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ホーム・コメディ&特撮パニック映画「船出」。米暗黒史を取り上げている点で評価されるべき「白人酋長」。

「キートンの船出(漂流)」バスター・キートン/シビル・シーリー

「キートンの白人酋長」バスター・キートン/ジョー・ロバーツ

「バスター・キートン傑作集(2) [DVD]」(「ハード・ラック」「ザ・ハイ・サイン」「悪太郎」「即席百人芸」「漂流」所収)
「バスター・キートン傑作集(3) [DVD]」(「酋長」「警官騒動」「キートン半殺し」「鍛冶屋」所収)

マイホームパパのバスターは、家族とマリンレジャーを楽しむために、クルーザーをハンドメイドし、この度ようやく完成した。その船を運び出すのにクルマで牽引しようとするが、建造作業場だった一階のガレージの出口が狭くて苦労する。無理な牽引の結果、家は全壊するが、バスターは、船を「DAMFINO(damned if I know=知るもんか)」号と名付け、家は
そのままにしてマリーナに向かう。運河に面したマリーナでの進水式は、船の構造に問題があったのか、進水ならぬ浸水式になってしまうが、家族みんなで修復していよいよ出航、海に向かって運河を下っていく。橋の下をくぐる時にはマストや煙突が引っかからないよう寝かせられる工夫がされていた。河口で一休みの後、大海に乗り出す頃には、夕闇が訪れていた。夜も更けて、あとは寝るだけという時刻、海は嵐で大荒れに。一枚の枯れ葉のように波に翻弄される「知るもんか号」、バスターは救難信号を他の船に送って、助けを求めるが―(「キートンの船出」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第10作(米国公開日:1921年11月10日)】。50年代に旧キートン邸よりフィルムが大量発見されたことで今日のリバイバル上映が可能となった作品の1つですが、本作がそれらフィルムの中で最も危篤状態にあったと言われています。キートン・プロ第1作の「キートンの文化生活一週間」('20年)の続編とも言うべき作品で、サイレント期キートン唯一のホーム・コメディで、「文化生活一週間」の時は新郎新婦でまだ子どもはいなかったですが、今度は妻と二人の息子を連れての外航記となっています。世評では、映画的完成度は同時代のキートン自身の作品も含めて、数多くの喜劇の中でも極めて高いものとされているようです。
一家の乗った小船が嵐に見舞われ、笹の葉のように荒波に揉まれるわけで、ちょっと怖いというか、ある種パニック映画的です。船体がぐるぐる回転するシーンなどは、セットと模型でうまく撮っているなあと(今風に言えば"特撮"だが、完成度が高い)。奥さん役のシビル・シーリー(Sybil Seely、当時21歳)は、「キートンの文化生活一週間」でバスターの新妻役を、「キートンの囚人13号」('20年)や「キートンの案山子」('20年)でバスターの憧れの恋人を演じていましたが、その彼女も今度は子役共々に水浸しの熱演で、コレ、撮る方も撮られる方も撮影が大変だったろうなあ。
最後、家もクルマも船も失って流れ着いた場所は一体どこか―船の名前がラストのオチになっていますが、生きていればそれで良しとする究極の楽観主義というか、そこに家族の絆の強さが見い出せる作品でもありました。

アメリカ中西部、インディアンの一族が居留地で平和に暮らしている。ところがその近くに事務所を構える悪賢い石油業者が手先を使い、居留地の権利証を奪い取ってしまった。石油業者から立退き要求の通知を受けとり、怒ったインディアンの酋長は一族全員に命ずる、「ここに最初に入ってきた白人を殺せ」。するとその時も知らないバスターが入口から入ってきた、捕虫網を持ち、蝶々を追って。バスターはインディアンたちに捕まり火刑柱にくくり付けられてしまうが、一旦は逃げ出すことに成功する。執拗な追跡をかわし、避難したあばら屋でバスターはアスベスト材を見つけ、それで下着を作り着用した。結局は、再び捕まってしまい、火あぶりの刑が執行される。しかし、火あぶりでも死なないバスターは、今までとは逆に一族の崇敬を受け酋長に祭り上げられる。そして土地問題を知ると、一族を引き連れ石油業者に談判しに向かうことに―(「キートンの白人酋長」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第11作(米国公開日:1922年1月15日)】。斜面から転がり落ちたり、毛布をパラシュートみたいにして崖から飛び降りたり、吊り橋アクションやら、驚
きのスタントの連続。特に、斜面から転がり落ちるシーンは、後の「キートンのセブン・チャンス」('25年)を想起させます。キートンにしては珍しくハッピーエンドな作品。インディアンのために土地の権利を勝ち取ったキートンは、酋長の娘(ヴァージニア・フォックス)に求婚する。熱烈に接吻する二人。「2年後」のテロップの後に画面が戻ると、二人はまだ接吻し続けている―要するに、一瞬にして恋に落ちたが、それは一瞬にして覚めるような恋ではなかったということが言いたいのでしょう。

「キートンの船出」と比べ、アクションのスケールは大きいけれど、「船出」の特撮級のギミックには負けるでしょうか。しかしながら、マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ主演の 「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」 (2023年/米)ではないですが、石油業者がインディアンを騙して土地を奪おうとして画策したアメリカの暗黒史を取り上げているという点で、評価されるべきかと思います(「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の場合は、連続殺人事件までもが絡んでくるが)。
●ヴァージニア・フォックス出演のキートン映画
1920 キートンの隣同士 Neighbors The Bride
1921 キートンの化物屋敷 The Haunted House Bank President's Daughter
1921 キートンのハード・ラック Hard Luck Virginia
1921 キートンの強盗騒動 The Goat Chief's daughter
1921 キートンの即席百人芸 The Playhouse Twin Uncredited
1922 キートンの白人酋長 The Paleface Indian Maiden Uncredited
1922 キートンの警官騒動 Cops Mayor's Daughter
1922 キートンの鍛冶屋 The Blacksmith Horsewoman
1922 キートンの電気屋敷 The Electric House Girl Uncredited
1923 捨小舟 The Love Nest The Girl

「キートンの船出(漂流)」●原題:THE BOAT●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:22 分●出演:バスター・キートン/シビル・シーリー/エドワード・F・クライン●米国公開:1921/10●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」(評価:★★★★)
「キートンの白人酋長(キートンの酋長、キートンのハッタリ酋長)」●原題:THE PALEFACE●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:21 分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/エドワード・F・クライン●米国公開:1922/01(評価:★★★★)
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タイニイ・ティムがバスターを迎え、命中のしるしの鐘を鳴らせるようになったら雇う旨を言い残して席を外し、地下の別室に向かう。実力では鐘を鳴らせないことが判ったバスターは、的に命中しなくても鐘だけは鳴る仕掛けを考えつき、ティムの居ない間にその備えつけを完了する。店の地下室は、ティムが率いるギャング団"ブリンキング・バザーズ"のアジトだった。一味は裕福な実業家から1万ドルを脅し取ろうとしていたが、期限を過ぎても金を渡そうとしないので「ええ
い面倒だ、殺っちまおう」と相談していた。標的にされた実業家の方でも身の危険を感じ、自宅を改造するなどギャング団の襲撃に備えていた。ティムが一旦店に戻りバスターの様子を見に行くと、百発百中で鐘を鳴らしている。これは殺し屋として使えると閃いたティムは一味にその案を教えるために再び地下室に降りた。その間にその店に立ち寄った実業家父娘もまたバスターの銃の腕前に惚れ込み、ボディガードを依頼した。娘に切願されたバスターは断らなかった。ギャング団の計画がまとまるとバスターは地下室に連れて行かれた。そこで入団を強要され、実業家の殺しを命令されたバスターは、実業家の自宅へ向かう―。(「キートンのハイ・サイン」)
同時にギミックも満載で、冒頭のかすめ取った新聞を広げていくとどんどん大きくなっていく(こんな新聞どうやって印刷するのか)小ネタから始まって、ラストは仕掛けだらけの屋敷を悪党どもに追われて1階から2階、1階から1階へと駆け巡る、その様子を屋敷ごと断面図的に見せます。
今夜のオペラ劇場の出し物は、歌や踊りやお喋りを黒人的なノリで白人が演じるミンストレルショー。序曲を奏でるのは、半分ジャズバンド風の管弦楽団。幕が上がって役者が揃う、「ブラウン君この辺りの竜巻はすごいらしいね」「そうなんでさぁご主人様、そいつにやられると、1ドル銀貨が四つに割れて25セント玉になっちまうんでさぁ」...と、とぼけた台詞。そして、このショーが他の何より秀逸なのは、演ずる人もスタッフも、見る人までもが皆バスター・キートン、という趣向。第二幕、二人組のタップダンスが鮮やかで、もっと見ていたいなあ、というところで、バスターは夢から醒めた。現実のバスターは舞台の裏方=雑用係。大道具の片付けや
ら、新入りを楽屋に案内するのやら、地味な仕事を一人で何役もこなさなければならない。今度の新入りは、手品師のアシスタントガール。てっきり一人の女の子だと思ったら、双子の姉妹。鏡の効果で四人に見える。これは一体夢の続きか?!、とバスターは混乱してしまう。我侭な劇場支配人ジョーから言われる難題にも、バスターはそれなりに巧く対応する。兵隊役が一度に5、6人辞めた穴埋めを今すぐ何とかしろ、と命じられれば、近くの工事現場から人足を集めてきたり...。ところが、支配人のアゴ髭に着いたタバコの火を消すために、消化作業用の斧を用いて支配人をノックアウトしてしまう。怒りをかったバスターは劇場内を逃げ回ることに―。(「キートンの即席百人芸」)
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第9作(米国公開日:1921年10月6日)】。キートンの映画的好奇心=トリックが昇華した作品です。動きのタイミングを計るために、知人のバンジョー奏者にリズムを取らせてカメラを廻したとのことです。ヴォードヴィル時代に演じたと技の名残りがが多く見られる、キートン本人のアイデアを知るには最良のテキストです。
「キートンのハイ・サイン(悪運)」●原題:THE HIGH SIGN●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:18 分●出演:バスター・キートン/バーテイン・バーケット・ゼイン/アル・セント・ジョン●米国公開:1921/04(評価:★★★★)

ーは隣室で行われている動物園長主催の会合に出席。園長の「アルマジロを捕獲できる者にたんまりと賞金を出す」という一声に、自分がやる、と名乗り出る。野生動物を捕獲するのは、自然のなかでの気の長い勝負。まずは腹ごしらえ、と釣りを始めるバスター。次第に大きくなる獲物にいよいよツキが回ってきたかと、しばし思う。釣りを終えて、歩いていると目の前をアルマジロらしき動物が横切る。今だ、とばかりライフルをぶっ放すが、構えが逆だった。近くのカントリークラブ、紳士淑女が狐狩りへ出かけるところ。騎乗できずに困っているお嬢様風のヴァージニアを見かけたバスターは、これは出会いのチャンスかも、と手伝うことにする。案の定、ライフル持参のバスターは狐狩りに誘われた。途中で、はぐれて一人遅れて戻ってくると、クラブハウスは"トカゲのルーク"率いる盗賊団に襲撃されていた。バスターはヴァージニア救出に見事成功。その勢いを借って彼女に求婚することにした―。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第6作(米国公開日:1921年3月16日)】。キートン本人が最も気に入っていた短編といわれていますが、仕事を失い、恋人にも捨てられたキートンは、冒頭から自殺を試みるという、これまたブラックな展開で、こういうのが自分でも好きだったのでしょうか。野生動物の捕獲に出掛ける前に釣りに行くというのは唐突感がありますが(「まずは腹ごしらえ」しようとしたのか)、釣った魚を餌により大きな魚を釣るというのが可笑しく、十分な大魚を釣り上げてまだまだ続ける...コレを見せたかったのかあと。アルマジロは結局出てこなかったけれど(「巻物」とか訳されていたりもする)、馬と間違えて水牛に飛び乗ったり、熊に追いかけられたりと、動物との危険な絡みはどうやって撮ったのでしょうか。
大男のジョー・ロバーツ、今回は盗賊団の頭目"トカゲのルーク"でした(ヴァージニア・フォックスにセクハラしまくる)。ヴァージニア救出を成し遂げたにもかかわらず、その新たな恋にも破れ
たキートンは、プールの飛び込み台から飛び降りて(コレ、相当高い)、地面に激突(どうやって撮った?)、あっさりと死んでしまい、結局は自殺を果たした―と思いきや、何年か後に復活、家族を連れてまた地上に。チャイナ帽を被っているので、「チャイナ・シンドローム」('79年/米)ではないけれど、中国まで突き抜けていったのでしょうか。

キートン一家のアパートとヴァージニア一家のアパートは、塀一枚で隔てられた隣同士。バスターとヴァージニアは、その塀を媒介にして想いを伝え合う恋人同士。ところがふたりの親同士は仲が悪い。娘が隣の息子と付き合うなんて論外。ヴァージニアの父親はバスターにとって塀より高い結婚の障害物。その障害物にキートンは徹底抗戦。両ア
パート間にあって利用できるものは何でも利用する。物干しロープや電線は逃走に、細工し蠅叩きみたいになった塀は闘争に、電柱は監視塔にといった具合。しかし、誤って通りがかりの警官を巻き込んでしまう。きりきり舞いの警察は、両家の主人とバスターを連行することで事態を収拾した。家庭裁判所で「もう喧嘩はしません、仲良くします」という宣誓書にサインする両家の主人。こうなるともうバスターとヴァージニアの仲を邪魔するものは何もない。判事の媒酌のもと、二人は晴れて結ばれる運びに。ところが結婚式当日、花嫁の父がバスターの用意した安物の指輪に腹を立てて、式は中止に追い込まれ―。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第4作(米国公開日:1920年12月22日)】。親同士がいがみ合うも、隣家の娘ヴァージニアと恋仲のキートン。同じアパートの友人と共謀して彼女を連れさる作戦を―。ストーリー自体は「ロメオとジュリエット」と言うより落語に通底する定石的な長屋小噺ながらも、パントマイムとアクションが炸裂し、一気に見せ
ます。キートンの父親を演じているのは実の父親のジョー・キートン。結構出ずっぱりで、しっかりアクションもしています(お父さんがキートンの考案した跳ね板で飛ばされて、宙高く一回転して地面に落下するシーンがあるが、キートンの両親はもともと舞台芸人で、キートンがまだ4歳の頃、彼の身体を逆さに持ち上げてぶんぶん振り回す「人間モップ」という、荒っぽいギャグを売り物とし、キートンは泣き顔一つせず演じていたという話がある)。
空を舞うジョー・キートン
キートンが警官から逃れる際に野球場の塀の隙間から試合を観ていると、ホームランボールが警官を直撃。活動弁士が「ベーブ・ルースはやっぱりスゴイな」というセリフをアテていましたが、ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースはこの映画の公開の前年の2020年、それまでの自己最多だった年間29本を大きく上回る54本のホームランを打ち、その翌年(つまりこの映画の公開年。映画は3月に公開されている)のシーズンでは、59本の本塁打を打ち、457塁打というMLB記録を打ち立てています。やはり、ベーブ・ルースの打ったホームランボールとの設定だったのでしょうか。
「キートンの隣同士」●原題:NEIGHBORS●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:16 分●出演:バスター・キートン/ヴァージニア・フォックス/ジョー・ロバーツ/ジョー・キートン●米国公開:1920/12(評価:★★★★)

ゴルフ場でも珍プレー続出のバスターは、打ったボールが茶店の壁に当たり、自分の頭に跳ね返ってきたために気絶してしまう。そこに現れた脱獄囚13号、自分の囚人服とバスターの服を取替えて、まんまとずらかる。意識を取り戻したバスターは、自分が囚人服を着ていることに気がつかないままプレイを続けようとするが、脱獄囚13号を追ってきた刑務所の看守たちに取り囲まれて、ようやく気づき、慌てて逃げ出す。何とか看守たちを巻いて、安全な場所に辿り着いたと思いホっとしたのも束の間、周りをよく見渡してみるとそこは刑務所の中。しかもその日の死刑執行対象者は、13号だった! 絞首台に上るバスター、絶体絶命のピンチ!(「キートンの囚人13号」)
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第2作(米国公開日:1920年10月27日)】。ゴルフでボール一つが思い通りにならず、苦闘するキートン。でも、空振りしてひっくり返るアクションからもう人間離れしているという感じ。池ポチャのボールを打つというのもスゴイね(クラブをオールに使えるのか?)。間違って刑務所に送られてからはアクションがさらにヒートアップし、それも畳みかけるようなテンポで続きます。エドワード・F・クラインは、「死刑執行人チャンピオン」。何だ、それ?。一方の、ジョー・ロバーツ演じる極悪囚人は人間離れした力を見せます。しかし、それもキートンの奇想天外なアクションを前にしては敵わない。キートンの本領発揮作品。無理に夢落ちにする必要もなかったかもしれませんが(「ゴルフ狂の夢」という邦題もある)、アクションがシュール過ぎることや「死刑執行人チャンピオン」がいることの説明にはなっている? 絞首刑にされそうになったキートンの首吊りロープがゴムにすり替えられていて、キートンがピョンピョン跳ねるシーンなどはブラックユーモア的であり(死ねない分、逆に苦しいのでは(笑))、そうしてこともあって夢落ちにした?
バスターとジョーは部屋が一つしかない一軒家で共同生活をしている。歯痛に悩むバスターの傍らで身だしなみを整えるジョー、鏡を裏返すとそこにはシビルの肖像写真が貼ってある。それに向かってジョーが愛情表現するのを見たバスターはそれを取り上げて「彼女がどう思ってるかわからないけど、結婚するのは僕だよ」と歯痛も忘れて熱く主張する。歯を抜いてから、いつものとおり、朝食の準備。バスターは料理ジョーはテーブルセッティング。母親がいなくても家事が円滑に運ぶように、室内には様々な工夫が凝らされていた。後片付けを迅速かつ完璧に終えてからお出掛け。 外に出てみるとタイミング良く隣のお嬢さんシビル登場。彼女を巡って二人は争奪戦を繰り広げる。そ
の様子を見たシビルの父親はシビルに家に戻るよう戒める。面白くないシビルは、父親に仕返ししようと、胃にもたれるようなクリームたっぷりのパイを焼いた。それを窓辺に置いて冷ましている間、庭先に出てダンサーズ組合で習った踊りを母親に披露するシビル。たまたまジョーが通りかかり踊りのお相手を務めることに。後から来たバスターは仲の良さそうな二人を見て、ハートブレイク。力なく窓辺に寄り掛かる。と、そこにはこってりしたパイを食べて興奮した犬がいた。それを狂犬だと勘違いしたバスターは逃げる。逃げるから犬は追っかけてきて、高い塀の上までついてくる。追い詰められたキートンだったが―(「キートンの案山子」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第3作(米国公開日:1920年11月17日)】。天井から調味料セットは出てくるは、風呂とソファー兼用、本棚の背後に冷蔵庫...etc. バスターとジョーの家のセットの仕掛けがスゴすぎ! 前半丁寧に家のギミックを見せ、中盤から犬との追い駆けっこになって爆走、終盤は案山子にもなって、ハッピーエンドまで走り切ったという感じでした。キートンが以前に一緒に仕事していたロスコー・アーバックル(「キートンとファッティのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び)」('17年)
などの監督・脚本家兼俳優で、それ以前に「両夫婦」('14年)などチャップリンの作品にも出ていたが、1920年当時の彼はすでにパラマウント社へ移籍していた。1921年、女優ヴァージニア・ラッペへの強姦殺人容疑で起訴され、映画界を追放されるが、後に冤罪であったことが証明されている)との共作期のリズムとテンポを踏襲しているのは間違いありません。滅茶苦茶"演技"しまくっている犬"ルーク・ザ・ドッグ"は、そのアーバックルの飼い犬だそうです。シビル・シーリーって「
「キートンの案山子(スケアクロウ)」●原題:THE SCARECROW●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:16 分●出演:バスター・キートン/エドワード・F・クライン/ジョー・ロバーツ/ジョセフ・M・シェンク/ルーク・ザ・ドッグ●米国公開:1920/11(評価:★★★★)

(エスプリ)を体現したような作品。1958年・第11回「カンヌ国際映画祭 審査員特別賞」を受賞したほか、米国で1958年・第31回「アカデミー賞外国語映画賞」を受賞していますが、この作品ではそのモダンな住宅のセットも話題になり、ジャック・タチのモダニスト的な資質も注目されました(映画は小説化されていて、文庫化もされている)。
一方、「ぼくの伯父さんの休暇)」は、海辺の避暑地にやって来てバカンスを楽しむユロ氏が、行く先々で珍妙な騒動を巻き起こすというもので、ストーリーらしいストーリーは存在せず、いわゆる「スケッチ・コメディー」(ポートレイト・ムービー形式のコメディ)に仕立てていますが、こちらもフランス人らしいエスプリの効いたコメディ作品であり、「ぼくの伯父さん」以前にジャック・タチのスタイルが出来上がっていたことを窺わせます。「ぼくの伯父さん」と違ってモノクロ映画ですが、これはこれで強い印象がありました。この作品は、1953年度の「


・エテックスはどこに出ていたか思い出せない。また、
「ぼくの伯父さん」●原題:MON ONCLE(英題:My Uncle)●制作年:1958年●制作国:フランス・イタリア●監督・製作・脚本:ジャック・タチ●撮影:ジャン・ブールゴワン●音楽:アラン・ロマン/フランク・バルチェッリーニ●時間:120分●出演:ジャック・
タチ/アラン・ベクール/ジャン=ピエール・ゾラ/アドリアンヌ・セルヴァンティ/ドミニク・マリー/ルシアン・フレジス/ベティ・シュナイダー/イヴォンヌ・アルノー/ピエール・エテックス(?)●日本公開1958/12:●配給:新外映●最初に観た場所:日仏学院(82-09-25)(評価:★★★★)
「ぼくの伯父さんの休暇」●原題:LES VACANCES DE MONSIEUR HULOT(英題:Monsieur Hulot's Holiday, Mr. Hulot's Holiday)●制作
年:1953年●制作国:フランス●監督・製作・脚本:ジャック・タチ●撮影:フレッド・オラン/ジャック・タチ●音楽:アラン・ロマン●時間:88分●出演:ジャック・タチ/ナタリー・パスコー/ルイ・ペロー/アンドレ・デュボワ●日本公開:1963/08●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:日仏学院(82-09-25)(評価:★★★★)
工場経営者の娘と結婚したピエール(エテックス)は、義父から仕事を任され妻フロランス(アニー・フラテリーニ)と悠々自適な暮らしを送りながらも、どこか満たされない思いを抱えていた。そんなある日、彼は秘書として入社してきた18歳の魅力的な女性アグネス(ニコール・カルファン)に心を奪われ、妄想をエスカレートさせていく―(「大恋愛」)。
「大恋愛」はピエール・エテックス(1928-2016/87歳没)初のカラー長編映画。男(エテックス)の夢想で繰り広げられる恋の身悶えが伝わってきますが(ニコール・カルファンが可愛いい。彼女に限らず、エテックス映画には美女がよく出てくる)、ラスト、意外とあっさり覚めて元の鞘に収まった感じ(ビリー・ワイルダーの「
実は、妻フロランスを演じたアニー・フラテリーニは、後に本当にエテックスと結婚しています。アニー・フラテリニは元サーカス芸人で、エテックスは彼女と共にアニー・フラテリニサーカス学校を設立しています(1997年に死別)。
結婚記念日を妻と自宅で祝うため、プレゼントやワインを買い込んで家路を急ぐ男。しかしパリの交通渋滞などのトラブルに次から次へと巻き込まれ、なかなか家に辿り着くことができず―(「幸福な結婚記念日」)。
「幸福な結婚記念日」は短編で、主人公の男が結婚記念日に妻の待つ我が家に帰宅しようとするも、渋滞などに巻き込まれ、なかなか帰宅できない様を描いたもの(「健康でさえあれば」にも渋滞コメディがあったなあ)。現代人のストレス感を主人公が象徴的に代弁している感じ。そうしたこともあってか、1963年・第35回「アカデミー賞」で「最優秀短編実写映画賞」を受賞しています。


「幸福な結婚記念日」●原題:HEUREUX ANNIVERSAIRE(英:HAPPY ANNIVERSARY)●制作年:1962 年●制作国:フランス●監督・脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●製作:ポール・クロードン●撮影:ピエール・ルバン●音楽:クロード・スティエルマンス●時間:13分●出演:ピエール・エテックス/ジョルジュ・ロリオット/ノノ・ザミット/ルシアン・フレジス●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-22)(評価:★★★☆)
ピエール・エテックス(1928-2016/87歳没)の「健康でさえあれば」は、「不眠症」「シネマトグラフ」「健康でさえあれば」「もう森へなんか行かない」の4話のオムニバス映画。1965年に一本の長編として仕上げられたものを1971年に再編集し、もともと一部を構成していた「絶好調」を独立させ、お蔵入りにしていた「もう森へなんか行かない」を第4話に入れたとのことです。
「不眠症」... 夜なかなか寝付けない男(エテックス)は、時間を潰そうとしてドラキュラ小説を読み始めるが―。ベッドで小説を読む男のいる
現実世界(カラー)と、ドラキュラ小説の世界(モノクロ)を行き来し、やがて両方が交錯する展開が面白かったです。ドラキュラ小説の世界は重厚にしっかり描かれていて、トッド・ブラウニング の 「
「シネマトグラフ」... 男(エテックス)は映画館にいたはずだったのだが、幕間に流れるCM の奇妙な世界へ入り込んでしまう―。序盤は映画館の客たちのマナーの悪さが面白おかしく描かれ、映画が始まる前にTVコマーシャルっぽいCMが入るのですが、そのトーンがどこか変てこで、CMタレントたちが商品の効果を訴える相手がいつの間にかエテックスが演じる男になってしまっています。現実と仮想が交錯すると言う点で第1話「不眠症」に似ていますが、こちらは主人公が完全にCMの世界に入り込んでしまう感じ。"一滴垂らすだけで水を牛乳に変えるエキス"とか"車から髪の毛からサラダまで使える万能オイル"とか、完全に誇大広告の皮肉。シュールな小ネタの数々が楽しいです。
「健康でさえあれば」... 近代化が進む都市。誰もがストレスを抱えて精神科を訪ねるが、ひときわストレスを抱えているのは精神科医本人だった。そこへ一人の男(エテックス)が訪ねて来る―。工事現場の騒音、交通渋滞といった現代ストレスの元凶が描かれ、バックには常にドリルを穿つような音が流れる中、話は展開していきます。と言っても脈絡が」あるような話でもなく、ナンセンスギャグの連続という感じ。込み合ったレストランで男の隣に席移動した薬剤師が、誤って男の薬かなんかを食べてしまうコント風のギャグが可笑しかったです(精神科のグラマーな受付嬢はベラ・バルモントか)。
「もう森へなんか行かない」... 都会の喧騒から打って変わって、小鳥のさえずる田園が舞台。森に狩りにきた下手糞ハンター(エテックス)、境界柵の杭打ち作業をする農夫(管理人?)、ピクニックに来た中年夫婦が織りなすカリカチュア―。お互いに干渉し合ってお互いに目標が達成できないという状況を、ドリフターズのコントの連続のような形で描き出しています。4話の中では、比較的オーソドックスなコメディかも。第3話「健康でさえあれば」と突き合わせると、都会も嫌だけれど、田舎も楽しいことは無いということになる?
「絶好調」... 田舎でソロキャンプをしていた青年(エテックス)は、管理の行き届いたキャンプ場へ行くよう警官に指示される。仕方なくキャンプ場へ移動したものの、そこは有刺鉄線で囲われた強制収容所(キャンプ)のような場所だった―。序盤のソロキャンプでいつまでも珈琲が沸かせないエテックスは、短編「
「健康でさえあれば」●原題:TANT QU'ON A LA SANTE(英題:AS LONG AS YOU'VE GOT YOUR HEALTH)●制作年:1965 年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ジャン・パイヨー●時間:67分●出演:ピエール・エテックス/デニース・ペロンヌ/サヴィーヌ・サン/ベラ・バルモント/ロジェ・トラップ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-20)(評価:★★★☆)


「絶好調」●原題:EN PLEINE FORME(英題:FEELING GOOD)●制作年:1965年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ジャン・パイヨー●時間:14分●出演:ピエール・エテックス/ロジェ・トラップ /プレストン/ロベルト・ブロメ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-20)(評価:★★★☆)


世界恐慌で破産した大富豪(ピエール・エテックス)は、元恋人であるサーカスの曲馬師と再会し、その存在を知らなかった幼い息子との3人での地方巡業の旅に出る。やがて成長した息子はヨーヨー(ピエール・エテックス二役)という人気クラウンになり、第2次世界大戦が終わると、かつて父が暮らしていた城を再建するべく奔走する。空中ブランコ乗りのイゾリーナ(クローディーヌ・オージェ)に恋したヨーヨーは、興行プロデューサーとして成功するが―。
世界恐慌までを字幕付きのサイレントで、その後をトーキーで描いています。エテックスの盟友で後に「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」などを手がける脚本家ジャン=クロード・カリエールが共同脚本を担当。日本では「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」(2022年12月24日~2023年1月20日、東京・シアター・イメージフォーラム)で劇場初公開されました。
最初の方の大豪邸における大富豪の暮らしぶりから圧巻。就寝するだけのことに何人の執事らが関わるのか数えきれす、楽団が来てセレナーデか何か奏でたり、大勢の女性たちが体をほぐすに来たりと、一体この邸宅で何人雇っているのでしょうか。立派な岩風呂にこれから自分が入るのかと思ったら、飼い犬用だったというのには笑いました。でも、大富豪自身はどこか虚無的。曲馬師の娘に恋することで人生の喜びに目覚める―。
やがて世界恐慌。ビルの屋上から自殺者が降ってくるので気をつけなければならない。富豪も破産し、女性と再び出会うが、彼女の傍にいたのは自分の息子だった。そして3人でサーカスの旅へ。ライバルのサーカス一行が「ザンパノとジェルソミーナ」(フェデリコ・フェリーニの 「
やがて、主役は富豪からクラウンとして有名になった息子にバトンタッチされます(言ってもどちらもエテックスが演じているだが)。彼は子供時代に父の屋敷に入り込んで彷徨い(そのシーンはベルイマン映画のよう)、その時の憧れから父の屋敷を取り戻そうと頑張り、クラウンとして稼ぎをすべて屋敷の修復に費やします。その間、人気スターゆえの煩わしさや、製作者としての何かとままらない気持ちも描かれます(前年公開のフェリーニの「
そして、遂に屋敷を完全修復し、大勢を招いてお披露目パーティーを。離れて暮らす両親(画面に顔は出てこない)を呼び寄せ、屋敷の中を見るよう言いますが、両親は中には入らず去っていきます。そのことで、華やかだが空疎な豪邸を後に、ヨーヨー自身も象に乗って去っていく―やはり、ヨーヨーはサーカスの世界に帰っていくということでしょう。ちょっと寂しいけれど、いいエンディングでした。
さらに、そうした「映画愛」以上に「サーカス愛」に溢れるコメディ映画で、ピエール・エテックスもこの5年後、フェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニの道化師」('70年・伊)に出演します。かつての名道化師を追いかけていたフェリーニが、彼らの演技を収めたフィルムのある家を訪ねます。そのフィルムを持っていたのが、名
コメディアンで映画監督でもあったピエール・エテックス(「道化師」に関しては本邦ではピエール・エテの表記)だったと(部屋のバックに「ヨーヨー」のポスターが見える)。
、フェリーニ監督がイタリア国営放送のために制作したドキュメンタリー風テレビ映画で、実際にはドキュメンタリーに見える部分も演出されているようです(実在の道化師たちの談話がフェリーニ率いる虚実混淆の"撮影隊"によってフィルムに収められる様子が描かれることで、映画は幻想と現実が幾重にも入り組んだ複雑な様相を呈している)。1970年の12月25日(クリスマスの日)にテレビ放映され、同月27日から劇場公開されていますが、傑作との評判に7年後の1976年12月に日本でも公開の運びとなっています。サーカスやピエロといった消えゆく文化への惜別の念と再興への希望という点で、「ヨーヨー」「道化師」の両作品は通底しているように思いました。
ピエール・エテックスはこのほかに自身の監督作以外に10数本の映画に出演していて、映画を撮ることは早くにやめてしまいましたが(1971製作のヴァカンスに出かけるフランス人たちを辛辣ともいえる視線で捉え(「ぼくの伯父さんの休暇」へのオマージュか)、ビュルレスク的に構成した初のドキュメンタリー「


⦅「フェリーニの道化師」あらすじ⦆
現在、道化師はどうなったか。フェリーニ監督は「恐怖を誘う強烈な喜劇性と大騒ぎの楽しさ。彼らの属していた世界はない。サーカス小屋はグランドだ。観客に子どもらしい単純さはない」と現状を調べようと取材チームを組み各地を取材する。イタリアのオルフェイサーカスを訪ねた(サーカスではアニタ・エクバーグと偶然会う)。座長は「現代の道化師は、長いものは喜ばれない。笑いは10分でいい」「昔の道化師は終わった。今は扮装も変わった」と語る。オーギュストという道化師は、酒びたりで病院に入院したが、ヌーボーサーカスの道化を見るため病院を抜け出し、芸を見ながら亡くなった。パリの「冬」サーカス場は、全盛は終わり観客が子どもだけ、そこにいるバプティストやチャップリンの娘はフランス巡業を夢見ている。スペインの道化師リベルは道化師の学校を作れと主張。ピエール・エテ監督は道化師の記録映画を持っていたが、フイルムが焼けて見られない。ロリオ、バリオなどはアルバムを見せ過去を語るだけ。そしてクライマックスの道化師の死をテーマにした大掛かりな道化師を結集した圧巻の芸が展開される。やがて終演し、道化師たちは退場して消灯される。その中で一人の道化師はトランペットで「引き潮」を吹き鳴らし、死んだ仲間の存在を確かめまる。すると死んだ仲間が現れ、一緒に舞台で演奏し合い静かに楽屋へ去る。
「ヨーヨー」●原題:YOYO●制作年:1964年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●時間:98分●出演:ピエール・エテックス/リュス・クランクローディーヌ・オージェ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-06)(評価:★★★★)
「フェリーニの道化師」●原題:FELLINI:I CROWNS●制作年:1970年●制作国:イタリア●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:エリオ・スカルダマーリャ/ウーゴ・グエッラ●脚本:フ
ェデリコ・フェリーニ/ベルナルディーノ・ザッポーニ●撮影:ダリオ・ディ・パルマ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:110分●出演:フェデリコ・フェリーニ/アニタ・エクバ
ーグ/ピエール・エテックス/ジョセフィン・チャップリン/グスターブ・フラッテリーニ/バティスト/アニイ・フラッテリーニ/リアナ/トリスタン・ルミイ/フランコ・ミグリオリーニ●日本公開:1976/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋・文芸坐(78-02-07)(評価:★★★★)●併映:「フェリーニのアマルコルド」(フェデリコ・フェリーニ)
「桃源郷」●原題:PAYS DE COCAGNE(英題:Land of Milk and Honey)●制作年:1971年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ホセ・パディーヤ●時間:80分●ドキュメンタリー●日本公開:2022/12●配給:東京日仏学院[自主上映](「フレンチタッチ・コメディ!〜30年から現在までのフランス映画のコメディ特集」(15-11-20))(評価:★★★?)
天文学の趣味に没頭してばかりの不器用な三十男(ピエール・エテックス)。ある日、父親(クロード・マッソ)から結婚を命じられ、色々な女性を求めて町
を歩いたが、この純情青年に振り向く女性はなかった。この家に下宿していたスウェーデンの美少女(カリン・ベズレー)にもプロポーズしたが、仏語のわからない彼女にはさっぱり。男は遂にナイトクラブでローレンス(ローランス・リニェール)という女と知りあったが、この女、大酒のみで困った性格だが、それでも優しく親切であった。とこ
ろが、テレビの中で悩ましく歌う歌手(フランス・アルネル)を見て、彼はたちまちノボセる。部屋中を彼女のブロマイ
ドで飾りたて、等身大の立看板まで持ち込む執心ぶり。この有様を見たスウェーデン娘の哀しみが彼に理解出来るワケもなく、苦心惨憺ようやく歌手の楽屋を訪ね、その夢と現実のあまりの差異に男は初めて大声で快活に笑った。スウェーデン娘が淋し
くパリを後にするとき、彼女こそ、彼の純情を理解した真実人生の伴侶にふさわしい女性であったことに彼は気づき後を追う―。
映画監督・俳優・イラストレーター・道化師など多彩に活躍したフランスのマルチアーティスト、ピエール・エテックス(1918-2016/87歳没)監督の1962年の長編監督デビュー作(原題:LE SOUPIRANT(英:THE SUITOR))。フランス本国で大
ヒットし、喜劇映画ではジャック・タチの「
となる「
非モテ系青年が結婚を決意し、女性と付き合おうとするも次々と失敗するコメディ。引き籠りの天文学オタクだけれども、女性には夢想的憧れを抱いているという、主人公の性格を如実に知らしめる演出が冒頭から巧みで、リアルさとオーバーにならない喜劇的演技のバランスがほど良かったように思います。
恋人から手紙を受け取った男。中には破かれた自分の写真が同封されていた!こちらも負けじと別れの手紙を書こうと奮闘するが、万年筆、インク、便箋、切手、デスク...なぜか翻弄されてどうしても返事を書くことができない―(「破局」)。
ジャン=クロード・カリエールとの共同監督・脚本作ですが、セリフがなく、音を使ったギャグが冴える作品でした。何をやろうとしてもうまくいかない、こんなことって日常でもあるかも。ここまでそれが連続することはないにしても...。危ない、危ないと思わせて、実際そうなるところが上手いです。ただ、転落するラストは予想外でした。軽くブラック・コメディ的で、これは両作品に言えることかもしれません。
「恋する男(女はコワイです)」●原題:LE SOUPIRANT(英:THE SUITOR)●制作年:1962年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ピエール・ルバン●音楽:ジャン・パイヨー●時間:84分●出演:ピエール・エテックス/クロード・マッソ/デニース・ペロンヌ/ローレンス・リニエール/フランス・アルネル/カリン・ヴェスリ●日本公開:1963/11●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-07-23)(評価:★★★☆)●併映:「破局」(ピエール・エテックス)
「破局」●原題:RUPTURE●制作年:1961年●制作国:フランス●監督・脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ピエール・ルバン●音楽:ジャン・パイヨー●時間:12分●出演:ピエール・エテックス●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-07-23)((評価:★★★☆)●併映:「恋する男」(ピエール・エテックス)
〈第1話:7時のランデブー〉法学部の学生エステル(クララ・ベラール)は試験を控えているが、恋人のオラス(アントワーヌ・バズレル)が自分に会わない日の7時ごろにカフェで別の女の子とデートしているという話
を聞かされて勉強も手につかない。朝、市場で買い物中のクララは見知らぬ男に愛を告白され、ふと思いついてオラスがデートしていたという例のカフェに夜7時に来るように言う。その直後彼女は財布がないのに気づき、さてはあの男にスラれたと思う。夕方、アリシー(ジュディット・シャンセル)という女の子が財布を拾って届けてくれた。彼女は7時に例のカフェで待ち合わせがあるというので、エステールも件のスリとの待ち合わせの話をして一緒に行く。予想どおり、アリシーのデートの相手はオラスだった。エステルは彼に愛想が尽きる。アリシーも事態を察して去ると、そのテーブルに朝の市場の青年が腰掛け、人を待つ風でビールを注文する―。
「
〈第2話:パリのベンチ〉彼(セルジュ・レンコ)は郊外に住む文学教師、彼女(オロール・ローシェール)は同棲中の恋人が別にいるらしい。9月から11月にかけて、二人はパリの随所にある公園でデートを重ねる。彼は彼女
を自宅に連れていきたいが、彼女は貴方の同居人がいやといって断る。彼女の恋人が親類の結婚式で留守にするとかで、彼女は観光客になったつもりでホテルに泊まろうと提案する。いざ目的のホテル前で、彼女は恋人が別の女とホテルに入るのを見る。別れるのは今がチャンスという彼に、彼女は「恋人がいなければあなたなんて必要ないわ」と言う―。
第1話と対照的に第2話は完全に女性上位。主人公の彼女の好みで、デートの場所はいつも外で、場所も彼女が指定するのですが、それが、9月30日 サン=ヴァンサン墓地、10月14日 ベルヴィル公園、10月21日 ヴィレット公園、11月12日 モンスリ公園、11月18日 トロカデロ庭園、11月25日 オートゥイユ庭園...といった具合に日記風に展開されていき、映画自体がパリの公園巡りみたいになっています(笑)。ラストに決定的な女性のエゴを見せつけられた気がしますが、第1話と違って、この女性が嫌になると言うより(好きにもならないが)、男女の関係というものの複雑さを感じさせ、意外と深いエピソードだったようにも思います。
〈第3話:母と子1907年〉ピカソ美術館の近くに住む画家(ミカエル・クラフト)は、知人からスウェーデン人女性(ヴェロニカ・ヨハンソン)を紹介されていた。彼は自分を訪ねて来た彼女をピカソ美術館に連れていく。自分は美術館に入らず、8時に会う約束をしてアトリエに帰るその途中、彼は若い女(ベネディクト・ロワイヤン)とすれ違い、彼女を追って美術館に入る。彼女は「母と子1907年」の前に座る。彼はスウェーデン女性と合流し、そ
の名画の前で例の女性にわざと聞こえるように絵の講釈を始める。彼女が席を立ち、彼は慌てて別れを告げて女を追って美術館を出て、道で声をかける。彼女は自分は新婚で夫は出版業者、今度出る画集の色を原画と比べに来たのだという。彼はめげず、彼女も興味を覚えて彼の絵を見にアトリエに行く。二人は絵画談義を交わし、結局何もないまま女は去る。画家はしばし絵筆を取って作品に手を加え、スウェーデン女性との待ち合わせの場所に行く。だが時間が過ぎても女は現れない。家に帰った画家は絵の中の人物を一人完成させ、呟く。「それでも今日一日まったく無駄ではなかった」と―。
ベネディクト・ロワイヤンの《美術女》ぶりがいいですが、元々は人気モデルで、映画出演はあまりないみたい。スウェーデン人女性=のヴェロニカ・ヨハンソンも同じくモデル系でしょうか(皆が振り返るような振るには勿体ない美人だと思ったら、最後は女の方が男を振ったのか)。こうした演技経験の浅い人を使うところがエリック・ロメールらしく、先に挙げた濱口竜介監督はそうした部分においてもこれに倣っていて、「
各話の頭にアコーディオン弾きと歌い手の2人組が出てくるのは、ルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」へのオマージュでしょう。各話を繋いでいく辺りも演出方法そうですが、エリック・ロメール監督自身、先駆者の影響を受けているのだなあと改めて思いました。
濱口竜介監督は演出においてひたすら「本読み」をやることで知られていますが、エリック・ロメール監督がそうであり、さらに遡るとジャン・ルノワール監督もそう。濱口監督によれば、エリック・ロメールは演技経験のない人とそれをやることを好み、ジャン・ルノワールはプロフェッショナルの役者とそれをやることを好んだそうです。濱口監督の場合、経験のない人とは「



シネヴィヴァンは独自に映画パンフレットを作っていて、ロベール・ブレッソン監督の「

パリの南西部ヴァンデ県サン=ジュイールの市長ジュリアン(パスカル・グレゴリー)は、村の原っぱに、図書館とCD・ビデオのライブラリー、野外劇場、プールを備えた総合文化センターを建設しようと考えていた。だが、この計画は周囲の賛同を得られないでいる。ジュリアンの恋人で、根っからのパリっ子である小説家のベレニス(アリエル・ドンバール)も「文化会館なんて必要かしら」と少々懐疑的
。村のエコロジストの小学校教師マルク(ファブリス・ルキーニ)は、烈火のごとく怒る。ジュリアンにインタビューした女性ジャーナリストのブランディーヌ(クレマンティーヌ・アムルー)のルポは編集長(フランソワ・マリー・バニエ)の独断で、マルクを中心としたエコロジー特集になってしまう。そんなある日、偶然にマルクの娘ゾエ(ギャラクシー・バルブット)とジュリアンの娘ヴェガ(ジェシカ・シュウィング)が出会って友達となり、ゾエは市長に「文化会館よりみんなが集まって楽しめる広場がいいわ」と訴える。結局、予定地の地盤が弱いことが判明し、建設は中止となった。代わりにジュリアンは広大な土地を開放し、そこは人々の憩いの広場となった―。
アリエル・ドンバールをたっぷり観られる映画でもあります。市長ジュリアン役のパスカル・グレゴリーは、「海辺のポリーヌ」('83年)ではアリエル・ドンバールに袖にされる役でしたが、10年後のこの作品では恋人同士の役。パスカル・グレゴリーは、最近では婁燁(ロウ・イエ)監督の 「
文化会館設立反対派の教師マルクを演じたのはファブリス・ルキーニで、「レネットとミラベル 四つの冒険」('87年)の第4話「絵の売買」の画廊の主人役などエリック・ロメール監督の常連。最近ではフランソワ・オゾン監督のコメディ映画「
「木と市長と文化会館 または七つの偶然」●原題:L'ARBRE, LE MAIRE ET LA MEDIATHEQUE OU LES HASARDS(英:THE TREE, THE MAYOR AND THE MEDIATHEQUE)●制作年:1993年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:フランソワーズ・エチュガレー●撮影:ディアーヌ・バラティエ●音楽:エリック・ロメール●時間:105分●出演:パスカル・グレゴリー/アリエル・ドンバール/ファブリス・ルキーニ/クレマンティーヌ・アムルー/フランソワ・マリー・バニエ/ジャン・パルヴュレスコ/フランソワーズ・エチュガレー/ギャラクシー・バルブット/ジェシカ・シュウィング/レイモンド・ファロ/マヌエラ・ヘッセ●日本公開:1994/04●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-02-28)((評価:★★★☆)
自転車のパンクをきっかけにミラベル(ジェシカ・フォルド)は、ある田舎道で、この町の納屋のような家に一人で住み、絵を描いて暮らしているレネット(ジョエル・ミケル)と出会う。彼女はミラベルに、夜明け前に1分間だけ音のない世界になる"青の時間"を体験させようと家に泊まるよう誘うが、せっかくのチャンスが車の音で失敗に終わる。落胆するレネットに、ミラベルはもう1晩泊まることを告げ、二人はその昼間に田舎の生活と自然を満喫する。そして2泊目の夜明け、二人は"青い時間"を味わい 感動する―。(第1話「青い時間」)
同監督の「緑の光線」に似ているように思いました。シリーズ第5作「緑の光線」('86年)は、孤独なヒロインがバカンスの最後の日に知り合った若者と一緒に、日没前に一瞬だけ見えるという太陽の「緑の光線」を見に行くという話でしたが、「青い時間」では、それぞれ田舎と都会に住む若い女性同士の組み合わせ。二人の出会いから、性格の全く異なる二人が打ち解けていく様ががごく自然に描かれていていました。自然も美しいし(「緑の光線」と同じく、チーズで有名なブリー地方が舞台)、レネットの住まいも悪くなかったです。でもパリで絵の勉強をするために、彼女はミラベルのアパートへ―。
秋になり、パリのミラベルのアパートで同居し、美術学校に通うレネットは、ある日ミラベルと待ち合わせしたモンパルナスのカフェで、奇妙なボーイ(フィリップ・ロダンバッシュ)と出会う。小銭を持っていないミラベルがコーヒー代に200フラン札を出すと、ボーイは「どうせ友だちなんか来ないんだろう。飲み逃げしようとしてもそうはいかない。おつりが出せないから小銭で払え」と無理難題を言う そこにミラベルがやってきて、彼女は500フラン札を出してボーイと押し問答が続くが、ボーイが席を離れた隙に二人はお金を払わず逃げてしまう しかし、レネットは翌朝、代金を払いにカフェに行く―。(第2話「カフェのボーイ」)
物乞いに小銭をやるレネットに影響を受けたミラベルは、ある日、スーパーで万引きする女(ヤスミナ・アウリー)を見つけ、彼女を助ける行為をするが、成り行きから女が万引きした商品はミラベルの手に残ってしまう 帰宅後、二人は彼女の行為について議論する 。ある日 レネットは、駅で小銭をせびる女(マリー・リヴィエール)に会い、彼女に小銭を与えたため電車に乗り遅れてしまう。 電話をしようとするが小銭がないので、彼女も通行人に小銭をせびるがうまくいかない。 すると、先ほどの女がまた通行人から小銭をせびっているのを見つけ、彼女に金を返すように詰め寄るが、彼女が泣き出してしまい 諦める―。(第3話「物乞い、窃盗常習犯、女詐欺師」)
レネットは、今月家賃を払う番だったが、金が無く、 二人はレネットが描いた絵を画廊に売ることにする。 レネットは言葉が話せないふりをして画廊の主人(ファブリス・ルキーニ)と交渉するがうまくいかない。しかし、他の客が画廊に入って来たのを契機に、ミラベルが機転を発揮し二人は大金を手にする―。(第4話「絵の売買」)
4話の中では第1話が★★★★、第4話が★★★☆、あと第2話と第3話が★★★といったところでしょうか。どれもユーモアを交えた軽快なタッチで描かれていて、「喜劇と格言劇」シリーズの作品と比べてもより軽いかも。「喜劇と格言劇」シリーズが男女の恋愛模様を中心に描いているのに対して、女性同士のからっとした感じの友情を描いており、そうした男女の情が絡まない分、軽くなっているのかもしれません。
パリ近郊の新都市セルジー・ポントワーズで市役所に勤めるブランシュ(エマニュエル・ショーレ)は、職員食堂で最後の夏休みを迎えた学生レア(ソフィー・ルノワール)と出会い意気投合する。恋人ファビアン(エリック・ビエラード)の好きな水泳が苦手というレアのため、ブランシュは水泳の手ほどきをすることに。そして二人がプー
ルにいたところへ、ファビアンの友人アレクサンドル(フランソワ・エリック・ゲンドロン)が現れる。ブランシュはたちまちアレクサンドルに恋してしまうが、好きな相手に対して臆病になってしまう性格のため打ち解けられない。ファビアンは卒業を機に、最近ウマが合わないファビアンを捨て、パリを去ろうとする。運命の悪戯でブランシュはファビアンと親しくなり、一夜を共にする。ところが、休暇旅行から帰ってきたレアがファビアンと仲直りしたとブランシュに告げる。一方、レアはアレクサンドルに口説かれる―。
「友だちの恋人」(副題は「友だちの友だちは友だち」)は、エリック・ロメール監督による1987年公開作品。同監督の「喜劇と格言劇」シリーズ第6作で、これがシリーズ最終作になります。パリ郊外のニュータウンを舞台に、4人の男女が繰り広げる恋愛模様を軽快なタッチで描いていて、これまでのシリーズ作が一人の女性が主人公だったのが、今回は一応ヒロインに焦点を合わせながらも、主人公とその女友達の恋愛も描いていて、相互に"反応"し合う男女2×2の恋物語になっている点が特徴的です。
主要登場人物4人の関係がどんどん移り変わって、観ている方も混乱しますが、仕舞いには、登場人物であるブランシュとレアも互いに勘違いしたりして(笑)。ラストは
ハッピーエンドでしたが、ブランシュは周囲に振り回されている印象も。これがハッピーエンドでなかったら、あまり好きになれない映画だったかもしれません。この二組、この先大丈夫かなあというのもあります(特にアレクサンドルはプレイボーイだし)。
ロメール監督の「
「友だちの恋人」●原題:L'AMI DE MON AMIE(英:BOYFRIENDS AND GIRLFRIENDS)●制作年:1987年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴス●撮影:ベルナール・リュティック●音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ●時間:102分●出演:エマニュエル・ショーレ/ソフィー・ルノワール/エリック・ヴィラール/フランソワ・エリック・ジェンドロン/アン=ロール・マーリー●日本公開:1988/07●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-02-04)(評価:★★★☆)




クレオ(コリーヌ・マルシャン)は売り出し中のポップシンガー。午後7時に、2日前に受けた精密検査の結果を聞くことになっている彼女は、自分がガンではないかと怯えつつ、占い師にタロットで自分の未来を占ってもらう。占い師は、身近な未亡人が面倒を見てくれていること、寛大な恋人がいるがなかなか会えずにいること、音楽の才能があることなど、クレオの過去と現在の状況を正しく言い当て、未来については、病気の兆候があることを告げるものの、そのことについては口を濁して、これから調子のいい若者に出逢うだろうと告げる。しかし、クレオが部屋を出ると占い師は同居の男に「あの子はガンよ。もうだめだわ」と。一方クレオは、カフェで中年女性のアンジェール(ドミニク・ダヴレー)と落ち合う。アンジェー
ルはクレオの生活を管理するマネージャーのような女性。占いの結果を告げて泣くクレオをアンジェールが慰め、気持ちを落ち着けたクレオは帽子店に寄り帽子を選んでいるうちにすっかり機嫌をよくし、アンジェールと共にタクシーで帰路に。車中のラジオからはクレオの歌が流れる。帰宅するとやがて年上の恋人がやってくるが、仕事が忙しいからとすぐに帰ってしまう。入れ替わりにやってきた若い作曲家のボブ(ミッシェル・ルグラン)と作詞家。二人はクレオの新曲について相談とレッスンをしに来たのだった。陽気な二人と楽しそうにしていたク
レオだったが、二人が持ち込んだ新曲「恋の叫び」の暗い曲調と歌詞に心を掻き乱され、レッスンを中断して部屋を出て行ってしまう。クレオはパリの街を彷徨うが心落ち着けることができず、友人のドロテ(ドロテ・ブラン)に会いに行く。美術学校のヌードモデルの仕事を終えたドロテとクレオは、ドロテの恋人ラウルの車で出掛け、クレオは病気への不安をドロテに打ち明ける。二人はラウルが映写技師として働く映画館に行き、映写室の小窓から無声映画のコメディを見て楽しむ。しかし、映画館を出たクレオは
、バッグの鏡を落として割れたのが不吉だとまた不安になる。ドロテと別れたクレオはタクシーでモンスリ公園に向かう。園内を散策していると、アントワーヌという若い男(アントワーヌ・ブルセイエ)が馴れ馴れしく声を掛けてくる。最初鬱陶しく思っていたクレオだったが、次第に話をするようになる。彼は休暇中の兵士で、今夜軍隊に戻り、アルジェリアに向かうという。病気についての不安を打ち明けたクレオが、検査の結果を面と向かって聴くのは怖いので医師に電話をするつもりだと言うと、アントワーヌは一緒に行こうとクレオを誘い、ピティエ=サルペトリエール病院に向かう。病院の受付でクレオは、担当医のヴァリノは既に帰ったと告げられる。クレオとアントワーヌは病院の広い庭を手を繋いで歩き、やがてベンチに腰をかける。そこに一台の車がやってきて二人の前で止まる。運転していたのは帰宅したはずのヴァリノ医師で、彼は「放射線治療は少々きついが必ず治るから心配は要らない。あす11時に来て下さい」と手早く告げると去って行く―。
振り返れば、終盤で戦地アルジェリアに行く青年と出会ったことで彼女の心境に変化があったことは間違いなく、その際の会話を顧みると、以下のような感じでした。
音楽のミシェル・ルグランは、クレオに曲を提供する作曲家役でも登場(若い!)、ピアノを弾き、達者な歌も聴かせています(検査結果が気が気でないクレオは、その彼に当り散らすのだが)。
クレオが訪ねる友人の映像作家が作った無声映画の登場人物として、当時結婚して間もない
「5時から7時までのクレオ」●原題:CLEO DE 5 A 7(英:CLEO FROM 5 TO 7)●制作年:1962年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:アニエス・ヴァルダ●製作:ジョルジュ・ド・ボールガール/カルロ・ポンティ●撮影:ジャン・ラビエ●音楽:ミシェル・ルグラン(主題歌:作詞アニエス・ヴァルダ/作曲ミシェル・ルグラン)●時間:90分●出演:コリーヌ・マルシャン/アントワーヌ・ブルセイエ/ドミニク・ダヴレー/ドロテ・ブラン/ミシェル・ルグラン/(サイレント映画のなかの登場人物)ジャン=リュック・ゴダール/アンナ・カリーナ
/エディ・コンスタンティーヌ/ジャン=クロード・ブリアリ/ジョルジュ・ドゥ・ボールガール●日本公開:1963/05●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(21-01-19)(評価:★★★★)
ポスター 「

富豪に嫁いだ姉を頼り、蘇州にやってきた少年・忠良(チョンリァン)。そこでは当主の愛娘・如意(ルーイー)を始め、皆が阿片
に酔いしれていた。退廃した空気の中、最愛の姉に弄ばれ絶望した忠良は屋敷を飛びだす。時は過ぎ、1920年代の魔都・上海。心に傷を負って女性を愛せなくなった忠良(張国栄(レスリー・チャン))は、人妻を誘惑して金品を巻き上げる上海マフィア配下のジゴロとなっていた。そんな彼に、マフィアのボスが故郷の女富豪を誘惑する様に命令を下す。彼女こそ、美しく成長した如意(鞏俐(コン・リー))だった。様々な思惑を交差させながら、二人はいつしか本気で愛し合うようになるが―。
1996年公開作で、陳凱歌(チェン・カイコー)監督のもと、「
というわけでカタルシス効果は弱いですが、デカダンスな雰囲気を醸す映像はスタイリッシュでもあります。室内シーンが多いせいか、クリストファー・ドイルっぽくはなかったかもしれませんが、この映像美を味わうだけでも価値はあるように思いました。

当時30歳のコン・リーが奇麗。忠良が行くナイトクラブの垢抜けない少女(アヘン中毒者?)は周迅(ジョウ・シュン)だったのかあ。婁燁(ロウ・イエ)監督の 「
「花の影」●原題:風月(英:TEMPTRESS MOON)●制作年:1996年●制作国:香港・中国●監督:陳凱歌(チェン・カイコー)●製作:湯君年(タン・チュンニェン)/徐楓(シュー・フォン)●脚本:舒琪(シュウ・チー)●撮影: クリストファー・ドイル(杜可風)●音楽: 趙季平(チャオ・チーピン)●原案: 陳凱歌/王安憶(ワン・アンイー)●時間:128分●出演:張國榮(レスリー・チャン)/鞏俐(コン・リー)/林健華(リン・チェンホア)/何賽飛(ホー・サイ
フェイ)/呉大維(デヴィッド・ウー)/謝添(シェ・ティェン)/周野芒(ジョウ・イェマン)/周潔(ジョウ・ジェ)/葛香亭(コー・シャンホン)/周迅(ジョウ・シュン)●日本公開:1996/12●配給:日本ヘラルド映画(評価:★★★☆)●最初に観た場所[4K版]:池袋・新文芸坐(24-02-26)

医学生のマックス・マッキャンドルス(ラミー・ユセフ)は、外科医で研究者のゴドウィン・バクスター(通称ゴッド)(ウィレム・デフォー)の助手に選ばれる。ゴッドはベラ・バクスター(エマ・ストーン)という知能が未発達の成人女性の研究をしてお
り、マックスはベラが覚えた言葉や食べた物を記録する仕事を引き受ける。ベラはゴッドの家の中に閉じ込められ、日々多くの語彙や感情を覚え、次第には性の歓びをも覚えていく。マックスは近くで観察する時間を過ごす中で、ベラに好意を抱くようになる。ベラの正体をゴッドに問い詰めたマックスは、次のよ
うな事実を知らされる。ある時、ヴィクトリア(エマ・ストーン、二役)という妊婦が橋から飛
び降り自殺をし、その遺体を発見したゴッドが、生存していた胎児の脳を妊婦に移殖して生き返らせたのだという。ゴッドの励ましを受け、マックスはベラに結婚を申し込み、ベラもそれを受け入れた。しかし、知性が急速に発達していったベラは自然と外の世界に興味を持ち始め、結婚の契約のために家に上がり込んだ放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく―。
ヨルゴス・ランティモス監督の2023年作で、「女王陛下のお気に入り」('18年/英・アイルランド・米)の時のエマ・ストーンと再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化したもの。2023年・第80回「ベネチア国際映画祭 金獅子賞」を受賞し、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、脚色賞ほか計11部門にノミネートされ、主演女優賞、衣装デザイン賞、美術賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の4部門で受賞しました。
原作は1992年に発表されたアラスター・グレイ(自作の挿画や表紙絵を自分で手掛けることで知られる)の同名小説('23年/ハヤカワepi文庫)で、メアリー・シェリーの『
「ラ・ラ・ランド」('16年/米)で2016年・第73回「ベネチア国際映画祭 女優賞」、第74回「ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメデ
ィ部門)」、第89回「アカデミー賞アカデミー主演女優賞」受賞のエマ・ストーンが、この作品でも2024年・第81回「ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)」、第96回「アカデミー主演女優賞」を受賞しました。
最後に、ベラが母であるヴィクトリアの自殺の原因が暴力的で残虐な夫・アルフィー(クリストファー・アボット)にあったことを突き止め、医者としてゴッドの研究を引き継ぐことを決意したベラが、(手始めに?)アルフィーにヤギの脳を移殖したという、言わば復讐劇的なオチでした。
ランティモス/エマ・ストーン●脚本:トニー・マクナマラ●撮影:ロビー・ライアン●音楽:イェルスキン・フェンドリックス●時間:141分●出演:エマ・ストーン/マーク・ラファロ/ウィレム・デフォー/ラミー・ユセフ/クリストファー・アボット/キャサリン・ハンター/ジェロッド・カーマイケル/マーガレット・クアリー/ハンナ・シグラ●日本公開:2024/01●配給:ディズニー●最初に観た場所:TOHOシネマズ日比谷(スクリーン5・デジタルTCX DOLBYATMOS上映)(23-02-08)((評価:★★★★)

ロサンゼルス 若い女性タクシー運転手コーキー(ウィノナ・ライダー)は、空港で出会ったビバリーヒルズへ行こうとしている中年女性ヴィクトリア(ジーナ・ローランズ)を乗せる。映画のキャスティング・ディレクターであるヴィクトリアは、新作に出演する女優を探し出すのに手を焼いていた。口は汚いがチャーミングなコーキーに可能性を感じたヴィクトリアはある提案をする―。
ウィノナ・ライダー(当時19歳)がいい。こうした役を演じつつ、2年後のマーティン・スコセッシ監督の「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」('93年/米)で伝統主義的な貴族の娘を演じて「ゴールデングローブ賞助演女優賞」を受賞しているからスゴイ。2001年に窃盗罪で逮捕され有罪となりキャリアが途切れかかったが、何とかつながった(10代の頃に境界性パーソナリティ障害を患っていたということと関係しているのか)。ジーナ・ローランズが佇むラストの余韻もいい。
ニューヨーク 寒い街角で、黒人の男ヨーヨー(ジャンカルロ・エスポジート)はブルックリンへ帰るためタクシーを拾おうとするが、なかなか捕まらない。ようやく捕まえたタクシーを運転していたのは、東ドイツからやってきたばかりのヘルムート(アーミン・ミューラー=スタール)。しかし彼は英語がうまく話せず、その上オートマ車の運転もろくにできない。降りようにも降りられないヨーヨーは、自分でタクシー
を運転する―。
パリ 大使に会いに行くという黒人の乗客2人の態度に腹を立てたコートジボワール移民のタクシー運転手(イザック・ド・バンコレ)は、我慢ならず途中下車させてしまう。そこに若い盲目の女(ベアトリス・ダル)が乗車する。当初、運転手は気が強く態度の大きい女に苛立っていたが。だが、彼は晴眼者の
自分以上に鋭い感覚を持つ女には物事の本質が的確に見えているように思え、何とも言い難い強い印象を受ける―。
ローマ 1人で無線相手にうるさく話しかけるタクシー運転手ジーノ(ロベルト・ベニーニ)は神父(パオロ・ボナチェリ)を乗せる。そして、せっかく神父を乗せたのだからと勝手に懺悔し始めるが、その内容は傍から見ればハレンチな艶笑話ばかり。神父は心臓が悪く薬を飲もうとするが、ジーノの乱暴な運転のせいで薬を落としてしまう。仕方なく神父は、我慢してジーノの"懺悔"を聞き続ける―。
ロベルト・ベニーニが可笑しい。ジム・ジャームッシュ監督の「
ヘルシンキ 凍りついた街で無線連絡を受けたタクシー運転手ミカ(マッティ・ペロンパー)。待っていたのは酔っ払って動かない3人の労働者風の男。その中の1人アキは酔い潰れていて車に乗ってからも眠っているが、残る2人はミカに、今日がアキにとってどれほど不幸な1日かを高らかに語り始める。しかし、ミカは今、アキとは比べ物にならないほどに不幸であるがために、彼らの話に動じることは
なかった―。
「ナイト・オン・ザ・プラネット」●原題:NIGHT ON EARTH●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:ジム・ジャームッシュ●撮影:フレデリック・エルムス●音楽:トム・ウェイツ●時間:129分●出演:(ロサンゼルス)ウィノナ・ライダー/ジーナ・ローランズ/(ニューヨーク)アーミン・ミューラー=スタール/ジャンカルロ・エスポジート/アンジェラ - ロージー・ペレス/(パリ) イザック・ド・バ
ンコレ/ベアトリス・ダル/(ローマ)ロベルト・ベニーニ/パオロ・ボナチェリ/(ヘルシンキ) マッティ・ペロンパー/カリ・ヴァーナネン/サカリ・クオスマネン/トミ・サルミラ●日本公開:1992/04●配給:フランス映画社(評価:★★★★)●最初に観た場所[再見]:シネマート新宿(スクリーン2)(24-03-08)
20世紀初頭のアメリカ。先住民のオセージ族は石油を発見し、莫大な富を手に入れていた。一方、列車で彼らの土地にやってきた白人たちは、富を奪おうとオセージ族を巧妙に操り、殺人に手を染める―。第一次世界
大戦の帰還兵アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は、地元の有力者である叔父のウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってオクラホマへ移り住む。そして、先住民族オセージ族の女性モリー・カイル(リリー・グラッドストーン)と恋に落ち夫婦となるが、2人の周囲で不可解な連続殺人事件が起き始める。町が混乱と暴力に包まれる中、ワシントンD.C.から派遣された捜査官が調査に乗り出すが、この事件の裏には驚愕の真実が隠されていた―。
マーティン・スコセッシ監督の2023年作で、原題は"Killers of the Flower Moon"。主演はレオナルド・ディカプリオで、共演はロバート・デ・ニーロ、ジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーンら。デイヴィッド・グランによるノンフィクション・ノベル『花殺し月の殺人―インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』を映画化したサスペンスです。2023年「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 作品賞」を受賞していますが、アカデミー賞では無冠でした(スコセッシもディカプリオもデニーロも既に受賞歴があるし、同じ骨太歴史大作「オッペンハイマー」に票が流れたのか)。
タイトルの由来は、4月に咲いた小さな花が5月に生えてきた大きな草や花によって駆逐されてしまうので、オセージ族は5月を「フラワー・キ
ラー・ムーン(花殺し月)」と呼ぶことから。比喩的には、先住インディオが「4月に咲いた小さな花」で、後からやってきた白人が、それらを"駆除"する「5月に生えてきた大きな草や花」ということなのでしょう。
ディカプリオとデ・ニーロの競演が楽しいし、ストーリーも面白いので、3時間半近い上映時間があまり長く感じられませんでした。主人公のアーネストは、妻モリーを愛しながらもヘイルの企みに協力することになり、事件の真相が明るみになった際もヘイルを守る動きを見せるが、自身の子リトル・アナの死を受け真相を告白する―。
米国史の暗部を抉るだけでなく、エンタテインメントとしても人間ドラマとしても良くできており、マーティン・スコセッシ監督のいまだ衰えぬ力量を感じました。 デ・ニーロが演じる叔父の"キング"が、表向きオーセージ族の理解者・支援者であるに反して、実は本性は怖い男であるという構図は、(娯楽性という面で)早稲田松竹で同時期に同じく1本立て上映された「
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」●原題:KILLERS OF THE FLOWER MOON●制作年:2023年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:ダン・フリードキン/マーティン・スコセッシ/ブラッドリー・トーマス/ダニエル・ルピ●脚本:エリック・ロス/マーティン・スコセッシ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:ロビー・ロバートソン●原作:デイヴィッド・グラン『花殺し月の殺人―インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』●時間:206分●出演:レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デ・ニーロ/リリー・グラッドストーン/ジェシー・プレモンス/ブレンダン・フレイザー/タントゥー・カーディナル/モリソン - ルイス・キャンセルミ/ジェイソン・イズベル/カーラ・ジェイド・メイヤーズ/ジャネー・コリンズ/ジリアン・ディオン/ウィリアム・ベロー/スタージル・シンプソン/タタンカ・ミーンズ/マイケル・アボット・Jr/パット・ヒーリー/ スコット・シェパード/ゲイリー・バサラバ/スティーヴ・イースティン/ジョン・リスゴー/マーティン・スコセッシ●日本公開:2023/10●配給:東和ピクチャーズ

●最初に観た場所:早稲田松竹(24-01-26)(評価:★★★★)

アンサ(アルマ・ポウスティ)はヘルシンキのスーパーマーケットで働く独身女性、ホラッパ(ユッシ・バタネン)は酒に溺れながらも、どうにか産廃工事で働いている独身男性。ある夜、アンサは友人のリーサ(ヌップ・コイブ)とカラオケバーへ行き、そこへ同僚のフオタリ(ヤンネ・フーティアイネン)に誘われたホラッパがとやって来る。フオタリがリーサを口説こうとする中、アンサとホラッパは、互いの名前も知らぬまま惹かれ合う。アンサは、スーパーの廃棄食品を持ち帰ろうとしたとして事前通告無しで馘を言い渡され、上司の理不尽な通告に怒り、リーサと共にスーパーを辞める。アンサはパブの皿洗いの仕事に就くが、給料日にオーナーが麻薬の密売で警察に捕まってしまう。
偶然そこにホラッパがやってきて、カフェでコーヒーを飲み、その後2人は映画館に行くことに。映画館でゾンビ映画を観て、帰り際ホラッパは「また会いたい」と言う。名前は今度教えると言い、アンサは電話番号をメモした紙をホラッパに渡して頬にキスをするが、ホラッパはそのメモを失くしてしまう。ホラッパは帰ってからメモが無いことに気づくが、探そうにも名前も分からず途方に暮れる。その上飲酒がバレて仕事もクビに
なってしまう。同僚のフタリオに「再会して結婚しかけた」と話すが、連絡しようにも彼女の連絡先を知らないことを言い嘆く。一方アンサも、ホラッパから電話がないことにヤキモキする。しかし2人は偶然映画館の前で再会し、アンサはホラッパをディナーに招待する。穏やかに食事をしていたが、隠れて酒を飲むホラッパに対し、アンサは「アル中はご免よ」と言い、父と兄がお酒によって死に、母はそれを嘆いて死んだと話す。するとホラッパは「指図されるのはご免だ」と言って出ていく。不運な偶然と現実の過酷さが、彼らをささやかな幸福から遠ざける中、果たして2人は、無事に再会を果たし、想いを通い合わせることができるのか―。
アキ・カウリスマキ監督が「
アンサもホラッパも厳しい現実の中にいますが、それぞれに自分のことを気にかけてくれる同僚(二人とも解雇されるので"元同僚"になるが)の友人がいるのが救いでした(最後の方でホラッパが入院する病院の看護師も優しかった)。アキ・カウリスマキ監督の、競争社会ではない、普通の社会(競争社会の外)に生きる人々への温かい視線を感じます。
映画館にはブリジット・バルドーの映画ポスターがあったり、アラン・ドロンの「
また、主演のアルマ・ポウスティは、来日時のインタビューで「この映画は荷物を抱えた孤独な人々が人生の後半で出会う物語だ。人生の後半で恋に落ちるのは勇気がいる」と説明しています。演出はフリーではなく考え抜かれており、「とにかくセリフを覚えてこい。でも練習するな」と指示されるそう。またほとんどのシーンがワンテイクで撮影されているため、ポウスティは「俳優としては怖い」と吐露。さらにカウリスマキが現場でモニタを使わないことにも触れ、「一度カメラをのぞいて照明や小道具の位置を自分でチェックしたら、カメラの横に座ってワンテイクで撮る。あとからモニタはチェックしない。何が撮れているのかわかっているからです」と説明しています。
ヘルシンキ在住のアンナ&カイサ・カルヤライネン姉妹によるバンド「MAUSTETYTÖT(マウステテュトット)」も出演し、劇中歌として「Syntynyt suruun ja puettu pettymyksin(悲しみに生まれ、失望を身にまとう)」という歌が歌われていますが、無口な主人公の気持ちを代弁しているような歌で、こうした地元のミュージシャンの劇中での起用は「
「ルアーヴルの靴みがき」では、カウリスマキ監督の愛犬〈ライカ〉が登場し、カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる賞「パルム・ドッグ賞」の「審査員特別賞」を受賞していますが、この作品でも、〈アルマ〉という犬が、アンサが殺処分されそうだったのを拾ってやった犬として登場し、ちゃんと演技していて(笑)、「パルム・ドッグ賞」の「審査員大賞」を受賞しています。アンサが犬に付けた名前は「チャップリン」。ラストでアンサがホラッパと画面の奥へ歩いて行くシーンは、「
「枯れ葉」●原題:KUOLLEET LEHDET(英:FALLEN LEAVES)●制作年:2023年●制作国:フィンランド・ドイツ●監督・脚本:アキ・カウリスマキ●製作:ミーシャ・ヤーリ/アキ・カウリスマキ/マーク・ルオフ/アルマ(犬)●撮影:ティモ・サルミネン●時間:81分●出演:アルマ・ポウスティ/ユッシ・バタネン/ヤンネ・フーティアイネン/ヌップ・コイブ/マッティ・オンニスマー/アルマ(犬のチャップリン)●日本公開:2023/12●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(スクリーン1)(24-01-24)(評価:★★★★☆)

浜島幸雄(加藤剛)はある日、幼馴染の小磯泰子(岩下志麻)の呼びかけに振り返る。それは、平凡な男の生涯を根底からゆさぶる運命の声だった。浜島は旅行案内所に勤続12年の係長で、妻の啓子(小川真由美)は万事に社交好きで
陽気だ。毎日が会社と団地の往復、生活も仕事も単調で味気ない浜島は、泰子に会って同じバスに乗っただけで軽い興奮があった。二度目に泰子に会った時、勧められるままに泰子の家を訪ねる。4年前に夫に死なれた泰子は6歳の健一(岡本久人)と二人暮し。保険の集金と勧誘での慎ましい生活だ。健一は父親が無いためか、孤独癖のある無口な子供だった。夢多き思春期の共通の追憶に話が弾み、浜島の泰子への傾斜は急だった。やがて、狭い泰子の家では、健一の眼が浜島には苦痛になった。だが、自然
の成り行きで二人は結ばれる。初夜のように白無垢の長襦袢で浜島を迎える泰子がいた。浜島は健一を手なづけようと心を砕くが、その都度失敗する。浜島にも幼い日に夫を失った母(岩崎加根子)と伯父(滝田裕介)との間に立たされた忘れ得ぬ記憶があったため、健一の反感がこたえた。そして、健一が自分を殺そうとしている幻想に悩まされ始めた。一度は妻と別れて泰子と結婚しようと決心しながら、健一のことを考えると、また泰子を諦らめようかと思い迷った。一方、空閨を癒やされた泰子は、啓子への後ろめたさも、浜島を見る健一の白い目にも心を向けず、ひたすら愛欲の歓びに溺れた。紅葉のころ、浜島苦心のドライブ旅行も小さな健一の本能的な反発を食う。浜島は再び幻影の虜になった。宿命というには、余りにも似かよった浜島自身の幼年期の体験。あの時のように俺は健一に殺される。泰子は浜島のノイローゼを満ちたりた笑いで一蹴した。しかし、恐るべき運命の符合は、悪魔の悪戯か、結末が逆になった―。
野村芳太郎監督、橋本忍脚本の1970年公開作で、
加藤剛が主人公の不倫する男を演じていますが、彼が岩下志麻演じる不倫相手の子どもに対して抱く恐怖はおそらく幻想であり、それは、今自分は不倫をしているという罪の意識と、かつて幼い自分が母の不倫相手に対して殺意を抱いたという原体験からくるものでしょう。子どもの所作の一つひとつが自分を批判しているように見え、仕舞いには凶器でもって自分を殺害しようとしているように見えてきます。


「影の車」●英題:THE SHADOW WITHIN●制作年:1970年●監督:野村芳太郎●製作:三嶋与四治●脚本:橋本忍●撮影:川又昂●音楽:芥川也寸志●時間:98 分●出演:加藤剛/岩下志麻/小川真由美/岩崎加根子/滝田裕介/近藤洋介/岡本久人/小山梓/芦田伸介/稲葉義男/長谷川哲夫●公開:1970/06●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-13)(評価:★★★★) 

中風で寝たきりの夫・寛次(森塚敏)を女中勤めで養っている成沢民子(池内淳子)は、客のホテル支配人・小滝(池部良)に誘われ、事故死を装い、夫の寛次を焼き殺した。そして民子は翌日、小滝の紹介で弁護士・秦野(伊藤雄之助)と共に鬼頭洪太(小沢栄太郎)の邸を訪れた。中風で身体の不自由な老人・鬼頭の世話をするため民子は選ばれたのだ。金に任せた華
美な生活、民子は鬼頭に身体を任せながら、いつか小滝が忘れられない人となる。一方焼死事件に不審を抱いた警視庁捜査一課の久恒刑事(小林桂樹)は、当日現場付近に
民子らしい女がいたことを聞き込みながら、民子のアリバイを崩せず、次第に民子の美しさに職業を逸脱した淫らな行為を迫るのだった。久恒の調査で、鬼頭は元満州浪人で、戦後莫大な金を手にし、政治
を裏から動かし、右翼団体を握っている人物であり、秦野とは、かつて鬼頭のもとで働いていた鉱夫の偽名で、本物の弁護士・秦野は満州で行方不明となっていた。また小滝は左翼くずれで、満州から古美術を盗み秦野らに近づいて、一つのラインを形成していることが判明した。その頃政界では、ある殺人事件にまきこれた高速道路公団総裁・香川(千田是也)が辞職し、新しい総裁が椅子についた。鬼頭のさ<しがねであることは当然ながら、確証がつかめず久恒は苛立つ。だが鬼頭の手は久恒にも伸びた。知りすぎた久恒は退職を勧告され呆然とする。そして数日後、久恒は鬼頭の用心棒・黒谷(黒部進)に殺害された。事件は複雑な人間関係を見せた頃、鬼頭が死亡、通夜の鬼頭邸で秦野が殺害される。民子は今さらながら、自分の置かれた立場に恐怖を感じた。小滝を訪ねた民子は、ある安宿に逢瀬を楽しんだが、入浴中、不意に乱入した黒部の手で石油をかぶり火だるまとなって死ぬ。だがその黒部も、浴室の戸をいち早く閉めてニヒルな笑いを浮かべる小滝の策に自ら滅んでゆくのだった―。



'82年のドラマ版では、原作よりも、名取裕子演じる民子を中心に描いていて、原作と結末を変えて、民子が、最後は山崎努演じる小滝との逃避行を図るかたちになっており、"道行(みちゆき)物"のような印象があって(小滝が最後に民子に心底惚れた)、小滝を完全な悪者にしていないところがテレビ的であると思えましたが、これはこれで良かったです(評価★★★★)。
一方、この池内淳子の映画版は、ラストで民子が辿る運命は原作と同じで、ちょっと残酷ですが、これも夫殺しの原罪の報いということでしょうか。まあ、原作は民子ではなく小滝が主人公であり、その彼のピカレスク小説と解するのがオーソドックスであると思われます。
「けものみち」●英題:BEAST ALLEY●制作年:1965年●監督:須川栄三●製作:藤本真澄/金子正且●脚本:白坂依志夫/須川栄三●撮影:福沢康道●音楽:武満徹●時間:150分●出演:池内淳子/池部良/小沢栄太郎/小林桂樹/伊藤雄之助/森塚敏/大塚道子/黒部進/千田是也/菅井きん/矢野宣/土屋嘉男/中丸忠雄/小松方正/稲葉義男●公開:1965/09●配給:東宝●最初に観た場所:神田・神保町シアター(25-05-11)(評価:★★★★) 

「松本清張 けものみち」●演出:松田秀知/藤田明二/福本義人●プロデューサー:内山聖子(テレビ朝日)/伊賀宣子(共同テレビ)●脚本:寺田敏雄●音楽:(エンディング)中島みゆき「帰れない者たちへ」●原作:松本清張●出演:米倉涼子/佐藤浩市/仲村トオル/若村麻由美/平幹二朗●放映:2006/01/12~03/09(全9回)●放送局:テレビ朝日
政権を握る改憲党内第二派閥領袖・寺西正毅(勝新太郎)は、現首相、桂重信(芦田伸介)から政権の禅譲を受け、この秋に首相の座に就くのがほぼ既定路線だった。寺西を裏で支えているのは、夫人の文子(岩下志麻)と秘書の外浦卓郎(渡瀬恒彦)だ。外浦は財界の世話役である和久宏(内田朝雄)に、寺西派とのパイプ役として送りこまれ、4年前から寺西の私設秘書となっていた。寺西邸から政治献金のバックペイの金を、和久のもとへ届ける使者として立てられた銀座のクラブ「オリベ」のママ・織部里子(松坂慶子)が、その金を自転車の男(平田満)に奪われるという事故を起こした時、警察に手を回して闇から闇に葬ったのも外浦の力であった。前首相・入江宏文が急死し、政局は秋の総裁選に向け、俄かに動き始める。桂
がひき続き政権を担当する意思を見せたのを受けて、外浦と和久、そして和久に囲われている里子は京都へ飛び、関西財界の有力者、望月稲右衛門(宇野重吉)から20億の融資を引き出した。第三派閥板倉派抱き込みのための工作資金である。桂派と寺西派になる政権争いが日ごと激しさを増す中、外浦が和久の経営する東南アジアの会社に招かれたとの理由で突然辞意を表明した。出発間際東大の後輩にあたり、政治家相手の代筆業をしている土井伸行(寺尾聰)を訪ねた外浦は、土井に個人名義の貸金庫の管理を依頼し、自分にもしものことがあったら、中身は自由に使えと告げる。外浦が外地で自動車事故死したことを新聞で知った土井は、すぐに貸金庫を開けた。中身は、文子と外浦の2年間に及ぶ不倫の恋の記録、文子自筆のラブレターの束であった。板倉派が、次第に奇妙な動きを見せ始める。川村正明(津川雅彦)率いる「革新クラブ」に照準を合わせ、かねてから川村が熱を上げていた里子を使って川村を自派の傘下におさめたのだ。土井が自宅において惨殺死体で発見された。新聞に過激派の犯行声明が載り、警察は内ゲバ殺人としてこの事件を処理するが、裏で板倉派が動いていた。桂派に寝返った板倉(伊丹十三)から「あと一期待たないか」ともちかけられた寺西が見せられたのは、例のラブレターだった。帰宅した寺西は文子を責めるが、後日、桂を支持することを発表する。第二次桂内閣誕生の日、寺西邸では、少数の記者を相手に怪気炎を上げている寺西の姿があった―。
加藤武演じる鍋屋が川村に愛想をつかして辞め、朝丘雪路が演じるタレント議員のもとに転じるも、高慢な彼女からコケにされるというのは、津川雅彦と朝丘雪路が実生活で夫婦であることも相俟って可笑しいです。松坂慶子演じるクラブ「オリベ」のママ・里子が、実は同クラブのホステス早乙女愛と同性愛だったという原作には無いオチも。でも、いちばん"遊んで"いるのは、政調会長の板倉を演じた伊丹十三の演技が、終始田中角栄のモノマネになっていることでしょうか。
野村芳太郎監督は何本も松本清張作品を監督しましたが、清張はこの映画を気に入らず、この作品に限っては、清張の原作と野村の映画の「方向性」が、全く噛みあわなかったと言われ、以後、清張と野村の関係は疎遠となったとのこと(清張が封印したのか、ビデオ・DVD化されていない)。



「迷走地図」●制作年:1983年●監督:野村芳太郎●製作:野村芳太郎/杉崎重美/小坂一雄●脚本:野村芳太郎/古田求●撮影:川又昂●音楽:甲斐正人●原作:松本清張●時間:136分●出演:勝新太郎/岩下志麻/松坂慶子/早乙女愛/津川雅彦/加藤武/渡瀬恒彦/いしだあゆみ/寺尾聰/片桐夕子/内田朝雄/中島ゆたか/朝丘雪路/伊丹十三/大滝秀治/芦田伸介/宇野重吉●公開:1983/10●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-04)(評価:★★★☆)



国会議員から院内紙記者に至るまで、多種多様な人種が、利権・利得を求めて蠢く永田町界隈。与党・政憲党内では、最大派閥の領袖で現総裁の桂重信から、第2派閥である寺西派の領袖・寺西正毅への政権禅譲が噂されていた。党内の政策集団「革新クラブ」のホープと目され、女性ファンも多い二世議員の川村正明は、パーティ中の演説で、「老害よ、即刻に去れ」と政権のたらい回しを痛烈に批判する。しかしスピーチの台本は、川村の私設秘書・鍋屋健三が、政治家の著書の代作屋の土井信行に注文して作らせたものであった。女性問題の発覚を切り抜けた川村は、パーティに顔を見せた高級クラブ「オリベ」のママ・織部佐登子に目をつけ、フランス製の高級ハンドバッグを餌に攻略を狙う。しかし、知られざる使命を帯びていた佐登子は、寺西正毅の邸宅で、寺西夫人・文子と秘書・外浦卓郎の介在する中、川村の贈ったハンドバッグを使い、大金を受領していた。その後、外浦は寺西の秘書を辞し、大学の後輩である土井に貸金庫のキーを託し、南米・チリへ去ったが―。

個人的には、映画もそれほど原作を外れているようには思いませんでしたが、テレビも同様でした(清張が気に入らなかったのは。あらすじ云々より映画における人物の描き方か?)。映画で渡瀬恒彦が演じた寺西の秘書・外浦を、TBSの元ニュースキャスターでラジオパーソナリティの森本毅郎が演じ、勝新太郎が演じた寺西を二谷英明が、岩下志麻が演じたその妻を若尾文子が、寺尾聡が演じた代作屋の土井を世良公則が、松坂慶子が演じた「オリベ」のママを小柳ルミ子が演じています(ドラマは若尾文子が主演のようだ)。
「松本清張作家活動40年記念・迷走地図」●演出:坂崎彰●プロデュー:市川哲夫●脚本:重森孝子●音楽:大野克夫●原作:松本清張●出演:若尾文子/森本毅郎/木内みどり/内田朝雄/世良公則/久米明/小柳ルミ子/山内明/若山富三郎/有森也実/目黒祐樹/佐野浅夫/村上里佳子/戸浦六宏/上田耕一/井上昭文/角野卓造/島田正吾/石堂淑朗/二谷英明/(ナレーション)鈴木瑞穂●放映:1992/03/30(全1回)●放送局:TBS(「月曜ドラマスペシャル」枠)
今から約10年前のこと、一人の元過激派の男が殺された。時を同じくして内閣改造が与党・政憲党の内部抗争を経て行われていた。その時点から遡ること3ヶ月。次期総理が有力視されている寺西正毅(二谷英明)の邸宅では早朝から派閥の有力代議士達が集まり、政権取りの秘策を錬っていた。現総理・桂重信(内田朝雄)を速やかにその座から引き下ろすために話し合い、その実行者は寺西の懐刀・外浦卓郎(森本毅郎)と決められた。外浦は東大卒の敏腕な新聞記者上がりのキレ者で、寺西夫人・文子(若尾文子)の信任も厚かった。その外浦の仕掛けた桂派の金権スキャンダル記事で、永田町は騒然となる。永田町のアダムスホテルには様々な政治業界の人間が集まっている。元東大全共闘出身で、政治家のゴースト・ライターをしている土井信行(世良公則)も、そこに事務所を構えていた。その彼と外浦は先輩後輩関にあり、政治家のパーティーで久しぶりに再会して心を通じ合う。外浦が桂派の罠に嵌って主人の寺西の不興を買い、チリに長期出張を命ぜられることになった時、土井は彼からある依頼を受ける。それは外浦所有の秘書貸金庫の管理であった。間もなく外浦はロサンゼルス経由でチリへ飛び立つが、ロスから外浦が交通事故で急死したという急報が飛び込む。土井は衝撃を受け、貸金庫の鍵を開ける。そこにあったものは、次期政権を狙う寺西正毅の夫人・文子との情事を記録した秘密録音テープであった。外浦は「それを君がどう利用しても良い」という遺言を残していた。その頃、政憲党内部の対立抗争はますます激化し、寺西派は京都の謎の高利貸し(若山富三郎)に20億の献金を依頼。その使者は財界の大物・石井庫造(久米明)とその愛人・銀座の高級クラブのママ佐登子(小柳ルミ子)であった。土井が抱え込んだ秘密テープの存在はやがて寺西派のNo.2で警察OBの政治家・三原伝六(山内明)の知るところとなり、土井は公安関係者の標的となる。そしてある夜、遂に権力の怒りの制裁が加えられる―。
東京のZ大学に勤務する考古学者・江村宗三は、愛媛県松山の洋品店主の妻である西田美奈子と不倫関係になっていた。14年前、美奈子は宗三の兄嫁であった。美奈子の現在の夫・慶太郎は不能な老人となって久しい。落ち合った宗三と美奈子は、広島県の尾道で宿泊したが、火の点いた美奈子は、自分が松山の家を出ることを主張し始める。スキャンダルで考古学会から葬られることを恐れる宗三。有馬温泉に移ると、美奈子は宗三に妊娠を告げる。「もう松山には戻れないわ。あなたなしには生きてゆかれなくなったわ」と、宗三の子を産むと宣言、それは宗三の学界からの追放を意味し、絶望に落ちた宗三は美奈子の殺害を計画するが―。(「内海の輪」)
'71年に斎藤耕一監督により映画化されており、主演の岩下志麻は、「お話があって早速読みましたが推理小説というより愛のドラマのように感じました。女のサガとでもいいましょうか、女の愛の一つのタイプのもので一生懸命演じてみたいと思います」と話したというから、自分と同じ印象を持ったということか。
映画の出来について淀川長治は、「岩下志麻はもはやカトリーヌ・ドヌーブ級のうまさ。問題は青年のエゴと弱さをさらけだす宗三役の中尾彬。これが弱さのかげをもっと深く見せねばならなかった。難役ゆえに惜しい」「しかし日本映画もこれほど上等になってきた」などと評しましたが、前半は個人的にも同意見です。
原作では場面的には登場しない、美奈子の不能夫を三國連太郎が演じており、冒頭から岩下志麻との濡れ場シーンがあったり(しかもその夫と女中の関係も描かれる)、倒叙型で先に女性の死体が見つかった場面があったりと(しかも原作のように白骨死体で見つかるのは別の事件の話になっている)、ところどころ部分的に原作を変えていますが、岩下志麻の演技力でぐいぐい引っ張っていく感じでした(そっか、物語の主人公役は中尾彬だが、主演は完全に岩下志麻だった)。
ところが、女が男の自分への殺意に気づき、最後は誤って自ら断崖から足を滑らせ...と、ここで原作と大きく異なってしまい、これって事故であり、原作の殺人事件にならないじゃないかと。男の殺意も実行に移さなければ女の思い込みともとれるし、逃げるのが得策ではなかったのにその場から逃げてしまった男は、「殺人」の嫌疑はかけられても仕方がないですが、実情は「死体遺棄」といったところでしょうか。男の出世にも関係する、原作の石器の発見の話も端折られていて、原作者は何も言わなかったのかなあ(脚本家はクレームをつけたらしい)。
これまで、'82年のTBS「ザ・サスペンス」の〈滝田栄・宇津宮雅代版〉と、2001年の日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の〈中村雅俊・十朱幸代版〉の2度テレビドラマ化されていて、〈中村雅俊・十朱幸代版〉を観ましたが、こちらの方が映画よりずっと原作に忠実でした。女は不倫旅行のるんるん気分の内に殺害されるし、男には明確な殺意がありました(あくまで中村雅俊が主演)。死体は白骨死体で見つかり、その付近での石器の発見の話も活かされていました。ラストの犯行の決め手になる小道具だけが、ボタンからメガネに変更されていましたが、これなら、タクシー運転手の証言を借りずとも男が犯人であることが立証でき、完璧と言えるかと思います。


「内海の輪」●制作年:1971年●監督:斎藤耕一●製作:三嶋与四治●脚本:山田信夫/宮内婦貴子●撮影:竹村博●音楽:服部克久●原作:松本清張「内海の輪」●時間:103分●出演:岩下志麻/中尾彬/三國連太郎/滝沢修/富永美沙子/入川保則/水上竜子/加藤嘉/北城真記子/赤座美代子/夏八木勲/高木信夫/高原駿雄●公開:1971/02●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-07-23)(評価:★★☆)<.font>


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松本清張が「週刊新潮」に1960(昭和35)年1月から 1961(昭和36)年6月まで連載した長編小説(加筆修正のもと1961年10月に新潮社から単行本刊行)。医者の社会的権威を利用して犯罪に手を染めてゆく医師と、その人間関係を描くピカレスク・サスペンスで、野村芳太郎監督によって1980年に松竹で映画化されたほか、これまでに1985年・2001年・2007年・2014年の4度テレビドラマ化されています(ただし、2007年版は、米倉涼子演じる看護師・寺島豊美(寺島トヨ)が主人公になっている)。
映画を観たり原作を読む前から、病院長・戸谷信一が次々に人を殺害する物語であるということは知っていました。ただ、冷徹な主人公が頭脳的・計画的に愛人を殺していくのかと思ったら、ボンボンで自堕落プレイボーイの二代目病院長が、金目当てに愛人にした女たちに逆に自身が翻弄され、安易に犯行を計画して半ば共犯的に殺人を犯し、最後には心底惚れ込んだ女に裏切られるという話でした。それでも、その方がりアリティがあって面白かったです。
映画のラストの方で、渡瀬恒彦が演じる戸谷の弁護士と、佐分利信が演じる戸谷に判決を言い渡す裁判官を佐分利信がそれぞれ1シーンずつ出てきますが、原作では「戸谷は弁護士を雇ったが、あまり有能な弁護士でもなさそうだった」とあり、確かに、渡瀬恒彦が演じる弁護士などは最初から「期待されては困る」的な雰囲気でした。弁護士も裁判官も当てにならなかったということでしょう。だから、佐分利信みたいな大物俳優が出て来ても、さらっと突き放すように判決を言い渡す1シーン限りだったのだなあと、改めて思い当たった次第です。一方、これはあまりに穿った見方かもしれませんが、緒形拳演じる刑事は、ヤリ手であるには違いないですが、戸谷により深い罪を負わせようとする女性たちのタッグをバックアップするような役回りになっていると解せなくもないように思いました。
●新潮文庫版下巻(1966年)の裏表紙(および新潮社ホームページ)では、「(戸谷は)横武たつ子の病夫を殺したあげく、邪魔になった彼女をも殺害し」と記述されている(2025年現在)が、小説の内容としては明らかに不正確な記述である(第一章第4節参照)。カッパ・ノベルズ版では、「横武たつ子が夫猿害の疑いで財産を失うと、戸谷は婦長の寺島と共謀、彼女を殺害」とあり、こちらの方が実態に近いが、それでもまだ、横武たつ子猿害が「共謀」と言えるか疑義が残る。
総合病院の院長・戸谷信一(片岡孝夫)は名医と言われた父の死後漁色にあけくれ、病院の赤字を女たちから巻き上げた金で埋めていた。戸谷は妻の慶子(神崎愛)と別居中で、横武たつ子(藤真利子)、藤島チセ(梶芽衣子)の二人の金ずるの愛人がいる。また彼は槙村隆子(松坂慶子)という独身で美貌のファッションデザイナーに夢中になっている。戸谷は友人の経理士・下見沢(藤田まこと)に妻との離婚の金銭問題やその他の悪事を任せていた。愛人たつ子は深川の材木商のおかみで、親ほど歳の違う夫(米倉斉加年)は、長く病床にあり、彼女が店をきりもりしていた。彼女は戸谷に金を貢ぎながら、夫を毒殺しようとする。戸谷の協力で、たつ子の計画は成功するが
、家族の疑いで彼女は店の金を自由に使えなくなる。戸谷は結婚を迫る金のないたつ子を、かつての父の二号で、自分も関係した婦長の寺島トヨ(宮下順子)と共謀して殺害する。一方の愛人、藤島チセも東京と京都にある料亭を切りまわす女傑で、戸谷の最大の資金源だった。チセも夫(山谷初男)を疎ましがっており、戸谷はたつ子のときと同じ方法で殺害する。二度とも、医師として信用のある戸谷の書いた死亡診断書は何の疑いも持たれなかった。戸谷は秘密を知るトヨの存在が次第に邪魔になり、モーテルで絞殺、死体を林の中に投げ捨てた。戸谷はすべての情熱を隆子に注いだ。一方、トヨの死体発見の記事はいつまでも報道されなかった。ある日、警察が戸谷を
訪れた。たつ子とチセの夫の死因に不審な点があると言う。さらに、下見沢が戸谷の預金を下して行方をくらませたことが判明する。絶望した戸谷は殺人で逮捕される。井上警部(緒形拳)に追いつめられる戸谷。そして、殺したはずのトヨとチセが逮まった。トヨは息絶えておらず、逃げてチセと組んだのだ。無期懲役の戸谷に比べ、二人は殺人幇助ということで、刑期はずっと短かかった。数日後、隆子のファッション・ショーが開かれていた。それは下見沢のプロデュースによるものだった。そして、ナイフを隠しもった下見沢が隆子に襲いかかった。刑務所に送られる戸谷の足もとに風に舞う新聞が絡みついた。そこには「血ぬられたファッション・ショー・デザイナー重傷、中年男の悲恋」の見出がた―。
野村芳太郎監督の1980年6月公開作で、原作『
ボンボンで自堕落プレイボーイの二代目病院長が、金目当てに愛人にした女たちに逆に自身が翻弄され、安易に犯行を計画して半ば共犯的に殺人を犯し、最後には心底惚れ込んだ女に裏切られるという話でした。
内容的には2時間ドラマの方が似合うような中身なのですが、片岡孝夫の演技がこのショボいと言うか薄っぺらな主人公に微妙にマッチしていて、そこそこリアリティあるものとなっていたのが悪くなかったです(この人、今は人間国宝の「片岡仁左衛門」となっているが、今もって「片岡孝夫」のイメージがある)。
女優陣は、松坂慶子、梶芽衣子、宮下順子、藤真利子、神埼愛と なかなか布陣です(ポスターもそれをアピールしたものとなっている)。ただし、松坂慶子(当時28歳)は主演ということですが、高級ブティック経営者兼ファッションデザイナーという役柄にせいか
、パターナルな演技でやや印象が薄く(2年前の大岡昇平原作、野村芳太郎監督の「
片岡孝夫以外の男優陣は、藤田まこと、緒形拳、渡瀬恒彦、佐分利信など。藤田まことの経理士(税理士みたいなものか。原作では弁護士になっていた)は、とぼけた味があって良かったです。それだけに、最後の(原作には無い)槙村隆子に襲いかかるシーンは要らな
かったようにも思います(槙村隆子も男を利用するだけ利用して捨てる"悪女"であったことを強調し、"神の鉄槌"を下した?)。緒形拳の刑
事は、出演時間は短いけれど、時に余裕の笑みを浮かべ、時に激高しながらも戸谷を追い詰めていく演技はさすが圧巻(「
の弁護士、佐分利信の裁判官は、ほとんど一場面のみの登場で、友情出演みたいな感じですが、原作を読んだ後で改めて気づいたのですが、要するに、共に"頼りにならない"弁護士と裁判官という位置づけだったわけか。
「わるいやつら」●制作年:1980年●監督:野村芳太郎●製作:野村芳太郎/野村芳樹●脚本:井手雅人●撮影:川又昂●音楽:芥川也寸志●原作:松本清張●時間:129分●出演:片岡孝夫/松坂慶子/梶芽衣子/藤真利子/宮下順子/
神崎愛/藤田まこと/緒形拳/渡瀬恒彦/米倉斉加年/山谷初男/梅野泰靖/小林稔侍/稲葉義男/関川慎二/神山寛/滝田裕介/西田珠美/雪江由記/香山くにか/なつきれい/小沢栄太郎/佐分利信●公開:1980/06●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-06)(評価:★★★★)
十五代目 片岡仁左衛門(片岡孝夫)(2015年、人間国宝)


交通事故で娘を亡くした定年間際のビジネスマン・柴久生(榎木孝明)。家族ともバラバラになり、喪失感から自殺を図ろうとした彼の耳に聞こえた「生きろ」の声。それは切磋琢磨して一緒に仕事に励んだ友人・川島(宇梶剛士)の最期の声だったと、彼の"看取り士"だったという女性(つみきみほ)から聞かされる。看取り士という職業に興味を持った柴は彼女に訊ね、「医者から余命告知を受けた人が最期をできるだけ安らかに旅立つことが出来るよう手伝いすること」が看取り士の仕事だと知る。5年後、早期退職後セカンドライフの仕事として看取り士を選んだ柴の姿が、岡山県高梁市にあった。地元の唯一の診療所の清原医師(斉藤暁)と連携しながら、小さな看取りステーション「あかね雲」でボランティアスタッフたちと最期の時を迎える患者たちを支えている。そんなある日、新任の医者・早川奏太(高崎翔太)、23才の新人看取り士・高村みのり (村上穂乃佳)が着任してくる。みのりは、9歳の時に母を亡くしたという経験からこの職業を選ぶが、経験が浅く、緊張しながら最初の患者を柴と共に担当する。最初の患者は、「もう病院に戻りたくない」という希望を持つ83才の清水キヨ(大方緋紗
子)。息子 の洋一(仁科貴)は、嫁・千春(みかん)が義母の面倒を見ないということで、柴たちへ依頼をしてきた。日々弱っていくキヨに寄り添う洋一、そして柴とみのり。キヨの最期、柴は洋一を促し母の背中を支えさせるが、みのりは見守ることしかできなかった。みのりは、腎機能が低下して別の病院に転院しなければならないという東條勝治(石濱朗)を初めて一人で担当すること になる。息子は東京で仕事をしているので看護できないが、勝治は「家に帰りたい」と訴えていた。みのりは懸命にケアをし、心を通い合わせるが、ある日クスリの量を間違え、勝治は不眠でベッドから落ちる。自信喪失のみのりに、柴は「ただ黙って聞いて。そして優しく触れて気持ちを受け止めるんだよ」とアドバイスをする。勝治の最期、東京から駆けつけた 息子は「父さんの子供で良かったと思ってるよ」と父に語り掛ける。みのりが初めて看取り士として命のバトンを渡せた瞬間でもあった。乳がんの再発と肺への転移で清原病院に入院している山本良子(櫻井淳子)は、3人の子を持つ母親である。余命いくばく ない彼女の希望もやはり、自宅に帰ることだった。夫・幸平(藤重正孝)は、子3人の面倒を見ながら、妻・良子を献身的に看護していたが、子育てと看護の大変さから柴たちへ相談をしてきた。柴の指導の元、みのりが山本家の母親の最期と向き合う日々が始まる―。
白羽弥仁(しらは みつひと)監督による2019年9月13日公開作で、「おくりびと」('08年)のようなブームになってもおかしくない作品ですが、閉館前の有楽町スバル座(2019年10月20閉館)でのロード公開の後、不運にも間もなくコロナ禍となり、広がりをみせないままになってしまった作品です。最近は関係者の努力により、地域の看取り師などと連携して市区町村での上映会を繰り返しているようで、個人的にも区の施設での上映会で観ました。
柴田久美子・日本看取り士会会長の著書『私は、看取り士』(佼成出版社)がベースとなっており、かねてより柴田氏と親交のあった俳優の榎木孝明が(二人は十数年前に島根県の離島であり、柴田氏が「看取りの家」を開設した隠岐諸島・知夫里島で邂逅したそうだ)、柴田氏のガン告知を受け、彼女の27年間の看取り士としての集大成をしようと決意したことが映画製作のきっかけだとのこと(従って榎木孝明は企画段階から本作に参加してている)。
主演の1人、村上穂乃佳はオーディション選考1200人の中から選ばれたそうですが、良かったと思うし(その後、奥田裕介監督の「誰かの花」('21年)でも主役の介護ヘルパー役を務めることに。この作品もミニシアター系でしか上映されなかった)、つみきみほ、宇梶剛士などのちらっとしか出てこない俳優の演技もしっかりしていました。劇場で上映しないのかなあ。
「みとりし」●制作年:2019年●監督・脚本:白羽弥仁●製作:高瀬博行/柴田久美子(企画)/榎木孝明(企画)/嶋田豪(企画)●撮影:藍河兼一●音楽:妹尾武●原案:柴田久美子『私は、看取り士』●時間:110分●出演:榎木孝明/村上穂乃佳/高崎翔太/斉藤暁/つみきみほ/宇梶剛士/杉本有美/松永渚/大地泰仁/白石糸/大方斐紗子/仁科貴/みかん/堀田眞三/片桐夕子/石濱朗/西澤仁太/金山一彦/藤重政孝/櫻井淳子●公開:2019/09●配給:アイエス・フィールド●最初に観た場所:サンパール荒川(23-11-23)(評価:★★★★☆)

40歳の人気シナリオライターの原田(風間杜夫)は妻子と別れ、マンションに一人暮らししている。ある晩、若いケイ(名取裕子)という女性が飲みかけのシャンパンを手に部屋を訪ねてきた。「飲みきれないから」という同じマンションの住人である彼女を、原田は冷たく追い返す。数日後、原田は幼い頃に住んでいた浅草で、彼が12歳のときに交通事故死した父(片岡鶴太郎)と母(秋吉久美子)に出会う。二人はなぜかその時の年齢のまま、浅草に住んでいた。原田
は早くに死に別れた両親が懐かしく、少年の頃のように両親の元
へ通い出し、父の「ランニングになりな」、母の「言ってる先からこぼして」などという言葉に甘える。原田はまた、あるきっかけから再びケイこと藤野桂とも会うようになる。チーズ占いで木炭の灰をまぶしたヤギのチーズを選ぶと、「傲慢な性格」だと彼女に言われる。不思議な女性だと感じながらも、やがて彼女と愛し合うようになる。両親を失ってから一度も泣いたことはなく、強がって生きてきた原田だったが、浅草で父とキャッチボールをしたり、母の手作りアイスを食べたりして、徐々に素直さを取り戻して行く。しかし両親とケイとの二つの出会いと共に、原田はみるみる衰弱していく。ケイは、もう両親には会うなという。異人(幽霊)と近
づくと、それだけ自分の体は衰弱し、死に近づくのだ。原田はようやく両親と別れる決心をし、浅草にあるすき焼き屋で親子水いらず別れの宴を開いた。暖かい両親の愛情に接し、原田が涙ながらに別れを告げると、二人の姿は消えていった。しかし、原田の衰弱は止まらない。実は、ケイも異人だったのだ。男にふられ原田にもすげなくされたケイは、ずっと以前に自殺していたのだった。愛と憎しみに狂った異人は原田に迫ったが、友人・間宮(永島敏行)の機転で原田は助けられた。その後、体調の回復した原田は両親のもとに花と線香を手向け、静かな夏の日の不思議な体験を回想するのだった―。
大林監督が白羽の矢を立てた片岡鶴太郎(当時は太っていて、原作の山田太一に「あんな太った奴に父親役はやらせられない」と言われ減量した)、当初は名取裕子が演じた役をやる予定だったのを大林監督が変更させ
た秋吉久美子(母親役だがセクシーだった)―この二人の夫婦役がよく(二人とも「ブルーリボン賞」や「キネマ旬報賞」の助演賞を受賞している)、また、大林監督が日本の昭和30年代の懐かしい夏の風景を描きたいと言っていた、その試みも成功しているように思いました。
ただし、最後のケイこと藤野桂(名取裕子)が宙に浮き形相が変わるシーンでは、500万円を費やしてハ
イビジョンが使用されたとのことですが、原作に無いものを足して原作の雰囲気を壊してしまった印象も。「HOUSE ハウス」('77年/東宝)(この映画は海外にもマニアックなファンが多いらしい)の監督だからこうなるのかと思ったけれど、これは、松竹からの大林監督への元々の発注が、〈夏に観客をぞっとさせるゾンビ映画〉だったそうで、エンディングのCGはその名残りだったようです。
当時の雑誌「シティロード」(1988年9月号(表紙:「シュワルツェネッガー/レッドブル」))の評価(コレ、毎月読んでいた)は、満点は5つ星で、以下の通り評価は少し割れています。
・松田政男「本年度ベストワンに推すべきか、それともワーストワンなのか。ベッドシーンも濃厚な大林宣彦の大変身を目の当たりにして、迷いに迷っている最中だ。主人公の風間を誘い込む鶴太郎=久美子は善霊、裕子は悪霊という二分法に異和が残り、その異和こそが一篇の主題とも見えて〈異人たち〉の側に思い入れれば入れるほど跳ね返えされる構造になっているからだろう」(★★★★★)。
確かに、名取裕子はユーレイにしては肉感的過ぎでした(笑)。原作の良さに乗っかっている面があり、個人的評価は松田政男(1933-2020/87歳没)同様に迷いますが、ラストのCGはグロテスクでいただけないものの、片岡・秋吉の演技や夏の下町の風物の描かれ方など、それを補って余りある要素が多く、★★★★としました。
「異人たちとの夏」●英題:THE DISCARNATES●制作年:1986年●監督:大林宣彦●製作:杉崎重美●脚本:市川森一●撮影:阪本善尚●音楽:篠崎正嗣●原作:山田太一●時間:110分●出演:風間杜夫/片岡鶴太郎/秋吉久美子/名取
裕子/永島敏行/栩野幸知/草薙良一/ベンガル/笹野高史/本多猪四郎/(奇術師)北見マキ/(高座の落語家)桂米丸/柳家さん吉/(TVドラマのキャスト)竹内力/峰岸徹/入江若葉●公開:1988/09●配給:松竹●最初に観た場所:神保町シアター(24-04-17)(評価:★★★★)

