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非常に「劇画」っぽい感じ。シーンによっては黒澤の"原点"的雰囲気を醸している。


「姿三四郎【期間限定プライス版】 [DVD]」(79分「短縮版」)
明治15年、会津から柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎(藤田進)は門馬三郎(小杉義男)率いる神明活殺流に入門。ところがこの日、門馬らは修道館柔道の矢野正五郎(大河内傳次郎)闇討ちを計画していた。近年めきめきと頭角を現し警視庁の武術指南役の座を争っていた修道館柔道を門馬はいまいましく思っていたのだ。ところが多人数で襲撃したにも関わらず、矢野たった一人に神明活
殺流は全滅。その様に驚愕した三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。やがて月日は流れ、三四郎は修道館門下の中でも最強の柔道家に育っていたが、街に出れば小競り合いからケンカを始めてしまう手の付けられない暴れん坊でもあった。そんな三四郎を師匠の矢野は「人間の道というものを分かっていない」と一喝。反発した三四郎は気概を示そうと庭の池にび込み死ぬと豪語するが矢野は取り合わない。兄弟子たちが心配する中意地を張っていた三四郎だが、凍える池の中から見た満月と泥池に咲いた蓮の花の美しさを目の当たりにした時、柔道家として、人間として本当の強さとは何かを悟ったのであった―。(Wikipediaより)
1943(昭和18)年に公開された黒澤明(1910-1998/享年88)の初監督作品で、当初、全長97分の作品として公開されましたが、公開翌年に電力節約のため1作品の上映時間が80分以下に制限され、関係者の知らないところでフィルムがカットされたとのこと。切断されたフィルムは行方不明となり、戦後1952(昭和27)年に再公開された作品は79分の短縮版で、その後出されたVHS、レーザーディスク、DVDは何れもこの短縮版でした。それが、行方不明になっていたカット部分の一部がソ連崩壊後のロシアで日本人によって発見され(満州にあったフィルムがソ連に資料として持ち去られていた)、2002年に91分の「最長版」DVDが発売されています(まだ6分の逸失部分があるため「完全版」ではない)。
原作は富田常雄で、姿三四郎は会津藩出身の西郷四郎(NHK大河ドラマ「八重の桜」にも出てきた西郷頼母は養父)、矢野正五郎は嘉納治五郎(講道館柔の創始者)とそれぞれモデルがあり、1886(明治19)年の警視庁武術大会で講道館柔道が柔術諸派に勝ったことにより、講道館柔道が警視庁の正課科目として採用されというのも史実だそうです。
原作は読んでいませんが、映画の方は黒澤明のスタートがエンタテインメント作品であったことを改めて感じさせるとともに、戦争中によくまあこんな純粋娯楽映画と言ってよい作品を撮ったものだなあと思いました。非常に「劇画」っぽい感じで、この作品を"スポ根"映画と呼ぶ人もいて、三四郎に必殺技「山嵐」によって投げられた門馬が空を舞っていくところなどは、TVドラマ「柔道一直線」みたいでした(門馬はこれにより死んでしまうのだが)。柔術派である良移心当流の檜垣源之助(月形龍之介)の気障なキャラは、近藤正臣が演じた結城真吾に継承されたのか?
ストーリーとしては、姿三四郎と良移心当流師範村井半助の娘・小夜(轟夕起子)とのラブロマンスを絡めてはいるものの、定番過ぎると言うかシンプル過ぎて逆にもの足りないですが(三四郎が試合に向けて特訓練習するシーンなどがカットされ、"気持ちの持ち様"だけでいきなり強くなった印象を与えてしまう)、師匠である山本嘉次郎(1902-1974)の演出を受け継ぎながらも、熊谷久虎(1904-1986)などの演出も参照し、更に泥池に咲いた蓮の花の美しさの見せ方などにおいて独自性を見せている点は興味深いです。とりわけ、ラストの三四郎と檜垣のすすき野原での対決シーンは、後の「用心棒」や「椿三十郎」に繋がる雰囲気を色濃く醸していて、その意味でも"原点"的作品ではあるかと思います。

良移心当流師範・村井半助を演じるのは志村喬。檜垣にロートル扱いされ、警視庁武術大会での三四郎との試合の前半部分は何だか2人でダンスを踊っているみたいだったけれど、三四郎に投げられて半ばダウン状態のところへ娘・小夜の声が被って再度立ち上がろうとするところはさすがに痛々しかった...。
この作品に出演した大河内傳次郎(左)、志村喬、藤田進とも、勧進帳をベースにした戦争末期の黒澤作品「虎の尾を踏む男達」('45年)、京大事件をモチーフにした終戦翌年の黒澤作品「わが青春に悔なし」('46年)にも3人揃って出演することになります。


藤田進(1912-1990)は撮影所の録音係から俳優になった人。山本嘉次郎監督の「加藤隼戦闘隊」('44年)にも加藤健夫中佐役で主演、「虎の尾を踏む男達」では富樫左衛門を演じています。50年代以降では、「地球防衛軍」('57年)、「モスラ対ゴジラ」('64年)、「宇宙大怪獣ドゴラ」('64年)といった東宝特撮映画に自衛隊の現場の指揮官役でよく出ていたほか、TⅤ番組「ウルトラセブン」でも地球防衛軍長官役で出演していました。
終戦の翌月に完成した「虎の
尾を踏む男達」はGHQの検閲で内容に封建的な部分があるということで当時一般公開されず、この「姿三四郎」が戦後再公開されたのと同じ1952年に初めて劇場公開されています。作られた当時に公開されなかったのは不幸ですが、「完全版」が無いのも不幸と言えます。因みに、「最長版」は2002年発売の
DVD BOXSETに特典映像としてあるのみのようで、その後に発売されたDVDもブルーレイも79分の短縮版のままであるのはどうしてなのか(2010年に黒澤明生誕100年記念として日本映画専門チャンネルで「最長版」がテレビ初放映、同年に池袋・新文芸坐でも「最長版」が上映された)。
「姿三四郎 [DVD]」(79分「短縮版」)
「姿三四郎 [レンタル落ち]」(79分「短縮版」)
藤田進と轟夕起子/志村喬と藤田進

「姿三四郎」●制作年:1943年●監督・脚本:黒澤明●企画:松崎啓次●撮影:三村明●音楽:鈴木静一●時間:79分(97分)●出演:大河内傳次郎/藤田進/轟夕起子/花井蘭子/月形龍之介/志村喬/青山杉作/菅井一郎/小杉義男/高堂国典/瀬川路三
郎/河野秋武/清川荘司/三田国夫/中村彰/坂内永三郎/山室耕●公開:1943/03●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(10-09-11)●配給:映画配給社(東宝)(評価:★★★)
轟夕起子/藤田進
轟夕起子(1937(昭和12)年:雑誌「映画之友」八月号)

「柔道一直線」●監督:小林恒夫/富田義治/折田至/奥中惇夫/田口勝彦/山田稔/近藤一美●企画:平山亨/斉藤頼照/橋本洋二●脚本:佐々木守/上原正三/雪室俊一/高橋辰雄/細川すみ●音楽:みぞかみひでお●原作:梶原一騎●出演:桜木健一/高松英郎/牧冬吉/吉沢京子/青木和子/藤江喜幸/名古屋章/岸田森/近藤正臣●放映:1969/06~1971/04(全92回)●放送局:TBS
「柔道一直線 DVD-BOX 1【初回生産限定】」
松田優作(柔道部員の一人)当時19歳
●黒澤明フィルモグラフィー
公 開 年 作 品 名 (制作(配給)) 脚本 主な出演
1943年 姿三四郎(東宝)黒澤明 大河内傳次郎、藤田進、轟夕起子、花井蘭子、月形龍之介、志村喬
1944年 一番美しく(東宝)黒澤明 志村喬、清川荘司、入江たか子、矢口陽子、萬代峰子
1945年 續姿三四郎(東宝)黒澤明 藤田進、轟夕起子、河野秋武、月形龍之介、大河内伝次郎、清川荘司
1945年 虎の尾を踏む男達(東宝)黒澤明 大河内傳次郎、藤田進、轟夕起子、花井蘭子、月形龍之介、志村喬
1946年 わが青春に悔なし(東宝)久板栄二郎 志村喬、清川荘司、入江たか子、矢口陽子、萬代峰子
1947年 素晴らしき日曜日(東宝)植草圭之助 藤田進、轟夕起子、河野秋武、月形龍之介、大河内伝次郎
1948年 醉いどれ天使(東宝)植草圭之助、黒澤明 志村喬、三船敏郎、木暮実千代、久我美子、山本礼三郎
1949年 静かなる決闘(大映)黒澤明、谷口千吉 三船敏郎、三條美紀、志村喬、千石規子、中北千枝子
1949年 野良犬(新東宝=映画芸術協会)黒澤明、菊島隆三 三船敏郎、志村喬、木村功、山本礼三郎、淡路恵子
1950年 醜聞(松竹=映画芸術協会)黒澤明、菊島隆三 三船敏郎、山口淑子、志村喬、桂木洋子、北林谷栄、千秋実
1950年 羅生門(大映)黒澤明、橋本忍 三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之、千秋実、上田吉二郎
1951年 白痴(松竹)久板栄二郎、黒澤明 原節子、森雅之、三船敏郎、久我美子、志村喬、千秋実、岸惠子
1952年 生きる(東宝)黒澤明、橋本忍、小国英雄 志村喬、日守新一、千秋実、小田切みき、田中春男、伊藤雄之助
1954年 七人の侍(東宝)黒澤明、橋本忍、小国英雄 志村喬、三船敏郎、木村功、稲葉義男、加東大介、千秋実
1955年 生きものの記録(東宝)橋本忍、小国英雄、黒澤明 三船敏郎、志村喬、青山京子、東郷晴子、千秋実
1957年 蜘蛛巣城(東宝)小国英雄、橋本忍、菊島隆三、黒澤明 三船敏郎、山田五十鈴、志村喬、久保明、千秋実
1957年 どん底(東宝)小国英雄、黒澤明 三船敏郎、山田五十鈴、香川京子、千秋実、上田吉二郎、藤原釜足
1958年 隠し砦の三悪人(東宝)菊島隆三、小国英雄、橋本忍、黒澤明 三船敏郎、千秋実、藤田進、藤原釜足
1960年 悪い奴ほどよく眠る(東宝=黒澤プロ)小国英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍 三船敏郎、香川京子、三橋達也、森雅之、志村喬、西村晃、藤原釜足、加藤武、笠智衆
1961年 用心棒(東宝=黒澤プロ)菊島隆三、黒澤明 三船敏郎、仲代達矢、司葉子、加東大介、山茶花究、河津清三郎、山田五十鈴、東野英治郎
1962年 椿三十郎(東宝=黒澤プロ)菊島隆三、小国英雄、黒澤明 三船敏郎、仲代達矢、小林桂樹、加山雄三、団令子、志村喬、藤原釜足、清水将夫
1963年 天国と地獄(東宝=黒澤プロ)小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明 三船敏郎、仲代達矢、香川京子、三橋達也、石山健二郎、木村功、加藤武、志村喬、山崎努
1965年 赤ひげ(東宝=黒澤プロ)井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明 三船敏郎、加山雄三、山崎努、団令子、香川京子、桑野みゆき、二木てるみ
1970年 どですかでん(四騎の会=東宝)黒澤明、小國英雄、橋本忍 頭師佳孝、菅井きん、三波伸介、伴淳三郎、芥川比呂志、奈良岡朋子、加藤和夫
1975年 デルス・ウザーラ(モスフィルム)黒澤明、ユーリー・ナギービン ユーリー・サローミン、マキシム・ムンズーク、シュメイクル・チョクモロフ
1980年 影武者(東宝=黒澤プロ)黒澤明、井手雅人 仲代達矢、山崎努、隆大介、萩原健一、根津甚八、大滝秀治、油井昌由樹、桃井かおり、倍賞美津子
1985年 乱(グニッチ・フィルム=ヘラルド・エース)黒澤明、井手雅人 仲代達矢、寺尾聰、隆大介、根津甚八、原田美枝子、宮崎美子、野村萬斎、井川比佐志、ピーター
1990年 夢(黒澤プロ)黒澤明 寺尾聰、倍賞美津子、原田美枝子、井川比佐志、いかりや長介、伊崎充則、笠智衆、頭師佳孝、根岸季衣
1991年 八月の狂詩曲(黒澤プロ=フィーチャーフィルムエンタープライズII) 黒澤明 村瀬幸子、吉岡秀隆、大寶智子、茅島成美
1993年 まあだだよ(大映=電通=黒澤プロ)黒澤明 松村達雄、香川京子、井川比佐志、所ジョージ、油井昌由樹、寺尾聰


させようとするが、周吉と昔から親友である京大教授・小野寺(三島雅夫)が後妻を娶ることに不潔さを感じていた紀子は、父への嫌悪と別れの予感にショックを受けてしまう。マサの持ってきた縁談を承諾した紀子は、周吉と京都旅行に出かけ再度心が揺れるが、周吉に説得されて結婚を決意する―。
原作は広津和郎の短編小説「父と娘」。原節子が小津映画に初めて出演した作品であり、娘の縁談、親の孤独という戦後の小津作品で繰り返されるテーマがこの作品で確立されたとされており、ま
た、「
されていることを改めて感じます。1942年公開の同じく小津監督の「父ありき」(小津作品の中では初主演)で7歳年下の佐野周二の父親を演じてから老け役が定着していたというのもありますが、この「晩春」でも、実年齢(45歳)より10歳余り年上になる56歳の初老の父親を演じています。所謂よく知られている「笠智衆」のイメージに近いですが、「風の中の牝雞」の時と比べると、僅か1年後の出演作品でありながらも、その"見た目年齢"の違いに驚かされます。
笠智衆は演技について演出家と対立するようなことはなかったそうで、小津作品でも小津の言うとおりに演技をしたとのことですが、自らが泣くシーンを演じることはだけは拒否していて、この「晩春」のラストの独りリンゴの皮を剥くシーンで、その後に「慟哭する」というというシナリオだったのが、それを拒否して、うなだれるシーンに変更されたとのこと。彼が小津の演出に従わなかったのはこの時だけだったと言われています(「眠っているみたいだ」と評されて憤りを感じたとも(『
よく原節子の美しさが絶賛される作品で、またその号泣シーンなどでも知られているわけですが(続く「麦秋」「東京物語」でも原節子は号泣する)、個人的には、自分の娘を嫁にやる初老の男の複雑な心境にウェイトを置いて観ました(あくまでも主人公は周吉かと)。但し、この作品を、父に対して性的コンプレックス(エレクトラコンプレックス)を抱いていた娘が、そこから解放される物語であるとの見方があることで知られており、言われてみればナルホドなあと。
そうなると、京都旅行で父と娘が同じ旅館部屋で枕を並べて寝るシーンなども、やや性的な意味合いを帯びてくるわけですが、その場面の終りの方で一瞬床の間の壺が映し出されるシーンがあり、それが、ヒロインがエレクトラコンプレックスから解放された瞬間だという説もあるそうです。蓮實重彦氏が『
この"壺"を誰が見ているのかによっても解釈は異なってきますが、父・周吉は先に眠ってしまうことから、後は、ヒロインか「神の眼」かの何れかにならざるを得ない―ヒロインのそれまでの結婚に対する頑な態度が変わったのは、この時の旅館部屋での"枕を並べての"父子の会話以降であり、その会話からもヒロインの気持ちのターニングポイントは見て取れなくもないですが、その延長線上にある"壺"は、映画評論家ドナルド・リチーの指摘のように、それを見ているのはヒロインであると解釈するのが自然かもしれず、ドナルド・リチーは壺に、それを見つめるヒロインの結婚の決意が隠されていると分析しています(因みに蓮實重彦氏は、『監督 小津安二郎』の最後の章をこのシーンの捉え方に割いていて、ポール・シュレーダー、ドナルド・リチー両氏の解釈を批判し、それらとはまた違った見解を示しているが、ここではこれ以上は引用しないでおく)。



「晩春」●制作年:1949年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:伊藤冝二●広津和郎「父と娘」●時間:108分●出演:笠智衆/原節子/月丘夢路/宇佐美淳/杉村春子/青木放屁/三宅邦子/三島雅夫/坪内美子/桂木洋子/清水一郎/谷崎純/高橋豊子/紅沢葉子●公開:1949/09●配給:松竹●最初に観た場所:大井武蔵野館 (84-02-07)(評価:★★★★☆)●併映:「早春」(小津安二郎)
●NHK-BS2 視聴者の投票による「小津映画ベスト10」(「生誕100年小津安二郎特集」ホームページ(2003年))


若い軍医・藤崎(三船敏郎)は、戦時中の野戦病院で患者・中田(植村謙二郎)を手術中に、誤って自分の指に怪我をして患者の梅毒に感染してしまう。そして薬もろくにない中で病気をこじら
せてしまう。終戦を迎え、父・孝之輔(志村喬)の病院で働くようになった藤崎は、戦中から6年間彼の結婚の正式申出を待っていた婚約者の美佐緒(三條美紀)に対し、梅毒感染を隠したまま、結婚を申し出ることが出来ずにいる。一方の美佐緒は、藤崎が自分に対して距離を置いていることに苦悩する。ある日、藤崎は、梅毒の治療薬サルバルサンを自らに注射してい
るところを、見習い看護師の峯岸るい(千石規子)に見られてしまう。峯岸は元ダンサーで、妊娠して男に捨てられたところを病院に拾われたのだったが、藤崎の日頃の人道主義的な言動に反感を抱いていた彼女は、普段高潔なことを言っているのに梅毒に感染していると、理由も知らずに彼のことを誤解する。子どもを産むことを勧める藤崎に対して逆に彼を詰(なじ)るが、これを父・孝
之輔が偶然立ち聞きし、父は初めて息子が梅毒に感染していることを知る。最初は息子を詰問するつもりだった父だが、手術中の不可抗力からの感染と知って息子に同情するとともに、事実を美佐緒に話すべきだと諭す。しかし、藤崎は、完治には長い年月のかかる(当時)梅毒に感染したことを美佐緒に話せば、彼女の性格からして自分を待ち続けるだろうが、そのことは彼女の青春を犠牲にすることでもあり、それは出来ないと言う。この親子の話し合いを偶然立ち聞きした峯岸は、藤崎に対し自分が誤解をしていたことを知る―。
「酔いどれ天使」('48年)に続く黒澤明の監督8作目で、1949(昭和24)年公開の大映作品であり、原作は菊田一夫の舞台劇「堕胎医」(1947年発表)。年齢差15歳の志村喬(1905-1982/享年76)と三船敏郎(1920-1997/享年77)が親子の役を演じているのが興味深いです。見習い看護師の峯岸るいを演じた千石規子(1922-2012/享年99)は、黒澤明作品に最も多く出演している女優です。
苦悩する医師を演じた三船敏郎は、彼らしからぬ抑えた演技で、それを三船らしくないとしてフラストレーションを感じるか否かがこの作品の好き嫌いの分かれ目の1つになるかもしれませんが、個人的には、この映画での三船敏郎は悪くないと思っています。但し、やはり何と言っても、見習い看護師の峯岸るいを演じた千石規子がいいです。最初は、観客の視点に立った"繋ぎ"的な役回りに見えたのが、やがて物語において重要なファクターを占めるようになり、終わってみれば、作品自体が彼女の成長物語だったようにも思えてきます。
しかし、だからと言って藤崎の考え方を完全に理解したわけではなく、相変わらず人道主義を口にする彼に対して、「男の人の肉体的な要求なんてそんなに簡単に抑制できるものなんですか」とカマをかけます。「医者だって人間でしょう」という彼女の言葉が引き金となって、藤崎は自らの悔しさと美佐緒に対しての生々しい想いを峯岸にぶちまけ、彼の苦悩をストレートに受け止めた峯岸も号泣します。その号泣の後で、またも「僕は医者なんだ。人間の良心を持って生きていかなければならないんだ」と言って"あるべき自分"に立ち返ろうとする藤崎に対して、峯岸は再度カマをかけていて、ここはある種"男と女"の会話になっています。しかもテーマは"性欲"であると言ってもよく、峯岸自身が、病院ってこういう話ができる不思議なところだと言っているぐらいです(しかも、その後、ぎこちなく事務的な会話に移るのが却ってリアリティがある)。このシーンでの千石規子の演技は、三船敏郎のそれと拮抗しているように思いました(女性を描くのが不得手だと言われた黒澤明の作品にしては、活き活きとした女性像が描かれていると思った)。
自らの暗い過去から人間を斜に構えてしか見ることが出来なかった見習い看護師の峯岸が、ラストでは凛とした看護師になっていて、しかも見違えるほど美しくなっています。孝之輔が、息子・藤崎が巷で"聖者"と呼ばれているということに対して、「あいつはね、ただ自分より不幸な人間の傍で希望を取り戻そうとしているだけですよ。幸せだったら案外俗物になっていたかもしれません」というのも解り易過ぎる解題のようにも思えますが、味わいのある言葉でもあり、作品全体としても感動作であるには違いないと思います。
原作は菊田一夫の舞台劇「堕胎医」(1947年)で、千秋実主演で舞台でもヒットしたそうですが、藤崎と峯岸るいを軸とした話になっていて、美佐緒はほんの脇役に過ぎなかったそうです。振り返れば、映画においてもそうした見方ができますが、但し、原作では主人公の医師が梅毒を次第に悪化させ遂に発狂し、相手が誰かの判断もできなくなって精神病院へ送られるところで幕となるというもので、映画も最初のシナリオの段階ではそのような結末を想定していたのが、当時梅毒が既に「治る病気」になっており(1946年に占領軍が招聘した米国大学教授の指導の元に日本の製薬会社各社がペニシリンの生産を開始し、翌1947年から病院を通して日本中へと広まった)、GHQの圧力もあったかと思われますが、こうした希望の持てる終わり方になっています(但し、その代わりに中田の方が梅毒の病状が進行して発狂していくのだが)。
昭和20年代の黒澤作品は、ヒューマニズムをテーマにしたものが多く、それらの評価は結構割れているようですが、この作品もその1つでしょう。それら作品群の中では個人的には好きな方です。戯曲の方が素晴らしいという映画評論家もいますが、観ていないので何とも言えません。但し、自分としては、原作以上の映画作品を作る監督の一人が黒澤明だと思っています。
「静かなる決闘」●制作年:1949年●監督:黒澤明●製作:本木荘二郎●脚本:黒澤明/谷口千吉●撮影:相坂操一●音楽:


戦争の傷跡が残る東京で、職についてはいるが友人宅に居候中の雄造(沼崎勲)と、大家族の姉の家に同居中の(中北千枝子)のカップルは、一緒に住むこともままならず、週に一度日曜日に会えることだけが唯一の楽しみだった。手持金僅か35円ながらも、楽しいランデヴーを計画する2人の前に、切なく惨めな現実が立ちはだかる。真面目に生きることの虚しさに失望しそうになりながらも、2人は喫茶店を開く夢を語り合う―。
キャバレー(ダンスホールのような感じ)に出入りする羽振りの良さそうな人たちと、雄造が通された部屋にいたタカリ屋、街を見下ろす高台で持参のおにぎり昼食を取る2人の前に現れた少年浮浪者、等々、"戦後復興"も人によってその歩みに早い遅いがあったことを改めて窺わせます。
気分を変えて上野動物園に行く2人ですが、入園料を払うと残りは23円で、しかも突然の雨降り。昌子が10円で鑑賞できるという東京公会堂でのコンサートのポスターを見つけて上野駅から国電に飛び乗って会場に駆け込むも、安いチケットはダフ屋に買い占められており、頭に来た雄造は喧嘩騒ぎまで起こし、絶望感からアパートに引き籠って不貞腐れる羽目に。
昌子もそんな彼を見ているのが辛くて一旦はアパートを出ていきます。しかし、また戻って来て、2人で喫茶店で将来の夢を語り合うも、コーヒー1杯5円、茶菓子1個5円のはずがミルクコーヒーは10円だったみたいで、遂には所持金不足に―といった具合に、話は明るくなったり暗くなったりしながらも、所持金の消費と共に結局はどんどん暗くなっていって、この後どうなるかと思ったら、最後で思い切った演出の転換が行われています(それまでのホームドラマ的な演出が、途中から完全に舞台劇のような演出及び場面設定に切り替わる)。
黒澤明が撮った唯一のホームドラマとも言われている作品で、黒澤明と小津安二郎の映画の作りや演出の違いを比べようと思っても、片や歴史物や社会物或いはスペクタル娯楽作品だったりし、片や"その時点での"現代物ホームドラマばかりで、状況設定が違い過ぎて比較しにくのですが、この作品だと比較可能かもしれません。
この作品を観て思うのは、やはり黒澤は小津のように淡々とした感じでは終わらないなあと。むしろ"終われない"のかも。最後、まさに交響楽を編むようなドラマにしないと収まらないのでは。ラストの無人のコンサート広場での仮想演奏会の場面もそうだし、中北千枝子演じる昌子がスクリーンの中から観客に向かって拍手を求めるシーンなどはまさにそのように思いました。
方が、時代の雰囲気やシズル感があって良かったように思います。走る2人を追いかけるカメラの躍動感が黒澤映画っぽいです。また、上野公園の入り口階段傍の石垣や、上野駅の入り口付近の様子が今とあまり変わっていないことにも気付かされました。
この作品を"感動作"として推す人も多いかと思いますが、自分としては、「映像」的には貴重なシーンが多くあり興味を引いたものの(当時流行った「街頭写真屋」などは当然のことながら役者が演じているのだが)、「映画」的には黒澤作品としてはイマイチで、あまり
彼の得意ではないジャンルの作品だったような気がします。


三沢(勝呂誉)は久しぶりに会った友人・鬼島明(山中紘)の家でくつろいでいたが、家の前で偶然見かけた鬼島の父・竹彦(浜村純)の話をした際の鬼島夫妻の様子から、鬼島と竹彦の間に確執があることが窺えた。急にテレビの映りが変になったところで話にキリをつけ、三沢は鬼島の誘いで一泊することに。その夜、三沢は就寝中に何者に襲われ、手に傷を負う。同じ頃、帰宅途中のサラリーマンが刃物で殺害され、三沢は手の傷から事件の容疑者となってしまう。証拠不十分で釈放された三沢だが、その帰り道にまたも何者かに襲われる。三沢の事件を知った鬼島は一人暮らしの父の家を訪ねるが、竹彦は会おうともせず、一人"子供部屋"に戻り、ベビーベッドに横たわる何かに向かって話しかけるのだった。翌晩、竹彦の家を見張っていた三沢は、酒に酔った竹彦をタクシーで家まで送り届けた女性に会うが、女性を自分の車内に残して竹彦を自宅に送る間に、女性は何者かに襲われ、三沢は自宅に逃げ帰った彼女の後を追うが、女性の部屋に着くと女は既に息絶えていた。三沢はまたも容疑者にされるが、これも証拠不十分で釈放に。自分が襲われた晩に鬼島宅でテレビ画像が乱れたことを警察の町田警部(小林昭二)に告げ、それが警察の今回の事件の聞き込みと一致したことから、犯行時にテレビ画面を乱すほどの強力な電波が出ていることが判明、調べてみると、その電波の発信源は竹彦の家だった―。
「怪奇大作戦」は円谷プロダクションが制作し、TBS系で1968(昭和43)年9月から1969(昭和44)年3月まで毎週日曜日19:00-19:30に全26話が放送された、SRI(科学捜査研究所)の活躍を描いた特撮テレビドラマ。2007年にNHKデジタル衛星ハイビジョンで「怪奇大作戦 セカンドファイル」(全3回)、2013年にNHK-BS2で「怪奇大作戦 ミステリー・ファイル」(全4回)としてリメイク放映されて、この間BS-2などでオリジナルの再放映もされています。オリジナルは最初の方、回が浅い間はやや方向性がバラバラだったような感じでしたが、この第7話「青い血の女」辺りになると、大体定まってきたかなという感じでした。
サラリーマン、三沢、女性を襲ったのは《殺人人形》で、早くから画面に登場しますが、これは完全に機械仕掛けのからくり人形。その殺人人形を操っているのは誰なのか。ラストで警察が竹彦の部屋に踏み込む際に、竹彦は、ここには4歳の女の子がいるだけだと拒みますが、そこで彼らが見たものは―。
う~ん。竹彦は、自分を見捨てていく子どもたちの代わりに《女の子》を作って(高額の特許料で生活しているようだから発明家なのだろう)これを偏愛していたけれど、その《女の子》が老人である竹彦に代わって老人を見捨てる者を襲っているうちに"彼女"も自我を持つようになるとともに成熟し、竹彦から自由になりたいと考え、「あたしも老人を捨てて独立するの。だから、あたしも殺さなきゃ...」ということで"自殺"することになるわけか。なかなか凝ったレトリックだったなと思います。
「青い血の女」というタイトルから成熟した女性が出てくると思われがちですが、結局"自我を持った人形"だったわけで(老人の少女愛、人形愛というのは川端康成っぽい?)、但し、自殺して「血を流した」という意味においては半ば"人間"であり、しかしながら「血が青かった」という意味では"人間"ではなかったという、こうしたレトリックにおいても、シリーズの中では佳作とされるべきものではないかと思います。
この「青い血の女」は大井武蔵野館で観ましたが、併映作品の1つに「恐怖劇場アンバランス(第9話)死体置場(モルグ)の殺人者」('73年/フジテレビ、長谷部安春監督)がありました。「恐怖劇場アンバランス」は円谷プロが「怪奇大作戦」に続いて制作した本格オムニバスホラーの1時間ドラマで、「ウルトラQ」の企画時のタイトルだった「ア
ンバランス」を冠しており、「怪奇大作戦」のSRIのようなレギュラーメンバーがおらず「ウルトラQ」のようなスタイルで、内容的には「怪奇大作戦」にも増して大人向けの色合いが濃くなっています。内容が過激で、台本の段階かそれ以前でストップし放映されなかったものが幾つかあり、おおよそ3年のお蔵入り期間を経て放映された13話のうち、制作No.7まではオリジナル脚本によるホラー路線で、制作No.8以降は原作付きのサスペンスに路線変更しています(放映順は制作順と異なる)。その原作者というのが、円地文子、西村京太郎、松本清張、山田風太郎、仁木悦子、樹下太郎といった錚々たるメンバーで、監督も、まだ巨匠扱いされる以前の鈴木清順、藤田敏八、神代辰巳、黒木和雄あたりだったりします。また、作り手として知られる人たち(大和屋竺、蜷川幸雄、唐十郎)が主演俳優として出演しているのも、今観ればレア感があります。
この第9話「死体置場(モルグ)の殺人者」(制作No.3)のあらすじは―
というもので、背景が「白い巨塔」('66年/大映)みたいで、水上と涼子(演じるのは元「プレーガール」メンバーの西尾三枝子)のベッドシーンもあったりして、完全に大人向けになっています。ゾンビなった村田が脱がされた背広をまた着直しているし(結局、水上の妄想か。但し、ゾンビ村田は涼子の前にも現れるし、更には自宅にも)、包帯ぐるぐる巻きになって家に帰ったのに、村田の妻が「あなたどうしたの?」程度にしか驚かないし(これは人が死ぬ前に近しい者の前に現れるという超常現象か)、野坂昭如(特別出演)演じる、水上の教授昇進祝いに水上宅に来ていた友人「
坂野」が、唐突に死体が甦る話をし始める(しかもセリフ棒読み)違和感など、突っ込みどこ
ろは多いですが、怪奇モノ(怪談×モダンホラー)としてはオーソドックスだったでしょうか、いや、オーソドックスと言うより"ベタ"と言うべきか。あくまで今観て思うことで、リアルタイムで見ていた頃は結構怖がって観ていたかもしれません(そのことを加味して、星半分オマケ)。

![怪奇大作戦2 [VHS].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E6%80%AA%E5%A5%87%E5%A4%A7%E4%BD%9C%E6%88%A62%20%5BVHS%5D.jpg)
「怪奇大作戦(第7話)/青い血の女」●制作年:1968年●監督:鈴木俊継●監修:円谷英二●制作:円谷英二●脚本:若槻文三●特技:高野宏一●音楽監督:山本直純●音楽:玉木宏樹●出演:勝呂誉/原保美/岸田森/松山省二/小橋玲子/小林昭二/山中紘/浜村純●放送:1968/10/27●放送局:TBS●最初に観た場所(再見):大井武蔵野館(83-03-24)(評価:★★★☆)●併映:「恐怖劇場アンバランス(第9話)死体置場(モルグ)の殺人者」(長谷部安春)/「ウルトラQ/東京氷河期」(野長瀬三摩地)/「怪奇大作戦/死神の子守歌」(実相寺昭雄)
「恐怖劇場アンバランス(第9話)/死体置場(モルグ)の殺人者」●制作
年:1969年(制作№3)●監督:長谷部安春●監修:円谷英二●制作:円谷プロダクシ
ョン/フジテレビ●脚本:山浦弘靖●音楽:冨田勲●出演:久富惟靖/西尾三枝子/向精七/渥美国泰/柳川慶子/高杉哲平/熊倉重之/鈴木勇作/小池泰光/酒井郷博/宮島邦継/斉藤リカ/倉石和
旺/野坂昭如(特別出演)/中原早苗/高橋幸雄●放送:1973/03/05●放送局:フジテレビ●最初に観た場所(再見):大井武蔵野館(83-03-24)(評価:★★★☆)●併映:「怪奇大作戦(第7話)/青い血の女」(鈴木俊継)/「ウルトラQ/東京氷河期」(野長瀬三摩地)/「怪奇大作戦/死神の子守歌」(実相寺昭雄)


矢)/松山省二(野村)/小橋玲子(小川)/小林昭二(町田)●放映:1968/09~1969/03(全26回)●放送局:TBS



森で身元不明の女性の遺体が発見される。遺体に着衣はなく、頭を砕かれていた。時を同じくして、森の近くの女子寄宿学校では、学生達が休みから学校に戻ってきた。新任の教師も集まり、学校は活気を取り戻していた―。
でも、何よりの改変は、ジュリエットの母親である寮母とラロジエール警視は昔一夜を共にしたことがあり、実は彼女の娘ジュリエットはラロジエールの娘でもあったという―このもの凄い改変が、それまで娘がいることを知らなかったラロジエールと、父親を知らなかった娘の出会いの物語という、太いサイドストーリーを形成しています(太過ぎる!)。
原作では、女子校の校長は立派な人物で、彼女の教育観には原作者クリスティの教育観が織り込まれていますが、ここでは、頑なに学校の名誉にこだわる石のような女性にキャラクター改変されていて、全体として面白
かったなりにも、この改変が個人的にはやや気に入らず、評価は「△」としました。


1959年にアガサ・クリスティ(1890‐1976)が発表した作品で、原題「Cat among the Pigeons」は、女生徒(鳩)達の園である学園に殺人者(猫)が紛れ込んでいるという意。ポワロ物ですが、ポワロが登場するのは、メドウバンクの生徒で知人の娘であるジュリアが彼に相談を持ち込んできてからで、これが全体の3分の2を過ぎてからということもあって、今一つポワロ物という印象が薄かった作品でした(作家の浅暮三文氏もハヤカワ・クリスティー文庫の解説で、ポワロは「友情出演」の感が強いとしている)。でも今回読み直してみて、ラストの畳み掛け感は素晴らしく、やはりポワロ物らしい傑作ではないかと感じました。
英国LWT(London Weekend Television)制作・デヴィッド・スーシェ主演の「名探偵ポワロ」シリーズで、第59話(本国放映2008年)として映像化されていますが、ポワロがなかなか登場しないのではマズイと思ったのか、原作の冒頭にあるメドウバンクの新学期が始まる場面からポワロが登場します(引退を考えている校長オノリアが、自分の後継者の人選にあたり、人間洞察に優れたポワロの助言を求めたという設定。原作ではポアロは、女生徒ジュリアの母親を介して学園と繋がるが、校長のオノリアとは直接面識がなく、初めて会う直前はやや警戒気味。但し、会ってから後はオノリアの人格者ぶりに感心する)。
ポワロが女生徒らの只中にいたりする場面は原作には無く、また、第2の殺人事件の被害者ヴァンシッタートをカットし、被害者を別の人物に変更しています(但し、結末の整合性は保っている)。更には、宝石の1つがジュリアに贈られることになったエピローグで、ポアロがわざわざキャンディドロップに混ぜて、この中に1つだけ固いキャンディがある、なんて言って彼女に贈るのも、原作でのポワロの登場時間の少なさを補うTVドラマ版のオリジナル。但し、時間を遡ったりしてはいるけれども、大筋では原作のプロットに忠実であり、原作の持ち味は活かしていたと思います(「


150年もの歴史を誇るラドフォード醸造社の社長トレヴァー(アンディ・ブラッドフォード)が酒樽の中で死体で見つかる。ライバル企業からの買収問題に揺れるラドフォード家では、自立再建派の被害者と会社売却派の弟スティーブン(ポール・シェリー)との間に確執があり、更にスティーブンは、元秘書の妻を差し置いて、兄トレヴァーの妻ヘレン(キム・トンソン)と親密状態にある。兄の死によって新社長となり、会社を売却の方に舵を切るかに思えたスティーブンだったが、彼もまた殺害され、酒樽の中で見つかる。息子2人を亡くしたチャールズ(ライオネル・ジェフリーズ)とその妻イザベル(イザベル・ディーン)が、会社の自立再建か売却かを決める重役会議を召集する。一方、トレヴァーの秘書ゲイルは、鉄道オタクの薬剤師ブリースと交際しているが、モースが事件を探る中で、ブリースとその母親は、ラドフォード社の創業に纏わる秘密があるらしいことが判る。そして、その秘密を知っているらしい弁護士ネルソンも殺害されてしまう―。
年/英)にもあります。ルイスの言葉遣いは庶民派で、弁護士の事務所にかかってきた犯人からと思われる電話の言葉遣いは上流階級のものだったということなのでしょう(その違いから閃いた)。鉄道オタクの薬剤師(それにしてはモデルのような美人の黒人の恋人がいる)の母親の言葉遣いは"庶民派"であり、よって犯人ではなく、実は母親は、第3の犯行が息子の仕業だと思って彼を庇ったのでした。
スティーブンの妻(リサ・ハーロウ)が、夫とは躰だけの関係で結婚したと割り切って、ラドフォード家の人々には愛想をつかしながらも、自宅室内プールでオペラ「椿姫」を聴きながらスイミングに勤しみ、ナイスボディだけは維持しているというのがなかなか良かったです(義姉に自分の夫を「貸し出してもいいのよ」と言う発想がスゴイね。体力ありそうだし、一時、彼女が真犯人ではないかと...)。まあ、彼女にはラドフォード家の遺産相続人である2人の子供もいるわけだし、伝統を重んじ(カネへの執着もさることながら、それ以上に)不名誉を嫌うラドフォード家の人々の価値観の方に尋常ならざるもの![Inspector Morse Sins of the Fathers [Audiobook].jpg](http://hurec.bz/book-movie/Inspector%20Morse%20Sins%20of%20the%20Fathers%20%5BAudiobook%5D.jpg)



ある雨の夜、ボーフォートの学内討論会「環境問題は党派政治を超えるか」に学寮長のマシュー(ジェフリー・パルマー)と参加しようとしていたディア博士(デヴィッド・ニール)が、忘れ物を取りに戻った際に何者かに襲われ死亡し、学寮長は現場から逃げ去った若者とぶつかって負傷する。博士の直接の死因は心臓発作だったが、討論会での問題発言を阻止しようとした何者かの仕業なのか? 学寮長は化学肥料会社に投資して利益をあげていたが、その会社は環境問題を引き起こして問題になっていた。その告発記事を書いた「日曜新聞」の記者シルヴィ(チェリル・キャンベル)は学寮長の養女であり、今度の事件後に公邸を訪れ、家族に煙たがられながらも取材のため滞在していた。学寮長夫妻の娘イモジェン(イレーネ・リチャード)はかつて心に傷を負って大学を中退し、今は結婚して夫と厩舎を営んでいたが、今も神経を病んでおり、その原因は定かでない。学寮長の妻ブランチ(バーバラ・リー=ハント)は元ピアニストで、以前は庭師フィルの娘アマンダも彼女にピアノを習いに来ていた。モースは、学寮長の公邸に何度か届いた嫌がらせの小包と事件との関連を疑う一方、学寮長が事件の際に目撃した若者ミックに辿り着いて身柄を確保するが、彼は、自分が博士の傍に行った時には彼は既に死んでいたと言う。ミックと同性愛関係にあり、彼を匿っていた数学者のジェイク(トム・ウィルキンソン)はアメリカに高飛びし、ミックの部屋は何者かによって放火される。モースが、末期がんで入院中のミックの母親を病院に訪ねた際に、逃げ去る不審者を見つけて追跡するが捕り逃がしてしまう―。
今回は「倒叙法」できたのかと思わせるぐらい、冒頭から不審な素振りを見せる人物が出てきて、実は博士は学寮長と間違えられて殺害されたのではないかとのモースの見方が出てきた以降は、「第一容疑者」が目まぐるしく入れ替わる展開。モースも事件の展開に振り回され放しという感じの中、当の学寮長までも殺害されてしまいます。
一方のルイスは、現場に残された嘔吐物の分析に執心し、モースが相変わらずパブにちょくちょく立ち寄っては推理を纏めようとしているところへ、ビールを飲んでいるモースに向かってゲロの内容物の話ばかりするため、さすがにモースは嫌な顔をしますが、結局、このルイスの"ゲロへの執着"が、捜査が行き詰ったことに加え、上層部からの圧力もあって事件解明を諦めかけていたモースを、博士殺害の真犯人に導きます。






終戦直後、カトリックの一派バジリオ会所属のグリエルモ教会のルネ・ビリエ神父は、聖書の翻訳作業を行う目的で、江原ヤス子のもとに通っていた。しかし深夜になると、彼女の寝室からすすり泣きや忍び笑いが洩れてくるのだった。ルノーで乗り付けるビリエ神父に加え、ヤス子の家では深夜にトラックが謎の荷物の積み下ろしを行っていて、ヤス子の生活は急速に派手になっていく。ある時、荷物の運搬に携わっていた日本人が警察に密告し、トラックから統制品の砂糖が押収された。刑事が教会を訪れたが、教会を統括するフェルディナン・マルタン管区長は、物資のヤミ商売は日本人が勝手にやったと言い、更に管区長は、ビリエ神父に日本政府の高官夫人を通じて"穏便に解決"するよう手配し、日本人の運搬責任者に"犠牲"になるよう指示する。その後7年が過ぎ、教会は以前にも増して発展、その間に、管区長のやり方に異議を唱えた神父は朝鮮半島の僻地に飛ばされ、代わりにシャルル・トルベックが神父となった。トルベックは純真な神学生であり女性を知らなかったが、日本人女性の信者の間で人気が出て、ビリエ神父と江原ヤス子が親しげに馴れ合う様子を目にしたことを契機に、彼もまた、信者の一人生田世津子と親密になっていく。そんなトルベックに、ビリエ神父から思わぬ指令が下る―。
1959(昭和34)年3月に起こったBOACスチュワーデス殺人事件をもとに、フィクションの形で推理を展開した長編小説で、中央公論社から刊行されていた「週刊コウロン」に1959(昭和34)年から翌年にかけて連載され(1959年11月3日号 - 1960年10月25日号)、1961年11月に同社から刊行されています。
この作品は1984年にTBSで宇津井健(1931-2014.3.14/享年82)主演でドラマ化されていますが、個人的には未見。先月(2013年1月)テレビ朝日で、ビートたけし、竹内結子主演で再ドラマ化されたものを見ました。
こちらは生田世津子が死体で見つかる場面、つまり、原作の推理編から始まり、推理を通して事件を遡っていくという展開となっており、ある意味、"正統派"の倒叙法と言えます。原作の通りにやろうとすると、半分以上が外国人であるトルベックが主人公になってしまうというのもあって、推理編からスタートして、警視庁捜査一課の刑事・藤沢六郎(ビートたけし)を主人公にもってきたといったところでしょう。
藤沢刑事は小説の中にも出てきて捜査の要となりますが、ドラマのように若い刑事を同行させたり、捜査陣と対立したりすることはありません。ドラマの方は、これもまた、「張込み」「点と線」などでこれまで清張作品のドラマ化作でビートたけしが演じた"ビートたけし流の刑事ドラマ"(乃至そうした刑事キャラ)になっているように感じました。役者としてのビートたけしの弱点は、何を演じてもビートたけし風になってしまうことでしょう(今回も、最初に出てきた時から"ビートたけし"で、最後まで"ビートたけし"だった)。

「松本清張 黒い福音~国際線スチュワーデス殺人事件~テレビ朝日開局55周年記念」●監
督:石橋冠●製作:(チーフプロデューサー)五十嵐文郎/(プロデューサー)藤本一彦/池田邦晃/里内英司/中山秀一●脚本:尾西兼一/吉本昌弘●原作:松本清張●出演:ビートたけし/瑛太/竹
内結子/木村文乃/佐野史郎/池内博之/小池栄子/川原和久/阿南健治/スティーブ・ワイリー/ニコラス・ペタス(格闘家)/風吹
ジュン/角野卓造/北大路欣也(特別出演)/國村隼/市原悦子/嶋田久作●放映:2014/01/17(全1回)●放送局:テレビ朝日
小池栄子(藤沢(ビートたけし)の娘・陽子)/
『黒い福音 (1961年)』(装本:


『

が仕事で北海道の小樽に行き、そこで取引先の業者と会っていた。東京から青森へ向かう特急列車や、北海道へ渡る青函連絡船でも、安田がいたことの証言や、乗車記録が残っている。2人が青酸カリを飲んだ夜に安田が九州にいることは物理的に不可能に思えたが、航空機を利用すれば、安田が業者に会う前に九州から北海道に着くことが可能なことに三原は気付く。しかし、安田は該当する便に乗っておらず、乗客全員を当たって偽名などがないか裏付けを取るが、全員がその便に乗っていたことが判明し、捜査は難航する―。
松本清張(1909‐1992)のあまりに有名な長編推理小説で、雑誌「旅」の1957(昭和32)年2月号から1958(昭和33)年1月号に連載され(挿絵は佐藤泰治)、加筆訂正の上、1958年2月に光文社から単行本刊行されていますが、連載当時は、同時期に「週刊読売」に連載されていた『眼の壁』に比べて反響は少なく、作者自身から「病気のため休載にしてほしい」との申し出が「旅」の編集者にあったのを、編集者が「休載するなら『眼の壁』など、他の全ての連載を休載にしてもらう」と迫ったため、結局休載することなく連載が続けられたとのことです。
東京から博多まで夜行列車で20時間ほどかかった時代の話であることを念頭に読む必要はありますが、安田が、自分が東京駅の13番線プラットフォームで料亭「小雪」の女中2人に見送られる際に、向かいの15番線プラットフォームにお時が男性と夜行特急列車
また、巻末には、昭和44年に行われた、この作品を巡る荒正人・尾崎秀樹の2人の対談があり、その中で、作家の五木寛之氏が、「松本清張氏はプロレタリアート・インテリゲンチャとして成熟した稀有な例」だとし、「その文学はプロレタリアートの怨念とインテレクチュアルな好奇心をバネとしている」と言っていることを取り上げています(五木寛之氏の"プロレタリアート・インテリゲンチャ"という表現に対して荒正人・尾崎秀樹両氏の間で距離感の違いはあるようだが)。それにしても、当時発行部数7000万部だったカッパ・ノベルズの内1000万部が松本清張作品だったというのはスゴイことだと思いました(荒正人は、夏目漱石の本が明治・大正・昭和の時代をかけて1000万部読まれてきたのに対し、松本清張はこの数字に僅か10年で到達してしまったことを取り上げ、大衆社会の中で"米の飯"のような必需品のような読まれ方をしてきたと指摘している)。
この作品は、『ゼロの焦点』や『砂の器』などの作者の他の代表作に比べると、「インテレクチュアルな好奇心」を満たすウェイトの方が高いように思われ、その点では無駄が少なく、一方、作者が昭和30年代に初めて「社会派推理というジャンルを築いた」という説明の流れの中で紹介される作品としては、"社会派"の部分はやや希薄な印象も受けます。但し、作中で殆ど姿を見せない安田の妻・亮子(最終的には自らの死も心中に見せかけたと推察され、自らも含む2度の"心中偽装"を行ったことになる)の人物造型は、抑圧された女性の怨念を描いて巧みな後の清張作品の、ある種「原点」的な位置づけにあると言えるかもしれません。
この作品は、「テレビ朝日」開局50周年記念ドラマスペシャルとして2007年11月24日と25日2夜連続で放送されていますが(2009年には「点と線~松本清張生誕100年記念特別バージョン」として再放映された)、ビートたけしが鳥飼重太郎を演じることで、高橋克典が演じる三原より鳥飼の方が事件解明の中心になっていて、原作では三原は鳥飼から幾つかの示唆を得ながらも自分で事件を解明するのに対し、ドラマでは鳥飼が独断で東京に行き三原と共に、あるいは単独で捜査するよう改変されており、かな
り原作とは異なった印象を受けました。これまで何度も映像化されているのであればこうした改変もあっていいのかもしれませんが、テレビドラマとしては初の映像化だったので、ストレートに原作をなぞって欲しかった気もします。上司からの捜査中止命令にその場では抵抗しない三原(高橋克典)に対して鳥飼(ビートたけし)が怒りをぶちまけ、両者が殴り合いになるのはやりすぎで(あまりに"ビートたけし"風)、終盤の鳥飼と安田の妻・亮子(夏川結衣)の"直接対決"もドラマのオリジナル。原作を読んでいない人は松本清張がそんな話を書いたのかと思ってしまうのではないかなあ(原作では、鳥飼が三原に捜査を諦めないよう手紙で激励するとともに捜査のヒントを与えるにとどまっているし、安田宅に出向いて安田の妻と直競対峙するといったこともない。完全に、ビートたけしを主役にするための改変である)。
小林恒夫監督による映画化作品('58年/東映)は、高峰三枝子、山形勲、志村喬といったベテランはともかく、三原刑事役の南廣が映画初出演ということもあり(元々はジャズドラマーだった)、演技がややパターン化したものであったのが、最初に観たときにイマイチだった印象に繋がっています(当
時40歳の高峰三枝子に28歳の役をやらせたのもきつかったか)。また、映像でトリックを解明するとやや複雑に感じられてしまい、原作が『ゼロの焦点』以上にトリックの占めるウェイトが高いものであったことを改めて認識させられるものでした。




2025年5月27日 神保町シアター
「点と線」●制作年:1958年●監督:小林恒夫●企画:根津昇 ●脚本:井手雅人●撮影:藤井静●音楽:木下忠司●原作:松本清張「点と線」●時間:85分●出演:南廣/高峰三枝子/山形勲/加藤嘉/志村喬/



/小宮光江/月丘千秋/光岡早苗/楠トシエ/風見章子/織田政雄/曽根秀介/永田靖/成瀬昌彦/神田隆/小宮光江/増田順二/奈良あけみ/花沢徳衛●劇場公開:1958/11●配給:東映●最初に観た場所:池袋文芸地下(88-01-23) (評価★★★☆)●併映:「黄色い風土」(石井輝男)/「












「ダイ・ハード シリーズ」の中で一番面白かったのはやはり第1作の「ダイ・ハード」('88年)であり、「テロ集団に襲われたロサンゼルスの高層ビル」という設定を生かして、縦のアクションに徹したのが成功した1つの要因だったと思います。
ブルース・ウィリス演じるニューヨーク市警マックレーン刑事は、これまでに無かった新たなヒーロー像を産み出した言えるし(その"嘆き節"も受けた)、マックレーンが高層ビル内で孤軍奮闘する状況の中、外部から無線の声だけでサポートする黒人刑官(レジナルド・ヴェルジョンソン)との男同士の見えない絆なども、観客を熱くさせるものがあったと思います。
また、英ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身のアラン・リックマン(1946-2016/享年69)演じるテロリストも良かったです。アラン・リックマンは「ロビン・フッド」('91年/米)でもケビン・コスナー演じるロビンの敵役の悪役を演じましたが、半ばコメディ仕立てということもあってか、「ダイ・ハード」で見せたほどの凄味や演技のキレはありませんでした(但し「ロビン・フッド」の演技で英国アカデミー賞助演男優賞を受賞している)。「ダイ・ハード」での好演は、リックマンの落下シーンで事前に打ち合わせていたタイミングより早く彼を落下させ、"素"の驚きの表情を撮るなどした、ジョン・マクティアナン監督の演出の妙にあるのでしょうか(撮影は、後に「スピード」('94年/米)を監督することになるヤン・デ・ボン)。
「ダイハード2」('90年)は、スイス出身で、「エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター最後の反撃」('88年/米)を撮ったレニー・ハーリンの監督作です。「エルム街の悪夢」シリーズは'84年から'97年までの間に7作作られいて、ライバルシリーズであった「13日の金曜日」シリーズは'88年から'02年までの間に10作作られています('03年には「フレディ vs ジェイソン」が作られている)。「エルム街の悪夢4」は「フレディ対超能力少女」で、その前に観た「13日の金曜日 PART6/ジェイソンは生きていた!」('86年/米)が、"ジェイソン"はコメディアンだったのか?と思えるほど怖くなかったのですが、「エルム街の悪夢4」
におけ
る"フレディ"のコメディアン化は、ジェイソンのそれを上回っているように思えました。そんなこともあって、「ダイハード2」も劇場に行くのをためらわれたのですが、劇場で観たらまあまあの出来だったでしょうか。但し、雪のワシントン・ダレス空港を舞台に(原作はウォルター・ウェイジャー『ケネディ空港/着陸不能』)、旅客機
の爆発、滑走路の大火災とスペクタル・シーンが大掛かりになった分だけ主人公のマックレーン刑事がスーパーマン化し、「1」と比べると大味な印象を受けました。レニー・ハーリンは、この後、シルヴェスター・スタローン主演の「クリフハンガー」('93年/米・仏・日)を撮っています(「ダイハード2」の終盤のクライマックスシーンでのマックレーン刑事が懐からライターを取り出すところから、彼がまだ喫煙者であったころが窺える)。
「ダイハード3」('95年)で監督をマクティアナン、舞台をニューヨークに戻して原点回帰? ニューヨーク市内で突如爆弾テロが発生し、「サイモン」と名乗る犯人は警察に電話し、ジョン・マクレーンを指名する。嫌がらせの様に、黒人達が多く住むハーレムのど真ん中で、「黒ん坊は嫌いだ(I hate Niggers)」というカードを下げさせられたマクレーンは、自身が白人である事も災いし、当然それを見た黒人ギャング達に半殺しにされかける。しかし、その近くで店を経営する黒人の男・ゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)に助けられ、それを知り、面白くなかったサイモンの指示によって、2人は行動を共にする事になるというあらすじ。
マクレーンに協力する黒人ゼウスを演じたサミュエル・L・ジャクソン(前年の「パルプ・フィクション」('94年/米)で一気に知名度をアップさせていた)、敵役サイモンを演じたジェレミー・アイアンズと(個人的には「運命の逆転」('90年/米)以来だったなあ)、共に演技達者で、途中まではそれなりに楽しませてくれましたが、途中から主人公のスーパーマン化は前作より更に進行し、最終的には一層大味な作品になってしまいました。
因みに、マクレーンとその敵役サイモンの右腕タルゴ(ニック・ワイマン)との格闘シーンで、相手がデカくて(ニック・ワイマンは身長196㎝))脚に杭を刺されても痛みを感じずマクレーンを追い詰める怪物ぶりであるため、マクレーンが「お前『アダムズのお化け一家』に出てなかったか?」と言いますが、TVドラマ「アダムズのお化け一家」の映画化作品「アダムス・ファミリー」('77年/米)(テッド・キャシディ(身長206㎝)がアダムス一家に仕える巨人の執事を演じた)のリメイク作品が、バリー・ソネンフェルド監督の「アダムス・ファミリー」('91年/米)でした。ブルース・ウィリス自身は、メリル・ストリープとゴールディ・ホーンが、永遠の若さと美貌を賭けて女のバトルを繰り広げるロバート・ゼメキス監督のブラックコメディ「永遠に美しく...」('92年/米)で、二人の間でオロオロするばかりの整形外科医役で出ていて、これもまた"不老不死"映画でした。
「ダイハード3」の12年後に作られた「ダイハード4.0(フォー)」('07年)では(いきなりマクレーンの娘が出てきた)、不正にネットワークへアクセスするハッカーを利用して、政府機関・公益企業・金融機関への侵入コードを入手したテロリストがライフラインから防衛システムまでを掌握し、サイバーテロによって全米を揺るがすという設定で、それでもテロリストとまともに戦ってい
るのは(若いハッカーを従えた)マクレーンただ1人という不思議な設定で、彼の娘は例のごとくテロリストの人質に。一部にサイバー合戦も見られますが、遂には国防省から最新鋭戦闘機F-35まで出てきてしまって、これが結構間抜けな役回りで、通信システムを掌握するテロリストのミスリードでマクレーンを攻撃(いくら命令とは言え、街中のハイウェイで戦闘機が機銃を乱射するかなあ)、これはもう、カネをかければいいものが出来ると勘違いしているのではないかと思わざるを得ません。マクレーンはトラックから戦闘機に飛び乗り、戦闘機からハイウェイに舞い降りと、殆ど人間ではあり得ない超絶アクションで、これまた更に大味に。まあ、自分の中では既に「3」でこのシリーズは終わったという印象ではありましたが...。
最近作のシーリズ第5作となる「ダイ・ハード/ラスト・デイ」('13年)は、舞台をシリーズ初の海外であるロシアに移しての展開でしたが(今度はいきなりマクレーンの息子が出てきた)、周囲の迷惑を顧みない滅茶苦茶なカーチェイスから始まって(巻き添えの死傷者が何十人と出てもおかしくない)、ラストでは女性敵役がマックレーンに対する怨みからヘリコプターで突っ込んでくるという、殆ど盲目的自爆の様相。彼女イリーナ(ユーリヤ・スニギル)はそれまで何のためにマックレーンを欺こうとしていたのか。もう完全にリアリティとはサヨナラした上に、ストーリーまでも破綻気味―「3」以降「5(ラスト・デイ)」まであまり評価する気にならないのですが、「5」はこれまでの中で最も劣るように思いました。 「
「ダイ・ハード」●原題:DIE HARD●制作年:1988年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・マクティアナン●製作:ローレンス・ゴードン/ジョエル・シルバー●脚本:スティーヴン・E・デ・スーザ/ジェブ・スチュアート●撮影:ヤン・デ・ボン●音楽:マイケル・ケイメン●原作:ロデリック・ソープ「ダイ・ハード」●時間:131分●出演:ブルース・ウィリス/アラン・リックマン/アレクサンダー・ゴドノフ/ボニー・ベデリア/レジナルド・ヴェルジョンソン/アート・エヴァンス/ウィリアム・サドラー●日本公開:1989/02●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:渋谷東宝(89-02-12)●2回目:三軒茶屋映劇(89-07-01)(評価:★★★★)●併映(2回目):「レッド・スコルピオン」(ジョセフ・シドー)








プソン●日本公開:1990/09●配給:20世紀フォックス(評価:★★★)


「13日の金曜日 PART6/ジェイソンは生きていた!」●原題:FRIDAY THE 13TH PART6:JASON LIVES●制作年:1986年●制作国:アメリカ●監督・脚本:トム・マクローリン●製作:ドン・ビーンズ●撮影:ジョン・R・クランハウス●音楽:ハリー・マンフレディーニ●時間:87分●出演:トム・マシューズ/ジェニファー・クック/デヴィッド・ケーガン/トム・フリドリー/レネー・ジョーンズ/ケリー・ヌーナン/トニー・ゴールドウィン/ナンシー・マクローリン/ヴィンセント・ガスタフェッロ/ロン・パリロ●日本公開:1986/10●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:東急レックス(89-04-30)(評価:★★)




![ダイ・ハード4.0 [DVD].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%894.0%20%5BDVD%5D.jpg)
「ダイ・ハード/ラス
ト・デイ」●原題:A GOOD DAY TO DIE HARD●制作
年:2013年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ムーア●製作:アレックス・ヤング●脚本:スキップ・ウッズ●撮影:ジョナサン・セラ●音楽:マルコ・ベルトラミ●キャラクター創造:ロデリック・ソープ●時間:98分(劇場公開版)・102分(最強無敵ロング・バージョン)●出演:ブルース・ウィリス/ ジェイ・コートニー/セバスチャン・コッホ/メアリー・エリザベス・ウィンステッド/ユーリヤ・スニギル/ラシャ・ブコヴィッチ●日本公開:2013/02●配給:20世紀フォックス(評価:★★)

後に「タイタニック」('97年公開)に抜かれるまで1位の記録だった)、'89年公開の「最後の聖戦」も、同年公開の「バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2」の94.0億円に及ばず2位と、このシリーズ作は何れも年間トップを取ってはいなかったんだなあと、やや意外な思いもします。「最後の聖戦」公開時に「シリーズ最終作」と銘打っていたように思いますが、その後「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」('08年)が作られています(2008年の年間興業収入57.1億円で第3位。この年の第1位は「崖の上のポニョ」の155億円)。
物語は聖杯伝説をベースにしており、手に入れれば願いはすべて叶うという聖杯を巡ってのナチス連中とインディたちの争奪戦。ナチスに誘拐された考古学者である父親(ショーン・コネリー)を救出に向かったインディも捉えられ...と、本来ならばもっとハラハラドキドキさせられるような展開になるところが、ハリソン・フォード演じるインディのおとぼけぶりに輪をかけるようなショーン・コネリー演じる父親のおとぼけぶりで、コメディ映画みたいになっていました。
インディは馬に乗って軍用列車を追いかけたり、ナチスの一味と殴り合い、撃ち合いしたりと相変わらずアクション面でも頑張っていますが、前作に比べると派手さがなく、テンポもイマイチ。最後は、聖杯の守り主みたいな騎士が出てき
てなかなかシュールに盛り上げてくれましたが(それにしてはその手前の仕掛けがやたらメカニックだったりもする)、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」のラストと被ってしまい、結果的に「ショーン・コネリーがとぼけた父親役をやっている映画」という印象のみが強く残ってしまった気がします。但し、ショーン・コネリーはこの作品
における「007シリーズ」のジェームズ・ボ
ンドのパロディ的要素を含む役どころを気に入っていたようで(敵か味方か途中までよく分からないボンドガール的な女性が出てくるのは007へのオマージュか)、2006年に俳優業を引退宣言していますが、もし映画界に戻ってくるとしたら「インディ・ジョーンズ」に出られるときだけとも語っています。
因みに、ショーン・コネリーがジェームズ・ボンドのパロディ的要素を含む人物設定の役柄として出演している作品の代表的なものとしては、アメリカ海兵隊員の英雄率いるテロリストと、制圧する特殊部隊との攻防を描いたマイケル・ベイ監督によるアクション映画「ザ・ロック」('96年/米)があります。かつて敵に包囲された末に救援も得られずに部下を見殺しにされ、それに対して何の補償もない国に憤りを抱くハメル准将(エド・ハリス)が、14人の部下と共に化学兵器を奪取して、ザ・ロックと呼
ジ)がアメリカ海軍特殊部隊SEALsに同行して島に潜入することになりますが、潜入にあたってアルカトラズ島からの唯一の脱獄成功者で、現在は刑務所に幽閉中の元イギリス情報局秘密情報部(SIS)部員・兼SAS大尉のメイソン(ショーン・コネリー)の協力を得るというもの。結局、SEALsは敵の前に全滅し、残されたのは元脱獄囚メイソンと化学兵器オタクのグッドスピードのみという、まあアクション映画のパターナルな展開ですが、ショーン・コネリー演じるメイソンが元SIS(SISの中にMI6がある)ということで、ジェームズ・ボンドが意
識されていることは明白でした。この映画公開の前年にサンフランシスコに行き、ゴールデン・ゲート・ブリッジからアルカトラズ島を観てきたところだったので懐かしかったですが、映画自体はやや大味でした。エド・ハリスの叛乱はかなり理不尽であるし(最後、自分でも作戦変更した)、FBIでありながら戦闘経験のない化学兵器オタクであるはずのニコラス・ケイジ(アクション映画の主役は初)が、カーチェイスをはじめ結構アクションしていました。化学兵器である毒ガスの溶剤が洗濯用の洗剤に見えてしまったのが難でした。
因みに、ショーン・コネリー演じるメイソンが刑務所から移送された後に滞在をリクエストし、その豪華なスウィートルームをしばし満喫するホテルは、サンフランシ
スコの「ザ フェアモント サンフランシスコ」で、ここは映画「
アドバイザー」が映画の舞台となったり重要なシーンに登場したホテルの中で、ユーザーからの評価が高いものをランキ
ング化した「
インディ・ジョーンズ シリーズ3作の個人的評価は、第1作「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」が★★★☆、第2作「魔宮の伝説」が★★★★、第3作「最後の聖戦」が★★★といったところです(第3作が星3つと厳しいのは、絶対評価と言うより、ややシリーズの中での相対評価になっているためで、普通の娯楽映画としてみれば十分楽しめる作品であると言える)。因みに「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」は、2000年代に入って、ソフト化作品のタイトルに"インディ・ジョーンズ"と付けるようになっており、これはこの作品がインディ・ジョーンズ シリーズの第1作であることを知らない年代層が増えてきたためでしょうか。
(●シリーズ第4作「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」('08年)年から15年を経て、シリーズ第5作でその続編である「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」('23年)が公開された。ルーカスフィルムがウォルト・ディズニー・カンパニーに買収されて以来、初となるシリーズ作品で、監督はジェームズ・マンゴールド。これまでのシリーズで監督を務めていたスティーヴン・スピルバーグは監督を降板してプロデューサーを務めている。
1944年、インディ(ハリソン・フォード)はナチスが略奪した秘宝「ロンギヌスの槍」を友人の考古学者バジル(トビー・ジョーンズ)と共に奪還しようとする最中、ナチスの科学者フォラー(マッツ・ミケルセン)が偶然見つけたもう一つの秘宝「アルキメデスのダイヤル」の片割れを手に入れる。時が経ち1969年。アメリカがアポロ計画の月面着陸成功に沸く中、定年を迎え長年勤めた大学教授の職を退いたインディはバジルの娘ヘレナ(-フィービー・ウォーラー=ブリッジ)からかつて手に入れた「アルキメデスのダイヤル」の調査を依頼される。同じ頃、アポロ計画の協力者となっていたフォラーもインディに奪われたダイヤルを取り戻すべく、ナチスの残党と共に動き出そうとしていた―。
ハリソン・フォードも歳をとったが、同じく続投したインディの友人で、エジプトの発掘屋サラー役のジョン・リス=デイヴィスや、インディの妻・マリオン役のカレン・アレも同様。ついでに、シリーズ初出演、インディの旧友で潜水士レナルドの役のアントニオ・バンデラスの現在の姿も。ただし、1944年のシーンでは、撮影時79歳のハリソン・フォードがAIよって37歳のインディに"ディエイジング"されています。ただ、そのためか、最初からCG過剰感は否めず、ほとんど〈マンガ〉みたいな感じで観ていたら、終盤にきてタイムスリップして今度は〈SF〉に。アルキメデスが出てきて、これはもう〈SFマンガ〉と言っていいか(笑)。息もつかせぬ勢いで続くジェットコースタームービーと言いたいところであるし、実際に見栄えはそうではあるのだが、観ていてどこかでジェットコースター的展開に飽きている自分もいたというのが正直なところ。過去のシリーズ作品へのオマージュが所々にあり、それは懐かしかった。評価は★★★。)

●製作:フランク・マーシャル●脚本:ローレンス・カスダン●撮影:ダグラス・スローカム●音楽:ジョン・ウィリアムズ●原案:ジョージ・ルーカス/フィリップ・カウフマン●時間:115分●出


グロリア・カッツ●撮影:ダグラス
・スローカム●音楽:ジョン・ウィリアムズ●原案:ジョージ・ルーカス●時間:118分●出演:ハリソン・フォード/ケイト・キャプショー/キー・ホイ・クァン/アムリッシュ・プリ/ロイ・チャオ/ロシャン・セス/リック・ヤン/デヴィッド・ヴィップ/チュア・カー・ジ



「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」●原題:INDIAN INDIANA JONES AND THELAST CRUSADE●制作年:1989年●制作国:アメリカ●監督:スティーヴン・スピルバーグ●製作:ロバート・ワッツ●脚本:ジェフリー・ボーム●撮影:ダグラス・スローカム●音楽:ジョン・ウィリアムズ●製作総指揮:ジョージ・ルーカス●時間:127分●出演:ハリソン・
フォード/ショーン・コネリー デン/ホルム・エリオット/アリソン・ドゥーディ/ジョン・リス=デイヴィス/ジュリアン・グローヴァー/
リヴァー・フェニックス/マイケル・バーン/ケヴォルク・マリキャン/リチャード・ヤング/ロバート・エディスン●日本公開:1989/07●配給:パラマウント・ピクチャーズ●最初に観た場所:歌舞伎町・新宿プラザ劇場(89-07-30)(評価:★★★)

リアム・フォーサイス/デヴィッド・モース/マイケル・ビーン/ザンダー・バークレー/ラルフ・ペデュート/デヴィッド・ボウ/ヴァネッサ・マーシル/ジェームズ・カヴィーゼル/ドワイト・ヒックス/ジョン・C・マッギンリー/ジョン・ラフリン/アンソニー・クラーク/デヴィッド・グラント/トニー・トッド/ボキーム・ウッドバイン/ダニー・ヌッチ/ショーン・スケルトン/スティーヴ・ハリス/インゴ・ノイハウス/グレゴリー・スポールダー/ブレンダン・ケリー/レイモンド・クルス/マーシャル・R・ティーグ/フィリップ・ベイカー・ホール/スタンリー・アンダーソン/スチュアート・ウィルソン/ハワード・プラット/ハリー・ハンフリーズ/レオナルド・マクマハン/クレア・フォーラニ/トッド・ルイーゾサム・ホイップル●日本公開:1996/09●配給:ブエナ・ビスタ・インターナショナル・ジャパン(評価:★★★)
「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」●原題:INDIANA JONES AND THE DIAL OF DESTINY●制作年:2023年●制作国:アメリカ●監督:ジェームズ・マンゴールド●製作:スティーヴン・スピルバーグ/キャスリーン・ケネディ/フランク・マーシャル/サイモン・エマニュエル●音楽:ジョン・ウィリアムズ●原案:ジョージ・ルーカス/フィリップ・カウフマン●時間:154分●出演:ハリソン・フォード/フィービー・ウォーラー=ブリッジ/アントニオ・バンデラス/ジョン・リス=デイヴィス/シャウネット・レネー・ウィルソン/トーマス・クレッチマン/トビー・ジョーンズ/ボイド・ホルブルック/オリヴィエ・リヒタース/イーサン・イシドール/マッツ・ミケルセン●日本公開:2023/06●配給: ウォルト・ディズニー・ジャパン(評価:★★★)