2007年10月 Archives

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在宅終末医療に関わる現場医師の声。「自分の家」に敵う「ホスピス」はない。

自宅で死にたい.jpg 「下町往診ものがたり」.jpg ドキュメンタリー「下町往診ものがたり」('06年/テレビ朝日)出演の川人明医師
自宅で死にたい―老人往診3万回の医師が見つめる命 (祥伝社新書)』〔'05年〕

 足立区の千住・柳原地域で在宅医療(訪問診療)に20年以上関わってきた医師による本で、そう言えば昔の医者はよく「往診」というのをやっていたのに、最近は少ないなあと(その理由も本書に書かれていますが)。

 著者の場合、患者さんの多くはお年寄りで、訪問診療を希望した患者さんの平均余命は大体3年、ただし今日明日にも危ないという患者さんもいるとのことで、残された時間をいかに本人や家族の思い通りに過ごさせてあげるかということが大きな課題となるとのことですが、症状や家族環境が個々異なるので、綿密な対応が必要であることがわかります。

 本書を読むと、下町という地域性もありますが、多くの患者さんが自宅で最後を迎えたいと考えており、それでもガンの末期で最後の方は病院でという人もいて、こまめな意思確認というのも大事だと思いました。
 また、家族が在宅で看取る覚悟を決めていないと、体調が悪くなれば入院して結果的に病院で看取ることとにもなり、本人だけでなく家族にも理解と覚悟が必要なのだと。

 「苦痛を緩和する」ということも大きな課題となり、肺ガンの末期患者の例が出ていますが、終末期に大量のモルヒネを投与すれば、そのまま眠り続けて死に至る、そのことを本人に含み置いて、本人了解のもとに投与する場面には考えさせられます(著者もこれを罪に問われない範囲内での"安楽死"とみているようで、こうしたことは本書の例だけでなく広く行われているのかも)。

 基本的には、「自分の家」に敵う「ホスピス」はないという考えに貫かれていて、本書が指摘する問題点は、多くの地域に訪問診療の医療チームがいないということであり、在宅終末医療に熱意のある医療チームがいれば、より理想に近いターミナルケアが実現できるであろうと。

 多くの医者は在宅を勧めないし、逆に家族側には介護医療施設に一度預けたらもう引き取らない傾向があるという、そうした中に患者の意思と言うのはどれぐらい反映されているのだろうかと考えさせらずにはおれない本でした。

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久々に面白かった政治家本。「影の総理」と呼ばれた所以がわかる。

野中広務差別と権力.jpg 『野中広務 差別と権力』(2004/06 講談社) 野中広務 差別と権力.jpg 講談社文庫['06年]

 2004(平成16)年・第26回「講談社ノンフィクション賞」受賞作。

 政治家本では、戸川猪佐武の『小説吉田学校』('80年/角川文庫)、大下英治『捨身の首領(ドン) 金丸信』('91年/徳間文庫)、『小説 渡辺軍団』('93年/徳間文庫)と並んで、久々に面白かったです。

 冒頭にもあるように、野中広務ほどナゾと矛盾に満ちた政治家はおらず、親譲りの資産も学歴なく、57歳という遅咲きで代議士となりながら、驚くべきスピードで政界の頂点へ駆け上がったわけですが、「政界の黒幕」と言われるほど権謀術数で多くの政敵を排除する一方で、ハンセン病訴訟問題などにおいて弱者救済の立場を貫いてきました。
 個人的には、自衛隊のイラク派遣を決めた当時の小泉首相を、テレビ番組で非難していたのが印象に残っていますが、戦時中、彼の身近に死地に向かう特攻隊員たちがいたのだなあ。

 京都府内の被差別部落だった地域の出身ですが、彼の政治人生は、根底に差別に対する憎しみを抱きながらも、方法論的には逆差別が起こらないようにする宥和型のやり方で、常に揉め事の調停役としてその存在を際立たせ、町議、町長、府議、副知事と、地方政治の階段を一歩一歩上っていくその過程において、保守と革新を股にかけたそのやり手ぶりは存分に発揮されます。

 中央政界進出後も野党に太いパイプを持ち、政権を巡る与野党入り乱れての合従連衡の時代に、彼がいかに重大なキャスティングボードを握っていたかが本書を読むとよくわかり、時に懐の深い人間力を感じ、時に恫喝者に近いダークな面を感じました(NHKのドンと言われた人物を辞任に追い込むところなどは、本当に"人を権力の座から追い落とすこと"にかけては天下一品という感じ)。

 幼少時の境遇において田中角栄に似ていて(角栄に可愛がれられた)、豪腕ぶりはライバル小沢一郎に拮抗するもので(野中は小沢を買っていた)、もう少し政界に長くいたら政局に影響を与え続けたかも知れず、「部落出身者を総理にはできないわなあ」と言った(と、本書巻末にある)麻生太郎は、総裁選への出馬すら叶わなかったのでは...。

 彼自身は、自らが総理になるというよりは、金丸信のような「影の総理」のタイプで(彼が国会議員になるときにバックアップしたのが金丸信で、金丸信の北朝鮮訪問を社会党と連携しつつ影で動かしたのが彼)、角栄・金丸以降もこういう存在が自民党内にいたというのは、ある意味、日本の戦後政治の闇の部分でもあるかも。

 【2006年文庫化{講談社文庫]】

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朴正煕政権圧制の闇をリアルタイムでレポート。韓国政治って不思議だ。

韓国からの通信』.JPG韓国からの通信.jpg  韓国からの通信〈続.jpg韓国からの通信―1972.11~1974.6 (岩波新書 青版 905)』〔'74年〕 『韓国からの通信〈続(1974.7-1975.6)〉 (1975年)
朴正煕(パク・チョンヒ).jpg 韓国の朴正煕政権(1963‐79年)は'72年に戒厳令を発してから急速に独裁色を強めましたが、本書は、その思想・言論統制が敷かれた闇の時代において、政府の弾圧に苦しみながらも抵抗を続ける学生や知識人の状況をつぶさに伝えたレポートです。正編は'72年11月から'74年6月までを追っていて、'73年1月の「金大中(キム・デジュン)氏拉致事件」が1つの"ヤマ"になっています。
朴正煕(パク・チョンヒ)

金鐘泌(キム・ジョンピル).jpg '06年に韓国・盧武鉉大統領は、田中角栄首相(当時)と金鍾泌(キム・ジョンピル)首相(当時)との間で交わされた事件の政治決着を図る機密文書を発表('73年11月、金鐘泌当時国務総理(左)が、東京の首相官邸で田中角栄首相に会っている。金総理は金大中拉致事件に関連し、朴正煕大統領の謝罪親書を持って陳謝使節として日本を訪問した)、'07年には、韓国政府の「過去事件の真相究明委員会」の報告書で、KCIAが組織的にかかわった犯行だったことを認めていますが、これらのことは既に本書において推察済みのことでした。しかし、金鍾泌というのは、朴政権パク・クネ3.jpgパク・クネ2.jpgパク・クネ1.jpgの立役者でありながら、後の金大中政権でも総理になっているし、朴正煕の娘・朴槿恵(パク・クネ)も政治家として活躍しています。この辺りが韓国政治のよくわからないところで、韓国政治って不思議だなあと思います(朴槿恵は2013年に大統領に就任。2015年の大統領弾劾訴追での罷免後、懲役24年の実刑判決を受けた)

 朴正煕は、自己の権力の座を守るために"北傀(北朝鮮)の脅威"というものを最大限に利用した政治家であり、そのために多くの学生や言論人が、"北のスパイ"として拷問されたり処刑されたりしていく様が、本書ではリアルタイムで生々しく伝えられており、これでも経済成長を遂げている近代国家なのかと震撼せざるを得ませんでした。

 翌年刊行された続編は'74年7月から'75年6月までを追っていて、'74年8月の「文世光事件」以降、朴政権の学生運動家らに対する弾圧はさらに強まり、拷問や処刑がますます繰り返されるようになりますが、朴正煕の生育歴(厳格な父の下でスパルタ教育を受けた)などにも"T・K生"の考察は及んでいて、「ファシズム統治のためには社会不安が必要である」(「続」224p)とありますが、彼自身が完璧主義から来る一種の不安神経症状態だったのではないかという気がします(本書を読んだとき、こうした独裁者は暗殺されるしかないなあと思ったが、結局その通りになったものの"謎"の多い結末で、朴政権の負の遺産も続く何代かの大統領に引き継がれてしまった)。

池明観〔チ・ミョンクワン〕氏.jpg 本シリーズは第4部まで続き、後に"T・K生"が自分であることを明かした池明観(チ・ミョンクワン)氏によると、書かれていることの80%以上は事実であると今でも信じている」とのことです。
 多分に伝聞情報に頼らざるを得なかったのと、この本自体が1つの反政権運動的目的を持ったプロジェクトの産物であるとすれば、記述のすべてに正確さを求めるのは土台無理なのかも知れず、だからと言って、本書を通じて隣国がつい30年前ぐらい前はどんな政治状況にあったかに思いを馳せることが無意味なわけでも無く、このレポートを過去の遺物であるとして葬り去る必要もないと思います。

南ベトナム政治犯の証言』川本邦衛編、『韓国からの通信』『第三・韓国からの通信』T・K生、「世界」編集部編
『韓国からの通信』『第三・韓国からの通信』T・K生、「世界」編集部編、 『南ベトナム政治犯の証言』川本邦衛編.jpg

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国策的に殺人マシーンに改造された米兵たち。"べトコン"と比べて野蛮なのはどちらか。
ベトナム帰還兵の証言.jpg タイガーフォース.jpg 南ベトナム政治犯の証言.jpg ディア・ハンター.jpg ディア・ハンター ド.jpg
ベトナム帰還兵の証言 (1973年) (岩波新書)』『タイガーフォース』('07年)『南ベトナム政治犯の証言 (1974年) (岩波新書)』 映画「ディア・ハンター [DVD]
Iベトナム8.JPGvvawa.gif '71年に「戦争に反対するベトナム帰還兵の会」(VVAW=Vietnam Veterans Against the War, Inc.)が、インドシナでアメリカが実施した政策を暴露するための集会をデトロイト開き、それに参加した100人以上の帰還兵が、自由発砲、濃密爆撃、捕虜虐待、部落殲滅などの犯罪的戦術行為が"上官命令"により行われたことを証言したもので、本書はその1000ページ近い証言記録を、在野の現代アメリカ政治研究者・睦井三郎氏(故人)が抜粋・編訳したもの。

 最近では、当時の南ベトナム駐留米軍の空挺部隊小隊が、非武装の村を焼き払い、半年間で数百人の住民を殺戮したことが約35年ぶりに明るみにされ、『タイガーフォース』('07年/WAVE出版)という本になって話題を呼びましたが、本書『ベトナム帰還兵の証言』によれば、ソンミ村の虐殺程度のことはいくらでもあったらしいです。本書で語られている米兵による村落の殲滅や農地の破壊、捕虜の虐待や組織的な強姦などは凄まじいものがあり、語っている兵士たちも、自分たちがどうしてそうした残虐行為の"下手人"となり得たのか、半ば整理がつかないでいる様子が窺えます。 

 彼らの証言を通して、戦争犯罪そのものである"上官命令"は、アメリカの"政策"として設定されていたことが浮き彫りになり、そのために兵士たちは、戦場に赴く前から"殺人マシーン"となるよう訓練されていたことがわかります(冒頭の兵士たちが可愛がっていた兎を、戦場に行く前に上官が惨殺する話は実に怖い)。

 人種差別意識、女性差別意識も徹底的に吹き込まれ、普通の生活を送っていた若者や道徳的なキリスト教徒が、ベトナムの地では、捕虜を生きたまま嬲り殺し、女子供を強姦することに無感覚になる、こうした"人間の非人間化"を政策として行うアメリカという国は、本当に恐ろしい側面を持つと言えますが、こうした集会に参加して証言をする帰還兵たちは、自分たちがしたことに罪の意識を抱き、過去から逃避しようとしないだけ、"アメリカの良心"の存続に一縷の希望を抱かせる存在なのかも知れません。

ベトナム戦争-サイゴン・ソウル・東京.jpg 本書は'73年7月刊行ですが、岩波新書で同じくベトナム戦争について書かれたものでは、共同通信記者の亀山旭氏によるベトナム戦争-サイゴン・ソウル・東京』('72年5月刊)川本邦衛氏編集の『南ベトナム政治犯の証言』('74年6月刊)などがあり、前者は、政治的観点からベトナム戦争の経緯を追いながらも、やはり、米兵の民間人に対する残虐行為をとりあげ、後者は、捕虜となった北ベトナム兵士(民間人を多く含む)の証言を集めていて、「虎の檻」と呼ばれたコンソン島の監獄などで捕虜たちが受けた拷問や残虐行為が生々しく証言されています(亀山旭『ベトナム戦争』は、取材で激戦地にさしかかった際の記者の恐怖感が伝わってくる。この取材には作家の開高健が同行している)。 亀山 旭『ベトナム戦争―サイゴン・ソウル・東京 (岩波新書)』 (1972/05)

 『ベトナム帰還兵の証言』の中には、"べトコン"の捕虜となったアメリカ人の証言もありますが、彼らはアメリカ人捕虜もベトナム人(政府軍側)捕虜も丁寧に扱ったということで(マイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」('78年)では、極めて野蛮な人種のように描かれていたが、往々にしてハリウッド映画には政治的プロパガンダが込められる)、一方、アメリカ兵は、"べトコン"を捕らえると、ヘリコプターで搬送中にヘリから突き落としたりしていたという証言もあります(野蛮なのはどっちだ!)。
ディア・ハンター テアトル東京.jpg映画「ディア・ハンター」.png 映画「ディア・ハンター」そのものは、アカデミー賞やニューヨーク映画批評家協会賞の作品賞を受賞した一方で、以上のような観点から「ベトナム戦争を不当に正当化している」との批判もあります(橋本勝氏などもそうであり、その著書『映画の絵本』ではこの映画を全く評価していない)。しかしながら、解放戦線(映画内では「ベトコン」)の捕虜となったことがトラウマとなり、精神を病んでいく男を演じたクリストファー・ウォーケンの演技には、鬼気迫るものがあったように思います(クリストファー・ウォーケンはこの作品でアカデミー賞助演男優賞、ニューヨーク映画批評家協会賞助演男優賞を受賞している)。当時ガンを病んディア・ハンターges.jpgMeryl Streep and John Cazale.jpgいたジョン・カザール(享年42)の遺作でもあり、ロバート・デ・ニーロが彼を説得して出演させたとのことです。因みにジョン・カザールは、舞台「尺には尺を」で共演し、この作品でも共に出演しているメリル・ストリープとの婚約中のガン死でした(メリル・ストリープにとってはこの作品が映画デビュー2作目だったが、彼女この作品高倉健G.jpgディア・ハンター 6.jpg全米映画批評家協会賞助演女優賞を受賞している)。俳優の高倉健が絶賛している映画であり、その高倉健の親友でもあるロバート・デ・ニーロが高倉健に「もう二度とあんな映画は作れない」と言ったそうです。

 因みに、ジョン・カザールは、生前に出演したすべての作品(下記5作品)がアカデミー賞の最高賞である「作品賞」にノミネートされたという稀有な俳優となりました(そのうち3作が「作品賞」を受賞した)。
・「ゴッドファーザー」(1972年、ノミネート10部門、受賞3部門)
・「カンバセーション...盗聴...」(1974年、ノミネート3部門)
・「ゴッドファーザー PART II」(1974年、ノミネート11部門、受賞6部門)
・「狼たちの午後」(1975年、ノミネート1部門、受賞1部門)
「ディア・ハンター」(1978年、ノミネート9部門、受賞5部門)
     

ディア・ハンター2.9.2.jpegディア・ハンター2.jpg「ディア・ハンター」●原題:THE DEER HUNTER●制作年:1978年●制作国:アメリカ●監督:マイケル・チミノ●製作:マイケル・チミノ/バリー・スパイキングス/マイケル・ディーリー/ジョン・リヴェラル●脚本:デリック・ウォッシュバーン●撮影:ヴィルモス・スィグモンド●音楽:スタンリー・マイヤーズ●時間:183分●出ディア・ハンター ages.jpg演:ロバート・デ・ニーロ/クリストファー・ウォーケン/ジョン・カザール/ジsマイケル・チミノed.jpgョン・サヴェージ/メリル・ストリープ/チャック・アスペグラン/ジョージ・ズンザ/ピエール・セグイ/ルタニア・アルダ●日本公開:1979/03●配給:ユニバーサル映画●最初に観た場所:銀座・テアトル東京(80-02-15)(評価:★★★★)

マイケル・チミノ&ロバート・デ・ニーロ

テアトル東京 1955 七年目の浮気3.jpgテアトル東京2.jpg

テアトル東京内.jpg
テアトル東京
1955(昭和30)年11月1日オープン (杮落とし上映:「七年目の浮気」)
1981(昭和56)年10月31日閉館 (最終上映」マイケル・チミノ監督「天国の門」)

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軍部の度重なる判断ミスの犠牲になったのはどういった人たちだったかがわかる。

アジア・太平洋戦争.jpg 『アジア・太平洋戦争 (岩波新書 新赤版 1047 シリーズ日本近現代史 6)』 〔'07年〕

 岩波新書の「シリーズ日本近現代史(全10巻)」の1冊ですが、このシリーズは、「家族や軍隊のあり方、植民地の動きにも目配りをしながら、幕末から現在に至る日本の歩みをたどる新しい通史」というのがコンセプトだそうです。
 "通史"と言いながらも年代区分された各巻ごとにそれぞれ筆者が異なり、執筆方針もかなり執筆者側に委ねられているようですが、家族、軍隊、植民地の3つがポイントになっているという点ではほぼ共通しているように思えます。

 本書では、1941年から45年までの5年間、つまり太平洋戦争に絞って解説していますが、著者はこの戦争を、満州事変・日中戦争も含めたうえでの「アジア・太平洋戦争」という捉え方をしています。
 日米戦であると同時に、アジア権益をめぐる日英戦として本戦はスタートしており、実際に41年12月の開戦時も、真珠湾攻撃よりも1時間早く英領マレー半島のコタバル上陸が始まっていているのは、それを象徴するような事実です。

 本書では、なぜ当時の日本は開戦を回避できず、また戦いが長期化して周辺アジア諸国に犠牲を強い、日本とアジアの関係に深い傷跡を残したのかを、さまざまな記録から検証していますが、「御前会議」において昭和天皇が果たした「能動的君主」としての役割など、最近の資料研究も織り込まれていて興味深いものがあります。

 開戦後すぐにこの戦争は対米戦としての様相を強め、なぜ国力が桁違いの大国アメリカと戦争したのかと今でも疑問視されますが、本書を読むと、軍事面だけで見ると、開戦時においては日本の軍事力の方がアメリカより上だったことがわかります。
 ミッドウェー海戦やガダルカナル戦で日本が劣勢に向かう転機になったとされていますが、例えばガダルカナルにおいては艦艇の損失は日米拮抗しており、日本にとって痛手だったのは、地上戦において米軍の十倍以上の2万余の死者を出したことで(その4分の3は病死または餓死)、こうした人的損失が兵員の不足やレベル低下を招いたと―。
 ガダルカナルの敗因は補給路を絶たれるという戦略的ミスですが、日本軍はその後もインパール作戦などで同様の過ちを繰り返すわけです。

 こうした軍部の度重なる判断ミスの犠牲になったのは、まず第1に、戦場に散った兵士たちですが、本書では、戦場における兵士の惨状だけでなく、軍隊内の私刑や特攻隊員の不条理な選ばれ方、軍に苦役させられた中国人や殺害された沖縄県民のことなども書かれています。
 「アジア・太平洋戦争」という事例を通してですが、戦争とはどのようなものなのか、結果としてどのような人々が苦しむのか、戦争というものが孕む矛盾がよくわかる本です。

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「決戦」型戦争しか知らず、中国のソフトパワーの前に破れた日本のハードパワー。

日中戦争.jpg 『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ (講談社現代新書)』 〔'07年〕 小林英夫.jpg 小林英夫・早稲田大学アジア太平洋研究センター教授 (略歴下記)

 1937年7月の盧溝橋事件に端を発した日中戦争における日中の戦略的スタンスの違いを、短期決戦(殲滅戦)で臨んだ日本に対し、消耗戦に持ち込もうと最初から考えていた中国という捉え方で分析しています。

蒋介石.jpg  本書によると、日本軍は開戦後まもなく上海に上陸し、さらに南京に侵攻、国民政府・蒋介石は首都・南京を捨て、重慶にまで後退して戦力補充を図ったために戦局は消耗戦へと移行する―、こうした流れはもともと蒋介石により仕組まれたものであり、過去に消耗戦の経験を持たず「決戦」的な戦争観しか持たない日本(このことは太平洋戦争における真珠湾攻などで繰り返される)に対し、蒋介石は、日本側の長所・短所、自国の長所・短所を的確に把握していて、消耗戦に持ち込めば日本には負けないと考えていたようです。
蒋介石 (1887‐1975)

 日本に留学した経験もある蒋介石は、日本軍が規律を守ることに優れ、研究心旺盛で命令完遂能力が高い一方、視野が狭い、国際情勢に疎い、長期戦に弱い、などの欠点を有することを見抜いており、また、下士官クラスは優秀だが、将校レベルは視野が狭いために稚拙な作戦しか立てられないと見ていましたが、著者がこれを、現代の日本の企業社会にも当て嵌まる(従業員は優秀だが、社長や取締役は必ずしもそうではない)としているのが、興味深い指摘でした。

 著者はさらに、武器勢力などのハードパワーに対し、外交やジャーナリズムに訴えるやり方をソフトパワーと呼んでいて、外国勢力との結びつきの強い上海を戦場化し、さらに南京において大量虐殺を行うなどして、自らの国際的立場を悪くし、一方で、戦局が劣勢になっても本土国民に対し、あたかも優勢に戦っているかのような情報しか流さなかった日本のやり方は、戦局が長期化するにつれ綻びを生じざるを得なかったとしています。

 本書後半50ページは、日本の軍部が検閲・押収した兵士やジャーナリストの手紙・文書記録からの抜粋となっており、これを読むと、戦線に遣られた兵士の絶望的な状況が伝わってきますが、中国で捕虜などに残虐行為を働いた兵士が、そのことで自らも厭世的気分に陥り戦意阻喪しているのが印象的でした。

 1945年8月、日中戦争は日本の敗北で終わりますが、それは、優位性を誇る自らのハードパーワーに頼った日本が、外交・国際ジャーナリズムなどソフトパワーを活かす戦略をとった中国に破れた戦いだったいうのが本書の視点であり、現在の国際経済競争などにおいて、はたしてこの教訓が活かされているだろうかという疑問を、著者は投げかけています。
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小林英夫 (コバヤシ・ヒデオ)
1943(昭和18)年東京生まれ。早稲田大学アジア太平洋研究センター教授。専攻は、日本近現代経済史、アジア経済論。著書に『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』『「日本株式会社」を創った男――宮崎正義の生涯』『満鉄――「知の集団」の誕生と死』『戦後アジアと日本企業』など。

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両王国滅亡に焦点を当て生き生きと描写。アマゾン、北米に及んだコンキスタドールの軌跡も追う。
アステカ・マヤ・インカ.jpg
アステカとインカ.jpg 『アステカとインカ黄金帝国の滅亡』['02年]

図説インカ帝国.jpg フランクリン・ピースとの共著『図説インカ帝国』('88年/定価3,400円)と同じく、小学館刊行の"やや"豪華版 (定価3,000円)の本で、こちらも図説は豊富ですが、共著でないだけ著者らしさが文章が出ていて、歴史上の人物が目の前に蘇ってくるような生き生きとした描写となっています。

 内容的には、アステカ文明とインカ文明がどのようにして滅んだか、コルテス、ピサロが侵攻したそれぞれの文明の末期に重点を置いて書かれていますが、その他にも、コロンブスに始まる大航海時代の幕開けに活躍した人物たちの業績を解説し、また、メキシコ・ペルーだけでなく、南米のチリ・アルゼンチン・アマゾン、北米などに及んだコンキスタドール(征服者)たちの軌跡を追っています。

 16世紀の大航海時代、黄金に魅入られたスペイン人たちがカリブ海の諸島や南米にどのように侵略し原住民社会を破壊したか、また、それに対して彼らがいかに抵抗したか(インカ最後の王トパック・アマルの堂々とした最期には感服)がよく纏められていて、1冊の本としてはすごく良い本だとは思います。

インカ帝国探検記.jpg古代アステカ王国 征服された黄金の国.jpg ただし、中核のテーマについては、同じく」増田義郎氏の『インカ帝国探検記-その文化と滅亡の歴史』('61年/中央公論社、'01年/中公文庫BIBLIO)、『古代アステカ王国-征服された黄金の国』('63年/中公新書)とかなり記述がダブっているので、カラー写真にこだわらなければ、主テーマについては文庫・新書などでも知識的なカバーはできると思います。

コルテスのアステカ帝国征服.gif マルコ・ポーロの黄金伝説に導かれて西へ西へと行ったら本当に"黄金の国"があったというのが、偶然ながら、彼らの征服欲に拍車をかけることになったのだなあと(本書によると、コロンブスは、エスパニョラ島―今のドミニカ・ハイチをジパング、キューバを中国だと思っていたらしいが)。

 それと、バハマにしてもジャマイカにしてもそうですが、カリブ海諸国に今いるのはアフリカ系住民ばかりで、原住民の子孫はどうしていないのかと思ってしまいますが、カリブ海のゴールドラッシュ時代に原住民が借り出され、そこにスペイン人が持ち込んだ天然痘が蔓延したため免疫を持たない原住民が多く死に、人手不足で周辺諸島から住民が奴隷として輸入され、また天然痘で死んでいく―というパターンで、無人化してしまった島々が多くあったことを知りました。

コルテスのアステカ帝国征服(1519‐1521)
(赤線)

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"超一級"の世界遺産マチュピチュの解決されない「謎」。

マチュピチュ.jpg 『マチュピチュ (写真でわかる謎への旅)』 〔'00年〕 マチュピチュ:.jpg

 写真家による本書は、ペルー・マチュピチュ遺跡のカラー写真が豊富で、旅行案内もありガイドブック的体裁をとっていますが、中核部分は、インカの歴史解説となっています。
 その歴史解説そのものはオーソドックスですが、マチュピチュに関する部分が詳しく書かれていて興味深かったです。

 インカの最後の王となったアタワルパ亡き後もスペイン人に対し抵抗を続けた、マンコ・インカをリーダーとするインカ族の勇士たちですが、彼らが「新インカ」の都としたとされる地〈ビルカバンバ・ビエハ〉は、その後のトゥパク・アマルーの刑死により抵抗が潰えるまで、インカ族の誰もが(スペイン人の激しい拷問にも関わらず)その地がどこにあるか口を割らなかったため、本当にそうした都市があるのか半ば伝説化されていましたが、1911年にマチュピチュを発見した米国人探検家ハイラム・ビンガムは、マチュピチュこそ〈ビルカバンバ・ビエハ〉だと確信したわけです。

 しかし、その後の文献調査などで、マチュピチュは〈ビルカバンバ・ビエハ〉ではなかったことが分かっていて、では、何故こんな「天空の城」みたいな壮大な"空中都市"があるのか、その役割が興味の対象となるわけです。
 "壮大な"と言っても、建造物が山頂から傾斜地にかけてあるため、居住可能人口は500から1,000程度と推定されていて、"都市"と呼ぶにはちょっと中途半端な規模です。

 本書によれば、マチュピチュの建造目的には、アマゾンの反抗部族に対する備えとしての要塞都市、特別な宗教施設、皇帝に仕える女性たちを住まわせる後宮、避暑のための別荘地的王宮...etc.諸説あるようですが、どの説もそれだけでは説明しきれない部分があるように思われ、本当に謎深く、そうした意味でもマチュピチュは"超一級"の世界遺産だなあと。

 マチュピチュの麓で今も暮らすインディオの人々の様や観光用の登山鉄道などの写真もあり、その他の見どころや現地のホテル、お店などのトラベルデータなども掲載されているので、観光ガイドとしても充分に参考になるかと思います。

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絵画資料を豊富に掲載、解説文もわかりよい。

インカ帝国―太陽と黄金の民族 .jpgインカ帝国 太陽と黄金の民族.jpg          マヤ文明―失われた都市を求めて.jpg アステカ王国―文明の死と再生.jpg
インカ帝国―太陽と黄金の民族(「知の再発見」双書)』 『マヤ文明―失われた都市を求めて (「知の再発見」双書)』『アステカ王国―文明の死と再生 (「知の再発見」双書)

 インカ帝国の正確な歴史が残っていないのは、インカの文化が文字をぜんぜん持たなかったからで、にも関わらず、インカについてのかなりの報告が残されているのは、征服当時または直後、スペイン人が精力的に伝承や口碑を書きとめ、また絵画に描いたためです。

 本書はインカの歴史を辿りながら、主にスペイン人が描いた、そうした絵画を多く紹介していて、インカの時代の社会や文化、人々の生活がどのようなものであったかを身近に感じさせてくれます。
 インディオの末裔が描いた歴史画などもあり、それらがヨーロッパ人の西洋画の画風と全く異なるのが面白い、と言うか、ヨーロッパ人の描いたものが、インカの歴史的出来事をテーマにしながらも、ヨーロッパの宮廷画風のトーンになってるのが興味深いです。

 美術品・工芸品、遺跡の写真なども多く含まれていますが、やはり、挿入されている色彩豊かな絵画の数量で、一般書レベルでは他の"インカ本"を凌駕していて、解説文もわかりよい。

 インカの歴史そのものは、どうしても征服時のことに重点が置かれ、この部分は、本書も含め大体どの本も同じような年代記になりがちですが(勇敢な皇帝の最期など、歴史が物語化している点では、日本史における戦国時代の戦記と似ている)、本書ではそれだけにとどまらず、インカ帝国がスペイン人により滅ぼされた後、インカの文化とヨーロッパのそれがどのように融和していったかということにも触れられています。

 創元社の「知の発見」双書の1冊で、美術本にも近い内容でありながらB6版という手頃なサイズで携帯しやすく、このシリーズでは、マヤ文明、アステカ王国をテーマにしたものもそれぞれ刊行されています。

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滅ぼされた帝国の謎に迫る。カラーを含め写真が豊富だが、文章はやや硬い。

フランクリン・ピース/増田 義郎 『図説 インカ帝国』.jpg図説インカ帝国.jpg  インカ帝国.gif
図説 インカ帝国』(1988/10 小学館)  
 15世紀にアンデス山中に突如出現した大帝国インカですが、本書によると、インカ文明の起こる以前に、紀元前にチャピオン、7世紀にワリという2つのホライゾン(文化的拡がり)があり、例えば"チャピオン"と"ワリ"の間には、地上絵で有名な"ナスカ文化"などもあり、我々がインカ遺跡と一口に呼んでいるものにも、いろいろと歴史的隔たりや変遷があることがわかります。

 本来インカというのは、標高3,400メ―トルにある要塞都市クスコを首府とするタワンティンスーユ帝国のことですが、帝国が統治した周辺に散在した国家・民族も含めて「インカ」と呼ぶのが一般的であるようです。

 本書は、そうしたインカの先史を含む歴史、社会・政治、経済構造、宗教・芸術などを豊富な図説と併せ解説し、軍事・政治・経済において峻険なアンデスに点在する諸国を支配・統治し、文字や貨幣を持たないながらも計算と統計の技能を持ち、農業や交易を盛んにして多くの巨石建造物を築きながらも、王朝開闢から僅か100年そこそこでスペイン人に滅ぼされた帝国の謎に迫ります。

 インカ帝国による他国の支配とは、土地の支配ではなく人とモノの支配であり、また、無駄な戦乱を避けるための"互恵"的な考え方が、文化としてあったということが印象に残りました(インカの最後の王となったアタワルパも、ピサロたちスペイン人が侵攻して来たときに、彼らが欲しがっている"黄金"を与えることで解決をしようとしているが、同じような発想ではないだろうか)。

 結局、ピサロに捕らえられた後も王位にあったアタワルパも、反乱を企んでいると疑われて処刑され(1533年)、ピサロは傀儡の王を立てますが、その後も民族の抵抗やスペイン人同士の覇権争いもあって混乱期が続き、抵抗の象徴であるアタワルパの甥トゥパク・アマルーが捕らえられ処刑された(1572年)のをもって、本書では、"インカの最後"としています(インカには"王"という意味もある)。

 カラーを含め写真が豊富で見ていて飽きませんが、文章は増田氏らしい生き生きとした描写に乏しく、F・ピースに合わせたのか、日本・ペルーの国際交流事業の一環として研究・出版されたものであるためなのか教科書的な感じがするのと、値段が3,400円というのがちょっと...(「日本図書館協会」の選定図書になっているので、図書館に行けばあるかも)。

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マヤ学の基本書。最大の謎は、なぜ華やかな学芸を誇った文明が滅んだのかということ。

青木 晴夫 『マヤ文明の謎』.jpgマヤ文明の謎2.jpg マヤ文明.gif 
マヤ文明の謎』講談社現代新書〔'84年〕   
 本書冒頭にありますが、マヤ・アステカ・インカ文明のうちマヤは、同系の言語を話す「王国」の集団であり、マヤという国家があったわけでもなく、またその起源も紀元前2000年に遡ると考えられているぐらい古いものです(他の2つの文明は13〜15世紀に王朝が始まったとされていて、ただしインカ帝国は、文化史的にはそれ以前の紀元前からあるアンデス古代文明の流れを引いている)。

カンペチェ州、カラクムールの古代マヤ都市
カンペチェ州、カラクムールの古代マヤ都市.jpg さらにマヤ文明は、西暦10世紀には最盛を誇った古典期を終え、ヨーロッパ人到来の500年前にはマヤの都市はほとんど廃墟となっていたという点でも、16世紀にコルテス、ピサロによって一気に滅ぼされた他の2つの文明とは異なります。

 本書は、その多岐にわたるマヤ文明の全貌(といっても一部しか解明されていないということになるが)と特質を理解する入門書、基本書といえますが、著者が有名な「ティカル遺跡」(現在のグアテマラの北部にある)を訪問するところから始まり、マヤの生活や社会構造、宗教や数表記、暦法などを解説していく過程には引き込まれるものがあります。

 何と言っても一番驚かされるのは、260日周期と365日周期の2つの暦を組み合わせで用いる極めて正確な暦法と、芸術的というより、芸術そのものになっている絵文字ではないでしょうか。

 なぜ、望遠鏡も使わずに精密な天体観測が可能だったのか? なぜ大ジャングル内の都市は自在な交通を確保できたのか? こうした謎を本書では1つ1つ解き明かしていますが、「天体観測」については、エジプトのピラミッドを利用したやり方とほぼ同じ、ジャングル内の交通路については、その辺りが湿地帯であることに思いを馳せれば何となく答えは見えてくる―。                                                                  
 ところが、どうしてもわからないのが、なぜ、華やかな学芸を誇った文明が音もなく滅び去ったのかということで、本書にも疫病説、食糧難説など多くの説が挙げられていますが、決定的なことはわかっていないようです。

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生け贄はアステカ的美? アステカ文明のダークな一面をまざまざと。

アステカ文明の謎2.jpgアステカ文明の謎 いけにえの祭り.jpg  マヤ文明の謎.jpg
アステカ文明の謎―いけにえの祭り』 青木晴夫『マヤ文明の謎

 本書と同じく講談社現代新書で中央アメリカの古代文明を扱ったものとして、青木晴夫氏のマヤ文明の謎』('84年)があり、そちらを読んだ後で本書を読んだのですが、アステカもマヤと同じく高度の天文技術を持った文明でありながら、驚かされるのは、アステカでは18カ月周期の正確な暦に沿って、各月ごとに様々な形で生け贄を捧げているということ。

 マヤ文明の諸国でも生け贄の儀式は行われていましたが、アステカのそれは凄惨で、敵国の捕虜だけでなく、自国の若者・女・子どもが次々と人身御供として捧げられていく様は(両手両足を押さえつけられて、生きたまま心臓を抉りとられるのが最も一般的なパターンですが)、読んでいて気分が悪くなるぐらいです。

 両著に生け贄を捧げる理由が書かれていますが、生け贄を捧げないと、沈んだ太陽が昇ってこなくなると考えていたらしく(天文学が発達していたことと宗教は全くリンクしないのか...)、それにしても、この高山氏の著書の方は"生け贄"に的を絞って人身御供の捧げられ方が詳細に書かれているだけに、アステカという文明に対して非常にダークなイメージを抱かざるを得ませんでした(青木氏の著書にも、マヤ文明が後期において生け贄を捧げる習慣を強めたのは、後発であるアステカ族の影響であるようなことが書かれている)。

Tenochtitlán,.jpg ラテンアメリカ民俗学の第一人者・増田義郎氏の『古代アステカ王国―征服された黄金の国』('63年/中公新書)の中にも、高度に文明化した水上首府(公衆トイレとかもあってスペイン人が驚いたという)の街の中央にピラミッドがあり、その頂きの祭壇は、生け贄になった犠牲者の血に塗られているという、現代の我々から見れば極めてアンバランスな宗教と文明の同居状態が紹介されていました。

 著者(高山氏)は、「このようなことから彼らを簡単に野蛮で残酷な民族だという烙印を押してしまうのは早計すぎ」としていて、古代の宗教的儀式を現代人の倫理感覚で捉えようとしても無理があるということは自分にもよくわかりますが、現代人も戦争をするし、「腹切りが日本的美なら、生け贄はアステカ的美」であって、これは価値観の問題なのだという著者の言い方には、ややついて行けない感じもしました。
 書物としては、真摯な姿勢で書かれた研究・解説書なのですが...。

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征服者ピサロたち一行と黄金の国を求めて旅している気分になる。

インカ帝国探検記 - ある文化の滅亡の歴史 (中公文庫).jpgインカ帝国探検記―その文化と滅亡の歴史.jpg
インカ帝国探検記.jpg   インカ帝国探検記2.jpg
インカ帝国探検記―ある文化の滅亡の歴史』 中公文庫 ['75年] 『インカ帝国探検記―ある文化の滅亡の歴史 (中公文庫BIBLIO)』 ['01年]
インカ帝国探検記―その文化と滅亡の歴史 (1961年)』 ['61年]
インカ帝国探検記 - ある文化の滅亡の歴史 (中公文庫)』['17年新装版]

 著者が旧インカ帝国の遺跡を現地調査に訪れたのが1959年、単行本出版が1961年と、かなり前に書かれた本ですが、歴史上の人物の描写などが生き生きとしていて、コンキスタドーレス(征服者)・ピサロたち一行と共に黄金の国を求めて16世紀の中南米の地を旅しているような気分にさせられます。

ピサロのインカ帝国征服.gif ピサロがペルーに上陸した頃のインカ王朝は、第11代皇帝ワイナ・カパックの後を継いで皇帝となった嫡男ワスカールを、先帝の庶子アタワルパがこれを打ち破って帝位を奪ったばかりの時で、アタワルパというのは軍事的才能があった実力者でした。
 ピサロがインカ帝国に入り、カハマルカでアタワルパとまみえて策略により彼を捕らえてからの両者の関係が微妙で、ピサロはアタワルパの"日の御子"とされる皇帝としてインカの民を服従させる権力を統治上利用しようとしたために、結果として互いに協調的だった時期もありましたが(アタワルパが"日の御子"でありながらも非常に"人間臭い"のが面白い)、結局アタワルパは、謀反の嫌疑をかけられピサロに処刑されてしまう―。
 しかし、その後もインカ族の抵抗は続き、首都クスコを手中にしているスペイン側が、逆にインカ軍によってクスコを包囲されるなどして、インカ軍制圧が一筋縄ではいかなかったことがわかります。

ピサロのインカ帝国征服(1531-1533)

 インカ征服の中心人物だったピサロは、同国人の競争相手アルマグロを捕らえて処刑するなど、スペイン人同士の抗争においても優位に立ちますが、結局自分もアルマグロの残党に暗殺されてしまい、アステカを征服したコルテスが晩年を隠居生活したのに比べると、因業に応じた最期だったという印象を抱かざるを得ません(勇敢でいざという時のリーダーシップはあったが、本来的には粗暴で教育水準などもコルテスより低かった?)。

 著者は文化人類学者であるため、本書では、インカの文化や伝統、人々の暮らしぶりなどについても書かれています。
 ただし写真等が少ないので、近年世界遺産としてブームのマチュピチュなども、本書だけではそのスケールをイメージしにくい部分はあります。
 皇帝アタワルパ亡き後もスペイン人に対し抵抗を続けたトゥパック・アマルーが、最後の戦いに臨むためそのマチュピチュを発つにあたって、自分に仕えていた女性たちを全部殺し(男性は既に戦いに出されていて殆ど残っていなかった)その痕跡を消したため、結局この"天空の城"は、1911年に米国人探検家ハイラム・ビンガムによって発見されるまで340年も山奥に眠り続けたというのは、本当に驚くべき話で、マチュピチュから発見された173体のミイラの殆どは若い女性のものだったということです。

 【1961年単行本[中央公論社(『インカ帝国探検記―その文化と滅亡の歴史』)]/1975年文庫化・2017年新装版[中公文庫]/2001年再文庫化[中公文庫BIBULIO]】

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冒険小説・戦記小説的な面白さとともに文化・宗教の違いを浮き彫りに。

古代アステカ王国 征服された黄金の国.jpg 『古代アステカ王国―征服された黄金の国 (中公新書 6)』 〔'63年〕 増田義郎.jpg 増田 義郎 氏

 コルテスのアステカ王国征服を描いたもので、'64年刊行という中公新書でも初期の本ですが、たいへん生き生きとした記述で、まだ見ぬ国と国王を夢想するコルテス一行とともに異境を旅していうような気分になり、冒険小説や戦記小説を読むようにぐいぐい引き込まれます。

Tenochtitlan.jpg 栄華を極めたアステカ王国は、スペインの"残虐な征服者"コルテスにより一夜で滅ぼされたかのように思われていますが、コルテスがアステカ王国に入る前も、湖上に浮かぶ水上首府テノチティトラン入城後も、アステカ王モンテスマとの間で様々な交渉や駆け引きがあり、両軍が戦闘体制に入ってからは、コルテスが劣勢になり、命からがら敗走したこともあったことを本書で知りました。

水上都市 Tenochtitlan(テノチティトラン)

 コルテスというのは、若い頃は目立った才能もない単なる女たらしで、上官の許可を得ずに"黄金の国"を目指して出航するなどした人物ですが、メキシコに上陸してからは、本国から自分に向けられた討伐隊を懐柔するなどかなりの戦略戦術家ぶりで、アステカ王に対しても、いきなり戦いを挑むのではなく、心理戦から入っています。
 ただし、黄金が目当てだたとしても、彼自身のアステカ王を敬愛する気持ちや、キリスト教の布教にかける意気込みはホンモノだったようです。

 一方の、アステカ国王モンテスマは、占星術で軍神が復讐に来ると言われている年月日ぴったりにコルテスがやって来たため、戦う前から戦意喪失しているし、アステカ族は、極めて勇敢であるのはともかく、国を守るよりも、太陽神に捧げる生け贄の獲得のために戦っていて、ちょっと戦いに勝つと、国王ともども人身御供の儀式の方に勤しむ―。

 本書は、軍記物的な面白さを最後まで保ちながらも、異文化同士が初めて接触するときに想像もつかないようなことが起こるという面白さを描出しており、更には、回教徒との戦いなどを通じての経験からキリスト教と異教を二元対立で捉えるスペイン人コルテスと、狭い文化圏の中で"異教"という概念を持ちえず、征服者さえをも自らの宗教の体系内で軍神として運命論的に捉えてしまったアステカ王との、決定的な宗教観の違いを浮き彫りにしてみせています。

 著者30代半ばの著作ですが、この辺りの課題抽出を、読み物としての面白さを損なわずにやってみせるところがこの人の凄いところ。
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増田 義郎 (東京大学名誉教授)
1928年、東京生まれ。東京大学文学部卒。専門は文化人類学。
1959年以来、中南米で調査研究を行い、エスノヒストリー、政治人類学、生態人類学などの分野で多くの著書と論文を発表する。また、民族史資料として航海記の重要性に注目し、生田滋氏と協力して「大航海時代叢書」(52巻)の刊行を推進。その他の著書に、「新世界のユートピア」(中公文庫)、「古代アメリカ美術」(学習研究社)、「コロンブス」(岩波新書)、「大航海時代」(講談社)、「図説インカ帝国」(共著・小学館)などがある。

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ちょっとした智略、時の運で変わる戦局。戦いにまつわるこぼれ話も楽しい。

2世界戦史99の謎.png世界戦史99の謎.jpg   世界史法則集_.jpg 世界史法則集.JPG世界史法則集』ゴマブックス〔'75年〕
世界戦史99の謎 トロイの木馬からナポレオン・トンキン湾まで』サンポウ・ブックス〔'75年〕

I世界戦史99の謎8.JPG 世界史の中から様々な戦いを99取り上げ、その戦略・奇略、勝敗の謎や裏話を紹介したもので、2ページ読み切りで、再読でしたが、面白くて1つ1つ改めてじっくり読みました。

 ちょっとした智略、ちょっとした時の運で戦局が大きく変わり、それが歴史の流れを大きく変える節目になったのだとつくづく思わされ、やはり戦争というのは、歴史を決定づける顕著な要素であるなあと。

 たった8万の兵士が80万の大軍を破った「淝水の戦い」や、オスマン帝国の艦隊が山超えをしてビザンチンの首府コンスタンチノープルを攻めたという話、ソマリアやケニアまで遠征したという宦官鄭和の大航海などの壮大な話から、クレオパトラ・楊貴妃・西太后のように女1人で国1つ滅ぼしてしまったような話もあり、後者はまさに「傾城の美女」という感じがし(西太后は美女ではなかったみたいだが)、戦いにまつわる意外な裏話やちょっとしたこぼれ話も楽しいです。

 著者は木村尚三郎(1930‐2006、当時、東大助教授)となっていますが、実際に書いているのは、小宮進氏ら高校教師のグループのようです。

 その小宮進氏の単著『世界史法則集―一を聞いて十を知る世界史攻略のウルトラ記憶術!』('75年/ゴマブックス)も、同じような見開き読みきりで「インド王朝は、三代目で全盛期を迎える」とか「中国史で色のつく名の乱は、農民の世直し闘争を示す」といったものから、「史上の名君にもっとも多く共通する要素は、長寿と、巧みな税政策である」、「女帝がハバをきかせたあとは、混乱の時代がくる」等々まで、受験勉強などに直接役立つかどうかは保証の限りではありませんが、楽しく読めるます。

 「より多くの海を支配するものが、より多くの録も支配する」とか「「大帝国の全盛期は、200年と続かない」、「大統一国家には、つねに民族問題という共通の"泣きどころ"があった」などといった記述は、むしろ、丸暗記タイプの受験参考書よりは、世界史の本質に迫るものかもしれません。少なくとも、これ読むと世界史が嫌いにはならないかも(と言うより、世界史が好きな学生はこの手の本を好むのでは?)。

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教科書で(意図的に?)省かれてしまっていることも網羅。生き生きとした物語風の描写。

教養人の東洋史下03.jpg


東洋史2.JPG
教養人の東洋史 下 15世紀から現代迄  現代教養文庫 548』〔'66年〕

01 林則徐.jpg 02 李鴻章.jpg 03 康有為.jpg 04 袁世凱.jpg 05 孫文.jpg 06 毛沢東.jpg  07 イェニチェリ.jpg 08 スレイマン1世.jpg 09 ムハンマド・アリー.png 10 ターハー・フセイン.jpg 11 ナセル.jpg 12 アクバル1世.jpg 13 タゴール.png 14 ガンジー.jpg 15 スカルノ.jpg
上左から 林則徐/李鴻章/康有為/袁世凱/孫文/毛沢東/イェニチェリ/スレイマン1世/ムハマンド・アリー/ターハ・フセイン/ナセル/アクバル1世/タゴール/ガンジー/スカルノ

 現代教養文庫の『教養人の東洋史(上・下)』('66年)は、 『教養人の世界史(上・中・下)』('64年)の姉妹版で、このシリーズは何れも2ページ見開き1テーマで、広範な視点から世界史上の出来事を選択し、物語風にわかりやすく解説しながらも、それらが時系列できちんと繋がっているという良書でした。

 ともに下巻が身近に感じられ、学校の授業などで最後はスピードアップされて割愛されがちな部分を、もう一度におさらいしてみるには良い本。ただし、「現代」と言っても'60年代の入り口までですが...。

『教養人の東洋史 (下).JPG 特に「東洋史」は、本来我々が知っておくべきことであるのに教科書や授業などでは(意図的に?)省かれてしまっていることも、かなり含まれています(出版社の姿勢によるところも大きいと思うが、既に版元は倒産し、本自体も入手が難しくなっている)。

 「東アジア史」「西アジア史」「インド史」の3章にわかれ、「東アジア史」は明朝以降の中国史が中心となりますが、朝鮮史などもとりあげていて、トルコを中心とした「西アジア史」には、中東史との関連でエジプト史などアフリカ史が含まれており、「インド史」にはベトナム、インドネシアなど東南アジアの諸国の歴史上の出来事や人物に関する記述も含まれています。

 歴史の表舞台だけでなく裏舞台で活躍した人物や、小さな反乱・蜂起などもとりあげ、生き生きと描写していて小説を読むように読めるのと、見開きページごとに関連する人物や事件の写真があり、「こんな人がいたんだあ」「こんなことがあったんだあ」という感じで読む者を飽きさせません。

 受験では出題されないけれども、歴史を学ぶ人に本当に知っておいてほしいことを伝えたいという、編者らの意気込みが伝わってきます。

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「経営エキスパートはかくして育つ」というのがよくわかり、面白かった。

カルロス・ゴーン経営を語る1.jpg 『カルロス・ゴーン経営を語る』 日本経済新聞社['03年] カルロス・ゴーン経営を語る2.jpg 日経ビジネス人文庫

Renault_2004.jpgNissan5.jpg カルロス・ゴーンがルノーから日産に出向し同社のCOOに就任したのが'99年、その後2年で同社の業績を回復し、'01年には社長兼CEOに就任していますが、更には'05年からルノーのシュヴァイツァー会長の後を継いで親会社の会長兼CEOにもなっているところを見ると、やはりルノー・グループの中でも彼は傑出した人材だったということでしょうか。

Citoyen du monde.jpg 本書は、AFP通信社の東京支局長だったフィリップ・リエスがゴーンにインタビューしたものに更にゴーン自身が加筆したもので(原題は、"Citoyen du monde"(地球市民))、前半はレバノン系ブラジル移民の子として育ちフランスで教育を受けた青年時代からミシュラン、ルノーにおけるキャリア、後半は、日産における「リバイバル・プラン」の遂行を中心に述べられていますが、特に前半部分が、「経営エキスパートはかくして育つ」という感じで面白かったです。
 学生時代は語学と数学の才能が際立ち、結局、工学と数学を専攻しましたが、関心は地理や歴史、言葉と文化の関係にあったという彼は、「人と文化」というものに重きを置く人物であることが本書を読むとよくわかり、ルノーに転進したのもトップの人格に魅かれたためであり、また、日産に来てからも、日産の企業文化を尊重するよう努めています。

 関係会社との関係も含めた徹底した現場主義は、ミシュランというサプライヤーの出身であることとも関係していると思いますが、従業員を味方につけることに成功した要因の1つになっていると思われ、昨今、こうした現場主義を最初から放棄して、単なる資本上の提携のみを先行したために、社内に様々な齟齬を生んでいるケースを見るにつけ、考えさせられるものがあります。

 自身のことを戦闘的な人間ではないと言っていますが、アグレッシブな印象の強いジャック・ウェルチなどに比べると、確かに日本人に合った経営者かも。
 日産自体はまだ過去の債務を引き摺っている面もあると思われますが、ゴーン氏はルノー本体の舵取りもしなければならない立場にあり、ゴーン氏にやや権力が集中しすぎている状況でもあります。日産にとっては、ゴーンに続く経営人材をどうするのかというのも大きな課題ではないでしょうか。

 【2005年文庫化[日経ビジネス人文庫]】

《読書MEMO》
日産のゴーン会長逮捕へ新聞.jpgカルロスゴーン逮捕.jpg●日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕へ 金融商品取引法違反の疑い(2018年11月19日NHKニュース)


 
 
 
 
 
●日産ゴーン会長逮捕へ (2018年11月19日朝日新聞号外)
 


●八重洲ブックセンター八重洲本店 公式Twitterより(2018年11月20日)【2階】カルロスゴーン氏、日産関係の書籍ございます。
カルロスゴーン氏.jpg


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ドラマ仕立てで読みやすく、経営改革の抵抗勢力に対する対応などが重点的に描かれている。

V字回復の経営.gifV字回復の経営』 (2001/09 日本経済新聞社) V字回復の経営2.jpg 日経ビジネス人文庫 〔'06年〕

三枝 匡.jpg 経営コンサル出身で㈱ミスミ代表取締役CEOの三枝匡氏による、実際に行われた組織変革を題材にしたビジネス小説風の話で、『戦略プロフェッショナル』('91年)、『経営パワーの危機』('94年)に続く"企業変革ドラマ3部作"の最終作ですが、この本が出た翌年にミスミの社長になったのだなあと、改めてその華々しさに感じ入ってしまいました。

 ストーリーは、業績不振の事業(BU=ビジネスユニット)をいかに turnaround させる(蘇らせる)かというもので、改革のリーダーとして、スポンサー役の香川社長、力のリーダー黒岩、智のリーダー五十嵐、動のリーダー川端の4人が登場しますが、この中で、関係会社の社長という傍流的立場から、今回の経営改革の社内リーダーに抜擢された黒岩莞太の果たす役割が非常に大きい。

 彼は言わば"熱い"リーダーですが、彼とタッグを組むのが、コンサルタントの五十嵐直記で、こちらは"冷静な"企画立案者。この2人が香川社長の支援を受けながら、BUの業績改善のためのTF(タスクフォース)を立ち上げ、TFのメンバーを上手に巻き込みながら、BU改革のドラフトを作っていく―。

 TFメンバーはそれなりに意識の高い人間が選ばれていて、本書の中でも著者の「経営ノート」としていくつかの経営理論がビジネス・テキスト風に紹介されていますが、むしろ大変なのは、それを実行に移す場面においてであり、同じく「経営ノート」として、改革の〈推進者〉と〈抵抗者〉のパターンが詳細に示されています。

 ドラフトの中身がいくら素晴らしくても、抵抗勢力に潰されてしまったのでは改革は成らず、そうしたことへの対応策が、かなりのウェイトをもってリアルに描かれていて(そうした局面ではヒューマンスキルが求められ、黒岩・五十嵐といったリーダーが30,40代ではなく50歳代前半であることと符号する)、組織内改革やコンサルティングを行う人には大変参考になる(身に滲みる?)本だと思います。

 こんなに上手くいくはずがないという見方もあるかもしれませんが、折々で「失敗に至る状況」が潜在的に示されていて、特に、改革実施当初はその効果がすぐには現れず、業績の落ち込みが続いて、改革派が危機に立たされるところは、実際にありそうな話です。

 本書の経営改革の部分で核となっているコンセプトの1つに"選択と集中"があるかと思いますが、これはミスミの創業社長の田口弘氏がやってきたことに重なるように思われ、田口氏が後継社長として三枝氏を招聘したわけで、何かピッタリという感じ。

 また、分社化も実施されていますが、本書は'01年に出版された本でありながら、リストラも管理職の降職を除いては行っておらず、その後の世の傾向としては、現場主義改革を捨てて、一気にリストラや営業譲渡(M&A)に行ってしまうというケースが多いことを思うと、今一度、組織や業務の見直しを考えてみるうえでも、参考になる本だと思います。

 【2006年文庫化[日経ビジネス人文庫】
 
《読書MEMO》
●黒岩莞太の言葉(178p)
「1、2年で変わることのできない組織は、5年たっても、10年たっても変わりっこないんです。組織のカルチャーを変えるには、ダラダラやってもダメなんです...一気呵成のエネルギーを投入しなければだめなんです」
●改革8つのステップ(294p)
1.成り行きのシナリオを描く。
2.切迫感を抱く。
3.原因を分析する。
4.改革のシナリオを作る。
5.戦略の意思決定する。
6.現場へ落とし込む。
7.改革を実行する。
8.成果を認知する
○ジョン・P・コッターの「成果に導く組織変革の8段階」とやや似ている?
第1段階 危機意識を高める。
第2段階 変に革推進チームを作る。 
第3段階 適切なビジョンを作る。
第4段階 変革のビジョンを周知徹底させる。
第5段階 従業員の自発的な行動を促す。
第6段階 短期的な成果を生む。
第7段階 さらに変革を進める。
第8段階 変革を根付かせる。
●成功の要因とステップ(365p)
1.改革コンセプトへのこだわり
2.存在価値のない事業を捨てる覚悟
3.戦略的手法と経営手法への創意工夫(事業の絞りと集中)
4.実行者による計画作り
5.実行フォローへの緻密な落とし込み
6.経営トップの後押し
7.時間軸の明示(2年間の期間限定)
8.オープンで分かりやすい説明
9.気骨の人事
10.しっかり叱る
11.ハンズオンによる実行(トップ経営陣が現場に目を配る)

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「●「うつ」病」の インデックッスへ

うつ経験がビジネス人生のステップになるという、当事者としての強いメッセージ。

デキるヤツほどウツになる1.jpg 『デキるヤツほどウツになる―ビジネスマンのためのメンタルケア読本』 デキるヤツほどウツになる2.jpg.jpgデキるヤツほどウツになる―ビジネスマンのためのメンタルケア読本 (小学館文庫 Y う- 8-2)』 〔'07年〕

デキるヤツほどウツに.bmp 35歳のときにうつ病を発症したという人が書いたビジネスマン(ビジネスパーソン)のためのメンタルケアについての本で、自分がうつ病になっているだけに、うつにならないようにするにはどうすれば良いか、それ以上悪化させないようにするにはそうすればよいか、治った後に再発を防ぐにはどうすれば良いかが、ビジネスマンの視点に立って具体的に書かれています。

 単に個人の考えではなく、専門家の監修を交え、医学的見地からの解説もされていて、大手・先行企業のメンタルヘルスケア対応例が紹介されています。
 従って、書かれていることにそれほど偏りは無く、「デキるヤツほどウツになる」というタイトルも、完璧主義や几帳面な人ほどうつ病になりやすいという点では当たっているように思われます。

 著者が言うように、デキる人ほど自分は最近うつではないかと思いがちで、むしろ、デキないくせに自分はデキると思っている人ほど、「うつなんてデキないヤツがなるものだ」と思っているのかも。

 うつについて書かれた他の本にもありますが、本書にも「つらくなったらまず病院へいくこと」とあります。
 大体、うつの人は、自分でそのことを受け入れれば、わりとすんなり病院にいくことが多いのではないかと思われ、むしろ問題は、うつの予兆がじわじわと表れるため、本人も病気だとは思わず、周囲も気づかないことが多いということなのかもしれません。

 休職中に"気晴らしの旅行"をすることが逆効果になることがあるとか、うつであることを"カミングアウト"することで得られる効用など興味深い話もあり、うつ経験(ウツ・キャリア)が次のビジネス人生の良い方向へのステップになるという考えには、当事者としての強いメッセージが込められているように感じました。

 一方で、自分がうつになった経緯についてはほとんど書かれておらず、この著者の場合は、「今も治療中」であるということからも、仕事要因よりも気質的要因によるものなのではないかという疑念も少し抱きました。
 著者には『僕のうつうつ生活』('05年/知恵の森文庫)という本もあり、そちらの方を読めば、著者自身のことはわかるのかも。
 
 【2007年文庫化[小学館文庫]】

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「ストレスの認識→コントロール→より良いキャリア発達」というトータルな解説。

ストレスマネジメント入門.jpg 『ストレスマネジメント入門 (日経文庫)』 メンタルヘルス入門.jpg 『メンタルヘルス入門』('07/04 日経文庫)

2579464422.jpg 同著者の、同じ日経文庫の『メンタルヘルス入門』と同時刊行で、『メンタルヘルス入門』では、マネジャーや人事労務担当者による"組織で取り組むストレスマネジメント"を扱っていますが、本書では、勤労者に向けて、個人が"自らのストレスをマネジメントできるようにするにはどうすればよいか"という観点で書かれていて、産業カウンセラーとの共同執筆になっています。

 本書ではまずストレスとは何かを解説し、とりわけストレスとの関係が深いとされる「うつ病」について重点的に述べていて、うつ病の場合、睡眠など生活リズムの変調が徴候として表れることが多いわけですが、生活リズムを整えることでストレスマネジメントに取り組む基盤ができ、タイムマネジメント(時間使い上手)でストレスは減らせるとしています。

 さらに、物事の捉え方が変わればストレスも変わるという「認知的ストレス対処法」や、アサーション(上手な自己表現)、アンガーコントロール(怒りやイライラを処理する方法)などが紹介されていて、このあたりは、セルフカウンセリングの手法といった感じで、その他にも筋弛緩法や自立訓練法などのリラクセーションの手法が紹介されています。

 更には、キャリアカウンセリングの視点から、キャリアデザイン、キャリア・アンカーなどのキャリア理論の概念が解説されていて、最後に事例をあげてそれまで述べてきたことを応用した具体的な対処法を示しています。

 全体としては、ストレスの認識→ストレス・コントロール→より良いキャリア発達、という流れになっていて、チャレンジングといった概念も組み込まれていて、目先のストレスからの脱却のみを目的としていないトータルな観点から捉えた構成になっている点が共感できました。

 結局、うつ状態などから回復して仕事をしていたとしても、キャリア発達などの点で充足感が無いとまた同じ状態に戻るかも知れず、これは、別にうつ病で入院した人に限らず、うつ的気分に陥りがちなビジネスパーソン全般に言えることかも。

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企業施策としてのメンタルヘルスケアを、医学・実務・法律の各観点からバランスよく解説。

メンタルヘルス入門.jpg 『メンタルヘルス入門』 (2007/04 日経文庫) 島悟さん.jpg 島 悟 氏 (東京経済大学教授・精神科医) NHK教育テレビ「福祉ネットワーク」 '05.06.14 放映 「ETVワイド-"うつに負けないで"」より

mental health.bmp '06年に安全衛生法が改正されて、過重労働者に対する面接指導が一部義務化されるなど、メンタルヘルスに関する施策が一段と強化されました。

 本書はそうしたことを踏まえ、職場のマネジャーや人事労務担当者を念頭に置いて書かれたもので、まず、昨今の職場においてメンタルヘルスがいかに厳しい状況にあるかを示し、その切り口として「ストレス」について解説するとともに、それによりどのような「心の病」が見られるか、さらに改正安全衛生法の「新メンタルヘルス指針」が企業に要請していることを解説し、マネジメント上乃至人事上、具体的に何をすればよいのかを示しています。

 「心の病」についてはうつ病、パニック障害(不安発作)、職場不適応の3種類が代表格で、その他の「心の病」も紹介されていますが、やはりこれらの中でもうつ病については、重点的に解説されています。

 本書を読むと、改正安衛法の新指針は、旧労働省の'00年の「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」を踏まえたものであることがわかり、旧指針において"重要なケア"とされているものは、①セルフケア、②ラインによるケア、③産業保健スタッフ等によるケア、④事業場外資源(医療機関・相談期間等)によるケアの4つとなっていますが、この中でも、ラインマネジャーが部下の適切な労務管理、メンタルヘルスケアを行う「ラインによるケア」が大切であり、その具体的アクションとして「傾聴」を説いています。

 著者は精神科医であり、勤労者のメンタルヘルスが専門で、本書は、精神医学・心理療法面、企業内実務面、法律・行政指針面のそれぞれについてバランスのとれた内容で、新書版の物足りなさもありますが、入門書としては偏りがなくて最適、「心の病」で休職していた人の復職の進め方などは、個人的に 大いに参考になりました。

《読書MEMO》
●「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」('00年・旧労働省)における"重要なケア"(117p)
 ①セルフケア
 ②ラインによるケア
 ③産業保健スタッフ等によるケア
 ④事業場外資源(医療機関・相談期間等)によるケア
●安全衛生法改正に伴う「労働者の心の健康の保持促進のための指針」('06年)のメンタルヘルス対策の7つのポイント(122p)
 ①法律に基づく指針となったこと
 ②1次予防から3次予防までを含む包括的指針となったこと
 ③衛星委員会等の調査審議事項として取り上げたこと(メンタルヘルス対策に、形式対応ではなく実効性がお求められる)
 ④家族との連携への言及
 ⑤事業場内メンタルヘルス推進担当者が新設されたこと
 ⑥個人情報保護法への配慮
 ⑦ラインによるケアの補強(管理監督者は部下である社員の状況を日常的に把握でき、部下のストレスを察知し状況改善できる立場にあるという考え)
●「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」('04年)における"職場復帰支援プログラムの5つのステップ"(139p)
 第1ステップ:病気休業開始及び休業中のケア(診断書に職場復帰の準備を計画的に行えるよう、療養期間の見込について明記してもらう、等)
 第2ステップ:主治医による職場復帰可能性の判断(職場復帰可能の判断が記された診断書に、就業上の配慮に関する主治医の具体的な意見を含めてもらう、等)
 第3ステップ:職場復帰の可否の判断及び職場復帰支援プランの作成
 第4ステップ:最終的な職場復帰の決定
 第5ステップ:職場復帰後のフォローアップ(通院状況や治療の自己中断等のチェック、現在の病状や今後の見通しについての主治医の意見を労働者から聞き、必要に応じて労働者の同意を得たうえで主治医と情報交換する)
 ※復職をめぐる主治医と産業医の判断が一致しない場合もある
  ・産業医の方が事業所の特性・職種・職位・業務内容を熟知、就業上の配慮についてより適切な判断が可能
  ・ただし、産業医はメンタルヘルスの専門医ではない場合、主治医の判断を追認しがち。
●現場のマネジャーが留意すべき点(145p)
 ①すべての業務上の配慮の根拠は医学的判断にある
 ②産業医・保健婦などの看護職、または主治医とコミュニケーションを十分にとる
 ③労務管理をきちんとする

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通達や判例の引き方が丁寧で、しかも、とりあげている問題にジャストフィット。

続「問題社員」対応の法律実務8.jpg「問題社員」対応の法律実務 続.jpg     「問題社員」対応の法律実務.jpg
続「問題社員」対応の法律実務』('06年) 『「問題社員」対応の法律実務』('02年)

 著者は労務問題のエキスパートとして活躍する弁護士で、同著者の『「問題社員」対応の法律実務-トラブル防止の労働法』('02年/日本経団連出版)は、この分野の本としてはベストセラーになりましたが、本書はその続編です。

 主に'00年以降、専門誌の労務相談コーナーなどに書いたものを纏めて1冊の本にしたものですが、パワハラの問題や成果主義に関するトラブル、情報管理、内部告発の問題など、最近よくある問題も多くとりあげられています。

 前著同様Q&A方式ですが、45項目から成るQ&A1つ1つが、さらに3項目前後のQ&Aで構成されていて、関連する事柄をグループ化して理解できるため、単一問題の解決法の「点」的な集合ではなく、類似する問題を「連続する線または面」として捉えることが可能で、読むにつれ、問題解決の方法と併せて法の考え方が身につくかと思います。

 また、この著者の本の特長ですが、通達や判例の引き方が丁寧で、しかも、とりあげている問題にジャストフィットしていて、わかりやすいです。判例から遡及してQ&Aを構成しているという観もありますが、判例学習には最適かと思います。

 一方で、かなり判断が難しいく、しかし、必ずしも全てがレアケースとは言い切れず、どの企業でも起こる可能性があるようなケースをも敢えてとりあげているため、裁判になった際にどうなるという前に、企業内解決を図る努力をするよう示唆しているものも多く、これは問題解決に際しての重要なポイントだと思います。

 著者の立場は、基本的には使用者側ですが、会社が「問題社員」に対して毅然とした態度を示すためには、それなりの平素の労務対策が使用者側企業に求められるということを、本書を読めば読むほど痛感させられます。

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「企業にどうして社会的責任が求められるのか」という考察が興味深い。

「誠実さ(インテグリティ)」を貫く経営.jpg 誠実さを貫く経営,200_.jpg
「誠実さ(インテグリティ)」を貫く経営』 (2006/03 日本経済新聞社)

 著者は大学教授であり、CSR、内部統制の専門家で、本書は'05年中に刊行する予定だったのが、放送局、原子力発電所、金融機関などで不祥事が続き、さらに列車脱線事故が起きるなどして委員会参加などに忙殺されたために刊行が遅れたとのことで、学者らしいかっちりした内容ながら、遅れた分だけ直近の企業不祥事が事例として多く盛り込まれていて、問題を身近に感じつつ読めました。

 また、ある種"理想論"的なタイトルでありながらも、著者が複数の大手企業の社内倫理委員会のメンバーを務め、その中で企業には誠実さが求められることを説き、それを前提に内部統制を実践してきているため、論旨が地に足のついたものとなっています。

 CSRというものの歴史的起源から始まって、社内の公益通報制度を不満の捌け口として濫用する従業員に対するその非合理性の論証などもあり、さらにCSR先行企業の取り組み事例まで、カバーしているテーマの階層レベルは広い。

 個人的に興味深かったのは、「企業にどうして社会的責任が求められるのか」という考察で、著者によれば、企業とは「法人」つまり法的に擬人化した存在であり、企業のもともとのオーナーたちは「自然人」に求められる法的・社会的責任を「法人」に転嫁したわけで、一方、最近では、企業は株主のものであるというということが改めて言われるようになっていますが、有限責任を前提とする株主が企業の所有者であるならば、自分たちは出資した以上の責任は負わないということになり、そこに「責任の空白」が生まれる―。

 したがって、「法人」たる企業がやはり責任を負うことになり、この帰結は同時に、「株主利益の最大化」が唯一の企業の社会的責任だというフリードマンの理論の"穴"にもなっていて、株主(所有者)が無限責任を負うならばともかく「有限」責任のままでいるならば、「法人」(現実には経営者や従業員)が社会的責任の担い手とならなければならず、従って、経営者や従業員は利益を上げてくれればそれでいいと株主が言うのは身勝手な論理であると...(企業が社会的責任を果たすことが「株主利益の最大化」に繋がるという論法も当然成り立つが、現実には、CSRへの取り組みが"短期的に"利益を生むことは殆ど無い)。

 企業を支える経営者や従業員がそれぞれにおいて誠実であるしかないということで、CSRへの取り組みは、長期的には必ず市場から評価を得ると著者は述べています。

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