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「老い本」(おいぼん)の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供。

「週刊文春」2021年4月29日号
『老いを読む 老いを書く (講談社現代新書 2759) 』['24年]
「老い本」(おいぼん)とは、人々の老後への不安と欲望に応えるべく書かれた本のことだそうで、本書では、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、トピック別に老い本を選んで、日本の老いの精神史を読み解いていきます。著者のべストセラー本に『負け犬の遠吠え』(2003年/講談社)があり、あの本は社会学的エッセイという感じでしたが、著者は今は「週刊文春」の交代制の書評ページ「私の読書日記」を担当するなどしており、本書も社会学的エッセイのスタイルをとりながらも、「本」を分析の素材にしたことで、読書案内にもなっています。
第1章「老いの名作は老いない」では、『楢山節考』『恍惚の人』『いじわるばあさん』、そして、古典である『竹取物語』『枕草子』『徒然草』『方丈記』などを取り上げています。『楢山節考』が提示した高齢者の問題は、今現実味を帯びてきていると著者は言います(『恍惚の人』には、「老人ホームに親を送り込むっていうのは気の毒ですねえ」という台詞があるんだあ。当時は「老人ホーム=姥捨て山」の発想だったのか)。『恍惚の人』は「耄碌」が「痴呆症」という病として認識される契機になった本であるとのこと(そして今「認知症は病気ではない」という揺り戻しが来ている)。『方丈記』を読むと、「何歳になってもギンギンで!」という風潮が、自然の摂理に反したものに思えてくると。
第2章「老いをどう生きるか」では、「百歳老人」が加速的に増えたことで、百歳人は神的な存在ではなくなったとしています(代表例がずっと現役医師だった日野原重明。105歳までに出した多くの「老い本」の表紙が白衣もしくはジャケット姿である)。「定年クライシス」問題にも触れ、源氏鶏太の『停年退職』(1962年)(昔は「停年」と書いた)から重松清の『定年ゴジラ』(1998年)、内館牧子の 『終わった人』(2015年)を取り上げ、その変遷を見ています。60代は「老人界のフレッシュマン」だとし、また「乙女老女」は未来志向だとしています(黒柳徹子は老い本を書かない。彼女に続いて出てくるには、角野栄子、田辺聖子、そしてラスボス・森茉莉)。
第3章「老いのライフスタイル」では、30年間「老い本」を書き続け百歳になった佐藤愛子、シニアファッションのカリスマ・草笛光子、昭和のお洒落なオイスター・幸田文と白洲正子、家事得意の明治女・沢村貞子などを取り上げていますが、やりり女性は男性より強いという感じです。また、田舎に移住することの良し悪しも考察しています。
第4章「老いの重大問題」では、老後不安のもとになる問題として、老後資金の問題(金は足りるのか)、配偶者(特に妻)に先立たれた場合の問題(江藤淳『妻と私』(1999年)、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(2008年)など)、「死」との向き合い方(永六輔『大往生』(1994年)、石原慎太郎・曽野綾子対談『死という最後の未来』(2020年))など取り上げ、さらに「死」との向き合い方について、さらに「老人と性」の問題に触れています(谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』(1962年)、川端康成『眠れる美女』、松井久子『疼く人』など)。
多くの本が取り上げられていますが、だからと言って一つ一つがそう浅いわけではなく、例えば石原慎太郎・曽野綾子対談『死という最後の未来』における石原慎太郎の、余命宣告を受けても男性機能の保持を誇示するという、死に直面した狼狽とその反動からくる"男らしさ"のアピールを看破している点などは鋭いと思いました。
石原 慎太郎/曽野 綾子 『死という最後の未来』(2020/06 幻冬舎/'22年 幻冬舎文庫)
読書案内にもなっていると書きましたが、例えば前田速雄『老いの読書』('22年/新潮選書)のような「死ぬ前に読むべき本」を紹介しているものとは異なる趣旨の本であることは言うまでもなく、「老い本」の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供している本であったように思います(この本自体が「生き方」本であるわけでもなく、あとは自分で考えろということか)。
『老年の読書(新潮選書)』['22年]
《読書MEMO》
●目次
はじめに 「老い本」大国ニッポン
第一章 老いの名作は老いない
一 迷惑をかけたくない──『楢山節考』
二 いつか、自分も──『恍惚の人』
三 マンガが見つめる孤独──『いじわるばあさん』
四 古典の老いと理想──『竹取物語』 『枕草子』 『徒然草』 『方丈記』
第二章 老いをどう生きるか
一 百歳の人間宣言
二 定年クライシス
三 六十代──老人界のフレッシュマン
四 「乙女老女」は未来志向
コラム 老い本ブームの先陣を切った二冊の「新しさ」
第三章 老いのライフスタイル
一 一人暮らし
二 おしゃれの伝承
三 おばあさんと料理
四 田舎への移住
コラム 高齢者の「迷惑恐怖」を煽る終活本
第四章 老いの重大問題
一 金は足りるのか
二 配偶者に先立たれる
三 「死」との向き合い方
四 老人と性
おわりに 老い本は不安と希望のしるし──ぴんころ地蔵と姨捨山を訪ねて
老い本年表

山田 昌弘 中央大学教授
なんのための結婚か? 決定的な社会の矛盾がこの問いで明らかに―。好きな相手が経済的にふさわしいとは限らない、経済的にふさわしい相手を好きになるとも限らない、しかも結婚は個人の自由とされながら、社会は人々の結婚・出産を必要としている...。これらの矛盾が別々に追求されるとき、結婚は困難になると同時に、不要になるのである。平成を総括し、令和を予見する、結婚社会学の決定版!(「BOOK」データベースより)
全体としてはやや牽強付会なところもありますが、何せ96歳ですから、目の前で話されたらもう大人しく聴くしかないかも。この人、所謂"優秀老人"と言うか、ボケないタイプなんだろなあ。「書く」という行為は、ボケ防止にいいのかも。喋りもスゴクしっかりしている...。



福祉国家の代表格であるデンマークの社会福祉政策や学校教育のあり方、人々のものの考え方などを通して、日本社会が抱える貧困、政治、教育、社会、福祉などの様々な問題を考えるに際しての「補助線」を示した本と言えます。

堀内 都喜子 氏(略歴下記)
著者はフィンランドの大学の大学院(コミュニケーション学科)を卒業。在学中に本書を書き、帰国後に出版したとのこと。
堀内 都喜子(ほりうち ときこ)



'04年12月の1億2780万人をもって日本の人口はピークを迎え、'05年から減少に転じているわけですが、著者は「少子・高齢化で人口が減る」「子供が減り、老人が増える」「出生率が上がればベビーの数は増加する」といった、国内人口の減少に対する"通説"に論駁を加えるとともに、人口減少の理由として、生物学において動物の個体数減少の理由として提唱されている「キャリング・キャパシティー」(環境許容量が一杯になれば個体数は抑制される)という考え方を人類に敷衍し、但し、人間の「キャリング・キャパシティー」は動物と異なり人為的な文化的・文明的な容量であるため、そうした要素を勘案した「人口容量」として再定義したうえで、少子化の真因はこの「人口容量」の飽和化にあるとしています。







ウォルト・ディズニー(1901-1966)






趣向が懐かしく思われます。








雑誌「Cawaii!(カワイイ)」
但しここまでは、テーマの周囲をぐるぐる回ってばかりいるようにもやや感じていたのが、その後の女性誌における「かわいい」の分析において、ティーン層向け雑誌「Cawaii!(カワイイ)」、「CUTiE」から「JJ(ジェイジェイ)」、更には中高年向けの「ゆうゆう」までとりあげ、中高年向けの雑誌にも「大人のかわいさが持てる人」といった表現があることに着目しているのが興味深かったです。
「かわいい」が日本の「特殊」な文化なのか((「かわいい」へのこだわりや、そこからいつまでも抜け出せないこと)、それとも「普遍」的なものなのか、興味深いテーマが見えてきたところで、本書は終わってしまっているような観もあります。

雑誌「中央公論」に連載された養老氏の時評エッセイ「鎌倉傘張り日記」の2001年1月号〜2003年9月号の掲載文を収録したものです。氏の好きな昆虫標本作りを浪人の「傘張り」に喩え、こうした「日記」の先達として兼好法師を挙げていますが、半分隠居した身で、世評風の日記を"諦念"を滲ませながら書いているところは通じるところがあるかも知れません。
社会学者である著者が、「イスラーム原理主義者」による9・11テロ後に、テロを前にしたときの社会哲学の無力を悟り、またこれが社会哲学の試金石となるであろうという思いで書き下ろした本で、テロとそれに対するアメリカの反攻に内在する思想的な問題を、「文明の衝突」というサミュエル・ハンチントンの概念を援用して読み説くとともに(ハンチントンは冷戦時代にこの概念を提唱したのだが)、テロがもたらした社会環境の閉塞状況に対しての「解決」の道(可能性)を著者なりに考察したもの。

著者は、イスラームやキリスト教の中にある資本主義原理を指摘する一方、「資本主義は徹底的に宗教的な現象である」と見ており、そう捉えると、確かにいろいろなものが見えてくるという気がしました(確かに1ドル札の裏にピラミッドの絵がある なあ、と改めてビックリ)。

ウィル・スミス/ランディ・クエイド/メアリー・マクドネル/ジャド・ハーシュ/ロバート・ロジア●日本公開:1996/12●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:有楽町・日本劇場(96-12-27)(評価:★★☆)


香山 リカ 氏 (精神科医)

日垣 隆 氏 (略歴下記)




酒井順子 氏(略歴下記)



東 浩紀 氏








宮台 真司 氏


第1・第3章と第2章の繋がりが若干スムーズでないものの(「文芸」と「社会学」が切り離されている感じがする)、各章ごとに読み応えのある1冊でした。著者・作田啓一氏が参照しているルネ・ジラールの『ドストエフスキー―二重性から単一性へ』('83年/叢書・ウニベルシタス)と併せて読むとわかりよいと思います。ルネ・ジラールの『ドストエフスキー』は版元からみても学術書ではありますが(しかもこの叢書は翻訳本限定)、この本に限って言えば200ページ足らずで、箇所によっては作田氏よりもわかりやすく書いてあったりします(ルネ・ジラールは「永遠の夫」の主人公トルソーツキイを「マゾヒスト」であると断定している)。
大塚久雄(1907-1996/享年89)
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原著は'59年の出版。著者はドイツで経済学、社会学、哲学を学んだ後、ナチスに追われ米国に亡命した人で、本書で展開される著者の「疎外論」は、アメリカ社会心理学の系譜にあるかと思われますが、哲学的かつ広い視野での社会分析がされています。