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画家もその時々において大変だったのだなあ(或いは、「色々計算していたのだなあ」)と。
『近代絵画の暗号 (文春新書)』 フラゴナール 「閂」 ジェリコー 「メデューズ号の筏」
近代絵画の名作に隠された暗号、本書での"暗号"とは、絵をじっと見つめていてもわかるものではなく、その絵が描かれた際の政治・経済・社会・世相・科学などの時代背景と、その時に画家の置かれた状況との相関において読み解いていくもの、ということになります。
アングル 「グランド・オダリスク」
著者によれば、美術評論の世界では70年代の「古色蒼然たる作品論・作家論が未だ幅を利かせて情報の更新を怠っている」とのことで、「誰もが知っている名画」ほど、ある意味「誰にも顧みられない名画」になっているとのこと、本書では、名画の背後にある歴史を紐解き、その絵が描かれた動機や意図を新たな視点から探っています。
その著者の視点でいくと、フラゴナールの「閂」は、宮廷画の時代に遅れて登場した画家が、仄暗い宮廷のエロスを大衆ヴィジュアルメディアに持ち込み大衆の下卑た心を刺激したものであり、ジェリコーの「メデューズ号の筏」は、漂流者の間でのカニバリズム(食人)が憶測された実際の事件を"視覚的報道"として写真週刊誌並みに表したもの、アングルの「グランド・オダリスク」は、ナポレオン時代の帝室画家だったのが王政復古によってクライアントを失い、ギリシャ・フェチ(ヌード・フェチ)の作品が王政下でウケるか賭け出た作品であるとのこと。
マネ 「草上の昼食」 マネ 「オランピア」.
更には、マネの「草上の朝食」は、写真技術の開発と一般への広まりに先駆けて撮影者の視点からスキャンダラスな要素を含ませながら計算づくで描いたもの、同じくマネの描いた「オランピア」に至っては、資本主義の台頭により社会も文化も偽善的な性倫理の上に成り立つようになっていく風潮を、娼館の女性を描くことでスキャンダラスに告発した確信犯的作品と言うことになるらしいです(著者の論を端的に解釈すれば)。
全てその通りかどうかは別として(と言っても、異論を挟むほどの知識がこちらには無い)、我々は名画を「芸術作品」と崇めがちですが、「芸術」そのものが動機や目的になるものではないということは改めて思った次第です。画家もその時その時において、生活の工面や世間への思惑などがあって大変だったのだなあ(或いは、「色々計算していたのだなあ」)と思わされました。
マグリット 「ピレネーの城」/ゴーギャン 「黄色いキリストのある自画像」
「古色蒼然たる作品論」にアンチテーゼを投げかける著者の意気込みはわかりますが、そうした周辺や背後の状況を知らねばこの絵は理解できないとなると、また新たな知識的権威主義に陥ってしまうので、そうしたことを知ることで、名画の違った側面が見えてくるという程度の捉え方でもいいのではないでしょうか。
ゴーギャンの「黄色いキリストのある自画像」には、有能な証券マンだったゴーギャンが脱サラして専業画家になったことで家族から見捨てられた苦渋が表れていて、マグリットの「ピレネーの城」は宙に浮かぶ飛行船のイメージであるとしていますが、それぞれの背景に、大手証券会社の倒産による株暴落事件があったとか、自宅屋根に飛行船が不時着した事件があったなどと、読んでいて面白いことは面白いけれど、フツーの人にはそこまでのことはわからないし。