「●是枝 裕和 監督作品」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●濱口 竜介 監督作品」【3131】 濱口 竜介 「親密さ」
「●「カンヌ国際映画祭 監督賞」受賞作」の インデックッスへ(「そして父になる」)「●「芸術選奨(監督)」受賞作」の インデックッスへ(是枝裕和「そして父になる」)「●リリー・フランキー 出演作品」の インデックッスへ(「そして父になる」「万引き家族」)「●夏八木 勲 出演作品」の インデックッスへ(「そして父になる」「のぼうの城」)「●風吹 ジュン 出演作品」の インデックッスへ(「そして父になる」)「●あ行の日本映画の監督」の インデックッスへ 「●は行の日本映画の監督」の インデックッスへ 「●佐藤 浩市 出演作品」の インデックッスへ(「のぼうの城」)「●前田 吟 出演作品」の インデックッスへ(「のぼうの城」)「●柄本 明 出演作品」の インデックッスへ(「万引き家族」)「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「○都内の主な閉館映画館」の インデックッスへ(三軒茶屋シネマ) 「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(是枝裕和)「●「カンヌ国際映画祭 監督賞」受賞作」の インデックッスへ(「万引き家族」)「●「アジア・フィルム・アワード」受賞作」の インデックッスへ(「万引き家族」)「●「ロサンゼルス映画批評家協会賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ(「万引き家族」)「●「キネマ旬報ベスト・テン」(第1位)」の インデックッスへ(「万引き家族」)「●「毎日映画コンクール 日本映画大賞」受賞作」の インデックッスへ(「万引き家族」) 「●「日刊スポーツ映画大賞 作品賞」」受賞作」の インデックッスへ(「万引き家族」)「●池脇 千鶴 出演作品」の インデックッスへ(「万引き家族」)「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(細野晴臣)
「三軒茶屋シネマ」ラストショー2本立て―といっても、通常のラインアップと変わらないが...。

「そして父になる DVDスタンダード・エディション」映画チラシ/「万引き家族 通常版DVD(特典なし) [DVD]
」/「のぼうの城 通常版 [DVD]
」映画チラシ

今月['14年7月]20日で60年の歴史を閉じた「三軒茶屋シネマ」の最終上映作品がこの「そして父になる」と「のぼうの城」の邦画2本立てであり、結構急な閉館だったせいか、通常の「二番館」的プログラムであって「さよならフェスティバル」的なプログラムではないのがやや唐突な気もします。それでも、最終日に観に行くと、午後の上映からは155席が満席になっていました(一応、前々週の「イタリア映画・不朽の名作2本立て」(「ニュー・シネマ・パラダイス」「ひまわり」)と前週の「モノクロ・サイレント映画の傑作2本立て」(「街の灯」「アーティスト」)と併せてフェスティバル的な上映とのことらしいが)。
是枝裕和監督の「そして父になる」('13年/ギャガ)は、夫(福山雅治)と妻(尾野真千子)の間にいる6歳の一人息子が、実は出生時に子どもの取り違えがあって実の息子ではなかったことが判明し、そこから始まるその夫婦の苦悩と、取り違えられた子を育ててきたもう1つの夫婦(リリー・フランキー・真木よう子)とのやり取りを描いた作品(2014年「芸術選奨」受賞作)。
子どもの取り違えが判明してからその次にどういう手順になるのかがきっちり取材されていて、加えて、河瀬直美監督に見出され「萌の朱雀」('97年)でデビューしたd尾野真千子、「無名塾」出身の真木よう子、スピルバーグがその演技を絶賛したリリー・フランキーなど、演技陣も充実していました。第66回カンヌ国際映画祭の審査
員賞(パルムドール、(審査員特別)グランプリに次ぐ賞)を受賞した作品ですが、国内では、尾野真千子、真木よう子の2人はそれぞれ第37回「日本アカデミー賞」の優秀主演女優賞、最優秀助演女優賞を受賞、福山雅治、リリー・フランキーもそれぞれ優秀主演男優賞、最優秀助演男優賞を受賞しています(電気屋夫婦の方が「最優秀」を獲っていることになる。因みに真木よう子は、同年の「さよなら渓谷」での最優秀主演女優賞とのW受賞)。
ある種、アンチ・クライマックス映画で、問題提起型作品の多い是枝裕和監督らしい作品。尤も、このテーマで安易な落とし所を設けて「感動物語」風にしてしまったら是枝監督作らしくはなくなるし、おそらく何人もいるであろう同種の事件の当事者に対する冒涜になってしまうのでしょう。それに代わるカタルシス効果がどこかに欲しかった気もしますが、カンヌでは上映後にスタンディングオベーションがあったというから、これでよしとすべきでしょうか(カンヌで観ていた人たちは概ね娯楽性を求めているわけではないだろうが)。子役までも上手だったことから、監督の演出力を率直に評価したいと思います。
(●是枝裕和監督の「万引き家族」('18年)が、第71回カン
ヌ国際映画祭においてパルム・ドールを獲得した(日本人監督作品としては、1997年の今村昌平監督の「うなぎ」以来21年ぶり)。やはりリリー・フランキーを使
ったかあ。でも彼は「そして父になる」以上の演技だった。この映画、Amazon.comのレビューなどでみると「どこがおもしろいのか、わからない」という人も結構多いようだが、個人的には良かったと思った。「お父さん」「お母さん」と呼んでほしいと願う主人公の想いが核になっていて、終わり方も良
かった。家族っていなくなると切ないものである。これで、是枝監督にとって「家族」というのが大きなテーマであることがよく分かった。それでは小津安二郎や山田洋次と変わらないと思われるフシもあるかもしれないが、ステップファミリーを通して「家族」というものを描いているのが大きな特徴であり、「そして父になる
」からの流れで見ると繋がっている。ハッピーエンドにせず、問題投げかけ型で終わるのも同じ。今回は中流家庭ではなく、下流家庭(疑似家族)を描いている点で、明らかに小津安二郎の後期作品とも異なる。何となく是枝監督のスタンスが見えてきた気がする。パルム・ドールは、ベルギー移民の少女や若者の貧困を描いたダルデンヌ兄弟の作品が2度受賞しているなど、格差社
会を描いたものが近年では賞を獲り易い傾向にあり、「万引き家族」の受賞も意外性はなかった(「万引き家族」の翌年2019年には、ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」がパルム・ドール受賞。やっぱりという感じ)。因みに本作は、2019年・第13回アジア・フィルム・アワードも作品賞と作曲賞(細野晴臣)を受賞しているほか(この賞の作品賞受賞は日本映画では初)、第44回ロサンゼルス映画批評家協会賞の外国語映画賞なども受賞している。)
第13回アジア・フィルム・アワード(左から細野晴臣(音楽)・是枝裕和・安藤サクラ・三ツ松けいこ(美術))
犬童一心、樋口真嗣共同監督の「のぼうの城」('12年/東宝)は、北条氏の支城で、周囲を湖に囲まれ浮城とも呼ばれる忍城(おしじょう)の領主・成田氏一門の成田長親(野村萬斎)と、その城を攻め落とそうとする豊臣方・石田三成(上地雄輔)の攻防を描いた作品で、2時間超ですがあまり長さを感じさせず、予想以上に面白かったです(この面白さは、和田竜氏の直木賞候補となった原作の面白さによるものではないかとも思うが、原作を読んでいないので、素直に「面白かった」としておきたい。台詞が一部、「○○的」など現代語になっているのが気になったが、脚本も原作者によるもの)。
歌舞伎や狂言の俳優が、日頃その世界で伝統芸能の継承・研鑽に励みつつも、現代劇や時代劇に出てすんなりそれにフィットした演技が出来てしまうのにはいつも感心させられますが、この映画の野村萬斎の場合、狂言の演技をそのまま成田長親のキャラに活かしていることにより、映画を自分の作品にしている点で、起用に充分応えているように思いました。また、近習の正木丹波守利英を演じた佐藤浩市の演技がオーソドックスな映画的演技であることも、対比的な効果を醸しているように思われます。この2人はそれぞれ第36回「日本アカデミー賞」の優秀主演男優賞、優秀助演男優賞を受賞しています。
ストーリー的には、最後は、北条氏の本城である小田原城が落城してしまうことから、支城を巡って争う理由がなくなり、これ以上は戦わずして成田氏は忍城を豊臣方・石田三成に明け渡すことになってしまうという点では、これもまた、アンチ・カタルシス的な作品と言えるかもしれません(M&Aで大企業に吸収される関係会社みたい)。それでも「こういう武将もいたのだ」という面白さによってさほどカタルシス不全を感じさせないのは、これはやはり、原作の目の付け所の良さに拠るものかと思われます。
僅か500の兵で2万の大軍から城を守り和議に持ち込んだというのはやはりスゴイことだと思われ、今までほとんど時代小説の素材になっていないのが不思議なくらい(風野真知雄の『水の城 いまだ落城せず』では主人公の成田長親は、際立った武勇や才覚はなく、捉えどころのない人物として描かれているそうだ)。近年の研究では、もともと水攻めに向かない城に対して水攻めに固執した秀吉のミスだったとの説が有力なようで、実戦経験の乏しい石田三成に配慮した作戦が裏目に出たのか。逆に三成が書状の中で「諸将は完全に水攻めと決め込んで全く攻め寄せる気がない」と嘆く事態となったわけですが、水攻めの決定に三成軍の武将たちのモチベーションががたんと低下する場面はこの作品の中でも描かれています。
観る前は、60年の歴史を持つ名画座のラストショーとしてはややもの足りないラインアップのようにも思えましたが、実際に観てみたらまあ思ったより良かったという感じでしょうか(でもやっぱり、基本的には通常のラインアップと変わらない組み合わせだった? 後に知ったことだが、劇場管理者は
敢えて長年二番館として営業してきた三茶シネマらしいラインアップを選んだらしい)。ラストショーと思って思い入れを込めて観た分、評価はやや甘くなっているかもしれません。昨年['13年]5月に亡くなった夏八木勲(1939-2013/享年73)が両方の作品に脇役で出ています('12年の秋から膵癌を患い、闘病を続けていた)。
名画座に降りてくる前にDVDがレンタルショップに並んでしまうというのはやはり名画座にとってはキツイことかも。「三軒茶屋シネマ」の閉館により、都内23区に残る名画座は「飯田橋ギンレイホール」「池袋新文芸坐」「早稲田松竹」「目黒シネマ」「下高井戸シネマ」「新橋文化劇場」「キネカ大森」「
シネマヴェーラ渋谷」「神保町シアター」「ラピュタ阿佐ヶ谷」の10館となるそうですが(日本芸術センター運営の「シネマブルースタジオ」や「東京国立近代美術館フィルムセンター」などの公的施設は除く)、この内「新橋文化劇場」は、来月['14年8月]末閉館することが決まっています。

三軒茶屋シネマ (1955年「三軒茶屋東映」オープン、1973年建て替え、1997年~「三軒茶屋シネマ」) 2014(平成26)年7月20日閉館日に撮影(左写真手前右:2013(平成25)年2月14日閉館「三軒茶屋中央劇場」(右写真右奥)跡)
Soshite chichi ni naru (2013) 樹木希林(1943-2018)/尾野真千子

「そして父になる」●英題:LIKE FATHER,LIKE SON●制作年:2013年●監督・脚本:是枝裕和●製作:亀山千広/畠中達郎/依田翼●撮影:瀧本幹也●音楽:松本淳一/森敬/松
原毅●時間:120分●出演:福山雅治/尾野真千子/真木よう子/リリー・フランキー/二宮慶多/黄升炫/中村ゆり/高橋和也/田中哲司/井浦新/ピエール瀧/大河内浩/風吹ジュン/國村隼/樹木希林/夏八木勲●公開:2013/09●配給:ギャガ●最初に観た場所:三軒茶屋シネマ(14-07-20)(評価:★★★★)●併映:「のぼうの城」(犬童一心/樋口真嗣)
風吹ジュン(野々宮のぶ子(良多の義母))

「万引き家族」●英題:SHOPLIFTERS●制作年:2018年●監督・脚本・原案:是枝裕和●製作:石原隆/依田巽/中江康人●撮影:近藤龍人●音楽:細野晴臣●美術:三ツ松けいこ●衣裳デザイン:黒澤和子●時間:120分●出演:リリー・フランキー/安藤サクラ/松岡茉優/池松壮亮/城桧吏/佐々木みゆ/高良健吾/池脇千鶴/樹木希林/緒形直人/森口瑤子/山田裕貴/片山萌美/柄本明/笠井信輔(ニュースキャスター)/三上真奈(ニュースキャスター)●公開:2018/06●配給:ギャガ(評価:★★★★☆)

柄本明(柴田家の近隣の駄菓子屋の店主・山戸頼次)/池脇千鶴(治と信代の取り調べを担当する警察官・宮部希衣)

細野晴臣「日本アカデミー賞」最優秀音楽賞

「のぼうの城」●制作年:2012年●監督:犬童一心/樋口真嗣●製作:久保田修●脚本:和田竜●撮影:瀧本幹也●音楽:松本淳一/森敬/松原毅●時間:145分●出演:野村萬斎/榮倉奈々/成宮寛貴/佐藤浩市/山口智充/上地雄輔/前田吟/中尾明慶/尾野真千子/ピエール瀧/前田吟/山田孝之/平岳大/市村正親/西村雅彦/鈴木保奈美/平泉成/夏八木勲●公開:2012/11●配給:東宝●最初に観た場所:三軒茶屋シネマ(14-07-20)(評価:★★★★)●併映:「そして父になる」(是枝裕和)
前田吟(下忍村のたへえ)/中尾明慶(たへえの娘婿・ちよの夫・かぞう)/尾野真千子(たへえの娘・かぞうの妻・ちよ)





「
配給のパンにありつけず、とぼとぼと歩いていたキートン。道端に落ちてた蹄鉄を投げると警官を直撃し、警官に追いかけられるハメに。何とか逃げ切ったとき、ふと警察署の中を鉄格子越しに覗くと、凶悪犯が顔写真の撮影をしようとしているところだった。そこでキートンは、凶悪犯に一杯食わされ、キートンの写真が凶悪犯として撮影されてしまう。その後、凶悪犯は脱走し、キートンの写真が脱走中の凶悪犯として公開される―。(「キートンの強盗騒動」)
冒頭、パンの配給の列に割り込もうとしたキートンが、注意され列の一番後ろに回ったところ、テーラーのマネキンの後ろに並んでしまうというコミカルな設定から始まって、以降、ギャグがテンポ良く展開され、小刻みなギャグやアクションが間断なく続いて、終盤のキートンを追いかける警官とのエレベータでの追いかけっこまで、一気に見せます。
しかも、キートンが恋心を抱き家に招かれた女性の父親が実はその警官だったという、こうしたシチューションは、後の「
金持ち令嬢を好きになったキートンは、彼女に"立派な事業家になったら結婚してあげる"と言われ追い返される。フラフラと町に出た彼は、タクシーを拾おうとする紳士の落とした財布を拾って彼に返そうとするが、渡し損ねて中身だけ貰ってしまう。その大金に目をつけた詐欺師が、引っ越しで今から運ばれようという家具を、持ち主のいない隙に彼に泣きついて無理矢理買わせる。キートンは近くの洋服露地商の値札を、その前に停めてあった馬車の値段と勘違いして僅か5ドルで手に入れ、家具を満載して出発。やがて、馬車は警官の大パレードに突入。折悪しく、その荷台の上で過激派の爆弾が炸裂したため、キートンは何百という警官に追われるハメになる―(「キートンの警官騒動」)。
「キートンの警官騒動」は1922年3月の本国公開作品で、キートン・プロダクションのキートン監督・出演作の【第12作】。日本では、'73年6月に「
無実の男が警官に追われるという設定は「強盗騒動」と重なりますが、こちらは、アーバックルの事件後の作品であり、ラストが、キートンが逃げるのを諦め、自ら無実の罪で捕まるというコメディらしからぬ終わり方になっていて、エンディングには墓石のようなものが映っていることからも(そこに"THE END"と刻まれ、キートン帽が置かれている)、事件への批判が込められているとみてよいかと思います。
前半から中盤にかけては馬車に乗って手信号に噛みつく犬をボクシング・グローブで撃退したり、横着してマジック・ハンドで合図していたら、交通整理の巡査を殴り倒していたりという細かいギャグの連続。それが馬車が警官の大パレードに突入してからは、これでもかこれでもかというくらいの数の警官がキートンただ一人を追いかけ、これはこれで、後の「キートンのセブン・チャンス(栃面棒)」の、キートンが女性の大群に街中を追い掛け回される設定を想起させます。
キートンは1920年から23年にかけて自らのプロダクションで20本近い短編を撮っていますが、その中でこの2本は「
「キートンの強盗騒動(悪太郎)」●原題:THE GOAT●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/マル・セント・クレア●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:23分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス/エドワード・F・クライン/マル・セント・クレア●日本公開:1977/04(リバイバル)●配給:フランス映画社●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)(評価:★★★★)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの船出(漂流)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」
「キートンの警官騒動」●原題:COPS●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:20分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス/エドワード・F・クライン●日本公開:1973/06(リバイバル)●配給:フランス映画社●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)(評価:★★★★)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの船出(漂流)」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」

ジェフリー・ヘイウッド(レジナルド・デニー)はヴァージニア(サリー・アイラース)と結婚したいと望んでいるが、ヴァージニアは姉アンジェリカ(ドロシー・クリスティー)が結婚しない限り、自分も結婚ができないと言い、そのアンジェリカは男をえり好んでばっかりで、なかなか結婚しそうにない。思ったようにことが進まないジェフリーだったが、ある日、電柱に広告を貼る仕事をしていたレギー(バスター・キートン)を車で撥ねてしまい、彼がアンジェリカの家で治療を受けることになったのをきっかけに、レギーを希代のプレイボーイであるかのように見せかけて彼とアンジェリカを結婚させるべく画策、しかし、実際のレギーのあまりの押しの弱さにイライラして、女性記者ポリー(シャーロット・グリーンウッド)を買収して回復したレギーと某ホテルに止まらせ故意にアンジェリカの目にかからせる作戦を練る―。
バスター・キートン主演の1931年2月本国公開作品で、キートンがMGMに移籍してからの第7作目、トーキーとしては「キートンのエキストラ」('30年3月公開)、「キートンの決死隊」('30年8月公開)に続く3作目で、日本公開は'31年7月。オリジナルはブロードウェイのコメディ劇だそうですが、確かに脚本は凝っているけれども、それがキートン作品として面白くなっているかというと全然そうなっていないという印象です。
ある種、群像劇という感じで、舞台出身のシャーロット・グリーンウッド演じる、恋の手ほどき役として送り込まれたでジャジャ馬の大女ポリーなど、かなりエキセントリックなキャラクターの中で、キートン演じる主人公であるはずのレギーは殆ど受身的に動くばかりであり、時折見せる"懐かしのギャグ"のようなものが、却って侘しく感じられます。
この後のMGMでのキートン主演作は、「キートンの紐育の舗道(Sidewalks of New York)」('31年) 、「キートンの決闘狂(The Passionate Plumber)」('32年)、「キートンの歌劇王(Speak Easily)」('32年)、「キートンの麦酒王(What! No beer? )」('33年)と続きますが、"キートンのトーキー作品"としてフィルム記録的な価値はあるかもしれませんが、単にコメディとして評価した場合、この辺りで観るべき作品はあまりないように思います。
「キートンの決闘狂」にも自分の発明した謎の銃の威力を決闘の場で試そうというエキセントリックな人物が出てきますが、キートン演じる主人公を差し置いておかしな人物を登場させることで、却ってキートンの魅力を後退させ、作品としてもキートンが演じる必然性があまり感じられない凡庸なものになっているという点では、この「キートンの恋愛指南番」もそれに通じる気がします。![キートンの決死隊【字幕版】 [VHS].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%B1%BA%E6%AD%BB%E9%9A%8A%E3%80%90%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88%E3%80%91%20%5BVHS%5D.jpg)

金持ちのエルマー(バスター・キートン)はメリー(サリー・アイラース)という娘を恋して言い寄るが、いつも拒まれていた。米国が欧州戦線に参加し、国民の多くが参戦熱に駆られる中、運転手が義勇兵募集に応じてしまい、エルマーは職安へ求人に訪れる。ところがそこがいつの間にか入隊申込所と変わっていて、彼は新兵訓練所に回されて種々珍事を起し、頑固一徹のプロフィー軍曹と衝突するが、メリーが軍隊に働いているの知って喜び、彼女もまた彼の一兵卒となった心意気に感じ入る。ある夜、秘かにキャンプを抜け出してメリーに会いに行くが、同じ思いのプロフィー軍曹と顔を合わせ、メリ
ーはエルマーのためを思いこんな男と会ったこともないと突っぱね、軍曹も追い返す。メリーとエルマーは同じ輸送船で出征することになり、彼女はエルマーに心情を打ち明けようとしたが機会が無く、戦線で彼が見張りに出た時に再会、彼は彼女の本心を聞かされ喜び
の余りユクレレを奏して同僚の安眠を妨げて窓から突き落とされ、農家の娘の寝室に迷い込んだため、メリーの信用を失ってしまう。沈んでいる彼を見た同僚が兵士慰安会に出演させるが、敵方戦闘機により開場は被弾、恋を失ったエルマーは戦死の覚悟で敵陣に乗り込む。敵の塹壕内に転げ込んだ時に彼の以前の使用人と再会、彼らが食料を断たれて困っているのを聞き、食料を届ける約束をして味方の陣地に引き上げるが、その際に何気なく机上にあった地図を持ち帰ったのが手柄となり、功によって休暇を貰う。彼が戦線からキャンプに戻る途中またも敵機が飛来し、逃げ惑う中でメリーを見つけ、敵陣地へまた飛びこむ。そこへ喚声が上がり2人は驚くが、終戦条約締結の知らせのとためと知れた。戦争を終えて帰国したエルマーは会社の社長として復帰、メリーは妻として彼を助けていた―。
バスター・キートン主演の1930年8月本国公開作品で、キートンがMGMに移籍してからの第5作、トーキーとしては「キートンのエキストラ」('30年3月公開)に続く2本目で、「エキストラ」と比べ製作費は半分強、しかし、利益は10倍以上だったとのことです(日本公開は'31年4月)。ただ、個人的には「エキストラ」同様にイマイチでした。
ストーリーにやや無理があるように思われ、何故キートンが入隊申込所に送り込まれてしまったのかよく解らなかったし(執事のミス?)、敵陣に行って、そこにかつての使用人がいたからといって食料を届ける約束をしてくるというのもどうか。終戦がなければ、キートンが携えてきた作戦地図を基に相手方に総攻撃をかけていたわけで...。ラストで、会社の社長として軍隊でいじめられた上官たちを従業員として使用して得意にしているキートンというのもちょっとなあ...と。
これだけストーリーを捏ね繰り回しながら、キートンらしさを発揮する場面が少ないせいか、「キートンの結婚狂」('29年)、「エキストラ」に続いて、ここでも劇中劇を"兵士慰安会"という形で入れ、女装で踊るなどしていますが、何だかわざとらしい印象を受けました(キートンは第一次大戦に従軍した際に実際こうした余興をやっていたとの説もあるが)。
キートンの同僚役のクリフ・エドワーズは、「ウクレレ・アイク」の愛称で知られた歌手兼コメディアンで、キートンとのコンビネーションは悪くはないですが、キートンをじっくり見たい自分としてはやや邪魔っ気な印象も。キートンの唄とウクレレ演奏が聴けるのは貴重ですが...(クリフ・エドワーズより上手かったといわれるウクレレを奏でつつ唄っている時のキートンは甘くてカッコ良すぎ)。
戦争もののコメディって難しいと思うなあ。失恋したエルマー(キートン)が敵地へ乗り込んでいくところなどは悲壮感の方が勝ってしまう...。加えて、エドワード・セジウィック監督作に共通して言えることですが、全体にテンポがイマイチであり、終盤でキートンがメリーと避難したところへ不発弾が落ちてきてキートンが慌てふためく場面は、最後にキートンらしさが出たという感じでしたが、それでもそこまでの流れの悪さを挽回するには至らなかったように思います。

カンザス州の田舎町に住むブランケット夫人(トリクシー・フリガンザ)は、娘のエルヴィラ(アニタ・ペイジ)が町内の美人コンテストに優勝したのを契機に、彼女を映画スターに仕立てようとマネージャーのエルマー(バスター・キートン)を連れ立ってハリウッドに乗りこむ。エルマーの不注意で、彼らはハリウッドの人気二枚目俳優のラリー(ロバート・モンゴメリー)の座席に座ってしまう。エルヴィラの美しさに心を奪われたラリーは彼女を援助することを約束するのだが、彼女に無体を働いたと
ころをエルマーが連れてきたブランケット夫人に見咎められ、母と娘の信頼を失ってしまう。エルマーは当初ラリーを良く思っていなかったが、ラリーが自分と同郷であることを知って互いに親しくなる。エルヴィラを売り込むために撮影現場に潜り込み、エキストラとして何度も失敗を繰り
返していたエルマーだったが、ひょんなことからコメディアンとしての成功の糸口を掴むことになり、コメディ・ミュージカルでエキストラに抜擢されたブランケット夫人と共演することになる。一方、将来を悲観するエルヴィラに、エルマーは自らの彼女を愛する想いを伝えようと「貴女と結婚したがっている人がいる」と示唆するが、運命の悪戯によりエルヴィラはそれがエルマーだと思い込み、二人は結ばれエルマーは失恋する―。
また、ストーリーが、"トーキーに乗り込んだ"彼を"ハリウッドに乗り込んだ"エルマーに重ねているのはいいのだけれど、ラストで映画では成功するが、恋愛の方は失恋してしまうという結末はいかがなものかと...。これまでカラッと乾いた笑いと(とりわけ恋愛において)ハッピーエンドのコメディが定番だっただけに、あまりウェットなのはこの人には似合わない気がします。
キートンは頑張っているだけなく、声も良くて台詞もメリハリがあり、トーキーの世界でも十分にイケル感じなのですが、その使われ方や脚本の方にキートンの魅力を引き出そうにも引き出せない問題があって、こうしたことがますますキートンを追い込んでいったのだろうなあと思わせるものがあり、トーキー時代に入ってからのキートンの退潮はMGMの責任だという印象を改めて抱かされました。
ミュージカル・シーンは「劇中劇」であることを利用して顔の"白塗り"を復活させたりしていますが、ギャグがキートンのギャグではなく、演出家による振付けの一部になっているという感じで、"白塗り"も「ストーン・フェイス」ではなく予め悲哀を表す眉線が入っていたりして、わざわざ白塗りにしたのに却ってキートンらしくなくなっている感じです。「道化の悲哀」というのも、キートンのそれまでの、最後振り返ってみれば実にスマートだったというスタイルとは異質であり、個人的にはイマイチの作品でした(いや、イマニかイマサンくらいか)。
「キートンのエキストラ」●原題:FREE AND EASY●制作年:1930年●制作国:アメリカ●監督:エドワード・セジウィック●脚本:ポール・ディッキー●撮影:レナード・スミス●原作:リチャード・スカイヤー●時間:92分●出演:バスター・キートン/アニタ・ペイジ/トリクシー・フリガンザ/ロバート・モンゴメリー/フレッド・ニブロ/エドガー・ダーリング/グウェン・リー/ジョン・ミルジャン/ライオネル・バリモア/ウィリアム・ヘインズ/ウィリアム・コリアー・シニア●日本公開:1930/12●配給:MGM日本支社(評価:★★)


クリーニング店の店主エルマー(バスター・キートン)は舞台女優のトリルビー(ドロシー・セバスチャン)の大ファンで、顧客から預かっているタキシードを着込んで金持ちの風采で彼女の舞台に通い詰め、仕舞には、劇団員の一人に話をつけて代役で彼女の芝居の舞台に立ち、大事な芝居をぶち壊してしまう。そんな折、トリルビーの恋人で同じ劇団の
花形男優(エドワード・アール)が別の金髪美人(レイラ・ハイアムズ)と婚約したことに憤慨した彼女は、面当てにエルマーと結婚する。しかし、エルマーが実は金持ちでないと判り、彼は離婚を言い渡される。エルマーは船でその地を去ろうとするが、彼が乗ったのは密輸船だった。脅迫されて海に飛び込んだエルマーは航行中の客船に救
われ、そこで水夫として働くことになる。この船は多数の賓客が舟遊び客として乗っていたが、その中にトリルビーと前の恋人男優もいた。突然船は出火して賓客も船員も船を捨てて逃げたが、エルマーとトリルビーは取り残される。エルマーは単身で火を消し止め、トリルビーと助けを待つが、そこへ現れたのは例の密輸船だった―。
バスター・キートン主演の1929年4月本国公開作品で、キートンがMGMに移籍してからの第2作目、最後のサイレント作品となります(日本公開は同年12月)。
前半部分はコント風で、キートンがエキストラとして上がった舞台で繰り広げるドタバタが一つのヤマでしょうか(舞台に上がる前のメーキャップを自分でやる場面のギャグがキートンらしくて可笑しい)。キートンはこの作品をトーキーでやりたかったそうですが、MGMがサイレントでの公開を決め、次回作「キートンのエキストラ」('30年)が初のトーキー作品となります。"エキストラ"ネタで次回作と被りますが、以前ほどのキレは無いにしても、こちらの"エキストラ役"の方が「エキストラ」における"エキストラ役"の彼よりもキートンらしいギャグが効いています。
後半部分、海に乗り出してからは、主人公の2人が船に
取り残されるという設定は「
「
トリルビー役のドロシー・セバスチャンは当時のキートンの愛人だったそうで、そう思って観ると何となくそんな気もしないでもなく、艶めかしく感じられる場面もあれば、ハードなアクションを容赦なく強いている場面も...。作品全体としては往年の切れ味は相当落ちていますが、恋愛の上でのハッピーエンドは定番ストーリーを維持しており、「キートンのエキストラ」などと見比べれば、キートンはやはりサイレントが似合うと思わせる最後の作品となっています。



映写技師のキートンは、探偵に憧れていて、映写時間外は館内や入り口の
掃除もやっている一方、仕事中も「探偵学」の本を読んだりしている。ある日、プレゼントを届けに行った愛する女性(キャサリン・マクガイア)の家で恋敵と張り合うことになるが、そこに女性の父親(ジョー・キートン)の懐中時計の盗難事件が発生、「探偵学」のマニュアルに沿って意気揚々と犯人捜査に乗り出すも、時計を質屋に預けた質札が自分のポケットの中から見つかり、女性の父親に家から追い出されてしまう。恋敵が怪しいと睨んだキートンは、彼を尾行するが、逆に貨物列車に閉じ込められ、何とか抜け出して貨車の屋根を走り、給水塔のノズルに掴まって降りようとするが、大量の水が放出され線路に叩きつけられる。女性は質屋に聞き込みに行き、犯人はキートンの恋敵の男で、キートンは濡れ
衣を着せられたことを突き止める。一方の仕事場の映画館に戻ったキートンは、映画上映中に居眠りを始め、その分身が憧れの銀幕の中に入っていく。映画の中の男女はキートンの恋する女性と恋敵
に変わっており、恋敵に殴られた彼は客席に飛び出し再び入り込むと、場面は変わっていて...。やがて、愛する女性の家で高級ネックレス盗難事件が発生する。彼は映画の中で"シャーロック2世"となって犯人探しを続け、窃盗団と決死の追走劇を演じる...。目醒めた彼には愛する女性にプロポーズをする勇気がなく、上映中の映画のシーンを真似て求婚すると上手くいきかけるが―。
この「キートンの探偵学入門」はキートン・プロダクションのキートン監督・出演作の【第22作】。1924年4月に本国公開され、それは丁度前
作「荒武者キートン」('23年)の半年後、次作「海底王キートン」('24年)の半年前になります。日本では同じく'24(大正15)年12月に「忍術キートン」のタイトルで公開されており(「荒武者キートン」の本邦初公開と同時期か)、このタイトルは配給元の松竹が「キネマ旬報」などに「探偵第二世」という直訳に近いタイトルで予告広告を出して邦題を一般公募したものだったようです。'73年に「キートンの探偵学入門」のタイトルでリバイバル上映されています。
席を映したままキートンが客席と映画の中を行き来するシーンは秀逸。スクリーンの場面は次々と変わり、階段を一歩踏み出した途端に足場が消えて転んだり、いきなりライオンのいるジャングルにいたり、断崖や砂漠だったり、海上の岩礁や雪の野原だったりと、シーンが変わるごとにスクリーンの中で翻弄されるキートンのアクションと映像とのマッチングが巧みです。主人公が映画の中に入っていくアイデアは、ウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」('85年/米)でのミア・ファローが映画の中に入っていく設定にヒントを与えたと言われていますが、キートンのこの作品の場合、前半分は現実の話であり、ヒロインが真相に気づいた所でキートンへの疑いは晴れていることになり、それを知らないキートンが夢の中で犯人捜しをするということになります。
この後も、キートンが敵陣に乗り込む前に窓に女性用の衣装ケースをぶら下げておいて、窓を飛び抜けると服装が女性の衣装に変わる早技や、キートンが路地に追い詰められて壁際に立った仲間が持つ鞄の中に飛び込むというシュールな脱出技など、どうやって撮ったのかと思わせるようなシーンが続きます。更に、キートンがハンドルに飛び乗った警官のバイクが警官を落として暴走、キートンは運転者がいなくなっていることに気づかずにずっとバイクのハンドルに乗っかって爆走していくという、いつもにも増して過激なアクションシーンが続きます。


ラストで、映画のシーンを真似て女性に指輪を渡し軽くキスするところまでは上手くいきますが、映画の方がエピローグで夫婦に双子が生まれ、女性が編み物をし男性が赤ん坊をあやしている場面になると、それ以上先に進むのを逡巡してしまうというのは、キートンの独身主義の表れと言うより(キートンはこの時既に「荒武者キートン」でも共演したナタリー・タルマッジと結婚している)、安定し切ってしまうことへの不安を表象しているのではないでしょうか。
キートン作品のベストテンなどで1位にくることもある作品で、「荒武者キートン」('23年/67分)、「海底王キートン」('24年/59分)より若干短く、ストーリーをシンプルにして、身近な設定ながら"夢オチ"にすることでギャグやアクションに幅を持たせているといった感じです。
は言えないかも。でも観ているうちに夢の中の出来事であるというのを忘れそうになります(と言うより、どこから夢だったか忘れそうになる)。
年:1924
年●制作国:アメリカ●監督:バスター・キートン●製作:バスター・キートン/ジョセフ・M・シェンク●脚本:クライド・ブラックマン/ジョン・ハヴェズ/ジョゼフ・ミッチェル●撮影:エルジン・レスレー●時間:50 分●出演:バスター・キートン/キャサリン・マクガイア/ジョー・キートン/ウォード・クレイン●日本公開:1924/12●配給:松竹(評価:★★★★☆)
■



石器時代、ローマ時代、現代の3つの時代で繰り広げられる、美しい娘を手に入れるまでの男の恋愛騒動&奮闘劇で、キートン・プロダクションのキートン監督・出演作の【第20作】で、キートンが監督した初長編作品(1923年9月公開、47分)ということになっていますが、長編への進出に不安のあったキートンが、従来に短編を組み合わせる形で制作し、上手くいかなかった場合はそれぞれ個別の作品として公開しようと考えていたという説もあるようです。日本公開は1925(大正14)年3月で、公開時邦題は「滑稽恋愛三代記」。'74年7月に「キートンの恋愛三代記」のタイトルで「ニュー東宝シネマ2」でリバイバル上映されました(併映短編「スケアクロウ」「マイホーム」)。
各時代それぞれシチュエーションごとに区切って、47分の間に石器時代、ローマ時代、現代の3つの時代が繰り返し出てくる展開は、キートンならではのギャグ満載で観る者を飽きさせず、しかも前半の恋占いシーンや、中盤の女性をめぐる男達の決闘シーンなど、時代ごとのモチーフを揃えているところなどから、やはり最初からから長編としての公開を意識したものと思われます(キートンの相手役のヒロインも一貫してマーガレット・リーイー(Margaret Leahy)が演じているし)。
セシル・B・デビル監督を皮肉ったものとも言われていますが、このキートンの「恋愛三代記」の中でもセットなどに最もお金をかけている場面のように思われました。D・W・グリフィス監督の「イントレランス」('16年)のパロディとも言われていますが、確かにセットは「イントレランス」と似ています(大掛かりなだけに、大観衆の迎える中でキートンがしょぼい犬ぞりで登場するギャップが非常に効果的なのだが)。
キートンは実際に映画「ベン・ハー」を参考したのでしょうか? ウィリアム・ワイラー監督、チャールトン・ヘストン主演の「ベン・ハー」('59年/米)はアカデミー賞11部門を獲得した大作として知られていますが、その前にフレッド・ニブロ監督が撮ったラモン・ノヴァロ主演のMGM映画「ベン・ハー」('26年/米)があり、ウィリアム・ワイラーはこの作品で助監督を務めています。この作品は、「民衆」役でジョン・バリモア、ジョーン・クロフォード、マリオン・デイヴィス、ダグラス・フェアバンクス、リリアン・ギッシュ、ハロルド・ロイド、メアリー・ピックフォードなど多くのスターが出演していることでも知られています。但し、これはこの「恋愛恋愛三代記」の3年後の公開作品であり、キートンが真似ようにもそれは不可能です。
品を参照した可能性はかなり高いように思います。
ローマ時代だけでなく、石
器時代も現代も手抜きしておらず、石器時代ではマンモスの代わりに本物のアフリカゾウを使い(ローマ時代のキートンが爪を磨いてあげることで喰われずに済んだライオンは明らかに着ぐるみだが)、現代ではフットボールの試合をスポーツ大好き人間のキートンらしくかなり本格的に撮影しています。石
器時代の岩から岩へ飛び移ってのアクションが、現代のビルからビルへ飛び移るアクションと重なるのも上手いし(それにしてもスゴいアクション)、ラストはどの時代のキートンも目出度くヒロインと結ばれ、石器時代では凄い数の子どもに恵まれ、ローマ時代もそこそこ、それが現代では夫婦の間にペットの犬が一匹というのが見る側の予想を覆して可笑しいです(少子化時代を予測した?)。
派手なアクションもありますが、細かいギャグや小道具も効いていたように思います。石器時代で言えば、キートンがしている"腕時計型の日時計"とか"ゴルフセット"とか。現代においては、ジョー・ロバーツ演じる恋敵(こちらも3時代を通しての)の見せる身分証(社員証)にFirst National Bank(国立一流銀行)であるのに対し、キートンのがLast National Bank(国立三流銀行)であるというのも可笑しいです。現代版
におけるキートン帽にネクタイ、ワイシャツ、チョッキ、ダブダブのズボン、ドタ靴という組み合わせは、所謂「アーバックル時代」と言われるロスコー・アーバックルとの共演時代(1917-1920)の最後の名残りかと思われますが、キートン帽など以降の作品にも暫く引き継がれていくものもあります。
石器時代にキートンがアプローチする女性の一人で岩の上に寝そべっている女性―立ち上がると実は大女だった―は、ブランシ・ペイソンという人で、ニューヨーク最初の婦人警官だったそうです。
「キートンの恋愛三代記(滑稽恋愛三代記)」●原題:THE THREE AGES●制作年:1923年●制作国:アメリカ●監督:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:バスター・キートン/ジョセフ・M・シェンク●脚本:バスター・キートン/クライド・ブラックマン/ジョゼフ・ミッチェル/ジャン・C・ハヴェズ●撮影:エルジン・レスレー/ウィリアム・C・マクガン●時間:47分●出演:バスター・キートン/ウォーレス・ビアリー/マーガレット・リーイー/ジョー・ロバーツ/ホラス・モーガン/リリアン・ローレンス●日本公開:1925/03●配給:イリス映画(評価:★★★★)
「ベン・ハー」●原題:BEN-HUR●制作年:1959年●制作国:アメリカ●監督:ウィリアム・ワイラー●製作:サム・ジンバリスト/ウィリアム・ワイラー●脚本:カール・タンバーグ/マクスウェル・アンダーソン/クリストファー・フライ/ゴア・ヴィダル/S・N・バーマン●撮影:ロバート・L・サーティーズ●音楽:ミクロス・ローザ●原作:ルー・ウォーレス●時間:212分●出演:チャールトン・ヘストン/スティーヴン・ボイド/ジャック・ホーキンス/ハイヤ・ハラ
リート/ヒュー・グリフィス/マーサ・スコット/キャシー・オドネル/フランク・スリング/サム・ジャッフェ/フィンレイ・カリー/テレンス・ロングドン/アンドレ・モレル/ジョージ・レルフ/マリ
ナ・ベルティ/ジュリアーノ・ジェンマ/クロード・ヒータ/フィンレイ・カリー●日本公開:1960/04●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:杉本保男氏邸(80-12-02)(評価:★★★★)
「ベン・ハー」●原題:BEN-HUR:A TALE OF THE CHRIST●制作年:1926年●制作国:アメリカ●監督:フレド・ニブロ●脚本:ジューン・メイシス/ケイリー・ウィルソン/ベス・メレディス●撮影:クライド・デ・ヴィナ/ ルネ・ガイサート/ パーシー・ヒルバーン/カール・ストラッス●音楽:ウィリアム・アクスト●原作:ルー・ウォーレス●時間:141分●出演:ラモン・ノヴァロ/フランシス・X・ブッシュマン/メイ・マカヴォイ/ベティ・ブロンソン/クレア・マクドウェル/キャスリーン・キー/カーメル・マイヤーズ/ナイジェル・ド・ブルリエ/ミッチェル・ルイス/レオ・ホワイト/フランク・


「ベン・ハー」●原題:BEN-HUR●制作年:1907年●制作国:アメリカ●監督:シドニー・オルコット●脚本:ジーン・ゴルチエ●原作:ルー・ウォーレス●時間:15分●出演:ハーマン・レトガー/ウィリアム・S・ハート●米国公開:1907/12●最初に観た場所:杉本保男氏邸(81-09-27)(評価:★★★☆)


(9日月曜日)...結婚式を終えた新郎(バスター・キートン)と新婦(シビル・シーリー)は、叔父から貰った新居に車で向かうが、運転していたのは新婦にフラれた男ハン
クで、彼は2人の新生活を邪魔したりする。新居の場所に着くとそこには土地しかなく、届けられた木材と工具で自分で組み立てなければならなかったのだ。(10日火曜日)...早速翌日から2人は新居の組み立て作業に入るが、ハンクの妨害により間違った手順で新居が出来上がってしまう。(11日水曜日)...平行四辺形のような奇妙な
形の新居に引っ越し業者(ジョー・ロバーツ)が運んできたピアノを入れようとするが、これがまた大騒動になる。(12日木曜日)...新郎は煙突を取り付けようとして、入浴
中の新婦がいる2階の風呂の浴槽に落ち、恥ずかしがる新婦に風呂から追い出され、出口かと思ったドアを開けて外に転落する。(13日金曜日)...2人は新居完成披露パーティに友人らを呼ぶが、雨漏りがして新郎は室内で傘をさしている。やがて雨は暴雨風となり、新居は風に煽られ土台ごと猛烈な勢いで回転しはじめる。客は帰り、2人は外で一夜を過ごす。(14日土曜日)...嵐
が去った翌朝、新居はボロボロになっていたが、そもそも家を建てる場所が間違っていたことに気づいた2人は車で新居を移動させる。その途中で線路に引っ掛かって立ち往生してしまうが、そこへ猛烈なスピードで蒸気機関車がやってくる―。
新郎が入浴中のシーンでカメラに手が覆いかぶさったりするのが遊び心を感じさせ、そこへキートンが落ちてくるという繋がりもまた良く、更に、ドアを開けたら外に転落してしてしまったキートンが、新居披露パーティに来たハンクに追いかけ回されて、そ
の経験を活かして彼を自ら外へ追いやってしまう場面は痛快(山崎バニラ氏はその活弁の中で敵役の彼をストーカーと呼んでいるが、まさにピッタリ)。その他にも、後のキートンの長編に見られるアクションの原点が幾つもここにあるという印象でした。
ラストで新居が機関車で粉砕されてしまうのは本来ならば悲しい結末ですが、「売家」の札と「組立説明書」を置いて2人でその場を去っていくシーンはカラっと乾いていて、いかにもキートンらしいです。この2人が手をつないで新たな道に向かって歩いていくエンディングは、チャップリンの「
新婦役のシビル・シーリー(Sybil Seely)は「
盗騒動(悪太郎)」「キートンの船出(漂流)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」/併映:(2回目)「キートンのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び)」「デブの自動車屋」「キートン・ライズ・アゲイン」 




旧式カメラを持って町の一角に立つ旧時代の遺物のようなカメラマンのルーク(バスター・キートン)は、ある日街で美しい娘を見初め、後をつけて行くと彼女はMGMのニュース映画部門に勤めているサリー(マーセリン・デイ)という娘だった。サリーから
成功するにはもっと良いカメラを買わねば駄目だと言われ、早速彼はカメラを買い求め、以来毎日彼女の事務所に詰め、彼女の好意により重大事件が発生する毎に密かに情報を教えられては現場へ飛んで行き撮影した。中国人街
でマフィアの抗争があった際の撮影では、ちょっとした事件から買い取ったサルの悪戯のためにフィルムを抜き取られ失敗したが、それでも彼は屈せず、モーターボート競争を撮影中に転覆事故で溺れそうになったサリーを泳いで救う。彼が薬を求めている隙に、サリーと共に海中に投げ出された彼女の彼氏が、自分
が彼女を救ったように装い彼女を連れ去る。落胆したルークはカメラマンになることを断念、自分が撮ったフィルムを投げ出して事務所を飛び出す。会社で彼のフィルムを試写したところ、中華街の抗争が映っているうえに、ボート転覆事故のサリー救出の殊勲者がバスターであることが判明、彼を呼び戻せとの上司の指示の下、サリーは命の恩人であるルークの行方を探し出す。大西洋横断飛行成功のリンドバーグ歓迎で湧く市中、ルークとサリーを祝福するが如く紙吹雪が舞う―。
バスター・キートン主演の1928 年9月本国公開作品で、彼がユナイトから古巣のMGMに戻って最初に撮った作品で監督はエドワード・セジウィック(因みに、作中で歓迎パレードの実写フィルムが用いられていると思われるリンドバーグの大西洋横断無着陸飛行の成功は1年以上前の1927年5月)。日本では翌年(昭和4年)9月に公開されました。
この頃には既にキートンも顔は白塗りではなくなっているし、ストーリーも相棒のサルがカメラを回してボート転覆事故の始終をフィルムに撮っていたというシュールな設定を除いては(どうやってサルに演技をつけた?)意外とリアルで、ドタバタ喜劇か
らラブストーリーの方へ比重を移している印象がありますが、そうしたことも含め、次第と初期のキートンらしさが失われていく過渡期的作品と言えるかもしれません。但し、この作品については「MGM移籍後で唯一の佳作」などと評されることもあり、MGM移籍当初で、まだそれだけキートンが比較的自由に撮らせてもらっている部分があり、ギャグとラブストーリーとの兼ね合いが程よく楽しめるといった感じです。
キートンの相手役のヒロインを演じるのはマーセリン・デイ(Marceline Day)で、比較的今風の美人であり、これが個人的には作品への好感度にも繋がり、恋敵役は「キートンのカレ
ッジ・ライフ」でもライバル役だったハロルド・グッドウィン(Harold Goodwin)で、これも相変わらず憎たらしいだけに、最後の逆転劇が効いています。マーセリン・デイは水着美人として売り出しただけに、キートンとデートで市民プールに行くシーンでは水着姿でスタイルの良さ披露
しています。ただ、マーセリン・デイの水着姿もさることながら、当時のニューヨーク市営プールの意外と現代のスポーツクラブ風な様子が窺えて興味深かったです(右写真はスチールで、作中ではルークがこれほど女性にモテる場面は無い)。
この物語では、ルークことキートンが街頭写真屋から報道カメラマンへの転身を図るわけですが、テレビが無い時代、今のTVニュース報道に当たるものを映画会社のニュース映画部門が担っていたわけです。しかしルークにとって動画を撮るのは初めての経験であり、二重写しをやらかした結果、戦艦がニューヨークの街を進むといったとんでもない映像が出来上がってしまったりし、挙句の果てに、中国人街でのマフィア抗争の撮影でフィルムを入れ忘れたらしく(実はサルがフィルムを抜き取っていた)、これらの失敗でルークはMGMを去ろうとするが、最後はサルが撮っていたフィルムによりボート転覆事故の事の真相が明らかになり、MGMは彼を歓迎する―。
表向きはキートンのMGM入社を祝うような結末ですが、そのMGMはキートンをクリエイターというよりは一人の役者としてしか見ていなかったため、彼の作品に及ぼす影響は大幅に制限されるようになり、キートンはこれに対し、無人のヤンキー・スタジアムでの「一人野球」とか、プールの狭い更衣室の中での太った男と揉み合いへし合いなっての「窮屈な着替え」とか、彼自身のアドリブを入れて、彼らしさを出そうと抵抗しています(この辺りがまだ"比較的自由に撮らせてもらっている部分"か)。
まだ20年代の作品なので、宙を飛ぶようなキートンの韋駄天ぶりは健在。それでも全体としてはアクションはかなり後退してい
ますが、先にも書いた通りギャグとしてもラブストーリーとしてはまあまあといったところでしょうか。むしろ、キートンの過渡期的作品であるという意味で、初期作品と見比べてみる価値はあるかもしれません。


カリフォルニアのある高校の卒業式、学業優秀で表彰を受けたロナルド(キートン)は、「スポーツの大害」と題した講演をするが、得意になってスポーツマンを罵倒した彼の話に、同級生メアリー(アン・コーンウォール)は、憤慨する。美人のメアリーにロナルドは、そして、スポーツマンのジェフ(ハロルド・グッドウィン)も密かに恋していた。メアリーとジェフは共に大学へ進学することになっている。ロナルドの家は貧しかったが、恋敵に遅れをとってはならないと、自分
で学費を稼ぐ事を条件に母を説得し、ロナルドも同じ大学に進学した。かくして、ロナルドは給仕のアルバイトをして学費を稼ぎつつ、メアリーのハートを射るため大の苦手なスポーツに挑戦する。野球、砲丸投げ、短距離走と、何をやってもまるでダメ。例えば短距離障害走であ
ればハードルを全部なぎたおしてしまうといった具合。ところが教授の計らいで、ボート大会にコックスとして出場することになってしまう。他の選手はロナルドが試合に出ては勝ち目が無いと、妨害を試みるが見事に失敗。自信なく出場したロナルドは溺れながらも機転を利かせて、チームに勝利をもたらすのだった。その時、ジェフがメアリーを一室に閉じ込め、結婚を迫っていた。メ
アリーから電話で連絡を受けたロナルドは、あらゆるスポーツの方法を駆使して、メアリーの救出に向かうのだった―。
バスター・キートンの1927 年本国公開作品(キートン・プロにおけるキートン監督・主演作の【第28作】(長編第9作)で、日本でも同年(昭和2年)9月に「キートンの大学生」のタイトルで当時の「新宿武蔵野館」「牛込館」他で封切上映されています。前作「
この作品に先行するハロルド・ロイドの「
作中のロナルドことキートンは、自ら学費を稼ぐために、黒人給仕の募集に顔を黒塗りにして応募して仕事に就きますが、その割にはあまり苦学生というイメージはなく、結構長閑なコントのような場面が続きます。一方で様々なスポーツに挑戦してこれがどれもこれもダメで、とりわけ野球のシーンが丹念に描かれていますが、実際のキートンは野球大好き・大得意人間で、このシーンでは他の出演者のプレーを指導したという、ストーリーとは真逆の裏話があるのが面白いです。
ロナルドは、結局は野球でも陸上でも芽が出ず、それがボート大会でコックスとなってやっと花開きますが、ここまでは前半のコント集のようなシーンの比重が大きくて、安心して観られるけれどそれ以上のものではない、単なるギャグ映画という印象だったでしょうか。それが、好きな彼女から、彼の恋敵の不良学生ジェフに監禁されているとの知らせを受け、現場へ駆けつけて恋敵をやっつけて彼女を救出する―そこまでの間に、猛烈なスピードで町を駆け抜け、生け垣をハードルのように飛び越え、不良学生が投げつけてきたものを野球のバッティングのように打ち返すという、これまで全くダメだったスポーツ種目が見違えるようなパフォーマンスとして織り込まれているのが上手かったと思います。
終盤の畳み掛けるアクションの連続は、これぞキートンの真骨頂といったところですが、棒高跳びの応用で彼女が監禁されている建物の2階に飛び移るシーンだけは初めて本格的にスタントを使ったそうで、そのスタントを演じたのは1924年のパリ五輪の棒高跳びの金メダリストだそうです(その他にも、前半の陸上競技シーンなど当時の一流どころのアスリートが出演しているのではないか)。
「キートンのカレッジ・ライフ(大学生)」●原題:COLLEGE●制作年:1927年●制作国:アメリカ●監督:ジェームズ・W・ホーン/バスター・キートン●製作:ジョセフ・M・スケンク●脚本:カール・ハルボウ/ブライアン・フォイ●撮影:デブロー・ジェニングス/バート・ヘインズ●時間:66 分●出演:バスター・キートン/フローレンス・ターナー/アン・コーンウォール/フローラ・ブラムリー/ハロルド・グッドウィン
/グラント・ウィザース/スニッツ・エドワーズ
/サム・クローフォード/カール・ハルボウ●日本公開:1927/09/15●配給:ユナイテッド・アーチスツ●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-21)(評価:★★★★)●併映:「キートンの大列車強盗 (将軍)」(バスター・キートン)/「キートンの線路工夫」(ジェラルド・ポタートン)