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からっとしたカプリ島で繰り広げられるじめっとした夫婦の愛憎劇。分かりやすいゴダール作品。

「軽蔑」ポスター「軽蔑 [DVD]」ブリジット・バルドー
女優カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)と脚本家ポール・ジャヴァル(ミシェル・ピッコリ)は夫婦である。夜、二人のアパルトマンの寝室での会話は無意味だが、夫婦らしいものでもあった。翌朝、ポールは米国から来た映画プロデューサー、ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)と会った。ジェレミーはフリッツ・ラング(本人)が現在撮影中の映画「オデュッセイア」があまりにも難解だとし、脚本のリライトをポールに発注してきた。昼になって、カミーユが現れ、夫妻はジェレミーに自宅に誘われた。自宅でジェレミーは、カミーユをカプリ島でのロケ撮影に来ないかと言う。それは夫が決めること、とカミーユは答える。アパルトマンに帰った後のポールとカミーユは、なぜかしっくりこない。夜、ふたりは別々の部屋で寝ることになる。ジェレミーから再び、カミーユへのロケのオファーの電話があった。ポールはポールで、本人次第だと答えてしまう。電話の後で激したカミーユは、ポールを軽蔑すると言い放つ。ジェレミーの誘いで映画館に行った後、カミーユはオファーを承諾した。カプリ島。ここにはジェレミーの別荘がある。撮影現場でラング監督とはやはりうまくいかないジェレミーは、カミーユに別荘へ戻ろうと言う。カミーユはポールを一瞥するが、ポールは、カミーユがジェレミーと別荘に帰ることを軽く承諾した。ポールは、それよりも、ラング監督との映画「オデュッセイア」の問題について議論を続けたいのだ。遅れて別荘に着いたポールは、
カミーユに、あの日ポールに言い放った「軽蔑」という言葉の真意を問いただす。答えは無かった。翌朝、ポールにカミーユからの手紙が届き、ジェレミーとローマへ発つと書かれていた。同じ頃、ハイウェイで派手な衝突事故が起きていた。大型車にぶつかり大破したスポーツカーには、ジェレミーとカミーユの血まみれの死体があった―。

1963年公開のゴダールの長篇劇映画第6作です。イタリアの作家アルベルト・モラヴィアの同名小説を原作に、当時、2年前に結婚したばかりの妻アンナ・カリーナとの愛の問題に苦悩したゴダールが、自己を投影し、愛の不可能性を描いたとされている作品です。60周年を記念した4Kレストア版が、2023年カンヌ国際映画祭のクラシック部門で上映されました。個人的には、ずっと昔に『ゴダール全シナリオ集〈ゴダール全集〉』('71年/竹内書店)で脚本を読んで以来、何十年の時を経てやっと見(まみ)えた作品になります。
2023年カンヌ国際映画祭ポスター
からっとしたカプリ島の太陽の下で、じめっとした愛憎劇が繰り広げられるこの対比は、やはり映像化された作品を実際に観て初めて分かるように思いました。室内シーンも少なからずありますが、こちらもポップアート調でカラフルな「デザイナーズマンション」のような別荘だったりします(デザイナーズマンションの先駆とも言われるカプリ島にある「マラパルテ邸」を使用)。こうしたことも含め、重苦しいテーマの中にも、ゴダールのセンスや遊び心さえも感じられる作品です。
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ブリジット・バルドー演じるカミーユがミシェル・ピッコリ演じる夫ポールに軽蔑の気持ちを抱いた決定的瞬間の1つはやはり、米国から来た映画プロデューサーが自分のアメ車に彼女を乗せる
のを、「じゃあ先に帰っていてくれ」とでも言わんばかりに制止する様子が無かった時だろうなあ。脚本のリライトのことで頭がいっぱいだったのは分かるけれど、女性には男性に毅然とした態度をとって欲しいという気持ちがあるのだろうなあ。なぜ、カミーユが夫を軽蔑するようになったのか分からないという人がいるけれど、個人的には、ゴダール作品の中ではかなり分かりやすい部類ではないかと思います(先にシナリオを読んでいたせいもあるかもしれないが)。昔観た「勝手にしやがれ」('59年)や 「気ちがいピエロ」('65年)の個人的評価が★★★★であるのに対し、それらを上回る★★★★☆評価にしたのは、その分りやすさもあったかもしれません(この映画、以前はゴダールにしては分りやす過ぎたために評価が割れ、あまり高い評価を得られなかったのではないか)。
その米国から来た映画プロデューサーを演じているのは、あの「シェーン」('53年)でアラン・ラッド演じるシェーンの敵役のアクの強いガンマンを演じたジャック・パランスです。1970年代には、刑事物のTVドラマ「刑事ブロンク」シリーズで主演するものの、やがて低迷し、B級作品やビデオ映画、チープホラーなどに出ていたのが、パーシー・アドロン監督の「バグダッド・カフェ」('87年/西独・米)で久々に復活した俳優でした。この作品では、当時の日本同様、斜陽化著しいヨーロッパの映画産業における、やがてハリウッド一辺倒の世界になるのではないかという不安を背景に、欧州に進出する米国資本の脅威の象徴として描かれているともとれます。
それに呼応するように、ドイツのサイレント映画の巨匠で、戦後アメリカのB級映画作家となったフリッツ・ラングが本人役で出演し、ただし、愛の問題にも映画産業の問題にも的確な言説を吐いています。アメリカ人プロデューサーとの撮影が頓挫するフリッツ・ラングは、現実世界では1920年代には「死滅の谷」「ニーベルンゲン」「メトロポリス」などの大作を撮っていますが、1960年の「怪人マブゼ博士」(1933年の「怪人マブゼ博士」のリメイク)以降の監督作はありません(ゴダール本人がラングの助監督役で本作に出演している)。
夫婦が不仲になるという設定と古代ギリシャ時代の彫刻のコピーの石膏像が作品に頻繁に出てくるのは、作中にそれを上映している映画館が出てくるロベルト・ロッセリーニの「イタリア旅行」('54年/伊・仏)へのオマージュであるとのこと(ロッセリーニもこの時、当時の妻イングリット・バーグマンの不仲に悩んでいた)。ただし「イタリア旅行」の夫婦はラストで劇的に和解するのですが、本作は和解はナシ。それどころか、最後にカミーユとジェレミーが事故死するのは(ロッセリーニはこの結末に不満だったらしい)、ポールの怨念から来る"念力"の結果? と言うことで、最後、役の上では死んじゃうけれど、ブリジッド・バルドーを最も美しく撮っている映画の1つです。



「軽蔑」●原題:LE MEPRIS(英:CONTEMPT)●制作年:1963年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ジョルジュ・ドゥ・ボールガー/カルロ・ポンティ/ジョーゼフ・E・レヴィーン●撮影:ラウール・クタール●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●原作:アルベルト・モラヴィア●時間:102分●出演:ブリジット・バルドー/ミシェル・ピコリ/ジャック・パランス/ジョルジア・モル/フリッツ・ラング/ジャン=リュック・ゴダール/ラウール・クタール/リンダ・ベラス●日本公開:1964/11●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-08-13)(評価:★★★★) font>



1944年8月、第2次世界大戦の連合軍の反撃作戦が始まっていた頃、フランスの装甲師団とアメリカの第4師団がパリ進撃を開始する命令を待っていた。独軍下のパリでは地下組織に潜ってレジスタンスを指導するドゴール将軍の幕僚デルマ(アラン・ドロン)と自由フランス軍=FFIの首領ロル大佐(ブリュノ・クレメール)が会見、パリ防衛について意見を闘わしていた。左翼のFFIは武器弾薬が手に入りしだい決起すると主張、ドゴール派は連合軍到着まで待つという意見だった。パリをワルシャワのように廃墟にしたくなかったからだ。一方独軍のパリ占領軍司令官コルティッツ将軍(ゲルト・フレーベ)は連合軍の進攻と同時に、パリを破壊せよという総統命令を受けていた。将軍は工作隊に命じて、工場、記念碑、橋梁、地下水道など、ありとあらゆる建造物に対して地雷を敷設させていた。このような時に、イギリス軍諜報部から"連合軍はパリを迂回して進攻する"というメッセージがレジスタンス派に届いた。ロル大佐は自力でパリを奪回しようと決意し、これを知ったデルマは、これをやめさせる人間は政治犯として独軍に捕らえられているラベしかないと考え、ラベの妻フランソワーズ(レスリー・キャロン)とスウェーデン領事ノルドリンク(オーソン・ウェルズ)を動かして、ラベ救出を図ったが失敗、結局、ドゴール派と左翼派の会議の結果、決起が決まった。ドゴール派は市の要所を占領し、市街戦が始まった。パリ占領司令部は、独軍総司令部からパリを廃墟にせよという命令を受けていた上、市
街戦が長びけば爆撃機が出動すると告げられていた。コルティッツ将軍は、すでにドイツ敗戦を予想していて、パリを破壊することは全く無用なことと思っていた。そこでノルドリンク領事を呼び、一時休戦をしてパリを爆撃から守り、その間に連合軍を呼べと遠回しに謎をかける。ノルドリンクから事情を知ったデルマは、ガロア少佐(ピエー
ル・ヴァネック)を連合軍司令部に送った。ガロアはパリを脱出、ノルマンディの米軍司令部に到着した。パットン将軍(カーク・ダグラス)はパリ解放は米軍の任務ではないと告げ、ガロアを最前線のルクレク将軍(クロード・リッシュ)に送る。ルクレク将軍は事態の急を知ってシーバート将軍(ロバート・スタック)を動かし、ブラドリー将軍(グレン・フォード)を説いた。ブラドリーは全軍にパリ進攻を命令した。8月25日、ヒットラーの専用電話はパリにかかっていて"パリは燃えているか"と叫び続けていた―。
1966年の米・仏合作のオールスターキャスト戦争映画で、原作はラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールによるレジスタンスとパリの解放を描いたノンフィクション作品。「
群像劇の中で誰が主人公か敢えて言えば、ゲルト・フレーベが演じた"独軍のパリ占領軍司令官コルティッツ将軍だったかも。ヒトラーの信任が厚い人物ながら、パリの破壊と市民の人命を救うべく、ナチ親衛隊の命令を聞き流すなど面従腹背の腹芸をしたことが描かれています。ラストの方で、フランス軍の中尉が降伏要求と身柄確保に乗り込んで来るシーンがありますが、伝わるところでは、仏軍中尉は、司令官室に乗り込むと緊張のあまり「ドイツ語を話せるか」とドイツ語で叫んでしまい、それに対してコルティッツ将軍は「貴官よりいくらか上手だと思う」と余裕で答えたそうです。ただし、この逸話は映画では描かれていませんでした(代わりに、中尉が自分が敵将軍を逮捕するまでの人間になったと親に電話で報告する場面が描かれている)。

「パリは燃えているか」●原題:PARIS BRULE-T-IL ?/IS PARIS BURNING?●制作年: 1966年●制作国:アメリカ・フランス●監督:ルネ・クレマン●製作:ポール・グレッツ●脚本:ゴア・ヴィダル/



1888年のパリ。上流向けクラブ「パラヴァン・シノワ(シナの屏風)」のオーナー・ダングラール(ジャン・ギャバン)は、モデルをしていたところを自身が発掘したローラ(マリア・フェリックス)をベリーダンサーとしてクラブのスターに据え、同時に彼女を自身の愛人にしていた。ローラもダ
ングラールを愛していたが、彼の事業の出資者であるヴァルテル男爵(ジャン=ロジェ・コシモン)が彼女につきまとっていた。ある晩モンマルトルに行ったダングラールは、「白い女王」というキャバレーで恋人のパン職人のポーロ(フランコ・パストリーノ)とカンカン踊りに興じる
洗濯女の娘ニニ(フランソワーズ・アルヌール)の新鮮さに驚嘆し、カンカン踊りを新しいショーとして興行することを決心、「パラヴァン・シノワ」
を売却して「白い女王」を買い取り、カンカン踊りに「フレンチ・カンカン」という名称を与え、「白い女王」を取り壊してニニを中心に大勢の踊り子がカンカンを踊るショーを上演するキャバレー「ムーラン・ルージュ」を立ち上げることにする。棟上式の日、ニニに嫉妬したローラが喧嘩を仕掛けて乱闘となり、さらにダングラールに嫉妬したポーロが工事中の穴にダングラールを突き落とし、彼は大ケガを負う。彼が退院した日、ローラに唆されてヴ
ァルテル男爵が出資を取りやめたことを知ったダングラールは絶望するが、その晩ニニと初めて結ばれる。かねてからニニに思いを寄せていた某国のアレクサンドル王子(ジャンニ・エスポジート)が新たな支援者となり、
ムーラン・ルージュの工事は進むが、嫉妬に燃えるローラは、王子を連れ「ムーラン・ルージュに押しかけ、皆の面前でニニにダングラールの情婦であることを告白させる。王子はピストル自殺をするが未遂に終わり、ダングラール名義に書き換えたムーラン・ルージュの権利書を残して去る。後悔したローラも協力を約し、ムーラン・ルージュはなんとか開店にこぎつける。しかし ショーの本番直前、新人歌手のエステル(アンナ・アメンドーラ)に囁きかけるダングラールを見かけたニニは楽屋に籠ってしまい、観客たちは騒ぎ出す―。
ジャン・ルノワール監督の1954年制作、1955年フランス公開作で、1880年代のパリを舞台に、フレンチ・カンカンとムーラン・ルージュの誕生を虚実取り混ぜて描いたものです。キャバレー"ムーラン・ルージュ"を舞台にした映画は数多く、アメ
リカでは、ムーラン・ルージュに通い詰めた画家ロートレックの生涯を描いたジョン・ヒューストン監督の「赤い風車」('52年)や、共にミュージカル映画で、シャーリー・マクレーン主演「カンカン」('60年)、ニコール・キッドマン主演「ムーランルージュ」('01年)などがあります。この作品のヒロイン・ニニを演じた当時23歳のフランソワーズ・アルヌールは一気にスターとなりり、その後、アンリ・ヴェルヌイユ監督の「ヘッドライト」('56年)で再びジャン・ギャバンと共演することになります。
ラストの、ムーラン・ルージュの客席のあちこちからフレンチ・カンカンのダンサーが沸いて出てきて、クライマックスのフレンチ・カンカンの大演舞に繋がっていくシーンは、美しいカラー映像と相俟って圧巻です。さすが画家ルノワールの次男! 「
裏を返せば、王子が去った後に結ばれないのはダングラールとニニだけであり、ダングラールは楽屋に籠ってしまったニニに、「オレは籠の鳥にはなれない」と言っていましたが(説得するつもりが開き直りになっていた(笑))、これが一般的な家庭というものを持ち得ないダングラールの性(さが)であると同時に、興行に人生を賭けた人間の厳しさということなのかもしれません(この厳しさは、踊りにすべてを賭けることにしたニニにも当てはまる)。
この映画は、公開時には興行的に成功しましたが、やがて1950年代末にフランスで始まったにヌーヴェルバーグが隆盛となり、後の批評家たちによって退屈な映画だとして無視されてしまったようです。それがまた最近になって、「ベル・エポック」と呼ばれる時代に、大衆芸能の世界にも新しい現実感覚を示すような創造性豊かな表現方法の革新があったことを、興行の世界だけでなく町の様子や人々の風俗と併せて色彩豊かに描いた作品として再注目されています。
個人的にも、昔はこんな映画は観に行かなかったでしょうが、だんだんこうした映画が快く、また何となく懐かしく感じられるようになった昨今です(やはり年齢のせいか?)。そう言えばジャン・ギャバンって「
パリとボルドー間を走る初老のトラック運転手ジャン(ジャン・ギャバン)はこの日、長時間の運転の途中、国道沿いにある「ラ・キャラバン」という宿屋で休憩し、ふと一年前の出来事に思いを馳せた。あの日もこの宿を訪れた彼は、そこで年若い女中クロチルド(フランソワーズ・アルヌール)と出会い、恋に落ちた。冷たく暗い家庭に嫌気が差していた妻子持ちのジャンにとって、彼女は掛け替えのない存在となっていく。こうして新しい人生を歩む決心をするジャンだが、その矢先に職を失い、クロチルドとの連絡を絶ってしまう。クロチルドは妊娠していたが、彼の失業を知るとジャンに心配かけまいと、密かに堕胎医を訪れるのだが―。
フランソワーズ・アルヌールは「フレンチ・カンカン」の時より若い印象も受けますが、「フレンチ・カンカン」の翌年作で当時24歳(劇中の設定は22歳)。セルジュ・グルッサールによる原作は、ジャンの妻ソランジュの死にまつわる事件を描いていて、ジャンはソランジュを自宅のアパートの窓から突き落とした容疑で逮捕されるが、真犯人は...というミステリ設定。これをアンリ・ヴェルヌイユ監督は古典的メロダラマに換骨奪胎しています。「

「フレンチ・カンカン」●原題:FRENCH CANCAN●制作年:1954年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン・ルノワール●製作:ミシェル・ケルベ●撮影:ルッツ・ライテマイヤー●音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス●時間:102分●出演:ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール/マリア・フェリックス/アンナ・アメンドーラ/ヴァルテジャン=ロジェ・コシモン/ジャンニ・エスポジート/フランコ・パストリーノ/アニック・モーリス/ミシェル・ピッコリ/エディット・ピアフ●日本公開:1955/08●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-12-16)(評価:★★★★)
「ヘッドライト」●原題:DES GERS SANS IMPORTANCE●制作年:1956年●制作国:フランス●監督:アンリ・ヴェルヌイユ●製作:ルネ・ラフィット●脚本:フランソワ・ボワイエ/アンリ・ヴェルヌイユ●撮影:ルイ・パージュ●音楽:ジョセフ・コズマ●原作:セルジュ・グルッサール●時間:115分●出演:ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール/イヴェット・エティエヴァン/ダニー・カレル/ピエール・モンディ/ポール・フランクール/ダニー・カレル/リラ・ケドロヴァ●日本公開:1956/10●配給:新外映●最初に観た場所:銀座文化劇場(88-08-27)(評価:★★★★)







1808年、スペイン・トレド。ナポレオン占領下の地で、抵抗するスペイン人が処刑される。「自由くたばれ!」という彼らの叫び。場面は変わり現代のパリ。少女がある紳士より絵葉書を貰い、母親のフーコー夫人(モニカ・ヴィッティ)にそれを見せる。「いやらしい!」という夫人と夫のフーコー氏(ジャン=クロード・ブリアリ)はやがて興奮していく。絵葉書は風景物である。翌朝、不眠症
が昂じて寝室をダチョウが歩き回るのが見えてしまったフーコー氏は医者(アドルフォ・チェリ)の所へ。すると看護婦(ミレナ・ヴコティッチ)が休暇を願っている。1泊2日の休みに彼女は父の家へ向かうが、途中で宿屋に1泊。主人(ポール・フランクール)の
案内でチェック・インしたが、伯母(エレーヌ・ペルドリエール)と甥の恋人達やマゾ男などが泊まっていた。看護婦は賭博好きの牧師らとトランプをしている。早朝、彼女は車で出発。同乗した教授(フランソワ・メーストル)は街で降り、憲兵隊本部で講義する。訓練、事故発生等で生徒は減って2人だけ。「習俗の変化」と題し、教授は友人の家での出来事を話す。食事はトイレで、トイレはテーブルの前の椅子=便器で、という話。講義を終え街へ出た2人の生徒=警官は、ルジャンドル(ジャン・ロシュフォール)をスピード違反で捕まえた。彼はガンで、1人娘が行方不明。早速彼は娘をつれて警察へ行き、この娘が誘拐
されたと訴える。捜査は開始され、ライフル乱射魔が捕まり、死刑宣告後に釈放されヒーローになる。ルジャンドルは警視総監(ジュリアン・ベルトー)に娘が発見されたと聞かされ、妻(パスカル・オードレ)の連れてきた娘と再会。総監は墓地へ行き、死んだ妹(アドリアーナ・アスティ)の棺桶を開けようとして逮捕される。そして警察でもう1人の総監(ミシェル・ピッコリ)と対面、酒を飲む2人は、動物園へ入っていく。そして動物達にダブって、あの「自由くたばれ!」の叫びがこだましてくる―。
1974年製作・公開のルイス・ブニュエル(1900-1983)監督作で、非日常的なブラック・ユーモアの世界をオムニバス形式で描いた作品です。それぞれのエピソードは緩やかに繋がっていますが(主役が)バトンタッチするかのように変わっていく)、全体として纏まった体系的ストーリーがるわけではありません。加えて、何れのエピソードにおいても設定が不条理であるため、ストーリーを書いたところで、「何のこっちゃ分からん」ということになるかも。例えば、娘が行方不明だというルジャンドルは、娘を連れて警察に行き、この娘が誘拐されたと説明する訳で、その訴えを訊いて警察が捜査に乗り出すというストーリー自体がナンセンスであり、完全に不条理です。
それでもブニュエル作品の中では分かり易い方の部類とされているようで、確かにシュールでブラックですが、現代ではそれほど刺激的でもなかったりする面もあります。ただ、最初に観た時は、風刺の意味を読み解こうとして、逆にあまり楽しめなかったかも。1度観に行ってよく分からなくて再度観に行ったりしましたが、強いて言えば、世間で言われる「常識」や「モラル」といったものも一つの囚われでに過ぎないことを示唆しているのでしょうか。ブニュエル自身が、この作品は「『
あまり深く考えず、ブニュエルのコメディ(ナンセンス・コメディ?)と割り切って、次から次へと出てくる「常識破壊」を、ジャン=クロード・ブリアリ、モニカ・ヴィッティ、ミシェル・ピコリらの真面目くさった演技と、ピエール・ギュフロワ(1926-2010)の美術的映像美とともに楽しめばいいのかも。「
「自由の幻想」●原題:LE FANTOME DE LA LIBERTE(英:THE PHANTOM OF LIBERTY)●制作年:1974年●制作国:フランス●監督:ルイス・ブニュエル●脚本:ルイス・ブニュエル/ジャン=クロード・カリエール●製作:セルジュ・シルベルマン●撮影:エドモン・リシャール●時間:104分●出演:ジャン=クロード・ブリアリ/モニカ・ビッティ/ミシェル・ピコリ/ジャン・ロシュフォール/パスカル・オードレ/ポール・フランクール/アドリアーナ・アスティ/ベルナール・ベルレー/アドルフォ・チェリ●日本公開:1977/11●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋文芸坐(78-10-28)●2回目:大塚名画座(78-11-07)(評価★★★☆)●併映(1回目):「サテリコン」(フェデリコ・フェリーニ)●併映(2回目):「


1968年5月のパリ五月革命の最中、南
仏ジェール県の当主ヴューザック家夫人(ポーレット・デュボー)が突然の発作で死ぬ。長男のミル(ミシェル・ピコリ)は彼女の死を兄弟や娘たちに伝えようとするがストで電話が繋がらない。ようやく駆け付けたミルの娘カミーユ(ミュウミュウ)と
フランソワーズたち3人の子、姪のクレール(ドミニク・ブラン)とそのレズビアン友達マリー=ロール(ロゼン・ル・タレク)、弟のジョルジュ(ミシェル・デュショーソワ)と彼の後妻リリー(ハリエット・ウォルター)たちの話題は革命と遺産分配のことばかり。立派な邸宅を売ったらゴルフ場にもできるというカミーユとジョルジュにミルは怒りを爆発させ、小川へザリガニ捕りに行く。カミーユと幼馴染みの公証人ダニエル(フランソワ・ベルレアン)の読みあげる夫人の遺書の中に、小間使いのアデル(マルティーヌ・ゴーティエ)が相続人に含まれていると知って一同は驚くが、気のあるミルだけは喜ぶ。パリで学生運動に参加しているジョルジュの息子ピエール
=アラン(ルノー・ダネール)が共産党嫌いのグリマルディ(ブルーノ・カレット)のトラックに乗せてもらって屋敷に現われる。翌日、革命の影響で葬儀屋までがストをする。ミルたちは遺体を庭に埋めることにし、葬式を一日延期し、ピクニックに興じる。その夜、屋敷に現われた村の工場主夫妻から、ド・ゴール大統領が姿を消していて、ブルジョワは殺されると知らされた一同は、森の洞窟へと逃げる。疲労と空腹で一夜を過ごした彼らのもとにアデルがやって来て、ストが終ったことを知らせる。いつしか彼らの心の中には、屋敷を売る考えはなくなっていた。無事に葬儀は終わり、人々も帰るべき場所へと帰って行き、屋敷には再びミルだけが残される―。

ブルジョワ階級出身のルイ・マル監督が五月革命に翻弄されるブルジョワを風刺と皮肉を込めて描いた作品ととれますが、アイロニカルな部分がことさらに強調されているわけではなく、その点において自然であるとともにやや中途半端か。むしろ、政治的なことは抜きにして、単純に集団劇として見た場合に結構面白いのではないでしょうか(ルイ・マルの頭にはアントン・チェーホフの『桜の園』があったという。また、ジャン・ルノワールの「ゲームの規則」的な作りをも意識しているらしい)。
ミルは母親の死に一度慟哭しますが、その後は親族たちのドタバタに振り回され、そうした中で弟の後妻リリーと急速に接近(それまでも小間使いのアデルと恋人関係にあったようだが)、娘のカミーユは幼馴染みの公証人のダニエルとの関係が再燃したようで、レズビアンだったはずのマリー=ロールはピエール=アランと親密になり、それに対抗するようにクレールもトラック運転手のグリマルディと親しくなります(何だか、親戚と他人が入り混じった乱交状態みたいになってくるね)。
こうした人同士の関係の化学変化が、ミルの突然思い立ったザリガニ捕りや(これも相続争い対する嫌気から逃れたい気持ちからの行動だと思うが)、関係者総出でのピクニックを通して描かれ、美しい自然の中で人々の気持ちが解放され、行動が大胆になっていく一方、屋敷を売ってどうのこうのといった考えは消えていき、また、それは同時に、屋敷を売りたくないミルの思惑に沿ったものになっているというのは、観ていてまずますスムーズな流れです。
しかし、ミル自身は、屋敷は売らずに済んだものの、最後は小間使い兼恋人のアデルにも婚約者がいて彼女も去っていくという目に遭います(意外としたたかな女性だった)。リリーも去ってアデルも去り、残されたミルは、もう誰もいない屋敷で亡き母の幻影とダンスを踊る―ミルの老境の孤独を感じさせるエンディングで、初
め「田舎の日曜日」→中ほど「お葬式」→ラスト再び「田舎の日曜日」といった感じの作品ですが、「田舎の日曜日」同様にフランスの田舎を美しく撮っている作品でもあります。黒澤明(1910-1998)監督の娘である黒澤和子氏によれば、黒澤明が生前評価していた作品でもあるようです(黒澤和子

ミシェル・ピコリ(1925-2020/享年94)は「
ック・リヴェット(1928-2016/享年87)監督(この人もヌーヴェルヴァーグの中心的人物である)の「美しき諍い女(いさかいめ)」('91年)に出演しています。高名であるが世捨て人の画>家(ミシェル・ピコリ)が、もともとモデルだった妻(ジェーン・バーキン)とプロヴァンスの片田舎にある古城で静かに暮らしているところへ、一人の若い画家が恋人(エマニュエル・ベアール)を連れて彼のもとを訪れると、画家は彼女をモデルにする事で、自分が長い間打ち捨てていた作品「美しき諍い女」の制作を再開する気になるというものです。ノーカット版は3時間57分ですが、当時['93年]VHS版(1時間31分)で観てしまいました(ジャック・リヴェット監督が別撮りのフィルムでテレビ用にシー
ンを変更した2時間5分の別バージョン「美しき諍い女ディヴェルティメント」が1993年に劇場公開されているが、現在は約4時間のオリジナル完全版が
DVD・Blu-ray化されている)。エマニュエル・ベアールは作中を通じてほとんど全裸であり、「ワイセツか芸術か」の物議をかもした問題作ですが、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しています(エマニュエル・ベアールはブライアン・デ・パルマ監督の「



「五月のミル」●原題:MILOU EN MAI●制作年:1989年(公開年:1990年)●制作国:フランス・イタリア●監督:ルイ・マル●製作:ルイ・マル/ヴィン・セントマル●脚
本:ジャン=クロード・カリエール●撮影:レナート・ベルタ●音楽:ステファン・グラッペリ●時間:107分●出演:ミュウミュウ/ミシェル・ピコリ/ミシェル・デュショーソワ/ブルーノ・カレット/ポーレット・デュボー/ハリエット•ウォルター/マルティーヌ・ゴーティエ/ドミニク・ブラン/ロゼン・ル・タレク/フランソワ・ベルレアン/ルノー・ダネール●日本公開:1990/08●配給:シネセゾン●最初に観た場所:シネヴィヴァン六本木(90-10-10)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(15-04-18)(評価:★★★☆)
題:LA BELLE NOISEUSE(英:BEAUTIFUL TROUBLEMAKER)●制作年:1991年●制作国:フランス●監督:ジャック・リヴェット●製作:マルティーヌ・マリニャック●脚本:パスカル・ポニツェール/クリスティーヌ・ロラン/ジャック・リヴェット●撮影:ウィリアム・リュプチャンスキー●音楽:イゴール・ストラヴィンスキー●原作:「バルザック 知られざる傑作」●時間:91分(VHS版)・131分(2時間編集版)・237分(ノーカット版)●出演:ミシェル・ピコリ/ジェーン・バーキン/エマニュエル・ベアール/マリアンヌ・ドニクール/ダヴィッド・バースタイン/ジル・アルボナ/マリー・ベリュック/マリー=クロード・ロジェ●日本公開:1992/05●配給:コムストック(評価:★★★★)


もしも、美味しいものを食べられるだけ食べて、食
べられなくなってもとにかく食べ続け、最期は食べ過ぎによる自殺死を遂げる人がいたとしたら、その所為はかなり狂気に近いと言わざるを得ないだろうが、この映画に登場する4人の男たちはそれをやってのける―。
そう言えば、同じイタリア人監督フェデリコ・フェリーニの「サテリコン」('70年/伊)にも、ローマ貴族の酒池肉林の宴を描いたシーンがあり、スケールの大きさでは「サテリコン」の方が上だったかもしれません。但しこの「最後の饗宴」は、男4人の酒池肉林の如き宴の(この作品の場合「肉」には色欲の意味も加わるか)、その部分のみを延々と追って1本の作品として撮り切っていて、そうした意味では他に類を見ないものと言え、何れにせよ、日本人の発想からは作られないだろうと思われる作品です。



「最後の晩餐」●原題:LA GRANDE BOUFFE●制作年:1973年●制作国:イタ
リア・フランス●監督・脚本:マルコ・フェレーリ●製作:ヴァンサン・マル/ジャン=ピエール・ラッサム●撮影:マリオ・ヴルピアーニ●音楽:フィリップ・サルド●時間:130分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/ウーゴ・トニャッツィ/フィリップ・ノワレ/ミシェル・ピッコリ/アンドレア・フェレオル●日本公開:1974/11●最初に観た場所:大塚名画座 (78-11-07) (評価★★★★☆)●併映:「糧なき土地」(ルイス・ブニュエル)/「
「ありきたりな狂気の物語」●原題:STORIE DI ORDINRIA FOLLIA(TALES OF ORDINALY MADNESS)●1981年●制作国:イタリア・フランス●監督:マルコ・フェレーリ●製作:ジャクリーヌ・フェレーリ●脚本:マルコ・フェレーリ/
リップ・サルド●原作:チャールズ・ブコウスキー「ありきたりな狂気の物語」●時間:107分●出演:ベン・ギャザラ/オルネラ・ムーティ/タニヤ・ロペール/スーザン・ティレル/ロイ・ブロックスミス/カティア・バーガー●日本公開:1984/10●配給:イタリア会館●最初に観た場所:銀座文化1 (84-10-05) (評価★★★☆)
「未来は女のものである」●原題:IL FUTUPO E DONNA●1984年●制作国:イタリア・フランス・西ド
イツ●監督:マルコ・フェレーリ●脚本:マルコ・フェレーリ/ダーチャ・マライーニ/ピエラ・デッリ・エスポスティ●撮影:トニーノ・デリ・コリ●音楽:カルロ・サヴィーナ●時間:100分●出演:オルネラ・ムーティ/ハンナ・シグラ/ニエル・アレストラップ●日本公開:1986/03●配給:ヘラルド・エース●最初に観た場所:新宿シネマスクウェア東急 (86-03-22) (評価★★★)