【3600】 ○ 原田 マハ 『たゆたえども沈まず (2017/10 幻冬舎) ★★★★

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"史実と創作とバランスの絶妙さ。スゴイ構想力・想像力だなあと。

新湯 たゆたえども沈まず.jpgたゆたえども沈まず.jpgたゆたえども沈まず』['17年]

2025.3.30 蓼科親湯温泉にて
 日本国内では、瀬戸物の包み紙程度の認識しかなかった日本の浮世絵。これが海外に持ち出された時、その画に芸術的価値を見いだしたのは、後に印象派と呼ばれる名もなき若く貧しい画家たちだった。パリ・グーピル商会で働く若き画商テオは、金を散財するくせに、書いた画を一枚も売れずにいる画家の兄フィンセントに頭を悩ませている。兄を疫病神のように嫌う一方で、彼の描く画に魅せられ、また高く評価もしていた。行き詰まりを感じている兄に、その自由な画風が若き芸術家の間で評判となっている浮世絵を見せたいがため、テオは同じパリで美術商をしている林忠正や加納重吉との交流を深めてゆく。テオから紹介されたフィンセントにただならぬ才能を感じた林は、彼が描く最高の一枚を手に入れるため、ある閃きから、アルルへの移住を薦めるが、それはゴッホ兄弟にとって悲劇の始まりだった―。

 ゴッホ兄弟とパリで活躍した日本人画商の交流の物語です(2018(平成30)年・第15回本屋大賞「本屋大賞」第5位)。自分の作風に時代が追いつかずに苦悩する画家・兄フィンセント、本当に売りたい作品を売れずに苦悩する画商・弟テオのゴッホ兄弟が苦しみながらも、己が信じる人生を歩んでいく姿が題名に重なります。パリで画商を営むアヤシこと林忠正と、その許で働くシゲこと加納重吉が彼らと出会うことで触媒効果のようなものが生まれ、それがゴッホを世に出す契機になるとともに、悲劇の始まりにもなります。

 ポール・ゴーギャン(1848-1903)をはじめ、実在した人物も多く登場し、史実と創作とバランスの絶妙さを愉しめました。主要登場人物である林忠正(1853-1906)、加納重吉、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、テオドルス・ファン・ゴッホ(1857-1891)の4人のうち、加納重吉は架空の人物で物語に進行役のような役割です。林忠正が浮世絵からヒントを得て、新しい絵画を創りつつあった印象派の画家たちと親交を結び、日本に初めて印象派の作品を紹介した人物であることは事実ですが、エドゥアール・マネ(1832-1883)などとは親しんだものの、ゴッホ兄弟と交流したという記録は無いらしいです。

 でも、同じ時期にゴッホ兄弟と林忠正がパリにいたことは事実で、そこからゴッホが浮世絵に影響を受けて新境地を切り開いていく様や、コッホ兄弟の微妙に複雑な関係を描いていく、その構想力・想像力はスゴイと思いました。文庫解説の美術史家の圀府寺司氏は、解説の冒頭で「いいなあ...話がつくれて...」と書いていますが、ミステリとしての要素は『楽園のカンヴァス』や『リボルバー』に比べて薄いですが、物語全体が事実と虚構とを織り交ぜた"ファクション"になっている作品だと思いました。

 敢えてミステリ的に史実を改変している箇所に言及するならば、この作品によれば、フィンセント・ファン・ゴッホが自らを撃ったリボルバーは、弟テオがフィンセントとの諍いがあった時のために所有していたもので(兄が何か過激な行動に出た際に、自殺を仄めかすことで抑止するため)、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていたのを、その鞄を借りることになったゴッホが偶然リボルバーの存在を知り、後で鞄だけテオに返却して、リボルバーは手元に置いていたということになります。

 通説では、リボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴァー亭」の経営者が所持した物で、それをゴッホが持ち出し、麦畑で自らを撃ち(ただし、現場を目撃した者はおらず、また、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるという主張や、子供たちとじゃれ合っていて暴発したという説もある)、数年経って農家によって偶然ゴッホが自らを撃ったとされる畑の中で発見されたとされています(口径は遺体から回収された銃弾と一致している。銃弾については当時、医師が記録に残していた。科学的な調査の結果、銃が1890年代から地中に埋まっていたことも判明している)。

 フィンセント・ファン・ゴッホが起こした「耳切り事件」や、その後も引き続いた発作の原因については、てんかん説、統合失調症説、梅毒性麻痺説、メニエール病説、アブサン中毒説など数多くの仮説がありますが(数え方により100を超えるそうだ)、個人的には、統合失調症ではないかと思います(統合失調症患者に銃を持たせることは、自殺の機会を与えるようなもの)。また、記憶や想像によって描くことができない画家であり、900点近くの油絵作品(いったい毎月何作描いたのか!)のほとんどが、静物、人物か風景であり、眼前のモデルの写生であるそうです。

 後日談として、テオの妻ヨーはテオの死後、画家ヨハン・コーヘン・ホッスハルク(1873-1912)と再婚しましたが、1914年、テオの遺骨をフランスのオーヴェール=シュル=オワーズにあるフィンセントの墓の隣に改葬し、フィンセントとテオの墓石が並ぶようにし、また夫人と息子フィンセント(義父と同じ名前)は長年かけゴッホ書簡の編纂・出版を行っています。

マーティン・スコセッシ 「夢」111.jpg黒澤 夢 01.jpg 文庫解説で圀府寺司氏が、この作品を黒澤明監督の「」('90年)の5番目のエピソードでマーティン・スコセッシ監督がファン・ゴッホ役を演じた「鴉」に絡めて論じているのが興味深かったです。
黒澤明監督「夢」寺尾聰/マーティン・スコセッシ

 読んでいて、有名な作品がタイトル名を敢えて出さず、物語の中に突然現れたり、今コッホによって描かれたばかり(或いは作成中)の作品として登場したりするので、どの作品か確認しながら読むのも愉しいと思います。

「星月夜」1889年6月/「ゴッホの寝室(第2バージョン)」1889年/「夜のカフェ」1888年9月
ゴッホ1.jpg
「ジャガイモを食べる人々」1885年/「タンギー爺さん」1887年夏・冬/「ファン・ゴッホの椅子」1888年11月/「ゴーギャンの肘掛け椅子」1888年11月
ゴッホ2.jpg

【2020年文庫化[幻冬舎文庫]】

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This page contains a single entry by wada published on 2006年7月 1日 00:08.

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