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アメリカ映画に影響を受けた小津のモダニズム作品だが、急ごしらえの感も。山本冬郷が渋い。


「その夜の妻 [VHS]」(主演:岡田時彦/八雲恵美子)/「あの頃映画 松竹DVDコレクション 「その夜の妻/非常線の女」
」
橋爪周二(岡田時彦)は病床に伏している娘みち子(市村美津子)の治療費を工面するため、夜の街で拳銃強盗に入り、金を盗んだ後、追う警官隊から逃れタクシーで妻子の待つ家へ向かう。周二は妻のまゆみ(八雲恵美子)に奪った金を渡し、みち子の病気が治ったら
自首すると告
げる。その時、周二が乗って来たタクシーの運転手が訪ねてくる。実はタクシーの運転手に変装した刑事の香川(山本冬郷)だった。上がり込んだ香川にまゆみは銃を突きつけ、周二にみち子の看病を頼む。しかし、夫婦は眠り込んでしまい香川はピストルを取り戻すが、朝まで逮捕は待つと言う―。
Sono yo no tsuma (1930)
1930(昭和5)年7月公開の無声映画作品で、神保町シアターでピアノ伴奏付きで鑑賞。当時モダン志向の若者たちに人気があったハイカラ娯楽雑誌「新青年」の同年3月号に掲載されたオスカー・シスゴールの短編小説「九時から九時まで」を原作に野田高梧が脚色したものであるとのことで、進取の精神に溢れると言うか、着想から映画完成までの間隔が短いというか...(3月に読まれた雑誌の小説が翻案され7月に映画となって公開されていることになる)。
アメリカ映画に影響を受けた小津のモダニズムが表れている作品とされていますが、海外物を急ごしらえで日本向けにしたためか全体にどことなくぎこちなさのある作品で、突っ込みどころは満載。娘の治療費工面のためにいきなり拳銃強盗とは如何かというのもあるし、その割には、その夜が容態のヤマ場であるはずの当の娘は結構元気そうだったりして...。ただ、「非常線の女」('33年)などにおけるストーリーの展開方法や映像の技術的な部分は、すでにこの作品で出来上がっている印象は受けます。
「その夜の妻」、「淑女と髯」('31年)、「非常線の女」など、多くの映画評論家が失敗作とみなしていたり、評論することを避けて通ったりするようなこの頃の作品を絶賛し、復権させたのが蓮實重彦氏ですが、蓮實氏の様々な評価ランキングを見ると、この「その夜の妻」が「非常線の女」の上に来る時と、「非常線の女」が「その夜の妻」の上に来る時があり、微妙なところでしょうか。『監督 小津安二郎 〈増補決定版〉』(2003/10 筑摩書房)』では「その夜の妻」の方をより絶賛していたように思え、また、最近では、「蓮實重彦が選んだアジアンベストテンと監督」というのに、「人情紙風船」(山中)、「鶴八鶴次郎」(成瀬)、「残菊物語」(溝口)と並んで、この「その夜の妻」(小津)が入っているようです。
個人的には(蓮實氏ほどの慧眼を持たぬためか)どっちもどっちかなという印象ですが、「非常線の女」におけるトレンチコートを着た田中絹代が拳銃を構える姿に比べれば、まだこの「その夜の妻」の着物姿で拳銃を構える八雲恵美子の方が、着物姿なのにサマになっていたでしょうか。
それと、刑事役の山本冬郷(1886-没年不明)の'渋さ'が良かったです。おそらく小津がこの時目指していたであろう〈スタイリッシュなフィルム・ノワール〉を最も体現していていたのがこの山本冬郷ではなかったでしょうか。早稲田大学政治経済科を中退後渡米し、舞台や映画に出演した人で、ハリウッド映画への出演歴もあります(敵役が多かったようだ)。顔つき自体がアメリカのギャング映画に出てきそうなタイプで、それがやがて病気の娘を抱える夫婦に温情を見せるようになるという流れは予想がつくのですが、その強面ぶりがどう変化するのか、ついつい引き込まれてしまいます(それに比べると、当時美男子で鳴らしたはずの岡田時彦の演技は、スタイリッシュとは言い難い気がした)。
冒頭の強盗に入った岡田時彦が警官に追われて夜の街を逃げ回るシーンなどにはハリウッド映画の影響が見られる一方、壁に映る影の扱い方などにはドイツ表現派の映画を感じさせ、小津自身が、映画の中で様々なチャレンジをしていることは窺えます(岡田時彦の演技もドイツ表現主義風だったのか?)。
アメリカ映画の雰囲気に近づけようとしたのかよく判りませんが、主人公夫婦の住まいの壁にアメリカ映画のポスター(「Broadway Scandals」(
'29年))などが貼られていて、「大学は出たけれど」('29年)にも、就職が決まらない主人公の部屋の壁に「ロイドのスピーディ」('28年)のポスターがありましたが、娘の治療費に困っている割には何だか余裕だなあという印象も受けました(その他にも外国映画の大判のパネルのようなものが部屋にごろごろあって、まるで映画会社の倉庫で撮っているみたい)。
着物姿の八雲恵美子が刑事役の山本冬郷に紳士帽を被らされる場面があり、諸々のアンバランスはすべて小津の計算によるものであるというのが
蓮實先生の見方であるようですが(「非常線の女」のトレンチコートも拳銃も似合わない田中絹代然り)、個人的にはその辺りは今後の'研究課題'ということにし、とり敢えずは星3つにしておきます(「非常線の女」と同じになってしまったが、細かく言えばややこちらが上か。これも、その時の気分で変わるかも)。
斎藤達雄(医者)/笠智衆(警官・ノンクレジット)

「その夜の妻」●制作年:1930年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧●撮影:茂原英雄●原作:オスカー・シスゴール「九時から九時まで」●時間:66分●出演:岡田時彦/八雲恵美子/市村美津子/山本冬郷/斎藤達雄/笠智衆(ノンクレジット).●公開:1930/07●配給:松竹キネマ●最初に観た場所(ピアノ伴奏付きで):神保町シアター(14-01-06)(評価:★★★)



1929(昭和4)年公開の小津安二郎監督の第8作にして初の長編作品。小津安二郎の監督作品は記録映画も含めると全部で54作ありますが、その内の現存する37作品の中ではこれが最初期の作品で、個人的には今回が初見。本来はBGMも無い「完全サイレント」作品ですが、神保町シアターで、エレクトーン奏者・柳下美恵氏の伴奏により鑑賞しました。
そうして知り合った千恵子が赤倉にスキーに行くことを知った2人ですが、渡辺には仕送りが来ず、山本は財布を落としたために共にその資金が無く、山本の下宿に転がり込んだ渡辺が、山本に「上を向け」と言って、その間に山本の部屋の書籍や家財道具をかき集め、それを質屋に持っていき"軍資金"を作る下りは、渡辺の部屋にポスターが貼ってあったフランク・ボーゼージ監督の1927年映画「第七天国」の、掃除夫の主人公が自分はもっと偉くな
るのだという前向きな気持ちを表した「上を向け」という台詞のパロディで、主人公が自分の住む部屋を「第七天国」と称した「七」に「質」を懸けています(柳下美恵氏の解説による)。このように、小津安二郎監督の初期サイレント映画には必ずといっていいほどモダンな洋画ポスターが出てきます。本作ではその「第七天国」のポスターが、元の下宿でも引っ越し先の下宿でも映っています。
渡辺と山本がゲレンデで千恵子を巡って恋の鞘当を繰り広げる場面は、随所にスラップスティックなノリが感じられ、山本が渡辺にスキー板を流され取りに行く間に、渡辺と千恵子が仲好く語らう場面など、チャップリン映画さながら(この作品に多分に影響を与えていると思われるキートンの「カレッジ・ライフ」(1927)ほどまではいかないが)。
ストーリーの方は、実は、千恵子は、母親(飯田蝶子)と共にお見合いをするためにスキー場に来ていたのであり、見合いの相手は、渡辺らの同級生(日守新一)だったという皮肉な展開に(それでも諦めない渡辺なのだが...)。
思ったよりゲレンデ・シーンが多く、小津安二郎版「私をスキーに連れてって」('87年/東宝)といったところでしょうか。スキー部の学生の一人として出演した笠智衆(当時25歳)の回想録によると、スキー初心者のままロケ地に入ったが、1週間の撮影が終わって帰る頃にはスキーの腕前も上達し、駅まで滑って帰ったとのことです(『
「私をスキーに連れてって」の方の舞台は奥志賀のゲレンデ。主人公(原田知世)が恋人へのプレゼントを届けるために横手山から万座へ夜中にスキーで山越えをするといった話だったと思いますが、あまりに現実離れしたストーリーで、しかも出演者の演技はみんな下手(もう一人の主演の三上博史は、最初に脚本を読んだ時、あまりのバカバカしさにゴミ箱に捨てたというから、最初からモチベーション低かった? そんな演技にOK出しする作り手の方に問題があるのだろうが)。ユーミンの挿入歌「恋人はサンタクロース」くらいしか印象に残らなかった作品ですが、「見栄講座」のホイチョイ・プロダクションの映画だから、ストーリーや演出よりも、バブル景気に湧いていた当時の「猫も杓子もゲレンデへ」といった世相を映し出すことが主眼の作品だった言えなくも無く、その目的は果たしたか?
ホイチョイ・プロダクションはその後"青春ムービー"第2弾として、東京アーバン・マリンリゾートを舞台に、海底に眠る財宝を追う女性ダイバー(原田知世)とヨット乗りの青年(織田裕二、当時は殆ど無名の"ほぼ新人"だった)との恋と冒険を描いた「彼女が水着にきがえたら」('89年/東宝)も製作。「私をスキーに連れって」と同じく、馬場康夫・監督、一色伸幸・脚本で、音楽はユーミンからサザン・オールスターズへ。「渋谷宝塚劇場」の映画館前で開演待ちをしていた客は若いカップルばかりで、"デート用映画"と割り切るにしてもちょっと異様な光景でした(その「渋谷宝塚劇場」も今は無く、跡地に立ったQ‐FRONTビルにオープンした「渋谷シネフロント」も昨年['10年]閉館した...)。 
さすがに小津安二郎はダイビング映画までは撮っていませんが、「世相を描く」ことが主眼となっているという点では「青春ロマンス 若き日」にも当て嵌る部分があり(演出はこっちの方がしっかりしていて、昭和初期とは思えないほど現代的)、スキーをする時にパイプを咥えたりベレー帽をかぶるのが流行りだったのか(?)とか、「ゲレンデ交際」という当時の若者風俗を描いていること自体に大いに関心を引かれました(時代期には共に、その後に不況が控えていたという点でも共通するかも)。
冒頭「都の西北」とあることから、主人公たちは早稲田の学生なのでしょうが(ロケも早稲田キャンパスでやっている模様)、その他にもいろいろと当時の学生の気風や生活ぶりが窺えるのが興味深かったです。まあ、主人公の渡辺は当時としてはかなりの軟派系だとは思いますが(因みに、小津安二郎自身は現役の時に神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗、更に1浪後に三重師範学校(現在の三重大学教育学部)を受験してこれも失敗し、大学に行っていない)。
「私をスキーに連れてって」●制作年:1987年●監督:馬場康夫●脚本:一色伸幸●撮影:長谷川元吉●音楽:杉山卓夫(挿入歌:松任谷由実/テーマ曲「恋人がサンタクロース」)●原作:ホイチョイ・プロダクション●時間:98分●出演:原田知世/三上博史/ 原田
貴和子/沖田浩之/高橋ひとみ/布施博/鳥越マリ/上田耕一/飛田ゆき乃/小坂一也/竹中直人/田中邦衛●公開:1987/11●配給:東宝(評価:★★)
「彼女が水着にきがえたら」●制作年:1989年●監督:馬場康夫●脚本:一色伸幸●撮影:長谷川元吉●音楽:サザンオールスターズ(テーマ曲:「さよなら





第66回「

大学卒業者の就職率が約30%という不況の底にあった昭和初期を舞台に、仕事に就けない男が奔走する様をコメディっぽく描いた小津
安二郎監督の1929(昭和4)年の無声映画作品。原作は、小津安二郎と親交の深かった、同じく松竹系の映画監督・![「大学は出たけれど(吹替・活弁版) [VHS]」.jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%80%8C%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AF%E5%87%BA%E3%81%9F%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%A9%28%E5%90%B9%E6%9B%BF%E3%83%BB%E6%B4%BB%E5%BC%81%E7%89%88%29%20%5BVHS%5D%E3%80%8D.jpg)
ただ、そうしたこともあってか、松田春翠(1925‐1987)の「活弁」付きのI・V・C版ビデオで鑑賞したのですが(松竹ビデオ(S・H・V)版は活弁無し)、「
大学を卒業した時に許婚(田中絹代が初々しい)がいて、それで就職が決まらないというのは結構キツイなあと思ってしまいましたが、母親と許婚の手前、会社に行くふりをして弁当を持って出かける主人公にとっての"仕事の場"は公園であり、"仕事" は公園に来ている子供らとボール遊びをすること、子供らとすっかり仲良くなるが、雨が降った日は"仕事"が休みになる―といった具合に、ユーモラスに描くことで救われています。恋女房となった田中絹代に実は就職が決まっていないと打ち明ける場面でも、「サンデー毎日」の新聞広告を見せるギャグ(つまり自分は、実は毎日が休日状態だと)。因みに、「サンデー毎日」は1922(大正11)年)に「週刊朝日」と並んで創刊された日本で最も歴史の長い総合週刊誌になります(「週刊朝日」は創刊101年後の2023年をもって休刊となった)。
途中、客として訪れたカフェで、夫に内緒で働いている奥さんを見てしまったりするハプニングもあったりして(カフェの先客で、その奥さんに「君は最近新しく入った子か」などと声掛けしているのは笠智衆)、最後は、女房の健気さに勇気づけられて主人公は発奮、「受付ならば」と言われて頭にきて辞去した会社を再訪し、「受付でも何でもやります」と―(それまで"雨天休業"だった主人公がどしや降りの日に出掛けていくところもミソ。見送る田中絹代が可憐)。
いい話に纏め過ぎている感じもしますが、まあ、そういう映画なのでしょう。当時の若者にリアルタイムでエールを送った作品とも言えるのでは。
昨今の新卒就職難と比べると、厚生労働省と文部科学省が、全国の大学や短大など112校の6250人の学生を抽出して、その就職内定率を調査した結果によれば、2011年3月に4年制大学を卒業した学生の就職内定率は4月1日の時点で91.1%と過去最悪とのこと(この調査の数字は"甘め"に出るとの批判もあるが、それでも90%を超えている)、この"過去最悪"とは、同統計を取り始めてからの"過去最悪"であって、昭和初期にはもっと厳しい時代があったのだなあと。
田中 絹代
留吉(渡辺篤)と芳造(吉谷久雄)は、親しい仕事仲間、貧しいゆえに2人でルームシェアをしているトラック運転手である。あるとき偶然、身寄りのない娘・お美津(浪花友子)と出逢う。住むところのないお美津が2人の長屋に転がり込み、お美津はかいがいしく家事をしてくれるが、2人の男の間では、恋の鞘当てが始まる。やがて、留吉・芳造の長屋の近くに住む学生・岡村(結城一朗)と、お美津が相思相愛であったのだ、という現実を、留吉・芳造は知ることとなる。お美津と岡村をさわやかに見送る留吉・芳造であった(「Wikipedia」より)。
これも元々は77分の作品でありながら、デジタル復元版で現在観ることができるのは当時家庭用に編集された14分の短縮版です(「小津安二郎 名作セレクションV」に所収)。男同士の二人暮らしのところへ若い女性が居ついて、2人が彼女を巡って牽制し合うも、最後はその女性に好きな人が出来て...というこの展開は、リチャード・ウォレスの喜劇映画「喧嘩友達」('27年)をベースにしているということで(タイトルに「和製」とつくのはそのため)、脚本の野田高梧(1893‐1968)が小津と組むのは「懺悔の刃」('27年)に次いで2作目。結局、小津の遺作「秋刀魚の味」('62年)までの付き合いとなるわけですが、この頃、小津は満25歳、野田高梧は満35歳
と若く(主演の渡辺篤は満31歳、吉谷久雄は満25歳、浪花友子は満20歳、結城一朗は満24歳と出演者も皆若いのだが)、とりわけ小津の監督としての若さが光るとともに、彼の出自が喜劇であることを改めて感じさせる作品となっています。

因みに、「大学は出たけれど」の高田稔と「和製喧嘩友達」の吉谷久雄(ハンチングを被った小柄な方)は、翌年の同じく小津作品である「朗かに歩め」('30年/松竹蒲田)でヤクザ仲間の役で共演します(就職が決まらない学生とトラック運転手のそれぞれ次の役がチンピラ役かあ。こちらはヤクザ稼業から足を洗おうとする男たちの話であり原作は清水宏)。
田中絹代・笠智衆 in「大学は出たけれど」('29年/松竹蒲田) 笠智衆はカフェの客の役

「大学は出たけれど」●制作年:1929年●監督:小津安二郎●脚本:荒牧芳郎●撮影:茂原英朗●原作:清水宏●活弁:松田春翠●時間:70分(現存11分)●出演:高田稔/田中絹代/鈴木歌子/日守新一/大山健二/木村健二/飯田蝶子/坂本武/笠智衆/筑波雪子/小藤田正一●公開:1929/09●配給:松竹蒲田(評価:★★★☆)
「和製喧嘩友達」●制作年:1929年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧●撮影:茂原英朗●原



川端康成や横光利一ら、当時「新感覚派」と呼ばれた若い才人たちが脚本に参加して生みだした実験的無声映画。主人公の元船乗りの男は、かつて自分のせいで妻を追い詰めて狂人にしてしまったことに対する自責の念から、今は妻の入院する精神病院の小間使いをしているのだが、そこに玉の輿の結婚話を控えた娘がやって来て、母親が狂人であるために結婚できないと言う。小間使いは妻を精神病院から逃がそうとするが失敗する―。
というのが話の前段部なのですが、冒頭からいきなり踊り狂う女性の断片的なモンタージュが入り、無声映画なのに
字幕も無く、しかも、主人公の空想の場面と現実の場面が錯綜するので、筋自体はわかりにくく、「ACTミニシアター」のスタッフの解説がなければ何のことやらという感じ(このミニシアターでは、黒澤明の「羅生門」上映時
にも、ドナルド・リチーによる読み解きをスタッフが解説してくれた)。主人公の小間使いは宝くじで一等賞が当たった空想し、また、娘の結婚式を空想する。そして、最後に患者たちがオタフクなどのお面をつけることを空想する―(これは、主人公の空想だと思うのだが、よく分からない...。公開時には徳川無声などが弁士としてついて、この辺りの解説をしたらしい。それって別録りされていないのかなあ)。
精神病院という限定された状況設定は、ピーター・ブルック監督の「マラー/サド」('67年/英)とちょっと似ているなあと思いました(正式邦題は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」という長いもの。原題もギネスに世界最長大映画タイトルとして登録されている)。
「マラー/サド」の舞台は19世紀はじめのフランスの精神病院で、ここでは治療の一環として演劇がプログラムに採り入れられており、そこへ収監されていたサド侯爵(1740-1814)が、フランス革命で活躍し後に暗殺されたマラーのドラマを患者達を使って演出するというもの(マルキ・ド・サド自身はナポレオン体制下で筆禍を招き、死ぬまでシャラントン精神病院に監禁されていたという説もあるが、実際には持病の皮膚病が悪化し、自宅に籠って一日中入浴して療養するような生活をする中でに政敵一派に暗殺されたようだ。暗殺後、現場で画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが有名な「マラーの死」を描いている)。
檻に入れられた患者たちが、看守により度々中断させられながらも演じる劇は、異様な雰囲気と張り詰めた緊張感に覆われていますが、物語劇というより前衛劇に近い印象を個人的には受けました。
その劇を檻の外から観る観客がいて、劇中劇の様相を呈していますが、演じているのは皆役者だったんだなあ(半分ぐらい、本当の患者が混ざっているのかと一瞬思ったが、そんなわけないか)。
マラーを暗殺する女性シャルロット・コルデーを演じているのはグレンダ・ジャクソンであるし、その他患者らを演じているのは殆どが英国王立シェークスピア劇団のメンバーです。
グレンダ・ジャクソンは1936年煉瓦職人の家庭に生まれ、ロンドンの王立演劇学校で学んだ彼女は、この「マラー/サド」の演技で注目され、ケン・ラッセル監督の「恋する女たち」('69年/英)で米アカデミー主演女優賞受賞、ジョン・シュレシンジャー監督の「日曜日は別れの時」('71年/英・米)で英国アカデミー賞主演女優賞受賞、メルヴィン・フランク監督の「ウィークエンド・ラブ」('73年/英)で再度米アカデミー主演女優賞受賞と目覚ましい躍進を遂げます。
「恋する女たち」はアラン・ベイツとオリヴァー・リードが裸でレスリングするシーンが話題になりましたが(メジャー映画で男性のフルヌードが初めて披露された場面とされている)、原作者のD・H・ロレンスはオスカー・ワイルドなどと並んでゲイの作家としても知られています。その場面が強烈で、他の部分の印象が弱くなってしまいましたが(笑)、
グレンダ・ジャクソンがしっかりした演技
で映画を締めていたのでしょう。ただ、本邦では'90年にVHSビデオが発売されて以来ソフト化されていないので確認できません。'92年に政界入りのため女優を引退し、労働党から庶民院議員選挙に立候補して当選、ブレア内閣で'97年から'99年まで運輸政務次官を務めています。(●2015年以降、主にロンドン、ニューヨークの舞台で俳優活動を復活、映画「2度目のはなればなれ」('23年/英)で同じく2度のオスカー受賞経験を持つ英国俳優マイケル・ケイン(1933年生まれ)と共演、2023年6月15日、病気療養中に死去した(87歳没)。)


「マラー/サド(マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントレ精神病院の患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺)」●原題:MARAT/SADE(The Persecution and Assassination of Jean-paul Marat as Performed by the Inmates of the Asylum of Charenton Under the Direction of the Marquis De Sade)●制作

「恋する女たち」●原題:WOMEN IN LOVE●制作年:1969年●制作国:イギリス●監督:ケン・ラッセル●製作・脚本:ラリー・クレイマー●撮影:ビリー・ウィリアムズ●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●原作:Ⅾ・H・ロレ
ンス『恋する女たち』●時間:131分●出演:アラン・ベイツ/オリヴァー・リード/グレンダ・ジャクソン/ジェニー・リンデン/ エレノア・ブロン/ヴラデク・シェイバル/ アラン・ウェッブ/キャサリン・ウィルマー/フィービー・ニコルズ/シャロン・ガーニー/クリストファー・ゲイブル●日本公開:1970/05●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:池袋・文芸坐(78-01-20)(評価:★★★?)●併映:「トミー」(ケン・ラッセル)