【1144】 ○ Leif Kristiansson(作)/Dick Stenberg(絵) 『Not My Fault (2006/09 Heryin Books) 《 レイフ・クリスチャンソン(作)/ディック・ステンベリ(絵) (二文字理明:訳) 『わたしのせいじゃない―せきにんについて』 (1996/01 岩崎書店)》 ★★★★

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大人が読んでもギョッとさせられるが、いじめ問題からグローバルな視点への展開が特徴的。

leif kristiansson not my fault.jpgわたしのせいじゃない.jpg  たんじょうび.jpg
Not My Fault』1st English Ed版['03年] 『わたしのせいじゃない―せきにんについて (あなたへ)』['96年] 『たんじょうび―ゆたかな国とまずしい国 (あなたへ)

不是我的錯.jpg スウェーデンの作家レイフ・クリスチャンソン(Leif Kristiansson)による「あなたへ」と題したシリーズの6冊目で(原題:Det var inte mitt fel /Not My Fault)、1973年の原著刊行か(奥付では1976年。途中で版元が変わっている?邦訳の刊行は1996年)。

中国語版

 1人の男の子がいじめられて泣いていて、それについての15人の子供たちの「始まりは知らない」「みんながやったんだもの」といった言い訳が続く。
そして最後に「わたしのせいじゃない?」という問いかけがあって、世界で繰り広げられている戦争や飢餓、環境汚染などを象徴的に示した写真が続く―。

 シンプルな絵本の後にいきなり核実験の写真などが出てくるため、大人が読んでもギョッとさせられますが、日常の「小さな無責任」が、時として恐ろしい現実に繋がること、世界中で起きている悲惨な出来事が「見て見ぬふり」によって支えられていることを表しているかと思います。

わたしのいもうと.jpg 同じく「いじめ」をテーマとして扱った松谷みよ子氏のわたしのいもうと』('87年/偕成社)がいじめを受けた本人とその家族の苦しみに焦点を当てているのに対し、こちらはいじめる側の責任逃れを追及していますが、一気に世界規模の問題に関連づけるというグローバルな視点が特徴的と言えば特徴的。

 作者は学校の社会科の教師だったそうですが、スウェーデンでは学校の授業もこんな具合にやっているのかなあ(やってそうな気がするが)。
 外国の新聞は国際記事が1面に来ることが多いのに対し、日本の場合、中央紙でも政局の動向とか内政記事がトップに来るのが殆どで、殺人事件などあればそれをトップに持って来て読者の関心を引き付ける新聞社もある―そういうことを思うと、国外に眼を向けるといった習慣を身につける機会が日本の教育現場では不足していて、そうしたことが、大人が読むところの新聞における紙面構成にも反映されているのかもと思ったりもしました(国際問題より殺人事件に関する情報の需要度の方が高い?)。

 『わたしのいもうと』に「読み解きマニュアル」のようなものがあるということに関してはやや違和感を覚えましたが、子供がショックだけを受けても...ということがあるのかも。
 一方、日本で本書を授業教材として用いる場合は、別な意味で、それこそ教師による十分な補足説明が必要だろうなあと思います(感想文を書かせたら「犯人は○番目の子だと思う」といった類のものがあったという話を聞いたことがある。本文と写真がリンクしていない)。

 「あなたへ」はシリーズ15冊全て訳出されていて、その多くがほんわりした読後感で終わるものであり、この『わたしのせいじゃない』の終わり方はやや特異(但し、本書の次の第7冊『たんじょうび』なども最後に報道写真が来るパターン)。
子供に与えるならば、シリーズを何冊か纏めて読ませ、この作者の"読み手に自分で考えさせる"という趣旨と言うか作風を掴ませたうえでの方がいいかも。文字面を追って読むだけだったら、あまりにあっさり読めてしまう文字数だけに。

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