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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「松本清張ドラマスペシャル 霧の旗」)「●津川 雅彦 出演作品」の インデックッスへ
復讐の相手を最後まで許さないところが作者の真骨頂。市川海老蔵のドラマは甘かった。

『霧の旗』['61年]/『霧の旗 (新潮文庫)』『霧の旗 (1964年) (角川文庫)』
「松本清張ドラマスペシャル『霧の旗』」('10年/日本テレビ)
相武紗季/市川海老蔵
昭和30年代半ば、九州の片田舎で金貸しの老女の強盗殺人事件が起き、柳田桐子の兄で教師の正夫が容疑者として逮捕されて裁判にかけられる。正夫が第一発見者で、正夫は被害者から生前金を借りており、しかも殺害現場から借用証書を窃取する等、状況は正夫にとって圧倒的に不利だったが、それでも殺人に関しては無罪を主張する。思いあまった桐子は上京し、同郷出身の高名な弁護士の大塚に弁護の依頼を申し出る。だが、高額な弁護費用を工面できないのと、大塚自身の多忙を理由に断られ、失意の内に帰郷する。その後、一審で出た判決は死刑。そして、控訴中に正夫は無実を訴えながら獄中で非業の死を遂げた。桐子はその旨を大塚に葉書に書いて送る。殺人犯の妹の汚名を着せられた桐子は地元にいられなくなり、上京してホステスになる。一方、葉書を読んだ大塚は後味の悪さを感じ、独自に事件資料を集めて丹念に読み込んでいくうちに、真犯人は桐子の兄以外にいることを突きとめる。その頃、大塚の愛人・河野径子に、ふとしたことから殺人容疑がかかる。だが、たまたま殺人現場の近くに桐子が居合わせており、逃走する犯人の姿を見ていておまけに犯人のものと思われるライターまで拾っていた。径子の無実を証明できるのは桐子ただ一人。径子は桐子に現場近くで見たことをありのままに証言してくれるよう懇願するが―。
雑誌「婦人公論」の1959(昭和34)年7月号から 1960(昭和35)年3月号に連載され、1961(昭和36)年3月に中央公論社より刊行された松本清張作品。作者得意の、女性の怨念がじわっと滲み出てくる復讐劇です。社会学者の作田啓一は、本作において大塚弁護士の側に罪があるとすればそれは「無関心の罪」であり、現代人の多くが密かに心当たりのある感覚であると分析しています。また、評論家の川本三郎は、本作が発表された時期には地方と東京の大きな格差が生まれていて、桐子の大塚弁護士に対する恨みの背景には、地方出身者の東京に対する恨み(と強い憧れ)があると指摘しています。
この物語で特徴的であると思う点は、桐子の大塚弁護士に対する復讐が、愛人の河野径子に不利な証言をすることで彼女を殺人犯に仕立て上げることにとどまらず、大塚弁護士本人にも及ぶ点であり、しかも、純潔を投げ打って大塚弁護士を篭絡するという凄まじいものである点で、ここまでくると彼女のキャラクターは、ややエキセントリックにも思えてきます。でも、ある意味、これが、作者の真骨頂なのでしょう。作者の描く小説に出てくる怨念に満ちた女性には、作者自身の怨念が込められているとも言われていますから。ただし、この作品の主人公の女性は年齢がかなり若いことが1つ特徴でしょうか。


この小説の映画化作品には、1965年の山田洋次監督・倍賞千恵子主演版と、1977年の西河克己監督・山口百恵主演版の2作がありますが、その外に、以下の通り数多くのテレビドラマ化作品があります。
山田 洋次 (原作:松本清張) 「霧の旗」(1965/05 松竹)
「あの頃映画 「霧の旗」 [DVD]」(山田洋次監督・倍賞千恵子)
「霧の旗 [Blu-ray]」(西河克己監督・山口百恵主演)
『松本清張傑作映画ベスト10 5 霧の旗 (DVD BOOK 松本清張傑作映画ベスト10)』
•1967年 ナショナルゴールデン劇場「霧の旗」[全4回]広瀬みさ・芦田伸介・草笛光子(NET(現・テレビ朝日))
•1969年 おんなの劇場「霧の旗」[全6回]栗原小巻・三國連太郎・八千草薫(フジテレビ)
•1972年 銀河ドラマ「霧の旗」[全5回]植木まり子・森雅之・岡田茉莉子(NHK)
•1983年 火曜サスペンス劇場「松本清張の『霧の旗』」[全5回]大竹しのぶ・小林薫・小川真由美(日本テレビ)
•1991年 土曜ワイド劇場「松本清張作家活動40年記念『霧の旗』」安田成美・田村高廣・阿木燿子(テレビ朝日)
•1997年 金曜エンタテイメント「松本清張スペシャル『霧の旗』」若村麻由美・仲代達矢・萬田久子(フジテレビ)
•2003年「松本清張サスペンス特別企画『霧の旗』」星野真里・古谷一行・多岐川裕美(TBS)
•2010年「生誕100年記念 松本清張ドラマスペシャル『霧の旗』」相武紗季・市川海老蔵・戸田菜穂(日本テレビ)
•2014年 松本清張二夜連続ドラマスペシャル(第二夜)「松本清張 霧の旗」堀北真希・椎名桔平・木村佳乃(テレビ朝日)
このうち、日本テレビの相武紗季・市川海老蔵版を観ました。大塚弁護士は「新進気鋭の若手弁護士」ということになっていて、この市川海老蔵演じる大塚弁護士が最後は、雨の中、水溜りに額をつけて相武紗季演じる桐子に謝り倒すのですが、彼女は許さない...どころか、大塚弁護士を誘惑して、彼に犯されたとの告発状を検事局宛に送る―と、ここまでは一応はほぼ原作通りですが、最後の最後で、河野径子(戸田菜穂)の無実を証明する鍵となるライターを検事局の大塚の元上司(中井貴一)に送ってきて、結局、径子の無実は証明され、最後は妻と離婚した大塚と径子が二人仲睦まじくいるという終わり方になっていました(桐子側からすれば、自らの偽証も表明したことになるのだが、これでいいのか?)。
原作では、桐子の偽の告発状に大塚は抗弁することもなく、弁護士界のあらゆる役員を辞職したばかりでなく、弁護士という職業も辞しているので、それに比べるとドラマは甘いと言うか、テレビ的改変とでも言うべきものでしょう。
それにしても随分と大塚と径子に寄り添った作りになっているように思いました。市川海老蔵の演技は好悪が割れるところ。相武紗季が可愛すぎて、幼いころに両親を亡くし悲劇的環境を生きてきた女性には見えず、戸田菜穂が演技力でそれをフォローしているという印象だったでしょうか。西河克己監督の映画で三浦友和が演じた新聞記者役の東貴博(ドラマではフリーライター)や、海老蔵の部下役(事務所の大番頭?)の津川雅彦、大塚のキッチンドランカー気味の妻役の中澤裕子はまずまずといったところでした。

「生誕100年記念 松本清張ドラマスペシャル 霧の旗」●監督:重光亨彦●製作:(チーフプロデューサー)前田伸一郎(日本テレビ)/(プロデューサー)金澤宏次/小越浩造(ユニオン映画)●脚本:中園健司●音楽:糸川玲子●原作:松本清張●出演:市川海老蔵/相武紗季/東貴博/戸田菜穂/津川雅彦/中澤裕子/カンニング竹山/井坂俊哉 /柳原可奈子/山西惇/青田典子/原知佐子/中井貴一/六平直政/本田博太郎/山下真司/温水洋一/森下哲夫/山上賢治/阿部祐二/井上公造/中村有志/山寺宏一(※声のみの出演)●放映:2010/03/16(全1回)●放送局:日本テレビ
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【1962年文庫化[中公文庫]/1964年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[新潮文庫]/1975年・1994年[中公文庫]】



佐山家の主人・佐山貞次(森雅之)は弁護士、夫人・市子(原節子)は教養深い優雅な女性。結婚十年で未だ子供が無いが、佐山が担当する死刑囚の娘・妙子(香川京子)を引取って面倒をみている。ある日、市子の女学校時代の親友・音子(音羽久米子)の娘さかえ(久我美子)が、大阪から市子を頼って家出して来た。さかえは自由奔放で行動的。妙子は内向的な影のある娘で、父に面会に行くほかは、アルバイト学生・有田(石浜朗)との密かな恋に歓びを感じている。二人とも佐山夫妻に憧れているが、さかえは積極的、妙子は消極的。市子には結婚前、清野(三橋達也)という恋人があったが、ある時、佐山の親友の息子・光一(太刀川寛)から何年ぶりかの清野に紹介された。その後、佐山が過労で倒
れた時、さかえは彼のために尽くし、急激に佐山を慕うようになる。全快した佐山と共に、さかえは彼の事務所に勤めることになり、市子の心は微妙にさやぐのだった。その頃、音子が上京し、清野のことも話題になったが、その彼女らの前に、佐山とさかえが清野の招きをうけ、彼に送られて帰宅するという一幕があった。一方、妙子は有田と同棲するために佐山家を出たが、妙子の心づくしにも拘らず、有田は彼女から去っていく。妙子の父の公判が開かれる前日、わがままを言って佐山に打(ぶ)たれたさかえは、その晩帰宅しなかった。市子は、佐山との生活での彼女の苦悩をはじめて夫に打明けたが、市子が思ったほど佐山はさかえに心を奪われてはいなかった。公判の日、妙子の父は佐山の努力で減刑になり、また、さかえは音子のいる宿で泊まったことが判り、市子は安堵する。が、それも束の間、佐山が交通事故で負傷する。幸いにも傷は軽くてほどなく退院した。退院祝いの日、多勢の見舞客のなかに、素直になったさかえを喜ぶ音子や、少年医療院への就職がきまった妙子もいた。だが何よりも佐山家にとっての喜びは、市子が身籠ったことだった。そこへ、京都の父の許へ行くというさかえが、別れを言いに来た。隣室の音子を呼ぼうとする市子をあとに、さかえは雨の中を逃げるように歩み去る―。
川島雄三の1958(昭和33)年監督作で、原作は川端康成が、朝日新聞の朝刊紙上に、1956(昭和31)年3月から同年11月まで251回にわたり連載した長編小説で、前半104回分が「女であること(一)」として1956(昭和31)年12月に新潮社から刊行され、後半は「女であること(二)」として翌年同社より刊行されています。
田中澄江、井手俊郎、川島雄三の3人の共同脚色で、原作も会話が多く、名作ながら川端作品の中ではすらすら読めるタイプに属するものですが、ただし、文庫で680ぺージ近い長編、それをテンポ良く100分の映画に纏めたという感じです。ストーリー的にも、比較的原作に忠実に作られていたように思います(妙子の女友達が出てこなかったぐらいか)。
二人とも原節子(当時38歳くらいか)演じる市子に憧れていますが、とりわけ久我美子演じるさかえは、市子に同性愛的な思慕を抱いている風で(市子に接吻するシーンは原作通り)、それでいて佐山にも急速に接近していく、やや小悪魔的な面もある女性です(市子と彼女の昔の恋人・清野の再会の場もしっかり盗み見したうえで、光一に接近しているし)。
終盤に市子が身籠ったというのは、「雨降って地固まる」といったところでしょうか。ただし、原作もそうですが、映画もプロセスにおいてそうなることを示唆する描写がないので、何かしっくりこない気もします。とは言え、夫婦も危機を乗り越え(もともと、三橋達也よりは森雅之の方が渋いと思うけれどね。作者が川端であることを思うと、森雅之と久我美子の方が危なかった?)、香川京子演じる妙子も将来が見えて落ち着いたのかと思うと、後は、その団欒の輪に入れないのは、久我美子演じるさかえのみです。「違ったところで、違った自分を探し出したい」と言って駆け出していく彼女は、最後まで自分探しを続ける予感がします(ただし、最後のこのセリフも映画のオリジナル。原作は、ただ父に会いに行くと言っているだけで、映画はやや親切過ぎるくらい説明過剰か)。
キャラクターとしては、久我美子演じるさかえが一番"キャラ立ち"していたでしょうか。溝口健二監督の「噂の女」('54年/大映)で「日本のオードリー・ヘプバーン」と言われた彼女ですが(「ローマの休日」が1954年4月に日本で公開されるや、一躍ショートカット、所謂ヘプバーンカットが大流行した)、その4年後のこの「女であること」でも、ヘプバーンを意識して模しているように思いました。そのヘプバーンが大阪弁を喋るので、否が応でも久我美子は印象に残ります。
「女であること」●制作年:1958年●監督:川島雄三●製作:滝村和男/永島一朗●脚本:田中澄江/井手俊郎/川島雄三●撮影:飯村正●音楽:黛敏郎●原作:川端康成●時間:100分●出演:原節子/森雅之/久我美子/香川京子/三橋達也/石浜朗/太刀川洋一/中北千枝子/芦田伸介/菅井きん/丹阿弥谷津子/荒木道子/音羽久米子/南美江/山本学/美輪明宏●公開:1958/01●配給:東宝●最初に観た神保町シアター(「生誕110年 森雅之」特集)(21-04-22)(評価:★★★☆)



戦前、興業証券に入社したが兵隊にとられて退社、戦後、魚のブローカーとして働いていた山鹿梯司に、興業証券
主人公の興業証券営業部長・山鹿梯司のモデルは、日興証券営業部長・斎藤博司で、彼が株屋から証券会社への近代化の波の中で相場に生きた波乱万丈の半生がそのままに描かれているのではないでしょうか。
やや隔世の感があるのは、当時の株取引はまさに人を介したものだったのに、今や〈ネット証券〉隆盛で、インターネットで人を介さないで取引するのが普通になっているというのもあるかと思います。この業界、電子メールではなく電話で株売買するのが常だったので(今でも証券マンに聞けば、会社の指示でメールは使ってはいけないようだ)、電話からメールを飛び超えて一気にネットへいった印象を受けます(茅場町駅あたりで降りて、証券会社の窓口に足を運ぶ人もそれなりにいるとは思うが)。
でも、証券取引の本質的な仕組み自体は今も同じであるともとれ、本書が、株を巡っての財界から個人投資家まで様々な人々の思惑や欲望、それに関わる証券マンの仕事ぶりまを描いた経済小説の記念碑的作品であることの事実と、そこに一定の普遍性が認められことは変わらない思います。



戦時中の1943年、農林省のタイピストとして仏印(ベトナム)へ渡ったゆき子(高峰秀子)は、同地で農林省技師の富岡(森雅之)に会う。当初は富岡に否定的な感情を抱いていたゆき子だが、やがて富岡に妻が居ることを知りつつ2人は関係を結ぶ。終戦を迎え、妻・邦子(中北千枝子)との離婚を宣言して富岡は先に帰国する。後を追って東京の富岡の家を訪れるゆき子だが、富岡は妻とは別れていなかった。失意のゆき子は富岡と別れ、米兵ジョー(ロイ・ジェームス)の情婦になる。そんなゆき子と再会した富岡はゆき子を詰り、ゆき子も富岡を責
めるが結局2人はよりを戻す。終戦後の混乱した経済状況で富岡は仕事が上手くいかず、米兵と別れたゆき子を連
れて伊香保温泉へ旅行に行く。当地の「ボルネオ」という飲み屋の主人・清吉(加東大介)と富岡は意気投合し、2人は店に泊めてもらう。清吉には年下の女房おせい(岡田茉莉子)がおり、彼女に魅せられた富岡はおせいとも関係を結ぶ。ゆき子はその関係に気づき、2人は伊香保を去る。妊娠が判明したゆき子は再び富岡を
訪ねるが、彼はおせいと同棲していた。ゆき子はかつて貞操を犯された義兄の伊庭杉夫(山形勲)に借金をして中絶する。術後の入院中、ゆき子は新聞報道で清吉がおせいを絞殺した事件を知る。ゆき子は新興宗教の教祖になって金回りが良くなった伊庭を訪れ、養われることになる。そんなゆき子の元へ落魄の富岡が現れ、邦子が病死したことを告げる。富岡は新任地の屋久島へ行くことになり、身体の不調を感じていたゆき子も同行するが―。
成瀬巳喜男監督の1955年作品で、同年のキネマ旬報ベストテン第1位、監督賞、主演女優賞(高峰秀子)、主演男優賞受賞作品(森雅之)。「毎日映画コンクール」日本映画大賞、「ブルーリボン賞」作品賞も受賞。『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年/文春文庫)で第5位、キネ旬発表の1999年の「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」で第2位、2009年版(キネ旬創刊90周年記念)」でも第3位に入っています。
しかし、なぜ主人公のゆき子は、富岡みたいな優柔不断なくせに女には手が早いクズ男をいつまでも追いかけまわすのか、これが映画を観ていても原作を読んでいても常について回る疑問でした。だだ、この点について訊かれた水木洋子は、彼女が別れられないのは「身体の相性が良かったからに決まっているじゃない」といった類の発言をしている
そうです。そう思って映画を観ると、あるいは原作を読むと、映画にも原作にもそうしたことは全く描かれていないのですが、にもかかわらず何となく腑に落ちて、これって所謂"女の性(さが)"っていうやつなのかなあと。
当初主演を依頼された高峰秀子は「こんな大恋愛映画は自分には出来ない」と考え、自分の拙さを伝えるために台本を全て読み上げたテープを成瀬らに送ったが、それが気合いの表れと受け取られ、ますます強く依頼される羽目になったとのことです(潜在的には演じてみたい気持ちがあったのでは)。

「浮雲」●制作年:1955年●監督:成瀬巳喜男●製作:藤本真澄●脚本:水木洋子●撮影:玉井正夫●音楽:斎藤一郎●原作:林芙美子●時間:124分●出演:高峰秀子/森雅之(大映)/岡田茉莉子/山形勲/中北千枝
子/加東大介/木匠マユリ/千石規子(東映)/村上冬樹/大川平八郎/金子信雄/ロイ・ジェームス/林幹/谷晃/恩田清二郎/森啓子/馬野都留子/音羽久米子/出雲八重子/瀬良明/堤康久/
木村貞子/桜井巨郎/佐田豊●公開:1955/01●
配給:東宝●最初に観た場所(再見):神田・神保町シアター(21-04-13)(評価:★★★★☆)



ビルマの警官として働く主人公の「私」。当時ビルマはイギリスの権力下に置かれており、現地の人からは良く思われていなかった。「私」はある日、市場(バザール)で象が暴れているとの連絡を受け、ライフルを持って現場に向かう。象は労役用で、さかりがついて鎖を切って暴れ、一人のインド人苦力を踏み殺してしまっていた。「私」が現場に着いた時にはすでに象は大人しくなっていたため、「私」は貴重な労役用の象を射殺する必要はないと判断する。ところが後ろを振り返ると、2千人を超える現地の人たちが野次馬のように集まっていて、「私」が象を射殺するのを期待しているのが強く分かる。「私」は象を撃ちたくないと思いながらも、支配者としてのイギリス人の対面を保つために、象を撃つはめになる―。
1936年秋に発表されたジョージ・オーウェル(本名:エリック・アーサー・ブレア、1903-1950/46歳没)の短編で、オーウェルは19歳から5年間、当時イギリスの支配下にあったビルマ(現在のミャンマー)で警官として過ごしており、この「象を撃つ」はビルマ赴任を終えて約10年近く経て書かれたものですが、ビルマ時代を描いた作品の中でも代表的なものの一つに数えられているとともに、作者の短編の中でも代表作とされているものです。ただし、1945年に出版された『
ところで、この作品は、個人的には『動物農場』['72年/角川文庫]所収のものを読んだのが最初ですが、岩波文庫の『オーウェル評論集』('82年)や平凡社ライブラリーの『オーウェル評論集1』('95年)に収められているように、エッセイという位置づけのようです(平凡社ライブラリー版の原典は"The Collected Essays, Journalism and Letters of George Orwell"。編者によれば、平凡社ライブラリー版の第1集は「経験」というテーマをもとに編纂されているとのこと)。ただし、編者の川端康雄氏によれば、作者はビルマでの記憶が10年を経て「スケッチ」のごとく甦ってきたのが作品を書いた動機だとはしているものの、ドキュメンタリーとも短編小説ともとれるとしています(『ジョージ・オーウェル―「人間らしさ」への讃歌』('20年/岩波新書))。


文庫解説の斎藤美奈子氏が、映画「
斎藤美奈子氏は、タイトルから、「
しかしながら、最後は何とかハッピーエンドに。話が出来過ぎているように思えても、やはり感動させられ、このあたりは作者の力量かなと思いました。こんな「感動物語」の解説を辛口批評の斎藤美奈子氏がやっているいるのがやや意外でしたが、作者の指名であったようです。斎藤氏は、この作品を読んで「身につまされる」のはなぜかを、しっかり社会学的に分析していました。
斎藤美奈子氏は、フランスの社会思想家エリザベート・バダンテールの『XY―男とは何か』('97年/筑摩書房)を引いて、工業化社会以降の職場と家庭の分離が、父と子の距離が離れていった原因であり、家庭に居場所を失った父親は、家長として威厳を保つために権威を振り回すか、愛情ある父親を演じようと子どものご機嫌をとるか、極端に言えばその2つしかなくなるとのこと。息子から見ても、生活圏の異なる父親を自己同一化モデルとすることは難しくなったとしています。
2015年にTBS系列でドラマ化されており(全10回)、一雄(カズ)は西島秀俊
、父(チュウさん)は香川照之、妻・美代子は井川遥、ワゴン車を運転する橋本は吉岡秀隆が、それぞれ演じています。





個人的には未見ですが、'02年7月1日から7月5日まで
NHKBS-2でドラマ化作品が放送されています。一話完結・全6章(最終日のみ二話連続放映)のラインアップは以下の通りで(原作からは「かさぶたまぶた」だけが外れている)、やはり「セッちゃん」を最初にもってきたか。

1962年11月30日の朝。LAの大学で英文学を教えている内省的でシニカルなジョージ(コリン・ファース)にとって、この8ヶ月間は苦痛に満ちた日々だった。16年間共に暮らした建築家のジム(マシュー・グード)が交通事故で亡くなって以来、その悲しみは癒えるどころか、日に日に深くなっていた。だが、彼は自らの手でこの悲しみを終わらせようと決意する。大学のデスクを片付け、銀行の貸金庫の中身をカラにし、新しい銃弾を購入。着々と準備
を進めるジョージだったが、一方で、今日が最後の日だと思って世界を眺めると、些細なことが少しずつ違って見えてくる。最後の授業ではいつになく自らの信条を熱く語り、講義に触発された教え子ケニー(ニコラス・ホルト)が、学校の
外で話したいと追いかけてくる。彼の誘いを断って銀行に行くと、いつも騒がしい隣家の少女と偶然出会う。ジョージは少女の可憐さに始めて気付き、彼女との正直な会話に喜びさえ感じる。だが、帰宅したジョージは、遺書、保険証書、各種のカギ、「ネクタイはウインザーノットで」のメモを添えた死装束......全てを几帳面にテーブルに並べる。そし
て銃、とその時、かつての恋人で今は親友のチャーリー(ジュリアン・ムーア)から電話が入り、ジョージは破るつもりだった約束を守って彼女の家を訪れる。夫と子供に去られ
て孤独な彼女の身勝手な言動に振り回されながらも、未熟で奔放だった青春時代を共にロンドンで過ごした彼女と心から笑い合うジョージ。そして、一日の終わりには、彼の決意を見抜いていたケニーの思いがけない行動にジョージは心を揺さぶられる―。
原作はクリストファー・イシャーウッドの同名小説で、ファッションデザイナーとして知られるトム・フォードの監督の2009年の監督デビュー作です。この作品でコリン・ファースに第66回
ヴェネツィア国際映画祭の男優賞をもたらしたほか、続く「ノクターナル・アニマルズ」('16年)で監督第2作にして、第73回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)に輝いています。
イギリスとイタリアの国籍を持つコリン・ファースは、同性愛者である大学教諭を演じたこの作品で、前述の第66回ヴェネツィア国際映画祭男優賞のほか、英国アカデミー賞主演男優賞受賞など多くの賞を受賞しています(2年後の「
一方、ジュリアン・ムーアは、この時すでに「エデンより彼方に」('02年/米)でヴェネツィア国際映画祭女優賞、「めぐりあう時間たち」('03年/米)でベルリン国際映画祭女優賞を受賞していましたが、その後「マップ・トゥ・ザ・スターズ」('14年/米)でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞したため、
映画はというと、ジョ
ージの元恋人で親友のチャーリーの母の言葉「恋愛はバスを待っているようなもので、一台のバスを逃しても、また次のバスが来る」という、まさにその通りの内容でしたが、その言葉どおりのことががゲイの登場人物に起きるというのがこの映画であり、男同士の恋愛(マイノリティの恋愛)も男女の恋愛(マジョリティの袁愛)と基本的に同じであるということが言いたかったのではないでしょうか。
冷戦下の緊張が高まる1962年のアメリカが舞台で、キューバ危機への社会不安、経済成長の影で崩壊する中産階級、ヒッピー文化の幕開け(荒廃した若者のモラルと相俟って、主人公はこれを嫌悪する)等々―そうした時代の波が押し寄せる中、主人公のジョージは、学問と孤独な精神性に魂の救いと安息を求める、いわば保守的な人間であるわけですが、そうした保守的な(しかもインテリ)人間がゲイであるという設定も、この作品の注目すべきポイントかもしれません(LGBTは文化人類学上の必然であるという近年の思潮に沿っていると言える)。
「シングルマン」●原題:A SINGLE MAN●制作年:2009年●制作国:アメリカ●監督:トム・フォード●製作:トム・フォード/アンドリュー・ミアノ/ロバート・サレルノ/クリス・ワイツ●脚本:トム・フォード/デヴィッド・スケアス●撮影:エドゥアルド・グラウ●音楽:アベエル・コジェニオウスキ/梅林茂●原作:クリストファー・イシャーウッド●時間:128分●出演:コリン・ファース/ジュリアン・ムーア/マシュー・グード/ニコラス・ホルト/ジョン・コルタジャレナ/ジニファー・グッドウィン/テディ・シアーズ/ライアン・シンプキンス/リー・ペイス/エリン・ダニエルズ/アリーン・ウェバー/ジョン・ハム(声のみ)●日本公開:2010/10●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-03-12)(評価:★★★★)






東西冷戦下、英国情報局秘密情報部MI6(通称サーカス)とソ連情報部KGB(通称モスクワセンター)は熾烈な情報戦を繰り広げていた。長年の作戦失敗や情報漏洩から、サーカスの長官であるコントロール(ジョン・ハート)は内部にソ連情報部の二重スパイ〈もぐら
〉がいるとの情報を掴む。ハンガリーの将軍が〈もぐら〉の名前と引き換えに亡命を要求。コントロールは独断で、工作員ジム・プリドー(マーク・ストロング)をブダペストに送り込むが、ジムが撃たれて作戦は失敗に終わる。責任を問われたコントロールは、長年の右腕ジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)と共に組織を去ることに。退職後ほどなくコントロールは謎の死を遂げ、ほぼ同時期にイスタンブールに派遣されていたリッキー・ター(トム・ハーディ)の前に、持つソ連情報部の女イリーナ(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)が現れる。彼女と恋仲になったターはイリーナを英国に亡命させるためロンドンのサーに連絡するが、翌日イリーナはソ連情報部に発見され連れ去られる。サーカス内部に「もぐら」がいることを察知したターはイギリスへ戻り、外務次官でサーカスの監視役のオリバー・レイコン(サイモン・マクバーニー)に連絡。レ
カス本部イコンは、引退したスマイリーに
「もぐら」探しを要請する。スマイリーは、ターの上司のピーター・ギラム(ベネディクト・カンバーバッチ)と、ロンドン警視庁公安部のメンデル警部(ロジャー・ロイド=パック)とともに調査を始める。標的は、組織幹部である"ティンカー(鋳掛け屋)"ことパーシー・アレリン(トビ-・ジョー、"テイラー(仕立て屋)"ことビル・ヘイドン(コリン・ファー
ンズ)ス)、"ソルジャー(兵隊)"ことロイ・ブランド(キアラン・ハインズ)、
"プアマン(貧乏人)"ことトビー・エスタヘイス(デヴィッド・デンシック)の4人。スマイリーは、過去の記憶を遡り、証言を集め、容疑者を洗いあげていくと、ソ連の深部情報ソース〈ウィッチクラフト〉が浮かび上がる。そしてかつての宿敵のソ連のスパイ、カーラ(マイケル・サーン(声のみ))の影。やがてスマイリーが見い出した意外な裏切り者とは―。
一度観ただけでは、複雑な人物相関を理解するのが難しく、原作を読んでからもう一度映画を観直してみて、やっと理解できたという感じでした(でも、1度目に観た時も雰囲気は愉しめた)。
しかし、コリン・ファースが演じる戦略的に人妻を誘惑したヘイドンも、ベネディクト・カンバーバッチが演じる職場の女性に対
してプレイボーイとして振る舞うギラムも、実はどちらもゲイだったということか...。原作では、ギラムの方はゲイということになっていないので、これは映画のオリジナルです(ゲイ映画ブームに乗っかった?)。二重スパイとその"愛人"の哀しい結末は、原作と同じです。
6世を演じて第83回アカデミー賞の主演男優賞受賞と第68回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)をダブル受賞しています。一方、スマイリーを演じたゲイリー・オールドマンは、この作品でアカデミー主演男優賞に初ノミネートされるも受賞は果たせませんで
したが、その後「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」('17年/英・米)でチャーチルを演じて、こちらも第90回アカデミー賞の主演男優賞と第75回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)をダブル受賞しています(リュック・ベッソン監督の「
「裏切りのサーカス」●原題:TINKER TAILOR SOLDIER SPY●制作年:2011年●制作国:イギリス・フランス・ドイツ●監督:トーマス・アルフレッドソン●製作:ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー/ロビン・スロヴォ●脚本:ブリジット・オコナー/ピーター・ストローハ●撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ●音楽:アルベルト・イグレシアス●原作:ジョン・ル・カレ●時間:128分●出演:ゲイリー・オールドマン/コリン・ファース/トム・ハーディ/ジョン・ハート/トビー・ジョーンズ/マーク・ストロング/ベネディクト・カンバーバッチ/キアラン・ハインズ/デヴィッド・デンシック/スティーヴン・グレアム/サイモン・マクバーニー/スヴェトラーナ・コドチェンコワ/キャシ
ー・バーク/ロジャー・ロイド=パック/クリスチャン・マッケイ/コンスタンチン・ハベンスキー/マイケル・サーン(声のみ)/ジョン・ル・カレ(カメオ出演)●日本公開:2012/04●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-03-20)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(19-03-26)(評価:★★★★)




ヘルシンキ。トルコからやってきた貨物船に身を隠していたカーリド(シェルワン・ハジ)は、この街に降り立ち難民申請をする。彼はシリアの故郷アレッポで家族を失い、たったひとり生き残った妹ミリアム(ニロズ・ハジ)と生き別れになっていたのだ。彼女をフィンランドに呼び、慎ましいながら幸福な暮らしを送らせることがカーリドの願いだった。一方、この街でセールスマン稼業と酒浸りの妻に嫌気がさしていた男ヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)は遂に家出し、全てを売り払った金をギャンブルにつぎ込んで運良く大金を手にした。彼はその金で一軒のレストランを買い、新しい人生の糧としようとする。店と一緒についてきた従業員たちは無愛想でやる気の
ない連中だったが、ヴィクストロムにはそれなりにいい職場を築けるように思えた。その頃カーリドは、申請空しく入国管理局から強制送還されそうになり、逃走を目論んだあげく出くわしたネオナチの男たちに襲われるが、偶然ヴィクストロムに救われる。拳を交えながらも彼らは友情を育み、カーリドはレストランの従業員に雇われたばかりか、寝床や身分証までもヴィクストロムに与えられた。商売繁盛を狙って手を出した寿司屋事業には失敗するものの、いつしか先輩従業員たちまでもカーリドと深い絆で結ばれていく。そんなある日、カーリドは難民仲間からミリアムの居場所を知らされる。ヴィクストロムらの協力で彼は妹と再会、目的を果たすに至る。だが、安心しきった彼をいつかのネオナチの一員が襲う―。
フィンランドのアキ・カウリスマキ監督・脚本による2017年の映画で、カンヌ国際映画祭でプレミア上映された前作の「
映画は、「ル・アーヴルの靴みがき」と似た流れで、主人公が偶然出くわした一人の難民を庇護するというものです。レストラン経営のヴィクストロムは偶然にシリア難民の青年カーリドと出くわし、最初は互いに殴り合いの喧嘩をするものの、結局は彼を受け入れることで、彼を強制送還しようとする側、彼を暴力で排除しようとする側と対峙することになります。
ネタバレになりますが、最後はヴィクストロムは妻とのよりを戻し(カーリドを庇護することが彼の人格に変化をもたらした?)、一方のカーリドは、ネオナチに刺されながらも、妹を難民センターに送り出した後、浜辺で朝日を受けて横たわり、寄り添ってきた犬のコイスティネンに微かに微笑む(そう言えば「ル・アーヴルの靴みがき」でも犬は難民の少年の味方だった)―というエンディングでした。
この映画は随所にユーモアが見られます。例えば、ヴィクストロムがレストランを改装して日本風にした寿司屋は、欧米人にありがちな勘違い的日本趣味に溢れていて、法被を着た従業員たちもどこか変です。日本人がしばしば外国映画に見い出す"おかしな日本観"を、カウリスマキ監督は意図的に具象化してみせ、ユーモアを醸しているように思えます(日本人にはよくわかるユーモアだが、外国人にどこまでわかるか?)。
「希望のかなた」●原題:TOIVON TUOLLA PUOLEN●制作年:2017年●制作国:フィンランド・ドイツ●監督・製作・脚本:アキ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:98分●出演:シェルワン・ハジ/サカリ・クオスマネン/シーモン・フセイン・アル=バズーン/カイヤ・パカリネン/ニロズ・ハジ/イルッカ・コイヴラ/ヤンネ・フーティアイネン/ヌップ・コイヴ/カティ・オウティネン/マリア・ヤンヴェンヘルミ/ミルカ・アフロス/スレヴィ・ペルトラ/マッティ・オンニスマー/ハンヌ=ペッカ・ビョルクマン/タネリ・マケラ/ヴィッレ・ヴィルタネン/トンミ・コルペラ/ヴァルプ(犬のコイスティネン)●日本公開:2017/12●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-12-17)(評価:★★★★)

北フランスの大西洋に臨む港町ル・アーヴル。ここに暮らすマルセル・マルクス(アンドレ・ウィルム)は、かつてパリでボヘミアン生活を送っていたが、今はル・アーヴルの駅前での靴磨きを生業としている。ベトナム移民のチャング(クォック=デュン・グエン)と共に日々靴磨きに精を出し、夕暮れともなると微々たる儲けながら代金を持ち帰り、献身的な妻・妻のアルレッティ(カティ・オウティネン)に迎えてもらうのを楽しみにしていた。ずっと苦労をかけてきた妻は、マルセ
ルにしてみれば勿体ないくらいの女房と感じられてならなかった。そんなある日、アルレッティは病に倒れ、医師から治る見込みはない、余命も長くないと宣告されるが、彼女はマルセルには絶対にこのことは言わないで欲しいと医師に頼む。一方、港にアフリカのガボンからの不法移民が乗った船が漂着し、密航者らのコンテ
ナから逃げ出し、警察の検挙をすり抜けた一人の少年イドリッサ(ブロンダン・ミゲル)にマルセルは偶然出くわす。警視のモネ(ジャン=ピエール・ダルッサン)はマルセルを尋問し、不審者を見なかったかと訊ねるが、少年を見捨てられないと考えたマルセルは、街の一同と共に少年を庇う。ところが隣の住人(ジャン=ピエール
・レオ)が、黒人の少年が出入りするのを目撃し、警察に通報してしまう。モネ警視はマルセルに付きまとい馬鹿な真似はするなと忠告する。マルセルは収監されたイドリッサの祖父に会いに行き、ロンドンにイドリッサの母親がいて、自分は捕まってしまったが、イドリッサをロンドンに行かせてほしいと頼まれる。マルセルは密航に必要ま300ユーロを集めるため、人気ロックスターのリトル・ボブ(ロベルト・ピアッツァ)にチャリティコンサートを依頼する。資金が集まって、いよいよ密航の日、イドリッサを港まで運び船に乗せることがたが、そこに警視モネがやって来る―。
アンドレ・ウィルムが演じた主人公のマルセル・マルクスという名前は、カール・マルクスにインスパイアされたそうで、また、 ジャン=ピエール・ダルッサンが演じたモネ警視は、ドストエフスキーの『罪と罰』に登場する、ラスコーリニコフを疑い心理面から追い詰める捜査官ポルフィーリー・ペトローヴィチにインスパイアされているそうです。
マルセルの頼みでチャリティ・コンサートをやってくれる人気ロックスターのリトル・ボブ(ロベルト・ピアッツァ)は実在のロックンローラーで、つまり本人役で出ているわけです。カウリスマキ監督は、「ロケ地を探していたとき、リトル・ボブの存在がル・アーヴルを舞台に選んだ理由のひとつだった」と言い、「ル・アーブルはフランスのメンフィス、リトル・ボブはさながらそこのエルヴィス・プレスリー」と、その歌声を絶賛しています。
ジャン=ピエール・レオは、トリフォーやゴダールの映画によく出ていたヌーヴェルヴァーグ映画の代表的俳優ですが、まさかこんな密告者役で出ているとは思いませんでした(この密告者の男だけが映画の中で"嫌な奴"なのだが)。2016年には第69回カンヌ国際映画祭においてパルム・ドール・ドヌール(名誉パルム・ドール)を受賞していますが、過去の同賞の受賞者は以下の通り錚々たる顔ぶれになります。
「ルアーヴルの
靴みがき」●原題:LE HAVRE●制作年:2011年●制作国:フィンランド・フランス・ドイツ●監督・製作・脚本:アキ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:93分●出演:アンドレ・ウィルム/カティ・オウティネン/ジャン=ピエール・ダルッサン/ブロンダン・ミゲル/エリナ・サロ/イヴリーヌ・ディディ/クォック=デュン・グエン/フランソワ・モニエ/ロベルト・ピアッツァ/ピエール・エテックス/ジャン=ピエール・レオ/ライカ(犬)●日本公開:2012/04●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-12-04)(評価:★★★★)

バレンタイン目前のある日、ジョエル(ジム・キャリー)は、最近ケンカ別れした恋人のクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)が、自分との記憶を全部消してしまったという不思議な手紙を受け取る。ショックを受けたジョエルは、自らもクレメンタインとの波乱に満ちた日々を忘れようと、記憶除去を専門とするラクーナ医院の門を叩く。ハワード・ミュージワック博士(トム・ウィルキンソン)が開発したその手術法は
、一晩寝ている間に、脳の中の特定の記憶だけを消去できるというもの。さっそく施術を受けるジョエル。技師のパトリック(イライジャ・ウッド)、スタン(マーク・ラファロ)、メアリー(キルスティン・ダンス
ト)が記憶を消していく間、無意識のジョエルは、クレメンタインと過ごした日々を逆回転で体験する。しかしやがて、ジョエルは忘れたくない素敵な時間の存在に気づき、手術を止めたいと思うようになるが、そのまま手術は終わる。そして朝。家を出たジョエルは、衝動的に仕事をさぼって海辺へと向かい、そこでクレメンタインと出会う。二人は互いに惹かれ合うが、彼らのもとに、消された記憶について二人がそれぞれ語っているテープが届く。自分と博士との不倫の記憶を消されたと知ったメアリーが、彼らに送ったのだ。テープから聞こえてくるお互いの悪口。しかし二人は、それでも改めて恋に落ちるのだった―。
2004年公開のミシェル・ゴンドリー監督作で、アカデミー賞脚本賞、放送映画批評家協会賞作品賞などを受賞していますが、確かに脚本が巧みでした。「記憶除去」を扱った映画SFでもあり、サターン賞の最高賞である「SF映画賞」も受賞していますが、SFチックな部分はわざとキッチュに作っている感じで、やはり、サターン賞も含め、評価されたのは脚本の面白さだったのではないでしょうか(映像も、金をかけないなりに撮り方に凝っていた)。
冒頭にジム・キャリー演じるジョエルとケイト・ウィンスレット演じるクレメンタインの列車での出会いの場面があります。朝、家を出て職場に向かおうとしたジョエルは、衝動的に仕事をさぼってロングアイランドの果て「モントーク」の海辺へと向かい、そこでクレメンタインと出会う―クレメンタインがかなり積極的にジョエルにアプローチしていて、ちょっとエキセントリックですらありましたが、これ全部、伏線があったのだなあ。思えば、映画の構成自体が、推理小説で言うところの"叙述トリック"と言うか、観客に対する一つのトリックみたいになって、そのことに気づいたのは観始めてかなり経ってからでした。
二度目の二人の出会いのシーンが出てきて、「えっ、何これ」という感じになりましたが、それこそがこの映画の画期的にユニークな点だったわけです。要するに、観ている観客がいつの間にか主人公と同じ"記憶喪失"状態を体験していたということです(「何、言っているか分からない」って、分からない方が幸せ。実際に映画を観て味わって欲しい)。コレ、この方法が使えるのはこの作品1回きりだろなあという気がします。誰かが後から真似ようと思っても、この映画から「盗んだ」という捉え方しかされないのではないでしょうか。
ラブ・ストーリーとしても良く出来ていますが、ジム・キャリー演じるジョエルとケイト・ウィンスレット演じるクレメンタインでは、後者の方が完全に"キャラ立ち"しており、ケイト・ウィンスレットはこの作品で、ロンドン映画批評家協会賞「英国主演女優賞」、放送映画批評家協会賞「主演女優賞」などを受賞しています(アカデミー「主演女優賞」、ゴールデングローブ賞「主演女優賞(ドラマ部門)」にもノミネート)。彼女は2年後の「
「エターナル・サンシャイン」●原題:ETERNAL SUNSHINE OF THE SPOTLESS MIND●制作年:2004年●制作国:アメリカ●監督:ミシェル・ゴンドリー●製作:スティーヴ・ゴリン/アンソニー・ブレグマン●脚本:チャーリ
ー・カウフマン●撮影:エレン・クラス●音楽:ジョン・ブライオン●時間:107分●出演:ジム・キャリー/ケイト・ウィンスレット/イライジャ・ウッド/キルスティン・ダンスト/マーク・ラファロ/トム・ウィルキンソン/デヴィッド・クロス●日本公開:2005/03●配給:ギャガ=ヒューマックス●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-02-26)(評価:★★★★)

ガーデニングが趣味の物静かな英国外務省一等書記官のジャスティン(レイフ・ファインズ)は、スラムの医療施設を改善する救援活動に励む妻テッサ(レイチェル・ワイズ)と、ナイロビで暮らしていた。しかし突然、テッサがトゥルカナ湖の南端で殺害されたという報せが届く。彼女と同行していた黒人医師アーノルド(ユベール・クンデ)は行方不明。警察はよくある殺人事件と断定して処理しようとするが、その動きや、テッサに密かに思いを寄せていた同僚サンディ(ダニー・ヒューストン)の不審な振る舞いから、疑念にかられたジャスティンは、妻の死の真相を独自に調べ始める。そして、アフリカで横行する薬物実験、大手製薬会社と外務省のアフリカ局長ペレグリン(ビル・ナイ)の癒着という、テッサが生前暴こうとしていた世界的陰謀を知る。命の危険にさらされながら、テッサの想いを引き継ぐジャスティンは、その過程で、改めてテッサへの愛を実感していく。しかし、やがてジャスティンもテッサと同じように―。
2005年制作のブラジル人監督フェルナンド・
メイレレスによる作品で、原作は、昨年結果的に['20年]12月に亡くなったジョン・ル・カレ(『寒い国から帰ってきたスパイ』『
原題の意味は「誠実な庭師」で、レイフ・ファインズが演じた外務省一等書記官であるジャスティンの趣味がガーデニングであることに重ねて、彼が外交官でありながらも元来は政治に関心の薄いノンポ
リであることを示唆しているようです。そのジャスティンが、亡きテッサへの信愛から、その死の謎を探るうちに、大手製薬会社と政治家の癒着という闇の世界にどんどん喰い込んでいき、改めて彼女への愛を深めつつ、自らを犠牲にしてまでも、彼女から引き継いだ真相究明の責務を果たすまでに変貌する様が、テンポよく描けているように思いました。
ケニアの首都ナイロビのスラム街は、「シティ・オブ・ゴッド」('02年/ブラジル)で同じくリオのスラム街をで撮ったフェルナンド・メイレレス監督をして「見たことない劣悪さ」と言わしめたそうですが、現地での撮影交渉やエキストラ確保において困難を極める中で、現地の人々い映画の趣旨を丁寧に説明して賛同を得たり、交換条件として橋を建造したりして協力を得たとのことです。結果的には、ハンディカメラなどを使って現地の人々をドキュメンタリータッチで撮るというやり方は、貧困の中でも逞しく生きる現地の人々の息吹を伝え、成功しているように思いました。その上で、先進国の経済は発展途上国の犠牲の上に成り立っているのではないかということを改めて考えさせられる重い作品でした。
この映画におけるテッサとジャスティンの出会いについて、テッサがジャスティンに最初は突っかかるような感じの質問をしてそのあ
と極めて能動的に接近したのは(すぐにベッドインしたね)、ジャスティンが外交官であり、彼と結婚すればアフリカに行けると考えたからではないかとの見方があるようですが、確かにテッサには目的のためには手段を選ばないという一面もありはするものの、ヒロインに関してそういう解釈のもとに映画を撮る監督が果たしているものでしょうか。個人的には、やや穿ち過ぎた見方のように思います。
ラストで、テッサと不倫関係にあったのではと噂されたアーノルドが実はゲイだったというのは(この映画、ここだけ笑える)、テッサもきっちりジャスティンを愛していたということの証左とまでは言わないまでも、そうした疑念への反証を示唆しているように思えました(もしかしたら、監督はそんなことまで考えてなかったかもしれないが)。
「ナイロビの蜂」●原題:THE CONSTANT GARDENER●制作年:2005年●制作国:イギリス・ドイツ・アメリカ・中国●監督:フェルナンド・メイレレス●製作:サイモン・チャニング・ウィリアムス●脚本:ジェフリー・ケイン●撮影:セザール・シャローン●音楽:アルベ
ルト・イグレシアス●原作:ジョン・ル・カレ「ナイロビの蜂」●時間:128分●出演:レイフ・ファインズ/レイチェル・ワイズ/ダニー・ヒューストン/ビル・ナイ/ユベール・クンデ/ドナルド・サンプター/ジェラルド・マクソーリー/リチャード・マッケイブ/ピート・ポスルスウェイト/ジュリエット・オーブリー/アネク・キム・サルナウ●日本公開:2006/05●配給:ギャガ・コミュニケーションズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-02-12)(評価:★★★★)

裏売買で父親が手に入れたライフルを羊を狙うジャッカルの退治に渡された遊牧民の兄弟。羊の放牧に出た真面目な兄アーメッド(サイード・タルカーニ)と要領のいい弟ユセフ(ブブケ・アイト・エル・カイド)は射撃の腕を競ううちに遠くの観光バスを標的にしてしまう。バスの乗客の中には、互いに心の中に
相手への不安を抱えながら、旅行でモロッコを訪れたアメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)が乗っていたが、スーザンがその銃撃を受けて負傷、観光客一行は近くの村へ身を寄せる。リチャードは必死に救助を要請するが助けはなかなか来ず、バスに残された他の観光客たちとも不和が広がっていく。次第に事件が解明され、ライフルの入手元がモロッコに来た日本人の観光ハンターのヤスジロー(役所広司)であることが判明する。
リチャード・スーザン夫妻の家で子ども2人の世話するメキシコ人の使用人で不法就労者のアメリア(アドリアナ・バラッザ)は、故郷のティフアナで催される息子の結婚式が迫るも、夫妻が旅行中のトラブルで帰国できず、代わりに子どもの面倒を見てくれるはずの親戚も都合がつかない。しかたなく彼女は子どもたちを結婚
式に同行させる。式の後、甥のサンティアゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が3人をアメリカまで送り返すが、国境の検問所で子どもたちを不法に連れ込んだと見なされたのと飲酒運転がばれ、取り調べを受けそうになったところを強行突破する。警察に追われ逃げ切れないと焦ったサンティアゴは、真夜中の荒野にアメリアと子どもたちを置き去りにする。
父・綿谷安二郎(役所広司)と二人暮しの聾者の女子高生・綿谷千恵子(菊地凛子
)は、自殺した母親を亡くした苦しみを父とうまく分かち合うことができない。不器用な父娘関係に孤独感を深める千恵子だが、街に出ても聾であることで疎外感を味わう。ある日、警察が父親に面会を求めて自宅を訪れるが、千恵子は刑事の目的を母親の死と関係があると誤解する―。
2006年公開のメキシコのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作で、第59回カンヌ国際映画祭で監督賞、第64回ゴールデングローブ賞でドラマ部門の作品賞を受賞した作品。脚本は同じくメキシコ出身で、この作品の2年後には、「
映画公開時のキャッチコピーは「届け、心。」、「神よ、これが天罰か。」でしたが、「世界は繋がっている」とかの方が良かったのではないでしょうか。何で繋がっているかと言えば、モノとしては「ライフル」であり、それはある意味「罪」の象徴として繋がっていたということになるのかもしれません。
そうなると、それは母親の死と関係があるのか―そもそも母親はなぜ死んだのか、またどのようにして死んだのかですが、まず、母親が安二郎と千恵子の関係を知ったのはほぼ間違いなく、そこから死に至った経緯として考えられるのは、
「バベル」●原題:BABEL●制作年:2006年●制作国:アメリカ●監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ●製作:スティーヴ・ゴリン/ジョン・キリク/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ●脚本:ギレルモ(ギジェルモ)・アリアガ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:グスターボ・サンタオラヤ(坂本龍一 ※ オリジナル・アルバムより3曲使用されている)●時間:142分●出演:ブラッド・ピット/ケイト・ブランシェット/ブブケ・アイト・エル・カイド/サイード・タルカーニ/ムスタファ・ラシーディ/アドリアナ・バラッザ/ガエル・ガルシア・ベルナル/ネイサン・ギャンブル/エル・ファニング/モハメド・アクザム/クリフトン・コリンズ・jr/マイケル・ペーニャ/役所広司/菊地凛子/二階堂智/小木茂光/ミチ・ヤマト●日本公開:2007/04●配給:ギャガ・コミュニケーションズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-01-22)(評価:★★★☆)

双子姉弟ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マクシム・ゴーデット)の母親ナワル(ルブナ・アザバル)が、ある日プールサイドで原因不明の放心状態に陥り息絶える。姉弟を驚かせたのは、ナワルを長年秘書として雇っていた公証人のルベル(レミ・ジラール)が読み上げた遺言だった。ルベルはナワルから預かっていた二通の手紙を差し出す。それは姉弟の父親、兄それ

2010年のカナダ映画で、原作は、レバノン生まれでカナダ・ケベック州に移住した劇作家ワジディ・ムアワッドが1997~2009年に発表した戯曲『約束の血』四部作の第二部「焼け焦げるたましい(原題:Incendies、火事)」(2003年)。日本でも2009年に「焼け焦げるたましい」の題で上演されていますが、これをドゥニ・ヴィルヌーヴが脚色と監督を務め映画化したもの。同監督はこの「灼熱の魂」で、カナダの映画賞ジニー賞を、「渦」('00年)、「静かなる叫び」('09年)に続く3度目の受賞をし、この作品は米アカデミー賞外国語映画賞のカナダ代表に選出され、ノミネート作品5本のうちに選ばれましたが、アメリカで最も有名で信頼される映画評論家とされたロジャー・イーバート(1942-2013)などが推したものの、肝心の受賞はデンマークのスサンネ・ビア監督の「未来を生きる君たちへ」('10年)に持っていかれて逃しています。
レバノン内戦の悲劇とその中で起きた親子の悲劇。そのすべてを包み込む母の愛の偉大。近親相姦が出てきたところでまさにエグい話だと感じましたが、全体の構成が巧みで、ミステリ的要素もあって感動もさせる凄い映画でもあると思いました(「父と兄を探す旅」というキャッチが1つミソだった)。アカデミー賞外国語映画賞を逃したのは、「重い」ながらも「面白すぎる」からではないかと思ったりもしました(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はこの作品でアメリカ進出を果たし、近年では「メッセージ」('16年)、「ブレードランナー 2049」('17年)、「DUNE/デューン 砂の惑星」('20年)などSF娯楽作品の監督をしている)。
もう一つ、弱点らしきものとして言われているのは、本作の登場人物が特別な運命を背負っているように見えてしまうことであり、本作の双子が親の因縁を解き明かしていく物語は、我々が身近に見聞きするような類のものではなく、ギリシャ神話に材を取ったギリシャ悲劇の物語に思えてしまうことです。それをどう捉えるかは観た人それぞれだとは思いますが、日常普遍の物語とは言い難いと思います。
ただ、「リアルか神話か」などといったことは観終わった後で思うことであって、観ている間は引き込まれました。テーマ的にも、「どうすれば怒りの連鎖を断ち切ることができるのか」という問いにこの映画なりの解答を出していて、それは悲劇を悲劇として終わらせてしまうことへの強烈なアンチテーゼにもなっているように思いました。
こ)物」とも言え、好みは割れると思いますが、個人的には傑作だと思います。母親ナワル役のベルギー出身の女優ルブナ・アザバルは、父はモロッコ人、母はスペイン人。英語、フランス語、アラビア語で演技でき、ハニ・アブ・アサド監督の「パラダイス・ナウ」('05年/仏・独・オランダ・パレスチナ)で注目されるようになりましたが、力量のある俳優のように思いました。
「灼熱の魂」●原題:INCENDIES●制作年:2010年●制作国:カナダ・フランス●監督・脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ●製作:リュック・デリ/キム・マクロー●撮影:アンドレ・トゥルパン●音楽:グレゴワール・エッツェル●原作:ワジディ・ムアワッド「焼け焦げるたましい」●時間:131分●出演:ルブナ・アザバル/メリッサ・デゾルモー=プーラン/マキシム・ゴーデット/レミー・ジラール/アブデル・ガフール・エラージズ/アレン・アルトマン/モハメド・マジュド/ビル・サワラ/バヤ・ベラル●日本公開:2011/12●配給:アルバトロス・フィルム●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-10-16)(評価:★★★★☆)