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アンハッピーエンドのはずが...。やっぱり"一筋縄ではいかない"アニエス・ヴァルダ。



「5時から7時までのクレオ アニエス・ヴァルダ HDマスター [DVD]」
「5時から7時までのクレオ」ポスター

クレオ(コリーヌ・マルシャン)は売り出し中のポップシンガー。午後7時に、2日前に受けた精密検査の結果を聞くことになっている彼女は、自分がガンではないかと怯えつつ、占い師にタロットで自分の未来を占ってもらう。占い師は、身近な未亡人が面倒を見てくれていること、寛大な恋人がいるがなかなか会えずにいること、音楽の才能があることなど、クレオの過去と現在の状況を正しく言い当て、未来については、病気の兆候があることを告げるものの、そのことについては口を濁して、これから調子のいい若者に出逢うだろうと告げる。しかし、クレオが部屋を出ると占い師は同居の男に「あの子はガンよ。もうだめだわ」と。一方クレオは、カフェで中年女性のアンジェール(ドミニク・ダヴレー)と落ち合う。アンジェー
ルはクレオの生活を管理するマネージャーのような女性。占いの結果を告げて泣くクレオをアンジェールが慰め、気持ちを落ち着けたクレオは帽子店に寄り帽子を選んでいるうちにすっかり機嫌をよくし、アンジェールと共にタクシーで帰路に。車中のラジオからはクレオの歌が流れる。帰宅するとやがて年上の恋人がやってくるが、仕事が忙しいからとすぐに帰ってしまう。入れ替わりにやってきた若い作曲家のボブ(ミッシェル・ルグラン)と作詞家。二人はクレオの新曲について相談とレッスンをしに来たのだった。陽気な二人と楽しそうにしていたク
レオだったが、二人が持ち込んだ新曲「恋の叫び」の暗い曲調と歌詞に心を掻き乱され、レッスンを中断して部屋を出て行ってしまう。クレオはパリの街を彷徨うが心落ち着けることができず、友人のドロテ(ドロテ・ブラン)に会いに行く。美術学校のヌードモデルの仕事を終えたドロテとクレオは、ドロテの恋人ラウルの車で出掛け、クレオは病気への不安をドロテに打ち明ける。二人はラウルが映写技師として働く映画館に行き、映写室の小窓から無声映画のコメディを見て楽しむ。しかし、映画館を出たクレオは
、バッグの鏡を落として割れたのが不吉だとまた不安になる。ドロテと別れたクレオはタクシーでモンスリ公園に向かう。園内を散策していると、アントワーヌという若い男(アントワーヌ・ブルセイエ)が馴れ馴れしく声を掛けてくる。最初鬱陶しく思っていたクレオだったが、次第に話をするようになる。彼は休暇中の兵士で、今夜軍隊に戻り、アルジェリアに向かうという。病気についての不安を打ち明けたクレオが、検査の結果を面と向かって聴くのは怖いので医師に電話をするつもりだと言うと、アントワーヌは一緒に行こうとクレオを誘い、ピティエ=サルペトリエール病院に向かう。病院の受付でクレオは、担当医のヴァリノは既に帰ったと告げられる。クレオとアントワーヌは病院の広い庭を手を繋いで歩き、やがてベンチに腰をかける。そこに一台の車がやってきて二人の前で止まる。運転していたのは帰宅したはずのヴァリノ医師で、彼は「放射線治療は少々きついが必ず治るから心配は要らない。あす11時に来て下さい」と手早く告げると去って行く―。
アニエス・ヴァルダ監督による1962年作品で、「フランス映画批評家協会賞 作品賞」受賞作。モノクロ作品ですが、冒頭、タロット占いのシーンのみカラーです。タイトル通り、クレオのある日の5時から7時までをほぼリアルタイム(映画の長さは90分)で描写しています(思えば、占い師の予言は全部当たっていたなあ)。
ラストで、「放射線治療は...」と医師に言われたのが実質「ガン宣告」になるかと思います。従ってアンハッピーエンドのはずなのですが、あれほどガンに怯えてイライラし通しだったはずのクレオの宣告された際の反応が、「私もう怖くないようよ、何か幸福な感じよ」といった感じで明るいので、ええーっと思ってしまいました(この作品を、結局彼女はガンではなかったと勘違いして記憶している人がいたぐらい)。
「幸福(しあわせ)」('65年)もそうですが、観終わった後、もう一度振り返ってみないと経緯が呑み込めない、いわば「一筋縄ではいかない」アニエス・ヴァルダの"本領発揮"(?)といったところでしょうか(自分がただ鈍いだけかもしれないが)。
振り返れば、終盤で戦地アルジェリアに行く青年と出会ったことで彼女の心境に変化があったことは間違いなく、その際の会話を顧みると、以下のような感じでした。
クレオ「今の大きな恐怖は死なの」
兵士「アルジェリアは恐怖でいっぱいです。(中略)無駄死にはしたくない。戦死なんて情けない。僕は女のため、恋のために死にたい」
クレオは、自分以上に切実に死に直面しているかもしれない若い兵士に会ったことで、自身も自らの運命と向き合う決意を固めたとも解せられ、病院からの電話を待つのではなく、直接結果を訊きに(兵士と共に)病院に赴くというその後の行動も、それに符合します。そして、最後は、前向きに病気と闘う決意を表明したといったとことろでしょうか。
音楽のミシェル・ルグランは、クレオに曲を提供する作曲家役でも登場(若い!)、ピアノを弾き、達者な歌も聴かせています(検査結果が気が気でないクレオは、その彼に当り散らすのだが)。
ミシェル・ルグラン
クレオが訪ねる友人の映像作家が作った無声映画の登場人物として、当時結婚して間もないジャン・リュック・ゴダールとアンナ・カリーナが登場、ただし、アンナ・カリーナは白塗りにしていて、ゴダールも若すぎるため、言われなければアンナ・カリーナとゴダールとは分かりません。因みにこゴダールとアンナ・カリーナが結婚していた時期は、1961年3月から1964年12月です。
「5時から7時までのクレオ」●原題:CLEO DE 5 A 7(英:CLEO FROM 5 TO 7)●制作年:1962年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:アニエス・ヴァルダ●製作:ジョルジュ・ド・ボールガール/カルロ・ポンティ●撮影:ジャン・ラビエ●音楽:ミシェル・ルグラン(主題歌:作詞アニエス・ヴァルダ/作曲ミシェル・ルグラン)●時間:90分●出演:コリーヌ・マルシャン/アントワーヌ・ブルセイエ/ドミニク・ダヴレー/ドロテ・ブラン/ミシェル・ルグラン/(サイレント映画のなかの登場人物)ジャン=リュック・ゴダール/アンナ・カリーナ
/エディ・コンスタンティーヌ/ジャン=クロード・ブリアリ/ジョルジュ・ドゥ・ボールガール●日本公開:1963/05●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(21-01-19)(評価:★★★★)
ジャン=リュック・ゴダール/アンナ・カリーナ/エディ・コンスタンティーヌ/ジャン=クロード・ブリアリ




パリの小さな書店に勤める青年エミール(ジャン=クロード・ブリアリ)は、コペンハーゲンから来たばかりで、フランス語の「R」がうまく発
音できないストリップ・ダンサーのアンジェラ(アンナ・カリーナ)と一緒に暮らしていたが、ある日突然アンジェラが赤ちゃんが欲しいと言い出す。赤ちゃんは要らないし、正式な結婚などしない方が気
楽だと考えるエミールとは折り合わず、2人は喧嘩になる。仕舞にアンジェラは、それなら他の男に頼むと啖呵を切り、エミールは動揺す
るが、勝手にしろと答えてしまう。アンジェラもアンジェラで、自分たちの住むアパルトマンの下の階に住む、エミールの友人で以前よりアンジェラにちょっかいを出していた、駐車場のパーキングメーター係のアルフレード(ジャン=ポール・ベルモンド)に頼
むと宣言する。ならばとエミールはアルフレードを呼び出して、アンジェラにけしかけたりした揚句、アンジェラに去られる。エミールはやけになって別の女と寝て、一方
のアンジェラも、アルフレードと本当に寝てしまう。深夜、アンジェラがエミールと住むアパルトマンに戻り、2人はベッドで黙り込む。エミールは、試しに自分の子をつくってみようとアンジェラを抱く。フレッド・アステアのダンスミュージカルが幕を閉じて終わるように、アンジェラは寝室のカーテンを閉じてみせる―。
1961年製作・公開のジャン=リュック・ゴダール監督の長篇劇映画第3作であり、ゴダールのカラー映画第1作であるとともにミュージカル・コメディ第1作。「小さな兵隊」('60年)に次いでアンナ・カリーナが出演したゴダール作品の第2作で、カリーナとの結婚後第1作になります。ゴダールは「
音楽はミシェル・ルグランで、美術はベルナール・エヴァン。この2人は本作の2年後に製作されたジャック・ドゥミ監督の
なく、そのメロディも、コラージュのようなスクリーンプレイに合わせて度々寸断され、ミュージカルというスタイルを完全に換骨奪胎していると言えます。一方の美術面では、カラフルな原色の色彩が多用されていて、これは「シェルブールの雨傘」にも見られるし、ゴダール自身の監督作「
ジャン=クロード・ブリアリが室内で自転車を乗り回すシーンや、喧嘩して口をきかなくなったジャン=クロード・ブリアリとアンナ・カリーナが本のタイトルで会話をするなど、ちょっとお洒落なシーンが多くあり、また、アンナ・カリーナら登場人物が時折カメラに向けて語りかけるシーンなどがあったりするのがちょっと前衛的と言うか、ストーリー自体はたわいもない話ですが、その分肩肘張らずに楽しめるゴダール作品です。
ジャン=クロード・ブリアリに急に部屋に来るよう呼ばれたジャン=ポール・ベルモンドが、「早く帰ってテレビで『勝手にしやがれ』を見たいんだ」と言ったり、そのジャン=ポール・ベルモンドが、カメオ出演のジャンヌ・モローにバーで、フランソワ・トリュフォー監督によって撮影中の「突然炎のごとく」('62年)について「ジュールとジムはどうしてる?」と訊ねるシーンがあったりするなどの小ネタ的愉しみも(「撮影は順調?」と訊ねているとも解釈可能)。
ゴダールは本作でベルリン国際映画祭「銀熊賞」(審査員特別賞)を受賞し、これは前年の同映画祭での「勝手にしやがれ」による「銀熊賞」(監督賞)に続いて2年連続の受賞。映画のアンジェラと同じくコペンハーゲン出身のアンナ・カリーナは、本作で
受賞。彼女はジャン=ポール・ベルモンド、ジャン=クロード・ブリアリの両雄を(と言っても2人だって共に28歳とまだ若いのだが)振り回してまさに圧巻。アンナ・カリーナを観て楽しむ映画とも言えますが、個人的には、ゴダール自身が後に「本当の意味での自分の処女作」と述べているように、ゴダール作品の原点的要素が多く見られるという点で興味深い作品です。
「女は女である」●原題:UNE FEMME EST UNE FEMME/A WOMAN IS A WOMAN●制作年:1961年●制作国:フランス・イタリア●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴ
ダール●製作:カルロ・ポンティ/ジョルジュ・ド・ボールガール●撮影:ラウール・クタール●音楽:ミシェル・ルグラン●原案:ジュヌヴィエーヴ・クリュニー●時間:84分●出演:アンナ・カリーナ/ジャン=ポール・ベルモンド/ジャン=クロード・ブリアリ/マリー・デュボワ/ジャンヌ・モロー/カトリーヌ・ドモンジョ●日本公開:1961/12●配給:新外映●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(16-09-16)(評価★★★★)



1960年代初頭のパリのとあるビストロで、ナナ・クランフランケンハイム(アンナ・カリーナ)は、別れた夫ポール
(アンドレ・S・ラバルト)と近況の報告をし合い別れる。ナナは、女優を夢見て夫と別れ、パリに出てきたが、夢も希望もないままレコード店の店員を続けている。ある日、舗道で男(ジル・ケアン)に誘われるままに抱かれ、その代償を得た。ナナは昔からの友人のイヴェット(ギレーヌ・シュランベルジェ)と会う。イヴェットは売春の仲介をしてピンハネして生きている。ナナにはいつしか娼婦となり、ラウール(サディ・ルボット)というヒモがつく。ナナは無表情な女になっていた。バーでナナがダンスをしていると、視界に入っ
てきた若い男(ペテ・カソヴィッツ)にナナの心は動き、彼を愛し始める。ナナの変化に気付いたラウールは、ナナを売春業者に売り渡そうとする。ナナが業者に引き渡される時、業者がラウールに渡した金が不足していた。ラウールはナナを連れて帰ろうとするが、相手は拳銃を放つ。銃弾はナナに直撃した。ラウールは逃走、撃ったギャングも逃走する。ナナは舗道に倒れ、「生きたい!」と叫んで絶命する―。
ローに描かれた映画」の意(「タブロー」はフランス語で持ち運びの可能な絵画(=キャンパス画、板絵)のことで「章」とほぼ同じとみていいのでは)。時期的には「
第1章でナナが近況を交換する別れた夫ポールを演じるのは、ゴダールの批評家時代からの盟友でドキュメンタリー映画監督のアンドレ・S・ラバルトであり、終盤、ナナと哲学を論じあう碩学として登場するのは、アルベール・カミュやアンドレ・ブルトンと親交のあった哲学者ブリス・パランで、ゴダールの哲学の恩師であるそうです。最初観た時は、その「衝撃的」ラストに、むしろあっけないという印象を抱きましたが、ゴダールが説明的表現を排したドキュメンタリー・タッチで撮っているということもあったかもしれません。ゴダールがアンナ・カリーナの了解を取らずに隠し撮りのように撮ったシーンもあり(そのことをアンナ・カリーナはすごく怒ったらしい)、ナナと哲学者との対話における哲学者の受け答えも即興だそうです。
アンナ・カリーナ演じるナナは、生活のために娼婦に転じるわけですが、別に不真面目に生きているわけではなく、むしろ「自分の人生を生きる」という哲学を持っています。彼女は、「裁かるるジャンヌ」を観て涙したり(このシーンのアンナ・カリーナの表情がいい)、偶然に出会った哲学者と真理について語ったりします(第12章のタイトルは「シャトレ広場- 見知らぬ男 - ナナは知識をもたずに
哲学する」)。哲学者との会話のシーンなどは、最初に観た時は、言葉が映画の背景になっているような感じがしたのが、今回改めて観直してみると、結構深いことを言っているなあと(「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」なんて言葉を思い出した)。儚(はかな)くも散った一娼婦の人生においても、その中に確実に「詩と真実」はあったのだ―という見方は、あまりにロマンチックすぎるでしょうか。ミシェル・ルグランの音楽もいいです(この音楽がそんな気分にさせる)。
「女と男のいる舗道」●原題:VIVRE SA VIE:FILM EN DOUZE TABLEAUX(英:MY LIFE TO LIVE(米)/IT'S MY LIFE(英))●制作年:1962年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ピエール・ブロンベルジェ●撮影:ラウール・クタール●音楽:ミシェル・ルグラン●原作(原案):マルセル・サコット「売春婦のいる場所」(ドキュメ
ント)●時間:84分●出演:アンナ・カリーナ/サディ・ルボット /アンドレ・S・ラバル/ギレ
ーヌ・シュランベルジェ/ジェラール・ホフマン/ペテ・カソヴィッツト/モニク・メシーヌ/ポール・パヴェル/ディミトリ・ディネフ/エリック・シュランベルジェ/ブリス・パラン/アンリ・アタル/ジル・ケアン●日本公開:1963/11●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:カトル・ド・シネマ上映会〔四谷公会堂〕 (81-09-12)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ (16-09-06)(評価★★★★☆)●併映(1回目):「裁かるるジャンヌ」(カール・テオドア・ドライヤー) anna karina
「裁かるるジャンヌ (裁かるゝジャンヌ)」●原題:LA PASSION DE JANNE D'ARC●制作年:1927年(1928年4月デンマーク公開、同年10月フランス公開)●制作国:フランス●監督・脚本:カール・テオドア・ドライヤー●撮影:ルドルフ・マテ●時間:96分(短縮版80分)●出演:ルネ・ファルコネッティ/ウジェーヌ・シルヴァン/モーリス・シュッツ/アントナン・アルトー●日本公開:1929年10月25日●配給:ヤマニ洋行●最初に観た場所:カトル・ド・シネマ上映会〔四谷公会堂〕 (81-09-12) (評価★★★?)●併映:「女と男のいる舗道」(ジャン=リュック・ゴダール)



1942年6月に刊行されたアルベール・カミュ(Albert Camus、1913‐1960/享年46)の人間社会の不条理を描いたとされる作品で、「きょう、ママンが死んだ」で始まる窪田啓作訳(新潮文庫版)は読み易く、経年疲労しない名訳と言えるかも(新潮社が仏・ガリマール社の版権を独占しているため、他社から新訳が出ないという状況はあるが)。
仏・ガリマール社からの刊行時カミュは29歳でしたが、この小説が実際に執筆されたのは26歳から27歳にかけてであり(若い!)、アルジェリアで育ちパリ中央文壇から遠い所にいたために認知されるまでに若干タイムラグがあったということでしょうか。但し、この作品がフランスで刊行されるや大きな反響を呼び、確かに、自分の生死が懸かった裁判を他人事のように感じ、最後には、「私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけ」を望むようになるムルソーという人物の造型は、それまでの文学作品の登場人物の類型の何れにも属さないものだと言えるのでは。1957年、カミュが43歳の若さでノーベル文学賞を受賞したのは、この作品によるところが大きいと言われています。
カフカ的不条理とも異なり、第一ムルソーは自らの欲望に逆らわず行動する男であり(ムルソーにはモデルがいるそうだが、この小説の執筆期間中、カミュ自身が2人の女性と共同生活を送っていたというのは小説とやや似たシチュエーションか)、また、公判中に自分がインテリであると思われていることに彼自身は違和感を覚えており(カミュ自身、自らが実存主義者と見られることを拒んだ)、最後の自らの死に向けての"積極"姿勢などは、むしろカフカの"不安感"などとは真逆とも言えます。
サルトルは「不条理の光に照らしてみても、その光の及ばない固有の曖昧さをムルソーは保っている」とし、これがムルソーの人物造型において小説的濃密さを高めているとしていますが、このことは、『嘔吐』でマロニエの樹を見て気分が悪くなるロカンタンという主人公の"小説的濃密さ"の欠如を認めているようにも思えなくもないものの、『嘔吐』と比較をしないまでも、第1部の殺人事件が起きるまでと第2部の裁判場面の呼応関係など、小説としてよく出来ているように思いました。
ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti、1906‐1976/享年69)監督がマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni、1924‐1996/享年72)を主演としてこの『異邦人』を映画にしていますが('67年)、テーマがテーマである上に、小説の殆どはムルソーの内的独白(それも、だらだらしたものでなく、ハードボイルドチックな)とでも言うべきもので占められていて、情景描写などはかなり削ぎ落とされており(アルジェリアの養老院ってどんなのだ
ろうか、殆ど情景描写がない)、映画にするのは難しい作品であるという気がしなくもありませんでした。それでもルキノ・ヴィスコンティ監督は果敢に映像化を試みており、当初映画化を拒み続けていたカミュ夫人が原作に忠実に作ることを条件として要求したこともありますが、文庫本に置き換

松岡正剛氏はこの映画を観て、ヴィスコンティはムルソーを「ゲームに参加しない男」として描ききったなという感想を持ったそうで、これは言い得ているのではないかという気がします。原作にも、「被告席の腰掛の上でさえも、自分についての話を聞くのは、やっぱり興味深いものだ」という、主人公の冷めた心理描写があります。一方で、ラストのムルソーの司祭とのやりとりを通して感じられる彼の「抵抗」とその根拠みたいなものは映画ではやや伝わってきにくかったように思われ、映像化することで抜け落ちてしまう部分はどうしてもあるような気がしました。だだ、そのことを考慮しても、ルキノ・ヴィスコンティ監督の挑戦は一定の評価を得てもいいのではないかとも思いました。
この世の全てのものを虚しく感じるムルソーは、自らが処刑されることにそうした虚しさからの自己の解放を見出したともとれますが、ああ、やっぱり死刑はイヤだなあとか単純に思ったりして...(小説は獄中での主人公の決意にも似た思いで終わっている)。ムルソーが母親の葬儀の翌日に女友達と海へ水遊びに行ったのは、彼が養老院の遺体安置所の「死」の雰囲気から抜け出し、自らの心身に「生」の息吹を獲り込もうとした所為であるという見方があるようです。映画を観ると、その見方がすんなり受け入れられるように思いました。
ママンの出棺を見るムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)
葬儀の翌日、海辺で女友達(アンナ・カリーナ)に声をかける
アラブ人達と共同房にて(死刑確定後は独房に移される)


ジョルジュ・ウイルソン(予審判事)/ベルナール・ブリエ(弁護人)/ジャック・エルラン(養老院の院長)/ジョルジェ・ジュレ(レイモン)/ジャン・ピエール・ゾラ(事務所の所長)/ブリュノ・クレメール(神父)/アルフレード・アダン(検事)/アンジェラ・ルーチェ(マッソン夫人)/ミンモ・パルマラ(マッソン)/ヴィットリオ・ドォーゼ(弁護士)●日本公開:1968/09●配給:


新潮文庫 旧版・新装版


Alan Sillitoe
新潮文庫版は、1958年に発表された「長距離走者の孤独」(The Loneliness of the Long Distance Runner)をはじめ、アラン・シリトー(Alan Sillitoe、1928‐2010)の8編の中短編を収めていますが、貧しい家庭で育ち、盗みを働いて感化院に送られた少年の独白体で綴られた表題作が、内容的にも表現的にも群を抜いています。
っているし、トニー・リチャードソン(Tony Richardson、1928-1991)監督の映画化作品「長距離ランナーの孤独」('62年/英)も有名です。主人公を演じたのはトム・コートネイで、舞台出身ですが、映画はこの作品が実質初出演で初主演でした(後に、「
トニー・リチャードソンは、文芸作品の映画化の名手で、ジョン・アーヴィング原作の映画化作品「ホテル・ニューハンプシャー」('84年/米・英・カナダ) もこの監督によるものであり、これはホテルを経営する家族の物語ですが、ジョディーフォスター、ロブ・ロウ、ナスターシャ・キンスキーという取り合わせが今思
えば豪華。少なくとも1人(J・フォスター演じるフラニー)乃至2人(N・キンスキー演じる"熊のスージー")の女性登場人物がレイプされて心の傷を負っており、また家族が次々と死んでいく話なのに、観終わった印象は暗くないという、不思議な映画でした(「ガープの世界」もそうだが、ジョン・アーヴィング作品の登場人物は、何かにつけてモーレツと言うか極端な人が多い)。

トニー・リチャードソンは、女優のヴァネッサ・レッドグレイヴと結婚し、2人の娘がいましたが、「

マルグリット・デュラス
原作の「ジブラルタルの追想」は、イタリア旅行中の青年がジブラルタルででアンナ(ジャンヌ・モロー)という女性と出会い、アランの方は彼女を真剣に愛し始めるが、アンナは楽しさだけでアランに身を任せている印象で、そんな


一方、ナボコフ原作の「悪魔のような恋人」は、金持ちの画商が小悪のような少
アラン・シリトー原作の『長距離走者の孤独』のストーリー自体はシンプルで、書けば"ネタばれ"になってしまうのですが(もう一部書いてしまったが、と言っても、広く知られているラストだが)、ラスト以外でのこの作品の優れた点は、主人公の少年コリンが友人と共にパン屋に強盗に入ったために捕まる場面で、刑事が自宅に捜索に来た時の主人公の心理などは、作者の体験談ではないかと思われるぐらい目いっぱいの臨場感があります。
「長距離ランナーの孤独」●原題:THE LONELINESS OF THE LONG DISTANCE RUNNER●制作年:1962年●制作国:イギリス●監督・製作:トニー・リチャードソン●脚本:スタンリー・ワイザー/アラン・シリトー●撮影:ウォルター・ラサリー●音楽:ジョン・アディソン●原作:アラン・シリトー●時間:104分●出演:トム・コートネイ/マイケル・レッドグレイヴ/ピーター・マッデン/ウィリアム・フォックス/トプシー・ジェーン/ジュリア・フォスター/フランク・フィンレイ●日本公開:1964/06●配給:昭映(評価:★★★)



間:110分●出演:トム・コートネイ/キャンディス・バーゲン/サム・ワナメーカー/コリン・ブレークリー/アイヴァン・オグルヴィ/ディミトリス・ニコライデス/ニコラス・アレクション●日本公開:1968/06●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:中野武蔵野館(78-02-24)(評価:★★★☆)●併映:「地球に落ちてきた男」(ニコラス・ローグ)
「ホテル・ニューハンプシャー」●原題:THE HOTEL NEW HAMPSHIRE●制作年:1984年●制作国:アメリカ・イギリス・カナダ●監督:トニー・リチャードソン●製作:ニール・ハートレイ/ピーター・クルーネンバーグ/デヴィッド・J・パターソン●脚本:トニー・リチャードソン●撮影:デイヴィッド・ワトキン●音楽:レイモンド・レッパード●原作:ジョン・アーヴィング「ホテル・ニューハンプシャー」●時間:109分●出演:ジョディーフォスター/ロブ・ロウ/ボー・ブリッジス/ナスターシャ・キンスキー/フィルフォード・ブリムリー/ポール・マクレーン/マシュー・モディン●日本公開:1986/07●配給:松竹富士●最初に観た場所:三軒茶屋東映(87-01-25)(評価:★★★★)●併映:「プレンティ」(フレッド・スケピシ) 「
「ジブラルタルの追想」●原題:THE SAILOR FROM GIBRALTAR●制作年:1967年●制作国:イギリス●監督:トニー・リチャードソン●製作:オスカー・リュウェンスティン●脚本:クリストファー・イシャーウッド/ドン・マグナー/トニー・リチャードソン●撮影:ラウール・クタール●音楽:アントワーヌ・デュアメル●原作:マルグリット・デュラス「ジ


間:90分●出演:ジャンヌ・モロー/イアン・バネン/オーソン・ウェルズ/ヴァネッサ・レッドグレーヴ/ヒュー・グリフィス/ウンベルト・オルシーニ/ジョン・ハート●日本公開:1967/11●配給:ユナイテッド・アーチスツ●最初に観た場所:大塚名画座(78-12-12)(評価:★★☆)●併映:「悪魔のような恋人」(トニー・リチャードソン)
ン/アンナ・カリーナ/ジャン=クロード・ドルオ/ピーター・ボウルズ/シアン・フィリップス/セバスチャン・ブレイク/ケイト・オトゥール/エドワード・ガードナー/シーラ・バーレル/ウィロビー・ゴダード/バジル・ディグナム/フィリッパ・ウルクハート(●日本公開:1969/05●配給:ユナイテッド・アーチスツ●最初に観た場所:大塚名画座(78-12-12)(評価:★★★★)●併映:「ジブラルタルの追想」(トニー・リチャードソ







面白いものが多く、またヴィヴィッドな印象を受けるのが意外かも知れません。よく知られているところでは、ジーン・セバーグ、ジャン=ポール・ベルモンド主演の「勝手にしやがれ」('59年)、アンナ・カリーナ、ベルモント主演の「気狂いピエロ」('65年)などの初期作品でしょうか。スチール写真が適度に配置され、読むと再度見たくなり、未見作品にも見てみたくなるものがありました。


パトリシアはミシェルとの愛を確認するため、ミシェルの居所をわざと警察に密告する―というもので、この不条理に満ちた話のオリジナル作者はフランソワ・トリュフォーですが、最終シナリオはゴーダルの頭の中にあったまま脚本化されずに撮影を開始したとのこと。台本無しの撮影にジャン=ポール・ベルモントは驚き、「どうせこの映画は公開されないだろうから、だったら好きなことを思い切りやってやろう」と思ったという逸話があります(1960年・第10回ベルリン国際映画祭「銀熊賞(監督賞)」受賞作)。.jpg)
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「気狂いピエロ」は―、フェルディナン(ジャン=ポール・ベルモント)という男が、イタリア人の妻とパーティに行くが、パーティに退屈し戻ってきた家で、昔の恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)と再会し、成り行きで彼女のアパートに泊まった翌朝、殺人事件に巻き込まれて、2人は逃避行を繰り返す羽目に。フェルディナンは孤島での生活を夢見るが、お互いにズレを感じたマリアンヌが彼を裏切って情夫の元へ行ったため、フェルディナンは彼女と情夫を射殺し、彼も自殺するというもの(1965年・第26回ヴェネチア国際映画祭「新鋭評論家賞」受賞作)。
「勝手にしやがれ」●原題:A BOUT DE SOUFFLE(英:BREATHLESS)●制作年:1959年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ジョルジュ・ド・ボールガール●原作・原案・脚本:フランソワ・トリュフォー●撮

「気狂いピエロ」のポスター。『キネマ旬報』1967年2月下旬号に掲載された広告。
●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ジョル
ジュ・ド・ボールガール●撮影:ラウール・クタール●音楽:アントワース・デュアメル●原作:ライオネル・ホワイト「十一時の悪魔」●時間:109分●出演:ジャン=ポール・ベルモンド/アンナ・カリーナ/サミュエル・フラー /レイモン・ドボス/グラツィエッラ・ガルヴァーニ/ダーク・サンダース/ジミー・カルービ/ジャン=ピエール・レオ/アイシャ・アバディ/ラズロ・サボ●日本公開:1967/07●配給:セントラル●最初に観た場所:有楽シネマ (83-05-28) (評価★★★★)●併映:「彼女について私が知っている二、三の事柄」(ジャン=リュック・ゴダール)
作国:フランス・イタリア●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●撮影:ラウール・クタール●音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン●原案:カトリーヌ・ヴィムネ●時間:90分●出演:ジョゼフ・ジェラール/マリナ・ヴラディ/アニー・デュプレー/ロジェ・モンソレ/ラウール・レヴィ/
ジャン・ナルボニ/イヴ・ブネトン/エレナ・ビエリシック/クリストフ・ブルセイエ/マリー・ブルセイエ/マリー・カルディナル/ロベール・シュヴァシュー/ジャン=リュック・ゴダール(ナレーション)●日本公開:1970/10●配給:フランス映画社●最初に観た場所:有楽シネマ (83-05-28) (評価★★★)●併映:「気狂いピエロ 」(ジャン=リュック・ゴダール)



有楽シネマ (1955年11月14日オープン、1994年12月休館、1995年6月16日~シネマ有楽町(成人映画上映館)、1996年~銀座シネ・ラ・セット、159席) 2004(平成16)年1月31日閉館 跡地に建設のイトシアプラザ内に2007年10月シネカノン有楽町2丁目オープン、2009年12月4日ヒューマントラストシネマ有楽町に改称


