「●スティーヴン・スピルバーグ監督作品」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3117】 スティーヴン・スピルバーグ 「ウエスト・サイド・ストーリー」
「●「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ 「●メリル・ストリープ 出演作品」の インデックッスへ 「●トム・ハンクス 出演作品」の インデックッスへ「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「●国際(海外)問題」の インデックッスへ ○映像の世紀バタフライエフェクト(「ベトナム戦争 マクナマラの誤謬」)
ジャーナリズムの使命とは。「大統領の陰謀」の冒頭シーンに繋がるラストシーン。


「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書 [DVD]」キャサリン・グラハム(1917-2001)
ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に疑問や反戦の気運が高まっていたリチャード・ニクソン大統領政権下の1971年、政府がひた隠す、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在をニューヨーク・タイムズがスクープし、政府の欺瞞が明らかにされる。ライバル紙でもあるワシントン・ポスト紙は、亡き夫に代わり発行人・社主
に就任していた女性キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)のもと、編集長のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)らが文書の入手に奔走。なんとか文書を手に入れることに成功するが、ニクソン政権は記事を書いたニューヨーク・タイムズの差し止めを要求。新たに記事を掲載すれば、ワシントン・ポストも同じ目に遭うことが危惧された。記事の掲載を巡り会社の経営陣とブラッドリーら記者たちの意見は対立し、キャサリンは経営か報道の自由かの間で難しい判断を迫られる―。
スティーブン・スピルバーグ監督の2017年公開作で、メリル・ストリープ、トム・ハンクス出演の二大オスカー俳優の共演で、政府と報道機関の闘いを通してジャーナリズムの使命や良心とはなにかを問うたアメリカ映画らしい作品(原題は"The Post")。背景は複雑ですが、見どころを明日の新聞にスクープ記事を掲載するかしないか、掲載すれば新聞社は潰れるかもしれないという究極の状況にフォーカスすることで、娯楽性も兼ね添えた作品となっています。
こうした単純化の手法は、アラン・J・パクラ監督がよく使っていたように思いますが、この映画の最後に、政府の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴露された当時の大統領リチャード・ニクソンが、怒り心頭に発して電話で怒鳴りながら何やら指示しており、さらにその後のラストシーンが、アラン・J・パクラ監督の「大統領の陰謀」('76年/米)の冒頭の、ウォーターゲートビルで働く警備員が建物のドアに奇妙なテープが貼られていることに気づく、そのシーンに繋がるようにな終わり方になっています。これは意図的でしょう(そして、「大統領の陰謀」で描かれるように、ポスト紙の記者ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの取材が、「ウォーターゲート事件」という政治スキャンダルに繋がり、1974年のニクソンが大統領の辞任に至る)。
テーマ的にはいいテーマだと思います。ただ、脚本のせいなのか、6カ月という短期間で撮り上げたせいなのか(スピルバーグの作品で「最も短期間で完成」した作品とのこと)よくわかりませんが、オスカー3度受賞のメリル・ストリープとオスカー2度受賞のトム・ハンクスの共演にしては演出的な盛り上がりはやや物足りず、トム・ハンクスが役柄上のこともあってメリル・ストリープに喰われるかたちで、両者の共演が相乗効果に至っていない印象を受けました。
そのためか、2017年11月発表の「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞」で作品賞、主演女優賞、主演男優賞を獲りましたが、その後の賞レースではノミネートはされるもののほとんどが受賞に至りませんでした。それでも、メリル・ストリープは上手いことは上手いです。あがり症の主人公が演説をするところの演技などはさすがで、アカデミー主演女優賞にノミネートされていて、21回目のノミネートは俳優としては最多の記録になります。
スピルバーグ監督らしいと思ったのは、当時の鉛版を使用していた凸版輪転機で新聞を作る様が(おそらく)忠実に再現されていた点で(社主が輪転機の回っている階にわざわざ降りて行くかどうかはともかく)、昔、新聞社見学で、鉛の版組みを見せられたり、地階で巨大輪転機が回るのを見たのを思い出しました(今はコンピューター制御のオフセット印刷だが、最後、輪転機を回し、刷り上がった新聞をトラックで運ぶのは同じ。新聞社は物流業の側面がある)。
1970年代前半の「ニューヨーク・タイムズ」記者の数人が、本作が「ペンタゴン・ペーパーズ」をめぐる一連の報道における同紙の役割を軽視していると批判しているそうですが、確かに、先に二度も「ペーパーズ」記事を書いて政権から記事差し止めを要求されたニューヨーク・タイムズの方が先駆的であったかも。ライバルでありながら共闘していくというというのがこの映画での描かれ方ですが、やはりスクープを競うライバル意識は互いに強いのでしょう。
メリル・ストリープが演じたキャサリン・グラハム(1917-2001/84歳没)は、20世紀の米国で最もパワフルな女性の一人として本国では広く知られている存在のようです。社主キャサリン・グラハムと編集長ベン・ブラッドリーは最初にペンタゴン・ペーパーズの内容を発表する際は、映画で描かれたように困難を感じていましたが、記者のボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインがブラッドリーにウォーターゲート事件の取材を持ち掛けたときは、キャサリンは彼らの調査を支持し、ブラッドリーは他の報道機関がほとんど報じていなかったウォーターゲート事件の記事を掲載することにしたとのことです(「ジャーナリズムの使命」というのもあるし、「スクープ」的価値というのもあったかと思う)。
『ペンタゴン・ペーパーズ 「キャサリン・グラハム わが人生」より』
因みに、2013年10月、グラハム家(社主はキャサリンの息子に代替わりしていた)は同紙をアマゾン創業者のジェフ・ベゾスが設立した持株会社ナッシュ・ホールディングスに2億5千万ドルで売却しており、以来、同紙の実質的オーナーはジェフ・ベゾスということになります(イーロン・マスクがTwitter(ツイッター)社を約440億ドル(5.6兆円)で買収するという最近の話と比べればその180分の1というずっと小規模な売却額だが)。ジェフ・ベゾスに買収されてからというもの、「ワシントン・ポスト」はデジタルファーストを掲げて急速な変化を遂げており、2015年10月、「ワシントン・ポスト」のWebサイトへの訪問者数が6690万人と、はじめて「ニューヨーク・タイムズ」の数字(6580万人)を上回っています(それ以前の同紙は、知名度は高いがあくまで「地方紙」という存在で、発行部数も50万部程度だった)。
「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」●原題:THE POST●制作年:2017年●制作国:アメリカ●監督:スティーヴン・スピルバーグ●製作:エイミー・パスカル/スティーヴン・スピルバーグ/クリスティ・マコスコ・クリーガー●脚本:リズ・ハンナ/ジョシュ・シンガー●撮影:ヤヌス・カミン
スキー●音楽:ジョン・ウィリアムズ●時間:116分●出演:メリル・ストリープ/トム・ハンクス/サラ・ポールソン/ボブ・オデンカーク/トレイシー・レッツ/ブラッドリー・ウィットフォード/ブルース・グリーンウッド/マシュー・リース●日本公開:2018/03●配給:東宝東和(評価:★★★☆)
中央:ブルース・グリーンウッド(マクナマラ国防長官)
マシュー・リース(ダニエル・エルズバーグ)/ダニエル・エルズバーグ(1931-2023.6.16(92歳没)元国防次官補佐官。"ペンタゴン・ペーパーズ"を暴露した。)


《読書MEMO》
●NHK 総合 2023/05/29「映像の世紀バタフライエフェクト#40―ベトナム戦争 マクナマラの誤謬」

「マクナマラの誤謬」 | マクナマラによる日本への無差別爆撃進言 | フォード社に入社したマクナマラ | ケネディによるマクナマラの国防長官登用 | ケネディを受け継いだジョンソンのベトナム撤退の白紙化と戦線の拡大 | キルレシオ | テト攻勢 | サイゴン陥落 | ペンタゴン・ペーパーズのリーク | マクナマラとヴォー・グエン・ザップの会談 | 社会学者ヤンケロヴィッチ(語り:糸井羊司)



(ラーゴ)に、ある日正体不明の流れ者(クリント・イーストウッド)が立ち寄る。男は、絡んできた3人のならず者を瞬く間に撃ち殺し、その場に居合わせた小人のモーデカイ(ビリー
・カーティス)は声も無くただ見つめるだけだった。さらに男は、通りががったカリー・トラバース(マリアント・ヒル)を納屋に連れ込むと、強引に犯してしまう。臆病な町の住人たちは、流れ者を咎めもせず、ただただ困惑する。その頃、ブリッジス(ジョフリー・ルイス)、コール(アンソニー・ジェイムス)、ダン(ダン・デイビス)のステイシー3兄弟が刑務所から放免になり、町に向かっていた。3人はかつてラーゴ鉱山会社で用心棒をしていた時に金塊を持ち出し、彼らを逮捕しようとした連邦保安官をムチで叩き殺したの
だ。ラーゴでは町を守るために、正体不明の流れ者を雇うことにする。男は当初渋っていたが、「何でも言う事を聞く」との申し出に、町の護衛を引き受ける。男はホテルの主人ルイス(テッド・ハートレイ)にしばらく滞在すると告げる。ルイスの妻サラ(バーナ・ブルーム)は、この
男をどこかで見たような気がした。町を挙げての防戦体制が敷かれ、モーデカイに絶大な権限が与えられたが、男の行動が理解できない鉱山会社のドレイクやモーガン(ジャック・ギング)は男を用心棒として雇ったことを後悔し始めた。男はホテルの客を全員他の場所に移し、カリーとホテル暮らしを始めた。ある夜、2人の部屋へモーガンと数人の男たちが侵入し、寝ている男を襲おうとしたが、男はベランダからダイナ
マイトを投げつけ、翌日にはモーデカイに指揮を命じて、どこかへ去っていった。町の人々は、彼がいなくてどうやって町を守るのかと恐怖に慄き騒ぎ始める。そこへステイシー3兄弟がやって来て、混乱している町を易々と乗っ取った。人々を酒場に集め、3人は勝手放題に嫌がらせを始める。コールが馬を見ようと酒場の扉を押すと、突然ムチの音がして彼の姿が見えなくなった。コールの呻き声で、ステシシーとダンが通りに出ると、コールがムチで打たれて死んでいた。さらにダンの首にからみついたムチが彼の首を絞めつける。彼は地面に崩れ、そのまま死んだ。ステイシーは素早く建物の影に隠れだが、男はどこまでも追ってくる。"お前は誰だ。何者なんだ?"それがステイシーの最期の言葉だった―。
クリント・イーストウッド演じる男が時おりムチで打たれる悪夢にうなされるため、この男がかつて悪党にムチ打たれ、住民たちに見殺しにされた保安官の生まれ変わり(ユーレイ?)であるのは何となくわかりますが、町人たちに防戦訓練を施している様などを見るとリアルな人間にしか見えません。しかし、悪党3人組を倒した後、町を臨む丘の上の墓地にある名無しだった保安官の墓に"ジム・ダンカンここに眠る"と、モーデカイが保安官の名を刻んだのを見届けて町を去って行きます。その際に、「あんたの名前を聞いてなかったね」とモーデカイが訊くと、墓石をじっと見つめ「知っているはずさ」と。ラスト、陽炎の立つ地平に男が消えていくことで、またユーレイっぽく(笑)なっています。このラスト、いいです。
男が町に来てならず者を倒すだけでなく(ユーレイなのに)女性も犯し(マリアント・ヒル演じるこの女性は最初は怒り狂ったものの、結局は男のシンパになる)、さらに、人々を無法者から守る契約をしたはずなのに、無法者が攻めてきても最初は相手のやり放題にさせていたりするのは、かつて無法者にリンチされながら住民の誰からの助けもなく亡くなった保安官の生まれ変わりが、住民に少しは反省してもらうために敢えてそうしたのではないでしょうか。
この映画、当初はジョン・ウェインが出演のオファーを受け、脚本も受け取っていたそうですが、彼は映画公開後、イーストウッドに本作の評価を手紙で送り、それは「映画の町民たちは、実際のアメリカ先駆者達の精神を持っていない。アメリカの偉大なる精神をだ」という批判的な内容だったとのことです。これは、ジョン・ウェインが「真昼の決闘」を同じような理由で非難していたことと符合します。
一方で、村上春樹氏は『村上さんのところ』('15年/新潮社)で「何度も観返している映画ベスト3はなんですか?」との問いに、「ジョン・フォードの『静かなる男』と、フレッド・ジンネマンの『真昼の決闘』です。四面楚歌みたいな状況に置かれたときに(何度かそういうことがありました)、よく観ました。見終わると、「僕もがんばらなくちゃな」という気持ちになれます。どちらもとてもよくつくられた映画です。何度観ても飽きません」と答えていました。同氏によれば、アメリカのホワイトハウスの映画室で、もっとも数多く大統領に観られた映画は「真昼の決闘」だという話を聞いたことがあるそうです(ここ項、最後は「真昼の決闘」の話になってしまった)。
「荒野のストレンジャー」●原題:HIGH PLAINS DRIFTER●制作年:1973年●制作国:アメリカ●監督:クリント・イーストウッド●製作:ロバート・デイリー●脚本:アーネスト・タイディマン/ディーン・レイスナー●撮影:ブルース・サーティース●音楽:ディー・バートン●時間:105分●出演:クリント・イーストウッド//ヴァーナ・ブルーム/マリアンナ・ヒル/ミッチェル・ライアン/ジャック・ギング/ステファン・ギーラシュ/テッド・ハートリー/ビリー・カーティス/ジェフリー・ルイス/ロバート・ドナー/アンソニー・ジェームズ/ダン・ヴァディス/ウォルター・バーンズ●日本公開:1973/06●配給:CIC(評価:★★★☆)
「真昼の決闘」●原題:HIGH NOON●制作年:1952年●制作国:アメリカ●監督:フレッド・ジンネマン●製作:ス


1880年代の東部アリゾナ。ここは元アパッチの地だったが、白人に奪われてから、彼らは保護地に移り住んだ。その中のひとりジョン・ラッセル(ポール・ニューマン)はアパッチに育てられた白人だ。彼は養父からの遺産の下宿屋を売り払い、コンテンションという地で馬を買う計画を立てていて、数日後、南へ行く小型馬車をやっとのことで見つけることができた。というのは、この地方にも鉄道が敷かれ、駅馬車が影を潜める時代が来たのだ。南へ行く馬車の同乗者は、ジョンのほかに、下宿屋のマネージャーだったジェシー(ダイアン・シレント)、ビリー・リー(ピーター・ラザー)とドリス(マギー・ブライ)の新婚夫婦、そして60がらみのフェーバー(フレドリック・マーチ)と若い妻オードラ(バーバラ・ラッシュ)たちだった。馬
車が出る間際にグライムス(リチャード・ブーン)と名のる男が強引に乗り込んだ。馬車がけわしい山を越えると、突如行手に3人のガンマンが現れた。ひとりはジョンの下宿屋にいたブレイトンという元保安官。この3人に、一人のメキシコ人が加わりさらにグライムスが合流して、その頭に。5人のガンマンの目的はフェーバーだった。彼はインディアン用の食肉を横流しして儲けていた極悪人。5人はフェーバーの金を奪い若妻オードラを人質にして逃げる。後を追ったジョンは2人を射殺し、金だけは無事に取り戻す。その金を、フェーバーは持ち逃げしようとしたが、逆にジョンに身ひとつで追放された。生き残ったグライムスは、オードラと金を交換しようと言ってきたがジョンは拒絶。するとグライムスは、オードラを強い太陽の下で縛りつける。このままでは、渇きと日射病で死んでしまう。この頃、追放されたフェーバーも戻ってきていたが、なすすべもない。結局はジョンが"(夫フェーバーが)インディアンにひもじい思いをさせた報いだ"と呟きながらも助ける。しかし、金と交換せずにオードラを助けたジョンは、グライムスとメキシコ人の2人を射殺したが、5人のガンマンの最後の一人に倒されてしまう。復讐はビリー・リーがした。そしてジョンの遺体は、かつて彼の下宿屋で働いていたジェシーが町へ持って行き弔うという―。
ポール・ニューマンがインディアンに育てられた白人青年を演じていて、公金を横領した悪玉と同じ馬車に乗り合わせたために強盗に襲われるという、しかも、インディアンに対して加害者であった白人たちを救い、その一方で、自分は悪者に撃たれて死んでしまうという、なんだかすごくやるせない話でした。
駅馬車にいろいろな人物が乗り合わせ、それが外部から敵に襲われる(リチャード・ブーン演じる悪党面の男グライムスが敵の側だったのはやっぱりという感じだった)というのは、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の「
ポール・ニューマンが演じる主人公のジョンが寡黙で(これも珍しいのでは)、最初は駅馬車の客たちにも不愛想。でも、馬車が外敵に襲われると、その冷静な行動から、自然と皆のリーダーになっていきます。それでも、ずっと不愛想なのは、彼は別に
駅馬車の客たちに義理があるわけでもなく、むしろ白人に迫害された側にあるからでしょう。敵方によって強い太陽の下で縛りつけられた美しい人妻オードラ(バーバラ・ラッシュ)がどんなに泣き叫んでも助けにに行かない。正義感に溢れる勇敢な女性ジェシー(ダイアン・シレント)にそのことを非難されてもなお動かない。それが最後の最後に―(やはりジェシーに心動かされたか)。
しかし、ポール・ニューマン演じるこの寡黙な主人公の"勇敢さ"は、これではいくら命があっても足りないというもので、ほとんど白人たちのために命を投げ出したに近く、原作がエルモア・レナードだから、陳腐なカタルシス効果を排してリアルな心理劇になっているのはある程度頷けますが、結果としてジョンは"神"のような存在になっていたように思います。

主人公の心に大きな影響を与える役どころで要所で物語を転がすヒロイン・ジェシーを演じたのは当時ショーン・コネリーの妻だったダイアン・シレント(「太陽の中の対決」と同年公開の「
ルモア・レナード●時間:111分●出演:ポール・ニューマン/フレデリック・マーチ/リチャード・ブーン/ダイアン・シレント/キャメロン・ミッチェル/バーバラ・ラッシュ/ピーター・ラザー/マギー・ブライ/マーティン・バルサム/スキップ・ウォード/フランク・シルヴェラ●日本公開:1967/10●配給:20世紀フォックス(評価:★★★☆)


松本清張ほか著/日本推理作家協会編『種族同盟―現代ミステリー傑作選1〈策謀・黒いユーモア編〉』(カッパ・ノベルス 1969.01)

この1979年版の小川真由美演じる被告は、映画版と同じく旅館の女中(渡り仲居)で(千鶴子、つまり原作で殺害される女性と同じ名前になっている)、彼女の色香に目をつけた客の議員秘書に犯され、彼を崖から渓流に突き落として死なせてしまいます。警察に捕まって尋問されますが、本人に殺意がなかったこともあってか無実を訴え、資力がないので国選弁護人をつけることになりますが、その案件引き受けた弁護士が、高橋幸治演じる矢野弁護士で(原作は一人称で語られるため、弁護士の名は出てこず、この「矢野」という名は映画と同じ名前)、その助手の金沢碧が演じる由基子は(これは原作でもそのことが示唆されているが)彼の愛人ということになっています(男女の入れ替えをはじめ、全体の設定としては原作より映画「黒い奔流」にずっと近い)。
小説家の阿刀田高はその著書『松本清張あらかると』(1997年/中央公論社)で「種族同盟」のドラマの脚色を賞賛していて、少し長くなりますが引用します。
「〈種族同盟〉のテレビ化は、実にみごとなものであった。もちろん小説を映像化して絶讃を受けた映画やテレビ・ドラマは他にもたくさんあるだろう。どちらかと言えば、テレビより映画のほうによい作品が多いような気がするけれど、テレビ化だって捨てたものじゃない。名品を次々に思い出すことができる。だが、私がここでことさらに〈種族同盟〉を挙げるのは、作品の筋が原作から大きく変更されたにもかかわらず、見どころのある物語をあらたに創っていたからである。しかもその変更の理由が(これはあくまで私の推測ではあるけれど)―テレビ的だなあ―と思いたくなるような、けっして本質的ではないものなのに、ドラマ化された結果は本質的な条件をクリアーしていた。ありていに
言えば「小説をテレビ化するとき、テレビ局の側にもいろいろ事情はあるでしょう。しかし変更するなら、このくらい、熟慮して変えてください」と、あらまほしき例として挙げたくなるのが、この〈種族同盟〉のテレビ・ドラマ化であった。(中略)〈種族同盟〉のドラマ化は、原作のエンドマークの先にたっぷりと新しいものをつけたして違和感のないものとした。付加するならば、このくらいうまく繋げてほしい。主人公を男から女へ変えるなら、ここまで工夫してほしい。小説〈種族同盟〉と、テレビ・ドラマ化された映像と、どちらがよいかは、むつかしい問題ではあるけれど、私としては、「小説のほうは凄味があるけれど、陰鬱だからなあ。テレビのほうがある種の女のあわれさがよく出ていて、ここちはいいね」と言いたくなってしまう。いずれにせよテレビドラマ〈種族同盟〉は、原作を大きく変えて、しかも充分に成功した珍しい例、と、私は特筆大書したいのである。」
ただ、この"イノセント"を実際に演じるのは相当に難しいはずであり、それをリアリティをもって演じ切った小川真由美ってすごいなあと思いました。同じ「土曜ワイド劇場」枠で同年4月放映の「
最初の方で小川真由美演じる千鶴子と議員秘書の絡みがあって、しかも千鶴子がたまたまゆっくり走っていたトラックに飛び乗るシーンがあるので(これが意図せず時間トリックとなって彼女の無罪につながるのだが)、原作と違って言わば倒叙ミステリーになっています。その分、ミステリとしての意外性は削がれていることになりますが、ドラマはあくまでも千鶴子が主人公である作りなので、あまり気になりませんでした。
高橋幸治(1935年生まれ)も悪くなかったです(映画で弁護士を演じた山崎努(1936年生まれ)と似た感じか)。NHKの大河ドラマ「
金沢碧は、事務所の助手・岡橋由基子役でしたが、原作や映画において弁護士を追いつめる元被告に代わって、由基子が弁護士を恐喝する役回りでした。ダーティな部分を全部引き受けた感じで、最後にドジを踏ん

「松本清張の種族同盟・湖上の偽装殺人事件」(土曜ワイド劇場)●演出:井上昭●脚本:吉田剛●音楽:津島利章●原作:松本清張●出演:小川真由美/高橋幸治/金沢碧/下条アトム(下條アトム)/加藤嘉/朝加真由美/中村竹弥/川合伸旺/進藤準/小島三児●放映:1979/05/26(全1回)●放送局:テレビ朝日(評価:★★★★☆)




1962年にNHKでドラマ化されて以来ずっとドラマ化されていませんでしたが、2017年に村上弘明×剛力彩芽×陣内孝則の共演で55年ぶりに「松本清張没後25年特別企画 『誤差』」のタイトルでテレビ東京でドラマ化されました(メインキャスト3人は、2015年の「開局50周年特別企画 黒い画集―草―」、2016年の「松本清張特別企画 喪失の儀礼」に続いての共演)。
2017年の村上弘明版は、最初に安西澄子の絞殺体が見つかるところから始まって、関係者の証言を集めながら、事件4日前に澄子が来泊したところから振り返ってみるという作りになっていて、捜査は難航しますが(原作より複雑になっている)、原作のようにいったん事件が解決したかに見えた後で刑事の山岡が事の真相に気づくというものではなく、山岡は部下の女性刑事を従え、紆余曲折ありながら最後一気に犯人に辿り着きます。以下、あらすじは―
山梨県にある温泉宿「川田屋」で、ある夜、安西澄子(田中美奈子)の絞殺体が宿泊していた離れで発見される。山梨県警の山岡慶一郎(村上弘明)は、部下の伊崎美里(剛力彩芽)と共に現場へ急行する。身元がわかるものは一切残されていなかったが、金品は手つかずのまま。女将の川田沙織(水沢アキ)によると、澄子は4日前から夫の忠夫と一週間滞在する予定だったが、忠夫は仕事が入り昨日合流したばかり。今日は忠夫のみ一旦外出。戻ったあと「家内はよく眠ってるから、そっとしておいてほしい」と連絡を入れて再び外出してしまったという。なぜか担当仲居の鵜飼理沙子(齋藤めぐみ)の姿も見当たらない。一方、澄子を解剖した法医学教授・立花亮介(陣内孝則)は吉川線と呼ばれる傷を発見するが、その傷に気になる点を見つける。山岡と美里が湯治客全員を聴取すると、ファーコートを着た怪しい女性を目撃したとの情報が。また宿帳に書かれた〈安西夫妻〉の住所と氏名はデタラメだと判明。安西夫婦は、またファーコートの女性は、誰なのか? そして一連のニュースを東京の街角のモニターで見つめる謎の女(松下由樹)の正体は? そんな中、鵜飼理沙子の遺体が発見され事件はさらに混迷していく―。
以上のように、犯行現場を目撃したと思われる仲居も殺害されるため、原作より被害者が1人多いです。さらに、〈安西夫妻〉の片割れの竹田宗一と併せて、澄子に貢いでいた信金金庫の融資係の男性も疑われるなど、容疑者も増えています。また、竹田の本当の妻が澄子が殺害される前に、澄子を「川田屋」に訪ねて宗一と別れるよう直談判するという場面もあり、〈男女の微妙な愛の心理〉の部分もかなり拡大しています。さらに、病院医師と山岡が、最初はぶつかるが、最後は真実を求めて共闘するという、その部分のドラマ的要素もあります。
随分盛りだくさんですが、それらはそれらでまずまず面白く、観ていてシラける感じはありませんでした。それもこれも、原作のプロットが効いているからでしょう。意図せずに生まれた時間差トリックと言うか、だからこそ"誤差"であるわけですが、そこが良く出来ているから、そこから話を膨らますこともできるし、膨らましてもそのプロットさえ活かせば駄作にはならず、まずまずの作品に仕上がるということではないかと思います。



1959年にテレビドラマ化されて以来ずっとドラマ化されていなかったのが、2012年に53年ぶりに反町隆史の主演でテレビドラマ化され、それを観ました。
市議会議員の笠木公蔵(反町隆史)のもとに、伯父である市長の田山与太郎(イッセー尾形)が死んだとの連絡が母親から入る。真面目一辺倒の市長が公務中に突然姿を消し、数日後にある温泉で遺体となって発見されたのだった。市長はすでに無断で6日も議会を欠席しており、横川市庁舎にて行われていた定例市議会では市長に対する野次が飛び交い、市長の秘書・矢崎(春海四方)が責め立てられていた。矢崎は市長が視察をかねたクラシックコンサートの途中で、突然「急に用事を思い出したから、明日の議会は欠席にしてほしい」と言って姿を消したことを不思議に思っていた。さらには、向かった先の志摩川(シマカワ)温泉のことを"シマガワ"温泉と言ったことで、初めて行く町だったのではないかと不信感を募らせていた。堅物で通っていた伯父が私用で仕事を抜け出したことを不審に思った笠木は、市長のところに通っていた家政婦の手塚スミ子(倍賞美津子)の協力のもと、市長の部屋で遺品整理をする。そこで発見した伯父の日記によって、芳子(木村多江)という女に惚れ込んでいたという伯父の意外な一面を知る。この日記の内容は、伯父の失踪と関係があるのだろうか? 笠木はスミ子と共に、市長が遺体で発見された志摩川温泉に再び足を運ぶが...。笠木は市長の死の裏にある衝撃的な真実にたどり着く―。
時代が現代(2010年代)になっており、反町隆史演じる市議会議員の笠木はイッセー尾形演じる田山市長の甥という血縁関係になっていて、議員職の傍ら営むのは醤油店ではなく花屋経営になっていたりします。田山市長が死ぬ前に行ったのが観劇ではなく視察を兼ねたクラシックコンサートだったり、田山市長が市長になる前の過去に部下の不祥事の責任を負わされた事件が、戦時中の朝鮮での軍資金8万円横領事件から、彼の商社マン時代の機密費5億円横領事件になっていたり、彼が思慕することになる木村多江演じる芳子とは、戦地ではなく海外赴任先で知り合ったことになっています。さらに、倍賞美津子演じる田山市長に出入りしていた家政婦が積極的に協力したりと、幾つか改変がされていますが、短編を2時間超のドラマにしているだけに丁寧な作りで、プロット的にも本筋の部分は活かしています。
原作の最後の解題の部分が笠木の市会議長に宛てた手紙の形式になっているのに対し、ドラマではそれを映像的に丁寧に再現しているというのはありますが、短篇を2時間ドラマにしても十分見応えがあるというところに、松本清張の原作短編の密度の濃さを感じます。ただ、それに合わせて、主人公の笠木の正しいかどうか分からない推理も映像化しているため、その点は観る者をミスリードするかも(実際には無かったことを映像化したことをアンフェアと見る人もいるのでは)。
原作とのいちばん大きな違いはラストでしょう。田山市長の長年の想い人は、歩き方に特徴があり、それは過去に男性の問題で料理店の同僚に脚を出刃包丁で刺されたためで、その事件を機に海外店に勤務することになって商社マン時代の田山市長と出会ったという設定ですが、最後に犯人が逮捕された後、笠木に市長のことを好きだったかと訊かれて「気持ち悪い」と呟き、田山市長殺害の再現シーンでは現場にいたことになっていて、しかも笑っています(怖っ)。さらにさらに、ラストシーンではすたすたと歩いていて、今まで足を引きずるようにしていたのは"幸薄い女"と見せる演技だったのかと(随分手が込んでいる)。
「松本清張没後20年特別企画・市長死す」●演出:西浦正記●脚本:樫田正剛●プロデューサー:樋口徹/竹田浩子●原作:松本清張●出演:反町隆史/木村多江/イッセー尾形/倍賞美津子/石黒賢/白石美帆/春海四方/きたろう/京本政樹(友情出演)●放送日:2012/04/03●放送局:フジテレビ




比較文学者で辛口批評で知られる小谷野敦氏がその著書『


アスペルガー症候群(AS)、学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(AD/HD)などの発達障害を併せ持つという漫画家・沖田×華(1979年生まれ)氏によるコミックエッセイ。初出は「別冊 本当にあった笑える話」 2011年2月号から2014年6月号にかけてで、2012年6月ぶんか社より単行本刊。以降、シリーズ化され、直近の2021年4月発行の『わいわい毎日やらかしてます。』で第8巻になります。


成沢民子(名取裕子)は、暴漢に襲われて負傷し動けなくなった夫・成沢寛次(石橋蓮司)を養うため、割烹旅館・芳仙閣で住み込みの仲居をしていた。しかし、寛次はそんな民子をいたわるどころか、日々、猜疑心を募らせるのだった。ある日、芳仙閣にニュー・ローヤル・ホテルの支配人・小滝章二郎(山崎努)が訪れ、小滝は民子に、今の生活から抜け出し、もっと安楽な生活に導く手助けをするようなことを仄めかす。民子は小滝の誘いに乗ることを決意し、失火に見せかけて夫を焼き殺す。そして、民子は弁護士・秦野重武(永井智雄)により、政財界の黒幕・鬼頭洪太(西村晃)の邸宅に連れて行かれる。小滝の誘いとは、鬼頭の愛人になることだったのだ。民子は鬼頭の相手を務める一方、小滝とも関係を持ち、鬼頭の後ろ盾を得て、奔放な生活を送るようになる。寛次の焼死事件は、小滝が民子のアリバイを証言したこともあり、警察と消防によって失火と断定されたが、焼死事件に不審を抱いて独自に捜査を進めた刑事・久恒(ひさつね)義夫(伊東四朗)は民子が犯人であると睨み、証拠を民子にちらつかせて肉体関係を迫る。しかし、逆に久恒は警察官を免職される。背後に鬼頭の影を見た久恒は、自分が調べ上げた鬼頭の闇の部分を書いて新聞社に持ち込むが、鬼頭の力を怖れる新聞社のデスク(塩見三省)はこれを受け付けない。やがて、鬼頭家の女中頭・山倉米子(加賀まりこ)が殺害される―。



面白かったです。原作の面白さに拠るところ大であるとは思いますが、和田勉(1930-2011/81歳没)による演出も良かったのではないかと思います。原作は、最後に小滝が民子を焼死させ、小滝だけが生き残る、ある種、小滝を中心としたピカレスクロマンとなっています。それに対してNHK版の方は、名取裕子は演じる民子を中心に描かれていて、最後は山崎努演じる小滝との逃避行になっており、"道行(みちゆき)物"のような印象のあって、小滝を完全な悪者にしていないところがテレビ的なのかもしれませんが、これはこれで良かったです。
当時NHKのディレクターであった和田勉が、仕事上のトラブルに陥っていた名取裕子に、民子役として直接出演を依頼して制作された作品です。政財界の黒幕・鬼頭を演じた西村晃の怪演をはじめ、山崎努、加賀まりこらベテラン役者陣の中で、当時23歳で25歳のヒロイン(原作は31歳)を演じた名取裕子は体当たりの演技で頑張っていたと思います。実際、彼女は当時引退を考えていたところ、このドラマへの出演で女優の世界に引き戻されたと後に語っています。以後、清張作品だけで映画・テレビドラマ合わせて17本出演することになり、「清張女優」とまで呼ばれるようになりました(その後もドラマに出続け、今度は「片平なぎさに次ぐ2時間ドラマの女王」の異名を持つようになった)。
山崎努の安定した演技はもちろんのこと、当時お笑いで人気を博していた伊東四朗のシリアスな刑事役もなかなかのものだったし、女中頭・山倉米子役の加賀まりこのきついイメージも印象的。さらに、もう色欲しか残っていないような末期老人・鬼頭を演じる西村晃―、得体のしれない弁護士・秦野重武を演じる永井智雄といった、こうした面々を相手に23歳でヒロインを演じ切ったというのは、本人にとっても自信になっただろううし、この役に彼女を起用した和田勉の慧眼もさすがだと思います。個人的には、原作が変な風に改変されてガックリくるドラマが多い中、原作からの改変点を楽しみながら観ることができるドラマでした。
鬼頭邸の門や庭のシーンは(ドラマ制作当時の)清張邸を使って撮影されていて、第1話の終わりに、その庭での原作者・松本清張と山崎努、名取裕子の会話が挿入されているのが貴重映像かと思います。
「松本清張シリーズ・けものみち」●演出:和田勉●脚本:ジェームス三木●音楽:(オープニング)ムソルグスキー「交響詩 禿山の一夜」/(劇中音楽)ムソルグス
キー「組曲 展覧会の絵」(ラヴェル編曲)●原作:松本清張●出演:名取裕子/山崎努/西村晃/伊東四朗/永井智雄/加賀まりこ/石橋蓮司/中村伸郎/久米明/加藤和夫/勝部演之/林昭夫/塩見三省/松崎真/高森和子/原知佐子/矢吹二朗/林ゆたか/奥野匡/野村信次/西村淳二/松本マツエ/増田順司/大森義夫/山崎満/松村彦次郎/入江正徳/小坂明央/小林かおり/永六輔●放送日:1982/01/09~23●放送局:NHK(評価:★★★★)
成沢民子は、脊髄損傷のために動けなくなった夫・成沢寛次を養うため、割烹旅館・芳仙閣で住み込みの女中をしていた。しかし、寛次はそんな民子をいたわるどころか、日々、猜疑心を募らせ、民子が家に戻るたびに、執拗にいたぶるのだった。ある日、芳仙閣にニュー・ローヤル・ホテルの支配人・小滝章二郎が訪れる。小滝は民子に、今の生活から抜け出し、もっと安楽な生活に導く手助けをするようなことをほのめかす。民子は小滝の誘いに乗ることを決意し、失火に見せかけて夫を焼き殺す。そして、民子は弁護士・秦野重武によって、政財界の黒幕・鬼頭洪太の邸宅に連れて行かれる。小滝の誘いとは、鬼頭の愛人になることだったのである。民子は鬼頭の相手を務める一方、小滝とも関係を持ち、鬼頭の後ろ盾を得て、奔放な生活を送るようになる。そのころ、寛次の焼死事件は、小滝が民子のアリバイを証言したこともあり、警察と消防によって失火と断定された。しかし、事件を担当した刑事・久恒義夫は、事件に不審を抱いて独自に捜査を進め、民子が夫を焼き殺したという結論に達する。民子の美貌に魅せられた久恒は、自分が集めた証拠を民子にちらつかせ、民子にたびたび関係を迫る。しかし、逆に久恒はささいな理由で警察官を免職される。自分を免職にした上司の背後に鬼頭の姿を見た久恒は、自分が調べ上げた鬼頭の闇の部分を手紙にしたため、新聞社に持ち込むが、鬼頭の力を恐れる新聞社は久恒のネタをどこも採用しなかった。改めて鬼頭の実力を知った久恒は、失踪した鬼頭家の女中頭・米子の殺害事件の証拠を集めて鬼頭を追い詰めようとする―。(Wikipediaより)



やはり、ドラマは複数回にわたりじっくり描いたものが人気のようで、今世紀に入ってからの米倉涼子版は、米倉涼子にとって「松本清張 黒革の手帖」('04年)、「黒革の手帖スペシャル〜
池内淳子の映画版は、ラストで民子が辿る運命は原作と同じで、ちょっと残酷ですが、これも夫殺しの原罪の報いということでしょうか。まあ、原作も民子ではなく小滝が主人公のピカレスク小説と解せないこともないですし。
「松本清張 けものみち」●演出:松田秀知/藤田明二/福本義人●プロデューサー:内山聖子(テレビ朝日)/伊賀宣子(共同テレビ)●脚本:寺田敏雄●音楽:(エンディング)中島みゆき「帰れない者たちへ」●原作:松本清張●出演:米倉涼子/佐藤浩市/仲村トオル/若村麻由美/平幹二朗●放映:2006/01/12~03/09(全9回)●放送局:テレビ朝日

「親密さ」という演劇を作り上げる過程を描いた劇映画と、実際の舞台「親密さ」の記録映像の2部構成。それぞれに虚構と現実が複雑、微妙に交錯し続ける。新作舞台の上演を控えた令子(平野鈴)と良平(佐藤亮)はコンビで演出を手がけているが、そのやり方に限界が見え始めてきていた―。
前半の舞台演劇を作り上げていく過程の部分は、そこまでが現実でどこまでが演技か分からない部分もあり、こうした作りは、同監督の「
演出の令子が舞台の出演者たちにいきなり政治的なインタビューをしたり、超長回しのシーンがあったりと、実験的な要素は多いです。舞台稽古の途中で主役の衛(まもる)役を託してした男性が去り、良平自身が主役を演じることになるというのはまさに「
そして、「短い第3部」とも言えるエピローグ。舞台劇「親密さ」の演出家だった令子は編集者になり、脚本家かつ主演俳優だった良平は(SF的設定のもと)韓国の義勇兵となり、軍楽隊に所属している。その2人が偶然再会し、それぞれの電車に乗り、車内を走り回り、投げキスを交わし合う。山手線と京浜東北線を走る電車が並走し、追いつき追い越し、最終的に二手に分かれて消えていく―。何だか青春映画っぽい結末にも見えますが、平行線で交わらない線路によって「親密さ」を表現するという発想自体が「視線」について考え抜いてきた濱口監督ならではの演出と言えるかと思います(このラストシーン、出演者はカメラがどこにあるかわからないまま演技したそうで、このあたりも濱口監督らしい)。