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講談に施した"肉付け"がナチュラルで上手さを感じた。しっかり泣ける。


香川良介・中野かほる・阪東妻三郎
「忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜 [VHS]」
脇坂淡路守の重臣・坂谷城左衛門(志村喬)が、赤穂浪士は皆腰ぬけではないかと噂し、城
左衛門の隣人で赤穂浪人・赤垣源蔵(阪東妻三郎)の実兄・塩山伊左衛門(香川良介)も返答に窮す。実は弟の源蔵は主家の浅野家が取り潰されてから、伊左衛門の所に居候して飲んだくれてばかりいるのだった。伊左衛門の妻おまき(中野かほる)やその息子、そして下男下女たちも源蔵を蔑んでいるが、隣家の坂谷城左衛門の
娘・千鶴江(花柳小菊)だけは源蔵に惚れている。しかし、そんな千鶴江に対しても源蔵はその思いを弄ぶかのようにつれない。伊左衛門は源蔵に主君の仇討
をする気があるのかと確認、一向にその素振りを見せない源蔵に苛立ち追い出してしまう。長屋住まいとなった源蔵の所へ、源蔵に仇討をする気がないことを聞きつけた千鶴江が訪ね説得するが、源蔵は弁解するばかり。千鶴江が「近いうちに婚礼申し上げます」と言うと、「それはおめでとう」と答える
のみの源蔵。討入りの日、雪の中を饅頭笠に赤合羽姿で一升徳利をぶら下げ伊左衛門へ別れの挨拶に行く源蔵。兄は不在で、兄嫁は飲んだくれの相手をするのが嫌で仮病を使い、床に入って会わない。源蔵は仕方なく対応に出
てきた女中のおすぎ(大倉千代子)に、衣紋掛けに掛かっていた兄の羽織をそのままにしておくよう言って、その羽織に向かって盃を上げ暇乞いをする。兄・伊左衛門は帰宅後、おすぎから源蔵の様子を聞いて源蔵を気の毒がり、会わなかった妻を戒め諭す。その夜、吉良邸で目覚ましい奮戦をする源蔵。夜が明けて討入りの噂は広まり、伊左衛門は老僕の常平(磯川勝彦)にその中に弟いたときは、近所に聞こえるように弟・源蔵が居たと大声で帰って来いと言いつける。常平が行って確認すると、そこに源蔵の姿が―。
1938(昭和13年)11月公開の池田富保(1892-1968/享年76)監督作で脚本原作は滝川紅葉。原題は「赤垣源蔵」で、後に「討入り前夜」と改題(因みに、マキノ正博監督にも「赤垣源蔵徳利の別れ」('36年、主演:沢村国太郎)という作品がある)。講談などでお馴染みの「赤垣源蔵 徳利の別れ」を映画にしたものですが、講談のままだと源蔵が兄・塩山伊左衛門に別れを告げに行くところから始まってしまうため、この映画では、それまでの源蔵の酒浸りの暮らしぶりや周囲の源蔵に対する苛立ちなどを描いています。とは言え、殆どの人が「徳利の別れ」の結末(それまで全く仇討する素振りを見せなかった源蔵が、実は四十七士に名を連ねることになるという)を知った上で観る作品なのでしょう。
「赤垣源蔵徳利の別れ」(講談:若林鶴雲)
講談に"肉付け"している幾つかの要素の1つとして、源蔵が大石内蔵助の密書を持つ2人連れを敵から救う場面があり、ここで阪妻・源蔵は剣戟を見せ、その腕が全くナマっていないことを示唆しています。その他に、兄・伊左衛門が弟・源蔵との囲碁の勝負を通じて弟に仇討の意志がないを悟って苛立ち、それまで居候していた源蔵を追い出してしまうといったエピソードも加わっていますが、最も大きな改変は、源蔵のことを想う娘・千鶴江(花柳小菊)というキャラクターの創造で、源蔵も彼女を可愛く思っているのは思っているが仇討を決意しているため、敢えてつれなくするという展開。それでも、千鶴江が他家に嫁に行ったと聞いた時はちょっと寂しそうな顔を見せる源蔵。しかし、そうした源蔵の気持ちを千鶴
江は知る由もない。これが、ラストシーンで、千鶴江が、本懐を遂げ泉岳寺に向かう四十七士の隊列の中にもしやと思ったその源蔵を見つけるという場面で効いてきます。源蔵の姿をを追いかける千鶴江は、雪で思うように歩けないため下駄を脱ぎ捨てて裸足で追う―暫く千鶴江の足元だけ映して彼女の心の昂ぶりを表しているのは上手いと思いました。
花柳小菊
もう1つの見所は、源蔵が伊左衛門へ別れの挨拶に行った際に、兄は不在で姐嫁は会おうとせず、代わりに対応したおすぎ(大倉千代子)との遣り取りでしょうか。その軽妙さとその背後にある源蔵の思いとが対照を成していて、阪妻のこうしたシチュエーションでの演技は最高ですが、相手している女中おすぎ役の大倉千代子の純朴さも良かったです(池田富保監督「忠臣蔵 地の巻」(1938/03 日活京都、主演:坂東妻三郎)では、吉良方のスパイの腰元役だった)。このおすぎは講談でも"竹"という名で登場
し、源蔵が彼女に「西国のさる大名に召し抱えられた」と言伝(ことづて)するのも講談と同じです(この言葉は大石内蔵助が浅野内匠頭の妻・瑤泉院に対して「味方を欺く」ために使ったものと重なることから、源蔵自身が"内蔵助"の再現となっている)。また、源蔵が次に兄と会えるのはお盆の頃かとおすぎに言うのは、これはつまり自身が亡くなった後の"新盆"を意味しており、これは映画では定番のようです(「忠臣蔵」('58年/大映)では勝新太郎が赤垣源蔵を演じており、比べてみるのもいい)。
大倉千代子
映像化される際に、作っている側は良かれと思って改変したりオリジナル要素を加味したりするのが、観る側にとっては"夾雑物"にのように感じられ、却って感興を削ぐことになるケースが多かったりもしますが、この作品は阪妻の名演もあってそうした不自然さが無く、講談に施した"肉付け"がナチュラルで、先に述べたラストシーンも(洋画からヒントを得ているようだが)上手さを感じました。これだと、しっかり泣けます。
「赤垣源蔵」は歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」での名で、実在の志士の名は赤埴(あかばね)源蔵。普段は下戸で、仇討ちの3日前、妹婿である田村縫右衛門の屋敷を暇乞いのために訪問し、妹とその舅に対面。舅が赤穂浪士の不甲斐なさを嘆いて意見するも、仇討ちには一言も触れずに飲めない酒を飲んで辞去し、数日後に吉良邸討入りを聞いたその舅は大いに悔やんだという逸話がこの物語(講談)の元となっているとのことです(やはりちゃんと元の話があるのだなあ)。

「赤垣源蔵(忠臣蔵赤垣源蔵 討入り前夜)」●制作年:1938年●監督:池田富保●原作脚本:滝川紅葉●撮影:吉見滋男●音楽:白木義信●時間:75分●出演: 阪東妻三郎/花柳小菊/大倉千代子/香川良介/原健作/志村喬/市川百々之助/中野かほる/市川小文治/磯川勝彦/田村邦男/尾上桃華/長田仁宏●公開:1938/11●配給:日活京都(評価:★★★★)
《読書MEMO》
●島津亜矢「元禄花の兄弟 赤垣源蔵」






元禄14年、勅使饗応役に任命された赤穂藩主・浅野内匠頭(片岡千恵蔵)は、指南役の吉良上野介(山本嘉一)の度重なる嫌がらせに堪忍袋の緒が切れ、江戸城中の松の廊下で吉良に斬りつけるという刃傷沙汰に及ぶ
。内匠頭は切腹、浅野家は断絶を命じられ、大石内蔵助(阪東妻三郎)はじめ家臣たちは城を明け渡す。浪士となった彼らは、敵や世間の目を欺きながら、仇討ちの機会を窺う。遂に翌15年12月14日、吉良邸への討ち入りを決行す―。
1938年公開作。日本映画の父と謳われたマキノ省三(1878-1929/享年50)が1928年に畢生の大作として制作した「
ストーリーがオーソッドクスで、それゆえに「決定版」とか「ベストオブ忠臣蔵映画」などとも言われる作品です。特徴的なのは、ストーリーを追いながらも、名場面はあたかも歌舞伎のようにじっくり撮っている点で、配役も、主役の阪東妻三郎は大石内蔵助のみを演じていますが、同じく主役級の片岡千恵蔵が浅野内匠頭と立花左近、嵐寛寿郎が脇坂淡路守と清水一角、月形龍之介が原惣右衛門と小林平八郎というようにあとの主要な10人の俳優は一人二役であり、これも歌舞伎の手法を模しているのかもしれません。嵐寛寿郎は血で家紋を汚した吉良上野介を打ち据えた浅野家シンパの播磨龍野藩主・脇坂淡路守(嵐寛寿郎は「忠魂義烈 実録忠臣蔵」でもこの役を演じている)と二刀流の剣豪で討ち入りで亡くなった吉良家の用心棒の一人・清水一角の両方を演じ、月形龍之介に至っては討ち入った四十七士の一人(原惣右衛門)と討ち入られて奮戦しながらも亡くなった吉良家家臣の一人(小林平八郎)の両方を演じていることになります。
現在残っているプリントは、昭和31年12月12日再公開時のもので、初公開時19巻だったものが12巻となっているため、本作を「総集編」とも呼びますが、大河ドラマの年末「総集編」ほどの端折り様ではないですが、明らかにあってもよさそうな場面が無いのがやや残念。そんな中、印象に残るのは、後半「地の巻」の立花左近のエピソードでしょうか。
討ち入り決行を決意した内蔵助がいよいよ江戸へ下るとき、武器を輸送する際に関所で咎められないよう、立花左近の名を語って虎の尾を踏む思いで道中行くも、本物の立花左近がやはり品物を輸送中で、二組は東海道・鳴海宿で偶々同宿になってしまい、しかし立花左近は内蔵助たちを主君の仇討ちをせんとする赤穂浪士と察して、自分の方が偽物だと言って本物の身分証(道中手形)を偽物だからそちらで破棄してくれと言って渡すという、所謂「大石東下り」の段です。
これを阪東妻三郎の大石内蔵助と片岡千恵蔵の立花左近が差しの演技で演じていて(内蔵助の家臣らは部屋の外に密かに待機し思わぬ展開に涙を流す)、互いに貫禄充分です(片岡千恵蔵は前半の浅野内匠頭よりも後半のこの立花左近の方が似合っている)。手形を見せろと言われて阪妻・内蔵助が差し出したものは実は白紙で、これを黙認する千恵蔵・立花左近という図は、歌舞伎の「勧進帳」における武蔵坊弁慶と富樫左衛門の図と同じで、この時BGMで流れるのも「勧進帳」です。
もう1つの見せ場は、ほぼそれに続く、浅野長矩の妻・瑤泉院(星玲子)と阪妻・内蔵助の遣り取りで(所謂「南部坂雪の別れ」の段)、京都で放蕩生活をしてきた内蔵助を瑤泉院は吉良方を欺くための所為であろうと問うたのに対し、内蔵助はこれを頑なに否定し、討ち入りは諦めたと言ったため、瑤泉院が怒ってしまうというもの。内蔵助は戸田の局(沢村貞子)にある巻物を託して辞去しますが、吉良の間者である腰元(大倉千代子)がこれを盗み出し、それが見つかって取り押さえられて、取り返した巻物は戸田の局が瑤泉院に届けるが、内蔵助への怒りが収まらない瑤泉院はそれを投げつける―すると、巻物の紐がほどけて現れたのは内蔵助をはじめとする浪士たちの血判状だったというもの。叩きつけられた巻物がほどけて転がっていき、それが血判状であることが明らかになるという見せ方が旨いと思いました(このパターン、後の「忠臣蔵」映画やテレビドラマで何度も踏襲された)。
「忠臣蔵 天の巻・地の巻(総集編)」●制作年:1938年●監督:マキノ正博(天の巻)/池田富保(地の巻)●製作:根岸寛一/藤田平二●脚本:山上伊太郎(天の巻)/滝川紅葉(地の巻)●撮影:石本秀雄(天の巻)/谷本精史(地の巻)●音楽:西梧郎(天の巻)/白木義信(地の巻)●時間:102分(現存)●出演:阪東妻三郎/片岡千恵蔵/嵐寛寿郎/小林平八郎/尾上菊太郎/澤村國太郎/沢田清/河部五郎/市川百々之助/原健作/香川良介/志村喬/市川小文治/団徳麿/磯川勝彦/市川正二郎/瀬川路三郎/田村邦男/葉山富之輔/尾上桃華/尾上華丈/楠栄三郎/島田照夫/仁礼功太郎/石川秀道/藤川三之祐/久米譲/林誠之助/阪東国太郎/大崎史郎/若松文男/志茂山剛/近松龍太郎/市川猿昇/小池柳星/沢村寿三郎/轟夕起子/原駒子/大倉千代子/中野かほる/衣笠淳子/比良多恵子/香住佐代子/小松みどり/滝沢静子/小杉勇/江川宇礼雄/山本嘉一/杉狂児/滝口新太郎/高木永二/北龍二/広瀬恒美/見明凡太朗/山本礼三郎/吉谷久雄/星ひかる/吉井莞象/花柳小菊/
黒田記代/村田知栄子/星玲子/沢村貞子/近松里子/悦ちゃん/宗春太郎/市川小太夫●公開:1938/03/31●配給:日活京都(評価:★★★☆)
淡島千景・阪東妻三郎
徳川八代将軍吉宗(夏川大二郎)は、日光東照宮の改修工事を柳生藩に下命した。小藩の柳生家ではその費用に困窮したが、藩の生き字引の百余歳の一風宗匠が、柳生家では非常時のために莫大な埋蔵金があり、その在り処の地図は「こけ猿の茶壷」に納めてあると言う。その壷は、柳生家の息子・源三郎(高田浩吉)が、江戸に道場を持つ司馬一刀斎の娘・萩乃(喜多川千鶴)の許への婿入りの引出物に持って行っており、源三郎を道場に入れまいとする師範代・峰丹波(大友柳太朗)と一刀斎の後妻お蓮(村田知栄子)は、こそ泥・鼓の与吉(三井弘次)に源三郎から壷
を盗ませる。壺を盗んだ与吉は柳生の侍らに追われて、トコロテン売りの小僧ちょび安(かつら五郎)にそれを渡す。ちょび安は丹下左膳(阪東妻三郎)と櫛卷お藤(淡島千景)の夫婦に可愛がられ養子になる。その時ちょび安の持っていた壷は、長屋に住む浪人・蒲生泰軒に盗まれるが、左膳は泰軒を斬ってそれを取り戻す。更に幕府の隠密の総師・愚樂(菅井一郎)により再び盗み去られるが、盗まれた壷は偽物で、本物の壷は与吉によってお蓮の許へ運ばれていた。司馬道場へ婿入りした源三郎だが、お蓮に川船に誘い出され無理に口説かれる。源三郎が靡かないと見ると、船の底に穴をあけ船を沈められる。泳ぎが不得手の源三郎を助けるため左膳が川に跳び込むが、源三郎も左膳もこけ猿の壷もろとも水門へと流される。長屋の住人らは二人の葬式を挙げるが、実は二人は何とか生きていて壷も無事だった。そこで丹波はちょび安を誘拐し、左膳をおびき出して騙し討ちにしようとする―。
1952年公開の松田定次監督、阪東妻三郎主演作。戦前の山中貞雄監督、大河内傳次郎主演の「
残念ながら、阪東妻三郎は本作の翌年(1953年)51歳で脳内出血により急死し、阪東妻三郎の丹下左膳はこの1作のみです。逆に大河内傳次郎がマキノ雅弘監督の「丹下左膳」('53年/大映)にて55歳で左膳役に復帰し、「続・丹下左膳」('53年/大映)、「丹下左膳 こけ猿の壺」('53年/大映)まで3作を撮っているほか、この作品で悪役の峰丹波を演じた大友柳太朗が、松田定次監督「丹下左膳」('58年/東映)に主演、「丹下左膳 乾雲坤竜の巻」('62年/東映)まで5作で左膳役を演じています。

「丹下左膳」●制作年:1952年●監督:松田定次●製作:小倉浩一郎●脚本:菊島隆三/成澤昌茂●撮影:川崎新太郎●音楽:深井史郎●原作:林不忘●時間:91分(現存90分)●出演:阪東妻三郎/淡島千景/つら五郎/三井弘次/高田浩吉/加賀邦男/富本民平/藤間林太郎/海江田譲二/戸上城太郎/喜多川千鶴/村田知栄子/大友柳太朗/夏川大二郎/菅井一郎●公開:1952/08●配給:松竹(評価:★★★☆)

千代田城御蔵番詰所では、新参の旗本・神尾喬之助(阪東妻三郎)が、上司の戸部近江之介(永田光男)から新春早々陰湿なイジメを受けている。神尾が江戸小町といわれる園絵(津島恵子)を妻にしたことを、園絵に横恋慕していた戸部が妬みに思っていることに加え、神尾が御蔵番一味の不正に日頃からあれこれと意見してきたことを快く思っておらず、戸部にへつらって17 人の御蔵番同僚たちも神尾をいたぶっているのだった。我慢の限界に達した神尾は思い余って戸部を斬って出奔する。神尾は浪人となり、自分を罵倒した面々への復習を図るが、そこで神尾そっくりの喧嘩助っ人・茨右近(阪東妻三郎(二役))と妻のお紘(山田
五十鈴)に出会う。曲がったことが大嫌いな右近は神尾から事情をきき、彼が残る不正の御蔵番一味17人に天誅を加えることに大賛成、神尾の自宅から園絵を密かに連れて来てやる。神尾は次々と不正役人を倒していく。今や戦々恐々の彼等は、剣豪神保造酒(戸上城太郎)に神尾を討つことを依頼し、神保は園絵と引き換えにそれを承知する。騙されておびき出された園絵だったが、魚心堂(三島雅夫)と名乗る大岡越前守(柳永二郎)の親友に救われる。越前守は、悪役人が大かた退治され、主謀の脇坂山城守(小堀誠)も御役御免になった頃合いを見計らって、世を騒がせた神尾を召取らせ、捕らえたのは神尾ではなく右近の人違いだと断じて、江戸追放だけを申渡す―。
この'52年の阪東妻三郎版では阪妻が神尾喬之助と茨右近の一人二役ですが('36年の阪妻版も'56年の大友柳太朗も一人二役、'30年の大河内傳次郎版は大岡越前守まで大河内が演じる一人三役)、ちょっと歌舞伎調で堅め、しかもやや暗めで悪人たちの前にぬっと現れる神尾喬之助と、明るくて悪人と対峙している時でさえ笑いながら剣を振るう茨右近の、同じ浪人でありながら、片や武家的、片や庶民的な対照的なキャラクター
の使い分けが見所でしょうか。それを、映像合成で1つの画面で会話させ、剣戟をさせ、仕舞いには握手させるなどしていて、サービス満点です(因みに'56年の大友柳太朗版はもっぱらスタンドインで撮っている)。この茨右近は後に「喧嘩屋右近」としてTV時代劇のキャラクターにもなりました。
神尾と園絵(津島恵子)、右近とお紘(山田五十鈴)という取り合わせも、片や美しく貞淑な女性、片やちゃきちゃきの女性という感じで、神尾と右近のキャラの違いをより浮き立たせていて良かったです。津島恵子は同じ年に小津安二郎監督の「
魚心堂の三島雅夫(「
大河内傳次郎が演じたようですが、まあそこまでやる必要もなかったでしょう(大友柳太朗版でも大友柳太朗は神尾と右近の二役で、大岡越前守は月形龍之介。TVドラマでは、阪東妻三郎の長男・田村高廣が茨右近を、三男・田村正和が神尾喬之助を演じた「魔像・十七の首」('69年/ABC・TBS系[全9回])がある)。
このお話でちょっと気になったのが、大岡裁き
はいいとして、この裁きでは結局、神尾を「右近」にしてしまったら神尾は捕まっていないことになり、それでいいのかなあと。それは大岡越前守の責任外の問題ということでしょうか。
「魔像」●制作年:1952年●監督:大曾根辰夫●脚本:鈴木兵吾●撮影:石本秀雄●音楽:鈴木静一●原作:林不忘●時間:98分●出演:阪東妻三郎/津島恵子/山田五十鈴/柳永二郎/三島雅夫/香川良介/小林重四郎/小堀誠/永田光男/海江田譲二/田中謙三/戸上城太郎●公開:1952/05●配給:松竹(評価:★★★☆)




阪東 妻三郎
世界史上最大の帝国・元は支那・満州・朝鮮を攻略、元主・忽必烈(クビライ)はついに日本征服を企てた。文永11年秋、壱岐・對馬に上陸した元軍は九州博多に来襲するが、「神州男児」の勇戦によって撃退される。しかし、元の野望はなおも衰えず、再度大軍を送り込み、日本に降伏を迫ろうとしていた。これに対し、時の執権・北条時宗(片岡千恵蔵)は、元の使者を一人残らず斬首してしまう。弘安4年春、ついに元軍は再来した。瀬戸内海を治める武将・河野通有(阪東妻三郎)と忽那重義(嵐寛寿郎)はかねてより犬猿の仲であったが、この国難に際して共に力を合わせて元軍と闘うこととなる。元軍は壱岐・對馬を攻略するが、その勢いで攻め入った博多湾で奇跡の神風が吹き荒れ、艦隊ごと全滅する―。
1944(昭和19)年11月公開の丸根賛太郎(1914-1994/享年80)監督作。情報局国民映画で、陸軍省、海軍省などが後援していることからも窺えるように、"元寇"を素材とした完全な戦意高揚映画です(原作は菊池寛)。但し、戦意高揚と言っても、1944年と言えば日本の敗戦がほぼ決定的になった年であり、当時の国民はこの映画でどれくらい"戦意高揚"させられたのでしょうか。この映画が封切られた11月23日の翌日には、アメリカ軍のB29による東京爆撃が始まっています(12月には東京爆撃本格化のため、映画館は日没後閉鎖されることになった)。
特殊撮影は東宝特撮部(円谷英二)が担当しており(撮影は宮川一夫)、迫力ある仕上がりになっていて、ラストの大暴雨風シーンなどはなかなかの出来だと思います(「ゴジラ」('54年/東宝)ではないが、モノクロ映画であるために逆に迫力が増すということもあるかと思う)。その部分においては今観ても結構楽しめるし、当時としても興行的にはヒットしたようですが、「戦意高揚」よりも「海戦スぺクタル劇」としての方のインパクトが大きかったのではないでしょうか。

「かくて神風は吹く」●制作年:1944年●監督:丸根賛太郎●製作:大日本映画製作株式会社●企画:情報局●後援:陸軍省/海軍省●脚本:松田伊之助/館岡謙之助●撮影:宮川一夫/松井鴻●音楽:宮原偵次/深井史郎●特撮 東宝特撮部・円谷英二●原作:菊池寛●時間:94分●出演:嵐寛寿郎/阪東妻三郎/片岡千恵蔵/市川右太衛門/月形龍之介/羅門光三郎/光岡龍三郎/原健作/嵐徳三郎/四元百々生/荒木忍/常盤操子/香川良介/津島慶一郎/山口勇/多岐征二/葛木香一/井原史郎/原聖四/高山徳右衛門/嵐徳三郎/大井正夫●公開:1944/11●配給:大映京都(評価:★★★) 
「日蓮と蒙古大襲来」('58年/大映)監督:渡辺邦男、主演:長谷川一夫


1948(昭和23)年公開の伊藤大輔(1898 -1981)監督作品。原作は、実在した将棋界の奇才・阪田三吉(坂田三吉、1870 - 1946)を主人公モデルとした北条秀司の戯曲で、山根貞夫氏によれば、この映画化作品の前年に新国劇が辰巳柳太郎主演で上演して大好評を博しその年に映画化が企画されるも、当時の大映社長に将棋なんか映画になるものかと一蹴されたとのこと。当時は大映の社長が菊池寛から永田雅一に替わった頃であり、どちらの発言か分からないようですが、おそらくそう言ったのは制作に口を挟むことが多かった永田雅一の方ではないでしょうか。
伊藤大輔監督はそれでも映画化を諦めず、シナリオを9回も全面的に書き直してやっと企画は通りますが、一方で、伊藤監督自身は将棋に全く無知で駒の並べ方すら知らなかったため、勉強のため白浜の旅館で開かれていた名人戦を観戦し、そこで観戦に来ていた升田幸三(1918-1991)と知り合い、升田幸三は撮影所に来て伊藤監督に駒の並べ方から将棋の指導をし、また、映画に出てくる将棋の場面を監修しています。
貧乏長屋で草履を作るのを生業としていた坂田三吉が、将棋に没頭するあまり妻子に散々苦労をかけながらも、やがて名人にも打ち勝つ棋士となり、また人間的にも成長していく様を描いたシンプルなストーリーですが、坂田三吉を演じた阪東妻三郎(1901-1953)の活き活きとした名演技によって、骨太の感動物語となっています。阪東妻三郎の時にややオーバーアクション気味の大熱演は、「
ラストで永年の宿敵・関根八段(滝沢修が阪妻とは対照的な気品のある演技を見せる)の第十三世名人襲位披露祝賀会に三吉が重病の妻・小春を大阪に残して上京し、関根名人に手作りの草履を送ったその時、玉江から小春危篤の電話があり、電話越しで涙ながらに妻に語りかける場面は、やはり心に沁みるものがあります。
映画にもあるように、阪田三吉は、1891(明治24)年頃、後に名人となる関根金次郎と堺の料亭で初対決し惨敗、このことでプロの道を決意したとされ、1906(明治39)年の関根との対局で(関根の香落ち)、終盤三吉が千日手のルールを知らずに惜
敗したのも事実であり(但し、映画ではこの2つの出来事が1つに纏められている)、以降、打倒関根を目標として貧困などの危機を乗り越えていき、1913(大正2)年に関根に平手の対局で初勝利するというのも映画と同じ。ただ、映画によって「無法者」のイメージが定着していますが、晩年の阪田は極めて礼儀正しい人物だったとのことです。また、一番弟子の藤内金吾が面倒見のいい人物で弟子を多く育て、阪田三吉の孫弟子には内藤國雄らが、曾孫弟子には谷川浩司らがいます。
この作品が好評だったため、その後も伊藤大輔の監督で、辰巳柳太郎主演の「王将一代」('55年/新東宝)、三國連太郎主演の「王将」('62年/東映、関根名人:平幹二朗/小春:淡島千景/玉枝:三田佳子)が作られ、また堀川弘通監督、勝新太郎主演でも「王将」('62年/東映、関根八段:仲代達矢/小春:中村玉緒/玉枝:音無美紀子)が作られていますが、この「阪妻」版を超えるものではないというのが衆目の一致するところで、水戸光子、三條美紀らの演技も良かったと思います。
「王将」●制作年:1948年●監督・脚本:伊藤大輔●製作:永田雅一●撮影:石本秀雄●音楽:西梧郎●原作:北条秀
司●時間:94分●出演:阪東妻三郎/水戸光子/三條美紀/奈加テルコ/小杉勇/斎藤達雄/大友柳太郎/滝沢修/三島雅夫/香川良介/葛木香一/寺島貢/近衛敏
/上田寛/葉山富之輔/石原須磨男/島田照夫/市川左正/玉置一恵/羽白修/三浦志郎/初山たかし/宮田二郎/常盤操子/香住佐代子/小林叶江/国枝勢津子/仲上小夜子/滝のぼる/赤木春生/上野陽子●公開:1948/10●配給:大映●最初に観た場所:神保町シアター(09-04-04)(評価:★★★★) 神保町シアター 2007(平成19)年7月14日オープン



される。お町はかねてから忠治を慕い、松井の手を拒んで忠治の家に押しかけ女房に入ったが二人の間は純潔だった。農民達の糧となるべき繭買上げ助成金は代官と問屋筋の共同工作によって巻き上げられ、忠治の努力も水泡に帰す。途方にくれた農民達の窓先から天狗の面を被った男が二三枚の小判を投げ込んで歩く。忠治は全財産を農民達に分け与えるなどして尽くすが、菩提寺の和尚(小川隆)から「百姓の味方になるなら百姓になれ」と教えられる。代官・松井は配下の島村の伊三郎に命じてお町を忠治の手から取り返そうとする。忠治はお町に苦衷を打ち明け、水門を開くのと引き替えにお町を渡す
約束をし、お町は進んで代官屋敷に行く。忠治の子分・浅太郎(尾上菊五郎)はお町が変心したものと誤解し、お町を斬ろうとしてその本心を知るが、松井に斬られる。浅太郎は重傷に屈せず忠治の下に帰り、農民達の難儀を救うため天狗の面の夜盗になったことを告白。忠治一家は、代官と伊三郎の約束不履行を知り事を起こそうするが、忠治はそれを押し止め自ら代官屋敷に行って掛け合う。代官は天狗強盗の張本人として忠治を捕らえ投獄する。忠治と亡き妻との間に出来た寅次(島田照夫)という若者が水戸の農家に養われていたが、父を慕って国定村に入り忠治の身辺を見守っていた。寅次は牢獄に忍んで忠治を救おうとし、忠治の兄弟分・日光の円蔵(羅門光三郎)も来て忠治を救出、農民達のために最後の力を尽くしてくれと懇願、忠治は遂に起ち、邪魔者を蹴散らして粕川水門に駈けつける。農民もまた押し寄せ、水門を守る伊三郎等と争う。忠治は悪党等を打ち払って水門を破り、水が田を潤して農民達は歓喜する。忠治は全てをわが身一つに引き受け捕吏の手を待つべく赤城山に向かい、円蔵、お町もそれに続く。寅次も共に従いたいと乞うが、忠治は「お前は良い百姓になれ」と優しく追い返す―。
1946(昭和21)年9月公開の松田定次監督作品で、阪東妻三郎(1901-1953/享年51)は丸根賛太郎監督の「
国定忠治を主人公とした映画は戦前からかなり作られていて、主なものでは、大河内傳次郎(伊藤大輔監督「忠次旅日記」('27年/日活)、山中貞雄監督「国定忠治」('35年/日活))、片岡千恵蔵(稲垣浩監督「国定忠治」('33年/千恵蔵プロ))、月形龍之介(稲垣浩監督「國定忠治 信州子守唄」('36年/マキノトーキー製作所))がそれぞれ主演したものなどがあり、阪東妻三郎自身も戦前に国定忠治を演じています(マキノ正博監督「国定忠治」('37年/日活))。戦後もこの作品のほかに何作かあって、小沢茂弘監督、片岡千恵蔵主演のもの(「国定忠治」('58年/東映)、谷口千吉監督、三船敏郎主演のもの(「国定忠治」('58年/東映))などがあります。



東海道名代の大井川金谷の宿、酒と喧嘩では人に遅れを取ったことがないという川越人足の張子の寅八(阪東妻三郎)、彼の好敵手は馬方の頭分丑五郎(光岡龍三郎)で、場所は看板娘おとき(橘公子)のいる居酒屋と定まっていた。ある日、街道筋に悪狐が出没するという噂を確かめに行った川越人足仲間の辰(羅門光三郎)が腰を抜かせて戻り、そこで武勇自慢の寅八が勢い込んで出馬したが、ほどなくしてスヤスヤ寝ている赤ン坊を抱いて帰ってくる。寅八にとって思わぬ厄介者の赤ん坊だったが、捨てることも出来ず、意地から「育ててみせる」と言い切ってしい、それから寅八は、酒も喧嘩もすっかりやめた―。
丸根賛太郎(1914-1994/享年80)監督の戦後初監督作品で、板東妻三郎(1901-1953/享年51)の戦後第1回主演作でもあり、原作は後の衆議院議員・谷口善太郎で、脚本は監督の丸根善太郎が書いています。
人足仲間の辰を演じる羅門光三郎(作家・中島らものペンネーム由来の役者)、寅八のライバルで寅八に一目置いている馬方の頭分・丑五郎役の光岡龍三郎、質屋大黒屋の主人で阿漕だが人情もある蜂左衛門役の見明凡太朗、巡業の度に善太に力士人形を届ける力士・賀太野山役の阿部九洲男など、脇役も活き活きしています。


明治時代の九州小倉。人力車夫・富島松五郎(阪東妻三郎)は、喧嘩好きで通称「無法松」と呼ばれる荒くれ者だが、根は気のいい男。ある時、気の弱い男の子・敏雄(沢村アキオ)を助けてやったことから、その子の父である陸軍大尉・吉岡(永田靖)の家に出入りするようになるが、身分を超えて良き友人となった矢先に大尉は病死、その未亡人(園井恵子)から、幼い敏雄を男らしく育てられるか不安だと訴えられ、後見人を買って出たその日から、彼の未亡人とその息子に対する無私の献身の日々が始まる―。
小学校の運動会でも、父兄参加の徒競争ってあったんだなあ。松五郎が小倉の祇園太鼓を叩くシーンは有名ですが、久しぶりに再見して、運動会でも車夫の面目躍如だったことを思い出しました(このシーンがかなり漫画チックに撮られているのも、今思えば計算づくだったようだ)。
この物語には2つの重要な関係性があるように思え、1つは、少年の成長に影響を及ぼした父以外の男という関係性であり、もう1つは、松五郎の未亡人に対する、究極の「忍ぶ恋」であると言えるのではないかと。但し、「前者」については、大人になった少年の振り返りという視点はなく、やや弱い感じもしましたが、元々最初からこの2つの関係性を拮抗させるつもりで作られたのではなかったのかもしれません(この作品は、伊丹万作が自ら手掛けたシナリオを、病臥に伏した伊丹に代わり稲垣浩が監督した)。
と言うのは、「後者」について、制作当初は、松五郎が未亡人にその想いを打ち明けるという場面があったのが、時局柄、軍人の未亡人の恋愛は戦地の将兵の士気を削ぐと考えられ、内務省の検閲でカットされたそうで(その部分のフィルムはそのまま逸失し、スチールしか残っていない)、こうなると、「忍ぶ恋」のニュアンスはやや違ってくるように思えます。
つまり、松五郎自身は、自分の敏雄少年に対する思いやりの背後に、未亡人に対する自らの想いがあることをよく認識していたということであり、また、そうした自分を卑しいと考え、その"罪"を告白するような感じで、未亡人に想いを打ち明けたということではないかと思われます(こうなると、告白と言うより懺悔に近い)。
因みに、未亡人を演じた園井恵子(1913-1945)は、軍隊慰問公演で演劇「無法松の一生」を中国地方で巡回公演中、広島で原爆により被曝、原爆症による苦悶のうちに半月後に32歳の若さで亡くなっており(その時の様子は、新藤兼人監督のセミドキュメンタリー「さくら隊散る」('88年)に詳しく描
かれている)、また、幼少の敏雄を演じた沢村アキオは、後の長門裕之(1934-2011)であり、こちらは、つい先だって(今年['11年]5月)その訃報に触れたところです(享年77)。
「無法松の一生」●制作年:1943年●監督:稲垣浩●製作:中泉雄光●脚本:伊丹万作●撮影:宮川一夫●音楽:西梧郎●原作:岩下俊作「富島松五郎伝」●時間:89分(99分)●出演:阪東妻三郎/月形龍之介/園井恵子/沢村アキオ(長門裕之)/永田靖/川村禾門/杉狂児/山口勇/葛木香一/尾上華丈/香川良介/二葉かほる/小宮一晃/小林叶江/町田仁/荒木忍/横山文彦/戸上城太郎/水野浩/葉山富之輔/浮田勝三郎/滝沢静子/春日清/大川原左雁次/志茂山剛/小池柳星/駒井耀●公開:1943/10●配給:映画配給社(大映京都)(評価:★★★★) 