【1776】 ○ エドワード・ルケィア (田村研平:訳編) 『ハリウッド・スキャンダル―ちょっと気になる話』 (1986/10 現代教養文庫) ★★★☆ (○ フレッド・ジンネマン 「真昼の決闘」 (52年/米) (1952/09 ユナイテッド・アーチスツ日本支社=松竹) ★★★☆)

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往年の大物俳優のトリビア集。洋画ファンには気軽に楽しめる本。 

ハリウッド・スキャンダル―.jpgハリウッド・スキャンダル.jpg 『ハリウッド・スキャンダル―ちょっと気になる話 (現代教養文庫)

 プレイボーイ誌に連載されたゴシップ欄の集大成の抄訳で(原題"CELEBRITY TRIVIA:A Collection of Little‐Known Facts About Well‐Known People"、原著刊行は1980年)、ハリウッド映画のスターを中心に、映画監督や歌手などのトリビアを、編訳者が選んだもの。

 この翻訳が出て間もなくして読んだのですが、振り返ってみれば、出てくるのは大物スター、それも「超大物クラス」ではあるものの、そうドロドロした話ばかりでなくいい話もあったりして、洋画ファンには気軽に楽しめる本でした(版元が無くなっているので、新たに入手しようとすれば古書市場からになるが)。

ピーター・フォーク2.jpg 個人的に一番印象に残った話は、ピーター・フォークのエピソードで、彼は3歳の時に悪性の腫瘍のため右目を取り、代わりに義眼を入れていたのですが、12歳の時、野球の試合で二塁打を三塁打にしようと三塁にかけ込んだらアンパイアがアウトにしたので、「どこ見てんだヨォ。お前のがよっぽどこれが必要じゃねぇかァ?」と、おもむろに義眼を取り出して怒鳴ったことがある―というもの。

 気が強かったんだなあ。因みに、ベテラン性格俳優のトーマス・ミッチェルが1962年にブロードウェイの舞台で「コロンボ副隊長」を演じたのを、TV作家のリチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクがTV「刑事コロンボ」にするため、歌手のビング・クロスビーにコロンボ役の白羽を立てたもののクロスビーの都合がつかず、それでピーター・フォークにコロンボ役が廻ってきたとのこと。

Gregory Peck/Gary Cooper
グレゴリー・ペック .jpgゲイリー・クーパー .jpg この手の話は本書の中で他にも幾つか紹介されていて、グレゴリー・ペックは「真昼の決闘」の主役を降りたが、「駅馬車」(1939)の主役を降りたゲイリー・クーパーが代わりに主役をやり、アカデミー主演男優賞を獲得した―。因みに、ウィキペディアによれば製作者のスタンリー・クレイマーはこの映画を「誰も守ろうとするガッツが無かったので滅んでいった町についての話だ」と語ったといい、別の本で、ジョン・ウェインなどは同じような理由でこの作品が好きではなかったというような話を読んだことがあります(作家の村上春樹氏が『村上さんのところ』('15年/新潮社)真昼の決闘 ド.jpgで「何度も観返している映画ベスト3はなんですか?」との問いに、「ジョン・フォードの『静かなる男』と、フレッド・村上春樹 09.jpg村上さんのところs.jpgジンネマンの『真昼の決闘』です。四面楚歌みたいな状況に置かれたときに(何度かそういうことがありました)、よく観ました。見終わると、「僕もがんばらなくちゃな」という気持ちになれます。どちらもとてもよくつくられた映画です。何度観ても飽きません」と答えていた。同氏によれば、アメリカのホワイトハウスの映画室で、もっとも数多く大統領に観られた映画は「真昼の決闘」だという話を聞いたことがあるそうな)

ユル・ブリンナー.jpg 「マイ・フェア・レディ」のヒンギス教授役で知られるレック・ハリスンは、ミュージカル「王様と私」の"王様"役を断り、代わりに初舞台を飾り、大成功を収めたのが当時新人のユル・ブリンナーであるとのこと。当然のことながら、そのまま映画でも"王様"を演じたユル・ブリンナーは、アカデミー主演男優賞を受賞しています("アンナ"役のデボラ・カーもゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞)。

 ジェームズ・ディーンはテレビ出演のために映画「銀の盃」(1955)の出演を断ったが、ポール・ニューマンがその代役をやり、ポール・ニューマンのデビュー作となったとのこと(この映画は海外ではDVD化されているが、日本では現在['12年]リリースされていない)。

East of Eden .jpg ポール・ニューマンは、「エデンの東」(1955)では逆にジェット・リンク役を(これは「シェーン」のアラン・ラッドが役を降りたために空いてしまっていたのだが)ジェームズ・ディーンにもって行かれ涙をのむが、一方、「傷だらけの栄光」(1956)はジェームズ・ディーンが主役をやるはずだったのが、'55年9月に彼が自動車事故死したため、ポール・ニューマンが代わりにやることになった―。

ロバート・レッドフォード.bmp ジョン・ガ―フィールドが「欲望という名の電車」(1951)のスタンリー・コワルスキー役を断ったために、その役が廻ってきたのが明日に向かって撃て 0 1.jpgマーロン・ブランド。そのマーロン・ブランドは、「明日に向かって撃て!」(1969)でポール・ニューマンと共演するはずだったが、当時起きたキング牧師暗殺事件に衝撃を受けてその気になれず、結局代わりに大役を射止めたのがロバート・レッドフォードであるとのこと(これとは別に、ポール・ニューマンと共同で脚本を買い取ったスティーブ・マックイーンがブッチ役で、ポール・ニューマンがサンダンス役の予定だったのが、スティーブ・マックイーンが都合により出演しなくなったため、ポール・ニューマンがブッチ役に回り、当時無名のロバート・レッドフォードがサンダンス役に抜擢されたとの話もある)。

『追憶』(1973) 13.jpg卒業 [DVD] 2L.jpg そのロバート・レッドフォード主演の三大作品「スティング」「追憶」「華麗なるギャツビー」の何れも、ウォーレン・ビーティが主演を断ってロバート・レッドフォードの所に廻されたもの。

 ロバート・レッドフォード自身も、「卒業」(1967)のベンジャミン・ブラッド役を断っていて、その役はダスティン・ホフマンに廻った―(ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンでは全然雰囲気違う感じがするけれど)。

 ロバート・レッドフォードは「バージニア・ウルフなんか恐くない」(1966)のニック役、「ローズマリーの赤ちゃん」(1968)のガイ・ウッドハウス役、「ある愛の詩」(1970)のジャッカルの日 パンフ2.jpgある愛の詩 1970.jpgRosemary's Baby2.jpgオリバー・バレット役、「ジャッカルの日」(1973)のジャッカル役を降りているとのことです(「ローズマリーの赤ちゃん」はジョン・カサヴェテス、「ある愛の詩」はライアン・オニール、「ジャッカルの日」はエドワード・フォックスがそれぞれ主演することになった)。

 最終的に主役俳優が決まるまでいろいろあったんだなあと、改めて思いました。

真昼の決闘.jpg「真昼の決闘」●原題:HIGH NOON●制作年:1952年●制作国:アメリカ●監督:フレッド・ジンネマン●製作:ス真昼の決闘 DVD.jpgタンリー・クレイマー/カール・フォアマン●脚本:カール・フォアマン●撮影:フロイド・クロスビー●音楽:ディミトリ・ティオムキン●原案:ジョン・W・カニンガム●85分●出演:ゲイリー・クーパー/グレイス・ケリー/トーマス・ミッチェル/ケティ・フラド/ロイド・ブリッジス/ロン・チェイニー・ジュニア/イアン・マクドナルド/シエブ・ウーリー/リー・ヴァン・クリーフ/ロバート・ウィルク/ジャック・イーラム●日本公開:1952/09●配給:ユナイテッド・アーチスツ日本支社=松竹●最初に観た場所:池袋・文芸座ル・ピリエ(83-01-10)(評価:★★★☆)
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