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主役がダメ。その勝手な演技に悩まされたマキノ省三自身も、この作品を失敗作とみなしていた。

「Talking Silents10「実録忠臣蔵」「雷電」 [DVD]」伊井蓉峰(大石内蔵助)
マキノ省三(1878-1929/50歳没)監督の1928(昭和3)年3月14日公開作。1910(明治43)年)に「忠臣蔵」を監督して以来、幾度となくリメイクし続けた同監督が、50歳を迎えるのを記念して作られたその集大成とも言われた作品
。しかし、撮影終了後の同年3月6日、京都市上京区の牧野本宅で編集中に出火して大量のネガフィルムと牧野本宅が全焼、残存部分が編集されての封切りでした(討入りの場面は、同じキャストによるマキノ雅弘監督の「間者」より挿入)。太平洋戦争の戦禍で多くの日本映画のフィルムが四散消滅する中、松田春翠(1925-1987/62歳没)が発掘し、数本のポジフィルムより編集・復元、1968(昭和43)年、マキノ省三を偲ぶ40年忌と無声映画鑑賞会の10周年記念公開用に再製作されたものです(弁士:松田春翠)。
忠臣蔵の定番の吉良上野介(市川小文治)が浅野内匠頭(諸口十九)の賄賂が少ないことに怒って、服装のことなどで何かと内匠頭をいたぶる様がじっくり描かれていて、松の廊下の刃傷沙汰まではなかなかいいのではないかと思って観
ていました。内匠頭に切腹の沙汰が下ったことを告げる早馬が赤穂城へ向かう―と、ここまでが前編なので、前の方が相当に重いとも言えます。
ところが続く後編、場面が赤穂城に切り替わり、大石内蔵之助(伊井蓉峰)が登場してからがダメで、当初、主役の大石内蔵助には實川延若や松本幸四郎をあてていたのが松竹の妨害で頓挫し、止むなく新派劇の俳優・伊井蓉峰を大石役としたそうですが、演技が時代がかっていて口をへの字に曲げるばかりの下手くそぶり。それにどう見ても大石のカリスマ性とは程遠い"悪役顔"で、「祇園一力茶屋の場」での芸妓らとの遊興シーンで、内匠頭の命日さえ忘れてその日に鍋焼きを食らう様は、本物の"バカ殿"に見えてしまいます(演技が上手いという意味でなく)。
嵐長三郎(嵐寛寿郎)(脇坂淡路守)/片岡千恵蔵(服部市郎右衛門)
本作に脇坂淡路守(内匠頭に切られた上野介にわざとぶつかって服の袖に血をつけ、「紋所を血で汚すは」と一括、扇で上野介の額を打つ)の役で出演した嵐長三郎(のちの嵐寛寿郎)は、伊井を「うぬぼれ、度がすぎてますわ。ロケで金屏風立てて小便しよるんダ、アホクサイやら腹が立つやら、指差して笑ろうたら付人に見つかって告げ口された」「ここで思い入れあって大石泣くという芝居ダ。ちっとも泣かしまへん。ああ肝芸で心で耐えているんやなと見ていると、キャメラ・パンして離れてからクククーッ、と拳を眼に持っていきよる。写ってへんがな」と酷評し、自身がマキノプロ退社を決意した理由に、伊井の尊大さとそれを許した省三らスタッフの対応にあったと語っています。因みに、この作品にお目附・服部市郎右衛門(四十七士が仇討を成就して泉岳寺行こうとした際に、両国橋で行く手を塞ぎ、行き方を示唆)役で出た片岡千恵蔵も一緒にマキノプロを退所しているので、相当ひどかったのでしょう。
伊井の勝手な演技に悩まされたマキノ省三自身もこの作品を失敗作とみなしていたらしく、牧野邸火事の際、「『忠臣蔵』は焼けて良かったと」と語ったとされています。代わって省三の妻・知世子が陣頭指揮を執り、残ったフィルムを編集させて、同月14日には公開にこぎつけたとのことです。
マキノ雅弘(大石主税)
個人的評価は映像だけだと「×」ですが、1920年代の貴重映像であることや、当時18歳のマキノ雅弘が大石主税役で出ていたりする珍しさと、松田春翠の活弁が聴けるのが救いで「△」としました。
![[実録忠臣蔵]-s.jpg](http://hurec.bz/book-movie/%5B%E5%AE%9F%E9%8C%B2%E5%BF%A0%E8%87%A3%E8%94%B5%5D-s.jpg)
「忠魂義烈 実録忠臣蔵」●制作年:1928年●製作総指揮・監督:マキノ(牧野)省三●脚本:山上伊太郎/西条照太郎●撮影:田中十三ほか●時間:80分 / 64分(再編集版)●出演:伊井蓉峰/諸口十九/市川小文治/勝見庸太郎/月形龍之介/中根龍太郎/嵐長三郎(嵐寛寿郎)/片岡千恵蔵/片岡市太郎/杉狂児/中根龍太郎 /マキノ正博/小島陽三/松本時之助/中村東之助/小岩井昇三郎/山本礼三郎/金子新/市川小莚次/松村光男/荒木忍/川田弘道/菊波正之助/秋吉薫 /中田国義/若松文男/静間静之助/梅田五郎/守本専一/大味正徳/斉藤俊平/児島武彦/大谷万六/都賀清司/松尾文人/都賀一司/津村博/尾上松緑/藤井六輔/大国一郎/マキノ正美/児島武彦/嵐冠/染井達郎/松村光男/嵐冠吉郎/原田耕造/大味正徳/柳妻麗三郎/中村東之助/松本熊夫/西郷昇/南部国男/木村猛/森清/大谷鬼若/橘正明/嵐長三郎/星月英之助/矢野武夫/市川小文治/豊島龍平/小岩井昇三郎/東郷久義/佐久間八郎/英まさる/坂本二郎/沢村錦之助/武井龍三/天野刃一/八雲燕之助/鈴木京平/市川谷五郎/川島清/藤岡正義/牧光郎/有村四郎/小金井勝/松坂進/市原義雄/マキノ登六/久賀龍三郎/潮龍二/マキノ梅太郎/大谷万六/徳川良之助/守本専/荒尾静一/高山久/嵐冠三郎/尾上延三郎/玉木悦子/花岡百合子/石川新水/マキノ智子/松浦築枝/渡辺綾子/住ノ江田鶴子/三保松子/河上君江/水谷蘭子/岡島艶子/鈴木澄子/大林梅子/五十川鈴子/都賀静子/広田昴/玉木潤一郎/大岡怪童/大国一郎●公開: 1928/03●配給:マキノキネマ(評価:★★★)


百姓・百之助(林長二郎)は、村相撲で大関を張ったこともある力自慢だが、頭の血の巡りは人よりやや劣る。蝦夷松前から江戸まで、五万二千石松前の殿様に騙されて死んだ叔母と父の仇を討ちに行く途中、女相撲の旅芸人一行と知り合い、座長のお千代(飯塚敏子)はの金さん(林長二郎、二役)に助太刀を頼んでくれる。百之助が初めて会った金さんは町の兄貴分だったが、二度目に会った際はは旗本遠山金四郎だったので、武士が嫌いな百之助は、二本棒への仇討ちに二本棒の助太刀は要らないと失望する。過去の不祥事を隠蔽しようとする松前藩は金四郎の買収が難しいとみて、百之助を亡き者にすることにし、与力や目明し、果ては賞金稼ぎの殺し屋まで差し向ける。一方の百之助も、それらから逃れながら、単独で松前の殿様への仇討ちを果たさんとする―。
1933(昭和8)年6月に前篇公開の冬島泰三(19010-1981)監督による松竹京都(下賀茂撮影所)作品で、原作は「一本刀土俵入」の原作者でもある長谷川伸(1884-1963)が1933年の2月から8月にかけて東京・大朝日新聞(夕刊)に連載した小説。「刺青判官」とは、桜吹雪の刺青でお馴染みの「遠山の金さん」こと遠山金四郎景元(1793-1855)のことであり、「長谷川一夫」(本名)を名乗る前の林長二郎が、美男の遠山の金さん(左スチール・右)と、ずんぐりむっくりでやや呆け顔の百之助(同・左)の二役を演じていますが、後者の方は美男「長谷川一夫」の定番イメージからほど遠く、しかも、百之助としての出番の方が兄貴分"遠山の金さん"や旗本"遠山金四郎"より長いため、長谷川一夫作品の中ではかなり異色の、遊び心に満ちたものになっています(百之助と遠山金四郎の会話シーンなど、二人が同時に出てくるシーンも多い)。
この作品は活弁トーキー版としてビデオ化されており、弁士は小津安二郎の初期の無声映画作品の活弁などで知られる松田春翠(1925‐1987/62歳没)です。元の作品が前篇・中篇・後編の全3篇のところを、前後編の86分に纏めていますが、そのためかテンポいい作品でありながらも筋やト書きが飛ぶところがあって、それを巧みな活弁で上手く補っています。その後2014年に中日映画社より「『毒蝮三太夫』が選ぶ昭和の大スター映画DVDシリーズ第2弾・義理と人情 股旅時代劇編」として大河内傳次郎主
演「沓掛時次郎」('29年)、片岡千恵蔵主演「番場の忠太郎 瞼の母」('31年)と共にDVD化されています(DVD版の弁士は松田春翠の弟子にあたる澤登翠(さわとみどり)氏)。
この作品は、遠山金四郎のお裁きのシーンがないのがややもの足りないでしょうか。結局、長谷川一夫は、"遠山の金さん"の時も旗本"遠山金四郎"の時も諸肌を脱いだりはしないので、ややタイトルと齟齬があるような...。但し、長谷川一夫が諸肌を脱いだポスターや上半身裸のスチールがあって、そこでは刺青もあるようなので、そうしたシーンはオリジナルを編集した時にカットされたのかもしれません(DVD版の本編の長さは93分と若干長くなっているが、刺青を見せる場面が少しだけあるらしい)。
百之助が池に落ちたシーン、黒澤明の「
「刺青判官(ほりものはんがん)」●制作年:1933年●監督:冬島泰三●脚本:木村富士夫●撮影:片岡清●原作:長谷川伸「刺青判官(ほりものはんがん)」●時間:86分(VHS)・93分(DVD)●出演:林長二郎(長谷川一夫)/飯塚敏子/井上久栄/新妻四郎/小泉嘉輔/山路義人/広田昻/中村吉松/高松錦之助/永井柳太郎/坪井哲/中村政太郎/関操/沢井三郎/小笠原章二郎/絹川京子/遠山修子/二条照子/尾上栄五郎●公開:1933/06●配給:松竹シネマ京都(評価:★★★) 
![東京の合唱(吹替・活弁版) [VHS].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%AE%E5%90%88%E5%94%B1%28%E5%90%B9%E6%9B%BF%EF%BD%A5%E6%B4%BB%E5%BC%81%E7%89%88%29%20%5BVHS%5D.jpg)


冒頭は大学の体育の授業のシーンで、体育教師(斎藤達雄)が学生を厳しく指導する様がユーモラスに描かれる。時は流れ、その学生の1人だった岡島(岡田時彦)は、今は保険会社に勤める身であり、3人の子を持つ親でもある。今日は賞与支給日。子供に自転車を買ってやる約束をしていた彼
は、クビになったベテランの先輩に同情して会社
に抗議した末に自分もクビになってしまう。再就職事情の厳しい折、職安の前で母校恩師の元体育教師に偶然出会い、勤め口を探してもらう間、恩師が退職後に始めた洋食屋を手伝うことになるのだが―。
詞があったりもします。 先輩社員の不当
解雇(勧誘したお客が保険に入った翌日に事故死し、会社が損失を被ったというのが解雇理由)に敢然と立ちあがる主人公はなかなかの正義漢。社長(谷麗光)との遣り取りはユーモラスに描かれていますが、クビになった後がたいへん。子供に約束の自転車を買ってやれず詰(なじ)られ、かっときて子供を叱ってしまうし、娘が疫痢に罹って医者代も発生し、妻の着物を売り払ったことにより妻ともぎくしゃくする―。
同日に解雇された同僚がビラ配りの仕事をしているのを見て、自分は下手に大学を出ているからそんなことは出来ないと言っているのは「大学は出たけれど」の主人公の前半部分と同じスタンス。それが、恩師の洋食屋の仕事で先ずやらされたのが店の宣伝ビラ配りで、自分でも気乗りがしなかったのに、それを奥さん(八雲恵美子(1903-1979/享年75))に見られ、肩身の狭いことはしないでと言われてプライドはずたずたに。
しかし、その奥さんも現実の厳しさを感じて店へ手伝いに。その食堂で、元教師を囲んで昔の教え子たちが集まり同窓会が行われることになり、久々に出会った同級生たちは盛り上がる。そこに元教師宛に手紙が来て、文部省から就職の斡旋があったが、仕事は栃木の女学校の英語教師であるとのこと、主人公は複雑な気持ちで同級生らと校歌を歌うが、歌っているうちに次第にその表情は晴れてくる―(これが、タイトル「合唱(コーラス)」の由縁)。
東京を離れたことのない夫婦には必ずしも満足とは言えない結末ですが、そこが小津作品らしいところ。結構、自分の都合で教え子をいい加減にこき使っていたかのように見えた元教師も、ちゃんと就職の世話をしてくれていて、師弟関係が就職が絡むのも小津作品のパターン。
総じて、小市民(サラリーマン)を小市民のまま描いた典型的作品と言えますが、主人公が東京に住むことにこだわるのには、やや違和感を覚えました(社命による転勤などは当時でもあったのでは)。東京への執着が、「東京の合唱」というタイトルにまで表れているとなると、これは小津自身のこだわりでもあるのか。
女優・岡田茉莉子の父。但し、茉莉子1歳の時、30歳の若さで亡くなっているため、娘は父を映画の中でしか知らないとのことです。

信州のとある田舎町に、旅役者・市川喜八(坂本武)の一座がやってくるが、実はこの町には、喜八の昔の女(飯田蝶子)と、2人の間にできた息子・信吉(三井秀男)がいる。喜八は自分が父とは名乗らず、毎日のように女の家を訪ねて行くが、喜八の今の世話女房(情婦)のおたか(八雲理恵子)はこのことを知って嫉妬し、当てつけに妹分の女優おとき(坪内美子)に信吉を誘惑させるよう仕向ける。ところが、おときと信吉は本当に好き合うようになってしまう―。
小津安二郎(1903-1963)監督の1934(昭和9)年の無声映画作品で、小津安二郎はこの作品で、「
まま観ても、ぐっとくる作品ではないでしょうか。
同じ坂本武の"喜八もの"と言っても、喜八が下町定住者だった「出来ごころ」に対し、こちらは旅役者であって状況設定はかなり異なっており、また、小津作品全体を通しても、こうした旅役者を扱ったものは珍しいようです("流れ者"という意味では、小津に影響を受けた山田洋次監督の「寅さんシリーズ」の原点とも言えるが)。
暗くてじめじめした話かと思ったら、ユーモラスなギャグが絡むことで救われて、喜八の情婦が妹分の女優を使って喜
八の息子を籠絡しようとするところで、いやあ今度こそホントに嫌な話になってきたなあと思ったら、予想外の展開(「蛙の子は蛙、学があっても女には手が早い」とか、深刻な場面なのに、ここでも笑わせる)、結局、この坪内美子演じる妹分女優のおときと
いうのが、一番可哀想だったなあと思いました(「寅さん」における浅丘ルリ子のリリーか)。
小津自身による原作は(ジェームス槇は小津のペンネーム)、旅まわりのサーカスの一座を舞台としたアメリカ映画「煩悩」を下敷きにし
ているそうですが、完璧に日本的な人情話に仕上がっていて、人物や部屋の調度などを映し出すローアングルのカメラも良く、親子で渓流釣りをする場面(片方は親子だとは知らないわけだが)や、飯田蝶子演じる母親が息子に屹然と事実を告げる場面など、印象に残るシーンが多くありました(学生である息子が若干老けて見えたのが難か。おときとのバランス上、敢えてそうしたのかもしれないが)。完璧な「人情話」。ストーリー、カメラ、演出のどれをとっても完成度はかなり高いように思います(親子が並んで渓流釣りをする場面は後の「
「浮草物語」●制作年:1934年●監督:小津安二郎●脚本:池田忠雄●撮影:茂原英朗●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松
田春翠●時間:85分(118分)●出演:坂本武/飯田蝶子/三井秀男/八雲理恵子/坪内美子/突貫小僧/谷麗光/西村青児/山田長正/青野清/油井宗信/平陽光/若宮満/懸秀介/青山万里子/
池部光村/笠智衆(ノンクレジット)●公開:1934/11●配給:松竹蒲田●最初に観た場所:ACTミニシアター(90-08-13)(評価:★★★★☆)●併映:「出来ごころ」(小津安二郎)

ビール工場に勤めながら小学生の息子・富夫(突貫小僧)と貧乏長屋に暮らしをする喜八(坂本武)は、寄席帰りのある日、失業して行くあてのない若い娘(伏見信子)と出会い、行きつけの食堂の女主人(飯田蝶子)に頼んで、娘に食堂での住み込みの働き口を世話する。喜八は、その娘に惚れるが、年の差を考えて口には出せず、一方、娘は喜八の隣に住むビール工場の同僚の青年(大日方傳)に気があり、しかし、青年は喜八への義理立てから娘に冷たく当たり、3人はギクシャクした関係になる―。
小津安二郎監督の1933(昭和8)年の無声映画作品で、前年の「生れてはみたけれど」で社長役をやっていた坂本武が、あたかも「寅さん」の 原点はここにあるのではないかと思わせるような、若い娘に恋慕する下町のオジさんを演じています。
話の方は、喜八は娘の想いの相手が同僚の青年と知って気落ちするが、複雑な心境ながらも娘と青年の結婚話を進めるために一肌脱ごうとし、逆に青年と意地を張り合うことに。事が旨く運ばず、ヤケ酒に浸って仕事にも行かない喜八を、息子は父の顔を何度も叩いてなじるが、そんな中その息子が病気になり、回復したものの医者代が工面できない。その窮状を知った青年が、北海道に行って"蟹工船"(開拓民船?)に乗り込み金を工面しようと考えるが、そのことを知った喜八は青年を殴り倒して、代わりに北海道行きの船に乗り込む―。
ベースは暗い話なのですが、合間々々にユーモラスな表現を織り込んで、コメディタッチにしているのは、「浮草物語」などと同じです。ただ、ラストはあまりに軽かったかなあ(手拭を頭に乗せて温泉気分?)。北海道行きの船に乗り込んだのが"出来ごころ"だったということなのでしょうが、一旦は青年を殴り倒してまでそうしたわけで、息子を想う気持ちが北海道行きをやめた理由ならば、北海道行きを決めた理由も同じだったはずで、自家撞着を生じている?
北海道行きを決めた理由は「娘に対する自分の想い」の喜八ならではの美意識の発露ともとれ、また、友情も絡んでいると思われますが、それと、息子の傍にいてやりたいという気持ちはまた別なのか、あるいは、結局は、最後のそれが一番喜八にとって大事なことだったのか。
るとのことだが)。因みに、息子の富夫という役名は突貫小僧の本名(青木富夫)から取っています。
新文芸坐で、澤登翠氏門下の片岡一郎氏の活弁で上映していましたが行けず、松田春翠の活弁付きビデオで鑑賞しました(片岡一郎氏は松田春翠の孫弟子ということになる)。娘役の伏見信子(1915- )はいかにも戦前の清楚な美人スターという感じでこの作品でその人気を不動のものとしています。また、ちょっと阿部寛に似た大日方傳(1907-1980/享年73)の一見ニヒルだが内に熱いものを秘めた青年も良かったですが、突貫小僧(青木富夫)の天才子役ぶりが発揮された作品でもあったように思いました。笠智衆が喜八と船で乗り合わせる人夫としてノンクレジットで出演しています(1933(昭和8)年度・第10回「キネマ旬報ベスト・テン」第1位作品)。 
「出来ごころ」●制作年:1933年●監督:小津安二郎●脚本:池田忠雄●撮影:杉本正二郎●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松田春翠●時間:100分●出演:坂本武/伏見信子/大日方傳/飯田蝶子/突貫小

僧/谷麗光/西村青児/加藤清一/山田長正/石山隆嗣/笠智衆(ノンクレジット)●公開:1933/09●配給:松竹蒲田●最初に観た場所:ACTミニシアター(90-08-13)(評価:★★★)●併映:「浮草物語」(小津安二郎)


良一(菅原秀雄)、啓二(突貫小僧)兄弟のサラリーマンの父(斎藤達雄)は、会社の重役・岩崎(坂本武)の家の近くに引っ越して出世のチャンスを窺うようなヒラメ男だが、兄弟の前では厳格に振舞っている。一方、兄弟は転校するなり地元の悪ガキグループと喧嘩し、憂鬱になって学校をサボるが、父にばれて大目玉を喰う。悪ガキグループと和解した兄弟は、やがてグループ内で台頭し、岩崎の息子も子分にしてしまう。ある日、「うちの父ちゃんが一番偉い」という自慢話が出るが、兄弟も自分の父親が一番偉いと信じて疑わなかった。ところが、岩崎の家で観た16ミリフィルムの中に写っていた父は、重役の前でモノマネをしてご機嫌伺いをしていた―。
タイトルからサラリーマン映画だと思われているフシもありますが(広い意味ではそうかもしれないが)、前半部分は殆ど子供たち同士の世界を描いていて、これがなかなか微笑ましく(小津安二郎(1903‐1963)って子供を撮るのがこんなに上手だったのだ)、ほのぼのとした、小津らしいゆったりとしたテンポで進みます。
それが重役宅での映写会で、映し出されたフィルム映像に父親の上司にへつらう姿を見たことを契機に、父親に幻滅した兄弟らの父親に対する抵抗が始まり、「なぜ重役は偉いのか」「父ちゃんはなぜ重役になれないのか」と父親を問い詰めますが、これには父親の方もキレて怒りを爆発させ、母親(吉川満子)は部屋に籠ってウィスキーを煽る夫を諫める―(う~ん、一気に重たいムードになるなあ)。
サラリーマンである父の会社の中での媚びへつらいは、この2つの領域の狭間でのアイデンティの分裂を示していると―(これを「映画内『映画』という手法でみせている小津の巧みさ!)。それを目の当たりに見てしまった子どもの心理的ギャップは、通常は父親の私的領域と公的領域が分離されているため見ることのなかったものが、突如として目の前に露わになったことによるものであるということでしょう。
「生まれてはみたけれど、一生押さえつけられて生きるのか」―観ている側には父親の心情もよく解るだけに、その日の夜、父親が寝ている兄弟の顔を覗き込みながら「俺のようなヤクザな会社員になんかなるなよ」と語りかける場面は泣かせますが、その気持ちは子供には伝わらず、子供達はハンガーストライキみたいなことまでして暫く抵抗を続けます。
昭和初期のサラリーマン家庭の暮らしぶりなどが窺えるのが興味深いです。"郊外"に引っ越したその"郊外"というのは、東急池上線沿線でロケをしたそうで(映画の中で何度か列車や線路が登場する)、周りに何も無くて、"郊外"と言っても、今の基準でみれば"田舎"だなあとか、上司の引っ越しに部下が駆り出されるというのは昭和の中頃まであったのではないかなあとか、いろいろ考えさせれます(自分の会社の重役に新居の入口に掲げる表札の文字を揮毫してもらうというのには、さすがに時代を感じたが)。
元々は無声映画ですが、自分が観たビデオ版は松田春翠(1925‐1987)による「活弁」付きで、お陰で無声映画を観ているという感覚がありませんでした(収録は昭和30年代か。最近では、松田春翠門下の女性活弁士・澤登翠(さわとみどり)氏が小津作品の活弁をライブでやっている)。

大人の社会と子供の世界は別であって、子供の自由な世界観が大人の不自由な世界観によって歪められてはならない―といったテーマ解説までしてしまっているものだからそれ以上突っ込みようがなく、小津の後期作品に比べて取り上げられることが少ないのかな。
「大人の繪本 生れてはみたけれど」●制作年:1932年●監督:小津安二郎●脚本:伏見晁●撮影:茂原英朗●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松田春翠●時間:90分●出演:斎藤達雄/吉川満子/菅原秀雄/突貫小僧/坂本武/早見照代/加藤清一/小藤田正一/西村青児/笠智衆(ノンクレジット)●公開:1932/06●配給:松竹蒲田(評価:★★★★)


大学卒業者の就職率が約30%という不況の底にあった昭和初期を舞台に、仕事に就けない男が奔走する様をコメディっぽく描いた小津
安二郎監督の1929(昭和4)年の無声映画作品。原作は、小津安二郎と親交の深かった、同じく松竹系の映画監督・![「大学は出たけれど(吹替・活弁版) [VHS]」.jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%80%8C%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AF%E5%87%BA%E3%81%9F%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%A9%28%E5%90%B9%E6%9B%BF%E3%83%BB%E6%B4%BB%E5%BC%81%E7%89%88%29%20%5BVHS%5D%E3%80%8D.jpg)

大学を卒業した時に許婚(田中絹代が初々しい)がいて、それで就職が決まらないというのは結構キツイなあと思ってしまいましたが、母親と許婚の手前、会社に行くふりをして弁当を持って出かける主人公にとっての"仕事の場"は公園であり、"仕事" は公園に来ている子供らとボール遊びをすること、子供らとすっかり仲良くなるが、雨が降った日は"仕事"が休みになる―といった具合に、ユーモラスに描くことで救われています。恋女房となった田中絹代に実は就職が決まっていないと打ち明ける場面でも、「サンデー毎日」の新聞広告を見せるギャグ(つまり自分は、実は毎日が休日状態だと)。因みに、「サンデー毎日」は1922(大正11)年)に「週刊朝日」と並んで創刊された日本で最も歴史の長い総合週刊誌になります(「週刊朝日」は創刊101年後の2023年をもって休刊となった)。
途中、客として訪れたカフェで、夫に内緒で働いている奥さんを見てしまったりするハプニングもあったりして(カフェの先客で、その奥さんに「君は最近新しく入った子か」などと声掛けしているのは笠智衆)、最後は、女房の健気さに勇気づけられて主人公は発奮、「受付ならば」と言われて頭にきて辞去した会社を再訪し、「受付でも何でもやります」と―(それまで"雨天休業"だった主人公がどしや降りの日に出掛けていくところもミソ。見送る田中絹代が可憐)。
いい話に纏め過ぎている感じもしますが、まあ、そういう映画なのでしょう。当時の若者にリアルタイムでエールを送った作品とも言えるのでは。
昨今の新卒就職難と比べると、厚生労働省と文部科学省が、全国の大学や短大など112校の6250人の学生を抽出して、その就職内定率を調査した結果によれば、2011年3月に4年制大学を卒業した学生の就職内定率は4月1日の時点で91.1%と過去最悪とのこと(この調査の数字は"甘め"に出るとの批判もあるが、それでも90%を超えている)、この"過去最悪"とは、同統計を取り始めてからの"過去最悪"であって、昭和初期にはもっと厳しい時代があったのだなあと。
田中 絹代
留吉(渡辺篤)と芳造(吉谷久雄)は、親しい仕事仲間、貧しいゆえに2人でルームシェアをしているトラック運転手である。あるとき偶然、身寄りのない娘・お美津(浪花友子)と出逢う。住むところのないお美津が2人の長屋に転がり込み、お美津はかいがいしく家事をしてくれるが、2人の男の間では、恋の鞘当てが始まる。やがて、留吉・芳造の長屋の近くに住む学生・岡村(結城一朗)と、お美津が相思相愛であったのだ、という現実を、留吉・芳造は知ることとなる。お美津と岡村をさわやかに見送る留吉・芳造であった(「Wikipedia」より)。
これも元々は77分の作品でありながら、デジタル復元版で現在観ることができるのは当時家庭用に編集された14分の短縮版です(「小津安二郎 名作セレクションV」に所収)。男同士の二人暮らしのところへ若い女性が居ついて、2人が彼女を巡って牽制し合うも、最後はその女性に好きな人が出来て...というこの展開は、リチャード・ウォレスの喜劇映画「喧嘩友達」('27年)をベースにしているということで(タイトルに「和製」とつくのはそのため)、脚本の野田高梧(1893‐1968)が小津と組むのは「懺悔の刃」('27年)に次いで2作目。結局、小津の遺作「秋刀魚の味」('62年)までの付き合いとなるわけですが、この頃、小津は満25歳、野田高梧は満35歳
と若く(主演の渡辺篤は満31歳、吉谷久雄は満25歳、浪花友子は満20歳、結城一朗は満24歳と出演者も皆若いのだが)、とりわけ小津の監督としての若さが光るとともに、彼の出自が喜劇であることを改めて感じさせる作品となっています。

因みに、「大学は出たけれど」の高田稔と「和製喧嘩友達」の吉谷久雄(ハンチングを被った小柄な方)は、翌年の同じく小津作品である「朗かに歩め」('30年/松竹蒲田)でヤクザ仲間の役で共演します(就職が決まらない学生とトラック運転手のそれぞれ次の役がチンピラ役かあ。こちらはヤクザ稼業から足を洗おうとする男たちの話であり原作は清水宏)。
田中絹代・笠智衆 in「大学は出たけれど」('29年/松竹蒲田) 笠智衆はカフェの客の役

「大学は出たけれど」●制作年:1929年●監督:小津安二郎●脚本:荒牧芳郎●撮影:茂原英朗●原作:清水宏●活弁:松田春翠●時間:70分(現存11分)●出演:高田稔/田中絹代/鈴木歌子/日守新一/大山健二/木村健二/飯田蝶子/坂本武/笠智衆/筑波雪子/小藤田正一●公開:1929/09●配給:松竹蒲田(評価:★★★☆)
「和製喧嘩友達」●制作年:1929年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧●撮影:茂原英朗●原
