2025年7月 Archives

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「赤線地帯」の男と女を描いた短編集。映画「赤線地帯」にも反映されている。

洲崎パラダイス (ちくま文庫)2.jpg洲崎パラダイス (ちくま文庫).jpg 洲崎パラダイス (集英社文庫).jpg 「赤線地帯」1960.jpg
洲崎パラダイス (ちくま文庫 し-57-1) 』['23年] 『洲崎パラダイス (集英社文庫)』['94年]「赤線地帯 4K デジタル修復版 Blu-ray」京マチ子

 芝木好子(1914-1991/77歳没)が戦後江東区の水の町〈洲崎〉(現・木場駅付近)にあった「洲崎パラダイス」、所謂"赤線地帯"の男と女を描いた短編集(1955年12月講談社刊)。表題作「洲崎パラダイス」は1953(昭和28)年発表作で、川島雄三監督の「洲崎パラダイス 赤信号」('56年/日活)の原作として知られていますが、売春防止法の公布が1956年、施行が1957(昭和32)年4月ですから、原作も映画もほぼリアルタイムということになります。原作が書かれた翌年1954(昭和29)年に〈洲崎〉は、カフェ220軒が従業婦800人を擁し、合法的に営業をしていたとのことで、〈吉原〉を上回る規模だったとのことです。

州崎パラダイス .jpg「洲崎パラダイス 赤信号」01.jpg「洲崎パラダイス」... 深川・木場の洲崎遊郭入口前に流れ着いた義治と蔦枝。二人は仕事も金もない。ほどなく蔦枝は遊郭入口前の吞み屋に雇われ、義治は蕎麦屋の出前になる。義治の生活力の無さを嘆きながら離れられない蔦枝。酔客と戯れる蔦枝を疑い、狂ったように行方を捜す義治。蔦枝はパトロンを見つけるが、義治はそれに自棄を起こし洲崎から消えてしまう。蔦枝はせいせいした風を装うが、男にきちんと別れを告げると文句を言いながら、男の許へ行く―。

「洲崎パラダイス 赤信号」芦川.jpg 先に川島雄三監督の「洲崎パラダイス 赤信号」('56年/日活)を観ていました。芦川いづみが演じた、義治が勤めたそば屋の同僚店員・玉子は、映画のオリジナルだったのかあ。原作では、蔦枝が勤めた飲み屋の"女将さん"は行きかう男女をすべてを見通した上で見送るだけの位置づけですが、映画では呑み屋「千草」の女将(轟夕起子が演じた役名は"お徳")は蔦枝を義治と別れさせようとし(義治は玉子とくっつけさせようとする)、さらには、何年も前に女と出奔した彼女の夫が戻ってきて、それで元の鞘に収まったと思いきや...。原作を改変してダメにしてしまう映画監督は多いですが、付け足して原作の雰囲気を損なわず、起承転結の話が出来たのはさすが川島監督。原作の雰囲気は、豊田四郎監督 (原作:織田作之助)の「夫婦善哉」('55年/東宝)にも通じるような気がしました。

「洲崎パラダイス」千草.jpg「黒い炎」... かつて特飲街傍の呑み屋「千草」この作品以降、店の名前が「千草」、女将の名が「徳子」と特定されている。前述のとおり映画「洲崎パラダイス 赤信号」の舞台となる店の名は「千草」、女将の名は「お徳」である)に勤め、店の客だった正造が今の夫である京子。彼女の許へ、婚家で虐待された挙げ句、放火した京子の姉・久子が3年ぶりに出所し、自分(京子)を頼りに上京して来て、逃げた夫・千尋の消息を求め東京の下町を探し回る―。

 探し回る先が、蒲田、板橋、十条、千住、上野...とスゴイね、ほとんど刑事ドラマの聞き込み捜査みたいだと思ったら、最後は亀有の占い師の所へ(笑)。過去を捨てきれない姉と、姉のために附近の火事で出た焼材木を使ってでも普請をしようとする現実に前向きな妹が対照的でした。

「洲崎界隈」... 特飲街の建物を手に入れようと金策に思いを巡らす菊代。頼りない亭主をよそに、場末の役者に色目を使い、金満家に金を出させようと接触を図る。呑み屋の女将・徳子はそんな彼女を「なんでも二つ欲しい人だからね」と―。

「橋を渡ったら、お終いよ。あそこは女の人生のおしまいなんだから」。デスパレイトな雰囲気の漂う特飲街で、生命力溢れる生き様の女主人公・菊代。彼女は26,7歳とまだ若いですが、それまでにたいへんな苦労をしているということか。雰囲気的には、成瀬巳喜男監督(原作:林芙美子)の「晩菊」('54年/東宝)で杉村春子が演じた、元芸妓で今は金貸しに精を出す主人公を想起しました。

「歓楽の町」... 夫とこじれて離れ、実家へも戻れない恵子は、特飲街傍の店にいる女学校時代の親友・徳子に厄介になるが―。これって、カルチャーショックというのでしょうか。堕ちるのは簡単。堅気でいられるならば、夫との関係修復に力を注いだ方が良い。

「蝶になるまで」... 北陸から出てきた16歳の鈴子を、女中を求めた「千草」のおかみさん・徳子は気に入り、「身をひさぐ」という言葉の意味も分からない彼女を娼婦から遠ざけようと気配りするが―。「娼婦に負けるものか」と叫ぶ彼女の行く末はどうなるのでしょう。おかみさんの意と逆になる可能性大です。

「洲崎の女」... 本書の中で唯一特飲街の内側の様子を描いたこの物語は、子どもの凄惨な溺死から始まる。満洲帰りの登代は、一人息子の満夫を満州で行方不明になった夫の実家に預けて働く「中年の娼婦」だが、年増女である上に精神を病んでいるため、思うように客が付かない。登代は、上京した満夫に冷たくされた後、かつて満夫を連れて空襲の中を逃げ回った記憶に囚われながら入水する―。

 ちくま文庫解説の水留真由美氏は、「洲崎の女」はいささか湿っぽく、同じく戦争の被害を受けながらも登代とは対照的な生き方をする「洲崎界隈」の菊代の方が「本書の真骨頂だという気がする」としていますが、フェニミズム的にはそうなるのかなあ。個人的には、「洲崎の女」の方が好みです。

 川島雄三監督の「洲崎パラダイス」より4か月早く公開された溝口健二監督の「赤線地帯」('56年/大映)に登場するゆめ子(三益愛子)は、映画のクレジットに「洲崎の女」よりとあるように、登代をモデルにしています(舞台は〈洲崎〉から〈吉原〉に置き換えられ、ロケを多用している「洲崎パラダイス」に対し、こちらはオールセット撮影となっている)。ゆめ子は、愛する息子に自分の仕事(売春であるわけだが)を完全否定されて発狂します。

赤線地帯 やすみ.jpg 因みに、「洲崎界隈」の菊代は、頼る者は自分しかないと、職を転々とした上で特飲街に入り、その後、自力で家を建て、夫を得て特飲街から足を洗い、男性を手段とみなし、近代的な物件に触手を動かしますが、これは「赤線地帯」におけるやすみ(若尾文子)には反映されているようにも見えます。仲間の娼婦に金貸しを行って更に貯金を増やしていたやすみは、馴染みの客の貸布団屋の主人から金をむしり取りって夜逃げに追い込み、最後は貸布団屋の女主人に収まります。ただし、自分に貢ぐために横領した客に殺されかけるなど危ない目にも遭います。

 このほかに、ミッキー(京マチ子)のような、享楽のために(?)特飲街に居続ける女性もいて、自分を連れ戻しに来た父親を、その女癖の悪さを責めて追い返しています。一方で、ハナエ(木暮実千代)のように、病気の夫と幼子を抱えて一家の家計を支えるために特飲街で働く女性もいて、四者四様で、群像劇でありながら、この描き分けにおいて新旧の女性像が浮き彫りにされてた、優れた映画でした(やすみ・ミッキーが「新」、ゆめ子・ハナエが「旧」ということになるか)。

「洲崎パラダイス 赤信号」p.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」03.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」●制作年:1956年●監督:川「洲崎パラダイス 赤信s.jpg島雄三●製作:坂上静翁●脚本:井手俊郎/寺田信義●撮影:高村倉太郎●音楽:眞鍋理一郎●原作:芝木好子●時間:81分●出演:新珠三千代/三橋達也/轟夕起子/植村謙二郎/平沼徹/松本薫/芦川いづみ/牧真介/津田朝子/河津清三郎●公開:1956/07●配給:日活●最初に観た場所:神保町シアター(24-02-01)(評価:★★★★☆)


赤線地帯 出演者.jpg赤線地帯00.jpg「赤線地帯」●制作年:1956年●監督:溝口健二●製作:永田雅一●脚本:成澤昌茂●撮影:宮川一夫●音楽:黛敏郎●原作:芝木好子(一部)●時間:86分●出演:若尾文子/三益愛子/町田博子/京マチ子/木暮実千代/川上康子/進藤英太郎/沢村貞子/浦辺粂子/十朱久雄/加東大介/多々良純/田中春男●公開:1956/03●配給:大映●最初に観た場所:国立映画アーカイブ(24-05-26(評価:★★★★☆)

前列左より京マチ子、溝口健二監督、後列左より町田博子、宮川一夫、若尾文子、木暮実千代、三益愛子

赤線地帯 9.jpg赤線地帯 1.jpg

京マチ子
赤線地帯ps.jpg


【1994年再文庫化[集英社文庫]/2023年再文庫化[ちくま文庫]】

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女性映画。新珠三千代のエロチシズムも見どころだし、街の風景や風俗も見どころ。

「洲崎パラダイス 赤信号」 00.jpg
日活100周年邦画クラシック GREAT20 洲崎パラダイス 赤信号 HDリマスター版 [DVD]」芦川いづみ・新珠三千代/三橋達也
「洲崎パラダイス 赤信号」01.jpg 売春防止法施行直前の東京。義治(三橋達也)と蔦枝(新珠三千代)は、故郷を駆け落ち同然に飛び出してから生活が安定せず、東京中を彷徨っていた。財布の金も尽きかけたある日、蔦枝は、勝鬨橋で、追いかけてバスに飛び乗り、義治に何も言わず、「洲崎弁天町」のバス停で降りる。洲崎川の橋を渡ったすぐ先は赤線地帯「洲崎パラダイス」だった。蔦枝はかつて洲崎で娼婦をしていた過去があり、義治は「橋を渡ったら、昔「洲崎パラダイス 赤信号」0a.jpgのお前に逆戻りじゃないか」と言う。二人は、赤線の「外側」の橋の袂の居酒屋兼貸しボート屋「千草」に入る。「千草」の女主人お徳(轟夕起子)は、女手一つで幼い息子ふたりを育てているため住み込み店員を求めており、蔦枝はその晩から仕事を始める。翌日、義治はその近所のそば屋「だまされ屋」で住み込みの仕事を得る。蔦枝は人あしらいのうまさで、赤線を行き帰りする寄り道客の人気を得、やがて神田(秋葉原)のラジオ商の落合(河津清三郎)に気に入られて和服やアパ「洲崎パラダイス 赤信号」06.jpgートを与えられるようになり、いつの間にか「千草」から去った。義治は怒りのあまり歩いて神田へ出向くも、不慣れな地理や暑さと空腹のために倒れ、落合と会えず仕舞いに。そんな中、洲崎の女と共に行方を眩ませていたお徳の夫・伝七(植村謙二郎)が姿を現し、お徳は何も言わず伝七を家に招き入れる。数日後、蔦枝は落合のアパートを引き払い、洲崎に戻ってきた。「千草」を訊ねた蔦枝に、お徳は、「義治をいずれ『だまされ屋』の同僚店員・玉子(芦川いづみ)と一緒にさせたい」と言う。蔦枝は「千草」を飛び出し、「だまされ屋」に向かう。お徳は義治と蔦枝を会わせないよう、出前帰りの義治を日暮れまで「千草」に釘付けにする。伝七は店に帰る義治に付き合って外出し、「遅まきながら、なんとかいい親父になろうと思っている」と心境の変化を吐露し、途中で別れる。いつまでも「だまされ屋」に戻らない義治を探して洲崎を歩き回る蔦枝は、「千草」の常連客で顔馴染みの信夫(牧真介)と橋で出会う。信夫は、ある女を足抜けさせるために毎晩赤線に通っていたが、その女が消えたことを話す。蔦枝は慰めるつもりで「吉原か鳩の街で、今頃誰かといいことしてるわよ。それより私と......」と言うが、「売春防止法なんかできたって、どうにもなりはしないんだ」と叫ぶ信夫に平手打ちを食わされる。義治が「だまされ屋」に戻ると、玉子から蔦枝がさっきまで待っていたことを告げられ、義治は仕事を放り出し、雨の中を傘も持たずに飛び出す―。

「洲崎パラダイス 赤信号」p2.jpg 1956(昭和31)年7月公開の川島雄三監督作。原作は芝木好子(1914-1991/77歳没)が1953(昭和28)年に発表した「洲崎パラダイス」で、売春防止法の公布が1956年、施行が1957(昭和32)年4月ですから、原作も映画もほぼリアルタイムということになります。原作が書かれた翌年1954(昭和29)年に〈洲崎〉(現・木場駅付近)には、カフェ220軒が従業婦800人を擁し、合法的に営業をしていたとのことで、〈吉原〉を上回る規模でしょうか。三浦哲郎の「忍ぶ川」のヒロイン・志乃も「洲崎パラダイス」にある射的屋の娘でした(因みに、蔦枝のセリフに出てくる〈鳩の街〉は、吉行 淳之介 の「原色の街」の舞台である〈玉の井〉あたり(現・曳舟駅付近)。

「洲崎パラダイス 赤信号」02.jpg 新珠三千代(脱がないのにすごくエロチック)と三橋達也が演じる、別れた方がいいのに別れられない男女、義治と蔦枝。周囲にいくら止められようと、磁石のように引き合ってしまう腐れ縁といった感じで、樋口一葉の「にごりえ」や織田作之助の原作「夫婦善哉」の系譜のようにも思いました。そんな男女とそれを取り巻く人間模様が、〈橋〉に始まり〈橋〉に終わる物語として描き出されています。ただし、冒頭でバスに飛び乗ったのが蔦枝で、義治は慌ててそれについていくだけだったのに、ラストでは義治の方が自ら駆け出してバスに飛び乗るという―最初のうちはいじけてばかりいた義治の変化を、こうした対比で見せているのが上手いと思いました。

「洲崎パラダイス 赤信号」芦川.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」小沢.jpg 一方、轟夕起子が演じるお徳は、夫・伝七が戻ってきてせっかくいい親父になろうと思っていたところに、その夫が別れた女に殺されることになり、実に気の毒でした(その事件現場で、義治と蔦枝が再会するというのも何か運命的)。こうした悲劇もありましたが、義治が働いた蕎麦屋「だまされ屋」の女店員・玉子を演じた芦川いづみの可憐さ 先輩店員・三吉を演じた小沢昭一のユーモラスな味わいなど、いろんな要素が盛り込まれた群像劇になっていました。

「洲崎パラダイス」千草.jpg 現在は埋め立てられてしまっている洲崎川や船着き場など、もうこの映画でしか見られない風情ある風景も、時代の記録として貴重です。ボンネット型のバス車両には車掌がいて、「次は〜洲崎〜洲崎弁天町」とアナウンスをしています(都バスでは1965年からワンマンバスが運行されている)。

「洲崎パラダイス 赤信号」05.jpg バスの車窓からは、材木を保管している貯木場が見え、これは、荒川の河口に近い沖合の埋立地に1969年、新たな貯木場、新木場が建設される前のものです(大島渚監督「青春残酷物語」('60年)の冒頭にも使われていた)。義治がラジオ商の落合を訪ねて彷徨う神田・秋葉原の当時の風景も貴重映像ではないかと思います。

「洲崎パラダイス 赤信号」08.jpg 川島雄二監督の「とんかつ大将」('52年)から連なる市井の人々を描いた人情物であると同時に、赤線に墜ちるか堅気を通せるかという境界線にある女性を描いた、後の「女は二度生まれる」('61年)などに連なる川島雄三監督ならではの「女性映画」でもあったように思います。ごく自然な所作の中にちらりと肌を見せる新珠三千代のエロチシズムも見どころだし(エロチックだからこそ境界線上を彷徨っている危うさを感じさせる)、街の風景や風俗も見どころの映画でした。

新珠三千代/三橋達也/轟夕起子


「洲崎パラダイス 赤信号」p.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」03.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」●制作年:1956年●監督:川「洲崎パラダイス 赤信s.jpg島雄三●製作:坂上静翁●脚本:井手俊郎/寺田信義●撮影:高村倉太郎●音楽:眞鍋理一郎●原作:芝木好子●時間:81分●出演:新珠三千代/三橋達也/轟夕起子/植村謙二郎/平沼徹/松本薫/芦川いづみ/牧真介/津田朝子/河津清三郎●公開:1956/07●配給:日活●最初に観た場所:神保町シアター(24-02-01)(評価:★★★★☆)


洲崎神社(2024.4.27撮影、以下同じ)
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「特飲街」の面影を残す店々
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「洲崎橋跡地」の碑
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映画「洲崎パラダイス」における居酒屋「千草」のあった場所(写真手前:現在は不動産屋)
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不動産屋の隣の「特飲街」の面影を残す店
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神保町シアター(24-02-01)
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三橋達也 in「洲崎パラダイス赤信号」('56年)/「ガス人間第1号」('60年)/「天国と地獄」('63年)
「洲崎パラダイス赤信号」 三橋達也.jpg「ガス人間第1号」 三橋達也.jpg「天国と地獄号」 三橋達也.jpg

NHK「連想ゲーム」('69年4月-'91年3月)白組1枠レギュラー解答者・三橋達也('73年4月-'79年3月)「グラフNHK」'73年8月号
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小説の面白さを味わせてくれる。サラリーマン怪談風の第2話が印象に残った。

青い壺 .jpg
青い壺』['77年]『新装版 青い壺 (文春文庫) 』['11年]有吉佐和子(1931-1984/53歳没)

青い壺2.jpg ある陶芸家が焼いた青い壺を巡る13のストーリー。

 第1話 ... 牧田省吾は、デパートや寺の配り物の陶器を焼いている。死んだ父は、名声がある陶工だった。その反発から、名を売るのは避けて、一家四人が食べていけるだけの陶器を焼いている。が、ある日のこと。自分でも驚くような出来栄えの青磁の壺が焼けた。道具屋の安原から、壺に古色をつけるよう依頼されるが、省吾はその青い色を気に入っていた、しかしながら壺は、省吾が留守をしている間に、妻の治子が独断でデパートの担当者の片岡に売り渡してしまう(「古色をつける」こと自体は必ずしもインチキとは言えないのでしょう。いい壺が出来たと玉露を亭主に出す妻がいい)

青い壺 本.jpg 第2話 ... 68歳まで勤め上げ退職した元会社員・山田寅三の妻・千枝は、夫がずっと家に居続けるストレスに耐えられないでいる。彼女は、夫が世話になった副社長へお礼の品を持っていくことを提案、デパートで2万円にて青い壺を買う。寅三は壺を持って会社に年下の副社長を訪ね、お礼として壺を贈答。その後寅三は、元の部署の席に座ってルーチンにしていた承認印の業務を始め、最初は周囲の社員も冗談かと思っていたが、延々とそれを続ける。昼になり、いなくなったと思ったら、今度は屋上で体操をしていた寅三。とまれ、壺は副社長に(ストレートにサラリーマン怪談風。滑稽かつ悲壮で残酷。全編で最も印象に残ったエピソード。『恍惚の人』の奔りか)

2024年12月26日池袋東武・旭屋書店 

 第3話 ... 副社長はうれしくもなかったが、一応は壺を家に持ち帰る。副社長夫人の芳江がその壼に花を活ける。夫の部下の女性と、甥っ子を見合いさせるため二人を自宅に呼んだ芳江は、今どきの人たちに呆然とする(若者は向田邦子の小説の登場人物などとダブったりもするが、こちらの方がより今風というか先鋭的合理主義かも。この小説が1970年代の発表で、向田邦子の家庭小説の方がもっと古い時代のものが多いせいもあるか)

 第4話 ... 青い壺に美しく花を生けようと奮闘する芳江。孫を連れた娘の雅子が急に帰ってきて、婚家の醜い遺産争いを愚痴る。娘も夫と自分の家の相続について話し合っているらしく、皆が自分の死ぬのを待っているみたいで、厭世的な気分になる。帰宅した夫夫に話をすると、それなら生きているうちに家も売って貯金も使い果たしてしまい、子供には一銭も残さないと言い、それで多少安心してしまう自分。夫は青い壺を見るのも嫌い、芳江は夫に言われた通りに、壺を誰かに譲り渡すことにする(老後の話と財産分与の話は昔も今もセットみたいなものか)

 第5話 ...  緑内障で目が見えなくなった母キヨを、兄嫁から独身の自分に押しつけられたと思いながらも東京の狭いマンションに引き取った千代子。千代子が上司から貰った青い壺に、香が良い花を挿して母の気を紛らわせている。キヨは片方の目が白内障と分かり手術することになったが、手術は成功し、東京都の老人福祉施策で医療費も只。目が見えて家事もできるようになり千代子も助かる。ただ、母からは兄に目が見えるようになったとは言わないで欲しいと懇願される。キヨが病院へのお礼をと言うので、千代子は青い壺を贈ることにする(老人医療無料化に「済まない」を繰り返す母―今の時代なら奇特な存在か。娘は母を病院に入院させている間に、飼っていた文鳥を死なせてしまい、別の文鳥を買ってくるのだが、母が文鳥の声を毎日聴いていたため、入れ替わったのを察知するというのがありそうな話)

 第6話 ... 夫婦ふたりで、戦後の焼け跡から始めた銀座の外れの小さなバー。バーの中では常連客がたわいもない話をしている。海軍大尉は「ダイイ」と呼ぶか「タイイ」と呼ぶかで意地になった客が大論争。これが落ち着けば若者グループがギターを弾きながら軍歌を歌うが、これが反戦歌か戦争を鼓舞する歌かでまた揉める。客である元海軍の石田医師が、帰るとき忘れ物をしていく。中を開けると桐箱に入った「青い壺」だった。箱ごと受け取った石田は、ウィスキーだと勘違いして置いていったらしい(若者グループが軍歌をフォークギターで歌うというのが時代を感じさせる。昭和20年代終わり頃か。だとしたら、このエピソードだけ、時間がずれている印象も)

 第7話 ... バーのマダムは、忘れ物として自宅まで届けた。それを受け取った医師の母は、箱を開けて一目で壺が気に入る。彼女のかつての自宅は空襲に遭い、高貴な容器や飾り物などすべて焼けてしまったのだが、その中に同じような青い壺が含まれていたのだった。老婦人は、戦時中の外務官僚だった亡き夫との思い出が甦り、饒舌に語る(戦時中の貧しい食卓を、想像の中で豪華なディナーに変えて味わった記憶―。このエピソードはすべて医師の母親のセリフになっている!また、この母親は、第8話での「亡くなった姑」ということになる)

 第8話 ... 厚子は長女が嫁いで空き部屋になったところの整理をしていた。長男は留学、姑は他界、だれも居なくなった部屋で寂しくなった。医師の夫から突然増上寺前のレストランへ食事に誘われた。夫から日頃の労いの気持ちからだろう。粧飾品をウキウキしながら選び、髪は美容院に行って仕上げた。当日夫とその店で待ち合わせ、思った以上のメニューに満足して帰宅。ところが家が荒らされ、泥棒に入られたことが一目で分かった。青い壺もが無くなっていることに気づく(また、息子である医師の代の話に。装飾品は身につけてレストランに行ったのが不幸中の幸いで、金目のものは結局無かったという、見方によってハッピーエンド。果たしてどれだけいっぱい身に着けていったのか(笑))

 第9話 ... 弓香は、50年ぶりの女学校の同窓会が京都で行われることになり、何を着ていこうか、何を持っていこうかとそわそわ落ち着きが無い。旧友が京都の集合場所にどんどん集まってくるが女性同士の目は鋭い。あの人ずいぶん老けたわねとか言いたい放題。幹事が1泊3食付き1400円のコースを申し込むが、夜の宴会に出てくる料理は家の晩メシより質素で評判は散々。京都観光も何度も行っているので旅館で休養することにした友もいて、香は小遣いに30万円も用意したのにそれほど楽しくない旅行になったと嘆く。東寺境内の出店を覗いて歩くと、高安まちまちの陶器を売っており、30万円も持ってきたのでここで使わねばと思っていたら、桐に入った壺が5万円は吹っかけられると思ったら3000円とのこと、安い買い物をしたと弓子は買うことにした(50年ぶりの女学校の同窓会の様子。まあ、こんなものだろうなあ)。 

 第10話 ... ミッションスクールで学校給食の栄養士として悠子は働いていた.子供たちに緑黄色を出すと残すことが多い。ある日、人参を潰してカレーライスに入れたら全部食べてくれた。これを良いことに、残すとこの多いほうれん草を潰してスープとして出したら、ほとんど食べずに返された。ほうれん草が化学反応を起こして黒色に変色しまったためだ。これにすっかり悠子は気落ちしてしまった。これを見かねてシスター(学校長)が失敗は誰にでもあると慰めてくれた。この時悠子は不意に祖母にもらった青い壺を思い出した。どうしてここで青い壺を思い出すのか―(第9話の弓香が3千円で手に入れた壺は、孫娘に渡ったということか。また、だんだん年代が分からなくなってきた)

第11話 ... ある日スペイン人シスターが母親の危篤で母国へ一時帰国すると悠子は聞いた。ならば土産にと思ってシスターに青い壺を渡す(修道院でお世話になったシスターの感謝の気持ちとして壺がプレゼントされたということだが、これで壺が海外に渡ることとなり、いよいよ壺は時空を超えた?)

第12話 ... ある日本人がスペイン旅行中に骨董品店で掘り出し物を見つけたとして青い壺を購入。ところが急性肺炎になり、そのままみやげ物として日本に持ち帰った。病院で清掃業務をしている老婆シメは、スペインから帰国し、肺炎患者として入院している患者がスペイン風邪に罹患しているのでは無いかと気になっていたが、単なる肺炎と聞いて安心。ところがある日その病室でしおれそうなバラを捨てようと花瓶ごと持ち上げようとしたら、患者に「触るな!」と大声で叱られる。大事な壺であるようで妻が来たとき処理すると言う(スペインで、第13話にある美術鑑定家の先生が、宋時代の青磁の壺を骨董屋で発見したと、自分ではそのつもりになっているということ(笑))

 第13話 ... 肺炎で入院していたのは高名な美術評論家だった。陶芸家・牧田省造を東京の自宅に呼び、バルセロナで見つけた「12世紀初頭」の掘り出しものとして青い壺を見せる。ところが省造がこれを見るなり、自分が10余年前に作った壺だと。一方、評論家は、南宋浙江省の竜泉窯だと主張。省造が再度自分の作ったものだと言っても聞く耳を持たない。評論家は自分が見い出した価値が崩れるのが嫌で、嘘でも信じたいのだろう。省造は帰路、今後自分が焼いた陶芸品には名を刻むことは止めようと思う(十数年他人の手に次ぎ次ぎと渡ると色も変化し、違った感じになるということ。自分の名を彫らないと決めたことは、運命を受け容れることに繋がる?)

青い壺 文庫2.jpg 有吉佐和子(1931-1984/53歳没)が1976(昭和51)年から1977(昭和52)年にかけて発表した作品で、1977(昭和52)年4月単行本刊。文庫化されたものが一度絶版になりましたが、2011年に復刊されると、初版を超える勢いで発行部数を伸ばし、累計50万部を突破。特に注目を集めたのが昨年[2024年]で、10万部以上発行されています。

青い壺 (文春文庫)』['80年]

 「青い壺」は中国の青磁に似せて作られたものですが(模造品というわけではないようだが)、その青い壺が盥回しにされて、それぞれの家庭を覗くという構成は巧みです。人によって青い壺の価値がどんどん変わるのも、壺が人それぞれの生き方を映し出しているからであるとも言えます。小説の面白さを味わせてくれる作品でした。

【1980年文庫化・2011年再文庫化(新装版)[文春文庫]】

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新シリーズは「意外性」という共通項で結ばれる作品群。やや作り過ぎ?

可燃物.jpg 可燃物 1.jpg 可燃物 2.jpg
可燃物』['23年]

 2023(令和5)年「週刊文春ミステリーベスト10」(国内部門)第1位、2024 (令和6)年「このミステリーがすごい!」(別冊宝島)(国内編)第1位、2024年「ミステリが読みたい!」(早川書房)(国内部門)第1位の「3冠」達成作。因みに、2024年「本格ミステリ・ベスト10」(探偵小説研究会)は第2位、、2024年「本格ミステリ大賞」(本格ミステリ作家クラブ)も次点。群馬県警本部の刑事部捜査第一課の葛(かつら)警部が不可解な事件に挑む短編集で、新シリーズということになりますが、相変わらずベストテンに強い作家です。


可燃物01.jpg「崖の下」... 群馬県のスキー場で5人連れのスキー客のうち、4人と連絡が取れないことが分かった。遭難者のうち男性2人が、スキー場のコースから約300メートル離れた崖の下で発見された。1人は意識不明の重体で救急搬送され、もう1人は頸動脈を刺されたことによる失血死であった。状況的に犯人は救急搬送された男性だと葛警部は考えたが、凶器が見当たらなかった―。

 犯人はどうやって、殺害したのか? これ、みんな「つらら」が凶器だと思うのでは。その裏をかいている点は旨いけれど、本人も苦痛に喘いでいるはずで、そうした状況でそんな考え浮かぶなあ。ちょっと意外過ぎ。


可燃物02.jpg「ねむけ」... 強盗傷害事件の容疑者がいるが、物証が無いため逮捕できない。その容疑者の運転するワゴン車が、深夜の交差点で軽自動車と衝突事故を起こす。過失運転で容疑者を検挙できないか。葛たちの聞き込みの結果、深夜の事故にも関わらず4件の目撃証言があった。葛は目撃者の4人には何らかの繋がりがあるはずだと考えるが―。

 タイトルがネタばれ気味だが、それは読後に振り返って思うことであって、目撃者の4人には何らかの繋がりがあるはずだと考える、その繋がりがなんであるかという点で、読者の一般的な予想を裏切ってみせる。違った意味での共通点はあったわけだけど、偶然過ぎる気も。

可燃物03.jpg「命の恩」... 榛名山で人間の右上腕部が発見され、警察による捜査が行われ、バラバラの遺体が次々に見つかった。遺体にはいくつかの不審な点があった。そして、なぜ家族連れで賑わう場所にバラバラにした遺体を捨てたのか―。

 収録作品の中でも複雑な構造を持つ作品。 中盤で犯人が逮捕されるが、実はそこからが本番。ただし、フツーの人間が恩義のためにここまでやるだろうかという疑問も。行為自体は極めて猟奇的で、まともな神経では実行できないと思った。
 
 
可燃物04.jpg「可燃物」... ゴミ集積所にあった可燃物のゴミが、連続で放火されるという事件が発生した。葛たちが捜査を始めると、容疑者が特定される前に犯行がピタリと止まった。犯行の動機は何か? なぜ放火は止まったのか? 犯人の姿が像を結ばず捜査は行き詰まるかに見えたが―。

 犯人が放火をした目的が、途中から見当はついたものの、あまりに意外だった。生ゴミだから燃えにくい、風が弱いからと大火事にならないというのはあくまで蓋然性の話ではないか。
 
 
可燃物05.jpg「本物か」... ファミリーレストランで立て籠もり事件が発生した。店内の状況が分からない中、葛は店から逃げてきた客やスタッフから話を聞くが、証言がどこか噛み合わない―。

 なかなか面白いオチだった。葛がどの時点で"真相"に気づいたかというと、かなり早い時点から少なくとも何か変だと感じていたことは、読み直してみてわかるという、そんな楽しみ方もできる作品だった。
  

 
 「意外性」という共通項で結ばれる作品群で、思い込みに囚われず真相に迫る葛警部にうってつけの事件群でもありました。ただ、「意外性」にこだわった分、作り過ぎている印象もあったでしょうか。

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死刑という重いテーマにミステリも絡めるが、ラストはもやっとした感じになった。

柚木麻子 教誨0.jpg柚木麻子 教誨1.jpg柚木麻子 教誨.jpg
教誨』['22年]
教誨 (小学館文庫 ゆ 8-1)』['25年]

 吉沢香純と母の静江は、遠縁の死刑囚・三原響子から身柄引受人に指名され、刑の執行後に東京拘置所で遺骨と遺品を受け取った。響子は十年前、我が子も含む女児二人を殺めたとされた。香純は、響子の遺骨を三原家の墓に納めてもらうため、菩提寺がある青森県相野町を単身訪れる。香純は、響子が最期に遺した言葉の真意を探るため、事件を知る関係者と面会を重ねてゆく―。

 主人公の香純が幼い頃に一度だけ出会ったことのある死刑囚・響子の遺骨を実家の墓に納めてもらおうする中、刑の立会人から聞いた「約束は守ったよ、褒めて」という響子の最期に遺した言葉の意味を探る流れと、刑務所において、受刑者としての響子の刑が執行されるまでの教誨師の交流を通しての人間の心の奥底にある葛藤や再生を、交互に描いた物語となっています。

秋田「連続」児童殺人事件.jpg畠山鈴香.jpg 自分の娘を川で死なせ、他人の子も殺めたと思われる事件の枠組みは、2006(平成18)年の4月から5月にかけて起きた「秋田連続児童殺人事件」を下敷きにしていると思われますが、作品そのものは実話に基づいた作品ではなく、あくまで小説でありフィクションです(因みに「秋田連続児童殺人事件」の畠山鈴香被告は無期刑が確定している)。

 ただし、『教誨師』で第1回「城山三郎賞」を受賞したノンフィクション作家・堀川惠子氏が文庫解説を書いていることからも窺えるように、死刑という命や倫理に深くかかわる問題を深く扱っています。個人的には、自分の死を受け入れる境地に至っていた響子が、これから処刑されることを告知された際に腰が抜けて立てず、失禁までしてしまったというのが、非常にリアルに感じました。これが死刑執行の際の実態に近いのではないかと思われます。

 一方で、主人公の香純から見た、「約束は守ったよ、褒めて」という響子の最期に遺した言葉の意味は何だったのかを探る旅は、ミステリの様相を帯びていますが、結局、響子は母親の呪縛から解放されなかった(或いは、自らをその呪縛の中に閉じ込めた)ということだったのでしょうか。

 ただ、それが「真実」であるにしても「事実」は変わらず、その辺りがミステリとしては弱いと思います。重たいテーマやモチーフに対して、ミステリの部分が中途半端になるのは『慈雨』や『盤上の向日葵』にも見られた傾向ですが、今回は「死刑」という重いテーマを扱っただけに、ミステリの部分が添え物的になった印象がありました。もともと力量のある作家だと思われるので、やや肩透かしを喰った気もします。

 堀川惠子氏の文庫解説が、死刑囚・三原響子の生い立ちを死刑囚・永山則夫のそれと被せて書いているため、「環境要因論」的な印象を受けなくもないですが、「元々の悪人はいない」ということを言いたかったのでしょうか。それにしても(響く人には響くのだろうけれども)自分としては響子が母親の呪縛から逃れられない理由がよく分からず、もやっとした感じのラストだったように思います(ミステリ的要素を絡めたのが果たして良かったのか)。

【2025年文庫化[小学館文庫]】

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病気と向き合い時間に追われながらも、読みやすく中身の濃い本に。天晴れ!

がん闘病日記.jpg 森長卓郎 2.jpgがん闘病日記2.jpg
がん闘病日記』['24年]森永卓郎(1957-2025/67歳没)

森長卓郎 r.jpg 今年[2025年]1月28日に67歳で亡くなった経済アナリスト・森永卓郎(1957年生まれ)の"がん闘病日記"。「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」と医師から告げられたのが2023年11月で、それが余命4カ月の通告だったとのこと。その時は、なんの自覚症状もなく、朝から晩までフル稼働で仕事をし、食事もモリモリ食べていたとのこと。しかし、突然の余命宣告で自身の死と向き合わざるを得なくなった著者は、そこからモーレツに本を書き、ラジオやYouTubeで様々な発信をしたことは多くの人の記憶に新しいのではないでしょうか。個人的には、著者のエコノミストとしての本にはやや疑問符が付くのですが、その人生最期の追い込みの凄まじさは、ある意味鮮やかというか、見事でもありました。

 本書は、2024年に入って書き始めたようで、同年7月刊ですから、闘病生活に入って亡くなるまでの時間的にはちょうど中間点ぐらいの時期に刊行されたことになります。「がん闘病日記」と謳っていて、第1章で突然のがん宣告を受けた際のことが書かれ(マスメディアへの公表は2023年12月27日)、以降、治療法の選択やがんとお金のこと、死生観などが書かれているものの、日記というスタイルはとっていません。

 第2章では、著者のもとに殺到した「がんの治し方」を紹介。精神論(お守りを有難かったとしている)、飲食物(①水、②ビタミン、③キノコ、④種子系、⑤穀物や野菜、⑥海藻、⑦乳酸菌などの菌系、⑧キチン・キトサン)、体を温める、イベルメクチン、名医がいるクリニック―と様々。でも、著者を広告塔として利用しょうとしているものもあれば、がん治療ビジネスもあって、本当の効果はわからないとしています。

 第3章は経済アナリストらしく「がん治療とお金」です。ここでは、標準治療と自由治療、高額療養費制度のことを解説し、著者自身は、オプジーボを使った保険診療に加え、少なくとも半年は延命したかったため、自由診療(「血液免疫療法」)をも選択しています。その上で、延命しなければならないことが想定される場合は、お金をある程度貯めておくか、がん保険の加入を検討しておくことが必要だろうと(著者自身はがん保険に入ったことがないと公言していたが、会社が本人の知らないところで保険を掛けていたとのこと)。そのほか、投資資産の有意義な使い方や、障害年金の解説などがされています、

 第4章「私の選択」では、「血液免疫療法」とはどのようなものであり、自分はなぜそれを選んだかが書かれています。原発がわからない状況で、抗がん剤を散発銃のように打つ治療に疑問を抱いたようです。

森永 卓郎 主計課.jpg 第5章「いまやる、すぐやる、好きなようにやる」では、自分のやってきた仕事の歩みを振り返っていて、著者の半生とそのバックグラウンドを知ることができますが、その中で、好きなことをすぐやるというポリシーを貫いてきたことが窺えます。

専売公社主計課予算第二係時代

 第6章「素敵な仕事、自由な人生」では、自分が何になりたかったかを述べています。著者は、歌人になりたい、歌手になりたい。童話作家になりたいなどと思ったとのことで、著者の手による創作童話が挿入されています。

 著者の最期の1年間の本のタイトルを見ると、ジャニーズ、財務省、日航機、投資(NISA)の真相など、自分が言い残したと思うことがないように、ひたすら精力的に書き残していたという印象です。ただし、本書を読む限り、自身の病気と向き合い、時間に追われながらも、誰にでも読みやすく、またいっぱい詰め込んで中身の濃い本になっており、その点は天晴れと言いたいと思います。

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残された短い時間でやるべきことをこなしていく逞しさはスゴイ。覚悟の問題か。

IMG_8164.JPG山本文緒 無人島のふたり 2.jpg 山本文緒 無人島のふたり1.jpg
無人島のふたり:120日以上生きなくちゃ日記 (新潮文庫 や 66-3)』['24年] 『無人島のふた 120日以上生きなくちゃ日記』['22年]

山本文緒 無人島のふたり 3.jpg 2021年に膵臓がんで58歳で亡くなった山本文緒(1962-2021)の闘病日記。ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった―。

 2001年4月に膵臓がんと診断され、この時既にステージ4bで治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手は無かったとのこと。余命は4か月。著者は、抗がん剤治療で地獄のような体験をし、医師やカウンセラー、夫と話し合い、緩和ケアへの進むことにしたとのことです。

 日記は2021年5月から始まり、第1章が5月24日~6月21日、第2章が6月28日~8月26日、第3章が9月2日~9月21日、第4章が9月27日~となっています。第4章は10月4日が最後で(その前が9月29日とやや間隔が空いている)、著者は2021年10月13日に亡くなっているので、亡くなる9日前まで書き続けたことになります(最後は「明日また書けましたら、明日」という言葉で終わっている)。

 4月に余命120日と宣告されて、余命120日と言えば4カ月ですが、5月、6月、7月、8月、9月と日記を書き続け、目標の120日以上は生きたことになりますが、それでも、がん闘病日記としては残されていた月日はかなり短い部類であると思われます。

 その間、死への恐怖や気持ちの揺らぎはありますが、残された短い時間でやるべきことをこなしていく逞しさはスゴイと思いました。抗がん剤治療を拒否しれいること自体もそうですが、相当な覚悟を決めないとこうはいかないのではないでしょうか。こんな時、女性の方が男性より強いのかなとも思いました。男性の方が、やり残したことを悔やんで絶望に浸り、やけくそ気味のまま亡くなってしまうことが多いかも。

 7歳年上の唯川恵氏や4歳年下の角田光代氏など作家仲間の励ましも大きかっただろうと思いますが、やはり旦那さんの支えがいちばん大きかったのではないでしょうか。この旦那さん、日記にはさほど登場しませんが、タイトルがそのことを物語っているように思いました(タイトルは2021年8月12日時点での担当者打ち合わせで決まっていたとのこと。つまり、生前から決まっていたということだ)。

【2024年文庫化[新潮文庫]】

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闘病記であると同時に、キャンサーサバイバーの心と生き方の処方箋。

岸本 葉子 『がんから始まる』2.jpg 岸本 葉子.jpg
がんから始まる』['00年]『がんから始まる (文春文庫 き 18-7)』['06年] 岸本 葉子 氏

 エッセイストである著者は、40歳で虫垂がんと診断されます(しかもS状結腸に浸潤)。まず、その際の手術に至るまでの経緯が、本人の心境とともに詳細に描かれています。そして手術後、約2年が経ちますが、再発の不安はいつも頭から離れず、そうした明日をも知れぬ生活を余儀なくされたとき、人はどのように生き、何を考えるのか、そうした思惟がエッセイ風に綴られています。

 がんで亡くなってしまった人の闘病記などはそこそこ見かけますが、本書は第一部が闘病記であると同時に、第二部がキャンサーサバイバーの記録でもあります。手術後に治癒率30%と言われ、これは直後に50%と修正されますが、それでも再発率50パーセントになるわけです。そうした再発の不安に苛まれる中、心の危機からどのように脱するきっかけを掴んだかを、持ち前のユーモアを失わず、わかりやすい言葉で書いています。

 告知を受ける前は、パジャマ選びと病院探しの比重が同じだったのが可笑しいです。内視鏡検査で腸を空っぽにするために下剤を飲むたいへんさはよく伝わってきました(自分も大腸がん検査のために初めて下剤を飲んだ時は辛かったが、実際に大腸がんと診断されてから、検査、手術、定期検査と何度も飲むうちに慣れてしまった)。このあたりもユーモラスに描いています。

 術後に関しても、サポートグループに入会したことや、漢方、食事療法、行動療法などを実践したことなどの具体的な事柄が、心の軌跡と併せて書かれていて、食事療法に始まる日々の堅実な営みや、サポートグループへの参加は、心に開放感をもたらしたとのこと、自分が同じような状況に置かれたとき役立ちそうな内容でもあります(キャンサーサバイバーの心と生き方の処方箋と言っていい)。

 「がんから始まる」というタイトルにも、術後また再発するかもしれないがんと向き合う姿勢が感じられます。2003年に単行本刊行されていますが、2006年刊行の文庫版では、第三部として「四年を生きて」が付されており、がんが再発するかもしれないという状況をより客観的に、落ち着いた感じで受け止めているように思われました。この後も著者は2005年に『四十でがんになってから』、2006年に『がんから5年』を上梓しています。

 一方、2013年頃から俳句に関する著作が多くなり、今年['25年]に入っても俳句の入門書を出しています。勿論著者自身も句を読むわけですが、やはりその間ずっとがんの再発可能性と共に生きているということは、著者の俳句の作風にやはり何らかの影響があるのではないかと思います(著者の俳句関連本も読んでみようか)。

岸本 葉子 2.jpg
・岸本 葉子 『四十でがんになってから』(2006/01 講談社/2008/01 文春文庫)
・岸本 葉子 『がんから5年』(2007/09 文藝春秋/2010/11 文春文庫)
岸本 葉子 3.jpg
・岸本 葉子 『俳句、はじめました 吟行修業の巻』(2013/12 角川学芸出版)
・岸本 葉子 『俳句で夜遊び、はじめました』(2017/11 朔出版)
・岸本 葉子 『俳句、やめられません: 季節の言葉と暮らす幸せ』(2018/01 小学館)
・岸本 葉子 『NHK俳句 岸本葉子の「俳句の学び方」: NHK俳句』(2019/04 NHK出版)
・岸本 葉子 『毎日の暮らしが深くなる季語と俳句』(2024/02 笠間書院)
・岸本 葉子 『ゼロから俳句 いきなり句会: 毎日と人間関係がラクになる、「初めての人」の俳句入門』(2025/04 笠間書院)

【2006年文庫化[文春文庫]】


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「魂よ」「青春の健在」「電車の窓の外は」が良かった。"死の予行演習"的テキストとしても読める。
死の淵より1964函.jpg死の淵より1964.jpg  死の淵より講談社文庫.jpg 
死の淵より講談社文芸文庫2.jpg死の淵より 高見順 文芸文庫 1993年初版.jpg『詩集 死の淵より』['64年]『死の淵より: 詩集 (講談社文庫)』['71年]『死の淵より 高見順 文芸文庫 1993年初版』]『死の淵より (講談社文芸文庫 たH 4)』['13年]

 1964(昭和39)年・第17回「野間文芸賞」受賞作。

高見順.jpg "最後の文士"と謳われた高見順(1907-1965/58歳没)は、福井県知事が視察で三国を訪れた際に"夜伽"を務めた女性の子だったという出生に関わる暗い過去や、左翼からの転向体験を描いた『故旧忘れ得べき』で第1回芥川賞候補となった作家ですが、その高見順が食道がんの手術前後病床で記した詩63篇(文庫版)で、死に直面しながら自らの生を透徹した眼差しで見つめた詩集です。

高見恭子(63).jpg 1963(昭和38)年10月に食道がんと診断され、千葉大学附属病院に入院、すぐに手術を受け、11月に退院して自宅療養するものの、翌1964年6月、再度千葉大学附高見恭子.jpg属病院に入院し手術を受け、11月には千葉県稲毛の放射線医学総合研究所付属病院に入院・再手術、翌1965年3月に再々手術を受けましたが、8月17日同病院で亡くなっています(亡くなる直前の8月4日、自分と愛人との間にできた当時5歳の娘・小野田恭子を養女として入籍させ、それが後のタレント高見恭子(1959年生まれ)で、石川県知事・馳浩の妻。孫が北陸地方の知事の"愛人"ではなく、今度は"正妻"になったわけか。'22年5月に「クイズ!脳ベルSHOW」(BSフジ)に出ていた。その時点で63歳だから、父親の亡くなった年齢をすでに5歳上回っていたことになる)。

 「死の淵より」は、1964(昭和39)年8月に「群像」に発表され、10月に単行本刊行されましたが、3部構成となっており、第Ⅰ部は、1963年10月に千葉大附属病院で手術した後に病室で書いた"メモ"をもとに退院後書いたものであるとのこと(1964年6月17日、再入院の前日の本人記述より)。

 この第Ⅰ部の中では、「汽車は二度と来ない」に死を前にした孤独が滲み出ているように思えましたが、最後にある「魂よ」という詩が個人的にはいちばん良かったように思います("いい"と言うか"切実"感が溢れる)。

 「汽車は二度と来ない」―「わずかばかりの黙りこくった客を/ぬぐい去るように全部乗せて/暗い汽車は出て行った/すでに売店は片づけられ/ツバメの巣さえからっぽの/がらんとした夜のプラットホーム/電灯が消え/駅員ものこらず姿を消した/なぜか私ひとりがそこにいる/乾いた風が吹いてきて/まっくらなホームのほこりが舞いあがる/汽車はもう二度と来ないのだ/いくら待ってもむだなのだ/永久に来ないのだ/それを私は知っている/知っていて立ち去れない/死を知っておく必要があるのだ/死よりもいやな空虚のなかに私は立っている/レールが刃物のように光っている/しかし汽車はもはや来ないのであるから/レールに身を投げて死ぬことはできない」

 「魂よ」―「魂よ/この際だからほんとのことを言うが/おまえより食道のほうが/私にとってはずっと貴重だったのだ/食道が失われた今それがはっきり分った/今だったらどっちかを選べと言われたら/おまえ 魂を売り渡していたろう/第一 魂のほうがこの世間では高く売れる/食道はこっちから金をつけて人手に渡した/(中略)/魂よ/わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった/私の言うことに黙ってしたがってきた/おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった/卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ/それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は/言うことがすなわち行為なのであって/矛盾は元来ないのだとうまいことを言う/そう言うおまえは食道がガンになっても/ガンからも元来まぬかれている/魂とは全く結構な身分だ/食道は私を忠実に養ってくれたが/おまえは口さきで生命を云々するだけだった/魂よ/おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ/口さきばかりの魂をひとつひっとらえて/行為だけの世界に連れて来たい/そして魂をガンにして苦しめてやりたい/そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう」 

 一方、第Ⅱ部は、入院の直前および手術直前に属するもので、本当はⅠの前に掲げるべきだがなぜ後にしたのか、自分でもわからないと(笑)。「詩のできがⅠの方がいいと思えるのでそれをさきに見てもらいたいという虚栄心からかもしれぬ」と。

 この第Ⅱ部の中では、最初にある「青春の健在」と「電車の窓の外は」という詩がいいです。

 「青春の健在」―「電車が川崎駅にとまる/さわやかな朝の光のふりそそぐホームに/電車からどっと客が降りる/十月の/朝のラッシュアワー/ほかのホームも/ここで降りて学校へ行く中学生や/職場へ出勤する人々でいっぱいだ/むんむんと活気にあふれている/私はこのまま乗って行って病院にはいるのだ/ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように/昔ながらのかばんを肩からかけている/(中略)/君らはかつての私だ/私の青春そのままの若者たちよ/私の青春がいまホームにあふれているのだ/私は君らに手をさしのべて握手したくなった/なつかしさだけではない/遅刻すまいとブリッジを駆けのぼって行く/若い労働者たちよ/さようなら/君たちともう二度と会えないだろう/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/こうした朝 君たちに会えたことはうれしい/見知らぬ君たちだが/君たちが元気なのがとてもうれしい/青春はいつも健在なのだ/さようなら/もう発車だ 死へともう出発だ/さようなら/青春よ/青春はいつも元気だ/さようなら/私の青春よ」

 「電車の窓の外は」―「電車の窓の外は/光りにみち/喜びにみち/いきいきといきづいている/この世ともうお別れかと思うと/見なれた景色が/急に新鮮に見えてきた/この世が/人間も自然も/幸福にみちみちている/だのに私は死なねばならぬ/だのにこの世は実にしあわせそうだ/それが私の心を悲しませないで/かえって私の悲しみを慰めてくれる/私の胸に感動があふれ/胸がつまって涙が出そうになる/団地のアパートのひとつひとつの窓に/ふりそそぐ暖い日ざし/楽しくさえずりながら/飛び交うスズメの群/光る風/喜ぶ川面/(中略)/電車の窓から見えるこれらすべては/生命あるもののごとくに/生きている/力にみち/生命にかがやいて見える/線路脇の道を/足ばやに行く出勤の人たちよ/おはよう諸君/みんな元気で働いている/安心だ 君たちがいれば大丈夫だ/さようなら/あとを頼むぜ/じゃ元気で――」

 残る第Ⅲ部は自宅に戻ってからの詩です。全3部に共通して言えるのは、テーマ的は重いものの、表現的は読みやすいものとなっていることでしょうか。作者は先に述べたように「詩のできがⅠの方がいいと思える」としていますが、「青春の健在」と「電車の窓の外は」の2篇で第Ⅱ部は第Ⅰ部に拮抗するように思いました。
 
 入院前の第Ⅱ部の方は、不安の中にも今目の前にある世界への愛惜の情に満ちていて、一方、入院中の第Ⅰ部の方は不安が切実な恐怖に変わり、死を前にした虚無感が漂っているともとれ、それは、例えば第Ⅱ部の「青春の健在」と、時間的にはこちらが後になる第Ⅰ部の「汽車は二度と来ない」と比べるとよくわかるように思いました。

 作者が死と向き合ってその気持ちを作品に昇華させており、"死の淵"にいる人間の側からのメッセージにもなっていて、ある意味"死の予行演習"的テキストとしても読める詩集です。亡くなる直前に娘を入籍させたその気持ちが分かる気もします。

【1971年文庫化[講談社文庫(『詩集 死の淵より』)]/1993年・2013年再文庫化[講談社文芸文庫(『死の淵より』)]】

《読書MEMO》
島薗 進 『死に向き合って生きる (NHKテキスト こころをよむ 2025年4月~6月)』(2025/03 ‎ NHK出版)
こころをよむ 死に向き合って生きる.jpg
死に向き合って生きる5.jpg

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主人公・尾田高雄のハンセン病施設入所日を描く。佐柄木の人物像や哲学が強烈に印象に残った。

いのちの初夜00.jpg
いのちの初夜』['37年]『いのちの初夜 (角川文庫 緑 83-1)』['55年]『いのちの初夜 (角川文庫) 』['20年改版]北条民雄(1914-1937/23歳没)
 主人公・尾田高雄は、癩病を患ったために、入院すべく病院へ向かう。病気の宣告を受けてからの尾田は、癩病で死ぬくらいなら、病院に入るくらいなら、と事ある毎に自殺を試みるが、その度に何か別の心持ちがよぎり、思いとどまる。病院に着いた尾田は、佐柄木という癩病の患者に出会う。病院には尾田と佐柄木の他にも沢山の癩病の患者が入院しているが、その多くが重度の患者であるため、佐柄木は、まだ軽度の患者である尾田を格好の話し相手であると思ったのか、親交を深めようとしてくる。しかし尾田は、自身が癩病のため入院せざるを得ない現状を未だに受け入れられず、またしても自殺をはかる。それは未遂に終わるが、一連の出来事を目撃していた佐柄木は、尾田に「意志の大いさは絶望の大いさに正比する」と説く。病状が悪化しながらも生きる佐柄木と、「生きる態度」を定められずにいる尾田。しかし、尾田は佐柄木との会話を繰り返すうちに、「やはり生きてみることだ」という気持ちになる―(「いのちの初夜」)。

川端康成YO.jpg 川端康成など名だたる文豪からその才能を認められながらも、ハンセン病を患い若くしてこの世を去った北条民雄(1914-1937/23歳没)の作品集で、表題作「いのちの初夜」(1936(昭和11)年)は、ハンセン病の診断を受けた主人公・尾田が、療養施設に入所した日とその夜に起きた出来事及び主人公の心象を描いた小説(川端康成は「この小説を読むと、たいていの小説がポンコツに見える」と称賛した)。そのほかに「眼帯記」「癩院受胎」「癩院記録」「続癩院記録」「癩家族」「望郷歌」「吹雪の産声」の7作が収められており、いずれもハンセン病の隔離施設が舞台になっています。

いのちの初夜NHK.jpg 「いのちの初夜」は、社会的な生きる希望を失い、おのれの肉体も失われていく、それでも生きざるをえない、「生きる」意味を問い続けるハンセン病患者でなければ書けない作品で、文章も平明だけにストレートに心に響きます。この作品は2023年2月にNHK・Eテレの「100分de名著」で取り上げられ話題を呼びました(ゲストは、かつてアイドル・歌手・女優で、今は文筆家・テレビ番組のコメンテーターとしてメディアに登場する機会が多い中江有里氏)。
NHK 100分 de 名著 北條民雄『いのちの初夜』 2023年2月 (NHKテキスト)

 雑誌「文學界」(1936年2月号)に掲載され、原題は「最初の一夜」で、川端康成により「いのちの初夜」に改題され、第3回「芥川賞」の候補にもなりました。作品の冒頭でその施設の立地は「東京から二十マイルそこそこの」と記述されており、これは作者である北條民雄が入所した東京府北多摩郡東村山村の国立療養所多磨全生園(全生園)の位置とほぼ一致します。

 ただし、北條民雄は自分の作品が、「癩(らい)文学」と見なされることに強い拒否感を抱いており、「頃日雑記」の中で「私は癩文学などいうものがあろうとは思われぬが、しかし、よし癩文学というものがあるものとしても、決してそのようなものを書きたいとは思わない(中略)私はただ人間を書きたいと思っているのだ。癩など、単に、人間を書く上における一つの「場合」に過ぎぬ」と語っています。

 では、この作品をどう読めばいいのか。北條民雄の評伝である『火花 北条民雄の生涯』の作者で、ノンフィクション作家の髙山文彦氏はこう述べています。

 「もちろん、読者は作者の意図から離れて好きに読むべきです。しかし、重要なのは作中において、北條が常に健常者の視点を持ち続けていたという事実です。「いのちの初夜」を読むと、肉体的にも精神的にも、彼が健康体であり続けたことは明確です。病友の光岡良二は「彼はハンセン病の賭場口にも立っていなかった」と語っています。実際に北條の病状は非常に軽症で、重症患者を「化けもの」と表現することがありました。反して日記や書簡のなかには、病を受け入れようとする葛藤が表出しています。もちろん、彼自身、のちに日記が公表されるとは思っていなかったでしょう。作品の中では、生身の感情は押し殺していたのでしょうね」

 北條民雄が常に健常者の視点を持ち続けていたという指摘は的を射ており、特にこの「いのちの初夜」での主人公・尾田にはそれが感じられます(因みに、北條民雄は1934年に多磨全生園に入院し1937年に亡くなったが、死因は腸結核だった)。佐柄木の方がむしろ重度であり、それでいて達観している様は、最初はややデーモニッシュにさえ思われましたが、実は彼は彼なりに苦闘し、今は哲学的境地に達していることが窺えました。

 その佐柄木は、彼らを取り巻く重度の患者らを「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです」と尾田に言います。「あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう」と。そうした佐柄木の人物像や哲学の方が主人公の尾田より強烈に印象に残りました(モデルは文庫所収の「北条民雄の人と生活」を書いている前出の光岡良二(1911-1995)か。彼は東京帝国大学文学部哲学科2年修了時にハンセン病を発病、1933年に多磨全生園に入院、翌年入院してきた北条民雄と知り合った)。


「眼帯記」(1936)は失明への怖れを描いた作品で、ハンセン病の末期は目が見えなくなるのだと改めて知った次第。「癩院受胎」(1936)は病気と生きることへの考えが対照的なふたりの青年と妹、そして彼女に恋心を抱く主人公のさまざまな心情を描いた作品です。

「癩院記録」(1936)及び「続癩院記録」(1936)は、感情を排して院内の患者の生活をスケッチ風に描いた作品で、長閑さを感じる場面もあれば、凄惨な描写もありました。

「癩家族」(1936)は入院している父親、長男、長女の間の愛憎を細かに描いており、「望郷歌」(1937)は、心を閉ざした少年患者を描いた生前最後の作品、「吹雪の産声」(1937)は作者の死後に発表されたもので、死を迎える親友と、療養所内での出産で「生命の連続」を描いた作品です。

 何れも珠玉の作品ですが、これらの中ではいちばん最初に書かれた「いのちの初夜」がやはりいちばんの傑作のように思います。

【1955年文庫化[創元文庫]/1955年文庫化・2020年改版[角川文庫]】

《読書MEMO》
島薗 進 『死に向き合って生きる (NHKテキスト こころをよむ 2025年4月~6月)』(2025/03 ‎ NHK出版)
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