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病気と向き合い時間に追われながらも、読みやすく中身の濃い本に。天晴れ!

がん闘病日記.jpg 森長卓郎 2.jpgがん闘病日記2.jpg
がん闘病日記』['24年]森永卓郎(1957-2025/67歳没)

森長卓郎 r.jpg 今年[2025年]1月28日に67歳で亡くなった経済アナリスト・森永卓郎(1957年生まれ)の"がん闘病日記"。「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」と医師から告げられたのが2023年11月で、それが余命4カ月の通告だったとのこと。その時は、なんの自覚症状もなく、朝から晩までフル稼働で仕事をし、食事もモリモリ食べていたとのこと。しかし、突然の余命宣告で自身の死と向き合わざるを得なくなった著者は、そこからモーレツに本を書き、ラジオやYouTubeで様々な発信をしたことは多くの人の記憶に新しいのではないでしょうか。個人的には、著者のエコノミストとしての本にはやや疑問符が付くのですが、その人生最期の追い込みの凄まじさは、ある意味鮮やかというか、見事でもありました。

 本書は、2024年に入って書き始めたようで、同年7月刊ですから、闘病生活に入って亡くなるまでの時間的にはちょうど中間点ぐらいの時期に刊行されたことになります。「がん闘病日記」と謳っていて、第1章で突然のがん宣告を受けた際のことが書かれ(マスメディアへの公表は2023年12月27日)、以降、治療法の選択やがんとお金のこと、死生観などが書かれているものの、日記というスタイルはとっていません。

 第2章では、著者のもとに殺到した「がんの治し方」を紹介。精神論(お守りを有難かったとしている)、飲食物(①水、②ビタミン、③キノコ、④種子系、⑤穀物や野菜、⑥海藻、⑦乳酸菌などの菌系、⑧キチン・キトサン)、体を温める、イベルメクチン、名医がいるクリニック―と様々。でも、著者を広告塔として利用しょうとしているものもあれば、がん治療ビジネスもあって、本当の効果はわからないとしています。

 第3章は経済アナリストらしく「がん治療とお金」です。ここでは、標準治療と自由治療、高額療養費制度のことを解説し、著者自身は、オプジーボを使った保険診療に加え、少なくとも半年は延命したかったため、自由診療(「血液免疫療法」)をも選択しています。その上で、延命しなければならないことが想定される場合は、お金をある程度貯めておくか、がん保険の加入を検討しておくことが必要だろうと(著者自身はがん保険に入ったことがないと公言していたが、会社が本人の知らないところで保険を掛けていたとのこと)。そのほか、投資資産の有意義な使い方や、障害年金の解説などがされています、

 第4章「私の選択」では、「血液免疫療法」とはどのようなものであり、自分はなぜそれを選んだかが書かれています。原発がわからない状況で、抗がん剤を散発銃のように打つ治療に疑問を抱いたようです。

森永 卓郎 主計課.jpg 第5章「いまやる、すぐやる、好きなようにやる」では、自分のやってきた仕事の歩みを振り返っていて、著者の半生とそのバックグラウンドを知ることができますが、その中で、好きなことをすぐやるというポリシーを貫いてきたことが窺えます。

専売公社主計課予算第二係時代

 第6章「素敵な仕事、自由な人生」では、自分が何になりたかったかを述べています。著者は、歌人になりたい、歌手になりたい。童話作家になりたいなどと思ったとのことで、著者の手による創作童話が挿入されています。

 著者の最期の1年間の本のタイトルを見ると、ジャニーズ、財務省、日航機、投資(NISA)の真相など、自分が言い残したと思うことがないように、ひたすら精力的に書き残していたという印象です。ただし、本書を読む限り、自身の病気と向き合い、時間に追われながらも、誰にでも読みやすく、またいっぱい詰め込んで中身の濃い本になっており、その点は天晴れと言いたいと思います。

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残された短い時間でやるべきことをこなしていく逞しさはスゴイ。覚悟の問題か。

IMG_8164.JPG山本文緒 無人島のふたり 2.jpg 山本文緒 無人島のふたり1.jpg
無人島のふたり:120日以上生きなくちゃ日記 (新潮文庫 や 66-3)』['24年] 『無人島のふた 120日以上生きなくちゃ日記』['22年]

山本文緒 無人島のふたり 3.jpg 2021年に膵臓がんで58歳で亡くなった山本文緒(1962-2021)の闘病日記。ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった―。

 2001年4月に膵臓がんと診断され、この時既にステージ4bで治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手は無かったとのこと。余命は4か月。著者は、抗がん剤治療で地獄のような体験をし、医師やカウンセラー、夫と話し合い、緩和ケアへの進むことにしたとのことです。

 日記は2021年5月から始まり、第1章が5月24日~6月21日、第2章が6月28日~8月26日、第3章が9月2日~9月21日、第4章が9月27日~となっています。第4章は10月4日が最後で(その前が9月29日とやや間隔が空いている)、著者は2021年10月13日に亡くなっているので、亡くなる9日前まで書き続けたことになります(最後は「明日また書けましたら、明日」という言葉で終わっている)。

 4月に余命120日と宣告されて、余命120日と言えば4カ月ですが、5月、6月、7月、8月、9月と日記を書き続け、目標の120日以上は生きたことになりますが、それでも、がん闘病日記としては残されていた月日はかなり短い部類であると思われます。

 その間、死への恐怖や気持ちの揺らぎはありますが、残された短い時間でやるべきことをこなしていく逞しさはスゴイと思いました。抗がん剤治療を拒否しれいること自体もそうですが、相当な覚悟を決めないとこうはいかないのではないでしょうか。こんな時、女性の方が男性より強いのかなとも思いました。男性の方が、やり残したことを悔やんで絶望に浸り、やけくそ気味のまま亡くなってしまうことが多いかも。

 7歳年上の唯川恵氏や4歳年下の角田光代氏など作家仲間の励ましも大きかっただろうと思いますが、やはり旦那さんの支えがいちばん大きかったのではないでしょうか。この旦那さん、日記にはさほど登場しませんが、タイトルがそのことを物語っているように思いました(タイトルは2021年8月12日時点での担当者打ち合わせで決まっていたとのこと。つまり、生前から決まっていたということだ)。

【2024年文庫化[新潮文庫]】

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闘病記であると同時に、キャンサーサバイバーの心と生き方の処方箋。

岸本 葉子 『がんから始まる』2.jpg 岸本 葉子.jpg
がんから始まる』['00年]『がんから始まる (文春文庫 き 18-7)』['06年] 岸本 葉子 氏

 エッセイストである著者は、40歳で虫垂がんと診断されます(しかもS状結腸に浸潤)。まず、その際の手術に至るまでの経緯が、本人の心境とともに詳細に描かれています。そして手術後、約2年が経ちますが、再発の不安はいつも頭から離れず、そうした明日をも知れぬ生活を余儀なくされたとき、人はどのように生き、何を考えるのか、そうした思惟がエッセイ風に綴られています。

 がんで亡くなってしまった人の闘病記などはそこそこ見かけますが、本書は第一部が闘病記であると同時に、第二部がキャンサーサバイバーの記録でもあります。手術後に治癒率30%と言われ、これは直後に50%と修正されますが、それでも再発率50パーセントになるわけです。そうした再発の不安に苛まれる中、心の危機からどのように脱するきっかけを掴んだかを、持ち前のユーモアを失わず、わかりやすい言葉で書いています。

 告知を受ける前は、パジャマ選びと病院探しの比重が同じだったのが可笑しいです。内視鏡検査で腸を空っぽにするために下剤を飲むたいへんさはよく伝わってきました(自分も大腸がん検査のために初めて下剤を飲んだ時は辛かったが、実際に大腸がんと診断されてから、検査、手術、定期検査と何度も飲むうちに慣れてしまった)。このあたりもユーモラスに描いています。

 術後に関しても、サポートグループに入会したことや、漢方、食事療法、行動療法などを実践したことなどの具体的な事柄が、心の軌跡と併せて書かれていて、食事療法に始まる日々の堅実な営みや、サポートグループへの参加は、心に開放感をもたらしたとのこと、自分が同じような状況に置かれたとき役立ちそうな内容でもあります(キャンサーサバイバーの心と生き方の処方箋と言っていい)。

 「がんから始まる」というタイトルにも、術後また再発するかもしれないがんと向き合う姿勢が感じられます。2003年に単行本刊行されていますが、2006年刊行の文庫版では、第三部として「四年を生きて」が付されており、がんが再発するかもしれないという状況をより客観的に、落ち着いた感じで受け止めているように思われました。この後も著者は2005年に『四十でがんになってから』、2006年に『がんから5年』を上梓しています。

 一方、2013年頃から俳句に関する著作が多くなり、今年['25年]に入っても俳句の入門書を出しています。勿論著者自身も句を読むわけですが、やはりその間ずっとがんの再発可能性と共に生きているということは、著者の俳句の作風にやはり何らかの影響があるのではないかと思います(著者の俳句関連本も読んでみようか)。

岸本 葉子 2.jpg
・岸本 葉子 『四十でがんになってから』(2006/01 講談社/2008/01 文春文庫)
・岸本 葉子 『がんから5年』(2007/09 文藝春秋/2010/11 文春文庫)
岸本 葉子 3.jpg
・岸本 葉子 『俳句、はじめました 吟行修業の巻』(2013/12 角川学芸出版)
・岸本 葉子 『俳句で夜遊び、はじめました』(2017/11 朔出版)
・岸本 葉子 『俳句、やめられません: 季節の言葉と暮らす幸せ』(2018/01 小学館)
・岸本 葉子 『NHK俳句 岸本葉子の「俳句の学び方」: NHK俳句』(2019/04 NHK出版)
・岸本 葉子 『毎日の暮らしが深くなる季語と俳句』(2024/02 笠間書院)
・岸本 葉子 『ゼロから俳句 いきなり句会: 毎日と人間関係がラクになる、「初めての人」の俳句入門』(2025/04 笠間書院)

【2006年文庫化[文春文庫]】


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がん闘病記録でありながら、人生論、科学論、自然論と多岐にわたる内容。教えられる。

がんと闘った科学者の記録1.jpgがんと闘った科学者の記録 (文春文庫.jpg がんと闘った科学者の記録t.jpg がんと闘った科学者の記録 著者.jpg
がんと闘った科学者の記録 (文春文庫 と 25-1)』['11年]『がんと闘った科学者の記録』['09年]戸塚洋二(1942-2008/66歳没)

 本書は、東京大学特別栄誉教授で、ニュートリノ観測によりノーベル賞受賞が確実視されていた物理学者・戸塚洋二(1942-2008//66歳没)が、大腸がんで余命僅かであると宣告されて、その死までの1年間を科学者ならではの冷徹な視線で最期の日々を綴ったもので、「文藝春秋」2008年9月号に「あと三カ月。死への準備日記」という形で発表された、それまで著者が密かに匿名でネットのブログに書き綴っていたがんとの闘病記録が基になっています。

立花 隆 2.jpg 編者の立花隆(1940-2021/80歳没)も述べていますが、この記録、ただの闘病記ではなく、闘病記としてもすごいですが、それ以上にそれ以外の部分で、全体が心の赴くままに書き連ねた随想録になっていて、その分野は、人生論、科学論、自然論、医学論、教育論、社会論、宗教論、時代論と多岐にわたるものになっています(「高齢者非正規社員」といった問題や映画「ボーン・アルティメイタイム」の感想まで出てくる)。

2008年7月11日「朝日新聞」朝刊
戸塚洋二さん追悼記事.jpg もちろん闘病記そのものの部分も、治療経過を克明に分析し、自分のがんのCT写真をデジタル化してその大きさを計測し、がん細胞の成長曲線を描いて予後を推定したり、そこに抗がん剤の服用期間を書き入れてその効果を測るなど、ほとんど著者自身が医者かと思われるくらい徹底しています(サイエンティフィックなマインドを持つ患者の体験談をデータベース化すべしといった医療に向けての提言もある)。

 人生論に関しては、仏教学者(インド仏教史)で真宗の僧侶でもある佐々木閑(ささき しずか、1956年生まれ)氏の著作への傾倒が見られ、そこから宗教・哲学だけでなく、宇宙論などの科学論や自然論に発展していきますが、一方で、自分の庭に咲く花々を何枚も写真に撮って、それを素材に遺伝論などの自然論を語っいるのも興味深いです(著者が撮った写真が文庫版の表紙を飾っている)。

 ブログをはじめて6カ月、大腸がんは肺に転移し、遂に骨にまで侵食します。著者は、限られた人生の中で何を糧に生きればよいか模索しますが、そその一方で、佐々木閑氏の著作(『犀の角たち』など)を読み続け、脳科学は科学の突破口となるか、古代仏教の本質は何か、ついには人類の存続可能性など様々なことを考えます。しかも、そうしたことを考えながらも、病気の進行玲冷静に観察し、記録に残すとともの、庭の花々の観察も続けているというのが興味深いです。

 結局これらは2008年の7月2日まで続き、7月10日に亡くなっています。書き始めたのが2007年の8月14日であるため、約1年ということになりますが、その内容の濃さにはある意味"充実"が感じられます。

 カテゴリーは、最初の3カ月は「人生」「大腸がん治癒経過」「(仕事場のある)奥飛騨」が主で、次の3カ月から「我が家の庭に咲く花」が加わり、我が家の庭に咲く花々は最終的には19回にわってって取り上げられ、最後の3カ月では大腸がんの報告よりも登場頻度がずっと上回っているのも興味深いです。自らのがんと対峙しながらも、それだけに埋没しないでいる姿勢に、何か教えられるものを感じました。

 個人的には、書評・映画評のブロガーで、途中から中下咽頭癌に冒されながらも、入院58日間の入院記録と併せ1万回近いエントリーを重ねた「新稀少堂日記」さんのブログを想起したりもしました。最期の時間の過ごし方として、共に参考になるように思います。自分がそうなれるかどうかはその時になってみないと分かりませんが、「ブログを書く」という行為を選択肢として想定しておく分にはいいのではないでしょうか。

【2011年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
●ブログ「新稀少堂日記」

新稀少堂日記.jpg

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余命十ヶ月を告げられた看取り専門医の遺言。看取りの最終局面では宗教的ケアが重要だと。

看取り先生の遺言0.jpg看取り先生の遺言 t.jpg 看取り先生の遺言2.jpg 奥野 修司.jpg
看取り先生の遺言 がんで安らかな最期を迎えるために』['13年]『看取り先生の遺言 2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」』['16年] 奥野修司氏(ノンフィクション作家) 

 二千人以上を看取った肺がん専門医は、自分の死に際して何を思うのか。肺がん専門医が在宅医療の第一人者となる経緯には何があったのか―。ノンフィクション作家である著者が、宮城在住の岡部健(1950~2012/62歳没)医師のもとに通い詰めて取材した力作であり、本人の手記、著者による本人へのインタビュー、著者の日記などから成り立ちます。

 第一章は、医師自身が胃がんになり、余命十ヶ月を告げられた事実から始まり(本書がいわば岡部医師の遺言であることが告げられている)、前半では(全編にわたってとも言えるが)、岡部医師自身が痛感している現在の医療の問題点、制度への疑問なども語られ、検診の意味と無意味、特に抗がん剤という"毒"の扱いについて力説されています。

 問題の多い医療現場での経験から、岡部医師は「治せないがん患者の専門医になろう」と決意し、県立がんセンターの医長を辞め、自宅で死を迎える人のための「在宅医」に身を転じ、借家から始まった岡部医院の在宅緩和ケア活動をどんどん拡大していきます。

 そうした中、「在宅での死の看取りから生まれるタナトロジー(死生学)」という岡部医師の医療哲学が形成されていきます。それは、要するに、人はがんであっても手術や抗がん剤や点滴のせいではなく、がんそのものの進行によって「自然死」することができるというものであり、そのためのケアを最大限に試みていたのが岡部医院であるとのことです。

 人が安らかに自然死するために、また。トータルペインの制御のためには、「お迎え現象」が非常に重要な鍵になるのではないか―岡部医師は大勢の末期患者を見送るうちに、いわゆる「お迎え」が来ると穏やかに亡くなる人が多いことに気づき、後半はこの「お迎え現象」が大きなテーマとなっています。

 このような現象は、医学的には「譫妄(せんもう)」などと処理され、これまでまともに扱われることは滅多になかったのを、岡部医師は、これを死に近づく過程で起こる自然な生理現象と捉え、そこにこそ死という暗闇に進むための道標があるのではないかと考えます。

 なぜなら死そのものは見えなくとも、親しい人が「お迎え」に来て手引きし、案内してくれるのだからどんな闇でも心強いではないかと。そしてその非合理な手引きができるのは、宗教者しかいないとの確信を抱くようになり、それが、現在東北大学で講座が続けられている「臨床宗教師」の発端になります。

 本書では、在宅で平穏に最期を過ごすと、「お迎え現象」を体験する患者が多いとして、看取りの最終局面では、宗教的ケアも重要であるとしてます。2021年9月、自身の死に際して岡部医師は若い僧侶に看取らせています。

 自身の死期が近いことを悟りながらも、自分の身体に起きていることを冷静な医師の目で展望し、また、「お迎え」現象がもたらす効果とそれが在宅死の場合ほど起きやすいという、ある種"研究課題"とでも言えるものを最期まで飽くなく探究している姿勢はすごいなあと思いました。個人的には、以前読んだニュートリノ物理学者の戸塚洋二(1942-2008//66歳没)の 『がんと闘った科学者の記録』('09年/文藝春秋、立花隆:編)を想起させられました(ということで、次のエントリで取り上げたい)。

【2011年文庫化[文春文庫(『看取り先生の遺言―2000人以上を看取った、がん専門医の「往生伝」』)]】

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人間の最期の過ごし方について考えさせられた。

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エンド・オブ・ライフ』['20年] 佐々涼子(1968-2024/56歳没)

エンド・オブ。ライフ.jpg ベストセラーとなり後にドラマ化もされた『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』('12年/集英社)の著者・佐々涼子(1968-2024/56歳没)が、『紙つなげ!―彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』('14年/早川書房)に続いて世に放ったノンフィクションで、2020年第3回・「Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」受賞作。

 2013年にから2020年まで、京都にある「渡辺西賀茂診療所」という患者に寄り添う在宅医療をしている診療所を取材して書いた本であり、7年間見てきた終末医療の現場を綴りつつ、著者自身がこだわり続けてきた「理想の死の迎え方」に向き合ったものとなっています。

 特に、冒頭に出てくる、2013年、末期がんに冒された女性の、家族と潮干狩りに行くという約束を果たしたいという最後の願いを叶えるために、訪問看護スタッフらが奮闘する様は感動的です。スタッフは難しい判断を迫られますがそれをやり遂げ、女性はその夜、帰宅した直後に亡くなります。座して死を待つよりも、最後に家族との思い出を作りたいという患者の意向に応えた、究極のQOLストーリーと言えます。

 ただし、これにはいろいろな意見もあるかと思います。無理して京都から遠路知多半島まで潮干狩りに行ったこと結局は女性の寿命を縮めることになったのではないかとか(実際、帰宅途中で呼吸状態が悪化し、酸素飽和度は40%を切ることもあった)、また、そしも行く途中で亡くなっていたら周囲も後悔しか残らなかったのではないかとか。この辺りは、読む人によって評価の分岐点になるかもしれません。

 もう一つ、こちらはストレートに感動的なのですが、この2013年の"潮干狩り"を中心メンバーとしてサポートした訪問看護師の森山文則氏が、その6年後に自身ががんによる余命宣告を受け、自身の死と向き合っていく様が描かれていることです。

 200人以上を看取ってきた彼の最期の日々の過ごし方は、抗がん剤治療をやめ、医療や介護の介入もほとんど受けることなく、「自分の好きなように過ごし、自分の好きな人と、身体の調子を見ながら、『よし、いくぞ』といって、好きなものを食べて、好きな場所に出かける、病院では絶対にできない生活でした」っと本人が語っています。人間の最期の過ごし方について考えさせられます。

 訪問看護師として看取りを仕事にしてきた人が、今度は看取られる立場になるというのは皮肉なことのように思えますが、考えてみれば十分あり得ることであるけです。そして、今度は、その森山を取材した著者自身が、悪 性脳腫瘍という言わば脳のがんに冒され、手に施しようがなく自らの死を受け入れざるを得なくなります。

佐々涼子2.jpg 本書を最初に読んだとき著者は存命でした。執筆活動を続け、様々な人と対談したり、マスコミの取材を受けたりしていたので、意外と持つのかなあと思ったのですが...。昨年['24年]9月に訃報を聞いた時は残念に思いましたが、『夜明けを待つ』('23年集英社インターナショナル)に、「私たちは、その瞬間を生き、輝き、全力で愉しむのだ。そして満足をして帰っていく。なんと素敵な生き方だろう。私もこうだったらいい。だから、今日は私も次の約束をせず、こう言って別れることにしよう。『ああ、楽しかった』と」とあり、そう言えるだけでも強い人だったのだなあと思いました。

NHK首都圏NEWS WEB 「ノンフィクション作家 佐々涼子さん死去 56歳」2024年09月02日

【2024年文庫化[集英社文庫]】

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「光免疫療法」という「第5の療法」ががん治療に革命をもたらす!

光免疫療法.jpg
光免疫療法 光文社新書.jpg   がんの消滅.jpg
がんを瞬時に破壊する光免疫療法 身体にやさしい新治療が医療を変える (光文社新書)』['21年]『がんの消滅:天才医師が挑む光免疫療法 (新潮新書) 』['23年]
がん「だけ」死滅、光免疫療法 開発の道程と治療のいま」(朝日新聞)
光免疫療法図1.jpg 「光免疫療法」という人体に無害な近赤外線を照射してがん細胞を消滅させる、がんの新しい治療法が注目を集めています。2020年9月には、光免疫療法で使われる新薬「アキャルックス点滴静注」が世界に先駆けて日本で正式に薬事承認され、事業が本格化しています。本書は、この療法の開発者である、アメリカ国立衛生研究所(NIH)の主任研究員である日本人開発者が、光免疫療法とはどのような治療法なのか。身体への負担や副作用はあるのか。転移・再発の可能性はあるのかなどを述べたものです。

 第1章で光免疫療法とは何かを解説していますが、抗体にIR700という薬剤を搭載して、静脈注射で体内に注入、ガン細胞まで送り届け、そこで近赤外光(テレビのリモコンで使っているのと同じ見えない光)を当てると、IR700が反応して水溶性から不溶性になり、取りついているがん細胞の抗原を物理的に引っこ抜き、がん細胞を傷つけるが、さらにその穴から水分ががん細胞内に浸透し、すると内圧が高まって今度はがん細胞が破裂、がん細胞内部のこれまでは免疫を免れていた抗原が免疫系に認識されるようになり、治療箇所以外のがん細胞も免疫療法的に追跡してやっつけるというもの。

 獲得免疫であるから効果は永続し、がん再発や転移を防止する効果も期待されるそうです。しかも使われている薬が安く、何よりも究極のピンポイント療法であり、この方法であれば、放射線治療のように周囲の細胞をも破壊する恐れもないとのこと。米鵜国元大統領のバラク・オバマが一般教書演説で「米国の偉大な研究成果」と世界に誇ったことでも知られるます(開発者は日本人だが、所属が米国国立衛生研究所などでこうした紹介のされ方をする)。

 『コンビニ外国人』('18年/新潮新書)などの著書もあるノンフィクションライターの芹澤健介氏の『がんの消滅:天才医師が挑む光免疫療法』('23年/新潮新書)も、この辺りのメカニズムをわかりやすく解説していてて良かったです。「3割」の人にしか効かないと言われる「がん免疫療法」に対して理論上、「9割のがんに効く」とされるそうで、これが既存のがん療法(手術、放射線、化学、免疫療法)に対して「第5の療法」と言われ、がん治療に革命をもたらすとされる所以です。

 当該療法の誕生秘話や小林久隆氏の経歴、人となりについては、芹澤氏の新潮新書版の方が詳しく書かれていたかもしれません。その天才を強調し、「ノーベル賞級」と称えすぎているきらいはありますが、実際そうなのでしょう。本庶佑氏の「がん免疫療法」との違いも分かりやすく書かれています。というか、まったくアプローチの異なる療法なのですが、どうしてこうした紛らわしいネーミングになったのだろう。

光免疫療法の仕組み(先進医療.net)
光免疫療法の仕組み図1.jpg

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「●分子生物学・細胞生物学・免疫学」の インデックッスへ 「●岩波新書」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の本(本庶 佑)

PD-1をPD-1抗体で壊す「がん免疫療法」を解説。生命科学論(幸福論)にも言及。

がん免疫療法とは何か .jpg 幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書).jpg幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書)』 ['21年]
がん免疫療法とは何か (岩波新書)』['19年]

 PD-1抗体による免疫療法は,がん治療の考え方を根本から変えた。偶然の発見を画期的治療法の開発へと導いた著者の研究の歩みを辿りながら、生命現象の不思議、未知の世界に挑むサイエンスの醍醐味、そして「いのち」の思想から日本の医療の未来まで幅広く論じる―(版元口上)。

 2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した著者による2019年4月刊の本書は、著者が以前に執筆した『いのちとは何か―幸福・ゲノム・病』('09年/岩波書店)と、『PD-1抗体でがんは治る-新薬ニボルマブの誕生』('16年/岩波書店、電子書籍のみの刊行)をベースとしており、全5章から成る内、『いのちとは何か』の一部を第3章「いのちとは何か」として収録、『PD-1抗体でがんは治る』の全編を、第2章「PD―1抗体でがんは治る」に収録し、全編を加筆修正したとのことです(第1章、第4章、第5章は書き下ろし)。岩波新書は、ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の本を受賞後早くに出す傾向にあり、本書もその流れと言えるでしょう。

 第1章で、そもそも免疫とは何かを解説し、本書のキモは、続く第2章でのPD―1抗体によるがん治療=がん免疫療法の解説と、第3章の著者自身の生命科学論(幸福論)になるかと思います。この構成は、個人的には先に読んだ『幸福感に関する生物学的随想』('20年/祥伝社新書)と順番は異なるものの内容的には似ており、第2章のがん免疫療法の解説は、祥伝社新書の方がより平易に書かれているので、読む順番として逆になってちょうど良かったかも。

がん免疫療法「第4の道」手術・投薬・放射線に続き
[日本経済新聞社2018年10月2日]
がん免疫療法とは何か 4.jpgがん免疫療法とは何か ぅ.jpg その第2章ですが、がん免疫療法は大きく2つの種類に分かれ、1つは、がん細胞を攻撃し、免疫応答を亢進する免疫細胞を活かした治療で、アクセルを踏むような治療法と言え、もう1つは、免疫応答を抑える分子の働きを妨げることによる治療で、いわばブレーキを外すような治療法であり、PD-1抗体よる免疫療法は後者で、がん細胞を攻撃するキラー・リンパ球(T細胞)の活動を抑え込むブレーキ=PD-1(著者らが1992年に発見した。免疫過剰を防ぐ機能がある。ただし、その心証を得たのは1996年)をPD-1抗体で壊すことで、キラー・リンパ球のがん細胞に対する本来の攻撃を活性化させるというものであるとのことです(24p)。免疫のアクセルを踏むことばかりに集中するのではなく、がん細胞の免疫へのブレーキを外してやるという発想の転換がまさに〈発見〉的成果に繋がったと言え、これにより、今までうまくいかなかった治療が目覚ましく進展したと。そうした成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、また、PD-1は偶然の発見だったという「幸運」もあったのことです(因みに、免疫薬(オプジーボ)が承認取得し、初めて発売されたのは2014年。本書ではその名は出てこない)。

 第3章は、著者自身の生命科学論(幸福論)になっていて、本書のタイトルからこうした内容は予測していなかった読者もいるかもしれませんが、個人的には『幸福感に関する生物学的随想』を先に読んでいたので、ああ、やっぱり(笑)と思いました。著者は、欲望の充足だけでは真の幸福感は得られず、不安を除去することが幸福感を得るためには必要で、人類が不安を除去するためにした最大の発明が宗教であるとしています。つまり、幸福感には「欲望充足型」の幸福感と「不安除去型」の幸福感があることから、幸福感が永続的に得られる道は、おそらく安らぎと、時折の快感刺激の混在であるとしています(85p)。

 この章では、章題の通り、生命論も述べており、生・老・病・死とはなぜあるのか、がんとは何か(細胞と個体の関係とは)、心とは何か、といったことを深く論じ、生命科学の未来を展望しています。著者が最も強調したかった生命の思想は、「生命は遺伝子を基礎とした独自の枠組みの中で、限られた遺伝子を用いながら驚くべき多様性を発揮できるということ、またその遺伝子そのものがダイナミックに変化し、環境との相互作用のなかで今日の生物種が生み出されてきたという進化の原理である」とのこと、「メンデルの法則とダーウィンの法則を遺伝子レベルでしっかり理解することが「生命の思想」の理解への一番の近道である」(158p)とも。

 第4章では、STAP細胞事件とそれを巡る報道を取り上げ、日本の科学マスメディアの閉鎖的な性格や国際性の欠如、・科学的な判断の欠如を批判し、優良な科学ジャーナリストの育成の必要性を説いているのが印象に残りました(180p)。全体としてはやはり、『幸福感に関する生物学的随想』よりはちょっと難しかったでしょうか。でも、(順序が逆だが)おさらいになりました。

《読書MEMO》
目次
はじめに
第1章 免疫の不思議
 生命システムの一般則/多細胞生物体の特徴/免疫のしくみ/獲得免疫の原理/特異性と制御/免疫の全体統御
第2章 PD―1抗体でがんは治る
 1 革新的がん免疫療法の誕生
 2 免疫学の発展とがん免疫療法のたどった道
 3 PD―1抗体治療の研究・開発の歴史
 4 PD―1抗体治療の今後の課題
 5 基礎研究の重要性――アカデミアと企業の関係を考える
第3章 いのちとは何か
 1 幸福感の生物学
 2 ゲノム帝国主義
 3 有限のゲノムの壁を超えるしくみⅠ――流動性
 4 有限のゲノムの壁を超えるしくみⅡ――時空間の階層性
 5 ゲノムに刻まれる免疫系の〈記憶〉
 6 内なる無限――増え続ける生物種
 7 生・老・病・死
 8 がん,細胞と個体の悩ましき相克
 9 心の理解への長い道
 10 生命科学の未来
第4章 社会のなかの生命医科学研究
 1 現代の生命科学の置かれた位置/生命科学と医療のあいだ/医療・生命科学の社会実装/医学研究への投資/生命医科学研究における競争/国民の生命医科学への理解を深める
第5章 日本の医療の未来を考える
 世紀医療フォーラム/国民皆保険制度の維持に向けて/医療をめぐる環境変化と課題/医師不足は本当か/終末期医療と死生観/治療から予防へ
参考文献
ノーベル生理学医学賞受賞晩餐会スピーチ
おわりに
世紀医療フォーラムについて(阪田英也)

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医学者によって書かれた初の医学的生死論。オーソドックス且つユニーク(?)。「ピンピン ごろり」と死ぬこと。
死ぬということ 黒木.jpg死ぬということ-医学的に、実務的に、文学的に .jpg  黒木 登志夫.jpg 黒木登志夫・東京大学名誉教授(略歴下記)
死ぬということ-医学的に、実務的に、文学的に (中公新書 2819)』['24年]

 本書は、哲学、宗教の立場からの本が占めている生死というテーマに医学者(臨床医ではない)が挑んだ、医学者によって書かれた初めての医学的生死論であるとのこと(医者によって書かれた生死論という意味では他にもあると思うが)。内容は分かりやすく、短歌、文学、映画とユーモアを交える一方、健康法など実用的な情報にも触れています。

 第1章「人はみな、老いて死んでいく」では、生まれるのは偶然、死ぬのは必然であることを説いています。生まれる確率は、23の染色体の組み合わせから、70兆分の1と計算しています。また、人はみな老いて死んでいくが、どんな病気で死ぬのか、もし老化しなかったらどうなるか、老化のメカニズムとはどのようなものかを解説しています。

 第2章「世界最長寿国、日本」では、長寿国の日本ではあるが、同時に日本人は低出生率による"絶滅危惧種"であり、対策として婚外子を認めるべきだと。また、江戸時代の寿命統計から、女性の厄年には意味があるとしています。

 第3章 「ピンピンと長生きする」では、毎年1回は健康診断を受けよと。さらに、タバコはやめ、酒は飲み過ぎないこと、メタボに注意すること、運動をすることを医学的見地から推奨しています。

 第4章「半数以上の人が罹るがん」では、がんの症例を紹介し、がんのリスクを説明する一方、告知の義務化でがんの受け止め方が大きく変わったとし、がんについての最小限の知識をまとめています。さらに、がんの診断と治療、高齢者のがん治療について述べています。

 第5章「突然死が恐ろしい循環器疾患」では、その症例を紹介し、循環器病(不整脈・虚血性心疾患・脳卒中)の基礎知識を解説、循環器疾患は突然死が多く、環器疾患のリスク要因として(1)高血圧と(2)高脂血症(動脈硬化)があるとしています。

 第6章「合併症が怖い糖尿病」では、その症例を紹介し、実は世界の人口の10%が糖尿病なのだと。糖尿病が本当に恐ろしいのは合併症なのだとしています。

 第7章「受け入れざるを得ない認知症」では、認知症の症例を紹介し、認知症は神経細胞の変性による病気であるとして、アルツハイマー病など代表的な5つの認知症を示し、症状を解説しています。そして、われわれは認知症を受け入れざるを得ないのだと(和田秀樹『ぼけの壁』に対して"優しい"と肯定的、『80歳の壁』に対してて"優しすぎる"と否定的)。

 第8章「老衰死、自然な死」では、老衰死は増えているが、なぜ老衰死が増えたのか(介護保険が背景にあると)、なぜ老衰死は世界で全く認められていないのか(WHOなども診断基準がないとして認めていない)を考察しています。

 第9章「在宅死、孤独死、安楽死」では、様々な死に方について述べています。「在宅死」に関しては、死に場所として病院・自宅・老人ホームのうち、最近は病院死が減って、自宅・老人ホームでの死が増えているようです(ただし、在宅看取りには覚悟が必要と)。また、高齢者施設(サ高住やグループホームを含む)の種類を解説しています。

 「孤独死」については、始末が大変なことがあると(上野千鶴子『在宅ひとり死のススメ』は困った本だと。

 「安楽死」については、「延命治療拒否(消極的安楽死)」は死に直接介入しないため「安楽死」の概念から外し、「自殺幇助」も「安楽死」から外し、「安楽死」(積極的安楽死)を「延命治療拒否」と「自殺幇助」の中間にあるものと位置づけ、さらにそれを「間接的臨死介助」と「直接的介助」に分けています。オランダの死因の4.2%は安楽死だそうです。

 第10章「最期の日々」では、終末期を迎えたとき人はどうなるのか、延命治療はどこまですべきか(胃ろうをやてちるのは日本だけらしい)、痛みや苦しみはどう抑えるのか、延命治療について自分の意思(リビング・ウィル)を明確に示すことの重要性などを説いています。

 第11章「遺された人、残された物」では、遺された人の悲しみや死の不条理性に触れ、グリーフから立ち直るための方法を説いています。死んでも人は心のなかで生き続けるとのこと、ということは、私が死ぬと、私の中で生きてきた人も死ぬと。また、遺品(デジタル遺産)の問題にも触れています。

 第12章「理想的な死に方」では、死の考えは大きく変わったこと(死が日常化した)、ムリして生きることに意義を求めないこと(健康に長生きし、人に迷惑をかけず一生を終えるのが理想)、理想的な死に方とは「ピンピン」と生きて「コロリ」とは死なず「ごろり」と死ぬことで、そのために病気をよく理解すること、リビング・ウィルを決めておくことなどを挙げています。

 終章「人はなぜ死ぬのか―寿命死と病死」で、なぜ寿命が尽きて死ぬのか、なぜ病気で死ぬのかを解説しています。

 新書ながら12章にわたり、かなり幅広いテーマを網羅して、それぞれの密度も濃いと思いました。一方で、敢えて宗教や哲学には触れず、「死後の世界」も「死の瞬間」もテーマから外しています。数多くの短歌、文学、映画を交えて読みやすく、医学的に見れば内容はオーソドックスですが、生死論としてはユニークであり(全体としては「オーソドックス且つユニーク(?)」ということになるか)、「医学者によって書かれた初めての医学的生死論」を標榜するのも納得できる気がしました。時々読み返したい本。お薦めです。

黒木登志夫・東京大学名誉教授
1936年生まれの「末期高齢者」(88歳)、東京生まれ、開成高校卒。1960年東北大学医学部卒業。3カ国(日米仏)の5つの研究所でがんの基礎研究をおこなう(東北大学、東京大学、ウィスコンシン大学、WHO国際がん研究機関、昭和大学)。しかし、患者さんを治したことのない「経験なき医師団」。日本癌学会会長、岐阜大学学長を経て、現在日本学術振興会学術システム研究センター顧問。著書に『健康・老化・寿命』、『知的文章とプレゼンテーション』『研究不正』『新型コロナの科学』『変異ウィルスとの闘い』(いずれも中公新書)など。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第1章 人はみな、老いて死んでいく
1 生まれるのは偶然、死ぬのは必然
2 人はみな老いて死ぬ
3 もしも老化しなかったら、もし死ななかったら
4 老化と寿命のメカニズム
第2章 世界最長寿国、日本
1 長寿国日本
2 日本人は絶滅危惧種
3 江戸時代の寿命とライフサイクル
第3章 ピンピンと長生きする
1 健康を維持する
(1)毎年1回は健康診断を受ける
(2)タバコをやめる
(3)酒は飲み過ぎない
(4)メタボリック・シンドロームにご用心
(5)運動をする
2 サプリメントをとるべきか
第4章 半数以上の人が罹るがん
1 症例
2 がんのリスク
3 がんの受け止め方は大きく変わった
[コラム4-1] セカンド・オピニオン
4 がんを知る
5 がんの診断と治療
6 高齢者のがん
第5章 突然死が恐ろしい循環器疾患
1 症例
2 循環器病を知る
(1)不整脈:期外収縮、心房細動、心室細動
(2)虚血性心疾患:狭心症と心筋梗塞
(3)脳卒中
3 循環器疾患は突然死が多い
4 循環器疾患のリスク要因
(1)高血圧
(2)高脂血症(動脈硬化)
第6章 合併症が怖い糖尿病
1 症例
2 世界の10%が糖尿病
3 糖尿病を知る
(1)インスリン製造細胞が死んでしまった1型糖尿病
(2)2型糖尿病
[コラム6-1] インスリンの発見
4 糖尿病が恐ろしいのは合併症
5 糖尿病の経過
[コラム6-2] 糖尿病という名前が嫌いな糖尿病専門家
第7章 受け入れざるを得ない認知症
1 症例
2 認知症を知る
[コラム7-1] アルツハイマーの生家
3 認知症の中核症状と周辺症状
[コラム7-2] 記憶力テスト
4 認知症の予防と治療
(1)認知症の予防
(2)認知症の治療
5 認知症の進行
6 われわれは認知症を受け入れざるを得ない
第8章 老衰死、自然な死
1 症例
2 老衰死を知る
3 なぜ老衰死が増えたのか
4 なぜ老衰死は世界で全く認められていないのか
[コラム8-1] 誤嚥性肺炎はなぜ高齢者に多いのか
[コラム8-2] 骨折
第9章 在宅死、孤独死、安楽死
1 在宅の死
2 高齢者施設
3 孤独死
[コラム9-1] 孤独死数をめぐる混乱
4 安楽死 
(1)B.間接的死介入(延命装置の取り外しによる安楽死)
(2)C.直接的死介入(薬物などによる安楽死)
(3)警察の介入
(4)オランダの死因の4・2%は安楽死
(5)自殺幇助
第10章 最期の日々
1 終末期を迎えたとき
2 延命治療
3 痛みと苦しみを抑える
4 延命治療について自分の意思(リビング・ウィル)を明確に示す
[コラム10-1] マーラー交響曲9番
第11章 遺された人、残された物
1遺された人
2 不条理な死
3 グリーフから立ち直るため
4 死んでも心のなかで生き続ける
5 残された物
第12章 理想的な死に方
1 死の考えは大きく変わった
2 生きることに意義を求めない
3 理想的な死に方
終章 人はなぜ死ぬのか―寿命死と病死
1 なぜ寿命が尽きて死ぬのか
2 なぜ病気で死ぬのか
おわりに

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実際問題として認知症の施設介護にどう取り組むかを指南。前著に続いてお薦め。

マンガ認知症【施設介護編】.jpgマンガ認知症2.jpg
マンガ認知症【施設介護編】』['24年]『マンガ 認知症 (ちくま新書) 』['20年]

マンガ認知症【施設介護編】pop.jpg 大好きな祖母が認知症になってしまい、母と二人で介護に取り組むマンガ家、ニコ。在宅介護が限界を迎えて施設に入居してもらったものの、祖母の認知症の症状がみるみる悪化していった。二人はしょっちゅう呼び出され、かかる費用は月40万円―。

 ベストセラーとなった『マンガ認知症』('20年/ちくま新書)の続編で、今回はより実際的な問題として、認知症の施設介護にどう取り組むかを、認知症の心理学と介護の仕組みの両面から取り上げています(各章の冒頭に体験的マンガがあって、その後に解説がくるスタイルは前著と同じ)。

 今回は、「介護事業を立ち上げ現場を見続けて30年」という「暮らしネットえん」の小島美里代表理事も執筆チームに加わっています(マンガでは若々しいが、経歴的にはベテラン。そう言えば、佐藤眞一先生もマンガでは若々しいが、いつの間にか大学の教授から名誉教授になっている。敢えて若く描いて"権威主義"的な色合いを出さないようにする配慮か)。

 施設介護の最初に来る大事な選択は、「どの老人ホームのどれを選ぶか」ということであり、老人ホームの種類には7種類あり、「民間型にすまい」としての①有料老人ホーム(介護付き・住宅型)、②(サービス付き)高齢者向け住宅、③グループホーム、そして「公共型のすまい」としての④ケアハウス(一般型・介護型)、さらに「公共型の施設」としての⑤特別養護老人ホーム、⑥介護老人保健施設、⑦介護医療院、があるとしています。

特養.jpg それぞれの入居金や月額費用、入居条件、さらには認知症の度合いなども示されていますが、認知症の人には「グループホーム」と「特別養護老人ホーム(「特養」)」が向いているとしています。ただし、「特養」は要介護3以上が入居要件であり、したがって、特に大きい病気がなく要介護1・2レベルであれば、「グループホーム」が第1の選択肢になるとにことです。

サ高住.jpg 最近注目されている「(サービス付き)高齢者向け住宅(サ高住)」は、ここで言う「サービス」というのは介護ではなく「安否確認と相談」のことなので、小島美里氏らは「サービスなし高齢者住宅」と呼んでいるとか(各部屋にトイレや水回りがあるのは魅力的だが、認知症に限らず、年を重ねて体の具合が悪くなって要介護度が高くなると、住み続けることが難しくなる場合もある。さらに、費用の支払いが維持できなくなる怖れがあるとういう問題も)。

グループホーム.jpg 小島氏が代表理事を務める「えん」は「グループホーム」ですが、最近はグループホームでも「終身」(看取り)が可のところも増えている一方で、グループホームに向かない人もいて、認知症以外の病気が重い人は看護師が常駐する介護医院のような施設の方がいいとしています。また、グループホームは住民票がその地に無いと入居できず、満床のこともあるとのことです。

介護付き有料老人ホーム.jpg そのため、第二の選択肢として「介護付き有料老人ホーム」が考えられると。介護付き有料にするメリットは、この金額の中に介護費用もセットになっていることで、「サ高住」に比べて費用は高く見えますが、サ高住のようにそれ以外の費用が天井知らずになることは避けられるとしています(結局「サ高住」って、サービスは部分はほとんど別途持ち出しになるので、何もしなければ普通に何もサービスを受けず暮らしているのとあまり変わらないことになる。「サ高住」の費用の問題は最近よく指摘されることが多い(「サ高住はなぜ失敗するのか?」))。

 本書は、そんな「サ高住」がなぜ高いのかといったことを始め、制度の問題点をも指摘しており、詰まるところ、介護保険制度をはじめとする国の介護福祉政策への批判の本にもなっていますが、そうした姿勢を衒わなくとも、現場の声を拾い上げていくと自ずとそうなるでしょう。思えば、こうした問題提起的な要素は前著『マンガ認知症』にもあり、この辺りも一般の入門書とは異なる点であると思います(小島氏は、利用者負担割合と補足給付の見直しによって、介護サービスが使えない人が増加していることに警鐘を鳴らしている)。

 前著『マンガ認知症』に続き、佐藤眞一先生による心理学的な側面からの認知症の解説もされています。例えば、施設入所して無気力になって寝てばかりという人の場合には、「学習性無力感」の可能性も考えなければならないといった指摘もなされていて、この辺りは丁寧です。

 前著『マンガ認知症』の復習的な解説も随所でされている一方で、番外編として、「レピー小体型認知症」の解説もその分野の専門家(樋口直美氏)によってされいます(マンガ部分は樋口氏が自身の母親がこの病に見舞われた際の体験談になっている)。「高齢者では発症していなくても3人に1人はレビー小体が認められる」というのは驚きでした。

 認知症について介護と医療の両面から分かりやすく学べるという点で、前著に続いてお薦めです。

《読書MEMO》
●老人ホーム・介護施設の種類ごとの特徴を比較する(「みんなの介護」)
老人ホーム種類.jpg

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分かりやすく読める工夫がされていて、認知症患者の心理面の解説が充実してる。

マンガ 認知症3.jpgマンガ認知症2.jpg マンガ認知症.jpg
マンガ 認知症 (ちくま新書) 』['20年]『マンガ認知症【施設介護編】』['24年]

マンガ 認知症4.jpg 大好きな祖母(婆ル)が認知症になってしまい、母(母ル)と二人で介護に取り組むマンガ家ニコ。人が変わってしまったかのような祖母との生活に疲れ果てたニコたちの前に、認知症の心理学の専門家サトー先生が現れて―。

 ベストセラーになった本ということで、やや遅ればせながら購読しましたが、各章ごとにあるマンガが漫画家自身の体験をベースにしていることもあって、物語を読むように読めて分かりやすく、ベストセラーとなる要素が詰まった本のように思いました。

 一般の「マンガ〇〇」といった類の入門書と異なるには、「マンガ」と謳いながら、基本的には「文章」による入門書であること。これだけならそう珍しくはないですが、「マンガ」部分が実体験ベースなので、シズル感とでも言うか切迫感・切実感があることです(ただし、このことも必ずしも珍しいことではないかも知れないが)。

 加えて他の本と比べて良かったのは、「マンガ」部分がケースの紹介だけで終わるのではなく、「マンガ」の中でも理解のためのポイントを整理していて(サトー先生が頻繁に登場する)、さらにその後の「文章」で詳説されるため、「文章」が解説と復習を兼ねていて、理解を深めやすい点です。分かりやすく読める工夫がされていると言えるかと思います。

 あとは、ケーススタディとしてのマンガを各章の冒頭に置いていることに沿って、章題も「「お金を盗られた」「強盗にあった」と言うのはなぜ?」「何度注意してもお米を大量に炊いてしまうのはなぜ?」というように具体的な現象面から入って、その対処法を述べていることで、これについては賛否もあるかもしれませんが、学術的・体系的な解説もちゃんと出てくるので、これはこれでいいのではないかと思いました。

 親が急に認知機能が低下して介護しなければならなくなった人などには、学術的・体系的な解説から入る入門書よりも(本書でも勿論なぜそうなるかといった原因は解説されているが、分からないこともまだ多いようだ)、本書のようなスタイルの本の方が実際には役に立つかもしれません(認知症の症状は多様であり、すべてがこのマンガのケースのようになるとは限らないということは前提にしつつだが)。

 特に、サトー先生こと佐藤眞一教授が認知症心理学の専門家であることもあって、認知症患者の心理面(認知症の人の心の中)についての解説が充実しており、さらに介護をする人の気持ちの負担軽減にまで配慮しているのがいいです。

 マンガのストーリーも、ニコさんや母ルさんが「なんでやねん!」を解決するために奮闘し、婆ルさんと3人で心の安らぎに少しずつ近づいていく物語になっているのが、読む側に希望を持たせてくれていいです。知識面での理解だけでなく、介護で疲れて落ち込んだら、また本書を読んで元気を取り戻すという使い方もあるかなと思いました。続編とも言える『』('24年/ちくま新書)と併せてお薦めです。

《読書MEMO》
●目次
序章 認知症ってなんですか?
認知症を心理学的に研究するということ/認知症とはなにか/予備軍も含めれば日本に一〇〇〇万人/認知・認知機能とはなにか/原因疾患と認知機能障害の関係/老化による物忘れと認知症の違い/ 「おかしいな」と思ったら
第1章 「お金を盗られた」「強盗にあった」と言うのはなぜ?
中核症状と周辺症状/物盗られ妄想の原因/自己防衛としての物盗られ妄想/身近な人を疑う理由/認知症と薬/薬をやめてみる
第2章 同じことを何度も聞いてくるのはなぜ?
さまざまな記憶の種類/短期記憶と長期記憶―陳述記憶のプロセス/エピソード記憶障害の原因/符号化、貯蔵、検索―記憶のモデル/未来の予定がわからないことの不安/何度でも同じことを聞く理由/なんのための介護か
第3章 何度注意してもお米を大量に炊いてしまうのはなぜ?
陳述記憶と非陳述記憶/手続き的記憶が残る理由/繰り返される行動には、その人のアイデンティティが現われる/同じものを大量に買ってしまうときは
第4章 突然怒りだすのはどうして?
前頭葉障害で、行動のコントロールが難しく/注意機能が低下し、気が散りやすくなる/前頭側頭型認知症の場合/夕暮れ症候群/偶然見つけたヒント/会話が重要/ときには放っておくことも有効
第5章 高齢者の車の事故はなぜ起きるの?
シニアカーがぶつかってきた/有効視野の低下/自分が今まで何をしていたのかわからない/注意機能の衰え/選択的注意機能と有効視野/一度に二つ以上のことができなくなる/認知症に限らず失敗しやすい「注意の切り替え」/家族の同乗がかえってよくないこともある/運転が苦手になるのは、認知症の人に限らない
第6章 介護者につきまとうのはどうして? ?
遂行(実行)機能障害/目標・計画・実行のどこができないのか/できない自分に傷ついている/押し売りに引っかかってしまうのは?/見当識障害という問題/過去と現在と未来をつなげる/実行機能と遂行機能
第7章 家にいるのに「帰りたい」と言うのはなぜ?
見当識とはなにか/記憶の低下との関係/幼児期の記憶のあり方と似ている/婆ルさんはどこに帰りたいのか
第8章 これってもしかして「徘徊」ですか?
目的もなくうろついているわけではない/ 「徘徊」はなぜ起きるのか/頭の中の地図がつくれなくなる/建物と自分の位置関係がわからなくなる/鏡の不思議/徘徊が出てきたら、どうしたらいいのか/徘徊がおさまるのはいいことか
第9章 排泄を失敗してしまうのはなぜ?
排泄の失敗が増える理由/失敗を認めることは、プライドが許さない/弄便で自宅介護が限界に/なぜ食べられないものを口に入れてしまうのか/本人のプライドを傷つけないために
第10章 介護に疲れ果てました。どうしたらいいですか?
人間関係はギブ&テイク/ 「思いどおりにならない」はコントロールのはじまり/「なぜこんなことをするのか」?と考える/心がすれ違うことで、ケアがコントロールに陥る/社会的認知機能の低下と「心の理論」/まずは話を聞くことから/介護を生きがいにしない
番外編 なんでお尻を触るんですかコラー‼
衝動を抑制できない/性欲以外が原因のことも/優しさが逆効果になることも/高齢者の性欲を認める/家族で認知症について話し合える関係に

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余命宣告を受けた資産運用の専門家が説く、お金より大事なもの。

がんになってわかった お金と人生の本質.jpg
お金と人生の本質.jpg  がんになってわかった お金と人生の本質2.jpg
山崎 元(2024.1.1、65歳没)『がんになってわかった お金と人生の本質』['24年]
大江英樹(2024.1.1、71歳没)『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方 (光文社新書) 』['23年]

お金の賢い減らし方1.jpg 最後の1秒まで幸福は追求できる。その真実をつづった遺稿を特別収載。最期の時間でたどり着いた「人生の最終原理」とは―(版元口上)。2022年の夏に食道癌が見つかった経済評論家(専門は資産運用)の著者が、癌の各局面にあっての考え方や意思決定について述べたもの。お金よりも大事なことにどうやって気づくか、限られた時間をいかに生きるかを説いています。因みに著者は、先に取り上げた 『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方』('23年/ 光文社新書)の著者の経済コラムニスト・大江英樹(1952-2024/71歳没)氏と同じく、今年['24年]1月1日に65歳で亡くなっています。

 第1章では、著者がステージⅢの食道癌を宣告されたときのことが書かれています。因みに、著者は、日頃から人間ドックに入ったり、健康診断を受けることをしてなかったそうですが、本書執筆時点では」「損得勘定だけでも検査は受けるべし」との考えになっています(ましてや著者の場合、食道癌を心配するに十分なだけの飲食習慣があった。ウィスキーをストレートで飲み続けると、それなりに食道癌のリスクは高まると、自分で書いている)。

 また、情報を拾うか捨てるか制限しないと、身が持たないともしています。利害関係にない好意的な医療専門家を探すこと、5年生存率の見当を付けること、治療方針を決めることが重要であるとしています。また、医師の話しぶりなどから「この医師は信頼できる」と思えたことは治療にもプラスだったが、自身の専門においては「そんなもの見ても役に立たないよ」と言ってきたことから「癌患者と投資初心者は似ている」としているのが面白いです。

 第2章では、がん保険には自分は入っていたが、振り返ってみれば、治療費は貯金で間に合い、高額療養費制度(+健保組合の上乗せ給付)があり、がん保険は要らなかったとしています。かかった分のほとんどは、自身のQOLのために払った1日4万円の差額ベッド代だけです。この点については、自分もまったく同じような経験をし、公立病院であったこともあり、差額ベッド代も1日1万円程度で、がん保険には入っていましたが、請求しませんでした(請求すれば「支出」より「収入」の方が多くなったのだが)。

 ただ、このがん保険不要論に関しては、いろいろと反論もあるようです。著者のような年収3000万円の人ならともかく貯えや収入の少ない人や無い人の場合はどうか、がんの種類によっては効果のある薬はあるが、薬価が日額で何万円もするほど高額で、経済的理由から治療を諦める患者が少なからずいること、若くでまだまだ生きて働きたい患者ならば、生きている間ずっと医療費がかかり続ける可能性あること、などがその理由です。ただし、著者も、がん保険を全否定しているわけでなく、安心ではなく、必要性で判断すべきだとしています。

 第3章では、癌になって癌になって分かった、どうでもいいことと大切なことについて書いています。頭髪が抜け落ちる問題については、悩ましい問題ではあるが、こだわりを捨てればコストが節約できる例だとしています。また、地位的競争から降りることの幸せを説いています。増え続けた持ち物もできるだけ減らし、衣類は、極論すれば夏冬一着だけでいいと。

 著者は、癌の再発で「持ち時間」というもの意識するようになったといいます。「仕事は10年に一度リニューアルせよ」と言っています。これが、癌の再発で、2年間の活動期間で何をすべきか、半年しか保障できないと森永卓郎2024.jpg言われてどうするか、このあたりはまさに著者の実体験であり、切迫感があります。仕事を減らしてばかりいては元気が出ないとしています。癌闘病中の経済アナリストの森永卓郎(1957年生まれ)氏(2025年1月逝去)などは、本を出したりYouTubeなどによく出ていたりして、この路線ではないでしょうか(そう言えば山崎元氏もYouTubeなどによく出ていた)。それから、自分が会いたい人だけに会うとも述べています(ご尤も)。

 第4章では「山崎式・終活のセオリー6箇条」を説いています。それを纏めると、①なるべく長く働く、②住居は縮小し、モノを減らしてシンプルに暮らす、③便利な場所に暮らす、④介護が必要になったら、施設へ、⑤相続は、本人のアタマがしっかりしているうちに、明確に決める、⑥お墓・お寺と縁を切って、弔いはシンプルに、の6つです。

DIE WITH ZERO2020.jpg 第4章では、お金より大事なものにどうやって気づくかを説いています。お金に関するアドバイス(お金に感情を振り回されない、運用に思い入れを持ち込まない、予想と希望を混同させない)などは、さすが専門家の金言とも言え、さらに、ビル・パーキンスの『DIE WITH ZERO』 ('20年/ダイヤモンド社)を引いて、お金は「増やし方」よりも「使い方」こそが大切だとしています(この本、『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方』でも参照されていた。影響力"大"!)。「FIRE」に対し"守銭奴"型であると疑念を呈し、「幸せになるには、他人の好かれる人間になるのが近道」と結論づけています。お金の損得よりも、自分が持っている「信用」の方が大切だとも言っています。

 この著者のこれまでの読者には、お金をどうやって増やすかという方法論的観点から著者の本を手にした人が多かったのではないでしょうか。その著者が最期にお金より大事なものにどうやって気づくかを説くことになったのは、自らが癌による余命宣告を受けたためとは言え、皮肉と言えば皮肉なこと。ただし、こうして本になって世に出たのは良かったと思います。

●著者プロフィール
山崎元(やまざき・はじめ)
山崎元(やまざき・はじめ).jpg経済評論家。専門は資産運用。1958 年北海道生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。野村投信、住友信託、メリルリンチ証券、楽天証券など12 回の転職経験を持つ。連載記事やテレビ出演多数。著書に『全面改訂 第3版 ほったらかし投資術』(水瀬ケンイチとの共著、朝日新書)、『超改訂版 難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください!』(大橋弘祐との共著、文響社)、『経済評論家の父から息子への手紙――お金と人生と幸せについて』(Gakken)など。2024 年逝去。

《読書MEMO》
●本書の内容
第1章 癌患者と投資初心者は似ている
 ステージIII、「真面目な癌患者になろう」
 情報を、拾うか、捨てるか
 上機嫌な癌患者でありたい
第2章 がん保険はやっぱり要らなかった
 治療にかかったお金はいくら?
 「不安に対処する」ための保険は賢くない
 加入していい保険の条件
第3章 癌になって分かった、どうでもいいことと大切なこと
 悩ましい頭髪の問題
 わが物欲生活と身辺整理
 再発、意識する持ち時間
 癌患者には親切にしないで
第4章 山崎式・終活のセオリー6箇条
 最晩年の住まいと介護を考える
 お金を守る超合理的相続対策
 「墓なし・坊主なし」のわが家の弔いルール
第5章 お金より大事なものにどうやって気づくか
 〝善意の愉快犯〞として生ききる
 お金は「増やし方」より「使い方」こそ大切だ
 「幸福」を決めるたった一つの要素
 「お金より大事なもの」にどうやって気づくか
最終章 癌の記・裏日記

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「GLS―1阻害薬」は万能? まだ「可能性」の話であって、やや先走っている印象も。

老化は治療できる!宝島社新書.jpg老化は治療できる! (宝島社新書) 』['21年]

 本書は、著者ら東京大学医科学研究所などの研究チームがマウス実験から「老い」の原因となる「老化細胞」を除去する薬として2021年に発見した「GLS―1阻害薬」というものを紹介した本。この薬には老化した人間の肉体も若返させる可能性があるとし、研究チームの東大の先生が、老化のメカニズムと「アンチエイジング治療薬」の可能性を解説しています。

 まず前提として人間の寿命は最長120歳ほどで、これは変わらないだろうとし、ただし、「GLS―1阻害薬」にとって老化細胞が除去されることで老化は抑えられ、さらにはがんの治療に役立つ可能性もあるとのことです。マウスに投与すると老化細胞が死んで、加齢性疾患が改善することが分かっており、有効ながん治療薬として臨床試験が進められています。

 確かに、長生きはしたいけれど、老いの苦しみを味わうのは嫌だという思いは誰しも抱いていると思われるし、こうした「老化を治療する」薬の発見は喜ばしいことだと思います。120歳まで30歳のまま生きれるのならば、こんないいことはないです。ただ、あくまでもまだ研究段階なので、あまり喜びすぎるのもどうかと思いました。

ライフスパン.jpg 「老化は治療できる」という考え方は、『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』の著者のハーバード大学のデビッド・シンクレア教授が急先鋒ですが(日本人ではワシントン大学の今井眞一郎教授で、今井教授は、「100歳まで寝たきりにならず、120歳くらいまでには死ぬという社会は、10年、20年後には来ると思う」と言っている)、あの本では「NMN」という物質が万能薬のように書かれていました(そのシンクレア教授でさえ、その"特効薬"の点滴は時期尚早だと反対している)。

LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]

 本書は若干「GLS―1阻害薬」が万能であるというトーンが強いように思いました。開発者としては、それぐらいの希望を持って研究することでモチベーションは上がるだろうし、世間も大きな期待を寄せるかと思いますが、まだ「可能性」の話であって、やや先走っている印象も受けました(タイトルから、今すぐ出来る「老化を治療する方法」があるのだと思った人もいたのでは)。

 ただし、国内外でこの「GLS―1阻害薬」は現在も進行中のようで、本書刊行後も、経口薬が開発され、安価で供給できる見通しが立ったとの情報もあるようです。でも、その前に、国内で認可を得て治験を積み重ねていくことがカギとなるのではないでしょうか。

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「アンチエイジング」本ではなく「死」を受け入れよという趣旨の本。

健康の分かれ道-死ねない時代に老いる.jpg「後悔しない死に方」.jpg
講演中の久坂部羊氏('24.4.10 学士会館/夕食会&講演会)講演テーマ「後悔しない死に方」
健康の分かれ道 死ねない時代に老いる (角川新書) 』['24年]

 本書では、老いれば健康の維持が難しくなるのは当然で、老いて健康を追い求めるのは、どんどん足が速くなる動物を追いかけるようなものであり、予防医学にはキリがなく、医療には限界があるとしています。その上で、絶対的な安心はないが、過剰医療を避け、穏やかな最期を迎えるためにはどうすればよいかを説いています。

 第1章では、「健康」は何かを考察してます。こここでは、健康の種類として、身体的健康、精神的健康のほかに、社会的健康や、さらには霊的健康というものを挙げているのが、個人的には興味深かったです。この健康の定義は、本書全体を通して意味深いと思います。

 第2章では、健康センターに勤めた経験もある著者が、健康診断で何が分かるのかを解説、ある意味、健康診断は健康人を病人に誘うシステムであるとしています(因みに、著者は受けていないと)。

 第3章では、メタボ検診の功罪を問うています。診断基準に対する疑問を呈し、メタボ判定を逃れる裏技として、腹式呼吸すれば息を吐いたときに腹がへこむので引っ掛からないとのこと、自分で腹を膨らませたときとへこませたときの差を測ったら13㎝あったとのことです。

 第4章では、現代の健康について解説しています。人々の健康観はメディアの力に大きく作用され、週刊誌情報を盲信する患者には医者も泣かされる一方、そうした怪しげな健康ビジネスがはびこっていると。また、日本はタバコに厳しく酒に緩いともしています。さらにがん検診にはメリットもあればデメリットもあるとしています。免疫療法は「溺れる者がすがるワラ」のようなものであるとし、PSA検査や線虫卯がん検査にも疑問を呈しています。また、認知症はその本態がまだ明らかになっておらず、近年開発されている"特効薬"も〈竹槍〉のようなものだと。

 第5章では。精神の健康とは何かを考察しています。年齢段階ごとにどのような精神的危機があるかを解説しています。また、「メンヘラ」「ヤンデレ」「インセル」といった言葉が拡がるのはレッテル貼りだと。さらに、「新型うつ」は病気なのか、また「代理ミュンヒハウゼン症候群」についても解説しています。

 第6章では、健康と老化について考察しています。老いを拒むとかえって苦しむとし、「アンチエイジング患」になり、「健康増進の落とし穴」に嵌る人の多いことを指摘し、また「ピンピンコロリ」という言葉には嘘があるとしています。さらに、誤嚥性肺炎が起きる理由を解説し、QOLの観点から最近はもう治療しないという選択もあると。生にしがみつくのは不幸で、認知症も早期に発見しない方が良かったりもするとしています。

 第7章では、健康を見失って見えるものとして、同じ難病でも心の持ちようで大差が出ることや、がんを敢えて治療しなかった医師の話、胃ろうやCVポートの問題点、現在非常に進化している人工肛門などについて解説した上で、健康にばかり気をとられていると、やるべきこでないこととしなければならないことに追われ、何のために生きているのか見失いがちになるとしています。

 第8章では、健康の「出口」としての死をどう考えるべきかを考察しています。そして、死に対して医療は無力であり、人生の残り時間をわずかでも伸ばすことに心を砕くより、有意義に使うことを考えた方が賢明であると。自分が「死の宣告」を受けたとシミュレーションしてみるのもいいし、好きなことをやって自分を甘やかすのも、死を迎える準備になるとしています。自分の人生を愛する「感謝力」「満足力」が大事であると。

 著者が「死」や「老い」について書いた本を何冊か読んできましたが、今回は「健康」という切り口でした。巷に溢れる「長生きする人がやっていること」といった「アンチエイジング」本ではなく、むしろ「死」を受け入れよという趣旨の本であり、結局最後は終章にあるように、健康の「出口」としての死というものに繋がってはいくのですが、これはこれで「死/老い」を包括するテーマであり、良かったです。

 これまで読んだものと重なる部分もあったし、体系的と言うよりエッセイ風に書かれている印象。ただし、、この著者のこの分野の本からは、知識を得ると言うより、考え方を学ぶという要素が大きいため、読み直すつもりで新刊にあたってみるのもいいかなと思いました。

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認知症・がんなどの実態を明かした上で、どう老いればよいかを説く。

『人はどう老いるのか』2.jpg『人はどう老いるのか』.jpg
人はどう老いるのか (講談社現代新書 2724)』['23年]

 在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本で、『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)の続編・姉妹版のような位置づけでしょうか。

 第1章では、「老いの不思議世界」として、高齢者における重症度と苦悩も深さは必ずしも一致しないことや、それまで死を恐れていたのが、90歳を超えると、ここまで生きればあとどれくらい生きるか楽しみだという心境になり、「早ようお迎えがこんか」という冗談も出るようになると。ただ、その前の段階では。死にたい願望に囚われることもあるとしています。また、死ぬ準備は不愉快かもしれないが、その準備ができてなくて悔いの残る死に方をした人が多いとしており、これなどは考えさせられます。

 第2章では、認知症高齢者について述べています。認知症の種類としてアルツハイマー型などがあるとし、一方、認知症の主なタイプとして、「多幸型」「不機嫌型」などがあり、そのほかに「怒り型」「泣き型」「情緒不安定型」には困惑させられ(酔っぱらいの種類みたい)、「笑い型」は楽しく、困るのは「意地悪型」だと。また高齢者の「俳諧」は無目的なものではないとし、その抑制方法を説いています。

 著者が自身の父親の老いと死を描いた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)で、老人認知症の肉親を持った家族の苦しみは測り知れないとしながら、本自体は暗さを感じさせない楽しい作りになっていたのは、著者の父親の場会、「笑い型」だったということで腑に落ちました。

 第3章は、認知症にだけはなりたくないという人に向けて書かれていて、認知症を恐れるのは、健康な時に認知症になった自分を思い浮かべるからであって、なってしまえば、死の恐怖も無くなり、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の主人公が最後「無理解の平安」に帰還したように、知的障害も必ずしも悪くないとしています。また、脳トレは、脳の老化を遅くするかもしれないが、認知症とは無関係であるとしています(元聖マリアンナ医科大学の教授で認知症研究の第一人者だった長谷川和夫氏(2021年没)が認知症になったという例もあった)。

 第4章では、医療幻想の不幸を説いています。日本人は医療万能の幻想を抱いていて、クリニックや病院でもCTスキャンやMRIなど高価な検査機器を入れなければ患者は来ないし、検査機器を入れただけでは収益を生まないので、過剰な検査をするとのことです。

 第5章では、新しいがんの対処法について述べています。ここでは、実はがんで死ぬには良い面もあり、医者の希望する死因の第1位はがんで(前著『人はどう死ぬか』にも書かれていた)、がん検診にはメリット・デメリットがあるとしています。

 第6章は、"死"を先取りして考えるということを説いています。上手に死ぬ準備はやはり必要だということです。胃ろうやCVポートで延ばされる命は、当人にとっても家族にとっても過酷なものであると。坂本龍一氏も享年71で早すぎる死と悼まれたが、あまり死に抵抗すると、無用の苦しみを強いられる危険があり、坂本龍一氏が最後「もう逝かせてくれ」と言ったというのは、そのことに気づいたからではないかとしています。尊厳死したゴダールの例を挙げ、著者自身も尊厳死に肯定的なようです。

 第7章は、「甘い誘惑の罠」として、長生きしたいという欲望につけ込むビジネスが横行しているとしています。よく取り上げられる「スーパー元気高齢者」なども、その罠の1つであるかもしれないと。

 第8章では、これからどう老いればよいかを説いています。著者がその死生観を称え、個人的にも印象に残ったのは水木しげるの言葉で、「名前なんて一万年もすればだいたい消えてしまうものだ」というもの。だから、有名になることに努力するより、自分の人生を充実させるための努力をした方がいいと。

 実は今がいちばん幸福なのだと気づけば、これからどう老いるべきかということも考えずにすむという著者の言葉も響きました。でも、考えるべき時には考えた方がいいのだろうなあ(著者自身は"隠居"するという考えを勧めている)。

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寿命が尽きる2年前、それは「今でしょ」、というつもりで生きる。

『寿命が尽きる2年前』2.jpg『寿命が尽きる2年前』.jpg寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書 669)』['22年]

 2年後に死ぬとわかったら何を想うか。うろたえ、嘆き続けるわけにもいかない。たった一度の人生を終えるのに際し、もっと大事なことがあるはず。人はみな自分の寿命を生きる。そもそも寿命とは何か。「死を受け入れるのはむずかしい」と人は言うが、その達人はいるのか、楽な方法はあるのか。悔いなき人生をまっとうするには? 本書は現役の医師で作家である著者が、こうした様々な問いに答えようとした本です。

 第1章では、「寿命」とは何かを考察しています。何が寿命を決めるのかについて、「テロメア説」や「心拍数説」などあるものの、十分なエビデンスは無いとし、70代で亡くなっても「老衰」とされることがあるように、「寿命」の範囲というものは特定されていないと。確かに平均寿命は延びてはいるが、むしろ「健康寿命」が大事であるとしています。

ライフスパン.jpg 第2章では、寿命を延ばす方法というものを、伝承や疑似科学から週刊誌の特集、さらには科学的な方法から拾う一方、ベストセラーとなったハーバード大学のデビッド・シンクレア教授の『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』における「死」は「病気」であり、NMNという治療薬で克服できるという論に対しては、酵母やマウスでの実験が人間にすぐに応用できるのかというと疑問だとし、「本書はどこにも嘘は書いていない。あるのは都合のいい事実と、楽観主義に貫かれた明るい見通しだ。万一、本書に書かれたことが実現するなら、この世はまちがいなくバラ色になる」と、皮肉を込めて批判しています。この章では、がんや心筋梗塞、脳血管障害などの寿命を縮める病気についても解説しています。

デビッド・シンクレア『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]

 第3章では、寿命に逆らうことの苦しみを説いています。老いを否定するのは負け戦となり、がんを最後まで治療するのもどうかと。ただ、業界的には老化を拒絶する傾向にあり、アンチエイジングで盛り上がってしまっていると。でも実際は、無益な延命治療をはじめ寿命に逆らうのは最悪の苦しみであり、逆らわない方が楽であるとしています。

 第4章では、表題にもある「2年後の死」は予測できるかという問題を扱っています。気品的には今は元気でも2年後は分からないということですが、分わからないのはいいことだと。でも、もしいつ死ぬか分かったら、死をシミュレーションするといいと(ただし、シミュレーションしていても、実際に自分の死が迫ったら冷静でいられるかは別問題であるとも)。また、ほぼ2年後の死が分かるケースとして〈がん〉があり、その意味で〈がん〉にはいい面もあると。ただし、それは死を受け入れている場合であって、生きることに執着している人にはきついと。黒澤明の「生きる」で志村喬が演じた主人公の話や、一年以内の死を予測して62歳で亡くなった内科医・丸山理一氏の話が出てきます。丸山氏は、がんで死ぬことをむしろ歓迎すべきではないかとし、死が近づくにつて、死の恐怖も鈍くなったという文章を遺しているとのことです。

CTスキャン.jpg 第5章では、現代日本は〈心配社会〉であるとしています(世界中のCTスキャンの約30%が日本にあるという)。日本人は健康診断の数値に惑わされ過ぎであると。しかしながら、がん検診もメリット・デメリットがあり、むしろデメリットが多く、著者は受けていないと(医者で受けていない人は、一般人より比率的に高いようだ)。検診を受けても不摂生していればどうしようもないわけで、検診より大事なことは、日常で健康的な生活を送ることであると。「安心は幻想、心配は妄想」としています。

 第6章では、医療の進歩が新たな不安をもたらしているという問題を取り上げています。気楽に60歳まで生きるにと、心配しながら80歳まで生きるのとどちらがいいのか疑問だと。治療すべきせざるべきか、予防的切除すべきか否か。拡大手術か温存手術か―どちらに転んでも悩ましい選択を迫られるのが現代医療であると。インフォームドコンセントも良し悪しで、医療は新興宗教みたいになってきてしまっていると。

レニ・リーフェンシュタール.jpg 第7章では、望ましい最期の迎え方について述べています。その例として、老いへの不安よりも新たな感動を求め続けたレニ・リーフェンシュタール氏(著者がパプアニューギニアに勤務していた時、94歳の彼女に実際に会ったという)や、著者が熱烈なファンであること自認する水木しげる氏、著者が所属していた同人誌の創始者の富士正晴氏の話などが紹介されています(レニ・リーフェンシュタールについては2022年に亡くなった石原慎太郎も、曽野綾子氏との対談『死という最後の未来』('20年/幻冬舎)の中で生き方の理想としていた)。

レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)

 第8章では、寿命が尽きる2年前にするべきことは何かを述べています。要は、あらかじめある年齢を超えたら、もう十分生きたと満足するこころづもりをしておくことということになります。それまでに具体的にしたらいいこととして、絵画旅行でも豪華船の旅でもいいし、映画好きならDVDを観まくるとか、何ならホームシアターを作ってもいいと。長年世話になった人に感謝の気持ちを伝えるとか、家族と過ごす時間の増やすとか。逆に、しなくていいこと、してはいけないことは、病院通いで時間をつぶすこと、酒・タバコをやめるといった身体的節制、貯金・節約、アンチエイジングも無意味であると。

 最後に、寿命が尽きる2年前、それはいつなのか、それが分からないから問題なのだと思っていましたが、著者は、それは「今でしょ」(林修先生か(笑))と。間違っていてもそう考えることで損はないはずだと。ナルホド!そういうつもりで生きれば、密度の濃い日々を送ることができるのだと納得しました。

『人間の死に方』2014.jpg『人はどう死ぬのか』.jpg『人はどう老いるのか』.jpg 個人的には、今回は再読。著者のこのテーマの本の中では最初に読んだものであり、2つ前に取り上げた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)、1つ前に取り上げた『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)など著者の他の本を遡及して読む契機にもなった本であることもあって◎評価としました(次に取り上げる「老い」について述べた『人はどう老いるのか』('23年/講談社現代新書)を含め、この辺りは全部◎にしてもいいぐらい)。


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新たな知見も得られたし、それ以上に、死とどう向き合うかをきちんと考えさせられる内容だった。
『人はどう死ぬのか』2.jpg『人はどう死ぬのか』.jpg
人はどう死ぬのか (講談社現代新書 2655) 』['22年]

 在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本。

 第1章では、死の実際を見ると、医療行為として行われているものの中には、死に際して行う"儀式"のようなものもあり、そこには。死にいくつかの種類(段階)があることが関係しているとしています。

 第2章では、さまざまな死のパターンを見ています。ここでは、延命治療は要らないという人には、助かる見込みがあっても病院に行かないとする覚悟が必要で、在宅での看取りを希望していたのが、間際になって家族によって全く反対の最期になる場合もあるとしています(ただし、それで奇跡的に回復することもある)。また、死を受け入れることの効用を、著者の父親を例に、道教的な「足るを知る」という考えを引いて、説いています。

 第3章では。著者がかつて外務省の医務官として赴任した、海外各地での"死"の扱われ方を紹介しています。サウジアラビア人医師の、「死を恐れるな。アッラーが永遠の魂を保証してくれる」という言葉に、宗教がある国の日本とは彼岸の差がある強さを感じたり、パプアニューギニアの死を受け入れやすい国民性に感心したりしていますが、ウィーンで開催されていた「死の肖像展」や、医学歴史博物館の蝋人形など、死をリアルに表現したものがあるというのが興味深かったです。

 第4章では、死の恐怖とは何かについてです。日常的に死に接している医者は、死体を見ても慣れてしまい、緊張しなくなるとのことです。また、よく「死ぬ時に苦しむのはゴメンだ」と言う人ほど苦しむのが人の死だとも述べています。死は、戦うより受け入れる気持ちになった方が楽だということです。

 第5章では、死に目に会うことの意味はあまりないとしています。むしろ、安らかに死のうとしているとこころを無理に覚醒させると、本人に苦痛を与えかねないし、エンゼルケアと呼ばれる死後処置も、実際にそのために遺体がどう扱われるか。それを見ると、あまりいいとは思えないとしています。

 第6章では、メディアは不愉快なことは伝えないため知られていないが、老衰死というのも、体の全機能が低下して悲惨な最期だったりするし、「ピンピンコロリ」も、理想の死に方のように言われるが、若い時から摂生している人ほどなかなか死ねず、コロリと死ぬのは不摂生してきた人だと。言われてみれば確かにそうかも。

 第7章では、がんに関する世間の誤解を述べています。ここでは、近藤誠氏の「がんもどき理論」も紹介されていて、良性のがんは治療せずとも転移しないし、悪性のがんは治療しても治らないので、結局がん治療は意味がないという話ですが、一理あるとしながらも、現実そうはいかないとも。また「生検」ががんを転移させる可能性を危惧しています。

 第8章では、安楽死・尊厳死について、その弊害や実際に国内外で起きた事件を取り上げながらも、本人が極度の苦しみを抱き、そこから逃れられない状況にあるときは、本人の意思を大事にすべきではないかとしています。

『ネガティブ・ケイパビリティ』1.jpg 第9章では、上手な最期を迎えるにはどうすればよいかを考察し、最後に「新・老人力」という考えを推奨し、また。同じく医師兼作家の帚木蓬生氏が着眼した「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を紹介するとともに、詩人・翻訳家でタオイストだった加島祥造氏の「求めない」という発句で始まる詩を紹介しています。

 読んでいて、新たな知見も得られましたが、それ以上に、死とどう向き合うかをきちんと考えさせられる内容です。やはり、作家としての筆力が大きいということでしょうか。お薦め本です。

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ドキュメントとして引き込まれ、がん・認知症などについて新たな知見もあった。

人間の死に方2.jpg人間の死に方.jpg人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期 (幻冬舎新書)』['14年]

 作家であり医師でもある著者が、2013年に87歳で亡くなった父親の「死に方」を書いたもの(2014年刊)。

 著者の父親は元医師でありながら医療否定主義者で、不摂生ぶりも医者に不養生どころではなく、若い頃に糖尿病をやって、それでも血糖値も測らず甘いものを食べ続け、自らが注射するインシュリンの量を増やして自然治癒させたともこと。極めつけは、前立腺がんを宣告されて「これで長生きせんですむ!」と治癒を拒否したというスゴイ人です。

 最初は、非常に特殊なキャラクターかとも思いましたが、読んでいくうちにQOLを実践しているようにも思ええてきて、作家としての筆力あるドキュメントタッチと相俟って引き込まれました。

 著者自身、「がん」は「いい死に方」との考えであり、ポックリ死だと、本人にも周囲にも何の準備もないで亡くなるのに対し(心筋梗塞や脳梗塞だと死ぬまでに少し時間があるため、その間やり残したことを後悔することになるという)、がんなら死ぬまでに結構時間があるので、やり残したことができるといいます(87p)。ただし、がんで上手に死ぬためには、ふだんからの心構えが必要で、それなしにがん宣告を受けて死ぬとなると、おいしいものを食べても味もわからないだろうと(88p)。

 著者の父親は、最期は「認知症」気味だったようですが、認知症に関する記述も印象に残りました。著者は、認知症の患者を抱えた家族の苦労は筆舌尽くしがたい(156p)として、その実際例を挙げながらも、自分の父親が認知症のおかげで、死の恐怖や家族に迷惑をかける申し訳なさを感じなかったようだとし、認知症は確かに多くの問題を孕んでいるが、不安や恐怖を消してくれるという一面もあり、自然の恵みのようにも思えるとしています(164p)

 また、「孤独死」は暗いイメージがありますが、著者は、よけいな医療を施されない分、死の苦しみが最低限で収まるという、よい面もあるとしており(215p)、なるほどと思いました。

 さらに、親の「死に目に会う」ことに人はこだわりがちだが、家族が死に目に会えたといってもそれは捏造された死に目であって、本当は前夜に亡くなっていたものを医療で強引に死を引き延ばしたところで本人には意識はなく、むしろ意識を取り戻したら人生の最期にとんでもない苦痛を味合わせることになると。

 このように、自身の親の死に方の記録であり、それを作家的視点と医師の視点の両面から描いているのがよく、さらに、それと並行して、先述のように「がん」「認知症」「孤独死」「死に目に会う」といったイシューについて新たな見方を提供してくれました。

 父親の死までの記録としては、「自宅における療養」と言っても著者自身が医師であることによって、結果的に自宅で専門的知見にもとづく医療・介護的ケアがなされる状況となっており、一般の人にはあまり参考にならないとの見方もあるかもしれません。ただ、家系的に子どもが皆医者の親で、子らが医者として手を尽くすので、"なかなか死なせてもらえなかった"と思わる例を見聞きしたことがあり、この親子の関係はそういうのとも違っているように思いました。

 新書本ですが、作家によるものであることもあり、読み応えのある随想とも言える本でした。

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話題も豊富、文章も巧み、読んでいて楽しいが、総花的で1つ1つはやや浅いか。

Jellyfish Age Backwards.jpg寿命ハック1.jpg寿命ハック2.jpg
Nicklas Brendborg『Jellyfish Age Backwards: Nature's Secrets to Longevity』『寿命ハック (新潮新書) 』['22年]

 アンチエイジングから不死に至るまで研究が隆盛を極める今日、「不老不死」はどこまで実現可能になっているのか。研究の最先端と未来を、デンマークの若手分子生物学者が、ユーモアを交えて分かりやすく解説し、実践的アドバイスも紹介した本です。全3部構成で印象に残ったのは―、

Quallen altern rückwärts.jpgベニクラゲ.jpg 第Ⅰ部「自然の驚異」(第1章~第4章)では、第1章「長寿の記録」で、自然界には、ストレスにさらされると種子のような休眠状態(芽胞)になるバクテリアや、成体の前のポリプ状態に若返るクラゲ(ベニクラゲ)などがいて(本書の原題は「Quallen altern rückwärts: Was wir von der Natur über ein langes Leben lernen können」、英題「Jellyfish Age Backwards: Nature's Secrets to Longevity」)、寿命を延ばす巧妙なテクニックを進化させた生物(食料が足りなくなると自分を食べるプラナリアなど)がいることを紹介しているのが興味深かったです

 第2章「太陽とヤシの木と長寿」では、長寿の人が住む「ブルーゾーン」というものが世界に幾つかあり、その一つが沖縄県だとのことです。ただし、沖縄がブルーゾーンだったのは20世紀末までで、現在の沖縄はBMIは日本最高で、ハンバーガーの消費量も日本一で、長寿ランキングも男性は国内中位まで下がり、もうブルーゾーンとは言えないようです。

サウナ.jpg 第Ⅱ部「科学者の発見」(第5章~第17章)では、第5章「あなたを殺さないものは......」の「ホルミシス」効果(ストレスが生物を強くする現象)というのが興味深かったです。少量のヒ素などの毒物が線虫の生命力を強めるのも、ヒトが運動して鍛えられるのもホルミシス効果であると。逆境で耐久力(レジリエンス)が向上するようです。北欧文化にある「サウナ&寒中水泳」が健康にいいのもホルミシス効果ということのようです。

 第8章「すべてを結びつけるもの」で、ホルミシスには、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典教授の研究で知られる「オートファジー(細胞のゴミ収集車)」が重要な役割を果たしているとあり、オートファジーが適切に機能しなければ、ホルミシスは実験動物の寿命を延伸しなくなると。

 第13章「血液の驚異」によると、マウスの研究では、若い血を加えることよりも、古い血を抜くことのほうが若返りに効果があったそうで、継続的に献血する人は、献血しない人々より長生きするという研究結果もあるようです。

 第16章「長生きするためのデンタルフロス」で、歯周病はアルツハイマー病や老化と関係があるらしいというのは初めて知りました。

シニア インターバルトレーニング.jpg 第Ⅲ部「役立つアドバイス」(第18章~第24章)では、第18章「楽しく飢える」で、カロリーは摂り過ぎないのがよく、最も寿命が延びるのは飢餓状態であると(腹八分目は理にかなっている)。

 第23章「測定できるものは管理できる」では、高血圧になりにくい人は長生きすると(まあ、そうだろう)。それと、運動習慣は素晴らしいが、「時間がない」ことを運動できないことの理由にする人には、「高強度のインターバルトレーニング」を薦めています。また、筋肉の減少は長寿の阻害要因となり、長生きするには有酸素運動が最も重要だが、ウエイトリフティングを加えるとさらに効果的だとしています(筋トレをせよということか)。

 第24章「物質より心」では、プラセボ手術で変形性膝関節症での痛みが軽減した例や、プラセボ薬で過敏性腸症候群の患者の症状が改善した例が紹介されていて、プラセボ効果は心が体をコントロールしていることを示していると。また、人間関係が健康に影響するとしています。

 この他にも「テロメラーゼを作る遺伝子」(第10章)や、「ゾンビ細胞を標的にする薬(老化細胞除去薬)」(第11章)、「山中因子と多能性幹細胞で細胞をリプログラミングする」(第12章)など、さまざまな長寿研究が進んでいることが紹介されてました。

 アンチエイジングの現在を知るにはよく、話題も豊富で、文章も巧みで、読んでいて楽しいです。ただ、著者自身が何か提唱しているといったものではなく(著者は大学院博士課程在学中、ということはまだ学生!)、総花的で、一つ一つがやや浅い印象も受け、断片的な知識しか得られない気もました(学者が書いた本と言うより、ノンフィクション作家か科学ジャーナリストが書いた本のよう)。

 「長寿に関するフィールド調査で常に明らかになるのは、長寿の人々は意義と目的について意識が高く、いくつになっても熱心に社会参加しているということだ」とあり、この辺りが著者個人としての結論になるのかもしれません(訳者も自身のあとがきで、この言葉が印象に残ったとしている)。

《読書MEMO》
●目次
プロローグ――若返りの泉
Ⅰ 自然の驚異
第1章 長寿の記録
第2章 太陽とヤシの木と長寿
第3章 過大評価される遺伝子
第4章 不老不死の弱点
Ⅱ 科学者の発見
第5章 あなたを殺さないものは......
第6章 サイズは重要か?
第7章 イースター島の秘密
第8章 すべてを結びつけるもの
第9章 高校で教わる生物学の誤り
第10章 不死への冒険
第11章 ゾンビ細胞とその退治法
第12章 生物時計のねじを巻く
第13章 血液の驚異
第14章 微生物との闘い
第15章 見えるところに隠れる
第16章 長生きするためのデンタルフロス
第17章 免疫の若返り
Ⅲ 役立つアドバイス
第18章 楽しく飢える
第19章 歴史ある習慣を見直す
第20章 カーゴカルトの栄養学
第21章 思索の糧 フード・オブ・ソート
第22章 中世の修道士から現代科学へ
第23章 測定できるものは管理できる
第24章 物質より心

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大腸がんの実体験をリアルかつ緻密に描く。でも、どことなくほのぼのとした詩情。

I断腸亭にちじょう.jpg『断腸亭にちじょう 第1巻』.jpg
断腸亭にちじょう (1) (サンデーうぇぶり)

『断腸亭にちじょう 』.jpg 2023(令和5)年・第27回「手塚治虫文化賞新生賞」受賞作。

 2019年1月、ステージ4の大腸がんを告知された、ひねくれ漫画家39歳の闘病生活を描いたコミックエッセイ。がんを宣告されてからの不安や絶望感、大病院での検査の連続とひたすら長い待ち時間、抗がん剤の副作用など、作者の実体験による心身の変化を、リアルかつ緻密に描く―。

 小学館「サンデーうぇぶり」にて2021年11月28日より連載開始。昨年['22年]5月に単行本の第1巻(第1話~第10話)、今年['23年]5月第2巻(第11話~第19話)が刊行され、今月[6月]末、第3巻が刊行される予定となっています。

 この作者の漫画、どことなくほのぼのとした詩情があっていいです(第1巻の帯に「私小説ガン闘病記」、第2巻の帯に「詩的ガン闘病記」とある)。こういう雰囲気のがん闘病記って、漫画に限らず今まであまりなかったかも。

 でも作者は、ステージ4の大腸がんであるわけで、精神的にも肉体的にもぎりぎりのところで描いているのだろなあ。実際(詩情があるとは言ったが)切実な内容の作品でもあり、綺麗事はいっさい無いです。抗がん剤治療やその副作用は実に辛そうだし、何にでもすがりたい気持ちからか、代替医療を行う"怪しいクリニック"にも通ったりします。

 絶望し、何かに対して罵りたくなりながらも、一方で、どこか透徹した目で、時にユーモアを交え(かなりシニカルなものが多いが)、最終的に「読ませる漫画」に仕上げているというのは、結構スゴイことかもしれません(もしかしたら、描くことがセラピー的な効果をもたらしているのかも)。

 作者は「手塚賞」の授賞式には来ていましたが、手塚賞の社外選考委員のマンガ家の里中満智子氏(彼女も以前にがんを患った)から激励を受けたとし、「里中さんからエネルギーをビームのように貰いました」と感謝していました。ただし、授賞式の模様を映したネット動画では、選考委員まで会場で紹介されているのに対し、作者については、映像は公開されず、壇上での受賞挨拶は音声のみでした。

 「なんかすごい賞をいただいちゃって。過分な評価をされて、正直悪い気はしないというか、うれしいです」と切り出し、笑いを誘いましたが、大腸がんは肝臓に転移したとのことで、一方で、「連載当初は体調を心配してもらいましたが、放射線治療がうまくいって、手術から3年半がたって、今は健康に問題なく漫画が描けている状況です」と説明していました。

 「連載が続くこと=命が続くこと」みたいな感じになっていますが、何とか「寛解」で終わってほしいマンガです。

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ガン治療の最前線を追いかけながら、自身は検査・治療、リハビリを拒否、QOLの方を選んだ。

死はこわくない3.jpg死はこわくない.jpg   立花 隆 5.jpg          
死はこわくない』['15年]  立花 隆(1940-2021)

自殺、安楽死、脳死、臨死体験。 長きにわたり、人の死とは何かを思索し続けた〈知の巨人〉が、正面から生命の神秘に挑む。「死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験だから、いい夢を見ようという気持ちで自然に人間は死んでいくことができるんじゃないか」。 がん、心臓手術を乗り越えた立花隆が、現在の境地を率直に語る―。

 今年['21年]4月30日、急性冠症候群のため80歳で亡くなった(訃報は6月23日になって主要メディアで報じられた)立花隆による本です。

 第1章「死はこわくない」は、「週刊文春」に'14年10月から11月にかけて3回にわたり連載された編集者による訊き語りで、「死」を怖れていた若き日のことや、安楽死についてどう考えるか、「死後の世界」は存在するか、「死の瞬間」についての近年の知見、体外離脱や「神秘体験」はなぜ起こるのか、自らががんと心臓手術を乗り越えて今考える理想の死とは、といったようなことが語られています。

Elisabeth Kübler-Ross.gif 第2章「看護学生に語る『生と死』」は、これから患者の死に立ち会うであろう看護学生に向けてリアルな医療の現場を語った'10年の講演録で、人は死ぬ瞬間に何を思うか、難しいがん患者のケア、長期療養病棟の現実、尊厳死とどう向き合うか、などについて述べています。また、その中で、キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』など、人間の死や終末医療に関する本を紹介しています。

Elisabeth Kübler--Ross

 第3章「脳についてわかったこと」は、月刊『文藝春秋』'15年4月号に掲載された「脳についてわかったすごいこと」を加筆・修正したもので、NHKの科学番組のディレクターの岡田朋敏氏との脳研究に関する対談になっています。

 というわけで、寄せ集め感はありますが、第1章は「死」に対する現在の自身の心境(すでに死はそう遠くないうちに訪れると達観している感じ)が中心に語られ、延命治療はいらないとか、自分の遺体は「樹木葬」あたりがいいとか言っています。章末に「ぼくは密林の象のごとく死にたい」という'05年に『文藝春秋』の「理想の死に方」特集に寄港したエッセイが付されていますが、このエッセイと本編の間に約10年の歳月があり、より死が身近なものになっている印象を受けます。

臨死体験.jpg臨死体験 下.jpg 第2章の看護学生に向けての講演も、第1章に劣らす本書の中核を成すものですが、内容的には著者の『臨死体験』('94年/文芸春秋)をぐっと圧縮してかみ砕いた感じだったでしょうか。ただ、その中で、検事総長だった伊藤栄樹(1925-1988)の『人は死ねばゴミになる―私のがんとの闘い』('88年/新潮社)といった本などの紹介しています。学術分野で言えば、第2章は脳科学であるのに対し、第3章は大脳生理学といったところでしょうか(著者は、'87年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進へのインタビュー『精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』['90年/文藝春秋]など早くからこの分野にも関わっている)。

I死は怖くないtukushi.jpg また、この中で、「NEWS23」のキャスターで73歳でガンで亡くなっただった筑紫哲也(1935-2008)のことに触れられていて、ガン治療に専念するといって番組を休んだ後、ほぼ治ったと(Good PR)いうことで復帰したものの、2か月後に再発して再度番組を休み、結局帰らぬ人となったことについて(当時まだ亡くなって2年しか経っていないので聴く側も記憶に新しかったと思うが)、「Good PR」はガンの病巣が縮小しただけで、まだガンは残っている状態であり、これを「ほぼ治った」と筑紫さんは理解してしまったのだとしています。かつては、病名告知も予後告知もどちらも家族にするのが原則でしたが、最近は本人に言うのが原則で、ただし、予後告知とか、どこまで本人がきちんと理解できるような形でお行われているのか、或いは、詳しくは言わない方がいいという医師の判断が働いていたりするのか、考えさせられました。

 それにしても、著者は、こうしたガン治療の最前線を追いかけながら、自分自身は大学病院に再度院したものの、検査や治療、リハビリを拒否し、「病状の回復を積極的な治療で目指すのではなく、少しでも全身状態を平穏で、苦痛がない毎日であるように維持する」との(QOL優先)方針の別の病院に転院しています。病状が急変したとき、看護師のみで医師が不在だったらしく、その辺りがどうかなあというのはありますが、あくまでも本人の希望がそういうことだったならば...(これも本人の希望に沿って、樹木葬で埋葬された)。
 
 このことから思うのは、著者の〈知〉の対象は、あくまでも〈対象〉であって、その中に著者自身は取り込まれていない印象を受けます。もちろん「QOL優先」については、テレビ番組の取材などを通して放射線や抗ガン剤治療が患者のQOLを下げた上に、結局その患者は亡くなってしまったといった例も見てきただろうから、その影響を受けている可能性はあるし、「QOL優先」自体が「たガン治療の最前線」のトレンドと言えなくもないですが。

 かつての『田中角栄研究』にしても、当時は「巨悪を暴いた」みたいな印象がありましたが、本人は田中角栄という人物の編み出した金権構造に、システムとしての関心があったのではないかと思います。だから、『脳死』とか『サル学の現在』とか、別のテーマにすっと入っていけたのではないかと、勝手に推測しています。

【2018年文庫化[文春文庫]】

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成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、自らがそう認めている「幸運」が窺い知れる。

幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書).jpg本庶佑 ノーベル賞 授賞式.jpg  がん免疫療法とは何か (岩波新書).png
幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書)』 『がん免疫療法とは何か (岩波新書)
本庶佑博士のノーベル賞受賞記念講演 2018年12月7日 カロリンスカ研究所
 2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した著者による本書は6編からなり、人間が幸福を感じる仕組みを生物学的に説いた論文「幸福感に関する生物学的随想」(1999年)と、2018年12月にストックホルムのカロリンスカ研究所で行ったノーベル賞の受賞記念講演(所謂ノーベルレクチャーと呼ばれるもので、ネットで視聴が可能)の後に正式な原稿にまとめてノーベル財団に提出した2つの英文稿の翻訳のうちの1つで、自身の半生を述べた「ひょうたんから駒を生んだ、私の幸せな人生」と、もう1つの英文稿の翻訳で、ノーベル賞の受賞理由である「免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見」について書かれた英文稿の翻訳「獲得免疫の思いがけない幸運」、さらに、2019年1月に皇居で講書始(こうしょはじめ)の儀での講義「免疫の力でがんを治せる時代」、そして、前述の英文稿2稿から成っています(165pまでが和文稿4編で、以降264pまでが英文稿2編、内容的には実質的4編ということになる)。

 冒頭の「幸福感に関する生物学的随想」は面白かったですが、不快感を経験し克服する過程に、不安感のない幸福感が得られるとしていて、自身の生活を厳しく律して生物学の研究に打ち込む著者の姿勢が窺えたように思います(ちょっと人生訓っぽい感じもするが)。

 「ひょうたんから駒を生んだ、私の幸せな人生」は自叙伝風ですが、後半からだんだん誰とどのような研究を積み重ねてきたという学究遍歴となっており、やや専門的に。「獲得免疫の思いがけない幸運」において専門性はさらに高まり、ただし、一緒に研究したかしないかに関わらず、がん免疫療法に貢献した日本及び外国の学者の名前や業績が平等に取り上げられていて、何だかとても律儀な人だなあという印象を受けました。

講書始の儀 本庶 佑2.jpg講書始の儀 本庶 佑1.jpg 結局、最後の、平成31年の講書始の儀での講義「免疫の力でがんを治せる時代」が一番分かりよかったかも。昭仁上皇が天皇在位中に行われた最後の講書始の儀となったものですが、簡潔ながらも、聴く方もそれなりに集中力がいるかも。ただ、このがん免疫療法というのは医学界でに注目度は高まっており、注目されるだけでなく実際にトレンド的と言っていいくらい多くのがん患者の治療に応用されているようです。

オプジーボとは.gif がん免疫療法は大きく2つの種類に分かれ、1つは、がん細胞を攻撃し、免疫応答を亢進する免疫細胞を活かした治療で、アクセルを踏むような治療法と言え、もう1つは、免疫応答を抑える分子の働きを妨げることによる治療で、いわばブレーキを外すような治療法であり、オプジーボなどは後者の代表格で、がん細胞を攻撃するT細胞(PD-1)にブレーキをかける分子の働きを阻害することで、T細胞のがん細胞に対する本来の攻撃性を取り戻させ、抗腫瘍効果を発揮させるということのようです。免疫のアクセルを踏むことばかりに集中するのではなく、がん細胞の免疫へのブレーキを外してやるという発想の転換がまさに〈発見〉的成果に繋がったと言えるかと思いますが、そうした成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、また、自らがそう認めている「幸運」があったのだなあと思いました。

(上)オプジーボとは(小野薬品ホームページより)
(下)ノーベル賞受賞記念講演をする著者(ANNニュースより)
「がんは持病レベルになる」本庶氏.jpg 著者は、「がんは持病レベルになる」とまで言い切っています。「がんの治療法を発見すればノーベル賞」という見方は一般の人の間でもずっと以前からありましたが、がん撲滅に向けて大きな進捗させる役割を果たしたという点で、まさにノーベル賞に相応しい功績です。ただ、本書について言えば、構成上、やや寄せ集め的な印象が無くもなく、論文の目的も違えば難易度も不統一なので、免疫療法についてもっと知りたいと思う人は他書に読み進むのもいいのではないでしょうか。

 岩波新書に著者の『がん免疫療法とは何か』('19年)があり、いつもならそちらを先に読んだかもしれませんが、ノーベル賞を受賞してからの急遽の刊行だったらしく、書下ろしと旧著からの引用が混在していて内容にダブりがあったりし、難易度的にもそう易しくないようなので、今回は「祥伝社新書」にしてみました(そう言えば、祥伝社新書の創刊第1冊が、平岩正樹医師による『抗癌剤―知らずに亡くなる年間30万人』だった。会社勤めしながら3か月間の勉強期間を経て東京大学理科三類に合格という平岩氏と、ノーベル賞をもらう人とでどちらが頭がいいかとか考えても意味ないか(笑))。

 余談ですが、著者は和装でノーベル賞授賞式に出席したことが話題となりましたが(日本人の和装は1968年に文学賞を受けた小説家の川端康成以来)、本来、ストックホルム・コンサートホールで行われる授賞式に出席する男性受賞者は、夜の正礼装である「燕尾服」がドレスコードとされるものの、「民族衣装」も公式に認められており、和装はこれに該当するようです。

ユニクロ柳井氏、京大に寄付.jpg 先月['20年6月]、京都大学が「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長から総額100億円の寄付を受けると発表、本庶佑特別教授が進める「がん免疫療法」の研究や、同じくノーベル医学生理学賞の受賞者である山中伸弥教授のiPS細胞を用いた研究に活用するとしており、柳井会長、本庶教授、山中教授の3人で記者会見に臨んでそのスリーショットが新聞に出ているくらいなので、両教授の研究分野への将来の期待の高さが窺えます。

ユニクロ柳井氏、京大に100億円寄付 本庶氏、山中氏の研究支援 - 2020年6月24日毎日新聞

 しかし、やはり、京大出身者は自然科学分野でのノーベル賞レース、強いね。

「京大ゆかりのノーベル賞受賞者は10人に 「自由な学風」が生み出す」(産経WEST 2018.10.2)
京大ゆかりのノーベル賞受賞者.jpg

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シニアが自立した健康生活を送るには「体幹と下半身の筋肉トレーニング」が必須と説く。

体力の正体は筋肉 (集英社新書).jpg体力の正体は筋肉.jpg 樋口 満 受賞1.jpg 
体力の正体は筋肉 (集英社新書)』第20回(2017年)「秩父宮記念スポーツ医・科学賞功労賞」表彰式

樋口 満 受賞2.jpg 今やスポーツジムのメインの利用者はシニア世代だと言われるのは、ジムにもよりますが、行ってみるとその通りだなあとも思わされます。このことは増田晶文 著『50歳を過ぎても身体が10歳若返る筋トレ』('14年/SB新書)のエントリーでも取り上げましたが、今もその傾向は続いているようです。

樋口 満 先生11.jpg樋口 満 先生2.jpg 早稲田大学スポーツ科学学術院教授で、2017年・第20回「秩父宮記念スポーツ医・科学賞功労賞」を受賞した著者による本書では、シニアにとって自立した健康な生活を送るために必須なものは「体幹と下半身の筋肉トレーニング」であると言い切っています。この"言い切り"ぶりが分かりやすいですが、体力とはなにか、体力をつけるのに筋肉はなぜ重要なのかを科学的にきちんと説明しているところはさすが専門家であり、また、誰でも簡単に自宅でもできる「ローイング」(ボート漕ぎ運動)というトレーニング法を紹介するとともに、筋肉にとって最適な食生活についても紹介しています。 

「稲士会」 第13期定期総会(講演会:早稲田大学スポーツ科学学術院・樋口満教授 「ミドル&シニア・エイジのための食楽&動楽」(2017年9月23日)
 
 「アンチ・エイジング」という言葉に対して、アンチ・エイジングが「抗・老化」であるのに対し。「ウィズ・エイジング」(「共・老化」)、「アクティブ・エイジング」(「脱・老化」)という言葉を紹介しており、啓発的であると思いました。年齢を重ねても、運動習慣や食生活といったライフスタイルを見直し、健康を保ち、閉じこもらずにさまざまな社会活動に参加する―それによって背活の質(QOL)を高め、自立寿命を延ばさなければならないとのことです。

 全体を通して、ものすごい"新説"が登場するわけではないですが、データに基づいて科学的に解説されており、その分、著者が「最強」と推す「ローイング」の効用にも納得してしまいます。ただし、それ一辺倒ではなく、ウォーキングやスロージョギング、スイミングなどの効用も説くとともに、効率的かつ安全に楽しむにはどうすればよいか解説しています。また、「椅子を使った筋トレ」など、自宅で手軽にできる運動も、イラスト解説しています。

 要するに、有酸素運動もレジスタンス運動(筋トレ)もどちらも大事で、「ローイング」などはその両方を兼ね添えているのだなあと。とにかく、筋肉は動かさないとすぐに委縮し、その機能も著しく低下する"怠け者(サボリ屋)"でり、使えば必ず機能が向上するだけでなく、他の臓器・器官など全身に好影響を与える"働き者(頑張り屋)"であることを改めて認識させられました。

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脳卒中からの脳科学者の回復の記録。まさに奇跡的。その回復要因をもっと考察して欲しかった。

奇跡の脳1.JPG奇跡の脳.jpg  奇跡の脳 文庫.jpg Jill Bolte Taylor Ph.D. in TED.jpg
奇跡の脳』['09年]『奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき (新潮文庫)』['12年] Jill Bolte Taylor Ph.D. in TED

 著者のジル・ボルト・テイラー(Jill Bolte Taylor Ph.D.)はハーバードの第一線で活躍する脳科学者でしたが、1996年12月10日の朝、目覚めとともに脳卒中に襲われ、歩くことも話すことも、読むことも書くこともできず、記憶や人生の思い出が失われていくという事態に陥ります。

 彼女を襲った病気は、脳動静脈奇形(AVM)による脳出血(脳卒中は血管が詰まる「脳梗塞」と血管が破れて出血する「脳出血」に大別される)でしたが、本書は、そうした"心の沈黙"という形のない奈落の世界に一旦は突き落とされたものの、そこから完全に立ち直ることが出来た彼女が、後から長い時間をかけて自らの陥った状況を思い出し、科学者として分析し、回復の過程をまとめたものです(原題は"My Stroke of Insight A Brain Scientist's Personal Journey")。

 脳卒中に襲われた朝の自身の心理状態などが詳しく書かれていますが、その瞬間、これで脳の機能が失われていく様を内側から研究できると思ったというのがスゴイね。「時間が流れている」という感覚も、「私の身体の境界」という感覚も、脳の中で作り出された概念に過ぎないということを、それを失うことによって悟ってしまうというのも。

 脳卒中などによる機能障害は、最初はリハビリの効果が見られても6ヵ月ぐらいで症状が固着し、そこからはあまり目覚ましい回復は見られないというのが一般的であるのに対し、彼女の場合は年ごとに身体機能と知的活動を行う力を回復し、8年ぐらいかけて身体機能を元に戻すとともに、研究の場に完全復帰しています。

 そこには並々ではない努力はあったと思われるものの、脳の大手術を受けたこと、また障害の重さなどから言うと、やはり"奇跡的回復"と言っていいのでは(「身体の境界」の感覚が戻ったのは7年目だという)。

 彼女の場合、主にダメージを受けたのは左脳であったため、左脳が司っていた言語機能、理性や時間感覚が失われる一方で、右脳の芸術家的機能が活発化していったわけで、本書の後半は、「左脳マインド」に対する「右脳マインド」の話になっていて、プラグマティックであると同時に、ややスピリチュアルな雰囲気も。

 本書は全米で50万部売れ、彼女の「TED」(Technology Entertainment Design)でのプレゼンの様子はユーチューブで何百万回も視聴されたそうですが、それを見ると、この人、相当のプレゼンテーターというか、教祖的な雰囲気もあって、確かにアメリカ人には受けそうだなあ(但し、日本でも、NHK-BSハイビジョンで特番が組まれた。訳者・竹内薫氏の仕掛けもあったとは思うが)。

 彼女が陥った脳機能障害について、図説などを用いて丁寧に解説してあるのが親切で、一方、まさに"奇跡"であるところの回復過程についてはさらっと済ませてしまっていて、「努力」だけでこのような回復を遂げられるものではなく、何らかの特別な要因があったと思われるのですがそれにはさほど触れず、その後は「右脳マインド」の話になってしまっているのが、個人的にはやや不満。そうした"奇跡"が起きたことの「神秘」が、そのまま後半のスピリチュアリズムに受け継がれているといった感じでしょうか。

それでも、そうした「右脳マインド」の話にしても、体験者、しかも脳科学者が語っているだけに、凡百の啓蒙書などに書かれていることなどよりは、ずっと説得力はあったように思います。

【2012年文庫化[新潮文庫(『奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき』)]】

【2298】 ○ 水野 俊哉 『明日使える世界のビジネス書をあらすじで読む』 (2014/04 ティー・オーエンタテインメント)

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番組制作の"メタ・ドキュメント"。取材者と取材される側という枠を超え、師弟関係のようになっていくのが興味深い。

脳梗塞からの脳梗塞からの 多田富雄.jpg
脳梗塞からの"再生"―免疫学者・多田富雄の闘い』NHKスペシャル「脳梗塞からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」より(2005.12.4)

 世界的な免疫学者・多田富雄(1934-2010.4.21)は、'01年に旅先の金沢で脳梗塞に見舞われ、数日間死線を彷徨った後に生還したものの、後遺症によって発語機能が奪われるとともに右半身不随になり、突然に不自由な生活を強いられるようになりますが、その闘病の記録は、'05年にNHKスペシャル「脳梗塞からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」として放映され、自分自身この番組を見て、トーキングエイド(音声機能付パソコン)でしか意思疎通できない多田氏のリハビリ並びに闘病生活の凄まじさに驚かされた記憶があります。

リハビリに励む多田富雄氏.jpg 本書は、そのドキュメンタリー番組を担当した女性ディレクターが("Nスぺ"のテーマって局内公募で決まるんだなあ)、番組並びに多田氏が自ら綴った闘病手記「鈍重な巨人」を補足するかたちで書いた取材記であり、'05年に約半年に渡って行われた番組制作のための取材を軸に構成された"メタ・ドキュメント"となっています。

寡黙なる巨人.jpg 多田氏自身の闘病手記は『寡黙なる巨人』('07年/集英社)として刊行され、'08年度の「小林秀雄賞」を受賞しており、個人的にも読んで感銘を受けましたが、その多田氏を取材する側から書かれた本書は、また違った角度から多田氏の闘病ぶりやその人柄を伝えるものであり、更に、番組制作の背景にこんなこともあったのかなどとこれまで知らなかった出来事がいろいろ書かれていて、そうした点からも関心と感動を持って読み進めることができました。

 当初、取材する側から見て多田氏が「演技」しているように見えたということで、これはドキュメンタリーを撮る側からすると望ましいことではないと思われたものの、取材を進めるうちに、それらの一見カメラサービス的な行動も含め、すべて自分の生きざまをそのまま曝け出そうとする多田氏の思いの表れであったことに著者の考えが行きついたとのことで、そうした転機を経て、著者の多田氏への取材は奥深いものとなっていきます。

 取材の過程での著者の質問等に対する対応も丁寧で、ただ丁寧であるだけでなく、多田氏の方から著者に、より突っ込んだ主観的な疑問をぶつけてくることを求めているような感じで、そこには、単なる取材される側と取材者やインタビュアーという枠を超えて、師弟のような関係が生まれているようにも感じられました(この点でも著者は、取材者は客観的な観察者であるべきという考えを途中から改め、どんどん自分の率直な疑問を多田氏にぶつけていくことになる)。

 脳梗塞の後遺症に加えて前立腺がんをも発症した多田氏は、取材期間中に睾丸の摘出手術を受け、さらにガンの転移が懸念されるなど絶望的な状況に陥るものの、それでも「歩き続けて果てに熄(や)む」との信念のもとリハビリを続けますが、それは、リハビリが多田氏にとって人間の尊厳を回復する営みであったためです。

 そうした強い信念を多田氏が持ち続けることが出来た背後には、医師である式江夫人の支えがあったことが本書から窺え、但し、そこには一般にイメージされがちな悲愴感は無く、ユーモアに満ちた会話が遣り取りされていて、多田氏は病を得る以前は"超"亭主関白であったあったとのことですが、半身不随となってから、対等な暖かい夫婦の関係が新たに形成されたことも窺えました。

 それにしても、半身不随となり、話すことも書くこともままならい状態になってからの方が創作意欲が増したというのはスゴイことで、実際、先に挙げた『寡黙なる巨人』をはじめ何冊もの著書を上梓していて、そればかりでなく、介護問題などに対する社会的発言を積極的に行い、且つ、研究生活においては引き続き後進の指導に当たるという―このエネルギーはどこからくるのか。

 本書は、「知の巨人」と言われた多田氏の"素"の部分をふんだんに見せながらも、そのことによって更に多田富雄という人間の大きさを伝えるものになっているようにも感じました。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄.bmp 本書の原稿にも多田氏は目を通し、「NEK的スタイルにとらわれるな」と著者にアドバイスし、亡くなる前月に訪れた際には「ヤメル トモダチノ キロクデ イインデス」とトーキングエイに打ち込んだということであり、また、亡くなる10日前にも東大でトーキングエイドを使って講演し、この時にはすでに肺に癌性胸水が溜まって息をするのも辛かったはずであるにも関わらず、講演会が終了した後の打ち上げにも顔を出してスタッフを労ったということです。

 こんな人、これからはそう簡単に現れないだろうなあ。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄氏(2008/08/28)【共同通信】

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オーソッドックスな認知症の入門書であり、分かり易い。

知っておきたい認知症の基本.jpg 『知っておきたい認知症の基本 (集英社新書 386I)』 親の「ぼけ」に気づいたら 文春新書.jpg 『親の「ぼけ」に気づいたら (文春新書)

 認知症臨床医の斎藤正彦氏の『親の「ぼけ」に気づいたら』(2005年/文春新書)を読んで、認知症患者本人とその介護にあたる家族の生き方の問題まで突っ込んで書かれていたので、入門書でありながらもちょっと感動してしまったのですが、こちらは、1996年以来「物忘れ外来」で多くの患者を診察してきた川畑信也医師が書いたオーソッドックスな認知症の入門書であり、個人的にはこちらの方を先に読みました。

 厚労省が「痴呆性疾患」改め「認知症」という"新語"の使用を決めたのが2004年頃で、本書の刊行が2007年ですから、この頃には「認知症」という言葉がある程度一般に定着してきていたのではないでしょうか。

 但し、著者の言うように、「認知症」と「アルツハイマー病」の違いがまだよく理解されていなかったりもして、本書では、その辺りの解説から入って(要するに、「アルツハイマー病」という病気(原因)によって「認知症」という状態(結果)が引き起こされるという関係)、認知症とはどういった状態を指し、その中核症状や周辺症状はどういったものかを説明しています。

 更に、認知症を引き起こす代表的な病気として、アルツハイマー病と脳血管性認知症についてそれぞれ1章を割いて解説するとともに、治療可能な認知症を見逃さないようにするには、どういった点に注意すればよいかが書かれています。

 また、認知症は、上手な介護と適切な対応によってその進行を遅らせることができるとし、薬物療法や、事例からみた介護の在り方についても書かれています。

当時、認知症について書かれた本は数多く出されたように思いますが、その中でも分かり易い方でした。

 とりわけ、アルツハイマー病の早期兆候として、①物忘れ(記憶障害)、②日時の概念の混乱、③怒りっぽくなる(易怒性)、④自発性の低下、意欲の減退、の4つを挙げているのが分かりよかったです。

一方、脳血管性認知症については、脳血管障害に由来する神経症状に認知症がみられると脳血管性認知症と診断されるが、これは誤りであり、脳血管障害を発症する前に、認知症がすでに存在していた可能性があるとし、更に、アルツハイマー病でみられる認知症状が脳血管障害によって悪化するという傾向があるとしています。

 かつてが「痴呆性疾患」と言えば脳血管障害がメインの原因であり、それが90年代にアルツハイマー病と脳血管障害が拮抗するようになり、著者の「物忘れ外来」での過去10年間の受診者の診断内訳は、アルツハイマー病が52.9%で、脳血管性認知症は5.4%となっています。

 著者は、脳血管性認知症はかなり曖昧であり、実際にそのように診断されているよりも遥かに数は少ないのではないかとしていますが、近年の世間一般の統計は、著者の「物忘れ外来」での診断分布にどんどん近くなっていて、アルツハイマー病が「認知症」の原因としては圧倒的に多くなっているようです。

 アルツハイマー病の患者が急に増えたわけではなく、これまで見過ごされていたことが窺えて興味深かったです。

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入門書として優れ、患者とそれを見守る家族に対する著者の暖かい眼差しも感じられる本。

『親の「ぼけ」に気づいたら』.JPG親の「ぼけ」に気づいたら 文春新書.jpg 『親の「ぼけ」に気づいたら (文春新書)

 親が「痴呆性疾患」に罹ったらどうすればよいかということを、臨床医である著者の経験から幾つかの事例を複合させて構成した一人の患者のモデルケースと、その介護にあたった家族の架空の物語を軸に分かり易く解説して、その間、「ぼけ」とはどのようなものかを解説するとともに、その他の様々な症例とそれに対する家族の対応などもケーススタディとして織り込んでいます(本書刊行の前年に厚労省は「認知症」という"新語"の使用を決めているが、本書ではまだ一般の読者に馴染みがないことから「痴呆」という言葉を用いている)。

 メインとなっているモデルケースは、75歳の会社経営者で、家族は、妻と2人の息子に1人の娘―話は、本人が好きだったゴルフをやらなくなったことから始まり、実はそれはスコアを正確に記録することができなくなったためなのですが、当初は、家族それぞれに主人公の病状や介護の在り方について意見が違ったりもし、また、初期の段階で一番たいへんなのは、本人を医者に診せることだったりするのだなあと。

 このモデルケースの場合、ゆっくり進行するアルツハイマー症で、その初期から終末までの10年間を全14話にわたって追っていますが、間に挟まれているケーススタディ(全17エピソード)には、脳血管性疾患など様々な症例が取り上げられていて、ただ症例として取り上げるだけではなく、メインストーリーと同じく、厳しい現実に直面した家族の苦労と具体的な対処、家族の介護に対する考え方、ひいては家族並びに本人の人生観にまで踏み込んで書かれていて、それらもまた一つ一つが物語となっており、介護入門書としても読み物としても奥深いものとなっています。

 痴呆性疾患の種類や様態について詳しく解説されているほか(「早期の診断」の重要性を感じた)、介護制度の現状や介護施設の選び方、成年後見人制度等の情報も網羅されています。

 患者とそれを見守る家族に対する著者の暖かい眼差しが感じられる本でもあり、最後に、病気が進行して栄養摂取障害となった際に経管栄養(胃瘻など)を行うかどうかという問題について、メインとなっているモデルケースは家族の意向を汲んでそれを行っていますが、著者自身の考えとしてはやるべきではないとしていて、ここまでの著者の語り口からみて説得力がありました。

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学術書を一般向けに噛み砕いた感じ。アルツ予防にはカロリー摂取の制限と、運動、知的活動か。

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ぼけの防止3.JPG

ぼけの予防 (岩波新書)

第1章「ぼけとは何か」と第2章「ぼけの診断」において認知症(老人性痴呆症)について概説し、認知症の中でも90年代以降アルツハイマー病が増えてきていることを指摘、本書のメインとなる第3章「アルツハイマー病の予防」で、その予防法を、本書刊行時における最新の臨床研究の成果を紹介しながら、傾向的に解説しています。

 そのため、認知症全般の予防というよりは、アルツハイマー病の予防に関する研究成果を紹介した入門書と言ってよく、但し、アルツハイマー病との関連上、健康・長寿に関する話なども出てきます。

 「臨床研究からこうした傾向が見られるが、その原因は幾つか考えられ(諸説あり)、一つは○○...」といった書かかれ方をしている部分が多いですが、アプリオリに特定の原因と予防法を押し付けるのではなく、データを基に傾向として示しているところに、かえって信頼感が持てました。

 アルツハイマー病の予防に関しては、食生活、嗜好品のとり方、生活習慣と頭の使い方、薬とサプリメントの効用の4つの点から解説していますが、食生活のおいては、摂取カロリーを制限することが予防に有効であることは、統計的に証明されているようです。

日野原重明.bmp 個別事例としては、1911年生まれの日野原重明氏が紹介されていて(本書刊行時94歳)、NHKのドキュメンタリーで紹介された、当時のある一日の暮らしぶり、仕事ぶりを改めて紹介していますが、朝起きて柔軟体操をした後に、りんごジュース、にんじんスープ、牛乳とコーヒーという液体だけの朝食(りんごジュースにはサラダ油をちょっと落とす)、午前中に講演した後の昼食は立食パーティで牛乳コップ1杯のみ、午後は大学で90分立ちっぱなしで講義し、夕食は茶碗少し目のご飯に味噌汁、サラダと副食二品、1日の摂取カロリーは1300キロカロリー。

 年齢によって理想の摂取カロリーは変わってきますが、摂取カロリーの高い人は低い人の1.5倍の率でアルツハイマーになりやすく(これも原因は分かっていない)、日野原氏自身が言う「腹七分目」というのは、アルツハイマー病予防の一つの鍵なのだろうなあと。

 但し、日野原氏と同じような生活をしても日野原氏のように長生きできるかどうかは、寿命には様々な要素が絡むため分からないとのこと(この人、100歳を超えて今も元気だなあ。やや怪物的かも)。

 食生活ではそのほか、動物性脂肪のとりすぎは悪く、野菜や果物をよくとることは予防にいいとし、「酒」は飲み過ぎは良くないが適量であれば飲まないよりはよく、「運動すること」や「頭を使うこと」はアルツ予防にいいと―。

 このあたりは大方の予想がつきそうな内容でしたが、統計的にそのことを示す一方で、原因が科学的に解明されている部分と未解明の部分があることを示し、未解明の部分については考えられている仮説を逐一紹介したりしているのが「岩波新書」らしいところ(学術研究書を一般向けに噛み砕いた感じ)。

 「頭を使うこと」が予防にいいということについて、大変興味深い海外のケースが紹介されていて、ある修道院の修道女を対象に行った加齢と認知症に関する追跡調査で、調査協力の意思表明後101歳で死亡した修道女の脳を解剖したら、脳萎縮などのアルツハイマー病の症状が見られたものの、この修道女は亡くなる直前まで聡明で知能検査でも高い得点を出していたと。

 彼女に認知症の症状がなく聡明だった理由は、若い時分からから老年期に至るまで知的好奇心と知的活動を維持してためと考えられるようですが、脳を使えば使うほど、神経細胞の一部は数が多くなり、脳内のネットワークが強化され、加齢による神経細胞の脱落をカバーして、認知症になるのを遅らせることに繋がるようです。

 それにしても、脳が実際にルツハイマー病の症状を呈していたのに、生活面でそれが症状として現れることが無かったというのは、実に興味深い事例だと思いました。

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図説等での分かり易い説明。不眠症にもいろいろあるのだなあと。

不眠症の科学ド.jpg不眠症の科学.bmp
不眠症の科学 過労やストレスで寝つけない現代人が効率よく睡眠をとる方法とは? (サイエンス・アイ新書)

 睡眠のメカニズムや不眠症について、広く分かり易く解説されています。「昼寝をすると認知症になりやすい」「寝る子は育つ」といった言説は、必ずしも正しいとは言えないのだなあ。

 部分的にはかなり専門的な箇所もありますが、この新書レーベルの特長を生かして図説を多用し、例えば、総睡眠時間に占めるレム睡眠が比率が年齢と共に低下することなどが、グラフを用いて分かり易く示されています。

 睡眠障害には、大きく分けて、所謂「不眠症」のほかに「睡眠関連呼吸障害」「中枢性過眠症」「概日リズム睡眠障害」「睡眠時随伴症」「睡眠関連運動障害」などがあり、それぞれの中にまた幾つかの類型症状があって、「不眠症」だけでも、適応障害不眠症、精神生理性不眠障害、逆説性不眠症、気分障害・パニック障害、外傷性ストレス障害、不適切な睡眠衛生、薬剤もしくは物質による不眠症、内科的疾患による不眠症―といった具合に、原因別に様々な種類があることを知りました。

不眠症の科学2.bmp ナルコレプシー「中枢性過眠症」の一種で、「睡眠時随伴症」には反復孤発生睡眠麻痺などという難しい症状名もあり、悪夢障害や頭内爆発音症候群なんていうのもある。
 更には「睡眠関連運動障害」の中に"むずむず症候群"なんていうのもあって興味深いですが、医者がこれらをきちんと診断できるのかなあ。
 この辺りは、あまりに症状が多すぎて、やや網羅的になったキライもします(所謂「家庭の医学」的な本を読んでいる感じも)。

 不眠が及ぼす影響として、肥満や糖尿病、高血圧などが挙げれていますが、とりわけうつ病との関連が強調されていて、不眠症からうつ病にはなり易く、不眠症がありながらその治療をしなかった人のうつ病発症率は、不眠症の治療者の40倍という調査結果もあるそうです。

 興味深いのは、日本での不眠による経済的損失を年間3兆円強と試算していることで(交通事故の10倍以上)、さらに、過去に国内外で起きた大事故で、不眠に起因しているもの、不眠との関連が疑われるものを挙げています。

東名阪自動車玉突き事故(三重県鈴鹿市/2002年8月10日午前5時40分ごろ)
2002年 東名阪自動車道 玉突き事故.jpg 国内での不眠に起因する事故例として、'02年8月10日の東名阪自動車道玉突き事故(児童を含む2家族5人が焼死、6人が重軽傷)を挙げていますが、居眠り運転していた大型トレーラーの運転手は、事故直前の4日間で16時間しか寝ていなかったとのこと。しかし、こうした事故は繰り返関越自動車道高速バス居眠り運転事故.jpgされるもので、つい最近も、今年['12年]GW初めの4月29日に群馬県藤岡市で起きた関越自動車道高速バス居眠り運転事故で乗客7人が死亡、その外の乗客全員にあたる39人が重軽傷を負い、高速バスの衝突事故と軽井沢スキーバス転落事故.jpgしては史上最悪の被害をもたらしていますが、このバスの運転手は事故前にサービスエリアで、ハンドルに突っ伏して寝ていた寝ていたといいます。(その後、2016年1月15日、長野県北佐久郡軽井沢町の国道18号碓氷バイパスで所謂軽井沢スキーバス転落事故が発生。死亡者15名、負傷者26名。これも、過労運転や居眠り運転の可能性が疑われている。)

軽井沢スキーバス転落事故(長野県北佐久郡軽井沢町/2016年1月)

クレーン車が登校中の小学生に.jpg そう言えば、昨年['11年]4月18日には、栃木県鹿沼市でクレーン車が登校中の小学生に突っ込み、児童6人が死亡するという痛ましい大事故が起きており、運転手は居眠りをしていたと証言しているものの、運転手が会社を出てから3分しかたっていないことから、こちらはナルコレプシーによる事故であったことが疑われています。

登校の列にクレーン車(栃木県鹿沼市/2011年4月18日)

 うつ病も怖いけれど、運転手の睡眠不足や睡眠障害も怖いなあ(ツアーバスなどの場合、乗客は乗ってしまうと途中で降りるわけにもいかず、バスが何となくふらふら運行していたりした場合、一体どうすればいい?)。

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逆説睡眠(REM)睡眠、ナルコレプシー...。分かり易いし、新書本としては充実した内容。

眠る本4.JPG【眠る本.jpg『眠る本―いつでもどこでも快眠健康法』['75年/トクマブックス]

 脳生理学者で東大精神医学教室の医局長だった著者が、不眠症など眠りに関する症例を多く取り上げ、眠りの科学を分かり易く解説した本で、個人的には初読はかなり以前ですが、その際に多くの知見を得られた本です(「トクマブックス」にはUFO本とか霊能力本とか結構怪しげな本も多いが、本書は実にまとも)。

 4章構成の第1章「あなたはなぜ眠れないか」では、不眠ノイローゼと本格的な不眠症では異なるとしており、また、不眠症にも、寝付きが悪く朝方になって眠るため起床がつらいタイプや、寝付きはよいが夜中に目を覚まして後は眠れないタイプ、寝付きが悪く一睡もできないものなど、様々なタイプがあって、一時的にこうした症状に見舞われることは誰にでもあるとしています。

 第2章「眠りの科学」の中には、断眠実験の話が出てきますが、米国のディスクジョッキーがチャリティー番組で200時間(8日と8時間)の断眠に挑戦したところ、終りの頃には舌がもつれ、妄想性精神病の症状を呈したとのこと、本書刊行時点での断眠の世界記録は、17際の少年による264時間(11日間)だそうです。

 この記録、当時の睡眠学の権威ウィリアム・C・デメントも、有り得ることとしていますが(この頃、デメントの『夜明かしする人,眠る人』やアン・ファラデーの『ドリームパワー』も読んだなあ)、著者は、その間にマイクロ・スリープ(微小な眠り)があったのではないかとの疑念を呈しています(脳波測定器で検証しながらの断眠実験では、4日から5日程度が限度であると)。

 逆説睡眠(REM睡眠)について知ったのも本書で、これは2時間の睡眠サイクルのうちの30分間は、眠っているんだけれど脳が活発に活動しているパラ睡眠状態であるというもの。新生児はその睡眠時間(16時間から18時間)の50%は逆説睡眠で、それが、成長とともにその比率が減り、5歳頃には25%程度になっているとのこと(REM睡眠というのは、寝ている赤ちゃんの瞼の下の眼球の動き(Rapid Eye Movement)から発見されたことに由来する名称)。

 第3章「何が眠りを妨げているのか」では、不眠の原因を様々な角度から解説していますが、特にうつ病による不眠を重点的に取り上げていて、これ、自殺に至るケースも多いそうです。怖いなあ。うつ病と不眠症の関係は、最近でも、坪田聡 著『不眠症の科学-過労やストレスで寝つけない現代人が効率よく睡眠をとる方法とは?』('11年/サイエンス・アイ新書)などで取り上げられています。

眠る本965.JPG 睡眠障害の様々な種類をあげていますが、ナルコレプシー(居眠り病)もその一つ(警官が泥棒を追いかけようとした途端ナルコレプシーに襲われ、地べたにうっぷしている挿絵があるけれど、こんなにいきなりナルコに陥るものなのかなあ)。「居眠り先生」こと色川式大(=阿佐田哲也=朝だ、徹夜)のそれが有名でした。また、子供の不眠と老人の不眠とでは原因が異なるともしています。

 第4章「どうすれば眠れるか」では、まず、不眠の理由を検討し、原因を把握して納得すること、そして、何事も欲張り過ぎず、自分の生活のリズムに従い、寝る前に気にかかることは片付けておくことが大事だとしています。

眠る本66.JPG やはり、運動が一番いいみたいで、運動は眠りのリズムを整え、脳の働きをよくするそうです。あとは、食事は腹八分が良く、タバコは、気分転換効果はあるけれど吸い過ぎるとニコチンが脳を覚ますので眠りが浅くなると。寝酒は有効だけれども、睡眠薬だと思うのは禁物...etc.

 安眠のための環境づくりについても、室温・冷暖房や寝まき・枕の選び方等いろいろ書かれていて、最後に睡眠薬の上手な使い方が書かれてますが、これはやはり医者によく相談した方がいいのでしょう。

 睡眠薬への過度の依存は問題があるとし、「睡眠薬中毒になった芥川龍之介」と「クスリを上手に使った西條八十」を対比させています。

 分かり易いし、読んでいて面白く、個人的には充実した内容でした。

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短い余命宣告で奈落に落ちた人が、立ち直るにはどうすればよいかを真摯に考察。

がんを生きる 佐々木常雄.gif 佐々木 常雄 『がんを生きる』.jpg
がんを生きる (講談社現代新書)』 ['09年]

 がんの拠点病院(がん・感染センター都立駒込病院)の院長が書いた本ですが、制がん治療について書かれたものではなく、「もう治療法がない」と言われ、短い余命を宣告されて奈落に落とされた人が、立ち直るようにするにはどうしたらよいかということを真摯に考察したものです。

 本書によれば、'85年頃までは、医師は患者にがん告知をしなかった時代で、それ以降も'00年頃までは、告知しても予後は告げない時代だったとのこと、それが、今世紀に入り、「真実を医師が話し、患者が知る」時代となり、自らの余命が3ヵ月しかない、或いは1ヵ月しかないということを患者自身が知るようになった―そうした状況において、死の淵にある患者の側に立った緩和ケアはいかにあるべきかというのは、極めて難しいテーマだと思いました。

 著者自らが経験した数多くのがん患者の"看取り"から、19のエピソードを紹介していますが、中には担当医から「余命1週間」(エピソード5)と宣告された人もいて、著者自身、個々の患者への対応の在り方は本当にそれで良かったのだろうかと煩悶している様が窺えます。

 端的に言えば、如何にして突如目前に迫った死の恐怖を乗り越えるかという問題なのですが、著者の扱った終末期の患者のエピソードに勝手に解釈を加え、患者が死を受容し精神の高み達したかのように「美談仕立て」にした輩に著者は憤りを表す一方で、多くの書物や先人の言葉を引いて、そこから緩和ケアの糸口になるものを見出そうとしています。

 親鸞などの仏教者や哲学者、或いは、比較的最近の、宗教系大学の学長や高名な精神科医の言葉なども紹介していますが、それらを相対比較しながらも、あまりに宗教色の強いものや、俗念を離脱して人格の高みに達しているかのようなものには、自分自身がそうはなれないとして、素直に懐疑の念を示しています。

 結局、著者自身、本書で絶対的な"解決策"というものを明確に打ち出しているわけではなく、著者の挙げたエピソードの中の患者も殆どが失意や無念さの内に亡くなっているというのが現実かと思いますが、それでも、エピソードの紹介が進むつれて、その中に幾つかに、患者が心安らかになる手掛かりとなるようなものもあったように思います。
 
 例えば、毎年恒例となっている病棟の桜の花見会に、末期の患者をその希望に沿ってストレッチャーに乗せて連れていった時、その患者が見せた喜びの表情(エピソード2)、独身男性患者に、亡くなっていく人の心が何らかのかたちで残される人に伝わることを話す看護師の努力(エピソード13)、日々の新聞のコラム記事の切り抜きに没頭する、その切抜きを後で見直す機会は持たない女性患者(エピソード15)、お世話になった人への挨拶など、死に向かう"けじめ"の手続きをこなす余命3ヵ月の元大学教授(エピソード16)、病を得たのをきっかけに亡くなった友人のことを思い出したことで安寧な心を得たように思われる歌人(エピソード16)、余命1ヵ月と聞かされショックを受けた後、今度は急に仕事への意欲が湧いてきた"五嶋さん"という男性(エピソード19)等々(この"五嶋さん"は、余命1週間と言われ、1週間後に著者に挨拶に来て、その2日後に亡くなったエピソード5の人と同人物)。

 最後の"五嶋さん"のエピソードは、同じく余命1ヵ月の病床で、何も出来ず生きていても意味がないと思っていたら、夫から「君が生きていればそれでいい」と言われ、夫が後で見てくれるようにと"家事ノート"を作り始めた"秋葉さん"の話(エピソード1)にも繋がっているように思えました。

 そうしたことを通して末期の患者らの死の恐怖が緩和され、安寧を得たかどうかについても、著者は慎重な見方はしているものの、ただ不可知論で本書を終わらせるのではなく、奈落から這い上がるヒントとなると思われる項目を、「人は誰でも、心の奥に安心できる心を持っているのだ」「生きていて、まだ役に立つことがあると思える人は、奈落から早く這い上がる可能性が高い」など8つ挙げ、また、終章を「短い命の宣告で心が辛い状況にある方へ―奈落から這い上がる具体的方法」とし、その方法を示しています(①気持ちの整理、とりあえず書いてみる、②泣ける、話せる相手を見つける)。

 人間は死が近づいても心の中に安寧でいられる要素を持っているという著者の信念(生物学的仮説)に共感する一方、宗教を信じていない状況で、「あなたの余命は3ヵ月です」などと言われるようなことは医療の歴史では嘗て無かったわけで、心理面での緩和ケアの在り方が、今後のターミナルケアの大きな課題になるように思いました。

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ストイックな姿勢が貫かれ知的な考察に満ちたものでありながら、「素直な絶望」の記録でもある。
わたし、ガンです ある精神科医の耐病記.gif 『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)』['01年]頼藤 和寛.jpg 頼藤和寛(よりふじ かずひろ)神戸女学院大学・人間科学科教授 (2001年4月8日没/享年53/略歴下記)

 精神科医である著者に直腸がんが見つかったのが'99(平成11)年晩夏で、入院・手術が'00(平成12)年6月、本書は主にその年の夏から秋にかけて書かれ、'01(平成13)年4月、丁度著者が亡くなった月に刊行されています。

 冒頭で、従来の「涙なみだの家族愛」的な闘病記や「私は○○で助かった」的な生還記となることを拒み、現代医学や医療への遠慮をすることもなく、だからと言って、現代医療の問題を告発する「良心的な医師」にもならず、がん患者やその家族を安心させることを目的ともせず、"やぶれかぶれの一患者"として「素直に絶望すること」を試みた記録とあります。

がんと向き合って 上野創.jpg 「闘病」ではなく「耐病」という言葉を用いているのは、実際に闘ったのは治療に伴う副作用に対してであり、がんそのものに対し、「闘う」というイメージは持てなかったためであるとのこと。抗がん剤治療の副作用の苦痛は、上野創 著 『がんと向き合って』('01年/文藝春秋)でも、比較的ポジティブな性格の著者が自殺を考えるまでの欝状態に追い込まれたことが記されていました。

 精神科医とは言え、さすがは医師、中盤部分は、がんという病やその治療に関する医学的な考察が多く織り込まれていて、がんの原因の不確実性、『患者よ、がんと闘うな』('96年/文藝春秋)近藤誠氏に対する共感と一部批判、アガリスクなどの代替医療や精神神経免疫学などに対する考察は、非常に冷静なものであるように思えました。

 "やぶれかぶれ"と言っても、現実と願望を混同せず、常に「認識の鬼」であろうとするその姿勢は、終盤の、いつ生を終えるかもわからない状況になってからの、自らの死生観の変化の検証、考察にも表れていているように思います。

 読者に阿ることなく(同病の読者にさえも不用意に同調・同感しないようにと注意を促している)死について冷徹に考察し、自らの50余年の生を振り返り、人間存在の意味を限られた時間の中で、既存宗教への帰依によることなく探る様は、独自の永劫回帰的想念に到達する一方で、「ちょっとお先に失礼しなければならない」という表現にも見られるように、ある種の諦念に収斂されていったかのようにも思えました。

 ノンフィクション作家の柳田邦男氏が、自分ががんになったら、達観したかのように振舞うのではなく、素直に絶望を吐露するといったことを言っていましたが、本書は、がん患者の記録としては、最もストイックな姿勢が貫かれ知的な考察に満ちた類のものでありながら、それでいて「素直な絶望」の記録でもあると言えます。
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頼藤和寛の人生応援団.jpg頼藤和寛(よりふじ かずひろ)
昭和22(1947)年、大阪市生まれ。昭和47年、大阪大学医学部卒業。麻酔科、外科を経て、精神医学を専攻。昭和50年、堺浅香山病院精神科勤務。昭和54年より阪大病院精神神経科に勤務。昭和61年より大阪府中央児童相談所(現・中央子ども家庭センター)主幹、大阪大学医学部非常勤講師を経て、平成10年より神戸女学院大学人間科学部教授。医学博士。

 産経新聞に平成3年2月より、人生相談「家族診ます(のちに人生応援団に改題)」を連載。
達意の文章とニヒルな人間洞察に支えられた30冊以上の著書を残す。(扶桑社ホームページより)

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同じ苦しみを抱えた患者やその家族への(押付けがましさのない)「励ましの書」として読み得る。
がんと向き合って 上野創.jpg上野 創 『がんと向き合って』.jpg がんと向き合って 上野創 文庫.jpg 上野 創.jpg
がんと向き合って』['02年]『がんと向き合って (朝日文庫)』['07年] 上野 創 氏

 朝日新聞の若き記者のがん闘病記で、'03(平成15)年・第51回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作。著者は朝日新聞横浜支局勤務の'97年、26歳の時に睾丸腫瘍になり、肺にも数え切れないぐらいの転移があったということ、そうした告知を受けた時のショックがストレートに、且つ、記者らしく客観的な視点から綴られています。

 そして、同僚記者である恋人からの、彼ががんであることを知ったうえでのプロポーズと結婚、初めてのがん闘病生活と退院復帰、1年遅れで挙げた結婚式とがんの再発、そして再々発―。

 結局、こうした2度の再発と苛烈な苦痛を伴う抗がん治療を乗り越え、31歳を迎えたところで単行本('02年刊行)の方は終わっていますが、文庫版('07年刊行)で、記者としての社会人生活を続ける中、3度目の再発を怖れながらも自分なりの死生観を育みつつある様子が、飾らないトーンで語られています。

 冒頭から状況はかなり悲観的なものであるにも関わらず、強いなあ、この人と思いました。抗がん剤の副作用の苦しみの中で、自殺を考えたり、鬱状態にはなっていますが、そうした壁を乗り越えるたびに人間的に大きくなっていくような感じで、でも、自分がひとかどの人物であるような語り口ではなく、むしろ、周囲への感謝の念が深まっていくことで謙虚さを増しているような印象、その謙虚さは、自然や人間の生死に対する感じ方、考え方にも敷衍されているような印象を受けました。

 やはり、奥さんの「彼にとって死はいつも一人称だ。しかし、私が考える『死』はいつも二人称だ」という言葉からもわかるように、彼女の支えが大きいように思われ、文庫解説の鎌田實医師の「病気との闘いの中で彼女は夫の死を一・五人称ぐらいにした」という表現が、簡にして要を得ているように思います。

 がん闘病記は少なからず世にあるのに、本書が「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞したのは、文章が洗練されているからといった理由ではなく、同じ苦しみを抱えた患者やその家族への「励ましの書」として読み得るからでしょう(感動の"押付けがましさ"のようなものが感じられない点がいい)。

米原 万里(よねはらまり)エッセイスト・日ロ同時通訳.jpg絵門ゆう子.jpg 本書は、'00年秋の朝日新聞神奈川版での連載がベースになっていますが、エッセイストの絵門ゆう子氏(元NHKアナウンサー池田裕子氏)が、進行した乳がんと闘いながら、朝日新聞東京本社版に「がんとゆっくり日記」を連載していた際には、著者はその連載担当であったとのこと、絵門さんは帰らぬ人となりましたが('06年4月3日没/享年49)、以前、米原万里氏の書評エッセイで、免疫学者の多田富雄氏が脳梗塞で倒れたことを気にかけていたところ、米原さん自身が卵巣がんになり、絵門さんに続くように不帰の人となったことを思い出し('06年5月25日没/享年56)、人の運命とはわからないものだなあと(自分も含めて、そうなのだが)。
 
 【2007年文庫化[朝日文庫]】

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ルポライターの書。病室で患者を診ている医師の視点とはまた異なった訴求力。

まだ、タバコですか?.jpg 『まだ、タバコですか? (講談社現代新書)』 ['07年] 禁煙バトルロワイヤル.jpg 『禁煙バトルロワイヤル (集英社新書 463I)』 ['09年]

 太田光と奥仲哲弥医師の『禁煙バトルロワイヤル』('08年/集英社新書)の後に読みましたが、『禁煙バトルロワイヤル』がどこまで本気で喫煙者にタバコを止めさせようとしているのか、よくわからない部分もあったのに対し、本書はストレートにタバコの害悪を説いた本(但し、あくまでも"害悪"について書かれていて、"止め方"を教示しているのではない)。

 著者は医師ではなく映画助監督を経てルポライターになった人ですが、そのためか、タバコの健康上の害悪だけでなく、タバコの歴史や社会的背景、米国など海外の事情、タバコ製造会社とそれをとりまく内外の事情から、ポイ捨てタバコの環境への影響、新幹線の車内販売員の受動喫煙といったことまで、広範にわたって書かれています。

 タバコが止められない原因を、身体的依存と心理的依存にわけているのは興味深かったですが、著者は心理的依存がかなり大きいと見ているようです(その論法でいくと、本書のような"知識"を提供するのが主体の本は、喫煙者の禁煙への直接的動機づけにはなりにくい?)。

 タバコの身体への影響などの医学的な問題は、科学的なデータをもとにかなり突っ込んで書かれていて、相当の資料・データ収集の跡が窺えます。

 タバコを吸うと頭が冴えると俗に言うけれど、ある予備校の浪人生の大学合格率が、喫煙者20%台、浪人中の禁煙成功者30%台、非喫煙者40%台だったという、その調査結果よりも、よくそんなデータがあったなあと感心してしまいました(この「冴える」という感覚と絶対的な「能力水準」との関係のカラクリも示している)。

 病気との関係も、クモ膜下出血、アルツハイマー病(「喫煙はアルツハイマー病を予防する」というのは誤解に基づく俗説であると)、脳の老化から、肺がんなどのがんや気管支の疾患まで、特定の病気の専門医が書いたものよりも、むしろ広範に取り上げています。

 本書には、IARCの調査(2004)で、喫煙者は非喫煙者に比べ、肺がんには15〜30倍、喉頭がんには10倍罹り易いとありますが、『禁煙バトルロワイヤル』に出ていた別の機関の調査では、肺がんには4.5倍、喉頭がんには32.5倍になっていて、喉頭がんの危険性の方が強調されていました。

 但し、本書では、実際に喉頭がんに罹った人を取材していて、こちらの方が訴求力あるように思われ、更には『禁煙バトルロワイヤル』で「死ぬに死ねない」苦しい病気とされていたCOPD(慢性気管支炎や肺気腫などの慢性閉塞性肺疾患の総称)についても、実際にそうした病気を抱えながら、生きて日々の生活を送っている人を複数取材しています。

 喫煙の危険性を世に訴えるために取材に協力した、そうした人々の生活の実際に踏み込んで取材しているため、病室で患者を診ている医師の視点とはまた異なった訴求力を持ったものになっているように思いました。

 米国で、タバコの健康に対する悪影響について、タバコ会社内で研究結果の隠蔽が行われたことが、司法上の問題になった事例が取り上げられていますが、著者は、日本専売公社の元研究員への取材から、日本において政府官庁から、そうした研究に対して同様の圧力があったことを示唆しています。

 著者も指摘するように、JTの筆頭株主は財務省(全株式の50%を保有)であり、こうした構図が変わらない限りは、著者流に言えば、国民を"騙し続ける"体質は変わらないのではないかと。

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医学と哲学(原理主義批判?)の互いに交わらない別々の話か。

禁煙バトルロワイヤル2.jpg禁煙バトルロワイヤル.jpg
禁煙バトルロワイヤル (集英社新書 463I)』 ['09年]

 「ヘビースモーカーのお笑い芸人」vs.「最強の禁煙医師」の激論とのことで、肺がんの外科治療が専門の奥仲哲弥医師が、愛煙家である爆笑問題の太田光の喫煙をやめさせようとして、タバコの健康面への悪影響を説くものの、太田光の方は独自の"タバコ哲学"のようなものを展開して、一向にやめようとする気配がない―。

 奥仲医師は、やや自信喪失になりながらも、健康面の害悪やそれに伴う疾病の恐ろしさを具体的に解説していますが、一方で、太田光の"タバコ哲学"にも付き合ったりしていて、最後は、一日5本位なら癌のリスクは低くなるし、COPD(慢性閉塞性肺疾患)になる前に天寿を全う出来るといった言い方までしています。

 こうした話を喫煙者に対してするのはどうかなというのもありますが(喫煙者に迎合し過ぎととる人もいるだろう)、そこに至るまでのタバコの健康面での悪影響や、健康診断(CTと喀痰検査)の必要性についての話は、それなりに説得力があったように思いました。
 但し、後者(健康診断の話)は、タバコを吸い続けている人へのアドバイスであり、条件付きで喫煙を容認しているわけであって、結果として、本書を読んでタバコの喫煙本数を減らす人はいても、やめる人はいないのではないかと。 

 太田光の"タバコ哲学"に関しては読む人の賛否は割れるのではないかと思われますが、共感できる部分もある反面、論理の飛躍も見られ、そもそも、哲学や精神的な問題と、医学的な問題は同列では論じられない気がしました。 
 世の中の喫煙問題・嫌煙運動に対しては一見ノンポリ風に見えながらも、「俺がなにか言ったりすることで、傷ついているやつはいっぱいいるだろうし、それを全部考えると、タバコでかけてる迷惑なんか、俺の中では(中略)少ないだろうと思うし、大した罪悪感もない」というのは、"喫煙=悪、禁煙=善"という二元論(=一元論=原理主義)に対する彼なりのアンチテーゼなのかも。

 奥仲医師は、「最強の禁煙医師」と言うより、「現実論的な禁煙医師」という感じで、禁煙医師としては"異端"乃至"亜流"ということになるのかも(爆笑問題と同じタレント事務所に"所属"しているということはともかくとして)。
 エキセントリックとも思える嫌煙運動に対して、奥仲医師の方が太田光以上にストレートに嫌悪感を表しているのが興味深かったです。

 振り返ってみれば、禁煙の説得に対して太田光が折れないために奥仲医師が様々な視点から話をするというのは、医者という職業が患者という顧客あってのサービス業であるという性格を有していることを示すと同時に、もともとが医学と哲学の互いに交わらない別々の話であって、本書の企画からすれば最初からのお約束事であったように思え、そうした流れでの奥仲医師による解説の中で、例えば、喫煙者のがんの罹患率は、肺がんが非喫煙者の4.5倍であるのに対し、喉頭がんは32.5倍にもなるといったことなど、個人的には新たに知ったことも少なからずありました。
忌野清志郎.jpg
 '08年刊行の本ですが、文中に名前のある忌野清志郎も、当時はがんから復活したかのように見えたものの、'09年に亡くなっていて、彼も始まりは喉頭がんだった...(吉田拓郎、柴田恭平は大丈夫か)。

《読書MEMO》
●タバコの害で肺がんより怖いのが、呼吸が苦しくなるCOPD(慢性閉塞性肺疾患)(36p)
●吸う一人と吸わない人では、喉頭がんの罹患率は32.5倍(60p)
●女性の人権が高い国は、喫煙率も男女平等?
 女性の喫煙率...中国4.2%、韓国4.8%(男65.1%)、日本12.4%(男41.3%)、米国14.9%(男19.1%)、フィンランド18.2%(男26.0%)、ニュージーランド22%(男22%)、英国23%(男25%)ノルウェー24%(男24%)、オランダ26%(男35%)、アイルランド26%(男28%)[OECD Health Date 2007](111‐113p)
●タバコ事業の管轄は厚生労働省ではなく、財務省(今でもJTの筆頭株主)(119‐120p)
●1日5本主義-3食の後と風呂、飲酒後(135p)

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とりあえず1回目の予測は外した感があるが、警戒は必要ということか。

パンデミック―22.jpg小林 照幸 パンデミック.jpg  apocalypse-outbreak-431.jpg OUTBREAK3.bmp
パンデミック―感染爆発から生き残るために (新潮新書)』 ['09年]/映画「アウトブレイク」ダスティン・ホフマン/レネ・ルッソ

インフルエンザ.jpg パンデミック(感染爆発)の脅威と、それに対し国や医療機関、個人はどう対応すべきかについて書かれた本で、「新型インフルエンザ」を主として扱ってはいますが、デング熱、マラリア、成人はしかなど、その他の感染症についても言及されています。但し、その分、「新型インフルエンザ」についての解説がやや浅くなった感じがします(帯には「『新型インフルエンザ』の恐怖」と書かれているのだが)。

 本書の刊行は'09年2月で、'03年12月に国内で発生したH5N1型の「鳥インフルエンザウイルス」をベースに、「新型インルエンザ」について、その恐ろしさ、社会に及ぼす影響が近未来小説風の描写を交えて書かれていて(著者はノンフィクションライター兼作家)、"新たな"「新型インフルエンザ」がいつ発生してもおかしくない、或いはパンデミックはすでに始まっているかも知れないとしています。

 そして、実際に本書刊行の2カ月後に「新型インフルエンザ」がメキシコに発生し、その後日本にも上陸、冬季に限らず夏場でも感染拡大する可能性があること、タミフルが一定の治療効果を持つであろうことなど、本書に書かれている幾つかの「予想」も外れていませんでしたが、そもそも、この2009年型の「新型インフルエンザ」はH1N1亜型に属するもので、感染力は強いが致死率はH5型のものよりずっと低いタイプのものでした。

 この点は、WHOも当初は読み違えていたし、また、国や厚労省もそうした弱毒性のインフルエンザを想定していなかったために、却って余計な混乱を招いたという面があり、本書も「新型インフルエンザがH5N1型で発生するかどうかはわからない」と一応は書かれているものの、新型インフルエンザが発生すると「日本で約64万人が死ぬ!」などと帯にも書かれていたりして、こうした混乱を結果として助長した側面も無きにしも非ずか。

 後半部の「対応」の部分は取材源が限定的で、役所やマスコミの発表文書を引き写したような記述も多いように思えましたが、前半部のインフルエンザの特性や、「アウトブレイク」と「パンデミック」の違いなどの解説は分かり易かったです。

OUTBREAK.jpg 映画「アウトブレイク」('95年/米)でモチーフとなった架空のウィルスは、「エイズ」をモデルにしたのかどうかは知りませんが、映画自体はスリリングな娯楽作品であると共に大変恐ろしかったし、結果として'02年にアフリカで発生した「エボラ出血熱」を予見するような内容になっていて、「予言的中度」はかなり高かったと言えるのでは。

 因みに、前世紀初頭(1918年)にアメリカ発で世界中に広まったスペイン風邪(H1N1型)で1年余りの間に4千万人が死亡し、これは中世(14世紀)ヨーロッパで大流行した黒死病(本書ではぺストとされているが腺ペストではなくエボラのような出血熱ウイルスだったという説もある)の死者3千5百万人をも上回るものだったとのことです。

 地球上の人口が増え、交通機関が発達し、日常的に人々が行き来する現代、人類にとってパンデミックが脅威であることは、著者の指摘の通りだと思います。

Rene Russo (レネ・ルッソ) in「アウトブレイク [DVD]
OUTBREAK.bmp「アウトブレイク.jpg 「アウトブレイク」●原題:OUTBREAK●制作年:1995年●制作国:アメリカ●監督:ウォルフガング・ペーターゼン●製作:ゲイル・カッツ/アーノルド・コペルソン●脚本:ローレンス・ドゥウォレットアウトブレイク01.jpg/ロバート・ロイ・プール●撮影:ミヒャエル・バルハウス●音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード●時間:127分●出演:ダスティン・ホフマン/レネ・ルッソモーガン・フリーマン/ケヴィン・スペイシー/キューバ・グッディング・ジュニア/ドナルド・サザーランド/パトリック・デンプシー●日本公開:1995/04●配給:ワーナー・ブラザース映画(評価:★★★★)

レネ・ルッソ in「メジャーリーグ」('89年)映画デビュー作
レネ・ルッソ メジャーリーグ2.jpgレネ・ルッソ メジャーリーグ.jpg

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脳梗塞の後遺症によるハンデを負いつつ、単なる闘病記を超えたメッセージを伝える。

寡黙なる巨人.jpg 『寡黙なる巨人』(2007/07 集英社)多田富雄.jpg NHKスペシャル「脳梗塞(こうそく)からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」より(2005.12.4)
多田 富雄 『寡黙なる巨人』.jpg 2008(平成20)年度・第7回「小林秀雄賞」受賞作。     

 世界的な免疫学者である著者は、'01年に旅先の金沢で脳梗塞に見舞われ、数日間死線を彷徨った後に生還したものの、後遺症によって発語機能が奪われるとともに右半身不随になり、突然に不自由な生活を強いられるようになりますが、本書はその闘病(リハビリ)の過程において自分の中に目覚めた新たなる人格、生への欲動とでも言うべきものを「寡黙なる巨人」として対象化し、巨人とともに歩む自分を通して、単なる闘病記を超えたメッセージを読者に伝えるものとなっています。
   
     
リハビリに励む多田富雄氏.jpg '05年12月にNHKスペシャルとして放映された「脳梗塞(こうそく)からの"再生"〜免疫学者・多田富雄の闘い〜」を見たときの、キーボードを打つと音声を発する機械で会話する著者の様に強く印象づけられましたが、既にこの時点でガン告知も受けており、まさか著者の書いたものがこうした1冊の単行本になって新たに上梓され、それを読むことができるとは思いませんでした。ワープロは病いに倒れて初めて使用したとのことで、'05年の段階でも、あまりスピードは速くなかったように思います(と言うか、めちゃくちゃ遅かった...)。

 にもかかわらず、病いに倒れてからの方が活発に創作活動をしているということで、本のページすらまともにめくることが出来ないようなハンデキャップなのに、知的創作力は衰えておらず、もともとエッセイストクラブ賞も受賞(『独酌余滴』('99年/朝日新聞社))している文筆家でもありますが、後半のアンソロジーにはそれぞれに深みがあって、以前よりもキレが増したような気さえします(小林秀雄や中原中也についての論考が個人的には興味深かったが、リハビリテーション医療に対する社会的提言や福祉政策への批判なども含まれていて、思考が内に籠もっていない)。

 しかし、それにも増して驚くのは、本の前半を占める100ページ近くも通しで書かれた「闘病記」で、病いに倒れたときの臨死体験に近い経験や、意識が戻ったものの、全身の筋肉が不随意となり、唾液すら自分で飲み込めない地獄のような苦しみ、明けても暮れても自死を考える日々、苦しいリハビリなどを経て初めて1歩だけ歩けた時の歓びなどが、切々と伝わってきます。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄.bmp 確かに、脳梗塞で倒れ不自由な生活を送っている人は多くいるかと思いますが、介助する人に恵まれていたとは言え、これだけのハンデキャップを負いながら、これだけ冷静に力強くその闘病を伝えたケースというのも稀ではないでしょうか。「小林秀雄賞」の受賞会見で著者は、キーボード音声機器で、「本当にうれしい。渾身で書いた。修道僧のように書くことだけが生きがい」と、その喜びを述べています。

小林秀雄賞を受賞し、記者会見する多田富雄氏(2008/08/28)【共同通信】

 【2010年文庫化[集英社文庫]】

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考察は深いが、"オーバー・ゼネラリゼーション"が目立つ。哲学エッセイ的要素も。

「痴呆老人」は何を見ているか.jpg 『「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書 248)』 ['08年] 大井 玄.jpg 大井 玄 氏

 「痴呆」というものがどういったものであるかを、「周辺症状」と「純粋症状」がごっちゃになっている世間の偏見を正して改めて定義・解説していて(「認知症」という言葉が用語として不完全であるため、「痴呆」という言葉を敢えて用いたというのもよくわかった)、「周辺症状」が取り沙汰される程度に差が生じる背景には「文化差」があるとの指摘からの、欧米における延命治療拒否の背景に「自立性尊重」の倫理意識があるという話への流れは、終末医療の在り方への1つの問題提起となっているように思えました(日本の文化的・倫理的土壌では延命治療をしないことはなかなか難しいだろうけれど)。

 また、「痴呆」状態にある老人を通して、「私」とは何か?「世界」とは何か?という著者自身の考察がなされていて、それはそれで深いものであり、但し、我々は皆多かれ少なかれ「痴呆」であるという見方(この見方そのものはわからないでもないが)から、論の運び方がややオーバー・ゼネラリゼーションが目立ったように思えました。
 ブッシュ大統領の9.11テロ後の「我々の味方でない者は全て敵」的な態度が、パニック状態に陥った認知症の老人と同じであるとか。この本って、社会批評本?だったの、という感じ。

 本書にある、医師として「痴呆」老人と真摯に向き合った体験は重いけれども、そこからの哲学的考察は主観的なものであり、科学との結びつけにおいても、例えば、「痴呆」老人と外部環境の関わりを、ゾウリムシの繊毛による食物獲得反応に擬えて、ゾウリムシも「痴呆」老人も(多かれ少なかれ我々も)主観により「世界を構築している」としていますが、ゾウリムシの「主観」と一緒にされたのでは...。

 結構、Amazon.com.などでも評価の高かった本ではないかと思いますが、個人的には、こうした医療体験の話や医学知識の部分と哲学(非科学?)や社会批評との間を、"オーバー・ゼネラリゼーション"(過剰な普遍化作用)により行き来するのが自分にとって相性が悪く、頷ける部分も多々あったものの、全体的には最後まで読みづらさが抜けませんでした。

 著者は、東大医学部からハーバード大に渡り、その後、東大医学部教授、国立環境研究所所長を務め、その間、臨床医の立場を維持しながら国際保健、地域医療、終末期医療に携わってきたこの分野の大ベテランであり権威でもある人。
 前著『痴呆の哲学』('04年/弘文堂)を平易にし、新たな視点をも加えたものとのことですが、思い出話的な語り口もあって、「東大退官記念」エッセイみたいな感じも。

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"葬送のセレモニー"の意義について考えさせられた。

誕生死.jpg 『誕生死』['02年]
読売新聞 2002.8.23(朝刊)
誕生死 読売新聞2002.8.23(朝刊).jpg 赤ちゃんを流産・死産・新生児死で亡くした親たちの手記が紹介されている本で、'02年に刊行された際に反響を呼びましたが、特に同じ経験をした人から強い共感が寄せられたそうで、それだけ、同じ体験をし、独り悩んだり葛藤したりしている人が多いと言うことでしょうか。

 出産準備のための本は多くあっても、それは無事に出産することを前提に書かれているものばかりであり、それだけに、経験者のその時の哀しみの大きさは計り知れないものだと思いますが、こうして手記の形で自分の身に起きたことを対象化し、心情を吐露することは、哀しみを浄化する働きもあるのかも。

 少なくともこの本に登場する親たちは、哀しみを乗り越える糸口を見出し、強く生きているように思え、例えば、その後も子どもを産み、兄弟がいたことをわが子にオープンにしているケースが多いことを見ても、それが窺えます。

 この本が出来上がったきっかけは、こうした経験をした母親の1人がインターネットの自らのホームページにその経験を綴ったことからだそうですが、アメリカなどではこうした共通の哀しい体験をした人のサークルやコミュニティが数多くあり、日本の場合は、交通遺児の会は以前からあり、また最近では、犯罪被害者や家族が自殺した人の集まりなどもありますが、この分野はまだまだではないでしょうか。     

stillborn.jpg  死産や新生児死の場合、哀しみを受け入れ、それを乗り越える手立てとして、ささやかながらでも"葬送のセレモニー"を行うということが1つあるのではと、本書を読んで思いました。外国では、医師の側から、亡くなった子を兄弟に抱っこさせたり、家族みんなで一緒に写真を撮ったりするよう勧めてくれるそうで、別れの時間をゆっくり過ごせるような配慮がされていると、本書のあとがきにあります。

 流産・死産・新生児死を総称して"STILLBORN"(それでもなお生まれてきた)と呼ぶそうですが、この言葉で検索すると、そうした葬送のセレモニーの写真などを掲載したホームページが幾つもあることがわかります。

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「原因」も「基準」もわからない部分が多いが、対策は一応あります、という感じ。

人はなぜ太るのか 肥満を科学する.jpg人はなぜ太るのか―肥満を科学する (岩波新書)』['06年]岡田 正彦.jpg 岡田正彦氏(略歴下記)
 
ダイエット.jpg 本書の内容を自分なりの印象で大きく分けると、肥満の「原因」「基準」「対処」についてそれぞれ述べられていると考えられ、そのうち、本書タイトルにあたる「原因」については、まだわかっていないことが多いということがわかった―という感じです(後天的なものか先天的なものかというのは、ヒトを使った長期的実験が出来ないため、完全に検証することは事実上不可能ということ)。

 それと、最近話題になっている「肥満の基準」についてですが、本書では〈BMI(体重/身長の2乗)〉が有効であり、〈ウエスト周囲長〉も、心筋梗塞の発生率などとの相関は高いとしていますが、最近、自宅でも使える電気抵抗を利用した測定器がブームの〈体脂肪率〉は、皮下脂肪と内臓脂肪を区分せず測定した結果であるなどの問題点があるそうです(個人的には、スポーツクラブでこの「ボディスキャン」体験した。体組成を"部位別"に測定できるのが売りで、筋肉量・骨量・体脂肪・基礎代謝などが5分間程度で測定できて手軽ではあったが、この場合の"部位別"とは、上半身や脚部ということであり、身体の内側・外側ということではないようだ)。

 だから〈BMI〉が基準として完璧かと言うと、スポーツ選手などでは当て嵌まらないケースもあり(BMI批判として体脂肪率が提唱された)、また、メタボリックシンドロームの主たる判定基準となっている〈ウエスト周囲長〉も、数値区分の根拠を明確化できていないため、実際にメタボリックかどうかを判定する際は、中性脂肪比、血圧、血糖値などと併せて総合判定しているとのこと。

 「原因」も「基準」もわからない部分が多いけれども、肥満対策は一応考えねば、という感じですが、予防医学の専門家であるだけに、運動療法や食事療法、医学療法などは、コンパクトに網羅されていて、一方、酒の飲み方と肥満の関係では俗説を正したりもし、また、同じ食事内容でもコレステロールの蓄積度には個人差が大きいことを指摘していて、なかなか興味深かったです。

 ダイエット本が多く出版されていますが、著者によれば、その多くは個人的体験を綴ったものにすぎず、そこで示されるダイエット法には、ナンセンスなものや、時に有害なものあるとのこと、それに対して本書は、「学術論文と同じぐらい新しく、間違いがなく、役に立つ情報を、わかりやすく纏めたつもり」であるとのこと、肥満の原因のわからない部分や、肥満の基準の曖昧な点を明かしているのは、学者としては良心的であるということになるかも。
 本書の内容の信用度自体は高いと思われるので、肥満が気になる人には啓蒙書として手元に置いておくと、少し安心できるかも知れません(安心するだけではいけないのだが)。
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岡田 正彦 (新潟大学医学部教授)
経 歴
1972年 新潟大学医学部卒業
1972年  同  医学部附属病院内科研修医
1974年  同  脳研究所助手
1990年  同  医学部教授
受 賞
・新潟日報文化賞(1981年度)
・臨床病理学研究振興基金「小酒井望賞」(2001年度)
実用化した研究
・悪玉中性脂肪の測定法(2005年):「悪玉中性脂肪(VLDL-TG)」の開発に成功、商品化の準備中。メタボリック・シンドロームを診断するための究極の検査法になると考えている。
・新潟スタディ(2000年):健常者約2,000名の健康状態を追跡調査している。目的は、日本人における動脈硬化症の危険因子を探るため。LDLコレステロール、HbA1c、肥満度、収縮期血圧が重要であることを発見。

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医学が進んでも、難治性がんは残る。進行がんへの向き合い方、さらには人生について考えさせられる本。

がんとどう向き合うか.jpg 『がんとどう向き合うか』(2007/05 岩波新書) 額田 勲.jpg 額田 勲 医師 (経歴下記)

 著者は長年地方医療に携わり、多くのがん患者と接してきた経験豊富な医師で、がん専門医ではないですが、がんという病の本質や特徴をよくとらえている本だと思いました。

 がん細胞というのは"倍々ゲーム"的に増殖していくわけですが、本書によれば、最初のがん細胞が分裂するのに1週間から1年を要し、その後次第に分裂速度が速まるということで(「ダブリング・タイム」)、1グラム程度になるまでかなり時間がかかり、その後は10回ぐらいの分裂で1キロもの巨大腫瘍になる、その間に症状が見つかることが殆どだとのこと。

 細胞のがん化の開始が30代40代だとしても数十年単位の時間をかけてがん細胞は増殖することになり、つまり、がんというのは潜伏期間が数十年ぐらいと長い病気で、早期発見とか予防というのが元来難しく、長生きすればするほどがん発生率は高まるとのことです。

 以前には今世紀中にがんはなくなるといった予測もあり、実際胃がんなどは近年激減していますが、一方で膵臓がんはその性質上依然として難治性の高いがんであり、またC型肝炎から肝臓がんに移行するケースや、転移が見つかったが原発巣が不明のがんの治療の難しさについても触れられています。

 こうした難治性のものも含め、"がんと向き合う"ということの難しさを、中野孝次、吉村昭といった著名人から、著者自らが接した患者まで(ああすればよかったという反省も含め)とりあげ、更に自らのがん発症経験を(医師としてのインサイダー的優位を自覚しながら)赤裸々に語っています。

 医学的に手の打ち様がない患者の場合は、対処療法的な所謂「姑息的な手術」が行われることがあるが、それによって死期までのQOL(Quality of Life)を高めることができる場合もあり、抗がん剤の投与についても、「生存期間×QOL」が評価の基準になりつつあるとのこと。

 著者は、がんについて「治る」「治らない」の二分法で医療を語る時代は過ぎたとし(最近のがん対策基本法に対しては、こうした旧来のコンセプトを引き摺っているとして批判している)、進行がん患者にはいずれ生と死についての「選択と決断」を本人しなければならず、それは人それぞれの人生観で違ったものとなってくることが実例をあげて述べられていて、医療のみならず人生について考えさせられる本です。
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糠田 勲 (ぬかだ・いさお)
1940年、神戸市灘区生まれ。京都大学薬学部、鹿児島大学医学部卒業。専門は内科。2003年、全国の保健医療分野で草の根的活動をする人を対象にした「若月賞」を受賞。著書に「孤独死―被災地神戸で考える人間の復興」(岩波書店)など。

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認知症についての基礎知識が得られるとともに、著者の人間的な研究姿勢に頭が下がる。

認知症とは何か.jpg 『認知症とは何か (岩波新書)』 〔'05年〕  小澤 勲.jpg 小澤 勲 医師 (略歴下記)

 本書によれば、認知症というのは、記憶障害や思考障害などいくつかの症状の集まりを指す本来は「症候群」と呼ぶべきものであるとのことですが、代表的な疾患として、変性疾患アルツハイマー病など脳の神経細胞が死滅、脱落して、脳が萎縮することによるもの)脳血管性認知症(脳の血管が詰まったり破れたりすることによるもの)があるとのこと。

 中核症状としての記憶障害が現れるのは、身体に染み込んだ記憶(非陳述的記憶)よりも言語で示される記憶(陳述的記憶)においてが先で、その中でも、単語の意味や概念などの「意味記憶」よりも、「いつ、どこで、何をした」というような「エピソード記憶」の障害から始まることが多いとのこと、また、「リボーの原則」というものがあり、代表的な原則の1つが「記憶は最近のものから失われていく」というもので、認知症患者に接した経験のある人には、何れもそれなりに得心する部分が多いのではないでしょうか。

 老人医療施設などで老人が輪になってデイケアを受けている場面がよくありますが、著者によれば、アルツハイマー病と脳血管性認知症では「生き方」が全く異なり、アルツハイマー病患者は共同性を求めるが脳血管性の患者は個別性を求めるので、こうした輪には馴染みにくいとのことです。
 知り合いの老人医療施設に勤める人が、こうした集団的デイケアにまったく参加しようとしない患者さんも多くいるという話をしていたのを思い出しました。

吾妹子哀し.jpg 本書前半の第1部は、こうした認知症に関する客観的・医学的知識を紹介しているのに対し、後半の第2部では、文学作品(青山光二『吾妹子哀し(わぎもこかなし)』)を通して、認知症患者の心のありかを探るとともに、クリスティーンさんという認知症を抱えながらも講演活動で世界中を飛び回っている女性患者を通して、認知症の不自由とは何かを考察しています。

 彼女のケースはかなり稀有なものであるような気がしますが、「高機能認知症」という著者オリジナルの推論的概念は興味深いものがあり、また、著者自身が余命1年というがん宣告を受けている身でありながら、精神科医として、また人間として、認知症患者の世界に深く関わり続けようとする姿勢には頭が下がる思いがしました。
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小澤 勲 (おざわ いさお)
1938年、神奈川県生まれ。京都大学医学部卒業。京都府立洛南病院勤務。同病院副院長、老人保健施設「桃源の郷」施設長、種智院大教授を歴任。著書に「痴呆老人からみた世界」「物語としての痴呆ケア」など。

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在宅終末医療に関わる現場医師の声。「自分の家」に敵う「ホスピス」はない。

自宅で死にたい.jpg 「下町往診ものがたり」.jpg ドキュメンタリー「下町往診ものがたり」('06年/テレビ朝日)出演の川人明医師
自宅で死にたい―老人往診3万回の医師が見つめる命 (祥伝社新書)』〔'05年〕

 足立区の千住・柳原地域で在宅医療(訪問診療)に20年以上関わってきた医師による本で、そう言えば昔の医者はよく「往診」というのをやっていたのに、最近は少ないなあと(その理由も本書に書かれていますが)。

 著者の場合、患者さんの多くはお年寄りで、訪問診療を希望した患者さんの平均余命は大体3年、ただし今日明日にも危ないという患者さんもいるとのことで、残された時間をいかに本人や家族の思い通りに過ごさせてあげるかということが大きな課題となるとのことですが、症状や家族環境が個々異なるので、綿密な対応が必要であることがわかります。

 本書を読むと、下町という地域性もありますが、多くの患者さんが自宅で最後を迎えたいと考えており、それでもガンの末期で最後の方は病院でという人もいて、こまめな意思確認というのも大事だと思いました。
 また、家族が在宅で看取る覚悟を決めていないと、体調が悪くなれば入院して結果的に病院で看取ることとにもなり、本人だけでなく家族にも理解と覚悟が必要なのだと。

 「苦痛を緩和する」ということも大きな課題となり、肺ガンの末期患者の例が出ていますが、終末期に大量のモルヒネを投与すれば、そのまま眠り続けて死に至る、そのことを本人に含み置いて、本人了解のもとに投与する場面には考えさせられます(著者もこれを罪に問われない範囲内での"安楽死"とみているようで、こうしたことは本書の例だけでなく広く行われているのかも)。

 基本的には、「自分の家」に敵う「ホスピス」はないという考えに貫かれていて、本書が指摘する問題点は、多くの地域に訪問診療の医療チームがいないということであり、在宅終末医療に熱意のある医療チームがいれば、より理想に近いターミナルケアが実現できるであろうと。

 多くの医者は在宅を勧めないし、逆に家族側には介護医療施設に一度預けたらもう引き取らない傾向があるという、そうした中に患者の意思と言うのはどれぐらい反映されているのだろうかと考えさせらずにはおれない本でした。

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脳の神秘、リハビリの心得、医療への提言、そして感動。

壊れた脳 生存する知.jpg 壊れた脳 生存する知 KCデラックス.jpg  金曜プレステージ『壊れた脳 生存する知』.jpg  壊れた脳 生存する知 bunnko.jpg
壊れた脳 生存する知』〔'04年〕『壊れた脳 生存する知 (KCデラックス)['07年] フジテレビでドラマ化「壊れた脳 生存する知」('07年1月19日放映)主演:大塚寧々『壊れた脳 生存する知 (角川ソフィア文庫)』['09年] 

 「モヤモヤ病」という奇病を学生時代に発症し、3度にわたる脳出血の後遺症として高次脳機能障害を負った女性医師の闘病記。
 高次脳機能障害というのは、病気や事故によって脳に損傷を受けたために、思考、記憶、学習、注意といった人間の脳にしか備わっていない次元の高い機能が失われる症状のことで、この著者の場合だと、今話したことを忘れてしまう、物を立体的に見ることができない、左半身の麻痺、自分の左側の空間に注意を払えない、といった症状が見られています。
但し、知能の低下はなく、日常生活の些細なことを失敗する自分のことは認識できてしまうために、その分辛い障害であると言えます。
 しかし、医師である著者は、そうした認知障害などの心の障害を、自らの"壊れた脳"との対応関係において冷静に分析していて、本書は闘病記であると同時に、脳の神秘を示す貴重な記録にもなっています。

 全編を通して前向きでユーモアに満ちた明るい姿勢が貫かれていて、リハビリに取り組む人には障害へ向き合う姿勢を示唆し、一般読者には元気を与えてくれます。
 一方で、今も老人保健施設で医療に携わる立場から、認知症などに対する社会環境や医療現場、家族やセラピストへの提言も多く含まれています。
 リハビリのためにクルマの運転や速聴速読、百マス計算にまで取り組む著者のバイタリティに感服する一方、脳機能障害は、「ガンバレ」と言われて「ハイ」と頑張れるようなものでもないという難しい面があることも教えられます。

 脳科学に関する本を何冊か読んだ流れで本書を手にし、自らの障害を対象化し科学的に捉えた内容に興味深く読み進みましたが、最後にこの本が出来上がるまでの長い道程を知り、さらに著者が息子に宛てた手紙を読んでジ〜ンときました。

 【2009年文庫化[角川ソフィア文庫]】

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並外れた精神力とジャーナリストとしての強い使命感に感銘。

『「死への準備」日記』 .jpg千葉2.jpg 千葉敦子2.jpg 千葉敦子(1940-1987)
「死への準備」日記』 朝日新聞社 ['87年]  『「死への準備」日記 (文春文庫)

 本書は、ニューヨーク在住のジャーナリストであった著者が、ガンで亡くなる'87年7月の前の年11月から亡くなる3日前までの間の、著者自身による記録です。

 3度目のガン再発で、著者の病状は刻々と悪化していきますが、その状況を客観的に記し、ただし決して希望を捨てず、片や残り少ない時間をいかに一日一日有意義に使うかということについて、まるで"実用書"を書くかのように淡々と綴る裏に、著者の並外れた精神力が感じられます。また読む側としても、"今"という時間を大切に生きようという思いになります。

『乳ガンなんかに負けられない』.jpg 抗ガン剤の副作用に苦しみながらも、常に在住するアメリカ国内や世界の動向を注視し、少しでも体調が良ければ仕事をし、友人と会食し、映画や演劇を鑑賞する著者の生き方は、現代の日本の終末医療における患者さんたちの状況と比べても大きく差があるのではないかと思います。

 死の3日前の最後の稿にある、「体調が悪化し原稿が書けなくなりました。申し訳ありません」との言葉に、彼女のジャーナリストとしての強い使命感を感じました。

 【1989年文庫化[朝日文庫]/1991年再文庫化[中公文庫]】

《読書MEMO》
●善意の洪水に辟易する(29p)
●私は「死を見つめる」よりも、「死ぬまでにどう生きるか」のほうにずっと関心がある。死について考えろ、とあまり強要しないでほしい。(54p)
●死が遠くないと知ったら、寂しさや悲しさに襲われるはず、と決めてかかる人が多いが、これは迷惑だ。(55p)
●エンド―フィン(129p)

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「対決する文化」と「対決を避ける文化」の違いが現れる終末医療。

よく死ぬことは、よく生きることだ.jpgよく死ぬことは、よく生きることだ』 〔'87年〕 よく死ぬことは、よく生きることだ2.jpg 『よく死ぬことは、よく生きることだ (文春文庫)』 〔'90年〕 

 著者は1981年に乳ガンの手術をし、'83年にニューヨークへ転居、'87年にガンにより亡くなっていますが、その間ジャーナリストとして日米の働く男女の生き方の違いなどを取材し本にする一方で、精力的に自己の闘病の模様を雑誌等に連載し、この本は闘病記としては4冊目ぐらいにあたるのでしょうか、最後に書かれた『「死への準備」日記』('87年/朝日新聞社)の1つ前のもの、と言った方が、書かれた時の状況が把握し易いかも知れません。

 著者が亡くなる'78年7月の前年10月に上智大学に招かれて行った「死への準備」という講演と、3度目のガン再発後の闘病の記録を中心にまとめられ、亡くなる年の4月に出版されていますが、自身の病状や心境についての冷静なルポルタージュとなっています。

 特に前半は、現地のホスピス訪問の記録を中心に纏められていて、まるでO・ヘンリーの小説のような、或いは映画にでもなりそうな感動的なエピソードも盛り込まれていますが、あくまでもジャーナリストとしての視線で書かれているのが良くて、一方で、米国の終末医療全般の状況報告と日本の患者や医療への提言も多く、また、最近言われる「患者力」(何でも"力"をつければいいとは思いませんが)の先駆的な実践の記録としても読めます。

 病状について説明を求めるのはある意味「患者の責任」であり、ホスピスで周囲の人が死んでいくのを見ることは患者にとっての「死への準備」教育となる、という米国の医療のベースにある「対決する文化」と、患者は医師に従順で、医師は告知をためらいがちな「対決を避ける」日本の文化の違いがよくわかり、ジャーナリストとしての姿勢を貫き通した一女性の、稀有なルポルタージュだと思います。

 【1990年文庫化[中公文庫]】

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夢の謎を科学的に解説し、様々な夢解釈法を紹介した楽しい本だった。

夢の世界99の謎AE.jpg
『夢の世界99の謎』 サンポウ・ブックス job37_2.jpg 大原 健士郎 氏 (略歴下記)

Dream.jpg  現代の生理学の常識としては、夢を見ない人はいないと言われていて、赤ちゃんでも夢を見るし、赤ん坊の寝ているときの眼球の動きから、所謂"夢見"の状態であるREM(rapid eye movement)睡眠が見つかったことは有名です。

 本書は、日本の自殺研究の権威・大原健士郎氏の著作ですが、自殺の研究を始める前から夢の研究に強い関心があったとのことです。
 「夢で発明や発見ができるか」「正夢や予知夢はあるか」といった素朴な疑問に、科学的見地に立って回答するとともに、夢の解釈について、フロイトや、それを批判したアドラー、ユング、フロムらの考えをわかりやすく解説しています。

夜明かしする人、眠る人5.jpg また、夢の生理学的側面についても、「動物から眠りを奪うとどうなるか」といった疑問に答えるところから始まり、睡眠時無呼吸やナルコレプシーについても解説しています。
 様々な歴史的人物が行った夢の謎解きや、夢とテレパシーの関係についての考察などもあって、読みどころ満載の楽しい本です。

 更には、アメリカ流反フロイト主義の中でも、本書出版当時としては新しい、アン=ファラデー女史の『ドリームパワー』ウィリアム・C・デメント『夜明かしする人、眠る人』などにある研究成果や、フレデリック・パールズ「ゲシュタルト療法」の立場での夢解釈などがわかりやすく紹介されているのも、本書の特長です(アン=ファラデー、W・C・デメントとも、夢に対するプラグマティックな姿勢がうかがえる。デメントの『夜明かしする人、眠る人』には、著者が肺がんになった夢を見たことでタバコをやめた話などが出てくる。読み物としてもたいへん面白い本)。


夜明しする人、眠る人』['75年/みずず書房]


夢の不思議がわかる本.jpg このサンポウ・ブックスのシリーズは他にも『幻の古代生物99の謎』など良いものがあり、絶版となった今は、その一部が古書市場で高値になっているとのことです。
 ただし本書については、「知的生きかた文庫」に『夢の不思議がわかる本』('92年)として、ほぼ同じ内容で移植されています。

 『夢の不思議がわかる本』 知的生きかた文庫 ('92年)


《読書MEMO》
夢の世界99の謎―.jpg●「黄梁一炊(こうりょういっすい)の夢」「邯鄲の夢」...盧生(ろせい)が宿で栄華が思いの儘になるという枕で寝ると皇帝になって50年世を治め、さらに不老長寿の薬を得る夢を見るが、それは黄梁(粟飯)が炊ける間の事だった(34p)
●ゲシュタルト療法(フレデリック・パールズ)...自由連想法(精神分析)は問題の周辺をぐるぐる回るだけで自己の神経症に直面することを避ける自由分裂に過ぎない。(ゲシュタルト療法では)集団の中で自分自身の夢を語るという方法で、自身の表情、声の調子、姿勢、身振り、他人に対する反応に患者の注意を向けさせ、その人の人格の欠陥をさがし、気づかせるとともに治療に応用する(157p)

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大原健士郎 (精神科医)
1930年、高知県伊野町生まれ。東京慈恵医大大学院博士課程修了。六六年、ロサンゼルス自殺予防センター特別招聘(しょうへい)研究員として、一年間留学。七七年、浜松医大教授。神経症の治療法として知られる森田療法のほかアルコール依存、薬物依存なども研究テーマ。「精神医学はまだ科学の名に値しない」が持論。

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