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しっかり西部劇している「アウト・ウェスト」。ギミック中心、キートンが女装する「初舞台」。

「ファッティとキートンのアウト・ウェスト(デブ君の出稼ぎ)」

「デブの舞台裏(ファッティとキートンの初舞台)」
西部開拓時代、流れ者のファッティ(ロスコー・アーバックル)は、西部に向かう列車の貯水タンクに潜入するも、乗客の食べ物をかすめ取っていたのがバレて砂漠に放っぽり出される。喉の渇きを癒すため何とか湧き水に辿り着いたのもつかの間、インディアンに追
われる身に。一方、「ラストチャンス酒場」の経営者兼保安官のキートンは、ワイルド・ビル(アル・セント・ジョン)の盗賊一味に店を襲われ、バーテンダーが撃たれてしまう。そこへ偶然インディアンから逃れてやってきたファッティが実は拳銃の名手で、盗賊一味を一人で追っ払ってしまう。ファッティは新たにバーテンダーとしてキートンの店に雇われ、店を訪れたまたま皆に虐められていた黒人を救った優しい女性スー(アリス・レイク)と恋に落ちる。その彼女に、再び店を訪れたワイルド・ビルがしつこく言い寄るため、ファッティとキートンは協力して彼を追い出す。しかし、復讐の念に駆られたワイルド・ビルによってスーは攫われてしまう―。
ロスコー・アーバックルが監督した1918年1月20日米国公開作。結構大掛かりなロケで、しっかり"西部劇"していたなあという印象。これもあくまでもロスコー・アーバックルが主演で、最後はワイルド・ビルからヒロインを奪う返して2人してハッピーエンドとなる一方、キートンの方はワイルド・ビルの手下たちと応戦し、援護している位置づけ。それでいて、ロケのスケールに相応しいアクションの部分は、ロスコー・アーバックルも崖から転がり落ちるなどして奮闘してはいるものの、やはりキートンが担っている部分が大でしょうか。
キートンが酒場で、トランプで
いかさまをした男をあっさり撃ち殺してしまうのは、彼が保安官でもあるからでしょうか。盗賊が襲って来て、バーテンダーが撃ち殺されると、ホールドアップしたたまま新たなバーテンダーの求人を出す―ハードボイルドと冷静さを気取っているキートンが可笑しいです。ただ、黒人いじめにファッティもキートンも加担しているのはいただけません。スーが現れ、彼らを反省させる伏線ともとれますが(スーは「救世軍」の女性という設定らしい)。
アル・セント・ジョン演じるワイルド・ビルの、フ
ァッティがビール瓶で頭を何度叩いても意に介さず女性に言い寄り続ける屈強ぶりがターミネーターみたいでスゴイというよりシュールです(ただし、くすぐりに弱い)。ファッティは客の馬に酒を飲ませて酔わせるといった悪戯好きですが、馬が酔っぱらう演技はどうやって撮ったのでしょう? キートンの父親のジョー・キートンが出ているようですが、冒頭のファッティの食べ物をかすめ取られる3人の乗客の中央の人物がそれでしょうか。
ファッティ(ロスコー・アーバックル)、キートン、アル・セント・ジョンら3人は、劇場の舞台係(ステージハンド)として働いていた。舞台では次の公演に向けて準備が進んでいたが、強面の出演者、怪力男の"玉葱教授"(チャールズ・A・ポスト)たちが反抗してストライキを起こし、ショーをボイコットしたため、彼らは困り果てる。そこへモリー・マローン演じる、玉葱教授にこき使われて離反した助手(兼愛人?)がやって来て、自分たちでショーをやることを提案、3人はその決意をする。ショーが始まり、まずは助手によるヒロインの美女の妖艶な踊り。続いて彼女と入れ替わったキートンも女装で登場し、蝶のような踊りや手を使わない側転など、アクロバティックな演技を披露。エンディングでのファッティと自分の助手との濃厚なラブシーンを見て怒った玉葱教授は観客席から銃を発砲。その彼をキートンがブランコを使って舞台に引き摺り下ろし、無事制圧する―(「デブの舞台裏」)。
ロスコー・アーバックルが監督した1919年9月7日米国公開作。こちらは室内劇なので、ギミック中心。キートン映画の特徴のひとつに、装置の仕掛けによる笑いがあり、特に「キートンの文化生活一週間 (マイホーム)」('21年)や「キートンの蒸気船」('28年)で見せた家の壁が壊れて倒れてくるものの、キートンはちょうど窓の位置で助かるというシーンが有名ですが、それと同じ仕掛けが、スケールは小さいですが、ロスコー・アーバックルが監督したこの作品でも見られます。

あとは、舞台劇で(途中でモリー・マローン演じる助手とチェンジして)ヒロインを演じるキートンの女装が見られるのが珍しいでしょうか。アーバックルの方は「ファッティとキートンのおかしな肉屋(デブ君の女装)」('17年)、「ファッティとキートンのコニー・アイランド」('17年)など他の幾つもの作品で女装していますが、キートンの方は、この作品以外では、「キートンの花婿(His Wedding Night)」('17年)で、配達員役でありながら、誤解からウェディングドレスのモデルになるシーンがあるのと、「キートンの即席百人芸」('21年)で、キートンが一人で何役も演じ分ける中に女装のキャラクターがちらっと出てくるぐらいでしょうか。
冒頭のファッティがショーの準備をする中で、壁の開演予告の一部だけ読んで("The Little Laundress"が"undress"に見えた)、ポルノショーと思い込んで急いでチケットを買う通行人も可笑しいです。バルコニー席に現れた彼は、作中で「不埒な目的を持った観客」として表され、王様役のアーバックルの腕の中に飛び込むところを誤ってバルコニー席に飛び込んでしまうキートンをまともに受け止めるという災難に見舞われることになります。
最後、客席から発砲する(殺人未遂じゃん)玉葱教授役のチャールズ・A・ポスト(1897-1952/55歳没)は当時まだ21歳。大柄ですが、キートンらとの絡みでしっかりアクションしているのは、若いからよく体が動くため? 身長198cmなので、「キートンの文化生活一週間」('20年)以降、後のキートン作品の大男役で常連のジョー・ロバーツ(1871-1923/52歳没)の身長191cmを上回ります。
「ファッティとキートンのアウト・ウェスト(デブ君の出稼ぎ)」●原題:OUT WEST●制作年:1917年●制作国:アメリカ●監督:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本:ロスコー・アーバックル/ナタリー・タルマッジ●撮影:ジョージ・ピータース●時間:25分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アル・セント・ジョン/アリス・レイク/ジョー・キートン●米国公開:1918/01(評価:★★★☆)
「デブの舞台裏(ファッティとキートンの初舞台)」●原題:BACKSTAGE●制作年:1919年●制作国:アメリカ●監督:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本:ジャン・ハヴズ●撮影:エルギン・レスレー●時間:26分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アル・セント・ジョン/モリー・マローン/チャールズ・A・ポスト●米国公開:1919/09(評価:★★★☆)


謝肉祭に沸くニューヨーク。コニー・アイランドの海岸で、恐妻とのデートに退屈したファッティ(ロスコー・アーバックル)は、砂浜に埋まって隠れ、何とか妻を撒くことに成功。一方、パレード見物を終えたキートンとガール・フレンドが遊園地にやって来た。彼女に一目惚れしたファッティは横恋慕を企んで、まんまと彼女を海水浴に誘い出すことに成功する。しかしファッティに合うサイズの貸し水着がなく、太ったおばさんの水着を盗み出す始末。女装して彼女と海水浴場へ繰り出すが―(「ファッティとキートンのコニー・アイランド」)。
ロスコー・アーバックルが監督した1917年10月29日米国公開作。一人の女性を巡って、ロスコー・アーバックルと彼の従兄弟のアル・セント・ジョン、そして、アーバックルにスカウトされて映画界入りした軽業師バスター・キートンの3人が奪い合いをするドタバタするコメディ。自分の女装姿にまんざらでもないファッティが可愛らしいです。アーバックルがあくまで主演で、この年に映画
界入りしたバスター・キートンはまだ助演ですが、ゴーカートでの衝突やバック転など、鍛えぬかれた肉体の演技を披露しています。
がだけでなくプライベート写真でもインタビュー・フィルムでも無表情を貫いています(普段はよく笑うが、カメラが回ると絶対に顔を崩さないよう徹底していたという妻の証言もあるが)。1957年に英BBCの「This is Your Life」という番組に出演した際も(最初は眼鏡をかけて登場する)、若い頃の自分のそっくりさんが出てきたりしてもニコリともせず、一方で、
自動車屋で働くファッティとキートン。二人のドジで、ガレージはいつもてんやわんやの大騒ぎ。ある日、ガレージのオーナーの娘モリー(モリー・マローン)にしつこく言い寄ってくる求婚者ジム(ハリー・マッコイ)が、バラの花束を抱えてやって来た。ところが花束はファッティたちのおかげで油まみれになり、受け取ったモリーの顔は真っ黒に。そのせいでモリーに嫌われてしまったジムは、復讐のためにファッティたちに犬をけしかける。犬にお尻を噛まれてズボンが脱げてしまったキートンは、警官に追われる羽目に...。一方、ひょんなことからガレージに閉じ込められてしまったジムは、二人に気付かれる前に逃げ出そうと画策しているうちに、火事を起こしてしまう。激しい火の手が上がり、モリーとジムは逃げ遅れてしまう。消防士でもあるファッティとキートンは、懸命に消火活動にあたるが、穴が開いたホースから水が漏れてしまい、なかなか鎮火できない―(「デブの自動車屋」)。
こちらもロスコー・アーバックルが監督した1920年1月11日米国公開作。キートンの頭がちょこんと当たっただけで自動車が発進したり、ガソリンまみれの男の横で煙草に火をつけようとしたり、下着姿を隠す為にポスターからキルト・スカートを剥ぎ取ったりと趣向は盛沢山で、キートンのアクションも全開。後の「笑わぬ喜劇王」キートンは「無表情の喜劇王」キートンでもあるわけですが、ここでは表情も豊かです。
自動車修理工の話で、皆オイルで顔が真っ黒になるのはコメディの常道。キートンとファッティがコンビネーション発揮して警察にバレないように歩くシーンが面白く、キートンはポールを逆立ちしながら昇ったして、その身体能力の高さを窺わせます。
「Buster Keaton/This is Your Life(S5 E28)」●制作年:1957年●制作国:アメリカ●製作総指揮・司会:
ラルフ・エドワード●演出:リチャード・ゴットリーブ●ゲスト出演:バスター・キートン/エディ・クライン/ドナルド・クリスプ/レッド・スケルトン/ドナルド・オコナー/エレノア・ノリス・キートン/ハリー・キートン/ルイーズ・キートン●米国放映:1957/04(評価:★★★☆)



肉屋に勤めるファッティ(ロスコー・アーバックル)と客のキートン(バスター・キートン)。ファッティは、店主の娘アーモンダイン(アリス・レイク)と恋愛関係にある。娘が入っている寄宿学校に女装して侵入するファッティだが、恋敵のスリム(アル・セント・ジョン)も女装して侵入してきて鉢合わせ。ドタバタの末、ファッティと娘は2人で逃げ出し、結婚することになる―(「ファッティとキートンのおかしな肉屋」)。
ロスコー・アーバックルが監督した1917年4月23日米国公開作。アーバックルにスカウトされて1917年にニューヨークへ渡り映画界入りした軽業師バスター・キートンの映画初出演作ですが、主演はあくまでアーバックルで、キートンは、アーバックルの従兄弟のアル・セント・ジョンに次いで3番手ぐらいでしょうか。
前半はお店でのドタバタでファッティの包丁捌きと肉のコントロールがなかなか凄く、勢いあるの小麦粉の投げ合いも完成度は高いです。キートンの動きもまさに現役軽業師のそれで、キレキレ。後半は寄宿学校でのドタバタで、アーバックルの女装に次いで恋敵役のアル・セント・ジョンも女装(客のキートンはなぜ彼について寄宿学校へ行った?)。思い切りの良いアクションが楽しい作品ですが、キートンは新人にして1度も撮り直し必要とせずに演じ切ったそうです。
高級なのに世界一サービスの悪いホテルで働くベル・ボーイの2人(ロスコー・アーバックル/バスター・キートン)。キートンは、同僚のファッティの恋を実らせるため、銀行強盗のフリをし、そこにファッティが駆けつけ事件を解決することで、彼女を振り向かせるというシナリオを練る。しかし、そこに本物の銀行強盗が現れて―(「デブ君の給仕」)。
前半は、アーバックルがベル・ボーイのほかに床屋も兼ね、客の髪や髭をいじるとその客がリンカーンになったりグラント将軍になったりという寄席芸っぽいギャグを披露。それが後半になると、相方キートン(「おかしな肉屋」の時の3番手から完全にアーバックルの相方に"昇進"している)のアクションが炸裂し、もしかしたらこの頃の彼のアクションが一番ピークだったのではないかと思わせるほどです。
ホテルのエレベーターが、ボタンを押すとホテルの表の鈴が鳴り、それに合わせて馬がロープを引っ張り箱が昇降するという、まさに「1馬力エレベーター」の仕組みが可笑しいです(アル・セント・ジョンはこのエレベーター係(馬係?)に後退)。こうした後年のキートン作品の雰囲気も感じさせるメカニカルなギャグも冴えわたり、最後は銀行強盗にハイジャックされたトローリーカーが斜面を逆走してホテルのロビーに突っ込むという、「
「ファッティとキートンのおかしな肉屋(デブ君の女装)」●原題:THE BUTCHER BOY●制作年:1917年●制作国:アメリカ●監督:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本:ロスコー・アーバックル/ジョセフ・アンソニー・ローチ●撮影:フランク・D・ウィリアムズ●時間:30分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アル・セント・ジョン/アリス・レイク/ルーク(犬)●米国公開:1917/04(評価:★★★☆)
Disc1

「
大雪原の真ん中に地下鉄の駅がある。その出口から出てきたバスターの出で立ちは、西部劇スターのウィリアム・S・ハートのカナダの騎馬警官隊員役を演じる時風だった。雪原を歩いて通りかかった酒場は、窓から覗くと酒あり博打あり踊り子ありのいかにもなウェスタン酒場。バスターはなぜか無性に
西部劇でよくあるような強盗をしたくなり、実行に移すが結局うまく行かず、わが家に帰ることにする。家に入ると、暖炉の前で妻が男と愛を囁いている。最愛の妻の裏切りに涙するも、哀しみの感情はやがて憎しみに変わり、二人を撃ち殺してしまう。しかしよく見たら自分の家じゃない。「こりゃまた失礼」とその場を後に。本物のわが家では、本物の妻が愛情たっぷりに迎えてくれるが、バスターは冷たくあしらう。妻は泣き叫び、取りすがった十字架が頭に落ちて卒倒する。女の叫び声を不審に思った警官が様子を見に来るが、抜け目なくごまかすバスター。狡猾で好色な人間になりきっているバスターは、今度は隣の若奥さんに目を着ける。隣の家では夫が単身で出張する予定だったが「バスターのようなのがいる限り安心できない」と二人で出発することにした。犬橇で目的地に向かった二人の後をバスターが追う、その嫌らしい執念深さは、まるで「愚かなる妻」のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムのようだった―(「キートンの北極無宿」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第15作(米国公開日:1922年8月28日)】。キートンには珍しいパロディのオンパレードで、当時人気の西部劇スター、ウィリアム・S・ハートの出で立ちで登場するキートン。ハートが必ず一作中に見せる男涙をギャグにしたため、この後しばらくハートから断交されたという逸話もあるそうですが、コレ、キートンの盟友ロスコー・アーバックルに殺人の容疑がかけられた事件の際に、ハートがアーバックルが有罪であるような主張をしたというのが因縁としてあり、それでキートンは彼を徹底的にパロディ化して糾弾したようです。
テーマは同年にヒットした、カナダ北部で暮らすイヌイットの文化・習俗を記録したドキュメンタリー「極北の怪異」(1922)か取られており、舞台は"北極"と言うよりイメージ的にはアラスカでしょうか(シロクマはなく黒い熊が出てくる)。ただし、実際のロケ地は米カリフォルニア州のトラッキー郊外にあるダナー湖だそうです(ここは「
今日は州立大学の卒業式。植物学の博士号を得たバスターだったが、ちょっとしたアクシデントにより、電気工学の学位取得を証明する卒業証書を手にしていた。そのおかげで、新しもの好きの大金持ちに、大邸宅の電気技師として雇われることになる。主人たちが休暇の間に邸宅を電気仕掛けに大改造。その結果は主人も満足、何でも自動でやってくれると大好評。それも束の間、雇ってもらえず悔しい思いをした本物の電気工学士が、復讐のためにその館に忍び込むのであった―(「キートンの電気屋敷」)。
階段はエスカレーターのようで、食卓は回転寿司風("流れ寿司"というのに近いか)。食器洗い機まで出てきて...。エスカレーターは当時すでにあったにしても、いろいろな点で予見的。ただし現代の科学水準では少々幼児的にも見え、それが映画全体を幼稚的に見えるものにしているかもしれず、評価は微妙なところでしょうか。
「キートンの北極無宿」●原題:THE FROZEN NORTH●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:17 分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/シビル・シーリー/エドワード・F・クライン●米国公開:1922/08(評価:★★★☆) バスター・キートン/シビル・シーリー


「
様々な言語が飛び交い、住民同士の誤解も絶えない外国人街。ポーランド人のカップルが電話で「そこでは婚姻届の手続きがポーランド語でできますか」と確認、判事は「ええ私はポーランド語以外は話せません」と答える。その判事の職場の向いにバスターが職人をしているパン屋(?)があった。バスターがパン生地をこねているときに入ってきた郵便屋は、バスターのせいで郵便物をぶちまけてしまう。靴の裏に付着した一枚の手紙をバスターは返そうかとも思うが、怒った相手が物を投げてくるので、手紙をポケットにしまい逃げ出す。通りの角でアイリッシュ系の大女ケイトとぶつかる。向かいの窓が割れたのはバスターのせいだと勘違いしたケイトは彼を判事のもとに引っ
張っていく。ところが判事もこの二人は先程の電話のカップルに違いないと勘違いし、婚姻の手続きをしてしまう。意外な展開にもケイトは喜び、配偶者を強引に家まで連れていった。妻の家の同居人は父親と四兄弟。その貧しくともアグレッシブな一族は、新しい家族の一員をぞんざいに扱ったが、彼のポケットに「あなたは近々大金を相続できます」という弁護士からの手紙が入っているのを見つけると、態度を一変。早速バスターに舞込むはずの遺産をあてにして多額の借金をし、広々とした高級マンションを購入、豪勢な暮らしを始めるが―(「キートンの半殺し」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第13 作(米国公開日:1922年5月6日)】。本邦公開当時、冒頭の「パン作り」を"キャンディ・カンパニー"という店のディスプレイ文字から「飴作り」と解釈して、「キートンの飴ン棒」といったタイトルも付けられたりしました。確かにバスターが練っているのは"飴"っぽい感じもしますが、終盤でイースト菌を使ったギミックが出てくるので、やはり「パン」なのかなとも。ただし、イースト酵母を使用した飴は日本でも「酵母飴」などとして市販されており、やはり飴でいいのかも(この辺りは自分にはよくわからない)。
外国人との言葉や習慣の違いをネタにしたギャグが幾つかあり、たとえば、妻の家の食卓でなかなか肉にありつけないバスターが、カレンダーを破って家族に金曜日と思わせることで、肉にありつくギャグ(金曜日に肉を食べない習慣は主にカトリック教会系)などがそれ。これまでのキートンの作品には文化の違いによるギャグはあまりなかったので珍しいです(第11作の「
バスターは、鍛冶屋の下働き。主人のジョーは、怒ると前後の見境がなくなる乱暴者。ハンマーや車輪が看板にしている磁石に吸い寄せられてしまったのにも気づかず、無くなったのはバスターのせいだと勘違いして突き飛ばす。その様子を通りから見ていた村のシェリフが、二人の間に入って「暴力はいかんよ」とジョーを諭す。その間に署長のバッジやピストルが、磁石のせいで紛失。ジョーが奪ったと勘違いした署長は「そこまでするなら逮捕だな」と仲間を
助っ人にして連行しようとするが、村一番の怪力男は5人がかりでも手に余る。ところが、意外にもバスターのおかげで何とか逮捕に至る。自由に仕事が出来るようになったバスター。しかし、失敗の連続。蹄鉄の好みがうるさい白馬には、車のオイルで黒い跡を付けてしまうし、柔らかな鞍をお望みの女性には、サスペンション効きすぎの鞍を売ってしまう。仕舞いには新品同然の高級車に壊滅的損害を与えてしまう。ここまでやってしまったからには逃げるしかない。一方、例の白馬の持ち主の女性ヴァージニアは家に帰り着き、家族の出迎えを受けるが、母親が愛馬に付いている黒い跡を見て悲鳴を上げる。驚いた白馬は、ヴァージニアを乗せたまま暴走する―(「キートンの鍛冶屋」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第14作(米国公開日:1922年7月21日)】。典型的ドタバタ喜劇ながらも、遠方より顔のアップまでワンカットで迫る奇異なショットから、ラストのオチに繋がるキートンの空間的ギャグの完結法など、短編作品らしからぬ奥行きがあり、実験映画のようにアヴァンギャルドな価値観、ラディカル・ポップな展開が横溢する作品です。
最後には蒸気機関車も出てきて、乗り物好きのキートンらしい一作。この映画において鍛冶屋は鍛冶屋でもあり、自動車修理屋でもあるのでしょうか。考えてみれば、馬も自動車も乗り物なので、馬が動力として使われなくなったときに、鍛冶屋が自動車修理工へと移行していくのも自然な成り行きとも言えるかも。1920年代と言えばフォード・モーター社がT型フォードをより大量供給する生産システムの革新にひたすら邁進した時期になります。そんな歴史の流れを知ることのできる作品でした。
「キートンの半殺し(キートンの猛妻一族、キートンの飴ン棒、キートンの華麗なる一族)」●原題:MY WIFE`S RELATIONS●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●撮影:エルジン・レスリー●時間:22 分●出演:バスター・キートン/ケイト・プライス/ジョー・ロバーツ/モンティ・コリンズ/ウィーザー・デル●米国公開:1922/05(評価:★★★☆)
「キートンの鍛冶屋」●原題:THE BLACKSMITH●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/マルコム・セント・クレア●撮影:エルジン・レスリー●時間:20分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス●米国公開:1922/07●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの警官騒動」「キートンの船出」「キートンの空中結婚」(評価:★★★☆)



マイホームパパのバスターは、家族とマリンレジャーを楽しむために、クルーザーをハンドメイドし、この度ようやく完成した。その船を運び出すのにクルマで牽引しようとするが、建造作業場だった一階のガレージの出口が狭くて苦労する。無理な牽引の結果、家は全壊するが、バスターは、船を「DAMFINO(damned if I know=知るもんか)」号と名付け、家は
そのままにしてマリーナに向かう。運河に面したマリーナでの進水式は、船の構造に問題があったのか、進水ならぬ浸水式になってしまうが、家族みんなで修復していよいよ出航、海に向かって運河を下っていく。橋の下をくぐる時にはマストや煙突が引っかからないよう寝かせられる工夫がされていた。河口で一休みの後、大海に乗り出す頃には、夕闇が訪れていた。夜も更けて、あとは寝るだけという時刻、海は嵐で大荒れに。一枚の枯れ葉のように波に翻弄される「知るもんか号」、バスターは救難信号を他の船に送って、助けを求めるが―(「キートンの船出」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第10作(米国公開日:1921年11月10日)】。50年代に旧キートン邸よりフィルムが大量発見されたことで今日のリバイバル上映が可能となった作品の1つですが、本作がそれらフィルムの中で最も危篤状態にあったと言われています。キートン・プロ第1作の「
一家の乗った小船が嵐に見舞われ、笹の葉のように荒波に揉まれるわけで、ちょっと怖いというか、ある種パニック映画的です。船体がぐるぐる回転するシーンなどは、セットと模型でうまく撮っているなあと(今風に言えば"特撮"だが、完成度が高い)。奥さん役のシビル・シーリー(Sybil Seely、当時21歳)は、「
アメリカ中西部、インディアンの一族が居留地で平和に暮らしている。ところがその近くに事務所を構える悪賢い石油業者が手先を使い、居留地の権利証を奪い取ってしまった。石油業者から立退き要求の通知を受けとり、怒ったインディアンの酋長は一族全員に命ずる、「ここに最初に入ってきた白人を殺せ」。するとその時も知らないバスターが入口から入ってきた、捕虫網を持ち、蝶々を追って。バスターはインディアンたちに捕まり火刑柱にくくり付けられてしまうが、一旦は逃げ出すことに成功する。執拗な追跡をかわし、避難したあばら屋でバスターはアスベスト材を見つけ、それで下着を作り着用した。結局は、再び捕まってしまい、火あぶりの刑が執行される。しかし、火あぶりでも死なないバスターは、今までとは逆に一族の崇敬を受け酋長に祭り上げられる。そして土地問題を知ると、一族を引き連れ石油業者に談判しに向かうことに―(「キートンの白人酋長」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第11作(米国公開日:1922年1月15日)】。斜面から転がり落ちたり、毛布をパラシュートみたいにして崖から飛び降りたり、吊り橋アクションやら、驚
きのスタントの連続。特に、斜面から転がり落ちるシーンは、後の「



「キートンの船出(漂流)」●原題:THE BOAT●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:22 分●出演:バスター・キートン/シビル・シーリー/エドワード・F・クライン●米国公開:1921/10●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」(評価:★★★★)
「キートンの白人酋長(キートンの酋長、キートンのハッタリ酋長)」●原題:THE PALEFACE●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:21 分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/エドワード・F・クライン●米国公開:1922/01(評価:★★★★)![バスター・キートン短編集 新訳版 [DVD].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E7%9F%AD%E7%B7%A8%E9%9B%86%20%E6%96%B0%E8%A8%B3%E7%89%88%20%5BDVD%5D.jpg)



タイニイ・ティムがバスターを迎え、命中のしるしの鐘を鳴らせるようになったら雇う旨を言い残して席を外し、地下の別室に向かう。実力では鐘を鳴らせないことが判ったバスターは、的に命中しなくても鐘だけは鳴る仕掛けを考えつき、ティムの居ない間にその備えつけを完了する。店の地下室は、ティムが率いるギャング団"ブリンキング・バザーズ"のアジトだった。一味は裕福な実業家から1万ドルを脅し取ろうとしていたが、期限を過ぎても金を渡そうとしないので「ええ
い面倒だ、殺っちまおう」と相談していた。標的にされた実業家の方でも身の危険を感じ、自宅を改造するなどギャング団の襲撃に備えていた。ティムが一旦店に戻りバスターの様子を見に行くと、百発百中で鐘を鳴らしている。これは殺し屋として使えると閃いたティムは一味にその案を教えるために再び地下室に降りた。その間にその店に立ち寄った実業家父娘もまたバスターの銃の腕前に惚れ込み、ボディガードを依頼した。娘に切願されたバスターは断らなかった。ギャング団の計画がまとまるとバスターは地下室に連れて行かれた。そこで入団を強要され、実業家の殺しを命令されたバスターは、実業家の自宅へ向かう―。(「キートンのハイ・サイン」)
同時にギミックも満載で、冒頭のかすめ取った新聞を広げていくとどんどん大きくなっていく(こんな新聞どうやって印刷するのか)小ネタから始まって、ラストは仕掛けだらけの屋敷を悪党どもに追われて1階から2階、1階から1階へと駆け巡る、その様子を屋敷ごと断面図的に見せます。
今夜のオペラ劇場の出し物は、歌や踊りやお喋りを黒人的なノリで白人が演じるミンストレルショー。序曲を奏でるのは、半分ジャズバンド風の管弦楽団。幕が上がって役者が揃う、「ブラウン君この辺りの竜巻はすごいらしいね」「そうなんでさぁご主人様、そいつにやられると、1ドル銀貨が四つに割れて25セント玉になっちまうんでさぁ」...と、とぼけた台詞。そして、このショーが他の何より秀逸なのは、演ずる人もスタッフも、見る人までもが皆バスター・キートン、という趣向。第二幕、二人組のタップダンスが鮮やかで、もっと見ていたいなあ、というところで、バスターは夢から醒めた。現実のバスターは舞台の裏方=雑用係。大道具の片付けや
ら、新入りを楽屋に案内するのやら、地味な仕事を一人で何役もこなさなければならない。今度の新入りは、手品師のアシスタントガール。てっきり一人の女の子だと思ったら、双子の姉妹。鏡の効果で四人に見える。これは一体夢の続きか?!、とバスターは混乱してしまう。我侭な劇場支配人ジョーから言われる難題にも、バスターはそれなりに巧く対応する。兵隊役が一度に5、6人辞めた穴埋めを今すぐ何とかしろ、と命じられれば、近くの工事現場から人足を集めてきたり...。ところが、支配人のアゴ髭に着いたタバコの火を消すために、消化作業用の斧を用いて支配人をノックアウトしてしまう。怒りをかったバスターは劇場内を逃げ回ることに―。(「キートンの即席百人芸」)
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第9作(米国公開日:1921年10月6日)】。キートンの映画的好奇心=トリックが昇華した作品です。動きのタイミングを計るために、知人のバンジョー奏者にリズムを取らせてカメラを廻したとのことです。ヴォードヴィル時代に演じたと技の名残りがが多く見られる、キートン本人のアイデアを知るには最良のテキストです。
「キートンのハイ・サイン(悪運)」●原題:THE HIGH SIGN●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:18 分●出演:バスター・キートン/バーテイン・バーケット・ゼイン/アル・セント・ジョン●米国公開:1921/04(評価:★★★★)

ーは隣室で行われている動物園長主催の会合に出席。園長の「アルマジロを捕獲できる者にたんまりと賞金を出す」という一声に、自分がやる、と名乗り出る。野生動物を捕獲するのは、自然のなかでの気の長い勝負。まずは腹ごしらえ、と釣りを始めるバスター。次第に大きくなる獲物にいよいよツキが回ってきたかと、しばし思う。釣りを終えて、歩いていると目の前をアルマジロらしき動物が横切る。今だ、とばかりライフルをぶっ放すが、構えが逆だった。近くのカントリークラブ、紳士淑女が狐狩りへ出かけるところ。騎乗できずに困っているお嬢様風のヴァージニアを見かけたバスターは、これは出会いのチャンスかも、と手伝うことにする。案の定、ライフル持参のバスターは狐狩りに誘われた。途中で、はぐれて一人遅れて戻ってくると、クラブハウスは"トカゲのルーク"率いる盗賊団に襲撃されていた。バスターはヴァージニア救出に見事成功。その勢いを借って彼女に求婚することにした―。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第6作(米国公開日:1921年3月16日)】。キートン本人が最も気に入っていた短編といわれていますが、仕事を失い、恋人にも捨てられたキートンは、冒頭から自殺を試みるという、これまたブラックな展開で、こういうのが自分でも好きだったのでしょうか。野生動物の捕獲に出掛ける前に釣りに行くというのは唐突感がありますが(「まずは腹ごしらえ」しようとしたのか)、釣った魚を餌により大きな魚を釣るというのが可笑しく、十分な大魚を釣り上げてまだまだ続ける...コレを見せたかったのかあと。アルマジロは結局出てこなかったけれど(「巻物」とか訳されていたりもする)、馬と間違えて水牛に飛び乗ったり、熊に追いかけられたりと、動物との危険な絡みはどうやって撮ったのでしょうか。
大男のジョー・ロバーツ、今回は盗賊団の頭目"トカゲのルーク"でした(ヴァージニア・フォックスにセクハラしまくる)。ヴァージニア救出を成し遂げたにもかかわらず、その新たな恋にも破れ
たキートンは、プールの飛び込み台から飛び降りて(コレ、相当高い)、地面に激突(どうやって撮った?)、あっさりと死んでしまい、結局は自殺を果たした―と思いきや、何年か後に復活、家族を連れてまた地上に。チャイナ帽を被っているので、「チャイナ・シンドローム」('79年/米)ではないけれど、中国まで突き抜けていったのでしょうか。

キートン一家のアパートとヴァージニア一家のアパートは、塀一枚で隔てられた隣同士。バスターとヴァージニアは、その塀を媒介にして想いを伝え合う恋人同士。ところがふたりの親同士は仲が悪い。娘が隣の息子と付き合うなんて論外。ヴァージニアの父親はバスターにとって塀より高い結婚の障害物。その障害物にキートンは徹底抗戦。両ア
パート間にあって利用できるものは何でも利用する。物干しロープや電線は逃走に、細工し蠅叩きみたいになった塀は闘争に、電柱は監視塔にといった具合。しかし、誤って通りがかりの警官を巻き込んでしまう。きりきり舞いの警察は、両家の主人とバスターを連行することで事態を収拾した。家庭裁判所で「もう喧嘩はしません、仲良くします」という宣誓書にサインする両家の主人。こうなるともうバスターとヴァージニアの仲を邪魔するものは何もない。判事の媒酌のもと、二人は晴れて結ばれる運びに。ところが結婚式当日、花嫁の父がバスターの用意した安物の指輪に腹を立てて、式は中止に追い込まれ―。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第4作(米国公開日:1920年12月22日)】。親同士がいがみ合うも、隣家の娘ヴァージニアと恋仲のキートン。同じアパートの友人と共謀して彼女を連れさる作戦を―。ストーリー自体は「ロメオとジュリエット」と言うより落語に通底する定石的な長屋小噺ながらも、パントマイムとアクションが炸裂し、一気に見せ
ます。キートンの父親を演じているのは実の父親のジョー・キートン。結構出ずっぱりで、しっかりアクションもしています(お父さんがキートンの考案した跳ね板で飛ばされて、宙高く一回転して地面に落下するシーンがあるが、キートンの両親はもともと舞台芸人で、キートンがまだ4歳の頃、彼の身体を逆さに持ち上げてぶんぶん振り回す「人間モップ」という、荒っぽいギャグを売り物とし、キートンは泣き顔一つせず演じていたという話がある)。
空を舞うジョー・キートン
キートンが警官から逃れる際に野球場の塀の隙間から試合を観ていると、ホームランボールが警官を直撃。活動弁士が「ベーブ・ルースはやっぱりスゴイな」というセリフをアテていましたが、ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースはこの映画の公開の前年の2020年、それまでの自己最多だった年間29本を大きく上回る54本のホームランを打ち、その翌年(つまりこの映画の公開年。映画は3月に公開されている)のシーズンでは、59本の本塁打を打ち、457塁打というMLB記録を打ち立てています。やはり、ベーブ・ルースの打ったホームランボールとの設定だったのでしょうか。
「キートンの隣同士」●原題:NEIGHBORS●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:16 分●出演:バスター・キートン/ヴァージニア・フォックス/ジョー・ロバーツ/ジョー・キートン●米国公開:1920/12(評価:★★★★)

ゴルフ場でも珍プレー続出のバスターは、打ったボールが茶店の壁に当たり、自分の頭に跳ね返ってきたために気絶してしまう。そこに現れた脱獄囚13号、自分の囚人服とバスターの服を取替えて、まんまとずらかる。意識を取り戻したバスターは、自分が囚人服を着ていることに気がつかないままプレイを続けようとするが、脱獄囚13号を追ってきた刑務所の看守たちに取り囲まれて、ようやく気づき、慌てて逃げ出す。何とか看守たちを巻いて、安全な場所に辿り着いたと思いホっとしたのも束の間、周りをよく見渡してみるとそこは刑務所の中。しかもその日の死刑執行対象者は、13号だった! 絞首台に上るバスター、絶体絶命のピンチ!(「キートンの囚人13号」)
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第2作(米国公開日:1920年10月27日)】。ゴルフでボール一つが思い通りにならず、苦闘するキートン。でも、空振りしてひっくり返るアクションからもう人間離れしているという感じ。池ポチャのボールを打つというのもスゴイね(クラブをオールに使えるのか?)。間違って刑務所に送られてからはアクションがさらにヒートアップし、それも畳みかけるようなテンポで続きます。エドワード・F・クラインは、「死刑執行人チャンピオン」。何だ、それ?。一方の、ジョー・ロバーツ演じる極悪囚人は人間離れした力を見せます。しかし、それもキートンの奇想天外なアクションを前にしては敵わない。キートンの本領発揮作品。無理に夢落ちにする必要もなかったかもしれませんが(「ゴルフ狂の夢」という邦題もある)、アクションがシュール過ぎることや「死刑執行人チャンピオン」がいることの説明にはなっている? 絞首刑にされそうになったキートンの首吊りロープがゴムにすり替えられていて、キートンがピョンピョン跳ねるシーンなどはブラックユーモア的であり(死ねない分、逆に苦しいのでは(笑))、そうしてこともあって夢落ちにした?
バスターとジョーは部屋が一つしかない一軒家で共同生活をしている。歯痛に悩むバスターの傍らで身だしなみを整えるジョー、鏡を裏返すとそこにはシビルの肖像写真が貼ってある。それに向かってジョーが愛情表現するのを見たバスターはそれを取り上げて「彼女がどう思ってるかわからないけど、結婚するのは僕だよ」と歯痛も忘れて熱く主張する。歯を抜いてから、いつものとおり、朝食の準備。バスターは料理ジョーはテーブルセッティング。母親がいなくても家事が円滑に運ぶように、室内には様々な工夫が凝らされていた。後片付けを迅速かつ完璧に終えてからお出掛け。 外に出てみるとタイミング良く隣のお嬢さんシビル登場。彼女を巡って二人は争奪戦を繰り広げる。そ
の様子を見たシビルの父親はシビルに家に戻るよう戒める。面白くないシビルは、父親に仕返ししようと、胃にもたれるようなクリームたっぷりのパイを焼いた。それを窓辺に置いて冷ましている間、庭先に出てダンサーズ組合で習った踊りを母親に披露するシビル。たまたまジョーが通りかかり踊りのお相手を務めることに。後から来たバスターは仲の良さそうな二人を見て、ハートブレイク。力なく窓辺に寄り掛かる。と、そこにはこってりしたパイを食べて興奮した犬がいた。それを狂犬だと勘違いしたバスターは逃げる。逃げるから犬は追っかけてきて、高い塀の上までついてくる。追い詰められたキートンだったが―(「キートンの案山子」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第3作(米国公開日:1920年11月17日)】。天井から調味料セットは出てくるは、風呂とソファー兼用、本棚の背後に冷蔵庫...etc. バスターとジョーの家のセットの仕掛けがスゴすぎ! 前半丁寧に家のギミックを見せ、中盤から犬との追い駆けっこになって爆走、終盤は案山子にもなって、ハッピーエンドまで走り切ったという感じでした。キートンが以前に一緒に仕事していたロスコー・アーバックル(「キートンとファッティのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び)」('17年)
などの監督・脚本家兼俳優で、それ以前に「両夫婦」('14年)などチャップリンの作品にも出ていたが、1920年当時の彼はすでにパラマウント社へ移籍していた。1921年、女優ヴァージニア・ラッペへの強姦殺人容疑で起訴され、映画界を追放されるが、後に冤罪であったことが証明されている)との共作期のリズムとテンポを踏襲しているのは間違いありません。滅茶苦茶"演技"しまくっている犬"ルーク・ザ・ドッグ"は、そのアーバックルの飼い犬だそうです。シビル・シーリーって「
「キートンの案山子(スケアクロウ)」●原題:THE SCARECROW●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:16 分●出演:バスター・キートン/エドワード・F・クライン/ジョー・ロバーツ/ジョセフ・M・シェンク/ルーク・ザ・ドッグ●米国公開:1920/11(評価:★★★★)

愛し合うカップルである彼女(リル・ダゴファー)とその婚約者(ワルター・ヤンセン)は、村に向かう途中、一人の黒衣の男(ベルンハルト・ゲッケ)を馬車に乗せる。2人は知らないが、その男は死神(死神)だった。村に着いた死神は墓地の近くの土地を借り受け、ドアも門もない高い壁に囲まれた館を建てる。恋人たちが居酒屋で睦まじく語らっているところに死神が現れる。彼女が席を外し、戻ってくると彼の姿が消えていた。彼女は恋人を探して村中を彷徨
う。死神の館の近くにきて、幽霊の行列に出くわす。そこに彼の姿もあった
。幽霊たちは壁の向こうに消える。彼女は毒を呷って死のうととる。その瞬間、彼女は死神の館へ運ばれる。彼女は恋人に会わせてほしいと死神に頼む。死神は彼女を蝋燭が無数にある部屋へ連れて行く。蝋燭は人の一生を表していて、灯火が消えるとその人間の運命は尽きる。死神は3本の蝋燭のうち1つでも救うことができれば恋人を返そうと約束する。
1本目の蝋燭は、中東バグダッドの恋人たち、ソベイデと西欧人。2本目の蝋燭は、17世紀ヴェネチアの恋人たち、フィアメッタとジョヴァン・フランチェスコ。3本目の蝋燭は、古代中国の恋人たち、チャオ・チェンとリャン。それぞれの物語が語られるが、すべては悲劇で幕を閉じ、蝋燭は3本とも消えてしまう。しかし、死神は最後の提案を持ちかける。1時間のうちに誰か別の人間の魂を差し出せば恋人を生き返らせようと。彼女は死期が近い老人たちに死んでくれるよう頼むが断られる。そこに火事が起きる。彼女は置き去りにされた赤ちゃんを彼の身代わりにしようとするが、悲しむ母親を見て思いとどまる。赤ちゃんを母親に手渡し、自分は燃え盛る炎の中に消える。死神の館で再会を遂げた恋人たちはともに死後の世界に旅立つ―。
新宿武蔵野館での「カツベン映画祭」で鑑賞(弁士:澤登翠氏、ギター&フルート演奏付き)。フリッツ・ラング監督最初期の作品で、"現代"を含め4つの時代に渡ってオムニバス形式で描かれる雄大な幻想映画。「死滅の谷」という邦題は今一つピンと来ませんが、原題は「疲れ果てた死神」という意味だそうです(ヒロインの粘りに死神の方も結構疲れたということ? ヒロインが最後に死神に勝利したという解釈か)。すべてのエピソードで死神をベルンハルト・ゲッケ、恋人たちをリル・ダゴファーとワルター・ヤンセンが演じています。
)を想起させられました。そして、「第七の封印」同様、人は死神に出し抜かれ、勝つことができません。この作品でも、ヒロインはそれぞれの時代で恋人を失います。「第七の封印」の救いは純朴な旅芸人でしたが、この映画ではラストでヒロインが自ら命を差し出すところが救いになっています(このヒロイン、直前まで死期が近い老人たちに死んでくれと頼んだり、赤ちゃんを身代わりにしようとしたりしているエゴイストぶりであったため、この急転換のがやや唐突だが)。
時代を違え、アラブ、イタリア、中国で展開されるが3のエピソードのすべてで、恋人たちと死神を同じ俳優が演じているため、古代中国を舞台とした3つ目のエピソードでもドイツ人俳優が中国人に扮しているのが奇妙で、しかも、魔術師が空飛ぶ絨毯に乗って移動したりして、アラビアン・ナイト風であったりするのが可笑しいです(余談だが、NHKで黒柳徹子がやっていた「魔法のじゅうたん」('61-'63年)という番組を思い出した)。男女を象と寺院に変えてしまうなど、どこかインドっぽいイメージもありましたが、その結果、象が寺院をしょって歩いているというのが絵的にスゴイね。
「死滅の谷(死神の谷)」●原題:LE DER MUDE TOD/(英)THE WEARY DEATH/BETWEEN TWO WORLDS/DESTINY●制作年:1921年●制作国:ドイツ●監督:フリッツ・ラング●製作:エーリッヒ・ポマー●脚本:テア・フォン・ハルボウ/フリッツ・ラング●撮影:フリッツ・アルノ・ヴァグナー/エーリッヒ・ニッチェマン/ヘルマン・サールフランク●時間:89分(オリジナル99分)●出演:リル・ダゴファー(彼女/ゾベイデ/フィアメッタ/チャオ・チェン)/ヴァルター・ヤンセン(彼/西欧人/ジョヴァン・フランチェスコ/リヤン)/ベルンハルト・ゲッケ(死神/エル・モット/ムーア人/皇帝の射手)/ルドルフ・クライン=ロッゲ/カール・リュッケルト/マックス・アダルベルト/ヴィルヘルム・ディーゲルマン/エーリヒ・パブスト/カール・プラーテン/ヘルマン・ピヒャ/パウル・レーコッフ/マックス・フェイファー/ゲオルク・ヨーン/リディア・ポテキナ/グレーテ・ベルガー/エドゥアルト・フォン・ヴィンターシュタイン/エリカ・ウンルー/ルドルフ・クライン=ロッゲ/ルイス
・/フザール・パフィー/パウル・ビーンスフェルト/パウル・ノイマン●日本公開:1923/03●配給:松竹●最初に観た場所:新宿武蔵野館(スクリーン1)(新宿東口映画祭2023提携企画「第三回カツベン映画祭」弁士:澤登翠/演奏:カラード・モノトーン・デュオ(作曲・編曲、ギター:湯浅ジョウイチ/フルート:鈴木真紀子))(23-06-02)(評価:★★★★)





主人公アラン・グレー(ジュリアン・ウェスト)は、ある夜遅くクルタンピエール村の寂れた旅館へやって来る。その周囲の凄惨な光景が彼に強い印象を与えた。宿では朝まで眠れなかった。それ以来アランは、説明のつかないような現象を目にするようになる。宿には義足の男と村医者(ジャン・ヒエロニムコ)と老婆(ヘンリエット・ジェラルド)がいた。宿主(モーリス・シュッツ)はアランに何かを託して、自分の死後に開けるよう書き遺す。アランが奇妙な影を追いかけると屋敷があり、主人が宿主で病に伏す長女レオーヌ(ジビレ・シュミッツ)と妹のジゼル(レナ・マンデル)、それに何人かの召使が暮らしていた。やがて主人は何者かに銃で撃たれて死ぬ。続いて、レオーヌが夜中に外に出てさ迷い歩くのを見たアランとジゼルは、レオーネを探して外に出るが、レオーネは闇の帝王に血を吸われてぐったりしているところを見つかって屋敷へ運び込まれる。ジゼルが介抱するが、自分は
呪われていると言い、嘆き悲しんだかと思うと突然不気味に笑う。それを見て慄(おのの)くジゼル。アランが主人の遺したものを開封すると、それは吸血鬼の存在とその魔力について書かれた古い本だった
。アランが本を読み進めると、「吸血鬼は人間に彼らの犯行を手伝わせることがあり、ハンガリーでは悪魔に魂を売った医者が吸血鬼の犯罪の手先になっていた」と書いてあった。村医者はレオーネは助からないが血を欲しがっていると言うので、アランは献血をする。アランが眠っている間、召使が置いてあったアランの本を読むと、「吸血鬼は犠牲者から精気を吸い尽くすと犠牲者を自殺に追い込む。自殺した者は来世も放棄するからで天国の扉が開かないからだ」と書いてある。そこには、「胸に鉄の杭を打ち込むと、本当の意味で死を迎える」とも書いてあった。真実は、老婆こそが吸血鬼であり、村医者とその助手の義足の男とを自分の忠実な下僕にし、義足の男に主人を殺害させ、村医者が主人の長女レオーヌをさらって吸血鬼の餌食にしたのだった。この吸血鬼はかつて世にありし時に犯した罪悪のために墓場に入っても静安を得ることの出来ない女亡者で、人間の生き血を吸わねば生きていられないのだ。その第一の犠牲者が、長女レオーヌだったのだ。乗り越えるべき困難を前に、ジゼルとアランとの間に強い愛情が生まれる。吸血鬼に侵された病めるレオーヌは、村医者の企みにより自殺させられそうになるがアランに気づかれ、毒薬の瓶は彼女の手からもぎとられる。その毒薬は、吸血鬼がレオーヌに飲ませるべく村医者に渡したものだった。アランは眠りに
襲われる。――眠っているアランから意識が抜け出して、建物に入る。中にはジゼルが捕らわれていた。さらにそこには棺があり、蓋を開けるとアラン自身が入っていた。驚くアランだが、村医者とその下僕がやってきて、棺の蓋を閉めると釘を打つ。アランは棺の中から外を、町の風景を見上げている。空が見え、建物が見え、鐘の音が聞こえて棺は運ばれていく――。眠っている本当のアランの横を棺が運ばれていき、アランは目を覚ますと召使が行くのが見える。召使が墓を暴くのをアランは手伝い、出てきた棺の蓋を開ける。中にはレオーネの血を吸っていた老女がいて、召使がその胸に鉄の杭を突き刺すとその姿はたちまち白骨に。その時、臥せっていたレオーネは起き上がり、元気になる。義足の男は崖から落ちて死に、村医者も逃げ込んだ製粉所で粉に埋もれてその命を落とそうとしていた。同じ頃、アランは愛するジゼルと共に、夜の恐怖の去った森で、輝かしい夏の朝を迎えていた―。
デンマークノカール・テオドア・ドライヤー(「
ドライヤーは超自然の存在を題材とした作品を書こうと思って30冊以上のミステリ小説を読み、「なぜかドアが開いたり、わけもなくドアノブが動く」といったいくつかの要素がよく出てくることに気づいて、「我々ならこういうのを楽しく作れそうだ」と思ったとのこと。ロンドンとニューヨークで1927年に舞台版「ドラキュラ」が大ヒットした折でもあり、吸血鬼物は時代の最先端を行くと考えていた彼は、脚本において、シェリダン・レ・ファニュの同性愛
ドライヤーはキャスティングとスカウトを開始して貴族ニコラ・ド・ガンズビュールと知り合い、彼を主役にするという条件で作品の資金提供の約束を取り付け、俳優になることを許していなかった家族と揉めたガンズビュールは、ジュリアン・ウェストという芸名で出演することに。彼に限らず、この映画の出演者のほとんどは素人で、城主役のモーリス・シュッツとその長女レオーネ役のジビレ・シュミッツだけがプロの俳優で、あとは、村医師役のジャン・ヒエロニムコなどは、ドライヤーが深夜のパリの地下鉄でスカウトした人物だったとのこと。映画に出ないかと持ちかけられた時、ヒエロニムコはぽかんとドライヤーを見つめそのまま答えなかったが、後で出演の意向を伝えたとのことで、他の素人出演者も同様に店先やカフェで声をかけられたそうです。
そのせいか、この作品を観ると、ドライヤーは俳優の演出よりも背景づくりに力を入れている印象があり、その部分については、前衛的なカメラワークを駆使するなどして雰囲気はよく出ていて、1930年に製作された作品としては上出来ではないでしょうか。ストーリー自体ははっきりしない部分も多く、ただただ全体を通して恐ろしい夢の中のような雰囲気に包まれていますが(全部を夢想家である主人公の夢であるとする見方もあるようだ)、ガーゼをカメラから90cm離れたところに置き、それを通じて撮影したりしたようです(わざとボカしたのか)。

脚本の草稿では、村医師が村から逃げようとして沼地にとらわれるという展開だったそうですが、スタッフが沼地探しに行った途中で製粉場を見つけ、その製粉錠の窓やドアの周りに白い影が現れたのを目の当たりにして、村医者が製粉場で大量の小麦粉に押し潰されて死ぬというものに変更されたそうです。ドライヤーというと重々しい作品のイメージがありますが、何だか制作秘話に事欠かないみたいで楽しいです。
当時、この作品をある評論家が、同時期のトッド・ブラウニング(「
因みに、吸血鬼に憑かれた長女レオーヌを演じたジビレ・シュミッツは、戦前のドイツ映画で活躍しましたが、戦後はキャリアを失いモルヒネ中毒に苦しんだ末、自殺を遂げています。このジビレ・シュミッツの伝記に着想を得て映画化したのがライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の「ベロニカ・フォスのあこがれ」('82年/西独)で、第32回「ベルリン国際映画祭」で金熊賞を受賞しており、1979年の「
「吸血鬼(ヴァンパイア)」●原題:VAMPYR●制作年:1930年(公開年:1932年)●制作国:フランス・ドイツ●監督:カール・テオドア・ドライヤー●製作:カール・テオドア・ドライヤー/ジュリアン・ウェスト●脚本:カール・テオドア・ドライヤー/クリステン・ジュル●撮影:ルドルフ・マテ●音楽:ウォルフガング・ツェラー●原作:シェルダン・レ・ファニュ●時間:75分(82分)●出演:ジュリアン・ウェスト/レナ・マンデル/ジビレ・シュミッツ/ジャン・ヒエロニムコ/ヘンリエット・ジェラルド/ジェーン・モーラ/モーリス・シュッツ/アルバート・ブラス●日本公開:1932/11●配給:東和商事(評価:★★★★)


莫大な父の遺産があり、あらゆる快楽に飽き果てて、生きている意義も見出せないという30歳の男アルチュール・ランプルール(ジャン=ポール・ベルモンド)は退屈の余り自殺したがるが、その試みは全て失敗する。そこで、フィアンセのアリス(ヴァレリー・ラグランジュ)とその小姓のレオン(ジャン・ロシュフォール)、アリスの母親スージー(マリア・パコム)とその恋人コルネリウス(ジェス・ハーン)、元後見人でもあった古くからの中国人の友人ミスター・ゴーことゴー氏(ヴァレリー・インキジノフ)と船旅に出る。ランプルールの法定代理人ビスコトン(ダリー・コール)が香港までアルチュールを探しにやってきて、アルチュールの破産を知らせる。これで自殺の名目ができたと喜んだアルチュールは自殺の試みを続け
、フィアンセの母親スージーは婚約解消を要求する。ゴー氏のアイデアで、スージーにアルチュールの生死を委ねることになる。アルチュールは婚約者アリスとゴー氏を受取人に有効期間1か月の生命保険に署名する。ゴー氏は殺し屋を手配し、そうなると自殺志願のアルテュールも生命の危険を感じて懸
命に逃げまわるという奇妙な状況になる。港のバーに逃げこんだ時、ストリッパーのアレキサンドリーヌ(ウルスラ・アンドレス)に匿ってもらった。彼女は考古学者の卵で、アルバイトにストリッパーをしていたのだ。彼は一目で好意を抱くが、恋を語っている余裕はない。ゴー氏ともう一度話し合おうと、彼を追ってネパールへ行く。例によって二人の尾行者がついてくるが、実は彼らは保険会社がつけたボディ・ガードだった。ところが今度は、保険金の一部をもらう約束になっている香港ギャングのボス、フォリンスター(ジョー・セイド)の命を狙われることに―。
「
ジュール・ヴェルヌの1879年刊行の小説『中国での中国人
の苦難』(Les Tribulations d'un chinois en Chine)が原作とのことですが、大幅に翻案されているようです。自殺志願の男(原作では中国系)が自分に生命保険を懸けられたのを機に考え方が変わるというのは同
じようですが、原作では主人公は最後、婚約者と結婚するようです(映画でもアリスは最後、結婚するのだが...)。ウルスラ・アンドレス演じるストリッパーは、映画のオリジナルかと思われます。
と同じで、むしろヒートアップした感じさえあります。なので、ベルモントのアクションは楽しめますが、ストーリーが「リオの男」以上にぶっ飛んでいて、アクションとの両方が相俟って、ややドタバタ喜劇調になったきらいもあります(同じ大金持ちの役でも、ベルモントのアクションが無いフィリップ・ラブロ監督の「
舞台出身のジャン・ロシュフォール(フィリップ・ド・ブロカ監督の「大盗賊」('62年)や「相続人」でもベルモントと共演し
ていた)が「小姓」(御屋敷付きの「執事」というよりは、どこでも主人に付いて行って面倒を見る「フットマン」という感じか)の役で脇を固めていて、いい味出していました(最後まで主人に付いて行くので出演場面が多い)。ただ、それよりも、ゴー氏を
演じたヴァレリー・インキジノフが、フセボロド・プドフキン監督の「アジアの嵐」('28年/ソ連)で、主人公のモンゴル人を演じたあの俳優だったと後で知って少し驚きました。ヴァレリー・インキジノフはロシア・ブリヤート出身のフランス人俳優ですが、血統的にはモンゴル人のようです。「モンパルナスの夜」('33年/仏)に、金持ちに怨念を抱くチェコ人の挫折した元医学生という、まるで「天国と地獄」の山崎努を連想させるような役で出演していますが、60年代のこの「カトマンズの男」では好々爺の役でした。
「アジアの嵐」は、1920年代、イギリス統治のモンゴルを舞台に、〈チンギス・ハーンの後裔〉に祭り上げられたモンゴルの青年(ワレリー・インキジノフ)が,やがて民族の自覚に燃えてイギリス帝国主義に闘いを挑むという、モンゴル解放闘争の黎明期を描いたものですが、その主人公を"覚醒"させ、英国の軛(くびき)からの解放を手助けしたのがソ連であるという、ロシア革命と「共産主義」運動を美化するプロパンガンダ映画でもあります。
それゆえに評価をするのは難しいのですが、エイゼンシテインと並ぶとされるフセヴォロド・プドフキン監督でさえ、ソ連の映画監督である限り、当時はそうした映画を撮らざるを得なかったのでしょう(「戦艦ポチョムキン」('25年/ソ連)にしても共産主義的プロパガンダ映画であり、日本でも終戦から22年が経った1967年にようやく一般公開された)。
出演者でもう一人の注目は、やはり007シリーズ第1作「
前はアーシュラ・アンドレスと表記されていた)でしょうか。スイス出身で両親はドイツ人。「ドクター・ノオ」出演時は英語がおぼつかなく、彼女のセリフはすべて吹き替えでしたが、それでも「ゴールデングローブ賞」の
新人賞を受賞しています。その後は、ドイツ語、イタリア語、フランス語、さらにはマスターした英語の4カ国を操る語学力を活かして、ハリウッド映画にもヨーロッパ映画にも多数出演しています(出演はB級娯楽映画が多いが)。因みに、この映画出演時にはジョン・デレクと結婚していましたが、ジャン=ポール・ベルモンドと恋仲になり、1966年にはジョン・デレクと離婚しています。その後もライアン・オニールらと浮名を流したりしましたが、1980年の「タイタンの戦い」で共演したハリー・ハムリンとの間に男児を生んだものの、再婚はしていません(この手の肉食系女優に結婚は似合わない?)。
ソ連映画「アジアの嵐」に出ていたモンゴル系俳優と、アメリカ映画「007 ドクター・ノオ」に出ていたドイツ系女優が同じフランス映画に出ているというのが何となく面白いです。



「カトマンズの男」●原題:LES TRIBULATIONS D'UN CHINOIS EN CHINE(英:UP TO HIS EARS)●制
作年:1965年●制作国:フランス・イタリア●監督:フィリップ・ド・ブロカ●製作:アレクサンドル・ムヌーシュキン/ジョルジュ・ダンシジェール●脚本:ダニエル・ブーランジェ●撮影:エドモン・セシャン●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●原作:ジュール・ヴェルヌ「中国での中国
人の苦難」●時間:110分●出演:ジャン=ポール・ベルモンド/ウルスラ・アンドレス/ヴァレリー・ラグランジュ/マリア・パコム/ジェス・ハーン/ヴァレリー・インキジノフ/マリオ・ダヴィッド/ポール・プレボワ/ダリー・コール/ジョー・セイド●日本公開:1966/05●配給:エデン●最初に観た場所:新宿武蔵野館(21-05-25)(評価:★★★)●併映(同日上映):「相続人」(フィリップ・ラブロ)
「アジアの嵐」●原題:Потомок Чингис-хана(STORM OVER ASIA POTOMOK CHINGIS-KHANA)●制作年:1928年●制作国:ソ連●監督:フセ
ヴォロド・プドフキン●脚本:オシップ・ブリーク/レフ・スラヴィン/ウラジーミル・ゴンチュコフ●撮影アナトーリー・ゴロヴニャ●音楽:セルゲイ・コズロフスキー/ M・アロンソン/(サウンド版音楽)ニコライ・クリューコフ●原作:イワン・ノヴォクショーノフ「ジンギス汗の末喬」●時間:87分●出演:ワレーリー(ヴァレリー)・インキジーノフ/アナトーリー・デジンツェフ/リュドミラ・ベリンスカヤ/アネリ・スダケーヴィチ/ボリス・バルネット●日本公開:1930/10●配給:三映社(評価:★★★☆)



1960年代初頭のパリのとあるビストロで、ナナ・クランフランケンハイム(アンナ・カリーナ)は、別れた夫ポール
(アンドレ・S・ラバルト)と近況の報告をし合い別れる。ナナは、女優を夢見て夫と別れ、パリに出てきたが、夢も希望もないままレコード店の店員を続けている。ある日、舗道で男(ジル・ケアン)に誘われるままに抱かれ、その代償を得た。ナナは昔からの友人のイヴェット(ギレーヌ・シュランベルジェ)と会う。イヴェットは売春の仲介をしてピンハネして生きている。ナナにはいつしか娼婦となり、ラウール(サディ・ルボット)というヒモがつく。ナナは無表情な女になっていた。バーでナナがダンスをしていると、視界に入っ
てきた若い男(ペテ・カソヴィッツ)にナナの心は動き、彼を愛し始める。ナナの変化に気付いたラウールは、ナナを売春業者に売り渡そうとする。ナナが業者に引き渡される時、業者がラウールに渡した金が不足していた。ラウールはナナを連れて帰ろうとするが、相手は拳銃を放つ。銃弾はナナに直撃した。ラウールは逃走、撃ったギャングも逃走する。ナナは舗道に倒れ、「生きたい!」と叫んで絶命する―。
ローに描かれた映画」の意(「タブロー」はフランス語で持ち運びの可能な絵画(=キャンパス画、板絵)のことで「章」とほぼ同じとみていいのでは)。時期的には「
第1章でナナが近況を交換する別れた夫ポールを演じるのは、ゴダールの批評家時代からの盟友でドキュメンタリー映画監督のアンドレ・S・ラバルトであり、終盤、ナナと哲学を論じあう碩学として登場するのは、アルベール・カミュやアンドレ・ブルトンと親交のあった哲学者ブリス・パランで、ゴダールの哲学の恩師であるそうです。最初観た時は、その「衝撃的」ラストに、むしろあっけないという印象を抱きましたが、ゴダールが説明的表現を排したドキュメンタリー・タッチで撮っているということもあったかもしれません。ゴダールがアンナ・カリーナの了解を取らずに隠し撮りのように撮ったシーンもあり(そのことをアンナ・カリーナはすごく怒ったらしい)、ナナと哲学者との対話における哲学者の受け答えも即興だそうです。
アンナ・カリーナ演じるナナは、生活のために娼婦に転じるわけですが、別に不真面目に生きているわけではなく、むしろ「自分の人生を生きる」という哲学を持っています。彼女は、「裁かるるジャンヌ」を観て涙したり(このシーンのアンナ・カリーナの表情がいい)、偶然に出会った哲学者と真理について語ったりします(第12章のタイトルは「シャトレ広場- 見知らぬ男 - ナナは知識をもたずに
哲学する」)。哲学者との会話のシーンなどは、最初に観た時は、言葉が映画の背景になっているような感じがしたのが、今回改めて観直してみると、結構深いことを言っているなあと(「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」なんて言葉を思い出した)。儚(はかな)くも散った一娼婦の人生においても、その中に確実に「詩と真実」はあったのだ―という見方は、あまりにロマンチックすぎるでしょうか。ミシェル・ルグランの音楽もいいです(この音楽がそんな気分にさせる)。
「女と男のいる舗道」●原題:VIVRE SA VIE:FILM EN DOUZE TABLEAUX(英:MY LIFE TO LIVE(米)/IT'S MY LIFE(英))●制作年:1962年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ピエール・ブロンベルジェ●撮影:ラウール・クタール●音楽:ミシェル・ルグラン●原作(原案):マルセル・サコット「売春婦のいる場所」(ドキュメ
ント)●時間:84分●出演:アンナ・カリーナ/サディ・ルボット /アンドレ・S・ラバル/ギレ
ーヌ・シュランベルジェ/ジェラール・ホフマン/ペテ・カソヴィッツト/モニク・メシーヌ/ポール・パヴェル/ディミトリ・ディネフ/エリック・シュランベルジェ/ブリス・パラン/アンリ・アタル/ジル・ケアン●日本公開:1963/11●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:カトル・ド・シネマ上映会〔四谷公会堂〕 (81-09-12)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ (16-09-06)(評価★★★★☆)●併映(1回目):「裁かるるジャンヌ」(カール・テオドア・ドライヤー) anna karina
「裁かるるジャンヌ (裁かるゝジャンヌ)」●原題:LA PASSION DE JANNE D'ARC●制作年:1927年(1928年4月デンマーク公開、同年10月フランス公開)●制作国:フランス●監督・脚本:カール・テオドア・ドライヤー●撮影:ルドルフ・マテ●時間:96分(短縮版80分)●出演:ルネ・ファルコネッティ/ウジェーヌ・シルヴァン/モーリス・シュッツ/アントナン・アルトー●日本公開:1929年10月25日●配給:ヤマニ洋行●最初に観た場所:カトル・ド・シネマ上映会〔四谷公会堂〕 (81-09-12) (評価★★★?)●併映:「女と男のいる舗道」(ジャン=リュック・ゴダール)



1880年、パリ・オペラ座には恐ろしい幽霊が現われるという評判が立ち、舞姫や道具方らは恐怖に見舞われる。折しも道具方の一人が縊死し、これも幽霊の仕業だと益々人々は恐れる。オペラ座の支配人引退興行の夜、プリマドンナのカルロッタ(ヴァージニア・ペアソン)が突然の病気のため、無名の歌手クリスティーヌ・ダーエ(メアリー・フィルビン)が「ファウスト」のマルグリットを演じて大成功を博す。子爵ラウル(ノーマ
ン・ケリー)は彼女に思いを寄せ、彼女の仕度部屋を訪れると部屋の中には何者とも知れぬ男の声がし、クリスティーヌの哀訴の声が聞えたため、ラウルは嫉妬する。新しい支配人は幽霊などいないと冷笑し、怪人の警告を無視してカルロッタを舞台に立たせると、天井に吊したシャンデリアが墜ちて多くの人々が死傷する。クリスティーヌは愛するラウルに、怪人というのはオペラ座の地下の湖に棲むエリック(ロン・チェイニー)であることを告げる。ある晩の開演中、エリックはクリスティーヌを連れ去る。ペルシャ人レドー(アーサー・エドモンド・カリュー)を案内としてラウルは愛人を助けに地下湖へ向かう―。
フランスの作家ガストン・ルルー(Gaston Leroux、1868-1927)によって1909年に発表された『オペラ座の怪人』の、2004年までに9回映画化されたうちの2回目の映画化作品で、「ノートルダムのせむし男」('23年)などでも知られ「千の顔を持つ男(MAN OF A THOUSAND FACES)」と称されたロン・チェイニー(1888-1930)が"怪人"を演じています。"怪人"エリックが音楽と奇術に明るい、脱獄した猟奇犯罪者に設定が変更されていますが(ビデオジャケット(旧版)には、解雇された元オペラ座の楽団員とある)、全体としては原作に比較的忠実な映画化作品とされています。
原作がアンドリュー・ロイド・ウェバーによってミュージカル化(1986年10月のロンドンが初演)された際に、ホラー調のストーリーがラブ・ロマンス風に改変されていますが、原作でも一応クリスティーヌは最後は怪人に対して真心で接します。しかし、この映画化作品では、クリスティーヌが一瞬は怪人に寄り添うかのように見えた場面もあったものの、結局彼女にとって怪人はあくまでも「怪人」であり、その分、怪人の方はストーカー的存在に終始しています。
原作のペルシャ人の元秘密警察ダロガは、該当する人物(レドー)は登場しますが、過去にエリックとの間であった経緯は描かれておらず、そもそも出て来るなり何だか怪しげです。しかし、ラウルがエリックに連れ去られたクリスティーヌを奪回しようとするに際しては、積極的にラウルをエリックの隠れ家である地下湖に導き、その結果、ラウルと共に散々危険な目に遭います。一方、2004年版の映画や劇団四季版などでダロガの役割まで併せて担わせている元バレイ教師、現案内係りのマダム・ジリは登場しません。
オペラ座のセットが大掛かりで、仮面舞踏会のシーンなどは圧巻、しかも、この部分はカラーです。登場する怪人はドクロの仮面を被っていますが、これはブロードウェイ・ミュージ
カル(上右)でも同じです。シャンデリアが
墜ちるシーンも、
怪人エリックは奇術師の才能も持ち合わせている訳ですが、奇術師というより地下に秘密基地を築いたマッド・サイエンティストといった感じでしょうか。クリスティーヌとの婚礼を迫り、小箱の中にあるバッタとサソリの細工を見せてクリスティーヌに選択を求めるのも原作と同じ。バッタを回せばノー、サソリを回せばイエスのサインであると説明をしますが、バッタを選ぶとオペラ座の地下の火薬庫を爆発させるいうことです。クリスティーヌがやむなくサソリを選ぶと、地下に閉じ込められたラウル、レドーが水没の危機に晒されるという展開で、先にも述べた通り、1925年に作られた映画とは思えないくらい今風なスぺクタルシーンを見せてくれます。
とにかく、ロン・チェイニーの怪人のメイクの異様さが際立っていて、原作もミュージカルも、ジョエル・シュマッカー版をはじめとする近年の映画化作品も、顔の一部のみをマスクで覆っているのに対し、ここではほぼフルフェイスのマスクを被っており、それを外すと顔全体が凄いことになっています(さっきまで一
部覗いていたかのように見えた目までメイクが変化している)。
この作品、VHSはパートカラーだったのに、最初に出たDV
Dは廉価版だったせいか全編モノクロになっています(その後出たDVDはパートカラーに)。とりわけパートカラーの部分は出来るだけ綺麗な映像で観たいところですが、アメリカではBlu-ray Discが発売されているものの、日本では現時点['16年]でまだのようです。
年:1925年●制作国:アメリカ●監督:ルパート・ジュリアン●製作:カール・レムリ●脚本:エリオット・J・クローソン/レイモンド・L・シュロック●原作:ガストン・ルルー●時間:(最長版)107分・(短縮版)75分●出演:ロン・チェイニー(エリック)/メアリー・フィルビン(クリスティーヌ)/ノーマン・ケリー(ラウル)/ヴァージニア・ペアソン(カルロッタ)/アーサー・エドモンド・カリュー(レドー)●日本公開:1925/09●配給:ユニバーサル・ピクチャーズ(評価:★★★★)




様々な種類の人間が集まる国際都市モナコに、ロシア貴族カラムジン伯爵と称する軍人風の男が、従妹2人と滞在していたが、実は彼らは詐欺師で、上流階級に取り入り金銭を騙し取ったり、贋
金を作ったりしていた。モナコへの米公使来訪の報を目にした彼らは、公使夫人をカラムジンの手管で篭絡し、金を巻き上げようと企む―。
カジノやホテル等、モンテカルロの街並みごと再現し(無声映画なのにホテルのどの部屋のベルもちゃんと鳴ったという)、豪華な食事を俳優たちに食べさせて、雰囲気から徹底的に作り込んだそうです。そのうえで、人間の性に対する露わな欲望を、カラムジンなる怪物的人物を通して描いたリアリズム作品であり(監督・主演のほかに脚本・衣装もシュトロハイムが担当)、シュトロハイムは、ハリウッドに初めてリアリズム演出を持ち込んだ天才監督と評されています。
マツダ映画社の「無声映画鑑賞会」(日暮里サニーホール・コンサートサロン)で澤登翠氏の活弁で鑑賞しましたが、108分の長尺の活弁はお疲れ様でしたという感じ。但し、オリジナルは上映時間が8時間あったのが長すぎるということで、それが最終的に1時間50分ほどに短縮させられたものが今日あるものであるとのことです(同監督の「
「グリード」と比べると、シュトロハイム本人が主演しているという点でその多才ぶりがより強く印象づけられます(この前に「悪魔の合鍵」('19年)という監督・出演・原案・美術を担当した長編もあるがフィルムが現存していない)。いやあ、凄い話だなあ。シュトロハイム演じるカラムジンは貴婦人だけでなくメイドまで誑かすし(結局彼女は自殺に追い込まれる)、最後は高跳びする前に贋金作りのやや頭の弱い娘まで襲おうと
してその父親に惨殺され下水に捨てられるのですが(殺される場面はフィルムが紛失しているが活弁で補足説明されていた)、自分がその役をやる映画で普通こんな脚本を書くかねえ。しかも、この部分もフィルムが現存していませんが、オリジナルでは死体がネズミの餌になっている場面があったそうな(これぞリアリズム)。
作品全体のテーマは、タイトルに表象されるように、上流階級の欺瞞や空疎、浅薄さを揶揄したものでしょうが、カラムジン伯爵の人物造型があまり強烈であり、プロセスにおいてはある種ピカレスクロマンになっています。カラムジンがニセモノの涙を流すところなどはやや演出過剰な感もありましたが、当時の基準からすれば、こうしたシーンもリアリズムの範囲内ということになるのか。 カラムジン中心にみれば人間の飽くなき「性欲」を描いているとも言え、人間の「金銭欲」を描いた「グリード」との対比で、そうした捉え方の方がすっきりするかもしれません。
「チャップリンの恋のしごき」は1914年3月26日公開作。チャップリンがデビューした年の作品で(原題:Cruel, Cruel Love、「痛ましの恋」の邦題で公開されたこともある)、但しチャップリンはこの年だけで40本近くの短編に出ていて、この作品はデビュー作「成功争い」から数えて第8作です。因
みに、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムの映画デビューも100年前のチャップリンのデビューと同じ年の1914年です(D・W・グリフィスの「國民の創生」('14年)で監督助手兼エキストラ出演)。
「チャップリンの大酔(たいすい)」は1916年8月7日公開作で、チャップリンのミューチュアル・フィルムにおける4作目。酔っぱらったチャップリンがタクシーから降りて我が家に入り寝室に行き着こうとするまでを描いた(結局最後はバスタブに行き着いてしまうのだが)純粋なドタバタコメディで(原題:One A.M.、そのまま「午前一時」の邦題で公開されたこともある)、しかも冒頭のタクシー運転手を除いては実質チャップリン
の完全な一人芝居です。ここにきて、ようやくと言うか、既にすっかりチャップリンのコメディスタイルが出来上がっているなあという感じで、それをずっと一人芝居でじっくり観ることが出来るという意味では貴重な作品とも言えるかもしれせん。
「愚なる妻」●原題:FOOLISH WIVES●制作年:1921年(公開1922年)●制作国:アメリカ●監督・原作・脚本:エーリ

「チャップリンの恋のしごき(痛ましの恋)」●原題:CRUEL, CRUEL LOVE●制作年:1914年●制作国:アメリカ●監督:ジョージ・ニコルズ●製作:マック・セネット●脚本:クレイグ・ハッチンソン●撮影:フランク・D・ウィリアムズ●時間:現存9分(オリジナル18分)●出演:チャールズ・チャップリン/エドガー・ケネディ/ミンタ・ダーフィ/アリス・ダヴェンポート/グレン・カーヴェンダー●最初に観た場所(活弁付き):日暮里サニーホール・コンサートサロン (14-09-30) (評価★★★)●併映:「チャップリンの大酔」(チャールズ・チャップリン)/「愚なる妻」(エーリッヒ・フォン・シュトロハイム)」
「チャップリンの大酔(たいすい)(午前一時)」●原題:ONE A.M.●制作年:1916年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:チャールズ・チャップリン●撮影:ローランド・トザロー●時間:12分(オリジナル32分)●出演:チャールズ・チャップリン/アルバート・オースチン●最初に観た場所(活弁付き):日暮里サニーホール・コンサートサロン (14-09-30) (評価★★★☆)●併映:「チャップリンの恋のしごき」(ジョージ・ニコルズ)/「愚なる妻」(エーリッヒ・フォン・シュトロハイム)」

![HAROLD LLOYD COLLECTION [DVD].jpg](http://hurec.bz/book-movie/HAROLD%20LLOYD%20COLLECTION%20%5BDVD%5D.jpg)

周囲の期待を一身に集め、田舎から都会に出て来た青年がいた。残してきた恋人には主任を任され......なんて手紙を出すが、実のところ、ただのデパートの売り子。それも度重なるドジで、首さえも危ない状態だった。そこへ彼女がやってきて、なんとか取り繕おうとしてますますドツボにはまり、ついに解雇通告を受け取ってしまう。だが、壁登りが得意な友人をビルに登らせる販促キャンペーンに借り出すことで、何とか汚名返上を果たそうと画策。しかし宿敵の警官に友人は追われ、ついに彼自身がビルに挑むことに―(「allcinema ONLINE」より)
ハロルド・ロイド(1893-1971)主演の1923年作品で、本邦公開は1923(大正12)年12月。淀川長治はこの作品をロイド主演作の中でベストとしていますが、大方の見方も同じでしょう。先に「
前半の細かいギャグの連続がロイド作品の中でもテンポがいいというのもありますが、やはり後半の、ロイドが1階ずつビルの壁をよじ登っていく場面が見せます。どうやってこうした危険そうに見えるシーンを撮ることが出来たのか、タネを知ればナルホドで終わってしまうのですが、それにしてもカメラワークが巧みです。創意工夫によって、映像上のスリルと、撮影上の安全性の両方を成り立たせている点は、CG全盛の今日において、大いに参考にすべき映画の原点的な技と言えるのではないでしょうか。
デパートに新入社員として入社し、洋服の生地売り場でのお客対応でこき使われているロイドからは宮仕えのツラサもたっぷり感じられますが、解雇通告を受けてもめげず、何百人も客をデパートに呼び寄せれば報奨金1000ドルを出すという支配人の発言を聞きつけ発奮するロイドからは、チャンスを生かせば誰もが恵まれた人生を手にすることが出来るという、アメリカ的な考え方、成功への上昇志向が窺えます(因みに、ハロルド・ロイドが作品中で「ハロルド・○○○」として登場した作品は多いが、ちゃんと「ハロルド・ロイド」として登場した作品はこの「ロイドの要心無用」のみ。但し、オープニングクレジットでは単に「The Boy」となっている)。
主人公は、最初は取り敢えず1階分だけ登って後は壁登りの得意な友人と交代する手筈だったわけで、それが結果として...。この1つ1つ目の前の"課題"に取り組むことで、意図せずして当初不可能と思われたことを独力で成し遂げていたという話の流れも上手いと思います。ビルの下に集まってくる群衆なども、非常に多くのエキストラを使っているように思われますが、それらが、実際にロイドがスタント無しでビル登りしているのを固唾を飲んで見守っているかのように撮られているのが絶妙です(実際にはビル登りするロイドは最初の下の方の階を除いては別撮りであり、スタントは使っていないが、先述の通り一定の安全は確保されていた)。
後半の壁登りに次ぐ見所は、その前の、恋人を安心させるために自分が会社で要職に就いていると偽っていたところ、その恋人が会社を訪ねて来てしまい、社内で新入社員のくせにあたかも支配人であるかのように振る舞ってみせる場面でしょうか。これもなかなか楽しめ、このことにより、中盤、後半と、"引き込まれ度"がステップアップしていく作品になっているように思います。
このシチュエーションで思い出されるのが、小津安二郎監督の「
![ロイドの要心無用~Safety Last~ [VHS].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%81%AE%E8%A6%81%E5%BF%83%E7%84%A1%E7%94%A8~Safety%20Last~%20%5BVHS%5D.jpg)




田舎から出てきて憧れの大学生となったハロルド(ハロルド・ロイド)は、学内の人気者になりたくて皆にアイスクリームを御馳走したりパーティを開いたりする。車中で知り合って意気投合した下宿屋の娘ペギー(ジョウビナ・ラルストン)の気を引こうとしたのだった。恋敵に触発されて今度はフットボール部に入り花形選手を目指すが、監督
は彼を補欠として在籍させるものの、練習の時は選手のタックルの練習台として、試合の時はウォーターボーイ(水汲み)としてしか扱わない。そんな中、大事な試合でケガ人が続出し、やがてハロルドにも出場の機会が訪れる―。
パントマイム系であるにも関わらず表情豊かでおとぼけぶりも際立つチャップリン、アクロバット系であるにも関わらずピンチでも無表情を崩さないシュールなキートン―個性が強烈で存在そのものがエキセントリックなこの両者に比べると、ロイドはその特徴的な眼鏡を除いてはごく普通の若者といった感じで、逆に眼鏡によって都会的な印象を醸しており、その辺りが当時の観客に親近感を与えたのではないでしょうか。
「
この作品は「
但し、この作品も、終盤のフットボールシーンのロイドのアクションは愉しめるし、どちらかと言うとギャグ系のロイドが、ここでは体を張って頑張っています。随所にエスプリも効いていて、恋人の泣かせる励ましの言葉もあり、人によっては「要心無用」よりこちらが好みだという人がいてもおかしくないかもしれません(個人的にはやはり「要心無用」の方が上にきてしまうのだが)。
因みに、ハロルド・ロイドが作品中で「ハロルド・ロイド」として登場した作品は「要心無用」のみで、この作品では「ハロルド・ラム(Harold Lamb)」、通称「スピーディー(Speedy)」となっています。このスピーディーという愛称はその後の作品に引き継がれ、「ロイドのスピーディー」('28年)などは、小津安二郎監督の「
俗を描いているという点では、映像的には貴重かも。同じく小津安二郎の「



配給のパンにありつけず、とぼとぼと歩いていたキートン。道端に落ちてた蹄鉄を投げると警官を直撃し、警官に追いかけられるハメに。何とか逃げ切ったとき、ふと警察署の中を鉄格子越しに覗くと、凶悪犯が顔写真の撮影をしようとしているところだった。そこでキートンは、凶悪犯に一杯食わされ、キートンの写真が凶悪犯として撮影されてしまう。その後、凶悪犯は脱走し、キートンの写真が脱走中の凶悪犯として公開される―。(「キートンの強盗騒動」)
冒頭、パンの配給の列に割り込もうとしたキートンが、注意され列の一番後ろに回ったところ、テーラーのマネキンの後ろに並んでしまうというコミカルな設定から始まって、以降、ギャグがテンポ良く展開され、小刻みなギャグやアクションが間断なく続いて、終盤のキートンを追いかける警官とのエレベータでの追いかけっこまで、一気に見せます。
しかも、キートンが恋心を抱き家に招かれた女性の父親が実はその警官だったという、こうしたシチューションは、後の「
金持ち令嬢を好きになったキートンは、彼女に"立派な事業家になったら結婚してあげる"と言われ追い返される。フラフラと町に出た彼は、タクシーを拾おうとする紳士の落とした財布を拾って彼に返そうとするが、渡し損ねて中身だけ貰ってしまう。その大金に目をつけた詐欺師が、引っ越しで今から運ばれようという家具を、持ち主のいない隙に彼に泣きついて無理矢理買わせる。キートンは近くの洋服露地商の値札を、その前に停めてあった馬車の値段と勘違いして僅か5ドルで手に入れ、家具を満載して出発。やがて、馬車は警官の大パレードに突入。折悪しく、その荷台の上で過激派の爆弾が炸裂したため、キートンは何百という警官に追われるハメになる―(「キートンの警官騒動」)。
「キートンの警官騒動」は1922年3月の本国公開作品で、キートン・プロダクションのキートン監督・出演作の【第12作】。日本では、'73年6月に「
無実の男が警官に追われるという設定は「強盗騒動」と重なりますが、こちらは、アーバックルの事件後の作品であり、ラストが、キートンが逃げるのを諦め、自ら無実の罪で捕まるというコメディらしからぬ終わり方になっていて、エンディングには墓石のようなものが映っていることからも(そこに"THE END"と刻まれ、キートン帽が置かれている)、事件への批判が込められているとみてよいかと思います。
前半から中盤にかけては馬車に乗って手信号に噛みつく犬をボクシング・グローブで撃退したり、横着してマジック・ハンドで合図していたら、交通整理の巡査を殴り倒していたりという細かいギャグの連続。それが馬車が警官の大パレードに突入してからは、これでもかこれでもかというくらいの数の警官がキートンただ一人を追いかけ、これはこれで、後の「キートンのセブン・チャンス(栃面棒)」の、キートンが女性の大群に街中を追い掛け回される設定を想起させます。
キートンは1920年から23年にかけて自らのプロダクションで20本近い短編を撮っていますが、その中でこの2本は「
「キートンの強盗騒動(悪太郎)」●原題:THE GOAT●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/マル・セント・クレア●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:23分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス/エドワード・F・クライン/マル・セント・クレア●日本公開:1977/04(リバイバル)●配給:フランス映画社●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)(評価:★★★★)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの船出(漂流)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」
「キートンの警官騒動」●原題:COPS●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:20分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス/エドワード・F・クライン●日本公開:1973/06(リバイバル)●配給:フランス映画社●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)(評価:★★★★)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの船出(漂流)」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」![キートンの決死隊【字幕版】 [VHS].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B1%BA%E6%AD%BB%E9%9A%8A%E3%80%90%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88%E3%80%91%20%5BVHS%5D.jpg)

金持ちのエルマー(バスター・キートン)はメリー(サリー・アイラース)という娘を恋して言い寄るが、いつも拒まれていた。米国が欧州戦線に参加し、国民の多くが参戦熱に駆られる中、運転手が義勇兵募集に応じてしまい、エルマーは職安へ求人に訪れる。ところがそこがいつの間にか入隊申込所と変わっていて、彼は新兵訓練所に回されて種々珍事を起し、頑固一徹のプロフィー軍曹と衝突するが、メリーが軍隊に働いているの知って喜び、彼女もまた彼の一兵卒となった心意気に感じ入る。ある夜、秘かにキャンプを抜け出してメリーに会いに行くが、同じ思いのプロフィー軍曹と顔を合わせ、メリ
ーはエルマーのためを思いこんな男と会ったこともないと突っぱね、軍曹も追い返す。メリーとエルマーは同じ輸送船で出征することになり、彼女はエルマーに心情を打ち明けようとしたが機会が無く、戦線で彼が見張りに出た時に再会、彼は彼女の本心を聞かされ喜び
の余りユクレレを奏して同僚の安眠を妨げて窓から突き落とされ、農家の娘の寝室に迷い込んだため、メリーの信用を失ってしまう。沈んでいる彼を見た同僚が兵士慰安会に出演させるが、敵方戦闘機により開場は被弾、恋を失ったエルマーは戦死の覚悟で敵陣に乗り込む。敵の塹壕内に転げ込んだ時に彼の以前の使用人と再会、彼らが食料を断たれて困っているのを聞き、食料を届ける約束をして味方の陣地に引き上げるが、その際に何気なく机上にあった地図を持ち帰ったのが手柄となり、功によって休暇を貰う。彼が戦線からキャンプに戻る途中またも敵機が飛来し、逃げ惑う中でメリーを見つけ、敵陣地へまた飛びこむ。そこへ喚声が上がり2人は驚くが、終戦条約締結の知らせのとためと知れた。戦争を終えて帰国したエルマーは会社の社長として復帰、メリーは妻として彼を助けていた―。
バスター・キートン主演の1930年8月本国公開作品で、キートンがMGMに移籍してからの第5作、トーキーとしては「キートンのエキストラ」('30年3月公開)に続く2本目で、「エキストラ」と比べ製作費は半分強、しかし、利益は10倍以上だったとのことです(日本公開は'31年4月)。ただ、個人的には「エキストラ」同様にイマイチでした。
ストーリーにやや無理があるように思われ、何故キートンが入隊申込所に送り込まれてしまったのかよく解らなかったし(執事のミス?)、敵陣に行って、そこにかつての使用人がいたからといって食料を届ける約束をしてくるというのもどうか。終戦がなければ、キートンが携えてきた作戦地図を基に相手方に総攻撃をかけていたわけで...。ラストで、会社の社長として軍隊でいじめられた上官たちを従業員として使用して得意にしているキートンというのもちょっとなあ...と。
これだけストーリーを捏ね繰り回しながら、キートンらしさを発揮する場面が少ないせいか、「キートンの結婚狂」('29年)、「エキストラ」に続いて、ここでも劇中劇を"兵士慰安会"という形で入れ、女装で踊るなどしていますが、何だかわざとらしい印象を受けました(キートンは第一次大戦に従軍した際に実際こうした余興をやっていたとの説もあるが)。
キートンの同僚役のクリフ・エドワーズは、「ウクレレ・アイク」の愛称で知られた歌手兼コメディアンで、キートンとのコンビネーションは悪くはないですが、キートンをじっくり見たい自分としてはやや邪魔っ気な印象も。キートンの唄とウクレレ演奏が聴けるのは貴重ですが...(クリフ・エドワーズより上手かったといわれるウクレレを奏でつつ唄っている時のキートンは甘くてカッコ良すぎ)。
戦争もののコメディって難しいと思うなあ。失恋したエルマー(キートン)が敵地へ乗り込んでいくところなどは悲壮感の方が勝ってしまう...。加えて、エドワード・セジウィック監督作に共通して言えることですが、全体にテンポがイマイチであり、終盤でキートンがメリーと避難したところへ不発弾が落ちてきてキートンが慌てふためく場面は、最後にキートンらしさが出たという感じでしたが、それでもそこまでの流れの悪さを挽回するには至らなかったように思います。

カンザス州の田舎町に住むブランケット夫人(トリクシー・フリガンザ)は、娘のエルヴィラ(アニタ・ペイジ)が町内の美人コンテストに優勝したのを契機に、彼女を映画スターに仕立てようとマネージャーのエルマー(バスター・キートン)を連れ立ってハリウッドに乗りこむ。エルマーの不注意で、彼らはハリウッドの人気二枚目俳優のラリー(ロバート・モンゴメリー)の座席に座ってしまう。エルヴィラの美しさに心を奪われたラリーは彼女を援助することを約束するのだが、彼女に無体を働いたと
ころをエルマーが連れてきたブランケット夫人に見咎められ、母と娘の信頼を失ってしまう。エルマーは当初ラリーを良く思っていなかったが、ラリーが自分と同郷であることを知って互いに親しくなる。エルヴィラを売り込むために撮影現場に潜り込み、エキストラとして何度も失敗を繰り
返していたエルマーだったが、ひょんなことからコメディアンとしての成功の糸口を掴むことになり、コメディ・ミュージカルでエキストラに抜擢されたブランケット夫人と共演することになる。一方、将来を悲観するエルヴィラに、エルマーは自らの彼女を愛する想いを伝えようと「貴女と結婚したがっている人がいる」と示唆するが、運命の悪戯によりエルヴィラはそれがエルマーだと思い込み、二人は結ばれエルマーは失恋する―。
また、ストーリーが、"トーキーに乗り込んだ"彼を"ハリウッドに乗り込んだ"エルマーに重ねているのはいいのだけれど、ラストで映画では成功するが、恋愛の方は失恋してしまうという結末はいかがなものかと...。これまでカラッと乾いた笑いと(とりわけ恋愛において)ハッピーエンドのコメディが定番だっただけに、あまりウェットなのはこの人には似合わない気がします。
キートンは頑張っているだけなく、声も良くて台詞もメリハリがあり、トーキーの世界でも十分にイケル感じなのですが、その使われ方や脚本の方にキートンの魅力を引き出そうにも引き出せない問題があって、こうしたことがますますキートンを追い込んでいったのだろうなあと思わせるものがあり、トーキー時代に入ってからのキートンの退潮はMGMの責任だという印象を改めて抱かされました。
ミュージカル・シーンは「劇中劇」であることを利用して顔の"白塗り"を復活させたりしていますが、ギャグがキートンのギャグではなく、演出家による振付けの一部になっているという感じで、"白塗り"も「ストーン・フェイス」ではなく予め悲哀を表す眉線が入っていたりして、わざわざ白塗りにしたのに却ってキートンらしくなくなっている感じです。「道化の悲哀」というのも、キートンのそれまでの、最後振り返ってみれば実にスマートだったというスタイルとは異質であり、個人的にはイマイチの作品でした(いや、イマニかイマサンくらいか)。
「キートンのエキストラ」●原題:FREE AND EASY●制作年:1930年●制作国:アメリカ●監督:エドワード・セジウィック●脚本:ポール・ディッキー●撮影:レナード・スミス●原作:リチャード・スカイヤー●時間:92分●出演:バスター・キートン/アニタ・ペイジ/トリクシー・フリガンザ/ロバート・モンゴメリー/フレッド・ニブロ/エドガー・ダーリング/グウェン・リー/ジョン・ミルジャン/ライオネル・バリモア/ウィリアム・ヘインズ/ウィリアム・コリアー・シニア●日本公開:1930/12●配給:MGM日本支社(評価:★★)


クリーニング店の店主エルマー(バスター・キートン)は舞台女優のトリルビー(ドロシー・セバスチャン)の大ファンで、顧客から預かっているタキシードを着込んで金持ちの風采で彼女の舞台に通い詰め、仕舞には、劇団員の一人に話をつけて代役で彼女の芝居の舞台に立ち、大事な芝居をぶち壊してしまう。そんな折、トリルビーの恋人で同じ劇団の
花形男優(エドワード・アール)が別の金髪美人(レイラ・ハイアムズ)と婚約したことに憤慨した彼女は、面当てにエルマーと結婚する。しかし、エルマーが実は金持ちでないと判り、彼は離婚を言い渡される。エルマーは船でその地を去ろうとするが、彼が乗ったのは密輸船だった。脅迫されて海に飛び込んだエルマーは航行中の客船に救
われ、そこで水夫として働くことになる。この船は多数の賓客が舟遊び客として乗っていたが、その中にトリルビーと前の恋人男優もいた。突然船は出火して賓客も船員も船を捨てて逃げたが、エルマーとトリルビーは取り残される。エルマーは単身で火を消し止め、トリルビーと助けを待つが、そこへ現れたのは例の密輸船だった―。
バスター・キートン主演の1929年4月本国公開作品で、キートンがMGMに移籍してからの第2作目、最後のサイレント作品となります(日本公開は同年12月)。
前半部分はコント風で、キートンがエキストラとして上がった舞台で繰り広げるドタバタが一つのヤマでしょうか(舞台に上がる前のメーキャップを自分でやる場面のギャグがキートンらしくて可笑しい)。キートンはこの作品をトーキーでやりたかったそうですが、MGMがサイレントでの公開を決め、次回作「キートンのエキストラ」('30年)が初のトーキー作品となります。"エキストラ"ネタで次回作と被りますが、以前ほどのキレは無いにしても、こちらの"エキストラ役"の方が「エキストラ」における"エキストラ役"の彼よりもキートンらしいギャグが効いています。
後半部分、海に乗り出してからは、主人公の2人が船に
取り残されるという設定は「
「
トリルビー役のドロシー・セバスチャンは当時のキートンの愛人だったそうで、そう思って観ると何となくそんな気もしないでもなく、艶めかしく感じられる場面もあれば、ハードなアクションを容赦なく強いている場面も...。作品全体としては往年の切れ味は相当落ちていますが、恋愛の上でのハッピーエンドは定番ストーリーを維持しており、「キートンのエキストラ」などと見比べれば、キートンはやはりサイレントが似合うと思わせる最後の作品となっています。



映写技師のキートンは、探偵に憧れていて、映写時間外は館内や入り口の
掃除もやっている一方、仕事中も「探偵学」の本を読んだりしている。ある日、プレゼントを届けに行った愛する女性(キャサリン・マクガイア)の家で恋敵と張り合うことになるが、そこに女性の父親(ジョー・キートン)の懐中時計の盗難事件が発生、「探偵学」のマニュアルに沿って意気揚々と犯人捜査に乗り出すも、時計を質屋に預けた質札が自分のポケットの中から見つかり、女性の父親に家から追い出されてしまう。恋敵が怪しいと睨んだキートンは、彼を尾行するが、逆に貨物列車に閉じ込められ、何とか抜け出して貨車の屋根を走り、給水塔のノズルに掴まって降りようとするが、大量の水が放出され線路に叩きつけられる。女性は質屋に聞き込みに行き、犯人はキートンの恋敵の男で、キートンは濡れ
衣を着せられたことを突き止める。一方の仕事場の映画館に戻ったキートンは、映画上映中に居眠りを始め、その分身が憧れの銀幕の中に入っていく。映画の中の男女はキートンの恋する女性と恋敵
に変わっており、恋敵に殴られた彼は客席に飛び出し再び入り込むと、場面は変わっていて...。やがて、愛する女性の家で高級ネックレス盗難事件が発生する。彼は映画の中で"シャーロック2世"となって犯人探しを続け、窃盗団と決死の追走劇を演じる...。目醒めた彼には愛する女性にプロポーズをする勇気がなく、上映中の映画のシーンを真似て求婚すると上手くいきかけるが―。
この「キートンの探偵学入門」はキートン・プロダクションのキートン監督・出演作の【第22作】。1924年4月に本国公開され、それは丁度前
作「荒武者キートン」('23年)の半年後、次作「海底王キートン」('24年)の半年前になります。日本では同じく'24(大正15)年12月に「忍術キートン」のタイトルで公開されており(「荒武者キートン」の本邦初公開と同時期か)、このタイトルは配給元の松竹が「キネマ旬報」などに「探偵第二世」という直訳に近いタイトルで予告広告を出して邦題を一般公募したものだったようです。'73年に「キートンの探偵学入門」のタイトルでリバイバル上映されています。
席を映したままキートンが客席と映画の中を行き来するシーンは秀逸。スクリーンの場面は次々と変わり、階段を一歩踏み出した途端に足場が消えて転んだり、いきなりライオンのいるジャングルにいたり、断崖や砂漠だったり、海上の岩礁や雪の野原だったりと、シーンが変わるごとにスクリーンの中で翻弄されるキートンのアクションと映像とのマッチングが巧みです。主人公が映画の中に入っていくアイデアは、ウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」('85年/米)でのミア・ファローが映画の中に入っていく設定にヒントを与えたと言われていますが、キートンのこの作品の場合、前半分は現実の話であり、ヒロインが真相に気づいた所でキートンへの疑いは晴れていることになり、それを知らないキートンが夢の中で犯人捜しをするということになります。
この後も、キートンが敵陣に乗り込む前に窓に女性用の衣装ケースをぶら下げておいて、窓を飛び抜けると服装が女性の衣装に変わる早技や、キートンが路地に追い詰められて壁際に立った仲間が持つ鞄の中に飛び込むというシュールな脱出技など、どうやって撮ったのかと思わせるようなシーンが続きます。更に、キートンがハンドルに飛び乗った警官のバイクが警官を落として暴走、キートンは運転者がいなくなっていることに気づかずにずっとバイクのハンドルに乗っかって爆走していくという、いつもにも増して過激なアクションシーンが続きます。


ラストで、映画のシーンを真似て女性に指輪を渡し軽くキスするところまでは上手くいきますが、映画の方がエピローグで夫婦に双子が生まれ、女性が編み物をし男性が赤ん坊をあやしている場面になると、それ以上先に進むのを逡巡してしまうというのは、キートンの独身主義の表れと言うより(キートンはこの時既に「荒武者キートン」でも共演したナタリー・タルマッジと結婚している)、安定し切ってしまうことへの不安を表象しているのではないでしょうか。
キートン作品のベストテンなどで1位にくることもある作品で、「荒武者キートン」('23年/67分)、「海底王キートン」('24年/59分)より若干短く、ストーリーをシンプルにして、身近な設定ながら"夢オチ"にすることでギャグやアクションに幅を持たせているといった感じです。
は言えないかも。でも観ているうちに夢の中の出来事であるというのを忘れそうになります(と言うより、どこから夢だったか忘れそうになる)。
年:1924
年●制作国:アメリカ●監督:バスター・キートン●製作:バスター・キートン/ジョセフ・M・シェンク●脚本:クライド・ブラックマン/ジョン・ハヴェズ/ジョゼフ・ミッチェル●撮影:エルジン・レスレー●時間:50 分●出演:バスター・キートン/キャサリン・マクガイア/ジョー・キートン/ウォード・クレイン●日本公開:1924/12●配給:松竹(評価:★★★★☆)
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石器時代、ローマ時代、現代の3つの時代で繰り広げられる、美しい娘を手に入れるまでの男の恋愛騒動&奮闘劇で、キートン・プロダクションのキートン監督・出演作の【第20作】で、キートンが監督した初長編作品(1923年9月公開、47分)ということになっていますが、長編への進出に不安のあったキートンが、従来に短編を組み合わせる形で制作し、上手くいかなかった場合はそれぞれ個別の作品として公開しようと考えていたという説もあるようです。日本公開は1925(大正14)年3月で、公開時邦題は「滑稽恋愛三代記」。'74年7月に「キートンの恋愛三代記」のタイトルで「ニュー東宝シネマ2」でリバイバル上映されました(併映短編「スケアクロウ」「マイホーム」)。
各時代それぞれシチュエーションごとに区切って、47分の間に石器時代、ローマ時代、現代の3つの時代が繰り返し出てくる展開は、キートンならではのギャグ満載で観る者を飽きさせず、しかも前半の恋占いシーンや、中盤の女性をめぐる男達の決闘シーンなど、時代ごとのモチーフを揃えているところなどから、やはり最初からから長編としての公開を意識したものと思われます(キートンの相手役のヒロインも一貫してマーガレット・リーイー(Margaret Leahy)が演じているし)。
セシル・B・デビル監督を皮肉ったものとも言われていますが、このキートンの「恋愛三代記」の中でもセットなどに最もお金をかけている場面のように思われました。D・W・グリフィス監督の「イントレランス」('16年)のパロディとも言われていますが、確かにセットは「イントレランス」と似ています(大掛かりなだけに、大観衆の迎える中でキートンがしょぼい犬ぞりで登場するギャップが非常に効果的なのだが)。
キートンは実際に映画「ベン・ハー」を参考したのでしょうか? ウィリアム・ワイラー監督、チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」('59年/米)はアカデミー賞11部門を獲得した大作として知られていますが、その前にフレッド・ニブロ監督が撮ったラモン・ノヴァロ主演のMGM映画「ベン・ハー」('26年/米)があり、ウィリアム・ワイラーはこの作品で助監督を務めています。この作品は、「民衆」役でジョン・バリモア、ジョーン・クロフォード、マリオン・デイヴィス、ダグラス・フェアバンクス、リリアン・ギッシュ、ハロルド・ロイド、メアリー・ピックフォードなど多くのスターが出演していることでも知られています。但し、これはこの「恋愛恋愛三代記」の3年後の公開作品であり、キートンが真似ようにもそれは不可能です。
品を参照した可能性はかなり高いように思います。
ローマ時代だけでなく、石
器時代も現代も手抜きしておらず、石器時代ではマンモスの代わりに本物のアフリカゾウを使い(ローマ時代のキートンが爪を磨いてあげることで喰われずに済んだライオンは明らかに着ぐるみだが)、現代ではフットボールの試合をスポーツ大好き人間のキートンらしくかなり本格的に撮影しています。石
器時代の岩から岩へ飛び移ってのアクションが、現代のビルからビルへ飛び移るアクションと重なるのも上手いし(それにしてもスゴいアクション)、ラストはどの時代のキートンも目出度くヒロインと結ばれ、石器時代では凄い数の子どもに恵まれ、ローマ時代もそこそこ、それが現代では夫婦の間にペットの犬が一匹というのが見る側の予想を覆して可笑しいです(少子化時代を予測した?)。
派手なアクションもありますが、細かいギャグや小道具も効いていたように思います。石器時代で言えば、キートンがしている"腕時計型の日時計"とか"ゴルフセット"とか。現代においては、ジョー・ロバーツ演じる恋敵(こちらも3時代を通しての)の見せる身分証(社員証)にFirst National Bank(国立一流銀行)であるのに対し、キートンのがLast National Bank(国立三流銀行)であるというのも可笑しいです。現代版
におけるキートン帽にネクタイ、ワイシャツ、チョッキ、ダブダブのズボン、ドタ靴という組み合わせは、所謂「アーバックル時代」と言われるロスコー・アーバックルとの共演時代(1917-1920)の最後の名残りかと思われますが、キートン帽など以降の作品にも暫く引き継がれていくものもあります。
石器時代にキートンがアプローチする女性の一人で岩の上に寝そべっている女性―立ち上がると実は大女だった―は、ブランシ・ペイソンという人で、ニューヨーク最初の婦人警官だったそうです。
「キートンの恋愛三代記(滑稽恋愛三代記)」●原題:THE THREE AGES●制作年:1923年●制作国:アメリカ●監督:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:バスター・キートン/ジョセフ・M・シェンク●脚本:バスター・キートン/クライド・ブラックマン/ジョゼフ・ミッチェル/ジャン・C・ハヴェズ●撮影:エルジン・レスレー/ウィリアム・C・マクガン●時間:47分●出演:バスター・キートン/ウォーレス・ビアリー/マーガレット・リーイー/ジョー・ロバーツ/ホラス・モーガン/リリアン・ローレンス●日本公開:1925/03●配給:イリス映画(評価:★★★★)
「ベン・ハー」●原題:BEN-HUR●制作年:1959年●制作国:アメリカ●監督:ウィリアム・ワイラー●製作:サム・ジンバリスト/ウィリアム・ワイラー●脚本:カール・タンバーグ/マクスウェル・アンダーソン/クリストファー・フライ/ゴア・ヴィダル/S・N・バーマン●撮影:ロバート・L・サーティーズ●音楽:ミクロス・ローザ●原作:ルー・ウォーレス●時間:212分●出演:チャールトン・ヘストン/スティーヴン・ボイド/ジャック・ホーキンス/ハイヤ・ハラ
リート/ヒュー・グリフィス/マーサ・スコット/キャシー・オドネル/フランク・スリング/サム・ジャッフェ/フィンレイ・カリー/テレンス・ロングドン/アンドレ・モレル/ジョージ・レルフ/マリ
ナ・ベルティ/ジュリアーノ・ジェンマ/クロード・ヒータ/フィンレイ・カリー●日本公開:1960/04●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:杉本保男氏邸(80-12-02)(評価:★★★★)
「ベン・ハー」●原題:BEN-HUR:A TALE OF THE CHRIST●制作年:1926年●制作国:アメリカ●監督:フレド・ニブロ●脚本:ジューン・メイシス/ケイリー・ウィルソン/ベス・メレディス●撮影:クライド・デ・ヴィナ/ ルネ・ガイサート/ パーシー・ヒルバーン/カール・ストラッス●音楽:ウィリアム・アクスト●原作:ルー・ウォーレス●時間:141分●出演:ラモン・ノヴァロ/フランシス・X・ブッシュマン/メイ・マカヴォイ/ベティ・ブロンソン/クレア・マクドウェル/キャスリーン・キー/カーメル・マイヤーズ/ナイジェル・ド・ブルリエ/ミッチェル・ルイス/レオ・ホワイト/フランク・


「ベン・ハー」●原題:BEN-HUR●制作年:1907年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・オルコット●脚本:ジーン・ゴルチエ●原作:ルー・ウォーレス●時間:15分●出演:ハーマン・レトガー/ウィリアム・S・ハート●米国公開:1907/12●最初に観た場所:杉本保男氏邸(81-09-27)(評価:★★★☆)


(9日月曜日)...結婚式を終えた新郎(バスター・キートン)と新婦(シビル・シーリー)は、叔父から貰った新居に車で向かうが、運転していたのは新婦にフラれた男ハン
クで、彼は2人の新生活を邪魔したりする。新居の場所に着くとそこには土地しかなく、届けられた木材と工具で自分で組み立てなければならなかったのだ。(10日火曜日)...早速翌日から2人は新居の組み立て作業に入るが、ハンクの妨害により間違った手順で新居が出来上がってしまう。(11日水曜日)...平行四辺形のような奇妙な
形の新居に引っ越し業者(ジョー・ロバーツ)が運んできたピアノを入れようとするが、これがまた大騒動になる。(12日木曜日)...新郎は煙突を取り付けようとして、入浴
中の新婦がいる2階の風呂の浴槽に落ち、恥ずかしがる新婦に風呂から追い出され、出口かと思ったドアを開けて外に転落する。(13日金曜日)...2人は新居完成披露パーティに友人らを呼ぶが、雨漏りがして新郎は室内で傘をさしている。やがて雨は暴雨風となり、新居は風に煽られ土台ごと猛烈な勢いで回転しはじめる。客は帰り、2人は外で一夜を過ごす。(14日土曜日)...嵐
が去った翌朝、新居はボロボロになっていたが、そもそも家を建てる場所が間違っていたことに気づいた2人は車で新居を移動させる。その途中で線路に引っ掛かって立ち往生してしまうが、そこへ猛烈なスピードで蒸気機関車がやってくる―。
新郎が入浴中のシーンでカメラに手が覆いかぶさったりするのが遊び心を感じさせ、そこへキートンが落ちてくるという繋がりもまた良く、更に、ドアを開けたら外に転落してしてしまったキートンが、新居披露パーティに来たハンクに追いかけ回されて、そ
の経験を活かして彼を自ら外へ追いやってしまう場面は痛快(山崎バニラ氏はその活弁の中で敵役の彼をストーカーと呼んでいるが、まさにピッタリ)。その他にも、後のキートンの長編に見られるアクションの原点が幾つもここにあるという印象でした。
ラストで新居が機関車で粉砕されてしまうのは本来ならば悲しい結末ですが、「売家」の札と「組立説明書」を置いて2人でその場を去っていくシーンはカラっと乾いていて、いかにもキートンらしいです。この2人が手をつないで新たな道に向かって歩いていくエンディングは、チャップリンの「
新婦役のシビル・シーリー(Sybil Seely)は「
盗騒動(悪太郎)」「キートンの船出(漂流)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」/併映:(2回目)「キートンのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び)」「デブの自動車屋」「キートン・ライズ・アゲイン」 




旧式カメラを持って町の一角に立つ旧時代の遺物のようなカメラマンのルーク(バスター・キートン)は、ある日街で美しい娘を見初め、後をつけて行くと彼女はMGMのニュース映画部門に勤めているサリー(マーセリン・デイ)という娘だった。サリーから
成功するにはもっと良いカメラを買わねば駄目だと言われ、早速彼はカメラを買い求め、以来毎日彼女の事務所に詰め、彼女の好意により重大事件が発生する毎に密かに情報を教えられては現場へ飛んで行き撮影した。中国人街
でマフィアの抗争があった際の撮影では、ちょっとした事件から買い取ったサルの悪戯のためにフィルムを抜き取られ失敗したが、それでも彼は屈せず、モーターボート競争を撮影中に転覆事故で溺れそうになったサリーを泳いで救う。彼が薬を求めている隙に、サリーと共に海中に投げ出された彼女の彼氏が、自分
が彼女を救ったように装い彼女を連れ去る。落胆したルークはカメラマンになることを断念、自分が撮ったフィルムを投げ出して事務所を飛び出す。会社で彼のフィルムを試写したところ、中華街の抗争が映っているうえに、ボート転覆事故のサリー救出の殊勲者がバスターであることが判明、彼を呼び戻せとの上司の指示の下、サリーは命の恩人であるルークの行方を探し出す。大西洋横断飛行成功のリンドバーグ歓迎で湧く市中、ルークとサリーを祝福するが如く紙吹雪が舞う―。
バスター・キートン主演の1928 年9月本国公開作品で、彼がユナイトから古巣のMGMに戻って最初に撮った作品で監督はエドワード・セジウィック(因みに、作中で歓迎パレードの実写フィルムが用いられていると思われるリンドバーグの大西洋横断無着陸飛行の成功は1年以上前の1927年5月)。日本では翌年(昭和4年)9月に公開されました。
この頃には既にキートンも顔は白塗りではなくなっているし、ストーリーも相棒のサルがカメラを回してボート転覆事故の始終をフィルムに撮っていたというシュールな設定を除いては(どうやってサルに演技をつけた?)意外とリアルで、ドタバタ喜劇か
らラブストーリーの方へ比重を移している印象がありますが、そうしたことも含め、次第と初期のキートンらしさが失われていく過渡期的作品と言えるかもしれません。但し、この作品については「MGM移籍後で唯一の佳作」などと評されることもあり、MGM移籍当初で、まだそれだけキートンが比較的自由に撮らせてもらっている部分があり、ギャグとラブストーリーとの兼ね合いが程よく楽しめるといった感じです。
キートンの相手役のヒロインを演じるのはマーセリン・デイ(Marceline Day)で、比較的今風の美人であり、これが個人的には作品への好感度にも繋がり、恋敵役は「キートンのカレ
ッジ・ライフ」でもライバル役だったハロルド・グッドウィン(Harold Goodwin)で、これも相変わらず憎たらしいだけに、最後の逆転劇が効いています。マーセリン・デイは水着美人として売り出しただけに、キートンとデートで市民プールに行くシーンでは水着姿でスタイルの良さ披露
しています。ただ、マーセリン・デイの水着姿もさることながら、当時のニューヨーク市営プールの意外と現代のスポーツクラブ風な様子が窺えて興味深かったです(右写真はスチールで、作中ではルークがこれほど女性にモテる場面は無い)。
この物語では、ルークことキートンが街頭写真屋から報道カメラマンへの転身を図るわけですが、テレビが無い時代、今のTVニュース報道に当たるものを映画会社のニュース映画部門が担っていたわけです。しかしルークにとって動画を撮るのは初めての経験であり、二重写しをやらかした結果、戦艦がニューヨークの街を進むといったとんでもない映像が出来上がってしまったりし、挙句の果てに、中国人街でのマフィア抗争の撮影でフィルムを入れ忘れたらしく(実はサルがフィルムを抜き取っていた)、これらの失敗でルークはMGMを去ろうとするが、最後はサルが撮っていたフィルムによりボート転覆事故の事の真相が明らかになり、MGMは彼を歓迎する―。
表向きはキートンのMGM入社を祝うような結末ですが、そのMGMはキートンをクリエイターというよりは一人の役者としてしか見ていなかったため、彼の作品に及ぼす影響は大幅に制限されるようになり、キートンはこれに対し、無人のヤンキー・スタジアムでの「一人野球」とか、プールの狭い更衣室の中での太った男と揉み合いへし合いなっての「窮屈な着替え」とか、彼自身のアドリブを入れて、彼らしさを出そうと抵抗しています(この辺りがまだ"比較的自由に撮らせてもらっている部分"か)。
まだ20年代の作品なので、宙を飛ぶようなキートンの韋駄天ぶりは健在。それでも全体としてはアクションはかなり後退してい
ますが、先にも書いた通りギャグとしてもラブストーリーとしてはまあまあといったところでしょうか。むしろ、キートンの過渡期的作品であるという意味で、初期作品と見比べてみる価値はあるかもしれません。


カリフォルニアのある高校の卒業式、学業優秀で表彰を受けたロナルド(キートン)は、「スポーツの大害」と題した講演をするが、得意になってスポーツマンを罵倒した彼の話に、同級生メアリー(アン・コーンウォール)は、憤慨する。美人のメアリーにロナルドは、そして、スポーツマンのジェフ(ハロルド・グッドウィン)も密かに恋していた。メアリーとジェフは共に大学へ進学することになっている。ロナルドの家は貧しかったが、恋敵に遅れをとってはならないと、自分
で学費を稼ぐ事を条件に母を説得し、ロナルドも同じ大学に進学した。かくして、ロナルドは給仕のアルバイトをして学費を稼ぎつつ、メアリーのハートを射るため大の苦手なスポーツに挑戦する。野球、砲丸投げ、短距離走と、何をやってもまるでダメ。例えば短距離障害走であ
ればハードルを全部なぎたおしてしまうといった具合。ところが教授の計らいで、ボート大会にコックスとして出場することになってしまう。他の選手はロナルドが試合に出ては勝ち目が無いと、妨害を試みるが見事に失敗。自信なく出場したロナルドは溺れながらも機転を利かせて、チームに勝利をもたらすのだった。その時、ジェフがメアリーを一室に閉じ込め、結婚を迫っていた。メ
アリーから電話で連絡を受けたロナルドは、あらゆるスポーツの方法を駆使して、メアリーの救出に向かうのだった―。
バスター・キートンの1927 年本国公開作品(キートン・プロにおけるキートン監督・主演作の【第28作】(長編第9作)で、日本でも同年(昭和2年)9月に「キートンの大学生」のタイトルで当時の「新宿武蔵野館」「牛込館」他で封切上映されています。前作「
この作品に先行するハロルド・ロイドの「
作中のロナルドことキートンは、自ら学費を稼ぐために、黒人給仕の募集に顔を黒塗りにして応募して仕事に就きますが、その割にはあまり苦学生というイメージはなく、結構長閑なコントのような場面が続きます。一方で様々なスポーツに挑戦してこれがどれもこれもダメで、とりわけ野球のシーンが丹念に描かれていますが、実際のキートンは野球大好き・大得意人間で、このシーンでは他の出演者のプレーを指導したという、ストーリーとは真逆の裏話があるのが面白いです。
ロナルドは、結局は野球でも陸上でも芽が出ず、それがボート大会でコックスとなってやっと花開きますが、ここまでは前半のコント集のようなシーンの比重が大きくて、安心して観られるけれどそれ以上のものではない、単なるギャグ映画という印象だったでしょうか。それが、好きな彼女から、彼の恋敵の不良学生ジェフに監禁されているとの知らせを受け、現場へ駆けつけて恋敵をやっつけて彼女を救出する―そこまでの間に、猛烈なスピードで町を駆け抜け、生け垣をハードルのように飛び越え、不良学生が投げつけてきたものを野球のバッティングのように打ち返すという、これまで全くダメだったスポーツ種目が見違えるようなパフォーマンスとして織り込まれているのが上手かったと思います。
終盤の畳み掛けるアクションの連続は、これぞキートンの真骨頂といったところですが、棒高跳びの応用で彼女が監禁されている建物の2階に飛び移るシーンだけは初めて本格的にスタントを使ったそうで、そのスタントを演じたのは1924年のパリ五輪の棒高跳びの金メダリストだそうです(その他にも、前半の陸上競技シーンなど当時の一流どころのアスリートが出演しているのではないか)。
「キートンのカレッジ・ライフ(大学生)」●原題:COLLEGE●制作年:1927年●制作国:アメリカ●監督:ジェームズ・W・ホーン/バスター・キートン●製作:ジョセフ・M・スケンク●脚本:カール・ハルボウ/ブライアン・フォイ●撮影:デブロー・ジェニングス/バート・ヘインズ●時間:66 分●出演:バスター・キートン/フローレンス・ターナー/アン・コーンウォール/フローラ・ブラムリー/ハロルド・グッドウィン
/グラント・ウィザース/スニッツ・エドワーズ
/サム・クローフォード/カール・ハルボウ●日本公開:1927/09/15●配給:ユナイテッド・アーチスツ●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-21)(評価:★★★★)●併映:「キートンの大列車強盗 (将軍)」(バスター・キートン)/「キートンの線路工夫」(ジェラルド・ポタートン)



ミシシッピー川で操業する蒸気船ストーンウォール・ジャクソン号のオーナー、ウィリアム・キンフィールド(アーネスト・トーレンス)は"スチームボート(蒸気船)ビル"と呼ばれる町の人気者。一人息子のスチームボート・ビル・ジュニア(バスター・キートン)は故郷を離れてボストンに遊学中だった。副船長のトム・カーター(トム・ルイス)と長閑な日々を送るビルだったが、強力なライバルが現われる。金持ちのジョン・ジェイムズ・キング(トム・マクガイアー)が新造船キング号で事業に乗りだしたのだ。そんな時、ボストンから息子が帰ってくる。都会風に妙に洗練された息子を見て、父は落胆。おまけに息子と、商売仇の娘メアリー(マリオン・バイロン)が恋仲になり、ますます面白くない。更ににジャクソン号が老朽化のため使用停止勧告を出されてしまう。警察にはむ
かったためビルは拘置所に入れられる。ジュニアは父親を助けようとするが、そこへ巨大な暴風雨がやってきて猛威を奮う。ミシシッピーの河川地帯は大パニックとなり、吹きすさぶ風の中、ジュニアは父親と恋人メアリー、そして命を落としかけたキングも救い出す―。
前半部分はマッチョ志向の父親が、赤ん坊の時以来久しぶりに会った息子の思いもよらなかった脆弱ぶりに幻滅しつつも、何とか一人前の蒸気船乗りに仕立て上げようと躍起になるも、なかなかそうはいかず、そのう
ち息子はライバルの蒸気船会社のオーナーの娘と恋仲になるは、自身は拘置所に入れられてしまうはの踏んだり蹴ったりというドラマ的な展開が主となりますが、父親役のアーネスト・トーレンスの演技がなかなかいいです(帽子を使ったギャグは、「荒武者キートン」「海底王キートン」にもあったことを思い出させる)。それと、キートンのことを慕って何かと面倒を見るヒロインの娘もなかなかきびきびしていて良かったですが、演じているマリオン・バイロン(1911-1985)は当時16歳であったとのこと。可愛らしいながらにも(キートン作品のヒロインの中では今風にカワイイ)、役柄のせいで随分しっかりして見えます。
物語が終盤に入って、残り15分のところで町は暴雨風に見舞われ、一気に映画はスぺクタルの様相を呈します。暴雨風の中、斜めになったまあ動けなかったり木に掴まって風に靡いたりするキートンの姿や、家屋が倒れてきて偶然にも窓枠の位置にいて奇跡的に助かるといったキートンの躰を張ったアクション・シークエンスは、キートン作品の中でもよく知られている場面です。
そして、ラスト5分、キートンが演じるビル・ジュニアは、これまでと打って変わって獅子奮迅の働きを見せることになりますが、ラスト15分に「起承転結」のうちの暴風雨による「転」とジュニアの活躍という「結」を集約させた作りが、前半から中盤にかけてその脆弱ぶりが繰り返し描かれていただけに効いています。暴風雨で危険な状態に晒された娘を救い、拘置所ごと漂流していた父親を救い、そして父親のライバルである彼女の父親キングをも救う―これらの神業を表情も変えず黙々とこなしていくのが小気味良く、ラストも両家の父親の和解という"感動的"な場面でありながら当人は感傷に浸ることなく、今度は漂流していた牧師を引っぱってきて、そこで"ジ・エンド"となる終わり方がいです。このラストは、同じく恋人の親同士が対立しているという「ロミオとジュリエット」風の状況設定であった「
この作品の「暴雨風」というモチーフは当初「大洪水」というモチーフだったそうで、「大洪水」で亡くなる人が多くいるのでコメディに相応しくないとの意見で「暴雨風」に変更されたそうですが、後で統計を調べてみたら「暴雨風」で亡くなる人の方が「大洪水」で亡くなる人より何倍も多いことが判ったとのことです。
この作品にヒントを得て作られたと言われているのが、同じ年に公開された世界初のトーキー・アニメ「蒸気船ウィリー(Steamboat Willie)」('28年)で、正しくは世界初の「サウンドトラック方式」のトーキー・アニメ。それまでのBGMとして音楽が流れるだけの方式ではなく、登場人物(ミッキー)が台詞を喋ります。ミッキー・マウス作品としては3作目ですが、ミッキーの初主演作であるため、1928(昭和3)年ニューヨークのコロニーシアターで初公開された、その11月18日という日
が「ミッキー・マウスの誕生日」とされています。但し、ディズニーがこの日をミッキーの誕生日として公式に定めたのは、生誕50周年を記念して大々的な回顧展が行われるのを機にしてのことでした(日本公開は1929年で、どの会社がいつ輸入し、どの映画館で最初に上映したのか明確ではないが、9月に新宿にあった武蔵野館でミッキー・マウス映画が公開された記録があり、この時が本邦初公開だったのではないか。因みに本国では大手配給会社に配給を断られ、セレブリティ・プロダクションという制作会社が配給した)。
東京ディズニーリゾートの「ミート・ザ・ミッキー」で順番待ちの間にこの作品が流れていますが、基本的にはウォルト・ディズニーのオリジナルという感じでした。但し、原題(Steamboat Willie)などは確かに「キートンの蒸気船」(Steamboat Bill Jr.)のバロディっぽく、ミッキー・マウスの実質デビュー作がキートン作品から何らかの影響を受けているというのが興味深いです。因みに、1928年公開のこの作品から1947年までの約20年間、ミッキーの声優を務めたのはウォルト・ディズニー自身であり、自分の声を入れたのは予算の都合だったそうで、実は1作目からミニーの声も担当していたそうです(ミニーは4作目からディズニー社の女性社員に変更されたという)。
「キートンの蒸気船(船長)」●原題:STEAMBOAT BILL JR.●制作年:1928年●制作国:アメリカ●監督:チャールズ・F・ライスナー/バスター・キートン(ノンクレジット)●製作:バスター・キートン●脚本:カール・ハルボー●撮影:デヴ・ジェニングズ/バート・ヘインズ●時間:59分●出演:バスター・キートン/アーネスト・トレンス/マリオン・バイロン/トム・ルイス/トム・マクガイア●日本公開:1928/08●配給:ユナイテッド・アーチスツ●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-16)(評価:★★★★)●併映:「キートンのセブンチャンス(栃面棒)」(バスター・キートン)
「蒸気船ウィリー」●原題:STEAMBOAT WILLIE●制作年:1928年●制作国:アメリカ●監督・製作:ウォルト・ディズニー●作画:アブ・アイワークス/レス・クラーク/ジョニー・キャノン/ウィルフレッド・ジャクソン●(声の)出演:ウォルト・ディズニー●時間:7分●日本公開:1929/09●配給:ユナイテッド・アーチスツ(評価:★★★☆)


をするという記事を見つけたマーティンが、アルフレッドのことをこの人物こそバトラーなのだと美人の父と兄に告げ、一気に婚約成立となる。本物のバトラーは、試合に負ければ後は何とかなるというマーティンの読みに反して世界戦に勝利してしまい、本物に間違えられたアルフレッドは地元で大変な歓迎を受け、事実を告白する勇気がないまま彼女と結婚してしまうが、バトラーは次は「アラバマの人殺し」というボクサーと試合をすることになっていた。アルフレッドは仕方なくバトラーのキャンプ地へ行くが、そこには本物のバトラーが妻君同伴でいて、さらに娘が追いかけてきたために話はややこしくなり、遂にアルフレッドがリングに立つことになる―。
キャンプ生活に入っても御曹司風の生活スタイルを続けるキートンが可笑しく、これでは何のためにキャンプに来たのか分からない...そのキート
ンにまめまめしく仕えるスニッツ・エドワーズ演じる執事がいい味出していますが(彼は翌年の「
喜怒哀楽を見せないはずのキートンが、バトラーに打ちのめされて怒り心頭に発して
反攻に出るという、「怒」の部分が顕著に出ているのが、やや一連のキートン作品と異なるように思いましたが、そうでもしないと、アルフレッドの反攻の説明がつきにくかったというのもあったのではないでしょうか。マ-ティン・スコセッシはこのシーンを何度も見直して、「レイジング・ブル」('80年)の参考にしたとかで、それくらい、両者のボクシング・シーンは気合が入っています。
このキートンの本気度は、チャップリンが「ノック・アウト」('14年、27分)、「拳闘」('15年、30分)と2本のボクシング映画を撮っているので、それに対する意識もあったのではないかなと個人的には思ったりもしました(ロイドもボクシング映画を撮っている。当時、ボクシングは極めて人気の高いスポーツだったということもあるのか)。脆弱な優男が困難な状況を経て逞しく変身し、最後に女性の心からの愛を得るというという流れは、一応、キートン作品の定番を踏襲しています。




1810年、隣同士のキャンフィールドとマッケイ家の相克は、遂に当主同士の相撃ちで倒れるという悲劇を生んだ。争いのむなしさを儚んだマッケイ夫人は幼い息子ウィリーを連れNYの伯母を頼った。が、キャンフィールドの弟は子々孫々までの復讐を誓うのだった。それから10数年が経ち、既に母を亡くした成長したウィリー(バスター・キートン)の許に父の遺産相続の報せ。彼は田舎の豪華な邸宅を思い浮かべ、即座に故郷への旅を決意。伯母から、くれぐれもキャンフィールドに気をつけろ、と言い聞かされて、長距離特急の旅客となる―(allcinema ONLINE)。

導入部分の、1810年にマッケイ家の父親とキャンフィールド家の若者が撃ち合いで共に死んでしまい、マッケイ家の母親が息子ウィリーを連れて南部からNYに引っ越すまでは、コメディと言うより普通のドラマという感じであり、それが約20年後に話が飛んで、キートンが変てこな自転車に乗って登場するところからコメディ映画らしくなりますが、キャンフィールド家とマッケイ家の確執を描いた冒頭のシリアスなムードが、後半のロミオとジュリエット的な話の展開に効果を及ぼしているように思います。
ウィリー(キートン)は家を継ぐための南部への里帰りの途中、美しい娘と列車に乗り合わせる―「列車」といっても、"特急"というのは名ばかりの、遊園地にあるような機関車に、馬車2台を繋いで客車としたような極めて初期のもので、矢鱈あちこちにうねりや歪みのある線路
この珍奇な鉄道の旅を通してウィリーと娘は親しくなり、自分の実家が想像していた豪邸とは違ってオンボロの掘立て小屋だったという彼でしたが(空想の中で豪邸が本当にぶっ飛ぶのが可笑しい)、その娘からは自邸に晩餐会に招かれる―しかし、この娘が何と、伯母から「くれ
ぐれもキャンフィールドに気をつけろ」と言われていたそのキャンフィールド家の娘であり、ウィリーがマッケイ家の跡取り息子であることに気づいたキャンフィールド家の父親と息子2人は、彼に対して親切を装いながらもその
命を付け狙いますが、「敵(かたき)であっても、自分の家に訪問している間は撃ってはならない」という先祖代々の家訓があって、客
としてウィリーが邸内に居る間は、すぐ手の届く所に仇敵がいながらも撃てないでいる―やがて、ウィリーも背景状況と事態の重大さを知ることになり、晩餐会後に彼を外に出そうとするキャンフィールド家の誘いに乗らず、取り敢えず家に居ついて娘の傍に寄り添いながら脱出の機会を窺う、その辺りの両者の駆け引きを飽きさせずに見せます。
断崖でのロープアクションは実によく練られているように思いましたが、川に落ちたキートンが激流に呑まれるシーンは、実際にロープが切れて生じたアクシデントだったそうです。但し、激流に流されるシーンだけでも命懸けであると思われるのに、そこからがまた凄く、同じく激流に落ちた娘が滝から落ちるのを、キートンが空中ブランコの曲芸師さながらに受け止めるシーンは、一体どうやって撮ったのか、殆ど奇跡に近いような神業的アクションだったように思います。
キートンの初長編作品でありながら、本作をキートンの最高傑作に推す人も少なからずいるというのも頷けます。ヒロインの娘を演じるのはキートンの当時の妻のナタリー・タルマッジで、冒頭のウィリーの赤ん坊時代はキートン・ジュニア(ナタリーとの間に生まれた赤ん坊)、更に、客車を置き去りにしてしまう間抜けな機関士に扮しているのは、キートンの父親で寄席芸人だったジョー(ジョセフ)・キートンと、キートン・ファミリー総出演の作品であり、この辺りのチームワークの良さも作品のテンポの良さに関係していたのかもしれません。個人的にも、「海底王」「セブンチャンス」「大列車強盗」に先立つ作品でありながら、それらに比肩し得る作品であるように思います。
機一髪!)」●原題:OUR HOSPITALITY●制作年:1923年●制作国:アメリカ●監督:バスター・キートン/ジョン・G・ブリストーン●製作:ジョセフ・M・スケンク/バスター・キートン・プロダクションズ●脚本:クライド・ブラックマン/ジャン・ハベッツ/ジョセフ・ミッチェル●撮影:ユージン・レスリー/ゴードン・ジェニングス●時間:67分●出演:バスター・キートン/ナタリー・タルマッジ/ジョー・ロバーツ/ジョセフ・キートン/ラルフ・ブッシュマン/クレイグ・ワード/モンテ・コリンズ/キティ・ブラッドバリー/バスター・キートン・Jr./アーウィン・コネリー/エドワード・コクソン/ジェームズ・ダフィー●日本公開:1924/12●配給:国際映画社(評価:★★★★)




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前作「
」では、キートンをぎょっとさせる「写真の男」として登場しています。キャサリン・マクガイアは前作「探偵学入門」に続いての相手役で、キートンと気の合う演技を見せますが、ドナルド・クリスプの方は、キートンの考えにあまりに口出しするため、撮影期間の途中でキートンが共同監督を解任してしまったそうです。
前半部分は、豪華客船に取り残された2人が最初は互いに行き違ってばかりでなかなか遭遇し得ないなど、細かいコント風の遣り取りを見せますが、従来の一般的なドタバタ喜劇の定番のパイ投げのような場面は無く、あくまで長編であることを意識した作りになっています。
原題になっているこのハワイ行き客船「ナビゲーター号」は、「バフォード号」という大型客船が廃棄処分になるという情報を得たキートンが2万5千ドルで買い上げたそうで、船の備品がギャグに上手く使われており、おそらくキートンは"居抜き"でこの客船を買ったのではないでしょうか。
のために潜水服を着て海に潜る「海中シーン」があり、これがよく出来ています。
実際の撮影はシエラネヴァダ山中にあるタホ湖(かつては世界第3位の透明度を誇った)で行われましたが、水温が低すぎて30分と潜っていられず、水中シーンだけで4週間も要したそうです。加えて、当時の潜水技術からするとかなり危険な撮影でもあったように思われます(「アクション度の低い作品」との見方は間違っていたかも)。しかしながら、大ダコはどうやって撮ったのか?(ある部分では"特撮映画"とも言える作品か)
「人食い人種」の描かれ方が今の時代
からするとどうかというのはありますが、和暦でいえば大正13年の作品になるわけで、これは仕方ないか。冒頭で向いの家に行くにも運転手付の車を使っていた「お坊ちゃまロッロ」が、最後は一人の頼りがいある男として女性の愛を獲得するという成長物語にもなっていて、観ていて心地よい作品です。加えて"映画史上初の海中シーン"などもあったためか、実際、当時としても大ヒットし、この作
品によってキートンはドル箱スターの仲間入りを果たします(因みに、「Wikipedia」によれば、キートン作品の中で興行収入において最も成功した作品であるとのこと)。

「海底王キートン」●原題:THE NAVIGATOR●制作年:1924年●制作国:アメリカ●監督:バスター・キートン/ドナルド・クリスプ●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本: ジーン・ハヴェッツ/クライド・ブラックマン/ジョセフ・ミッチェル●撮影:エルジン・レスリー/バイロン・フーク●時間:59分●出演:バスター・キートン/キャスリン・マクガイア/フレデリック・ブルーム/ノーブル・ジョンソン/H・M・クラグスト/クラレンス・パートン●米国公開:1924年10月(評価:★★★★)
《読書MEMO》

モデルや女優から写真家になった人は多く、かの
そうした中(と言っても、この中で比べて差し支えないにはレニぐらいだろうが)、このリー・ミラー(Lee Miller)は、モデルとしても写真家としても一流だったと言えるでしょう。
戦場に向かう女性将校や戦場に斃れた兵士などを撮り、自決したナチの将校や頭髪を剃られたナチ協力者の女性、殴られて顔が変形したナチ収容所の元警備兵などの生々しい写真もありますが、ファッション写真を撮っていた頃に既にシューレアリストから強い影響を受けており(彼女はジャン・コクトー監督の「詩人の血」('30年/仏)に"生きた彫像"役で出ている。面白いけれど評価不能に近いシュールな映画だった)、そうした勇壮な、或いは悲惨な写真においても、その光と影の使い方にシュールな感覚が見られ、その覚めた意匠が、却って報道写真としての説得効果を増しているように思います。


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「詩人の血」●原題:LE SANG D'UN POETE●制作年:1930年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン・コクトー●製作:ド・ノアイユ伯爵●撮影:ジョルジュ・ペリナール●音楽:ジョルジュ・オーリック●時間:50分●出演:リー・ミラー/ポリーヌ・カルトン/オデット・タラザック/エンリケ・リベロ/ジャン・デボルド●パリ公開:1930/01(プレミア上映)●最初に観た場所:新宿アートビレッジ (79-03-02)(評価:★★★?)●併映:「忘れられた人々」(ルイス・ブニュエル)/「アンダルシアの犬」(ルイス・ブニュエル/サルバトーレ・ダリ)





サンフランシスコでヤミ歯科医をしている主人公マクティーグは、友人マーカスの恋人トリーナに横恋慕し、マーカスから彼女を譲って貰って妻にしたのだが、そのトリーナがある日5千ドルの宝くじを当てたため、マーカスはこれを妬んでマクティーグが無許可医であることを告発、一方、トリーナは5千ドルを守ろうと極端に倹約に走り、失職したマクティーグは妻のそうした態度に我慢できずに彼女を殺して金を奪い死の谷へ逃走。それを追うマーカスと灼熱の谷で5千ドルを奪い合う―。
人間の強欲さ(greed)を描いた作品で、何だか、「三つの願い」を叶えて貰えることになった欲の張った夫婦が欲にかまけてそのチャンスを全て無駄にしてしまうという昔話を思い出しましたが、フランク・ノリスの原作小説『マクティーグ(死の谷)』は実話に基づいているとのこと(2009年11月23日に英国ガーディアン紙のレビューチームと外部専門家が纏めた「死ぬまでに読むべき」必読小説1000冊決定版リストにも入った)。
最後の男2人の死の谷での死闘は、モノクロ画面のお陰で却って灼熱感があり壮絶で、その後の「莫大な金はあっても一杯の水が無い」という "落ち"は確かに皮肉が効いていますが、映画全体としてはむしろ、大金を手にした妻トリーナが、それを無駄遣いしてはならない思いから、いつの間にか常軌を逸した吝嗇家になっていく様の方が印象的で、こっちの方が人間心理の怖さを表しているかも知れないと感じました。「
その他にも、無声映画なのに出演者に台詞を全部暗記させたとか、この映画のために自宅や自家用車を抵当に入れたとか、完璧主義者らしい逸話に事欠かない作品ですが、如何せん長すぎて、映画会社上層部の意向でどんどん短縮編集されていったのは彼にとって気の毒なことでした(但し9時間半全部を観たいかというと、個人的にもさすがにそんな気は起きないのだが)。

「グリード」●原題:GREED●制作年:1924年●制作国:アメリカ●監督:エーリッヒ・フォン・シュトロハイム●製作:MGMスタジオ●製作総指揮:ルイス・B・メイヤー●脚本:エーリッヒ・フォン・シュトロハイム/ジューン・メイシス●撮影:ベン・レイノルズ/ウィリア
ム・ダニエルズ/アーネスト・シュードサック●原作:フランク・ノリス「マクティーグ」●時間:100分(462分(オリジナル版)・140分(公開版)・239分(再構成版))●出演:ギブソン・ゴーランド/ザス・ピッツ/ジーン・ハーショルト/チェスター・コンクリン●日本公開:1926年11月5日●配給:ヤマニ洋行●最初に観た場所:杉本保男氏邸 (80-12-27) (評価★★★☆) ギブソン・ゴーランド(左)/ザス・ピッツ(右)


アメリカ南北戦争を舞台にした機関車追跡劇。キートンが機関士を務める蒸気機関車の名が「将軍(General)」。愛する機関車を北軍に奪われ、彼は別の機関車で追走するが、その奪われた機関車には彼の恋人も乗っていた―。
キートン・プロにおけるキートン監督・主演作の【第27作】(長編第8作)。キートン黄金期の代表作で、日本初公開時のタイトルは「キートン将軍」で、後に「キートンの大列車強盗」となり、70年代のリバイバル上映時に「キートンの大列車追跡」という邦題になっていますが、その方が内容に沿ったタイトルと言
えるかも(80年代の渋谷ユーロスペースでの自主上映では「キートンの大列車強盗」のタイトルを使用し、最近のフィルムセンターでの上映は「キートン将軍」、シネマヴェーラ渋谷での上映では「キートンの大列車強盗」を使用している)。
これは、カナダ観光局がキートンを招聘して作った作品で、ロンドンにいたキートンがふとした思いつきでカナダに渡り(泳いで!)、偶々休息をとったトロッコ(カナディアン・ナショナル鉄道の「CN」のロゴ入り)が動き出して、結局それに乗って風光明媚なカナダの各地を旅するという、いわば「レイルロード・ムービー」。背景的に登場する人はいるものの、出演者は実質、終始
トロッコに乗りカナダ各地を駆け抜ける(その間トロッコに乗ったまま、料理したり洗濯したり鳥撃ちしたり編み物したりする)キートンのみで、カラー作品ではあるもののセリフ無しという無声映画のスタイルを踏襲しています。「大列車強盗」と同趣の、つまり"レール・テクニック"を前面に押し出したものとなっており、高齢となったキートンが自らアクションっぽいこともやっていれば、随所でしっかり笑いもとっています。人生に浮き沈みのあったキートンが、晩年にこうした原点回帰的な作品を撮っているというのは嬉しいことであり、それがドラマなどでなく、純粋にテクニカルな要素を前面に出した、スピード感溢れる乾いたコメディになっている点が尚のこと良いです。爆笑コメディと言うより、キートンが次々と繰り出す懐かしいギャグやクスッと笑える妙技を(サイレント時代と同じく笑わないが、"無表情"ではなく表情豊かになっている点に注目)、カナダの美しい風景と共に楽しめる作品で、キートンを招聘したカナダ観光局にも一票を投じたく思います。


「キートンの大列車強盗 (キートン将軍、キートンの大列車追跡)」●原題:THE GENERAL●制作年:1926年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/クライド・ブラックマン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:デヴラクス・ジェニングス/バート・ヘインズ●音楽:コンラッド・エルファース●時間:106分●出演:バスター・キートン/マリオン・マック/グレン・キャベンダー/チャールズ・スミス●日本公開:1926/12●配給:東和●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-21)●2回目:池袋文芸座ル・ピリエ(86-02-01)(評価:★★★★☆)●併映(1回目):「キートンのカレッジ・ライフ(大学生)」(バスター・キートン)/「キートンの線路工夫」(ジェラルド・ポタートン)●併映(2回目):「我輩はカモである」(マルクス兄弟)
「キートンの線路工夫」●原題:THE RAILRODDER●制作年:1965年●制作国:カナダ●監督・脚本:ジェラルド・パッタートン●製作:ジュリアン・ビッグス/ナショナル・フィルム・ボード・オブ・カナダ作品●撮影:ロバート・ハンブル●音楽:エルドン・ラスバーン●時間:25分●出演:バスター・キートン●日本公開:1980/02●配給:有楽シネマ●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-21)(評価:★★★☆)●併映:「キートンの大列車強盗 (将軍)」(バスター・キートン)/「キートンのカレッジ・ライフ(大学生)」(バスター・キートン)
「キートン・ライズ・アゲイン」●原題:BUSTER KEATON RIDES AGAIN●制作年:1965年●制作国:カナダ●監督・撮影:ジョン・スポットン●製作:ジュリアン・ビッグス/ナショナル・フィルム・ボード・オブ・カナダ作品●時間:61分●出演:バスター・キートン/エレノア・キートン/ジェラルド・ポタートン●日本公開:1980/02●配給:有楽シネマ●最初に観た場所:アートシアター新宿 (84-05-27)(評価:★★★☆)●併映:「キートンの文化生活一週間」(バースター・キートン)/「デブ君の浜遊び」(ロスコー・アーバックル)/「デブ君の自動車屋」(ロスコー・アーバックル)




キートン演じる破産寸前の青年実業家のもとにある日見知らぬ弁
護士が訪れ、27歳の誕生日の午後7時までに結婚すれば700万ドルの遺産が彼に与えられるという親戚の遺言書を示すが、その誕生日というのは何と今日だった! 彼の"想い娘"は金目当ての結婚は嫌だと言い、仕方なく新聞にその旨の「花嫁募集」広告を出したところ、7000人もの花嫁候補に追われる羽目になる―。
キートンのキートン・プロで監督・出演作の【第24作】で、長編第5作。上記のことから、"7並び"から「セブン・チャンス」というタイトルになるわけですが、日本公開時のタイトルは「キートンの栃面棒」で、"栃面棒"というのは"栃の実"で作る栃麺という蕎麦の類をこねる棒のことで、転じて「面食らう」ことらしいですが、当時の日本では一般的に使われていたのかなあ、こんな言葉が。
キートンがウェディング・ドレスを着た大勢の花嫁候補に追いかけられるシーンは、彼のスラップスティック・コメディの真骨頂ですが、それ以上にスゴイのが、丘陵地に差し掛かったところで、花嫁が岩に転じたのかどうかよくわからないけれども、ゴロゴロ転がり落ちてくる無数の巨大岩石(全部で1500個)を彼がよけるシーンで、コメディとしてもそうですが、それ以上にアクション映画としてスゴイ! 転がってくる無数の岩を次々とかわす場面などはシュールでもあり、一度見ておいて損は無いです。
「海底王キートン」('24年)がヒットしたにしても依然としてチャップリン、ロイドに比べるとややマイナーだったキートンが、人気面で彼らと肩を並べる契機となった作品であり、キートン映画の中で「大列車強盗(将軍)」とこの作品のどちらを最高傑作とするか迷うところですが、個人的には面白さ、スリル、スピードともこの作品が一番だと思います。チャップリンのように"感動することを迫られる"ようなウェット感も無く、ただただ驚き笑えるという点では、この岩石落しのシーンも含め、スラップスティック・コメディの傑作と言えるでしょう。.jpg)



ー●音楽:ロバート・イズラエル●原作:ロイ・クーパー・メグルー●時間:57分●出演:バスター・キートン/ロイ・バーンズ/ルース・ドワイヤー/フランキー・レイモンド/スニッツ・エドワーズ/ジーン・アーサー●日本公開:1926年7月15日●配給:ヤマニ洋行●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-16)(評価:★★★★☆)●併映:「キートンの蒸気船(船長)」(バスター・キートン)


一応「昭和」とタイトルにありますが、1908(明治41)年公開のジョルジュ・メリエスの「月世界探検(月世界旅行)」('02年/仏)から取り上げていて(これ、8mmフィルムで観たことがあるが、"大掛かりな学芸会"みたいな作品だった。同じくジョルジュ・メリエスによって10年後に撮られた「極地制服」('12年/仏)も、飛行船で北極に行ったら、そこには恐ろしい雪の巨人が待ち構えていた(笑)といった感じのチープな話だった。10年であまり進歩がない?)、日本で公開された外国映画をスチールで紹介する「全史」となっています。10年単位で均等に作品を取り上げているため、20世紀初期の多くの無声映画が紹介されているなど、類書に比べ相対的に古典的作品が詳しく紹介されていることになっています。
オールド・ムービーについて知る手引きとして楽しませてもらい、今も手元に置いていますが、「1枚のスチールは10の解説よりも雄弁」という思いを強く抱かされます。
「風と共に去りぬ」●原題:GONE WITH THE WIND●制作年:1939年●制作国:アメリカ●監督:ビクター・フレミング●製作:デヴィッド・O・セルズニック●脚本:シドニー・ハワード●撮影:アーネスト・ホーラー/レイ・レナハン●音楽:マックス・スタイナー●原作:マーガレット・ミッチェル●時間:231分●出演:ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/レスリー・ハワード/オリヴィア・デ・ハヴィランド/トーマス・ミッチェル/バーバラ・オニール/ハティ・マクダニエル/イヴリン・キース/アン・ラザフォード/ハリー・ダベンボート/ローラ・ホープ・クルーズ/キャロル・ナイ/オナ・マンスン/カミー・キング●日本公開:1952/09●配給:MGM日本支社●最初に観た場所:池袋文芸坐(78-06-03)(評価:★★★★) 

「月世界旅行」(げつせかいりょこう)●原題:THE TRIP TO THE MOON(Le Voyage dans la Lune)●制作年:1902年●制作国:フランス●監督・製作・脚本:ジョルジュ・メリエス●原作:ジュール・ヴェルヌ/H・G・ウェルズ●時間:14分●出演:ジョルジュ・メリエス/ブリュエット・ベルノン/ ジュアンヌ・ダルシー/ヴィクター・アンドレ/アンリ・デラヌー●日本公開:1905/08●配給:MGM日本支社●最初に観た場所:杉本保男氏邸(81-01-31)(評価:★★★☆)
「極地征服」●原題:A LA CONQETE DU POLE●制作年:1912年●制作国:フランス●監督・脚本:ジョルジュ・メリエス●製作:ジョルジュ・メリエス●原作:ジュール・ヴェルヌ(『ハテラス船長の冒険』より)●時間:14分●出演:ジョルジュ・メリエス/フェルナンド・アルバニー●日本公開:1905/08●配給:MGM日本支社●最初に観た場所:杉本保男氏邸(81-01-31)(評価:★★★☆)


読んでいて初めのうちは、目玉を剃刀で切るシーンで有名なルイス・ブニュエル監督の「アンダルシアの犬」('28年/仏)と同じ狙いかと思いました(選考委員の池澤夏樹氏も「なにしろ痛そうな話なので、ちょっとひるんだ」と言っている)。.jpg)
「アンダルシアの犬」は、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共同脚本からなるシュールレアリズムの世界を端的に描いた実験映画ですが、女性が目を切られるシーンの他にも掌を蟻が食い破るシーンや子供が人間の手首を転がしているシーンなどショッキングな場面が続き(目を切るシーンはブニュエルの見た夢が、掌を食い破る蟻のシーンはダリの夢がもとになっているらしい)、ストーリーや表現自体に意味があるかと言えば、意味があるとも思えず(シュールレアリズムってそんなものかも)、むしろ、たかがスクリーンに映し出されているに過ぎないものに、人間の心理
がどこまで感応するかを試しているような作品に思えました(イングマール・ベルイマン監督の「
「アンダルシアの犬」●原題:UN CHIEN ANDALOU●制作年:1928年●制作国:フランス●監督・製作:ルイス・ブニュエル●脚本:ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ●時間:17分●出演:ピエール・バチェフ/シモーヌ・マルイヌ/ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ●公開(パリ):1929/06●最初に観た場所:アートビレッジ新宿 (79-03-02)●2回目:カトル・ド・シネマ上映会 (81-05-23)●3回目:カトル・ド・シネマ上映会 (81-09-05) (評価:★★★?)●併映:(1回目)「詩人の血」(ジャン・コクトー)/「忘れられた人々」(ルイス・ブニュエル)/(2回目):「去年マリエンバートで」(アラン・ㇾネ)/(3回目):「ワン・プラス・ワン」(ジャン=リュック・ゴダール)」
監督:蜷川幸雄
生きている実感もなく、あてもなく渋谷をふらつく19歳のルイ。ある日の訪れたクラブで赤毛のモヒカン、眉と唇にピアス、背中に龍の刺青、蛇のようなスプリット・タンを持つ「アマ」と出会い人生が一変する。アマの刺青とスプリット・タンに興味を持ったルイは、シバと呼ばれる男が施術を行なっている怪しげな店を訪ね、舌にピアスを開けた。その時感じた痛み、ピアスを拡張していく過程に恍惚を感じるルイは次第に人体改造へとのめり込んでいくことになる。「女の方が痛みに強い」「粘膜に穴を開けると失神する奴がいる」という店長のシバも全身に刺青、顔中にピアスという特異な風貌の彫り師で、自らを他人が苦しむ顔に興奮するサディストだと語った。舌にピアスを開けて数日後、ルイとルイの友人は夜道で暴力団風の男に絡まれる。それに激昂したアマは相手の男に激しく暴力を振るい、男から二本の歯を奪い取って「愛の証」だと言ってルイに手渡す。アマやシバと出会う中でルイは自身にも刺青を刻みたいという思いが強くなり、シバに依頼して背中一面に龍と麒麟の絡み合うデザインの刺青を彫ることを決めた。画竜点睛の諺に従って、「キリンと龍が飛んでいかないように」という願いを込め、ルイはシバに二匹の瞳を入れないでおいて欲しいと頼む。刺青の代償としてシバはルイに体を求め、二人は刺青を入れていくたびに体を重ねるようになる―。



映画雑誌「スクリーン」に長年にわたって映画評論を書き続けてきた著者による、20世紀に公開された外国映画500選の評論です。何しろ1910年生まれの著者は、見た洋画が1万数千本、邦画も含めると約2万本、1920年代中盤以降公開の作品はほとんどリアルタイムで見ているというからスゴイ!
淀川長治(1909-1998)が「キネマ旬報」1980年12月下旬号に寄せた自らのベスト5が「黄金狂時代(チャールズ・チャップリン)」「戦艦ポチョムキン(セルゲイ・エイゼンシュテイン)」「グリード(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)」「大いなる幻影(ジャン・ルノワール)」「ベニスに死す(ルキノ・ヴィスコンティ)」となっており、「黄金狂時代」と「大いなる幻影」が重なっています。年齢が近かったこともありますが(双葉氏が1歳年下)、意外と重なるなあという印象でしょうか。巻末の「ぼくの映画史」も、著者の人生と映画の変遷が重なり、その中で著者が、映画の過去・現在・将来にどういった思いを抱いているかが窺える味わい深いものでした。
ストに挙げているのが興味を引きました(淀川長治は別のところでは、"生涯の一本"に「黄金狂時代」を挙げている)。「黄金狂時代」はチャップリン初の長編劇映画であり、ゴールドラッシュに沸くアラスカで一攫千金を夢見る男たちを描いたもので
すが、チャップリンの長編の中では最もスラップスティック感覚に溢れていて楽しめ(金鉱探しのチャーリーたちの寒さと飢えがピークに達して靴を食べるシーンも秀逸だが、その前の腹が減った仲間の目からはチャーリーがニワトリに見えてしまうシーンも可笑しかった)、個人的にもチャップリン作品のベストだと思います(後期の作品に見られるべとべとした感じが無い)。

「チャップリンの黄金狂時代(黄金狂時代)」●原題:THE GOLD RUSH●制作年:1936年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:チャールズ・チャップリン●撮影:ローランド・トザロー●時間:82~96分(サウンド版73分)●出演:チャールズ・チャップリン/ビッグ・ジム・マッケイ/マック・スウェイン/トム・マレイ/ヘンリー・バーグマン/マルコム・ウエイト/スタンリー・J・サンフォード/アルバート・オースチン/アラン・ガルシア/トム・ウッド/チャールズ・コンクリン/ジョン・ランドなど●日本公開:1925/12●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:高田馬場パール座 (79-03-06)(評価:★★★★☆)●併映:「モダン・タイムス」(チャールズ・チャップリン)


ランベルト・マジョラーニ(右)
ビットリオ・デ・シーカ監督に「自転車泥棒」('48年/伊)という名画があり、世界中の人を感動させたわけですが、実際自分がフィルムセンター(焼失前の)でこの作品を観たときも、上映が終わって映画館から出てくる客がみんな泣いていました。
この映画の主人公を演じたランベルト・マジョラーニは、演技においては全くのズブの素人だったとのことで、ではなぜ、そんな素人が演じた映画が名画たりえたかと言うと、それは"モンタージュ"によるものであるとして、著者は、その"モンタージュ"という「魔法」を、この本でわかり易く解説しています(素人の演技が何故世界中の人々を泣かせるのかという導入自体がすでに"モンタージュ"の威力を示しており、効果的なイントロだと言える)。



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エイゼンシュテインは更に歌舞伎の影響を強く受け、結局「イワン雷帝」(第1部'44年/第2部'46年/ソ連)などはその影響を受け過ぎて歌舞伎っぽくなってしまったとのことですが、確かに、あまりに大時代的で自分の肌に合わなかった...(この映画、ずーっと白黒で、第2部の途中からいきなり極彩色カラーになるのでビックリした。「民衆の支持を得た独裁者」というパラドクサルな主題のため、時の独裁者スターリンによって公開禁止になった作品。第3部は未完)。そのエイゼンシュテインに影響を与えた歌舞伎は、実は人形浄瑠璃の影響を受けているというのが興味深く、まさに「自然は芸術を模倣する」(人が人形の動きを真似する)という言葉の表れかと思います。



「自転車泥棒」●原題:LADRI DI BICICLETTE●制作年:1948年●制作国:イタリア●監督・製作:ビットリオ・デ・シーカ●脚本:チェーザレ・ザヴァッティーニ/オレステ・ビアンコーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ/アドルフォ・フランチ/ジェラルド・グェリエリ●撮影:カルロ・モンテュオリ●音楽:アレッサンドロ・チコニーニ●原作:ルイジ



「イワン雷帝」●原題:IVAN THE TERRIBLE IVAN GROZNYI●制作年:1946年(第1部・1944年)●制作国:ソ連●監督・脚本:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン●撮影:アンドレイ・モスクヴィン/エドゥアルド・ティッセ ●音楽:セルゲイ・プロコフィエフ●時間:209分●出演:ニコライ・チェルカーソフ/リュドミラ・ツェリコフスカヤ/セラフィマ・ビルマン/パーヴェル・カドチニコフ/ミハイル・ジャーロフ●日本公開:1948/11●配給:東和●最初に観た場所:池袋文芸坐 (79-04-11) (評価:★★★)●併映:「戦艦ポチョムキン」(セルゲイ・エイゼンシュタイン)
杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2012年5月19日)詩人、 映画評論家。2012年5月19日、肺炎のため死去。97歳。



面白いものが多く、またヴィヴィッドな印象を受けるのが意外かも知れません。よく知られているところでは、ジーン・セバーグ、ジャン=ポール・ベルモンド主演の「勝手にしやがれ」('59年)、アンナ・カリーナ、ベルモント主演の「気狂いピエロ」('65年)などの初期作品でしょうか。スチール写真が適度に配置され、読むと再度見たくなり、未見作品にも見てみたくなるものがありました。


パトリシアはミシェルとの愛を確認するため、ミシェルの居所をわざと警察に密告する―というもので、この不条理に満ちた話のオリジナル作者はフランソワ・トリュフォーですが、最終シナリオはゴーダルの頭の中にあったまま脚本化されずに撮影を開始したとのこと。台本無しの撮影にジャン=ポール・ベルモントは驚き、「どうせこの映画は公開されないだろうから、だったら好きなことを思い切りやってやろう」と思ったという逸話があります(1960年・第10回ベルリン国際映画祭「銀熊賞(監督賞)」受賞作)。.jpg)
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「気狂いピエロ」は―、フェルディナン(ジャン=ポール・ベルモント)という男が、イタリア人の妻とパーティに行くが、パーティに退屈し戻ってきた家で、昔の恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)と再会し、成り行きで彼女のアパートに泊まった翌朝、殺人事件に巻き込まれて、2人は逃避行を繰り返す羽目に。フェルディナンは孤島での生活を夢見るが、お互いにズレを感じたマリアンヌが彼を裏切って情夫の元へ行ったため、フェルディナンは彼女と情夫を射殺し、彼も自殺するというもの(1965年・第26回ヴェネチア国際映画祭「新鋭評論家賞」受賞作)。
「勝手にしやがれ」●原題:A BOUT DE SOUFFLE(英:BREATHLESS)●制作年:1959年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ジョルジュ・ド・ボールガール●原作・原案・脚本:フランソワ・トリュフォー●撮

「気狂いピエロ」のポスター。『キネマ旬報』1967年2月下旬号に掲載された広告。
●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ジョル
ジュ・ド・ボールガール●撮影:ラウール・クタール●音楽:アントワース・デュアメル●原作:ライオネル・ホワイト「十一時の悪魔」●時間:109分●出演:ジャン=ポール・ベルモンド/アンナ・カリーナ/サミュエル・フラー /レイモン・ドボス/グラツィエッラ・ガルヴァーニ/ダーク・サンダース/ジミー・カルービ/ジャン=ピエール・レオ/アイシャ・アバディ/ラズロ・サボ●日本公開:1967/07●配給:セントラル●最初に観た場所:有楽シネマ (83-05-28) (評価★★★★)●併映:「彼女について私が知っている二、三の事柄」(ジャン=リュック・ゴダール)
作国:フランス・イタリア●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●撮影:ラウール・クタール●音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン●原案:カトリーヌ・ヴィムネ●時間:90分●出演:ジョゼフ・ジェラール/マリナ・ヴラディ/アニー・デュプレー/ロジェ・モンソレ/ラウール・レヴィ/
ジャン・ナルボニ/イヴ・ブネトン/エレナ・ビエリシック/クリストフ・ブルセイエ/マリー・ブルセイエ/マリー・カルディナル/ロベール・シュヴァシュー/ジャン=リュック・ゴダール(ナレーション)●日本公開:1970/10●配給:フランス映画社●最初に観た場所:有楽シネマ (83-05-28) (評価★★★)●併映:「気狂いピエロ 」(ジャン=リュック・ゴダール)



有楽シネマ (1955年11月14日オープン、1994年12月休館、1995年6月16日~シネマ有楽町(成人映画上映館)、1996年~銀座シネ・ラ・セット、159席) 2004(平成16)年1月31日閉館 跡地に建設のイトシアプラザ内に2007年10月シネカノン有楽町2丁目オープン、2009年12月4日ヒューマントラストシネマ有楽町に改称




