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原作者のポール・オースターらしさが活かされた映画。


「スモーク デジタルリマスター版 [Blu-ray]」
ハーヴェイ・カイテル/ウィリアム・ハート(1950-2022)
ブルックリンの街角で小さな煙草店を営むオーギー・レン(ハーヴェイ・カイテル)は、10年以上毎日同じ時刻の同じ場所で写真を撮影していた。煙草屋の常連で、オーギーの親友でもあるポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)は、作家であるが数年前に銀行強盗の流れ弾で妻を亡くして以来、仕事が手につかず悩んでいた。閉店間際の店に駆け込んだポールは、見せてもらったオーギーの写真集から亡き妻のありし姿を見つけ号泣する。ポールはボンヤリとして自動車に轢かれそうになったのを助けられ、ラシード(ハロルド・ペリノー・ジュニア)と出会う。その怪しい少年に感謝し、ポールは彼を自分の家に泊めてやる。2晩泊まった後にラシードは家を出て行ったが、その数日後にラシードの叔母を名乗る女性が現れた。ラシードの本名はトーマス・コールといい、偽名を使って各地を転々としていたのだ。その頃トーマスは生き別れた父親のサイラス(フォレスト・ウィテカー)に会いに、サイラスが営む小さなガレージを訪れた。トーマスはサイラスのガレージのスケッチをしているが、追い払われても退かず、そこでトーマスは以前世話になったポールの名前を偽名として用い、無理やり雇わせる。後日、トーマスはポールの元を再訪。ポールは先日トーマスの叔母が自分の元を訪れた経緯を述べ、本名を問い詰める。トーマスを追うギャングに押し入られ、ポールはトーマスのヤバさを知る。ルビー(ストッカード・チャニング)は戦争中、オーギーを裏切り他の男と結婚したが、娘がピンチだと金の工面に訪れる。ポールはトーマスの隠した6000ドルを自宅で見つけるが、その金はトーマスがタバコ屋のバイトでドジした賠償に当てられ、さらにルビーに渡される。トーマスはサイラスに本当の名を名乗り、息子であることを伝えるが、混乱から乱闘になる。オーギーは作家に昼食をとりながら過去にあったクリスマスの話をする。昔、万引き犯を追いかけるが逃げられ、落としていった財布には写真だけがあった。家を訪ねるとそこには盲目のおばあさんが一人で住んでいて、自分のことを孫だと思い込んだ。だから話を合わせて一緒にクリスマスを過ごしてきたという。それにポールは「本当にいいことをしたな。人を幸せにした。生きていることの価値だ」と言う。オーギーはその言葉に心から満足する。ポールはその話の原稿を書き始める―。

香港出身のウェイン・ワン監督の1995年公開作で、同年・第45回 「ベルリン国際映画祭」の銀熊賞(審査員特別賞)受賞作。原作は今年['24年]4月30日に77歳で没したポール・オースターが、ニューヨーク・タイムズ紙から依頼されて書いた短編小説。ポール・オースターは、事実を載せるはずの新聞に虚構を書けというアイデアが気に入って引き受けたそうで、そのタイムズ紙を読んでウェイン・ワン監督が感激して映画化をポール・オースターに持ちかけたということだったようです。ポール・オースターはウェイン・ワン監督と親交を深め、映画「スモーク」の脚本を書き下ろし、ハーヴェイ・カイテルやフォレスト・ウィテカーなどのキャストの選定もポール・オースターが行ったそうです。
オーギーがポールにクリスマス・ストーリー(盲目のおばあさんとの話)を語る店は実在する惣菜屋で、この店での撮影に3日間もかかり、ポール・オースターはハーヴェイ・カイテルにセリフの一字一句変えることを禁じたとのこと。結果、このクリスマス・ストーリーを語るシーンが、ハーヴェイ・カイテルの演技の見せ処となったように思います。
ラストで回想でそのオーギーの最後の話が演じられますが、実はおばあさんは声を聞いてすぐに別人だと分かっていたことは、オーギーの話の中で明かされていて、要するに、二人は互いに演技し合っていたということになります。また、オーギーがタバコ屋の前で撮影しているカメラは、そのとき去り際に盗んだものだった(箱に「キヤノンAE-1」とあった)という、ちょっと「オチ」っぽい終わり方で、このあたりはオースターらしいです。映画全体を通しても、原作者のポール・オースターらしさが活かされた映画と言えるかもしれません。
映画パンフレット(タバコ店の店名は「Brooklin CIGAR CO.」とある)
「スモーク」を撮り終えた頃、余ったフィルムでスピンオフ作「ブルー・イン・ザ・フェイス」が即興で撮られ、6日間で撮り終えられたこの作品には、「スモーク」に出演したハーヴェイ・カイテル(同じく煙草屋の役)はもとより数多くの俳優が集まり、その中にはルー・リード、マイケル・J・フォックス、マドンナなどがいます(ポール・オースターはこの作品の脚本執筆&副監督を務めている)。
また、ポール・オースターが1987年の『ニューヨーク三部作』(City of Glass, Ghosts, The Locked Room)の発表から5年後の1992年に発表した原作(Auggie Wren's Christmas Story)は、柴田元幸訳、タダジュン絵で『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』('21年/スイッチパブリッシング)とし
て翻訳されています(絵本だが、原文は全部生かしている)。タダジュン氏のモノクロの絵がいい感じです。原作はポールの視点で描かれており、ニューヨーク・タイムズからクリスマスの朝刊に載せる短編を書かないかといわれ引き受けたものの、「クリスマス・スートリー」なんて書けないと悩んでいたという、作家ポール・オースター自身の経験を裏返しにして活かしています。「銀行強盗の流れ弾で妻を亡くした」とかはもちろん"脚本家ポール・オースター"としての創作ですが。原作では「銀行強盗の流れ弾で妻を亡くした」という話そのものが無く、これは映画のオリジナルです(ラシード少年の話なども原作には無い話で、原作では少年そのものが登場しない)。
物語の中で、最後は、ポールはオーギーの盲目のおばあさんとの話は全部でっち上げではないかとも思いますが、彼の話を信じることにし、「誰か一人でも信じる人間がいる限り、本当でないない物語などありはしないのだ」として、小説のネタをくれたオーギーに感謝します。ある意味、「虚構」が入れ子構造になっているとも言え、「虚構の中にこそ真実がある」という作家のメッセージのように思いました。

因みに、村上春樹氏・柴田元幸氏の共著の『翻訳夜話』('00年/文春新書)に、訳者によって翻訳がどう変わってくるかという見本として、両者それぞれの翻訳による「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」の抜粋とその原文が収録されているので、村上春樹訳と比べてみるのもいいかと思います。
村上春樹氏・柴田元幸氏

「スモーク」●原題:SMOKE●制作年:1995年●制作国:アメリカ・日本・ドイツ●監督:ウェイン・ワン(王穎)●製作:ピーター・ニューマン/グレッグ・ジョンソン/黒岩久美/堀越謙三●脚本:ポール・オースター●撮影:アダム・ホレンダー●音楽:レイチェル・ポートマン●原作:ポール・オースター『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』●時間:113分●出演:ハーヴェイ・カイテル/ウィリアム・ハート/ハロルド・ペリノー・ジュニア/
フォレスト・ウィテカー/ストッカード・チャニング/アシュレイ・ジャッド/エリカ・ギンペル/ジャレッド・ハリス/ヴィクター・アルゴ●日本公開:1995/10●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-06-05)((評価:★★★★)


安野光雅(1926-2020/94歳没)による1977年刊行の「旅の絵本」シリーズ第1作、中部ヨーロッパ編であり、これに続くⅡ('78年)がイタリア編、Ⅲ('81年)がイギリス編、Ⅳ('83年)がアメリカ編、15年ほど間が空いて、Ⅴ('03年)がスペイン編、Ⅵ('04年)がデンマーク編、Ⅶ('09年)が中国編、Ⅷ('13年)が日本編、Ⅸ('18年)がスイス編となります。第1作刊行の時点で作者は50歳を過ぎていたものの、最後のスイス編は90歳を過ぎて描かれたと思えば、まさにライフワークであったと言っていいのではないでしょうか。


因みに、このシリーズ第1作の中部ヨーロッパ編では、先に挙げたほかに、トルストイの童話「おおきなかぶ」などの絵もありました(これ、オリジナルもロシアの民話じゃないかな。まあ、ロシアも西側はヨーロッパロシアだが)。
見開きの「0」ページに川が流れる白のみの何もない、誰もいない雪景色が描かれてて、それが「1」ページにいくと、同じ場所に家が1件建ち、川には橋が1つ架かって、雪だるまが1つあって、スキーをしている人が1人、それが「2」ページにいくと、同じ土地に(雪が少し溶けて枯草が見えている)教会が建っていて、これで建物が2件に。道路では2台のトラックが向き合っていて2人の男性が立ち、山には木が2本、駆けっこしている子供が2人、ウサギが2羽...となっていき、この辺りでこの絵本の仕掛けが何となくわかります。
ページごとに、家が1軒づつ建ち、人が増え、木が植えられ、季節が変化していきます。建物は洋風ですが、季節変化は日本の四季に近く(ただし「5」ページから「7」ページにかけてからっとした感じの緑が続くので地中海性気候か)、春、夏、秋、そしてまた冬へと廻っていき、最後の「12」ページでは最初の「0」ページと同じ雪景色ですが、何も無かった最初と違い、建物も12件になって、村がしっかり作られています。

町の活動写真館でセロを弾く係のゴーシュは、練習してもセロをうまく弾けません。突然現れた動物たちの助けをかりて、ゴーシュはセロの練習び没頭します。たった10日間の毎日の練習によって、格段に腕をあげたゴーシュの成長はすさまじいものです―。
福音館書店の1956(昭和31)年創刊の月刊誌「こどものとも」の同年5月号(第2号)として刊行された『セロひきのゴーシュ』は、宮澤賢治の原作に「賢治を描いては最高」と言われた茂田井武(1908-1956/48歳没)が絵をつけた、今日も版を重ねている絵本です。
茂田井武の絵を見た
そんななか、函館の版画家・佐藤国男(1952年生まれ)の『版画絵本 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ』('16年/子どもの未来社)は、木版画という独自性があり、独特のタッチでありながらも原作の雰囲気も損なっておらず、個人的にはかなりいいのではないかと思います。
佐藤国男氏のプロフィールをみると、北海道の高校を卒業後、上京し、昼間は工場で製本や家具作りの仕事に携わり、夜間は東洋大学の仏教学科で学んで、その後、2年間東京や関東各地で大工仕事に従事。昭和55年に函館へ戻り大き
工を生業にしながら、宮沢賢治を題材とした版画を作り続けてたとのことです。



この絵本では、見開きの左面でマッチ売りの少女が出てくるヨーロッパのとある古い街の話が展開し、右面で見張り番がどこか行ってしまって混乱する「かげぼうしの国」の話(こちらは切り絵風でほぼモノクロ)が展開して、別々の話かと思ったら最後で1つの話になるという、面白い作りでした。
ただ、それ以上に、1冊で作者の二通りの画風が楽しめるところが、個人的には良かったでしょうか。表紙もいいです(どうして裏表紙は切り絵になってないのか?)

イラストレーター、デザイナーで、アンクルトリスの生みの親で、船の画家でもある柳原良平(1931-2015/享年84)が、「ばいかる丸」という実在の船の半生を絵本形式で描いたもの。1965年に岩崎書店より「ポニーブックス」(60年代に漫画家、イラストレーターが絵とストーリーの両方を手がけたことで話題になった絵本シリーズ)として刊行され、半世紀以上の月日を経て、2017年に復刻版として刊行されました。
1921年(大正10年)に大阪商船の客船として生まれた「ばいかる丸」は、大連航路の人気戦でしたが、やがて大阪商船にも新しい船が多く出来たため、東亜海運という別会社に売られ、商人を満州に運ぶ船になります。ところが1937(昭和12)年に日中戦争
が始まって黒塗りの病院船となり、1941(昭和16)年の太平洋戦争開戦で白塗りの国際赤十字の病院船になります。戦局が悪化すると病院船であるのに兵士を運ぼうとしましたが、1945(昭和20)年5月、大分県姫島沖で機雷に触れて船体に大穴が開き、そのまま戦争が終わってしまいます。応急処理後は瀬戸内海の笠戸島沖に係留されていましたが、やがて大阪湾で船員学校の学生の寄宿舎替わりとなり、さらに1949(昭和24)年、極洋捕鯨に買い取られ、捕鯨船に改造されます。しかし、やがて捕鯨船ももっと大型のものが多く造られたため、肉を運ぶ冷凍船に改造され、名前も「極星丸」に改名されて「今」に至っているとのことです。
こうした1隻の船の歩みを、船を主人公にして「ワタシ」という1人称で淡々と語っていますが(淡々と語られているわりには、かつて栄華を誇った「ばいかる号」が、より大きな船が現れて役割の上で隅へ追いやられるのは何となく哀しかったりする)、絵の訴求力はやはりさすがだなあと思うとともに、まるで数奇な人の一生を見るようだなあとも思いました。








因みに、同じ2006年にリトルモアより刊行された、気鋭の翻訳家の金原瑞人氏がコラージュ造形作家の清川あさみ氏と組んで作った絵本版の『幸せな王子』では、「つばめはこの天国の楽園にいてもらおう。ここで、いつまでもさえずってほしい。そして幸せな王子はこの黄金の街にいてもらおう。ここで、いつまでもわたしをたたえてほしい」となっており、曽野氏ほど"意訳"の領域には踏み込んでいないものの、「幸せな王子はこの黄金の街にいて」という部分で王子が神と共にいることを補足しており、しかも翻訳に原文と同じリズム感があって、この辺りはさすが金原氏という感じです(因みに、曽野綾子訳は2006年12月刊行で、金原瑞人訳はその少し前の2006年3月刊行)。
また、絵本化された抄訳版では、イラストレーターでミュージシャンでもある原マスミ氏が絵を描き自身で抄訳もしている2010年刊行の『幸福の王子』(ブロンズ新社)があります。原氏としては絵本も抄訳も初挑戦だったとのことですが、王子が泣き落としでツバメにいろいろお願いし、ツバメが"べらんめえ口調"それに返答
するなど、親しみやすいものとなっています(原氏はそれまでの学級委員長的な王子像からの脱却を図った?)。また、原作では神様の命により天使(の一人)がそのもとに届けたのは炉に入れても溶けなかった王子の鉛の心臓であるのに対し、こちらは、バラバラになった王子の体全体を天使(たち)が神様のもとへ届け、神様は王子とツバメに新たな命を授け、「この永遠の楽園で、いつまでも、なかよくくらすがよい」と言ったとするなど、若干改変されています(但し、原作の趣旨を損なわない範囲内でのオリジナリティの発露―といったところか)。


小野木学(おのぎ まなぶ/おのき がく、1924-1976/享年52)の1970(昭和45)年発表の作品で、ロングセラーとしてアニメにもなっているようですが、NHK教育テレビで観た「影絵版」が、原作絵本の版画のイメージに近くて良かったです(語りは声優の朴璐美(ぱくろみ)のものと女優の夏木マリのものがあるようだが、自分が観たのは夏木マリの方)。
再読ですが、ストレートに感動させられました。作者が解説的なことを作品の中に織り込んでいないため、いろいろな捉え方ができる作品でもあり、そこがまたいい点なのかも。
それ(コミュニティに対する貢献)が、エルフ自身にとっての自己実現であったわけで、そうした意味では、悲しい結末ではあるものの、最後にエルフは再度、自己実現を果たしたとも言えるのではないかと思います。



熊田千佳慕(1911‐2009/享年98)
本書の「おわびのメッセージ〜あとがきにかえて」によると、奥さんの病気のため、60年住み慣れた"埴生の宿""おんぼろアトリエ"での仕事が出来なくなり、このシリーズの仕事も中断していたとのこと、番組の中で紹介されていたあの描きかけのコオロギの絵はどうなったのかなあと思っていたら、本書の表紙にきていました。


1987(昭和62)年に刊行された絵本で、児童文学者である作者のもとへ届いたある手紙がもとになっており、その手紙には、小学4年の妹が転校した学校でいじめに遭い、その後に心を病んで亡くなったということが姉の立場から綴られていたとのことで、事実だったのかと思うとかなり重いです。
湯本 香樹実 氏
仲良しの小鳥に死なれた熊は、悲しみにうちしおれ、小鳥の遺骸を木箱に入れて持ち歩くが、周囲からの慰めにもかかわらずその心は癒されること無く、やがて家に閉じこもるようになる。しかし、何日もそうしていた後のある日、外の風景を見るといつもと違って見え、ふと出かけた先で楽器を携えた山猫に出会って―。



1965(昭和40)年2月に刊行された子供向け絵本(読み聞かせなら5歳から、自分で読むなら小学校中級向き)ですが、赤羽末吉(1910-1990)の絵に水墨画のような味わいがあります。これと比べると、"100円ショップ"などで売っている絵本はもとより、他の「桃太郎絵本」が霞んでしまうかも。むしろ、絵だけで言えば、大人向けと言えるかも知れません。
太平洋戦争中は、軍神的キャラクターとして「桃太郎 海の神兵(しんぺい)」('45年公開、74分)などの国策アニメ映画の主人公になっていますが、「桃太郎 海の神兵」はその内容はともかく、長さで1時間を超える日本初の長編アニメーション映画にしてそのアニメ技術はなかなかのもので、今
見ると北朝鮮のアニメみたいですが、手塚治虫が公開初日にこの映画を見て、そのレベルの高さに感動し、アニメーションの楽しさに目覚めたのだそうです。
30分以上1時間未満を"中編"ではなく"長編"とするならば、「桃太郎 海の神兵」に先立つものとして、同じ瀬尾光世監督による「桃太郎の海鷲」('43年公開、37分)があり、これが日本初の長編アニメーション映画ということになるのかも。こちらも技術水準はなかなかのものですが、100人以上のスタッフが関わった「海の神兵」に対し、「海鷲」の方は僅か4名のスタッフだったというから驚きです。内容的には、日本海軍による真珠湾攻撃をモデルにしており、桃太郎を隊長とする機動部隊が鬼が島へ「鬼退治(空襲)」を敢行し、多大な戦果を挙げるというものです(真珠湾攻撃のメタファーになっている)。アメリカ漫画が締め出された頃であったにも関わらず、たま
たま敵兵の中に大男ブルートにそっくりの顔が出てくるため、宣伝ビラで間違ってミッキーマウスやポパイなどが出てきて桃太郎と戦うというのがあったらしく、それを期待して観に行った人もいて「なんだ、ちっとも出てこないじゃないか」とがっかりしたという話もあったそうです(「マンガ映画メイドイン・ジャパン」―『フィルムは生きている―手塚治虫選集5』1959)。この時から既に桃太郎は「軍神」扱いだったのだなあと思わされますが、これらの作品は日本ではなくアメリカでDVD化され市販されています。
本書の松居直(まつい・ただし、1926-2022/96歳没)氏の文による桃太郎は、最後に鬼が島から宝物を持ち帰らない代わりに鬼たちに囚われていたお姫様を連れて帰って、桃太郎は姫と結婚する!(「一寸法師」みたいだなあ)
「桃太郎の海鷲」●制作年:1942年●監督・撮影:瀬尾光世●製作:芸術映画社、大村英之助●脚本:栗原有茂●後援:海軍省●技術・構成:持永只仁/田辺利彦/橋本珠子/塚本静世●音楽:伊藤昇●時間:37分●公開:1943/03●配給:映画配給社(評価:★★★)
●森卓也(映画評論家)の日本アニメ映画ベストテン(『オールタイム・ベスト 映画遺産 アニメーション篇』(2010年/キネ旬ムック)
1967(昭和42)年刊行の「ぐりとぐら」シリーズの第1作で、双子の野ねずみ"ぐり"と"ぐら"が森で見つけた巨大な卵で巨大なカステラを作り、友達とわけ合うという話は、絵本界の名作としてよく知られています(この絵本の原型として「たまご」('63年発表)という読み聞かせ物語[右]がある)。

第61回菊池寛賞(日本文学振興会主催)
画家の山脇百合子(1941-2022)
1967(昭和42)年刊行で、元になっているのはモンゴル民話。






新美南吉(1913-1943/享年29)
原作「権狐」は、南吉18歳の時の投稿作品で、「赤い鳥」創刊者の鈴木三重吉の目にとまり、同誌に掲載されましたが(因みに三重吉は、同誌に投稿された宮沢賢治の作品は全く認めず、全てボツにした)、この三重吉という人、他人の原稿を雑誌掲載前にどんどん勝手に手直しすることで有名だったようです。
東京外国語学校英文科に学び、その後女学校の教師などをしていた南吉は29歳で夭逝しますが、生涯に3度の恋をしたことが知られており、最後の恋の相手が、先ほどの冒頭文に続く「むかしは、私たちの村のちかくの、中山といふところに小さなお城があつて、中山さまといふおとのさまが、をられたさうです」とある「中山家」の六女ちゑだったとのこと。

芥川 龍之介
2005(平成17)年3月の偕成社刊。原作は1920(大正9)年1月に芥川龍之介(1892-1927)が雑
誌「赤い鳥」に発表、『影燈籠』('20年/春陽堂)に収められた、芥川の所謂「年少文学」というべき作品の1つで、同じ系譜に「蜘蛛の糸」や「杜子春」などがありますが、本書の絵を画いている挿画家の宮本順子氏は、この偕成社の「日本の童話名作選」シリーズでは他に同じく芥川作品である「トロッコ」の絵も手掛けています。
作品は、昭和40年代頃には、光村図書出版の『中等新国語』、つまり中学の「国語」の教科書(中学1年生用)に使用されていました。
先に原作を読んでいると、絵本になった時に、どれだけ絵が良くても自分の作品イメージとの食い違いが大きくて気に入らないことがありますが、この宮本順子氏の絵は比較的しっくりきました。


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1996(平成8)年3月に刊行された科学絵本ですが、1ページめくるごとに10分の1ずつに小さい世界になり、微生物、DNAの世界を経て、分子、原子、素粒子の世界へ入っていくというアイデアがいいです。
最後に辿り着いた一番小さなものが(原始の)「宇宙」だったという〈逆説〉も、ロマンがあっていいです。
