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「古典期」前後(先古典期・後古典期)も解説。多くのピラミッドの詳しい説明も。

『図説 マヤ文明 (ふくろうの本/世界の歴史)』['20年]
巨大ピラミッド群や特異な世界観を持つマヤ文明の国家、都市、生活、宗教や経済を解説したもの。時代区分に沿って解説され、「ふくろうの本」であるため図版も豊富です。章立てに沿っての時代区分は大体以下の通り(因みに、マヤとは同系の言語を話す「王国」の集団であり、マヤという国家があったわけではない。本書では一部、「メソアメリカ文明」といった言い方をしている)。
第1章 古代メソアメリカ文明(人類の米大陸入植~前2000頃)
第2章 古代都市の誕生―先古典期
先古典期前期(前2000頃~前1200/1000年)
先古典期中期(前1200/1000年~前400年)
先古典期後期(前400~後250年)
第3章 王たちの台頭―古典期(後250~950年)
第4章 つながる世界―後古典期
古典期終末期(後800~950年)
後古典期前期(後950~1250年)
後古典期後期(後1250~スペイン入植前)
以下、
第5章 マヤの戦争―計算された戦い
第6章 ピラミッドを掘る
と続きます。
古代メソアメリカ文明については、人類がアジアからベーリング海峡を渡って移動してくるところから説き起こしています(従来考えられていた、約1万3000年前に北米大陸の無氷回廊から徒歩で渡って来たという「陸路説」に加え、北海道から千歳列島、カムチャッカ半島、アリューシャン諸島経由で来たという「海路説」を挙げている)。
そのことはともかく、古代都市が誕生した先古典期から古典期を経て後古典期までを幅広く取り上げ、各期ごとに丁寧に解説しているのが本書の特徴であり、「古典期」に重点が置かれがちな従来の解説書に対するアンチテーゼとも言える構成になっています。また、その間に様々な国が乱立し、戦国時代のような政治・戦争・文化交流・貿易や貴族の台頭などの中で、国々が栄え、宗教や建築など様々な要素が各国に広まり相互的に文明が発展していったことが窺えます。
もう一つは、章末でそれぞれに時代の遺跡(ピラミッド)を紹介していて(先古典期1、古典期4、後古典期6)、その説明がかなり詳しくなされているのが特徴です。今まで大体同じように見えていたピラミッドが、時代や場所によってかなりバラエティに富んでいることを知りました。
因みに、マヤ文明の滅亡の原因は諸説あってよく分かっていないというのを以前に何冊かの本で読みましたが、ここで言うと時期的には「古典期」マヤ文明の「崩壊」ということになります。ただし、一般的に言う「古典期マヤ文明の崩壊」とは、低地南部の衰退を指し、マヤ高地や低地北部は含まれないそうです(含まれるならば「後古典期マヤ文明」は存立しなくなる)。
そして、古典期におけるマヤ低地南部の衰退の原因は、人口増加による食生活の過密化や、頻繁な戦争による政治の不安定、土地が見放されたことによる荒廃、民衆が王を信頼しなくなったことなど、どれか1つの原因ではなく、これらが複合的な因子となったと考えるのが一般的であるとしています(個人的には、ずっと「謎」だと思っていたので、少しスッキリした)。
前述の通り、図版が豊富でカラー写真も多いので、それらを楽しみながら読める本でもありました。

木村 秀雄 氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)


青山和夫氏 
石田英一郎(1903-1968)


であり、こうした捏造されたマヤ文明観がオカルトブーム、商業主義と相まって横行していることに対して著者は憤りを露わにしています。
映画「インディー・ジョーンズ」シリーズの「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」('08年/米)などに出てくる"クリスタルスカル"のモチーフとなった"マヤの水晶の髑髏"も19世紀にドイツで作られたものと判っているそうで、東京ディズニーシーのアトラクション「クリスタルスカルの魔宮」も、その名からしてマヤ文明への正確な理解を妨げるものということになるようです。

30年間の間に30回以上にわたってマチュピチュに通ったという著者による写文集で、インカの始祖誕生伝説、山岳インカ道、マチュピチュをはじめとする数々の神殿や儀礼石、周辺の山や谷、花、ハイラム・ビンガムの発見以前の歴史などが豊富な写真と文で紹介されています。
本書も、同じような見解を取りつつも、マチュピチュがどのような性格を持つ城であったのか、インカは何を求めて建設したのかを改めて考察するとともに、そこで実際にどのような生活があったのかを探っていて、とりわけ個人的には、様々な遺跡にそれぞれ宗教的・祭祀的意味合いがあったことを強く印象づけられました。
高野 潤 氏(写真家/略歴下記)
大貫良夫 氏 (東大教授・文化人類学者)
南米ペルーの北部高地にある前インカ文明の遺跡クントゥル・ワシを、東大古代アンデス文明調査団(代表:大貫良夫氏)が1988年から6回にわたり発掘調査した際の記録で、こうした発掘調査にはフィールドにおける地元の住民の協力が必要不可欠(労働力供給、宿泊・食事等)なのですが、とにかく、この遺跡のある村は貧しく、村人はみな遺跡のことは知っていてもいつの時代のものかも知らず、「約30年前」のものかと思っていたというのにはビックリ。この神殿遺跡の建設はイドロ期(紀元前1100-700)に始まるため、「30年」どころか「3000年」も前のものなのだから。
こうした村民との粘り強い交渉の過程がリアルに描かれており(村人は何事も村の集会で決議する。それにしても度々集まるのには感心)、本書は、中南米最古の黄金文明遺跡の発掘記録であり、前インカ文明についての入門解説書であるとともに、博物館の開設に至るまでの"村興し運動"の記録でもある(こちらの方が内容的なウェイトが高い?)と言えます。




マルコ・ポーロの黄金伝説に導かれて西へ西へと行ったら本当に"黄金の国"があったというのが、偶然ながら、彼らの征服欲に拍車をかけることになったのだなあと(本書によると、コロンブスは、エスパニョラ島―今のドミニカ・ハイチをジパング、キューバを中国だと思っていたらしいが)。










さらにマヤ文明は、西暦10世紀には最盛を誇った古典期を終え、ヨーロッパ人到来の500年前にはマヤの都市はほとんど廃墟となっていたという点でも、16世紀にコルテス、ピサロによって一気に滅ぼされた他の2つの文明とは異なります。

ラテンアメリカ民俗学の第一人者・増田義郎氏の『古代アステカ王国―征服された黄金の国』('63年/中公新書)の中にも、高度に文明化した水上首府(公衆トイレとかもあってスペイン人が驚いたという)の街の中央にピラミッドがあり、その頂きの祭壇は、生け贄になった犠牲者の血に塗られているという、現代の我々から見れば極めてアンバランスな宗教と文明の同居状態が紹介されていました。


ピサロがペルーに上陸した頃のインカ王朝は、第11代皇帝ワイナ・カパックの後を継いで皇帝となった嫡男ワスカールを、先帝の庶子アタワルパがこれを打ち破って帝位を奪ったばかりの時で、アタワルパというのは軍事的才能があった実力者でした。
増田 義郎 氏
栄華を極めたアステカ王国は、スペインの"残虐な征服者"コルテスにより一夜で滅ぼされたかのように思われていますが、コルテスがアステカ王国に入る前も、湖上に浮かぶ水上首府テノチティトラン入城後も、アステカ王モンテスマとの間で様々な交渉や駆け引きがあり、両軍が戦闘体制に入ってからは、コルテスが劣勢になり、命からがら敗走したこともあったことを本書で知りました。