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自分はちょっとまだそこまで行けていないなあという感じか。

『死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー』['20年]
「3000体の死体を観察してきた解剖学者と400人以上を看取ってきた訪問診療医。死と向き合ってきた二人が、いま、遺したい「死」の講義」と帯にあります。
小堀鴎一郎医師は森鴎外の孫で、母は『森鷗外 妻への手紙』('38年/岩波新書)を編纂した小堀杏奴(アンヌ)。かつては東大病院の外科医として活躍しましたが、定年後、患者の看取りまで担う在宅医となり、今は「人生の最期をわが家で」という願いを叶えるために在宅医療に奔走されている方です。NHKスペシャルなどでその活動が紹介されたのが印象的で(個人的に強く印象に残ったのはケアを受けて亡くなった人の方だったが)、今回、養老孟司氏との「生と死をめぐる対話」であるとのことで手にしました。
第1章の「「死ぬ」とはどういうことですか?」において、死のガイドラインは必要か、在宅死は理想の死か、終末期の医療の難しさといった問題を扱っていて、この第1章がテーマ的には最も密度が濃かったように思います。
養老氏は、他の本でも述べていますが、「死は常に二人称」として存在すると。つまり、一人称の死は自分の死であり、見ることができず、三人称の死は、自分と関係ない人の死で、死体を「もの」として扱うことができるため、死が自分に影響を与えるのは二人称の死だけという考え方です。養老氏は「気がついたら死んでいた」というのが理想だとしています。
第2章が「解剖学者と外科医はどんな仕事ですか?」、第3章が 「東大医学部」ってどんなところでしたか?」というテーマで、両氏のこれまでやってきた仕事の話や、東大医学部に入るまでと入ってからの話になり、両氏のキャリアとその人となりがどう形成されたかを知るには良かったですが、「死を受け入れること」というテーマからは少し外れた印象も。
第4章「これからの日本はどうなりますか?」で、自殺、終末期医療を巡る問題に触れ、小堀氏は「命を終えるための医療」という考えを提唱しており、これは、テレビで見た氏の看取り活動と重なりました。また「老い」とはどういうことか、長生きの秘訣、健康診断は必要か(小堀氏は75歳以降は検診をやめたと)といったことに触れています。
養老氏によれば、余命宣告については、それがどんどん短くなっていて、それは、1年と言って6カ月で死んだらヤブ医者だと思われるからだそうです。
最後に82歳になった小堀氏は「死を怖れず、死にあこがれず」との考えを述べています。「それぞれに人生があって、それぞれに望む死に方があって、それが面白い」とも。また、養老氏は、「どこで死ぬか」と予め考えることで、自分は変われるとしています(別の本で、田舎で死ぬのが「土に返る」という感覚があっていいと言っていた)。
生死の境を何度も見てきた両氏だからこそ達観できているという面もあるかと思います。自分はちょっとまだそこまで行けていないなあという感じでしょうか。第2章、第3章で(両氏のことが色々わかっていいのだが)ややタイトルテーマから外れた印象もあり、評価としては△にしました。
《読書MEMO》
●目次
はじめに 養老孟司
第一章 「死ぬ」とはどういうことですか?
・在宅死が当たり前ではなくなった
・死んだら人間ではなくなるのか?
・自分の「死」について考えますか?
・インタビュー 養老孟司
第二章 解剖学者と外科医はどんな仕事ですか?
・解剖学者、外科医としてやってきたこと
・臨床医にならなかった理由
・インタビュー 小堀鷗一郎
第三章 「東大医学部」ってどんなところでしたか?
・二人が同じ「東大医学部」を目指した理由とは?
・教授選......出世競争は大変でしたか?
第四章 これからの日本はどうなりますか?
・自殺、終末期医療......死をめぐるさまざまな問題
・「老い」とはどういうことですか?
・医者の仕事って何だろう?
おわりに 小堀鷗一郎
