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死が見え隠れする短編集。全て「私小説」だとのこと。どれも印象的。


『死のある風景 (文春文庫 よ 1-25)』['92年]
『死のある風景』['89年]
吉村昭(1927-2006/79歳没)が'76(昭和51)年から'88(昭和63)年の13年間に発表した10編の短編で、単行本刊行は'89(平成元)年11月。単行本の帯に「通りすぎて行ったさまざまな人たち」とあるように、死に関する作品が集められています(作品選びをしてくれた編集者から、死に関する短編ばかりだと言われ、編集者のすすめに従って「死」という文字を入れたタイトルになったとのこと)。
「金魚」... 終戦の年3月に中学を卒業した「私」は、それまで周りの皆が出征していくのを目の当たりにしていた。若者にとって戦争とは何なのか―。兵籍に入りたくないという私の正直な気持ちが綴られている。この気持ちは、当時の多くの若者の本音だったのかもしれない。終戦の年の暮れに亡くなった父の話。戦時に、不倫の清算にため一家心中した歯科医の挿話が印象に残った。
「煤煙」... 戦後間もない東京で、物資不足の中、餓死した屍を横目に見ながら4人で汽車に乗り、秋田へ米を入手に行く。しかし、米は統制品で売買や交換は禁じられていた―。米を運べた組と、途中で没収されて運べなかった組に分かれる結末が皮肉。自分の取り分だけ確保して...。人ってそんなものか。
「初富士」... 普段正月を家で過ごす「私」は、嫂や弟夫婦と富士山近くの菩提寺に参る気になる。住職たちとつかの間の一コマ―。住職も人間なのだから、肉欲がある。そのことを小説に書いて、今は老女となった住職の妻から恨みを買う作者。作家も下手なこと書けないなあ。
「早春」... 叔母が「私」に話があるという。叔父が余命幾ばくもないという中、叔母は叔父のいる前で、叔父の女性遍歴を語り出す―。作者が父と女性のことを小説に書いたことに触発されたらしいが、甥としては居辛いなあ。末期がんと判って、そうだと悟られないためにと、見舞いに行かない口実ができたことに安堵する私。
「秋の声」... 肝機能の低下で禁酒を余儀なくされる。その「私」に馴染みの飲み屋の女主人が、子宮ガンで亡くなったと聞く―。亡くなったことを聞いて、その人物が「今度入院することになった」と言っていた時のことを思い出すというのは、自分も経験あるなあ。「通夜に行ってみようか」と一瞬思う私。
「標本」... 昭和23年に肺結核治療のため、5本の肋(あばら)骨を切除した。その骨が病院にあるという―。そう言えば作者には「透明標本」といった短編もあった。「私」と同じ頃に入院し、12本の肋骨を切除され、苦痛を伴う手術に毅然とした態度を貫いた望月久子という女性の思い出が印象的。
「油蝉」... 68歳になる従妹が亡くなった。静岡に葬式に出かける「私」。従妹の人生と次々に訪れる一族の死と向き合う―。火葬の後、焼いた骨をその日のうちに洗う習わしがある地方ってあるんだなあ。従妹の夫が、エリートサラリーマンでありながら、突然無気力になり自殺したという話が印象的。
「緑雨」... その昔、同人雑誌で一緒だったある女性の告別式に誘われた。「私」は一応了解したものの、参加するかどうか迷う―。これと同じで、人から葬式に誘われた際に迷う事ってあるなあ。大きなチャンスを掴めず自ら死んでいった女性と、今まさに愛人と会わんとしている、生きている女性との対比が印象的。
「白い壁」... 耳の病気で入院した「私」は、そこでさまざまな病と闘う人たちと出会う。元気に退院する後ろめたさと向き合うことになる―。何だか重病患者の多い耳鼻咽喉科だなあ。退院するということで張り切っていた少年の話が印象的。家族に会わせるための一時退院だったのかあ。作者の後ろめたさも分かる気がする。
「屋形船」... 誘われて花火大会を見に隅田川へ船で出た「私」。40年前の終戦直後には数多くの死体が漂い流れていた―。1988(和63)年発表作。戦争末期の悲惨な光景が蘇ってきてしまう私。終戦の年の暮れに亡くなった父。冒頭の「金魚」へと話は繋がっていく。
作者「あとがき」によれば(また、読んでいて見当のつくことであるが)、本書収録の10作品は全て「私小説」であり、戦時中のことから自身の身の回りで最近起こったことまで、ほぼ事実を描いているようです。また、そこには何らかの形で死というものが見え隠れしています。これは、作者自身が青年期に結核を患って死の淵を彷徨ったという経験が、作者の人生観や作品に大きな影響を与えているためと思われます。
因みに、吉村昭は、2006(平成18)年2月に膵臓全摘の手術を受け、同年7月30日夜、東三鷹市の自宅で療養中に、看病していた長女に「死ぬよ」と告げ、自ら点滴の管を抜き、次いで首の静脈に埋め込まれたカテーテルポートも引き抜き、数時間後の7月31日午前2時38分に死去しています(79歳だった)。自分がどういう風に死にたいか、ずっと前から考えていたのだろうなあ。
【1992年文庫化[文春文庫]】
