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コン・リーが奇麗。物語的には悲惨だが、美的には張藝謀作品の頂点にある作品。

「紅夢 [DVD]」['25年]鞏俐(コン・リー)
1920年代の中国、 19歳の女学生・頌蓮(スンリェン)(鞏俐(コン・リー))は、父親が亡くなった後実家が没落したため、陳佐千(馬精武(マー・チンウー))という富豪の第四夫人として嫁ぐことを余儀なくされた。彼の大邸宅に嫁入りした際には王室の様な待遇で、気持ちの良い足マッサージを受けた。屋敷の主人は、夜になり彼女の部屋に泊まる時門前に赤い提灯を掲げた。しかし頌蓮はすぐに全ての妾たちが同様の贅沢な待遇を受けていることに気づいた。
主人は毎日どの妾の家で夜を過ごすかを決めるとその家の前に赤い提灯を灯し、その妾は足マッサージを受け、食事を決定したり、下僕達の尊敬と服従を得ることができたのだ。やがて、友情を築いたと思っていた第二夫人・卓雲(ヅォユン)(曹翠芬(ツァオ・ツイフェン))からの裏切りや、屋敷に出入りする医者と不倫をしていた第三夫人・梅珊(メイサン)(何賽飛(ホー・ツァイフェイ))への凄惨な罰を目の当たりにし、主人の寵愛を巡る戦いの中で憔悴した頌蓮は次第に正気を失い、常軌を逸した行動に出るようになる―。
「紅いコーリャン」('87年)、「菊豆<チュイトウ>」('90年)に続く1991年公開の張芸謀(チャン・イーモウ)監督、鞏俐(コン・リー)主演作で、後にコン・リー主演の「紅いコーリャン」、そしてこれもコン・リー主演の「上海ルージュ」('95年)と共に張芸謀監督の「紅三部作」と呼ばれるようになります。第48回「ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞」受賞作品。台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督が製作総指揮を務め、香港や日本のスタッフも参加するなど、国境を越えたコラボレーションにより成った作品ですが、何故か本邦では長らくDVD化がされませんでした。2024年12月、「張芸諜 チャン・イーモウ 艶やかなる紅の世界」と題した特集上映にて、HDレストア版でリバイバル公開され、2025年にDVDがリリースされました。
貧困から抜ける為に男性社会の中に囲い込まれる女性たちの話ですが、自分の意志で自由に行動できるわけもなく、昔からの掟が絶対。とりわけ夫人らに求められるのは男子を生むこと。その女性たちの間でも妬み・嫉みがあり、唯一優しそうにしてくれていた女性が、実はいちばん腹黒だったという...。
25歳で19歳の学生を演じているコン・リーが違和感なく奇麗です。彼女が正気を失っていく様は痛々しいですが、ストーリーや時代背景は今とあまりに差がありすぎるため、個人的には、「時代に抑圧された女性を描いた映画」的視点と言うよりは、背景部分は男尊女卑の"象徴"として捉え、単に女性たちの物語として映画を観ました。確かに、封建制度下における女性に対する抑圧を可視化した作品ではありますが、例えばこの「赤い提灯」のシステムは、原作である蘇童(スー・トン)の小説『妻妾成群』には無く、張芸謀監督の創作であるようです。監督は当時のインタビューで、中国の家父長制の深刻さを訴えており、本作は中国国内で上映禁止の措置を受けています。それだけ今日的・普遍的問題を示唆しているということなのでしょう。
単に女性たちの物語として観たと書きましたが、人物の悲劇的運命の造形は多角的に行われいて、各人の諸要素が互いに呼応し合うことで、作品全体の悲劇的雰囲気が高められているように思いました。とりわけ、元名妓であった第三夫人・梅珊(メイサン)の末路は悲惨で、気晴らしに屋上でかつて馴染んだ戯曲を歌っていた、その屋上で処刑されてしまったというのは皮肉です(ほとんどホラー)。これが主人公・頌蓮(スンリェン)に与えた衝撃は大きく、スンリェンの精神崩壊の火付けとなったように思われました。悲劇を美しく視覚化する張芸謀監督の美学的設計無くしては、なかなか味わおうという気にはなれない作品かもしれません。女学生から女へと変貌していくコン・リーの美しさも堪能でき、物語的には悲惨ですが、美的には張藝謀作品の頂点にある作品かもしれません(この頃の張芸謀はスゴかった)。
「紅夢」●原題: 大红灯笼高高挂(英:RAISE THE RED LANTERN)●制作年:1991年●制作国:中国・香港●監督:張藝謀(チャン・イーモウ)●製作:邱復生(チュウ・フウション)●脚本:倪震(ニイ・ゼン)●撮影:趙非(チャオ・フェイ)●音楽:趙季平(チャオ・チーピン)●原作:蘇童(スー・トン)『妻妾成群』●時間:125分●出演:鞏俐(コン・リー)/何賽飛(ホー・ツァイフェイ)/馬精武(マー・チンウー)/曹翠芬(ツァオ・ツイフェン)/周琦(チョウ・チー)/孔琳(コン・リン)/金淑媛(チン・スウユエン)/丁惟敏(ティン・ウェイミン )/曹増銀(ツァオ・ゾンイン)/崔志剛(ツォエ・チーガン)/初暁(ツゥ・シャオ)/徐薇(シュー・ウェイ)●日本公開:1992/04●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-01-29)(評価:★★★★☆)

中国の大河・長江の三峡では、三峡ダム建設計画が進められていて、周辺の多くの町が湖底に沈みゆく運命にある。 山西省で炭鉱夫をする韓三明(ハン・サンミン)(韓三明(ハン・サンミン))は、16年前に別れた妻幺妹 (ヤオメイ)(馬礼珍(マー・リーチェン))と娘を探すために三峡の街・奉節(ほうせつ)にやってくる。知り得た住所を訪ねると、そこは既に湖底に沈んでいた。ヤオメイの兄を訪ねると、彼女は南の方で働いているがこの地にいればいずれ会えると言われ、その言葉を信じてこの街に留まることにする。仕事は、沈む街の建物解体作業で、その作業場で気の良いチンピラのと小馬哥(マーク)(周林(チョウ・リン))。と親しくなる。 時を同じくして、沈紅(シェン・ホン)(趙濤(チャオ・タオ))という看護師の女性が奉節の港に降り立つ。山西省から来た彼女は、三峡の工場に働きに出たまま2年も音信がない夫・郭斌(グォ・ビン)(李竹斌(リー・チュ
ウビン))を探している。 シェン・ホンは、夫グォ・ビンの友人の王東明(ワン・トンミン)(王宏偉(ワン・ホンウェイ))を訪ね、夫の今の職場に案内されるが夫は不在で、住民の立ち退きを強制する仕事をしているらしい。そして女性経営者といい仲らしいとの情報を得る。夫が経営しているという社交ダンス場に出向くと、そこは長江に架かる大橋が一望できる場所だった。 翌朝、シェン・ホンはグォ・ビンと再会を果たすが、夫の不倫に怒り心頭の彼女は夫を無視し、挙句「好きな人が出来て、その人と上海に行く」と言って離婚を切り出し、独り船に乗って三峡を離れる。 一方その頃、奉節で建物解体の仕事をしているサンミンは、親友のマークを解体現場の事故で失い遺体を長江に見送る。 その直後、サンミンは義兄からヤオメイの居場所が分かったという連絡を受け会いに行く。しかし、ヤオメイは義兄が作った多額の借金のカタとして、義兄に金を貸した船主の元で働かされているという。その船主の男に会い、連れて帰りたいと伝えるが、船主はそれなら貸した金を返せと要求する。サンミンは金を作るため山西省に戻って再び炭鉱で働くことを決意して、奉節の町を去る―。
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の2006年作で、第63回「ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞(グランプリ)」受賞作。審査員長を務めたカトリーヌ・ドヌーヴは「金獅子賞を決めるのに時間はかからなかった」と述べています。また、その他にも、「
物語の主人公は、山西省から奉節へやって来た2人の男女ですが、この2人は映画では互いに関係すること無く、全く別の2つの物語が展開していきます。1つは、16年前に別れた妻・幺妹 (ヤオメイ)(馬礼珍(マー・リーチェン))を捜すため奉節にやって来た山西省の炭鉱
労働者・ 韓三明(ハン・サンミン)(韓三明(ハン・サンミン)=役名と同じ)の物語で、もう1つは、同じく山西省から、2年間音信不通となっている夫・ 郭斌(グォ・ビン)(李竹斌(リー・チュウビン))を捜すため奉節にやって来た 沈紅(シェン・ホン)(趙濤(チャオ・タオ))の物語です。この全く無関係な2つの物語を、同じ奉節を舞台として展開させていくことによって、三峡ダムの建設で沈んでいく街における人間の営みの儚さが伝わってきまし。また、古来より山水画の題材として描かれてきた壮大な長江の風景が、背景としてたびたび出てくるのが、その儚さを醸す上で効いています。
主人公たちが探す家族は、対照的な人生を歩んでいて、サンミンの妻子の実家はすでに水没し、彼女たちは、変貌する世界の末端に追いやられ、厳しい生活を強いられています。一方、シェン・ホンの夫は、大事業に強引に食い込んで利権を手にし、贅沢三昧の生活を送り、人が変わっています。多分あちことちで見られたであろう現実が映画の中に入り込んで、フィクションが掘り下げられているといった印象でした(当初はドキュメンタリー映画を撮るつもりだったようだ)。
北京の「世界公園」でダンサーとして働くタオ(趙濤(チャオ・タオ)は、同僚たちから姐さんと慕われている26歳。公園の守衛主任であるタイシェン(成泰燊(チェン・タイシェン))という恋人がいる。タオの元恋人リャンズー(梁景東(リャン・チントン))がモンゴルへ旅立つというので、2人は彼を見送りに行く。その帰りに立ち寄った汚い安ホテルで、タイシェンはタオに迫るが、タオは拒む。タオはホテルを出て一人で世界公園に戻るが、その後、写真館でDVDを撮っているうち、いつもの親密さが2人に戻ってくる。タイシェンは、先輩から紹介されたチュンと共に、借金を抱えているチュンの弟に会いに、太原へ出発する。ブランド品模造アトリエを経営するチュンは既婚者だが、夫は10年前ベルヴィル(パリ)に行ったきり連絡がない。言葉を交わすうちに、タイシェンとチュンは惹かれてゆくが、彼女は最後は彼の誘いをかわす。一方、タオは、ロシアから来たダンサーのアンナとの間に友情を築くが、カラオケバーでアンナが娼婦として働いていることを知り、涙を流す。タイシェンの幼馴染のサンライ(王宏偉(ワン・ホンウェイ))が、まだ若いアークーニャンとともに、北京の建設現場に出稼ぎに来るが、アークーニャンは過労と事故が重なり、病院に担ぎ込まれる。病院のベッドに横たわった彼が記すメモには、今まで自分に金を貸してくれた人の名前と金額が書いてあり、それを読んだサンライは慟哭する。アークーニャンの死後、その両親と兄が北京に上京し、補償金を受け取る。タオの後輩ダンサーのウェイ(ジン・ジュエ)は、嫉妬深い恋人のニュウ(蒋中偉(チャン・チョンウェイ))に堪忍袋の緒が切れ、別れを宣言するも、結局は結婚することを決意する。ある日の散歩中、タオはダンサーのヨウヨウ(シャン・ワン)と親会社の重役の不倫現場を目撃。そのあとヨウヨウは新しい団長に抜擢される。タオはタイシェンに自分たちの結婚の話を持ち掛けてみるが、彼は何も答えない。2人の結婚式の日、タイシェンの携帯電話には、フランスに旅立つチュンから「あなたに会えてよかった」とのメールが届く。それを読んだタオは、タイシェンの裏切りを知る。タオは、タイシェンを避け、新婚旅行に出ているウェイの新居のアパートで寝泊まりする。そこへタイシェンが現れるが...。深夜の三河鎮で、一酸化炭素中毒で1組の男女が倒れるという騒ぎが起きる。近隣住民によって中庭に運びだされたタオとタイシェンの上に、今年の初雪がちらちらと降り始める。暗闇の中、タオとタイシェンの声が響く。「俺たち、死んだのか」「いいえ、これは新しい始まりよ」―。
2004年公開のジャ・ジャンクー監督作。舞台になっているのは、北京に居ながらにして世界を回れる「世界公園」で(1993年開園)、そこには、ピラミッド、エッフェル塔、マンハッタンの摩天楼など、世界の名所旧跡が10分の1に縮小され、再現されています(日本で言えば栃木県の「東武ワールドスクウェア」のようなものか。ただし、東京ドーム約1.6個分の広さの東武ワールドスクウェアに対し、世界公園はその約6倍の面積を有している)。世界を身近に体験できるテーマパークは、改革開放以後の中国の象徴とも言え、ドラマは、その「世界公園」に所属するダンサーのタオと彼女の恋人で公園の守衛主任のタイシェンを中心に、彼らを取り巻く人々の様々なエピソードを交えながら展開していきます。
タオは、タイシェンの裏切りに傷つきますが、外部の世界に憧れ、彼女を閉じ込める世界で傷つきながらも、彼女を待っている人間がいるのは、結局は外部ではなく目の前の世界であることを認識しているようでした。ただし、未遂に終わったものの、無理心中(?)という選択はどうだったのかとは思いました。タオの気質にそぐわない気もするし、ネットのレビューを見ると、やはりラストへの収斂の仕方が気に食わない人もいるようです。個人的にもイマイチでした。
脚本:賈樟柯(ジャ・ジャンクー)●製作:吉田多喜男/市山尚三●撮影:余力為(ユー・リクウァイ)●音楽:林強(リン・チャン)●時間:133分●出演:趙濤(チャオ・タオ)/成泰燊(チェン・タイシェン)/王宏偉(ワン・ホンウェイ)/蒋中偉(チャン・チョンウェイ)/梁景東(リャン・チントン)●日本公開:2005/10●配給:ビターズ・エンド=オフィス北野●最初に観た場所:シネマ ブルースタジオ(25-08-10)(評価:★★★☆) font>

小学校を卒業し終えた冬冬(トントン)(王啓光(ワン・チークァン))は、妹の婷婷(ティンティン)(李淑楨(リー・ジュジェン))と一緒に入院する母(丁乃竺(ティン・ナイチュー))を見舞った後、父(楊徳昌(エドワード・ヤン))が看病に忙しいので、叔父の昌民(陳博正(チェン・ボーチョン))に連れられ、母方の祖父がいる銅羅に夏休みを過ごしに行く。途中の駅で冬冬と妹は叔父と離れ離れになってしまうが、なんとか銅羅駅に到着する。駅前で叔父を待つ間、冬冬は村の子供・阿正國(顔正國(イエン・チョンクオ))らと知り合う。叔父・叔母とは無事会い、医師である厳格な祖父(古軍(グー・ジュン))のいる診療所に辿り着く。村の子供たちと川に泳ぎに行くが、婷婷は男の子ばかりの仲間には入れてもらえず、怒って近くに脱ぎ捨ててあった彼らの服を川に流してしまう。少年たちは裸で家に帰る羽目になったが、裸のまま飼牛を追った阿正國が行方不明になる。冬冬らが木登りしていると、風変わりな女、寒子(ハンズ)(楊麗音(ヤン・リーイン))に出会う。昆虫採集に出掛けた時に昼寝の男を襲う強盗二人組を目撃してしまう。ある日、昌民は恋人の碧雲(林秀玲(リン・シウリン))が妊娠したことで祖父に叱られ、家を飛び出す。男の子たちから仲間はずれにされた婷婷は列車に轢かれそうになったところを寒子に助けられ、彼女を慕うようになる。寒子は雀捕りの男に孕まされ、村人は彼女が子供を生むことに反対するが、彼女の父親は生ませたがった。ひっそりと結婚した昌民と碧雲の住まいを訪れた冬冬はそこで以前の強盗事件の犯人に会う。通報によって犯人を匿った昌民が警察に捕まる。祭の日、入院中の母の容態が悪いと知らせが入る。祖父は祖母(梅芳(メイ・ファン))と母のいる台北に行こうとするが、そんな時、寒子は婷婷が拾った小鳥を巣に戻そうとして、木から落ち意識を失う。台北行きを取り止め看病に当たる祖父。翌日、寒子は意識を取り戻す。母の容態も良くなったとの知らせも入ってくる。祖父は勘当していた昌民を許す。台北から迎えに来た父と一緒に、冬冬は阿正國らに、婷婷は寒子に別れを告げて村を出て行く―。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の1984年作で、1984年・第6回「
祖母を演じた梅芳(メイ・ファン)は侯孝賢作品の常連で、「
「冬冬(トントン)の夏休み」●原題:(英題:A SUMMER AT GRANDPA`S)●制作年:1984 年●制作国:台湾●監督・脚本:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)●製作:張華坤(ジャン・ホアクン)●撮影:陳坤厚(チェン・クンホウ)●原作・脚本:朱天文(チュー・ティエンウェン)●時間:98分●出演:王啓光(ワン・チークァン)/李淑楨(リー・ジュジェン)/古軍(グー・ジュン)/梅芳(メイ・ファン)/陳博正(チェン・ボーチョン)/林秀玲(リン・シウリン)/楊麗音(ヤン・リーイン)/顔正國(イエン・チョンクオ)/丁乃竺(ティン・ナイチュー)/楊徳昌(エドワード・ヤン)●日本公開:1990/08●配給:フランス映画社●最初に観た場所:新宿武蔵野館(25-08-19)(評価:★★★★) font>


1973年、ベトナム戦争からテキサス州サンアントニオへ帰還した空軍将校レーン少佐(ウィリアム・ディヴェイン)と部下のジョニー伍長(トミー・リー・ジョーンズ)は、地元で英雄として大歓迎される。しかしハノイでの7年間の捕虜生活での凄惨な拷問により、レーンの精神は傷ついていた。町の歓迎式典はレーンの功労を労い、「捕虜生活を1日1枚ずつ換算した高額な銀貨」と「州の誇りを象徴したベル」、「キャデラック」が贈呈されたが、周囲の歓迎と裏腹にレーンの表情は醒めていた。その様子をベルを手渡したリンダ(リンダ・ヘインズ)だけが気づく。レーン戻った家庭は変わっていた。妻ジャネット(リサ・リチャーズ)は夫の出兵中の寂しさから州警官クリフ(ローラソン・ドリスコル)と親しい
関係を築いてしまい、赤ん坊だった愛息のマークも成長しクリフへ懐いている。レーンにはどうする事もできず、家族やクリフにはレーンの心中を理解できない。クリフはジャネットとの関係も含めてレーンと新たな関係を築こうとするが、レーンは妻の事には無頓着な様で、唯一、息子を「チビ」と呼ぶなとクリフに告げる。数日後、レーン家に強盗が入る。強盗一味は歓迎式典での銀貨贈呈をTVで観たメキシコ人の徒党だった。彼らはレーンを脅し痛めつけるが、レーンは頑なに口を開かない。終にはディスポーザーでレーンの右手を破砕したところへ妻子が帰宅、マークは躊躇なく銀貨を渡すが、強盗たちは母子を射殺し、レーンをも撃って逃走。一命を取り留め病院で療養するレーンは、失った片腕に義手を取り付ける。息子を亡くした失意を静かな怒りへ変えた彼は、金属製の爪が装着された義手を巧みに操れるようリバビリを重ねる、銃弾を拾い装填できるようになると退院する。レーンに惹かれるリンダは病院に見舞いに行き、彼と接し始める。警察に強盗の詳細を話さずにいたレーンは、一味の会話から凡その居所を察し、リンダを連れてメキシコへと向かう。レーンの動向に気付いたクリフは警察の捜査網を使ってレーンに先回りしようとするが、強盗たちに返り討ちに遭う。強盗一味を探す道中で、リンダはレーンの孤独に共感し、共に生きたいと望む。しかしレーンはリンダをモーテルに残し、エルパソで暮らすかつての盟友ジョニー伍長の許へ向かう。そして、強盗一味の潜伏先を特定する。帰郷した町に居場所の無さを感じていたジョニーは、レーンと共に強盗一味を殲滅すべく、直ちに銃器を用意する。軍服に身を包んだ二人はキャデラックに乗り込み、強盗一味の根城である売春宿へ向かう―。
ジョン・フリン監督の1977年公開作。「新宿ハードコア傑作選」(2025年7月18日~9月4日/シネマート新宿)で同年8月15日からリバイバル上映されました。個人的には日本公開の翌年の'79(昭和54)年2月に池袋文芸坐にて最初に観ました。その時の併映が
マーティン・スコセッシ監督の「
ポール・シュレイダーは「タクシードライバー」の前に、シドニー・ポラック監督、ロバート・ミッチャム・高倉健W主演の「
し、阿鼻叫喚のなか、一味を射殺していく様や、頭数の多さに手こずり、二人とも被弾するもひるまずに応戦し、最後には一味を殲滅するのも、ヤクザ映画の殴り込みと同じパターン。二人共深手を負ったものの、お互いを支えながら戦場のようになった血まみれの売春宿を後にするのは、「ザ・ヤクザ」と同じパターンでしょうか(「昭和残侠伝」シリーズの場合、池部良は生還できないパターンが殆どだが)。
昔観たときは、バイオレンスがやや空回りしている印象も受けましたが、今観ると、強盗に襲われたレーンが片手を台所のディスポーザー(昔観た時は何だかわからなかった)に入れられても頑なに口を開かないのは、拷問のPTSDで耐えることが"習い"になってしまっているためなのだなあと。捕虜生活での拷問体験がフラッシュバックしていることから窺え、その前の戦地で受けた拷問をクリフに話し、憑かれたように再現してみせる振る舞いも、その伏線になっていました。
それと、主人公のレーン少佐を演じたウィリアム・ディヴェインも良かったですが、レーンの盟友ジョニー伍長をトミー・リー・ジョーンズが演じていたのは、改めて映画館で観るまで気づきませんでした。80年代はテレビ出演が主で、映画は出演しても脇役だったようです。でも、こういう役、合っています。再鑑賞の収穫でした。
「
「ローリング・サンダー」●原題:ROLLING THUNDER●制作年:1977 年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・フリン●製作:ノーマン・T・ハーマン●脚本:ポール・シュレイダー/ヘイウッド・グールド●撮影: ジョーダン・クローネンウェス●音楽:バリー・デ・ヴォーゾン●原
案:ポール・シュレイダー●時間:95分●出演:ウィリアム・ディヴェイン/トミー・リー・ジョーンズ/リンダ・ヘインズ/ジェームズ・ベスト/リサ・リチャーズ/ローラソン・ドリスコル/ダブニー・コールマン/ジェームズ・ヴィクター/キャシー・イェーツ/ルーク・アスキュー●日本公開:1978/05●配給:松竹・富士映画●最初に観た場所:池袋文芸坐(79-02-11)●2回目:新宿武蔵野館(25-08-19)(評価:★★★★)●併映(1回目):「タクシードライバー」(マーティン・スコセッシ) font>


戦争で夫を失った45歳のジャンヌ(デルフィーヌ・セイリグ)は、ブリュッセルのアパートで16歳の息子と暮らし、日常の行動を規則正しく管理している優秀な主婦。息子が学校へ行っている間に部屋の掃除や料理を完璧に こなし、さらにその合間に客を取って自宅で売春を行っていた。だが、そんな空虚なルーティーンを繰り返しているうちに、少しずつ綻びが生じていく。そしてある日、ジャンヌは自分でも思いもよらぬ反日常的な行動に走る―。
1975年、ベルギー出身の映画監督シャンタル・アケルマン(1950-2015/65歳没、死因はうつ病による自殺だっとと報道されている)が25歳で発表し、世界中に衝撃を与えた傑作とのこと。子育ての合間に売春を行う主婦の日常(と言いうより、売春を日常とする主婦)を、アパート内の固定カメラによる長回しで延々と映し、少しずつ生じていく心の歪みを淡々と描いています。英国映画協会が世界各国の研究者・批評家からの回答をもとに10年ごとに集計している「オールタイムベスト100選」では、2022年末に初ランクインで第1位に選出。2位のA・ヒッチコック監督「めまい」、3位のO・ウェルズ監督「市民ケーン」、4位の小津安二郎監督「東京物語」という錚々たる名作を抑えての第1位で、発表後じわじわとカルト的な人気を博し、現在では史上最高の映画の一つとされているとのことです(「東京物語」が第1位となった英BBC「最も偉大な外国語映画100本(2018年)」では14位にランクインしていた)。
アケルマンの狙いは、当時の世界で女性の大半が人生の多くの時間を割いている「家事」というものの核心が、単純作業の退屈さとその果てしない反復にあるにもかかわらず、従来の映画撮影手法では、それらがすべて編集でカット・圧縮されてしまい女性の世界を適切に表現していない、という事態を転覆させることにあったそうです。そのため、フェミニズム映画の金字塔などとも称されているようですが、主人公が時間をかけて家事をして買い物をし、或いは子どもが起きる前に靴を磨いたりしますが、これらの家庭内の女性の仕事は、アンペイドワーク、シャドウワークであり、彼女は生活のために客をとるのであって、家事と売春はもともと主婦&女性の仕事であり、女性はそれ以外に経済力はなく、女性が性的にも窮屈にも今なお抑圧されているということのようです(社会学的観点からの作品として面白い)。
永遠に続くと思われた日常の歯車は徐々に狂い始め、取り返しのつかない事態を自らの手で引き起こしてしまいますが、その契機は何だったのか。彼女が日常から逸脱しておかしくなっていくのは2日目の客を取った後からですが、その変化の理由を監督は、主人公がオルガスムを知ったからだと述べているとのことです。ただし、他にもルーティンを狂わせる変化の予兆は幾つかあり、息子青年との就寝前の会話で、母親が売春をしていることを知っている息子から、「好きでもない相手とよく寝ることができるね」といった言葉を吐かれたことを、心理的要因として指摘する人もいます。
「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」●原題:JEANNE DIELMAN, 23, QUAI DU COMMERCE, 1080 BRUXELLES●制作年:1975年●制作国:ベルギー/フランス●監督・脚本:シャンタル・アケルマン●撮影:バベット・マンゴルト●時間:201分●出演:デルフィーヌ・セイリグ/ジャン・ドゥコルト/アンリ・ストルク/ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ●日本公開:1996/12/2022/04(4Kレストア版)●配給:シネカノン/ビターズ・エンド(4Kレストア版)●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(7F)(25-05-05)(評価:★★★★☆)

50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベス(デミ・ムーア)は、容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気に病み、若さと美しさと完璧な自分が得られるという、「サブスタンス」という違法薬品に手を出すことに。薬品を注射するやいなやエリザベスの背が破け、「スー」(マーガレット・クアリー)という若い自分が現れる。若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、いわばエリザベスの上位互換とも言える存在で、たちまちスターダムを駆け上がっていく。エリザベスとスーには、「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破りはじめ―。
フランスの女性映画監督コラリー・ファルジャの2024年作のSFホラー映画。2024年・第77回「カンヌ国際映画祭」で絶賛されたとのことで、第75回「アカデミー賞」では作品賞のほか計5部門にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞。エリザベス役を怪演したデミ・ムーアはキャリア初となる「ゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)」にノミネート&受賞を果たし、アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされました。45年近いキャリアを持つ彼女ですが、オスカーの候補者として演技が評価されたのはこれが初めてで、演技者として一皮むけたということかもしれません。
確かに、途中まではデミ・ムーアの演技が悪くなく、また、身体を張って演技している印象でしたが(62歳で50歳のインストラクター役を演じているが、肉体年齢はさらに若そう)、「ボディホラー映画」の触れ込みに沿って本領を発揮するはずだった終盤は、メイクはデヴィッド・リンチ監督の「
('80年/英)のマネであるし、ラストで首が這っていくのもジョン・カーペンター監督の「
ただし、デミ・ムーアが「女優として新たな復活を果たした」との世評は、先にも述べたように、分からなくもないという感じでしょうか。「ゴースト/ニューヨークの幻」('90年/米)のヒットで有名になって、「ゴールデングローブ賞」の主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)」にもノミネートされましたが、あれから34年経ったのかと思うと感慨深いです。ぞの間、不名誉なゴールデンラズベリー賞を4回も受賞していますが、バリー・レヴィンソン監督の「
「ゴースト/ニューヨークの幻」は、レンタルビデオが普及し始めた'91年にビデオで観ましたが、いんちき霊媒師オダ・メイを演じたウーピー・ゴールドバークの快演(怪演)の方が印象に残ったでしょうか。デビ・ムーアと共演のパトリック・スウェイジ(1952-2009)は、57歳で膵臓癌で亡くなってしまいました。デミ・ムーアの当時の夫は、同時期公開の「
デミ・ムーア
「サブスタンス」●原題:THE SUBSTANCE●制作年:2024年●制作国:フランス/イギリス/アメリカ●監督・脚本:コラリー・ファルジャ●製作:コラリー・ファルジャ/ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー●撮影:ベンジャミン・クラカン●音楽:ラファティ●時間:142分●出演:デミ・ムーア/マーガレット・クアリー/デニス・クエイド/エドワード・ハミルトン=クラーク/ゴア・エイブラムス/オスカー・ルサージュ/クリスチャン・エリクソン/ロビン・グリア/トム・モートン/ウーゴ・ディエゴ・ガルシア/ヤン・ビーン●日本公開:2025/05●配給:ギャガ●最初に観た場所:TOHOシネマズ西新井(25-05-29)(評価:★★★)
「ゴースト/ニューヨークの幻」●原題:GHOST●制作年:1990年●制作国:アメリカ●監督:ジェリー・ザッカー●製作:リサ・ウィンスタイン●脚本:ブルース・ジョエル・ルービン●撮影:アダム・グリーンバーグ●音楽:モーリス・ジャール●時間:128分●出演:パトリック・スウェイジ/デミ・ムーア/ウーピー・ゴールドバーグ/トニー・ゴールドウィン/リック・アビレス/ヴィンセント・スキャヴェリ/フィル・リーズ/アンジェリカ・エストラーダ/アルメリア・マックィーン/ゲイル・ボグス/スティーヴン・ルート/ローラ・ドレイク●日本公開:1990/09●配給:パラマウント映画=UIP(評価:★★★)
「ディスクロージャー」●原題:DISCLOSURE●制作年:1994年●制作国:アメリカ●監督:バリー・レヴィンソン●製作:バリー・レヴィンソン/マイケル・クライトン●脚本:ポール・アタナシオ●撮影:アンソニー・ピアース=ロバーツ●音楽:エンニオ・モリコーネ●原作:マイケル・クライトン●時間:128分●出演:マイケル・ダグラス/デミ・ムーア/ドナルド・サザーランド/キャロライン・グッドオール/デニス・ミラー/ロマ・マフィア>ニコラス・サドラー/ローズマリー・フォーサイス/ディラン・ベイカー/ジャクリーン・キム/ドナル・ローグ/アラン・リッチ/ スージー・プラクソン●日本公開:1995/02●配給:ワーナー・ブラザース (評価★★★)
売れっ子作家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、かつて若い頃に同じ雑誌社で働き疎遠になっていた、親友で元戦場ジャーナリストのマーサ(ティルダ・スウィントン)が末期ガンを患っている
ことを聞く。彼女はマーサと久しぶりに再会し、会っていない年月を埋めるように病室で語らう日々を過ごす。治療を拒み自らの意志で安楽死を望むマーサは、人
の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、"その日"が来る時に隣の部屋にいてほしいとイングリッドに頼む。悩んだ末に彼女に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始める。そして、マーサは「ドアを開けて寝るけれど もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいない」と言い、最期を迎える彼女との短くかけがえのない日々が始まるのだった―。
「神経衰弱ぎりぎりの女たち」('87年/スペイン)、「オール・アバウト・マイ・マザー」('99年/スペイン)など、独特な映画をずっと発表してきた ペドロ・アルモドバル監督の2024年公開の監督初の英語長編映画作品で、ジュリアン・ムーア(世界三大映画祭のすべての女優賞を受賞した女優で、「ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)」「アカデミー主演女優賞」の受賞歴もある)とティルダ・スウィントン(こちらも、「ヴェネツィア国際映画祭 女優賞」と「アカデミー助演女優賞」の受賞歴がある)が主演し、2024年・第81回「ヴェネツィア国際映画祭」の「金獅子賞」を受賞しました。
原作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、ニューヨーク生まれで、母親はドイツから、父親はパナマからの中国系移民という作家シーグリッド・ヌーネスが2020年に発表したもので、原題は"What Are You Going Through"(あなたはどんな思いをしているの)。映画が金獅子賞を受賞し、日本で映画公開されることになったのに合わせて訳出されたようです。
ただし、原作及び映画における"主観"はあくまで看取る側である、映画ではジュリアン・ムーアが演じるイングリッドにあり、死を選ぶことを選んだマーサに寄り添うイングリッドの側の苦しさに焦点を置いているとも言えます。そう言えば、「週刊文春」の「シネマチャート」で、翻訳家の芝山幹郎氏や映画評論家の森直人氏が5つ星評価だったのに対し、作家の斎藤綾子氏が「友に欲望を押し付ける重病人の厚かましさに辟易」したとして星2つ評価でしたが、その気持ちも分からなくもないです(翻訳解説によると、原作者シーグリッド・ヌーネス自身もインタビューで「友人には不遜なユーモアが感じられる」と言っており(確信犯?)、「お前の冒険心はどこにいった?」と軽口をたたいたり、「できるだけ楽しい時間にするね」と約束したりする場面がある)。でも、個人的には、死に逝く人のエゴっていうのも分かる気がして、敢えて美化せずにそれを描いているのが、この原作並びに映画の良さではないかと思います。
ただし、緊張感こそありましたが、映画そのものは暗い感じはせず(原作もけっして暗くはないが、それは登場人たちのインテリジェンスによるところが大きいかも)、死への覚悟を決めているマーサにも、その部屋にも、どこかにはっとする鮮やかさがあり、そこに引き付けられます(つまり映画ではインテリジェンスの部分をデザインに置き換えているとも言え、全体として視覚的に美しく撮っている。ただし、マーサが分厚い本を手にして残された時間が無いことを嘆くなど、インテリとしての苦悩も描いている)。森の中の小さな家で死んでいくというのも、〈自然に還る〉ような感覚で良いです(最後、マーサは一人で死んで逝くことで、イングリッドにある種の優しさを見せたか)。
ただし、映画の物語は、原作小説の中の1エピソードに過ぎないとも言え、結末も少し異なります。ですから、原作の厳密な映画化ではありません。その映画オリジナルのシーンで、娘ミシェルがマーサの死後にイングリッドを訪ねて来て、母の話を聞くシーンは良かったです。イングリッドがマーサを段々受け入れて、いつの間にか他者を諭すほどに強くなっていたのが窺えました。ラストシーンの「死者と生者の間に降る雪」は、自分なりに解釈すれば、死者が生者同士を結び付け、死者を共有せしめたということだったのではないかと思いました。ある意味、原作を超えていました(娘ミシェルの顔が母マーサに見えたと思ったら、ティルダ・スウィントンの一人二役だった。この身長180センチの英国女優ティルダ・スウィントンは、「スノーピアサー」('14年)、「ヘイル、シーザー!」('16年)、「サスペリア」('18年)で一人二役を務め、「エターナル・ドーター」('22年)では、これもまた母娘の一人二役をこなしている)。
「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」●原題:THE ROOM NEXT DOOR/LA HABITACION DE AL LADO●制作年:2024年●制作国:スペイン/アメリカ●監督・脚本:ペドロ・アルモドバル●製作:アグスティン・アルモドバル/エステル・ガルシア●撮影:エドゥアルド・グラウ●音楽:アルベルト・イグレシアス●時間:107分●出演:ティルダ・スウィントン/ジュリアン・ムーア/ジョン・タトゥーロ/アレッサンドロ・ニヴォラ/ラウール・アレバロ/ファン・ディエゴ・ボト/エスター・マクレガー●日本公開:2025/01●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(9F)(25-02-18)(評価:★★★★☆)



かなり昔にビデオで観たのを、新文芸坐で2Kレストア版で再鑑賞。内容をほとんど忘れていたということもあって、新鮮な気持ちで愉しめました。小津安二郎の没後20周年を記念して、小津安二郎を敬愛するヴィム・ヴェンダースが、小津やそのスタッフと作品に捧げたオマージュ映像であり、同時に旅日記作品となっています(ソフィア・コッポラ監督の「
パチンコ店やゴルフ練習場、食品サンプル工場など"
現代"日本をある意味象徴するような場所を巡り、興味深いと思いながらも(かなりひとつひとつを丹念に撮っている)、当初の目的に照らすと、そうした場所を訪ねれば訪ねるほど失望を深めたのではないかと思われます(「東京物語」が撮影されたのは1953年だから、そこからだと30年経っていることになる。無理もないか)。
さらにラストの方では小津組のカメラマン厚田雄春を訪ね、小津映画における撮影手法を
映画の後半の方では、出来たばかりの東京ディズニーランドに行こうと思ったけれど、日本に来てわざわざアメリカのコピーを観にいくこともないと引き返したところ、都内でもアメリカ人になりたがっている若者たちがいたと。それが「竹の子族」で(これもかなり丹念に撮っている)、そっか、あの頃なのかと。崔洋一(1949-2022)監督の「
谷中霊園でスーツ姿で花見をする人たち、ホテルで観るテレビに流れる日本の番組やコマーシャル、工事中の有楽町マリオン(1984年完成)、(朝方?の)歌舞伎町のゴールデン街(今、ここ外国人が結構多いが、ヴェンダースもここで朝まで呑んだ?)、路地裏で三角ベースボールに興じる半ズボンの子どもたち―と懐かしい映像が流れ、そっか、小津安二郎の没後20年と言っても、そこから更に、その倍以上の年月がまた流れたのだなあと。

今の時代に改めて観ると、この映画自体が一時代の東京を表すレトロスペクティブとなっていて(今登るならば東京タワーではなくスカイツリーだろう)、そこから来る懐かしさや伝わってくる当時の活気が快く、それがこの映画を愉しめた大きな要因だったかもしれません。
「東京画」●制作年:1985年●製作国:アメリカ・西ドイツ●監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース●製作:クリス・ジーヴァニッヒ●撮影:エド・ラッハマン●音楽:ローリー・ペッチガンド●時間:93分●出演:ヴィム・ヴェンダース(ナレーション)/笠智衆/ヴェルナー・ヘルツォーク/厚田雄春●公開:1989/06●配給:フランス映画社●最初に観た場所(再見):池袋・新文芸坐(25-02-13)(評価:★★★★)

夜のマルホランド・ドライブ道路で自動車事故が起こる。事故現場から一人生き延びた黒髪の女性(ローラ・ハリング)は、助けを求めにハリウッドまで辿り着く。女性が偶然潜り込んだ家は、有名な女優の家だった。女優の姪である女優志望のベティ(ナオミ・ワッツ)に見つかった黒髪の女性は、部屋に貼られていた女優リタ・ヘイワースのポスターを見て、反射的に「リタ」と名乗った。彼女はベティに自分が事故で記憶喪失になっていると打ち明ける。リタのバッグには大金と青い鍵。ベティはリタの失った記憶を取り戻すことに協力する―。
デイヴィッド・リンチ監督による2001年の映画で、もともとは「
デイヴィッド・リンチ監督は本作品により「ハリウッドのダークサイドを描きたい」と述べており、この映画は同じくハリウッドを舞台にした1950年の映画「
ただし、作品の雰囲気は「ツイン・ピークス」や同じくデイヴィッド・リンチ監督の「ブルーベルベット」('86年/米)などに近く、「ツイン・ピークス」の小人役のマイケル・J・アンダーソンをはじめ、他のリンチ監督作に出ていた俳優も出てました。一方で、"タップの女王"と呼ばれた「踊る大紐育」('49年/米)のマドンナ、アン・ミラーが、夢と現実世界の二役(役名はともにココ)で出ていたりもします(そう言えば、リー・グラント(「
よく、「マルホランド・ドライブ」と「ブルーベルベット」('86年/米)とどちらが傑作か、或いはどちらを先に観るべきかといった議論がありますが、個人的には'89年に「ブルーベルベット」をレンタルビデオで観てしまいました。田舎町
の裏側に潜むグロテスクかつミステリアスな人間たち(久
々に映画界メジャー復帰のデニス・ホッパーが演じるサディストの麻薬密売人はとりわけ異常な雰囲気)の織り成す人間模様は、「ツイン・ピクース」につながるデイヴィッド・リンチ監督ならではの世界でしたが、TVドラマ版「ツイン・ピクース」を観ると、「ブルーベルベット」は「ツイン・ピクース」への助走だったような気もします(その間にカイル・マクラクランの演技が熟成した)。一方、「マルホランド・ドライブ」はきらびやか夢の街ハリウッドが舞台ですが、一見すると思いやりがあってまともに見える人間の行為の裏に深い闇が隠れているというテーマ乃至モチーフは共通します。また、描き方として、夢(理想)と現実を曖昧に混在させている点は同じですが、「マルホランド・ドライブ」は、主人公が現実の悲劇的な状況を理想化された夢の物語に投影するという心理的な境界線の上にドラマの大部分が成り立っていて、そのことを観客に予め知らしめないことで観客まで意図的に混沌に巻き込んでおり(推理小説風に言えば"叙述トリック"とでも言うか)、その意味では「ブルーベルベット」からまた進化を遂げているとも言えるように思いました(主人公の夢を追体験するという点では、先に挙げた「エターナル・サンシ

「マルホランド・ドライブ」●原題:MULHOLLAND DRIVE/MULHOLLAND DR.●制作年:2001年●制作国:アメリカ・フランス●監督・脚本:デイヴィッド・リンチ●製作:ニール・エデルスタイン/ジョイス・エライアソン/トニー・クランツ/マイケル・ポレール/アラン・サルド/メアリー・スウィーニー●撮影:ピーター・デミング●音楽:アンジェロ・バダラメンティ●時間:145分●出演:ナオミ・ワッツ/ローラ・ハリング/ジャスティン・セロー/アン・ミラー/ダン・ヘダヤ/ジェームズ・カレン/ャド・エヴェレット/リチャード・グリーン/ブレント・ブリスコー/ロバート・フォスター/マイケル・J・アンダーソン/リー・グラント●日本公開:2002/02●配給:コムストック●最初に観た場所:新宿ピカデリー(24-10-03)(評価:★★★★)

「ブルーベルベット」●原題:BLUE VELVET●制作年:1986年●制作国:アメリカ●監督・脚本:デイヴィッド・リンチ●製作:フレッド・カルーソ●撮影:フレデリック・エルムス●音楽:アンジェロ・バダラメンティ●時間:121分●出演:カイル・マクラクラン/イザベラ・ロッセリーニ/デニス・ホッパー/ローラ・ダーン/ジョージ・ディッカーソン/ディーン・ストックウェル/ホープ・ラング●日本公開:1987/05●配給:松竹富士クラシック(評価:★★★★)




ジョーン・バエズ
ジャニス・ジョプリン「
ドイツ人のベストセラー作家サンドラ(サンドラ・ヒュラー)は自宅で学生からインタビューを受けていた。屋根裏部屋のリフォームをしていた夫のサミュエル(サミュエル・タイス)が大音量で音楽をかけ始める。サンドラは取材を中断し、また別の機会を、と学生を帰らせる。サミュエルが生まれ育ったフランスの人里離れた雪山に佇む山荘で、サンドラは、教師の仕事をしながら作家を目指す夫サミュエル、11歳の息子ダニエル、愛犬スヌープの家族3人と1匹で暮らしている。事件が発覚したのは、ダニエルがスヌープの散歩から戻った時。山荘前の雪上で頭から血を流し横たわる父親がいたのだ。ダニエルの叫び声を聞いたサンドラが駆けつけると、すでにサミュエルの息は止まっていた。検視の結果、死因は事故または第三者の殴打による頭部の外
傷だと報告される。事故か自殺か他殺か―殺人ならば、状況から容疑者はサンドラしかいない。サンドラはかつて交流があった弁護士のヴァンサン(スワン・アルロー)に連絡を取り、山荘にやって来たヴァンサンは、「サミュエルは窓から落下して物置の屋根に頭部をぶつけた」と申し立てることに決める。さらに窓枠の位置の高さから、事故ではなく「自殺」だと主張するしかないと説明する。サンドラは「息子の目の前で自殺するはずがない」と異を唱えるが、半年ほど前、夫が嘔吐した際、吐瀉物に白い錠剤が混じっていたことを思い出す。捜査が進み、検察はサンドラを起訴する決断を下す。ヴァンサンは起訴理由を聞いて驚き、サンドラに「なぜ僕に黙っていたのか」と詰め寄る。サミュエルの死の前日、夫婦が激しく口論し殴り合う音声が、サミュエルのUSBメモリに残されていたのだ。法廷で夫婦喧嘩の録音が再生される。サミュエルはサンドラを「お前のせいで自分には執筆する時間がない」「自分の小説の構想を奪われた」「ダニエルが事故で失明しセックスレスになった時、お前は他の女性と不倫していた」「話し合いにも応じてくれない」と批判する。サンドラは「執筆時間は家事の合間にも作れる」「小説のアイデアをもらうことも不倫もあなたの了承済だった」「書けないことを私のせいにしないで」と激しく反論、激高して壁に物を投げつけ、サミュエルを殴打したのだった。裁判が始まると証人や検事から次々と夫婦の秘密や嘘が暴露される。審理は混沌を極め、真相が見えない中、一度は証言を終えた息子のダニエルが「もう一度証言したい」と申し出る―。
ジュスティーヌ・トリエ監督の2023年作で、第76回「カンヌ国際映画祭」で「パルム・ドール」と「パルム・ドッグ賞」(視覚障害を持つ少年の愛犬「スヌープ」役のボーダーコリーのメッシは"好演"だった)を受賞した作品(主演のザンドラ・ヒュラーは、自らが主演のジョナサン・グレイザー監督の「関心領域」('23年)が同映画祭同年の「グランプリ」を受賞したため、同一映画祭における上位2つの賞を受賞した作品に主演したことになる)。そのほかに、「ナショナル・ボード・オブ・レビュー外国語映画賞」「ゴールデングローブ賞外国語映画賞(最優秀非英語映画賞)」なども受賞しています(「アカデミー国際映画賞」は「関心領域」が獲った)。
スリラー映画とかいう触れ込みでしたが、サンドラの視点で描かれているので、観ている側には(叙述トリックでもない限り)サンドラは殺人を犯してはいないだろうという前提で観ることになるのでは。そうした意味では純粋ミステリではないですが、ではどうして夫サミュエルは死んだのかという、別のミステリ的な「謎」が残り、一方で、サンドラの立場は舌鋒鋭い検事(アントワーヌ・レナルツ)に追い込まれ、周囲から見れば嫌疑が深まることになり、これはこれでミステリ的謎で引っ張るドラマで、ミステリと言うより「法廷劇」でした(そう言えば2024年のアカデミー作品賞の「
同じ作家同士である夫婦間の溝が明らかになっていく様はリアルでした。監督・脚本のジュスティーヌ・トリエと共同脚本のアルチュール・アラリはパートナー同士の関係で、アルチュール・アラリにも、ルバング島での旧日本軍少尉・小野田寛郎の孤独な戦いを描いた「ONODA 一万夜を越えて」('21年)など監督作があり、このあたりは、夫婦が作家同士である映画に重なります(映画では夫婦間で創作活動を巡って関係が険悪になったことが窺えるが、こうした話を書くことができるということは、ジュスティーヌ・トリエとアルチュール・アラリのパートナー関係は良好なのではないか)。
ザンドラ・ヒュラーが演じる主人公の名がサンドラ("サ"は濁らない)、サミュエル・タイスが演じる夫の名がサミュエル。ザンドラ・ヒュラーは作中でフランス語を話したいと考えたが、ジュスティーヌ・トリエ監督はその考えを却下し、「彼女が英語を話し、フランス語を話そうと挑戦しているドイツ人であるという事実が、多くの仮面を作り出し、問題を曖昧にし、彼女が何者なのかさらなる混乱を生み出す」と語ったそうです。撮影現場でザンドラ・ヒュラーは、自分の役が有罪なのか無罪なのかを繰り返し尋ねたがトリエ監督は答えなかったそうで、なるほど、そうしたことも演出面で、「謎」で引っ張ることの効果に繋がっていたのかもしれません。ザンドラ・ヒュラー自身は演じていて不安になったのではとも思ったりしますが、彼女はこの演技で2度目の「ヨーロッパ映画賞女優賞」受賞を果たし、「アカデミー賞主演女優賞」と「ゴールデングローブ賞主演女優賞」にノミネートされています。「アカデミー賞主演女優賞」は「
物語的には、主人公がぼろぼろになりながらも、最後はハッピーエンドだったのではないでしょうか。弁護士も有能でしたが、息子の証言が決定的でした。賢い子だったなあ。父親が、犬のスヌープのことではなく自分(父親自身)のことを言っていたのだと気づくというのは、父親の自殺願望を察したとも言えるわけで、11歳にしては相当に大人びた洞察ではないでしょうか。フランスは「陪審制」ではなく裁判官も加わる「参審制」の国ですが(ドイツ、イタリアなどもそう)、裁判員だけでなく裁判官もあの証言で(子どもの証言であるにかかわらず)一気に確信を得たのでしょうね。
そう言えば、ダイアン・クルーガーが「カンヌ映画祭女優賞」を受賞したファティ・アキン監督の「
高校生の時に観てラストシーンに衝撃を受け(友人に「観ろ」と言われて観たので、事前に何も知らないで観たかもしれない)、観た後ずっとトラウマになっていたのを、最近約半世紀ぶりに観直しましたが、改めて「法廷劇」であったことに思い当たりました(淀川長治が「結末から始まる映画」というようなことを言っていた記憶があるが、言い得ている。トラウマ克復も含め、観直した意義があった)。この「落下の解剖学」の検事を見ていて、被告を最初から犯人と決めてかかるところは、「死刑台のメロディ」に出てくる検事と同じだなあと思いました。ただし、「死刑台のメロディ」の場合は、裁判官も含め、あたかも裁判所ごと被告らを犯人と決めつけており、その中で弁護士が孤軍奮闘するも被告らを救えなかった...。
「死刑台のメロディ」の音楽はエンニオ・モリコーネで、ラストで流れるジョーン・バエズ歌唱のテーマ「勝利への讃歌(Here's To You)」が印象に残ります(邦題も、不条理な死刑という結末に向かう状況を、ジョーン・バエズの歌声が「死刑台のメロディ」として切なく表現していることに由来する)。ジョーン・バエズは、マイケル・ウォドレー監督のコンサート・フェスティバル記録映画「ウッドストック 愛と平和と音楽の三日間」('70年/米)でも歌っていた、"Joe Hill"や"Swing Low Sweet Chariot"も有名であり、さらには「勝利を我らに(We shall overcome)」という公民権運動の象徴となった有名曲もありますが、この「勝利への讃歌」もいい曲です。
ジョーン・バエズ
サッコとバンゼッティは死刑になり、その場所(マサチューセッツ州ボストン郊外の刑務所)は「死の館」と呼ばれ、アメリカ史の恥辱の象徴となっているのに、なぜ「勝利への讃歌」なのか。それは、ヴァンゼッティが獄中で、ジャーナリストのインタビューに答えた次の言葉があるとのことです。やや長くなりますが引用しておきます。
因みに、ウッドストック・フェスティバル は、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間にフォーク&ロックの有名アーティスト達と約40万人の若者を集めて行われた大コンサートで、ジミ・ヘンドリックス、サンタナ、ザ・フー、ジョー・コッカー、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジョーン・バエズ、ジャニス・ジョプリンなど30組以上のロック・フォークアーティストが演奏を繰り広げ、コンサート期間中に死者3人、負傷者5000人、出産2人を記録したそうです。映画「ウッドス
トック 愛と平和と音楽の三日間」はその記録映画で、とりわけ、このコンサートの翌年の1970年の9月18日に27歳で謎の死(薬物死?)を遂げたジミ・ヘンドリックスの最高のステージの映像としても知られていますが、短期間だが彼と恋愛関係にあったと報道されたジャニス・ジョプリンも印象的でした。日曜深夜(実質17日)のステージに登場し、圧倒的なソウルフルな歌声で「Work Me, Lord」を歌いました(実際には遅延と疲労の中、「Summertime」や「Ball And Chain」なども含め1時間ほど熱唱し、約40万人の観客を魅了したという)。まさにキャリアのハイライトでしたが、彼女もジミ・ヘンドリックスと同じく1970年の10月4日に、これまた27歳で亡くなっています(ヘロイン摂取が致死量を超えたことが死因であるとされている)。酒と麻薬に溺れながらも歌いつづけたジャニス・ジョプリンをモデルとして描いたマーク・ライ
デル監督の「ローズ」('79年/米)では、主人公のメアリー・ローズ・フォスター(架空の女性シンガーだが、ほぼジャニス・ジョプリンの人生をなぞっている)を演じたベット・ミドラーが、麻薬と酒でボロボロになって死んだロッ
クの女王ジャニスになりきって熱演、歌唱力もすごく、歌手かと思いましたが実はコメディ映画の出身、ただしシリアスもこなせる女優であり、女優としては3度のエミー賞、4度のゴールデングローブ賞、2度のトニー賞を受賞、歌手としても3度のグラミー賞を受賞していて、歌った主題歌の「ローズ」は、現在までに数多くの歌手がカバーし、スタンダード・ナンバーになっています(ジャニス・ジョプリンの伝記ドキュメンタリーはハワード・オーク監督の「ジャニス」('74年/米)があるが、近年ではエイミー・バーグ監督のドキュメンタリー映画「リトル・ガール・ブルー」('15年/米)が最も決定的な伝記作品とされる)。「
「落下の解剖学」●原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE(英:ANATOMY OF A FALL)●制作年:2023年●制作国:フランス●監督:ジュスティーヌ・トリエ●製作:マリー=アンジュ・ルシアーニ/ダヴィド・ティオン●脚本:ジュスティーヌ・トリエ/アルチュール・アラリ●撮影:シモン・ボーフィス●時間:152分●出演:ザンドラ・ヒュラー/スワン・アルロー/ミロ・マシャド・グラネール/アントワーヌ・レナルツ/サミュエル・タイス/ジェニー・ベス/サーディア・ベンタイブ/カミーユ・ラザフォード/アン・ロトジェ/ソフィ・フィリエール/メッシ(犬)●日本公開:2024/02●配給:ギャガ●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-09-19)(評価:★★★★)
「死刑台のメロディ」●原題:SACCO E VANZETTI(英:SACCO AND VANZETT)●制作年:1971年●制作国:イタリア・フランス●監督:ジュリアーノ・モンタルド●脚本:ジュリアーノ・モンタルド/ファブリッツィオ・オノフリ●撮影:シルヴァーノ・イッポリティ●音楽:エンニオ・モリコーネ●時間:133分●出演:ジャン・マリア・ヴォロンテ/リカルド・クッチョーラ/シリル・キューザック/ミロ・オーシャ/ジェフリー・キーン/ウィリアム・プリンス/ロザンナ・フラテッロ●日本公開:1972/05●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所(再見):新宿武蔵野館(24-05-21)(評価:★★★★)
「ウッドストック 愛と平和と音楽の三日間」●原題:WOODSTOCK●制作年:1970年●制作国:アメリカ●監督:マイケル・ウォドレー●製作:ボブ・モーリス●撮影:マイケル・ウォドレー/デヴィッド・マイヤーズ/リチャード・ピアース/ドン・レンザー●時間:184分/225分(ディレクターズ・カット版)●出演:ジミ・ヘンドリックス/サンタナ/ザ・フー/ジョー・コッカー/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング/ジョーン・バエズ/ジャニス・ジョプリン●日本公開:1970/07●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:飯田橋・ギンレイホール(78-01-16)(評価:★★★★)●併映:「
「
「ローズ」●原題:THE ROSE●制作年:1979年●制作国:アメリカ●監督:マーク・ライデル●製作:マーヴィン・ワース/アーロン・ルッソ●脚本:ビル・カービイ/ボー・ゴールドマン●撮影:ヴィルモス・スィグモンド●音楽:ポール・A・ロスチャイルド●時間:135分●出演:ベット・ミドラー/アラン・ベイツ/フレデリック・フォレスト/ハリー・ディーン・スタントン/バリー・プリマス/デヴィッド・キース/サンドラ・マッケイブ/ウィル・ヘアー/ルディ・ボンド/ドン・カルファ/ジェームズ・キーン/ドリス・ロバーツ●日本公開:1980/11●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:吉祥寺・テアトル吉祥寺(81-04-19)(評価:★★★★)●併映:「ヘアー」(ミロシュ・フォアマン)
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーは飲まれていく―。
クリストファー・ノーラン監督が〝原爆の父〟と称される天才物理学者の半生を描いた作品で、第二次世界大戦末期、広島、長崎に投下された原爆開発の舞台裏と天才科学者の葛藤を描き、 アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞(キリアン・マーフィー)など7部門を制覇しています。米国では'23年7月21日公開でしたが、日本ではアカデミー賞発表後の'24年3月公開。米国と同時公開にすると、日本では原爆が投下された日に近くなってしまうため公開をずらしたとの見方もありますが、米国で製作された映画は北米公開から数か月遅れて公開されるのはよくあることとの指摘もあるようです(個人的には、前者が本当のところで、後者が弁明に思える)。
日本の原爆開発を背景に時代に翻弄された若者たちの姿を描いた作品「太陽の子」のテレビ版('20年/NHK)・映画版('21年/イオンエンターテイメント)を撮った黒崎博監督は、「批判的な意見もあるが、知らないよりは知るべきだ」としています。原爆開発における、ナチに先んじるという大義名分がナチの降伏で消えたにもかかわらず、開発を止められなかった、そこを避けずに描いていることを評価していました(「日本が降伏しないから」との説明も入れているが、"広島"で思い知らしめ、"長崎"で諦めさせる―という発想であったことも作品の中で示されている)。
因みに、NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」の「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」('24年2月19日放送)は、原爆を開発した天才科学者オッペンハイマーの葛藤、水爆開発への反対、そして赤狩りによる公職追放という激動の人生を描いた回であり、映画「オッペンハイマー」への理解を深めることができるドキュメンタリーでした。この番組と映画を観て、映画についてやや不満に思ったのは、先にも述べたように映画の後半はほぼ政治劇なのですが、オッペンハイマーが当局の尋問を受けるのは、妻が共産主義者であり、また、彼が水爆開発に協力しな
いということだけが原因のように見えてしまうことです。それもありますが、聴聞会でスパイ容疑をかけられたのは、オッペンハイマーの下、原子爆弾の研究・開発に最年少の18歳で参加した(18歳でハーバード大学を卒業した)天才物理学者テッド・ホールのように、マンハッタン計画で米国の原子爆弾開発に貢献しながら、その傍らスパイとして核情報をソ連へ流出させていた人物が実際に複数いたためであり、そうした背景があまり説明的には描かれていなかったような気がしました(ただ、セオドア・ホール
に関しては、1951年にFBIによる尋問を受けているが、その時は証拠不十分で告発されることはなかったため、原爆開発計画に関する情報のほとんどはクラウス・フックスやローゼンバーグ夫妻によって流出したと考えられてきた)。
因みに、オッペンハイマーに関しては、映画化に合わせて刊行されたこの映画の原作である評伝『オッペンハイマー(上・中・下)』(カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン、河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳、ハヤカワ文庫)があり(2006年ピュリッツァー賞受賞作品『オッペンハ
イマーー「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(上・下)』('07年/PHPP研究所)の文庫化)、監訳者の山崎詩郎氏は、NHK・Eテレの「すイエんサー」や「天才てれびくん」などでもお馴染みの気鋭の若手物理学者です。


女優カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)と脚本家ポール・ジャヴァル(ミシェル・ピッコリ)は夫婦である。夜、二人のアパルトマンの寝室での会話は無意味だが、夫婦らしいものでもあった。翌朝、ポールは米国から来た映画プロデューサー、ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)と会った。ジェレミーはフリッツ・ラング(本人)が現在撮影中の映画「オデュッセイア」があまりにも難解だとし、脚本のリライトをポールに発注してきた。昼になって、カミーユが現れ、夫妻はジェレミーに自宅に誘われた。自宅でジェレミーは、カミーユをカプリ島でのロケ撮影に来ないかと言う。それは夫が決めること、とカミーユは答える。アパルトマンに帰った後のポールとカミーユは、なぜかしっくりこない。夜、ふたりは別々の部屋で寝ることになる。ジェレミーから再び、カミーユへのロケのオファーの電話があった。ポールはポールで、本人次第だと答えてしまう。電話の後で激したカミーユは、ポールを軽蔑すると言い放つ。ジェレミーの誘いで映画館に行った後、カミーユはオファーを承諾した。カプリ島。ここにはジェレミーの別荘がある。撮影現場でラング監督とはやはりうまくいかないジェレミーは、カミーユに別荘へ戻ろうと言う。カミーユはポールを一瞥するが、ポールは、カミーユがジェレミーと別荘に帰ることを軽く承諾した。ポールは、それよりも、ラング監督との映画「オデュッセイア」の問題について議論を続けたいのだ。遅れて別荘に着いたポールは、
カミーユに、あの日ポールに言い放った「軽蔑」という言葉の真意を問いただす。答えは無かった。翌朝、ポールにカミーユからの手紙が届き、ジェレミーとローマへ発つと書かれていた。同じ頃、ハイウェイで派手な衝突事故が起きていた。大型車にぶつかり大破したスポーツカーには、ジェレミーとカミーユの血まみれの死体があった―。
1963年公開のゴダールの長篇劇映画第6作です。イタリアの作家アルベルト・モラヴィアの同名小説を原作に、当時、2年前に結婚したばかりの妻アンナ・カリーナとの愛の問題に苦悩したゴダールが、自己を投影し、愛の不可能性を描いたとされている作品です。60周年を記念した4Kレストア版が、2023年カンヌ国際映画祭のクラシック部門で上映されました。個人的には、ずっと昔に『
からっとしたカプリ島の太陽の下で、じめっとした愛憎劇が繰り広げられるこの対比は、やはり映像化された作品を実際に観て初めて分かるように思いました。室内シーンも少なからずありますが、こちらもポップアート調でカラフルな「デザイナーズマンション」のような別荘だったりします(デザイナーズマンションの先駆とも言われるカプリ島にある「マラパルテ邸」を使用)。こうしたことも含め、重苦しいテーマの中にも、ゴダールのセンスや遊び心さえも感じられる作品です。
ブリジット・バルドー演じるカミーユがミシェル・ピッコリ演じる夫ポールに軽蔑の気持ちを抱いた決定的瞬間の1つはやはり、米国から来た映画プロデューサーが自分のアメ車に彼女を乗せる
のを、「じゃあ先に帰っていてくれ」とでも言わんばかりに制止する様子が無かった時だろうなあ。脚本のリライトのことで頭がいっぱいだったのは分かるけれど、女性には男性に毅然とした態度をとって欲しいという気持ちがあるのだろうなあ。なぜ、カミーユが夫を軽蔑するようになったのか分からないという人がいるけれど、個人的には、ゴダール作品の中ではかなり分かりやすい部類ではないかと思います(先にシナリオを読んでいたせいもあるかもしれないが)。昔観た「
その米国から来た映画プロデューサーを演じているのは、あの「
それに呼応するように、ドイツのサイレント映画の巨匠で、戦後アメリカのB級映画作家となったフリッツ・ラングが本人役で出演し、ただし、愛の問題にも映画産業の問題にも的確な言説を吐いています。アメリカ人プロデューサーとの撮影が頓挫するフリッツ・ラングは、現実世界では1920年代には「
夫婦が不仲になるという設定と古代ギリシャ時代の彫刻のコピーの石膏像が作品に頻繁に出てくるのは、作中にそれを上映している映画館が出てくるロベルト・ロッセリーニの「イタリア旅行」('54年/伊・仏)へのオマージュであるとのこと(ロッセリーニもこの時、当時の妻イングリット・バーグマンの不仲に悩んでいた)。ただし「イタリア旅行」の夫婦はラストで劇的に和解するのですが、本作は和解はナシ。それどころか、最後にカミーユとジェレミーが事故死するのは(ロッセリーニはこの結末に不満だったらしい)、ポールの怨念から来る"念力"の結果? と言うことで、最後、役の上では死んじゃうけれど、ブリジッド・バルドーを最も美しく撮っている映画の1つです。


「軽蔑」●原題:LE MEPRIS(英:CONTEMPT)●制作年:1963年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ジョルジュ・ドゥ・ボールガー/カルロ・ポンティ/ジョーゼフ・E・レヴィーン●撮影:ラウール・クタール●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●原作:アルベルト・モラヴィア●時間:102分●出演:ブリジット・バルドー/ミシェル・ピコリ/ジャック・パランス/ジョルジア・モル/フリッツ・ラング/ジャン=リュック・ゴダール/ラウール・クタール/リンダ・ベラス●日本公開:1964/11●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-08-13)(評価:★★★★) font>
1日目〈出逢い〉。陽気に騒ぐアメリカの水兵で賑う港町ナント。全てにうんざりしたローラン(マルク・ミシェル)は自由を求めて旅に出たいと思っていた。水兵フランキー(アラン・スコット)は仲間と共にキャバレー「エル・ドラド」に繰り出す。目当ては踊り子のローラだ。ローランは書店でデノワイエ夫人(エリナ・ラブールデット)と娘のセシ
ル(アニー・デュペルー)と知り合い、娘と同じ名の幼馴染みのことを思い出す。ローランは紹介された仕事先でローラことセシル(アヌーク・
エーメ)と短かい再会をする。彼はそこでヨハネスブルグに行く仕事を引き受けた。デノワイエ夫人はローランの訪問を喜んでいたが、ローラとの約束が迫っているローランは慌しく辞去する。翌日のセシルの誕生日にまた来ると言い残して。ローランとローラは久し振りに2人だけの時を過ごす。彼女は14歳の初恋を語り始めた。祭で出逢
ったアメリカの水兵ミシェル。一目惚れ。数年後の再会。そして、息子イヴォンを宿したこと。妊娠を知り姿を消した彼。7年経っても彼を待つ彼女。ローランは夜が明けるまで独りで歩き続けた。 2日目〈14歳初恋〉。ローランはローラを愛している自分を知る。フランキーと一緒にいる彼女を見つけ後をつける。ローランはカフェでローラに愛を打ち明ける。優しく微笑むローラだったが、彼女が愛しているのはミシェルだけだった。ローランはフランキーのことでローラを責め、2人は喧嘩別れする。明日シェルブールへ旅立つフランキーはローラに別れを告げに来る。帰り道、フランキーは少女セシ
ルに出逢い、祭りで賑う街で2人は短く楽しい時間を過ごす。夕刻、ローランはセシルの誕生祝いに訪れる。彼もまた明日旅立たねばならない。 3日目〈旅立ち〉。ローランは雇い主が密売で逮捕されたことを知る。そして、そこに現れたローラと和解し、2人は別れる。ローランはデノワイエ夫人から、セシルが実父の住むシェルブールへ家出したことを聞かされる。夫人も娘の後を追い旅立った。待てど来ぬ恋人を諦めたローラ
は、「エル・ドラド」の踊り子たちに別れを告げていた。そこへ、キャデラックに乗ったミシェルが現れる。熱い抱擁を交す2人。走る車の中からローラが目にしたのは、港に急ぐローランの姿だった―。
話はフランス西部の港町ナントが舞台で、初恋の男性を待ち続ける踊り子ローラを中心に繰り広げられる恋愛物語です。かつて出逢った一人の男、ミシェルの帰りを7年待ち続けている踊り子ローラが、ある日幼なじみのローランと10年ぶりに再会するという話ですが、視点としては、ローランが主人公で、ローラに偶然再会して恋に落ちるという流れで、最後にローランにとってはほろ苦いと言うか、やや残酷とも言える結末が待っていました、
ローラを演じるアヌーク・エーメの魅力が全開で、港町ナントの光と影の映像とミシェル・ルグランの美しい旋律の音楽にマッチしていたように思います(当初は音楽が無く、ジャック・ドゥミが音楽家を探してレコード店に入ると、ミシェル・ルグランのレコードを勧められたという)。ジャック・ドゥミは、この作品と「シェルブールの雨傘」の間にジャンヌ・モロー主演の「