【3558】 ○ 中嶋 彰 『早すぎた男 南部陽一郎物語―時代は彼に追いついたか』 (2021/10 講談社ブルーバックス) ★★★★

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「●相対性理論・量子論」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の本(南部陽一郎)

複数のノーベル賞理論のベースとなった理論を生んだ天才にも挫折の時があった。

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早すぎた男 南部陽一郎物語 時代は彼に追いついたか (ブルーバックス 2183) 』['21年]/『クォーク: 素粒子物理の最前線 (ブルーバックス 480) 』['81年]『クォーク 第2版 (ブルーバックス)』['98年]

 「素粒子物理学および原子核物理学における自発的対称性の破れの機構の発見」により2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎(1921-2015/94歳没)の、生誕100年の節目に初めての本格的伝記。科学ライターによるもので、併せて素粒子物理学および原子核物理学の発展の歴史を辿るものにもなっています。

 本書には、「理論物理学の巨人」南部理論の前では、2012年に発見され「質量の起源」として喝采を浴びたヒッグス粒子も、巨象にひれ伏す小さなアリでしかない―とあります。ただし、彼の途方もなく大きな才能は、常人には理解しがたく、そのため、彼の生涯最高傑作「自発的対称性の破れ」にノーベル物理学賞が授けられたのは発表後50年近くがたってからだったともことです。

 幼い頃から神童と目され、エリートコースを歩み続けた天才のその道のりが平坦であったかというとそうではなく、「成功と失敗が交錯」したのが南部陽一郎の生涯であったと。素粒子物理を志していたのに、物性物理の講座しかない東大にうっかり入学してしまったが、そのことも含め「南部マジック」と呼ばれる数々の新理論を生み出すベースになったとか、

 最大の苦境に陥ったのは、プリンストン高等研究所に留学した2年間。ここはかつて湯川秀樹も朝永振一郎も在籍した場所で、南部が留学した当時の所長はあのオッペンハイマーで、オッペンハイマーの客人の立場でアインシュタインがいました(クリストファー・ノーラン監督映画「オッペンハイマー」.jpgの映画「オッペンハイマー」('23年/米)でもプリンストン高等研究所の庭での二人の"接触が"が描かれていた)。南部はアインシュタインの"追っかけ"のような志向があり、オッペンハイマーに無断でアインシュタインに会いに行ったりして(散策するアインシュタインを車から隠し撮りしたりしている)、当時研究所員からも畏怖されていたオッペンハイマーの機嫌を損ねるといったことがあったようです。

「オッペンハイマー」('23年/米)

 そのプリンストン高等研究所での2年間、南部は成果が出せず、研究所が超競争社会であったことも相俟って絶望状態に陥ったことで神経衰弱となり、さすがにオッペンハイマーも心配し、シアトルに行くことなどを勧めましたが、結局、(日本では教授職にあったのに)「ポスドク」扱いでシカゴ大学に移ることになります。シカゴ大学で出会った物性物理の新理論が気に入らず、そこで生まれたのが「自発的対称性の破れ」の理論で、そこから先にも述べた「南部マジック」と呼ばれる数々の新理論を打ち出すことになります。

2008年10月8日付「朝日新聞」
ノーベル物理学賞 日本人3氏 .jpg 1991年に70歳で定年、シカゴ大学の名誉教授となりますが、驚くのは、1999年と2004年に、それぞれ南部が生み出した「自発的対称性の破れ」の理論および「量子色力学」の理論をベースとした研究でノーベル物理学賞が授与されているとのことで、南部の2008年の授賞は遅すぎたかもしれません(これも南部がその理論に影響を与えた益川敏英、小林誠との共南部陽一郎2.jpg同授賞)。生きている間に受賞できたのは良かったですが、奥さんの健康上の理由と自身の体力の問題で授賞式に出られなかったのは残念でした(シカゴ大学にて授与され、記念講演も行った。そう言えば、本書にも出てくる南部の恩師で'65年に物理学賞を受賞した朝永振一郎は、酒で酩酊し風呂場で転んで骨折したため(朝永自身、エッセイに書いている)在日本スウェーデン大使館で賞状とメダルを受け取ったということがあった)。
贈られたメダルを見せる南部陽一郎(2008年12月11日付「朝日新聞デジタル」米シカゴ、シカゴ大提供)本書p274

 90歳になっても、宇宙を記述する理論として流体力学に関心を寄せ、その研究に情熱を傾けていたとのこと、1970年に、海外の学会に出かけて帰ってきた際の出張理由を当局に報告する負担から解放されるために米国籍を取得していましたが(ノーベル賞受賞当時、既に米国籍であったことは多くの人の記憶にあるのでは。新聞に「ノーベル賞日本人3氏」とあったが、南部については国籍上は米国人ということになる)、晩年は妻の地元である大阪府豊中市の自宅で暮らしていたとのことです。

クォーク―素粒子物理の最前線.jpg 本書は、冒頭にも述べたように、南部陽一郎の生涯の「物語」と並行して、素粒子物理学および原子核物理学の発展の歴史を様々な理論を解説しながら辿るものになっていますが、南部洋一郎自身が素粒子について一般向けに書いたものとしては、同じくブルーバックスに『クォーク―素粒子物理の最前線』('81年)があり、素粒子物理学が過去50年間にどう発展し、現在何がわかっているか、物理学者がどんな考え方を辿ってその理論に到達したのかを、相対性理論との関係などを説明しながら、具体的かつ系統的に解説しています。その17年後には、同じくブルーバックで本書の第2版にあたる『クォーク―素粒子物理はどこまで進んできたか』('98年)も刊行されています。

クォーク: 素粒子物理の最前線 (ブルーバックス 480) 』['81年]

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