2009年4月 Archives

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労働規制緩和の流れと'06年以降の規制の強化傾向を解説するも、ブログ本の域を出ず。

労働再規制.jpg 『労働再規制―反転の構図を読みとく (ちくま新書)』 ['08年]

 '95年以降進められてきた労働規制の緩和政策が、'06年以降、労働規制の強化傾向に転じているその流れを、'08年9月の福田康夫首相の辞任表明など最近の政局を絡めて、或いはまた、その前の、経済財政諮問会議、総合規制改革会議などを軸とした小泉純一郎首相の「構造改革」路線、更にはずっと前、'95年の日経連「新時代の『日本的経営』」の成り立ち等も含めて解説しています。

 歴史的な変遷はわかり、また読んでいるうちに著者の“立ち位置”もわかってくるのですが、記述に先入観を持たれまいとするためか、敢えて自ら立場のことは前面に出していない―、このやり方が今ひとつ肌に合わなかったです(本書は、自らのブログ記事からの転用も多いが、ブログの中では、自分は「リベラル」以上の「左翼」であるとはっきり言っている)。

 経済界による「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入の動きが国民的反発を招いたのは、「残業代ゼロ法案」というふうに表現されたことが「躓き石」だったとする経済界自身の“敗因分析”に対し、それが「労働実態を無視したまま」の議論だったことを真の原因として指摘していますが、そうした著者の論拠さえ、学者の言説を引いて思い入れのある側に軍配を上げているようにもとれなくもなく、すっきりとした解説になっているようには思えませんでした。

 個人的には、'95年の日経連の“その後の市場原理主義的な規制緩和を導いたとして悪名高い”「新時代の『日本的経営』」について、それを書いた日経連の小柳勝二郎賃金部長が、「雇用の柔軟化、流動化は人中心の経営を守る手段として出てきた。これが派遣社員などを増やす低コスト経営の口実としてつまみ食いされた気がする」(2007.5.19 朝日新聞)というコメントが興味深く、この「つまみ食い」論には同感です(「新時代の『日本的経営』」をちゃんと読んだ人がどれだけいるのか)。

 但し、これは「朝日新聞」の記事を引用したにすぎないもので、著者もこの内容自体は否定しておらず、「つまみ食いしたのは誰か」という話へと移っていっています。
 読んでいくと、「宮内」さんとか「牛尾」さんとかの名前が出てきてそこそこに面白いのですが、この人、政・財界ウォッチャーなの?(ブログでは、池田信夫氏と論争して優勢みたいだけれど、まあ2人の論争は"内ゲバ"みたいなものだなあ)

 こんな役割の人がいても別に構わないと思うけれど、こういう本は、読んでいる時の面白さほどには読後感が深まらないような気がしました(池田信夫氏がわざわざ「読んではいけない本」という言ほどの影響力のある本だとは思えないのだが)。

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ユニオンの監修だが、企業側担当者が意識面でのセルフチェック用に読める部分もあった。

偽装管理職 ポプラ社.jpg 『偽装管理職』 ['08年/ポプラ社]  マクドナルド訴訟:店長は非管理職 東京地裁が残業代認定.jpg マクドナルド訴訟:店長は非管理職。東京地裁が残業代認定―判決後に会見する高野広志さん('08年1月28日)[写真:毎日新聞社]

 「偽装管理職」の問題は、'08年1月28日の東京地裁の「マクドナルド判決」以降、一層、マスコミや社会の注目を集めるようになりましたが(NHKは「名ばかり管理職」問題という言葉を使っており、判決の3日後に予め特番を組んでいた)、本書の刊行もこの判決が1つの大きな契機となっているとのこと。

 第1章では、ユニオンなどに寄せられた相談事例が4件紹介されていますが、どれも企業側の社員に対する扱いや訴えられた後の問題への対応が呆れるほどひどいもので、無理矢理「管理職」に仕立て上げた社員に、仕事だけでなく責任まで押し付け、何かあれば退職を勧奨するなど、時間管理の問題だけでなく、品質管理、責任体制、更には事業戦略などの問題が絡んでいるように思えました。
マクドナルドのような大企業だから(また、訴訟を通して闘うことを決意した店長がいたから)世の話題になったのであって、これまでにも一部の中堅・中小零細企業では、こうしたことは日常茶飯に行われていたのではないかと思われます。

 労働者側から見れば、「労働審判制度」などにより係争などに持ち込み易くなったとは言え、ユニオンに相談を持ち込むことさえも相当の勇気がいることではないかと思われ、そうせずにはおれない感情を労働者に呼び起こすだけの仕打ちを、こうした企業はしているという見方も成り立つのでは。
本日より「時間外・退職金」なし.jpg マクドナルド問題もそうですが、「恒常的な100時間超の残業」というのは、「管理職」であるということが残業代不払いの名目として用いられているという点で法的な問題ではあるかも知れませんが、その分残業代を支払えば解決される問題でもなく、根本的な企業体質の問題でしょう(その点、マクドナルド問題については、田中幾太郎氏の『本日より「時間外・退職金」なし』('07年/光文社ペーパーバックス)の方が、本書よりずっと分析が深い)。

 法的問題ということで言えば、本書にも登場する日本労働弁護団の棗一郎弁護士が最近、残業時間の上限規制を法制化することを主張しているように、法制度そのものの問題かも(本書でも少し触れられているが、昭和30年代から、ファーストフード店店長など「名ばかり管理職」問題を巡る訴訟は約30件あって、9割方は企業側が敗訴している。訴訟になって初めて、法律が純粋適用されるという印象を受ける)。

 配置転換における不当な人事権の行使、パワハラ問題に端を発するメンタルヘルス疾患の問題など、本書で取り上げられているものは残業時間問題に限らないもので、極端な例が多いように思える一方で、企業側の対応には、どこの人事担当者も一瞬は考えそうな「臭いものには蓋をせよ」的な面もあり、企業側担当者が意識面でのセルフチェック用に読める部分もあったように思います。

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一見煽り気味だが、実は、相当に勉強した上で書かれているという感じ。

本日より「時間外・退職金」なし.jpg 『本日より「時間外・退職金」なし (光文社ペーパーバックス)』 ['07年]

 '08年1月、日本マクドナルドが店長を管理職として扱い、残業代を支払わないのは違法だとして、現役店長が未払い残業代を求めた訴訟で、東京地裁は原告の訴えを認める判決を下しましたが(紳士服のコナカを巡っても同様の判決があった)、この判決に合わせるかのように外食だけでなく小売業などでも店長の処遇の見直しを迫られたり、また全産業的に「偽装管理職」問題ということがよく言われるようになったりしました。

藤田 田.jpg 本書は、「マクドナルド判決」の1年近く前に刊行されたものですが、前半部分では、日本マクドナルドが藤田田氏('04年没)のもと日本的な企業としてあったのが(マックは日本進出に際し敢えて大手と組むことはせず、藤田商店をパートナーにしたのだが、この藤田氏が思った以上にしたたかだった)、それが藤田氏が経営から身を引き完全に外資系企業となって以降、リストラや残業代・退職金の不支給など、いかに従業員を使い捨てにするような人事施策をしてきたかが描かれています。
 裁判に訴えた店長にも取材しており、本人が語るその勤務実態のあまりにひどさ(睡眠時間が3時間ぐらいで、不足分は職場で昼に仮眠をとるような生活の繰り返し)には呆れました。

 やや煽り気味に書かれている部分もありますが、後半部分では、法制化が一旦は見送られたホワイトカラー・エグゼンプションについて、海外ではどのようになっているのか(アメリカは従来の年収基準を引き上げた―ただし従来が最低賃金以下の基準だった)、また日本経団連の考え(年収400万円・700万円案)や、審議会答申を踏まえての厚生労働省案(900万円案)など、国内ではこれまでどのような論議がされてきたかがよく纏められています。

 表題にある退職金制度の見直し問題に絡む日本版401kや、改正された労基法・高齢者雇用安定法などについてもその問題点を指摘し、法令の今ある姿だけでなく、過去からの経緯や将来の見通しなどにも触れているので、読んでいて改めていい復習になりました(相当に勉強した上で書いている、という感じ)。

 個人的にはホワイトカラー・エグゼンプション導入に賛成であり、また、日本企業がグローバル競争に勝つためには抗えない流れだと考えます。
 もともと現行の労働基準法の規定するところに沿って厳密に解釈すると、部長クラスですら管理監督者とは言えなくなってしまうようなことになりかねず、その分、経営側から見ればホワイトカラー・エグゼンプション導入への期待は大きいのでしょうが、マクドナルドのようなひどいケースがこの流れが引き起こす問題の代表例とされてしまうのではたまらないといったところでは。

 しかも、マック側は'08年5月に直営店の店長や複数店の店長を兼ねるエリア店長には残業代を支払うことにしたものの、裁判そのものに関しては地裁判決を不服とし控訴を取り下げずにいたため、高裁や最高裁までいってこの判決が確定してしまうとまさにリーディングケースとなり、企業全般に与えるマイナス影響はさらに大きくなる一方だと個人的には懸念しておりました。

高野広志.jpg しかし、結局その後マックは、'08年8月以降は原告を含めた直営店の店長(約1700人)を正式に管理職から外して残業代を支払うこととし、更にこの係争については'09年3月に東京高裁の控訴審で和解が成立し、約4年半の残業代など約1000万円を原告に支払うことになりました。

 係争中でありながらも"名ばかり管理職"の「将来分」の残業問題を先に解消したことに対しては一定の評価できますが、こうした場合、原告以外の"名ばかり管理職"だった人も、訴訟を起こせば「過去分」が取り戻せるのではないでしょうか(この問題があるから、和解まで時間がかかった?)

マクドナルド訴訟で和解が成立し、記者会見する原告の高野広志 氏(2009年3月18日)[毎日新聞社]

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被害者・加害者の相談窓口とのやりとりをリアルに再現。男性側がひど過ぎ(人格障害?)。

壊れる男たち.jpg壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか (岩波新書)』['06年] 金子雅臣.jpg 金子雅臣 氏

 ルポライターである著者は、長年にわたり東京都の労働相談に従事していた人で、東京都は「セクハラ相談窓口」を早くから設け、解決に導く斡旋システムを作り、実績を残してきたとされる自治体ですが、本書では、どういった形でのセクハラ相談が「女性相談窓口」に持ち込まれ、役所命令で召喚された加害男性はどう抗弁し、それに対して彼自らに非があることをどのように認めさせ、斡旋に持ち込んだかが、会話のやりとりそのままに描かれています。

 とにかく、本書の大部分を占める5件の事例における、被害者、加害者と相談窓口とのやりとりが、秘密保持の関係で一部手直しされているとは言え、非常にリアルで(岩波新書っぽくない)、こうした当事者間の問題は、真相は「藪の中」ということになりがちなような気もしますが(実際、アンケート調査で用いた架空事例については、好意かセクハラか意見が分かれた)、本書で実際例として取り上げられているものは、何れもあまりにも男性の方がひどい、ひど過ぎる―。

 まず、セクハラの加害者としての意識がゼロで、被害者の気持ちを伝えると、今度は一生懸命、「藪の中」状況を作ろうとしていますが、すぐにメッキが剥がれ、それでも虚勢を張ったり、或いは、最後は会社を解雇されたり妻に離婚されたりでボロボロになってしまうケースも紹介されています。

 こうした問題に関連して最近よく発せられる、職場の男性は"壊れている"のか?という問い対し、著者は上野千鶴子氏から「男性はもともと壊れている」と言われ、著者自らが男性であるため、それではセクハラを「する男」と「しない男」の分岐点はどこにあるのかを検証してみようということで、本書を著したとのことです(と言うことは、自分はハナから「セクハラをしない男」に入っているということ? この辺がやや偽善系の感じもするが...)。

 加害者となった男性が「男の気持ちがわからない女性が悪い」「なぜ、その程度のことで大騒ぎするのだ」などと反論することがまま見られるように、著者の結論としては、男性の身勝手な性差別意識の問題を挙げていて、セクハラを「する男」には押しなべて男性優位の考えと甘え発想があり、実はセクハラは"女性問題"ではなく"男性問題"であると。

 著者は、「気になること」(198p)として、性的なトラブルなどに現れる男たちが「著しく他者への共感能力を欠いている」「相手の人格を否定してでも自らの欲望を遂げようとする」といった傾向にあることを指摘しています。
 男性の願望によって造られた性のイメージが巷に氾濫していることも、「意識」が歪められる一つの原因としてあるかと思いますが、もともと、こうして勝手に頭の中で相手とのラブストーリーを描いてしまい、相手の抵抗にあってもそれを好意の裏返し表現ととってしまう男性は、「人格」に障害があるのではないかという気がしました。

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか.jpg 精神科医の岡田尊司氏は『パーソナリティ障害』('06年/PHP新書)の中で、自己愛性パーソナリティ障害の人は、あまりにも自分を特別な存在だと思って、自分を諭す存在などそもそも存在しないと思っているとしながらも、一方で、非難に弱く、或いは、非難を全く受け付けず、過ちを指摘されても、なかなか自分の非を受け入れようとはしない、としていますが、本書に登場する加害男性は、プライドは尊大だが非難には脆いという点で、共通してこれに当て嵌まるような気がしました。

岡田 尊司 『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)

 「意識」の面ではともかく、「人格(性格)」自体は変わらないでしょう。セクハラを繰り返す人は、意外と仕事面でやり手だったりするけれども、どこかやはり人格面で問題があり、権勢を振るったとしても、立っている基盤は不安定なのでは。
 セクハラ事件で退職に追い込まれた部長に対し、会社としてもいい厄介払いができたと思っているフシも見られる事例があったのが印象的でした。

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取得率向上には、やはり法的強制力を持たせないとダメか?

男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット.jpg 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット (中公新書)』 ['04年] 佐藤 博樹.jpg 佐藤 博樹 氏 (略歴下記)

子ども.jpg 本書のデータによると、日本における女性労働者が出産した場合の育児休業の取得率は64.0%、それに対し男性は0.33%、取得者の男女比は女性98.1%、男性1.9%とのことで('02年調査)、ほぼ同時期の調査における欧米諸国の育児休業取得率は、アメリカが女性16.0%、男性13.9%、スウェーデンが女性はほぼ完全取得で、取得者の男女比は64:36、ドイツが有資格者の95%が取得しているが父親は2.4%、イギリスでは男女とも12%が取得しているということで、国によってバラツキはありますが、男性の育児休業取得率が日本は特に低いことがわかります。

 本書は、前半やや硬いデータ分析や法令の解説が続くものの、それらの現状を踏まえたうえで、男性が育児休業を取得することの企業にとってのメリットや可能性を指摘し、例えば、休業中の職場の対応方法を講じることは、企業にとって単なるコストではなく、活性化や風土改革にもつながる可能性があることを説き、また近年言われる「個人の尊重」「ワークライフバランス」に先駆けて、働く者の自由な選択を尊重する考え方を提唱していて、ビジネスマンが「子供と触れ合える機会」を一定期間持つことの公私にわたる効用を説いている点などは、とりわけ個人的には説得力を感じました。
 男性が取る育児休業って、自分の生き方やキャリアを振り返るいい機会だと思うのですが、本書での報告例が、読売や毎日の記者のものだったりして―結局、"記事ネタ"としての育児休業取得になっている?)。

 それと、日本における男性の育児休業の取得率の低さの原因の1つに、育児休業法自体に少し問題があるのではないかという気がしました。
 育休法に従うと、1年間の育休を男女で分担して取得することは可能ですが、産後休業のときに男性が育休を取ると、通常、女性は「産休」明けから「育休」に入るので、その後男性は「育休」を取れない、つまり分割取得が出来ないようになっていて、これでは法自体が、男に「育休」を取るなと言っているみたいなものではないかと(その後、法改正でこの部分は見直された)。

 先のデータにあるように、北欧諸国は男性の育児休業取得率が高いですが、これは本書によると、ノルウェースやウェーデンでは「パパ・クォータ」とか「パパの月」などと言って、法律で、育児休業中の一定期間は父親が「育休」を取らないと、日本で言う育児休業手当がその間は支給されなくなるようになっているとのこと、つまり法に一定の強制力を持たせていることがわかります。
 その割り当て期間分の「育休」を終えると、北欧のお父さん達も殆どが仕事に復帰しているわけで、彼らが日本人の男性よりもフェミニストであるとか、子育てに熱心であるとか、少なくともデータをみる限りは、特にそういうことではないみたいです。
_________________________________________________
【佐藤博樹氏 プロフィール】
東京大学 社会科学研究所 教授
◆兼職
内閣府・男女共同参画会議議員、ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議委員
厚生労働省 労働政策審議会分科会委員、仕事と生活の調和推進委員会委員長
経済産業省 ジョブカフェ評価委員 他
人を活かす企業が伸びる.jpg◆主な著書(編著・共著を含む)
『人事管理入門』(共著、日本経済新聞社)
『男性の育児休業:社員のニーズ、会社のメリット』(共著、中公新書)
『ワーク・ライフ・バランス:仕事と子育ての両立支援』(編著、ぎょうせい)
『人を活かす企業が伸びる:人事戦略としてのワーク・ライフ・バランス』(編著,勁草書房) 他
(2009年3月現在)

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カウンセラーの数だけ手法があるということを実感。スピリチュアル系に偏り過ぎ?

もういやだ!この疲れた心を休め、甦らせてくれる心の専門家50人.jpg 『もういやだ!この疲れた心を休め、甦らせてくれる心の専門家50人』 ['09年/三楽舎]

 全国の心理カウンセラー50名の、1人1人のプロフィールや得意とする相談内容、手法、料金、連絡先など紹介した本で、心理療法やカウンセリングというのはカウンセラーの数だけそのやり方があるということを実感させられました。

 とりわけ最初の約10人のカウンセラーについて、インタビュー取材を中心としてかなり詳しく紹介されていて、冒頭の日本催眠心理研究所の米倉一哉氏の話などは、カウンセリング事例としても興味深く、また、心理療法の現場の雰囲気が伝わってくるものでした。

 前の方で紹介されているカウンセラーは催眠療法を主としている人が多いようですが、その中にも、ロシア軍が開発した高度健康チェックシステムを導入しているとか、退行催眠療法だけでなく「前世療法」もやっているとか、いろいろな人がいるなあと。

 その後にも、「チャネリング」とか「遠隔ヒーリング」を得意とする人が多く登場し、ソウルヒーリングやインターチャイルド、レイキといった用語が出てくるし(こうした用語については冒頭に用語集で解説されていて、その点は親切)、クライアントのオーラーが見えるとか霊感が強いとか、結構スピリチュアル系の人が多いように思いましたが、実際にカウンセラーとして開業している人たちにはこうした人が多いのでしょうか。

 透視鑑定とか自然療法まで出てきて、どこまでを心理療法と呼ぶかということもありますが、相談に訪れる人がいる限り、絵画セラピーであろうとフラワーセラピーであろうとセラピーなのだろうなあ。後は、カウンセラーを選ぶ側の自己責任の問題であって。

 カウンセラーのパブリシティ記事を集めたような本かなとも最初は思い、実際、インタビューではなく本人の自己PR形式のものも一部にあったものの、全体としては、「薬に頼らず、じっくり相談者の話を聴いてくれる先生を取り上げよう」という取材班の意向は反映されているように思いました(価格1,000円も良心的)。

 紹介されている心理カウンセラーの前職は様々ですが、その多くが、かつて自分自身が「心の病」を抱えた相談者の立場だったというのが興味深かったです。

 あまり偏見を持つのもよくないけれど、やはりどうしても、スピリチュアル系に偏り過ぎているように思えるのが残念。

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企業のメンタルヘルス対策の底の浅さ、考課システムから抜け落ちるアナログ面を指摘。

職場はなぜ壊れるのか3.jpg職場はなぜ壊れるのか.jpg        こんな上司が部下を追いつめる.jpg
職場はなぜ壊れるのか―産業医が見た人間関係の病理 (ちくま新書)』『こんな上司が部下を追いつめる―産業医のファイルから (文春文庫)

 前著『こんな上司が部下を追いつめる-産業医のファイルから』('06年/文芸春秋、'08年/文春文庫)は、職場で業務に追われて過労死し、或いはそこまでいかなくとも、精神的余裕を失っている労働者の背後には、部下の仕事をマネジメントする意識が薄く、何らサポートせず何もかも部下に押しつけて部下を追い込み、人材潰しをしている上司がいることを、産業医の視点からリアルに指摘していましたが、働く側の共感を得るところが大きかったのか、よく売れたようです(それなりの数の上司たる人も読んだとは思うが)。

 但し、「こうした問題を組織体としてどうするかを考えるのがカイシャではないか」という意見も前著には寄せられたようで、個人的にも、サラッと読めて終わってしまった物足りなさのようなものがありましたが、本書はそれに応える形で、上司個人の問題からより踏み込んだ「職場の人間関係」に視野を拡げ、その背景にある人事システム、端的に言えば「成果主義」に対する、問題点の指摘と批判を行っています。

 前半部分は、事例を挙げて前著をリフレイン(現象面の表記)している感じでしたが、中盤から、成果主義がもたらした職場における人間関係の変容や、目標管理・人事考課制度の問題点などを指摘していて、ぐっと考察が深まる感じ。
 但し、成果主義に警鐘を鳴らしながらも、それに代わるシステムを提唱することは、(ここまで企業の人事制度等の内実に通暁していれば、出来ないこともないのだろうが)「専門外」であるとして敢えて行っておらず、そのことに対する批判もあるかも知れませんが、個人的にはむしろ、自らの専門領域に留まることで、メンタルヘルス対策に対する国や企業、医療関係者のあり方への痛烈な批判の書となっているように思えました。

 例えば、過労自殺を巡る裁判のあった会社の「結果を厳粛に受け止め、社員の健康管理について改善を進めたい」というコメントに対し、「労働衛生の3管理」と言われる「作業環境管理、作業管理、健康管理」は、この順番で優先されるべきであり、「健康管理」よりも先に「作業環境管理」や「作業管理」を行わなければならない(社員を守るのは「健康管理」ではない)と著者は述べていますが、この点をわかっている経営者はどれぐらいいるでしょうか。

 ひと月当たり100時間を超える時間外労働をした人が疲労を訴えた場合は、医師による面談を行うことが、安衛法の改正により義務づけられましたが、労働者が「ノルマが達成できない」と言えば「達成できるノルマに代えてもらったら?」と言い、「仕事が終わらない」と言えば「社員を増やしてもらったら」と医師が言うだけでは、労働者にとっては何ら解決にならず、却って落ち込むというのは、確かにその通りで、労基署の監督官などにも、これに近い対応が見られるのではないでしょうか。

 人事制度そのものには踏み込んでいないものの、目標管理と人事考課のデジタルな連動には大いに疑念を挟んでいて、個人的には成果主義そのものが悪であるとは思わないのですが(著者自身も、そうした仕組みを入れざるを得ない業態があることを認めている)、人事考課がゲーム感覚となり、人事のアナログの部分が抜け落ちてしまうことを著者が指摘している点は、大いに共感しました。

 アナログ面、例えば、職場のモラルとか...。上司が部下を立たせたまま長時間にわたり説教してたり、女子社員が机に伏して泣いているのに周りの社員は「またか」と言う感じで仕事を続けている、といった職場は、どれだけ業績を上げていても、やはり「壊れている」のだろうなあ。

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税制適格年金廃止を考える中企業向け。自社適合を探る仮想討議の内容が参考になる。

導入モデルでわかる適格年金のやめ方.jpg 『導入モデルでわかる 適格年金のやめ方』 ['08年]

 中小企業の退職金制度改革を、ケーススタディ形式でわかり易く説明したもので、同じく社内討議討を経ての新企業年金への道を事例形式(会話形式)で指し示したものとして『中小企業の退職金・適年制度改革実践マニュアル』(大津章敬 著/'06年/日本法令)がありましたが、これは、適格年金の中小企業退職金共済(中退共)への移行を、コンサルタントの導きにより経営陣が探る、というのが事例の流れでした。

 一方、本書の方は、3つの事例が用意されていて、何れも、現在の制度は「退職金一時金+税制適格年金」であり(退職金一時金は、退職給付制度全体の50%を超えていない)、そうした中で、3社3様に自社適合を模索しながらも(この本のケーススタディで提案をリードしているのは社内の人事部)、確定拠出年金(DC年金)への移行を中心に据えるか、或いは、適格年金の部分には中退共に移行するが、退職金一時金を確定拠出年金(DC年金)に移行するといった、確定拠出年金(DC年金)を入れる方向で、検討が進んでいきます。

 但し、これは前半のケーススタディ部分についてであり、後半の解説部分については、中退共、確定給付型企業年金についても解説されているほか、ケーススタディにおける選択肢や制度のサブシステムとして、確定給付や前払い退職金の話は出てきて、一足飛びに先に示した結論にいくわけでありません。
 この、自社適合を探るための人事部と経営陣や組合との討議内容が、たいへん参考になります。

 出発点が、本書のタイトル通り、「退職金・適年」ということで揃っているので、読者対象が絞り込まれていることになりますが、その分、制度本体の話だけでなく、新会計基準との絡みなど、退職金の制度問題と併せて中小企業が抱えるテーマについても、比較的突っ込んだ解説がされていています(但し、会話形式をとっているので難しくはならない)。

 適格年金を廃止して退職給付債務から解き放たれたい、本当は中退共に移行したいが、会社が一定規模以上であるために要件を満たさず選択できない、といった会社にはピッタリの本であり、確定拠出年金(DC年金)を入れるのであれば、今('09年)読まずしていつ読むのか、といった本でもあります。

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コンパクトでわかり易い。高年齢者処遇についての充分に的を射た内容。

65歳雇用延長の実務ポイント6.JPG65歳雇用延長の実務ポイント.jpg65歳雇用延長の実務ポイント2.jpg 
〔改正高年齢者雇用安定法〕 65歳雇用延長の実務ポイント

 '06(平成18)年4月に改正高年齢者雇用安定法が施行され、その前後に65歳までの雇用延長を巡る法律・実務関係の本が何冊か刊行されましたが、本書は、人事制度(処遇制度)を中心に据えて書かれた本の中では最もわかり易く簡潔に纏められた類のものと言えるかと思います。
 法改正の概要や就業規則の整備、雇用契約書の作成方法などにも触れられていますが、中心となるのは、「高年齢者のやる気を引き出す人事・賃金制度のつくり方」についてです。

 この法改正に対し、殆どの企業は、定年の廃止や引き上げではなく、「再雇用制度」や「勤務延長制度」などの継続雇用制度で対応し、とりわけ、従来の定年嘱託制度に近い「再雇用制度」という形をとる企業が多かったのですが、「再雇用制度」において、希望者全員を再雇用するとはしない場合、労使協定によって再雇用の対象者をどのように絞るかが、議論の焦点になることが多かったように思います。

 本書でも、その辺りの諸制度の概念整理や手順解説をしつつ、「再雇用制度」が最も現実的であるとしていますが、単に、「法律への対応」としてではなく、「高年齢者を活用する」という視点から、再雇用後の人事処遇全般について検討し、賃金・インセンティブなどの効果的なノウハウを解説しています(この点こそ、企業の裁量権が最も発揮できる部分であるとも言える)。

 再雇用の賃金制度については、もっと分厚い解説書では、いきなり「一定率減額給」の様々なパターンが詳細に示されているものが多いように思えますが、本書ではそれ以前に、「一律固定給」という考え方が示されており、採用するかどうかは別として、先ずここから検討を始めるのがスジではないかと思い(高齢者の場合、前年度に比べて業績がどうであったかということ以前に、職務価値評価という観点を入れた方がいいと思う)、更に「時給・日給制」も検討の視野に入れている点などにも共感しました。

 昇給・賞与制度についても書かれていますが、インセンティブや退職金制度(所謂、第2退職金)は、一般社員とはまた異なる観点でのものとなり、独立支援的な制度の導入も提案されています。

 コンパクトで価格も手頃(127p、1,100円)、制度設計の初心者でも読めて、内容的には高年齢者処遇について充分に的を射たものになっていると思いました。

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法改正を見越したような内容の本。きっちりとした考え方と手順が示されている。

パートタイマーのトータル人事制度.jpg  パートタイマーのトータル人事制度9.JPG 
パートタイマーのトータル人事制度―資格・考課・賃金制度構築のすすめ方』 ['05年]

 '08(平成20)年4月にパートタイム労働法(「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」)が改正され、「正社員と同視すべきパート労働者」の待遇を差別的に取り扱うことが禁止されるとともに、パート労働者の賃金を決定する際に、正社員との均衡を考慮し、職務の内容、成果、意欲、能力、経験等を勘案すること、正社員と職務と一定期間の人材活用の仕組みが同じ場合は、賃金を正社員と同一の方法で決定することなどが努力義務化されましたが、'05(平成17)年11月刊行の本書は、パートタイマーの人事・処遇制度の考え方や具体的な設計方法について書かれたもので、非正規雇用の増加を背景としたパートタイマーの戦力化要請に応えつつ、結果として、この法改正を事前に見越したかのような内容になっています。

 150ページほどの本ですが、その限られたページ数の中で、事例を示しつつ制度設計の基本理念を確認したうえで、等級制度、人事考課制度、賃金制度のそれぞれの設計・運用方法を簡潔にわかり易く解説しており、「トータル人事」の標記に沿った内容になっているかと思われます。

 職能資格制度のもとでの職能考課と業績考課の組み合わせを提唱していますが、正社員の方は、職能資格制度から職務・役割等級制度への移行が世の流れであるなか、確かにパートタイマーについては、企業ごとの実態にもよりますが、職能資格制度的な考え方から入っていった方が制度設計し易いケースも多いように思いました(この著者は、正社員についても「能力・成果主義」という呼称にて同じような考えを別著で提唱しているのだが)。

 職能調査の実施や職能資格基準の作成、業績考課制度の設計、レンジ給と等級別昇給額の設定(レンジレートスタイル)など、やることは正社員の制度設計と変わりません。
 本書の内容自体には大いに賛同しますが、問題は、中小零細企業の場合、正社員においてすら、こうした制度の設計や運用がきちんとなされているかどうか、疑問に思われる点。
 賃金に関しては大部分が「努力義務」であること、制度設計を行う社内人材の不足問題などもあり、そのために、パート労働者の雇用管理の改善のため、評価・資格制度などを導入した場合の中小事業主向けの助成金制度が設けられたりはしていますが...。

「●や 山本 周五郎」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●よ 養老 孟司」【532】 養老 孟司 『バカの壁

現在のディズニーランド付近に昭和初期にあった"ネバーランド"を描いたともとれる作品。

青べか物語1.jpg 『青べか物語 (新潮文庫)』 ['64年初版/'08年改版/'18年改版

 「浦粕町は根戸川のもっとも下流にある漁師町で、貝と海苔と釣場とで知られていた。町はさして大きくはないが、貝の缶詰工場と、貝殻を焼いて石灰を作る工場と、冬から春にかけて無数にできる海苔干し場と、そして、魚釣りに来る客のための釣船屋と、ごったくやといわれる小料理屋の多いのが、他の町とは違った性格をみせていた」という書き出しで始まるこの物語は、今では東京ディズニーリゾートのある場所というイメージが真っ先に来る千葉県・浦安市の昭和初期の町の様子がモデルになっていて(今とはまさに"隔世の感")、そこに暮らす人々の一見常識外れで無節操に見える振る舞いの底にある、素朴で人情味ある気質や強く生命力に溢れた生き様を30ばかりのエピソードで綴っています。

 蒸気船の発着場所付近に居を構えたことから、町の人から「蒸気河岸の先生」と呼ばれている売れない作家の「私」は、"狡猾"な老人から青塗りの「べか舟」を買わされて最初はそのことを後悔しますが、やがてこの「青べか」で浅瀬や用水堀に出て釣りや昼寝を楽しむようになり、と言って、町の人々に同化するのではなくあくまでも部外者として、そうした個性あふれる地元の人々を定点観察しているようなスタンスです。

30年ぶりに再開して当時を振り返る周五郎氏(左)と吉野長太郎(右).jpg この作品は1960(昭和35)年1月から12月にかけて「文藝春秋」に連載されたもので、この年、作者は57歳。実際に作者が浦安に住んだのは、1924(大正15)年からの3年間、23歳から26歳までの間のことで、町の人から「先生」と呼ばれているけれど、まだ若かったのだなあと。

 文庫版解説の平野謙(1907-1978)が、この作品を「ノン・フィクションとみせかけた精妙なフィクションにほかならぬ」ものとしていますが、確かに登場する人々はむしろ作者の歴史時代小説に出てくる人物に近いかも。
 浦安を「浦粕」、江戸川を「根戸川」と置き換えている時点で、作者自身が既にそのこと(この物語がフィクションであること)を断り書きしているともとれますが、30年前を振り返りながら書いていることから、"ネバーランド"的な理想化が施されていることは、作者自身も自覚していたのではないでしょうか。この作品は昭和37(1962)年に新藤兼人脚本、川島雄三監督、森繁久弥主演で映画化されています。

[上]30年ぶりに再会し当時を振り返る山本周五郎(左)と吉野長太郎(右)(「船宿・吉野屋」のホームページより)

2d49a1246d42c540d75af2ca2bf72683.jpg 浦安を離れて8年後と30年後(昭和35年11月)にその地を再訪した際のことが、最後の「おわりに」「三十年後」にそれぞれ綴られていて、「留さん」という男のその男甲斐の無さを短篇に書いて既に発表していたその本人に8年後に偶然遭って、書かれたものを大事にとってあり「家宝」にすると言われて衝撃を受け、30年後の訪問でその死を知るくだりは、一気にノンフィクション感が高まり、この虚実皮膜の間がこの作品の妙なのかもとも思いました。
 常に「私」を味方してくれた船宿の三男坊の小学生「長」が、船宿の主人になっていたということもさることながら、その、「長」こと長太郎が「私」のことを記憶していなかったということなどからも、同じような印象を抱きました。

 所収の短篇中、平野謙は、「白い人たち」や「朝日屋騒動」などを感銘したものとして挙げていますが、個人的には「白い人たち」には純文学に近いものを感じ(平野謙は"純文学"という概念をある意味否定した評論家でもあるが)、平野謙が特に推してはいない「蜜柑の木」「水汲みばか」「砂と柘榴」「繁あね」「土提の春」「芦の中の一夜」などが好きな作品、平野謙が"反撥"したという「家鴨(あひる)」もいいと思いましたが、やはり一番は「蜜柑の木」かな。登場する夫婦にしたたかさを感じました。
  
映画 青べか物語.jpg「青べか物語」('62年/東宝)監督:川島雄三/原作:山本周五郎/撮影:岡崎宏三/音楽:池野成/美術:小島基司/脚本:新藤兼人
出演:森繁久彌/東野英治郎/南弘子/丹阿弥谷津子/左幸子/紅美恵子/富永美沙子/都家かつ江/フランキー堺/千石規子/中村メイコ/池内淳子/加藤武/中村是好/桂小金治 /市原悦子/山茶花究/乙羽信子/園井啓介/左卜全/井川比佐志/東野英心

 【1964年文庫化・2008年・2018年改版〔新潮文庫〕】

《読書MEMO》
●所収33篇
はじめに/「青べか」を買った話/蜜柑の木/水汲みばか/青べか馴らし/砂と柘榴/人はなんによって生くるか/繁あね/土提の春/土提の夏/土提の秋/土提の冬/白い人たち/ごったくや/対話(砂について) /もくしょう/経済原理/朝日屋騒動/貝盗人/狐火/芦の中の一夜/浦粕の宗五郎/おらあ抵抗しなかった/長と猛獣映画/SASE BAKA/家鴨(あひる) /あいびき/毒をのむと苦しい/残酷な挿話/けけち/留さんと女/おわりに/三十年後

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数学関係者の働きかけにより復刊された児童文学の名著。物語としても面白い。

算法少女 文庫.jpg算法少女 (ちくま学芸文庫)』['06年] 算法少女 1973.jpg算法少女 (1973年)』  
算法少女 元.jpg
 1973(昭和48)年10月刊行、1974(昭和49)年度・第21回「産経児童出版文化賞」受賞作。

 父・千葉桃三から算法の手ほどきを受けていた町娘のあきは、寺に算額を奉納しようとしていた旗本子弟・水野三之助一団に出遭うが、掲額された算額の誤りに気づいてついそれを指摘してしまい、関流宗統・藤田貞資の直弟子であることを日頃から鼻にかけていた三之助の怒りを買う。その場は穏便に引き下がろうとしたあきだったが、執拗な三之助の追及に対し逆に三之助を論破してしまい、そのことが評判となって算法家としても知られる久留米藩主・有馬頼徸から姫君の教育係として召抱えたいとの申し入れがあり、それを阻止しようとする藤田貞資の画策により、関流を学ぶもう1人の"算法少女"と算術対決をさせられることになる―。

 児童文学者である著者は、子供の頃に父親から江戸時代に女性が書いた和算書があるという話を聞いて、国会図書館でその『算法少女』(1775年刊行)という古書と出会ってこの物語の想を得たということですが、単に和算に優れた少女の話というだけでなく、史実を織り交ぜながらも、藩政に絡む色々な謎めいた人物が登場して、物語としても面白かったです(小学校高学年以上向けと思われるが、大人でも充分楽しめる)。

 あきと彼女に和算を教わる子供達を通して、江戸時代の庶民の生活の中での算術の需要というのもよく伝わってきたし、あきの父で学者肌の貧乏医者・千葉桃三と、世事に長けた俳人であきの才能を世に知らしめようと尽力する谷素外の取り合わせも面白く、最後に谷素外の意外な正体(?)も明かされる...。
 もともと、古書『算法少女』の著者「壺中隠者」と「平氏(章子の印)」とは誰なのか長らく不明だったようですが(あとがきは谷素外)、研究者により、「壺中隠者」とは医師・千葉桃三だということが判明したとのこと(その娘が章子)。

算法少女.jpg 「ちくま学芸文庫版あとがき」によれば、本書の出版から十数年を経て増刷が打ち切られた時、「本も商品ですから」と著者は増刷を諦めてかけていたのが「復刊ドットコム」に登録され、その後も多くの数学関係者の働きかけがあって30年ぶりの復刊に至ったとのこと。
 本書の中には代数問題だけでなく幾何問題も出てきて、「学芸文庫」に入っているのは、「児童文学」と言うより「数学(科学)」という分類になっているためのようですが、箕田源二郎の数多い挿画までも余さず復刻されていて、実際にどういう道具を使ってそうした問題を解くのかなどが分かるのが良かったです。

 【2006年文庫化[ちくま学芸文庫]】

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「サブカルの人」だが、小説一本に注力したら結構な数の読者を獲得するかも。

真理先生.jpg 『真理先生』 (2009/01 青林工藝舎)Let's go 幸福菩薩.jpg『Let's go 幸福菩薩』 ['85年/JICC出版(絶版漫画)]

 本書の著者・根本敬氏は、80年代に「ガロ」でデビューした漫画家で(自称「特殊漫画家」(?))、蛭子能収氏のプロダクションに籍を置く傍ら、漫画だけでなくエッセイから映像プロデュース、音楽評論まで幅広く手掛け、「サブカル(チャー)の人」と言った方が分かりが早い感じの人。
 '08年にそれに相応しい「みうらじゅん賞」を受賞し、この賞は、イラストレーターのみうらじゅん氏が勝手に定めた賞ですが、これまでの受賞者では、いとうせいこう、泉麻人、安斎肇、山田五郎などの各氏がいて、本書の帯に推薦文を書いているリリー・フランキー氏もその1人と言えば、何となくこの人の系譜がわかりそうな感じもします(但し同賞は、最近では叶姉妹、ギャル曽根、サミュエル・L・ジャクソンなども受賞対象となっていて、何だかよく分からない賞になりつつあるが)。

 本書は著者のもう何冊目かになるエッセイ集ですが(随分とすっきりした表紙になったなあ)、真ん中に中篇小説が収められていて、これがやたらに面白かったです。
 エッセイも、日常の出来事や時事批評的なものから哲学的な思索まで話題の対象は広く、かなり話があちこち飛躍して、それらが錯綜している感じ。それにサブ・カルチャー的な話題が絡んでややマニアックな面もあり、この"書きなぐり"風は計算づくなのか、それとも本当に"書きなぐって"いるのか、よく分かりません(水木しげると赤塚不二夫を、それぞれ違った意味で尊敬していることは分かった)。

 それに比べると、ある男の一代記(性遍歴が主)である「小説」は、「河村さんだけど、アレは奥さんの方の姓でね、元々は加藤さん。フルネームは河村清定」なんて調子でいきなり入っていくところから、後で思えば巧妙に計算されていたように思え、最後はやや漫画チックでしたが、途中意外な展開もあり、とにかく登場人物が生き生きと描かれていて、更に文章のリズムが良く、野坂昭如のデビュー当時の小説を読むように楽しませてもらいました。
 敢えて「小説」とし、特にタイトルをつけていないのは、本人は"素人の習作"のつもりだからなのでしょうか。小説としては"玄人はだし"だと思うのですが。

 小説を読み終えて、またエッセイを読むと、エッセイも小説っぽいリズムであることに気づき、道理でエッセイから小説に移った時に、変に作ったという印象が無かったわけだ...(実際には、先に述べたように巧みに計算されているのだが)。

 この人、暫くの間は小説一本に注力したら結構な数の読者を獲得するかも。メジャーになり過ぎることを嫌う固定ファンがいるかも知れないけれど。

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4篇の中では、登場人物(ホテルを訪れる客の数)が少ないものの方が良かった。

あぶな坂HOTEL.jpg  いまのきもち.jpg 中島みゆき 「いまのきもち

あぶな坂HOTEL (クイーンズコミックス)』 ['08年/集英社]

 あの世とこの世の間に建つ"あぶな坂HOTEL"。ここにやってくる客達は、心に背負い続けてきた重荷を抱えたまま生と死の狭間でゆたっている。進むべき方向は生か死か―。

 '05(平成17)年末から'07(平成19)年末にかけて雑誌「YOU」に間歇的に発表された"あぶな坂HOTEL"を舞台とする連作「あぶな坂HOTELの人々」「女の一生」「3人のホスト」「雪山へ」の4篇を収録。
 同じ作者の『あぶない丘の家』とは関係無く、中島みゆきの1976年のデビュー作「私の声が聞こえますか」のオープニングの曲(2004年リリース「いまのきもち」のオープニングにも所収)のタイトルからとっていますが、それぞれ短篇というより中篇に近い長さがあり、それなりに楽しめました(新書版で単巻なので気軽に読めるのもいい)。

 「あの世とこの世の境目」とか「吹雪に埋もれたホテル」とか「謎の美貌の女主人」とか、考えてみれば手垢のついたモチーフなのですが、それらを組み合わせて今風に仕上げてしまうところが、大御所の健在ぶりを示しているとでも言えるでしょうか。

 ホテルの中では時間や人々の記憶も錯綜していて、そこから話は色々な展開を見せますが、これで登場人物(ホテルを訪れる客の数)が多過ぎるとドタバタ喜劇みたくなってしまい(「有頂天ホテル」じゃあるまいし)、個人的には、登場人物が少ないものの方が良かったです。

 スキーに打ち込んでいた兄弟の愛情を描いた「雪山へ」(主要"客数"2)は、プロットのひねりが効いていたように思えましたが、親子の愛情がテーマとも言える「女の一生」(客数1)が、まったく予期しなかった展開で("銀乃"っていうのは、言われてみれば昔風の名前だったが)、老女が橋を渡っていくラストにしみじみとした味わいがありました。

 しかし、考えてみれば(そんな真剣に考えるほどのことでもないのだが)、"由良"は何度も死にかけた"銀乃"を追い返しているわけで、裏を返せば、一定の《生殺与奪権》を握っているのだなあと。

死神の精度 文庫.jpg この辺りは、伊坂幸太郎氏の『死神の精度』に出てくる死神こと"千葉"などが殆ど「見届けエージェント」に過ぎなかったのとは違うわけで、ニヒルな死神の"千葉"などよりも、中島みゆき似の"由良"の方がむしろ怖いとも言えるし、"千葉"が現れたら殆どアウトだけど、"由良"ならば、現世に未練があればちょっと現世に帰して貰うようお願いしてみる余地があるとも考えられるか?

伊坂幸太郎 『死神の精度 (文春文庫)

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稲田和子の洗練されたリズミカルな文章と太田大八のダイナミックな画調が冴える。

天人女房.jpg天人女房』 あおい玉 あかい玉 しろい玉.jpgあおい玉 あかい玉 しろい玉

 天女の水浴びを見かけた牛飼いが一目惚れをしてその羽衣を隠してしまったため、困った天女はそのまま牛飼いの妻となり、夫婦は子にも恵まれが、ある日偶然に羽衣のありかを知った天女は、子達を連れて天へ―。

 「天人女房」というは昔話には、羽衣を取り戻した天女が去ってお終いという「離別型」と、天女が去った後、男が竹などを植えて、それを伝い天上に行って天女の両親である父母神に会い、父神の出す難題を妻である天女の助けを得て解決するが、最後に瓜を割ると洪水になり、天女と男は離別するという「天上訪問型」、その離別した男と天女は七月七日だけは会うことが出来るという、中国の七夕伝説と結合した「七夕型」の3パターンあるそうで、奄美大島に伝わる伝承をベースにしているという本書は前2パターンを包含した最後の「七夕型」です。

 2007(平成19)年刊行された本書の作者である稲田和子(1932‐)氏は半世紀以上にもわたり昔話の採集・研究にあたってきた専門家で、この絵本の最後のページの氏の解説によれば、「たなばた」は『古事記』や『日本書紀』では「たなばたつめ(棚機津女)」と呼ばれる神聖な機織の乙女で、祭祀に先立って水上にせり出した棚で来臨する神々の衣を織るのが役割だったとのこと(要するに"天人"ではなく"人間"だった)。それが、中国から彦星と織姫星の話が伝わって、『万葉集』の頃には既にそれらが融合した今あるような形のロマンスになっていたらしいです(中国から暦が伝わってきた際に一緒に「節句」というのも伝わってきたわけで、そう考えれば「七月七日」を祝うというのは本来は"中国"風)。

 稲田氏は学究者ですが、絵本におけるその文章は非常に洗練されていてリズミカル、また、同じく半世紀以上にもわたり絵本画を手掛けてきた太田大八(1918‐2016氏の絵も、スケールの大きな話に相応しいダイナミックなものです。

 この両者の組み合わせでは、前年の2006(平成18)年刊行された『あおい玉 あかい玉 しろい玉』('06年/童話館出版)も良かったですが、これも異界との接触がモチーフになっている伝承と言え、山姥とお和尚が術比べをし「小さいもんになれるか」と和尚が山姥を挑発する話と言えば、ああ、あれかと思い当たる人も多いのでは。

 この絵本でも、稲田氏の詩韻のような文調は絶妙で、太田氏の画も生き生きしていて、時に重厚、また時に軽妙(途中、山姥に捕えられた小僧を救う「便所の神様」というのが、何だか若いサラリーマンみたいな感じなのには笑ったが)、裏表紙に描いてある和尚と小僧がニコニコしながら餅を食べている画が、話全体のオチになっているというのも楽しいです。

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絵本作家であり、シニカルな風刺画家であり、エログロ・アートも手掛ける作者の絵本。

すてきな三にんぐみ.jpgThe Three Robbers.jpg  フォーニコン.jpg Jean-Thomas (Tomi) Ungerer.jpg Jean-Thomas (Tomi) Ungerer
すてきな三にんぐみ』['69年/偕成社]/"The Three Robbers" /『フォーニコン』['99年/水声社]

Tomi Ungerer.jpg 黒いマントに黒い帽子の泥棒三人組は、次々と馬車を襲い、奪った財宝をかくれがにため込んでいたが、ある夜、三人組が襲った馬車に乗っていたのは、意地悪な親戚に引き取られるところだった孤児のティファニー。親戚に引き取られるぐらいならこの三人組の方がおもしろそう!と泥棒の隠れ家に行き、宝の山を見て「これ、どうするの?」―。

ゼラルダ.JPG 1961年に絵本作家トミー・アンゲラー(ウンゲラー)(Tomi Ungerer)が30歳で発表した絵本で(原題:Die Drei Räuber、英題:The Three Robbers)、三人組の泥棒がひょんなことから全国の孤児を集めて城をプレゼントするというハッピーエンドですが、ここまで色んなものを削ぎ落として話を単純化してしまっていいのかなあというぐらいシンプルなストーリーで(「富の再配分」がテーマであるとも言える)、それでも日本では人気の高い作品です(手元にある偕成社の'06年版は166刷になっている)。アンゲラーの作品の中では同系統の作品とも言える『ゼラルダと人喰い鬼』(英題:Zeralda's Ogre)なども、日本でも結構読まれているのではないでしょうか。

ゼラルダと人喰い鬼 (評論社の児童図書館・絵本の部屋)

 トミー・アンゲラーは1931年フランス生まれで高校を中退して北欧やアフリカを放浪した末、1957年、25歳でニューヨークに渡り、職探しに苦労しながらも広告美術の世界に仕事を得、絵本創作の傍らイラストレーター、ポスター作家、グラフィックデザイナーとして現在も多彩な活躍している人で、この作品も、黒や藍をベースとした鮮明な色調に、グラフィックデザインのような特色が窺えます。

"Une Soiree Mondaine (THE PARTY)"より
Une Soiree Mondaine (THE PARTY)2.jpgUne Soiree Mondaine (THE PARTY).jpgアンゲラー1.jpg 自分の娘に捧げたこの絵本にはほのぼのとした味わいがありますが、彼のイラスト作品などの多くは毒気を含んだ風刺精神に満ちたもので(絵本の動物戯画などにもそれが現れている)、その戦争や差別に対する批判には、人間や社会に対する彼自身のシニカルな視線が感じられます(社交界の紳士淑女を痛烈に諷刺した『THE PARTY』は有名)。これは彼が移民というマイノリティであったことに関係しているのかも知れませんが、この作品の泥棒達も隠れ家に潜む"義賊"であり、「富の再配分」を実践することで、金持ちをストレートに批判しているともとれます。

TOMI UNGERER:FORNION.jpg"Fornicon"より
Fornicon2.gifFornicon1.gif アンゲラーには「機械仕掛けの欲望装置」というコンセプトに基づく"SM×ナンセンス"がオンパレードの『フォーニコン(Fornicon)』というイラスト作品集(作中の絵を模したフィギアも作っている)もあります(いやらしいというより、どことなくお洒落なセンスが漂うけれど、やはりドイツっぽいなあ)。
   
TOMI UNGERER: "FORNICON"  1971年 DIOGENES(ドイツ語版)

アンゲラー2.jpg Tomi Ungerer4.gif そうかと思えば、社会的活動としてはフランスとドイツの文化交流の橋渡しにも尽力していたりし、人間の多面性というものを如実に示しているアーティストだと思います。

 左のイラストなどはその両方の要素("エロ・グロ"と"仏独友好")が入っているとも言えますが...、大丈夫なのかなあ、こんなの描いて。

「●海外絵本」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1080】 M・センダック 『かいじゅうたちのいるところ
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大人が読んでもギョッとさせられるが、いじめ問題からグローバルな視点への展開が特徴的。

leif kristiansson not my fault.jpgわたしのせいじゃない.jpg  たんじょうび.jpg
Not My Fault』1st English Ed版['03年] 『わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ)』['96年] 『たんじょうび―ゆたかな国とまずしい国 (あなたへ)

不是我的錯.jpg スウェーデンの作家レイフ・クリスチャンソン(Leif Kristiansson)による「あなたへ」と題したシリーズの6冊目で(原題:Det var inte mitt fel /Not My Fault)、1973年の原著刊行か(奥付では1976年。途中で版元が変わっている?邦訳の刊行は1996年)。

中国語版

 1人の男の子がいじめられて泣いていて、それについての15人の子供たちの「始まりは知らない」「みんながやったんだもの」といった言い訳が続く。
そして最後に「わたしのせいじゃない?」という問いかけがあって、世界で繰り広げられている戦争や飢餓、環境汚染などを象徴的に示した写真が続く―。

 シンプルな絵本の後にいきなり核実験の写真などが出てくるため、大人が読んでもギョッとさせられますが、日常の「小さな無責任」が、時として恐ろしい現実に繋がること、世界中で起きている悲惨な出来事が「見て見ぬふり」によって支えられていることを表しているかと思います。

わたしのいもうと.jpg 同じく「いじめ」をテーマとして扱った松谷みよ子氏のわたしのいもうと』('87年/偕成社)がいじめを受けた本人とその家族の苦しみに焦点を当てているのに対し、こちらはいじめる側の責任逃れを追及していますが、一気に世界規模の問題に関連づけるというグローバルな視点が特徴的と言えば特徴的。

 作者は学校の社会科の教師だったそうですが、スウェーデンでは学校の授業もこんな具合にやっているのかなあ(やってそうな気がするが)。
 外国の新聞は国際記事が1面に来ることが多いのに対し、日本の場合、中央紙でも政局の動向とか内政記事がトップに来るのが殆どで、殺人事件などあればそれをトップに持って来て読者の関心を引き付ける新聞社もある―そういうことを思うと、国外に眼を向けるといった習慣を身につける機会が日本の教育現場では不足していて、そうしたことが、大人が読むところの新聞における紙面構成にも反映されているのかもと思ったりもしました(国際問題より殺人事件に関する情報の需要度の方が高い?)。

 『わたしのいもうと』に「読み解きマニュアル」のようなものがあるということに関してはやや違和感を覚えましたが、子供がショックだけを受けても...ということがあるのかも。
 一方、日本で本書を授業教材として用いる場合は、別な意味で、それこそ教師による十分な補足説明が必要だろうなあと思います(感想文を書かせたら「犯人は○番目の子だと思う」といった類のものがあったという話を聞いたことがある。本文と写真がリンクしていない)。

 「あなたへ」はシリーズ15冊全て訳出されていて、その多くがほんわりした読後感で終わるものであり、この『わたしのせいじゃない』の終わり方はやや特異(但し、本書の次の第7冊『たんじょうび』なども最後に報道写真が来るパターン)。
子供に与えるならば、シリーズを何冊か纏めて読ませ、この作者の"読み手に自分で考えさせる"という趣旨と言うか作風を掴ませたうえでの方がいいかも。文字面を追って読むだけだったら、あまりにあっさり読めてしまう文字数だけに。

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事実だったのかと思うとかなり重い。本人だけでなく家族をも苦しめる"いじめ"。

わたしのいもうと.jpg 『わたしのいもうと (新編・絵本平和のために)』 (1987/12 偕成社)

『わたしのいもうと』.jpg 1987(昭和62)年に刊行された絵本で、児童文学者である作者のもとへ届いたある手紙がもとになっており、その手紙には、小学4年の妹が転校した学校でいじめに遭い、その後に心を病んで亡くなったということが姉の立場から綴られていたとのことで、事実だったのかと思うとかなり重いです。

 妹には体中につねられたあとがあり、学校へ行けなくなって食べ物も食べられなくなり、母親は必死で、唇にスープを流し込み、抱きしめて一緒に眠り、その時は何とか妹は命をとりとめる―。

 「いじめた子たちは中学生になって、セーラーふくでかよいます。ふざけっこしながら、かばんをふりまわしながら。
 でも、いもうとはずうっとへやにとじこもって、本もよみません。おんがくもききません。だまって、どこかを見ているのです。ふりむいてもくれないのです。
 そしてまた、としつきがたち、いもうとをいじめた子たちは高校生。まどのそとをとおっていきます。わらいながら、おしゃべりしながら...。
 このごろいもうとは、おりがみをおるようになりました。あかいつる、あおいつる、しろいつる、つるにうずまって。でも、やっぱりふりむいてはくれないのです。口をきいてくれないのです。」

 いじめられた妹が鶴を折るのは、彼女が生きるために選んだ方法であったとも言え、それに対して母親も泣きながら隣の部屋で鶴を折るしか彼女の気持ちを共有する術が無いというのがやるせないですが、結局、妹は最後に"生きるのをやめる"ことを選択する―。
 「わたしをいじめたひとたちは もう わたしを わすれてしまったでしょうね」という言葉を残して。

 子の苦しみを共に分かち合い切れなかった母親の哀しみや、それらを見続けた姉の苦悩が伝わってくる一方で、かつての級友らが妹をいじめて何の良心の呵責も感じることなく生を謳歌していることに対する理不尽さを、姉が強く感じていることも窺えます。

 小学校中学年以上向きとのことですが、大人が読んでも考えさせられることの多い絵本であり、むしろ、これだけストレートな内容だと、子供に対するこの絵本の与え方は難しいと言えるかも。
 教育現場などでは、道徳の時間に副読本として使用することもあるようですが、"読み方マニュアル"みたいなものが出来てしまうことに対しても、個人的にはやや違和感があります。

 しかし現実には、こうしたいじめは、今もかつてより高い頻度で発生しているわけで、学校の授業で読み解きを行うのは必要なことかも(図書室に置きっ放しになっているよりはいい)。
 家庭内だと、親が読んでいつか子供に聞かせようと思っていても、なかなかそうした状況にならないのではないかなあ、内容が重すぎて。

「●き 桐野 夏生」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1132】 桐野 夏生 『メタボラ

作者らしい"毒"に満ちた短篇集。表題作の他では「愛ランド」が印象的。

アンボス・ムンドス.jpg 『アンボス・ムンドス』 ['05年] アンボス・ムンドス 文庫.jpg 『アンボス・ムンドス―ふたつの世界 (文春文庫)』 ['08年]

 「植林」「ルビー」「怪物たちの夜会」「愛ランド」「浮島の森」「毒童」「アンボス・ムンドス」の7篇を所収。何れも作者らしい毒に満ちた短篇。

 表題作「アンボス・ムンドス」は、小説家が旅先で知り合った塾講師の女性から聞いたある事件にまつわる話で、それは、かつて小学校の女教師であった彼女が男性教頭と海外へ不倫旅行に出かけている間に、彼女の担任の5年生のクラスの女子児童が崖から転落して死亡したという事件だが、実はその事件の背後には意外な真相があった―。

 憎しみやコンプレックスなどの人間の負の感情が表に噴出した時にどういったことが起こるか、或いはそうしたものが抑制を解かれ暴走した際に人はどういったことを起こすかといったことをこれらの短篇は端的に描いていますが、その憎しみやコンプレックスの主がすべて女性であることがこの短篇集の特徴で、中でも最後に収められている「アンボス・ムンドス」(この不倫カップルが泊まったハバナのホテルの名で、「新旧ふたつの世界」という意味。"表裏""明暗"という意味にもとれる)は、小学校5年生の女子児童の間のどろどろした感情を描いている点と、憎しみによる報復が対教師と対同級生の二重構造になっている点が衝撃的と言えば衝撃的。

 女性としての自分に自信がなく、家でもバイト先でも居場所がない24歳の女性が小さな悪意に目覚める時を描いた「植林」や、妻子持ちの男との不倫の恋に破れた女性の常軌を逸した行動を描いた「怪物たちの夜会」など、何れもどろどろして暗いけれども、谷崎潤一郎と佐藤春夫の間にあった"細君譲渡事件"に材を得た「浮島の森」は文芸小説といった感じだし、「毒童」はオカルトっぽく、バラエティにも富んでいるように思いました。

 個人的に表題作と並んで印象深かったのは、仕事仲間である中年女性3人組が、海外旅行で訪れた上海で、手違いから変なマッサージを受けて変な気分になった勢いでそれぞれの過去の性体験を告白しあう「愛ランド」で、ポルノチックではあるけれども、モチーフ的にも"毒"という意味でも他の作品と少し異質かも。
 覗き見的な興味を満たす部分もありましたが、語り手である主人公が3人の中で一番凡庸で当り障りないキャラクターに思われることが、後の伏線として効いているように思いました(この作品のモチーフは、形を変えて『東京島』に引き継がれた?)。

 【2008年文庫化[文春文庫(『アンボス・ムンドス―ふたつの世界』)]】

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1篇1篇は旨くまとめているなあという気がしたが...。「デッドゾーン」を思い出した。

死神の精度.jpg  死神の精度 文庫.jpg     デッドゾーン dvd.jpg ビデオドローム.jpg ザ・フライ dvd.jpg
死神の精度』 ['05年] 『死神の精度 (文春文庫)』 ['08年]/デヴィッド・クローネンバーグ「デッドゾーン デラックス版 [DVD]」「ビデオ・ドローム [DVD]」「ザ・フライ (特別編) [DVD]

 2004(平成16)年・第57回 「日本推理作家協会賞」(短編部門)受賞作(連作の第1部「死神の精度」に対する授賞)。

 人の死の1週間前に派遣され、その死について「可」または「見送り」の判断をすることを仕事とする死神の千葉は、クールでちょっとズレている雨男だが、その彼が、大手電機メーカーの苦情係の女性、兄貴分を守ろうとするヤクザ、吹雪でホテルに雪隠詰めになった宿泊客たち、近隣女性に恋するブティックの男性店員、逃走中の殺人犯、美容院店主の老婆の前にそれぞれ現れる連作。

 死という重いテーマを敢えて軽いタッチで扱っていて、最初は星新一のショートショートでも読んでいるような感じでしたが、千葉の冷静さを鏡として登場人物の心の機微もそれなりに描かれていて、結構突飛な(?)状況設定の割には、1篇1篇は旨く纏めているなあという気がしました。ゴダールの影響は引用フレーズなどでの面でのことであり、モチーフとしては、握手した相手の未来が見えるというスティーブン・キング『デッド・ゾーン』('87年/新潮文庫(上・下))に近いのでは...。

 作者が直木賞候補になったのは'03年『重力ピエロ』、'04年の『チルドレン』『グラスホッパー』に続き本作が4回目で、この時は東野圭吾氏の『容疑者χの献身』が受賞していますが、個人的には『死神の精度』の方がやや面白いかなあと(『グラスホッパー』の対抗馬が角田光代氏の『対岸の彼女』だったのはいたしかたないが)。この後'06年に『砂漠』でも直木賞候補となっていますが、'08年に『ゴールデンスランバー』が候補になったとき、ノミネート辞退をしています。

 ただ、この作品に関しても、「吹雪に死神」がいきなり本格推理調だったり(パロディなのか?)、最後の「死神対老女」が必ずしもそれまでの5話を収斂し切れているように思えなかったりし、全体構成において少し不満も残りました。

 直木賞の選考委員の何人かが、時には死神の精度が狂って失敗するケースも加えた方が良かったのではないかと言っていましたが(渡辺淳一、井上ひさし両氏)、仮にそうするならばそれはモチーフ自体の改変であり、かなり違った展開になってしまうような...。但し、タイトルはそうしたこともあるのかなあと思わせるタイトルなので紛らわしい気もしました(読んでみれば"精度100%"で、あとは死神が「可」の判断をするかどうかということだけではないか)。その最終判断にも、もう少し「見送り」の作品があってもよかったのではとの意見もありましたが(平岩弓枝氏)、それは言えているような気がします。

 「恋愛で死神」なども読後感は悪くなかったですが、ややメルヘンっぽい。阿刀田高氏さえ、「もっと深い思案があってよかったのではないか」と言っているぐらいで、この人が「△」では、他の直木賞選考委員も引いてしまうのではないかと個人的にも思ったりして...。― 殆ど、「選評」評になってしまいましたが。

 因みに、スティーブン・キングの『デッド・ゾーン』は、当時無名のデヴィッド・クローネンバーグ監督が「デッドゾーン」('83年/米・カナダ)として映画化し、'84年のアボリアッツ・ファンタスティック映画祭で批評家賞受賞、'85年6月の東京国際映画祭の"ファンタスティック映画祭"で観ましたが、キング原作の映画化作品の中ではいい方だったのではないかと。

ヴィデオドローム パンフ.jpgVideodrome [1982].jpg 当時の評判も良かったみたいで、同月には渋谷ユーロスペースで同監督の前作「ヴィデオドローム」('82年/カナダ)が上映され、ジェームズ・ウッズ主演のこの作品は見た人の性格を変える暴力SMビデオによって起きる殺人を描いたもので(鈴木光司原作の日本映画「リング」はこれのマネか?)、この2作でクローネンバーグの名は日本でも広く知られるようになりました(「ヴィデオドローム」は、ちょっと気持ち悪いシーンがあり、イマイチ)。
Videodrome [1982] /パンフレット

ヴィデオドローム01.jpg ヴィデオドローム02.jpg Videodrome
 
蠅.jpgザ・フライ.jpg その後、クローネンバーグは、ジョルジュ・ランジュラン原作、カート・ニューマン監督の「ハエ男の恐怖(The Fly)」('58年/米)のリメイク作品「ザ・フライ」('86年/米)を撮り(ホント、"気色悪い"系が好きだなあ)、ジェフ・ゴ「蝿男の恐怖」(1958).jpgールドブラムが変身してしまった「ハエ男」が最後の方では「カニ男」に見えてしまうのが難でしたが(と言うより、何が何だかよくわからない怪物になっていて、オリジナルの「ハエ男の恐怖」の方がスチールを見る限りではよほどリアルに「蠅」っぽい)、ただしストーリーはなかなかの感動もので、ラストはちょっと泣けました。

「ハエ男の恐怖」(1958)                   

デッドゾーン パンフ.jpgデッドゾーン 映画.jpg 「デッドゾーン」ではクリストファー・ウォーケンが演じる何の前触れもなく突然に予知能力を身につけてしまった主人公の男(スティーヴン・キングらしい設定!)は、将来大統領になって核ミサイルの発射ボタンを押すことになる男(演じているのは、後にテレビドラマ「ザ・ホワイトハウス」で合衆国大統領役を演じることになるマーティン・シーン)に対して、彼の政治生命を絶つために犠牲を払って死んでしまうのですが(未来を変えたということか)、これならストーリー的にはいくらでも話が作れそうな気がして、これきりで終わらせてしまうのは勿体無いなあと思っていたら、約20年を経てTVドラマシリーズになりました(テレビドラマ版の邦題は「デッド・ゾーン」と中黒が入る)。
The Dead Zone [1983] /パンフレット

アンソニー・マイケル・ホール 「デッドゾーン」s.jpg「デッドゾーン」    ドラマ.jpg テレビドラマ版「デッド・ゾーン」で主役のアンソニー・マイケル・ホールを見て、雰囲気がクリストファー・ウォーケンに似ているなあと思ったのは自分だけでしょうか。意図的にクリストファー・ウォーケンと重なるイメージの俳優を主役に据えたようにも思えます。

                      
'85年東京国際映画祭"ファンタスティック映画祭"カタログより
コデッドゾーン20761.jpgデッドゾーン dvd.jpg「デッドゾーン」●原題:THE DEAD ZONE●制作年:1983年●制作国:アメリカ・カナダ●監督:デヴィッド・クローネンバーグ●製作:デブラ・ヒル●脚本:ジェフリー・ボーム●撮影:マーク・アーウィン●音楽:マイケル・ケイメン●原作:スティーヴン・キング●時間:103分●出演:クリストファー・ウォーケン/マーティン・シーン/ブルック・アダムス/トム・スケリット/ハーバート・ロム/アンソニー・ザーブ●日本公開:1985/06●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:渋谷パンテオン (85-06-06)(評価★★★☆)

ビデオドローム.jpg「ヴィデオドローム」●原題:VIDEODROME●制作年:1982年●制作国:カナダ●監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ●製作:クロード・エロー●撮影:マーク・アーウィン●音楽:ハワード・ショア ●時間:87分●出演:ジェームズ・ウッズ/デボラ・ハリー/ソーニャ・スミッツ/レイ・カールソン/ピーター・ドゥヴォルスキー●日本公開:1985/06●配給:欧日協会(ユーロスペース)●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース (85-07-21)(評価★★★)
ヴィデオドローム5.jpgヴィデオドローム04.jpgヴィデオドローム03.jpg
David Cronenberg & James Woods

ザ・フライ dvd.jpgザ・フライges.jpg「ザ・フライ」●原題:THE FLY●制作年:1986年●制作国:アメリカ●監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ●製作:スチュアート・コーンフェルド●撮影:マーク・アーウィン●音楽:ハワード・ショア ●原作:ジョルジュ・ランジュラン「蠅」●時間:87分●出演:ジェフ・ゴールドブラム/ジーナ・デイヴィス/ジョン・ゲッツ/ジョイ・ブーシェル/レス・カールソン/ジョージ・チュヴァロ/マイケル・コープマン●日本公開:1987/01●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:大井武蔵野舘 (87-07-19)(評価★★★★)●併映:「未来世紀ブラジル」(テリー・ギリアム)


デッド・ゾーン tv.jpgデッドゾーン」.jpg「デッド・ゾーン」The Dead Zone (USA 2002~2007) ○日本での放映チャネル:AXN(2005~2010)
デッド・ゾーン シーズン5 コンプリートBOX [DVD]


 【2008年文庫化[文春文庫]】

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"ゆったり感"と突き抜けたようなナンセンスが大陸的な「天花粉」。『聊斎志異』的雰囲気。

天花粉.jpg 『天花粉 (希望コミックス)』 ['86年] 天花粉 文庫.jpg 『坂田靖子セレクション (第1巻) 天花粉 潮漫画文庫』 ['00年]

 昔の中国で、雨の日は読書、晴れの日は釣りという日々を過ごしていた1人の男が大魚を釣り上げるが、その大魚は竜になるために高い所へ連れて行って欲しいと男に言い、その願いを聞き、仙人のご馳走になりかけた重い魚を救い出して山頂までしょってきた男が、竜になった魚から貰ったお礼とは―というのが表題作「天花粉」のストーリーですが、突然変身自在のユーモラスな化け物が出てきて大魚の身代わりに仙人の鍋に入ったりしてシュール極まりなく、竜になった魚が「することないから」とまた戻って来て、若者の作ったお粥のご相伴に与ろうとするなど、展開も最後までかなりハチャメチャ、でも、全体を通して大らかでほのぼのしたムードに満ちています。

 その他に、お化けたちが自分達の運営するホテルに人間も泊めてみようと思いたったはいいが、そこはどういう訳か何事においても時間厳守のルールが敷かれていて、たまたま泊まった人間は大変に往生するという「定刻ホテル」や、夜中にパンに曜日の刻印を押す小人達の話「七人の小人」、魔王が自分の宮殿の壁紙の貼り替えに狂奔する「階段宮殿」など、'85(昭和60)年から'86(昭和61)年にかけて雑誌「コミックトム」に発表の全7話を収録。

珍見異聞.gif珍見異聞.2.gif 作者の作品カテゴリーとしては、『バジル氏の優雅な生活』のような英国シリーズや、『闇夜の本』のようなSF・ファンタジー、『珍見異聞』(文庫タイトル『芋の葉に聴いた咄』、『磯の貝に聴いた咄』)のような古典お化けシリーズなどがありますが、本書はそれら色々なものが混ざっている感じで楽しめます。

坂田靖子セレクション (第5巻) 芋の葉に聴いた咄 潮漫画文庫』 『坂田靖子セレクション (第6巻) 磯の貝に聴いた咄 潮漫画文庫

 「天花粉」単体では「古典お化けシリーズ」に近いのかも知れませんが、絵面だけでなく、この鷹揚とでも言うか"ゆったり感"と、突き抜けたようなナンセンスは、やはり大陸的だなあと。
 『珍見異聞』が『宇治拾遺物語』や『今昔物語』に近いとすれば、こちらは『聊斎志異』風とでも言うか(『聊斎志異』も狐の話が最も多く、狐に化かされたというのは日本の昔話の専売特許でも何でもないのだが)。

 作者の坂田靖子氏の作品は遠藤淑子氏などと並んで「全1巻」モノが多いので気楽に楽しめますが、とりわけ短篇集に味のある作品が多いように思います。

 【2000年文庫化[潮漫画文庫(『天花粉―坂田靖子セレクション (1) 』)]】

《読書MEMO》 
・「天花粉」...「コミックトム」(1985年11月号) ★★★★

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主人公を通して滲む時代風刺、創作者の虚無と苦悩、作者の「少女」性への愛着。

「十村十枝子」.jpg人間昆虫記.jpg  人間昆虫記  手塚治虫.jpg  人間昆虫記 大都社1986.jpg 
『人間昆虫記』 (COMコミックス増刊)['72年]/『人間昆虫記 (ハードコミックス)』['86年]/『人間昆虫記 (ハードコミックス)』 ['87年新装版]

人間昆虫記 プレイコミック.jpg 新進作家・十村十枝子の芥川賞の授賞式の日、別の場所で臼場かげりという女が自殺するが、臼場かげりと十枝子はかつて一緒に暮らしていたことがあり、十枝子が受賞した小説は、臼場かげりが書こうとしていた作品の盗作だった。
 十村十枝子は、以前は劇団の花形女優であり、その後グラフィックデザインで世界的な賞を獲っているが、実は彼女は、次々と才能のある人間に接近してはその才能を吸い取り、作品を盗んでは成長していく寄生昆虫のような女だった―。

 '70(昭和45)年5月から翌年にかけて秋田書店の「プレイコミック」('70年5月9日号〜'71年2月13日号)に連載された作品で、前年発表の『IL』と同じく、手塚作品では少数派の成人向けコミックであり、また、どちらかと言うと女性が主人公の作品は「少女」が主人公であることが多い手塚作品の中では、成人女性が主人公であるという点でも珍しい作品ではないでしょうか。

 この作品は第1に、十村十枝子という女性の鮮やかとも言えるほどの徹底したマキャベリスト的生き方を描いたピカレスク・ロマンであり、一方で、彼女は埋まることのない虚無感を常に抱いているわけで、高度成長期の日本の経済至上主義的な時代の空気(登場人物の名前が皆、昆虫をもじったものになっている)と、その裏側にある人々のいくら豊かになっても何となく満ち足りない気分や閉塞感を、旨く風刺的にこの十枝子という女性に託しているように思いました。

 第2に、この十枝子という女性は、芸術家と交際すればその芸術家が生み出す作品を自分で本人よりも先に生み出してしまうわけで、但し、彼女自身の中身は空っぽであり、(作中に連載中に自決した三島由紀夫がちらっと出てくるが)彼女は言わば"芸術作品至上主義者"であり、創作(模倣)に励めば励むほど彼女の自我は希薄になっていくという、これはある意味、作品を量産することを常に求められていた作者も含めた、創作者の虚無と苦悩の想いが込められているような気がしました。

 第3に、成人女性を主人公としたこの作品には、一見すると作者の成人女性に対する潜在的な恐怖心が現れているともとれるものの、十枝子という女性は見かけ上は成熟した大人の女性でありながら、その内面においては亡き母親の蝋人形を作ってそれに甘える「女の子」であり、その点においてはこれもまた「少女」的女性、大人になりきらない女性を主人公にした作品であると言え、手塚作品の主流を外れてはいないような気がし、またそこに、主人公に対する作者の愛着が感じられるように思いました。

『人間昆虫記』より
人間昆虫記 手塚.jpg

ドラマ人間昆虫記.jpgWOWOW・ミッドナイト☆ドラマ「人間昆虫記」2011年7月31日~9月11日[全7話]出演:美波/ARATA/久世星佳/鶴見辰吾/手塚とおる/、滝藤賢一/北村有起哉/中村敦夫/白石和彌/高橋泉

人間昆虫記 wide.jpg【1972年コミックス版[COMコミックス]/1974年コミックス版・1987年新装版[大都社(ハードコミックス)]/1979年文庫化[秋田漫画文庫(全2巻)]/1983年全集[講談社(全2巻)]/1995年再文庫化[秋田文庫(The best story by Osamu Tezuka)]/2007年コミックス版[秋田トップコミックスW]/2012年再文庫化[講談社・手塚治虫文庫全集]】

人間昆虫記 (秋田トップコミックスW)』['07年]

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薀蓄やテクニックだけではなく、ドラマ的にも結構面白かったが...。

ドラゴン桜 13.jpg ドラゴン桜 14.jpg ドラゴン桜15.jpg ドラゴン桜16.jpg ドラゴン桜17.jpg ドラゴン桜18.jpg ドラゴン桜19.jpg ドラゴン桜20.jpg ドラゴン桜21.jpg ドラゴン桜 ドラマ1.jpg テレビドラマ「ドラゴン桜」
ドラゴン桜 |モーニングKC [コミックセット])』 (全21巻)

 '03(平成15)年から'07(平成19)年まで講談社の「モーニング」に連載された作品で、'05(平成17)年度・第29回「講談社漫画賞」並びに第9回「文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」受賞作。'05(平成15)年にTVドラマ化もされましたが、自分にとって直接関わるテーマに思えなくて(画も上手だとは思えないし)第1巻だけ買ってずーっと読まずにいて、ドラマも1度も見ずにいたのが、連載終了を機に全巻まとめ買いして読んでみたら、当初のそれほど期待していなかった予想と違って結構面白かったです。

 主人公の男女2人の高校生は教師・桜木と出会ってひょんなことから受験生としては殆ど"無"の状態で1年後の東大受験を目指すことになり、最初から東大受験のノウハウ、薀蓄がだーっと出てきてやや圧倒されましたが、先月('09年3月)退官した東大の小宮山総長が以前から「知識の構造化」の重要性を説いており、実際、東大の入試問題は、詰め込みの知識ばかりを問うのではなく、それを構造化する"知恵"のようなものを求めているのだということがこのマンガでよくわかりました。

 ただ、どこまで自分の社会人としての勉強法に取り込めるかと思うとやや消化不良気味で、このままテクニック・オンリーで最後までいくのはキツイなあと思いながら、それでも教師・桜木の断定的な物言いと周囲との確執などに引き込まれて読んでいると、後半部分は2人の受験生の精神面の問題に重点が移行し、それがそのまま2人の成長物語になっているという―たまたま選ばれた2人に発奮する要因がそれなりに内包されていたというのがマンガの"お約束ごと"であるにせよ、何故ヒトは勉強するのかといった問題にまで踏み込んでいて、ドラマ的にも良く出来ていると思いました。

 巻が進むにつれて、このマンガの人気が出たせいか、教育関係者に限らず色々な分野の人のアドバイスが挿入されていますが、受験産業の業界人パブリシティみたいなものも少なからずあり、便乗商法ではないかとちょっと邪魔っ気に感じたりもしました。

  '04年に同じく講談社のマンガ雑誌で連載がスタートした『もやしもん』が'08年の「手塚治虫文化賞」(朝日新聞社主催)のマンガ大賞を受賞し、薀蓄マンガは(身内の賞である「講談社漫画賞」を除いては)賞に縁が無いのか思っていたらそうでもないのかと。
 でも『ドラゴン桜』はテーマもテーマだし...と思ったら、既に'04年に「文化庁メディア芸術祭マンガ部門」の優秀賞を受賞していました(文化庁も"便乗"した?)。

 諦めかけている受験生をやる気にさせるという意味ではいいマンガかも知れませんが(親がやる気になって変な期待を抱いてしまう?)、桜木のような教師に巡り逢えない生徒は多いと思うし、このマンガでやっているのは、学校の授業の時間帯を全て(更に通常の時間帯を超えて)塾講師の講義に置き換えているようなものです。
 そこに作者の学校教育に対する批判が込められているとも言えますが、(文化庁は文部科学省の外局であるけれども)文科省はこのマンガをどう捉えているのだろうか。

 '05(平成17)年にTBSでドラマ化されましたが、連載が完結しないうちのドラマ化であったためか、原作における2人の中心的な生徒の外に何人かの原作に無い生徒の人物造型があって、教師とそれら生徒たちとの人間関係や葛藤が更に前面に出ているため(「金八先生」を意識したのか?)、「受験蘊蓄」的な要素はかなり薄まっています。

ドラゴン桜2.jpgドラゴン桜 ドラマ.jpg「ドラゴン桜」●演出:塚本連平/唐木希浩●制作:遠田孝一/清水真由美●脚本:秦建日子●音楽:仲西匡●原作:三田紀房「ドラゴン桜」●出演:阿部寛/長谷川京子/山下智久/長澤まさみ/中尾明慶/小池徹平/新垣結衣/サエコ/野際陽子/品川徹/寺田農/金田明夫●放映:2005/07~09(全11回)●放送局:TBS 

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イソベン物語。山口六平太と似たキャラ。このマンガで知った「ゴールデン・パラシュート」の意味。

あんたの代理人3.JPGあんたの代理人6.jpg 『あんたの代理人 【コミックセット】』 (全6巻)

 横町の法律事務所で居候弁護士として働いている新米弁護士・真野論平は、ビンボー劇団の役者でもあるが、与えられる役は着ぐるみを着た端役ばかり。そんな論平に舞い込んでくる仕事の相談は、名誉毀損、婚約不履行、遺産相続など様々であり、彼はハートでこれらの問題を解決する!

 小学館の「ビッグコミックスペリオール」の'87年7月の創刊ラインアップで、前年に「ビッグコミック」で連載がスタートした同じ作者の『総務部総務課 山口六平太』が20年以上も連載が続き、コミック本で60巻に迫りつつある今も主人公の山口六平太がずっと同じ年齢や役職であるのに対し、こちらの連載は2年半、論平がイソベンを卒業して独立するところで完結、コミック本で6巻は読み返すのに丁度手頃な感じでしょうか。

 彼の所属事務所が主に扱うのは「民事」案件で(だから"弁護人"ではなく"代理人"なのだが)、論平は人情派弁護士とでも言うか、時に情にかまけて暴走しかねない部分があるのを、飄々とした感じの老弁護士所長がうまくセーブしていて、この両者の師弟的関係にはなかなか味がありました。

 とは言え、結果を見れば、論平が(本人は役者が本職で、それでは食えないから弁護士をやっているという感覚であるにも関わらず)非常に優秀な弁護士であることは明らかなのですが、本人はそうしたことをひけらかしたり人に恩を売ったりすることは無く、この辺りは山口六平太とキャラがよく似ています。

 終わりの方で中小企業のM&Aの話が出てきて、M&Aと言うと何か大企業同士が行うものというイメージがありましたが、実際にはそんなことはなく、頻度としては中小企業の方が多いのかも(大企業だと専門の大手法律事務所が絡むが、中小企業だとこうした街ベンが絡むということになるのか。その場合、弁護士個人の能力に依存する部分が大きくなるが)。

 ライブドアとフジテレビのニッポン放送株を巡る経営権取得攻防があったのが'05年で、このマンガが描かれたのはその15年も前のこと。個人的には「ゴールデン・パラシュート」などというタームはこのマンガで知りましたが(学習マンガのように分かり易い!)、実際に仕事でそうしたM&Aが絡む話に遭遇することは今や珍しいことではなく、その度にこのマンガのことを思い出しています。
山口六平太5.jpg
《読書MEMO》
山口六平太 .JPG『総務部総務課 山口六平太』
1986年、「ビッグコミック」にて連載開始し、2016年22号まで連載を続けた。休載はなく2007年7号で500回を迎えた。
2016年11月14日に作画の高井研一郎氏が死去したことに伴い、ビッグコミック2016年22号(第731話)を以て連載打ち切りが決定した。


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予定調和だが、それなりに楽しめた。映画の方は「スーパーの女」などと比べるとやはり...。

県庁の星2.jpg  県庁の星 桂.jpg 県庁の星 dvd.jpg県庁の星 織田 柴崎.jpg  スーパーの女.jpg
県庁の星 (2) (ビッグコミックス)』 (全4巻) 桂 望実『県庁の星』「県庁の星 スタンダード・エディション [DVD]」柴咲コウ・織田裕二 「伊丹十三DVDコレクション スーパーの女

 Y県のエリート県庁職員である野村聡は、民間との人事交流プロジェクトに選ばれ、スーパー富士見堂で1年間の研修を受けることになるが、最初は役員根性・県庁マインド丸出しだった彼が、全く肌違いの民間の仕事を通して変質し、真の"スーパー改革"を実現するに至る―。

 公務員って、民間で言う「出向」のことを「研修」と言ってるみたいですね(「研修(出向)」と言っても、労務提供はしているわけだが、民間の「出向」と異なり、労災の請け元は官公庁のまま)。

 ということで、実質的なマンガの舞台は県庁内では無く、前半部分(1巻・2巻)はスーパーマーケット。後半部分(3巻・4巻)は、スーパーの経営を建て直した彼が、第3セクター赤字テーマパークを"潰す"ために送り込まれますが、前半からの流れで、結果はともかく、彼がどう立ち回るかは大体予想がついてしまいます。

 官庁の上層部や主人公の同期の役人の描き方はパターン化していて、事の展開もかなりご都合主義ですが、それでも、主人公とその教育係であるシングルマザーのパート女性とのやりとりも含め、結構楽しく読めました。"ギャグ的"に面白いというか、テーマパークに赴任した初日、「名刺を猿に配って終了」には思わず噴きました。

県庁の星 ポスター.jpg県庁の星1.jpg '05(平成17)年から'07(平成19)年にかけて「ビッグコミックススペリオール」に連載されたコミックで(桂望実の原作を杉浦真夕が脚色)、連載途中の'06年に織田裕二、柴咲コウ主演で映画化されていますが(実際に制作されたのは'05年。「白い巨塔」などのTVドラマを手掛けた西谷弘の映画初監督作品)、織田裕二って本気で演技してそれが丁度マンガ的になるようなそんな印象があり、こうした作品にはピッタリという感じでした。 柴咲コウ/織田裕二

スーパーの女.jpgスーパーの女2.jpg 但し、スーパーを舞台にした作品では、伊丹十三(1933-1997)監督、宮本信子主演の「スーパーの女」('96年/東宝)があるだけに、それと比べるとインパクトは劣るし、「スーパーの女」が食品偽装問題など今日的なテーマを10年以上も前から先駆的に扱っていたのに対し、「県庁の星」は映画もマンガもその部分での突っ込み度は浅く、特に映画は単なるラブ・コメになってしまったきらいも無きにしも非ずという感じ。

マルサの女.jpgマルサの女 1987.jpg 「お葬式」('84年/ATG)で映画界に旋風を巻き起こした伊丹十三監督でしたが、個人的には「マルサの女」('87年/東宝)がドラマチックで面白かったです(それぞれ第58回と第61回のキネマ旬報ベスト・テン第1位に選ばれている)。「マルサの女」は、山崎努がラブホテル経営者"権藤"を演じていますが、彼が新人として出演した「天国と地獄」('63年/黒澤プロ・東宝)で三船敏郎が演じていた会社社長の苗字も"権藤"でした。巧妙な手口で脱税を行う経営者らとそれを見破る捜査官たちとの虚々実々の駆け引きをテンポよく描いており、ラストに抜けてのスリリングな盛り上げ方はなかなかのものでした。

マルサの女2 三國.jpgマルサの女 .jpg それまであまり世に知られていなかった国税査察部の捜査の様子をリアルに描いたということで社会的反響も大きく、翌年には「マルサの女2」('88年/東宝)も作られましたが、山崎努に続いてこちらも、宗教法人を隠れ蓑とし巨額の脱税を企てようとする"鬼沢"に大物俳優・三國連太郎マルサの女2 dvd.jpgを配し、これもまた脇役陣を含め演技達者が揃っていた感じでした。

 伊丹十三監督は「前作はマルサの入門編」であり、本当に描きたかったのは今作であるという伊丹十三.jpg趣旨のことを後に述べていますが、確かに、鬼沢さえも黒幕に操られている駒の1つに過ぎなかったという展開は重いけれども、ラストは前作の方がスッキリしていて個人的には「1」の方がカタルシス効果が高かったかなあ。監督自身は、高い娯楽性と巨悪の存在を一般に知らしめることとの両方を目指したのでしょう。
伊丹十三(1933-1997/享年64(自死))

お葬式 映画 dvd.jpg 確かに「お葬式」で51歳で監督デビューし、高い評価を得たのは鮮烈でしたが、作品の質としてはお葬式 映画 00.jpg3作目・4作目に当たる「マルサの女」「マルサの女2」の方が密度が濃いように思いました。それが、この「マルサの女1・2」以降は何となく作品が小粒になっていたような気がしたのが、この「スーパーの女」を観て、改めて緻密かつパワフルな伊丹作品の魅力を堪能できた―と思ったら、この「スーパーの女」を撮った翌年に伊丹十三は自殺してしまった。残念。
中央:菅井きん(日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞)(1926-2018.8.10/享年92
伊丹十三DVDコレクション お葬式

企業家サラリーマン.gif 「スーパーの女」の原作は、『小説スーパーマーケット』(『小説流通産業』('81年))で、作者の「安土敏」こと荒井伸也氏は元サミット社長であり、この人の『企業家サラリーマン』('86年/講談社、'89年/講談社文庫)は、海外飲食店グループを指揮する男性と、新しい時代の経営者を目指す女性たちの生き方を描いた作品で、作者が現役役員の時点でこお小説を書いているということもあってシズル感があり面白かったですが、こちらもテレビドラマ化されているらしい。どこかで再放送しないものかなあ。

企業家サラリーマン (講談社文庫)

県庁の星9.jpg「県庁の星」●制作年:2006年●監督:西谷弘●製作:島谷能成/亀山千広/永田芳男/安永義郎/細野義朗/亀井修朗●脚本:佐藤信介●撮影:山本英夫●音楽:松谷卓●原作:桂望実「県庁の星」●時間:131分●出演:織田裕二/柴咲コウ/佐々木蔵之介/和田聰宏/紺野まひる/奥貫薫/井川比佐志/益岡徹/矢島健一/山口紗弥加/ベンガル/酒井和歌子/石坂浩二●公開:2006/02●配給:東宝(評価:★★★)
柴咲コウ in「県庁の星」('06年/東宝)/「おんな城主 直虎」('17年/NHK)

県庁の星 柴咲コウ.jpg おんな城主 直虎 .jpg

中央:津川雅彦(1940-2018.8.4/享年78
スーパーの女ド.jpgスーパーの女 9.jpg「スーパーの女」●制作年:1996年●監督・脚本:伊丹十三●製作:伊丹プロダクション●撮影:前田米造/浜田毅/柳島克巳/高瀬比呂志●音楽:本多俊之●原作:安土敏「小説スーパーマーケット」●時間:127分●出演:宮本信子/津川雅彦/三宅裕司/小堺一機/伊東四朗/金田龍之介/矢野宣/六平直政/高橋長英/あき竹城/松本明子/山田純世/柳沢慎吾/金萬福/伊集院光●公開:1996/06●配給:東宝(評価:★★★★)

お葬式 映画01.jpgお葬式 映画 02.jpg「お葬式」●制作年:1984年●監督・脚本:伊丹十三●製作:岡田裕/玉置泰●撮お葬式 大滝435.jpg影:前田米造●音楽:湯浅譲二●時間:124分●出演:山笠智衆 お葬式.jpgお葬式 笠智衆.jpg崎努/宮本信子/菅井きん/財津一郎/大滝秀治/江戸家猫八/奥村公廷/藤原釜足/高瀬春菜/友里千賀子/尾藤イサオ/岸部一徳/笠智衆/津川雅彦/佐野浅/小林薫/長江英和/井上陽水●公開:1984/11●配給:ATG●最初に観た場所:池袋日勝文化 (85-11-04)(評価:★★★☆)●併映「逆噴射家族」(石井聰互)
笠智衆
菅井きん in「生きる」('52年)/「ゴジラ」('54年)/「幕末太陽傳」('57年)/「天国と地獄」('63年)/「お葬式」('84年)
菅井きん 生きる .jpg 菅井きん ゴジラ.jpg 菅井きん 幕末太陽傳 南田洋子  左幸子.jpg 菅井きん 天国と地獄.jpg お葬式8e-s.jpg 菅井きん.jpg
Marusa no onna (1987)
Marusa no onna (1987) .jpgマルサの女  .jpgマルサの女AL_.jpg「マルサの女」●制作年:1987年●監督・脚本:伊丹十三●製作:玉置泰/細越省吾●撮影:前田米造●音楽:本多俊之●時間:127分●出演:宮本信子/山崎努津川雅彦/大地康雄/桜金造/志水マルサの女347.jpgマルサの女 岡田ド.jpgマルサの女 津川.jpg里子/松居一代/室田日出男/ギリヤーク尼ヶ崎/柳谷寛/杉山とく子/佐藤B作/絵沢萠小沢栄太郎 マルサの女.jpg子/山下大介/橋爪功/伊東四朗/小沢栄太郎/大滝秀治/芦田伸介/小林桂樹/岡田茉莉子/渡辺まちこ/山下容里枝/小坂一也/打田親五/まる秀也/ベンガル/竹内正太郎/清久光彦/汐路章/上田耕一●公開:1987/02●配給:東宝
右端:小沢栄太郎
ジョイシネマ3 .jpg新宿ジョイシネマ3.jpg●最初に観た場所:新宿シネパトス (88-03-12)(評価:★★★★)●併映「マルサの女2」(伊丹十三)

新宿シネパトス (1956年3月「新宿名画座」オープン→1987年5月「新宿シネパトス」→1995年7月「新宿ジョイシネマ5」→1997年11月「新宿ジョイシネマ3」)

2009(平成21)年5月31日閉館 


「マルサの女2」三國連太郎/上田耕一
マルサの女2 三國連太郎_1.jpgマルサの女2 .jpg佐渡原:丹波哲郎.jpg「マルサの女2」●制作年:1987年●監督・脚本:伊丹十三●製作:玉置泰/細越省吾●撮影:前田米造●音楽:本多俊之●時間:127分●出演:宮本信子/津川雅マルサの女2 笠.jpg彦/三國連太郎丹波哲郎/大地康雄/桜金造/加藤治子/益岡マルサの女2」.jpg徹他/マッハ文朱/加藤善博/浅利香津代/村井のりこ/岡本麗/矢野宣/笠智衆/上田耕一/中村竹弥/小松方正●公開:1988/01●配給:東宝●最初に観た場所:新宿シネパトス (88-03-12)(評価:★★★☆)●併映「マルサの女」(伊丹十三)

《読書MEMO》
映画に学ぶ経営管理論2.jpg●松山 一紀『映画に学ぶ経営管理論<第2版>』['17年/中央経済社]

目次
第1章 「ノーマ・レイ」と「スーパーの女」に学ぶ経営管理の原則
第2章 「モダン・タイムス」と「陽はまた昇る」に学ぶモチベーション論
第3章 「踊る大捜査線THE MOVIE2レインボーブリッジを封鎖せよ!」に学ぶリーダーシップ論
第4章 「生きる」に学ぶ経営組織論
第5章 「メッセンジャー」に学ぶ経営戦略論
第6章 「集団左遷」に学ぶフォロワーシップ論
第7章 「ウォール街」と「金融腐蝕列島"呪縛"」に学ぶ企業統治・倫理論

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