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「アンチエイジング」本ではなく「死」を受け入れよという趣旨の本。

健康の分かれ道-死ねない時代に老いる.jpg「後悔しない死に方」.jpg
講演中の久坂部羊氏('24.4.10 学士会館/夕食会&講演会)講演テーマ「後悔しない死に方」
健康の分かれ道 死ねない時代に老いる (角川新書) 』['24年]

 本書では、老いれば健康の維持が難しくなるのは当然で、老いて健康を追い求めるのは、どんどん足が速くなる動物を追いかけるようなものであり、予防医学にはキリがなく、医療には限界があるとしています。その上で、絶対的な安心はないが、過剰医療を避け、穏やかな最期を迎えるためにはどうすればよいかを説いています。

 第1章では、「健康」は何かを考察してます。こここでは、健康の種類として、身体的健康、精神的健康のほかに、社会的健康や、さらには霊的健康というものを挙げているのが、個人的には興味深かったです。この健康の定義は、本書全体を通して意味深いと思います。

 第2章では、健康センターに勤めた経験もある著者が、健康診断で何が分かるのかを解説、ある意味、健康診断は健康人を病人に誘うシステムであるとしています(因みに、著者は受けていないと)。

 第3章では、メタボ検診の功罪を問うています。診断基準に対する疑問を呈し、メタボ判定を逃れる裏技として、腹式呼吸すれば息を吐いたときに腹がへこむので引っ掛からないとのこと、自分で腹を膨らませたときとへこませたときの差を測ったら13㎝あったとのことです。

 第4章では、現代の健康について解説しています。人々の健康観はメディアの力に大きく作用され、週刊誌情報を盲信する患者には医者も泣かされる一方、そうした怪しげな健康ビジネスがはびこっていると。また、日本はタバコに厳しく酒に緩いともしています。さらにがん検診にはメリットもあればデメリットもあるとしています。免疫療法は「溺れる者がすがるワラ」のようなものであるとし、PSA検査や線虫卯がん検査にも疑問を呈しています。また、認知症はその本態がまだ明らかになっておらず、近年開発されている"特効薬"も〈竹槍〉のようなものだと。

 第5章では。精神の健康とは何かを考察しています。年齢段階ごとにどのような精神的危機があるかを解説しています。また、「メンヘラ」「ヤンデレ」「インセル」といった言葉が拡がるのはレッテル貼りだと。さらに、「新型うつ」は病気なのか、また「代理ミュンヒハウゼン症候群」についても解説しています。

 第6章では、健康と老化について考察しています。老いを拒むとかえって苦しむとし、「アンチエイジング患」になり、「健康増進の落とし穴」に嵌る人の多いことを指摘し、また「ピンピンコロリ」という言葉には嘘があるとしています。さらに、誤嚥性肺炎が起きる理由を解説し、QOLの観点から最近はもう治療しないという選択もあると。生にしがみつくのは不幸で、認知症も早期に発見しない方が良かったりもするとしています。

 第7章では、健康を見失って見えるものとして、同じ難病でも心の持ちようで大差が出ることや、がんを敢えて治療しなかった医師の話、胃ろうやCVポートの問題点、現在非常に進化している人工肛門などについて解説した上で、健康にばかり気をとられていると、やるべきこでないこととしなければならないことに追われ、何のために生きているのか見失いがちになるとしています。

 第8章では、健康の「出口」としての死をどう考えるべきかを考察しています。そして、死に対して医療は無力であり、人生の残り時間をわずかでも伸ばすことに心を砕くより、有意義に使うことを考えた方が賢明であると。自分が「死の宣告」を受けたとシミュレーションしてみるのもいいし、好きなことをやって自分を甘やかすのも、死を迎える準備になるとしています。自分の人生を愛する「感謝力」「満足力」が大事であると。

 著者が「死」や「老い」について書いた本を何冊か読んできましたが、今回は「健康」という切り口でした。巷に溢れる「長生きする人がやっていること」といった「アンチエイジング」本ではなく、むしろ「死」を受け入れよという趣旨の本であり、結局最後は終章にあるように、健康の「出口」としての死というものに繋がってはいくのですが、これはこれで「死/老い」を包括するテーマであり、良かったです。

 これまで読んだものと重なる部分もあったし、体系的と言うよりエッセイ風に書かれている印象。ただし、、この著者のこの分野の本からは、知識を得ると言うより、考え方を学ぶという要素が大きいため、読み直すつもりで新刊にあたってみるのもいいかなと思いました。

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認知症・がんなどの実態を明かした上で、どう老いればよいかを説く。

『人はどう老いるのか』2.jpg『人はどう老いるのか』.jpg
人はどう老いるのか (講談社現代新書 2724)』['23年]

 在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本で、『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)の続編・姉妹版のような位置づけでしょうか。

 第1章では、「老いの不思議世界」として、高齢者における重症度と苦悩も深さは必ずしも一致しないことや、それまで死を恐れていたのが、90歳を超えると、ここまで生きればあとどれくらい生きるか楽しみだという心境になり、「早ようお迎えがこんか」という冗談も出るようになると。ただ、その前の段階では。死にたい願望に囚われることもあるとしています。また、死ぬ準備は不愉快かもしれないが、その準備ができてなくて悔いの残る死に方をした人が多いとしており、これなどは考えさせられます。

 第2章では、認知症高齢者について述べています。認知症の種類としてアルツハイマー型などがあるとし、一方、認知症の主なタイプとして、「多幸型」「不機嫌型」などがあり、そのほかに「怒り型」「泣き型」「情緒不安定型」には困惑させられ(酔っぱらいの種類みたい)、「笑い型」は楽しく、困るのは「意地悪型」だと。また高齢者の「俳諧」は無目的なものではないとし、その抑制方法を説いています。

 著者が自身の父親の老いと死を描いた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)で、老人認知症の肉親を持った家族の苦しみは測り知れないとしながら、本自体は暗さを感じさせない楽しい作りになっていたのは、著者の父親の場会、「笑い型」だったということで腑に落ちました。

 第3章は、認知症にだけはなりたくないという人に向けて書かれていて、認知症を恐れるのは、健康な時に認知症になった自分を思い浮かべるからであって、なってしまえば、死の恐怖も無くなり、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の主人公が最後「無理解の平安」に帰還したように、知的障害も必ずしも悪くないとしています。また、脳トレは、脳の老化を遅くするかもしれないが、認知症とは無関係であるとしています(元聖マリアンナ医科大学の教授で認知症研究の第一人者だった長谷川和夫氏(2021年没)が認知症になったという例もあった)。

 第4章では、医療幻想の不幸を説いています。日本人は医療万能の幻想を抱いていて、クリニックや病院でもCTスキャンやMRIなど高価な検査機器を入れなければ患者は来ないし、検査機器を入れただけでは収益を生まないので、過剰な検査をするとのことです。

 第5章では、新しいがんの対処法について述べています。ここでは、実はがんで死ぬには良い面もあり、医者の希望する死因の第1位はがんで(前著『人はどう死ぬか』にも書かれていた)、がん検診にはメリット・デメリットがあるとしています。

 第6章は、"死"を先取りして考えるということを説いています。上手に死ぬ準備はやはり必要だということです。胃ろうやCVポートで延ばされる命は、当人にとっても家族にとっても過酷なものであると。坂本龍一氏も享年71で早すぎる死と悼まれたが、あまり死に抵抗すると、無用の苦しみを強いられる危険があり、坂本龍一氏が最後「もう逝かせてくれ」と言ったというのは、そのことに気づいたからではないかとしています。尊厳死したゴダールの例を挙げ、著者自身も尊厳死に肯定的なようです。

 第7章は、「甘い誘惑の罠」として、長生きしたいという欲望につけ込むビジネスが横行しているとしています。よく取り上げられる「スーパー元気高齢者」なども、その罠の1つであるかもしれないと。

 第8章では、これからどう老いればよいかを説いています。著者がその死生観を称え、個人的にも印象に残ったのは水木しげるの言葉で、「名前なんて一万年もすればだいたい消えてしまうものだ」というもの。だから、有名になることに努力するより、自分の人生を充実させるための努力をした方がいいと。

 実は今がいちばん幸福なのだと気づけば、これからどう老いるべきかということも考えずにすむという著者の言葉も響きました。でも、考えるべき時には考えた方がいいのだろうなあ(著者自身は"隠居"するという考えを勧めている)。

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寿命が尽きる2年前、それは「今でしょ」、というつもりで生きる。

『寿命が尽きる2年前』2.jpg『寿命が尽きる2年前』.jpg寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書 669)』['22年]

 2年後に死ぬとわかったら何を想うか。うろたえ、嘆き続けるわけにもいかない。たった一度の人生を終えるのに際し、もっと大事なことがあるはず。人はみな自分の寿命を生きる。そもそも寿命とは何か。「死を受け入れるのはむずかしい」と人は言うが、その達人はいるのか、楽な方法はあるのか。悔いなき人生をまっとうするには? 本書は現役の医師で作家である著者が、こうした様々な問いに答えようとした本です。

 第1章では、「寿命」とは何かを考察しています。何が寿命を決めるのかについて、「テロメア説」や「心拍数説」などあるものの、十分なエビデンスは無いとし、70代で亡くなっても「老衰」とされることがあるように、「寿命」の範囲というものは特定されていないと。確かに平均寿命は延びてはいるが、むしろ「健康寿命」が大事であるとしています。

ライフスパン.jpg 第2章では、寿命を延ばす方法というものを、伝承や疑似科学から週刊誌の特集、さらには科学的な方法から拾う一方、ベストセラーとなったハーバード大学のデビッド・シンクレア教授の『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』における「死」は「病気」であり、NMNという治療薬で克服できるという論に対しては、酵母やマウスでの実験が人間にすぐに応用できるのかというと疑問だとし、「本書はどこにも嘘は書いていない。あるのは都合のいい事実と、楽観主義に貫かれた明るい見通しだ。万一、本書に書かれたことが実現するなら、この世はまちがいなくバラ色になる」と、皮肉を込めて批判しています。この章では、がんや心筋梗塞、脳血管障害などの寿命を縮める病気についても解説しています。

デビッド・シンクレア『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]

 第3章では、寿命に逆らうことの苦しみを説いています。老いを否定するのは負け戦となり、がんを最後まで治療するのもどうかと。ただ、業界的には老化を拒絶する傾向にあり、アンチエイジングで盛り上がってしまっていると。でも実際は、無益な延命治療をはじめ寿命に逆らうのは最悪の苦しみであり、逆らわない方が楽であるとしています。

 第4章では、表題にもある「2年後の死」は予測できるかという問題を扱っています。気品的には今は元気でも2年後は分からないということですが、分わからないのはいいことだと。でも、もしいつ死ぬか分かったら、死をシミュレーションするといいと(ただし、シミュレーションしていても、実際に自分の死が迫ったら冷静でいられるかは別問題であるとも)。また、ほぼ2年後の死が分かるケースとして〈がん〉があり、その意味で〈がん〉にはいい面もあると。ただし、それは死を受け入れている場合であって、生きることに執着している人にはきついと。黒澤明の「生きる」で志村喬が演じた主人公の話や、一年以内の死を予測して62歳で亡くなった内科医・丸山理一氏の話が出てきます。丸山氏は、がんで死ぬことをむしろ歓迎すべきではないかとし、死が近づくにつて、死の恐怖も鈍くなったという文章を遺しているとのことです。

CTスキャン.jpg 第5章では、現代日本は〈心配社会〉であるとしています(世界中のCTスキャンの約30%が日本にあるという)。日本人は健康診断の数値に惑わされ過ぎであると。しかしながら、がん検診もメリット・デメリットがあり、むしろデメリットが多く、著者は受けていないと(医者で受けていない人は、一般人より比率的に高いようだ)。検診を受けても不摂生していればどうしようもないわけで、検診より大事なことは、日常で健康的な生活を送ることであると。「安心は幻想、心配は妄想」としています。

 第6章では、医療の進歩が新たな不安をもたらしているという問題を取り上げています。気楽に60歳まで生きるにと、心配しながら80歳まで生きるのとどちらがいいのか疑問だと。治療すべきせざるべきか、予防的切除すべきか否か。拡大手術か温存手術か―どちらに転んでも悩ましい選択を迫られるのが現代医療であると。インフォームドコンセントも良し悪しで、医療は新興宗教みたいになってきてしまっていると。

レニ・リーフェンシュタール.jpg 第7章では、望ましい最期の迎え方について述べています。その例として、老いへの不安よりも新たな感動を求め続けたレニ・リーフェンシュタール氏(著者がパプアニューギニアに勤務していた時、94歳の彼女に実際に会ったという)や、著者が熱烈なファンであること自認する水木しげる氏、著者が所属していた同人誌の創始者の富士正晴氏の話などが紹介されています(レニ・リーフェンシュタールについては2022年に亡くなった石原慎太郎も、曽野綾子氏との対談『死という最後の未来』('20年/幻冬舎)の中で生き方の理想としていた)。

レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)

 第8章では、寿命が尽きる2年前にするべきことは何かを述べています。要は、あらかじめある年齢を超えたら、もう十分生きたと満足するこころづもりをしておくことということになります。それまでに具体的にしたらいいこととして、絵画旅行でも豪華船の旅でもいいし、映画好きならDVDを観まくるとか、何ならホームシアターを作ってもいいと。長年世話になった人に感謝の気持ちを伝えるとか、家族と過ごす時間の増やすとか。逆に、しなくていいこと、してはいけないことは、病院通いで時間をつぶすこと、酒・タバコをやめるといった身体的節制、貯金・節約、アンチエイジングも無意味であると。

 最後に、寿命が尽きる2年前、それはいつなのか、それが分からないから問題なのだと思っていましたが、著者は、それは「今でしょ」(林修先生か(笑))と。間違っていてもそう考えることで損はないはずだと。ナルホド!そういうつもりで生きれば、密度の濃い日々を送ることができるのだと納得しました。

『人間の死に方』2014.jpg『人はどう死ぬのか』.jpg『人はどう老いるのか』.jpg 個人的には、今回は再読。著者のこのテーマの本の中では最初に読んだものであり、2つ前に取り上げた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)、1つ前に取り上げた『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)など著者の他の本を遡及して読む契機にもなった本であることもあって◎評価としました(次に取り上げる「老い」について述べた『人はどう老いるのか』('23年/講談社現代新書)を含め、この辺りは全部◎にしてもいいぐらい)。


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新たな知見も得られたし、それ以上に、死とどう向き合うかをきちんと考えさせられる内容だった。
『人はどう死ぬのか』2.jpg『人はどう死ぬのか』.jpg
人はどう死ぬのか (講談社現代新書 2655) 』['22年]

 在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本。

 第1章では、死の実際を見ると、医療行為として行われているものの中には、死に際して行う"儀式"のようなものもあり、そこには。死にいくつかの種類(段階)があることが関係しているとしています。

 第2章では、さまざまな死のパターンを見ています。ここでは、延命治療は要らないという人には、助かる見込みがあっても病院に行かないとする覚悟が必要で、在宅での看取りを希望していたのが、間際になって家族によって全く反対の最期になる場合もあるとしています(ただし、それで奇跡的に回復することもある)。また、死を受け入れることの効用を、著者の父親を例に、道教的な「足るを知る」という考えを引いて、説いています。

 第3章では。著者がかつて外務省の医務官として赴任した、海外各地での"死"の扱われ方を紹介しています。サウジアラビア人医師の、「死を恐れるな。アッラーが永遠の魂を保証してくれる」という言葉に、宗教がある国の日本とは彼岸の差がある強さを感じたり、パプアニューギニアの死を受け入れやすい国民性に感心したりしていますが、ウィーンで開催されていた「死の肖像展」や、医学歴史博物館の蝋人形など、死をリアルに表現したものがあるというのが興味深かったです。

 第4章では、死の恐怖とは何かについてです。日常的に死に接している医者は、死体を見ても慣れてしまい、緊張しなくなるとのことです。また、よく「死ぬ時に苦しむのはゴメンだ」と言う人ほど苦しむのが人の死だとも述べています。死は、戦うより受け入れる気持ちになった方が楽だということです。

 第5章では、死に目に会うことの意味はあまりないとしています。むしろ、安らかに死のうとしているとこころを無理に覚醒させると、本人に苦痛を与えかねないし、エンゼルケアと呼ばれる死後処置も、実際にそのために遺体がどう扱われるか。それを見ると、あまりいいとは思えないとしています。

 第6章では、メディアは不愉快なことは伝えないため知られていないが、老衰死というのも、体の全機能が低下して悲惨な最期だったりするし、「ピンピンコロリ」も、理想の死に方のように言われるが、若い時から摂生している人ほどなかなか死ねず、コロリと死ぬのは不摂生してきた人だと。言われてみれば確かにそうかも。

 第7章では、がんに関する世間の誤解を述べています。ここでは、近藤誠氏の「がんもどき理論」も紹介されていて、良性のがんは治療せずとも転移しないし、悪性のがんは治療しても治らないので、結局がん治療は意味がないという話ですが、一理あるとしながらも、現実そうはいかないとも。また「生検」ががんを転移させる可能性を危惧しています。

 第8章では、安楽死・尊厳死について、その弊害や実際に国内外で起きた事件を取り上げながらも、本人が極度の苦しみを抱き、そこから逃れられない状況にあるときは、本人の意思を大事にすべきではないかとしています。

『ネガティブ・ケイパビリティ』1.jpg 第9章では、上手な最期を迎えるにはどうすればよいかを考察し、最後に「新・老人力」という考えを推奨し、また。同じく医師兼作家の帚木蓬生氏が着眼した「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を紹介するとともに、詩人・翻訳家でタオイストだった加島祥造氏の「求めない」という発句で始まる詩を紹介しています。

 読んでいて、新たな知見も得られましたが、それ以上に、死とどう向き合うかをきちんと考えさせられる内容です。やはり、作家としての筆力が大きいということでしょうか。お薦め本です。

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ドキュメントとして引き込まれ、がん・認知症などについて新たな知見もあった。

人間の死に方2.jpg人間の死に方.jpg人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期 (幻冬舎新書)』['14年]

 作家であり医師でもある著者が、2013年に87歳で亡くなった父親の「死に方」を書いたもの(2014年刊)。

 著者の父親は元医師でありながら医療否定主義者で、不摂生ぶりも医者に不養生どころではなく、若い頃に糖尿病をやって、それでも血糖値も測らず甘いものを食べ続け、自らが注射するインシュリンの量を増やして自然治癒させたともこと。極めつけは、前立腺がんを宣告されて「これで長生きせんですむ!」と治癒を拒否したというスゴイ人です。

 最初は、非常に特殊なキャラクターかとも思いましたが、読んでいくうちにQOLを実践しているようにも思ええてきて、作家としての筆力あるドキュメントタッチと相俟って引き込まれました。

 著者自身、「がん」は「いい死に方」との考えであり、ポックリ死だと、本人にも周囲にも何の準備もないで亡くなるのに対し(心筋梗塞や脳梗塞だと死ぬまでに少し時間があるため、その間やり残したことを後悔することになるという)、がんなら死ぬまでに結構時間があるので、やり残したことができるといいます(87p)。ただし、がんで上手に死ぬためには、ふだんからの心構えが必要で、それなしにがん宣告を受けて死ぬとなると、おいしいものを食べても味もわからないだろうと(88p)。

 著者の父親は、最期は「認知症」気味だったようですが、認知症に関する記述も印象に残りました。著者は、認知症の患者を抱えた家族の苦労は筆舌尽くしがたい(156p)として、その実際例を挙げながらも、自分の父親が認知症のおかげで、死の恐怖や家族に迷惑をかける申し訳なさを感じなかったようだとし、認知症は確かに多くの問題を孕んでいるが、不安や恐怖を消してくれるという一面もあり、自然の恵みのようにも思えるとしています(164p)

 また、「孤独死」は暗いイメージがありますが、著者は、よけいな医療を施されない分、死の苦しみが最低限で収まるという、よい面もあるとしており(215p)、なるほどと思いました。

 さらに、親の「死に目に会う」ことに人はこだわりがちだが、家族が死に目に会えたといってもそれは捏造された死に目であって、本当は前夜に亡くなっていたものを医療で強引に死を引き延ばしたところで本人には意識はなく、むしろ意識を取り戻したら人生の最期にとんでもない苦痛を味合わせることになると。

 このように、自身の親の死に方の記録であり、それを作家的視点と医師の視点の両面から描いているのがよく、さらに、それと並行して、先述のように「がん」「認知症」「孤独死」「死に目に会う」といったイシューについて新たな見方を提供してくれました。

 父親の死までの記録としては、「自宅における療養」と言っても著者自身が医師であることによって、結果的に自宅で専門的知見にもとづく医療・介護的ケアがなされる状況となっており、一般の人にはあまり参考にならないとの見方もあるかもしれません。ただ、家系的に子どもが皆医者の親で、子らが医者として手を尽くすので、"なかなか死なせてもらえなかった"と思わる例を見聞きしたことがあり、この親子の関係はそういうのとも違っているように思いました。

 新書本ですが、作家によるものであることもあり、読み応えのある随想とも言える本でした。

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インパクトのある問題作には違いないと思うが、主テーマの訴求力を自ら弱めている面も。

廃用身 単行本.jpg 『廃用身』['03年/幻冬舎] 廃用身 文庫.jpg 『廃用身 (幻冬舎文庫)』['05年]

 「廃用身」(脳梗塞などで麻痺して動かなくなり回復の見込みが無い手足等)を切断して介護負担を軽減させる「Aケア」という手法を、ある老人デイケア施設のクリニック医師が考案し、これを聞いたスタッフは一様に驚くが医師の説得力ある説明を聞くうちに切断手術に賛同するようになる。患者も不安のうちにも手術することを受け容れるが、Aケア手術を受けた患者は不自由な手や足が無くなって却って動きやすくなり、また苦痛や鬱な気分からも開放され元気になっていったため、クリニックでは同症状の患者にAケアを勧め、また患者からの希望もあったりして、Aケア手術が次々に行われていく―。

 前半部が悩みながらもAケア手術に踏み切った医師の手記の形式で、やがてこの医師は、Aケアのことを嗅ぎつけたマスコミから「悪魔の医師」と告発されるようになるのですが、後半は、それに抗するために手記(前半部分の)を発表するよう医師に勧めた出版社の編集者による、その後の事の推移を追ったルポルタージュの形式となっていて、その組み合わせで1冊の本を成すという形をとっており、医師と編集者の略歴が入った奥付まで用意されています(医師は自殺したことになっている)。

 前半部分は老人介護が抱える問題点を鋭く抉っていて、特に前の方は統計データなども出てくるため小説というよりレポートを読んでいる感じ。
 そのままAケアを採り入れた経緯に話が及ぶため、全てがノンフィクションであるような錯覚に陥りますが、それが作者の戦略なのでしょう。
 読む側としては、Aケアは暗黙の了解の裡に実際に行われていることなのか、それとも専門家から見ればバカバカしい話なのか、フィクションという体裁をとる限り知る術が無く、その部分で却って訴求力を欠いているような気も。

 後半部分は、マスコミのかなり論拠のいい加減な「告発」キャンペーンとそれによって破滅していく医師の様子が描かれており、小説としてみた場合は、作家としては素人である一医師が書いたとは思えないぐらいよく出来ていますが、テーマそのものはすり替わってしまった感じ。
 ラストは医師の家族まで巻き込んだ悲劇的なものとなっていますが、医師の個人的な嗜好(サディズムと言うか肢体フェチと言うか。最近読んだ吉村昭の短篇「透明標本」には"骨フェチ"の男が出てきたが...)に言及したことが良かったのかどうか、やや疑問が残りました。

 前半の「手記」そのものの事実に対する"信憑性""誠実性"を覆してしまうと、前半部分の問題提起も弱くなってしまうのではないでしょうか。

 ―と、粗探し的な評になってしまいましたが、前半部分の家族による介護老人の虐待の問題など読んでいて考えさせられることは多く(後半部分のマスコミの取材の在り方の問題は描き方がやや凡庸)、インパクトのある問題作には違いないと思います。
 主テーマのインパクトを自ら削いでいるように思える面があるのが残念(読者はどこに照準を合わせて読めばいいのか)。

 個人的には、仮にAケア(はっきり「廃用身」の切除と言った方が良いか)が患者に機能面・精神面での効果をもたらすとしても、家庭生活に戻った時や施設の外に出て人目に触れたときに、本人や周囲にどういった心理的影響があるかということまで予測するのは医師にとっても本人にとっても難しく、その不確実性を軽視して本人のその時点での同意のみで事を進めるのはどうかと思いました(あくまでもAケア-廃用身の切除-にそれなりの効果があるとしての話だが)。

 【2005年文庫化[幻冬舎文庫]】

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