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全体の構成にはやや違和感を覚えたが、随所で考えさせられる点も。

『私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)』 ['06年]
J‐P.サルトル 『ユダヤ人 (岩波新書)』
2007(平成19)年度・第6回「小林秀雄賞」受賞作。
ユダヤ人問題の研究を永年続けてきた著者が、「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」ということを論じたもので、第1章では「ユダヤ人」の定義をしていますが、「ユダヤ人はユダヤ教徒のことではない」としている時点で、「あっ、これ哲学系か」という感じでサルトルの『ユダヤ人』('56年/岩波新書)を思い出し、案の定、「ユダヤ人は反ユダヤ主義者が"創造"した」というサルトルの考えが紹介されていました(そっか、この人、"元・仏文学者"だった。今は、思想家? 評論家?)。
但し、「ユダヤ人とは『ユダヤ人』という呼称で呼ばれる人間のことである」という命題は、サルトルの言うほどに「単純な真理」ではないとし、レヴィナスの「神が『私の民』だと思っている人間」であるという"選び"の視点を示しています。
レヴィナスは読んでいないので、個人的には、(お手軽過ぎかも知れないが)いい"レヴィナス入門"になりました(冒頭で著者が、自らの「学問上の師はユダヤ人」としているのはそういうことだったのか)。
世界の人口の0.2%しかいないユダヤ人に何故、思想・哲学分野などで傑出した天才が多いのか、ノーベル賞科学系分野の受賞者数において高い率を占めるのか、といった興味深いテーマについても、サルトルとの対比で、レヴィナスの思惟を解答に持ってきていて、但し、こうしたサルトル vs.レヴィナスという形で結論めいたことが語られているのは終章においてであり、第2章から第3章にかけては、ユダヤ人陰謀史観が、「ペニー・ガム法」(自販機に硬貨を入れたらガムが出てくるのを見て「銅がガムに変化した」と短絡的に解釈してしまう考え方)に基づく歴史解釈であることを説明しています(ある種、情報リテラシーの問題がテーマであるとも言えるかも)。
具体的には、第2章では、『シオン賢者の議定書』という反ユダヤ主義文書が19世紀末から20世紀にかけての日本人の反ユダヤ主義者に与えた影響や、エドゥアール・ドリュモンというフランス人の書いた『ユダヤ的フランス』というかなり迷妄的な本、並びに、その本に影響を受けたモレス侯爵という19世紀の奇人の政治思想や活動が紹介されていて、さながら、奇書・奇行を巡る文献学のような様相も呈しており、ある意味、この「トンデモ本」研究の部分が、最も"私家版"的であるととる読者もいるかも(自分も、半分はそうした印象を持った。実際には、「あくまでも私見に基づいて論じる」という意味だが)。
全体の構成にはやや違和感を覚えましたが、随所にサルトル的な知性を感じ、その分既知感はあったものの、人間の嵌まり易い思考の陥弄を示しているようで、面白く読めました。
一方で、レヴィナスの言葉を引いての著者の、ユダヤ人は自らが「神から選ばれた民」であるがゆえに、幾多の不幸をあえて引き受ける責務を負うとの考えを集団的に有している、という言説には、旧約聖書に馴染みの薄い自分には、ちょっと及びもつかない部分があったことは確か。
本書は、学生への講義録がベースになっているそうで、「ユダヤ人が世界を支配している」というようなことを言う人間がいるが、そういう奇想天外な発想がどうして生成したかを論じるつもりが、「ユダヤ人が世界を支配しているとはこの講義を聞くまでは知りませんでした」というレポートを書いた学生が散見され、慌てて翌年に、文芸誌に「文化論」として整理し直して発表したものであるとのこと、そんな学生がいるのかなあ、神戸女学院には。


加賀乙彦 氏(略歴下記)






『







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怪獣映画ファンサークル代表の竹内博氏が、仕事関係で怪獣映画の写真が手元に来る度に自費でデュープして保存しておいたもので(元の写真は出版社や配給会社に返却)、当時の出版・映画会社の資料保管体制はいい加減だから(そのことを氏はよく知っていた)、結局今や出版社にも東宝にもない貴重な写真を竹内氏だけが所持していて、こうした集大成が完成した、まさに生活費を切り詰め集めた"執念のコレクション"です(星半個マイナスは価格面だけ)。





自分が生まれる前の作品であり(モノクロ)、かなり後になって劇場で観ましたが、バックに反核実験のメッセージが窺えたものの、怪獣映画ファンの多くが過去最高の怪獣映画と称賛するわりには、自分自身の中では"最高傑作"とするまでには、今ひとつノリ切れなかったような面もあります。やはりこういうのは、子供の時にリアルタイムで観ないとダメなのかなあ。
初めて「怪獣映画」というものを観た人たちにとっては、強烈なインパクトはあったと思うけれど。昭和20年代終わり頃に作られ、自分がリアルタイムで観ていない作品を、ついつい現代の技術水準や演出などとの比較で観てしまっている傾向があるかもしれません。但し、制作年('54年)の3月にビキニ環礁で米国による水爆実験があり、その年の9月に「第五福竜丸」の乗組員が亡くなったことを考えると、その年の12月に公開されたということは、やはり、すごく時代に敏感に呼応した作品ではあったかと
思います。
中から上がらずゴジラともに最期を迎えたのは、最強兵器オキシジェン・デストロイヤーの知識を自ら封印したというのが一般的解釈だが、そこまでする必要があったのかという思いがあった。今回観直してみて、山根恵美子(河内桃子)が尾形(宝田明)に秘密を漏らしたことで、芹沢は彼女が自分より尾形を選んだことを改めて認識し、恋に破れたと言うか、前向きに捉えれば恵美子の幸せは尾形に託したという意識も根底にあったのではないかと思った。ある意味「三角関係」映画だった。)

「ゴジラ」●制作年:1954年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚本:村田武雄/本多猪四郎●撮
影:玉井正夫●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二ほか●原作:香山滋●時間:97分●出演:宝田明/河内桃子/平田昭彦/志村喬/堺左千夫/村上冬樹/山本廉/榊田敬二/鈴木豊明 /馬野都留子/菅井きん/笈川武夫/林幹/恩田清二郎/高堂国典/小川虎之助/手塚克巳/橘正晃/帯一郎/中島春雄/川合玉江/東静子/岡部正/鴨田清/今泉康/橘正晃/帯一郎●公開:1954/11●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿名画座ミラノ(83-08-06)●2回目:TOHOシネマズ 日比谷 (24-07-17)(評価:★★★☆→★★★★(緊迫感はシリーズ随一ではないかと思われ、評価を修正した。))●併映(1回目):「怪獣大戦争」(本多猪四郎)
作品区分としてはゴジラ・シリーズではないですが、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の3人の純文学者を原作者とする「モスラ」('61年)の方が、今観ると笑えるところも多いのですが、全体としてはむしろ大人の鑑賞にも堪えうるのではないかと...。まあ、「ゴジラ」と「モスラ」の間には7年もの間隔があるわけで、その間に進歩があって当然なわけだけれど。
ザ・ピーナッツ(伊藤エミ(1941-2012)、伊藤ユミ(1941-2016))のインドネシア風の歌も悪くないし、東京タワー('58年完成、「ゴジラ」の時
はまだこの世に無かった)に繭を作るなど絵的にもいいです。原作「発光妖精とモスラ」では繭を作るのは東京タワーではなく国会議事堂でしたが、60
年安保の時節柄、政治性が強いという理由で変更されたとのこと、これにより、モスラは東京タワーを最初に破壊した怪獣となり、東京タワーは完成後僅か3年で破壊の憂き目(?)に。繭から出てきたのは例の幼虫で、これが意外と頑張った? 宮崎駿監督の「
「モスラ」●制作年:1961年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚色:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:
善衛「発光妖精とモスラ」●時間:101分●出演:
フランキー堺/小泉博/香川京子/ジェリー伊藤/ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)/上原謙/志村喬/平田昭彦/佐原健二/河津清三郎/小杉義男/高木弘/田島義文/山本廉/加藤春哉/三島耕/中村哲/広
瀬正一/桜井巨郎
/堤康久●公開:1961/07●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿シアターアプル (83-09-04)(評価:★★★☆)●併映:「三大怪獣 地球最大の決戦」(本多猪四郎) 
「ゴジラシリーズ」の第1作「ゴジラ」を観ると、ゴジラが最初は純粋に"凶悪怪獣"であったというのがよくわかりますが、「ゴジラシリーズ」の第4作「モスラ対ゴジラ」('64年)(下写真)の時もまだモスラの敵役
でした。この作品はゴジラにとって怪獣同士の闘いにおける初黒星で、昭和のシリーズでは唯一の敗戦を喫した作品でもあります。因みに、「ゴジラシリーズ」の第3作「キングコング対ゴジラ」('62年)は両者引き分け(相撃ち)とされているようです。それが、'64年12月に公開された('64年12月公開予定だった黒澤明監督「赤ひげ」の撮影が長引いたため、正月興行用に急遽制作された)「ゴジラシリーズ」の第5作「三大怪獣 地球最大の決戦」('64年)(下写真)
になると、宇宙怪獣キングギド


を力を合わせて宇宙怪獣キングギドラ戦に挑むことから、「地球の三大怪獣」にとっての最大の決戦という意味らしいです。

「モスラ対ゴジラ」●制作年:1964年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚色:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二●時間:89分●出演:宝田明/星由里子/小泉博/ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)/藤木悠/田島義文/佐原健二/谷晃/木村千吉/中山豊/田武謙三/藤田進/八代美紀/小杉義男/田崎潤/沢村いき雄/佐田豊/山本廉/佐田豊/野村浩三/堤康久/津田光男/大友伸/大村千吉/岩本弘司/丘照美/大前亘●公開:1964/04●配給:東宝(評価:★★★☆)



「三大怪獣 地球最大の決戦」●制作年:1964年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚本:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二●時間:97分●出演:夏木陽介/小泉博/星由里子/若林映子/
ザ・ピーナッツ/志村喬/伊藤久哉/平田昭彦/佐原健二/沢村いき雄/伊吹徹/野村浩三/田島義文/天本英世/小杉義男/高田稔/英百合子/
加藤春哉●時間:93分●公開:1964/12●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿シアターアプル (83-09-04)(評価:★★☆)●併映:「モスラ」(本多猪四郎)
更に、ゴジラシリーズ第6作「怪獣大戦争」('65年)は、地球侵略をたくらむX星人がキングギ
ドラ、ゴジラ、ラドンの3大怪獣を操り総攻撃をかけてくるというもので、X星人の統制官(土屋嘉男)がキングギドラを撃退するためゴジラとラドンを貸して欲しいと地球人に依頼してきて(土屋嘉男は「
本書にはない裏話になりますが、この作品に準主役で出演した米俳優のニック・アダムスは、ラス・タンブリンなど同列のSF映画で日本に招かれたハリウッド俳優達が日本人スタッフと交わろうとせずに反発を受けたのに対し、積極的に打ち解け馴染もうとし、共演者らにも人気があったそうで、土屋嘉男とは特に息が合い、土屋にからかわれて女性への挨拶に「もうかりまっか?」と言っていたそうで、仕舞には、自らが妻帯者であるのに、水野久美に映画の役柄そのままに「妻とは離婚するから結婚しよう」と迫っていたそうです(ニック・アダムスは当時、私生活では離婚協議中だったため、冗談ではなく本気だった可能性がある。但し、彼自身は、'68年に錠剤の過量摂取によって死亡している(36歳))。
「怪獣大戦争」●制作年:1965年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚本: 関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二●時間:94分●出演:宝田明/ニック・アダムス/久保明/水野久美/沢井桂子/土屋嘉男/田崎潤/田島義文/田武謙三/村上冬樹/清水元/千石規子/佐々
木孝丸●公開:1965/12●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿名画座ミラノ (83-08-06)(評価:★★☆)●併映:「ゴジラ」(本多猪四郎)
怪獣の複数登場が常となったのか、「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」('66年)などというのもあって(「ゴジラ」シリーズとしては第7作)、監督は本多猪四郎ではなく福田純で、音楽は伊福部昭ではなく佐藤勝ですが、これはなかなかの迫力だった印象があります(後に観直してみると、人間ドラマの方はかなりいい加減と言うか、ヒドいのだが)。

シリーズ第6作「怪獣大戦争」に"X星人"役で出ていた水野久美が今度は"原住民"の娘役で出ていて、キャスティングの変更による急遽の出演で、当時29歳にして19歳の役をやることになったのですが、今スチール等で見ても、妖艶過ぎる"19歳"、映画「
督:福田純●製作:田中友幸●脚本:関沢新一●撮影:山田一
夫●音楽:
木和夫/本間文子/中北千枝子/池田生二/岡部正/大前亘/丸山謙一郎/緒方燐作/勝部義夫/渋谷英男●時間:87分●公開:1966/12●配給:東宝(評価:★★★☆)●併映:「
この辺りまで怪獣映画は東映の独壇場ともいえる状況でしたが、'65年に大映が「大怪獣ガメラ」、'67年に日活が「大巨獣ガッパ」でこの市場に参入します(本書には出てこないが)。このうち、「大怪獣ガメラ」('65年/大映)は、社長の永田雅一の声がかりで製作されることとなり(永田雅一の「カメ」で行けという"鶴の一声"で決まったようで、湯浅憲明(1933-2004)監督はじめスタッフは苦労したのではないか)、これがヒットして、ガメラ・シリーズは'71年に大映が倒産するまでに7作撮影されましたが、本作はシリーズ唯一のモノクロ作品です(「ゴジラ」の第1作を意識したのかと思ったが、予算と技術面の都合だったらしい)。
あらすじは、砕氷調査船・ちどり丸で北極にやってきた東京大学動物学教室・日高教授(船越英二)らの研究チームが、国
籍不明機を目撃、その国籍不明機には核爆弾が搭載されており、その機体爆発の影響で、アトランティスの伝説の怪獣ガメラが甦るというもの。「ガメラ」の命名者でもある永田雅一の「子供たちが観て『怪獣がかわいそうだ』とか哀愁を感じないといけない。子供たちの共感を得ないとヒットしない」との考えの

健/森一夫/佐山真次/喜多大八/大庭健二/荒木康夫/井上大吾/三夏伸/清水昭/松山新一/岡郁二/藤井竜史/山根圭一郎/村松若代/沖良子/加川東一郎/伊勢一郎/佐原新治/宗近一/青木英行/萩原茂雄/古谷徹/中条静夫(ナレーション)●時間:87分●公開:1965/11●配給:大映(評価:★★★)
「ガメラ」のヒットを受け、翌年「ガメラシリーズ」の第2作として総天然色による「大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン」('66年/大映)が作られましたが、併映の「大魔神」('66年/大映)の
方が"初物"としてインパクトがあったかも。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「巨人ゴーレム」('36
年/チェコスロバキア)で描かれたゴーレム伝説に材を得たそうですが、戦国時代に悪人が陰謀を巡らせて民衆が虐げられると、穏やかな表情の石像だった大魔神が復活して動き出し、破壊的な力を発揮して悪人を倒すというストーリーは分かりやすいカタルシスがありました。大映映画ですが、音楽は東宝ゴジラ映画の

「大魔神怒る」('66年/大映)は、1作目が大ヒットしたため、お盆興行作品として製作されたもので、監督は三隅研次(1921-1975)で、これも伊福部昭が音楽を担当。千草家とその分家・名越家が領主の平和な国が隣国か
ら侵略され、領主は滅ぶもお家再興と平和を望んで千草家の本郷功次郎の許嫁である名越家の藤村志保が魔人に願掛けするというもの。今回は魔人は「水の神」という設定になっていて、藤村志保
が悪人たちより
焚刑に処せられることになって、今まさに火に焼かれようとする時、この身を神に捧げますと涙を流すと大魔神が現れ(出現シーンはハリウッド映画「
「大魔神怒る」藤村志保(当時27歳)
「大魔神逆襲」('66年/大映)の監督は森一生監督(1911-1989)で、これもまた音楽は伊福部昭が担当。森一生監督は「女と男はつまらない。子供好きだから
子供でやりたい」と子
供たちが主役に据え、少年の純真な信仰心が大魔神を動かすという設定で、今回は大魔神「雪の魔神」として雪の中から現れ、最後には粉雪となって消えていきます。子供たちを主役に据えるのも悪いとは言いませんが、やは
り当時19歳の高田美和、27歳の藤村志保と続いた後だと、完全にお子様向けに路線変更してしまったなあという印象は拭えません。製作費は1億円弱、興行では併映なしの2番館上映となり、配給収入(興行収入から映画館の取り分を差し引いた配給会社の収入)も赤字で、4作目の企画もあったものの、これで打ち止めになっています。結局、わずか1年の間の3作で終わってしまったわけですが、その分、大魔神の重厚感は印象に残るものでした。ゴジラが「怪獣大戦争」('65年)で「シェー」をするなど、シリーズが永らえたゆえに"堕落"してしまったのとは対照的と言えるでしょうか。
「大魔神」●制作年:1966年●監督:安田公義●製作総指揮:永田雅一●脚本:吉田哲郎●撮影:森田富士郎●音楽:

「大魔神怒る」●制作年:1966年●監督:三隅研次●製作:永田雅一●脚本:吉田哲郎●撮影:今井ひろし/森田富士郎●音楽:

「大魔神逆襲」●制作年:1966年●監督:森一生●製作総指揮:永田雅一●脚本:吉田哲郎●撮影:森田富士郎●音楽:




第17作「ゴジラ vs ビオランテ」('89年)(「平成ゴジラシリーズ」第2作)は、バイオテクノロジーによってゴジラとバラの細胞を掛け合わせて造られた超獣ビオランテが登場し、一般公募ストーリー5千本から選ばれたものだそうですが(選ばれたのは「帰ってきたウルトラマン」第34話「許されざるいのち」の原案者である小林晋一郎の作品。一般公募と言ってもプロではないか)、確かに植物組織を持った怪獣は、「
第18作「ゴジラ vs キングギドラ」('91年)(「平成ゴジラシリーズ」第3作)は、南洋の孤島に生息していた恐竜が核実験でゴジラに変身したという新解釈まで採り入れており(ここに来てゴジラの出自を変えるなんて)、ゴジラが涙ぐんでいるような場面もあって、また同じ道を辿っているなあと(この映画、敵役の未来人のUFOが日本だけを攻撃対象とするのも腑に落ちないし、タイム・パラドックスも破綻気味)。
第17、第18作は大森一樹監督で、いくらか期待したのですが、かなり脱力させられました(第18作「ゴジラ vs キングギドラ」で怪獣映画の中での土屋嘉男を見たのがちょっと懐かしかったくら
いか。山村聰も内閣総理大臣役で出ていたけれど)。この監督は商業映画色の強い作品を撮るようになって、はっきり言ってダメになった気がします。大森一樹監督の最高傑作は自主映画作品「暗くなるまで待てない!」('75年/大森プロ)ではないでしょうか。神戸を舞台に大学生の若者たちが「暗くなるのを待てないで昼間から出てくるドラキュラの話」の映画を撮る話で、モノクロで制作費の全くかかっていない作品ですが、むしろ新鮮味がありました(今年['08年]3月に、大森監督によってリメイクされた)。
駄作の多かった「平成ゴジラシリーズ」(第16作~第22作)に対し、第23作「ゴジラ2000 ミレニアム」('99年)から始まる「ミレニアムシリーズ」(第23作~第28作)でやや盛り返した感もありますが、その中でいちばんの傑作とする人もいる第26作「ゴジラ×メカゴジラ(ゴジラたいメカゴジラ)」('02年)(先行作品に第14作「ゴジラ対メカゴジラ」('74年)、第20作「ゴジラvsメカゴジラ(ゴジラたいメカゴジラ)」('93年)がある)さえ、個人
的にはイマイチでした。何よりも、主演の釈由美子(当時24歳)のセリフ棒読みが結構キツイ...。ゴジラは絶対悪として描かれ、ゴジラに対抗するために作られたメカゴジラのメインパイロットが彼女の役なので、あまりに下手だとちょっと作品に入り込めない...(「ゴジラ vs ビオランテ」の沢口靖子(当時24歳)も当時はあまり上手くなかったが、主役ではなかったのがまだ許せるか(主役は田中好子(当時33歳))。
「ゴジラ vs ビオランテ」●制作年:1989年●監督・脚本:大森一樹●製作:田中友幸●音楽:すぎやまこういち(ゴジラテーマ曲:伊福部昭)●時間:97分●出演:三田村邦彦/田中好子/小高恵美/峰岸徹/高嶋政伸/高橋幸治/沢口靖子(特別出演)/永島敏行(友情出演)/久我美子(友情出演)●公開:1989/12●配給:東宝(評価:★☆)「

久我美子(大和田圭子官房長官 ※友情出演)/
「ゴジラ vs キングギドラ」●制作年:1991年●監督・脚本:大森一樹●製作:田中友幸●音楽:伊福部昭●特技監督:川北紘一●時間:103分●出演:中川安奈/豊原功補/小高恵美/西岡徳馬/土屋嘉男/山村聰/佐原健二/時任三郎/原田貴和子/小林昭二/佐々木勝彦/上田耕一/チャック・ウィルソン/ケント・ギルバート/ダニエル・カール/リチャード・バーガー/ロバート・スコットフィールド●公開:1991/12●配給:東宝 (評価:★☆)
「暗くなるまで待てない!」●制作年:1975年●監督:大森一樹●脚本:大森一樹/村上知彦●音楽:吉田健志/岡田勉/吉田峰子●時間:30分●出演:稲田夏子/栃岡章/南浮泰造/村上知彦/森岡富子/磯本治昭/塚脇小由美/大森一樹/鈴木清順●公開:1975/04●配給:大森プロ●最初に観た場所:高田馬場パール座 (80-12-25) (評価:★★★★)●併映:「星空のマリオネット」(橋浦方人)/「青春散歌 置けない日々」(橋浦方人)
「ゴジラ×メカゴジラ(ゴジラたいメカゴジラ)」●制作年:2002年●監督:手塚昌明●脚本:三村渉●音楽:大島ミチル●特撮監督:菊地雄一●時間:88分●出演:釈由美子/宅麻伸/小野寺華那/高杉亘/友井雄亮/水野純一/水野久美/上田耕一/森末慎二/萩尾みどり/江藤潤/北原佐和子/柳沢慎吾/藤山直美/中村嘉葎雄/田中美里/永島敏行/村田雄浩/中尾彬/松井秀喜(本人役)●公開:2002/12●配給:東宝 (評価:★★☆)

ゴジラ・シリーズ以外で、役者だけで見れば何と言っても凄いのが「日本誕生」('59年)で、ヤマタノオロチが出てくるため確かに"怪獣映画"でもあるのですが、三船敏郎、乙羽信子、司葉子、鶴田浩二、東野英治郎、杉村春子、田中絹代、原節子など錚々たる面々、果ては、柳家金語楼から朝汐太郎(当時の現役横綱)まで出てくるけれど、「大作」転じて「カルト・ムービー」となるといった感じでしょうか(観ていないけれど、間違いなくズッコケそうで観るのが怖いといった感じ)。 


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解説は、最新の観察・研究情報を織り込みながらも、文章の端々にユーモアも感じられて親しみ易いものとなっており、なかなかの迫力であるイラストも、著者自身の描いたものです。






王 雲海 氏
中国・米国・日本の刑罰制度を比較しており、冒頭、刑罰とは何か、なぜこの3国の制度を比較するのかなど、やや理屈っぽく感じられましたが、タイトルに呼応する、第3章の「日本の刑罰は重いのか」、第4章の「日本の刑罰は軽いのか」にきて、ぐっと興味を引かれました。

第2章では環境問題を扱っていて、三峡ダム建設で120万人の住民が立ち退き移転させられたのはよく知られていることですが、治水上、更にそれを上回る230万人以上もの人を移転させる必要が出てきているとのこと(ダムの水位を下げればこの数字は違ってくるが)、石炭採掘による地盤沈下なども各地に起きていて、ずっと経済最優先でやってきて、二酸化炭素排出量もアメリカを抜いて世界一になり、本当にこの国の環境政策は大丈夫なのかなという気になってきます。
後半は、'07年の温家宝首相来日に合わせて中国の国営テレビが作った「岩松看日本」 という番組での白岩松というTVキャスターの日本取材記の話が唯一面白かったけれど、この人、渡辺淳一、浜崎あゆみ、村上龍、栗原小巻など中国で人気のある日本人にインタビューをしたのは本書にある通りですが、日本の一般の家庭を訪問してゴミの分別方法を見て、日本人の環境問題意識の高さに仰天している、そうしたことを別の本か何かで読んだのですが、こうした話は本書では省かれているのが物足りない。 

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そうであってもいい写真には違いない、但し、この写真は、この人の作品に「お洒落」というイメージが主として伴う一因になっているように思え、このパリ写真集を見ると、むしろ「お洒落」というより「エスプリ」に満ちた楽しい写真が多いような気がします(ヌード写真を街角にかざして、通りがかりの人の反応を撮るといったようなこともやっている)。
但し、一方で、パリの暗い部分もモチーフにしていて、浮浪者やアル中っぽい感じの人も多く撮っており、これらの哀感が漂う写真も、ある種"攻撃的"なエスプリと言えなくもなく、また、この人が撮る夜の居酒屋など写真には、喧騒と退廃に満ちた何とも言えないシズル感があります。
その約600葉の写真のほぼ全てに、撮影場所と撮影年が記されているのが親切ですが、ページ数が多い割にはソフトカバー(但し、函入り)、且つ絶版で価格がプレミア価格になっているのがやや難であるといった感じで、今回は図書館でたまたま見つけることができて幸運でした。


Brassai

三脚の前に立つ"自写像"からもそのことが窺えるように、構図をキッチリ決め込んで撮るタイプだったらしいですが、でも、この『やさしいパリ』にある写真はスナップっぽいものも結構あるような...。ただし、何れも決して隠し撮りやドキュメントではないらしく、最初に彼の撮り
たいイメージがあり、 撮影前にモデルらとの雰囲気作りを行なって多くの要素を計算した上で撮っていたとのこと。それでいて、ここまで自然な雰囲気で写真が撮れるのが不思議です(モデルと言っても普通の人なわけだし、子供などもスゴくよく撮れている)。昼間の写真もいいけれども、やはり夜の盛り場などアンダーグランドな世界を撮った写真が、しっとりした感じでいいです。なにせ、1930年代のパリですから...。

ただ、夜のパリの猥雑なムードを伝える写真群としては、『ブラッサイ写真集成』('00年原著刊行、'05年/岩波書店)などの方が充実しているかもしれません。
『ブラッサイ写真集成』の方は、こうした貴重な文書が収められているだけでなく、ブラッサイのデッサンや造形作品も収められていて、写真自体も、ピカソの仕事場などを撮ったものから昆虫や花蕊、結晶などを取った科学写真のようなものまで幅広く、この写真家の創作領域、モチーフの領域の広さが窺えます(「集成」の趣旨に沿っていて、ブラッサイの全貌を知るにはいいが、写真集としてはやや拡散感も)。
これと比べると、『やさしいパリ』の方は、ページ数が少ないところへパトリック・モディアーノの詩文が挿入されいたりもして、やや掲載作品数が少ないかなという感じも。彼の詩文を読まなくとも、写真を見ているだけで充分に叙情的な気分に浸れます(因みに、パトリック・モディアーノは映画「イヴォンヌの香り」の原作者で、「






今は小学生ぐらいから "ケータイ・デビュー"することがごく普通になってきていますが、親が日常で使っているのを見れば、子どもも自然とそうなるのでしょう。中学生などは、自宅からでも置き電話を使わず、メールで友だちと連絡を取り合うことが普通みたいだし...。つまり彼らは、電話としてよりも、メールやゲームでケータイを使用しているわけですが、本書を読んで、小中学生にとってケータイの世界が、かなりウェイトが大きいものになっているということがわかりました。本書で「人気ベスト3」として紹介されている、「モバゲータウン」や「プロフ」、多くの"ケータイ小説"を生んでいる「魔法のiらんど」など、それぞれに凄い数の利用者がいるわけです。
大井 玄 氏