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「魂よ」「青春の健在」「電車の窓の外は」が良かった。"死の予行演習"的テキストとしても読める。


『詩集 死の淵より』['64年]『死の淵より: 詩集 (講談社文庫)』['71年]『死の淵より 高見順 文芸文庫 1993年初版』]『死の淵より (講談社文芸文庫 たH 4)』['13年]
1964(昭和39)年・第17回「野間文芸賞」受賞作。
"最後の文士"と謳われた高見順(1907-1965/58歳没)は、福井県知事が視察で三国を訪れた際に"夜伽"を務めた女性の子だったという出生に関わる暗い過去や、左翼からの転向体験を描いた『故旧忘れ得べき』で第1回芥川賞候補となった作家ですが、その高見順が食道がんの手術前後病床で記した詩63篇(文庫版)で、死に直面しながら自らの生を透徹した眼差しで見つめた詩集です。
1963(昭和38)年10月に食道がんと診断され、千葉大学附属病院に入院、すぐに手術を受け、11月に退院して自宅療養するものの、翌1964年6月、再度千葉大学附
属病院に入院し手術を受け、11月には千葉県稲毛の放射線医学総合研究所付属病院に入院・再手術、翌1965年3月に再々手術を受けましたが、8月17日同病院で亡くなっています(亡くなる直前の8月4日、自分と愛人との間にできた当時5歳の娘・小野田恭子を養女として入籍させ、それが後のタレント高見恭子(1959年生まれ)で、石川県知事・馳浩の妻。孫が北陸地方の知事の"愛人"ではなく、今度は"正妻"になったわけか。'22年5月に「クイズ!脳ベルSHOW」(BSフジ)に出ていた。その時点で63歳だから、父親の亡くなった年齢をすでに5歳上回っていたことになる)。
「死の淵より」は、1964(昭和39)年8月に「群像」に発表され、10月に単行本刊行されましたが、3部構成となっており、第Ⅰ部は、1963年10月に千葉大附属病院で手術した後に病室で書いた"メモ"をもとに退院後書いたものであるとのこと(1964年6月17日、再入院の前日の本人記述より)。
この第Ⅰ部の中では、「汽車は二度と来ない」に死を前にした孤独が滲み出ているように思えましたが、最後にある「魂よ」という詩が個人的にはいちばん良かったように思います("いい"と言うか"切実"感が溢れる)。
「汽車は二度と来ない」―「わずかばかりの黙りこくった客を/ぬぐい去るように全部乗せて/暗い汽車は出て行った/すでに売店は片づけられ/ツバメの巣さえからっぽの/がらんとした夜のプラットホーム/電灯が消え/駅員ものこらず姿を消した/なぜか私ひとりがそこにいる/乾いた風が吹いてきて/まっくらなホームのほこりが舞いあがる/汽車はもう二度と来ないのだ/いくら待ってもむだなのだ/永久に来ないのだ/それを私は知っている/知っていて立ち去れない/死を知っておく必要があるのだ/死よりもいやな空虚のなかに私は立っている/レールが刃物のように光っている/しかし汽車はもはや来ないのであるから/レールに身を投げて死ぬことはできない」
「魂よ」―「魂よ/この際だからほんとのことを言うが/おまえより食道のほうが/私にとってはずっと貴重だったのだ/食道が失われた今それがはっきり分った/今だったらどっちかを選べと言われたら/おまえ 魂を売り渡していたろう/第一 魂のほうがこの世間では高く売れる/食道はこっちから金をつけて人手に渡した/(中略)/魂よ/わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった/私の言うことに黙ってしたがってきた/おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった/卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ/それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は/言うことがすなわち行為なのであって/矛盾は元来ないのだとうまいことを言う/そう言うおまえは食道がガンになっても/ガンからも元来まぬかれている/魂とは全く結構な身分だ/食道は私を忠実に養ってくれたが/おまえは口さきで生命を云々するだけだった/魂よ/おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ/口さきばかりの魂をひとつひっとらえて/行為だけの世界に連れて来たい/そして魂をガンにして苦しめてやりたい/そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう」
一方、第Ⅱ部は、入院の直前および手術直前に属するもので、本当はⅠの前に掲げるべきだがなぜ後にしたのか、自分でもわからないと(笑)。「詩のできがⅠの方がいいと思えるのでそれをさきに見てもらいたいという虚栄心からかもしれぬ」と。
この第Ⅱ部の中では、最初にある「青春の健在」と「電車の窓の外は」という詩がいいです。
「青春の健在」―「電車が川崎駅にとまる/さわやかな朝の光のふりそそぐホームに/電車からどっと客が降りる/十月の/朝のラッシュアワー/ほかのホームも/ここで降りて学校へ行く中学生や/職場へ出勤する人々でいっぱいだ/むんむんと活気にあふれている/私はこのまま乗って行って病院にはいるのだ/ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように/昔ながらのかばんを肩からかけている/(中略)/君らはかつての私だ/私の青春そのままの若者たちよ/私の青春がいまホームにあふれているのだ/私は君らに手をさしのべて握手したくなった/なつかしさだけではない/遅刻すまいとブリッジを駆けのぼって行く/若い労働者たちよ/さようなら/君たちともう二度と会えないだろう/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/こうした朝 君たちに会えたことはうれしい/見知らぬ君たちだが/君たちが元気なのがとてもうれしい/青春はいつも健在なのだ/さようなら/もう発車だ 死へともう出発だ/さようなら/青春よ/青春はいつも元気だ/さようなら/私の青春よ」
「電車の窓の外は」―「電車の窓の外は/光りにみち/喜びにみち/いきいきといきづいている/この世ともうお別れかと思うと/見なれた景色が/急に新鮮に見えてきた/この世が/人間も自然も/幸福にみちみちている/だのに私は死なねばならぬ/だのにこの世は実にしあわせそうだ/それが私の心を悲しませないで/かえって私の悲しみを慰めてくれる/私の胸に感動があふれ/胸がつまって涙が出そうになる/団地のアパートのひとつひとつの窓に/ふりそそぐ暖い日ざし/楽しくさえずりながら/飛び交うスズメの群/光る風/喜ぶ川面/(中略)/電車の窓から見えるこれらすべては/生命あるもののごとくに/生きている/力にみち/生命にかがやいて見える/線路脇の道を/足ばやに行く出勤の人たちよ/おはよう諸君/みんな元気で働いている/安心だ 君たちがいれば大丈夫だ/さようなら/あとを頼むぜ/じゃ元気で――」
残る第Ⅲ部は自宅に戻ってからの詩です。全3部に共通して言えるのは、テーマ的は重いものの、表現的は読みやすいものとなっていることでしょうか。作者は先に述べたように「詩のできがⅠの方がいいと思える」としていますが、「青春の健在」と「電車の窓の外は」の2篇で第Ⅱ部は第Ⅰ部に拮抗するように思いました。
入院前の第Ⅱ部の方は、不安の中にも今目の前にある世界への愛惜の情に満ちていて、一方、入院中の第Ⅰ部の方は不安が切実な恐怖に変わり、死を前にした虚無感が漂っているともとれ、それは、例えば第Ⅱ部の「青春の健在」と、時間的にはこちらが後になる第Ⅰ部の「汽車は二度と来ない」と比べるとよくわかるように思いました。
作者が死と向き合ってその気持ちを作品に昇華させており、"死の淵"にいる人間の側からのメッセージにもなっていて、ある意味"死の予行演習"的テキストとしても読める詩集です。亡くなる直前に娘を入籍させたその気持ちが分かる気もします。
【1971年文庫化[講談社文庫(『詩集 死の淵より』)]/1993年・2013年再文庫化[講談社文芸文庫(『死の淵より』)]】
《読書MEMO》
島薗 進 『死に向き合って生きる (NHKテキスト こころをよむ 2025年4月~6月)』(2025/03 NHK出版)




1978(昭和53)年・第31回「野間文芸賞」受賞作。
映画「夕暮まで」('80年/東宝、主演:桃井かおり、伊丹十三)




1954(昭和29)年・第7回「野間文芸賞」受賞作。
『山の音』は、「改造文芸」の1949(昭和24)年9月号に「山の音」として掲載したのを皮切りに、「群像」「新潮」「世界春秋」などに「雲の炎」「栗の実」「島の夢」「冬桜」「朝の水」「夜の声」「春の鐘」などといった題名で書き継がれて、1954年に完結、同年4月に単行本『山の音』として筑摩書房から刊行されたもので、作家の50歳から55歳にかけて
の作品ということになりますが、山本健吉の文庫解説によれば、「川端氏の傑作であるばかりでなく、戦後日本文学の最高峰に位するものである」と。三島由紀夫も、『山の音』を川端作品のベストスリーの首位に挙げることを当然とし、中村光夫は、主人公の変遷の観点から、『伊豆の踊子』、『雪国』がそれぞれ作者の「青春の象徴」、「中年の代表」をしているとすれば、『山の音』には、「川端康成の老年の姿」が描かれているとしています。
この作品は映画化されていて('54年/東宝)、個人的にはCS放送であまり集中できない環境でしか観ていないので十分な評価は出来ないのですが(一応星3つ半)、監督は小津安二郎ではなく成瀬巳喜男ということもあり、それなりにどろっとしていました(小津安二郎の作品も実はどろっとしているのだという見方もあるが)。
62歳の信吾を演じた山村聰(1910‐2000)は当時44歳ですから、「東京物語」の笠智衆(当時49歳)以上の老け役。息子・修一役の上原謙(1909‐1991)が当時45歳ですから、実年齢では息子役の上原謙の方が1つ上です。
そのためもあってか、原節子(1920‐2015)演じる菊子が舅と仲が良すぎるのを嫉妬して修一が浮気に奔り、また、菊子を苛めているともとれるような、それで、ますます信吾が菊子を不憫に思うようになる...という作りになっているように思いました(菊子が中絶しなければ、夫婦関係の流れは変わった
この作家は、こうした家族物はお

「山の音」●制作年:1954年●監督:成瀬巳喜男●製作:小林一三●脚本:水木洋子●撮影:玉井正夫●音楽:斉藤一郎●原作:川端康成「山の音」●時間:94分●出演:原節子/上原謙/山村聡/長岡輝子/杉葉子/丹阿弥谷津子/中北千枝子/金子信雄/角梨枝子/十朱久雄/北川町子/斎藤史子/馬野都留代●公開:1954/01●配給:東宝●評価:★★★☆ 




小川未明(1882‐1961)は20代終わりから30代の時だけ旺盛な創作活動をし、その業績に対して1945(昭和20)年に第5回「野間文芸賞」が贈られていますが、児童文学界の重鎮的存在で在りながら、昭和以降ほとんど新作は発表していません。また、宮沢賢治の作品が「大人の童話」と言われるのと対照的に、過去の作品群の作風を"子ども向けのヒューマニズム"と揶揄された時期もあります。



