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ヒットメーカーによる自伝的歌謡曲史。楽しく、懐かしく読めた1冊。

愛すべき名歌たち.jpg 阿久悠1.jpg 
愛すべき名歌たち (岩波新書)』阿久 悠 作詞の初ヒット曲「白い蝶のサンバ」(1970、森山加代子)

 『愛すべき名歌たち』('99年/岩波新書)は、作詞家・阿久悠(あく・ゆう)(1937-2007/享年70)が、1997年4月から1999年4月にかけて「朝日新聞」夕刊芸能面に通算100回連載したコラムの新書化で、『書き下ろし歌謡曲』('97年/岩波新書)に続く著者2冊目の岩波新書です。

 サブタイトルに「私的昭和歌曲史」とあるように、高峰三枝子の「湖畔の宿」から始まって美空ひばりの「川の流れのように」まで全100曲を選び、自分史に重ねる形で、それぞれぞれの時代に流行った歌謡曲やそれに纏わる思い出が書き綴られており、半ば自伝とも言える体裁。当然のことながら、後半はヒットメーカーとして知られた著者自身が作詞家として関わった曲が多く取り上げられています(Wikipediaで取り上げている曲の一覧を見ることが出来る)。

 それらの時代区分としては、以下の通りとなっています。
  Ⅰ 〈戦後〉という時代の手ざわり(1940~1954)(幼年時代;高校まで)
  Ⅱ 都会の響きと匂い(1955~1964)(大学時代;広告の世界で)
  Ⅲ 時代の変化を感じながら(1964~1971)(放送作家時代;遅れてきた作詞家)
  Ⅳ 競いあうソングたち(1971~1975)(フリー作家の時代;新感覚をめざして)
  Ⅴ 時代に贈る歌(1976~1989)(歌の黄金時代)

 非常に読み易く、文章をよく練っている印象。個人的には第Ⅰ章の自伝色が強い部分と、やはり第Ⅱ章の最初の広告業界に入った頃の話が特に興味深く読めました。

 著者が就職活動をしたのは1958(昭和33)年で不況の折でしたが、当時はテレビ番組の「月光仮面」が驚異的な視聴率でブームを巻き起こしていて、その仕掛け人である広告会社が就職先の選択肢となり得たとのこと。但し、本書には書かれていませんが、この番組は当初スポンサーが付かず、広告会社(宣弘社)が自らプロダクションを興して制作にあたった番組でした(著者は結局、この会社=宣弘社にコピーライターとして7年間務めることになる)。

森山加代子 .jpg白い蝶のサンバ.jpg 作詞家に転じてからの著者は、最初の作品「朝まで待てない」を出して以来、3年間結果が残せていなかったとのことで、初の本格ヒットがが生まれたのは、本書の第Ⅲ章も終わり近い1970(昭和45)年の「白い蝶のサンバ」でした森山加代子はこの曲でNHK紅白歌合戦に8年ぶりの出場を果たす)。個人的にもちょうど歌番組など観るようになった頃で、懐かしい曲でありました(早口言葉みたな感じの歌として流行ったけれど、著者が言うように、今みるとそんなに早口というわけでもない)。


 本書は、作詞家・阿久悠の「自分史」を軸とした歌謡曲史でしたが、一方、同じく岩波新書の高譲(こう・まもる)『歌謡曲―時代を彩った歌たち』('11年/岩波新書)の方は、客観的な「ディスコグラフィ(Discography)」としての歌謡歌謡曲 岩波新書.jpg曲史でした。この中で、目次をの'節'のタイトルに「阿久悠の時代」というのがあり、目次で個人名が出てくるは阿久悠だけでした。こうしたことからも、やはり、歌謡曲史に大きな足跡を残した人物と言えるのでしょう。楽しく、また懐かしく読めた1冊でした。

 『歌謡曲―時代を彩った歌たち』の方は、版元の紹介文によれば―、
 「ディスコグラフィ(Discography)」という言葉があります.日本では「アーティストの作品目録」として理解されることの多い言葉ですが、本来の意味からするとむしろ、その楽曲は、だれが、どのように作り出したのか、どう歌われているのかを客観的に考察する、学術的な分野を指します。著者の高護さんは、知る人ぞ知る、歌謡曲では唯一無二のディスコグラファーです。その該博な知識と確かな分析で、歌謡曲の魅力をあますところなく解説します
 ―とのことです。
歌謡曲――時代を彩った歌たち (岩波新書)

 歌謡曲とは何かということについてはいろいろ議論はあるかと思われますが、この本ではそうした"概論"乃至"総論"的な話はせず、いきなり歌謡曲史に入っており、各1章ずつ割いている60年代、70年代、80年代が本書の中核を成しています。ものすごく網羅的ですが、一方で、一世を風靡した、或いは時代を画した歌手や歌曲には複数ページを割いて解説するど、メリハリが効いています。読んでいくと、グループサウンズ、例えば「タイガース」などは、専らソロ歌手としての沢田研二に絞って取り上げていたりし、ジャニーズ系も「たのきんトリオ」以降グループとしては全然触れられておらず、後の方に出てくる「おニャン子クラブ」などもソロになった新田恵利だけが取り上げられています。この続きが書かれるとしたら、「AKB48」などは入ってこないのかなあ。ザ・ピーナッツ(伊藤エミ(1941-2012)、伊藤ユミ(1941-2016))とかは当然取り上げているわけで、和製ポップスは取り上げ、J-ポップは取り上げないというわけでもないでしょうが(J-ポップが登場したのが'88年頃なので、殆ど本書の対象期間とずれていて何とも言えない)。ニューミュージックも取り上げていますが、そもそもどこからどこまでがニューミュージックなのか分かりませんけれど(森進一が歌いレコード大賞曲となった「襟裳岬」は吉田拓郎の曲だった)。あまり考えすぎると楽しめないのかもしれず、本書が歌謡曲とは何かという議論を避けているのは、ある意味賢い選択であったかも。
ザ・ピーナッツ(活動期間:1959-1975)(1975年 さようならピーナッツ)

 

すぎやまこういち.jpg 因みに、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」('63年)の作曲者は宮川泰ですが、「恋のフーガ」('67年)の作曲者は、後に「ドラゴンクエスト」のテーマ曲で世界的に知られることになる作曲家のすぎやまこういち(1931-2021/90歳没)。「音大志望だったがお金がなかったから東大に進学した」と東京大学理科II類に進学、東大卒業後は文化放送を経てフジテレビに入社、ラジオのヒットパレード番組をテレビに移植した形になる「ザ・ヒットパレード」を企画し、自らディレクターをしていたので、ザ・ピーナッツとその頃から接点があったのかもしれません。1968年から作曲活動に専念。作曲家としてザ・タイガース(彼らの命名者でもある)やザ・ピーナッツの黄金時代を支えた人物です。

 歌手に限らず、作詞家、作曲家、編曲家まで取り上げており、確かに阿久悠の存在は大きいけれど、その前にも 岩谷時子(作詞)・いずみたく(作曲)といった強力なコンビがいて「夜明けのうた」('64年/歌:岸洋子)、「太陽のあいつ」('67年/歌:ジャニーズ)、「恋の季節」('68年/歌:ピンキーとキラーズ)等々、数多くのヒットを生山口洋子.jpgんでいるし(2人とも歌謡曲が"本業"でも"専業"でもなかったという点が興味深い)、五木ひろしの芸名の名付親だった「よこはま・たそがれ」('71年)の山口洋子(1937-2014)なども平尾昌晃(1937-2017/79歳没)と最強タッグを組んでいたし(山口洋子は同じ作詞家で直木賞受賞作家でもあるなかにし「平尾昌晃」.jpgよりも15年前に直木賞を受賞している)、作曲家では「ブルー・ライト・ヨコハマ」('69年/歌:いしだあゆみ)以来、この本の終わり、つまり80年代終わりまでこの世界のトップに君臨し続け、70年代、80年代を席筒美京平.jpg巻した筒美京平(1940-2020/80歳没)なんてスゴイ人もいました(因みに、阿久悠作詞、筒美京平作曲で最初で最大のヒット曲は日本レコード大賞の大賞受賞曲「また逢う日まで」('71年/歌:尾崎紀世彦(1943-2012))。これもまた、懐かしい思いで読めた1冊でした。




《読書MEMO》
●『歌謡曲―時代を彩った歌たち』章立て
序 章
戦前・戦後の歌謡曲
第1章 和製ポップスへの道―1960年代  
1960年代概説
1 新たなシーンの幕開け
2 カヴァーからのはじまり
3 青春という新機軸
4 ビート革命とアレンジ革命
5 新しい演歌の夜明け 
第2章 歌謡曲黄金時代―1970年代  
1970年代概説
1 歌謡曲の王道
2 アイドル・ポップスの誕生
3 豊饒なる演歌の世界
4 阿久悠の時代 
第3章 変貌進化する歌謡曲―1980年代  
1980年代概説
1 シティ・ポップスの確立
2 演歌~AOR歌謡の潮流
3 アイドルの時代 
終 章 90年代の萌芽―ダンス・ビート歌謡

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初読は土俗的な暗いイメージ、再読でみずみずしい情感と神話的な虚構性を。

誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく.jpg誰か故郷を想はざる53.JPG誰か故郷を想はざる.jpg  誰か故郷を想はざる2.jpg
誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく (角川文庫)』 ('73年初版・改訂版/表紙イラスト:林 静一)/角川文庫 新装版('05年)
自叙伝らしくなく誰か故郷を想はざる (1968年)』('68年/芳賀書店/表紙イラスト:辰巳四郎)

現代の青春論―家族たち・けだものたち.jpgの『家出のすすめ』('72年/角川文庫).jpg 寺山修司(1935‐1983)の『家出のすすめ』('72年/角川文庫)を読んで実際に家出したという人がいたとかいないとか言われていますが、直接の原因とならなくても、20代後半から大学の文化祭などで"家出のすすめ"を説いていた彼の言葉は、当時の多くの若者にとって強いインパクトがあったのではないでしょうか。特に地方の若者にとっては、都会への"脱出"を図る潜在的誘因にはなったりしたのではないかと...(因みに、『家出のすすめ』はその9年前に刊行された『現代の青春論』('63年/三一書房)の改題)。
家出のすすめ―現代青春論 (角川文庫)』('72年)(表紙イラスト:林 静一)/『現代の青春論―家族たち・けだものたち (1963年) (三一新書)』(表紙イラスト:和田 誠)
         
書を捨てよ、街に出よう 角川文庫1.jpg書を捨てよ、町へ出よう .jpg 一方、本書『誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく』は、寺山修司30代前半の自叙伝的エッセイ集で、第1章「誰か故郷を想はざる」と第2章「東京エレジー」から成りますが、初読の際には「誰か故郷を想はざる」の土俗的な暗いイメージに馴染めませんでした。最初に読んだ時は、『書を捨てよ、街に出よう』('67年/芳賀書店)などの方が良かったという印象でした(タイトルからして何か能動的ではないか)。
書を捨てよ,街へ出よう (1967年)』(芳賀書店)(カバー・表紙・目次:横尾忠則)/『書を捨てよ、町へ出よう』('75年/角川文庫)(表紙イラスト:林 静一)
                                      
 「草迷宮」.jpg『草迷宮』.bmp『迷宮譚』.bmp

img_03_02.jpgimg_03_03.jpg「草迷宮」 「迷宮譚」「マルドロールの歌」「一寸法師を記述する試み」

 しかしその後、寺山修司の映画、自伝的作品「田園に死す」('74年)や「草迷宮」('78年)(母がいつも口ずさんでいた手毬唄のルーツを探そうと青年が各地を回り、情報を捜し求めていくうちに巡り逢う数々の女性との関わりの中で成長していく青年の話)、実験映画「迷宮譚」('75年)、「二頭女」「マルドロールの歌」「一寸法師を記述する試み」('77年)などに触れて(何れも新高恵子や蘭妖子という不思議なムードを醸す女優が出ていた)、その上で改めて本書を読むと、映像作品と意外にと言うかかなりイメージ的に重なり、エッセイの一篇一篇が抒情詩のようなみずみずしい情感をもって伝わってきました。ああ、これって散文詩なのだ、この中にいる寺山少年というのは神話の登場人物みたいだなあと。

草迷宮 ちらし.bmp草迷宮 (DVD).jpg 因みに「草迷宮」は、フランスのプロデューサー、ピエール・ブロンベルジュが製作したオムニバス映画「プライベート・コレクション」の1話として製作された中編(相米慎二(1948-200)がピエール・ブロンベルジェと共に助監督を務めた。相米慎二監督作の「雪の断章 -情熱-」('85年)などに一部その影響が見られる)。寺山修司の死後、日本で公開された作品で、原作は泉鏡花の同名小説です。

 「草迷宮」●制作年:1978年(日本公開:1983年)●制作国:フランス・日本●監督:寺山修司●製作:ピエー新宿東映パラス2・3.jpgル・ブロンベルジュ●脚本:寺山修司/岸田新宿東映パラス2.jpg理生●撮影:鈴木達夫●音楽:J・A・シーザー●助監督:相米慎二/ピエール・ブロンベルジェ●原作:泉鏡花「草迷宮」●時間:40分●出演:三上博史/若松武/新高恵子/伊丹十三/中筋康美/福家美峰/末次章子/蘭妖子/根本豊/サルバドール・タリ●公開:1983/11●配給:新宿イーストビル.jpg新宿東映ホール (83-11-12)(評価:★★★☆)●併映:「迷宮譚」(寺山修司)/「消しゴム」(寺山修司)/新宿バルト9.jpg「質問 (寺山修司へのインタビュー記録映画)」(田中未知)
新宿東映ホール (1972年、新宿3丁目「新宿東映会館」(1960年竣工)内「新宿東映」の2階席を分割して「新宿日活」開館、1978年〜「新宿東映ホール」→「新宿東映パラス2」(「新宿東映ホール2」→「新宿東映パラス3」)2004年1月9日閉館。 2007年1月、「新宿東映会館」(2004年閉館)に「新宿三丁目イーストビル」竣工、9階から13階にシネマコンプレックス「新宿バルト9(WALD9)」が入居。
バルト9.jpg
  
kan.gif 寺山修司の自叙伝的作品の虚構性については既に多く論じられているところで、映画「田園に死す」については、寺山修司自身がはっきり、「これは一人の青年の自叙伝の形式を借りた虚構である」(演出ノート)と述べていますが、同じことが文章において端的に表れているのが、この「誰か故郷を想はざる」ではないでしょうか。

 私生児の母、自殺した級友のエピソード(これ、かなり強烈)など、すべてが虚構というわけではないでしょうが、成人した彼が、映画を作るようにして、或いは自らの神話を編むようにして、自分史を脚色しているという感じがします。

カルメン・マキ(デビュー時17歳)「時には母のない子のように」(1969)
カルメン・マキ 時には母のない子のように.jpg 47年間の生涯に様々なことを成し遂げ寺山修司.jpgたものだなあと改めて思います。「天井桟敷」に新人女優として入団したカルメン・マキのデビュー曲「時には母のない子のように」('69年)の作詞者でもあり、詩や演劇、実験的な映画ばかりでなく、一般向けに公開された映画「初恋・地獄篇」('68年/ATG)や「サード」('78年/ATG)の脚本なども手掛けています。今も各芸術分野に多くの影響を残している寺山修司『初恋・地獄篇』(羽仁進監督)1.bmpサード 79.jpgですが(かつて、自分の少し上の世代に、"テラヤマ"と亡くなった友人の名前を呼ぶような感じで呼ぶ人がいた)、虚構を通して構築しようとした彼のアイデンティティとはどのようなものだったのでしょうか。ちょっとだけ、三島由紀夫のことを思い出しました。

羽仁 進監督「初恋・地獄篇」('68年/ATG)/東 陽一監督「サード」('78年/ATG)
 
現代の青春論 家族たち・けだものたち.jpg誰か故郷を想はざる7.JPG 【1968年単行本[芳賀書店(『自叙伝らしくなく―誰か故郷を想はざる』])/1973年文庫化・2005年改版[角川文庫]】

現代の青春論―家族たち・けだものたち (1963年) (三一新書)
(表紙イラスト:和田 誠

誰か故郷を想はざる―自叙伝らしくなく (角川文庫)』 ('73年初版/表紙イラスト:林 静一)

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ベストに選んだ理由に選者の思い入れや機知があり、楽しく読めた。

ベスト・ワン事典.png.jpg
ベスト・ワン事典2.jpg
 The Man Who Skied Down Everest dvd.jpg
ベスト・ワン事典 (現代教養文庫)』教養文庫 〔'82年〕「エベレスト大滑降」('70年/松竹)英語版「Man Who Skied Down Everest [DVD] [Import]」(1975)
    
 動物、美術、ビジネス、映画、犯罪から文学、医療、軍事、スポーツ、音楽、娯楽、政治まで、20余りの分野の「ベスト」を、分野ごとの専門家にその専門家自身の「独断と偏見」で選んでもらったものです(原題:The Best of Everything:A Guide To Quality ForThe Best of Everything2.jpg Those Who Know How To Appreciate It,1980)。
    
The Best of Everything.jpg 「ギネス・ブック」の客観的・量的ベストに対し、本書は主観的・質的ベストを追求していて、「絵画のベスト」とか「病院のベスト」などマトモなものから、「死体を強奪する方法のべスト」「上流階級に仲間入りできる場所のベスト」といったものまで何でもありなのが楽しいです。

 原著は'80年に英国で出版されたもので、少し古くかつ英国贔屓で、ビジネスや法律に関わる分野などはほとんど英米から選ばれていますが、「中央銀行のベスト」にオイルショックによるインフレ後も、円を最強通貨とした「日本銀行」が、「赤ちゃんを産むのによい場所のベスト」に赤ちゃんの死亡率が1%の「日本」(2位はオランダの1.03%)、「汽車のベスト」に「東京-大阪間を走る超特急」(当然のことながら"新幹線"を指している)、「ホテルマッサージのベスト」に「東京のニューオータニ」などが選ばれています(ニューオータニは、「下の方の階のどこかでマッサージ室を経営007は二度死ぬ  nihon.jpgしていて、そこで働いている女性たちは魔法のような指を持っています」と書いてある。この日本のマッサージ技術への憧憬は映画「007は二度死ぬ」('67年/英)でジェームズ・ボンドが浴槽つきのマッサージルームでリラックスするシーンなどにも反映されていたように思う)。
  
羅生門4.bmp北斎ド.jpg  芸術関連もヨーロッパ中心に「ベスト」が選出されている傾向はありますが、その中で「挿絵画家のベスト」に「北斎」が、「フラッシュバック映画のベスト」に「羅生門」が選ばれています(「日本の小説のベスト」には谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』が選ばれているが、「古今東西の小説のベスト」にはジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』が選ばれている)。

 それとスポーツの分野で日本人が2人選ばれていて、「滑降スキーヤーのベスト」にジャン・クロード・キリー、フランツ・クラマーを抑えて、エベレストを滑降した「無茶苦茶な日本人」三浦雄一郎が、「レスリング選手のベスト」に、「186戦無敗のキャリアを持つ獰猛なフェザー級選手」渡辺長武(おさむ)が選ばれています(「無茶苦茶な」とか「獰猛な」という修辞が面白い)。

The Man Who Skied Down Everest.jpg 三浦雄一郎がエベレスト滑降に挑んだのは'70年5月6日で、「エベレスト大滑降」('70年/松竹)という記録映画になりましたが(昔、学校の課外授業で観た)、これを観ると、当初エベレスト8000メートルのサウスコルから(そもそもここまで来るのが大変。シェルパ6名が遭難死している)3000メートルを滑走する予定だったのが、2000メートルぐらい滑って転倒したままアイスバーンに突入(何せスタートから5秒で時速150キロに達したという)、パラシュートの抑止力が効かないまま150メートルほど滑落し、露岩に激突して止まっています。

エベレスト大滑走2.jpg 3000メートル滑るところを2000メートルで転倒してこれを「成功」と言えるかどうか分かりませんが、標高6000メートルの急斜面でアイスバーンに突っ込んで転倒して更に露岩にぶつかって死ななかったのは「奇跡」とも言えます。この「エベレスト大滑降」を再編集した英語版作品"The Man Who Skied Down Everest"('75年/石原プロ・米→カナダ)は、カナダの映画会社が石原プロから版権を買い取り台本・音楽等を再編三浦雄一郎03.jpgしたもので、'75年に米アエベレスト大滑降 pamhu .jpgカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞していて、これがカナダ映画史上初のオスカー受賞作品となっています。三浦雄一郎氏の狂気染みた挑戦に外国人もたまげたのか?
三浦雄一郎氏(2002年)
映画パンフレット 「エベレスト大滑降」 製作/監修 銭谷功 スキー探検隊 石原慎太郎/三浦雄一郎/藤島泰輔/加藤幸彦/安間荘 語り手 芥川隆行

186戦無敗の渡辺長武
渡 辺 長 武.jpg 一方、渡辺長武の「186戦無敗」はギネスブックにも掲載されたことがあり(ウィキペディアでは189戦189勝となっている)、無敗記録としてみれば、後に柔道において、山下泰裕の「203戦無敗」という記録が生まれますが、山吉田沙保里.jpg下泰裕の「203戦無敗」には7つの引き分けが含まれているため、渡辺長武の記録はそれ以上に価値があるかもしれません。世界選手権を連覇し('62年・'63年)、東京オリンピック('64年)でも金メダルを獲得しています(後に、女子レスリングで吉田沙保里の、2016年のリオ五輪決勝で敗れるまでの206連勝、オリンピック・世界選手権16連覇という記録が生まれることになるが)。
  
「アニマル1(アニマルワン)」(1968)オープニング/朱里エイコ(1948-2004/享年56)
朱里エイ子.jpg その渡辺長武は『アニマル1』(アニマルワン)というレスリング・アニメのモデルになりました(原作は「川崎のぼる」のコミック)。アニメ主題歌を、一昨年('04年)亡くなった朱里エイコが歌っていましたが、歌唱力のある人でした。「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌うと、このヒトがイチバン、相良直美が2番か3番、和田アキ子はそれらより落ちるという感じでした(個人的には)。

朱里エイコ 「イエイエ」(1967)(レナウンCMソング)作詞:作曲:小林亜星/「北国行きで」(1972)・「ジェット最終便」(1973)
 

 版元が倒産しているため古書市場でしか入手できない本で、また、特に人に薦めるという類の本でもないのですが、ベストに選んだ理由に選者の思い入れや機知があり、読んで楽しく、個人的には暇つぶしや気分転換に重宝しました。 

Yuichiro Miura The Man Who Skied Down Everest.jpgThe Man Who Skied Down Everest5.jpg「エベレスト大滑降」●制作年:1970年●監督:銭谷功●製作:中井景/銭谷功●撮影:金宇満司●音楽:団伊玖磨●時間:119分●公開:1970/07●配給:松竹(評価:★★★☆)

"Yuichiro Miura The Man Who Skied Down Everest"

 
 
アニマル1 アニメ.jpg「アニマル1(アニマルワン)」●演出:杉山卓●脚本:山崎忠昭/雪室俊一/辻真先/川崎泰民●音楽:玉木宏樹(主題歌:朱里エイコ「アニマル1の歌」)●原作:川崎のぼる●出演(声):竹尾智晴/富山敬/北川智恵子/北村弘一/田の中勇/山本嘉子/栗葉子/雨森雅司/松尾佳子/神山卓三/小林修/鎗田順吉/野沢那智●放映:1968/04~09(全27回)●放送局:フジテレビ

《読書MEMO》
●レスリング・柔道(男女)日本人選手連勝記録
・吉田沙保里 206戦206勝(個人戦のみ。五輪・世界選手権16連覇。2016年のリオ五輪決勝で敗れる)
・山下 泰裕 203戦196勝7分け(1977年の日ソ親善試合から1985年の全日本選手権まで。継続したまま引退)
・渡辺 長武 189戦189勝(1987年の全日本社会人選手権で終了)
・伊調  馨  189戦189勝(2007年5月の不戦敗を除く試合でのもの。不戦敗以降は108連勝。2003年~2016年)
・吉田沙保里 119戦119勝(団体戦も含む。全日本女子選手権で山本聖子に判定負けして以来、公式戦119連勝。2001年~2008年)
・田村 亮子 84戦84勝(1996年のアトランタ五輪決勝で敗れる)

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