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〈パリ解放〉を描いた作品。多くの有名俳優が出ているが、主人公は独軍のパリ占領軍司令官か。


「パリは燃えているか [DVD]」「吹替シネマ2021 パリは燃えているか-HDリマスター版- [Blu-ray]」ジャン=ポール・ベルモンド/マリー・ヴェルシニ/アラン・ドロン
1944年8月、第2次世界大戦の連合軍の反撃作戦が始まっていた頃、フランスの装甲師団とアメリカの第4師団がパリ進撃を開始する命令を待っていた。独軍下のパリでは地下組織に潜ってレジスタンスを指導するドゴール将軍の幕僚デルマ(アラン・ドロン)と自由フランス軍=FFIの首領ロル大佐(ブリュノ・クレメール)が会見、パリ防衛について意見を闘わしていた。左翼のFFIは武器弾薬が手に入りしだい決起すると主張、ドゴール派は連合軍到着まで待つという意見だった。パリをワルシャワのように廃墟にしたくなかったからだ。一方独軍のパリ占領軍司令官コルティッツ将軍(ゲルト・フレーベ)は連合軍の進攻と同時に、パリを破壊せよという総統命令を受けていた。将軍は工作隊に命じて、工場、記念碑、橋梁、地下水道など、ありとあらゆる建造物に対して地雷を敷設させていた。このような時に、イギリス軍諜報部から"連合軍はパリを迂回して進攻する"というメッセージがレジスタンス派に届いた。ロル大佐は自力でパリを奪回しようと決意し、これを知ったデルマは、これをやめさせる人間は政治犯として独軍に捕らえられているラベしかないと考え、ラベの妻フランソワーズ(レスリー・キャロン)とスウェーデン領事ノルドリンク(オーソン・ウェルズ)を動かして、ラベ救出を図ったが失敗、結局、ドゴール派と左翼派の会議の結果、決起が決まった。ドゴール派は市の要所を占領し、市街戦が始まった。パリ占領司令部は、独軍総司令部からパリを廃墟にせよという命令を受けていた上、市
街戦が長びけば爆撃機が出動すると告げられていた。コルティッツ将軍は、すでにドイツ敗戦を予想していて、パリを破壊することは全く無用なことと思っていた。そこでノルドリンク領事を呼び、一時休戦をしてパリを爆撃から守り、その間に連合軍を呼べと遠回しに謎をかける。ノルドリンクから事情を知ったデルマは、ガロア少佐(ピエー
ル・ヴァネック)を連合軍司令部に送った。ガロアはパリを脱出、ノルマンディの米軍司令部に到着した。パットン将軍(カーク・ダグラス)はパリ解放は米軍の任務ではないと告げ、ガロアを最前線のルクレク将軍(クロード・リッシュ)に送る。ルクレク将軍は事態の急を知ってシーバート将軍(ロバート・スタック)を動かし、ブラドリー将軍(グレン・フォード)を説いた。ブラドリーは全軍にパリ進攻を命令した。8月25日、ヒットラーの専用電話はパリにかかっていて"パリは燃えているか"と叫び続けていた―。
『パリは燃えているか?〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫 NF 455) 』['16年]2025.6.7 蓼科親湯温泉にて
1966年の米・仏合作のオールスターキャスト戦争映画で、原作はラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールによるレジスタンスとパリの解放を描いたノンフィクション作品。「禁じられた遊び」('52年/仏)、「居酒屋」('56年/仏)のルネ・クレマンが監督し、「ゴッドファーザーPARTⅡ」('74年/米)、「地獄の黙示録」('79年/米)のフランシス・フォード・コッポラが脚本を担当しています。
この映画がモノクロ映画になったのは、撮影のためナチスの卍旗を、公共の建物に掲げることにフランス当局からの許可が出ず、本来の赤い部分を緑に変色させたものを使ったためだとも言われていますが、どちらかと言うと、後半の市街戦を中心に本編の劇とパリ解放当時の実際の映像を大量にモンタージュしてシームレスに当時の状況を再現していて、このためだったのではないかと思います。本編の方も記録映像に合わせてわざと画素を荒くしたりしており、記録映像とうまく融合するようになっています。

オールスター映画と言っても、多くの有名俳優がちょっとずつ出ているという感じで、コルティッツ将軍にパリの街を守ることを進言するスウェーデン領事を演じたオーソン・ウェルズなどは前半かなり出づっぱりだったし、ジャン・ポール・ベルモンドとアラン・ドロンが一つの枠に収まっているシーンなどもありますが、パットン将軍のカーク・ダグラスなどはほぼ1シーンだけだし、タンク(戦車)隊のGI役のジョージ・チャキリスなどは一瞬のカメオ出演といった感じ。まだ、同じGI役のアンソニー・パーキンスの方がチャキリスよりはよく出ていました(珍しく明るい役だと思ったら、パリ進攻直後に敵軍撃破で歓喜に湧いて祝杯を挙げた直後に、敵の弾に当たってあっさり戦死してしまったが)。
群像劇の中で誰が主人公か敢えて言えば、ゲルト・フレーベが演じた"独軍のパリ占領軍司令官コルティッツ将軍だったかも。ヒトラーの信任が厚い人物ながら、パリの破壊と市民の人命を救うべく、ナチ親衛隊の命令を聞き流すなど面従腹背の腹芸をしたことが描かれています。ラストの方で、フランス軍の中尉が降伏要求と身柄確保に乗り込んで来るシーンがありますが、伝わるところでは、仏軍中尉は、司令官室に乗り込むと緊張のあまり「ドイツ語を話せるか」とドイツ語で叫んでしまい、それに対してコルティッツ将軍は「貴官よりいくらか上手だと思う」と余裕で答えたそうです。ただし、この逸話は映画では描かれていませんでした(代わりに、中尉が自分が敵将軍を逮捕するまでの人間になったと親に電話で報告する場面が描かれている)。
史実では、パリの状況に苛立ったヒトラーが、パリ廃墟命令が実施されているか、最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードル大将に質問した上で、「Brennt Paris?(パリは燃えているか?)」と3回にわたって問うたそうで、それがコルティッツ将軍が降伏する10分ほど前だったそうですが、それをヒトラーからコルティッツ将軍への彼の降伏直後の電話(したがって誰も出ない)に置き換えてラストシーンとし、さらに映画のタイトルにしたわけです。
演出もドキュメンタリータッチで、過剰な演出はありませんが(したがって地味と言えば地味な映画)、しかしながらこれだけ有名な俳優が出ていると、それがどこでどういう役で出ているのか見るだけでも楽しめます。また、屋根の上などから見たパリの街の俯瞰が時折入るところはルネ・クレマンらしいいと言うか、フランス映画の伝統なのかも。因みに、NHKスペシャル「映像の世紀」「新・映像の世紀」のメインテーマ曲「パリは燃えているか」は、加古隆がこの映画にインスパイアされて作曲したものです(こも映画のテーマ曲ではない)。
ドイツの監督が作ったパリ解放映画では、「ブリキの太鼓」('79年/西独)のフォルカー・シュレンドルフ監督の「パリよ、永遠に」('14年/仏・独)があり、ドイツ軍のコルティッツ大将と、「パリは燃えているか」でオーソン・ウェルズが演じたスウェーデン総領事ノルドリンクのやり取りでほとんどが構成されているようです。
こちらの方は観てませんが、ナチス・ドイツ崩壊後、コルティッツは以前のセヴァストポリ包囲戦での行動が原因で2年間の獄中生活を送ることになり、ノルドリングの方はパリでコルティッツを説得したことで勲章を授与されますが、本当の英雄はコルティッツだと認め、彼に勲章を渡す―という終わり方になっているようです。
「パリよ、永遠に [レンタル落ち]」
ニエル・アレストリュプ(コルティッツ将軍)/アンドレ・デュソリエ(ノルドリング総領事)

「パリは燃えているか」●原題:PARIS BRULE-T-IL ?/IS PARIS BURNING?●制作年: 1966年●制作国:アメリカ・フランス●監督:ルネ・クレマン●製作:ポール・グレッツ●脚本:ゴア・ヴィダル/フランシス・フォード・コッポラ●撮影:マルセル・グリニヨン●音楽:モーリス・ジャール●原作:ラリー・コリンズ/ドミニク・ラピエール●時間:173分●出演:ジャン・ポール・ベルモンド/シャルル・ボワイエ/アラン・ドロン/ジャン=ピエール・カッセル/ブリュノ・クレメール/ゲルト・フレーベ/ダニエル・ジェラン/レスリー・キャロン/オーソン・ウェルズ/ピエール・ヴァネック/カーク・ダグラス/クロード・リッシュ/ロバート・スタック/グレン・フォード/イヴ・モンタン/アンソニー・パーキンス/ミシェル・ピコリ/ヴォルフガング・プライス/シモーヌ・シニョレ/ジャン=ルイ・トランティニャン/ジョージ・チャキリス/マリー・ヴェルシニ/ギュンター・マイスナー/マイケル・ロンズデール●日本公開:1966/12●配給:パラマウント映画(評価:★★★★)
《読書MEMO》
●NHK 総合 2023/11/27「映像の世紀バタフライエフェクト#52―パリは燃えているか」

この番組のテーマ音楽「パリは燃えているか」は、ヒトラーが第二次大戦末期に発した言葉に由来する。しかし、パリは燃えなかった。パリを治めるドイツ軍司令官がヒトラーの破壊命令に背いたのだ。ナチス占領下のパリで何があったのか。亡命先から市民に徹底抗戦を呼びかけたドゴール、ドイツの監視の中、創作を続けたピカソ、シャネルはナチスの協力者となった。「パリ燃え」のメロディーに乗せて贈る、パリ百年の不屈の物語。



90歳の通称"ラッキー"(ハリー・ディーン・スタントン)は、今日も一人で住むアパートで目を覚まし、コーヒーを飲みタバコをふかす。ヨガをこなしたあと、テンガロンハットを被って行きつけのダイナーに行き、店主のジョー(バリー・シャバカ・ヘンリー)と無駄話をかわし、ウェイトレスのロレッタ(イヴォンヌ・ハフ・リー)が注いだミルクと砂糖多めのコーヒーを飲みながら新聞のクロスワード・パズルを解く。夜はバーでブラッディ・マリーを飲み、馴染み客たちと過ごす。そんな毎日の中で、ある朝突然気を失ったラッキーは、人生の終わりが近いことを思い知らされ、「死」について考え始める。子供の頃怖かった暗闇、逃げた100歳の亀、"生餌"として売られるコオロギ―小さな町の、風変わりな人々との会話の中で、ラッキーは「それ」を悟っていく―。
昨年[2017年]9月に91歳で亡くなったハリー・ディーン・スタントン主演のジョン・キャロル・リンチ監督作品で、ハリー・ディーン・スタントンの遺作となりました。ジョン・キャロル・リンチは本来は俳優で(最近では「
」の創始者マクドナルド兄弟の兄モーリスを演じていた)、この「ラッキー」が初監督作品になります。一方、2017年のTV版「ツイン・ピークス」でハリー・ディーン・スタントンを使ったデヴィッド・リンチ監督が、主人公ラッキーの友人で、逃げてしまったペットの100歳の陸ガメ"ルーズベルト"に遺産相続させようとしとする変な男ハワード役で出演しています(役者として目いっぱい演技している)。
ントンは太平洋戦争時に、映画の中でダイナーの客が語る沖縄戦に実際に従軍している)、映画では少々偏屈で気難しいところのあるキャラクターとして描かれています。自分の言いたいことを言い、そのため周囲の人々と小さな衝突をすることもありますが、でも、ラッキーは周囲の人々から気に掛けられ、愛されていて、彼を受け容れる友人・知人・コミニュティもあるといった
具合で、むしろこれって"ラッキー"な老人の話なのかもと思いました。但し、彼自身はウェット感はなく、どうやら無神論者らしいですが、そう遠くないであろう自らの死に、自らの信念である"リアリズム"(ニヒリズムとも言える)を保ちつつ向き合おうしています。ある意味、精神的"終活映画"と言えるでしょうか。その姿が、ハリー・ディーン・スタントン自身と重なるのですが、孤独でドライな生き方や考え方と、それでも他者と関わりを持ち続ける態度の、その両者のバランスがなかなか微妙と言うか絶妙かと思いました。
ハリー・ディーン・スタントンはこの映画撮影時は90歳で、「八月の鯨」('87年/米)で主演したリリアン・ギッシュ(1893-1993)が撮影当時93歳であったのには及びませんが、「サウンド・オブ・ミュージック」('65年/米)のクリストファー・プラマーが「手紙は憶えている」('15年/カナダ・ドイツ)で主演した際の年齢85歳を5歳上回っています(クリストファー・プラマーはその後「ゲティ家の身代金」('17年/米)で第90回アカデミー賞助演男優賞に88歳でノミネートされ、アカデミー賞の演技部門でのノミネート最高齢記録を更新した)。
ハリー・ディーン・スタントンがこれまでの出演した作品と言えば、SF映画の傑作「エイリアン」や、準主役の「レポマン」、主役を演じた「パリ、テキサス」など多数ありますが、第37回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した、ヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」が特に印象深いでしょうか。この「ラッキー」のエンディング・ロールで流れる彼に捧げる歌の歌詞に「レポマン」「パリ、テキサス」と出てきます。また、米国中西部らしい舞台背景は「パリ、テキサス」を想起させます(ジョン・キャロル・リンチ監督は


「パリ、テキサス」('84年/独・仏)は、失踪した妻を探し求めテキサス州の町パリをめざす男(スタントン)が、4年間置き去りにしていた幼い息子と再会して親子の情を取り戻し、やがて巡り会った妻(ナスターシャ・キンスキー)に愛するがゆえの苦悩を打ち明ける―というロード・ムービーであり、当時まだアイドルっぽいイメージの残っていたナスターシャ・キンスキーに、「のぞき部屋」で働いている生活疲れした人妻を演じさせ新境地を開拓させたヴィム・ヴェンダース監督もさることながら、ハリー・ディーン・スタントンの静かな存在感も作品を根底で支えていたように思いま
す。ヴィム・ヴェンダース監督は、ロマン・ポランスキー監督が文豪トマス・ハーディの文芸大作を忠実に映画化した作品「
ハリー・ディーン・スタントンは、主役だった「パリ、テキサス」に比べると、リドリー・スコット監督の「エイリアン」('79年/米)では、"怪物"に「繭」にされてしまい、最後は味方に火炎放射器で焼かれて
しまう役だったからなあ(それもディレクターズ・カット版の話で、劇場公開版ではその部分さえカットされている)。ただ、あの映画は、英国の名優ジョン・ハートでさえも、エイリアンの幼生(チェスト・バスター)に胸を食い破られるというエグい役でした。最初に観た時はストレートに怖かったですが、最後に生き残るのはシガニー・ウィーバー演じるリプリーのみという、振り返ればある意味「女性映画」だったかも。シリーズ第1作では男性に置き換えられていますが、チェスト・バスターが躰を食い破って出て来るというのは、哲学者・内田樹氏の「街場の映画論」等での指摘もありましたが、女性の出産に対する不安(恐怖、拒絶感)を表象しているのでしょうか。
この恐れは、シガニー・ウィーバー演じるリプリーが完全に主人公となったシリーズ第2作以降、リプリー自身の見る「悪夢」として継承されていきます。「エイリアン2」('86年/米)の監督は、「ターミネーター」のジェームズ・キャメロン。ラストでエイリアンと戦うリプリーが突如「機動戦士ガンダム」風に変身する場面に象徴されるように、SF映画というよりは戦争アクション映
画風で、「1」に比べ大味になったように思います(海兵隊のバスケスという男まさりの女兵士は良かった)。デヴィッド・フィンチャー監督の「エイリアン3」('92年/米)になると、リドリー・スコット監督がシンプルな怖さを前面に押し出した第1作に比べてそう恐ろしくもないし(馴れた?)、ジェームズ・キャメロン監督がエイリアンを次々と繰り出した第2作に較べても出てくるエイリアンは1匹で物足りないし、ラストの宗教的結末も、このシリーズに似合わない感じがしました(「エイリアン」「エイリアン2」は共に優れたSF映画に与えられる「サターンSF映画賞」を受賞している)。
チェスト・バスターの出現がシリーズを象徴する場面として印象に残るという意味では、「エイリアン」でのジョン・ハートの役は、エグいけれどもオイシイ役だったかも。この人、「
そのジョン・ハートも「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」('17年/英)のチェンバレン役を降板したと思ったら、昨年['17年]1月に膵臓ガンで77歳で亡くなっています。「ウィンストン・チャーチル」ではゲイリー・オールドマンがアカデミー賞の主演男優層を受賞していますが、そのゲイリー・オールドマンと、第22回「サテライト・アワード」(エンターテインメント記者が所属する国際プレス・アカデミが選ぶ映画賞)の主演男優賞を分け合ったのがハリー・ディーン・スタントンです。但し、スタントンは"死後受賞"でした。遅ればせながらこれを機に、ジョン・ハートとハリー・ディーン・スタントンに追悼の意を捧げます(「冥福を祈る」と言うと、"ラッキー"から「冥土なんて存在しない」と言われそう)。
そう言えば、ハリー・ディーン・スタントンは生前、"The Harry Dean Stanton Band"というバンドで歌とギターも担当していて、2016年に第1回「ハリー・ディーン・スタントン・アウォード」というイベントが開催され、ホストが今回の作品にも出ているデヴィッド・リンチで、ゲストが「沈黙の断崖」('97年)でハリー・ディーン・スタントンと共演したクリス・クリストファーソンや、「ラスベガスをやっつけろ」('98年)などで共演経験のあるジョニー・デップでしたが(ジョニー・デップの登場はハリー・ディーン・スタントンにとってはサプラズ演出だったようだ)、この「ハリー・ディーン・スタントン賞」って誰か"受賞者"いたのかなあ。

公開:2018/03●配給:アップリンク●最初に観た場所:ヒューマントラストシネマ有楽町(シアター2)(18-04-13)(評価:★★★★)


「ワン・フロム・ザ・ハート」●原題:ONE FROM THE Heart●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:フランシス・フォード・コッポラ●製作:グレイ・フレデリクソン/フレッド・ルース●脚本:アーミアン・バーンスタイン/フランシス・フォード・コッポラ●撮影:ロナルド・V・ガーシア/ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:トム・ウェイツ●時間:107分●出演:フレデリック・フォレスト/テリー・ガー/ラウル・ジュリア/ナスターシャ・キンスキー/レイニー・カザン/ハリー・ディーン・スタントン /アレン・ガーフィールド/カーマイン・コッポラ/イタリア・コッポラ/レベッカ・デモーネイ●日本公開:1982/08●配給:東宝東和●最初に観た場所:目黒シネマ(83-05-01)(評価:★★★)●併映:「ひまわり」(ビットリオ・デ・シーカ)

「エイリアン」●原題:ALIEN●制作年:1979年●制作国:アメリカ●監督:リドリー・スコット●製作:ゴードン・キャロル/デヴィッド・ガイラー/ウォルター・ヒル●脚本:ダン・オバノン●撮影:デレク・ヴァンリント●音楽:ジェリー・ゴールドスミス●時間:117分●出演:トム・スケリット/シガニー・ウィーバー/ヴェロニカ・カートライト/ハリー・ディーン・スタントン/ジョン・ハート/イアン・ホルム/ヤフェット・コットー●日本公開:1979/07●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:三軒茶屋東映(84-07-22)(評価:★★★★)●併映:「遊星からの物体X」(ジョン・カーペンター)





「エレファント・マン」●原題:THE ELEPHANT MAN●制作年:1980年●制作国:イギリス●監督:デヴィッド・リンチ●製作:ジョナサン・サンガー●脚色:クリストファー・デヴォア/エリック・バーグレン/デヴィッド・リンチ●撮影:フレディ・フランシス●音楽:ジョン・モリス●時間:124分●出演:ジョン・ハート/アンソニー・ホプキンス/ジョン・ギールグッド/アン・バンクロフト●日本公開:1981/05●配給:東宝東和●最初に観た場所:不明 (82-10-04)(評価:★★★☆)




サンフランシスコのユニオンスクエアを散歩する一組のカップルを注視する一見ごく平凡な中年男ハリー・コール(ジーン・ハックマン)は、実はプロの盗聴屋で、彼は大企業の取締役からの依頼を受け、カップルの会話をテープに録音していたのだ。ハリーの通信傍受
の権威としての輝かしい名声とは裏腹に、その私生活は孤独であり、それは盗聴という仕事を生業にしていながら、彼が自らのプライバシーの保持に異常に気を使ってい
るからだ。そのためにハリーは、彼のことをより知りたがる恋人アミー(テリー・ガー)とも別れる羽目に。そんな彼にとって唯一の心の支えは、厳重に外部から隔離された自室で、ジャズの調べに合わせてサクソフォンを演奏することだった。ユニオンスクエアで密会する男女の会話を盗聴したハリーは、一見すると他愛の無い世間話に
見えた二人の会話に不審なものを感じ、依頼人の秘書マーティン(ハリソン・フォード)への録音テープの受け渡しを拒否する。依頼人のオフィスからの帰り道にハリーは、公園で盗聴したカップルに遭遇、例の二人組は、女の方は依頼人の妻(シンディ・ウィリアムズ)で、男はその会社に勤めていた社員(フレデリック・フォレスト)だった。ハリーは依頼主への疑念から、「好奇心を捨て、淡々と仕事する」とする自らのポリシーを破り、改めて録音テープを再生する。すると、「チャンスがあれば我々を殺す気だ」という事件の予兆を示す声が録音されていた。ハリーは、依頼主の重役(ロバート・デュヴァル)が二人を殺害しようとしているのではないかという疑惑を抱く―。
90年代にビデオで観て今一つでしたが、最近DVDで観直してみて、なかなか面白いのではないかと思いました。自分が観たDVDには、監督のフランシス・フォード・コッポラと編集のウォルター・マーチによる字幕解説が特典付録として付いていました。2000年の時点でコッポラ監督自らがこの作品を振り返った解説が全編にわたって字幕スーパーでインポーズされていて、その内容も、映画ストーリーの進行そのものに合わせた解説や登場する俳優に関するエピソード、更には自分の生い立ちや、撮りたいと思っている作品、名作映画や自身の作品についてなど多岐にわたっていて、なかなか興味深かったです。

妻に不倫された取締役を演じたロバート・デュヴァルや、すごく陰険そうな秘書を演じた「スター・ウォーズ」('77年)でブレイクする前のハリソン・フォードがこの映画に出演することになった経緯などが語られているのも楽しいし、この映画出演の数年後に癌で亡くなったジョン・カザールの人間性を絶賛し、その死を惜しんでいます。ジーン・ハックマンは本当は若々しくダンディであったため、老けていてダサい風采のオタク系男である主人公を演じるのに苦労し、イラ
ついていたとのことです。霧の公園のシーンの撮影の際に近所の住民の通報で警察や記者の邪魔が入り、撮影を中断せざるを得なかったこと(ジーン・ハックマンはますますくイラついたらしい)、結果としてラストシーンに想定していたその場面を中盤に持って来ざるをえなかったことなどを明かしています。また、この映画は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望」('67年)やアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」('60年)などの影響を受けていることも明かしています(「サイコ」の影響を受けているのは言われなくとも分かるが、「欲望」の影響を受けているのは意外だった)。
映画公開直後に「ウォーターゲート事件」が発覚し('74年6月)、大いに驚いたとのことで、事件を無意識的に予知したのかも、とも。その他にも、映画に出てくる盗聴業者の見本市のようなものは、本物のその業界の見本市で撮影したとか、主人公が告解する神父の役と、新聞に出た事件の真相を知ろうと取締役の会社に行って警備員に追い返されるその警備員の役は、共にジーン・ハックマンの弟が演じていること、後者のシーンは「室内シーン」だが実は建物の外で撮られていること(言われてみればそんな感じ)など、色々と明かしていて楽しいです。
れ慄きます(この電話の主は、ハリソン・フォード演じるマーティンか。ならば、マーティンは重役夫人カップルとグルなのか)。ハリーは家の中に盗聴器が仕掛けられていないか探しまくりますが(コッポラ監督自身が、盗聴器がある思って主人公が壊すビニール製のキリスト像は「壊れにくかった」とか、自分だったらサクソフォンのトラップに盗聴器が仕掛けてあると疑うとかコメントしている(笑))、結局は盗聴器は見つかりません(コッポラ監督が自分にもどこにあるか分からないとコメントしている(笑))。主人公はもともと神経質な性質なので、それが脅迫神経症に進行し、盗聴のプロが自分が盗聴される立場になって被害妄想になっていくという、たいへん皮肉な結末です。
どこまでが現実でどこまでが主人公の妄想か、仮に妄想であれば主人公はどの辺りからその世界に入っていったのか分からないままでしたが、おそらくは主人公の同僚だったスタン(ジョン・カザール)を引っこ抜いた同業ライバルのウィリアム・P・モラン(アレン・ガーフィールド)のスパイであるコンパニオン女性メレディス(エリザベス・マックレイ)と一夜を共にした辺りからではないかと。新聞記事などから事件が現実のものであったことは間違いないのでしょう。あとは、どこまでが現実でどこまでが主人公の妄想かは、映画を観た人の間で議論してくださいという、含みを持たせた作りにしているように思いました。最初に観た時は、もやっとした印象が残るのがネックになりましたが、観直してみて、これはこれでいいと思うようになりました。フランシス・フォード・コッポラ監督自身の同時解説のお蔭で、興味と愛着が増した作品です。
ジョン・カザール(スタン)/エリザベス・マックレイ(メレディス)/アレン・ガーフィールド(ウィリアム・P・モラン)/ジーン・ハックマン(ハリー・コール)
「カンバセーション...盗聴...」●原題:THE CONVERSATION●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:フランシス・フォード・コッポラ●撮影:ビル・バトラー●音楽:デイヴィッド・シャイア●
時間:113分●出演:ジーン・ハックマン/ジョン・カザール/アレン・ガーフィールド/フレデリック・フォレスト/シンディ・ウィリアムズ/マイケル・ヒギンズ/エリザベス・マックレイ/テリー・ガー/ハリソン・フォード/ロバート・デュヴァル●日本公開:1974/11●配給:パラマウント映画=CIC(評価★★★★)



米国陸軍・ウィラード大尉(マーティン・シーン)に、カーツ大佐(マーロン・ブランド)暗殺の命令が下る。ウィラードと同行者は、哨戒艇でメコン河を上り、やがて、ジャングルの奥地にあるカーツ大佐の王国へとたどり着く―。
をかけて作られた大作であり、カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作でもあって、鳴り物入りで日本公開されましたが、当時テアトル東京に観に行って、解らないままに圧倒されたという印象でした。こうした映画って、観てから時間が経つうちに、ああ、あれってこういことだったんだなあとか解ってくることがありますが、この映画に関してそれが無く、ずっと解らないままでした(先日ちょうど37年ぶりに劇場で観たが、今観ても解らず、解らないままに圧倒される?)。そのうち、この映画が"ワースト1"映
画に選ばれたりするような時期があり、例えば『
田中小実昌が映画評論家の北川れい子氏との対談で、「ぼくはそんなに気に入らないことはないですね」とし、ワーストに選ばれる作品はみんな大作なんですよ」と言っていて、ナルホドなあと思いました。
映画の公開前に映画監督の長谷川和彦氏がコッポラ監督にインタビューしていて、この映画のテーマは何かと質問したら、コッポラは「撮っていて途中で分からなくなった」と答えたとのこと。完成作に寄せた序文でもコッポラは、「撮影の間に映画が徐々にそれ自体で一人歩きを始めた」としていて、映画製作のプロセスをウィラード大尉が奥深いジャングルの河を上って行く旅に重ね合わせています。
簡単に言ってしまえば戦争の狂気を描いた映画ということになり、ゆえに「
反戦映画」ということになるのかもしれませんが、多くの戦争映画がそうであるように、同時に戦争と人間の親和性を描いた映画でもあるように思います。特にこの映画は、ロバート・デュヴァル演じるサーフィンをするために敵方の前哨基地を襲撃するビル・キルゴア中佐などに、その部分がよく表象されているように思います。もちろんマーロン・ブランド演じるカーツ大佐にも狂気と戦争への親和性は見られ、むしろカーツ大佐は戦争に過剰に適
応してしまい、王国を築いて自分でも壊せなくなってしまったため、マーティン・シーン演じるウィラード大尉に「殺される」運命を選んだのかもしれません。
評論家の立花隆氏は、ギリシャ神話を隠喩的に織り込んでいると述べていますが、ウィラード大尉によるカーツ大佐殺害は、「父親殺し」の暗喩ととれなくもないでしょう。
村上春樹氏が評論『同時代としてのアメリカ』(単行本化されていない)の中でこの映画について、「いわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」と述べていて、コッポラ監督の談話などから映画製作自体が何か自分探しみたいになっていることが窺えることからも、村上氏の指摘はいいところを突いているように思いました。
ハリソン・フォードの起用も検討されましたが、「スター・ウォーズ」('77年)の撮影があって無理となり、最終的にマーティン・シーンに落ち着いています。ハリソン・フォードは、撮影の見学に来たときに、映画の序盤部分に端役として出演しており、その時の役名は「ルーカス大佐」となっています。
「地獄の黙示録」●原題:APOCALYPSE NOW●制作年:1979年●制作国:アメリカ●監督・製作:フランシス・フォード・コッポラ●脚本:ジョン・ミリアス/フランシス・フォード・コッポラ/マイケル・ハー(ナレーション)●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:カーマイン・コッポラ/フランシス・フォード・コッポラ●原作:ジョゼフ・コンラッド「
闇の奥」●時間:153分(劇場公開版)/202分(特別完全版)●出演:マーロン・ブランド/ロバート・デュヴァル/マーティン・シーン/フレデリック・フォレスト/サム・ボトムズ/ローレンス・フィッシュバーン/アルバート・ホール/ハリソン・フォード/G・D・スプラドリン/デニス・ホッパー/クリスチャン・マルカン/オーロール・クレマン/ジェリー・ジーズマー/トム・メイソン/シンシア・ウッド/コリーン・キャンプ/ジェリー・ロス/ハーブ・ライス/ロン・マックイーン/スコット・グレン/ラリー・フィッシュバーン(=ローレンス・フィッシュバーン)●日本公開:1980/02●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:銀座・テアトル東京(80-05-07)●2回目:高田馬場・早稲田松竹(17-05-07)(評価★★★★)●併映(2回目):「イージー・ライダー」(デニス・ホッパー)



本編あっての続編ではあるものの、続編でヴィトーの若き日の台頭と、現在のマイケルの孤絶を描くことで、単なるマフィアものを超えて、イタリア移民の一族の年代記としての厚みが増したように思います(ヴィトー・コルレオーネを演じたロバート・デ・ニーロはアカデミー「助演男優賞」受賞。本編でマーロン・ブランドが主演男優賞を受賞しており、同じ役柄を演じた二人の俳優がアカデミー賞の演技賞を獲得したことになる)。
ただ、米国のイタリア(シチリア)系社会でもこうした強力な「父性原理」はすでに過去のものとなっているのかも知れず、それがこの続編で予兆として現れていて、近年の海外ドラマ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」('99-07年)などを観ていると、そのギャップがある種パロディカルに描かれるに至っているように思いました。
シス・フォード・コッポラ/グレイ・フレデリクソン/フレッド・ルース●脚本:マリオ・プーゾ/フランシス・フォード・コッポラ●撮影:ピーター・ツィンナー/バリー・マルキン/リチャード・マークス●音楽:
ード・ブライト/ガストン・モスチン/トム・ロスキー/ブルーノ・カ-ビー/フランク・シベロ/フランチェス
カ・デ・サピオ/モーガナ・キング/マリアナ・ヒル/レオパルド・トリエステ/ドミニク・キアネーゼ/アメリゴ・トット/トロイ・ドナヒュー●日本公開:1975/04●配給:パラマウント映画=CIC●最初に観た場所:池袋文芸坐(78-01-12)(評価:★★★★)●併映:「コーザ・ノストラ」(フランチェスコ・ロージ) ダイアン・キートン in「ゴッドファーザー PART II」(1974)/「








働くためにニューヨーク郊外ロング・アイランドにある高級住宅地ウェスト・エッグへと引っ越してくるが、隣の大邸宅では日々豪華なパーティが開かれていて、その庭園には華麗な装いの男女が夜毎に集まっており、彼は否応無くその屋敷の主ジェイ・ギャツビーという人物に興味を抱くが、ある日、そのギャツビー氏にパーティに招かれる。ニックがパーティに出てみると、参加者の殆どがギャツビーについて正確なことを知らず、ニックには主催者のギャツビーがパーティの場のどこにいるかさえわからない、しかし、たまたま自分の隣にいた青年が実は―。
1925年に出版された米国の作家フランシス・スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Fitzgerald、1896‐1940/享年44)の超有名作品ですが(原題:The Great Gatsby)、上記のようなところから、ニックとギャツビーの交遊が始まるという初めの方の展開が単純に面白かったです。
ド主演の映画化作品「華麗なるギャツビー」('74年/米)をテレビで観る機会があって、その上でもう一度、野崎訳及び村上訳を読み返してみると、起きているごたごたの全部が終盤への伏線となっていたことが再認識でき、村上春樹氏が「過不足のない要を得た人物描写、ところどころに現れる深い内省、ヴィジュアルで生々しい動感、良質なセンチメンタリズムと、どれをとっても古典と呼ぶにふさわしい優れた作品となっている」と絶賛しているのが分かる気がしました。


(●2013年にバズ・ラーマン監督、レオナルド・ディカプリオ主演で再映画化された。1974年のジャック・クレイトン監督のロバート・レッドフォード、ミア・ファロー版は、当初はスティーブ・マックィーン、アリ・マックグロー主演で計画されていて、それがこの二人に落ち着いたのだが、村上春樹氏などは「落ち着きが悪い」としていた(ただし、フランシス・フォード・コッポラの脚本を評価していた)。個人的には、デイジー役のミア・ファローは登場するなり心身症的なイメージで、一方、ロバート・レッドフォードは健全すぎたのでアンバランスに感じた。レオナルド・ディカプリオ版におけるディカプリオの方が主人公のイメージに合っていたが(ディカプリオが家系
的に4分の3ドイツ系であるというのもあるか)、キャリー・マリガン演じるデイジーが、完全にギャツビーを取り巻く俗人たちの1人として埋没していた。セットや衣装はレッドフォード版の方がお金をかけていた。ディカプリオ版も金はかけていたが、CGできらびやかさを出そうとしたりしていて、それが華やかと言うより騒々しい感じがした。目まぐるしく移り変わる映像は、バズ・ラーマン監督の「ムーラン・ルージュ」('01年)あたりからの手法だろう。ディカプリオだから何とか持っているが、「ムーラン・ルージュ」ではユアン・マクレガーもニコール・キッドマンもセット(CG含む)の中に埋もれていた。)



【1957年文庫化[角川文庫(大貫三郎訳『華麗なるギャツビー』)]/1974年再文庫化[早川文庫(橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』)]/1974年再文庫化[新潮文庫(野崎孝訳『偉大なるギャツビー』)・1989年改版(野崎孝訳『グレート・ギャツビー』)]/1978年再文庫化[旺文社文庫(橋本福夫訳『華麗なるギャツビー』)]/1978年再文庫化[集英社文庫(野崎孝訳『偉大なギャツビー』]/2006年新書化[中央公論新社・村上春樹翻訳ライブラリー(『グレート・ギャツビー』]/2009年再文庫化[光文社古典新訳文庫(小川高義訳『グレート・ギャツビー』)】[左]『
「華麗なるギャツビー」●原題:THE GREAT GATSBY●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督:ジャック・クレイトン●製作:オデヴィッド・メリック●脚本:
「華麗なるギャツビー」●原題:THE GREAT GATSBY●制作年:2013年●制作国:アメリカ●監督:バズ・ラーマン●製作:ダグラス・ウィック/バズ・ラーマン/ルーシー・フィッシャー/キャサリン・ナップマン/キャサリン・マーティン●脚本:バズ・ラーマン/クレイグ・ピアース●撮影:サイモン・ダガン●音楽:クレイグ・アームストロング●原作:スコット・フィッツジェラルド●時間
:143分●出演:レオナルド・ディカプリオ/トビー・マグワイア/キャリー・マリガン/ジョエル・エドガートン/アイラ・フィッシャー/ジェイソン・クラーク/エリザベス・デビッキ/ジャック・トンプソン/アミターブ・バッチャン●日本公開:2013/06●配給:ワーナー・ブラザース(評価:★★★)



DMC‐12(通称デロリアン)

暴露本であるとも言え、その分、経営書と言うよりはビジネス書、ビジネス書と言うよりは小説のように面白く読めます。私企業でも大きくなると役所と変わらぬ官僚主義が横行することがよくわかり、それに驚き、怒り、呆れるデロリアン氏に共感しますが、彼自身も自分の考えを通す上で強引過ぎる点は無かったのかという疑問も湧き、この点でアメリカでも本書に対する評価は割れるようです。それでも、大企業の役員が保守的で内向きな視点しか持てない傾向に陥りがちなのがよくわかって興味深く、これは'70年代のGM社内の話ですが、今でも実際にGMは大企業病に喘いでいるわけです。


むしろこの人、フランシス・F・コッポラ 監督の映画「タッカー」('88年/米)(製作総指揮ジョージ・ルーカス、コレ、知人宅でビデオで観た(89-08-19))のモデルにもなったブレストン・タッカーに近いかも。ブレストン・タッカーは軍需工場を経営していましたが、来るべき現代にふさわしい新しい新車の設計、開発を自ら計画し、1945年に「タッカー・トーペード」という自動車を生産します。最終的には、こうした彼の動きに警戒感を抱いたGMなどの「ビッグ3」に潰されてしまうものの、独力でクルマの生産まで漕ぎつけるところが、いかにも起業家という感じで、しかも今時流行のITとかではなくクルマづくりである点を考えてもスゴイ。但し、この「タッカー・トーペード」は50台しか生産されませんでした(映画では現存する47台が愛好家の全面協力により使われた)。一方、デロリアンの手による「DMC‐12」は約9,000台生産されています。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」●原題:BACK TO THE FUTURE●制作年:1985年●制作国:アメリカ●監督:ロバート・ゼメキス●製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ/キャスリーン・ケネディ/フランク・マーシャル●製作:ボブ・ゲイル/ニール・カントン●脚本:ロバート・ゼメキス/ボブ・ゲイル●撮影:ディーン・カンディ●音楽:アラン・シルヴェストリ●時間:116分●出演:マイケル・J・フォックス/クリストファー・ロイド/リー・トンプソン/クリスピン・グローヴァー/トーマス・F・ウィルソン/クローディア・ウェルズ/マーク・マクルーア/ウェンディ・ジョー・スパーバー/ジェームズ・トールカン/



価★★★)
「タッカー」●原題:TUCKER●制作年:1988年●制作国:アメリ
カ●監督:フランシス・フォード・コッポラ●製作:フレッド・ルース/フレッド・フックス●製作総指揮:ジョージ・ルーカス●脚本 アーノルド・シュルマン/ディビッド・セイドラー●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:ジョー・ジャクソン●時間:111分●出演:ジェフ・ブリッジス/ジョアン・アレン/マーティン・ランドー/フレデリック・フォレスト/マコ岩松/イライアス・コティーズ/