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"その後のロミオとジュリエット"。夫婦の関係についての表現と描かれている実態に謎の落差。

『門 (新潮文庫)』(カバー:安野光雅)/『夏目漱石全集〈6〉 (ちくま文庫)
』(「門」「彼岸花」所収)/アイ文庫オーディオブック「門」
1910(明治43)年、夏目漱石(1967‐1916)が43歳のときに発表された長編小説。個人的には、前期3部作のうちの読み残していた作品で、今回が初読でしたが、『三四郎』とはもちろんのこと『それから』と比べても暗いし、何よりも地味〜っという感じでした。
親友の安井の妻と駆け落ちし結ばれた宗助とその相方・御米との、世間との関わりを極力断ったかのような夫婦生活の日常を淡々と描いています。言わば「ロミオとジュリエット」みたいな出来事があって、その出来事そのものは描かず、その後の2人の地味な市井生活を書いているといった感じでしょうか。
ロミオとジュリエットのように死んでしまったわけではなく、2人は生きているわけで、しかもその結ばれ方が略奪婚であったために、宗助は親族はもちろん学校、社会からも制裁を受けて神経衰弱に陥り、無気力体質になってしまって、勤め先の役所と平屋の自宅を往復するだけの、誰とも遭遇しない無為な毎日を送る人間になってしまっています。
夏目漱石 『門』春陽堂 1911(明治44)年1月刊
この小説には、そうした宗助夫婦を形容する表現と、そこに描かれている実態に矛盾というか、謎のような落差がある気がしました。確かに2人は和合した夫婦であるに違いなく、2人の関係は「一つの有機体」のようであり、「二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合って出来上がっていた」と表現されています。しかし一方で、宗助は旧友・安井の再登場に一人煩悶し、心の平安を求め妻に内緒で禅寺へ行ったりする、片や御米も、安井の弟のわが家への居候を快く思っていないようだが夫には打ち明けず、また自分に子供が出来ないことに対して個人的な原罪意識を抱いている―。
2025.7.7 蓼科親湯温泉にて
谷崎潤一郎や江藤淳は「理想的な夫婦像」としてこの作品を読んだらしいですが、この作品に描かれている"その後のロミオとジュリエット"は、融和し得ない個々の世界を、それぞれに少しずつ膨らませつつあるように感じます。
何でも互いに話せれば"理想の夫婦"である、ということにもならないでしょうが、やはり2人の関係の微妙な変化を描いているのは事実で、そうなると「一つの有機体」と断定的に表現されているその意味は、自分が当初抱いたイメージよりもっと広く捉えられるべきものなのでしょうか。自分自身が抱いている「理想的な夫婦像」のイメージがあまりに狭すぎるのかもしれませんが、個人的には消化不良気味の作品でした。おそらく、自分の読み方が谷崎潤一郎や江藤淳ほど深くないのだろうなあ。
新潮文庫『門』(新旧カバー)表紙絵:安藤光雅
【1948年文庫化・1978改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫]/2011年再文庫化[文春文庫(『それから 門』)]】
《読書MEMO》
●「門」...1910(明治43)年発表



1908(明治41)年9月から12月にかけて新聞連載された夏目漱石(1967‐1916)の本作品は、漱石の『吾輩は猫である』('05年)、『坊ちゃん』('06年)などに続く初期代表作で、地方の高校を卒業し東京の大学で学ぶために上京してきた小川三四郎が、都会で学友や先輩、若い女性たちと接触して、日露戦争を経た日本の「新しい空気」に触れ、戸惑いながらも成長していく様が描かれています。
【1948年文庫化・1986改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1966年再文庫化[旺文社文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1986年再文庫化[ちくま文庫]/1991年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[ポプラ社文庫]】




新潮文庫版は、「文鳥」「夢十夜」「永日小品」「思い出す事など」「ケーベル先生」「変な音」「手紙」の7編を収録。
同じ1908年(明治41)年の7月25日から8月5日まで朝日新聞で連載された幻想的な夢記述群「夢十夜」は、「第三夜」の盲目の子を負ぶっていたらと...いう夢が伊藤整の解釈ぐらいでしか知られていなかったのが、近年特に注目の作品となり映像化もされていたりもします。フロイト流に解釈すると、ほぼ全部の夢が「精力減退の不安」に繋がるそうですが、作者が生きていればこれには反論があるのではないでしょうか。
くて夜は幽霊が出そうな感じでした。しかし、老朽化が進んだためその後全面改装され、「漱石の間」は修善寺の「夏目漱石記念館」に移設されてしまいました(旅館の方は今年['06年]7月、「湯回廊 菊屋」としてリニューアルオープン。廊下なども明るくなったようだ)。


1908(明治41)年1月から4月にかけて大阪朝日新聞に連載(全96回)された夏目漱石(1967‐1916)の『坑夫』は、前年、朝日新聞社に専属作家として入社して最初に書いた『虞美人草』に続く連載作品で、次の連載執筆予定者だった島崎藤村の"遅筆"のためのピンチヒッター的登場だったようです。野田九甫がを担当した連載の挿絵は、漱石が切抜きを貼って喜ぶほどの出来栄えでしたが、社内の「あまりに高級だ」という非難に屈して連載半ばで挿絵を中断させられ、春仙が描く題字飾りのみに切り替えられるという仕打ちにあっています。
漱石のところへ自分の経験を小説にして欲しいと持ち込んだ青年がいて、その体験談を本人の許諾を得て、急遽書かなければならなくなった連載小説の素材にしたようですが、主人公が出奔した理由は漱石風にアレンジされているようで、「坑夫(堀子)」の生活などの実態部分を主に青年の話から抽出したようです。