互いに殴り合いの喧嘩をするものの、結局は彼を受け入れることで、彼を強制送還しようとする側、彼を暴力で排除しようとする側と対峙することになります。
ネタバレになりますが、最後はヴィクストロムは妻とのよりを戻し(カーリドを庇護することが彼の人格に変化をもたらした?)、一方のカーリドは、ネオナチに刺されながらも、妹を難民センターに送り出した後、浜辺で朝日を受けて横たわり、寄り添ってきた犬のコイスティネンに微かに微笑む(そう言えば「ル・アーヴルの靴みがき」でも犬は難民の少年の味方だった)―というエンディングでした。
この映画は随所にユーモアが見られます。例えば、ヴィクストロムがレストランを改装して日本風にした寿司屋は、欧米人にありがちな勘違い的日本趣味に溢れていて、法被を着た従業員たちもどこか変です。日本人がしばしば外国映画に見い出す"おかしな日本観"を、カウリスマキ監督は意図的に具象化してみせ、ユーモアを醸しているように思えます(日本人にはよくわかるユーモアだが、外国人にどこまでわかるか?)。
「希望のかなた」●原題:TOIVON TUOLLA PUOLEN●制作年:2017年●制作国:フィンランド・ドイツ●監督・製作・脚本:アキ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:98分●出演:シェルワン・ハジ/サカリ・クオスマネン/シーモン・フセイン・アル=バズーン/カイヤ・パカリネン/ニロズ・ハジ/イルッカ・コイヴラ/ヤンネ・フーティアイネン/ヌップ・コイヴ/カティ・オウティネン/マリア・ヤンヴェンヘルミ/ミルカ・アフロス/スレヴィ・ペルトラ/マッティ・オンニスマー/ハンヌ=ペッカ・ビョルクマン/タネリ・マケラ/ヴィッレ・ヴィルタネン/トンミ・コルペラ/ヴァルプ(犬のコイスティネン)●日本公開:2017/12●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-12-17)(評価:★★★★)

双子姉弟ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マクシム・ゴーデット)の母親ナワル(ルブナ・アザバル)が、ある日プールサイドで原因不明の放心状態に陥り息絶える。姉弟を驚かせたのは、ナワルを長年秘書として雇っていた公証人のルベル(レミ・ジラール)が読み上げた遺言だった。ルベルはナワルから預かっていた二通の手紙を差し出す。それは姉弟の父親、兄それ

2010年のカナダ映画で、原作は、レバノン生まれでカナダ・ケベック州に移住した劇作家ワジディ・ムアワッドが1997~2009年に発表した戯曲『約束の血』四部作の第二部「焼け焦げるたましい(原題:Incendies、火事)」(2003年)。日本でも2009年に「焼け焦げるたましい」の題で上演されていますが、これをドゥニ・ヴィルヌーヴが脚色と監督を務め映画化したもの。同監督はこの「灼熱の魂」で、カナダの映画賞ジニー賞を、「渦」('00年)、「静かなる叫び」('09年)に続く3度目の受賞をし、この作品は米アカデミー賞外国語映画賞のカナダ代表に選出され、ノミネート作品5本のうちに選ばれましたが、アメリカで最も有名で信頼される映画評論家とされたロジャー・イーバート(1942-2013)などが推したものの、肝心の受賞はデンマークのスサンネ・ビア監督の「未来を生きる君たちへ」('10年)に持っていかれて逃しています。
レバノン内戦の悲劇とその中で起きた親子の悲劇。そのすべてを包み込む母の愛の偉大。近親相姦が出てきたところでまさにエグい話だと感じましたが、全体の構成が巧みで、ミステリ的要素もあって感動もさせる凄い映画でもあると思いました(「父と兄を探す旅」というキャッチが1つミソだった)。アカデミー賞外国語映画賞を逃したのは、「重い」ながらも「面白すぎる」からではないかと思ったりもしました(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はこの作品でアメリカ進出を果たし、近年では「メッセージ」('16年)、「ブレードランナー 2049」('17年)、「DUNE/デューン 砂の惑星」('20年)などSF娯楽作品の監督をしている)。
もう一つ、弱点らしきものとして言われているのは、本作の登場人物が特別な運命を背負っているように見えてしまうことであり、本作の双子が親の因縁を解き明かしていく物語は、我々が身近に見聞きするような類のものではなく、ギリシャ神話に材を取ったギリシャ悲劇の物語に思えてしまうことです。それをどう捉えるかは観た人それぞれだとは思いますが、日常普遍の物語とは言い難いと思います。
ただ、「リアルか神話か」などといったことは観終わった後で思うことであって、観ている間は引き込まれました。テーマ的にも、「どうすれば怒りの連鎖を断ち切ることができるのか」という問いにこの映画なりの解答を出していて、それは悲劇を悲劇として終わらせてしまうことへの強烈なアンチテーゼにもなっているように思いました。
こ)物」とも言え、好みは割れると思いますが、個人的には傑作だと思います。母親ナワル役のベルギー出身の女優ルブナ・アザバルは、父はモロッコ人、母はスペイン人。英語、フランス語、アラビア語で演技でき、ハニ・アブ・アサド監督の「パラダイス・ナウ」('05年/仏・独・オランダ・パレスチナ)で注目されるようになりましたが、力量のある俳優のように思いました。
「灼熱の魂」●原題:INCENDIES●制作年:2010年●制作国:カナダ・フランス●監督・脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ●製作:リュック・デリ/キム・マクロー●撮影:アンドレ・トゥルパン●音楽:グレゴワール・エッツェル●原作:ワジディ・ムアワッド「焼け焦げるたましい」●時間:131分●出演:ルブナ・アザバル/メリッサ・デゾルモー=プーラン/マキシム・ゴーデット/レミー・ジラール/アブデル・ガフール・エラージズ/アレン・アルトマン/モハメド・マジュド/ビル・サワラ/バヤ・ベラル●日本公開:2011/12●配給:アルバトロス・フィルム●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-10-16)(評価:★★★★☆)



施設に預けられている11歳の少年シリル(トマ・ドレ)は、父親に捨てられたという現実を受け入れられず、孤独の中で反抗的な態度を取り続けている。そんなシリルと偶然知り合った美容師の独身女性サマンサ(セシル・ドゥ・フランス)は、シリルに週末の里親になって欲しいと頼まれると、それを受け入れたばかりか、シリルの父親の行方探しを手伝う。サマンサのおかげでようやく父ギイ(ジェレミー・レニエ)と再会できたシリルだったが、自分の生活で手一杯のギイは二度と会いに来るなとシリルを追い返す。ショックを受けたシリルだったが、それから後も週末はサマンサの家で過ごすようになる。サマンサの家で穏やかに過ごしていたシリルだったが、近所の不良少年ウェス(エゴン・ディ・マテオ)に気に入られたことから彼の言いなりになる。サマンサからウェスと付き合わないように言われても耳を貸さないばかりか、止めるサマンサにケガを負わせてまでウェスとの関係を優先したシリルは、ウェスに言われ
るまま強盗を働く。しかし、シリルが被害者に顔を見られたことを知ったウェスが激昂し、全ての罪をシリルになすりつけようとしたことから、シリルはようやくウェスがシリルを利用していただけだったことを知る。傷ついたシリルは父のもとに行き、盗んだ金を渡そうとするが、父からも見捨てられる。結局、シリルはサマンサの元に戻り、サマンサと警察に出頭する。事件は、サマンサが被害者に損害を賠償し、シリルが被害者に謝罪することで示談で収まる。サマンサと再び穏やかな生活を送るようになったシリルだったが、被害者の息子で自身もシリルに殴られた少年マルタンがシリルを見つけて襲いかかる。逃げ出したシリルは木に登って逃れようとするが、マルタンが投げた石が当たって地面に落ちて気を失う。慌てたマルタンとその父親はシリルが勝手に落ちたことにして、救急車を呼ぼうとするが、そこでシリルの意識が戻る。そして、シリルは自転車に乗ってその場を後にする―。
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の2011年作品で、第64回カンヌ国際映画祭のグランプリ(審査員特別グランプリ)受賞作であり、タルデンヌ兄弟はこの作品で、「
この作品は、ダルデンヌ監督が来日した際に日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで耳にした育児放棄の実話("赤ちゃんの頃から施設に預けられた少年が、親が迎えに来るのを屋根にのぼって待ち続けていた"という話)に衝撃を受け、そこから着想したとのことで、親にも社会にも見捨てられた少年シリルが、初めて信用できる大人であるサマンサに出会うことで心を開き、人を信じ成長していく様が描かれています。11歳という年齢で、サマンサに「里親になってほしい」と自分か言うところに、彼の芯の強さと愛情への渇望の強さの両面を見たように思います。
この作品の優れている点は、サマンサもまたシリルに愛情を与えることで自分の内にある母性に気づき、人を守ることの責任と喜びを知っていく、そのプロセスが描かれていることにもあります。サマンサにとってシリルは、診療所か何かの待合室で偶然出会っただけの少年だったはずなのに、彼の心の叫び声が聞こえたのでしょうか。シリルが再び罪を犯し、サマンサ自身の心身をも傷つけたにも関わらず、再び「いいわ」と彼を受け入れる場面は、考えさせられます。
一方、自分の再就職と新しい恋人のためにシリルを捨て(シリルのために恋人と別れたサマンサと対照的)、それまで恐らくシリルを養育していたであろう母親が亡くなると、自分には子育てに自信が持てず、1か月生活が落ち着くまでの辛抱だからとシリルを児童養護施設に入れて姿をくらまし、その後はシリルが何とか会いにきても追い返してしまう父親は、実はシリルの少しでも父に接していたいという気持ちに気づいていながら、優柔不断のまま逃げまくているように見え、その背景には低賃金で子どを養っていけるまでには稼げないという、格差社会の問題があるように思えました。
この作品におけるシリルの自転車は、自分が外の世界と繋がるための手段としての象徴であるように思えました。以上述べてきたこれらをすべてを、説明的描写を排してドキュメンタリータッチで描いているところが、この作品に限らずタルデンヌ監督作品の特徴であり、どこに着眼するか観る人によって微妙に異なってくる作品かと思います。ただ、これまで、いきなり唐突に終わる(結果としてバッドエンドになる)作品が多かった中では、シリルが自分の信頼できて心休まる対象を獲得していく、ハッピーエンド的な作品だったかもしれません。
「少年と自転車」●原題: LE GAMIN AU VELO●制作年:2011年●制作国:ベルギー・フランス・イタリア●監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ●製作:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ/ドゥニ・フロイド●撮影:アラン・マルコァン●時間:87分●出演:トマ・ドレ/セシル・ドゥ・フランス/ジェレミー・レニエ/ファブリツィオ・ロンジョーネ/エゴン・ディ・マテオ/オリヴィエ・グルメ●日本公開:2012/03●配給:ビターズ・エンド●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-12-03)(評価:★★★★)
10歳のおてんば少女ワジダ(ワアド・ムハンマド)は男友達のアブダラ(アブドゥルラフマン・アル=ゴハニ)と自転車競争をしたいのだが、厳格なイスラームの戒律と習慣を重んじる周囲の
大人たちはワジダが自転車に乗ることにもアブダラと遊ぶことにも否定的だった。ある日、雑貨店できれいな自転車を見つ
けたワジダは一目でその自転車を気に入ってしまう。なんとしてもその自転車を手に入れようとワジダはミサンガを売ったり秘密のアルバイトをしたりするが自転車代の800リヤルには届きそうもない。そんな時、学校でコーランの暗唱コンテストが行われることになり、優勝賞金が1000リヤルであることを知ったワジダはコンテストに参加することにする。外で遊ぶことが好きだったワジダはコーランが大の苦手だったが、優勝を目指して猛特訓する―。
サウジアラビア出身の女性映画監督ハイファ・アル=マンスールの長編デビュー作で、2012年8月にヴェネツィア国際映画祭で初公開され、国際アートシアター連盟賞を受賞しました。サウジアラビア初の女性監督作品で、また、すべての撮影を国内で行い、すべての役柄をサウジの俳優が演じた初の長編映画と言われています。ハイファ・アル=マンスール監督自身は、夫のアメリカ人外交官と共にオーストラリアに移り、シドニー大学で映画学を学んだそうです。
女性差別というものを描いている作品でありながら、その描き方は、主人公のおてんばの女の子ワジダと、彼女のことを想う(故にちょっかいを出したりする)年下の男の子アブダラとのやり取りを軸にした「幼い恋の物語」的に展開させているところが、規制をかいくぐる策ということもあるかと思いますが、上手いと思いました。ラストも良かったと思います(結局、この作品はサウジアラビアでは公開されなかった、と言うより、サウジではかつてはあった映画館そのものがその後禁止されてしまった)。
別に彼女らは原始的な生活を送っているわけではなく、アパヤと呼ばれる黒衣の下にワジダが履いていたのはリーバイスのジーンズとコンバースのバスケットシューズだし、彼女はコーランを覚えるのに(自転車を買うためというのが皮肉が効いている)プレステのコーラン暗記アプリを使ったりしています。他の女の子も黒い服の下はファッショナブルであったりしますが、それを男に見られてはいけないということで(歌を歌っているのを聴かれてもいけない)、この男女間のことだけが不自然に厳しい国なのです。
こうした国の姿勢に対する国際的な女性人権団体からの批判などもあってか、2018年に入り、1月に、女性が男子プロサッカーの試合を観戦することが認められ、4月には、サウジで約35年ぶりに映画館オープンして男女が同席可能になり、6月には、これまで禁止してきた女性が自動車を運転することが認められるようになっています(この映画もこうした動きに寄与したらしい)。
これで、サウジアラビアもどんどん変わっていくのかなと個人的には思った矢先、その年の10月にサウジアラビア人記者のジャマル・カショギ氏が在トルコ・サウジアラビア総領事館にて殺害される事件が起き(しかもかなり残忍な手口で)、この国の権力を握る者らの闇の部分を改めて見せつけられた思いがしました。結局、女性への抑圧を緩和したりするのも、さまざまな外からの批判をかわすためにやっているのではないかと思わざるをえません。皇太子が独裁を敷くというのも普通は考えにくいことですが、この映画でもそれを思わせる場面がいくつかあるように、男性主義でかつ長兄主義なのですね、この国は。
因みに、アル=マンスールの「アル」はアラブ系やアラビア語に基づく名前につく冠詞で、「アル=マンスール」も「マンスール」もどちらも姓として正しいようです。これまで、例えば朝日新聞では表記上はアルを省くという取り決めをしていて、紙面でアルを省いている有名人としては、シリアのアサド大統領(外務省のサイトの表記では「バッシャール・アル・アサド」)、アルカイダの指導者ザワヒリ容疑者(ローマ字表記では「Ayman al-Zawahiri」)らがいます。また、下記のサイトのように、フルネームの際は「ハイファ・アル=マンスール」とし、姓だけの時は単に「マンスール」監督としている例もあり、ここではそれに倣って「ま行の監督」の範疇としました。
「少女は自転車にのって」●原題:WADJDA●制作年:2008年●制作国:サウジアラビア・ドイツ●監督・脚本:ハイファ・アル=マンスール●製作:ゲルハルト・マイクスナー/ローマン・ポールド●撮影:ルッツ・ライテマイヤー●音楽:マックス・リヒター●時間:98分●出演:ワアド・ムハンマド/リーム・アブドゥラ/スルタン・アル=アッサーフ/アブドゥルラフマン・アル=ゴハニ/アフド・カメル●日本公開:2009/09●配給:アルバトロス・フィルム●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-08-07)(評価:★★★★)


60歳前後は「筋トレ適齢期」であるとともに、時間が自由に使えるようになる定年前後は、まさに「はじめどき」でもあると説いた本。シニアの運動は「ウオーキング」ばかりになりがちだが、ウオーキングばかりしていても筋肉は増えず、きちんとした知識を身につけて行えば、少々ハードな筋トレをやっても大丈夫とのことです。去年['19年]観た映画で、「RBG 最強の85才」('18年/米)という米国で最高齢の女性最高裁判事として国民的アイコンとなったRBGことルース・ベイダー・ギンズバーグを追ったドキュメンタリー映画がありましたが、その中でギンズバーグが85歳にしてパーソナルトレーナーをつけてがんがん筋トレしていたのを思い出しました。
著者は京大名誉教授であり、「京大の筋肉」のキャッチとヌード写真で一躍注目を浴びましたが(当時64歳)、個人的にどんな人か知ったのは、NHK-BSプレミアムのフットボールアワーがMCを務める「美と若さの新常識〜カラダのヒミツ〜」で"実践!おサボり筋トレ"というテーマの時にコメンテーターとして出演しているのを見たのが最初だったでしょうか。自分で実践しているので、言っていることに説得力がありました(同じ番組に出ていたフィットネスビキニの日本女王・安井友梨などにも言えることだが)。
冒頭に挙げた「RBG 最強の85才」は、米国では関連本が何冊も出版され、Tシャツやマグカップといったグッズまで作られるほどの知名度と人気を誇る、RBGことルース・ベイダー・ギンズバーグの若い頃から現在までを二人の女性監督が描いたドキュメンタリーで、85歳(映画製作時)で現役の最
高裁判所判事として活躍する彼女は、ニューヨークのユダヤ系の家に生まれ、苦学の末に判司となり、1980年にカーター大統領によってコロンビア特別区巡回区連邦控訴裁判所判事に指名され、1993年に
はビル・クリントン大統領政権下で女性としては2人目のアメリカ最高裁判事(長官を含めて9人で構成される)に任命されています。85歳の年齢で現職にあるので保守派かというと、実はその逆で、これまでも女性やマイノリティへの差別撤廃に寄与した判決を多く出しているリベラル派です(だか
ら若者に人気がある)。映画の中でも一部解説されていますが、ドナルド・トランプは2017年1月大統領就任後、引退する連邦最高裁判事の後任として保守派の判事を次々に任命しているため、リベラル派のギンズバーグはこれ以上の連邦最高裁の保守化を食い止めるために、少なくともトランプが退陣して新たな民主党出身の大統領が現れるまでは、引退を見送ると見られているようです。現職に留まっているのには理由があり、また、職務継続のため「筋トレ」で健康を維持しているということになるかと思います(もうすぐ87歳になるなあ)。






ナンシー・マイヤーズが監督・脚本・製作を担当し、ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイが主演を務めた「マイ・インターン」('15年/米)という映画がありました。ニューヨークでファッション通販サイトを運営している女社長のジュールズ(アン・ハサウェイ)が、短期間で会社を拡大させることに成功し、そんな彼女の会社に、社会貢献の一環としての
シニア・インターン制度で採用された70歳の老人ベン(ロバート・デ・ニーロ)がやってきて、ジュールズは最初から本気でベンに仕事を任せる気はなく、ベンも最初は若者ばかりの職場で浮いた存在だったが、いつしか彼はその誠実で穏やかな人柄によって社内の人気者になっていき、さらには公私にわたって困難の壁に直面したジュールを支える大きな柱になっていくという話でした。
何と言ってもコメディ映画であるし、ロバート・デ・ニーロ演じるベンは70歳ながら「背中を押す」どころか何も指示されなくても社内を変えていく"スーパー老人"的存在ですが、最初からシニアは使えないと思い込まないこと、また、当のシニア自身も人が与えてくれるのを待つのではなく自分から努力しなければならないということを示唆しているという意味では教訓的だったかもしれません(身だしなみに気を使っていたなあ)。
ァー・ローレンスはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞、ロバート・デ・ニーロも助演男優賞にノミネートされた)、この「マイ・インターン」では、ジェニファー・ローレンスと同時に「

督・脚本:ナンシー・マイヤーズ●製作:ナンシー・マイヤーズ/スザンヌ・ファーウェル●撮影:スティーヴン・ゴールドブラット●音楽:セオドア・シャピロ●時間:121分●出演:ロバート・デ・ニーロ/アン・ハ
サウェイ/レネ・ルッソ/アンダーズ・ホーム/ジョジョ・クシュナー/アンドリュー・ラネルズ/アダム・ディヴァイン/ザック・パールマン/ジェイソン・オーリー/クリスティーナ・シェラー●日本公開:2015/10●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★☆)






ヌーリは麻薬の売買をしていたが今は足を洗い、真面目に働き、息子も生まれ、幸せな家庭を築いていた。 ある日、ヌーリの事務所の前で白昼に爆弾が爆発し、ヌー
リと愛息ロッコが犠牲になる。トルコ人同
士のもめごとが原因ではないかと警察は疑うが、移民街を狙ったドイツ人による人種差別テロであることが判明する。実行犯としてネオナチの若いメラー夫婦(ウルリッヒ・ブラントホフ、ハンナ・ヒルスドルフ)が起訴され、カティヤは弁護士ダニーロ(デニス・モシット)と共に裁判に臨むが、証拠不十分、アリバイあり、目撃証言無効、といった身をえぐられるような裁判に、カティヤの心の傷は深まってゆく。そんな中、生きる気力を失いそうになりなりながら、カティヤはある決断をする―。
トルコ系移民の子でハンブルグ生まれのファティ・アキン監督(カンヌ・ヴェネツィア・ベルリンの3大映画祭の全てで賞を獲っている監督でもある)の2017年ドイツ映画で、第70回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映されてパルム・ドールを争い、ダイアン・クルーガーが
前半部分は、カティヤの幸せな結婚生活と不幸な惨劇の後に法廷劇が続きます。犯人らはすぐに捕まりますが、テロリスト側のアリバイ工作を見抜けない裁判所が犯人たちを裁ききれない状況となり、カティヤの苛立ちは募るばかり。そして犯人らが無罪となった後半は、カティヤが単独で彼らが犯人に間違いないことを突き止め、復讐を図るサスペンス調となっていました。
やはり、ラストのカティヤの「決断」は、賛否分かれるだろうと思います。エンタテインメントとしての復讐劇ならば、復讐相手を斃して観客にカタルシスを与えて終わりですが、本作は実話をベースにした比較的リアルな背景の物語であり、その流れで見ると、復讐殺人も殺人であることには違いなく、落とし所としての主人公が選んだ結末は、復讐の連鎖を繰り返さないための潔いものであり、ある意味納得がいくとも言えます。また、これくらい覚悟が無いと、復讐なんてそう易々やるものでもないとも言えるし、主人公の絶望がそれだけ深いものであることを表しているともとれます。
いろいろ考えさせられるのは、事実を元にした脚本であるのもさることながら、主演のダイアン・クルーガーをはじめ、犯人の弁護士ハーバーベックを演じたハネス・クリシュら演技達者の醸すリアリズムによるところが大きいと思われます。カンヌ映画の賞レースの傾向として、移民や社会の底辺の人々を描いたものが比較的強い気がしますが(第71回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲った是枝裕和監督の「万引き家族」('18年/ギャガ)もその例か)、この映画がパルム・ドールを争ったというのは、移民やそれに対する排他主義、人種差別を描いたということだけが理由ではなく、役者陣の演技力も要因としてあった思います。
とりわけ、ダイアン・クルーガーは好演しており、自身もこの役柄について「人生変えるほどの衝撃」があったと述べています。彼女のそれまでの代表作に「戦場のアリア」('05年/仏・独・伊)がありますが未見。個人的にはその前年の「
と共演したのを観ましたが、"フツーに"娯楽映画の添え物的美女といった感じだったでしょうか。ファン・アナキン監督には、「あなたの映画に出たい」と5年間直訴していたそうで、15歳で母国を離れて25年、ずっとハリウッドで活動し、今回初めて母国語で演じる機会を得(「戦場のアリア」の時はフランス語で演じている)、カンヌ国際映画祭の女優賞を獲得したとのことです。
ダイアン・クルーガーは、半年をかけてテロや殺人事件の遺族らに話を聞いたりするなど、入念な役作りをしたとのことですが、この映画のラストについては、彼女自身脚本を読んで、「これはどう演じたらいいのか⁈」と迷ったそうです。結局、こうすべきだと説く映画ではなく、観る人に自分ならどうするかを考えて欲しいと彼女はインタビューで言っていますが、確かに、そういう作りになっているなあと思いました(個人的には自分の中でもいまだに賛否が分かれている?)。
ス・エコノミデス</カリン・ノイハウザー/ウーヴェ・ローデ/アシム・デミレル/アイセル・イシジャン●日本公開:2018/04●配給:ビターズ・エンド●最初に観た場所:ヒューマントラストシネマ有楽町(シアター2)(18-05-18)(評価:★★★☆)
左から、ウルリッヒ・ブラントホフ(アンドレ・メラー役)/ヌーマン・エイカー(ヌーマン・アチャル)(カティヤの夫役)/ファティ・アキン監督/ダイアン・クルーガー(主人公カティヤ役)/サミア・ムリエル・シャンクラン(カティヤの女友達ブリジット役)/ヨハネス・クリシュ(犯人側の弁護士ハーバーベック役)/デニス・モシット(カティヤ側の弁護士ダニーロ役) in The 70th Cannes Film Festival
ダイアン・クルーガー


90歳の通称"ラッキー"(ハリー・ディーン・スタントン)は、今日も一人で住むアパートで目を覚まし、コーヒーを飲みタバコをふかす。ヨガをこなしたあと、テンガロンハットを被って行きつけのダイナーに行き、店主のジョー(バリー・シャバカ・ヘンリー)と無駄話をかわし、ウェイトレスのロレッタ(イヴォンヌ・ハフ・リー)が注いだミルクと砂糖多めのコーヒーを飲みながら新聞のクロスワード・パズルを解く。夜はバーでブラッディ・マリーを飲み、馴染み客たちと過ごす。そんな毎日の中で、ある朝突然気を失ったラッキーは、人生の終わりが近いことを思い知らされ、「死」について考え始める。子供の頃怖かった暗闇、逃げた100歳の亀、"生餌"として売られるコオロギ―小さな町の、風変わりな人々との会話の中で、ラッキーは「それ」を悟っていく―。
昨年[2017年]9月に91歳で亡くなったハリー・ディーン・スタントン主演のジョン・キャロル・リンチ監督作品で、ハリー・ディーン・スタントンの遺作となりました。ジョン・キャロル・リンチは本来は俳優で(最近では「
」の創始者マクドナルド兄弟の兄モーリスを演じていた)、この「ラッキー」が初監督作品になります。一方、2017年のTV版「ツイン・ピークス」でハリー・ディーン・スタントンを使ったデヴィッド・リンチ監督が、主人公ラッキーの友人で、逃げてしまったペットの100歳の陸ガメ"ルーズベルト"に遺産相続させようとしとする変な男ハワード役で出演しています(役者として目いっぱい演技している)。
ントンは太平洋戦争時に、映画の中でダイナーの客が語る沖縄戦に実際に従軍している)、映画では少々偏屈で気難しいところのあるキャラクターとして描かれています。自分の言いたいことを言い、そのため周囲の人々と小さな衝突をすることもありますが、でも、ラッキーは周囲の人々から気に掛けられ、愛されていて、彼を受け容れる友人・知人・コミニュティもあるといった
具合で、むしろこれって"ラッキー"な老人の話なのかもと思いました。但し、彼自身はウェット感はなく、どうやら無神論者らしいですが、そう遠くないであろう自らの死に、自らの信念である"リアリズム"(ニヒリズムとも言える)を保ちつつ向き合おうしています。ある意味、精神的"終活映画"と言えるでしょうか。その姿が、ハリー・ディーン・スタントン自身と重なるのですが、孤独でドライな生き方や考え方と、それでも他者と関わりを持ち続ける態度の、その両者のバランスがなかなか微妙と言うか絶妙かと思いました。
ハリー・ディーン・スタントンはこの映画撮影時は90歳で、「八月の鯨」('87年/米)で主演したリリアン・ギッシュ(1893-1993)が撮影当時93歳であったのには及びませんが、「サウンド・オブ・ミュージック」('65年/米)のクリストファー・プラマーが「手紙は憶えている」('15年/カナダ・ドイツ)で主演した際の年齢85歳を5歳上回っています(クリストファー・プラマーはその後「ゲティ家の身代金」('17年/米)で第90回アカデミー賞助演男優賞に88歳でノミネートされ、アカデミー賞の演技部門でのノミネート最高齢記録を更新した)。
ハリー・ディーン・スタントンがこれまでの出演した作品と言えば、SF映画の傑作「エイリアン」や、準主役の「レポマン」、主役を演じた「パリ、テキサス」など多数ありますが、第37回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した、ヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」が特に印象深いでしょうか。この「ラッキー」のエンディング・ロールで流れる彼に捧げる歌の歌詞に「レポマン」「パリ、テキサス」と出てきます。また、米国中西部らしい舞台背景は「パリ、テキサス」を想起させます(ジョン・キャロル・リンチ監督は


「パリ、テキサス」('84年/独・仏)は、失踪した妻を探し求めテキサス州の町パリをめざす男(スタントン)が、4年間置き去りにしていた幼い息子と再会して親子の情を取り戻し、やがて巡り会った妻(ナスターシャ・キンスキー)に愛するがゆえの苦悩を打ち明ける―というロード・ムービーであり、当時まだアイドルっぽいイメージの残っていたナスターシャ・キンスキーに、「のぞき部屋」で働いている生活疲れした人妻を演じさせ新境地を開拓させたヴィム・ヴェンダース監督もさることながら、ハリー・ディーン・スタントンの静かな存在感も作品を根底で支えていたように思いま
す。ヴィム・ヴェンダース監督は、ロマン・ポランスキー監督が文豪トマス・ハーディの文芸大作を忠実に映画化した作品「
ハリー・ディーン・スタントンは、主役だった「パリ、テキサス」に比べると、リドリー・スコット監督の「エイリアン」('79年/米)では、"怪物"に「繭」にされてしまい、最後は味方に火炎放射器で焼かれて
しまう役だったからなあ(それもディレクターズ・カット版の話で、劇場公開版ではその部分さえカットされている)。ただ、あの映画は、英国の名優ジョン・ハートでさえも、エイリアンの幼生(チェスト・バスター)に胸を食い破られるというエグい役でした。最初に観た時はストレートに怖かったですが、最後に生き残るのはシガニー・ウィーバー演じるリプリーのみという、振り返ればある意味「女性映画」だったかも。シリーズ第1作では男性に置き換えられていますが、チェスト・バスターが躰を食い破って出て来るというのは、哲学者・内田樹氏の「街場の映画論」等での指摘もありましたが、女性の出産に対する不安(恐怖、拒絶感)を表象しているのでしょうか。
この恐れは、シガニー・ウィーバー演じるリプリーが完全に主人公となったシリーズ第2作以降、リプリー自身の見る「悪夢」として継承されていきます。「エイリアン2」('86年/米)の監督は、「ターミネーター」のジェームズ・キャメロン。ラストでエイリアンと戦うリプリーが突如「機動戦士ガンダム」風に変身する場面に象徴されるように、SF映画というよりは戦争アクション映
画風で、「1」に比べ大味になったように思います(海兵隊のバスケスという男まさりの女兵士は良かった)。デヴィッド・フィンチャー監督の「エイリアン3」('92年/米)になると、リドリー・スコット監督がシンプルな怖さを前面に押し出した第1作に比べてそう恐ろしくもないし(馴れた?)、ジェームズ・キャメロン監督がエイリアンを次々と繰り出した第2作に較べても出てくるエイリアンは1匹で物足りないし、ラストの宗教的結末も、このシリーズに似合わない感じがしました(「エイリアン」「エイリアン2」は共に優れたSF映画に与えられる「サターンSF映画賞」を受賞している)。
チェスト・バスターの出現がシリーズを象徴する場面として印象に残るという意味では、「エイリアン」でのジョン・ハートの役は、エグいけれどもオイシイ役だったかも。この人、「
そのジョン・ハートも「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」('17年/英)のチェンバレン役を降板したと思ったら、昨年['17年]1月に膵臓ガンで77歳で亡くなっています。「ウィンストン・チャーチル」ではゲイリー・オールドマンがアカデミー賞の主演男優層を受賞していますが、そのゲイリー・オールドマンと、第22回「サテライト・アワード」(エンターテインメント記者が所属する国際プレス・アカデミが選ぶ映画賞)の主演男優賞を分け合ったのがハリー・ディーン・スタントンです。但し、スタントンは"死後受賞"でした。遅ればせながらこれを機に、ジョン・ハートとハリー・ディーン・スタントンに追悼の意を捧げます(「冥福を祈る」と言うと、"ラッキー"から「冥土なんて存在しない」と言われそう)。
そう言えば、ハリー・ディーン・スタントンは生前、"The Harry Dean Stanton Band"というバンドで歌とギターも担当していて、2016年に第1回「ハリー・ディーン・スタントン・アウォード」というイベントが開催され、ホストが今回の作品にも出ているデヴィッド・リンチで、ゲストが「沈黙の断崖」('97年)でハリー・ディーン・スタントンと共演したクリス・クリストファーソンや、「ラスベガスをやっつけろ」('98年)などで共演経験のあるジョニー・デップでしたが(ジョニー・デップの登場はハリー・ディーン・スタントンにとってはサプラズ演出だったようだ)、この「ハリー・ディーン・スタントン賞」って誰か"受賞者"いたのかなあ。



「ワン・フロム・ザ・ハート」●原題:ONE FROM THE Heart●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:フランシス・フォード・コッポラ●製作:グレイ・フレデリクソン/フレッド・ルース●脚本:アーミアン・バーンスタイン/フランシス・フォード・コッポラ●撮影:ロナルド・V・ガーシア/ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:トム・ウェイツ●時間:107分●出演:フレデリック・フォレスト/テリー・ガー/ラウル・ジュリア/ナスターシャ・キンスキー/レイニー・カザン/ハリー・ディーン・スタントン /アレン・ガーフィールド/カーマイン・コッポラ/イタリア・コッポラ/レベッカ・デモーネイ●日本公開:1982/08●配給:東宝東和●最初に観た場所:目黒シネマ(83-05-01)(評価:★★★)●併映:「ひまわり」(ビットリオ・デ・シーカ)

「エイリアン」●原題:ALIEN●制作年:1979年●制作国:アメリカ●監督:リドリー・スコット●製作:ゴードン・キャロル/デヴィッド・ガイラー/ウォルター・ヒル●脚本:ダン・オバノン●撮影:デレク・ヴァンリント●音楽:ジェリー・ゴールドスミス●時間:117分●出演:トム・スケリット/シガニー・ウィーバー/ヴェロニカ・カートライト/ハリー・ディーン・スタントン/ジョン・ハート/イアン・ホルム/ヤフェット・コットー●日本公開:1979/07●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:三軒茶屋東映(84-07-22)(評価:★★★★)●併映:「遊星からの物体X」(ジョン・カーペンター)





「エレファント・マン」●原題:THE ELEPHANT MAN●制作年:1980年●制作国:イギリス●監督:デヴィッド・リンチ●製作:ジョナサン・サンガー●脚色:クリストファー・デヴォア/エリック・バーグレン/デヴィッド・リンチ●撮影:フレディ・フランシス●音楽:ジョン・モリス●時間:124分●出演:ジョン・ハート/アンソニー・ホプキンス/ジョン・ギールグッド/アン・バンクロフト●日本公開:1981/05●配給:東宝東和●最初に観た場所:不明 (82-10-04)(評価:★★★☆)


唐代8世紀後半、聶隠娘(ニエ・インニャン)(舒淇(スー・チー))が、13年ぶりに両親の元へ帰ってくる。道士・嘉信(ジャーシン)(許芳宜(シュー・ファンイー))に育てられ、暗殺者としての修行を積んだ彼女には、魏博(ウェイボー)の節度使・田季安(ティエン・ジィアン)(張震(チャン・チェン))暗殺命令が下されている。ある夜、季安の館に何者
かが忍び入り、季安は、室内に残された玉玦の片割れを見て、幼馴染みだった隠娘が自分の命を狙っているのを知る。かつて、先帝の妹で、妾腹の季安の養母だった嘉誠(ジャーチャン)公主(許芳宜(シュー・ファンイー)二役)の計らいで婚約した隠娘と季安は、その証に玉玦を半分ずつ託されたが、田家と元家が同盟を結んだため結婚は破談、隠娘に身の危険が迫ったため、嘉誠は双子の姉・嘉信に彼女を預けたのだ。隠娘の伯父・田興(ティエン・シン)(雷鎮語(レイ・チェンユイ))は、朝廷寄りの献言をしたことで季安の怒りを買い、国境へ左遷されることになる。義弟である
隠娘の父・聶鋒(ニエ・フォン)(倪大紅(ニー・ダーホン))が護送するが、道中で元家の刺客たちに襲われる。田興は生き埋めにされかけ、聶鋒らも縛られるが、通
りがかりの鏡磨きの青年(妻夫木聡)が助けに現れる。その青年も追い詰められたところに隠娘が駆けつけ、刺客たちを撃退するが、そんな娘に聶鋒は、道士に預けたのは誤りではなかったかと後悔する。別れも告げず去った隠娘は、仮面の女刺客・精精兒(ジンジンアー)(周韻(チョウ・ユン))に襲われ手傷を負い、後を追ってき
た鏡磨きの青年の治療を受ける。青年はかつて日本から遣唐使としてやってきたのだが、今は鏡磨きをしながら旅していた。季安の側室・瑚姫(フージィ)(謝欣穎(シェ・シンイン))が不意に廊下で倒れ込む。季
安の館に忍び入っていた隠娘は、呪術に苦しむ瑚姫を救い、駆けつけた季安に瑚姫の妊娠を告げて去る。季安は、正妻の田元氏(ティエン・ユエンシ)(周韻(チョウ・ユン)二役)が呪術師を雇い、瑚姫を苦しめたのだと知る。呪術師は射殺され、季安は元氏を斬り捨てようとするが、母を庇う息子を前に思い止まる。嘉信を訪れた隠娘は、季安暗殺を遂行できなかったと告げる。嘉信は隠娘を、暗殺者としての技術は完成しながらも情を捨てられなかったのだと詰る。隠娘と嘉信は一戦を交えるが、隠娘の剣術の腕前は、師匠の嘉信に引けを取らないものとなっていた。隠娘は剣を収めて立ち去り、嘉信はそれを呆然と見つめる。隠娘は、新羅へ向かう鏡磨きの青年らと共に、霧深い草原の彼方へと姿を消す―。
2015年公開の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督による台湾・中国・香港合作映画で、同監督初の武侠映画です。中華圏の監督は、芸術映画を撮って"巨匠"と言われるようになっても武侠映画を撮ることにこだわりがあるようです。代表的なものでは、同じ台湾出身のアン・リー(李安)監督の「
」を受賞、「HERO」はベルリン国際映画祭の「銀熊賞(アルフレード・バウアー賞)」を受賞、「グランド・マスター」は香港国際映画祭「アジア・フィルム・アワード」受賞と、"巨匠"たちは武侠映画においても賞レースでの強さを発揮しています。そして、この「黒衣の刺客」も、第68回カンヌ国際映画祭で「監督賞」を受賞し、「アジア・フィルム・アワード」も、最高賞である「作品賞」ほか主演女優賞(舒淇(スー・チー))、助演女優賞(周韻(チョウ・ユン))などを受賞しています。
ただ、この作品は先に挙げた3作品に比べ武闘シーンは多くなく、カンフー映画とまでは呼べない内容であり、侯孝賢監督自身も、インタビューで「カンフーアクションやワイヤーアクションには関心がなく、黒澤明監督のサムライ映画の動き、背景に大自然が映るような部分に興味があった」という趣旨の発言をしています。話が前半緩やかに進むのは、複雑
な人間関係図を観る者に分からせるためかとも思いましたが(それでも説明不足で分かりにくのだが)、後半になってもゆったりしたペースはそれほど変わらず、黒澤作品の前期のダイナミズムよりも、後期の様式美の影響が強く感じられます。時々、水墨画のような荘厳な背景が現われて、その美しさにはっとさせられますが、娯楽映画的なアップテンポの展開を期待した人にはやや退屈に感じられたかも。後半の映
像美は、小栗康平監督の「
妻夫木聡演じる窮地に追い込まれたヒロインを助ける日本人青年(彼が元遣唐使であるという説明は映画の中では無い)の日本に居る妻役を務めた忽那汐里のシーンは、侯孝賢監督が来日した際のインタビューによると、編集の女性スタッフから「青年に奥さんが居るなんて、主人公の女刺客が可哀そう」という声が上がって国際版でカットされ、それが、日本公開版で監督の希望で戻されたとのこと。青年を日本で待つ人が居ることで、隠娘の孤独が一層深まるようにしたと明かしていますが、原作(原作者の裴鉶(はいけい)は晩唐の官僚&伝奇作家)では隠娘はこの青年と一緒になるようです。映画でもそう解釈できなくもない?(でも何故最後に向かう先が新羅なのか。やっぱり青年が朝鮮半島経由で日本に帰るため?)。
その他に、隠娘の子供時代なども撮ったそうですが、最終的に全然残さなかったそうで、結局、いろいろな面で説明不足になったように思います。妻夫木聡が中国語を話すシーンもあったのが、これも「そんなに説明しなくてもわかると判断しました。セリフにしすぎると想像できなくなるからです」としてカットしたそうです(だから彼が何者なのかよく分からない)。但し、妻夫木聡が中国語を話すシーンをカットしたのは、小栗康平監督の「
「黒衣の刺客」のヒロインを演じた舒淇(スー・チー)(1976年生まれ)は「ミレニアム・マンボ」('01年/台湾・仏)以来ずっと侯孝賢監督作品の常連で、ルイ・レテリエ、コリー・ユン監督の「トランスポーター」('02年/仏・米)で欧米映画にも進出しました。「トランスポーター」は、「
ラン・ブルー
ョン映画によくあるモチーフです。スー・チーの役どころは、ジェイソン・ステイサム演じる男フランクが請け負った仕事で運んだバッグの中に詰め込まれた中国人の女性で、自分を助けてくれたフランクを利用して父親の悪事を暴こうとしたが次第に彼に惹かれていくというもの。確かにリュック・ベッソン監督の「レオン」('94年/仏)っぽい雰囲気もありましたが、基本はアクション映画。ただし、この頃のジェイソン・ステイサムは演技もアクションもまだ完成されていない感じで、むしろヒロイン役のスー・チーの演技が上手くて楽しめました。スー・チーはその後、侯孝賢監督の「百年恋歌」('05年/台湾)で第42回「金馬奨最優秀主演女優賞」を受賞、カンヌ国際映画祭にも毎年登場し、'09年の第62回「カンヌ国際映画祭」では審査員を務めるなどし、'15年にこの侯孝賢監督の「黒衣の刺客」で第10回「アジア・フィルム・アワード最優秀女優賞」の受賞に至ったということで(39歳にして可憐!)、台湾・香港映画界を代表する国際派女優の一人となっています。


「黒衣の刺客」●原題:刺客聶隱娘/THE ASSASSIN●制作年:2015年●制作国:台湾・中国・香港●監督:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)●製作:廖慶松●脚本:侯孝賢/朱天文(チュー・ティエンウェン)●音楽:林強(リン・チャン)●撮影:李屏賓(リー・ピンビン)●時間:93分●出演:舒淇(スー・チー)/張震
(チャン・チェン)/許芳宜(シュー・ファンイー)/周韻(チョウ・ユン)/倪大紅(ニー・ダーホン)/咏梅(ヨン・メイ)/雷鎮語(レイ・チェンユイ)/謝欣穎(シェ・シンイン)/阮經天(イーサン・ルアン)/謝欣穎(ニッキー・シエ)/梅芳(メイ・ファン)/妻夫木聡/忽那汐里●日本公開:2015/09●配給:松竹メディア事業部(評価:★★★)
舒淇(スー・チー)
謝欣穎(ニッキー・シエ)
「トランスポーター」●原題:LE TRANSPORTEUR/THE TRANSPORTER●制作年:2002年●制作国:フランス・アメリカ●監督:ルイ・レテリエ/コリー・ユン(元奎)●製作:リュック・ベッソン/スティーヴ・チャスマン●脚本:リュック・ベッソン/ロバート・マーク・ケイメン●音楽:スタンリー・クラーク●撮影:ピエール・モレル●原作:裴鉶(はいけい)「聶隱娘」●時間:106分(インターナショナル版)/108分(日本オリジナル・ディレクターズカット版)●出演:ジェイソン・ステイサム/スー・チー(舒淇)/マット・シュルツ/フランソワ・ベルレアン/リック・ヤン/ディディエ・サン・ムラン/ヴァンサン・ネメス/アドリアン・デアルネル●日本公開:2003/02●配給:アスミック・エース(評価:★★★)





1日目・・・農夫(デルジ・ヤーノシュ)は馬車に乗り、風の中人里離れた家に戻る。娘(ボーク・エリカ)は彼を出迎え、農夫は馬と車を小屋に戻す。娘は農夫の服を着替えさせ、2人で茹でたジャガイモ1個の食事を貪る。寝る段になって、農夫は58年鳴き続けた木食い虫が鳴いていないことに気付く。外は暴風が吹き荒れている。2日目・・・娘は井戸に水を汲みに行く。パーリンカ(焼酎)を飲んだ後、農夫はいつもの通り、馬車に乗って外へ出ようとするが、馬は動こうとしない。諦めた農夫は家に戻って薪を割り、娘は洗濯をする。ジャガイモを貪ったところへ男(ミハーイ・コルモス)が現れ、パーリンカを分けてくれるように頼む。町は風で駄目になったという男は、世界についてのニヒリズム的持論を延々述べるが、農夫はくだらないと一蹴、男はパーリンカを受け取って出て行く。3日目・・・娘は井戸で水を汲む。パーリンカを飲み、農夫と娘は馬小屋の掃除をする。新たな飼い葉を与えても馬は食べない。ジャガイモ
を食べていた時外を見ると、馬車に乗った数人の流れ者が現れ、勝手に井戸を使い出す。2人は外へ飛び出して流れ者を追い払い、流れ者は2人を罵って去る。食器を片付けた後、娘は流れ者の一人が水の礼として渡した本を読むと、教会における悪徳について書かれていた。未だ風は激しく吹き続けている。4日目・・・娘が水を汲みに行くと、井戸が干上がっていた。馬は相変わらず飼い葉を食べず、水
も飲まない。農夫はここにはもう住めないと、家を引き払う決心をする。荷物を纏めて馬を連れ、今度は自分らで車を引いて農夫と娘は家を出るが、丘を越えたところで戻ってくる。娘は窓から外を何も言わず見続ける。5日目・・・娘は農夫を着替えさせ、農夫は小屋に行き馬の縄を外してやる。2人はジャガイモを貪るも力なく、農夫は殆どを残してしまう。夜になったが、ランプに火が付かなくなり、火種も尽きる。嵐は去っていた。6日目・・・農夫と娘が食卓についている。農夫はジャガイモを生のまま口にするが、すぐ諦める。2人を沈黙が支配する―。
ハンガリーのタル・ベーラ監督(1955年生まれ)の2011年の作品で、第61回ベルリン国際映画祭銀熊賞
(審査員グランプリ)、国際批評家連盟賞(コンペティション部門)を受賞した作品ですが、タル・ベーラ監督はこの作品を監督としての最後の作品と表明しています。それぞれ農夫と娘を演じたデルジ・ヤーノシュ、ボーク・エリカ,ミハーイ・コルモス共、前作「倫敦から来た男」('07年/ハンガリー)に続いての出演で、音楽、撮影、編集も同じスタッフです。
強烈な印象を残す馬は、本当に働かなくてその日に売り手がつかなかったらソーセージになるところだった馬を、タル・ベーラ監督がこれだと思って"スカウト"したそうです。冒頭に「1889年1月3日。哲学者ニーチェはトリノの広場で鞭打たれる馬に出会うと、駆け寄り、その首をかき抱いて涙した。そのまま精神は崩壊し、彼は最期の10年間を看取られて穏やかに過ごしたという。 馬のその後は誰も知らない」とナレーションが流れます。この馬は、そのニーチェの馬を象徴的に指しているのでしょうか(原題は「トリノの馬」)。
農夫と娘が強風の中家に閉じ込められ、2日目にはその馬は動かなくなり、4日目には水を失い、5日目には火を失うといった具合に生きていく上で欠かせないものを順番に失っていくわけで、旧約聖書における神が6日間で世界を作った「天地創造」とは逆に、6日で世界が静かに崩壊していく様が、農夫と娘の生活の変化を通して間接的に描かれているとも言えます(タル・ベーラ監督はこの作品について、「本当の終末というのはもっと静かな物であると思う。死に近い沈黙、孤独をもって終わっていくことを伝えたかった」と語っている)。
長回しという点で、アンドレイ・タルコフスキー監督やテオ・アンゲロプロス監督の作品と似ているように思われ、また、世界の終わりを間接的に描いたのであるならば、タルコフスキー監督が第39回カンヌ国際映画祭で、カンヌ映画祭史上初の4賞(審査員特別グランプリ、国際映画批評家賞、エキュメニック賞、芸術特別貢献賞)を受賞した「サクリファイス」('86年/スウェーデン・英・仏)を思い出させます。「サクリファイス」はタルコフスキー監督の遺作で、この監督は晩年になればなるほど作品の哲学的な色合いが濃くなっていったように思いますが、但し「サクリファイス」では、世界の終りの危機が核戦争勃発によってもたらされたことが、登場人物がテレビでそのニュースを聴く場面があることから具体的に示されているのに対し、この「ニーチェの馬」では、2日にパーリンカを分けて欲しいと立ち寄った男が、「町は風で駄目になった」と言うだけです。
ほぼ全編に渡って吹きすさぶ風(人工の風だそうだが)―この風によって世界が滅ぶという抽象性がある意味この映画の"重み"になっているように思います。加えて、農夫を演じたデルジ・ヤーノシュの哲学者のような顔つき。殆どセリフがないのも"重さ"に繋がっているし、モノクロ映画であることも効果を増しているように感じられ、個人的には「サクリファイス」より骨太感があるように思いました。長回しが多く、観るのにある程度覚悟のいる作品ですが、他にあまり類を見ない作品であると思います(ジャガイモがこれほど印象に残る映画も無い)。
ハンガリー)の監督ヤンチョー・ミクローシュ(1921-2014)なども「ミクローシュ・ヤンチョー」と「名・姓」の順で長年通ってしまっているのでややこしいです。1869年、オーストリアとハンガリーの二重帝国治下に入って3年目のハンガリーの、農民と義賊の群れが狩りこまれた荒野の砦を舞台にした「密告の砦」は、ハンガリー人将校たちが仕組んだ"密告"の罠にはまり、次々と倒れていく義賊集団のゲリラたちが悲惨でした。農民が義賊ゲリラ狩りに駆り出されるというのは皮肉ですが、コレ、すべて史実とのことです(1966年度ハンガリー批評家選出最優秀映画賞、1967年度英国批評家協会優秀外国映画賞受賞作品)。「密告の砦」と「ニーチェの馬」の2本だけで、ハンガリー映画って"重い"なあという印象になってしまいがちですが、とりあえず「ヤンチョー」と「タル」が姓であることを憶えておきましょう。
「ニーチェの馬」●原題:A TORINOI LO/THE TURIN HORSE●制作年:2011年●制作国:ハンガリー・フランス・スイス・ドイツ●監督:タル・ベーラ(苗字・名前順、以下同じ)●製作:テーニ・ガーボル●脚本:タル・ベーラ/クラスナホルカイ・ラースロー●撮影:フレッド・ケレメン●音楽:ヴィーグ・ミハーイ●時間:154分●出演:デルジ・ヤーノシュ/ボーク・エリカ/コルモス・ミハリー●日本公開:2012/02●配給:ビターズ・エンド●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-03-25)(評価:★★★★)
「サクリファイス」●原題:OFFRET●制作年:1986年●制作国:スウェーデン・イギリス・フランス●監督・脚本:アンドレイ・タルコフスキー●製作:カティンカ・ファラゴ●撮影:スヴェン・ニクヴィスト●音楽:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ●時間:149分●出演:エルランド・ヨセフソン/スーザン・フリートウッド/オットーアラン・エドヴァル/グドルン・ギスラドッティル/スヴェン・ヴォルテル/ヴァレリー・メレッス/フィリッパ・フランセーン/トミー・チェルクヴィスト●日本公開:1987/04●配給:フランス映画社●最初に観た場所:テアトル新宿(87-10-17)(評価:★★★☆)
「密告の砦」●原題:SZEGENYLEGENYEK●制作年:1965年●制作国:ハンガリー●監督:ミクローシュ・ヤンチョー(名前・苗字順、以下同じ)●脚本:ジュラ・ヘルナーディ●撮影:タマーシュ・ショムロー●時間:149分●出演:ヤーノシュ・ゲルベ/ティボル・モルナール/アンドラーシュ・コザーク/ガーボル・アガールディ/ゾルタン・ラティノヴィッチ●日本公開:1977/06●配給:フランス映画社●最初に観た場所:千石・三百人劇場(80-01-23)(評価:★★★★)●併映:「オーソン・ウェルズのフェイク」(オーソン・ウェルズ)


も、宝森ととも佛山を訪れていた宝森の娘の宮若梅(ゴン・ルオメイ)(チャン・ツィイー(章子怡))が
異を唱え、葉問に試合を申し込む。葉問は若梅と試合い、試合いを通じて二人は心を通わせて、若梅は葉問を認める。若梅は父と共に東北に帰り、葉問と若梅は手紙を交し合うようになる。やがて準備の整った葉問は東北を訪れようとした時、日中戦争が勃発する―。
2013年のウォン・カーウァイ(王家衛)監督映画で、2014年・第38回香港国際映画祭「
原題は「一代宗師」。香港の武術家でブルース・リーの師匠でもあった葉問(よう もん、イップ・マン、1893-1972)がモデルで、この葉問をモデルにした映画には、ウィルソン・イップ監督、ドニー・イェン主演のイップ・マ
ン・シリーズ3作(「イップ・マン 序章」('08年/香港)、「イップ・マン 葉問」(10年/香港)、「イップ・マン 継承」('15年/香港))やハーマン・ヤオ監督、デニス・トー主演の「イップ・マン 誕生」('08年/香港)、同じくハーマン・ヤオ監督でアンソニー・ウォン主演の「イップ・マン 最終章」('13年/香港)などもあります(「イップ・マン 葉問」のエピローグで少年・李小龍(後のブルース・リー)が葉問を訪ねる場面がある)。
「
カンフー・アクションもありますが、しっとりとした美しい映像が続き、米雑誌「TIME」が発表した「2013年の映画ベスト10」では5位と高評価されたように、ウォン・カーウァイらしい映像美学が前面に出ています(1936年当時の娼館"金楼"のセットなどは凝っていた)。但し、欲を言えば、ストーリーの方をもう少し上手く作って欲しかったように思います。
主要な役どころでは、ルオメイの父の敵役の馬三(マーサン)を演じたマックス・チャン(張晋)はカンフー俳優で(ウィルソン・イップ監督の「イップ・マン 継承
」('15年/香港)にも出演している)、一線天(カミソリ)を演じたチャン・チェン(張震)は、台湾出身ですが(ウォン・カーウァイ監督の「
しかし、結局は作品としてのテーマが、ルオメイの復讐劇だったのか、彼女の技の継承の問題だったのか、彼女のイップ・マンに対する恋心だったのか、あまりに沢山盛り込み過ぎて、やや焦点がぼけてしまった感じです。説明不足な所は説明不足で、チャン・チェン演じる一線天(カミソリ)などは、本筋の話とどう絡むのかが分かりにくかったです(日本に協力し満洲国奉天の協和会長となった敵役のマーサンに対して、中国国民党の特務機関所属の暗殺者として最前線にいたカミソリという対比か。最後は理髪店の店主になったようだが、床屋業の傍ら技を後世に伝えた?)。
トニー・レオン演じるイップ・マンは、カンフーの技比べの場面でもいつも余裕の表情で、チャン・ツィイー演じるルオメイの十数年ぶりの
告白を聴く時も穏やかな表情で、いくら抑制の効いた演技といっても、ちょっと現実ありえない?(好きな俳優なのでまあいいか)。チャン・ツィイーは、アン・リー(李安)監督 の「
男女が運命的に出会いその思いが行き違うのは、「花様年華」に似ているように思いますが、戦争に最も翻弄されたのは、韓国の人気女優・ソン・ヘギョ(宋慧敎)が演じた、先に東北に行って結局あとから来るはずだったイップ・マンと離れ離れになった妻の張永成(チャン・ヨンチェン)のようにも思えます。



「グランド・マスター」●原題:一代宗師/THE GRANDMASTER●制作年:2013年●制作国:香港・中国●監督:ウォン・カーウァイ(王家衛)●製作:ウォン・カーウァイ/ジャッキー・パン・イーワン●脚本:ゾウ・ジンジ/シュー・ハオフォン/ウォン・カーウァイ●撮影:フィリップ・ル・スール●音楽:梅林茂/ナタニエル・
メカリー●時間:123分●出演:トニー・レオン(梁朝偉)/チャン・ツィイー(章子怡)/チャン・チェン(張震)/マックス・チャン(張晋)/ワン・チンシアン(王
慶祥)/ソン・ヘギョ(宋慧敎)/チャオ・ベンシャン(趙本山)/ユエン・ウーピン(袁和平)(アクション指導も)●日本公開:2013/05●配給:ギャガ(評価:★★★)


パリに住む富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、頸髄損傷で首から下の感覚が無く、体を動かすこともできない。フィリップと秘書のマガリー(オドレイ・フルーロ)は、住み込みの新しい介護人を雇うため、候補者の面接をパリの邸宅でおこなっていた。ドリス(オマール・シー)は、職探しの面接を
紹介され、フィリップの邸宅へやって来る。ドリスは職に就く気はなく、給付期間が終了間際となった失業保険を引き続き貰えるようにするため、紹介された面接を受け、不合格
になったことを証明する書類にサインが欲しいだけだった。気難しいところのあるフィリップは、他の候補者を気
に入らず、介護や看護の資格も経験もないドリスを、周囲の反対を押し切って雇うことにする。フィリップは、自分のことを障害者としてではなく、一人の人間として扱ってくれるドリスと次第に心を通じ合っていく―。
2011年11月本国公開のエリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督作で、第37回セザール賞で作品・監督・主演男優・助演女優・撮影・脚本・編集・音響賞にノミネートされ、オマール・シーが主演男優賞を受賞、フランスでの歴代観客動員数で3位(フランス映画のみの歴代観客動員数では2位)となる大ヒットとなりました。日本では、2011年10月に
実在の富豪フィリップ・ポゾ・ディ・ボルゴとその介護人アブデル・ヤスミン・セローの実話を基にした作品であるということですが、映画では介護人ドリスはアフリカ系の黒人になっていますが、実際のアブデルはアルジェリア出身のアラブ系で、フィリップと1年程度で別れたのではなく、10年程度介護したとのこと。他にも事実と異なる点は多くあり、映画は映画として観た方がよいかもしれません。
その点において、フィリップが多くの候補者の中からなぜドリスを自らの介護人として採用したのかということがひとつこの作品のカギとなりますが、他の候補者が障害を持つフィリップに同情を示す中、そうした他人の同情にウンザリしていたフィリップにとって、対等な人間として自分と接するドリスには偽善的なものが感じられず、"偽善者"に囲まれて暮らしてきたようなフィリップにとっては、彼がが唯一心を許せそうな相手であったということでしょう。
2人が生活環境や趣味趣向の違い―クラシックとソウル、高級スーツとスウェット、文学的な会話と下ネタ―を超えて心を通い合うようになる様がコメディタッチで描かれていますが、異文化交流とでも言うか、異価値許容性とでも言うか、ある意味今日的なテーマを扱った作品とも言えます。また、その根底には、両者の間で通じ合う何かがあったということが言えるかと思います。フィリップは友人から「注意したまえ。ああいう輩は容赦ない」と言われ、「そこがいい...容赦ないところがね」と答えています。
一方で、白人の富豪と黒人の介護人という組み合わせになったことで、アメリカ映画「
また、介護事業者や介護に携わる家族などからすれば、介護問題のかなりの部分は経済的な問題であって、この映画の主人公のように大富豪であればそうした問題の殆どは解決可能であり、あとは介護人と被介護者の相性の問題だけになるので、現場にとってさほど参考になるものはない(●批判3)との見方もあるかもしれません。でも、本来がこの作品は、そうした介護の大変さを伝えることを趣旨としたものではなく、元々異質な他人同士だった2人が、お互い対等な立場で相手を認め合い、相手を思い遣る関係となった―"Intouchables"という原題からして―それがこの映画のテーマではなかったかと思います。
ただ泣けるだけの映画にしようとすれば、もっとそうした効果も織り込むことができたかもしれませんが、むしろ、そうした方向よりも、"偽善"への抵抗や"人間性"とは何かといったことに力が注がれている印象を受けました。ドリスを演じたオマール・シーもいいですが、顔の表情だけで演技したフランソワ・クリュゼも良かったし、介護助手をイヴォンヌを演じたアンヌ・ル・ニ(セザール賞助演女優賞ノミネート)、秘書のマガリーを演じたオドレイ・フルーロなど脇役も悪くなかったように思います(マガリーは○○○○○だったのかあ。ある意味、"ダイバーシティ映画"でもあったなあ)。
「最強のふたり」●原題:INTOUCHABLES●制作年:2011年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ●製作:ニコラ・デュヴァル・アダソフスキ/ヤン・ゼノウローラン・ゼイトゥン●撮影:マチュー・ヴァドピエ●音楽:ルドヴィコ・エイナウディ●時間:112分●出演:フランソワ・クリュゼ/オマール・シー/アンヌ・ル・ニ/オドレイ・フルーロ/
クロティルド・モレ/アルバ・ガイア・クラゲード・ベルージ/トマ・ソリヴェレ/クリスティアン・アメリ/グレゴリー・オースターマン/アブサ・ダイヤトーン・トゥーレ/シリル・マンディ/ドロテ・ブリエール・メリット●日本公開:2012/09●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(17-12-14)(評価★★★★)

妹ティファニー(ジェニファー・ローレンス)と知り合う。夫と死別したティファニーは、ショックで混乱し、性依存症となって女性を含む同僚全員と肉体関係を持ったことからトラブルとなり失職、今は心理療法を受ける身だった。二人は薬物療法の話題から意気投合し、食事に行くが、最終的には不調に終わる。パットは元妻との連絡方法として、元妻の友人であるティファニー姉妹を通じて手紙を渡してもらおうと考え、ティファニーは元妻との連絡の橋渡しを条件に、パットに社交ダンスの特訓を始める。ダンスが得意なティファニーは、自分を取り戻すためにダンスコンテストへの出場を決意し、初心者のパットをパートナーに選んだのだ。ダンスを通じて、パットは自分が回復する手応えを感じ、ティファニーとも打ち解ける。パットの父親はアメフトのノミ屋をやっていて、アメフトの話題を通じて息子のパットと親子の溝を埋めようとしていたが、そんな父親がついに全財産を賭けて負けてしまう。それを知ったティファニーは、負けを取り戻すために、アメフトの勝敗に加え、ダンスコンテストの自分たちの得点を対象にした起死回生の賭けをセッティングする―。
主人公たちの一発逆転を狙った策がもしも上手くいかなかったら悲劇的な状況になってしまうわけですが、予めコメディがあること(予定調和)が前提となっている感じで、そこはあまり突っ込むべきではないのかも。ティファニーとパットは息の合ったダンスを披露するものの素人ぶりは隠せず(この辺りはある程度リアルか)、他のダンサー達から失笑や慰めを受けますが、結果的には賭けの目標をクリアしてパットは大喜び。パットはニッキの元に歩み寄って会話を交わし、それを見たティファニーは会場を後にする―。
母親役のオーストラリア出身の女優ジャッキー・ウィーヴァーは、「アニマル・キングダム」('10年)以来2年ぶり2度目のアカデミー助演女優賞ノミネート、父親役の大御所ロバート・デ・ニーロは「ケープ・フィアー」('91年)以来21年ぶり7度目のオスカ―・ノミネートでした(デ・ニーロは、「ケープ・フィアー」の時の怖~い役柄に比べると、打って変わって今回はすっかり好々爺だが)。


「世界にひとつのプレイブック」●原題:SILVER LININGS PLAYBOOK●制作年:2012年●制作国:アメリカ●監督・脚本:デヴィッド・O・ラッセル●製作:ブルース・コーエン/ドナ・ジグリオッティ/ジョナサン・ゴードン●撮影:マサノブ・タカヤナギ●音楽:ダニー・エルフマン●原作:マシュー・クイック「世界にひとつのプレイブック」●時間:122分●出演:ブラッドレイ・クーパー/ジェニファー・ローレンス/ロバート・デ・ニーロ/ジャッキー・ウィーヴァ/クリス・タッカー/アヌパム・カー/ジョン・オーティス/シェー・ウィガム/ジュリア・スタイルズ/ポール・ハーマン/ダッシュ・ミホク/ブレア・ビー●日本公開:2013/02●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(17-12-05)(評価★★★★)

1954年、シェイクミキサーのセールスマン、レイ・クロック(マイケル・キートン)に8台もの注文が飛び込む。注文先はマック(ジョン・キャロル・リンチ)とディック(ニック・オファーマン)のマクドナルド兄弟が経営するカ
リフォルニア州南部にあるバーガー・ショップ「マクドナルド」だった。合
理的なサービス、コスト削減、高品質という、店のコンセプトに勝機を見出したクロックは兄弟を説得し、「マクドナルド」のフランチャイズ化を展開する。しかし、利益を追求するクロックと兄弟の関係は次第に悪化し、クロックと兄弟は全面対決へと発展してしまう―。
ジョン・リー・ハンコック監督の2016年製作映画(本国公開2016年12月7日、日本公開2017年7月29日)で、「マクドナルド」の"創業者"(founder)"レイ・クロックの成功とその裏側を描いた実話風ビジネスドラマです。レイ・クロックの「マクドナルド」に纏わる話は、本で読んだり(自伝『成功はゴミ箱の中に』

壮大なフランチャイズ・ビジネスで利益を追求しようとするレイ・クロックと、小規模でも堅実な道を歩もうとするマクドナルド兄弟との確執に焦点を当てていて、フェイスブックの創業者間の対立を描いた「
この映画の日本版のキャッチ・コピーの1つに「英雄か。怪物か。」というのがありますが、本国版のキャッチ・コピーは"He took someone else's idea and America ate it up."で、「他人のアイデア」とあるように、30秒以内に注文客に商品を渡すといったマクドナルドのコンセプト自体は、レイ・クロックの独創ではないことをより明確に打ち出しています。この映画はマクドナルド社の協力無しに作られているわけですが、それでもレイ・クロックという人物を、アクの強さがあるにせよ、進取の気性に富み、スモール・ビジネスをビッグ・ビジネスに変えた傑物として描いている部分が大きいように思いました。
中盤でレイ・クロックが、人から"創業"はいつか聞かれて答えに窮する場面があったのが印象に残りました(創業したのはマクドナルド兄弟だから)。それが、ビジネスが拡張すると、彼自身が"ファウンダ―(創業者)"を名乗るようになり、終いにはマクドナルド兄弟から経営権を全面的に買い取って、兄弟には「マクドナルド」という名を使わせないようにします。マクドナルド兄弟に「マクドナルド」という名を使わせないというのもスゴイですが、兄弟が交換条件として求めた「永続的に利益の1%」を支払うという件については、契約書には記さず"紳士協定"ということにして、必ず守ると言いながら反故にし、兄弟の店はやがて閉店することになったことを映画は最後に伝えています。
こうした「目的のためには手段を選ばず」的な面はあるものの、52歳のうだつの上がらないシェイクミキサーのセールスマンだった男が、あれよあれよという間に外食産業の帝国を築いてしまうというのは、まさにアメリカン・ドリームを象徴するような話であるには違いありません。成功の条件は、ひたすら「根気強く」ということでしょうか。但し、映画で描かれる彼は、人の能力(やる気と言うべきか)を見抜く才能があり、そうして得た人材を適材を適所に配置することに長け、また、いいタイミングで自身の右腕となる参謀的な人物と出会えたという運もあったようです。
KFCはフランチャイズ・ビジネスという点でもマクドナルドのずっと先輩格にあたるわけですが、マクドナルドもフランチャイズ・ビジネス抜きには考えられないわけで、そうした観点から見ればレイ・クロックも"ファウンダ―(創業者)"と言えなくはないと思います。彼は「マクドナルド」という商標にこだわったため、マクドナルド兄弟との対立が深まったという気もします。なぜ、「クロック」とせず「マクドナルド」にこだわったのかが、映画の中でも、また本物のレイ・クロックが登場する記録映像の中でも明かされていたのが興味深かったです(両親はチェコ系ユダヤ人であり、クロックという姓は当時の米国ではマイノリティ=被差別層を想起させる姓ということになる)。
「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」('14年)でアカデミー主演男優賞にノミネートされたマイケル・キートンがレイ・クロックを好演しています。マイケル・キートン主演のビジネス・ムービーと

「バットマン」で彼が演じたバットマンはとにかく暗く、映画自体が暗かったです。ロビンも出てこないし、昔テレビでやっていた実写版の「怪鳥人間バットマン」('66‐'67年)とは随分違う感じがしました。映画は米国ではヒットしたようですが、日本では宣伝の割りにはイマイチだったように思います。"ジョーカー"を演じたジャック・ニコルソンのギャラの高さが話題になった記憶があります。
シリーズ第2作の「バットマン・リターンズ」は、ペンギン男にダニー・デヴィート、新登場のキャット・ウーマンにミシェル・ファイファーを配しましたが、共に主役のマイケル・キートンを完全に喰ってしまう怪演を見せ、第1作よりちょっとだけ面白かったかも。何れにせよ、マイケル・キートンは、主演であるのに第1作でジャック・ニコルソンに喰われ、第2作でダニー・デヴィート、ミシェル・ファイファーに喰われるという損な役回りだったようにも思います。
話を「バッドマン」第1作に戻して、ゴッサムシティの裏社会を牛耳るマフィアのグリソム(ジャック・ニコルソン演じるグリソムの部下でその右腕だったジャック・ネーピアは、グリソムの愛人に手を出してその怒りを買って罠に嵌められ、化学工場で警官隊に追い詰められ、そこに現れたバットマンと格闘の末に化学薬品の液槽に転落してしまい、一命は取りとめたものの肌は真っ白に漂白され、顔面は麻痺、精神に異常をきたしてしまい、そこから「ジョーカー」と名乗り始めて、グリソムら裏社会の大物たちを次々と殺害し、街を支配するようになるというのが話の流れ。ジョーカーとバッドマンの間にはもともと因縁があったというとになる)を演じたのが「
この年はシルヴェスター・スタローン、カート・ラッセルがライバル刑事役でダブル主演したアクション映画「デッドフォール」('89年/米)でも犯罪組織のボスを演じ、二人の刑事を抹殺できないまでも失脚させるべく罠を仕掛け、押収品を横流しする悪徳刑事として、果てにはFBI捜査官殺しにまで仕立て上げるという役でで出ています。スタローンが時折みせるコメディタッチはイマイチ。一方、カート・ラッセルはアクションでスタローンに拮抗していました。でも、個人的には、老ジャック・パランスの悪役が嬉しかったです。ただし、「
「ファウンダー ハンバー
ガー帝国のヒミツ」●原題:THE FOUNDER●制作年:2016年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・リー・ハンコック●製作:ドン・ハンドフィールド/ジェレミー・レナー/アーロン・ライダー●脚本:ロバート・シーゲル●撮影:ジョン・シュワルツマン●音楽:カーター・バーウェル●時間:115分●出演:マイケル・
キートン/ニック・オ
ファーマン/ジョン・キャロル・リンチ/リンダ・カーデリニ/パトリック・ウィルソン/B・J・ノバク/ローラ・ダーン/ジャスティン・ランデル・ブルック/ケイト・ニーランド●日本公開:2017/07●配給:KADOKAWA●最初に観た場所:渋谷シネパレス(旧渋谷パレス座)(17-07-30)(評価★★★☆)





「ガン・ホー」●原題:GUNG HO●制作年:1986年●制作国:アメリカ●監督:ロン・ハワード●製作:デボラ・ブラム/トニー・ガンツ●脚本:ローウェル・ガンツ/ババルー・マンデル●撮影:ドナルド・ピーターマン●音楽:トーマス・ニューマン●時間:11
1分●出演:マイケル・キートン/ゲディ・ワタナベ/ミミ・ロジャース/山村聰/クリント・ハワード/サブ・シモノ/ロドニー・カゲヤマ/ジョン・タトゥーロ/バスター・ハーシャイザー/リック・オーヴァートン●日本公開:(劇場未公開)VHS日本発売:1987/11●発売元:パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン(評価:★★★☆)




「ダークナイト」●原題:THE DARK KNIGHT●制作年:2008年●制作国:アメリカ・イギリス●監督:クリストファー・ノーラン●製作:クリストファー・ノーラン/チャールズ・ローヴェン/エマ・トーマス●脚本:クリストファー・ノーラン/ジ
ョナサン・ノーラン●撮影:ウォーリー・フィスター●音楽:ハンス・ジマー/ジェームズ・ニュートン・ハワード●原作:ボブ・ケイン/ビル・フィンガー「バットマン」●時間:152分●出演:クリスチャン・ベール/ヒース・レジャー/アーロン・エッカート/マギー・ジレンホール/マイケル・ケイン/ゲイリー・オールドマン/モーガン・フリーマン/メリンダ・マックグロウ/ネイサン・ギャンブル/ネスター・カーボネル●日本公開:2008/08●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★☆)

「怪鳥人間バットマン」(Batman) (ABC 1966~1968) ○日本での放映チャネル:フジテレビ(1966~1967)/WOWOW
「デッドフォール」●原題:TANGO & CASH●制作年:1989年●制作国:アメリカ●監督:アンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー●製作:ジョン・ピーターズ/ピーター・グーバー●脚本: ランディ・フェルドマン●撮影:ドナルド・E・ソーリン●音楽:ハロルド・フォルターメイヤー●時間:106分●出演:シルヴェスター・スタローン/カート・ラッセル/ジャック・パランス/テリー・ハッチャー/ジェフリ
ー・ルイス/エドワード・バンカー/ブライオン・ジェームズ/ロバート・ツダール/ジェームズ・ホン/マルク・アレイモ/マイケル・J・ポラード/マイケル・ジェッター/フィル・ルーベンスタイン/フィリップ・タン/ルイス・アークエット/ロイ・ブロックスミス/クリント・ハワード/グレン・モーシャワー●日本公開:1990/03●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★)

フランスの国民的写真家ロベール・ドアノー(1912 -1994)の人生と創作に迫ったドキュメンタリーで、監督のクレモンティーヌ・ドルディルはドアノーの孫娘です。作品の撮影秘話や当時の資料映像、親交のあった著名人による証言や(「
親交があり、サビーヌ・アゼマは作品のモデルにもなっている)、作品蒐集家・ファンへのインタビューなどから成ります(作家の堀江敏幸氏がフランス語でコメントしている)。ドアノー自身は写真では殆ど登場せず、家族が映したと思われるカラー8ミリフィルムなどで多く登場するため、どことなくファミリー・ムービーっぽい感じがします。ドアノーという人が全く"大家"ぶっていなくて、冗談好きで人懐っこいキャラクターであることが分かり、こうした人柄が被写体となる人を安心させて、活き活きとした写真を撮ることが出来るのだなあと思いました。
ドアノーは殆どパリで活動していたようです。海外にも行ってはいますが、世界中を飛び回っていた
という印象ではありません。今回、アメリカなど海外で撮った写真やカラーで撮った写真も見ることができて良かったですが(アメリカで撮ったカラー作品は、どこか無機質な感じのものが多い)、やはりパリを撮ったモノクロ写真が一番いいように思いました。映画全体を通しても、ドキュメンタリー部分もさることながら、そうした写真を紹介している部分の方が印象に残りました(ちょうど作品集を見ている感じか)。
この映画を観て知ったのですが、専らパリで活動していたこともあって、世界的に
有名になったのはかなり年齢がいってからのようです。あの有名な「パリ市庁舎前のキス」と呼ばれる作品は、1950年に「ライフ誌」に発表されていますが、この映画によると、その後長らく埋もれていて、ある日突然脚光を浴びた作品であるようです。
パリの若い恋人たちのシンボルとなったこの写真のカップルが誰なのかは1992年まで謎のままで、パリに住むラヴェーニュ夫妻は自分たちがこの写真のカップルだと思い込んでいました。夫妻は80年代にドアノーと会っていますが、ドアノーは真相を語らなかったため、夫妻は「無許可で写真を撮影した」としてドアノーを告訴し、裁判所はドアノーに事実を明らかにするよう要求しています。実は写真のカップルはフランソワとジャックという若い俳優の卵で、ドアノーが夫妻に真相を語らなかったのは、夫妻の夢を壊したくなかったからのようです。
この映画でも、「パリ市庁舎前のキス」のモデルは恋人同士の俳優の卵であり、ドアノーは他にも多くのモデルを使ってこうした"スナップ"を演出したことはこの映画でも紹介されていますが、裁判のごたごたについては一切触れられていません。ある意味、ドアノーの他者への思いやりときっちりとした性格が窺えるエピソードだと思うのですが、アシスタントを務めていたドアノーの長女アネットによれば、裁判には勝ったもののの、裁判の過程で偽りと嘘に満ちた世界を見てしまったドアノーはひどくショックを受けたそうで、後にアネットは「あの写真は父の晩年を台無しにしてしまった」とまで述べています。
「パリが愛した写真家/ロベール・ドアノー<永遠の3秒>」●原題:ROBERT DOISNEAU, LE RÉBOLTÉ DU MERVEILLEUX●制作年:2016年●制作国:フランス●監督:クレモンティーヌ・ドルディル●製作:ジャン・ヴァサク●時間:80分●出演:ロベール・ドアノー/フランシーヌ・ドルディル/アネット・ドアノー/サビーヌ・ヴァイス/ダニエル・ペナック/フランソワ・モレル/フィリップ・ドレルム/サビーヌ・アゼマ/ジャン=クロード・カリエール/梶川芳友/佐藤正子/堀江敏幸/クレモンティーヌ・ドルディル/エリック・カラヴァカ●日本公開:2017/04●配給:ブロードメディア・スタジオ●最初に観た場所:渋谷・ユーロスペース(17-04-28)(評価★★★☆)
ユーロスペース 2006(平成18)年1月、渋谷・円山町・KINOHAUSビル(当時は「Q-AXビル」)にオープン(1982(昭和57)年渋谷・桜丘町にオープン、2005(平成17)年11月閉館した



島原の乱収束の頃、イエズス会の高名な司祭フェレイラ(リーアム・ニーソン)が、布教先の日本で苛酷な弾圧に屈して棄教したという報せがローマに届く。フェレイラの弟子ロドリゴ(
アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジロー(窪塚洋介)と出会う。キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。長崎奉行所が2人の宣教師の身柄を要求し、村人達は必死に匿うが、代償としてイチゾウ(笈田ヨシ)、モキチ(塚本晋也)、キチジローが人質に。奉行
所は踏み絵だけではキリシタンを炙り出せないと考え、「キリストの像に唾を吐け」と強要、キチジローは従うが、キチジローを除く2人は棄教しきれず、水磔刑に処される。逃亡したロドリゴも、キチジローの裏切りで密告され捕えられる。そのロドリゴの目の前で、ガルペは、幕府によって海へ投げ込まれようとされている信徒らに駆け寄って命を落とす。長崎へ連行されるロドリゴの行
列を、キチジローは必死で追いかける。長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、また、長崎奉行の井上筑後守(イッセー尾形)との対話を
通じて、日本人にとってキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。奉行所の門前でキチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは追い返されるが、ロドリゴはその彼には軽蔑しか感じない。牢につながれたロドリゴにフェレイラが語りかけるが、神の栄光を期待する彼は、その説得を拒絶する一方、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。しかし彼は、その音が鼾ではなく、拷問されている信徒の声であること、その信徒たちはすでに棄教しているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げられる。自分の信仰を守るのか、棄教して苦しむ信徒を救うべきなのか、究極の選択を迫られたロドリゴは、踏絵を踏むことを受け入れる。敗北に打ちひしがれたロドリゴを、キチジローが裏切った許しを求めて訪ねる―。
信徒たちが拷問されたり処刑されたりするシーンもきちんとハリウッドスタイルでダイナミックに描いていて(水磔刑の塚本晋也と笈田ヨシはたいへんそうだったなあ。それぞれ映画監督と演出家でもあるのだが)、残酷だと思う人もいるかもしれませんが、こうしたシーンも、信徒たちの苦難の道のりや実際に多くの血が流された殉教の歴史を理解するうえでは重要なことではないかと思いました(海に投げ込まれる信徒の数も、逆さ吊りにされる信徒の数も、原作より若干多目だったけれども(各3人→各5人に))。
映像化作品を観ることのメリットである、原作がよりリアルに味わえ、話の展開が把握しやすくなるという目的は十二分に果たしているように思いました。終盤でロドリゴは究極の選択を迫られますが、その前にガルペが幕府によって海へ投げ込まれようとしている信徒らを前に棄教せずに自らも命を落とすのに対し、ガルペに向かって「棄教しろ」と叫んでいる部分が、ロドリゴが最終的に踏み絵を踏むことになることの伏線になっているように思いました。おそらくその様は、その時ロドリゴの傍らにいた通辞(浅野忠信)によって井上筑後守(イッセー尾形)に伝わっていたのだろうなあ。だから井上は、ロドリゴが棄教することを予測できたのだろうと思いました。
映画を観て気づいたことは、村人たちが司祭らと英語で話している点で、奉行所でも通辞がいない時は、日本人も司祭らとの会話で英語を使
っていることです(海外メディアの記者会見では出演者でさほど英語が得意な俳優はおらず、浅野忠信が冒頭にでワンフレーズぐらい英語で話しただけで、後は皆日本語で話していたが)。これを原作に置き換えると、原作では映画ほど会話の数は多くないけれども、村人と司祭の会話はポルトガル語で行われた(つまり村人のポルトガル語を話せた)ということになるのだなあと改めて思った次第です。
キチジロー役の窪塚洋介、井上役のイッセー尾形をはじめとする日本人俳優は概ね好演だったように思われ、通辞役の渡辺謙の降板で復活起用された浅野忠信もまずまずでした。米国映画であるということもありますが、日本語のセリフを減らして会話を英語にすることで、スコセッシ監督の演出がより行き届いたものになったというのもあるのではないかと思います。




「沈黙 -サイレンス-」●原題:SILENCE●制作年:2016年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ/バーバラ
・デ・フィーナ/ランドール・エメット/エマ・ティリンジャー・コスコフ/アーウィン・ウィンクラー/マーティン・スコセッシ●脚本:ジェイ・コックス/マーティン・スコセッシ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:キム・アレン・クルーゲ/キャスリン・クルーゲ●原作:遠藤周作「沈黙」●時間:159分●出演:アンドリュー・ガーフィールド/リーアム・ニーソン/アダム
・ドライヴァー/窪塚洋介/浅野忠信/イッセー尾形/塚本晋也/小松菜奈/加瀬亮/笈田ヨシ/キーラン・ハインズ/遠藤かおる/井川哲也/PANTA/松永拓
野/播田美保/片桐はいり/美知枝/伊佐山ひろ子/三島ゆたか●日本公開:2017/01●配給:KADOKAWA●最初に観た場所:有楽町・角川シネマ有楽町(17-04-09)(評価★★★★☆)
角川シネマ有楽町 2011年2月19日 「読売会館」8階(「シネカノン有楽町1丁目」跡)にオープン(座席数237席)。


ここはとある惑星のとある町。30年間会社を無欠勤だった男が、リストラで解雇を宣告され泣きわめき、社長にすがりついて廊下を引き摺られていく。社屋の一階では、道に迷った男が訳もなく若者たちに殴られて倒れている。社長のペレ(トルビョーン・ファルトロム)は会社のことより、折れてしまったゴルフクラブを気にしている。ディナーショーでマジシャン(ルチオ・ブチーナ)は人体切断マジックに失敗して、協力者の腹をのこぎりで切ってしまう。保険金欲しさに自分の店に火をつけた家具屋経営のカール(ラース・ノルド)が、煤だらけで満員の地下鉄に乗っていると、どこからともなく音楽が聞こえてきて、乗客らが歌い始める。焼けた家具店の表通りは渋滞していて、デモ隊が鞭打ちをしながら車の間を行く。タクシー運転手をしていたカールの長男は、人々の悩みを聞かされるうちに自分が精神を病んでしまい、誰とも話せなくなって精神病院に入院中である。今は次男シュテファン(シュテファン・ラーソン)がタクシーを運転手をしている。そのタクシーに軍人が一人乗り込んできて、今日が総司令官(ハッセ・ソーデルホルム)の100歳の誕生日で自分がその祝辞の草稿を作った言う。将軍の100歳の誕生日を祝う式典が病院内で行われ、将軍はナチ式の敬礼をする。カールが同業者を訪ねると、彼は不況下で大聖年という理由で、十字架を売って儲けしようとしていて、カールも十字架を一つ買う。駅に行くと、自殺したはずのスヴェンが自分の後ろをついてくる。不条理な出来事が次々起きて、やがて町全体が異様な雰囲気に包まれていく―。
2014年・第71回ベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した最近作「さよなら、人類」は(これも構想に15年、撮影に4年を費やしたという)、吸血鬼のお面や笑い袋といった面白グッズを売り歩く冴えないセールスマン・コンビのとサム(ニルス・ウェストブロム)とヨナタン(ホルガー・アンダーソン)を軸に話が展開し(これもストーリーにさほど
脈絡はないのだが)、2人がグッズがまるで売れずに散々な日々を送る中、フラメンコの女教師(ロッテ・トルノス)はレッスンを受けに来るお気に入りの若い男
の子の身体を指導のフリをして触りまくり、フェリーの船長(オラ・ステンソン)は船酔いが耐えられずに理容師に転職し、バーになぜか18世紀のスウェーデン国王カール12世(ヴィクトル・ギュレンバリ)が騎馬隊を率いて現われ...と、こちらも不条理の小劇のオンパレード。全39シーンというから、だんだんシーン数が多くなってきているのではないでしょうか。
それらのシーンを主に繋いでいるのが、サムとヨナタンのセールスマン・コンビですが、この2人が面白グッズを売り歩いているのに滅茶苦茶にクラいというのがブッラクで可笑しいです。16世紀の画家ブリューゲルの「雪中の狩人」など様々な絵画からインスピレーションを受けて作られているとのことですが、低彩色のトーンは「散
歩する惑星」の時と同じであるものの、「散歩する惑星」よりも死のイメージが濃くなっているような気がしました。黒人たちがが回転する大きなドラムのようなものの中に入れられ、そのドラムが火で炙られるシーンなど、政治的なメッセージともとれるメタファーも前作よりグロテスクで直截的になっていますが、個人的には「散歩する惑星」の方がやや好みだったしょうか。
「散歩する惑星」●原題:SANGER FRAN ANDRA VANINGEN/SONGS FROM THE SECOND FLOOR●制作年:2000年●制作国:スウェーデン・フランス●監督・脚本:ロイ・アンダーソン●製作:フィリップ・ボバー●撮影:イストヴァン・ボルバス





ミュージシャンの恋人デイヴ(アダム・レヴィーン)と共作した曲が映画の主題歌に採用されたのを機に、イギリスからニューヨークへやってきて彼とニューヨークで暮らすことにしたシンガーソングライターのグレタ(キーラ・ナイトレイ)だったが、デイヴがスターとなって二人の関係の歯車に狂いが生じ始め、デイヴの浮気により彼と別れて、旧友の売れないミュージシャンのスティーブ(ジェームズ・コーデン)の家に居候する。スティーブは失意のグレタを励まそうとライブ・バーに連れていき、彼女を無理やりステージに上げる。歌い終わると、音楽プロデューサーを名乗るダン(マーク・ラファロ)にアルバムを作ろうと持ち掛けられる―。
カリビアン」シリーズの第1作('03年)から第3作('07年)に出ていたことで知られているが)、ダン役のマーク・ラファロは米国俳優、デイヴ役のアダム・レヴィーンは米国のシンガーソングライター、ギタリストでロックバンド「マルーン5」のボーカル、ということで、英国的雰囲気と米国的雰囲気が入り交じったような映画だったでしょうか(グレタのことを励ます旧友スティーブ役の ジェームズ・コーデンもイングランド出身の俳優・コメディアン)。ジョン・カーニー監督の前作「ONCE ダブリンの街角で」もそうですが、最初は公開館数が非常に少なかったのが、口コミでその良さが伝わり大ヒットを記録したようです。
冒頭のライブ会場の場面で、スティーブがグレタを無理矢理ライブのステージに上げて歌わせ、それにダンが聞き入ってしまうところから始まって、そこからフラッシュバックしてグレタの失意に至る道のりを振り返り、今度はダンの失意への道のりを振り返るという映画の前半部分の構成が、「倒叙法」とでも言うか、「長い導入部」とでも言うか実に巧みであり、しかも、技巧が勝ちすぎることなく、前半部分だけでもしっかり感動させてくれます(誰かが「開始3分で泣ける」と言っていたが確かに。しかも同じ場面で3回泣ける(?)というのはスゴイ)。
ここまでしっかり作られてしまうと、後半はもう予定調和でメデタシメデタシしかないのではないかと思ってしまいましたが、物語がグレタの"再生"に止まらずダンの"再生"も描いていて、これがグレタの"再生"だけだと単なる敏腕プロデューサーの話になってしまうところを、途中からダンの"再生"も描くことでバランスが良くなっています。
しかも、グレタは、ダン〈個人〉を"再生"させると言うよりは、過去の出来事によりダンとそれまでうまくいっていなかった彼の妻や娘との〈関係性〉を再生させます(それによってダン自身も再生する)。これはスゴいなあと思って観ていたら、今度はグレタと別れた恋人デイヴの〈関係性〉が"再生"されるのです。相互に関係性が"再生"される物語なんだなあと(原題タイトル'BEGIN AGAIN'の'AGAIN'に意味がある)。
従って、グレタとダンはあくまで仕事上のパートナーに止まり、再会を約して「爽やかに」別れることになるわけですが、観ていていいなあという感じでした。やや出来過ぎた話との印象もありますが、ダンがバックバンドのメンバーを集めるところなどはコミカルで面白かったし、路上でのゲリラ・ライブはシズル感満点だったし(タイムズ・スクエアやエンパイア・ステート・ビルなどマンハッタンの名所巡りも味わえる)、「プライドと偏見」でアカデミー主演女優賞にノミネートされたキーラ・ナイトレイの演技力は、この現代劇でも発揮されていたように思います。
今月 ['16年7月]9日からは渋谷・シネクイントで、カーニー監督の最新作「シング・ストリート 未来へのうた」('15年/アイルランド・英・米)の上映が始まります。80年代半ばのダブリンが舞台のカーニー監督の自伝的要素も含んだ作品のようですが、シネクイントが「パルコ・パート3」の建て替えに伴う一時休業(?)で8月7日をもって最終上映となるため、シネクイントの実質ラストショーになるのではないだろうか。(実際その通りになった。ジョン・カーニーに着眼したシネクイントらしいラストショーか)
「はじまりのうた」●原題:BEGIN AGAIN●制作年:2014年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ジョン・カーニー●製作:アンソニー・ブレグマン/トビン・アームブラ
スト(英語版)/ジャド・アパトー●撮影:ヤーロン・オーバック●音楽:グレッグ・アレキサンダー●104分●出演:キーラ・ナイトレイ/マーク・ラファロ/ヘイリー・スタインフェルド/アダム・レヴィーン/ジェームズ・コーデン/ヤシーン・ベイ/シーロー・グリーン/キャサリン・キーナー●日本公開:2015/02●配給:ポニーキャニオン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(16-06-27)(評価:★★★★)


1815年、フランス革命後の王政復古下、飢えた姪のためにパンを1つ盗み20年の刑に受けていたジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、19年目で仮釈放となるも、身分
証の危険人物の烙印のため仕事につけずにいた。飢え、暴行を受けたバルジャンが教会の前で倒れていると、司祭が彼を客人として迎え入れ、暖かい食事とベッドを与えるが、バルジャンは夜中に教会の銀の食器を盗み逃亡する。すぐに捕まったバルジャンだったが、司祭は「食器は彼に与えたものだ」と警官に告げ、更に銀の蜀台をバルジャンへ与える。バルジャンは己(おのれ)の恥を知り、生まれ変わることを決意、身分証を破り捨て、仮釈放に伴う毎月の出頭も止める―。
1823年、バルジャンは、貧者の味方と尊敬され
る市長になっていた。新任の署長ジャベール(ラッセル・クロウ)が挨拶にやってくるが、バルジャンの面影から彼の過去に疑惑を抱く。バルジャンの作業所で働く娘・ファンテーヌ(アン・ハサウェイ)は、男に捨てられ幼い娘コゼットを宿屋
の夫婦に預けていたが、そのことで職場で騒動となり、バルジャンから穏便に収めるよう命じられた工場長により解雇されてしまう。ファンテーヌは、髪の毛、奥歯を売り、娼婦に身を窶(やつ)すが、娼婦街で彼女をからかった男を突き飛ばしたところへ警官隊が通りかかり、男は彼女
に襲われたと主張、ジャベールはファンテーヌを逮捕しようとするが、バルジャンが庇い病院へ運ぶ。ジャベールはバルジャンを逃亡犯として告発するが、別人が誤認逮捕される。バルジャンは苦悶し、法廷に乗り込んで事実を明らかにするが、法廷は取り合わない。バルジャンは病院にファンテーヌを訪ねるが、彼女はコゼットの幻を見ながら亡くなる。バルジャンはファンテーヌにコゼットの保護を約束し、ジャベールから逃げながら、宿屋で使用人の扱いを受けていた幼いコゼットを引き取る―。
1832年、バルジャンは、美しい娘に成長したコゼット(アマンダ・サイフリッド)を連れ、貧民街で施しをしていた。そこにジャベールが現れる。パリでは革命気炎が高まり、特権階級の青年マリウス(エディ・レッドメイン)は、家を出て貧民街で革命運動に身を投じていた。宿屋夫婦の娘で、かつてコゼットと同じ家に暮らして
いた娘エポニーヌ(サマンサ・バークス)は、マリウスに恋をしていたが、マリウスはそれに気づかずコゼットに一目惚れし、コ
ゼットも同じく恋に落ちる。ジャベールに見つかったバルジャンは、家を引き払い、英国へ出発するとコゼットに告げる。マリウスは、エポニーヌにコゼットを探してくれと頼む。コゼ
ットは、マリウスへの手紙を門に残し、エポニーヌが手紙を取る。民衆に慕われていた将軍の葬列の日、学生運動家たちは革命を決意、コゼットに恋していたマリウスも革命を選ぶ。王政側の兵から被弾し倒れたエポニーヌは、マリウスへコゼットの手紙を渡す。一方で、マリウスからコゼットへの手紙を受け取ったバルジャンは、彼を死なすまいとバリケード内部に侵入、そこにはジャベールが居た。彼は志願兵を名乗って偽情報を流していたが、正体を看破され拘束されていた。バルジャンは
ジャベールを逃す。翌朝、大砲でバリケードが粉砕され革命軍は全員が死亡したが、バルジャンが負傷したマリウスを抱えて下水道から逃亡し、2人だけが無事だった。その途中でジャベールに遭遇するも、ジャベールは彼らを捕えずに自殺する。マリウスはコゼットと結婚、父代わりだったバルジャンは、マリウスに自らの過去を明かし、その事実が明らかにされればコゼットを苦しませることになるとし、隠遁する。結婚式の日、宿屋夫婦からバルジャンが修道院にいることを明らかにされたマリウスは、コゼットとともに修道院へと向う。愛しいコゼットに見守られながら、ファンテーヌの幻に導かれ、バルジャンは天に召される―。

ミュージカルとしては、1985年のロンドン初演から史上最長ロングランを誇り、ブロードウェイでは1987年から2003年まで6,680回に渡ってロングラン上演されており、終了時点では第3位の連続公演(劇団四季のような"断続"公演ではない)回数でした。大体、バブル期後半の頃ニューヨークに行った日本人観光客が観るブロードウェイ・ミュージカルと言えば、この「レ・ミゼラブル」か、「キャッツ」(1982年~2000年、公演数7,485回)か、「オペラ座の怪人」(1988年~、公演数11,000回超)が定番でした。
ニュージーランド出身、ファンティーヌを演じたアン・ハサウェイとその娘コゼットを演じたアマンダ・サイフリッドが米国女優で、マリウスを演じたエディ・レッドメインが英国俳優です。欲深な宿屋夫婦を演じたサシャ・バロン・コーエンとヘレナ・ボナム=カーターも英国(ヘレナ・ボナム=カーターは「英国王のスピーチ」('10年/英)でエリザベス妃を演じ、英国アカデミー賞 助演女優賞を受賞している)。ヘレナ・ボナム=カーターはハリー・ポッター・シリーズ('10年~)のベラトリックス・レストレンジ役以来どんどんスゴイ役になっていきますが、幼い子供までが凶弾に倒れるというヘビーな物語の中で、彼女とサシャ・バロン・コーエンの2人は、ある種ピエロ的なユーモアを醸していました。
この中ではバルジャンを演じたヒュー・ジャックマンもいいのですが、個人的"圧巻"は薄幸の女性ファンテーヌを演じたアン・ハサウェイでした。ファンテーヌは映画の前半3分の1くらいのところで死んでしまいますが、疾走するような集中力の高い演技で、う~ん、こんなスゴイ女優だったのかとビックリ。ミュージカルにおける俳優の演技ってパターン化しがちなのに対し(ラッセル・クロウなどがややそれ気味か)、彼女の演技はミュージカルの枠を超えてリアリティがありました。髪を売るために切るシーンでは自前の髪をばっさり切ったそうで、役者魂を感じます。彼女はこの作品で、ゴールデングローブ賞とアカデミー賞の両方で助演女優賞を獲得しています(英国アカデミー賞、放送映画批評家協会賞の各助演女優賞も獲得)。
「レ・ミゼラブル」●原題:LES MISERABLES●制作年:2012年●制作国:イギリス●監督:トム・フーパー●製作:ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー/デブラ・ヘイワード/キャメロン・マッキントッシュ●脚本:ウィリアム・ニコルソン/アラン・ブーブリル/クロード=ミシェル・シェーンベルク/ハーバート・クレッツマー●撮影:
ダニー・コーエン●音楽:クロード・ミシェル・シェーンベルク●原作:(小説)ヴィクトル・ユゴー/(ミュージカル)アラン・ブーブリル/クロード・ミシェル・シェーンベルク●時間:158分●出演:ヒュー・ジャックマン/ラッセル・クロウ/アン・ハサウェイ/アマンダ・サイフリッド/エディ・レッドメイン/ヘレナ・ボナム=カーター/サシャ・バロン・コーエン/サマンサ・バークス/ダニエル・ハトルストーン/アーロン・トヴェイト/キリアン・ドネリー/フラ・フィー/アリスター・ブラマー●日本公開:2012/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(15-07-29)(評価:★★★★☆)



貴族のプライド家の領地を案内するツアー中、ガイド役を務めるオードリーが矢で射殺される事件が発生する。オードリーは教会でプライド家について調査をしていて、彼女のおせっかいを疎む人物は多かった。魔女に呪われているという言い伝えのあるプライド家がひた隠す秘密にブラウン神父(マーク・ウィリアムズ)が挑む―(第13話"The Shadow of Scaffold" ソフト化時邦題「プライド家のプライド」)。
BBC「ブラウン神父」シーズン2(全10話)の本国放映は2014年1月で、日本では第11話・第12話が'14年5月、第13話以降は8月に放映されました(その際に、シーズン1(全10話)とシーズン2第11話・第12話も再放送された)。
この第13話は、連続殺人の最初の殺人の動機がさっぱり分からず、従って犯人も見当がつきませんでしたが、動機はあって無いようなものだったなあ。魔女の呪いは、プライド家の長子に連綿と効いていたわけかあ。精神障害に対する偏見があるように感じられるのがやや引っ掛かりました。
夫アイバン殺しの容疑で逮捕されたバイオレットの元を、ブラウン神父は告解を聞くために訪れる。しかし、バイオレットは潔白を訴え、妊娠していると告げる。事件の真相解明に乗り出した神父は、精肉店を営む一家が事件に関わっていると確信する。特にアイバンの母親はバイオレットを憎んでいた。フェリシアは、週に1度、彼女を癒す目的で朗読に訪れていた―(第14話"The Shadow of Scaffold" ソフト化時邦題「絞首台の影」)。
第14話は面白かった、と言うか、ヒロインをヒロインとしてパターンで観てしまたったため、最後に真犯人が捕まった後に、その"ヒロイン"であるところのバイオレットについて明かされた事実というのが意外でした。サリバン警部補は事件の全容解明よりもとにかく早いところ犯人を縛り首にしたいという感じだなあ。
一方のブラウン神父はバイオレットの秘密を鋭く見抜いたわけですが、結局、サリバン警部補には話さず自分で裁いてしまっていたなあ。尼さんにしちゃったわけ。"大岡裁き"と見做すには結構ビミョーな裁定でした。でも、まあそれなりに楽しめましたけれど(評価★★★☆)。
ビクター・マッキンレー家に呼ばれたブラウン神父は、夫人のシャーロットから"悪魔祓い"をしてほしい、と依頼される。シャーロットは、屋敷に幽霊がいて、突然物が動き出したりする、と言うのだ。実は、シャーロットには妹が居るが、9年前から行方不明になっていた―(第11話"The Ghost in the Machine" ソフト化時邦題「物体に宿る霊」)。
デンバーズ療養所を脱走したフィリックスは、「殺人...」と呟いて意識不明に陥る。サリバン警部補に止められながらも、療養所に不審を抱いたブラウン神父は自ら調査に乗り込んでいく。後日、フィリックスの葬儀が行われるが、フィリックスが突然息を吹き返す―(第12話"The Maddest of All" ソフト化時邦題「狂気の沙汰」)。
タイトルが大仰な割には結末はやや拍子抜けではあったけれど(事件と言うより事故だったわけか)、バレンタイン警部補が最後に警部に昇進してロンドンに赴任することになり、それまで事件の解決に際して先を越されてばかりで良くは思って神父に対して、自分が昇進できたのはブラウン神父のお蔭であることを素直に認めて礼を言うのが清々しく、同じ
そして、第11話のエンディングで、ブラウン神父にあまりいい感情を抱いていない風の新任サリバン警部補が、第12話では本格的に事件を担当することになります。う~ん、これも犯人は大体読めてしまうし、事件そのものはイマイチだった気がしないでもないですが、サリバン警部補がバレンタイン警部補の最初の頃と同じく、ブラウン神父の事件への介入を嫌いながらも、ブラウン神父が療養所に患者として潜入しようと仮病を使ったのに対し、咄嗟にそれに合わせるような行動を取って神父の入院を後押ししたところなどは、意外と柔軟だったというか目的合理主義者であるような印象を受けました(後で、本当は逮捕するところだと忠告はしていたが)(評価★★★☆)。

ルーク・アーチボルド(ジェイソン・デュール)の経営するスパ&ホテルに、ジョイスとバーナビーは休みを利用して滞在することにする。バーナビーは、性に合わないので、文句を言い続けるばかりだった。やがて来るバーナビーの誕生日も何やら気掛かりな様子だった―。
シーズン13の第8話(最終話)で、これまで通算81話に渡ってトム・バーナビー警部をを演じてきたジョン・ネトルズの最後の主演作ということで、本筋のミステリと併せて、バーナビーが引退を決意するという図太いサイドストーリーがあります。
並行して、バーナビーの気掛かりの元が少しずつ明かされてきて、それは誕生日と同じ日に亡くなった父親に対する思いと(その日に限って、いつもの父親の誕生日と同じように一緒に釣りに行くことをしなかった自分に対する悔恨)、自分も父親と同じ年齢の誕生日、つまり間近に迫っている次の誕生日に死ぬのではないかという不安であったようです(既に誕生日が近づくつれて体調に変調をきたしていた)。
ミステリの方は、サイドストーリーに圧迫されて、スパ経営者の妻と小説を書いているという女性の2人とそれを取り巻く男達の確執の経緯や、犯人の犯行動機とかが分かりにくかったかな。一応、このシリーズではここのところ、犯人が捕まった後、自らの殺人を丁寧に振り返ってくれる傾向にはあるのだけれど。
事件解決後のエピローグに多い目に時間を割き、無事に誕生日を迎えたバーナビーが誕生パーティの席で突然の引退発表、唖然とするジョーンズも、事件現場からの呼び出し電話に当地に転任してきた従兄弟のジョン・バーナビー警部(ニール・ダジョン Neil Dudgeon)を電話口に出させる彼の姿を見て上司の引退を既定の事実として受け入れたのか、事件現場へ向かうために辞去する前に思わずバーナビーにハグ(いい場面!)、残されたジョイスのほっとしたような表情から、バーナビーの引退決意の理由はここにあったのだなあと。
引退はちょっと勿体ない気もしましたが(ジョーンズは今回も思い込みから誤認逮捕
しそうな感じでやや頼りなかったし)、あちらでは自分で引退をする時期を決め、後はリタイア後の人生を楽しむというのがむしろ普通なのかも。バーナビー警部を演じるジョン・ネトルズは1943年生まれで、1997年(54歳)から13年間主役張っており、67歳と言えばかなりいい歳ではありますが。
因みに、このエピソードの中でジョイスがスパで試そうとしたしたフローティングタンクは「アイソレーションタンク」と呼ばれるもので、都内にも利用可能なエステや「癒しのスペース」のようなものがあるみたいですが、装置は外国製のものを使っているようです。海外では、複数人数で浸かれるような大きなタンクもあるようです。
一度利用してみたい気もするけれど、このタンク見ると、ケン・ラッセル監督の「アルタード・ステーツ 未知への挑戦」('79年/米)を思い出して、ちょっと怖い気もしないでもない(少なくとも閉所恐怖症の気がある人は無理だろうなあ)。パディ・チャイエフスキーのSFが原案の映画では、感覚遮断実験のための装置として使われていましたが、タンクそのものの原理はほぼ同じだろうなあ(当時アメリカで、「タンキング」と呼ばれるこの種の瞑想法が流行っていた)。ウィリアム・ハート演じる科学者が、タンクを使って自らを実験台にし、人類進化の過程を意識面で遡っていくが、それが身体にまで影響を及ぼすというものでした(まあ、映画を観ていても、いくら何でもこれはあり得ないとは思いましたが)。
「バーナビー警部(第81話)/安らぎのスパ殺人」●原題:MIDSOMER MURDERS:FIT FOR MURDER●制作年:2011年●制作国:イギリス●本国上映:2011/11/15●監督:レニー・ライ●製作:ブライアン・トゥルー=メイ●脚本:アンドリュー・ペイン●時間:102分●出演:ジョン・ネトルズ/ジェイソン・ヒューズ/ジェーン・ワイマーク/バリー・ジャクソン/カースティ•ディロン/ローラ・ハワード/ニール・ダジョン/ジェイソン・デュール●日本放映:2013/10/25●放映局:AXNミステリー(評価:★★★☆)
「アルタード・ステーツ 未知への挑戦」●原題:ALTERD STATES●制作年:1979年(米国公開1980年)●制作国:アメリカ●
監督:ケン・ラッセル●製作:ハワード・ゴットフリード●脚本:シドニー・アーロン●撮影:ジョーダン・クローネンウェス●音楽:ジョン・コリリアーノ







「ダイ・ハード シリーズ」の中で一番面白かったのはやはり第1作の「ダイ・ハード」('88年)であり、「テロ集団に襲われたロサンゼルスの高層ビル」という設定を生かして、縦のアクションに徹したのが成功した1つの要因だったと思います。
ブルース・ウィリス演じるニューヨーク市警マックレーン刑事は、これまでに無かった新たなヒーロー像を産み出した言えるし(その"嘆き節"も受けた)、マックレーンが高層ビル内で孤軍奮闘する状況の中、外部から無線の声だけでサポートする黒人刑官(レジナルド・ヴェルジョンソン)との男同士の見えない絆なども、観客を熱くさせるものがあったと思います。
また、英ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身のアラン・リックマン(1946-2016/享年69)演じるテロリストも良かったです。アラン・リックマンは「ロビン・フッド」('91年/米)でもケビン・コスナー演じるロビンの敵役の悪役を演じましたが、半ばコメディ仕立てということもあってか、「ダイ・ハード」で見せたほどの凄味や演技のキレはありませんでした(但し「ロビン・フッド」の演技で英国アカデミー賞助演男優賞を受賞している)。「ダイ・ハード」での好演は、リックマンの落下シーンで事前に打ち合わせていたタイミングより早く彼を落下させ、"素"の驚きの表情を撮るなどした、ジョン・マクティアナン監督の演出の妙にあるのでしょうか(撮影は、後に「スピード」('94年/米)を監督することになるヤン・デ・ボン)。
「ダイハード2」('90年)は、スイス出身で、「エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター最後の反撃」('88年/米)を撮ったレニー・ハーリンの監督作です。「エルム街の悪夢」シリーズは'84年から'97年までの間に7作作られいて、ライバルシリーズであった「13日の金曜日」シリーズは'88年から'02年までの間に10作作られています('03年には「フレディ vs ジェイソン」が作られている)。「エルム街の悪夢4」は「フレディ対超能力少女」で、その前に観た「13日の金曜日 PART6/ジェイソンは生きていた!」('86年/米)が、"ジェイソン"はコメディアンだったのか?と思えるほど怖くなかったのですが、「エルム街の悪夢4」
におけ
る"フレディ"のコメディアン化は、ジェイソンのそれを上回っているように思えました。そんなこともあって、「ダイハード2」も劇場に行くのをためらわれたのですが、劇場で観たらまあまあの出来だったでしょうか。但し、雪のワシントン・ダレス空港を舞台に(原作はウォルター・ウェイジャー『ケネディ空港/着陸不能』)、旅客機
の爆発、滑走路の大火災とスペクタル・シーンが大掛かりになった分だけ主人公のマックレーン刑事がスーパーマン化し、「1」と比べると大味な印象を受けました。レニー・ハーリンは、この後、シルヴェスター・スタローン主演の「クリフハンガー」('93年/米・仏・日)を撮っています(「ダイハード2」の終盤のクライマックスシーンでのマックレーン刑事が懐からライターを取り出すところから、彼がまだ喫煙者であったころが窺える)。
「ダイハード3」('95年)で監督をマクティアナン、舞台をニューヨークに戻して原点回帰? ニューヨーク市内で突如爆弾テロが発生し、「サイモン」と名乗る犯人は警察に電話し、ジョン・マクレーンを指名する。嫌がらせの様に、黒人達が多く住むハーレムのど真ん中で、「黒ん坊は嫌いだ(I hate Niggers)」というカードを下げさせられたマクレーンは、自身が白人である事も災いし、当然それを見た黒人ギャング達に半殺しにされかける。しかし、その近くで店を経営する黒人の男・ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)に助けられ、それを知り、面白くなかったサイモンの指示によって、2人は行動を共にする事になるというあらすじ。
マクレーンに協力する黒人ゼウスを演じたサミュエル・L・ジャクソン(前年の「パルプ・フィクション」('94年/米)で一気に知名度をアップさせていた)、敵役サイモンを演じたジェレミー・アイアンズと(個人的には「運命の逆転」('90年/米)以来だったなあ)、共に演技達者で、途中まではそれなりに楽しませてくれましたが、途中から主人公のスーパーマン化は前作より更に進行し、最終的には一層大味な作品になってしまいました。
因みに、マクレーンとその敵役サイモンの右腕タルゴ(ニック・ワイマン)との格闘シーンで、相手がデカくて(ニック・ワイマンは身長196㎝))脚に杭を刺されても痛みを感じずマクレーンを追い詰める怪物ぶりであるため、マクレーンが「お前『アダムズのお化け一家』に出てなかったか?」と言いますが、TVドラマ「アダムズのお化け一家」の映画化作品「アダムス・ファミリー」('77年/米)(テッド・キャシディ(身長206㎝)がアダムス一家に仕える巨人の執事を演じた)のリメイク作品が、バリー・ソネンフェルド監督の「アダムス・ファミリー」('91年/米)でした。ブルース・ウィリス自身は、メリル・ストリープとゴールディ・ホーンが、永遠の若さと美貌を賭けて女のバトルを繰り広げるロバート・ゼメキス監督のブラックコメディ「永遠に美しく...」('92年/米)で、二人の間でオロオロするばかりの整形外科医役で出ていて、これもまた"不老不死"映画でした。
「ダイハード3」の12年後に作られた「ダイハード4.0(フォー)」('07年)では(いきなりマクレーンの娘が出てきた)、不正にネットワークへアクセスするハッカーを利用して、政府機関・公益企業・金融機関への侵入コードを入手したテロリストがライフラインから防衛システムまでを掌握し、サイバーテロによって全米を揺るがすという設定で、それでもテロリストとまともに戦ってい
るのは(若いハッカーを従えた)マクレーンただ1人という不思議な設定で、彼の娘は例のごとくテロリストの人質に。一部にサイバー合戦も見られますが、遂には国防省から最新鋭戦闘機F-35まで出てきてしまって、これが結構間抜けな役回りで、通信システムを掌握するテロリストのミスリードでマクレーンを攻撃(いくら命令とは言え、街中のハイウェイで戦闘機が機銃を乱射するかなあ)、これはもう、カネをかければいいものが出来ると勘違いしているのではないかと思わざるを得ません。マクレーンはトラックから戦闘機に飛び乗り、戦闘機からハイウェイに舞い降りと、殆ど人間ではあり得ない超絶アクションで、これまた更に大味に。まあ、自分の中では既に「3」でこのシリーズは終わったという印象ではありましたが...。
最近作のシーリズ第5作となる「ダイ・ハード/ラスト・デイ」('13年)は、舞台をシリーズ初の海外であるロシアに移しての展開でしたが(今度はいきなりマクレーンの息子が出てきた)、周囲の迷惑を顧みない滅茶苦茶なカーチェイスから始まって(巻き添えの死傷者が何十人と出てもおかしくない)、ラストでは女性敵役がマックレーンに対する怨みからヘリコプターで突っ込んでくるという、殆ど盲目的自爆の様相。彼女イリーナ(ユーリヤ・スニギル)はそれまで何のためにマックレーンを欺こうとしていたのか。もう完全にリアリティとはサヨナラした上に、ストーリーまでも破綻気味―「3」以降「5(ラスト・デイ)」まであまり評価する気にならないのですが、「5」はこれまでの中で最も劣るように思いました。 「
「ダイ・ハード」●原題:DIE HARD●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・マクティアナン●製作:ローレンス・ゴードン/ジョエル・シルバー●脚本:スティーヴン・E・デ・スーザ/ジェブ・スチュアート●撮影:ヤン・デ・ボン●音楽:マイケル・ケイメン●原作:ロデリック・ソープ「ダイ・ハード」●時間:131分●出演:ブルース・ウィリス/アラン・リックマン/アレクサンダー・ゴドノフ/ボニー・ベデリア/レジナルド・ヴェルジョンソン/アート・エヴァンス/ウィリアム・サドラー●日本公開:1989/02●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:渋谷東宝(89-02-12)●2回目:三軒茶屋映劇(89-07-01)(評価:★★★★)●併映(2回目):「レッド・スコルピオン」(ジョセフ・シドー)








プソン●日本公開:1990/09●配給:20世紀フォックス(評価:★★★)


「13日の金曜日 PART6/ジェイソンは生きていた!」●原題:FRIDAY THE 13TH PART6:JASON LIVES●制作年:1986年●制作国:アメリカ●監督・脚本:トム・マクローリン●製作:ドン・ビーンズ●撮影:ジョン・R・クランハウス●音楽:ハリー・マンフレディーニ●時間:87分●出演:トム・マシューズ/ジェニファー・クック/デヴィッド・ケーガン/トム・フリドリー/レネー・ジョーンズ/ケリー・ヌーナン/トニー・ゴールドウィン/ナンシー・マクローリン/ヴィンセント・ガスタフェッロ/ロン・パリロ●日本公開:1986/10●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:東急レックス(89-04-30)(評価:★★)




![ダイ・ハード4.0 [DVD].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%894.0%20%5BDVD%5D.jpg)
「ダイ・ハード/ラス
ト・デイ」●原題:A GOOD DAY TO DIE HARD●制作
年:2013年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ムーア●製作:アレックス・ヤング●脚本:スキップ・ウッズ●撮影:ジョナサン・セラ●音楽:マルコ・ベルトラミ●キャラクター創造:ロデリック・ソープ●時間:98分(劇場公開版)・102分(最強無敵ロング・バージョン)●出演:ブルース・ウィリス/ ジェイ・コートニー/セバスチャン・コッホ/メアリー・エリザベス・ウィンステッド/ユーリヤ・スニギル/ラシャ・ブコヴィッチ●日本公開:2013/02●配給:20世紀フォックス(評価:★★)![Father Brown Series 1 [DVD] [2013].jpg](http://hurec.bz/book-movie/Father%20Brown%20Series%201%20%5BDVD%5D%20%5B2013%5D.jpg)

「ブラウン神父」のBBCによる新シリーズの第5話から第10話。神父(マーク・ウィリアムズ)をはじめ、事件解決のため村の噂話や情報を入手する秘書的なおばさんのマッカーシー夫人(ソーチャ・キューザック)、家政婦のポーランド娘スージー、その恋人で運転手のシド、有閑マダムっぽいフェリシアなど、ブラウン・ファミリーは固定されていて、ブラウン神父と競合し、いつも神父に先を越されて苦々しい思いをしているバレンタイン警部補(ヒューゴ・スピアー)も毎回登場、1時間枠ということもあって、まあ、安心して気楽に観ることができるシリーズといった感じでしょうか。
第6話「キリストの花嫁」(The Bride of Christ)(Director:Ian Barber)は、同名の邦題原作が見当たりません。教会で修道女シスター・マグダレンが突然倒れて死亡、バレンタイン警部補やブラウン神父は、青酸中毒死を疑う。確認したところ修道院内にワイナリーがあり、ワインの中の銅や鉄を除去するために薬品が大量に置かれていることを知る―。
第7話「悪魔の塵」(The Devil's Dust)(Director:Dominic Keavey)も、同名の邦題原作が見当たりません。村のルースという少女は子供の頃から、背中にアザのような症状が出ていたが、ルースの主治医エバンズは急に辞めてしまう。ルースは、友達からも伝染病と誤解され無視されていた。さらに父親ジェフリーの研究が症状の原因だと噂されていた―。
第8話「死者の顔」(The Face of Death)(Director:Matt Carter)も、同名の邦題原作が見当たりません。ダニエルの父親が車に轢かれて数週間後に死亡。ダニエルは運転していたマーガレットに「罪を償え」と電話をする。夫のパトリックは警察に連絡しようとするが、マーガレットは忘れたい過去だと対処しない。ある日、2人の家でチャリティパーティが開催される―。
第9話「市長とマジシャン」(The Mayor and the Magician)(Director:Dominic Keavey)も、これも同名の邦題原作が見当たりません。市長ウィリアムと妻のエレノア、娘のキャサリンが村を訪れ、マッカーシー夫人は張り切ってイベントを指揮し、市長一家を盛大に迎える。市長は、スージーが暮らすポーランド人収容施設にポーランド人小学校を建てるプロジェクトに賛同していた―。
第10話「青い十字架」(The Blue Cross)(Director:Ian Barber)は、原作では第1短編集『ブラウン神父の童心』(The Innocence of Father Brown、1911年刊行)の第1話と同名タイトル。ブラウン神父に「泥棒を捕えるには十字架を見張れ」という手紙が届く。すぐに教会に飾られた青い十字架を見に行くと、十字架の横に「F」と刺繍されたハンカチを見つけ、「フランボウ」という指名手配中の泥棒が青い十字架を狙っていると警部補らに告げる―。
後に改心してブラウン神父の手足となる大泥棒エルキュール・フランボウが登場。やっと原作と同じタイトルのものが出てきたかと思ったら、かなり原作を改変しているような印象を受けました。犯人当て(要するにフランボウが化けているのは誰かということ)が主題になっていて、但し、神父がそれを見破る根拠などは原作を踏襲していたりもします(評価★★★☆)。


第1話「神の鉄槌」(The Hammer of God)(Director:Ian Barber)は、『ブラウン神父の童心』所収のものと同じ邦題。ブラウン神父は、ボーハン牧師が新しい時計台をお披露目するパーティーに参加していた。一方、牧師の弟であるノーマンは、招待されていないにもかかわらず、パーティーに現れ、周囲の人に悪態をつくき、更に、シメオン・バーンズとケンカを始める―。
第2話「飛ぶ星」(The Flying Stars)(Director:Ian Barber)も、『ブラウン神父の童心』所収のものと同じ邦題。貴族の令嬢、ルビー・アダムズの誕生日パーティーに招かれたブラウン神父とマッカーシー夫人は、バスに乗り遅れたので、領地を横切って邸宅に向かっていた。しかし、到着すると家政婦のスージーから、誕生日パーティーは中止になったと聞かされる―。
第3話「狂った形」(The Wrong Shape)(Director:Dominic Keavey)も『ブラウン神父の童心』所収のものと同じ邦題。ブラウン神父は、レナード・クィントン主催の詩の朗読会に招待され、屋敷には妻マーサの他に、レナードの愛人と噂されるバイオレット、弁護士のハリスがいた。朗読会が始まり、バイオレットはレナードとの関係を匂わす詩を読み、動揺したマーサは席を立つ―。
第4話「木の中の男」(The Man in the Tree)(Director:Dominic Keavey)は、同名の邦題原作が見当たりません。ある日、絵を描こうとフェリシアが森を歩いていると、頭上からうめき声が聞こえ、見上げると負傷した男が下着姿で木に引っ掛かっていた。その頃、ブラウン神父とマッカーシー夫人は、ドイツからの訪問者フランク神父を駅で出迎えていた―。
第5話「アポロの眼」(The Eye of Apollo)(Director:Matt Carter)は、『ブラウン神父の童心』所収のものと同じ邦題。アポロ教会という信仰集団が現れ、パンフレットを村中に配ったため、ブラウン神父はマッカーシー夫人と集会に参加する。集会では、アポロ教会の創始者ケイロンが、戦争で負傷した際に、太陽を通して神からの啓示を得た話を語り始める―。


イラン革命真っ最中の1979年、イスラム過激派グループがテヘランのアメリカ大使館を占拠し、52人のアメリカ人外交官が人質に取られたが、占拠される直前に6人のアメリカ人外交官が大使館から脱出、カナダ大使公邸に匿われる。CIA工作本部技術部のトニー・メンデス(ベン・アフレック)は6人をイランから救出するため、「アルゴ」という架空のSF映画をでっち上げて6人をそのロケハンのスタッフに身分偽変させるという作戦を立てる―。
個人的には、こうした映画の娯楽性を高めるための演出はあってもいいかなとは思います。池上彰氏の言う「史実」には、こうした"細部"の表現は含まれないのでしょう。ベースになっているのは、CIAが17年間公表を控えていた事実であることには違いないし、タイトルにもなっているニセ映画「アルゴ」をでっち上げるという奇抜なアイデアが実行されたのも事実だし、概ね「事実」だと思って観るからこそハラハラし、面白くもあるわけで、そう思って観る方が確かに楽しめるかと思います(仮に全てが創作だとして、それが事前に分かって観ているとすれば、ハラハラ度はずっと低下するに違いない)。
監督兼主演のベン・アフレックって才人だなあと思いました。本人の抑制された演技だけでなく、演出面でも、俳優6人に事前に合宿生活を送らせ、潜伏生活を疑似体験させたという効果は出ているし、エンドロールのサービスカットで、場面ごとにディテールまで忠実に再現したことをアピールするなどの技はなかなかのものです(これで、映画の「全ての場面」が事実通りであると錯覚してしまう?)。
CIAから送り込まれたのは、映画のように主人公1人ではなく2人だったのを、トニー(アントニオ)・メンデス1人に集約させているといったヒロイズム的効果を狙っての改変は許せるとしても、ビザの日付にミスがあって危ういところだったのをカナダ大使館員の1人が気づいて指摘した事実は割愛されているし、非常事態に備えて色々と奔走したカナダ大使が、映画では、いきなりもうこれ以上匿えないからといって6人に緊急出国を余儀なくさせたように描かれているのは、元カナダ大使本人は一応はアメリカから表彰されているせいか苦言を呈さなかったようですが、カナダ側からすれば不満が出て当然の作りのように思えます。
まあ、この作品を観て一番頭にくるだろうと思われるのは、イランの人たちだろうなあ。「強いアメリカ」と言うより「賢いアメリカ」を強調した"愛国"作品と言えるのでは。この作戦が実行された時、アメリカはジミー・カーター大統領の民主党政権で、ベン・アフレックも、この映画のプロデューサーの1人ジョージ・クルーニーも共に民主党及びバラク・オバマ大統領支持者。因みに、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス両監督やロバート・デ・ニーロ、トム・ハンクス、ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン、ウィル・スミスらも民主党支持者であり、一方、クリント・イーストウッド、アーノルド・シュワルツェネッガーら政治家経験者や、ブルース・ウィリス、シルベスター・スタローンらは共和党支持者。支持政党によって、作る映画、出る映画に傾向の違いはあるかも。
「アルゴ」●原題:ARGO●制作年:2012年●制作国:アメリカ●監督:ベン・アフレック●製作:ジョージ・クルーニー/グラント・ヘスロヴ/ベン・アフレック●脚本:クリス・テリオ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:アレクサンドル・デスプラ●原作:アントニオ・J・メンデス「The Master of Disguise」/ジョシュア・バーマン「The Great Escape」●時間:124分●出演:ベン・アフレック/ブライアン・クランストン/クレア・デュヴァル/ジョン・グッドマン/マイケル・パークス/テイラー・シリング/カイル・チャンドラー/アラン・アーキン/ケリー・ビシェ/ロリー・コクレーン/クリストファー・デナム/テイト・ドノヴァン/ヴィクター・ガーバー/ジェリコ・イヴァネク/リチャード・カインド/スクート・マクネイリー/クリス・メッシーナ●日本公開:2012/10●配給:ワーナー・ブラザーズ(評価:★★★☆)

ポワロやミス・マープルに代わって、ラロジエール警視とランピオン刑事のコンビが事件を解決していく「フレンチ・ミステリー」の2012年の作品で、「AXNミステリー」で放映された際は第9話でしたが、もともと「フランス2」での放映では「第11話」となっています。このシリーズは2013年4月に第13話が放映されていますが、アントワーヌ・デュレリ(ロジエール)、マリウス・ コルッチ(ランピオン)コンビとしてはこの「第11話/エッジウェア卿の死」が最終出演作品でした(日本での放映は本国放映(9/14)の翌日(9/15)であり、この日はクリスティの誕生日だった)。
往年の大女優が夫と離婚したがっているのは原作と同じですが、この夫は原作にあるエッジウェア「男爵」ではなく、かつては名優で今はアル中の「役者」という設定になっていて、大女優は彼と別れて伯爵(原作では「公爵」)と結婚したいと思っているけれど、今はとりあえず夫と「ドン・ジュアン」の舞台稽古をしている―ところが夫はいつもへべれけで稽古はままならず、これには大女優も舞台監督(オカマっぽい)も切れてしまう。一方、ラロジエール警視は昔から憧れていた大女優に会うことが出来て感激し、彼女を崇拝するあまり、捜査の方はやや片手間気味で、しかも、そこへ娘が行方不明になるという事態が発生し、なおさらそれどころではないといった状況に。そんな中、大女優の夫が殺害されますが、大女優の要請で代役でなんとラロジエールがドン・ジュアンを演じることに。更に、大女優の付き人の元女優(原作では有名女優の形態模写を得意とする新進女優)が殺害されます。一方、絞殺魔の劇場の管理人を追って娘の行方を突き止めたラロジエールが、娘共々管理人に殺さそうになったところへランピオン刑事が駆けつけ、あわやのところでの逆転劇。これで絞殺魔が犯した倒叙型の事件は決着。絞殺魔の最期の言葉から、大女優の夫と付き人を殺害した犯人は別にいると察したラロジエールは、犯人と思しき人物にある罠をかける―。
大女優の夫を殺害したのが大女優自身であり、アリバイ作りに自分にそっくりの真似ができる女性をパーティに出席させていたというのは原作と同じ。更に、パーティの席上で古代エジプト文明についての知識を披瀝したのが大女優の偽者であったことを確認するために、ラロジエールが大女優にエジプト風の置物をプレゼントしたというのも、原作のモチーフを一応は踏襲しています(原作では、別々のパーティに出席した同一女性であるはずの人物の教養の格差に気付き不審に思った俳優がポワロに相談をしようと電話するが、その前に殺害されてしまう。大女優よりも「新進女優」の方が教養があったということだが、ここでは大女優よりも「付き人」の方が教養があったということになっている)。
「クリスティのフレンチ・ミステリー(第11話)/エッジウェア卿の死」」●原題:LES PETITS MEURTRES D'AGATHA CHRISTIE/ LE COUTEAU SUR LA NUQUE(Lord Edgware Dies)●制作年:2012年●制作国:フランス●本国上映:2012/9/14●監督:ルノー・ベルトラン●脚本:Thierry Debroux●出演:アントワーヌ・デュレリ/マリウス・コルッチ/A Maruschka Detmers/Jean-Marie Winling/Alice Isaaz/Guillaume Briat/Julien Alluguette/Frédéric Longbois●日本放映:2012/09/15●放映局:AXNミステリー(評価:★★★)


ダニエル・クレイグ(Daniel Craig)などは最初見た時は、ジェームズ・ボンドと言うよりもボンドの敵役のスナイパーかなにかのような印象で、最初の出演作「007 カジノ・ロワイヤル」('06年/英・米)がシリーズ第21作でありながら原作の第一作ということもあって(かつて'67年にパロディとして映画化された)、かなり今までのボンド像と違った印象を受けましたが(肉体派? 若気の至りからか結構窮地に陥る)、演じていくうちに独自のボンド像が出来上がっていき、彼自身にとっての第3作「007 スカイウォール」('12年/英・米)あたりになると、もうすっかりそれらしく見えます。
サム・メンデス監督による「007 スカイウォール」はそこそこ楽しめました。特に前半部分は映像と音楽に凝っていたように思われ、それに比
べると後半はドラマ重視性重視だったでしょうか。ジェフリー・ディーヴァーの本書『白紙委任状』におけるボンドの上司"M"は、映画と異なり男性ですが、ジュディ・デンチ(Judi Dench)演じる"M"が「スカイウォール」で殉職することは以前から決まっていたということなのでしょう(因みに秘密兵器開発担当の"Q"も配役が入れ替わった。そして、"ミス・マネーペニー"もナオミ・ハリス演じるイヴに入れ替わり)。「スカイフォール」の製作は、MGMの財政難のために2010年の間は中断されていたとのことです。結局、製作費は前作「慰めの報酬」の2億ドルから1億5千万ドルに抑えられ、それが前半と後半の手間のかけ方の違いに表れているような気がしないでもありませんが、興業的にはかなりの成功を収めたようです(チッケト代のインフレ調整をした上での比較で、シリーズ中、「サンダーボール作戦」「ゴールドフィンガー」に次ぐ興行収入だとか)。
ベレニス・マーロウ(Bérénice Marlohe)演じるボンド・ガー
ルが(ボンドが助け出すと約束していたにも関わらず)早々に犯人に殺害されてしまうとか、犯人の犯行目的が、"M"への復讐という個人的怨念に過ぎないものであるとか、冒頭の派手なアクションや前半の凝ったシークエンスに比べると、後半はボンドの実家に籠って
「ホーム・アローン」風の戦いになってしまい、前半ではディーヴァーの小説の犯人並みにサイバー攻撃をしていた敵役も、ここへきて火薬を使いまくるだけの芸の無い攻撃しかしなくなるとか、もの足りない面は少なからずありますが、ダニエル・クレイグのボンド像そのものは悪くなく、ディーヴァーもインタビューで、自身が映画のプロデューサーだったら、今回の作品のボンド役には誰をキャスティングするかと訊かれて「個人的にはダニエル・クレイグが気に入っている」と言ってます。
バーバラ・ブロッコリ●脚本:ジョン・ローガン/ニール・パーヴィス/ロバート・ウェイド●撮影:ロバート・エルスウィット●音楽:トーマス・ニューマン[●原作:イアン・フレミング●時間:143分●出演:ダニエル・クレイグ/ハビエル・バルデム/レイフ・ファインズ/ナオミ・ハリス/ベレニス・マーロウ/アルバート・フィニー/ベン・ウィショー/ジュディ・デンチ/ロリー・キニア●日本公開:2012/12●配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント(評価:★★★☆)

ある日、ランピオン刑事(マリウス・コルッチ)が歩いていると怪しげな男が近づいてきて、男はルブランという浮気調査の探偵だった。君は出世の道をラロジエール警視(アントワーヌ・デュレリ)に邪魔されているとランピオンに話すルブランは、ランピオンを探偵社にスカウト、常日頃のラロジエールの横暴に耐えかねていたランピオンは、警察を辞め、探偵社に転職する。その探偵社に一人の女性マリー(プリュンヌ・ブシャ)が訪ねてきて、死んだと聞かされていた母親が夫殺しの罪で獄中にあることを最近知り、画家である父親は心臓発作で亡くなったと聞かされていたのだが、その15年前の出来事の真相を知りたいと調査依頼する。元上司のラロジエールを見返すべく、ランピオンは調査に奔走、事件は、女性の母親が、愛人を同じ屋敷内に住まわせた夫に対して嫉妬し、毒入りのビールを飲ませたというものだったが、マリーは母親の無実を信じていた―。
原作では、16年前に画家である夫を殺害したとして死刑を宣告され、その1年後に獄中で死亡した母の無実を訴える遺書を読んだ若き娘が、母が潔白であることを固く信じポアロのもとを訪れる―というものですが、この映像化作品では母親は獄中にて存命しています。
加えて、本編冒頭からラロジエール警視の横暴に不満の募るランピオン刑事の探偵社への転職話があったりして、原作が非常に完成度の高い構成を備えた傑作であるため、あんまり極端な改変をしないで欲しいなあと思って観ていましたが、まあ、上司・部下の関係の展開はサブストーリーであって、観終わってみれば、本筋の部分では原作をそう外れておらず、むしろ、母親がなぜ自身の無実を娘に伝えながらも公には冤罪を主張することをしなかったのか、或いは、なぜ犯人は被害者に対して殺意を抱いたのか、などといったことが状況と併せてスンナリ分かるものとなっています。
原作では、事件当時の5人の関係者それぞれにポワロが会って、過去の事件の状況を訊いて回り、まるで童謡にある「五匹の子豚」のような行動をとった5人に"レポート"まで出させるわけですが、さすがに"レポート"提出まではないものの、最後に関係者を集めて謎解きをしてみせるのは原作と同じ。しかもそこへ、存命だった(であることにしてしまった)母親が疑い晴れて釈放されて現れるというハッピーエンドで、冒頭で母親が絞首刑になる場面を入れた改変を行っているデヴィッド・スーシェ版(第50話、2003年)の暗さの対極にある、このシリーズならではの明るさです。カタルシス効果もあって良かったのではないかと思います。
原作では、母親が被害者の殺害現場にあったビール瓶の指
紋を拭ったのを見たと言う元家庭教師の後からの証言から、それこそ彼女が犯人ではないことを証明するものだというポワロの洞察が導かれるわけですが、この映像化作品では、当時5歳くらいだった娘に、二十歳過ぎの今になって、母親のそうした所為を見た記憶が甦ってくるというふうに改変されていて、これは改変する必要があったのかなとも。
そう言えば、「刑事コロンボ」の中にも、「殺意のキャンバス」(Murder, a Self Portrait、第50話、1989年)という、3人の女性(妻・前妻・愛人)と海辺のコテージで暮らす天才画家の話がありました。こうした状況設定のモデルはパブロ・ピカソ(1881-1973)だそうです。
「殺意のキャンパス」の方は、前妻は隣りのコテージに住んでいますが、今の妻と絵のモデルの愛人は自分のコテージに同居させていて、何れにせよ、妻妾同居はトラブルの元―といったところでしょうか。
って描いていたとうことをアリバイに、実は既に出来上がっていいる絵を持ち込んで、その間にアトリエを抜け出して海辺で日光用中の前妻を殺害するというもの。3人の女性との暮らしがギクシャクして、前妻を殺したら多少は落ち着くかと思ったら、現在の妻も愛人も画家の自己チューぶりに愛想をつかして出て行ってしまうという展開も皮肉がよく効いていて、80年代終わりに始まった新・シリーズの中では、比較的よく出来ている方ではないでしょうか。
このシリーズのコメディっぽいシーンに欠かせない俳優ヴィト・スコッティは、新旧シリーズ通して6話に登場していて、これが最後となりました。この作品以前は、第19話「
督:エリック・ウォレット●脚本:シルヴィ・シモン●出演:アントワーヌ・デュレリ/マリウス・コルッチ●日本放映:2011/09●放映局:AXNミステリー(評価:★★★☆)
「刑事コロンボ(第50話)/殺意のキャンバス」●原題:MURDER, A SELF PORTRAIT●制作年:1989年●制作国:アメリカ●監督:ジェームズ・フローリー●製作:スタンリー・カリス●脚本:ロバート・シャーマン●音楽:パトリック・ウィリアムズ●時間:90分●出演:ピーター・フォーク/ロバート・フォックスワース/パトリック・ボーショー/フィオヌラ・フラナガン/シーラ・ダニーズ/イザベル・ロルカ/ヴィト・スコッティ/ジョージ・コー/デヴィッド・バード●日本初放送:1994 /11●放送:NTV:★★★☆)


そもそも原作では、「退役大佐の家の書斎」で若い女の死体が見つかることになっているのが、何と、このシリーズの探偵役であるラロジエール警視の「自宅」で女の死体が見つかってしまうわけで、冒頭からビックリ。これ、爆笑パロディ版なのかと。
原作では、被害者の女性がホテル付きのダンサーであったことから、ホテルを舞台に謎解きが進むわけですが、こちらは「ホテル」ではなく「売春宿」になっていて、しかも、ラロジエール警視の馴染みの店であるというのが笑えます。拘禁の身にあったラロジエールは、移送中に脱走し、売春宿に逃げ込んでそのままそこを根城にしてしまう―。
事件の源となる大金持ちの老人も、高級ホテル住まいの客ではなく、売春宿の女に惚れてそこに滞在し続けているという設定で、原作はこのホテル住まいの大富豪を中心に関係者の姻戚関係がかなり複雑なのですが、そこは放蕩癖のある「娘婿」を「実の息子」に置き換えたり、「息子の嫁」も方は出てこなかったりして、やや端折っています。
前半は第一容疑者としてラロジエール警視に容疑がかかっているため、その無実を晴らせるかどうかは、ランピオン君にかかっているという感じすが、ラロジエール警視の指示で、ホモセクシャルの彼が嫌々ながら売春宿に行った揚句、宿の経営を手伝っているハンサム男とホモ達になってしまうのは、このシリーズならでは(何と、ホモ達同士ベットで知恵を出し合う。そして、ランピオンがその彼を犯人ではないかと疑ってしまったことで二人の仲は決裂、そのことをランピオンは後々まで悔いる―という、この部分だけでBL的なストーリーが1つ仕上がっている)。
個人的には原作を大きく捻じ曲げているものはあまり好きではないのですが、このシリーズは最初から「改変の妙」を楽しむものであってあまり気にならず、この作品などは、冒頭どうなることかと思ったけれど、結局は、意外とプロットの根幹部分は変えずに、どう"味付け"するかにこだわっているなという感じ。
「クリスティのフレンチ・ミステリー(第9話)/書斎の死体」」●原題:LES PETITS MEURTRES D'AGATHA CHRISTIE/ UN CADAVRE SUR L'OREILLER(BODY IN THE LIBRARY)●制作年:2011年●制作国:フランス●本国上映:2011/10/28●監督:エリック・ウォレット●脚本:Sylvie Simon ●出演:アントワーヌ・デュレリ/マリウス・コルッチ/Valérie Sibilia/Juliet Lemonnier/Nicolas Abraham/Charles Templon/Vernon Dobtchef●日本放映:2012/09●放映局:AXNミステリー(評価:★★★☆)

20歳のサーシャは閉じ込められていた精神病院から脱出し、密かに所持していた大金で空き家となっていた邸宅を購入して身を潜めるが、その最初の晩から、邸の階段下に血まみれになった女性の姿が見えるという恐ろしい幻想に苛まれる―。
冒頭、若い女性(サーシャ)が電気ショック療法を受けているという、原作には全く無いシーンから始まるので、何だ、こりゃ、という感じも。一方、ラロジエール警視とランピオン刑事は、冒頭から女性精神分析学者の講義を受けていて、ラロジエール警視はこの女性が気になるようで、と思ったら女性の方から逆アプローチを受けて、どっぷり情事にハマるという―。
おい、おい、こんな女性、原作には出てこないよと思いつつ、更に原作には無い殺人事件が早々に起き、サーシャが第一容疑者に。そんなサーシャを救おうと、ホモセクシャルが定着していたはずのランピオン刑事が「女性で愛せるのは君だけだ」と奮闘、女性精神分析学者との交際でインポテンスになってしまったため生きがい喪失気味のラロジエール警視と、上司-部下関係を逆転させたロールプレイを演じつつ、現在と過去の両事件の解決にあたるという―あ~あ、何だかドタバタ喜劇みたい。
ということで、振り却ってみれば、まあまあ真っ当な翻案になっていたと言えるかも。ユーモアナ乃至エスプリと(かなり"お遊び"しているが)、どろっとした気味悪さが混在した、このシリーズらしい作品でした。







1939年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品(原題:Ten Little Niggers (米 Ten Little Indians) (改題:And Then There Were None))で、1982年実施の日本クリスティ・ファンクラブ員の投票による「クリスティ・ベストテン」で第1位になっているほか、早川書房主催の作家・評論家・書店員などの識者へのアンケートによる「ミステリが読みたい!」の2010年オールタイムベスト100の第1位、2012年実施の推理作家や推理小説の愛好者ら約500名によるアンケート「
この作品がよく読まれる理由の一つとして、10人もの人間が亡くなる話なのに長さ的には他の作品と同じかやや短いくらいで、テンポよく読めるというのもあるのではないでしょうか(しかも、後半にいくほど殺人の間隔が短くなる)。その分、登場人物の性格の描写などは極力簡潔にとどめ、心理描写も他の作品に比べると抑制しているように思います。まあ、あまり"心理描写"してしまうと「叙述トリック」になってしまうからでしょう。
ところが、これは実は一部に訳者の清水俊二(1906-1988)の誤訳があって、正しく訳せば、例えば残り5名になった時の5人の心理描写の内の問題の1つは、当事者それなりのあることを警戒する心理を描いたと解することができるものであり、クリスティが巧妙に(アンフェアにはならないように)仕掛けた「叙述トリック」に訳者の清水俊二自身が嵌ってしまったとする見方があります(但し、清水俊二訳は誤訳には当たらないという見方もある)。
トリックを通り越して読者をミスリードするものになっているという指摘であり、後の清水俊二訳('03年・クリスティー文庫版)ではこの部分は「娘...」のみに修正されています(この時点で清水俊二は15年前に亡くなっているわけだが)。因みに、2010年に清水俊二訳と入れ替わりにクリスティー文庫に収められた青木久恵氏の訳(表紙はハヤカワ・ミステリ文庫の1976年4月初版の真鍋博のイラストを復刻)では、この部分は「あの娘だな...」となっています。何れにせよ、"娘"のことを「次は自分の命を奪うかもしれない犯人ではないか」と怪しんでいるのではなく、「自分の計画を失敗に終わらせる原因となるのではないか」と警戒を強めているといった解釈に変更されているのが最近の翻訳のようです。



(●2015年制作の英BBC版テレビドラマは、時代が現代に置き換えられていて、10人のうち数人の属性(過去に犯した殺人の方法や動機など)が微妙に改変されているが、ラストは「戯曲」に沿ったこれまでの映画化作品と違って、原作「小説」の通り全員が"いなくなる"ものだった。)


「アガサ・クリスティー そして誰もいなくなった」(全3回)●原
題:& Then There Were None●制作年:2015年●制作国:イギリス●本国放送:2015/12/26~28●演出:
クレイグ・ヴィヴェイロス●製作:ダミアン・ティマー/マシュー・リード/サラ・フェ
トビー・スティーヴンス/ダグラス・ブース/バーン・ゴーマン/ミランダ・リチャードソン/ノア・テイラー/アンナ・マックスウェル・マーティン●日本放送:2016/11/27●放送局:NHK-BSプレミアム(評価:★★★☆)
去に犯した殺人の方法、動機も変更されているが、BBC版と同じく、最後は原作「小説」の通り全員が"いなくなる"。そうなると、上述の通り、謎解きをする人がいなくなり、この問題をクリアするため、最終盤で沢村一樹演じる警視庁捜査一課警部・相国寺竜也が登場、彼がリードして捜査し(この部分はややコミカルに描かれている)、犯人が残した手紙ならぬ映像メッセージに辿りついて事件の全容が明らかになるという流れ。

2017年3月25日・26日の2夜連続ドラマの各冒頭で、3月14日に亡くなった渡瀬恒彦が出演した「最後の作品」であることを伝えるテロップが表示され、エンディングで「このドラマは2016年12月20日から2017年2月13日に掛けて撮影されました。渡瀬恒彦さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます」と流れる。クランクアップの1ヵ月後に亡くなった渡瀬恒彦は、実際に自らが末期がんの身でありながらドラマの中で末期がん患者を演じており、その演技には鬼気迫るものがあった。警部役の沢村一樹の演技をコミカルなものにしたのは、全体として"重く"なり過ぎないようにしたのではないかと思ってしまったほど。同じく和泉聖治監督により2018年には「



シャーロック・ホームズ(ベネディクト・カンバーバッチ)のもとに、ダートムアから依頼人ヘンリー(ラッセル・トヴェイ)がやってくる。ダートムアの荒野には政府の科学生物兵器研究施設「バスカヴィル」があり、極秘の実験が行われているという噂があった。ヘンリーは20年前、7歳のときに父親が悪魔のような巨大な犬「ハウンド」に殺されるのを目撃。ショックが生み出した妄想かと思ったが、昨夜、再びその現場で巨大な「ハウンド」の足跡を発見したという。ホームズらは怪物の正体探るためダートムアに向かう―。
「バスカヴィルの犬(ハウンド)("The Hounds of Baskerville")」は、「ベルグレービアの醜聞」に続く「SHERLOCK(シャーロック)」第2シーズン第2話(通算第5話)で、原作は当然のことながら「
この作品、ダートムアの荒涼としたイメージをどう描くかがポイントかと思って観ましたが、ダートムアが既に"魔犬が出る地"として心霊スポット的な観光地になっていて、ホームズとワトスンは、幼少期に自分の父親がダートムアの窪地で魔物に襲われて殺されるところを見たという青年に導かれて夜のダートムアを走り回るけれども、偽造IDカードで基地内にも潜入して実験施設内も探索するということで、原作のおどろおどろしさは半減しています。
一方で、基地内では怪しげな動物実験が行われていて、先にあった「発光ウサギ」が逃げ出したという、ホームズが一旦は調査の依頼を袖にした"珍事件"もこうした実験と関係があるらしい(下村脩氏が発見したオワンクラゲの緑色蛍光タンパク質を注入した発光ネズミというのは写真で見たなあ)―となると、いよいよ近未来型の「バスカヴィルの犬」の登場かと思ったら、結局は意外としょぼい仕掛けだったと言うか(まあ、怪獣映画になってもマズイわけだけれど)、結末だって怪しげな人物はやっぱり怪しかったし...。
前作「ベルグレービアの醜聞」が"エロス趣向"だとすれば、こちらは"サイエンス趣向"と言え、毎回趣向を変えてくる努力は買いますが、これは今一つノレなかった...。
この原作の映像化作品は、「犬」の登場の場面で90年代からCGが使われていますが、この作品でCGであれだけハッキリ見せる必要はなかったのではないかな。前半部分でモンタージュ的な手法を使って「犬」を見せないでいたのに、あそこで登場人物の主観に合わせて見せてしまったら、前後の整合が取れないのでは。
「SHERLOCK(シャーロック)(第5話)/バスカヴィルの犬(ハウンド)」●原題:SHERLOCK:THE HOUNDS OF BASKERVILLE●制作年:2011年●制作国:イギリス●本国放映:2012年1月8日●演出:ポール・マクギガン●脚本:マーク・ゲイティス●出演:ベネディクト・カンバーバッチ/マーティン・フリーマン/ルパート・グレイヴス/ユナ・スタッブス/マーク・ゲイティス/ラッセル・トヴェイ●日本放映:2012/07●放映局:NHK-BSプレミアム(評価:★★★)

ベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)主演の「SHERLOCK(シャーロック)」は、2010年から始まったBBC製作のドラマで(日本での放映は2011年8月から)、本作「ベルグレービアの醜聞("A Scandal in Belgravia")」は、第2シーズン第1話(通算第4話)にあたり、本国放映は2011年1月、日本ではNHK-BSプレミアムで2012年7月に放映されました。
タイトルからも分かるように、コナン・ドイルの短編集でも最も人気のある第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の中の第1作「ボヘミアの醜聞("A Scandal in Bohemia")」(1891年初出)がオリジナルですが、元が短編なので、このTVシリーズ独特の現代風アレンジに加え、話を膨らませるだけ膨らまして、その上で大幅な改変もしているという印象でしょうか。個人的にはそれなりに面白かったです。
原作の敵役であり実質ヒロインでもあるアイリーン・アドラーは、シャーロック・ホームズが「あの女性 (the woman)」と唯一定冠詞をつけて呼ぶ特別な存在になるほどの女性ですが、これがドラマでは、アイリーン(ララ・パルバー、Lara Pulver)の家に無理矢理入り込んだホームズ(原作では怪我して運び込まれたことになっている)の前にいきなり全裸で現れるという趣向で、しかも、両性を手玉に取る所謂"両刀使い"というのがスゴイね。
その他にもいっぱい"遊び"があるけれど、原作の、ホームズがワトスンに発煙筒を焚かせて、依頼主から奪還を要請されている写真(ドラマでは携帯電話に収められている)の在り処を「アイリーンの目線」から探り当てる場面など、細かいところはオリジナルを踏襲したりしているのが憎いなあと。
前半は殆どアイリーンにホームズが振り回されっ放しですが(原作でもホームズより能力的に優れていることになっている)、最後はホームズがアイリーンを死地から救ったように見えるね(そうなると、ホームズは殆ど"007"並みの行動をとったことになるが)。原作を巡っては、恋愛感情に縁が無いホームズが唯一恋愛感情を抱いた女性ではないかとか、いや、ワトスンが作中で述べているように、ホームズはアイリーンに恋愛感情を抱いたわけではないとか、いろいろ論議があるようですが、(アイリーンのイメージは随分違っているけれど)引き続きそうした論議の余韻を残すような終わり方はまずまず上手いのではないかと思いました。
「SHERLOCK(シャーロック)(第4話)/ベルグレービアの醜聞」」●原題:SHERLOCK:A SCANDAL IN BELGRAVIA●制
作年:2011年●制作国:イギリス●本国放映:2012年1月1日●演出:ポール・マクギガン●脚本:スティーブン・モファット●出演:ベネディクト・カンバーバッチ/マーティン・フリーマン/ララ・パルバー/ルパート・グレイヴス/ウーナ・スタッブズ/マーク・ゲイティス/アンドリュー・スコット●日本放映:2012/07●放映局:NH
K-BSプレミアム(評価:★★★★)








ポスターに関して言えば、60年代よりも前のものの方がいいものが多いような印象を受けました。個人的には、「キング・コング」('33年)のポスターが見開き4ページにわたり紹介されているのが嬉しく、「『美女と野獣』をフロイト的に改作」したものとの解説にもナルホドと思いました。映画の方は、最近のリメイクのようにすぐにコングが出てくるのではなく、結構ドラマ部分で引っ張っていて、コングが出てくるまでにかなり時間がかかったけれど、これはこれで良かったのでは。当のコングは、ストップ・アニメーションでの動きはぎこちないものであるにも関わらず、観ている不思議と慣れてきて、ティラノサウルスっぽい「暴君竜」との死闘はまるでプロレスを観ているよう(コマ撮りでよくここまでやるなあ)。比較的自然にコングに感情移入してしまいましたが、意外とこの時のコングは小さかったかも...現代的感覚から見るとそう迫力は感じられません。但し、当時は興業的に大成功を収め(ポスターも数多く作られたが、本書によれば、実際の映画の中での
コングの姿を忠実に描いたのは1点[左上]のみとのこと)、その年の内に「コングの復讐」('33年)が作られ(原題は「SON OF KONG(コングの息子)」)公開されました。 「コングの復讐」('33年)[上]
因みに、アメリカやイギリスでは「怪獣映画」よりも「恐竜映画」の方が主に作られたようですが、日本のように着ぐるみではなく、模型を使って1コマ1コマ撮影していく方式で、ハル・ローチ監督、ヴィクター・マチュア、キャロル・ランディス主演の「紀元前百万年」('40年)ではトカゲやワニに作り物の角やヒレをつけて撮る所謂「トカゲ特撮」なんていう方法も用いられましたが、何れにしても動きの不自然さは目立ちます。そもそも恐竜と人類が同じ時代にいるという状況自体が進化の歴史からみてあり得ない話なのですが...。
この作品のリメイク作品が「恐竜100万年」('66年)で、"全身整形美女"などと言われたラクエル・ウェルチが主演でしたが(100万年前なのに
ラクェル・ウェルチがバッチリ完璧にハリウッド風のメイキャップをしているのはある種"お約束ごと"か)、やはりここでも模型を使っています。結果的に、ラクエル・ウェルチの今風のメイキャップでありながらも、何となくノスタルジックな印象を受けて、すごく昔の映画のように見えてしまいます(CGの出始めの頃の映画とも言え、なかなか微妙な味わいのある作品?)。

それが、その10年後の、ジョン・ギラーミン監督のリメイク版「キングコング」('76年)(こちらは邦題タイトル表記に中黒が無い)では、キング・コングの全身像が出てくる殆どのシーンは、リック・ベイカーという特殊メイクアーティストが自らスーツアクターとなって体当たり演技したものであったとのことで、ここにきてアメリカも、「ゴジラ」('54年)以来の日本の怪獣映画の伝統である"着ぐるみ方式"を採り入れたことになります(別資料によれば、実物大のロボット・コング(20メートル)も作られたが、腕や顔の向きを変える程度しか動かせず、結局映画では、コングがイベント会場で檻を破るワンシーンしか使われなかったという)。
「

代では「遊星よりの物体X」('51年)や「大アマゾンの半魚人」('54年)などのポスターがあるのが楽しく、50年代では日本の「ゴジラ」('54年)のポスターもあれば、「
「キャット・ピープル」はポール・シュレイダー監督、ナスターシャ・キンスキー主演で同タイトル「キャット・ピープル」('81年)としてリメイクされ(オリジナルは日本では長らく劇場未公開だったが1988年にようやく劇場公開が実現したため、多くの人がリメイク版を先に観たことと思う)、「遊星よりの物体X」は、ジョン・カーペンター監督によりカート・ラッセル主演で「遊星からの物体X」('82年)としてリメイクされています。
前者「キャット・ピープル」は、オリジナルでは、猫顔のシモーヌ・シモンが男性とキスするだけで黒豹に変身してしまう主人公を演じていますが、ストッキングを脱ぐシーンとか入浴シーン、プールでの水着シーンなどは当時としてはかなりエロチックな方だったのだろうなあと。実際に黒豹になる
場面は夢の中で暗示されているのみで、それが主人公の妄想であることを示唆しているのに対し、リメイク版では、ナスターシャ・キンスキーが男性と交わると実際に黒豹に変身します。ナスターシャ・キンスキーの猫女(豹女?)はハマリ役で、後日
「あの映画では肌を露出する場面が多すぎた」と述懐している通りの内容でもありますが、むしろ構成がイマイチのため、ストーリーがだらだらしている上に分かりにくいのが難点でしょうか。ナスターシャ・キンスキー自身は、「テス」('79年)で"演技開眼"した後の作品であるため、「肌を出し過ぎた」発言に至っているのではないでしょうか。「テス」は、19世紀のイギリスの片田舎を舞台に2人の男の間で揺れ動きながらも愛を貫く女性を描いた、文豪トマス・ハーディの文芸大作をロマン・ポランスキーが忠実に映画化した作品で、ナスターシャ・キンスキーの演技が冴え短く感じた3時間でした(ナスターシャ・キンスキーはこの作品でゴールデングローブ賞新人女優賞を受賞)。一方、「テス」に出る前年にナスターシャ・キンスキーは、スイスの全寮制寄宿学校を舞台に、そこにやって来たアメリカ人少女という
設定の青春ラブ・コメディ「レッスンC」('78年)に出演していて、そこでは結構「しっかり肌を出して」いたように思います。「レッスンC」は音楽は



「キング・コング」('33年)のリメイク、ジョン・ギラーミン監督の「キングコング」('76年)は、オリジナルは、ヒロイン(フェイ・レイ)に一方的に恋したコングが、ヒロインをさらってエンパイアステートビルによじ登り、コングの手の中フェイ・レイは恐怖のあまりただただ絶叫するばかりでしたが(このため、フェイ・レイ"絶叫女優"などと呼ばれた)、
リメイク版のヒロイン(ジェシカ・ラング)は最初こそコングを恐れるものの、途中からコングを慈しむかのように心情が変化し、世界貿易センタービルの屋上でヘリからの銃撃を受けるコングに対して「私といれば狙われないから」と言うまでになるなど、コングといわば"男女間的コミュにケーション"をするようになっています(そうしたセリフ自体は観客に向けての解説か?)。但し、「美女と野獣」のモチーフが、それ自体は「キング・コング」の"正統的"なモチーフであるにしてもここまで前面に出てしまうと、もう怪獣映画ではなくなってしまっている印象も。個人的には懐かしい映画であり、
興業的にもアメリカでも日本でも大ヒットしましたが、後に観直してみると、そうしたこともあってイマイチの作品のように思われました。ジェシカ・ラングも「郵便配達は二度ベルを鳴らす」('81年)で一皮むける前の演技であるし...2005年にナオミ・ワッツ主演の再リメイク作品が作られましたが、ナオミ・ワッツもジェシカ・ラング同様、以降の作品において"演技派女優"への転身を遂げています。
(●2017年に32歳のジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督による「キングコング:髑髏島の巨神」('17年/米)が作られた。シリーズのスピンオフにあたる作品とのことだが、主役はあくまでキングコング。1973年の未知の島髑髏島が
舞台で、一応、コングが島の守り神であったり、主人公の女性を救ったりと、オリジナルのコングに回帰している(一方で、随所にフランシス・フォード・コッポラ監督の「
込められているようだ)。ヴォート=ロバーツ監督自らが来日して行われた本作のプレゼンテーションに参加した
「

「キング・コング」●原題:KING KONG●制作年:1933年●制作国:アメリカ●監督:メリアン・C・クーパー/アーネスト・B・シェードサ
ック●製作:マーセル・デルガド●脚本:ジェームス・クリールマン/ルース・ローズ●撮影:エドワード・リンドン/バーノン・L・ウォーカー●音楽:マックス・スタイナー●時間:100分●出演:フェイ・レイ/ロバート・アームストロング/ブルース・キャボット/フランク・ライチャー/サム・ハーディー/ノーブル・ジョンソン●日本公開:1933/09●配給:ユニヴァーサル映画●最初に観た場所:池袋・文芸座ル・ピリエ(84-06-30)(評価:★★★☆)●併映:「紀元前百万年」(ハル・ローチ&ジュニア)


「恐竜100万年」●原
題:ONE MILLION YEARS B.C.●制作年:1966年●制作国:イギリス・アメリカ●監督:ドン・チャフィ●製作:マイケル・カレラス●脚本:ミッケル・ノバック/ジョージ・ベイカー/ジョセフ・フリッカート●撮影:ウィルキー・クーパー●音楽:マリオ・ナシンベーネ●時間:105分●出演:ラクエル・ウェルチ/ジョン・リチャードソン/パーシー・ハーバート/ロバート・ブラウン/マルティーヌ=ベズウィック/ジェーン・ウラドン●日本公開:1967/02●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:杉本保男氏邸 (81-02-06) (評価:★★★) Raquel Welch age71

「禁断の惑星」●原題:FORBIDDEN EARTH●制作年:1956年●制作国:アメリカ●監督:フレッド・マクラウド・ウィルコックス●製作:ニコラス・ネイファック●脚本:シリル・ヒューム●撮影:ジョージ・J・フォルシー●音楽:ルイス・アンド・ベベ・バロン●原作:アーヴィング・ブロック/アレン・アドラー「運命の惑星」●時間:98分●出演:ウォルター・ピジョン/アン・フランシス/レスリー・ニールセン/ウォーレン・スティーヴンス/ジャック・ケリー/リチャード・アンダーソン/アール・ホリマン/ジョージ・ウォレス●日本公開:1956/09●配給:MGM●最初に観た場所:新宿・名画座ミラノ(87-04-29)(評価:★★★☆)
「宇宙水爆戦」●原題:THIS ISLAND EARTH●制作年:1955年●制作国:アメリカ●監督:ジョセフ・ニューマン●製作:ウィリアム・アランド●脚本:フランクリン・コーエン/エドワード・G・オキャラハン●撮影:クリフォード・スタイン/デビッド・S・ホスリー●音楽:ジョセフ・ガ―シェンソン●原作:レイモンド・F・ジョーンズ●時間:86分●出演:フェイス・ドマーグ/レックス・リーズン/ジェフ・モロー/ラッセル・ジョンソン/ランス・フラー●配給:ユニバーサル・ピクチャーズ●日本公開:1955/12)●最初に観た場所:新宿・名画座ミラノ(87-05-17)(評価:★★★☆)


ズビー●撮影:ジョン・ベイリー●音楽:ジョルジ
オ・モロダー(主題歌:








「キングコング」●原題:KING KONG●制作年:1976年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ギラーミン●製作:ディノ・デ・ラウレンティス●脚本:ロレンツォ・センプル・ジュニア●撮影:リチャード・H・クライン●音楽:ジョン・バリー●時間:134分●出演:ジェフ・ブリッジス/ジェシカ・ラング/チャールズ・グローディン/ジャック・オハローラン /ジョン・ランドルフ/ルネ・オーベルジョノワ/ジュリアス・ハリス/ジョン・ローン/ジョン・エイガー/コービン・バーンセン/エド・ローター ●日本公開:1976/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:新宿プラザ劇場(77-01-04)(評価:★★★)![郵便配達は二度ベルを鳴らす [DVD].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%85%8D%E9%81%94%E3%81%AF%E4%BA%8C%E5%BA%A6%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%92%E9%B3%B4%E3%82%89%E3%81%99%20%5BDVD%5D.jpg)

ブ・ラフェルソン●脚本:デヴィッド・マメット●撮影:スヴェン・ニクヴィスト●音楽:マイケル・スモール●原作:ジェイムズ・M・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす」●時間:123分●出演:ジャック・ニコルソン/ジェシカ・ラング/ジョン・コリコス/マイケル・ラーナー/ジョン・P・ライアン/ アンジェリカ・ヒューストン/ウィリアム・トレイラー●日本公開:1981/12●配給:日本ヘラルド●最初に観た場所:三鷹オスカー (82-08-07)●2回目:自由ヶ丘・自由劇場 (84-09-15)(評価★★★★)●併映:(1回目)「白いドレスの女」(ローレンス・カスダン(原作:ジェイムズ・M・ケイン))●併映:(2回目)「ヘカテ」(ダニエル・シュミット)


「キングコング:髑髏島の巨神」●原題:KONG:SKULL ISLAND●制作年:2017年●制作国:アメリカ●監督:ジョーダン・ヴォート=ロバーツ●脚本:ダン・ギルロイ/マックス・ボレンスタイン/デレク・コノリー●原案:ジョン・ゲイティンズ/ダン・ギルロイ●製作:トーマス・タル/ジョン・ジャシュー/アレックス・ガルシア/メアリー・ペアレント●撮影:ラリー・フォン●音楽:ヘンリー・ジャックマン●時間:118分●出演:トム・ヒドルストン/
サミュエル・L・ジャクソン/ジョン・グッドマン/ブリー・ラーソン/ジン・ティエン/トビー・ケベル/ジョン・オーティス/コーリー・ホーキンズ/ジェイソン・ミッチェル/シェー・ウィガム/トーマス・マン/テリー・ノタリー/ジョン・C・ライリー●日本公開:2017/03●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:OSシネマズ ミント神戸 (17-03-29)(評価★★☆)

OSシネマズ ミント神戸 神戸三宮・ミント神戸(正式名称「神戸新聞会館」。阪神・淡路大震災で全壊した旧・神戸新聞会館跡地に2006年10月完成)9F~12F。全8スクリーン総座席数1,631席。






1924年にFBI長官に任命され、1972年に亡くなるまで長官職にとどまったジョン・エドガー・フーヴァー(John Edgar Hoover, 1895 - 1972/享年77)の人と生涯の記録ですが、謎の多い彼の長官時代の実態を、多くの証言と資料から立体的に再構築しているように思われました。
折しも、クリント・イーストウッド監督、レオナルド・ディカプリオ主演によるフーヴァーの伝記映画「J・エドガー」('11年/米)が公開され、この映画に対する評価は割れているそうですが、本書を読む限り、分かっている範囲での事実関係、或いはフーヴァーのセクシュアリティ(同性愛、異性装)など、ほぼ事実とされている事柄については、比較的漏らさずに描かれていたように思います。
映画では、フーヴァーの、FBIの機能・権力を整備・改革・拡大していく才気に溢れた青年時代を、マザコンのために女性と上手く付き合うことが出来なかったその性癖と併せて描く共に、ケネディ兄弟に対する脅迫など自分の地位を守るために手段を選ばなかった最盛期、老いて権力にしがみつく亡霊のようになった晩年期が、ほぼ同じような比重で描かれていたように思います。
自らがFBIの副長官に任じたクライド・トールソンとの同性愛は、映画ではキス・シーンが1回ある程度で、あとは、フーヴァーのトールソンに贈った詩や、彼が異性との交際の意思をトールソンに伝えた際にトールソンが激昂する―といった象徴的な表現に抑えられていますが、二人が老齢に達して両者の肉体関係は終わったものの、その後もフーヴァー自身は若いゲイなどを相手に同性愛に耽り、女装癖も保持し続けていたことが、本書からは窺えます。
「犯罪とスキャンダルの摘発」「権力者への恫喝」「自らの性癖の隠蔽」の3つがトライアングルのような関係になっていたことを暗示している分、心理学的にみても本書の方が読みが深いと言え、また、このような人物が国の機関の最高権力者として居続けたことに対する問題提起もされています。
本書の原題 "Official and Confidential(公式かつ機密)"は、フーヴァーが収録したファイルの名前で、所謂この「フーヴァー・ファイル」には、有名人に対する恐喝や政治的迫害が記録されているとのことですが、本書にも映画にもあるように、長年にわたって彼の秘書を務めた女性(映画でナオミ・ワッツが演じた、フーヴァーが初めて女性に想いを打ち明け、結婚を断られた相手)が、フーヴァーの死後に、訃報に触れたニクソンがファイル回収のために配下をフーヴァーの屋敷に送り込む前に持ち出し、密かに処分したとのことです。
「J・エドガー」●原題:J. EDG
AR●制作年:2011年●制作国:アメリカ●監督:クリント・イーストウッド●製作:クリント・イーストウッド/ ブライアン・グレイザー/ロバート・ロレンツ●脚本:ダスティン・ランス・ブラック●撮影:トム・スターン●音楽:クリント・イーストウッド●時間:137分●出演:レオナルド・ディカプリオ/ ナオミ・ワッツ/アーミー・ハマー/ジョシュ・ルーカス/ジュディ・デンチ/エド・ウェストウィック●日本公開:2012/01●配給/ワーナー・ブラザーズ(評価★★★☆)






働くためにニューヨーク郊外ロング・アイランドにある高級住宅地ウェスト・エッグへと引っ越してくるが、隣の大邸宅では日々豪華なパーティが開かれていて、その庭園には華麗な装いの男女が夜毎に集まっており、彼は否応無くその屋敷の主ジェイ・ギャツビーという人物に興味を抱くが、ある日、そのギャツビー氏にパーティに招かれる。ニックがパーティに出てみると、参加者の殆どがギャツビーについて正確なことを知らず、ニックには主催者のギャツビーがパーティの場のどこにいるかさえわからない、しかし、たまたま自分の隣にいた青年が実は―。
1925年に出版された米国の作家フランシス・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald、1896‐1940/享年44)の超有名作品ですが(原題:The Great Gatsby)、上記のようなところから、ニックとギャツビーの交遊が始まるという初めの方の展開が単純に面白かったです。
ド主演の映画化作品「華麗なるギャツビー」('74年/米)をテレビで観る機会があって、その上でもう一度、野崎訳及び村上訳を読み返してみると、起きているごたごたの全部が終盤への伏線となっていたことが再認識でき、村上春樹氏が「過不足のない要を得た人物描写、ところどころに現れる深い内省、ヴィジュアルで生々しい動感、良質なセンチメンタリズムと、どれをとっても古典と呼ぶにふさわしい優れた作品となっている」と絶賛しているのが分かる気がしました。
新訳というのは大体読みやすいものですが、村上訳は、ギャツビーがニックを呼ぶ際の「親友」という言葉を「オールド・スポート」とそのまま訳したりしていて(訳していることにならない?)、日本語でしっくりくる言葉がなければ、無理して訳さないということみたいです(柴田元幸氏との対談『翻訳夜話』('00年/文春新書)でもそうした"ポリシー"が語られていた)。ただし、個人的には、「オールド・スポート」を敢えて「親友」と訳さなかったことは、うまく作用しているように思いました(映画を観るとギャツビーは「オールド・スポート」と言う言葉を様々な局面で使っていて、その意味合いがそれぞれ違っていることが分かる。それらを日本語に訳してしまうと、同じ言葉を使い分けているということが今度は分からなくなる)。


(●2013年にバズ・ラーマン監督、レオナルド・ディカプリオ主演で再映画化された。1974年のジャック・クレイトン監督のロバート・レッドフォード、ミア・ファロー版は、当初はスティーブ・マックィーン、アリ・マックグロー主演で計画されていて、それがこの二人に落ち着いたのだが、村上春樹氏などは「落ち着きが悪い」としていた(ただし、フランシス・フォード・コッポラの脚本を評価していた)。個人的には、デイジー役のミア・ファローは登場するなり心身症的なイメージで、一方、ロバート・レッドフォードは健全すぎたのでアンバランスに感じた。レオナルド・ディカプリオ版におけるディカプリオの方が主人公のイメージに合っていたが(ディカプリオが家系
的に4分の3ドイツ系であるというのもあるか)、キャリー・マリガン演じるデイジーが、完全にギャツビーを取り巻く俗人たちの1人として埋没していた。セットや衣装はレッドフォード版の方がお金をかけていた。ディカプリオ版も金はかけていたが、CGできらびやかさを出そうとしたりしていて、それが華やかと言うより騒々しい感じがした。目まぐるしく移り変わる映像は、バズ・ラーマン監督の「ムーラン・ルージュ」('01年)あたりからの手法だろう。ディカプリオだから何とか持っているが、「ムーラン・ルージュ」ではユアン・マクレガーもニコール・キッドマンもセット(CG含む)の中に埋もれていた。)



【1957年文庫化[角川文庫(大貫三郎訳『華麗なるギャツビー』)]/1974年再文庫化[早川文庫(橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』)]/1974年再文庫化[新潮文庫(野崎孝訳『偉大なるギャツビー』)・1989年改版(野崎孝訳『グレート・ギャツビー』)]/1978年再文庫化[旺文社文庫(橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』)]/1978年再文庫化[集英社文庫(野崎孝訳『偉大なギャツビー』]/2006年新書化[中央公論新社・村上春樹翻訳ライブラリー(『グレート・ギャツビー』]/2009年再文庫化[光文社古典新訳文庫(小川高義訳『グレート・ギャツビー』)】[左]『
「華麗なるギャツビー」●原題:THE GREAT GATSBY●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督:ジャック・クレイトン●製作:オデヴィッド・メリック●脚本:
「華麗なるギャツビー」●原題:THE GREAT GATSBY●制作年:2013年●制作国:アメリカ●監督:バズ・ラーマン●製作:ダグラス・ウィック/バズ・ラーマン/ルーシー・フィッシャー/キャサリン・ナップマン/キャサリン・マーティン●脚本:バズ・ラーマン/クレイグ・ピアース●撮影:サイモン・ダガン●音楽:クレイグ・アームストロング●原作:スコット・フィッツジェラルド●時間
:143分●出演:レオナルド・ディカプリオ/トビー・マグワイア/キャリー・マリガン/ジョエル・エドガートン/アイラ・フィッシャー/ジェイソン・クラーク/エリザベス・デビッキ/ジャック・トンプソン/アミターブ・バッチャン●日本公開:2013/06●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★)





コミックであるせいか、読んでいる間ずっとクリスティの原作『オリエント急行の殺人』でなく、シドニー・ルメット監督の映画「オリエント急行殺人事件」('74年/
英・米)の方が頭に浮かんでいました(原作を読んだ時はあまり雪のシーンをイメージしなかった?)。アルバート・フィニー(1936-2019)がポワロを演じたほか(アカデミー主演男優賞にノミネートされたが、彼のポアロ役はこの一作きりで、以後、アガサ・クリスティ原作の映画化は「
ルグッド、ショーン・コネリー(かつらを外して出
演し始めた最も最初の頃の作品ではないか)、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ウェンディ・ヒラー、ローレン・バコール、イングリッド・バーグマン、マイケル・ヨーク、ジャクリーン・ビセット、ジャン=ピエール・カッセル等々が出演したオールスターキャスト映画でしたが、神経質で少しエキセントリックなところがある中年のスウェーデン人宣教師を演じたイングリッド・バーグマンが印象的でした(実はそのキャラクター自体が"演技"だった!)。イングリッド・バーグマンは事件の中心人物的な公爵夫人役を打診されたけれども、この地味な宣教師役を強く希望したそうで、その演技でアカデミー助演女優賞を獲得しています。
(●2017年にケネス・ブラナー監督・主演のリメイク作品「オリエント急行殺人事件」('17年/米)が作られた。Amazon.comのレビューなどを見ても評価が割れているが、本国でも賛否両論だったようだ。映画批評集サイトのRotten Tomatoesのサイト側によ
る批評家の見解の要約は「映画史の古典となった1974年版に何一つ新しいものを付け足せていないとしても、スタイリッシュなセットとオールスターキャストのお陰で、『オリエント急行殺人事件』は脱線せずに済んでいる」となっている。個人的感想も概ね
そんな感じだが、セットは悪くないけれど、列車が雪中を行くシーンなどにCGを使った分、新作の方が軽い感じがした。旧作にも原作にもないポワロのアクションシーンなどもあったりしたが、最も異なるのは終盤であり、ポワロが事件にどう片を付けるか悩む部分が強調されていて、ラストの謎解きもダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を模した構図の中でケネス・ブラナーの演劇的な芝居が続く重いものとなっている。旧作は、監督である
シドニー・ルメットが、「スフレのような陽気な映画」を目指したとのことで、ポワロの事件解決後、ラストにカーテンコールの意味合いで、乗客たちがワインで乾杯を行うシーンを入れたりしているので、今回のケネス・ブラナー版、その部分は敢えて反対方向を目指したのかもしれない。ただ、もやっとした終わり方でややケネス・ブラナー監督の意図がやや伝わりにくいものだった気もする。)
「オリエント急行殺人事件」●原題:MURDER ON THE ORIENT EXPRESS●制作年:1974年●制作国:イギリス・アメリカ●監督:シドニー・ルメット●製作:ジョン・ブラボーン/リチャード・グッドウィン●脚本:ポール・デーン●撮影:ジェフリー・アンスワース●音楽:リチャード・ロドニー・ベネット●原作:アガサ・ク
リスティ「オリエント急行の殺人」●時間:128分●出演:アルバート・フィニー/リチャード・ウィドマーク/アンソニー・パーキンス/ジョン・ギールグッド/ショーン・コネ
リー/ヴァネッサ・レッドグレーヴ/ウェンディ・ヒラー/ローレン・バコール/イングリッド・バーグマン/マイケル・ヨーク/ジャクリーン・ビセット/ジャン=ピエール・カッセル/レイチェル・ロバーツ/コリン・ブレイクリー/デニス・クイリー/ジョージ・クールリス/マーティン・バルサム●日本公開:1975/05●配給:パラマウント=CIC(評価:★★★☆)






「オリエント急行殺人事件」●原題:MURDER ON THE ORIENT EXPRESS●制作年:2017年●制作国:アメリカ●監督:ケネス・ブラナー●製作:リドリー・スコット/マーク・ゴードン/サイモン・キンバーグ/ケネス・ブラナー/ジュディ・ホフランド/マイケル・シェイファー●脚本:マイケル・グリーン●撮影:ハリス・ザンバーラウコス●音楽:リパトリック・ドイル●原作:アガサ・クリスティ「オリエント急行の殺人」●時間:114分●出演:ケネス・ブラナー/ペネロペ・クルス/ウィレム・デフォー/ジュディ・デンチ/ジョニー・デップ/ジョシュ・ギャッド/デレク・ジャコビ/レスリー・オドム・Jr
/ミシェル・ファイファー/デイジー・リドリー/トム・ベイトマン/オリヴィア・コールマン/ルーシー・ボイントン/マーワン・ケンザリ/マヌエル・ガルシア=ルルフォ/セルゲイ・ポルーニン/ミランダ・レーゾン●日本公開:2017/12●配給:20世紀フォックス(評価:★★★)