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「1on1」と「今どきの職場の若者像」。リジッドだが、読み易い。

静かに退職する若者たち2.jpg静かに退職する若者たち.jpg  先生、どうか皆の前でほめないで下さい.jpg 金間 大介.jpg
静かに退職する若者たち 部下との1on1の前に知っておいてほしいこと』['24年]『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』['22年] 金間大介・金沢大学教授

 本書によれば、1on1ミーティングを実施する企業が増えている一方で、笑顔で1on1ミーティングをしたばかりの若者が、何の前触れもなくその翌週に会社を辞め、しかもそれが上司を通さず人事部経由であったり、退職代行サービスを使った退職であったりするということが、最近少なからずあるとのことです。

 本書は、そうした状況を踏まえ、「若者との1on1の前に読む本」とのコンセプトのもと、1on1を核とした世代間コミュニケーションの問題を切り口に、職場の若者を多面的に分析し、今どきの「職場の若者像」に迫ったものです。

 第1部「1on1の前に知っておきたいこと」では、日本企業の現場で1on1が求められている理由を探り(第1章)、1on1の基本原則とそのパターンや、見落とされがちな課題を整理した上で(第2章)、1on1に求められるスキルやコーチングとの違いを解説し(第3章)、さらに、1on1を若者たちはどう捉えているのか、その受けめ方を6つのタイプに分類しています。

 そして、その中でも特徴的な3つのタイプ――活用を望む〈積極志向〉、やらされている感がある〈表面志向〉、やりたがらない〈回避志向〉――について、その対応方法を解説しています。〈積極志向〉だからといって良いことづくめではなく、それに応えるべく「上司としてできる限りの行動」をとらないと、逆に部下から見透かされてしまうというのは、鋭い指摘だと思いました。

 第2部「なぜ、若者は突然会社を辞めるのか?」では、退職代行サービスを使って辞める若者たちの考え方や(第5章)、「別の会社で通用しなくなる」と考えて辞める若者(いわゆる「ゆるブラック」を理由とする退職)の心理を探り(第6章)、アメリカで見られる「静かな退職」と言われる現象との比較で、日本の今の若者が会社を辞める理由を4つ挙げています(第7章)。

また、その背後にある今どきの「職場の若者像」に迫り、とにかく早く正解を教えてもらおうとする姿勢が特徴であることを指摘するとともに(第8章)、今の若者にとっての「理想の上司・先輩像」を、調査データから探っています(第9章)。また、社内新人研修がテンプレート化しているという問題も指摘しています(第10章)。

 第3部「提案:これからも若者たちと共に前に進むために」では、上司や先輩が何よりも優先して鍛えるべきスキルは「フィードバック」スキルであるとし、その理論と、効果的なフィードバックを行うための5つの原則を示しています。そして終章では、「上司・先輩世代に向けた5個の提案」をしています。

 構成はしっかりしていて、データの裏付けもあります。一方で、非常に分かりやすく書かれていて、時に砕けた表現などもあり、肩が凝らずに読めます。帯に「職場のわかり合えないを乗り越える処方箋」とあるように、実践に供することを狙いとして書かれていることが窺えました。

 そちらかと言うと、第1部の「1on1」についての方がテキスト的で、第2部の「今どきの職場の若者像」の方が興味深く読めたでしょうか。ただし、1on1を上司・部下の「双方の学びの場」としているのには共感されられ、コーチングとの違いなどもわかりやすかったです。

 絶対解は存在しないとの前提の下、お互いが理解を深め、楽しみながら寄り添える現場をどう作るか、読者と共に考えていきたいという姿勢が謙虚であると思いました。

《読書MEMO》
●アメリカと日本の「静かな退職(Quiet Quitting)」の違い(第7章)
・アメリカは「積極的にハッスルしないことを主張する」、日本は「与えられた仕事をそつなくこなし、それ以上の行動はしない」
・日本の場合、本当に若者が辞めてしまう。
●日本の今の若者が会社を辞める理由(第7章)
1.理不尽な職場環境、不公平な待遇、意味不明な上司
2.「ゆるブラック」企業
3.配属が希望通りにならなかった
4.会社は自分に何をしてくれるのか



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なぜ辞める? 若手社員のワーク・エンゲージメントに必要な「キャリア安全性」。

『ゆるい職場』2.jpg『ゆるい職場』.jpg
ゆるい職場-若者の不安の知られざる理由 (中公新書ラクレ 781) 』['22年]

 本書によれば、2010年代後半からの法改革などにより、日本企業の労働環境は「働きやすい」ものへと変わりつつある一方で、若手社員の離職率はむしろ上がっているとのことです。本書は、若者はなぜ「働きやすい会社」を辞めてしまうのか、企業や日本社会が抱えるこの課題と解決策について、データと実例を示しながら解説したものです。

 第1章、第2章では、職場環境改善のための法整備などによって、負荷も高くなく、叱られることもない、居心地のいい職場、いわば「ゆるい職場」が登場したが、若年層の会社への意識や退職に関するデータを分析した結果、会社のことは好きだが、キャリアが不安で辞めるという、つまり「職場がゆるくて辞める」という若者が増えていることが明らかになったとしています。

 第3章では、最近の若者たちの変化を分析し、仕事志向かプライベート志向かといった志向性が多様化しているとのこと、さらに入社前の社会的経験の量の差により"大人化"している若者とそうでない若者がいて、前者は入社後も活躍するが離職率が高く、後者は、辞めないが成長できにくくなっている傾向があるとしています。

 第4章では、若者のキャリア観の中には、「ありのままの自分でいたい」という意識と、「何者かになりたい」というそれとは矛盾する意識があり、両者の間にある無数のグラデーションの中で、自分の最適解を見つけるために情報過多に陥っているのではないかとしています。その上で、情報だけ多くても展望は開けず、行動することが自律的キャリアをつくるとし、「小さな行動」(スモールステップ)というものを起こすことを提唱しています。

 第5章では、これからの若者と職場の関係について考察し、「人材の囲い込み」的なリテンション施策に疑念を呈し、社外活動の効用を説くとともに、若者側の新しいキャリアチェンジ方法として、A社からB社へすぱっと「転職」するのではなく、現在の所属組織に対するコミットメント比率を下げて別の活動にコミットし、その後にコミットの割合を移す、「コミットメントシフト」とでも呼ぶべきものを提唱し、そのメリットを説いています。

 第6章では、「ゆるい職場」時代の2つの難問を論じています。1つは、人間関係の負荷を上げずに質的負荷を上げるにはどうすればよいか、もう1つは、自律的でパフォーマンスの高い若者ほど辞めていくのにはどう対処すればよいかということです。前者については、若手のみのチームを作るなど、横の関係で育てることを、後者については、社内・職場内だけでなく「外側の世界」を経験させることなどを提唱しています。

 第7章では、社会人生活の助走としての学校生活の在り方に言及し、学校を変えなくては優秀な若者は採用できないとしています。第8章では、ゆるい職場とこれからの日本の関係について考察し、これまでは大企業が若手人材を育てていたが、ジョブ型雇用が進んだ場合に今後直面する課題として、「誰が若手を育てるのか」問題があるとしています。

 若者たちは「不満」により会社を辞めるのではなく、「不安」により会社を辞めるのだという指摘は興味深いものでした。「心理的安全性」が高い企業ほど、優秀な若手の社員の早期離職率が高くなる"皮肉"ととれなくもないですが、むしろ、その職場で働いていて、自分のキャリアの選択権を持ち続けられるかという「キャリア安全性」が、心理的安全性と同様に若手社員のワーク・エンゲージメントに影響を与えるというように捉えるべきなのでしょう。

 個人的には、最近読んだ浜田敬子氏の『男性中心企業の終焉』('22年/文春新書)で、多くの企業が女性社員を対象に導入した両立支援施策が逆に女性にマミートラックと呼ばれる道を歩ませ、性別役割分業を固定化させたという指摘を思い出しました。「両立支援」だけでもダメ(均等待遇促進が必要)、「心理的安全性」だけでもダメ
(「キャリア安全性」が必要)、結構難しいです。

《読書会》
■2024年03月07日 第70回「人事の名著を読む会」古屋 星斗 『ゆるい職場』
(読書会後の懇親会)
人事第70回.jpg

《読書MEMO》
●目次
はじめに――若者はなぜ会社を辞めるのか。古くて、全く新しい問題
第一章 注目すべきは「若者のゆるさ」ではなく「ゆるい職場」
1 若者の早期離職状況 
日本の若者就労の特徴/3割の退職者/大手企業だけが上がっている
2 これだけ変わった日本の職場運営ルール
「職場運営法」改革/すべてはブラック企業批判から始まった/若者が求める職場環境の条件/日本の職場を変えた3本の法律/ほかにもある職場運営法改革/後押しするマーケット/「ゆるい職場」の登場
第二章 若者はなぜ会社を辞めるのか
1 グレートリセットされた日本の職場
不可逆的な変化/新卒社員の労働時間/負荷の低下/叱責されたことがない/職場環境の好転/リアリティショックの縮小
2 好きなのになぜ辞めるのか
高まる若者の不安/転職できなくなるんじゃないか
3 若者の「不安」の正体
なぜ職場環境が良くなっているのに不安なのか/不満型転職から不安型転職へ/不安をどうマネジメントするか/ロールモデルになりえない上司・先輩/世界でも起こる若者と職場の関係変化
第三章 「ゆるい職場」時代の若者たち
1 二層化する若者
「最近の若者」論の限界/コスパ志向/異なる2つの姿勢
2 "白紙"でなくなる新入社員たち
入社時点ですでに違う/学生時代の活動/社会的経験の量/世代間での大きな差/「社会的経験」がもたらすもの/「不安」を感じる新入社員/新入社員の"大人化"
3 「過去の育て方が通用しない」を科学する
10年前の新卒社員と比べる/2016年卒という転機/難問の浮上
第四章 「ありのままで」、でも「なにものか」になりたい。入社後の若者に起こること
1 "優秀な若者"の研究
若者の悩みと希望/矛盾する2つのキャリア観/情報だけが多くても展望は開けない/行動がキャリアをつくる/4つの実像
2 スモールステップで動き出す若者たち
育成の主語の転換/小さな行動から始める/スモールステップの特徴/アクションと性質/実践5要素/ゆるい職場とスモールステップ
第五章 若者と職場の新たな関係
1 定着させることが本当の目的なのか
離れ小島に囲い込む/社外活動の効用/転職がなくなるとき
2 「コミットメントシフト」がもたらす新しい関係
関係社員を増やす/新しい関係の成立/ハイパー・メンバーシップ型
第六章 若手育成最大の難問への対処
1「ゆるい職場」時代の解決不能な問題
2つの難問/成長した若手ほど辞める
2 第一の難問に対処する
いかに関係負荷なくストレッチな仕事をさせるか/横の関係で育てる
3 第二の難問に対処する
自律的でパフォーマンスの高い若者/仕事外の新たな使い方/社内・職場内の「外側の世界」/開示しやすい空気/不安をマネジメントする
第七章 助走としての学校生活
1 若者を育てるスタートライン
学校を変えなくては優秀な若者は採用できない/動機なき学校選択
2 学びの動機はどうつくられるか
外側にしか学校生活の動機は存在しない/学びの選択が自由な国
第八章 ゆるい職場と新しい日本
1 キャリア選択が世界一自由な国をつくる
自由の二重奏/行動と動機の好循環を巻き起こす/企業の新しいメンバーシップ/余白を活かすキャリアづくり/あらゆる経験が活きる
2 日本が今後直面する課題「誰が若手を育てるのか」問題/自律なき自由/はびこるパターナリズム/遅い選択の問題
おわりに

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"現代若手社員像"分析は体系的に整理されている。施策提言部分も、啓発的ではあるが...。

なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?7.JPGなぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?.jpg
なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか? 職場での成長を放棄する若者たち (PHPビジネス新書 376)』['17年]

 本書の構成は、第1章から第3章までがタイトルに沿った若手社員の現状およびその背景の分析、並びにその要因となる課題の抽出であり、第4章がマネジャーによる課題解決の方向性と施策、第5章が若手自身による課題解決の方向性と施策となっています。

 第1章では、現代の若手社員は職場においてどのような状況なのか現状分析し、その行動特性や思考特性として、まじめで優秀、自己実現志向、社会志向を持ち、自分の時間を大切にし、フラットなヨコのネットワークを駆使する自己充実型の若手社員―こんなに意識と意欲の高い、前向きさを持っている人たちが、一方では、報告や相談ができず、個性や欲求がなく、打たれ弱く、リスク回避志向が高く、待ちの姿勢であるとも指摘されるとしています。

 第2章では、現代の若手社員がそのような行動特性や思考特性を持つようになった背景を、彼らが生きてきた社会状況、教育現場の環境などの変化に着目して分析し、その節目は1991年と2004年にあって、今の若手社員は、詰め込み教育によって高度なインプット能力を携えた"91年前"世代とも、キャリアアップ志向を携えた"04年前"世代とも異なる存在であり、今の会社での仕事を生き生きとしている、という状況ではないとしています。

 第3章では、若手の成長を阻み、彼らが会社で生き生きと仕事できないでいる要因として、業務の高度化や細分化などがもたらした仕事上の「タスク完結性」「自律性」「フィードバック」の低さが、彼らに仕事に対する違和感を抱かせ、モチベーションを下げていて、若手社員はいま「成長の危機」にあるとしています。

 第4章では、従来のOJTなどによる経験学習モデルが、さまざまな環境の変化によって機能しなくなり、そうした「環境適応性」の揺らぎが経験学習を阻んでいるとしたうえで、こうした状況に対してのマネジャーの処方箋として、環境適応性を引き出す「問いかけ」が効果的であるとしています。具合的には、彼・彼女はどのようにしてこの会社と出会い、どのような好感を持ち、どのようなことができると思い入社したのか、その時の彼・彼女の経験、気づき、思いを聞き出す「キャリアインタビュー」を行うことなどを提唱しています。

 第5章では、若手社員自身がどのような行動をとることで状況を打開できるか、周囲にどのような働きかけをすればよいかを説いています。まず、「天職探し」という考えを捨て、とにかく行動すること、「外に出る」「仲間を得る」「視野を拡大する」「目の前の仕事に対して事を起こす」という4つのポイントに沿って、社外での学習機会を活用したり、ボランティア活動によって当事者意識を育んだりすることなどを推奨しています。

 全体として、第1章から第3章までは、著者の前著『若手社員が育たない。―「ゆとり世代」以降の人材育成論』 ('15年/ちくま新書)からさらに体系的に整理された"現代若手社員像"の分析となっているように思いました。第4章のマネジャーにとっての処方箋の部分も、それまでの分析を受けていて啓発的ではあるものの、例えばキャリアインタビューなどは、前提となる相互の信頼関係や、聞く側に相応の技量があることが条件となるようにも思いました(自身がある人は、部下に対してキャリアインタビューしてもいいと思うが、人事サイドで、「マネジャーの皆さん、部下にキャリアインタビューをしてください」ということにはならないだろう)。むしろ第5章の若手社員に対する提言部分の方が、若手に限らず、かなり幅広い層に受け入れられる啓発であるように思いました。

《読書MEMO》
●目次
第1章 前向き、なのに頑張らない―若手社員の矛盾に満ちた実態
第2章 「新能力」「新学力」がもたらした大転換
第3章 「えもいわれぬ違和感」の正体
第4章 マネジャーへの処方箋―環境適応性を引き出す「問いかけ」の力
第5章 若手社員への処方箋―「天職探し」を捨てよ、外に出よう

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日本的雇用の在り方に影響力を持ち得る視座を提起。第5編の提案部分の更なる深耕に期待。

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日本の雇用と中高年 (ちくま新書)』『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)』濱口 桂一郎 氏(社会保険労務士稲門会「講演と懇親の夕べ」2012.12.1講演テーマ「日本の雇用終了-労働局あっせん事例の分析」)

 同著者の『新しい労働社会』(岩波新書)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)、『若者と労働』(中公新書ラクレ)に続く新書第4弾であり、日本の雇用社会は仕事に人を割り振る「ジョブ型」ではなく、人に仕事を割り振る「メンバーシップ型」であって、それが時代の変化とともに歪みを生じさせているとの現状認識が出発点となっている点はこれまでと同様です。その意味ではこれまでの著書の「続編」との印象もありますが、著者の場合、意識して一作ごとに分析の切り口やフォーカスする論点の比重のかけ方を変えているようです。

 前著『若者と労働』では日本の若者労働問題を取り上げ、国際比較と歴史的分析をもとにその本質的構造を解き明かしてみせたのに対し、今回は、日本の雇用問題の中心である中高年問題、つまり、日本の中高年労働者がその人件費の高さゆえに企業から排出されやすく、排出されると再就職しにくいという問題を取り上げ、戦後日本の雇用システムと雇用政策の流れを概観しています。

 第1章から第4章において、日本の中高年問題の文脈を雇用システムの歴史的変遷に探り、続いて、日本型雇用において労働法や判例法理がどのように確立しどのような高齢者政策がとられてきたのか、また、年齢差別禁止政策という観点からはどのような歴史的変遷を辿ってきたのかを解説するとともに、「管理職」問題、中高年を狙い撃ちした成果主義や最近また議論が再燃しているホワイトカラー・エグゼンプションなど近年のトピカルな問題にまで言及しています。

 著者は、中高年や若者を巡る雇用問題を「中高年vs.若者」という対立軸で捉えてどちらが損か得かで論じることは不毛であり、雇用問題は雇用システム改革の問題として捉えることが肝要だとしており、ここまでに書かれている歴史的変遷も、それ自体「人事の教養」として知っておいて無駄ではないかと思いますが、ここでは、日本型雇用システムの歴史を探ることでその本質や特徴を浮き彫りにするという意図のもとに、これだけの紙数を割いているようです。

 そして、最終章である第5章において、前著『若者と労働』で若者雇用問題への処方箋として提示した「ジョブ型正社員」というコンセプトが、本書のテーマである中高年の救済策にもなるとしています。「ジョブ型正社員」の是非を巡る労使間の議論が、解雇規制緩和への期待や懸念が背景となってしまっている現状の議論の水準を超えて、労使双方にとって有意義な雇用システム改革という新展望の上に展開されているという点では、本書にも紹介されている1995年の日経連の『新時代の「日本的経営」』にも匹敵する、日本的雇用の在り方に影響力を持ち得る視座を提起しているように思われました。

 一方で、「ジョブ」の概念が明確でないのが日本の雇用社会の特質であるとしてきた著者のこれまでの論調の中で、「ジョブ型正社員」というものを今後どう構築していくかという課題は、その実現においてクリアにしなければならない多くの問題を孕んでいるようにも思えました。例えば、経団連の「人事賃金センター」は、かつて日経連時代には「職務分析センター」と呼ばれていたが、そうした名称が用いられなくなったこと自体が、「ジョブ」を規定しそれを日本的雇用の中で活用していくことの"挫折"とその困難を物語っているのではないかと。著者ももちろん、その困難さはよく解ったうえで、問題提起しているわけですが...。

 問題解決の一つの視点として、戦後の日本型雇用システムが企業内で労働者とその家族の生活をまかなうことを追求した結果、公的社会保障制度としてまかなわれるべきものが「メンバーシップ型」正社員の処遇制度の中に織り込まれ、それが中高年の年功賃金につながった―つまり、労働も福祉も一緒くたにして企業が負うことになったことを挙げており、これはなかなか穿った見方であるように思いました。個人的には、企業の福祉からの撤退を訴えた橘木俊詔氏の『企業福祉の終焉―格差の時代にどう対応すべきか』(2005/04 中公新書)を想起しました。橘木氏は、報酬比例の保険料徴収及び給付方式となっている厚生年金保険など国の制度も含め、企業福祉に社会的格差の拡大原因を認めています。

 しかし、終身雇用をベースにした長期決済型の年功制を維持している間も、生産性に見合わない高給取りの中高年が真っ先にリストラ対象となった折も、そうした本質の部分について議論されることが無かった(能力主義であるとか現状において生産性に比べて賃金が割高であるとかいう理屈の上に韜晦されてしまった)のは、「メンバーシップ型」という概念が概念として対象化されず、それでいて企業が、何よりも人事部を中心にその(メンバーシップ型という考え方の)中にどっぷり浸り切っていたためであり、こうして「メンバーシップ型」として概念化し対象化すること自体、意義のあることのように思います。

 では、今後の施策面を考えるとどうでしょうか。企業における中高年の人事施策において、専門職制度の導入というのが一時流行り、今でも多くの企業がその制度を維持しています。これが建前としては、今言っているところの「ジョブ型」でありながら、実態としては単なる「非ライン(管理職)」の処遇の仕方であったことは間違いないかと思われます。こうした実態がある中での「ジョブ型正社員」の新たな位置づけというのはどのようになっていくのか、これは、企業によっては「専門職」が(かつてサラリーマン漫画に描かれたような「窓際族」はすでに実態として多くの企業ではほぼ"絶滅"しているとみるにしても)、一般職の延長での仕事しかしていない「エキスパート」が主なのか、その中に相当数の「スペシャリスト」「プロフェッショナル」と呼ぶべき、企業にとって付加価値貢献度の高い、企業経営を存続させていくべきで必要欠くべからざる人材が含まれているのかによっても違ってくるように思われます。

 日本の若者雇用問題の解決策として、入り口のところで、「ジョブ型正社員」をスタンダードとしてみてはという提案は、それがどれぐらいのスピードで定着していくかは分かりませんが、かつて牧野昇(1921-2007)が『新・雇用革命』(1999/11 経済界)で指摘した、日本のサラリーマンが「社長レースからだれも降りない理由」は「負けても失うものが意外に少ないから」との指摘―つまり、「ゼネラリストとして成功しないより、スペシャリストとして成功した方が、それは幸福だろう。しかし、ゼネラリストとして成功しないことと、スペシャリストとして成功しないことの間には、大きな格差がある。だからスペシャリストを志向することはリスクなのである。少なくとも今まではそうであった」という、その「今まで」の在り方を見直すことにつながっていくでしょう。それに先立つこと12年前に津田眞澂(1926-2005)は『人事革命』(1987/05 ごま書房)において、「専門職能を持たない従来型のゼネラリストは不要になる」と予言しています。

 「ジョブ型正社員」を若者雇用に適用するにしても、従来の新卒採用面接の考え方のパラダイム変換が求められたりはするでしょうが(実際殆どの企業がそうしたパラダイム変換を経ることなく今日に至っているのではないか)、それでも処方箋としては中高年問題の解決において「ジョブ型正社員」の考え方を採り入れるよりはシンプルなように思われ、逆に言えば、それだけ、中高年の方は問題が複雑ではないかという気がします。

 その意味では、本書第5章を深耕した著者の次著を期待したいと思いますが、こうした期待は本来著者一人に委ねるものではなく、実務者も含めた様々な人々の議論の活性化を期待すべきものなのでしょう。そうした議論に加わる切っ掛けとして、企業内の人事パーソンを初め実務に携わる人が本書を手にするのもいいのではないでしょうか。

若者と労働s.jpg また、本書は著者の新書シリーズ第4弾ですが、第3弾にあたる『若者と労働』(中公新書ラクレ)もお薦めです。若者向けにブラック企業問題などにも触れていますが、それはとっかかりにすぎず、むしろ「新卒一括採用」という我々が当たり前に考えている仕組みが、グローバルな視点でみるといかに特殊なのものであるか分かるとともに、この「新卒一括採用」が日本型雇用システムの根底を形作っていることがよく理解できる本です。当たり前とみられすぎて再検証されにくい分、「新卒一括採用」の方が「中高年」の問題より根が深いかも―と思ったりもしました。

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何か物申すというより、ケータイを通しての若者のコミュニケーション行動、消費行動分析。

原田 曜平 『近頃の若者はなぜダメなのか』.jpg原田 曜平 『近頃の若者はなぜダメなのか』 .jpg
近頃の若者はなぜダメなのか 携帯世代と「新村社会」 (光文社新書)』['10年]

 著者は、大手広告代理店・博報堂に勤務する32歳のマーケティングアナリストで、今の若者に携帯電話がどのような使われ方をしているのかを「7年をかけて、10代半ば〜20代後半の若者、約1000人に実際に会って、じっくりと話を聞いて」分析したとのこと。今の若者には他者に対して過剰に気遣いする傾向が見られ、ケータイを通してかつての「村社会」と似た「新村社会」とでも言うべきものが出来上がっていて、その中で若者達は、その「新村社会」における"空気"を読みながら、浅く広い人間関係を保っているという分析は、なかなか興味深かったです。

 「大人になってからケータイを持ち始めた30代以上」が本書のターゲットということですが、前半部分は、足で稼いだ情報というだけあって、若者へのインタビューなどにシズル感があって面白かったです(「私、今日『何キャラ』でいけばいいですか?」には笑った)。

 次第に「博報堂生活総合研究所」らしい(いかにもパターン化された?)分析が目につくようになり(思いつきで言っているのではなく、データの裏付けがありますよということなのだろうが)、「どちらかというと、クライアント(広告主)向けの10代・20代の若者のコミュニケーション行動、消費行動分析のプレゼンテーションっぽくなっていっているように思えました。

 著者自身は人情味あふれる下町の出身で、若い頃は青山や渋谷といった街の華やかさに憧憬を抱いていたようですが、今の若者は、ファッションなどにおいて洗練されているように見えても、必ずしもそうしたお洒落な街をテリトリーとしているわけではなく、地元に引きこもってそれで充足しているタイプが多いとのこと。

 しかも、そこに、かつて著者自身が経験したような濃密な人と人との交わりがあるわけではなく、何となく、著者自身の「こんなのでいいのかなあ」という嘆息のようなものが伝わってはきますが、"私情"はさておき"分析"を続けるといった感じで、ましてやタイトルにあるように、それでは「ダメ」だと言い切っているわけでもなければ(むしろ、そうした既成の「若者論」自体を批判している)、踏み込んで社会学的な分析を行っているわけもありません(その意味ではタイトルずれしているし、その上に物足りない)。

 だんだんと書籍からの引用、他書との付き合わせが多くなり、そこで参照されている本が、三浦展氏の『下流社会』('05年/光文社新書)だったりしますが、三浦展氏もマーケッター出身であり、社会に対して何か物申すというより、"市場分析"(若者のコミュニケーション行動・消費行動分析)といったトーンがその著書から感じられ、本書の「観察」主体の姿勢は、「携帯電話を使う時、ふと立ち止まるかどうかが世代の分かれ目」と言っていた三浦氏の「観察」姿勢とやや似ているなあと。

 後半部分も若者へのインタビューなどは出てきますが、それらが著者自身の社会論や若者論へ収斂していくというものでもなく、引き続き、更に細分化して(悪く言えば散発的に)現象面を追っているという感じがしてならず、結局、オジさんたちに対する"現代若者気質"講義(乃至プレゼン)は、世の中いろいろな若者がいますよということで終わってしまったような印象を受けました。

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読みどころは、「いじめ」問題にフォーカスした第1章か。

友だち地獄.jpg  友だち地獄 3.jpg
友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)』 ['08年]

 著者によれば、現在の若者達は、「優しい関係」の維持を最優先にして、極めて注意深く気を遣い合いながら、なるべく衝突を避けよう慎重に人間関係を営んでおり、その結果、「優しい関係」そのものが、山本七平言うところの「空気」の流れを支配し力を持つため、その空気の下での人間関係のキツさに苦しみ、生きづらさを抱え込むようになっているとのことです。

 全5章構成の第1章では、「いじめ」問題にフォーカスし、そうした「優しい関係」がいじめを生み出すとしていて、「優しい関係」を無傷に保つために、皆が一様にコミュニケーションに没入する結果、集団のノリについていけない者や冷めた態度をとる者がいじめの対象となり、一方で、対人距離を測れず接近しすぎる者も、空気を読めない(KYな)者として、いじめの対象になるとしています。

 以下、第2章では、「リストカット」にフォーカスし、高野悦子『二十歳の原点』南条あや『卒業式まで死にません』を比べつつ、若者の「生きづらさ」の歴史的変遷を辿り、その背後にある自己と身体の関係を探るとともに、第3章では、「ひきこもり」にフォーカスし、或るひきこもり青年が発した「自分地獄」という言葉を手掛かりに、「ケータイ小説」ブームなどから窺える、現在の若者達の人間関係の特徴、純粋さへの憧れと人間関係への過剰な依存を指摘し、そこから第4章の「ケータイによる自己ナビゲーション」へと繋げ、更に第5章で「ネットによる集団自殺」を取り上げ、それはケータイ的な繋がりの延長線上にあるものだとしています。

いじめの構造.gif 個人的には、第1章の「優しい関係」を維持しようする集団力学がいじめを生み出すとした部分が最もしっくりきて、陰惨ないじめが(被害者側も含め)"遊びモード"で行われるということをよく説明しているように思え、同じ社会学者の内藤朝雄氏の『いじめの構造』('09年/講談社現代新書)が、付和雷同的に出来上がったコミュニケーションの連鎖の形態が場の情報となり、それがいじめを引き起こすとしているのと共通するものを感じました(章後半の、若者はなぜ「むかつく」のかということについては、『いじめの構造』の方がよく説明されているように思う)。

 但し、第2章以下で様々な社会現象を扱うにあたって、「優しい関係」というキーワードで全てを説明するのはやや無理があるようにも思われ、第2章の高野悦子と南条あやの「身体性」の違いの問題、第3章の若者が希求する「純粋性」の問題などは、それぞれ単独の論考として読んだ方がいいように思えました。

近頃の若者はなぜダメなのか.jpg 第4章の「ケータイによる自己ナビゲーション」は、博報堂生活総研の原田曜平氏の近著『近頃の若者はなぜダメなのか―携帯世代と「新村社会」』('10年/光文社新書) などに比べれば、社会学者らしい洞察が見られる分析ではあったものの、ここでも身体論が出てくるのにはやや辟易しました(「計算機も脳の延長である」とした養老孟司氏の『唯脳論』風に言えば、ケータイは身体の延長と言うよりもむしろ脳の延長ではないか)。

 全体として章が進むにつれて、他書物からの引用も多くなり、それらを引きつつ、牽強付会気味に仮説と「検証」を組み合わせているような感じもしました(文章的には破綻しておらず、むしろキッチリしていて且つ読み易く、その辺りは巧みなのだが、類似する論旨の他書を引いても検証したことにならないのでは)。

 まあ、こうやって仮説を立てていくのが、社会学者の仕事の1つなのでしょうが、検証面がちょっと弱い気もしました。
 著者の頭の中ではしっかり整合性がとれているのだろうけれど、読む側としては、社会における若者そのものよりも、むしろ社会学者の若者観のトレンドが分かったという感じでしょうか。

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結論には共感したが、インパクトが弱い。『「甘え」の構造』がなぜ参考文献リストに無い?

羞恥心はどこへ消えた.jpg 『羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)』 〔'05年〕 菅原 健介.jpg 菅原 健介 氏 (聖心女子大教授)

ジベタリアン.jpg 駅や車内などで座り込むジベタリアン、人前キス、車内化粧などの横溢―現代の若者は羞恥心を無くしたのか? そうした疑問を取っ掛かりに、「恥」の感情を研究している心理学者が、羞恥心というものを社会心理学、進化心理学の観点で分析・考察した本。

 社会的生き物である人間は、社会や集団から排除されると生活できなくなるが、羞恥心は、人間が社会規範から孤立しないようにするための「警報装置」としての役割を持っているとのこと。それは、単なる自己顕示欲や虚栄心といった世俗的なプライドを守る道具ではなく、生きていくために必要なもので、進化心理学の視点で考えると、敏感な羞恥心を持たない人物は、社会から排斥されその形質を後世に伝えられなかっただろうと。

ジベタリアン2.jpg 「恥の文化ニッポン」と言われますが、国・社会によって「恥」の基準は大きく異なり、日本の場合、伝統的には、血縁などを基準にした「ミウチ」、地域社会などを基準にした「セケン」、それ以外の「タニン」の何れに対するかにより羞恥心を感じる度合いが異なり、「セケン」に対して、が最も恥ずかしいと感じると言うことです。しかし、「セケン」に該当した地域社会が「タニン」化した現代においては、一歩外に出ればそこは「タニン」の世界で、羞恥心が働かないため、「ジブン」本位が台頭し、駅や車内などで座り込もうと化粧しようと、周囲とは"関係なし状態"に。

 しかし一方では、従来の「セケン」に代わって「せまいセケン」というものが乱立し、若者の行動はそこに準拠することになる、つまり、平然と車内化粧する女子高生も、例えば、仲間がみんなルーズソックスを穿いている間は、自分だけ穿かないでいるのは「恥ずかしい」ことになり、結局、その間は帰属集団と同じ行動をとった、というのが著者の分析です。

「甘え」の構造3.jpg さらっと読める本ですが、前半部分の分析が、わかりきったことも多かったのと(ジベタリアンへのアンケート結果なども含め)、ポイントとなる「ミウチ・セケン・タニン」論は、30年以上も前に土居健郎氏などが言っていること(『「甘え」の構造』、どうして参考文献のリストに無い?)と内容が同じことであるのとで、インパクトが弱かったです。

 最後の方の、今まで「セケン」に該当していたものが「タニン」化し、「せまいセケン」が乱立しているという結論には、改めてそれなりに共感はしましたが、これも一般感覚としては大方が認識済みのことともとれるのでは。

《読書MEMO》
NHK「チコちゃんに叱られる!」2024年5月31日放送「"恥ずかしい"ってなに?...人間特有のこの感情の意味とは」
(解説:聖心女子大学人間関係研究室・菅原健介先生)

恥ずかしいってなに?0.jpg

恥ずかしいってなに?.jpg

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フリーター分析や漱石読解は興味深い。結論は「自助努力」論?

若者はなぜ「決められない」かm.jpg若者はなぜ「決められない」か.jpg  『若者はなぜ「決められない」か』 ちくま新書 〔'03年〕

 「フリーター」について考察した本書は、フリーター批判の書でも肯定の書でもないとのことですが、フリーターは早い時期に、自らの不安定な立場と可能性の実像を把握しておくべきだと冒頭に述べています。
 著者は、フリーターは労働意欲に乏しいのではなく、「本当の仕事」との出会いを求め "恋愛"を繰り返しているような人たちだとしていますが、「自由でいられる」などのメリットの裏に「単純労働にしか関われない」といったデメリットともあることを認識せよとし、「いろいろな仕事が出来て楽しい」と言っても、それぞれの仕事で関われる限界があるとしているのは、確かにそうだと思いました。

 でも彼らが、親の気持ち知らずでフリーターをしているのではなく、サラリーマンの親の苦労を見てきたからこそ社会に一歩踏み出せないでいる面もあり、また、それを支えるモラトリアム社会の土壌もあるが、これはやや異常な構造だと。
 一方、進路を「決められない」若者だけでなく、自分の将来はこれしかないと「決めつけている」ことで、現状フリーターをしている若者もいると指摘しています。

 著者はフリーリーターを「階級」として考えるようになったと言い、好きなことを仕事にしたいというのは「高等遊民」の発想とも言え、「労働=金儲け」とし勤労を尊敬しない伝統が日本はあるのではないかと。
 明治・大正の文豪の小説の登場人物を引き合いに出し、夏目漱石が「道楽=生き甲斐(小説を書くこと)」と「職業(教師)」を峻別しながらもその間で苦悩したことを、彼の作品の登場人物から考察していて、この辺りの読み解きは面白く読め、また考えさせられます(小説家としての彼自身も「業務目的」と「顧客満足」の間で悩んだと...)。

 その他にも、「オタク」や「ゆとり教育」などへの言及においては鋭い指摘がありましたが、全体結論としては、まず自分をよく見つめ、生計を何で立てるかを考えて、それから好きなことをやりなさいという感じでしょうか。
 当然、フリーター問題の具体的な解決策などすぐに見出せるわけでなく、著者の論は「自助努力」論で終わっている感じもしますが、開業歯科医であり評論家でもある著者の生き方と重なっている分、一定の訴求力はあったかと思います。

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