【2322】 ○ 笠 智衆 『大船日記―小津安二郎先生の思い出』 (1991/06 扶桑社) 《小津安二郎先生の思い出 (2007/05 朝日文庫)》 ★★★★

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小津の映画に対する姿勢や、小津を師と仰いだ笠智衆の気持ちが伝わって来て良かった。

大船日記4.jpg小津安二郎先生の思い出.jpg小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)

大船日記―小津安二郎先生の思い出』 
 笠智衆(1904-1993/享年88)のことを、生涯を通じて"大根役者"だったという人もいますが、確かにそういう見方も成り立つような気もします。その"大根"を逆手に取ったのが小津安二郎監督だったのかも。"演技派"などという言葉とは縁のない、素朴で味わいのある人間像を笠智衆という役者から引き出し、世間をして彼のことを"偉大なる大根役者"と言わしめたのは、ある意味、小津の戦略が功を奏した結果であったようにも思います。

笠智衆 軽井沢.jpg 本書はその笠智衆が小津安二郎の思い出を"書き下ろし"ならぬ"語り下ろしたもので、笠智衆が亡くなる2年前に刊行され、'07年に文庫化されています。笠智衆自身によるあとがきがありますが、本が出来上がるまで1年近くかかったとありますから、編集者は粘り強く、笠智衆の後半生の住み家のあった大船に通ったことになります。

 笠智衆はそのあとがきで、自分は台詞以外のことを喋るのは不得手で、編集者は苦労したのではないかというようなことを述べていますが、一度、NHKのフィルムアーカイブか何かで笠智衆のインタビューがあったのを観た時は、本書にもある、笠智衆が小津安二郎に重用され始めた頃、松竹の城戸四郎社長に「君は小津くんに可愛がられておかしなことになってるね」と言われたのが、山田洋次監督の「家族」('70年)に出た時は、同じ城戸社長に、「良かったよ」と言われたという話(この時初めて城戸社長から褒められたとのこと)と全く同じを、映画の台詞を話すような笠智衆独特のトーンで話していました。

撮影:蛭田有一氏

 こちらが「この人、もしかして"大根"じゃないかな」と思ったりする前に、自らが、自分は演技が下手で、小津安二郎監督から最もダメを出された俳優であると言っており、そうした話が何度も出てくるので、却って愛着を持ってしまうというか...。因みに、笠智衆にとっての「憧れの一発OK組」は新劇の俳優に多かったらしく、その代表格は杉村春子だったそうです(確かに抜群に上手かったと思う)。男優では佐分利信が一番で、NGが多かったのは、佐野周二、三井弘次、佐田啓二だったけれども、何れも小津先生と親しかったから先生が言いやすかったのだろうと。それに対し、自分はそれほど先生とは親しくなかったので、単にダメだったのだろうと、とことん謙虚。ここまで謙虚だと、"大根"じゃないかと思っても貶せなくなり、その内、実は本当は"上手い"ということにるのかなと思ったりもするから不思議です。

 小津映画の撮影に纏わる話も興味深く、「若き日」('29年)では、赤倉のロケでスキー場に1週間ほど行ったが、出番が殆ど無くて、スキーだけ上手くなって帰ってきたとのこと、スキー初心者だったのが、1週間の撮影が終わって帰る頃にはスキーの腕前も上達し、山の上から駅まで滑って帰ったとのことです。

笠智衆(当時25歳) in 「学生ロマンス 若き日」('29年)
             
大人の見る繪本 生れてはみたけれど 笠智衆.jpg 「生まれてはみたけれど」('32年)にも16ミリを映写する役でちょっとだけ出ていますが、NHKで放送されたものでは、自分の出演場面に「笠智衆」と出て、却って恥ずかしかったというのが可笑しいです(実際の映画では、タイトルロールに出てくる16名の出演者名の中に笠智衆の名は無く、ノンクレジット出演だった)。

「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」('32年)
                      

父ありき%200.png 初めて主役を演じたのは「父ありき」('42年)で、笠智衆の長男・徹氏による文庫あとがきによれば、本書の中にある「私の代表作は『東京物語』です」という言葉は笠智衆の晩年の心境で、実はずーっとこの「父ありき」が好きだったようです(大部屋俳優の時期が長かっただけに、初主演作にはそれだけ思い入れがあったのかも)。

「父ありき」('42年)
                         
晩春 曾宮周吉2.jpg 小津安二郎の演出に対して「先生、それは出来ません」と答えた唯一のケースが、「晩春」('49年)のラストでの〈慟哭シーン〉だったことはよく知られていますが、主人公の笠智衆は、娘・原節子を嫁にやった日の夜、一人自宅でリンゴの皮を剥き、そこで<慟哭する>というのが小津監督の要求で、その時は、そこで<慟哭する>のは"なんぼ考えてもおかしい"と思ってそう言ったようですが、今考えるとやるべきだった、監督の言ったことはどんなことでもやるのが俳優の仕事だと言っているのが興味深いです(批評家に「眠っているみたいだ」と評されて憤りを感じたといったことも関係しているのか)。
「晩春」('49年)

秋刀魚の味 東野.jpg また、その「晩春」では、小料理屋でビールを飲むシーンで、本物のビールを飲んでしまい顔が真っ赤になって撮影が中断したというのも面白いです。それ以降、ビールを飲むシーンでは、笠智衆だけ麦茶を飲んでいるそうです(日本酒を飲むシーンは水を飲んでいたのか。本書によれば、中村伸郎が酒が好きで、そのため小津は本物の酒を用意したそうな。東野英治郎については、演技が上手いとは書いてあるが、本当に酔っぱらっていたとは書いてない。「秋刀魚の味」('62年)の笠智衆、中村伸郎、東野英治郎が一緒に酒を飲むシーンを観直してみたくなった)。

「秋刀魚の味」('62年)
    
 舞台裏の話も面白いですが、そうした話を通して、小津安二郎の映画づくりや俳優に対する姿勢が窺えるとともに、その小津を師と仰いだ笠智衆の気持ちなどが伝わって来て、なかなか良かったです。編集者の力なのか、笠智衆がそもそも語りが上手(ヘタウマ?)なのかよく判りませんが、NHK(?)の過去のインタビュー映像をちらったと観た感じでは、意外と後者のような気もします(笠智衆のインタビューは、本書の中でこの映画に出られたのも小津先生のお蔭と笠智衆が述べている、ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画「東京画(Tokyo-Ga)」('85年)の中でも観ることが出来る) 。

Wenders and Chisyu Ryu from "TOKYO-GA(東京画)"

【2007年文庫化[朝日文庫(『小津安二郎先生の思い出』』)]】

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This page contains a single entry by wada published on 2015年8月28日 23:51.

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