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カンヌでの5作品連続受賞作。格差社会をテーマにしたものがカンヌで賞を獲る傾向が強まった。



「少年と自転車 [DVD]」

施設に預けられている11歳の少年シリル(トマ・ドレ)は、父親に捨てられたという現実を受け入れられず、孤独の中で反抗的な態度を取り続けている。そんなシリルと偶然知り合った美容師の独身女性サマンサ(セシル・ドゥ・フランス)は、シリルに週末の里親になって欲しいと頼まれると、それを受け入れたばかりか、シリルの父親の行方探しを手伝う。サマンサのおかげでようやく父ギイ(ジェレミー・レニエ)と再会できたシリルだったが、自分の生活で手一杯のギイは二度と会いに来るなとシリルを追い返す。ショックを受けたシリルだったが、それから後も週末はサマンサの家で過ごすようになる。サマンサの家で穏やかに過ごしていたシリルだったが、近所の不良少年ウェス(エゴン・ディ・マテオ)に気に入られたことから彼の言いなりになる。サマンサからウェスと付き合わないように言われても耳を貸さないばかりか、止めるサマンサにケガを負わせてまでウェスとの関係を優先したシリルは、ウェスに言われ
るまま強盗を働く。しかし、シリルが被害者に顔を見られたことを知ったウェスが激昂し、全ての罪をシリルになすりつけようとしたことから、シリルはようやくウェスがシリルを利用していただけだったことを知る。傷ついたシリルは父のもとに行き、盗んだ金を渡そうとするが、父からも見捨てられる。結局、シリルはサマンサの元に戻り、サマンサと警察に出頭する。事件は、サマンサが被害者に損害を賠償し、シリルが被害者に謝罪することで示談で収まる。サマンサと再び穏やかな生活を送るようになったシリルだったが、被害者の息子で自身もシリルに殴られた少年マルタンがシリルを見つけて襲いかかる。逃げ出したシリルは木に登って逃れようとするが、マルタンが投げた石が当たって地面に落ちて気を失う。慌てたマルタンとその父親はシリルが勝手に落ちたことにして、救急車を呼ぼうとするが、そこでシリルの意識が戻る。そして、シリルは自転車に乗ってその場を後にする―。
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の2011年作品で、第64回カンヌ国際映画祭のグランプリ(審査員特別グランプリ)受賞作であり、タルデンヌ兄弟はこの作品で、「ロゼッタ」('99年)での最高賞のパルム・ドールと女優賞受賞、「息子のまなざし」('02年)での男優賞受賞、「ある子供」('05年)でのパルム・ドール受賞、「ロルナの祈り」('08年)での脚本賞受賞に次ぐ"カンヌでの5作品連続での主要賞の受賞"を達成し、これは史上初のことです。いずれも若者や少年少女の貧困を描いており、この頃から格差社会をテーマにしたものがカンヌで賞を獲る傾向が強まったように思います(是枝裕和監督の「万引き家族」('18年/ギャガ)、ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」('19年/韓国)がパルム・ドールを受賞したのもその流れか)。
この作品は、ダルデンヌ監督が来日した際に日本で開催された少年犯罪のシンポジウムで耳にした育児放棄の実話("赤ちゃんの頃から施設に預けられた少年が、親が迎えに来るのを屋根にのぼって待ち続けていた"という話)に衝撃を受け、そこから着想したとのことで、親にも社会にも見捨てられた少年シリルが、初めて信用できる大人であるサマンサに出会うことで心を開き、人を信じ成長していく様が描かれています。11歳という年齢で、サマンサに「里親になってほしい」と自分か言うところに、彼の芯の強さと愛情への渇望の強さの両面を見たように思います。
この作品の優れている点は、サマンサもまたシリルに愛情を与えることで自分の内にある母性に気づき、人を守ることの責任と喜びを知っていく、そのプロセスが描かれていることにもあります。サマンサにとってシリルは、診療所か何かの待合室で偶然出会っただけの少年だったはずなのに、彼の心の叫び声が聞こえたのでしょうか。シリルが再び罪を犯し、サマンサ自身の心身をも傷つけたにも関わらず、再び「いいわ」と彼を受け入れる場面は、考えさせられます。
一方、自分の再就職と新しい恋人のためにシリルを捨て(シリルのために恋人と別れたサマンサと対照的)、それまで恐らくシリルを養育していたであろう母親が亡くなると、自分には子育てに自信が持てず、1か月生活が落ち着くまでの辛抱だからとシリルを児童養護施設に入れて姿をくらまし、その後はシリルが何とか会いにきても追い返してしまう父親は、実はシリルの少しでも父に接していたいという気持ちに気づいていながら、優柔不断のまま逃げまくているように見え、その背景には低賃金で子どを養っていけるまでには稼げないという、格差社会の問題があるように思えました。
この作品におけるシリルの自転車は、自分が外の世界と繋がるための手段としての象徴であるように思えました。以上述べてきたこれらをすべてを、説明的描写を排してドキュメンタリータッチで描いているところが、この作品に限らずタルデンヌ監督作品の特徴であり、どこに着眼するか観る人によって微妙に異なってくる作品かと思います。ただ、これまで、いきなり唐突に終わる(結果としてバッドエンドになる)作品が多かった中では、シリルが自分の信頼できて心休まる対象を獲得していく、ハッピーエンド的な作品だったかもしれません。
「少年と自転車」●原題: LE GAMIN AU VELO●制作年:2011年●制作国:ベルギー・フランス・イタリア●監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ●製作:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ/ドゥニ・フロイド●撮影:アラン・マルコァン●時間:87分●出演:トマ・ドレ/セシル・ドゥ・フランス/ジェレミー・レニエ/ファブリツィオ・ロンジョーネ/エゴン・ディ・マテオ/オリヴィエ・グルメ●日本公開:2012/03●配給:ビターズ・エンド●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-12-03)(評価:★★★★)



職業訓練所で働くオリヴィエ(オリヴィエ・グルメ)は、自身が受け持つ木工クラスにある日一人の少年フランシス(モルガン・マリンヌ)が新しく入ってくる。フランシスの顔にハッとしたオリヴィエは仕事を終えた後、離婚した元妻マガリ(イザベラ・スパール)に会って「"あの少年"が訓練所の生徒としてやって来た」と話す。5年前オリヴィエと元妻は、まだ子供だったフランシスに幼い息子を殺されており、少年院を出た彼は指導員が被害者の父親とは知らずに訓練所に訪れたのだった。オリヴィエは元妻の「彼に関わらない方がいい」との意見も聞かず、訓練所で他の少年たちと同じく彼にも木工技術を教え始める。フランシスが息子を殺した状況や動機を知りたくなるオリヴィエだが、とりあえず作業の様子や帰りに一緒に食事をするなどして彼の現在の様子をうかがう。フランシスに事件当時の話をそれとなく聞くことを決めたオリヴィエは、「木の種類を覚えるための勉強」と称してクルマで2人きりで製材所に材木を買いに行くことに。翌日その車中フランシスの方から数年前に盗みなどをして少年院に入ったことを打ち明けた後、オリヴィエに後見人になってくれるよう持ちかける。これに乗じてオリ
ヴィエは盗みの話を詳しく聞くと、フランシスは「クルマからカーラジオを盗もうとしたら後部座席にいた子供に見つかり、もみ合ってる内に殺してしまった」と告白する。オリヴィエは息子が殺された当時の話にショックを受けながらも、製材所に着いた後フランシスと必要な材木の長さを計測して持ち帰る作業にかかる。しかしオリヴィエが「お前が殺したのは俺の息子だ」と真実を告げた途端、フランシスが高く積まれた材木置き場に身を隠してしまう。材木の上に登ったフランシスは棒きれをオリヴィエに投げつけて抵抗するが、その後興奮状態で少年を捕まえたオリヴィエは彼の上にまたがり首に両手をかける―。
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の2002年の作品で、同年のカンヌ国際映画祭「主演男優賞」(オリヴィエ・グルメ(左写真中央))受賞作。日本公開時のキャッチコピーは「人を受け入れることから、愛が生まれる。」で、まさに「赦し」をテーマにした映画でした。
オリヴィエ・グルメは演じる、職業訓練所の木工クラスの指導員で、生徒たちから先生と呼ばれている、その名もオリヴィエがいいです。あまり感情を表に出すことがなく、いつもぶっきらぼうなものの言い方で、自宅のイスを使って腹筋を鍛えるのが日課。仕事柄5ⅿ程度までの距離なら目視で長さを言い当てることができるというまさに職人。心の中では過去に息子を殺してしまったフランシスに怒りの感情を抱きながらも、表向きはただの先生と生徒として交流を続けますが、そのことで元妻からは尋常ではないと批判されます。
オリヴィエ自身も、最初から確信をもって彼のことを赦すつもりだったようには見えず、どうして、またどうやって彼が息子を殺害したのか知りたい、彼の口から聞きたいという気持ちから、彼を生徒として受け入れたように見えますが、愛情に恵まれない生活を送ってきたと思しき彼を見るうちに、次第に彼に愛情を抱くようになったように見えます。説明を排除したドキュメンタリー風のタッチで撮っているため(さらにはオリヴィエが感情をあまり表に出さないため)、観る側がそうとるしかないのですが...。
「息子のまなざし」●原題:LE FILS●制作年:2002年●制作国:ベルギー・フランス●監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ●撮影:アラン・マルクーン●時間:103分●出演:オリヴィエ・グルメ/モルガン・マリンヌ/イザベラ・スパール/レミー・ルノー/ナッシム・ハッサイー/クヴァン・ルロワ/フェリシャン・ピッツェール/アネット・クロッセ/ファビアン・マルネット/ジミー・ドゥルーフ/アンヌ・ジェラール●日本公開:2003/12●配給:ビターズ・エンド●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-10-07)(評価:★★★★)

ベルギー。自動車修理工場の見習工のイゴール(ジェレミー・レニエ)は、父ロジェ(オリヴィエ・グルメ)の命令ですぐに仕事を抜けてしまう。ロジェは不法移民の斡旋が仕事で、イゴールは大事な助手なのだ。彼はほどなくクビに。不法移民宿泊施設。ブルキナファソ出身で古株のアミドゥ(ラスマネ・ウエドラオゴ)とその妻アシタ(アシタ・ウエドラオゴ)が赤ん坊を連れてやってくる。ある日、アミドゥが建築現場で作業中、突然移民局の抜き打ち査察があった。アミドゥは重傷を負うが、ロジェは警察沙汰を恐れて医者も呼
ばない。傷の手当てもされず、アミドゥはイゴールに妻子の世話を頼んで死ぬ。深夜、ロジェはイゴールに手伝わせて、アミドゥの遺体をコンクリートの土台に埋め込む。翌朝、アシタは夫のことでイゴールを問い詰める。彼女のところには、男たちがアミドゥがギャンブルで作った借金の取り立てに来ていた。イゴールは彼女を助けようと金を渡すが、ロジェに知られて殴られる。ロジェはアシタを追い出そうとしていた。ロジェはアシタにアミドゥの名前で偽の電報を打つ。アシタを騙して連れ出し、
娼婦として売ろうというロジェの企みを知ったイゴールは、母子を連れて家出する。イゴールが勤めていた修理工場に3人は泊まるが、夜中に赤ん坊が熱を出し、アシタは半狂乱に。病院に転がり込むと、親切な係官と、アシタと同じアフリカ系のロザリー(クリスチャン・ムシアナ)が世話を焼いてくれた。アシタは赤ん坊を連れてイタリアの叔父さんの元へ行こうと決心。身分証明書はロザリーが借してくれた。イゴールはロジェからもらった指輪を売って旅費を作る。翌朝、ロジェが工場に現れ、イゴールに家を戻ってアシタ母子を引き渡せと命令する。イゴールは父親の言いつけを初めて拒絶し、ロジェを鎖で繋いで、アシタと駅へ急ぐ。ホームへ向かう途中、イゴールはアシタにアミドゥは亡くなったと真実を明かすと―。
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の1996年の作品で、長編第3作。カンヌ映画祭「ある視点」部門で注目され、パリで小規模公開ながらロングランを記録しています。
個人的には、確かに彼の行動の動機として正義感みたいなものが無かったわけではないと思いますが、むしろ、今まで父親に言いなりになっていたのが、そこから逃れようとする"第二の自我"のようなものが生まれてきたということではないかと思います。つまり、アミドゥとの〈約束〉を守ることが、彼にとっては「父親離れ」乃至は「父親超え」に重なったからではないかと思います。
「イゴールの約束」●原題:LA PROMESS●制作年:1996年●制作国:ベルギー・フランス・ルクセンブルク●監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ●製作:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ/ハッサン・ダルドゥル クロード・ワリンゴ ジャクリーヌ・ピエルー●脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ/レオン・ミショー/アルフォンソ・バドロ●撮影:アラン・マルクーン●時間:93分●出演:ジェレミー・レニエ/オリヴィエ・グルメ/アシタ・ウエドラオゴ/フレデリック・ボドソン/ラスマネ・ウエドラオゴ●日本公開:1997/05●配給:ビターズ・エンド●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-09-20)(評価:★★★★)




フリードニア共和国は財政難に喘ぐ中、実力者のティーズデール夫人(マーガレット・デュモント)に援助を求めた。彼女はルーファス(グルーチョ・マルクス)を宰相にするという条件を出したうえで承諾し、かくしてルーファスは首相になる。一方、フリードニア共和国の乗っ取りを企てていた隣国シルヴェニアの大使トレンティーノ(ルイス・カルハーン)は、夫人に色仕掛けで接近する一方、スパイのチコリーニ(チコ・マルクス)とピンキー(ハーポ・マルクス)の二人組を送り込む。ところがルーファスは二人を側近にしたので、混乱に拍車がかかってしまい、ついにシルヴェニアと開戦、議会で首相と国民は「いざ開戦」と歌い狂う―。
もう一度整理してみると、マルクス兄弟はチコ、ハーポ、グルーチョ、ガンモ、ゼッポの5人兄弟で、チコ・マルクス(1887-1961/74歳没)が「マルクス兄弟」における長男(実際には、1886年に誕生し同年に死去した長男マンフレッドがチコの上にいる)。古
ぼけた服と、チロル帽で個性を出していて、この映画然り(マルクス兄弟はユダヤ系だが、彼は風貌もどこかイタリアンっぽい)。
次男はハーポ・マルクス(1888-1964/75歳没)で、決して喋らないことで有名だったキャラクターで、大きなコートのポケットからハサミなど様々なアイテムを取り出すことで笑いを生むのが定番。得意のハープ演奏は映画でも定番で、殆どの作品でハーポの演奏シーンが用意されています。
三男はグルーチョ・マルクス(1890-1977/86歳没)で、早口でまくしたてるのがトレードマークで、この作品でもそうですが、兄弟の中でも中心的な役回りを演じることが多かったです。喋りの才能が卓越していて、「マルクス兄弟」としての活動が終わった後も、ラジオ番組やテレビ番組のホストとしての活躍しました。
そして、五男がゼッポ・マルクス(1901-1979/78歳没)。チコ、ハーポ、グルーチョ、ガンモの4人の兄が、音楽・喜劇グループとしてヴォードヴィルの舞台に立っていたところ、第一次世界大戦へとガンモが徴兵されたことで、それと入れ替わりで4人目の「マルクス兄弟」として参加。しかしながら、この映画でもそうですが、イケメンなのですが「フツーの人」っぽい役ばかりで、この作品が最後の映画出演作となりました。ミュージカル・シーンで群舞になると、大勢に中から3人ならぬ4人が前に出てきて、その内、端っこの方で一人まともな軍服を着て踊っているのがゼッポ・マルクス。グルーチョ演じる新宰相が、チコとハーポ演じるスパイを自ら側近してしまったのでこの3人が並ぶのは分かりますが、あと一人は誰だったけと思えばゼッポであり、宰相の秘書官役だから宰相や側近と並んで踊るのも、これはこれで整合性はとれているのかと。
4人がMGMに移籍して最初に撮ったのがサム・ウッド監督の「オペラは踊る」('35年)でした(ゼッポはもう出ていないが)。そのあらすじは―
マルクス兄弟のパラマウント時代の代表作が「我輩はカモである」であるとすれば、MGM時代の代表作はこの「オペラは踊る」であるのが一般的な評価かと思われますが、マルクス兄弟のファンとして知られる小林信彦氏などは、パラマウント時代の作品は高く評価していて「我輩はカモである」などは「名作」としているものの、MGM時代の作品は、「オペラは踊る」を含め、あまり評価していないようです(『
個人的には、強い風刺と強烈なギャグで突っ走った「我輩はカモである」が興行的にコケたので、「オペラは踊る」でマイルドな作りに方向転換したのかなあと。船室に数えきれない人間が入り込むシーンは、バスター・キートンのアイデアによるものだそうですが、笑いの性質も少し違っているように思います。
さらに、淀川長治はマルクス兄弟について「映画ではなく舞台である」と喝破しており、実際、彼らの初期の傑作は、舞台でのヴォードヴィル・コメディをほぼそのまま映画で再現したものであったとのこと(当時、スラップスティック・サイレント・コメディの有名なスターたちは、ヴォードヴィルやミュージック・ホールに出演したのちに映画産業に入った。チャップリン然り)。それが、MGMに移って、フツーの映画の撮り方になり、それまでより洗練されているものの個性は弱まって、ともすると他の多くの映画の中に埋没してしまうような作品が多くなっていったということではないでしょうか(「オペラは踊る」はまだいい方か)。
「我輩はカモである」●原題:DUCK SOUP●制作年:1933年●制作国:アメリカ●監督:レオ・マッケリー●製作:ハーマン・J・マンキーウィッツ(クレジット無し)●脚本:アーサー・シークマン/ナット・ペリン●撮影:ヘンリー・シャープ●音楽:ジョン・レイポルド●時間:68分●出演:グルーチョ・マルクス/チコ・マルクス/ハーポ・マルクス/ゼッポ・マルクス/マーガレット・デュモント/ルイス・カルハーン/ラクウェル・トレス/エドガー・ケネディ/エドモンド・ブリーズ/エドウィン・マクスウェル/ウィリアム・ウォーシントン/チャールズ・ミドルトン●日本公開:1934/01●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:池袋文芸座ル・ピリエ(86-02-01)(評価:★★★★)●併映:「キートン 将軍」(バスター・キートン)
「オペラは踊る (マルクス兄弟 オペラは踊る)」●原題:A NIGHT AT THE OPERA●制作年:1935年●制作国:アメリカ●監督:サム・ウッド●製作:アーヴィング・タルバーグ(クレジット無し)●脚本:ジョージ・S・カウフマン/モリー・リスキンド●撮影:メリット・B・ガースタッド●音楽:ハーバート・ストサート●時間:96分●出演:グルーチョ・マルクス/チコ・マルクス/ハーポ・マルクス/キティ・カーライル/アラン・ジョーンズ/ウォルター・ウルフ・キング/シグ・ルーマン/マーガレット・デュモント●日本公開:1936/04●配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー●最初に観た場所:ユーロスペース(84-01-29)(評価:★★★☆)●併映:「マルクスの二挺拳銃」(エドワード・バゼル)



実直さが評判の離婚弁護士リチャード・プライスが殺害された。未開封のワインボトルで殴打され、砕けたボトルで喉を刺されていたのだが、これは裁判の相手方が彼に対して口走った脅し文句に似た方法だっ
た。プライスは一千万ポンドの財産をめぐる離婚訴訟を受け持っていて、その相手はアキラ・アンノという有名な小説家であり、彼女は多くの人がいるレストランで、プライスにワインのボトルでぶん殴ってやると脅しともとれる言葉を言い放っていたのだ。現場の壁には謎の数字"182"がペンキで乱暴に描かれていて、、被害者は殺される直前に奇妙な言葉を残していた。私ことアンソニー・ホロヴィッツは、元刑事の探偵ホーソーンによって、この奇妙な事件の捜査に引き摺り込まれていく―。
ミステリーベスト10」(週刊文春2020年12月10日号)第1位、「2021本格ミステリ・ベスト10」(原書房)第1位、「ミステリが読みたい!」(ハヤカワ・ミステリマガジン2021年1月号)第1位を獲得し、3年連続ミステリランキング全制覇、つまり3年連続での4冠を達成しています。





近未来の高度管理社会。15歳の少年アレックスは、平凡で機械的な毎日にうんざりしていた。そこで彼が見つけた唯一の気晴らしは「超暴力」。仲間とともに夜の街を彷徨い、盗み、破壊、暴行、殺人をけたたましく笑いながら繰り返す。だがやがて、国家の手がアレックスに迫る―。
『時計じかけのオレンジ』は、アンソニー・バージェス(1917-1993/76歳没、翻訳出版物ではアントニイ・バージェスと表記される)が1962年に発表したディストピア小説で、スタンリー・キューブリック(1928-1999/70歳没)によって映画化された「時計じかけのオレンジ」('71年/英・米)は、第37回「ニューヨーク映画批評家協会賞」の作品賞や監督賞を受賞しています。
小説にも映画にも、少年たちが作家の家に押し入り、妻を暴行する場面がありますが、原作者アンソニー・バージェスが兵役でジブラルタルに駐在中、ロンドンに残っていた身重の妻が市内が停電中に4人の若い米軍脱走兵に襲われ、金を強奪され、結局赤ん坊を流産したという出来事があったとのことです。さらに、それから何年か後、バージェスは手術不可能な脳腫瘍があるという告知を受け、自分が死んだ後に妻が困らないようにと猛スピードで原稿を書き、『時計じかけのオレンジ』の元稿ができたそうです(脳腫瘍は後に誤診と判明した)。
しかしながら、出来上がった原稿を作者自身が読み返してみて、ただの少年犯罪の小説であって新鮮味も無いことに気がつき、たまたま60年代初頭のソ連に旅行をした時、ソ連にも不良少年がいて英国の不良少年ともなんら違いがなかったことから、主人公の少年が、英語とロシア語を組み合わせて作った「ナツァト言葉」を操るという設定にしたとのことです。
それと、それ以上に大きく異なるのは結末です。映画の衝撃的かつ皮肉ともとれる結末は、原作の第3部の6章で、アレックスが「ルドビコ療法」による「治療」を施されたにもかかわらず、結局「すっかり元通り」になった(要するに"ワル"に戻った)と宣言するところに該当します。しかし、原作は第1部から第3部までそれぞれ7章ずつで構成されており、この第3部の第7章が映画では割愛されています。
最終の第3部の第7章はどういった内容かというと、アレックスは21歳になっていて、新しい仲間たちと集い再び暴れ回る日々に戻るも、そんな生活に対してどこか倦怠感を覚えるようになって、そんなある日、かつての仲間ピートと再会し、妻を伴う彼の口から子どもが生まれたことを聞いて、そろそろ自分も落ち着こうと考え、暴力からの卒業を決意し、かつて犯した犯罪は若気の至りだったと総括するのです。
米国刊行時に最終章のカットを求めたのは実は米国出版社であり、キューブリックや出版社は、最終章をとってつけたハッピーエンドに過ぎないと考え、一方のバージェスはむしろ「主人公か主要登場人物の道徳的変容、あるいは英知が増す可能性を示せないのならば、小説を書く意味などない」とし、第6章で「すべて元通り」のままで終わったのでは、ただの寓話にしかならないと反発したそうです(バージェスはカソリック作家でもある)。
この両者の言い分をどうとるかで「映画派」と「小説派」に分かれるかもしれません(バージェスは映画版を嫌っていたという)。バージェスの側に与したいところですが、そうなると、「ルドビコ療法」によるアレックスの「治療」というのは結果的にうまくいったことになり、「拷問を通じた再教育」を是認するともとられかねない恐れもあるように思われます。映画では、そうした自己矛盾に陥るのを回避し、原作が自由意志の小説であることがインパクトをもって伝わることの方を重視したように思います(キューブリックは「




1950年代に発生した核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三大超大国によって分割統治されていて、国境の紛争地域では絶えず戦争が繰り返されている。物語の舞台オセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンや街中に仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。オセアニアの構成地域の一つ「エアストリップ・ワン(旧英国)」の最大都市ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の下級役人として日々歴史記録の改竄作業を行っている。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。ウィンストンは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという禁行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの三人の人物が載った過去の新聞記事を偶然見つけ、体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性ジュリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになり、古い物の残るチャリントンという老人の店を見つけ、隠れ家としてジュリアと共に過ごす。さらに、ウィンストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚のオブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白、オブライエンよりエマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書を渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。ところが、こうした行為が思わぬ人物の密告から明るみに出る―。
1949年6月に出版されたジョージ・オーウェル(1903-1950)の作品で、オーウェルは結核に苦しみながら、1947年から1948年にかけて転地療養先のスコットランドのジュラ島でこの作品のほとんどを執筆し、1947年暮れから9カ月間治療に専念することになって執筆が中断されるも、1948年12月に最終稿を出版社に送ったとのこと、1950年1月21日、肺動脈破裂による大量出血のため、46歳の若さで亡くなっています。
1984年にマイケル・ラドフォード監督により映画化されており、(「1984」(英))、ウィンストン・スミスをジョン・ハート、オブライエンをリチャード・バートン(この作品が遺作となった)が演じているそうですが未見です。個人
的には、ビッグブラザーのイメージは、同じく1984年に発表された、スティーブ・ジョブズによる初代MacintoshのCM(監督はリドリー・スコット)の中に出てくる巨大なスクリーンに映し出された独裁者の姿でしょうか。明らかにオーウェルの『一九八四年』がモデルですが(独裁者に揶揄されているのはIBMだと言われている)、作品を読む前に先にCMの方を観てしまったこともあり、イメージがなかなか抜けない(笑)。でも、現代に置き換えれば、金正恩や習近平がまさにこのビッグブラザーに該当するのでしょう。
漫画などにもなっていますが、絶対に原作を読んだ方がいいです。ハヤカワepi文庫版の『動物農場』の訳者である山形浩生氏が監修した『まんがでわかる ジョージ・オーウェル「1984年」』('20年/宝島者社)がありますが、これも漫画の部分はそれほどいいとは思わなかったですが、解説はわかりよかったです。





![動物農場 [DVD].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E5%8B%95%E7%89%A9%E8%BE%B2%E5%A0%B4%20%5BDVD%5D.jpg)





反共キャンペーンに利用された一例として、ジョン・ハラス(1912-1995)&ジョイ・バチュラー(1914-1991)監督により1954年にアニメ映画化されていますが(「ハラス&バチュラー」は1940~70年代にかけて、ヨーロッパで最大、かつ最も影響力のあるアニメーションスタジオだった)、この製作をCIAが支援していたことが後に明らかになっています。アニメ「動物農場」は結末が原作と異なっていて、原作では最後まで「非政治的」な「静観主義者」だったロバのベンジャミンが、ここでは親友のウマのボクサーがブタのナポレオンの陰謀によって悲惨な最期を遂げたのを契機に目覚め、リーダーとなって、外部の動物たちの援軍を得て反乱を起こし、ブタたちを退治するというハッピーエンドになっています。
ハッピーエンドにするのはいいのですが、やや全体的に粗かったかなあという印象で、明らかに大人向けの内容なのに、子どもに受けようとしたのか、動物たちが愛らしい動きを描いた場面がしばしば挿入されていて、そのわざとさしさから逆にCIAが背後にいるのを意識したりしてしまいます(笑)。ただし、宮崎駿監督などはその技術を高く評価していて、'08年、日本でのDVDの発売に先行して「三鷹ジブリ美術館」として配給し、全国各地で上映しています。また、ジョン・ハラスにはアニメーション技法についての多くの著作があり、宮崎駿監督もそれを参考書として読んだとのことです。
また、漫画家の石ノ森章太郎(1938-1998)がこれを漫画化していて(『アニマル・ファーム』(「週刊少年マガジン」1970年8月23日第35号~9月13日第38号)、'70年初刊)、'18年にちくま文庫に収められています。文庫版は字が小さくて読みにくいとの声もありますが、原作の登場人物のセリフをそのまま引いてきているため、文字数が多くなってしまうことによるもので、原作へのリスペクトが感じられ、また、原作の雰囲気を掴む上でもこのセリフの活かし方は良いと思いました。
最後の方だけ、ちょっと端折った感があったでしょうか。ちくま文庫同録の短編2編(「くだんのはは」「カラーン・コローン」)は要らなかったです。「アニマル・ファーム」のみ最後までしっかり描き切ってほしかったけれど、売れっ子漫画家がいくつか抱えている連載のうちの1つとして描いているので、なかなかそうはいかなかった事情があったのかもしれません。5回の連載でここまで盛り込めれば上出来とみなすべきなのかもしれません(アニメより密度が濃い)。
「動物農場」●原題:ANIMAL FARM●制作年:1954年●制作国:イギリス●監督・製作:ジョン・ハラス/ジョイ・バチュラー●製作製作プロデューサー:ルイ・ド・ロシュモン●脚本:ジョン・ハラス/ジョイ・バチュラー/フィリップ・スタップ/ロサー・ウォルフ●撮影:ディーン・カンディ●音楽:マティアス・サイバー●アニメーション:ジョン・F・リード●原作:ジョージ・オーウェル●時間:74分●日本公開:2008/12●配給:三鷹の森ジブリ美術館(評価:★★★)