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今やB級カルトムービー? "男装の麗人" 水の江滝子より、キャットウーマン風の京マチ子か。


「花くらべ狸御殿」VHS 喜多川千鶴/京マチ子
喜多川千鶴/水の江滝子
狸御殿の城下町「狸夢(リム)の町」のクラブ「ポン」のマスター・ポン(柳家金語楼)の店に、黒太郎(水の江滝子)と名乗る美青年が現われる。狸御殿の女王は、生まれてこの方一度も笑ったことがないので、彼女を笑わせた者には褒美が出るという御触書が店に貼ってある。怪しい一味が店に乱入し、黒太郎を捕まえようとするが、黒太郎は姿を消し、後に風船が一つ残る。ホステスのお露(大美照子)が風船にキスをすると、黒太郎は元の姿に戻り、頬にはキスマークがついている。店の給仕となった黒太郎は歌も踊りも上手く人気者になる。翌日、今日は、女王様が門前道をお通りになる日なのだと、黒太郎はホステスたちから教えられる。そんな中、無気味な老婆が悪態を付きながら通り過ぎて行き、ホステスらは、森の魔女の手下の泥々(常盤操子)だと言う。その時、御殿から、女王様が出発するのを知らせる大太鼓が響き、泥々は箒に跨がって逃げ帰る。森の魔女の家では、魔女・愛々(京マチ子)が、魔法の鏡にこの世で一番綺麗な者は誰かと問いかけ、それは愛々様だと答えられて満足している。女王一行がポンの店で休憩することになり、女王のおぼろ姫(喜多川千鶴)、左大臣(藤井貢)、右大臣(杉狂児)、司法大臣(渡辺篤)などが来店、それを楽団が歓迎し、ギターを弾く黒太郎が歌う。ホステスの一人が黒太郎にウィンクを投げ、黒太郎が返礼のつもりで胸のバラの花を投げかけると、飲みかけていた女王のコーヒーカップに花びらが落ちてしまう。おぼろ姫は憤然と席を立ち、黒太郎は司法大臣に命じられて御殿に出頭する。左大臣が黒太郎を死刑にするように進言していたが、女王が直々に裁くことに。そのおぼろ姫は、黒太郎を待つ間に卓上の帽子を被ると、アゴ紐の部分が鼻の下にかかり、自ら姿を鏡で見ておかしくなって吹き出す。そこへ現れた黒太郎は、御褒美には何を頂けますかと言い寄り、おぼろ姫に抱きついてキスをする。姫がはじめて笑ったと言う知らせは町中に流れ、人々は祝福の祭りを始める。その頃、愛々は鏡に、世界で一番美しい者は誰かと尋ねていたが、鏡が映し出したのがおぼろ姫の姿だったため逆上する。狸御殿だは初笑い祝賀会が催され、殊勲者として給仕として働いていた黒太郎が紹介され、黒太郎は紹介を受けて歌い始める。そんな中、左大臣はこの国を手中にする野心を持っていた―。
1949(昭和24)年4月公開の木村恵吾(1903-1986)監督、喜多川千鶴(おぼろ姫)、水の江滝子(黒太郎)、京マチ子(魔女・愛々)主演の大映のオペレッタ喜劇「狸御殿」シリーズの1作。因みに、木村恵吾監督はこの作品の前に、「狸御殿」('39年)、「歌う狸御殿」('42年)、「春爛漫狸祭」('48年)を撮っており、この作品の10年後に、市川雷蔵、若尾文子主演の「初春狸御殿」('59年)を監督しています(木村恵吾監督はこの年(1949年)10 月公開の宇野重吉、京マチ子主演のも監督している)。
映画評論家の山根貞男氏によれば、この作品の一番の話題は、大映の"狸御殿"映画に、SKDのスターである水の江滝子(1915-2009/享年94)が出演したことで、松竹少女歌劇の"男装の麗人"として"ターキー"の愛称で親しまれ人気を誇った水の江滝子ですが、映画への出演は戦後になってからで、この作品が映画出演第3作だそうです。

共演の魔女役の京マチ子は、大阪松竹少女歌劇の人気スターで、言わば水の江滝子の後輩にあたり、映画出演は第2作目。この年(1949年)10 月公開の木村恵吾監督の「痴人の愛」('49年/大映)にも主演し、大女優への道を歩み始めることになります。
京マチ子・宇野重吉「痴人の愛」('49年/大映)
水の江滝子が服部良一の軽快なリズムに乗せて歌に踊りに得意の芸を次々に披露する作品で、一方で、「春爛漫狸祭」では男役(狸吉郎)だった喜多川千鶴(「二十一の指紋」('48年)、「三十三の足跡」('48年))演じるおぼろ姫と恋をする男役(黒太郎)ということで、何だか宝塚歌劇みたいですが、藤井貢や杉狂児といった男優も出て歌ったりもしている分、2人の関係はレズビアンっぽい雰囲気も醸しているように感じました。更に、京マチ子のアメコミの「キャットウーマン」(1940~)みたいなコスチュームも怪しく、その京マチ子の愛々も水の江滝子の黒太郎を無理やり踊り相手にして、これまたレズビアンっぽく、こうなってくるともう豪華なのかB級なのかよく分からないといった感じ。
ストーリーも、黒太郎や愛々に、更に別の森の魔女の恋々(暁テル子)や喃々(大友千春)も絡んで意味なく混み入っていて、終盤は「インディー・ジョーンズ」風でもあります。当時の謳い文句は「裸女乱舞するロマンとエロチシズムの大オペレッタ映画!」ということでしたが、もう何だかよく分からない。オールセット撮影で、円谷英二が特撮担当ということですが、二重露光などごく基本的な技術しか用いておらず、イマイチ力を発揮していない感じです。
もちろん今観るとエロチックでも何でもないし(京マチ子はパワフルだが)、「初春狸御殿」の時も評価を「?」にしましたが、この作品も今やある意味カルトムービー化している
ように思われ、ストレートに評価しにくい作品です。水の江滝子のファンには必見の作品だと思いますが(後のNHK番組「ジェスチャー」(1953-1968)の紅組キャプテン(水の江滝子)と白組キャプテン(柳家金語楼)が共演しているという意味での珍しさもあるかも)、個人的注目は、ターキーの男装の麗人ぶりよりも、キャットウーマンっぽいコスチュームで負けじと踊る京マチ子だったかもしれません。

「花くらべ狸御殿」●制作年:1949年●監督・脚本:木村恵吾●撮影:牧田行正●音楽:服部良一●特技:円谷英二●時間:89分●出演:水の江滝子/喜多川千鶴/柳家金語楼/京マチ子/暁テル子/大伴千春/常盤操/藤井貢/杉狂児/竹山逸郎/渡辺篤/武田徳倫/寺島貢/村田宏寿/藤代鮎子/大美照子/灰田勝彦/野々宮由紀●公開:1949/04●配給:大映(評価:★★★?)


京マチ子
若尾文子/市川雷蔵 in「初春狸御殿」(木村恵吾監督)

「初春狸御殿」●制作年:1959年●監督・脚本:木村恵吾●製作:三浦信夫●撮影:今井ひろし●音楽:吉田正●時間:95分●出演:市川雷蔵/若尾文子/勝新太郎/中村玉緒/金田一敦子/仁木多鶴子/水谷良重/中村雁治郎/真城千都世/近藤美恵子/楠トシエ/トニー・谷/菅井一郎/江戸屋猫八/三遊

亭小金馬/左卜全/藤本二三代/神楽坂浮子/松尾和子/小浜奈々子/岸正子/美川純子/大和七海路/小町瑠美子/毛利郁子/嵐三右衛門●公開:1959/12●配給:大映●最初に観た場所:大井武蔵野館 (86-11-15)(評価:★★★?)●併映:「真田風雲録」(加藤泰)


麻布六本木で床屋を営む芳三郎は名人との声も名高い。しかし、今日はひどい風邪で寝込んでいる。ちょうど祭の前の忙しい時期だが、人手が足りない。以前雇っていた源公と治太公を解雇したからだ。芳三郎も以前は彼らと同じ小僧だったが、腕が認められて親方の娘と結婚し店を継いだ。以来、源公と治太公は素行が悪くなり、店の金に手を出すようになったので、芳三郎は二人を解雇したのだ。祭日前の稼ぎ時でありながら体は思うように動かない。妻のお梅は夫の体を気遣って休ませようとするが、その気遣いが芳三郎の神経を余計に苛立たせる。更に、研磨の依頼をされた剃刀のキレが悪いと客から文句があり、熱で震える手で研ぎ直すがうまくいかない。そこへ一人の若者が髭を剃りにやって来る。若者はこれから女郎屋にでも行くらしい。芳三郎は若者の髭を当たり始めるが、きちんと研げていない剃刀ではいつものように剃れない。若者はそれには構わず、やがて眠ってしまう。芳三郎は泣きたいような気持ちになるが、若者の方は大きな口を開けて眠っている。その時、剃刀が引っ掛かり、若者の喉から血が滲んだ。それまで客の顔を一度も傷つけたことのなかった芳三郎は、発作的に剃刀を逆手に持つと、刃が隠れるまで深く若者の喉に刺した。同時に、芳三郎の体には極度の疲労が戻ってきた。立ち尽くす芳三郎の姿を、三方に据えられた鏡だけが見つめていた―。
この短編は、齋藤書店版('46年)、ちくま文庫版('08年)のほかに、新潮文庫版『清兵衛と瓢箪・網走まで』('68年)などにも収められていますが、最近では『文豪たちが書いた 怖い名作短編集』('13年/彩図社)にも入っています(ネットでは
この作品のテーマについては、ちょっとした「気分」に引き摺られて社会から逸脱してしまうことの怖さを描いたものである(荒井均氏)とか、或いはラストの鏡に注目し、殺人にまで至る心身の感覚を不合理として纏めてしまう客観性(紅野謙介氏)であるとか諸説あるようです。また以前に、FM J-WAVE の「BOOK BAR」(ナビゲーターは大倉眞一郎と杏)で、ゲストのシンガーソングライターの吉澤嘉代子氏が、「剃刀」は「男性器」の象徴だと思ったと言っていました。ホント色々な見方があって、読書会などで取り上げられることが多い作品ではないかと想像します。

振り返ってみて、剃られる側に立って想像しても怖い話かと思います。個人的には久しく床屋で顔を剃ってもらったことはないけれど、以前に床屋で剃ってもらっていた頃、その最中にちらっと「今この床屋さんが発狂したら...」と考えた怖い想像も後から甦ってきました。但し、この短編の怖さは、やはり自分がどこかの場面で、芳三郎と同じような行動に出るのではないかという不確実性に対する怖さ(不安)の方が上ではないかと思います。

フランスの国民的写真家ロベール・ドアノー(1912 -1994)の人生と創作に迫ったドキュメンタリーで、監督のクレモンティーヌ・ドルディルはドアノーの孫娘です。作品の撮影秘話や当時の資料映像、親交のあった著名人による証言や(「
親交があり、サビーヌ・アゼマは作品のモデルにもなっている)、作品蒐集家・ファンへのインタビューなどから成ります(作家の堀江敏幸氏がフランス語でコメントしている)。ドアノー自身は写真では殆ど登場せず、家族が映したと思われるカラー8ミリフィルムなどで多く登場するため、どことなくファミリー・ムービーっぽい感じがします。ドアノーという人が全く"大家"ぶっていなくて、冗談好きで人懐っこいキャラクターであることが分かり、こうした人柄が被写体となる人を安心させて、活き活きとした写真を撮ることが出来るのだなあと思いました。
ドアノーは殆どパリで活動していたようです。海外にも行ってはいますが、世界中を飛び回っていた
という印象ではありません。今回、アメリカなど海外で撮った写真やカラーで撮った写真も見ることができて良かったですが(アメリカで撮ったカラー作品は、どこか無機質な感じのものが多い)、やはりパリを撮ったモノクロ写真が一番いいように思いました。映画全体を通しても、ドキュメンタリー部分もさることながら、そうした写真を紹介している部分の方が印象に残りました(ちょうど作品集を見ている感じか)。
この映画を観て知ったのですが、専らパリで活動していたこともあって、世界的に
有名になったのはかなり年齢がいってからのようです。あの有名な「パリ市庁舎前のキス」と呼ばれる作品は、1950年に「ライフ誌」に発表されていますが、この映画によると、その後長らく埋もれていて、ある日突然脚光を浴びた作品であるようです。
パリの若い恋人たちのシンボルとなったこの写真のカップルが誰なのかは1992年まで謎のままで、パリに住むラヴェーニュ夫妻は自分たちがこの写真のカップルだと思い込んでいました。夫妻は80年代にドアノーと会っていますが、ドアノーは真相を語らなかったため、夫妻は「無許可で写真を撮影した」としてドアノーを告訴し、裁判所はドアノーに事実を明らかにするよう要求しています。実は写真のカップルはフランソワとジャックという若い俳優の卵で、ドアノーが夫妻に真相を語らなかったのは、夫妻の夢を壊したくなかったからのようです。
この映画でも、「パリ市庁舎前のキス」のモデルは恋人同士の俳優の卵であり、ドアノーは他にも多くのモデルを使ってこうした"スナップ"を演出したことはこの映画でも紹介されていますが、裁判のごたごたについては一切触れられていません。ある意味、ドアノーの他者への思いやりときっちりとした性格が窺えるエピソードだと思うのですが、アシスタントを務めていたドアノーの長女アネットによれば、裁判には勝ったもののの、裁判の過程で偽りと嘘に満ちた世界を見てしまったドアノーはひどくショックを受けたそうで、後にアネットは「あの写真は父の晩年を台無しにしてしまった」とまで述べています。
「パリが愛した写真家/ロベール・ドアノー<永遠の3秒>」●原題:ROBERT DOISNEAU, LE RÉBOLTÉ DU MERVEILLEUX●制作年:2016年●制作国:フランス●監督:クレモンティーヌ・ドルディル●製作:ジャン・ヴァサク●時間:80分●出演:ロベール・ドアノー/フランシーヌ・ドルディル/アネット・ドアノー/サビーヌ・ヴァイス/ダニエル・ペナック/フランソワ・モレル/フィリップ・ドレルム/サビーヌ・アゼマ/ジャン=クロード・カリエール/梶川芳友/佐藤正子/堀江敏幸/クレモンティーヌ・ドルディル/エリック・カラヴァカ●日本公開:2017/04●配給:ブロードメディア・スタジオ●最初に観た場所:渋谷・ユーロスペース(17-04-28)(評価★★★☆)
ユーロスペース 2006(平成18)年1月、渋谷・円山町・KINOHAUSビル(当時は「Q-AXビル」)にオープン(1982(昭和57)年渋谷・桜丘町にオープン、2005(平成17)年11月閉館した



島原の乱収束の頃、イエズス会の高名な司祭フェレイラ(リーアム・ニーソン)が、布教先の日本で苛酷な弾圧に屈して棄教したという報せがローマに届く。フェレイラの弟子ロドリゴ(
アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は日本に潜入すべくマカオに立寄り、そこで軟弱な日本人キチジロー(窪塚洋介)と出会う。キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴは隠れキリシタンに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となる。長崎奉行所が2人の宣教師の身柄を要求し、村人達は必死に匿うが、代償としてイチゾウ(笈田ヨシ)、モキチ(塚本晋也)、キチジローが人質に。奉行
所は踏み絵だけではキリシタンを炙り出せないと考え、「キリストの像に唾を吐け」と強要、キチジローは従うが、キチジローを除く2人は棄教しきれず、水磔刑に処される。逃亡したロドリゴも、キチジローの裏切りで密告され捕えられる。そのロドリゴの目の前で、ガルペは、幕府によって海へ投げ込まれようとされている信徒らに駆け寄って命を落とす。長崎へ連行されるロドリゴの行
列を、キチジローは必死で追いかける。長崎奉行所でロドリゴは棄教した師のフェレイラと出会い、また、長崎奉行の井上筑後守(イッセー尾形)との対話を
通じて、日本人にとってキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられる。奉行所の門前でキチジローが何度も何度もロドリゴに会わせて欲しいと泣き叫んでは追い返されるが、ロドリゴはその彼には軽蔑しか感じない。牢につながれたロドリゴにフェレイラが語りかけるが、神の栄光を期待する彼は、その説得を拒絶する一方、彼を悩ませていた遠くから響く鼾のような音を止めてくれと叫ぶ。しかし彼は、その音が鼾ではなく、拷問されている信徒の声であること、その信徒たちはすでに棄教しているのに、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを告げられる。自分の信仰を守るのか、棄教して苦しむ信徒を救うべきなのか、究極の選択を迫られたロドリゴは、踏絵を踏むことを受け入れる。敗北に打ちひしがれたロドリゴを、キチジローが裏切った許しを求めて訪ねる―。
信徒たちが拷問されたり処刑されたりするシーンもきちんとハリウッドスタイルでダイナミックに描いていて(水磔刑の塚本晋也と笈田ヨシはたいへんそうだったなあ。それぞれ映画監督と演出家でもあるのだが)、残酷だと思う人もいるかもしれませんが、こうしたシーンも、信徒たちの苦難の道のりや実際に多くの血が流された殉教の歴史を理解するうえでは重要なことではないかと思いました(海に投げ込まれる信徒の数も、逆さ吊りにされる信徒の数も、原作より若干多目だったけれども(各3人→各5人に))。
映像化作品を観ることのメリットである、原作がよりリアルに味わえ、話の展開が把握しやすくなるという目的は十二分に果たしているように思いました。終盤でロドリゴは究極の選択を迫られますが、その前にガルペが幕府によって海へ投げ込まれようとしている信徒らを前に棄教せずに自らも命を落とすのに対し、ガルペに向かって「棄教しろ」と叫んでいる部分が、ロドリゴが最終的に踏み絵を踏むことになることの伏線になっているように思いました。おそらくその様は、その時ロドリゴの傍らにいた通辞(浅野忠信)によって井上筑後守(イッセー尾形)に伝わっていたのだろうなあ。だから井上は、ロドリゴが棄教することを予測できたのだろうと思いました。
映画を観て気づいたことは、村人たちが司祭らと英語で話している点で、奉行所でも通辞がいない時は、日本人も司祭らとの会話で英語を使
っていることです(海外メディアの記者会見では出演者でさほど英語が得意な俳優はおらず、浅野忠信が冒頭にでワンフレーズぐらい英語で話しただけで、後は皆日本語で話していたが)。これを原作に置き換えると、原作では映画ほど会話の数は多くないけれども、村人と司祭の会話はポルトガル語で行われた(つまり村人のポルトガル語を話せた)ということになるのだなあと改めて思った次第です。
キチジロー役の窪塚洋介、井上役のイッセー尾形をはじめとする日本人俳優は概ね好演だったように思われ、通辞役の渡辺謙の降板で復活起用された浅野忠信もまずまずでした。米国映画であるということもありますが、日本語のセリフを減らして会話を英語にすることで、スコセッシ監督の演出がより行き届いたものになったというのもあるのではないかと思います。




「沈黙 -サイレンス-」●原題:SILENCE●制作年:2016年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:ヴィットリオ・チェッキ・ゴーリ/バーバラ
・デ・フィーナ/ランドール・エメット/エマ・ティリンジャー・コスコフ/アーウィン・ウィンクラー/マーティン・スコセッシ●脚本:ジェイ・コックス/マーティン・スコセッシ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:キム・アレン・クルーゲ/キャスリン・クルーゲ●原作:遠藤周作「沈黙」●時間:159分●出演:アンドリュー・ガーフィールド/リーアム・ニーソン/アダム
・ドライヴァー/窪塚洋介/浅野忠信/イッセー尾形/塚本晋也/小松菜奈/加瀬亮/笈田ヨシ/キーラン・ハインズ/遠藤かおる/井川哲也/PANTA/松永拓
野/播田美保/片桐はいり/美知枝/伊佐山ひろ子/三島ゆたか●日本公開:2017/01●配給:KADOKAWA●最初に観た場所:有楽町・角川シネマ有楽町(17-04-09)(評価★★★★☆)
角川シネマ有楽町 2011年2月19日 「読売会館」8階(「シネカノン有楽町1丁目」跡)にオープン(座席数237席)。






1949(昭和24)年公開の木村恵吾(1903-1986)監督、京マチ子(ナオミ)・宇野重吉(河合譲治)主演による「痴人の愛」('49年/大映)で、木村恵吾監督は1960(昭和35)年にも叶順子(ナオミ)・船越英二(河合譲治)主演で「痴人の愛」('60年/大映)を撮っています(この他に、1967(昭和42年)公開の増村保造監督、安田道代(ナオミ)・小沢昭一(河合譲治)主演の「痴人の愛」('67年/大映)もある)。(●2024(令和6)年、井土紀州監督により3度目のリメイクがされ、 配役は奈月セナ(ナオミ)、大西信満(譲治)だった。)
また、宇野重吉、森雅之といった重鎮の中で、京マチ子が活き活きと演技しているのが印象に残ります(京マチ子は翌年、黒澤明監督の「
「痴人の愛」●制作年:1949年●監督:木村恵吾●脚本:木村恵吾/八田尚之●撮影:竹村康和●音楽:飯田三郎●原作:谷崎潤一郎●時間:89分●出演:宇
野重吉/京マチ子/森雅之/島崎溌/三井弘次/上田寛/菅井一郎/近衛敏明/清水将夫/北河内妙子/藤代鮎子/片川悦子/大美輝子/葛木香一/奈良岡朋子/原聖四郎/小柳圭子/牧竜介/小松みどり●公開:1949/10●配給:大映●最初に観た場所:神田・神保町シアター(09-01-17)(評価:★★★☆)

「赤い雪」に出て来る映画「赤い雪」の主演女優・大原涼子はおそらく大原麗子(1946-2009/享年62)からモチーフを得たのでしょう。降旗康男監督、高倉健主演の函館(夕張ではなく)を舞台にした「


英国人の父と日本人の母を持ち、ネットを介した翻訳業で生計を立てている30代の男・太古。彼は、オンラインゲーム中毒に悩み、女性恐怖症でもあり、社会と直接交わることを避け、ゲーム中心の生活を送ってきた。カウンセリングに訪れた精神科で、自分が5歳の時に父親を自殺で失くしていると告白した彼は、精神科医から父性的な強さを学ぶ機会を失った可能性があると診断され、父の生まれ故郷の空気に接することを勧められる。かくして太古は、亡き父の故郷、スコットランド最北端に位置するオークニー諸島へと旅立つ。そこで彼は、父親的役割を果たしてくれる老人マークと出会い、更には彼に導かれて、若き日の父の趣味でもあった、大きいもので2メートル以上もあるという大鮃(おひょう)を釣ることに、父と同じ海で挑むことになる―。
とは言え、オークニーの厳しい自然や嵐の中で訪れるリング・オブ・ブロッガーの描写などは簡潔で格調高く、終盤のマークと主人公の二人がかりでの大鮃との格闘には思わず引き込まれ、あたかもヘミングウェイの「
大鮃(halibut)



これらについては、今村昌平監督が第50回カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞した映画「
映画「うなぎ」では男はウナギ採りに師事して鰻屋を営むのではなく、理髪店を営みつつウナギを飼うことでそれを心の慰めとしますが、これは完全にこの『仮釈放』の主人公がメダカを飼う動機と同じでしょう(「闇にひらめく」には主人公が何か生き物を飼うという話は無い)。その他、主人公が犯した事件のあった当初、妻の不倫が何者からかの手紙によって発覚したことや、同じ刑務所の受刑者仲間だった男が主人公に接触することなども『仮釈放』からとられており、常田富士男が演じた保護司の人物像も『仮釈放』の保護司・竹林に近いように思いました。


弁護士の夫に不満のある妻・柿内園子(岸田今日子)は、美術学校で魅惑的な女性・徳光光子(若尾文子)と出会う。学校内で二人は同性愛ではないかとの噂が立ち、最初は深い関係ではなかった二人だが、次第に離れられない深い関係に陥っていく。二人の関係を訝しむ園子
の夫・孝太郎(船越英二)の非難を尻目に、すっかり光子の美しさに魅了された園子だったが、そこへ光子が妊娠したという話が持ち上がり、園子は光子に綿貫栄次郎(川津祐介)という婚約者がいたことを初めて知って憤る。綿貫は、園子に光子への愛を二人で分かち合おうと持ちかけて誓約書を作り、光子に押印させ、光子、園子、綿貫の三角関係が生れる。しかし、この関係は長くは続かず、園子は実は綿貫は性的不能者で、妊娠は狂言であったと言う。光子は、園
子と綿貫との誓約関係を反故にさせようするが、その動きを知った綿貫は光子を脅迫する。切羽詰まった光子は園子と共に睡眠薬で狂言自殺をするが、意識朦朧のまま園子が見たのは、自殺未遂の知らせを聞いて駈けつけた園子の夫・孝太郎と光子の
情事だった。今度は、光子の虜となった孝太郎と、光子、園子の間に新たな三角関係が生まれる。以前の園子と綿貫の間で交わした誓約書は、綿貫から孝太郎に戻されていたが、ある日、綿貫が密かに撮っておいた誓約書の写真が新聞に掲載されてスキャンダルとなる。光子、園子、孝太郎の三人は、三人とも自殺して全てを清算しようと考える―。

1964(昭和39)年公開の谷崎潤一郎原作『
岸田今日子(1930-2006/享年76)演じる園子が作家と思われる「先生」に自分の体験を語るという原作の枠組みも生かされています(先生を演じている三津田健(1902-1997/享年95)は、杉村春子らと文学座の創立に参加し、代表にもなった俳優だが、ここでは一言も発しない)。考えてみたら、原作はこの内容をすべて園子一人の"語り"で描いて、しかも飽きさせずに読ませるというのは、やはり原作はスゴイのではないかと思った次第です。映画でも時々、岸田今日子演じる園子の"語り"が入りますが、この人もやはり演技達者だなあと思いました。
光子という女性に、園子、孝太郎、栄次郎の三人が振り回されっぱなしになるというストーリー展開で、"卍" にはこの四者の入り組んだ関係を象徴したものだと改めて思いましたが、演技は岸田今日子だけでなく、それぞれに良かったように思います。
若尾文子(1933- )は当時30歳で、ファム・ファタールである光子の妖しい魅力を存分に発揮しており、船越英二(1923-2007/享年84)の演技も手堅かったです(船越英二は谷崎原作の「痴人の愛」('60年/大映)にも出ている)。予想以上に良かっ
たの
は川津祐介(1935-2022/享年86)で、卑屈で小狡いが見ていてどこか哀しさもある男・綿貫栄次郎を演じて巧みでした。結局、岸田今日子も含め四人の演技力に支えられている作品だったように思います(勿論、増村保造監督の演出力もあると思うが)。
原作の細やかな情感まで描き切るのは難しかったのかもしれませんが、まずまずの出来だったと思います。原作の内容を実イメージとして把握する助けになる作品と言えるでしょう。この作品の7年前に谷崎の『








弁護士の夫に不満のある若い妻・柿内園子は、技芸学校の絵画教室で出会った徳光光子と禁断の関係に落ちる。しかし奔放で妖艶な光子は、一方で異性の愛人・綿貫とも交際していることが分かり、園子は光子への狂おしいまでの情欲と独占欲に苦しむ。更に、互いを縛る情欲の絡み合いは、園子の夫・孝太郎をも巻き込み、園子は死を思いつめるが―。
谷崎潤一郎は1923(大正12)年の関東大震災を契機にその年に関西に移住しており、移住前から構想があった『痴人の愛』の舞台は東京ですが、『春琴抄』の舞台は大阪、『蓼喰う虫』は大阪と兵庫(須磨)、そしてこの『卍』も、主人公の園子の自宅は西宮の香櫨園海岸にあるという設定になっています。
光子という一人の妖婦に周囲の3人の大人(園子、綿貫、孝太郎)が翻弄され、とりわけ園子と孝太郎が夫婦ごと光子の奴隷のような存在になっていく過程が凄いなあと思います。光子は、周囲を巻き込んでいくという点で、『痴人の愛』のナオミにも通じる気がしました。また、園子がどこまでを計算して、どこまでを無意識でやっているのかが読者にもすぐには判別しかねるという点では、作者の後の作品『鍵』(1956年)の郁子にも通じるものがあるように思います。


