2011年7月 Archives

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社会的偏見と人間のエゴイズムをシンプルに凝縮。岩波文庫版(特に旧版)は挿絵が豊富。

脂肪の塊.JPG脂肪の塊 (1957年) (岩波文庫)』水野 亮:訳 脂肪のかたまり.jpg脂肪のかたまり (岩波文庫)』高山鉄男:訳

boule de suif poche (仏・2000年).jpg プロシア占領下の北仏ルーアンからの脱出行を図る馬車に乗り合わせたのは、互いに見知らぬブルジョア階級の夫婦3組、修道女2人、民主主義者の男1人、そして「脂肪の塊」と綽名される娼婦が1人―。大雪で移動に時間を要し、腹が減った彼らは、娼婦が自分の弁当を一同に快く分け与えたおかげで飢えを凌ぐことが出来、一旦は、普段は軽蔑している彼女に親和的態度を見せる。しかし途中の町宿で、占領者であるプロシアの士官が娼婦との関係が持てるまでは彼らの出発を許可しないと言っていると知ると、愛国心ゆえ嫌がる娼婦を無理矢理説き伏せ,士官の相手をさせようとする。そして再び出発の時、皆のために泣く泣く士官の相手をした娼婦を迎えた彼らの態度は、汚れた女を見るように冷たく、娼婦は憤慨し悲嘆にくれる―。

 1880年にギ・ド・モーパッサン(1850-1893)が30歳で発表した彼の出世作であり、馬車に乗り合わせた少数の人々が繰り広げるシンプルな出来事の中に、社会的偏見と人間のエゴイズムを凝縮させた、風刺文学の傑作と言えます(皮肉屋モーパッサンの面目躍如といった感じか)。

"Boule de Suif" (仏・2000年)

 それにしてもひどいね、このブルジョア達は。自分達が無事にフランス軍の所に行くことこそ愛国主義に適うことであるとして娼婦を説得したのに、娼婦の犠牲によって足止めが解かれた途端にその行為を「非愛国的」として非難しているわけで、これぐらい分かりやすい"身勝手"ぶりは無く、娼婦の立場を考えれば"残酷"と言っていいくらい(「民主主義者」(注:水野亮訳)のコルニュデのみ沈鬱な様子を見せているのが救いか)。

五木寛之00jpg.jpg 普仏戦争(1870‐71)の戦時下という状況設定ですが、そう言えば五木寛之氏のエッセイにも、五木氏自らが子供の頃に朝鮮で体験した、(占領側に女性を人身御供として差し出すという)同じようなエピソードがありました。但し、この作品のブルジョワ達が、ある種、閉ざされたグループ内での"ノリ"で行動しているように見える点は、わざわざ戦争や階級差別を持ちださなくとも、現代の学校のいじめ問題などにも通じるところがあって、怖いように思えました。

「絵のある」岩波文庫への招待.jpg 作品中、娼婦の呼び名は「ブール・ド・シュイフ(Boule de Suif)」で通されていますが、「脂肪の塊」というのは直訳であり、実際は「おデブちゃん」といったところでしょうか。以前、講談社文庫(新庄嘉章:訳『脂肪の塊・テリエ観』)で読んで、今回、岩波文庫の旧版(水野亮:訳・昭和32年改版版)で再読しましたが、岩波文庫は挿絵入りで、それを見ると、実際丸々太って描かれています。その他にも90ページそこそこの中に挿絵(1930年代のもの)が15点ぐらいあり、状況がイメージしやすくなっています(ブール・ド・シュイフが持っていた弁当がどのようなものであったかとかまで分かってしまう)。

 岩波文庫(の特に旧版)は挿絵が多くて楽しめるものが海外文学、日本文学ともに何点かあり、これもその1冊と言えるでしょう(新版にすべて移植されているとは限らないみたい。岩波文庫の新版『脂肪のかたまり』については未確認)。岩波文庫の挿絵に注目した坂崎重盛氏の『「絵のある」岩波文庫への招待』('11年/芸術新聞社)の表紙にも、この「ブール・ド・シュイフ」が中央やや右下に描かれています(文庫の挿絵と比べ反転しているが)。

「絵のある」岩波文庫への招待

マリアのお雪ef.jpg この作品は、旧ソ連(Pyshka (1934))とフランス(Boule de suif (1945))でそれぞれ映画化されていますが(ソ連版はミハイル・ロンム監督、ガリーナ・セルゲーエワ主演、フランス版はクリスチャン=ジャック監督、ミシュリーヌ・プレール主演)、何れも日本ではなかなか観られないようです(フランス版は輸入版DVD有り)。また、この作品をモチーフに舞台を日本に置き換えた溝口健二監督の「マリアのお雪 (1935)」(出演:山田五十鈴(当時18歳))という作品もあります。

【1938年文庫化・1957年改版[岩波文庫(『脂肪の塊』(水野亮:訳)]/1951年再文庫化[新潮文庫(『脂肪の塊・テリエ館』(青柳瑞穂:訳))]/1954年再文庫化[角川文庫(『脂肪の塊―他二編』(丸山熊雄:訳))]/1955年再文庫化[河出文庫(『脂肪の塊』( 田辺貞之助:訳))]/1971年再文庫化[講談社文庫(『脂肪の塊・テリエ館』(新庄嘉章:訳))]/2004年再文庫化[岩波文庫(『脂肪のかたまり』(高山 鉄男:訳)]】

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懐かしい「U結社編」。海中戦の3次元感覚を、漫画の2次元の世界の中で上手く描いている。

サブマリン707 00.jpg  サブマリン707 別冊サンデー.jpg  サブマリン707 完全復刻.jpg  サブマリン707r dvd.jpg
サブマリン707 1 (サンデーコミックス)』['67年]/『サブマリン707 1 完全復刻版 (ラポートコミックス)』['93年]/「サブマリン707R/MISSION:01 [DVD]」['03年]

 太平洋に出没する謎の怪潜を追って出撃する海上自衛隊の潜水艦「707号」は、途中で貨客船の生き残りの3少年を収容する―(「U結社編」)。

サブマリン707 2.jpg 「週刊少年サンデー」に'63(昭和38)年から'65年(昭和40)年まで連載された小澤さとる(1936-)氏による海洋冒険漫画で、当時の男子小学生はこぞってこの作品に没頭し、関連するプラモデル商品などを買い求め、ゴム動力の模型潜水艦を学校の中庭の池などに浮かべて遊んだものでした(ウチの学校だけか?)。

 '77(昭和52)年刊行の「秋田漫画文庫」(全7巻)で再読。いつも誰かしら強敵と海中で戦っていたイメージがありますが、「U結社編」(全51回)、「謎のムウ潜団編」(全42回)、「ジェット海流編」(全8回)、「アポロノーム編」(全20回)、「盗まれた潜水艦編」(全1回)という長短織り交ぜたシリーズ構成だったのだなあと。

「月刊別冊少年サンデー」(怪潜U結社団)

 読み返して最も面白かった(ノスタルジーを掻き立てられた)のは最初の「U結社編」で、敵役のウルフという元ドイツ第三帝国の中尉がなかなか渋く、また、作品中に「ホーミング魚雷」とか「ソナー」とか「フリゲート」といった用語解説が図入りで解説されており、ストーリー展開も本格的な戦記ものの雰囲気を醸しています。

 この時点での「707号」は旧式のオンボロ艦なのですが、潜水艦同士の海中での戦闘というのは、戦闘機同士の空中戦と同じく3次元の世界の戦いであり(この3次元感覚を、漫画という2次元の世界の中で上手く描いている)、707号の艦長・速水とかつての戦友で今は敵であるウルフとの戦いは、「兵力戦」というより「知力戦」になっていて、オンボロ艦が知力で強敵を負かすところがいいです。

 これが、「707号」が新式となり、救出された少年たちが少年自衛官として活躍するようになる「謎のムウ潜団編」以降になると、一気に冒険譚風となり、「謎のムウ潜団編」などには、古代ムウ文明の生き残りの人々が住む海底帝国とかが出てきて、やや子供っぽくなりますが、子供の頃は、この辺りも夢中になって読んだのかもしれません(現時点での星4つの評価は「U結社編」に対して)。

 '67(昭和42)年に秋田書店の「サンデーコミックス」(全6巻)として刊行された際に、すでに雑誌連載時のものから改変が加えられていたようで(その前の連載中の'64年に第1巻が刊行された東邦図書版もあるが絶版で入手困難)、'85(昭和60)年の「秋田コミックスセレクト」での再単行本化も同じ内容、それが、'93(平成5)年にラポートから雑誌連載の「完全復刻版」(全6巻)が出されたということで、やはりカルトなファンがいるのだなあという感じがします。

 '03(平成15)年に「サブマリン707R(Revolution) 」としてアニメ化(2度目)もされていますが(707号の船体が何だか「宇宙戦艦ヤマト」っぽくなっている)、今のようなCG全盛の時代ならば、実写版でも可能ではないかと(アニメにもCGが使われている)。但し、そうなればそうなったで、内容的はやはり大幅に改変されてしまうのだろうなあ、女性とかが登場したりして(原作では"登場人物"と呼べるレベルでの女性は一切登場しない)。

【1967年単行本化[秋田書店「サンデーコミックス(全6巻)」]/1977年文庫化[秋田漫画文庫(全7巻)]/1985年再単行本化[「秋田コミックスセレクト」]/1993年[ラポート「完全復刻版」(全6巻)]】

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テーマ曲「コーリング・ユー」がよく、"情"の世界を描いているのにカラっと乾いている。

バグダッド・カフェ.jpg バグダッド・カフェ dvd.jpg  バグダッド・カフェ blueray.jpg    『バグダッド・カフェ』(1987).jpg
バグダッド・カフェ 完全版 [DVD]」「バグダッド・カフェ ニュー・ディレクターズ・カット版 Blu-ray

バグダッド・カフェ1.jpg 独ローゼンハイムから米国に旅行に来ていた中年夫婦はラスベガス近郊でケンカとなり、夫(ハンス・シュタードルバウアー)は妻ジャスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)をハイウェイの途中に置いて行ってしまう。ジャスミンは大きなトランクを抱えて砂漠を歩き、寂れたモーテル兼カフェ兼ガソリンスタンド「バグダッド・カフェ」に辿り着くが、カフェの女主人ブレンダ(CCH・パウンダー)も夫婦ゲンカをして夫を追い出したばかりで、息子や娘は勝手気ままで母親を手伝おうともしない。そこにステイすることにしたジャスミンは、勝手に店を掃除してしまうなどし、そうした彼女の振る舞いが気に入らないブレンダは最初の内は彼女を嫌うが―。

 '87年の西ドイツ映画ですが、'89年に渋谷のシネマライズで公開され、じわじわとヒット、'94年には完全版がリヴァイバル上映され、更に'08年に、パーシー・アドロン監督が全てのカットの色と構図を調整し直した「バグダッド・カフェ ニュー・ディレクターズ・カット版」が製作され、日本でも'09年にユーロスペースなどで公開、'10年にはそのブルーレイ版が販売されるなど、根強い人気の作品です。

 先ず、ジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」がよく、砂漠に佇むカフェという一見無機質に思えるような設定とマッチしていて、更に、その中で繰り拡げられる緩やかな流れの人間ドラマともマッチしています。

バグダッド・カフェ3.jpg 「バグダッド・カフェ」(奇妙な名前だが、ルート66沿いに実在するモーテルの名)には、女主人ブレンダ(CCH・パウンダーが好演。ギアナ出身の英国育ちで、今でこそ米国の映画やTVドラマなどでお馴染だが、当時はこれが映画での初の大役)のほかに、日々虚無的に夜遊びに明け暮れる娘、カウボーイ気取りの売れない画家、ピアノの弾けないピアニストなどが集い、そこはまるで社会の吹きだまりのような場所です(ローザ・フォン・プラウンハイムの「ベルリンブルース」('86年/西独)にも通じる"西ドイツ"映画っぽい雰囲気)。

「バグダッド・カフェ」.jpg そこにある時から滞在することになった太っちょの外国人女性ジャスミンによってそうした人々皆が癒されていく過程が、劇的な出来事を挿入しているわけでもないのに、旨く描かれています(ジャスミンを演じるマリアンネ・ゼーゲブレヒトはあまり喋らないが、存在感があってその印象は強烈)。そしてやがては、ジャスミンに皆の人気が集まるのを嫉妬していた女主人ブレンダも―。

バグダッド・カフェ2.jpg 労働許可証を持っていないため強制送還されたジャスミンが、再びこの地を訪れブレンダと再会する場面は感動的ですが、老画家ルディのジャスミンによせる恋心(「シェーン」の敵役、故ジャック・パランスが好演)もほのぼのとしたタッチで描かれていて、最後はロマンチックな方法で彼女の労働許可証の問題を解決します。

 "友情"や"愛情"など色々な意味での"情"の世界を描いたという点では日本的な雰囲気もあり、その辺りが日本でも大いに受けた理由かも知れませんが、バックグランドが、まさにこの映画に出てくる砂漠や突き抜けるような青空のようにカラッとしていて、この透明感がまたいいのでしょう(日本映画に通じるものがあっても、日本ではこういう作品は撮れないだろうなあ)。

BAGDAD CAFE 1.jpg『バグダッド・カフェ』(1987)2.jpg "ロード・ムービー"ならぬ"ロードサイド・ムービー"。その"ロードサイド"にあったのは、"血縁"に拠らない「心の家」「アナザー・マイホーム」だったといった感じでしょうか。癒されたい気分の時に観るのにお奨めです。
Out of Rosenheim(1987)
Out of Rosenheim(1987).jpg
バグダッドカフェ.jpg「バグダッド・カフェ」●原題:BAGDAD CAFE(OUT OF ROSENHEIM)●制作年:1987年●制作国:西ドイツ●監督:パーシー・アドロン●製作・脚本:パーシー・アドロン/エレオノーレ・アドロン●撮影:ベルント・ハインル●音楽:ベルント・ハインル●時間:91分●出演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト/CCH・パウンダー/ジャック・パランス/クリスティーネ・カウフマン/モニカ・カローン/ダロン・フラッグ/ジョージ・アキラー/G・スモーキー・キャンベル/ハンス・シュタードル●日本公開:1989/03●配給:KUZUIエンタープライズ●最初に観た場所:シネマライズ渋谷(地階) (89-03-05) ●2回目:シネマライズ 渋谷(地階)(89-03-12) (評価★★★★☆)
シネマライズ BF.JPGシネマライズ2.jpgシナマライズ 地図.jpgシネマライズ渋谷1986年6月、渋谷スペイン坂上「ライズビル」地下1階に1スクリーン(220席)でオープン。1996年、2階の飲食店となっていた場所に2スクリーン目を増設。「シネマライズBF館」「シネマライズシアター1(後のシネマライズ(2F))(303席)」になる。2004年、3スクリーン目、デジタル上映劇場「ライズX(38席)」を地下のバースペースに増設。地下1階スクリーン「(元)シネマライズ渋谷」2010年6月20日閉館、跡地はライブハウス「WWW」に(地下2階「ライズⅩ」2010年6月18日閉館、地上2階「シネマライズ」2016年1月7日閉館

シネマライズBF館(前・シネマライズ渋谷)

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「ボランティアは石もて追われよ」。自分はまだそこまでの境地に達していないなあ。

人間の覚悟』1.JPG人間の覚悟.jpg人間の覚悟 (新潮新書)』['08年]

 生きているということは、自分に関する事柄について1つ1つ不可能性を認識していくことではないかと思われ、そうした意味では、ある程度の年齢を経れば、一定の諦念のようなものは否応なく身についてしまうのではないでしょうか。

 但し、本書にあるように、「諦める」覚悟を持たなければならないとまで言われると、自分はまだまだそこまで達していないなあという気がします。

 著者は、「諦める」は「明らかに究める」に通じるとしていることから、「諦める」覚悟を持つということは「明らかに究める」覚悟を持つということにもなり、やはり、そうした努力は継続しなければならないのかなあ。

 但し、著者が言う「善意は伝わらないと覚悟する」「人生は不合理だと覚悟する」「国家や法律は守ってくれないと覚悟する」「統計などの数字よりも自分の実感を信じる」などといったことは、既に実感として身についてしまっている人の方が多いかも。

 もともと著者のエッセイには、それこそ初期の「風に吹かれて」の頃からある種ペシミズムのようなものが漂っていたように思いますが、「資本主義は終焉の時期が来ている」はともかく、「躁から鬱の時代(下降していく時代)に入った」とか言われると、自身の加齢とともに、終末論的な色合いが強くなってきているような気がしなくもありません。

 著者は昔、文化講演会などで話をさせられるのは苦手だと言っていましたが、本書などは、時事批評的な要素もあれば、お坊さんの法話的な雰囲気もあり、今ではこうした語り口がすっかり身についてしまった感じもします。

 全体を通しての自分自身の読後感は、分かったような、分からなかったような、と言う感じであり、まだ自分は「覚悟」に至るにはかなり遠いところにいるのかも知れません。

 但し、部分部分においては示唆に富む箇所もあり、とりわけ個人的には、「ボランティアは石もて追われよ」と書かれている箇所に共感しました(この部分についても、自らを振り返ってみれば、自分はまだそうした境地に達していないのだが)。

 文中に朝鮮からの引き揚げ時のエピソードがちらりちらりと出てくるのが著者の最近のエッセイの特徴ですが、その中に、モーパッサンの『脂肪の塊』を想起させるものがあったのが印象に残りました(占領した側に女性を人身御供として遣わせるところ。戦争のごとに歴史は繰り返されるなあ)。

《読書MEMO》
●「ボランティアは石もて追われよ」
 一九九五年に阪神淡路大震災が起きたとき、ボランティアとしてたくさんの人が被災地に向かいました。
 若い人たちの中には、骨を埋める覚悟で行くという人もいるほど熱気があったのに、地震から二、三年も経つと、その人たちが私にこぼすようになったのです。「はじめは涙を流して喜んでいた人たちが、そのうち慣れて小間使いのように自分たちをこき使う」、「やってくれるのが当然という態度で、ありがとうの一言もない」など。
 しかし私はこう思うのです。「それは君たちがまちがっている。そもそもボランティアというのは、最後は『石もて追われる』存在であるべきなのだから」。(中略)ほんとうに自らの身を投じて仕事をすれば、ついには追われるのが自然です。
 最後にみんなから大きな感謝とともに送り出される、などと考えてはならない。「もう帰っていいよ」と言われたら、「はいそうですか」と帰ってくればいい。いい体験をさせてもらいました、ありがとう、と心の中でつぶやきつつです。そう覚悟してこそボランティアなのだと思います。(中略)それでもしだれかが、「ありがとう」と言ってくれて、もし相手に思いがつうじたなら、狂喜乱舞すればいいのです。

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戦争が生んだエノケンと大河内傳次郎の共演。エノケンを"脇役"のフリをして"主役"にした?

虎の尾を踏む男達 ポスター.jpg 虎の尾を踏む男たち2.bmp  虎の尾を踏む男達 dvd.jpg虎の尾を踏む男達<普及版> [DVD]
「虎の尾を踏む男達」ポスター 榎本健一/大河内傳次郎

虎の尾を踏む男達 2.jpg 北陸道を奥州へ向かって山路を登る山伏姿の一行は、実は鎌倉将軍源頼朝に追われた義経(仁科周芳)と、弁慶(大河内傳次郎)らその家来達であり、その先の安宅の関では、地頭の富樫左衛門(藤田進)が一行の通過を待ち構えていたが、既に、義経らが山伏姿でいて一行の人数が7人であることまでが広く知られていた。そして、彼ら一行には、麓の村で雇った強力(榎本健一)がついていた―。

 黒澤明(1910-1998)が1945(昭和20)年に監督した、歌舞伎の「勧進帳」のパロディ映画であり、大河内傳次郎、藤田進は、黒澤明がその下で助監督を務めた山本嘉次郎(1902-1974)監督が、「ハワイ・マレー沖海戦」('42年)「加藤隼戦闘隊」('44年)で起用してきた役者であり、その流れの中で黒澤明も初監督作品「姿三四郎」('43年)で2人を主役に起用しています。

 一方、榎本健一は、それ以前に山本嘉次郎がその主演映画を数多く手掛けてきた役者であり、共に「山本組」から引き継いだ役者でありながら、その異質の両者を使って1つのパロディ作品を撮ったというのが興味深いですが、その背景には、撮影当時、日本軍部はチャンバラに加えお笑いも禁止しており、そのためエノケンは大スターの身でありながら出られる作品が無くなって、こうした作品に出ることになったという事情もあるようです。

大河内傳次郎(弁慶)/榎本健一(強力)
虎の尾を踏む男達 大河内.jpg虎の尾を踏む男達 榎本.jpg 大河内傳次郎の弁慶は、歌舞伎俳優の舞台さながらの大時代的な演技、一方、エノケンは(なぜ北陸の村に江戸弁の強力がいるのかはともかく)例のちゃきちゃきの江戸っ子のままで、藤田進の富樫がその中間というか、舞台っぽくはなっていない普通の時代劇映画風の台詞の言い回しなのですが、全体には義経・弁慶主従ら登場人物の大多数が大時代的であるため、エノケンのコミカルな演技が際立つようになっています。

虎の尾を踏む男達 エノケン.jpg 自らのお喋りを通して、山伏風の一行が義経・弁慶らであることに気付いて腰を抜かすなど、観客に対する「狂言回し」的な役回りを担い、全員が緊張を悟られまいと型どおりに得る舞う中で、1人だけ冷や冷やぶりを露わにしてその心理を観客に向けて代弁し、更に、後半の富樫の使者からの差し入れで一行が酒宴に至る場面では、ミュージカル風の踊りも披露して、完全に自分の映画にしてしまっている感じです(黒澤監督が山本嘉次郎のエノケンの使い方を、普段からよく観察していたために成せる業とも言えるが)。
 大河内傳次郎の弁慶は堂々とした重厚な演技で、藤田進の富樫との"例の遣り取り"には、ついついグッと引き込まれます(但し、富樫が義経の一行をそうと知って通したというのは「勧進帳」には当初無かった解釈らしいが)。

虎の尾を踏む男達   .jpg そうした大河内傳次郎らの演技とエノケンの演技の対比がこれまた楽しめますが、やはりこの作品のエノケンは「役得」しているように思います(「エノケンの近藤勇」('35年)などを観ると、ワンシーン丸々フツーに時代劇風に演じることも出来る役者なのだが、この作品ではそうした部分は抑え、喜劇役者に徹している)。

 日本軍部がお笑いを禁止していたお陰で大河内傳次郎とエノケンの共演が成ったのならば、まさに戦中でなければあり得なかった組み合わせであり、そうした中で、"脇"のフリをしてエノケンに実質的な"主役"をやらせるというのは、黒澤明としては計算づくのことだったのかも...(但し、この作品は、GHQの検閲で内容に封建的な部分があるということで、1952(昭和27)年まで一般公開されなかった)。

虎の尾を踏む男達_2.jpg「虎の尾を踏む男達」●制作年:1945年●監督:黒澤明●製作:伊藤基彦●脚本:黒澤明●撮影:伊藤武夫●音楽:服部正●時間:59分●出演:大河内傳次郎/藤田進/榎本健一/森雅之/志村喬/河野秋武/小杉義男/横尾泥海男/仁科周芳(岩井半四郎)/久松保夫/清川荘司●公開:1952/02(虎の尾を踏む男達 藤田進.jpg完成:1945/09)●配給:東宝(評価:★★★☆)

藤田 進(安宅関守・富樫左衛門)
森 雅之(亀井六郎重清)           志村 喬(片岡八郎経春)
森雅之 虎の尾を踏む男たち 亀井.jpg 虎の尾を踏む男達 志村.jpg

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「話」としては"いい話"が多くなってきているが...。ややネタ枯れ気味?

張り込み姫.jpg張り込み姫 君たちに明日はない 3』(2010/01 新潮社)

 リストラ請負会社「日本ヒューマンリアクト」に勤め、所謂"クビ切り面接官"を仕事とする村上真介を主人公としたシリーズの第3弾で、「ビューティフル・ドリーマー」「やどかり人生」「みんなの力」「張り込み姫」の4話を所収。

 山本周五郎賞受賞作の第1弾『君たちに明日はない』は、建材メーカー・玩具メーカー・メガバンク・コンパニオン派遣会社・音楽プロダクションが、第2弾の『借金取りの王子』は、老舗百貨店・生保会社・消費者金融・温泉旅館がそれぞれ舞台でしたが、今回の第3弾は、英会話学校、大手旅行代理店、車ディーラーの自動車整備士、大手出版社の写真誌記者といった業界・職種を扱っています。

 「小説新潮」の連載で、間歇的な連載とはいえ毎回異なった業界を扱うのは相当骨が折れるのではないかと思われ(ここまで通算13話)、その取材努力は評価したいと思いますが、主人公の真介と8歳年上の陽子のプライベートな男女の話は"安定期"に入ったのか後退し、面接場面が中心のパターンが続くだけに、ちょっぴりマンネリ感も。

 そうしたことも意識してか、真介と彼が面接する被面接者たちの両方の視点から描くスタイルは変わらないものの、今回はいずれも被面接者たちの考え方や生き方に主に焦点が当てられているように思われました。

 彼らの中にもこれまでの登場人物と同様にリストラ勧告によって困惑する姿も見られますが、一方で彼らは自力で、または周囲の協力を得て新たな一歩を踏み出すことになり、顧みればリストラが次のキャリアへの転身、再出発への契機になった―といった"能動的" "前向き"な話が多くなっています。

 その分、「話」としての読後感は悪くないのですが、作者が登場人物を予め"転身可能性"を充分に秘めた人物として描いていて、そのため個々の苦悩の部分がやや薄く感じられたり、登場人物の再出発がうまくいくようにしようとし過ぎていて、話が出来過ぎていたりする感じも。主人公もすごくいいヒトになっちゃったし。

 「話」としては、ひとりの自動車整備工の再出発を多くの仲間が陰で支える「みんなの力」が一番の"感動作"ということになるのでしょうが、「小説」としては、旅行代理店の社員が謎めいた立ち振舞いを見せる「やどかり人生」が、プロセスにおいては面白かったかなあ(最後は「なあんだ、そういうことか」という感じではあるのだが)。

 「やどかり人生」「みんなの力」共に作者の趣味や経歴に近い世界の話であり、表題作「張り込み姫」の舞台は、この連作の掲載誌の版元がモデルということで、ややネタ枯れ気味なのか?

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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「戦意昂揚」という外形の下、加藤隊長のヒューマンな人柄を描く。円谷英二の特撮も注目。

加藤隼戦闘隊 ポスター.jpg 加藤隼戦闘隊 vhs.jpg 加藤隼戦闘隊 dvd.jpg  加藤 健夫 .jpg
「加藤隼戦闘隊」 ポスター/「加藤隼戦闘隊」VHS/「加藤隼戦闘隊 [DVD]」 加藤健夫(本人)

加藤隼戦闘隊1.jpg 太平洋戦争初期に南方戦線で活躍した陸軍飛行第64戦隊(通称「加藤隼戦闘隊」)を率いた加藤健夫中佐の活躍と人柄を描いた伝記映画であるとともに、軍部の協力の下、実戦機による空中戦など迫力のある映像で描いた戦争アクション映画であり、1944(昭和19)年の年間観客動員数1位となった作品。

藤田進 加藤隼戦闘隊.jpg 冒頭の1941(昭和16)年4月の広東に、第64戦隊の戦隊長として加藤建夫少佐(当時)(藤田進)が九七式戦闘機を駆って着任するところからカッコ良く、数ヶ月後、部隊には一式戦闘機(隼)が配備され(国内初の車輪が機体に格納できる「引込脚」の戦闘機だった)、加藤は隼の特性把握も兼ねて、単機南シナの偵察に出向いたりして、その大胆さで隊員らを驚かせます。

加藤隼戦闘隊  オリジナルスナップ.jpg 1941(昭和16)年12月初旬には部隊はフコク島へ転進、マレー半島攻略戦を実施する山下奉文の部隊の哨戒任務を与えられ、帰路の夜間飛行で仲間を失った加藤は大いに悔みますが、直後に海軍が真珠湾攻撃に成功、悲しみに浸る間もなく加藤の戦隊はコタバルへ転進し、クアラルンプール爆撃の軽爆隊の援護任務にあたり、そこで隼戦闘機での初の空戦を行って戦果を上げます。以降、加藤隼戦闘隊は目覚ましい戦果を上げ続けますが、映画ではそうした部分はニュース映像的に簡潔に伝えるだけで、前半部分のかなりは、加藤の豪放磊落で、かつ部下想いの人間味溢れる人柄の描写に割かれています。

「加藤隼戦闘隊」オリジナルスナップ写真集より

加藤隼戦闘隊3.jpg 隼戦隊というスペシャリスト軍団の中でも、隊長自身が更に一段と秀でた技術を備えているということは、スペシャリスト軍団を率いるうえで大きなリーダーシップ要因となったと思われますが、「撃墜王」「空の軍神」と呼ばれながらも、すでに40歳近かった加藤自身がどれだけ最前線で戦ったのかはよく分かっていません(映画では、敵機に囲まれ窮地にある味方軍を、加藤が単機で援護する場面などがある)。

加藤隼戦闘隊 02.jpg 但し、加藤の人間性の部分は、映画に描かれている通りの責任感が強い温かな人柄であったようで、20歳前後の若者が多く配属されていた部隊で、部下を自分の息子たちのように大事にし、敵機の攻撃により被弾し帰還できない者が出ると、号泣して兵舎の外に立って帰らぬ部下をいつまでも待ち続けていたとのことで、部下からの信頼や慕われ方は相当のものだったようです。
 
加藤隼戦闘隊05 加藤.jpg 「戦意昂揚」映画の外形をとりながらも、山本嘉次郎監督はそうした加藤の人柄にスポットを当てることで、巧みにヒューマンな作品に仕上げており、また、藤田進演じる加藤が、時に剽軽なオッサンぶりを見せたり、時に博識ぶりや洒落たセンスを見せたりと、なかなか多彩な味があって良く、少なくともこの映画での加藤の描かれ方は「軍神」という近寄り難い雰囲気ではありません(山本嘉次郎自身が撮りたかった映画を撮ったという感じ)。
 
加藤隼戦闘隊 r.jpg加藤隼戦闘隊2.jpg この映画の後半の見所は戦闘シーンで、殆どがオリジナルフィルムであり、本物のパイロットが本物の戦闘機を駆ってい編隊飛行などを見せるほか、1942(昭和17)年2月の陸軍落下傘部隊のパレンバン攻略戦を、実戦さながらのスケールで再現してみせています(これは軍の協力がなければ出来ないことだが)。

加藤隼戦闘隊 01.jpg 年代設定は1941(昭和16)年から1942(昭和17)年にかけてであり、同じく「隼」を中心に据えた山本薩夫監督の「翼の凱歌」('42年/東宝)と比べてみると興味深いかもしれません(リアルタイムでみれば共に胴体に日ノ丸のない「一式戦一型」のはずだが、「翼の凱歌」の2年後に作られたこの作品では、年代設定は「翼の凱歌」より少し前でありながら、胴体に日ノ丸のある「一式戦二型」が登場して編隊飛行などを行っている)。

加藤隼戦闘隊  特撮.jpg 更に戦闘機同士の空中戦や空爆シーンは、円谷英二特技監督による精巧な特殊撮影が織り込まれていて、どこまでが実写でどこまでが模型なのか見た目では分からないぐらいリアル。戦後の怪獣映画の特撮シーンの基礎は、こうした作品で培われたことを窺わせるとともに、円谷英二もまた、自分がやってみたかったことを映画作りの中でやったという側面もあるのではと思ったりもしました。

加藤隼戦闘隊 ポスター2.jpg 1942(昭和17)年5月、出先基地から出撃した味方機が途中で不時着し、部下の身を案じて基地からの引き揚げを躊躇っていた矢先に基地は敵の爆撃を受け、急遽追撃した加藤は敵機を撃墜するも敵弾を受け、反転して海中に自爆(多分、帰還が不可能であることを悟ったのだろう。これは部下に普段から話していた「確実に死ねる」方法だった)、38歳で戦死しました(彼の最期の場面は映画には無い)。

加藤隼戦闘隊 タイトル.png 加藤はすでに生前から「空の軍神」と呼ばれていたぐらいで、死後ますます「軍神」として祭り上げられることになりますが、彼自身はそんな類の名誉を望んでいなかっただろうし、こんないい人でも死ななければならない、という「戦争というのはやっぱり嫌だなあ」という気持ちの方が見終わった後に残る、ある意味アイロニカルな「戦意昂揚」映画のように思えました。
  
「加藤隼戦闘隊」●制作年:1944年●監督:山本嘉次郎●製作:村治夫●脚本:山崎謙太/山本嘉次郎●撮影:三村明●音楽:鈴木静一●特技監督:円谷英二●時間:109分●出演:藤田進/黒川弥太郎/沼崎勲/中村彰/高田稔/大河内伝次郎/灰田勝彦/河野秋武/志村喬●公開:1944/03●配給:映画配給社(東宝)(評価:★★★★)

「0戦はやと」.jpg「0戦はやと」2.jpg 一方、優秀な戦闘機パイロットに対する憧憬は戦後も長くあったようで、「隼」と並ぶ日本の戦闘機「0戦」「紫電改」をそれぞれ素材とした、辻なおきの「0戦はやと」(「週刊少年キング」創刊号から1964(昭和39)年第52号まで掲載)、ちばてつやの「紫電改のタカ」(1963(昭和38)年から1965(昭和40)年まで「週刊少年マガジン」に連載)といったマンガがありました。倉本聰.bmpこの内「0戦はやと」は、TVアニメとして、1964(昭和39)年1月21日から10月27日までフジテレビ系で放送され、脚本には倉本聡氏などが携わっています(「見よ、あの空に 遠く光るもの あれはゼロ戦 ぼくらのはやと 機体に輝く 金色(こんじき)の鷲 平和守って 今日も飛ぶ ゼロ戦 ゼロ戦 今日も飛ぶ」というテーマソングの作詞も倉本聡氏)。

ゼロ戦はやと.jpg0戦はやと [VHS].jpg 因みに、アニメのオープニングで、隼人がアップになるカットに1コマだけ(開始16秒後)、スタッフのものと思われる腕時計をした手がちらっと映り込んでいるのが確認できます(ずっとこのまま放映していたのかなあ)。
0戦はやと.jpg
0戦はやと [VHS]

「0戦はやと」(テレビアニメ版)●演出:星野和夫●製作:鷺巣富雄●脚本:倉本聡/鷺巣富雄/河野詮●音楽:渡辺岳夫●原作:辻なおき●出演(声):北条美智留/朝倉宏二/大塚周夫/田の中勇/家弓家正/大山豊/河野彰●放映:1964/01~10(全38回)●放送局:フジテレビ

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最初のうちは嫌な奴だと思ったら...。読んでいくうちに、作者のうまさに嵌っていくような感じ。

君たちに明日はない 単行本.jpg 君たちに明日はない 文庫.jpg君たちに明日はない 文庫tv.jpg  君たちに明日はない tv.jpg 垣根涼介.jpg 垣根涼介 氏
君たちに明日はない』['05年]『君たちに明日はない (新潮文庫)』「君たちに明日はない (坂口憲二 主演) [DVD]

 2005(平成17)年度・第18回「山本周五郎賞」受賞作。

 リストラ請負会社「日本ヒューマンリアクト」に勤める村上真介の仕事は、リストラ専門の面接官であり、昨日はメーカー、今日は銀行と飛び回る日々の中で、女の子に泣かれ、中年男には殴られたりもするが、たとえ相手に何を言われようとも、真介はこの仕事にやり甲斐を感じている。その一方で、建材会社に勤める・芹沢陽子の面接を担当した際、彼女の気の強さに好意を抱く―。

 作者はミステリや冒険小説を書いてきた作家ですが、こうした企業小説っぽいジャンルはどうなのかなあと思って、リストラ請負会社という興味あるモチーフながらも暫く手をつけないでいたのですが、NHKでドラマ化されたのを機に読んでみたら、そこそこリアリティがあって、意外と面白かったです(作者のサラリーマン時代の経験がベースになっている?)。

 リストラ請負会社は(文庫解説の篠田節子氏は「私は聞いたことがない」「大嘘を前提としながら」と書いているが)世間的にはともかく、個人的にはアウトプレイスメント会社というものは必ずしも縁遠いものではなく、その上、先にNHKのドラマの方をちらっと観てしまったため、「こんな世界があるんだぞ~」と世間に知らしめて、あとは恋愛ドラマ路線でもっていくタイプの話だという、ややバイアスがかかった見方をしていたのかも知れません。

 原作も最初はやや漫画チックに思えましたが(実際、漫画化されているが)、テンポの良さを保ちながらもトータルでは現実を逸脱していないし、最初の内は主人公の村上真介は相当エグイことをする嫌な奴だと思いつつも、話が進むにつれ次第にいい奴に思えてくるという、何だか読んでいくうちに作者の旨さに嵌っていくような感じでした。

 例えばリストラ面接の場面においても、面接者である主人公と被面接者の両者の視点から書いていて、これがなかなか面白く(もしかしたら女性の心理の方が男性よりうまく書けているかも)、また、状況に応じて登場人物を名字で書いていたり名前で書いたりしているのも、計算の上でのことなのだろうなあ。

 「怒り狂う女」「オモチャの男」「旧友」「八方ふさがりの女」「去り行く者」の5話から成る1話1企業という連作形式をベースに、33歳の真介と第1話「怒り狂う女」で彼の被面接者であった41歳の陽子との関係性の話が進行していき、陽子の仕事環境にも転機が訪れて、続編『借金取りの王子―君たちに明日はない2』('07年)、『張り込み姫―君たちに明日はない3』('10年)に繋がっていくようです(「平成不況」の次に「リーマン・ショック」が来たためにモチーフがいつまでも古びないのは皮肉だが、アウトプレイスメント業界自体は寡頭競争で大変なのではないか)

 NHKのドラマは6話構成で、その内5話を本作から、1話を『借金取りの王子』をとっていますが、考えてみれば順番はどうにでもなる。ただ、いきなり原作に無い人物も出てきたりして、一瞬、自分が忘れてしまったのかと思ったりもし、最近の「土曜ドラマ」の原作の改変ぶりはあまり好きになれないなあ。

君たちに明日はない. NHK総合.jpg君たちに明日はない ドラマ.jpg「君たちに明日はない」●演出:岡田健/榎戸崇泰●制作:屋敷陽太郎●脚本:宅間孝行●音楽:松本晃彦●主題歌:久保田利伸●原作:垣根涼介「君たちに明日はない」「借金取りの王子」●出演:坂口憲二/田中美佐子/須藤理彩/村田雄浩/前田吟/堺正章●放映:2010/01~02(全6回)●放送局:NHK

【2007年文庫化[新潮文庫]】

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小市民的な役がハマっていた小林桂樹。「清張原作」と「橋本忍脚本」を比べてみるのもいい。

黒い画集 あるサラリーマンの証言 ポスター.jpg黒い画集 あるサラリーマンの証言.jpg黒い画集 あるサラリーマンの証言 dvd.jpg 黒い画集 新潮文庫.jpg 黒い画集.jpg
黒い画集 あるサラリーマンの証言 [DVD]」『黒い画集 (新潮文庫)

証言0.bmp ある会社の課長(小林桂樹)が妻に秘密で会社の同じ課の部下だった女性(原佐和子)を愛人として囲っていて、ある日、新大久保の愛人に住まわせているアパートでの密会の帰りに、自宅近所に住む保険外交員の男(織田政雄)と新大久保駅付近で偶然出会ってすれ違いざまについ目礼を交わしてしまうということがあった。その何日か後、その外交員は全く別の場所で起きた若妻殺しの容疑者として逮捕され、警察が課長のところに職質に来るが、課長は何も知らないとシラを切る―。

証言1.bmp その保険外交員が犯人でないことは、愛人との密会の際に(それがちょうど事件が起きた日でもあった)彼に出会った課長にはわかっているわけですが、保険外交員のアリバイ立証の求めにより法廷証言を求められても、課長は自らの保身のために外交員とは会わなかったと否認してしまったわけで、しかしながら、愛人についつい彼にはアリバイがあるとの事実を話したのが人づてに伝わり、事件を担当している弁護士の耳にそれが入ります。そして―。

証言2.bmp 映画の前半部分は原作と同じですが、原作は文庫で20ページほどしかなく、課長の秘密が外部に漏れた後の話は簡潔な後日譚で締め括られているのに対し、映画はその後の話として原作を膨らませており、愛人の若い恋人の男がヤクザに殺され、愛人との関係をネタに彼に強請られていた課長が若者殺害の容疑者になるという"原作には無い事件"を1つ絡ませています(愛人に恋人がいて、その恋人の男に愛人が課長の秘密を喋ってしまうのは原作と同じだが、第2の殺人事件は原作には無い)。

 昨年('10年)9月に亡くなった小林桂樹主演。小林桂樹はそれまでもサラリーマンものに多く出ているだけに、こうした小市民的な役がハマっているなあと("小市民"でも愛人を囲うことができる点に、古き良き(?)時代を思わせるが)。

 ヤクザ役の小池朝雄とか刑事役の西村晃とかも渋い演技を見せており、この作品はビデオも絶版になっていて観る機会が限られると思いますが、時々CS放送などで放映されることがあるので、一度、「松本清張の原作」と「橋本忍の脚本」との比較という意味で観てみるのもいいかと思います。また、何度かテレビドラマ化されており、'92年の渡瀬恒彦版は結構よく出来ていたように思います。

小林桂樹/原佐和子

「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(VHS).jpg 因みに、松本清張本人が評価していた映画化作品は「張込み」('58年/松竹)、「黒い画集 あるサラリーマンの証言」、「砂の器」('78年/松竹)だけであったといい(3作とも脚本は橋本忍)、特に「張込み」と「黒い画集 あるサラリーマンの証言」については、 「映画化で一番いいのは『張込み』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』だ。両方とも短編小説の映画化で、映画化っていうのは、短編を提供して、作る側がそこから得た発想で自由にやってくれるといいのができる。この2本は原作を超えてる。あれが映画だよ」と述べたとのことです。(白井佳夫・川又昴対談「松本清張の小説映画化の秘密」(『松本清黒い画集 あるサラリーマンの証言      .jpg張研究』第1号(1996年/砂書房)、白井佳夫・堀川弘通・西村雄一郎対談「証言・映画『黒い画集・あるサラリーマンの証言』」(『松本清張研究』第3号(1997年/砂書房))。

黒い画集 あるサラリーマンの証言    .jpg「黒い画集 あるサラリーマンの証言」●制作年:1960年●監督:堀川弘通●製作:大塚和/高島幸夫●脚本:橋本忍●撮影:中井朝一●原作:松本清張「証言」●時間:95分●出演:小林桂樹/中北千枝子/平山瑛子/依田宣/原佐和子/江原達治/中丸忠雄/西村晃/平田昭黒い画集 あるサラリーマンの証言」新大久保.jpg彦/小文芸坐.jpg池朝雄/織田政雄/菅井きん/小西瑠美/児玉清/中村伸郎/小栗一也/佐田豊/三津田健●公開:1960/03●配給:東宝●最初に観た場所:池袋文芸地下 (88-01-23)(評価★★★☆)

黒い画集・証言119eb.jpg松本清張サスペンス「黒い画集・証言」.jpg「黒い画集・証言」(TV)●演出:松原信吾●制作:斎藤守恒/浜井誠/林悦子●脚本:大藪郁子●音楽:茶畑三男●原作:松本清張「証言―黒い画集」●出演:渡瀬恒彦/岡江久美子/有森也実/佐藤B作/段田安則/高樹澪/山口健次/高松いく/志水季里子/渡辺いっけい/須藤雅宏/高山千草/住若博之/宮崎達也/小林勝彦/布施木昌之/梶周平/太田敦之/中江沙樹/児玉頼信/森富士夫/三上剛仙/安威宗治/桝田徳寿/武田俊彦/岩永茂/小林賢二/下川真理子/黒田国彦●放映:1992/10(全1回)●放送局:TBS


黒い画集 ある遭難 ポスタード.jpg   黒い画集 第二話 寒流 ps1.jpg黒い画集 第二話 寒流 ps2.jpg

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若きゼネコンマンが垣間見た建設談合の世界。まあまあ面白かったが、ドラマは改変が目立った。

鉄の骨    .jpg鉄の骨.jpg 鉄の骨 dvd.jpg NHKドラマ『鉄の骨』.jpg
鉄の骨』(2009/10 講談社) 「NHK土曜ドラマ 鉄の骨 DVD-BOX」2010/07放映(全5回)豊原功輔/小池徹平
NHKドラマ・タイアップカバー版

 2009(平成21)年・第31回「吉川英治文学新人賞」受賞作。

 中堅ゼネコンの現場で働く入社3年目の富島平太は、突然畑違いの業務課への異動を命じられるが、業務課とは主に大口の公共土木事業などの受注に携わる営業部門であり、別名"談合課"と呼ばれる部署。最初は異動に不満だった平太だが、業界のフィクサーと称される人物と知り合ったり、上司たちの優秀な仕事ぶりに接したりするうちに仕事にのめり込んでいく。一方で、常に目の前に立ちはだかる「談合」の実態に愕然とし、会社のために違法行為に加担すべるきか葛藤する―。

 「談合」にターゲットを絞っているせいもありますが、これだけ分かり易いエンタテインメントに仕上げているのはなかなかのものであり、企業小説の新たな書き手が現れたように思いました。

「法令遵守」が日本を滅ぼす.jpg 建設談合については、大学教授で東京地検特捜部の元検事・郷原信郎氏のように、過去における一定の機能的役割を認め、単純な「談合害悪論」がそうした機能を崩壊させようとしているという見方もあります。しかしながら、インフラ整備が未発達だった戦後間もない頃から高度経済成長期にかけてならともかく、今の時代には相応しくないシステムに違いなく(郷原氏も基本的にはそうした考え)、ましてや公共事業となると使われるのは税金だし、それでいて、官僚の関係企業への天下りなど政財官の癒着の原因になっていると思うと、やはり今時「必要悪」論は無いんじゃないかなと思います。でも、理想と現実は異なり、この作品を読むと、肝心の建設会社の当事者達は、そうした議論からは遠い「村社会」に居るのだろうなあと感じます。

鉄の骨2.jpg '10年7月にNHKの「土曜ドラマ」で全5話にわたってドラマ化されましたが、その際に監修協力を求められた郷原氏は、「原作が全くゼネコンの仕事と乖離し、リアリティの無さに議論に値しない」とし、ドラマについても、「談合を個別の企業、個人の意思によって回避できる問題のようにとらえる原作とは異なり、単純に善悪では割り切れない問題ととらえている点は評価できるが、談合構造の背景の話がないので、なぜ談合に同調するのかが一般人には理解できないのではないか」と、twitterでなかなか手厳しい評価をしていました。

鉄の骨3.jpg 原作は人物造形がステレオタイプと言えばステレオタイプで、但し、個人的には文芸的なものは期待せずに単純に「企業小説」として読んだため、山崎豊子クラスとはいかないまでもまあまあ面白く感じられました。ドラマも、同じ「土曜ドラマ」枠で'07年に放映された「ハゲタカ」などに比べるとやや地味ですが、「ハゲタカ」が『ハゲタカ(上・下)』、『バイアウト(ハゲタカⅡ)(上・下)』という2つの原作(単行本4巻!)を全6話の中に"無理矢理"組み入れたものであったのに対し、こちらは原作1冊に準拠しているようなので、一貫性という意味ではスッキリしたものになるのではないかと...。

 ところが実際ドラマを観ていると、人物造形が原作とやや違っているみたいで、平太(小池撤平)の部署の統轄である尾形常務(陣内孝則)が原作ほどの貫禄がないとか細かいことは色々ありますが、何よりも、「西田」という見栄えはぱっとしないが有能な先輩のキャラが、ドラマでは、会社のエース的存在であるカッコいい"遠藤"(豊原功補)と見栄えはイマイチだがコスト計算のスペシャリストである"西田"(カニング竹山)に分かれ、談合組織の仕切役(ボス)の「長岡」のキャラが、剛腕の"和泉"(金田明夫)と真面目で責任感の強い"長岡"(志賀廣太郎)に分かれているなど、「キャラクター分割」がなされている点が異なります。一体何のためにそんな面倒なことをするのか。

鉄の骨4.jpg しかも、殆ど新たに造ったキャラクターに近い志賀廣太郎の"長岡"が、検察の追及と会社の板挟みになって自殺するという原作には無い展開で(原作が直木賞の選評で「人物の描き方が浅い」という理由で落選したのを意識したのか?)、さすがにこれには原作者の池井戸潤氏も、「どんどん原作から離れていきますね。まさにNHK版『鉄の骨』です」と自らのブログで書いていましたが、「このテンションで最終回まで引っ張ってくれないかなあ。そしたら、すごくいいドラマになる予感がします」とのエールも送っています(でも、「ハゲタカ」ほどまでのテンションは上がらなかったような気がする)。

鉄の骨  .jpg NHKのドラマって、民放よりは原作に比較的忠実に作るというイメージがありましたが、最近はそうでもないようです。志賀廣太郎の演技は悪くなかったですが、とにかく劇的な要素を入れてハイテンションで持っていけばいいというものでもないし(この場合"自殺"に至るという重い結果により、システム的な問題よりも個人の苦悩のウェイトが大きくなりすぎたような気がする)、改変しない原作通りのものを観たかった気もします(疑獄事件で関係者の自殺を持ち出すというのは、これもまたある種のステレオタイプではないか)。

「鉄の骨」nhk.jpg鉄の骨 dvd.jpg「鉄の骨」●演出:柳川強/松浦善之助/須崎岳●制作:磯智明●脚本:西岡琢也●音楽:川井憲次●原作:池井戸潤「鉄の骨」●出演:小池徹平/カンニング竹山/豊原功輔/臼田あさ美/松田美由紀/笹野高史/中村敦夫/陣内孝則/北村総一朗/金田明夫/志賀廣太郎●放映:2010/07(全5回)●放送局:NHK
NHK土曜ドラマ 鉄の骨 DVD-BOX

【2011年文庫化[講談社文庫]】

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単行本化に際してハッピーエンドからアンハッピーエンドに改変。「完全版」では両方が読める。

人間ども集まれ!.jpg人間ども集まれ! es.jpg  人間ども集まれ! bunnko 1.jpg 人間ども集まれ!200_.jpg
人間ども集まれ!』['99年/ 実業之日本社]/ホリデー新書マンガシリーズ(上・下)['68年/実業之日本社]/『人間ども集まれ!(1) (手塚治虫漫画全集)』『人間ども集まれ!(2) (手塚治虫漫画全集)

人間ども集まれ!ges.jpg 東南アジアの独裁国パイパニアでは、人工受精によって人間を大量生産し、兵士に育てる計画が進んでいたが、そのパイパニアへ日本の自衛隊から義勇兵として送られた天下太平は、脱走して捕まり人工受精の研究の実験台にされてしまう。ところが、太平の精子は特殊なもので、彼の精子から生まれた子供は、男でも女でもない第三の性、働き蜂のような無性人間だった。戦争が終わると、医師・大伴黒主とイベント屋・木座神明は、無性人間を使って大儲けすることを企むが、やがて無性人間の中にも反逆する者が出始め、無性人間同士を戦わせる戦争ショーが行われる中、今まで奴隷や兵士として消耗されていた彼らが一斉に立ち上がる―。
     
人間ども集まれ!1.jpg『人間ども集まれ!』.jpg オリジナルは1967(昭和42)年1月から翌年7月にかけて「週刊漫画サンデー」(実業之日本社)に連載されたアダルト向けの作品であり、手塚治虫が珍しくもエロチック・ナンセンスに挑んだ作品とされています。但し、エロチックと言っても手塚流のそれであり、いやらしさはありませんが、一応連載に際しては、小島功の筆致などは参考にはしたようです(自身の従来の筆致ではエロチックさに欠けると考えたのか? 雑誌連載時の筆致と単行本化の際のそれとではタッチが異なる)。

 また、ナンセンスかというと、ギャグは豊富に鏤められていますが、全体としては壮大な人間喜劇(悲喜劇)となっていて、その中で、戦争、差別、性といった問題が批判的に提起されており、やはり手塚治虫は手塚治虫という感じです。そもそも、批判精神の無い漫画など意味がなく、手塚治虫がそんなもの描くために時間を費やすことはあり得なかったのでしょう。

 知る人ぞ知る作品とも言えますが、単行本化される際に、雑誌連載時の後半がかなり削られ、結末も大幅に改編されました。本書(完全版)では、約660ページの内、430ページまでで単行本化された内容が完結した後、第2部として、単行本において改変の大きかったところを中心に雑誌連載時の改変前のオリジナル版を170ページにわたって掲載しています。

手塚 治虫 『人間ども集まれ! 完全版』1.jpg 更に第3部として、各界の人々からのこの作品に対する論評、思い、漫画などが寄せられています。そのメンバーは、大林宣彦、中島梓、武宮惠子、横田順彌、石上三昇志、夏目房之介、山本貴嗣、米沢嘉博、村上和彦、みなもと太郎、中村桂子(生命誌研究者)など、錚々たるもの。更に、野口文雄氏が、手塚作品におけるセクシュアル表現を、様々な例を挙げて分析しています。

 単行本版は、無性人間は自由を獲得するも、彼らにとって性の無い虚しい世界は永遠に続くという何か突き放したような結末で、しかもかなり唐突に終わりますが、オリジナルである雑誌連載版の結末は、T大教授による起性手術によって無性人間に性がもたらされるという、ある種ハッピーエンドとなっています(旧単行本には全く無い話)。

手塚 治虫 『人間ども集まれ! 完全版』2.jpg 村上和彦氏は、ハッピーエンドがアンハッピーに書きかえられた原因として、連載中の'67年に、南アフリカバーナード博士による心臓移植手術があり、'68年には、札幌医大・和田教授により日本でも世界で30例目となる手術が行なわれたものの、その手術を受けた患者の多くが、拒絶反応や合併症で数十日から数百日で死亡し、和田教授の患者も死亡したことで、こうした生命医学のテクノロジーに懐疑的乃至ペシミスティクになったのではないかといった考察をしていますが、そうかも知れないし、そうで無いかも知れない―。

 この時期には、ベトナム戦争の激化、紅衛兵事件、金嬉老事件といった様々な暗い時事的イシューがあり、色々な出来事の影響を受けているようにも思います。無性人間が敵味方に分かれて「パイパニア戦争」の戦場に駆り出される場面は、完全にベトナム戦争への風刺であり、「戦争ショー」は筒井康隆氏の「ベトナム観光公社」('67年)にも似ています。但し、結末の書き換えについて手塚治虫自身は、講談社漫画文庫のあとがきで、その頃読んだカレル・チャペックの『山椒魚戦争』の影響があると思っている」としています。

 個人的には、連載時の筆致と単行本のそれとではタッチが異なるのがよく分って興味深かったですが(雑誌連載版の方は急いで描いている感じで、単行本版に比べてベタ塗りが少なく、ペンが掠れている箇所がある。また、連載時のものは小島功の模倣タッチの色合いがより濃い)、ストーリーを改変していない部分も含め、これだけの長編を殆ど全部描き直しているのだなあ。改めて、その仕事の量の膨大さと、質の高さ、木目の細かさに驚かされました。

【1968年単行本(新書)化[実業之日本社ホリデー新書マンガシリーズ(ホリデーコミックス)(上・下)]/1973】年[COM名作コミックス復刊]/1978年文庫化[講談社・手塚治虫漫画全集(上・下)]/1995年再文庫化[文春文庫ビジュアル版(上・下)]/2010年再文庫化[講談社・手塚治虫文庫全集BT]】

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「●「野間文芸賞」受賞作」の インデックッスへ

40代前半に書き始め、54歳で完結した連作。女性に対する不可知論を素直に告白している作品。

夕暮まで.jpg  『夕暮まで』(1978/09 新潮社) 吉行淳之介『夕暮まで』(新潮文庫).jpg 『夕暮まで (新潮文庫)

吉行淳之介1.jpg 1978(昭和53)年・第31回「野間文芸賞」受賞作。

 主人公の妻子ある中年男・佐々と、若い女性・杉子の歳差のある男女の微妙な関係を描いた作品で、単行本化されるや当時のベストセラーとなり、黒木和雄監督、桃井かおり・伊丹十三主演で映画化されもしました('80年/東宝、主演:桃井かおり、伊丹十三)。

 作者の作品で、いろいろな意味で世間を賑わしたものと言えば、前期では『砂の上の植物群』('66年/新潮社)、中期ではこの作品になるのではないかと思われますが、この作品は元々は別に発表された短篇の連作であり、各発表年を見ると、「公園で」('65年)、「網目のなか」('71年)、「傷」('76年)、「夜の警官」('77年)、「血」('77年)、「すでにそこにある黒」('77年)、「夕暮まで」('78年)となっています。

吉行淳之介(1977年ごろ)

 つまり、書き始めは『砂の上の植物群』と同じく作者40代初めの頃で、作者は主人公とほぼ同年齢だったのが(主人公の佐々は40代前半の中年で、彼の不倫相手である杉子は22歳の独身女性)、書き終えた時には54歳になっていたことになります。

 冒頭の「公園で」は非常に幻想的なタッチであり、まだ「佐々」「杉子」といった連作における登場人物の名前さえも出てきませんが、70年代初めの「網目のなか」からリアリスティックな描写になり、70代中盤の「傷」から「夕暮まで」にかけて、現実的なストーリー性を帯びてきます(と言っても、ドラマ的な展開を見せるわけではなく、2人の関係性の変化を断章的に描いていくという感じ)。

 そのストーリーを追っていくと、杉子の自分の処女性へのこだわりというのが浮かび上がり(杉子は佐々に身体は許すが接合は許さない)、また、杉子が佐々の知らない何者かによって処女を喪失し、そのことが2人の別れの契機になったともとれることからも、その見方を強化することが出来るのですが、個人的には作者がそんな古風なテーマを物語の中心に据えようとしたようには思えませんでした。

 研ぎ澄まされた文章で知られる作家ですが、この作品は簡潔な会話が主体の部分が多く、確かにとっつき易いかも。但し、ところどころにある主人公の女性に対する観察眼の鋭さや、男女の間にある深い溝のようなものを映し出すような文章は、やはりこの作者ならではのものと思われました。

 簡潔な部分はあまりに簡潔に描かれているため、ともすると即物的に不倫を描いたような作品にも見えるかも知れず(映画化作品は観てないが、映像化するとますますそうなるのでは)、また、まるで「これが大人の男女の会話ですよ」みたいなフレーズが連なり、中年男性の"テキスト"みたいな読まれ方もされかねない作品でもあるかも。

 実際には、主人公の内的風景を核とした吉行文学に共通する心理小説だと思いますが、そういう自分も"テキスト"として読んでしまっている部分があったりして...(作者は『砂の上の植物群』を書いた時に、その種の世俗的エンタテイメント性も意識したと言っていたが、この作品はどうなのか)。

 そうした意味では、個人的には、読んでいて何となく落ち着かない作品でしたが、結論的には、女性をコントロールしているようで実は曖昧模糊の状態に置かれている主人公を通して、女性に対する不可知論のようなものを作者が素直に告白している作品のように思えました。

夕暮まで 映画1.gif 映画「夕暮まで」('80年/東宝、主演:桃井かおり、伊丹十三)

【1982年文庫化[新潮文庫]】

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小説としてはどうってことないが、前半部分は定年退職した際の参考書として読める?

孤舟.jpg 『孤舟』(2010/09 集英社)

 大手広告代理店・東亜電広を1年半前に60歳を前に退職した大谷威一郎は、退職後は自由な時間をゆっくり楽しもうと思っていたが、現実には今日をどう過ごせばよいのかと1日の長さに堪え切れない日々を送ることとなり、家にいても家事をするわけでもなくごろごろしている。その挙句、妻の洋子は"主人在宅ストレス症候群"となって家を出て行き、同じく家を出て行った娘のマンションに泊まりきりで戻って来ないという状況。鬱々とした日々を送る彼だったが、インターネットで偶然知ったデートクラブに入会し、小西佐智恵という27歳の女性と知り合って彼女に入れ込む―。

 広告代理店を定年退職して間もない人に、読んだよと言われて自分も読んでみた本で、その人の感想は「興味深かった。小説としてはどうってことないけどね」というものだったと覚えていますが、自分の感想もまさにその通りでした。

 前半部分は、仕事一本槍の会社人生を送ってきた団塊世代が定年退職し、家庭内で"濡れ落ち葉"症候群に陥るというある種の"社会事象"を、主人公に託して旨く描いているなあという感じで、妻子らに疎んじられて相手してくれるのは飼い犬のコタロウしかおらず、カルチャーセンターに行っても何となく馴染めず、お金も妻に管理され、不自由且つ鬱々とした日々を送る主人公がやや気の毒に。

 主人公は、元勤務先の広告代理店では、52歳で執行役員、55歳で常務執行役員とまあまあの道を歩んできたようですが(二子玉川に自宅マンションも買った)、60歳の手前で在阪子会社の社長としての転出話を持ち出され、社内ポリティックスが働いたことを悟って屈辱を感じ、すっぱり会社を辞めてしまうという、そのあたりはつまらない辞め方をしたというよりは、本人のプライドを買いたいところですが、その後、自宅に籠ってからが、ちょっとしたことで妻に怒りをぶつけたりして、かなり大人気ない―(こんな大人気無い人物でも常務執行役員にまでなってしまうのが会社というものかも知れないが)。

 デートクラブで知り合った若い女性に入れあげるようになってからは、益々その大人気の無さが露呈し、ストーリーの方も、自宅に彼女を呼び込んだりして彼女とより親密になる機会を窺う内に、妻がいきなり戻ってきてニアミス状態になるなど、ドタバタ喜劇風になっていきます。

 結局、話は『失楽園』みたくなることはなく、何となく予定調和で話は終わりますが、要するに、現役時代の肩書きから脱し切れていなかった自分というものにやっと気付いたということでしょうか(この小説の教訓的メッセージ? 27歳の女性にそれを教えられるというのも情けないが)。

 全体を通して文芸的な深みは無く、通俗ホームドラマのようではありますが、前半部分は、定年退職した際の参考書(主人公の心理行動面では反面教師的なそれ)として読める(?)部分もあり、一応「×」ではなく「△」にしておきます。

 『化身』('85年)、『失楽園』('95年)、『愛の流刑地にて』('05年)と、10年おきに日経新聞に長編「性愛」小説を連載してきた作者ですが、この作品は団塊の世代の定年にスポットを当てたものと言え、この人、'03年には『エ・アロール それがどうしたの』(中日新聞連載)を発表、老人の性を描いてから(作者はこの年に「菊池寛賞」を受賞している)、「性」と「老」を掛け合わせたようなテーマにスライドしてきているかも。まあ、本人も70代後半だからなあ。

【2013年文庫化[集英社文庫]】

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世界観的な物語が「ボーイ・ミーツ・ガール」的な話に決着してしまったような...。

1Q84 BOOK 3.jpg 『1Q84 BOOK 3』(2010/04 新潮社) 村上春樹 1Q84 BOOK1・2・3 2.jpg

村上 春樹 『1Q84 (BOOK3 〈10月-12月〉)』.jpg村上春樹 1Q84 BOOK1・2・3.jpg '09年に刊行され、上下巻合わせて200万部を超えるベストセラーとなった『1Q84 (BOOK1・ BOOK2)』(新潮社)の続編で、前作の売行きを見て新潮社は初版で50万冊を刷り、更に予約状況を見て発行日直前に増刷、結果として、発売日から12日目で100万部刊行という、ミリオンセラー達成の最速記録を樹立しました。

 『BOOK1・BOOK2』を読んで、個人的には、要するに「よく解らなかった」のですが、「『BOOK1・BOOK2』が投げかけた巨大な謎を、作者自身が批評家として解き明かした」という触れ込みもあって、今回は早目に入手し、読んでみました。

 でも「やはり」と言うか、「ますます」よく解らなくなってきて、ずっと読書評も書かずにいて、その間に批評家などが書いている書評なども読みましたが、前作同様に解釈はまちまち、それぞれの"深読み"には感心させられるものの、個人的には、ごく普通の読者が抱いたであろう"感想"の域を出るものではありませんでした。

 相変わらずよく練られた読み易い文体ではあるものの、ここまで「エンタメ」していいのと思われるぐらいハードボイルドタッチだった『BOOK1・ BOOK2』に比べると、同じタッチでありながらもストーリーのテンポはがたっと落ち、これが作者ならではの「読んでいて心地よい文体」で書かれたものでなければ、途中で投げ出していたかも知れません。

 『BOOK3』で新たに登場した、「さきがけ」のリーダーを殺害した青豆の行方を追う「牛河」というのはなかなか面白いキャラだったと思われ、殺されてしまうのが少し惜しい気もしましたが、この作品は個々のキャラよりも全体の関係性の中でのそれぞれの象徴的な位置付けを手繰りながら読むものなんだろうなあ(別に、「牛河さんが可哀想」的な読み方でもいいのだが)。

 『BOOK1・ BOOK2』でもいろいろシュールな場面はありましたが、今回の牛河の遺体の口からリトル・ピープルが出てくる場面には、『海辺のカフカ』で空から魚が降ってきた場面以上に唖然とさせられ、でも最後は、青豆と天吾が無事出会えて良かった、良かったって、これ、そーゆー話だったの。

 2人でこっち側の世界に戻ってきたのはいいけれど、後に残してきた「1Q84」の世界の方は、未解決問題が山積しているような...(「世界は二人のために」という60年代の曲の歌詞を思い出してしまった)。ある意味、「1Q84」の世界の方が現実世界に近いのかも。

 世界観的な物語が「ボーイ・ミーツ・ガール」的な話に決着してしまったような気がし、天吾がNHK集金人であった父親の死を通して父親を受容したように思える展開なども含め、旧作から『海辺のカフカ』に連なる「男の子」の成長物語(ビルドウングスロマン)を、今もなおこの作家は書き続けているようにも思いました。

 自分にとっては、『BOOK1・ BOOK2』の"謎解き"と言えるものではなく、これで終わるならば、『BOOK1・ BOOK2』で終わっていた方が良かった気もしますが、今回は更にもやもやしたものが残っただけに、続編が出れば出たで、また読むのだろうなあ。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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状況が加速するにつれてリアリティが後退し、イマイチ入り込めなかった。

悪の教典 1.jpg 悪の教典2.jpg   映画 悪の教典.jpg
悪の教典 上」「悪の教典 下」   映画「悪の教典」(2012年/東宝) 監督:三池崇史、主演:伊藤英明

貴志 祐介 『悪の教典 (上・下)』.bmp 2010(平成22)年・第1回「山田風太郎賞」(角川文化振興財団、角川書店主催)受賞作。2010 (平成22) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2011 (平成23) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。2011年版「ミステリが読みたい!」国内編・第2位。

 暴力生徒やモンスターペアレント、集団カンニングに、淫行教師など様々の問題を抱える私立高校に勤める蓮実聖司は、有能で生徒からの人気も高かったが、実は彼の本性は、自分に都合の悪い人間を次々と抹殺していくサイコ・キラーだった―。

 ―ということだったのだなあ。何ら先入観無しで読み始めたので、最初は、学校の諸問題をあらゆる手段で解決していくマキャベリストの話かと思ったけれども、そうではなく、単なる殺人鬼でした。

 それでも前半部分は、学校内の教師間、教師と生徒間の人間関係のダイナミクスが旨く書けているように思え、サスペンスとしてもまあまあの滑り出しのように思えました。

 しかし、主人公のシリアルキラーぶりが昂進し、殺人が大量殺戮へと加速していった途端に、現実感が希薄になり、あとはゲームの世界のような感じで、イマイチ入り込めませんでした(「他人に共感出来ない」というだけで、これだけ殺すかなあ)。

デクスター2.jpg 同じくシリアルキラーを描いた、海外ドラマ「デクスター~警察官は殺人鬼」のマイケル・C・ホール演じる主人公のデクスターは、優秀な鑑識官でありながら自らの殺害欲求を抑えられない、これもまたサイコパスですが、法では裁き切れない凶悪犯を次々と殺害していくという点では、世の役に立っている?

デクスター.jpg マイケル・C・ホールは、これ、ハマり役。主人公の複雑な内面も、「デクスター」の方がよく描けているように思えます(海外ドラマ、意外と侮れない)。

「デクスター ~警察官は殺人鬼」 Dexter (Showtime 2006~2013) ○日本での放映チャネル:FOX CRIME (2007~)

【2012年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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カットされたシーンがあったことを知って観るのと、最初から無かったものとして観る違い。

無法松の一生(1943).jpg無法松の一生 1943 dvd.jpg 無法松の一生S1.jpg 無法松の一生 3.gif
無法松の一生 [DVD]」['12年] 阪東妻三郎/沢村アキオ(長門裕之)
無法松の一生 [DVD]

無法松の一生 00.jpg 明治時代の九州小倉。人力車夫・富島松五郎(阪東妻三郎)は、喧嘩好きで通称「無法松」と呼ばれる荒くれ者だが、根は気のいい男。ある時、気の弱い男の子・敏雄(沢村アキオ)を助けてやったことから、その子の父である陸軍大尉・吉岡(永田靖)の家に出入りするようになるが、身分を超えて良き友人となった矢先に大尉は病死、その未亡人(園井恵子)から、幼い敏雄を男らしく育てられるか不安だと訴えられ、後見人を買って出たその日から、彼の未亡人とその息子に対する無私の献身の日々が始まる―。

 とにかく松五郎役の阪東妻三郎(1901-1953)の、豪放さと愛嬌がミックスされた演技が素晴らしく、息子の田村三兄弟よりもずっと骨太で、イメージ的には松方弘樹を庶民的にしたような感じに近かったかなあ。

 昭和18年という戦争中に公開された大映映画ですが、時代背景は日露戦争直後(明治30年)で、当時の無法松の一生 運動会の後.jpg小学校の運動会でも、父兄参加の徒競争ってあったんだなあ。松五郎が小倉の祇園太鼓を叩くシーンは有名ですが、久しぶりに再見して、運動会でも車夫の面目躍如だったことを思い出しました(このシーンがかなり漫画チックに撮られているのも、今思えば計算づくだったようだ)。

 「一生」と言いながらも、ストーリー的には、松五郎の性格を象徴するような出来事にのみスポットを当て、これが終わりの方での回想=彼自身の心象風景と呼応しており(この部分は、多重露光という当時としては実験的な手法が使われている)、人が死に際に自分の人生を振り返った時、思い浮かぶ映像というのは、実際ある程度限定されるだろうなあと、しみじみ思いました。

 松五郎の臨終の場面は無く、代わりに敏雄のために、貧しい生活の中でコツコツ金を貯めた通帳が出てくるのも効果的で、その犠牲的精神に心打たれます。

無法松の一生(阪東妻三郎).bmp この物語には2つの重要な関係性があるように思え、1つは、少年の成長に影響を及ぼした父以外の男という関係性であり、もう1つは、松五郎の未亡人に対する、究極の「忍ぶ恋」であると言えるのではないかと。但し、「前者」については、大人になった少年の振り返りという視点はなく、やや弱い感じもしましたが、元々最初からこの2つの関係性を拮抗させるつもりで作られたのではなかったのかもしれません(この作品は、伊丹万作が自ら手掛けたシナリオを、病臥に伏した伊丹に代わり稲垣浩が監督した)。

無法松の一生S2.jpg と言うのは、「後者」について、制作当初は、松五郎が未亡人にその想いを打ち明けるという場面があったのが、時局柄、軍人の未亡人の恋愛は戦地の将兵の士気を削ぐと考えられ、内務省の検閲でカットされたそうで(その部分のフィルムはそのまま逸失し、スチールしか残っていない)、こうなると、「忍ぶ恋」のニュアンスはやや違ってくるように思えます。

 告白シーンがカットされたことで生々しさが無くなり、松五郎の心情表現に含みを持たせることになって却って良かったというのが一般の評価のようですが、そういう場面があったことを知って観るのと、そうではなく観るのとではやはり見方が違ってくるような気がします。

無法松の一生 1.jpg つまり、松五郎自身は、自分の敏雄少年に対する思いやりの背後に、未亡人に対する自らの想いがあることをよく認識していたということであり、また、そうした自分を卑しいと考え、その"罪"を告白するような感じで、未亡人に想いを打ち明けたということではないかと思われます(こうなると、告白と言うより懺悔に近い)。

 結局、そうした場面があったのは知っているけれど、それを観ることはできない―というのが結果的には良く、それがこの作品に微妙な奥行きを持たせる効果に繋がっていて、そのことと、最初からそうした場面は無かったというのでは、ちょっと違うのではないかと思ったりもしました。

無法松の一生(1943)2.bmp 因みに、未亡人を演じた園井恵子(1913-1945)は、軍隊慰問公演で演劇「無法松の一生」を中国地方で巡回公演中、広島で原爆により被曝、原爆症による苦悶のうちに半月後に32歳の若さで亡くなっており(その時の様子は、新藤兼人監督のセミドキュメンタリー「さくら隊散る」('88年)に詳しく描長門裕之.jpgかれている)、また、幼少の敏雄を演じた沢村アキオは、後の長門裕之(1934-2011)であり、こちらは、つい先だって(今年['11年]5月)その訃報に触れたところです(享年77)。
園井恵子/沢村アキオ(長門裕之)/阪東妻三郎

無法松の一生S4.jpg無法松の一生2.gif「無法松の一生」●制作年:1943年●監督:稲垣浩●製作:中泉雄光●脚本:伊丹万作●撮影:宮川一夫●音楽:西梧郎●原作:岩下俊作「富島松五郎伝」●時間:89分(99分)●出演:阪東妻三郎/月形龍之介/園井恵子/沢村アキオ(長門裕之)/永田靖/川村禾門/杉狂児/山口勇/葛木香一/尾上華丈/香川良介/二葉かほる/小宮一晃/小林叶江/町田仁/荒木忍/横山文彦/戸上城太郎/水野浩/葉山富之輔/浮田勝三郎/滝沢静子/春日清/大川原左雁次/志茂山剛/小池柳星/駒井耀●公開:1943/10●配給:映画配給社(大映京都)(評価:★★★★)

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共に、奥さんに押さえつけられた末...。

刑事コロンボ/白鳥の歌 vhs.jpg columbo swan song.jpg  刑事コロンボ/権力の墓穴 vhs.jpg
特選「刑事コロンボ」完全版 白鳥の歌【日本語吹替版】 [VHS]」ジョニー・キャッシュ「特選「刑事コロンボ」完全版~権力の墓穴~【日本語吹替版】 [VHS]

刑事コロンボ/白鳥の歌1.jpg カントリー&ウェスタンの人気歌手トミー・ブラウン(ジョニー・キャッシュ)は、妻エドナ(アイダ・ルピノ)に弱みを握られていたため、エドナが信仰する宗教団体「魂の十字軍」の礼拝堂建設のために、コンサートの収益金を全額寄付しなければならなかった。このままでは、自分が稼いだ金を自由に使えないばかりか、エドナに一生支配され続けることになると考えたトミーは、妻エドナの殺害計画を実行に移す―。

刑事コロンボ/白鳥の歌2.jpg 「刑事コロンボ」シリーズの第24話で、小型機に同乗した女性2人を睡眠薬で眠らせ、自分は操縦席からパラシュートで脱出するというダイナミックなトリックですが、その日に限って愛用のギターを飛行機ではなくバスで運ばせていたりと、結構コロンボに突っ込まれる契機を与えているような...。

刑事コロンボ/白鳥の歌 1.bmp 実際にC&Wの大物歌手だったジョニー・キャッシュが演じた犯人役(コロンボの犯人役を歌手である彼が演じるのは名誉なことだった)は、前科を持つ労働者階層の出身で、捜査過程においてはコロンボと比較的友好的。どちらかと言うと被害者である妻エドナの方が偽善者っぽく、トミーがその昔に未成年と関係を持ったことをネタに、その相手である女をコーラス・ガールとして脇に従え、彼を利用するだけ利用していたという状況です(夫を脅す妻っていうのが怖い設定だなあ)。

刑事コロンボ(第24話)/白鳥の歌.jpg コロンボは、睡眠薬が入っていたと思われる魔法瓶が見つからないことを理由に山岳警備隊やボーイスカウトを使って大捜索を展開することを犯人に仄めかしますが、実際の狙いはパラシュートをどこに隠したか、更に言えば、それを取りに犯人が現場へ行くだろうという読み。ところが犯人は、長期公演旅行へ行くと言い、笑いながら飛行機に乗ってしまう―(この辺りは、余裕の犯人に対し、むしろコロンボの方が珍しく追いつめられ気味)。

 しかしながらこの犯人は、大胆な面と気弱な面を併せ持っているような感じで、最後はしょんぼり「自首するつもりだった」と。コロンボが車の中で彼の曲をかけて慰めてやると言う優しさをみせるのは、第19話「別れのワイン」のラストの系譜と言えるでしょうか。第23話の「愛情の計算」(ロボットにアリバイ工作をさせる話)でも、息子のために殺人を犯した犯人に、最後に葉巻を差し出しています。

白鳥の歌01.jpg白鳥の歌02.jpg 前半部分の、被害者の葬式会場を訪れたコロンボが、仕事熱心な葬儀社の営業マンから、「お旅立ちの準備はお済みですか?」と話しかけられ「警察官の死亡率」まで持ち出されて食い下がられる場面と、後半部分の、「魂の十字軍」のローブ担当の老嬢との「お手々きれいですか」から始まるやりとりの場面と、コミカルなギャグ・シーンが2回楽しめるのは、第21話「意識の下の映像」が75分版に短縮され、逆にこちらが長尺となって「葬儀屋ギャグ」がこちらに転用されたためだそうで、葬儀屋を演じるのは、「別れのワイン」でレストランの支配人役、「野望の果て」でテーラーの主人役を演じたヴィト・スコッティ。

刑事コロンボ/権力の墓穴1.jpg 続く第25話(第3シーズンの最終作)の「権力の墓穴」は、ロス市警の「次長」(コロンボの上司)が犯人であるという異色作です。

 この犯人も自信に満ちた傲岸な人物ですが、資産家の家系である奥さんには頭が上がらないという点では、「白鳥の歌」の犯人と似ているかもしれません(挙句の果てに奥さん殺害に奔るという点も同じだが、動機としては「白鳥の歌」よりもやや弱いか)。

刑事コロンボ/権力の墓穴1.bmp 隣人が奥さんを死なせてしまったことを利用して、自らの殺人をその隣人に手伝わせ、自らの立場を利用して、両事件とも近所で多発したコソ泥事件の犯人に罪を被せようとしますが、コロンボはそのコソ泥と接触し、彼を使って逆に犯人に対して罠をかけます。

刑事コロンボ/権力の墓穴2.bmp そのやり方が見事で、ラストで、次長が意気揚々と踏み込んで証拠品を見つけたとするコソ泥のアパートが実は...という逆トリックの意外性がインパクトありました。

 これは、従来型の最後に犯人を思いっきりドーンと突き落とすパターンで、こっちの方がカタルシス効果はやはり大きいかなあ(この作品はエミー賞の「最優秀作品賞」受賞作)。 


刑事コロンボ/白鳥の歌 2.bmp「刑事コロンボ(第24話)/白鳥の歌」●原題:SWAN SONG●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督:ニコラス・コラサント●製作:エドワード・K・ドッズ●脚本:デイビッド・レイフィール●音楽:ディック・デ・ベネディクティス●時間:98分●出演:ピーター・フォーク/ジョニー・キャッシュ/アイダ・ルピノ/ジョン・デナー/ソレル・ブーク/ビル・マッキニー/ダグラス・ダークソン/ジョン・ランドルフ/ラリー・バーレル/ジャニット・ボードウィン/ボニー・ヴァン・ダイク/マイク・エドワード・ラリー/リチャード・ケイン/ルシル・メレディス/マイク・ラリー●日本公開:1974/09●放送:NHK(評価:★★★☆)

刑事コロンボ/権力の墓穴2.jpg「刑事コロンボ(第25話)/権力の墓穴」●原題:A FRIEND IN DEED●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督:ベン・ギャザラ●製作:エドワード・K・ドッズ●脚本:ピーター・S・フィッシャー●音楽:ビリー・ゴールデンバーグ&ディック・デ・ベネディクティス●時間:98分●出演:ピーター・フォーク/リチャード・カイリー/ローズマリー・マーフィー/マイケル・マクガイア/バル・アベリー/ジョン・フィネガン/ジョン・カルヴィン/エリック・クリスマス/ジョシュア・ブライアント/ヴィクター・カンポス/アーレン・マーテル/アルバート・ポップウェル/ポール・ソレンセン/アルマ・ベルトラン●日本公開:1974/10●放送:NHK(評価:★★★★)

刑事コロンボ完全版 DVD-SET3.jpg刑事コロンボ完全版 DVD-SET 3 【ユニバーサルTVシリーズ スペシャル・プライス】
◎Disc12 (23)愛情の計算:約74分/(24)白鳥の歌:約98分
◎Disc13 (25)権力の墓穴:約98分/(26)自縛の紐:約98分
◎Disc14 (27)逆転の構図:約95分/(28)祝砲の挽歌:約98分
◎Disc15 (29)歌声の消えた海:約98分/(30)ビデオテープの証言:約74分
◎Disc16 (31)5時30分の目撃者:約74分/(32)忘れられたスター:約97分
◎Disc17 (33)ハッサン・サラーの反逆:約74分/(34)仮面の男:約98分

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