【3084】 ◎ 林 芙美子 『放浪記 (1979/10 新潮文庫)《『放浪記』 (1930/07 改造社)/『続放浪記』 (1930/10 改造社)》★★★★★

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面白かった。原石の輝き。二十歳で文章家としてはすでに出来上がっているのがスゴイ。

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『新版 放浪記』(1979/10 新潮文庫)『放浪記 (新潮文庫)』林芙美子(1903-1951/47歳没)

 林芙美子(1903-1951/47歳没)が自らの日記をもとに放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説。「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない...したがって旅が古里であった」との出だしで始まる本作は、第一次世界大戦後の暗い東京で、飢えと絶望に苦しみながらもしたたかに生き抜く「私」が主人公であり、尽くした「因島の男」との初恋に破れ、夜店商人、セルロイド女工、カフエの女給などの職を転々とするものの、ひどい貧乏にもめげず、明日への希望を失わない姿を描く―。

 最初は小説である『浮雲』に比べると散文調で、途中で詩などもあったりして読み辛い印象もありましたが、読み続けていくうちに散文であるのに文体に何かリズムのようなものが感じられて、そう苦労することなく読めるうになりました。そして面白かった。刊行当時はベストセラーとなったそうですが、あっけらかんとして貧乏にめげない主人公の姿が多くの読者をひきつけたのでしょう。個人的にも1920年代・30年代作品としてはベストにしてもいいくらいです(『浮雲』とどちらが上か迷うが、最近は雰囲気的に明るいものの方が性に合うような気がする。『浮雲』は男と女が共に堕ちていく感じだからなあ)。

放浪記 改造社版.jpg 全3部構成ですが、もともとは1930(昭和5)年7月と同年11月に『放浪記』『続放浪記』が刊行されて、これがそれぞれ第1部と第2部に該当し、第3部に相当する部分は当初は発売禁止を恐れ、戦後に『放浪記第三部』として発表されています。最終的には『放浪記』『続放浪記』『放浪記第三部』をまとめたものが『新版放浪記』となり実質上の定本となったわけです(新潮文庫版は当初タイトルに「新版」とあった)。」ただし、第1部・第2部・第3部の順に書かれたわけではなく、オリジナルから順不同で抜粋されています(そのオリジナルは逸失している)。

 オリジナルは、作者が1922(大正11)年(19歳)から1926(大正15年)(24歳)まで5年間にわたって書き溜めていた日記風の"6冊ばかりの粗末な雑記帳"であり、その中から、雑誌発表に相応しいと思ったものを長谷川時雨編集の「女人芸術」誌に1928(昭和3)年10月から連載、実質的な作家デビュー作でしたが、それが注目されて1930(昭和5)年7月改造社から単行本『放浪記』が出て、たちまち人気のベストセラーとなったため、『続放浪記』が刊行されたとのこと。従って、第1部と第2部の時期は重なっています(読んでいて、時々主人公が今どこにいるのか分からなくなることがあった)。

 林芙美子の父は行商人、母は桜島の温泉宿の娘でしたが、家出して父に連れ添って行商をしており、父が店を持ってほかの女を引き入れるようになって、母は父と別れ、母に同情を寄せていた20歳年下の番頭と結婚して、九州一帯で行商するようになったとのことです。

 フミコ8歳の時で、以後は各地の小学校を転々としますが、1916(大正5)年に尾道に定住するようになり、彼女は小学校6年に編入されるも、極端に貧しいため弁当を持っていくことがなく、昼休みは音楽室でピアノを弾いていたそうです(以上、新潮文庫の小田切秀雄の解説に拠った)。

おのみち林芙美子記念館(旧林芙美子居宅)
おのみち林芙美子記念館(旧林芙美子居宅).jpgimg1830998azikczj.jpeg でも、2年遅れの編入であったため(多分、算数の遅れのためではないか)2年遅れで小学校を卒業した後、1918(大正7)年、15歳の時、文才を認めた訓導の勧めで尾道市立高等女学校(尾道高女、現在の広島県立尾道東高等学校)へ進学、木賃宿暮らしでありながら女学校4年間(当時は四年制だった)アルバイトなどをして頑張り通して卒業したというのはたいした根性だなあと思います。また、この時に女学校の教諭も彼女の文才を育み、彼女自身も表現することの喜びを深めています。

 1922年(19歳)、女学校卒業直後、遊学中の因島出身の恋人を頼って上京し、下足番、女工、事務員・女給などで自活し、義父・実母も東京に来てからは、その露天商を手伝いますが、翌1923年、卒業した恋人は帰郷して婚約を取り消し、その年の9月には関東大震災があり、3人はしばらく尾道や四国に避難、この頃から筆名に「芙美子」を用い、つけ始めた日記が『放浪記』の原型になったとのことです。

 貧しくて、その上失恋もしてめげそうになるところ(確かに一時的に落ち込んだりはするが)、開き直って前に歩もうとする姿勢はいいなあと思います。もちろん、その根底には、他人に負けてたまるかという強い意地のようなものもあるのでしょうが、自分の心情を日記風に表現することで、自分の置かれている状況を対象化して、自己コントロールしているようにも思えました。

放浪記・浮雲.jpg 『浮雲』よりこちらの方こそ林芙美子のエッセンスかもしれません。今まで、菊田一夫脚本・森光子主演の舞台のイメージアがあって敬遠していたというか、読んだつもりになっていましたが、原作にはでんぐり返しも何も出てきません。作者は自分の10代から20代前半ぐらいまでのことを書いているであって、これも森光子のイメージにはつながりません(森光子は1961年の舞台初演の時40歳だった)。20代前半ぐらいまでのことなので、まだ有名になることもなければ、人から注目されることもありません。でも、希望を失うことはありません。有名になってから振り返って書いているのではなく、リアルタイムで書いているのがいいのだろうなあと思います。この時、まだ長編こそ書いていないものの、原石の輝きとでもいうか、文章家としては二十歳にしてすでに出来上がっていたというのがスゴイところだと思いました。

成瀬 巳喜男 (原作:林 芙美子/菊田一夫) 「放浪記」 (1962/09 東宝=宝塚映画) ★★★★
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