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「悲惨小説」になっているのが逆に面白いのかも。リアリズムで読者を惹きつける。



『にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)』(にごりえ・十三夜・たけくらべ・大つごもり・ゆく雲・うつせみ・われから・わかれ道)/『にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)』(カバー絵:鏑木清方「たけくらべの美登利」)/『樋口一葉 [ちくま日本文学013]』(たけくらべ・にごりえ・大つごもり・十三夜・ゆく雲・わかれ道・われから・春の日・琴の音・闇桜・あきあわせ・塵の中・他)/映画「にごりえ」淡島千景
丸山福山町の銘酒屋街にある菊の井のお力は、上客の結城朝之助に気に入られるが、それ以前に馴染みになった客・源七がいた。源七は蒲団屋を営んでいたが、お力に入れ込んだことで没落し、今は妻子共々長屋での苦しい生活を送っている。しかし、それでもお力への未練を断ち切れずにいた。ある日、朝之助が店にやって来た。お力は酒に酔って身の上話を始めるが、朝之助はお力に出世を望むなと言う。一方の源七は仕事もままならなくなり、家計は妻の内職に頼るばかりになっていた。そんな中、子どもがお力から高価な菓子を貰ったことをきっかけに、それを嘆く妻と諍いになり、ついに源七は妻子とも別れてしまう。ある日、菊乃井でお力が行方不明になり、騒ぎになっていた―。
樋口一葉が、1895(明治28)年9月、雑誌「文芸倶楽部」に発表した作品です。舞台となった丸山福山町は現・文京区白山一丁目、西片一丁目あたりで旧花街に近く、樋口一葉は「たけくらべ」の舞台となった竜泉寺町(現・台東区竜泉)を引き上げた後、1894(明治27)年から没する1896(明治29)年まで丸山福山町に居住し、「にごりえ」のほか、「大つごもり」「たけくらべ」「十三夜」等の名作を遺しています(竜泉に「一葉記念館」があるが、本郷の東大赤門の向かいにも「一葉会館」があり、ゆかりの品々が展示されている)。
『樋口一葉 [ちくま日本文学013]』(カバー絵:安良光雅)
この「にごりえ」は、今井正監督によりオムニバス映画「にごりえ」('53年/松竹)の第3話として淡島千景主演で映像化されていて、結城朝之助を山村聡、源七を宮口精二、源七の妻・お初を杉村春子が演じています(二人の息子を当時6歳の松山省二が演じている)。「文学座総出演」の映画とのことで、この第3話にはそのほかにヤクザや酔客などの役で、加藤武や小池朝雄、神山繁などがノンクレジットでちょっとだけですが出ています。
推理小説ではないので結末を明かしてしまうと、最後にお力は源七の刃によって、無理とも合意とも分からない心中の片割れとなって死ぬことにまります。結局、お力も源七のことが忘れられず、二人はどこかで会ったのではないかと思われます。ただし、その時、妻子に去られ絆(ほだ)しの無くなった源七の方はともかく、お力の方に心中する気持ちまで固まっていたかは疑問です。実際、検証ではお力は後ろ袈裟に切られており、逃げようとしたのではないかと推察されています。ただし、その前に二人が裏山で話し合っているところが人に見られていることから、事前の合意があったともとれ、結局、作者は意図的にどちらでもとれるような書き方をしたように思います。
この物語におけるお力は上客の結城朝之助の態度は微妙です。お力は菊の井のいわばナンバーワン芸妓でありながら、今の生活を虚しく感じており、自暴自棄になっているところがあります。そんなお力の前に客として朝之助という独身男性が現れ、彼に対して彼女は自分の生い立ちなどを語るまでになり(その中身は子ども時代の凄まじいまでの貧乏物語で、これは映画でも映像化されていた)、一時は朝之助に気持ちが傾いたかに思えました。でも、朝之助の方は、突き放しはしないものの、「俺の嫁になれ」などといったことを言うわけでもありません。
お力も、結局は朝之助とは一緒にはなれないと思ったのでしょうか。あるいは、彼女自身が男性に完全に所有されることを拒否しているようにもとれます。そして、さらに深い虚無感に陥ったようにも思われ、源七の方へ奔ったともとれます(源七を狂わせた罰を自ら引き受けて死んでいったとの解釈もあるようだ)。一方、源七の側にすれば、「いっそ死のう」との想いは自然なことであり、ネガティブな意味での「渡りに船」だったかもしれません。彼は一緒に死んでくれる相手としてお力のことを考えていたのではないかと思われます(山中貞雄監督の「人情紙風船」('37年/東宝映画)を思い出した)。
樋口一葉の作品はやはり悲劇が多いように思いますが、この作品は、抒情性を湛えた「たけくらべ」などと比べると、徹底した悲劇であるように思います(「たけくらべ」が一葉の作品の中でも特殊な方なのかも)。お力の死は恋人を亡くした朝之助にとっても不幸であり、源七の死は戻ってくる所を無くしたその妻にとっても不幸です(二人の子どもにとっても不幸ということになる)。
ただし、変な言い方ですが、こういう絶望的な物語(「悲惨小説」)になっているところが逆に面白いのかもしれず、一葉という人は読者心理がよく分かっていたのではないかと思います。また、お力自身の絶望感には、何か運命論的な思い込みがあるようにも思います。そうしたお力の絶望感が読む側に伝わってくる根底には、描写のリアリズムがあるのでしょう。それも読者を惹きつける要因になっていると思います。
「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジット)《大つ
ごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)
【1949年文庫化・1978年・2013年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1950年文庫化・1999年改版[岩波文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1968年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ・にごりえ』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]】




オチが面白かったです。原作を読んだ上で今井正監督の映画化作品を観ましたが、映画でも楽しめました。今井正監督はリアリズムにこだわる作風ですが、こうした話は、細部の描写がリアリであればあるほど、ラストが効いてくるように思いました。若き日の仲谷昇が、放蕩息子を好演しています(あれだけ出ているのに何とノンクレジット。'63年に、劇団の体質への不満から芥川比呂志、小池朝雄、神山繁らと文学座を脱退することになる。因みに、芥川比呂志はこの作品の第1部「
中編に見合った軽妙なオチであるし、作者はミステリ作家並みのストーリーテラーであるなあと思うのですが、一方で、このオチであるがゆえにこの掌編を人情小説の域を出ないものとして、文学作品としてとしてはあまり評価しない人もいるようです。確かにストーリー的に見ても、お峰が伯父(養父にあたる)のために金を工面することが出来たのには安堵させられますが、一時的解決にはなっていても根本的解決にはなっておらず、さらに言えば、お峰が金を結んだことで、罪人が一人誕生したとも言えます。
また、この作品を単純にコミカルなものとして捉えれば、石之助はお峰にとって救世主的な存在ということになるのかもしれませんが(実際、「山村家―富める世界への反逆者」とか「山村家の贖罪」の代行者とみる説がある)、それは偶然そういう結果になっただけで、別に石之助がお峰の側にいるわけではなく、彼はあくまでも「持てる側」にいて、その意味では「持たざる側」にいるお峰とは対峙的な存在ではないかと思います。
この辺りは研究者の間でも議論が活発なようですが、一葉が書いているうちにお峰を救わずにはおれなくなったのではないかという説もあって、これ、何だか当たっていそうですが、こうなると結局本人に聞いてみないとわからないということになるのではないでしょうか(研究者もそれは分かった上で議論しているのだと思うが)。
ット)《大つごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)


お関が夫との離縁を両親に哀願するも(DV夫か?)、父親に「子どもと別れて実家で泣き暮らすなら、夫のもとで泣き暮らすのも同じと諦めろ」と言われて(酷いこと言う父親だなあ)本当に諦めるという悲惨な話ですが、背景には嫁ぎ先と実家の経済格差があり、嫁ぎ先は裕福で、別れれば子どもの親権は経済力のある向こう側に行くし、父親からすれば息子の就職まで世話してもらっているので、こちらから離縁を申し出るなんて到底不可能だという状況のようです。左翼系映画人である今井正監督が映像化したことからも窺えるように、経済格差がモチーフの1つにあるかと思います。
「にごりえ」●制作年:1953年●監督:今井正●製作:伊藤武郎●脚本:水木洋子/井手俊郎●撮影:中尾駿一郎●音楽:團伊玖磨●原作:樋口一葉『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』●時間:130分●出演:《十三夜》田村秋子/丹阿弥谷津子/三津田健/芥川比呂志/久門祐夫(ノンクレジット)《大つごもり》久我美子/中村伸郎/竜岡晋/長岡輝子/荒木道子/仲谷昇(山村石之助(ノンクレジット))/岸田今日子(山村家次女(ノンクレジット))/北村和夫(車夫(ノンクレジット))/河原崎次郎(従弟・三之助(ノンクレジット))《にごりえ》淡島千景/杉村春子/賀原夏子/南美江/北城真記子/文野朋子/山村聰/宮口精二/十朱久雄/加藤武(ヤクザ(ノンクレジット))/加藤治子/松山省二/小池朝雄(女郎に絡む男(ノンクレジット))/神山繁 (ガラの悪い酔客(ノンクレジット))●公開:1953/11●配給:松竹(評価:★★★★)







![樋口一葉 [ちくま日本文学013] 文庫.jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E4%B8%80%E8%91%89%20%5B%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%AD%A6013%5D%20%E6%96%87%E5%BA%AB.jpg)
樋口一葉(1872-1896/24歳没)が1895(明治28)年1月から翌年1月まで「文学界」(刊行期間1893.1-1898.1)に断続的に連載た作品で、「暗夜」(1894.6-11)、「大つごもり」(1894.12)に続くものであり、文学界を主宰していた星野天知が、文学界1月号の原稿が集まらなくて一葉に作品を依頼し、一葉は書き溜めていた作品「雛鶏」を改題して発表したとのことです。翌1896(明治29)年、「文芸倶楽部」に一括掲載されると、森鷗外や幸田露伴らに着目され、鴎外の主宰する「めさまし草」誌上での鴎外、露伴、斎藤緑雨の3人による匿名合評「三人冗語」において高い評価で迎えられましたが、一葉はこの頃結核が悪化し、同年11月には死去しています。尚、再掲載時の原稿は口述して妹の邦子に書き取らせたものだそうです。
らべ』('12年/理論社)が、擬古文の雰囲気を保っていてお奨めです。映画化作品では、五所平之助監督、美空ひばり主演の「たけくらべ」('55年/新東宝) がありますが、個人的には未見です。また、山口百恵のアルバム「15才」に「たけくらべ」という曲があります。千家和也(1946-2019)作詞の歌詞の冒頭の「お歯ぐろ溝(おはぐろどぶ)に燈火(ともしび)うつる」(コレ、「たけくらべ」冒頭の表現をそのまま使っている)の"お歯ぐろ溝"とは、遊女の逃亡を防ぐために設けられた吉原遊郭を囲む溝で、今は埋められてすべて路になっていますが、石垣の跡がちょっとだけ残っています。
お歯ぐろ溝の石垣跡
【1949年文庫化・1978年・2013年改版[新潮文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1950年文庫化・1999年改版[岩波文庫(『にごりえ・たけくらべ』)]/1954年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ―他二篇』)]/1967年再文庫化[旺文社文庫(『たけくらべ』)]/1968年再文庫化[角川文庫(『たけくらべ・にごりえ』)]/1992年再文庫化・2008年改版[ちくま文庫(『ちくま日本文学013 樋口一葉』)]/1993年文庫化[集英社文庫(『たけくらべ』)]】
他にも、一葉の周辺に主要人物が登場する度にその時の年齢が示されていて、「文学界」に書いて欲しいと平田禿木が一葉を勧誘したとき彼は20歳、「たけくらべ」が世に出て森鷗外や幸田露伴といった文壇の"重鎮"がそれを高く評価しますが、彼らにしてもその時はそれぞれ34歳と29歳、一葉文学の本質を「熱い涙のあとの冷笑」と見抜いた斎藤緑雨も当時29歳といったように、一葉だけでなく、その周辺の人たちも若かったのだなあと思いました。
彼女をある意味最もバックアップしたのは、生前の彼女に対し厳しくその作品を批評した斎藤緑雨で、彼女の死後、全集の編集役として渾身の力を注いでいます(森氏は、一葉が結核で倒れなかったら、2人は一緒になってもおかしくなかった、と書いている)。
小学校を中退し、私塾で学んで、高等女学校卒の才媛作家たちを凌駕した一葉は、塾から出たスーパースターのような感じですが(森氏の本には、当時、公的教育より私塾の方がレベル高かったとある)、関氏が言うように、高等女学校に行っていたら逆に平凡な作家で終わっていたかも。
樋口一葉 (1872-1896/享年24)
一方で、半井桃水に対する女性らしい思慕が、桃水と会う際の浮き足立った様子などからよく伝わってくる。