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成瀬巳喜・高峰秀子初タッグ作品。やっとDVD化。原作に忠実。ユーモアの裏にペーソスも。

「日本映画傑作全集「秀子の車掌さん」 主演 高峰秀子 成瀬巳喜男監督作品 VHSビデオソフト (キネマ倶楽部) 」/「秀子の車掌さん 【東宝DVD名作セレクション】」高峰秀子/藤原鶏太(釜足)/『おこまさん』['41年]

バスの車掌・おこまさん(高峰秀子)が勤める甲府のバス会社は、古びたバスを1台所有するだけのボロ会社であり、バス10台を有する新興のバス会社に押され気味。社長(勝見庸太郎)も赤字続きの会社を売り払ってしまおうと考えている。おこまさんも、評判の悪いこんな会社などいつでも辞めてやると思いながら、一方ではせめて仕事に誇りを持ちたいと切に思い、バスの運転を生き甲斐とする園田運転手(藤原鶏太)と共に思案、ラジオで聞いた名所案内のバスガイドのアイデアを取り入れることを思いつく。そして、地元の旅館「東洋館」に東京から来て逗留中の作家・井川權二(夏川大二郎)に、沿線の案内記を書いてほしいと依頼する―。
1941年に公開の成瀬巳喜男(1905-1969/63歳没)監督作で、主演は高峰秀子で、これが後に「名コンビ」と謳われた両者の初タッグ作品です。原作は井伏鱒二が1940(昭和15)年1月1日発行号から6月1日発行号の「少女の友」に連鎖した「おこまさん」で(初出の表題脇には「長編少女小説」とあったが、実質"中編"である)、『おこまさん』('41年/輝文館)に収録されました。

原作の主人公"おこまさん"は19歳で、映画出演時の高峰秀子は17歳ですが、原作は数え年なのでほぼ同じということになります。ただし、職業モノであるせいか、同じく「高峰秀子のアイドル映画」と言える前年の「秀子の応援団長」('40年/東宝動画)などよりもずっと大人びて見えます。いずれにせよ、今の日本で17歳でここまで演技できる子役はいないのではないかと思われます。
「秀子の車掌さん」に出てくるバス
高峰秀子と運転手(園田)の藤原鶏太(釜足)のユーモラスなやりとりが微笑ましいですが、セリフはほとんど原作通りであり、脚本家が要らないのではないかと思われるくらい(実際、成瀬巳喜男自身が脚色している)。監督がやったのは、舞台設定と演出だけか。でも、楽しい映画に仕上がっています。
1941年9月の公開ですが、この牧歌的雰囲気はとても戦局が差し迫っているような時期とは思えません(バスの運行に沿って話が進んでいく清水宏監督(原作:川端康成)の 「有りがたうさん」('36年/松竹大船)ものんびりした雰囲気ではあったが)。ただし、運転手役の藤原釜足の芸名が藤原鶏太になっているのは、当時(1940年)内務省から「藤原鎌足の同名異字とは歴史上の偉人を冒涜している」とクレームを受け、改名を余儀なくされていたことによるものであり、この辺りに時代が窺えるでしょうか(「鶏太(けいた)」は「変えた(けえた)」を転訛したもの)。
長らくDVD化されず、ウキペディアにも「なお、本作はこれまでキネマ倶楽部においてビデオ化されたのみで、DVD化を含めて一般に市販されるソフト化は行われたことがない」とあり、個人的にも最初はVHSで観たのですが、昨年['20年]12月に遂にDVD化されました。

作家・井川權二のモデルは井伏鱒二自身であり、もともと高峰秀子主演と知りながら先に原作を読んだので、高峰秀子と井伏鱒二が話しているようなイメージが映画を観る前から先行してあったですが、改めて観ると、「井川權二」という作家を結構面白おかしくに描いていたなあ。原作者の遊び心を感じますが、一方でこの「井川權二」という作家には、おこまさんに沿線の案内記を書いてあげただけでなく、社長に無理難題を押し付けられた園田運転手の窮状を、知恵を働かせて救うというヒロイックな面もあり、それが映画ではちょっと分かりづらいので、原作も併せて読むといいと思います。
それにしても、作家・井川權
二を演じた夏川大二郎よりも、ラムネを氷にかけて飲んでばかりいる社長を演じた勝見庸太郎の方が井伏鱒二に似ていたかも(笑)。結局、この会社が「バス会社」であるというのは、裏でもろもろ危ういことをやるための「看板」に過ぎず、社長は今その看板のすげ替えを考えていて、おこまさんも園田も、会社の評判が良くないことはわかっていても、理想と希望に燃えているものだから、そこまで政略的なことには思い至らないという―ちょうど今で言えば、「ブラック企業」のもとで「やりがい詐欺」に遭っているのに、本人にはその自覚がない人と同じということになるかもしれません。革靴が会社から供給されず、下駄ばきのバスガイドというのもスゴイけれど、おこまさんの楽観的な健気さが映画での救いになっています(なにせアイドル映画だからなあ)。
井伏鱒二のユーモアはペーソスとセットです。ラストでも、おこまさんがガイドし、園田運転手が悦に入って運転していますが、原作では、「しかしおこまさんも園田さんも、彼等の知らない間に彼等自身は雇主を失った雇人になっていた」とあります。「ただ彼らはそんなことなど知らないで、バスが進んで行くにつれ楽しい気持で息がつまりそうになっていたのである」と。要するに、この時点で、社長は会社を他に売り渡してしまっているわけで、映画ではそのト書き(解説)が無い分、注意して観る必要があるかもしれません。
個人的評価は、「秀子の応援団長」は★★★☆でしたが、「車掌さん」の方は、原作のセリフを変えないで持ち味を活かしている技量を買って(さらにDVDD化記念?も考慮して)原作と同じく★★★★にしました。
『おこまさん』['41年]
昭和1年7月 伊豆熱川にて(右より井伏鱒二、太宰治、小山祐士、伊馬春部)

「秀子の車掌さん」●制作年:1941年●監督・脚本:成瀬巳喜男●製作:藤本真澄●撮影:東健●音楽:飯田信夫●原作:井伏鱒二「おこまさん」●時間:54分●出演:高峰秀子/藤原鶏太(釜足)/夏川大二郎/清川玉枝/勝見庸太郎/馬野都留子/榊田敬治/林喜美子/山川ひろし/松林久晴●公開:1941/09●配給:東宝(評価:★★★★)


三雲医院の三雲八春(柳永二郎)は戦争で一人息子を失い、甥の伍助(増田順二)を院長に迎えて戦後再出発してから1年になる。その1周年記念日、伍助院長は看護婦の
瀧さん(岸惠子)らと温泉へ行き、三雲医院は「本日休診」の札を掲げる。八春先生がゆっくり昼寝でもと思った矢先、婆やのお京(長岡輝子)の息子勇作(三國連太郎)が例の発作を起こしたという。勇作は軍隊生活の悪夢に憑かれており、時折いきなり部隊長となって皆に号令、遥拝を命じるため、八春先生は彼の部下になったふりをして
気を鎮めてやらなければならなかった。勇作が落着いたら、今度は警察の松木ポリス(十朱久雄)が大阪から知り合いを頼って上京したばかりで深夜暴漢に襲われ
たあげく持物を奪われた悠子(角梨枝子)という娘を連れて来る。折から18年前帝王切開で母子共八春先生に助けられた湯川三千代(田村秋子)が来て、悠子に同情してその家へ連れて帰る。が、八春先生はそれでも暇にならず、砂礫船の船頭の女房のお産あり、町のヤクザ加吉(鶴田浩二)が指をつめるのに麻酔を打ってくれとやって来たのを懇々と説教もし
てやらねばならず、悠子を襲った暴漢の連
れの女が留置場で仮病を起こし、兵隊服の男(多々良純)が盲腸患者をかつぎ込んで来て手術をしろという。かと思うとまたお産があるという風で、「休診日」は八春先生には大変多忙な一日となる。悠子は三千代の息子・湯川春三(佐田啓二)の世話で会社に勤め、加吉はやくざから足を
洗って恋人のお町(淡島千景)という飲み屋の女と世帯を持とうと考える。しかしお町が金のため成金の蓑島の自由になったときいて、その蓑島を脅
迫に行き、お町はお町で蓑島の子を流産して八春先生の所へ担ぎ込まれる。兵隊服の男は、治療費が払えず窓から逃げ出すし、加吉は再び賭博で挙げられる。お町は一時危うかったがどうやら持ち直す。そんな中、また勇作の集合命令がかかり、その号令で夜空を横切って行く雁に向かって敬礼する八春先生だった―。

主人公の「医は仁術なり」を体現しているかのような八春先生を演じた柳永二郎は、黒澤明監督の「
いました。セット撮影部分は多分に演劇的ですが(
そのことを見越してか、タイトルバックとスチール写真の背景は敢えて書割りにしている)、そうい言えば黒澤明の「
クレジットでは、鶴田浩二(「
この作品を観た人の中には、三國連太郎が演じた「遥拝隊長」こと勇作がやけに印象に残ったという人が多いですが、このキャラクターは
原作「本日休診」にはありません。1950(昭和25)年発表の「遥拝隊長」(新潮文庫『遥拝隊長・本日休診』に所収)の主人公・岡崎悠一を持ってきたものです。彼はある種の戦争後遺症的な精神の病いであるわけですが、原作にはその経緯が書かれているので読んでみるのもいいでしょう。また、映画の終盤で、警察による賭場のガサ入れシーンがありますが、これは「多甚古村」にある"大捕物"を反映させたのではないかと思います。
脚本は、「
この映画のスチール写真で、お町(淡島千景)らが揃って"遥拝"しているものがあり、ラストシーンかと思いましたが、ラストで勇作(三國連太郎)が集合をかけた時、お町は床に臥せており、これはスチールのためのものでしょう(背景も書割りになっている)。こうした実際には無いシーンでスチールを作るのは好きになれないけれど、作品自体は佳作です。その時代でないと作れない作品というのもあるかも。過去5回テレビドラマ化されていて、実際に観たわけではないですが、時が経てば経つほど元の映画を超えるのはなかなか難しくなってくるような気がします(今世紀になってからは一度も映像化されていない)。
「本日休診」●制作年:1939年●監督:渋谷実●脚本:斎藤良輔●撮影:長岡博之●音楽 吉沢博/奥村一●原作:井伏鱒二●時間:97分●出演:柳永二郎/淡島千景/鶴田浩二/角梨枝子/長岡輝子/三國連太郎/田村秋子/佐田啓二/岸恵子/市川紅梅
(市川翠扇)/中村伸郎/十朱久雄/増田順司/望月優子/諸角啓二郎/紅沢葉子/山路義人/水上令子/稲川忠完/多々良純●公開:1952/02●配給:松竹(評価:★★★★) 


街道を練り歩くお寺参りの蓮華講一行の中に玄人然とした二人の女、恵美(田中絹代)とお菊(川崎弘子)がいた。この団体はやがて下部温泉のある宿に。その宿には先生(斎藤達雄)と呼ばれるこうるさいインテリと帰還兵の納村(なんむら)(笠智衆)他が泊まっていた。露天の朝風呂でひとしきり文句をたれていた先生。そんな時納村が風呂の中に落ちていた簪で足をケガする。再び文句たらたらの先生だったが、納村自身は「情緒的なことだ」とサラリと言う。その簪は恵美のものだった。落とした簪を取りに宿へ戻った恵美は、自分の簪で納村がケガをしたことを知って詫び、暫く宿に逗留して彼のリハビリを見守る―。
清水宏監督作品の中では「
ただ、ラストは好対照。「按摩と女」で按摩の徳市(徳大寺伸)の恋心も虚しく更に逃げ延びて行った女(高峰三枝子)に対し、恵美(田中絹代)は、納村のリハビリを見守ることが期せずして「お天道様の下で」健康な日々を送ることとなって、気持ちが吹っ切れて、迎えに来たお菊(川崎弘子)の誘いも断って納村が泊まる宿に逗留を続けます。
ところが、宿への不満から先生(斎藤達雄)が宿を引き上げてしまい、更に納村も足が治って東京に帰ってしまって恵美一人になってしまう―そこへ、納村から東京での再会を期するハガキが―。納村のリハビリに付き添った川や寺を、一人思い出を
噛み締めるように散策する恵美。中盤部分で、納村のリハビリの様子が、夏休みで同宿していた別家族の子どもらとのやり取りも含めほのぼのと、或いは時にユーモラスに時にスリリングに描かれていたのが伏線として効いていて、しみじみとした情感を滲ませるとともに、恵美の決心を暗示するものとなっていますが、はっきり結末まで描かずに終わっているところがいいです。
個人的には悲恋風の「按摩と女」の方がやや上か、いや、やっぱり観る時の気分によるか。ただ、同宿の逗留者同士でコミュニティのようなものが出来上がって、納村の簪負傷"事件"には皆が心配するし(心配がてら首を突っ込みたがるが)、逗留者同士で「常会」を定期的に開こうといった話にもなったりするなど、のんびりしているのは舞台が湯治場ということもあるのかもしれませんが、昔はいい時代だったのだなあと。恵美が納村個人に宛てた電報を、先生はじめ他の泊り客が先に見て、先生などは張り切ってしまうというのは困ったものですが、プライバシーとか個人情報といったことがとやかく言われなかったおおらかな時代が背景にあるのでしょう。
舞台となっているのは高級旅館というわけでもなく、お寺参りの団体客など質より量で成り立っている鄙びた温泉宿といった感じでしょうか。但し、広々とした 露天風呂は野趣満点。この映画の主たる登場人物を構成する二階の客たちは、皆値切った末の長逗留らしくて、団体客が押し寄せると無理矢理に相部屋
にさせられてしまうも、唯々諾々それに従っています。インテリ先生(斎藤達雄)も根は堅物ではないことが窺え、女が簪を取りに宿へ戻ってくると知って、その女は「美人でなければならぬ」と勝手に決めつけたのはともかく、女のための部屋を用意しますが、それは二間使っていた自分の部屋を障子で仕切っただけ。今は殆ど見かけない風ですが、昔の旅館ではこんな風にして部屋割りするのは珍しいことではなかったのかも。
笠智衆(1904-1993)、田中絹代(1909-1977)が共に30代で(37歳と32歳)、笠智衆は先生役の斎藤達雄(1902-1968)と比べてかなり若く見えるほか(実年齢で2歳しか違わ
ない)、宿の亭主を演じた坂本武(1989-1974)、奥さんにも先生にも頭が上がらない泊り
客を演じた日守新一(1907-1959)などと比べても若く見えて(吉村公三郎監督「
後「かんざし」と改題されて、『かんざし』('49年/輝文館)などに収録されています(改題は映画化タイトルに合わせたのだろう)。原作は映画とほぼ同じようなストーリーですが、映画で斎藤達雄が演じた「先生」は、宿主が先生に言われて払った納村への見舞い金を自分の懐に入れてしまうなど、映画以上に困った存在として描かれていて、「週刊朝日」連載時の触れ込みが「連載ユーモア小説」であったことが窺えるものであると同時に、知識人への皮肉が映画より前面にきています。笠智衆が演じた納村(なんむら)と田中絹代が演じた恵美の接触はありますが、恵美が納村のリハビリに付き合うといったことまではなくてそのまま別れ、再会を示唆するようなこともなく、あっさりとした終わり方の中編になっています(これはこれで面白かった)。映画だと、納村と恵美の関係に目がいきますが、田中絹代が笠智衆を負んぶするという邦画史上"記念碑"的とも言えるシーンは原作には無いものであり、脚本も手掛けた清水宏監督の創意だったということになります。
下部温泉(山梨県)


「簪(かんざし)」●制作年:1941年●監督・脚本:清水宏●製作:新井康之●撮影:猪飼助太郎●音楽:浅井挙曄●原作:井伏鱒二「かんざし(四つの湯槽)」●時間:75分●出演:田中絹代/笠智衆/斎藤達雄/川崎弘子/日守新一/坂本武/三村秀子/河原侃二/爆弾小僧/大塚正義/油井宗信/大杉恒夫/松本行司/寺田佳世子●公開:1941/08●配給:松竹(評価:★★★★)


井伏鱒二(1898-1993)
南国の海浜の村、多甚古村(たじんこむら)に新たに赴任してきた甲田巡査は平和を愛する好人物。その甲田巡査の日録の形で、飄々とした作者独特の文体でもって、多甚古村で起きた喧嘩、醜聞、泥棒、騒擾など、庶民の実生活が軽妙に描かれ、ジグザグした人間模様が生彩を放ちつつ展開される―。
翌1940(昭和15)年1月に今井正(1912-1991/享年79)監督による映画化作品「多甚古村」(東宝)が公開され、以降、井伏作品の映画化が「南風交響楽」(S.15)、「
映画では、前半部分では、新任の巡査、所謂「駐在さん」である主人公(清川荘司)がご近所から鮒を分けて貰った話や、同じくご近所さんが自炊を手伝ってくれた話など独身巡査の身辺生活の話と、村の老婆の住む家に押し込み強盗が入ったけれども何も盗らないで逃げたという話や、野良犬を退治してくれと村人が頼み込んできた話など、田舎村らしい事件と言えるかどうか分からないようなものも含めた事件話が、原作通りに取り上げられています。
これらは何れも駐在所に持ち込まれた話であり、甲田巡査が現場に出向いて行く場面はありませんが、相次ぐ村人からの事件とも相談事ともつかない話の連続に甲田巡査は過労でダウンしてしまい、その看病や食事の世話をする村のお寺の和尚の役を滝沢修(1906-2000/享年93)が演じていて、老け役ではありますが、実年齢は当時33歳と若いです(原作でも淨海という和尚は出てくるが、巡査がダウンする話はない)。また、主人公の同僚の杉野巡査役で、滝沢修と戦後一緒に民衆芸術劇場(劇団民藝の前身)を設立することになる宇野重吉(1914-1988/享年73)も出ていますが、当時25歳とこれまた若いです(宇野重吉は10年後の成瀬巳喜男監督の「怒りの街」('50年/東宝)でもまだ学生役を演じている)。
このまま小事件をこまめに拾っていくのかと思ったら、映画の後半分は、原作の2つのエピソードに焦点を当て、後半の3分の2を、村出身の帝大の学生がカフェの女と相思相愛の仲になってしまったのを、学生の親に頼まれて巡査が2人を別れさせる話(原作における「恋愛・人事問題の件」)に、最後、後半の3分の1を村の2つの中学同士の集団決闘事件とその仲裁に巡査が関わる件(原作における「学生決闘の件」)に充てています。
カフェの女には刑務所に服役中のヤクザ者の元情夫がいるということが判明し、巡査は学生と女のそれぞれの所へ出向いて別れるよう説得しますが、原作では、巡査は一度学生に、「家庭争議というものは、或る段階に至るまでは一種の快楽に属する。いま、われわれは他人を介在する必要はない」という理論でやり込められていて(民事不介入という"法理論"よりハイレベルの"心理学的理論"?)、親子喧嘩の仲裁は自分に向かないと思ったのを(しかも相手はインテリ学生)、学生の家族に再度懇願されて説得に当たることになっています。
「多甚古村」●制作年:1940年●監督:今井正●脚本:八田尚之●撮影:三浦光雄●音楽:服部正●原作:井伏鱒二「多甚古村」●時間:63分●出演:清川莊司/竹久千惠子/月田一郎/宇野重吉/赤木蘭子/鶴丸睦彦/伊達信/小沢栄/深見泰三/原泉子/三島雅夫/藤間房子/月田一郎/滝沢修●公開:1940/01●配給:東宝映画(評価★★★) 