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学術書を一般向けに噛み砕いた感じ。アルツ予防にはカロリー摂取の制限と、運動、知的活動か。
第1章「ぼけとは何か」と第2章「ぼけの診断」において認知症(老人性痴呆症)について概説し、認知症の中でも90年代以降アルツハイマー病が増えてきていることを指摘、本書のメインとなる第3章「アルツハイマー病の予防」で、その予防法を、本書刊行時における最新の臨床研究の成果を紹介しながら、傾向的に解説しています。
そのため、認知症全般の予防というよりは、アルツハイマー病の予防に関する研究成果を紹介した入門書と言ってよく、但し、アルツハイマー病との関連上、健康・長寿に関する話なども出てきます。
「臨床研究からこうした傾向が見られるが、その原因は幾つか考えられ(諸説あり)、一つは○○...」といった書かかれ方をしている部分が多いですが、アプリオリに特定の原因と予防法を押し付けるのではなく、データを基に傾向として示しているところに、かえって信頼感が持てました。
アルツハイマー病の予防に関しては、食生活、嗜好品のとり方、生活習慣と頭の使い方、薬とサプリメントの効用の4つの点から解説していますが、食生活のおいては、摂取カロリーを制限することが予防に有効であることは、統計的に証明されているようです。
個別事例としては、1911年生まれの日野原重明氏が紹介されていて(本書刊行時94歳)、NHKのドキュメンタリーで紹介された、当時のある一日の暮らしぶり、仕事ぶりを改めて紹介していますが、朝起きて柔軟体操をした後に、りんごジュース、にんじんスープ、牛乳とコーヒーという液体だけの朝食(りんごジュースにはサラダ油をちょっと落とす)、午前中に講演した後の昼食は立食パーティで牛乳コップ1杯のみ、午後は大学で90分立ちっぱなしで講義し、夕食は茶碗少し目のご飯に味噌汁、サラダと副食二品、1日の摂取カロリーは1300キロカロリー。
年齢によって理想の摂取カロリーは変わってきますが、摂取カロリーの高い人は低い人の1.5倍の率でアルツハイマーになりやすく(これも原因は分かっていない)、日野原氏自身が言う「腹七分目」というのは、アルツハイマー病予防の一つの鍵なのだろうなあと。
但し、日野原氏と同じような生活をしても日野原氏のように長生きできるかどうかは、寿命には様々な要素が絡むため分からないとのこと(この人、100歳を超えて今も元気だなあ。やや怪物的かも)。
食生活ではそのほか、動物性脂肪のとりすぎは悪く、野菜や果物をよくとることは予防にいいとし、「酒」は飲み過ぎは良くないが適量であれば飲まないよりはよく、「運動すること」や「頭を使うこと」はアルツ予防にいいと―。
このあたりは大方の予想がつきそうな内容でしたが、統計的にそのことを示す一方で、原因が科学的に解明されている部分と未解明の部分があることを示し、未解明の部分については考えられている仮説を逐一紹介したりしているのが「岩波新書」らしいところ(学術研究書を一般向けに噛み砕いた感じ)。
「頭を使うこと」が予防にいいということについて、大変興味深い海外のケースが紹介されていて、ある修道院の修道女を対象に行った加齢と認知症に関する追跡調査で、調査協力の意思表明後101歳で死亡した修道女の脳を解剖したら、脳萎縮などのアルツハイマー病の症状が見られたものの、この修道女は亡くなる直前まで聡明で知能検査でも高い得点を出していたと。
彼女に認知症の症状がなく聡明だった理由は、若い時分からから老年期に至るまで知的好奇心と知的活動を維持してためと考えられるようですが、脳を使えば使うほど、神経細胞の一部は数が多くなり、脳内のネットワークが強化され、加齢による神経細胞の脱落をカバーして、認知症になるのを遅らせることに繋がるようです。
それにしても、脳が実際にルツハイマー病の症状を呈していたのに、生活面でそれが症状として現れることが無かったというのは、実に興味深い事例だと思いました。



金沢では、現在の金沢市民芸術村(旧大和紡績金沢工場)付近や犀川べり犀川神社付近に住みましたが、自分が通った、元々は金沢の伝統的な長い土塀で囲まれていたという小学校も、尾山神社のすぐ近くあった中学校も今は無く、それぞれ市民体育館とホテルになってしまいました。
そもそも自分は、金沢市と石川県の地歴を学校で教わる小学校の3、4年生の時には金沢にいなかったのですが、「加賀百万石まつり」の前夜祭には提灯行列に5、6年生の生徒が駆り出され(これは今でも変わっていないみたい)、「二つの流れ遠長く 麗澤清んで涌くところ 甍の波 の日に沿いて 自ずからなる大都会」という金沢市歌を歌いながら金沢城付近を練り歩き、歴史を体感した(?)記憶があります(歌詞二番の「眺め尽きせぬ兼六の 園には人の影絶えず」って「その庭人の影絶えず」だとずっと思っていた(笑))。
本書は金沢という街をいろいろな角度から百景ほど紹介していますが、タイトルを「百景」としなかったのは、番組の方がまだ続いているからでしょうか。
藤田嗣治(1886-1968/享年81)の大型画集で、輸送用ケースには「没後35年、初めての愛蔵決定版」とのキャッチがあり、代表作160点を発表順に収めています。
パリに渡った時にはセザンヌすら知らなかった彼が、既にフランスでは印象派でさえ様々な形で乗り越えられ過去のものとなっていることを知った、その衝撃は大きかったと思います。
但し、渡仏してから有名になるまでの数年間の生活は、第1次大戦の勃発もあったりして大変だったらしく、自分の絵を燃やして暖をとったという、無名時代のピカソと同じような逸話もあります。それでも、当時、日本からパリに渡った若き芸術家は相当数いたわけで、そうした中、彼は、"エコール・ド・パリ"時代のモンパルナスから輩出された、最も成功した日本人芸術家と言えるでしょう。今でもフランスで一番よく知られている日本人芸術家とも言われているのは、その後も今日まで多くの芸術家が海外進出してはいるものの、彼がフランスで受けた絶大な評価の水準までは達していないということなのかもしれません。
実際には女性(裸婦)を描いた作品がかなり多く、その他にも静物、動物(猫が多い)や宗教画っぽいものなどと多種多様で、モチーフや描かれた時期によっても画風が変わります。
本書のサブタイトルにもある「素晴らしき乳白色」は、特に女性や少女の肌を描く際に使われ、彼のフランスでの評価を高める大きな要素となりましたが、やはりそこには、日本人独特の「肌色」へのこだわりと、それを描いてきた日本画の伝統があり、それがフランス人に新鮮な驚きと神秘的な魅力感を喚起したのではないかと考えます(フランス人などの肌は日本人の肌と、色が違うというより透明度からして異なるわけだが)。
第二次大戦中に戦争画を描いて(1942年度朝日賞を受賞している)、戦後は軍部協力者、戦犯容疑者として冷や飯を食わされることになりますが(陸軍美術協会理事長という立場であったことから、一時はGHQからも聴取を受けるべく身を追われることともあった)、アッツ島やサイパン島の玉砕を描いた彼の絵は、ピカソの「ゲルニカ」などと同じく「反戦」絵画として描かれたものではないかと思わせるものがあります。
1955年にはフランス国籍を取得し(日本国籍でなくなった)、1955年にはカトリックに改宗し(レオナール・フジタとなった)、彼の改宗はフランスの新聞で大きく報じられたとのことです。




スペインに関する本をいろいろ見てみると、スペイン人自身の一般評価(人気)では、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤの三大巨匠が一番「格上」(人気が高い)とされているようで、それに20世紀の三大巨匠であるピカソ、ダリ、ミロが続くようです。
"The Prado"の表紙はベラスケスの「マルガリータ王女」、裏表紙はゴヤの「1808年5月3日の銃殺」ですが、何れも表紙にくるに相応しい作品でありながら、「マルガリータ王女」は同王女をモデルとした連作も含め、『プラド美術館』の方には掲載されていないなあ。何故だろうか。


70年代に国連のFAO(国連食糧農業機関)がラマレラの食糧事情を改善しようとノルウェーから捕鯨船を送り込み、その結果、砲台による捕鯨は鯨の捕獲頭数を増やしたものの、鯨肉が供給過剰となったためにFAOは途中で操業をやめ、プロジェクトが終わったら今度はさっぱり鯨が獲れなくなったそうです。
彼らの捕鯨は、鯨油のみを目的とした先進国のかつての捕鯨とは異なり、一頭の鯨の骨から皮まで全てを利用する日本古来の捕鯨に近く、IWC(国際捕鯨委員会)が認めている「生存(のための)捕鯨」であることには違いないですが、同時に、鯨が獲れた際には鯨肉を市場での物々交換で売りさばき、干肉にして保存した分も最終的には市場に流通させていることから、「商業捕鯨」の定義にも当て嵌ってしまうとのこと。


やはり、反捕鯨運動を意識してのことでしょうか(小関氏のマッコウクジラの解体写真も、撮影して写真集になるまでに25年かかっている)―その分を、南氷洋の美しい光景を撮った写真がカバーしていて、ある意味、戦略的といえば戦略的な面も。
巻末の写真ごとのキャプションはたいへん丁寧に、また時にエッセイ風に書かれていて、確かに、引き上げられたミンククジラの凛々しく済んだ目には、"人間社会のゴタゴタもすべて見透かされている"ような印象を受けるとともに、ちょっぴり哀感を覚えたのも正直なところです(直径20センチ!ディズニーシーのマーメイド・ラグーンのクジラの目を思い出した)。
業後、写真家活動を始める。北極・南極の"氷"、アジア・モンスーン地域の"水"、アフリカの"火とエネルギー"をテーマに、氷・水・火の三部作をライフワークとして制作中。「ナショナルジオグラフィック」誌やボーイング社の全世界向け企業広告なども手がける。おもな写真集に『南極海』『鯨の海・男の海』『アジア・モンスーン』『MONSOON』『貌-三國連太郎』『アジアから』『鯨を捕る』などがある。現在、日本写真家協会会員、日本旅行作家協会会員。

商業捕鯨の再開推進の立場からの捕鯨問題についての入門書で、10年ほど前に刊行された本ですが、クジラを捕って食べて良い理由を懇切丁寧に解説したもので、かっちりした内容であり、「クジラは絶滅の危機寸前」といった言説が誤解であることなど、この問題についての自らの認識を改めさせてくれた本でした。



江戸から明治にかけて活躍し、「最後の浮世絵師」と言われる月岡芳年(つきおか・よしとし、1932-1892)の特集で、武者絵、妖怪画、歴史画、美人画など約230点を収めています。
先般、映画「メン・イン・ブラック3」('12年/米)のキャンペーンで共演のウィル・スミスと共に来日した
トミー・リー・ジョーンズが、民放の朝のテレビ番組のインタビューを受けた後、浮世絵の絵柄のネクタイを贈られていましたが、自分に渡された安藤広重の絵柄のネクタイを気難しそうな顔でしばらく眺めたうえで、ウィル・スミスに渡された葛飾北斎の絵柄のネクタイと自分のものと替えてくれとウィル・スミスに言って交換していました。「メン・イン・ブラック3」のプロモーションワールドツアーで、各国へのツアーの中で唯一日本ツアーにだけ参加したトミー・リー・ジョーンズは、歌舞伎ファンであるとともに浮世絵愛好家でもあり、特に北斎と月岡芳年が好きで、しかも、娘は月岡芳年作品のコレクターで100点をめざして収集中とのこと、浮世絵は光に弱いため、保管庫から1点だけ取り出して部屋に飾り、毎日架け替えているそうです(番組担当者は、彼が浮世絵愛好家であることは調べていたが、好みの絵師までは調べてなかった?)。因みにトミー・リー・ジョーンズが浮世絵の中で最も気に入っているのが月岡芳年の『月百姿(つきひゃくし)』で、ジョーンズ家ではこれまで34点を収集しているとのことです。
それはともかく、こうしたムックで見ても、月岡芳年の作品は、迫力といい躍動感といいやはり凄いなあと。歴史・故事や歌舞伎・浄瑠璃、時々の世相・風俗・事件など、様々なところから題材を取っていますが、何でもござれ、妖怪画も多い。
30歳の頃に明治維新を迎え、54歳で没していて、明治に入ってからの作品の方が圧倒的に多いわけで、西南戦争や文明開化なども題材になっていますが、テーマ的にはやはり、「水滸伝」といった中国物も含めた武者絵や、役者絵・美人画・風俗画など、江戸時代の浮世絵のオーソドックスなモチーフが多いのかなあ。
本当に一作品一作品じっくり鑑賞したければ、少し値が張るのが難点ですが『月岡芳年の世界』がお薦めです。'92年に東京書籍から刊行されたものが絶版になり、古書市場で刊行時の定価(7千円)を若干上回る価格で出回っていて且つ品薄気味だったのが、これもブームの予兆だったのか、、'10年に復刊ドットコムで全く同じものが刊行されました(でも、定価が1万円になっている。18年ぶりだから仕方ないのか)。やはり、根強いファンがいるんだなあと。原則一頁に一作品。解説も丁寧で、専門家のコラムなどもあります(編者は洋画家の悳俊彦(いさお・としひこ)氏。歌川国芳、月岡芳年などの研究家でもある)。これが手元にあると、トミー・リー・ジョーンズにちょっとは近づける?

『自動車絶望工場』『日本の原発地帯』『
炭鉱や魚河岸、上野駅、サーカスなど市井の人々をテーマに撮り続けてきた写真家による「屠場」の写真集で、伝統的な手法で牛の解体加工を行っている大阪・松原屠場を取材しています(この人、チェルノブイリ原発事故の被災地で暮らす人々を撮影した「アレクセイと泉」や、最近ではアフリカに取材した「バオバブの記憶」など、海外に材を得た映画作品の監督もしている)。



本橋 成一(もとはし・せいいち)写真家・映画監督

小関 与四郎(こせき・よしろう、1935- )
今となっては珍しい港でのクジラ解体の模様や、かつてクジラ漁が盛んであった地の、その「文化」「伝統」の名残をフィルムに収めた写真集です(昔、捕鯨船の甲板でクジラの解体をしている写真が教科書に載っていたような記憶があるのだが...。鯨肉の竜田揚げは学校給食の定番メニューでもあったし、鯨(鮫?)の肝油ドロップなんていうのもあった)。
とりわけ、和田浦港のマッコウクジラの解体の様子は大型のクジラであるだけに圧巻で、'86年当時、写真家は、近々マッコウクジラは大型捕鯨の規制対象となると聞き、今のうちに撮らねばとの思いから撮影したとのことですが、その後の反捕鯨運動の高まりで、これらの写真は写真集となることもなくお蔵入りしていたとのことです。
和田浦港は、小型捕鯨に規制された今でも、解体の模様を一般の人が見ることができるようですが、一般人も解体を見ることができるのは全国でここだけで、この写真集で古式捕鯨の名残が紹介されている和歌山県の太地港や、実際にツチクジラの解体の模様が紹介されている宮城県の鮎川港でも、小型捕鯨は今も調査捕鯨の枠内で行われているものの、反捕鯨運動に配慮して、解体の模様は一般には公開していないとのことです。
装填は和田誠氏。栞(しおり)としてある「クジラ解体 刊行に寄せて」には、安西水丸(イラストレーター)、池内紀(独文学者)、海老沢勝二(元NHK会長)、加藤郁乎(俳人)、金子兜太(俳人)、紀田順一郎(評論家)から、地井武男(俳優)、中条省平(学習院大教授)、道場六三郎(料理家)、山本一力(作家)まで、各界16名の著名人が献辞しています。
でも、この写真集に献辞しているということは、大方は、「食文化としての復興支持」派なんだろうなあ。一番ストレートなのは、絵本作家の五味太郎氏で、「よい。とてもよい。鯨はよい。解体作業もよい。鯨肉もこれまたよい。まったく完璧だね。俺にも裾分けしなさい。何か問題あるの?」と―。


石井光太 氏(略歴下記)
まい脱落していく中、最後まで頑張り通した市職員もいて、こうした人たちも含め、常識では耐えられないほどの精神的苦痛や苦悩に苛まれながらも、職責以上のことを果たした人が何人もいたのだなあと思わされました。



ナルコレプシー「中枢性過眠症」の一種で、「睡眠時随伴症」には反復孤発生睡眠麻痺などという難しい症状名もあり、悪夢障害や頭内爆発音症候群なんていうのもある。
国内での不眠に起因する事故例として、'02年8月10日の東名阪自動車道玉突き事故(児童を含む2家族5人が焼死、6人が重軽傷)を挙げていますが、居眠り運転していた大型トレーラーの運転手は、事故直前の4日間で16時間しか寝ていなかったとのこと。しかし、こうした事故は繰り返
されるもので、つい最近も、今年['12年]GW初めの4月29日に群馬県藤岡市で起きた関越自動車道高速バス居眠り運転事故で乗客7人が死亡、その外の乗客全員にあたる39人が重軽傷を負い、高速バスの衝突事故と
しては史上最悪の被害をもたらしていますが、このバスの運転手は事故前にサービスエリアで、ハンドルに突っ伏して寝ていた寝ていたといいます。(その後、2016年1月15日、長野県北佐久郡軽井沢町の国道18号碓氷バイパスで所謂軽井沢スキーバス転落事故が発生。死亡者15名、負傷者26名。これも、過労運転や居眠り運転の可能性が疑われている。)
そう言えば、昨年['11年]4月18日には、栃木県鹿沼市でクレーン車が登校中の小学生に突っ込み、児童6人が死亡するという痛ましい大事故が起きており、運転手は居眠りをしていたと証言しているものの、運転手が会社を出てから3分しかたっていないことから、こちらはナルコレプシーによる事故であったことが疑われています。