2007年11月 Archives

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読みやすくはないが、死刑制度の歴史的意味合いを探るうえでは好著。

刑吏の社会史.jpg                   阿部謹也.jpg  阿部 謹也 (1935-2006/享年71)
刑吏の社会史―中世ヨーロッパの庶民生活 (中公新書 (518))』〔'78年〕

 '06年に急逝したヨーロッパ中世史学の泰斗・阿部謹也(1935‐2006)の初期の著作で、「刑吏」の社会的位置づけの変遷を追うことで、中・近世ヨーロッパにおける都市の発展とそこにおける市民の誕生及びその意識生成を追っています。
 かつての盟友で、日本中世史学の雄であった網野善彦(1928‐2004)の『日本中世の民衆像-平民と職人』('80年/岩波新書)などを想起しましたが、「刑吏」という特殊な職業に焦点を当てているのが本書の特徴。

 もともと「処刑」というものは、犯罪によって生じた人力では修復不能な村社会の「傷を癒す」ための神聖な儀式であり、畏怖の対象でありながらも全員がそれを供犠として承認していた(よって、処刑は全社会的な参加型の儀式だった)とのこと。
 当初は原告が処刑人であったりしたのが、12・13世紀ヨーロッパにおいて「刑吏」が職業化し、キリスト教の普及によって「処刑」の"聖性"は失われ"怖れ"のみが残り、その結果、14・15世紀の都市において「刑吏」は賤民として蔑まれ、市民との結婚どころか酒場で同席することも汚らわしいとされ、18・19世紀までの長きに渡り市民権を持てなかった―らしいです。

 本書中盤においては、絞首、車裂き、斬首、水没、生き埋め、沼沢に沈める、投石、火刑、突き刺し、突き落とし、四つ裂き、釘の樽、内臓開きなど様々な処刑の様が解説されていて(後半では「拷問」の諸相が紹介されている)、かなりマニアックな雰囲気も漂う本ですが、例えば絞首には樫の木を使うとか処刑の手続が細かく規定されていたり、仮に罪人が死ななかった場合でもそこで執行はお終いになる(死に至らしめることが目的ではなく、あくまで一回性のものだった)といったことなどからも、「処刑」の「儀式性」が窺えて興味深かったです。

 必ずしも読みやすい構成の本ではないですが、「処刑」が、罪人の処罰よりも社会秩序の回復が目的であり、死刑囚に処刑前に豪華な食事を振舞う「刑吏による宴席」(食欲が無くても無理矢理食べさせた)などの慣習を見ても、都市の発展によりその目的は、特定の遺族や村人の癒しを目的としたものから市民(共同体)の癒しを目的としたものに変容しただけで、残された者の「癒し」を目的としたものであることに変わりはなく、そのため「儀式性」は長く保たれたことがわかります。
 何のために死刑制度があるのか、その歴史的意味合いを探るうえでは好著ではないかと思います。

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「観察し、報告し、書く」という姿勢が生み出す文学的"厚み"。

A Hundred and One Days on Iraq.gifバグダッド101日.jpg バグダッド101日.jpg Asne Seierstad.jpg Asne Seierstad (Folha Online)
バグダッド101日―早朝5時30分、米空軍の猛爆撃が始まった』(2007/10 イースト・プレス)

  1970年生まれの著者は、90年代から世界の戦地を取材してきたノルウェー人フリージャーナリストで、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンを取材した前著『カブールの本屋』('05年/イースト・プレス)は、世界的なベストセラーになっています。

 '03年1月に米国との交戦が濃厚となったイラクに10日間ビザで単身入国し、フセインの息子ウダイと掛け合って滞在延長許可を得、その後いったん国外退去になりながらも、「人間の盾」に紛れて再入国しようとしたりし、結局、高官に金銭を渡して、多くのジャーナリストが引き揚げるのと入れ違いに再入国を果たし、遂に3月、バグダッドで開戦を迎え、北欧人唯一のジャーナリストとして北欧諸国にレポートを送り続けます。
 本書は当時の回想記ですが、空爆や地上戦の最中にTVレポートを送り続ける場面などは、非常に緊迫感があります。彼女もまた、米軍の砲撃を受けたパレスチナ・ホテルにいた1人でした。

 こうして見ると、あたかも「深刻な衝突」やスクープを追う命知らずの戦場記者の典型のようですが、実際には、同業者の死に震える生身の人間であり、通訳の女性(フセインの信奉者)を思いやる優しさもあります。
 彼女を突き動かしているのは「観察し、報告し、書く」というジャーナリスト精神であり、開戦前にしろ、空爆直後にしろ、街中に出て、高飛びを目論む商人から戦火で子どもを失った親まで様々な人に話を聞き、その言葉を再現していて、(端的に言えば、直接見聞きしたもの以外は書かないという姿勢により)まるで戦争文学を読むような"厚み"効果を生じています(引用されている当時の彼女の配信記事にも、その姿勢が貫かれている)。

 とりわけ優れていると思われたのは、開戦前3カ月の市井の人々に対する根気強い取材から、当時のバグダッド市民の様々な考え方や気持ちが浮き彫りにされている点で、最も哀しかったのは、取材相手が永遠に言葉を発することがない、大人や子どもたちの遺体が横たわる遺体安置所の取材場面でした。

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ヤクザ兼業の目明しの生涯。ヤクザと旅興行や"お寺"との歴史的な繋がりが見てとれる。

目明し金十郎の生涯―江戸時代庶民生活の実像   .jpg「目明し金十郎の生涯」.jpg目明し金十郎の生涯.jpg 『目明し金十郎の生涯―江戸時代庶民生活の実像 (中公新書 604)』 〔'81年〕

 江戸時代史研究者で東京大学資料編纂所教授だった阿部善雄(あべ よしお、1920-1986)が、奥州守山藩(現在の福島県郡山市)の陣屋(警察)日記『守山藩御用留帳』を読み解き、そこに登場する吉田金十郎という目明しの生涯と彼の関わった事件を通して、当時の地方の政治社会、庶民生活を浮き彫りにしたもの。

阿部善雄訃報.gif 金十郎が『守山藩御用留帳』に初めて登場するのが1724年で、その後推定70代で引退するまで46年間、彼は、殺傷事件の解明や逃亡犯の追跡、一揆の調査などに活躍するのですが、目明し(江戸でいう「岡引き」)というのはヤクザ上がりが多く、金十郎もヤクザ稼業との〈二足の草鞋〉を履いた目明しであり、藩から許可を得て旅芝居興行の仕切りをしたり、藩に隠れて自宅で賭場を開いたりしています。

 江戸でも、池波正太郎が「鬼平」のモデルにした長谷川平蔵がヤクザ上がりを岡引きとして使っていますが、守山藩というのは、藩としてそうした"人材登用"を積極的に行っていたことが特徴的であり、もう1つの守山藩の特色として、領地内の寺の多くが「欠入(かけいり)寺」になっていたことが挙げられます。

 「駈入(かけいり)寺」または「駈込(かけこみ)寺」と言えば、家庭内暴力に遭った女性が駆込む所をイメージしますが、ここで言う「欠入り(駈入り)」とは、DV被害女性のためのものと言うより、犯罪者や容疑をかけられた者が庇護を求めて寺に隠れたり、年貢を払えなくなった庶民が一家ごと逃げ込んだりすることを指しています。

 犯罪者やヤクザ者に駆け込まれた寺側が、彼らを匿った旨を陣屋に申告し、交渉の末「欠入り」が認められれば捜査は終了して沙汰止みになるというケースが本書では度々描かれていて(重罪犯の場合は欠入りが認められないこともある)、金十郎も、事件を落着させるために容疑者を強制的に欠入りさせるといったことまでしています。

阿部善雄の訃報(東京大学学内広報 1986.5.19)

 元ヤクザを目明しとして使うのも欠入りを認めているのも、藩統制のための戦略と言えるかと思いますが、ヤクザと旅興行、ヤクザと"お寺さん"との歴史的な繋がりというものが垣間見てとれるのが興味深かったです。

 著者は生涯を独身で通した歴史学者でしたが、『守山藩御用留帳』を自ら発掘して『駈入り農民史』('65年/至文堂)という本を著しています。

 この「御用留帳」は全143冊もありますが、本書はその中から、金十郎とライバル目明しの新兵衛(これが金十郎に輪をかけたようなヤクザ者、ただし金十郎より如才ない面もある)の2人に的を絞ってその活躍を追っていて、そのことが、新書版という体裁において成功しているように思えます。

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個人的推測で書かれている部分が多い。"自由訳「魏志倭人伝」"がいい。

古代日本はどう誕生したか プレイブックス.jpg 5古代日本はどう誕生したか.jpg  豊田有恒氏.jpg 豊田有恒 氏
古代"日本"はどう誕生したか―封印されてきた古代史の謎』〔'99年〕

 著者の本は最近あまり読んでいませんが、昔は100%SF作家だった―と思う。それが、古代史研究の方に傾倒し(この頃までは何冊か読んでいた)、その後、韓国問題研究へとスライド、最初は親韓派だったけれど、いつの間にか嫌韓(厭韓)派になっている...(「古代史」物もまだ書いていますが)。

吉野ヶ里遺跡.jpg三内丸山遺跡.jpg もともと学問的進路(慶大医学部中退)や職業選択(手塚治虫作品の脚本作家だった)においても紆余曲折があった人で、いろいろ周辺事情もあったようですが、自分の興味や嗜好に素直だとも言えるのかも。

 80年代終わりから90年代にかけて三内丸山遺跡(縄文文化・青森市/写真左)や吉野ヶ里遺跡(弥生文化・佐賀県神埼郡/写真右)の発掘調査が進み、90年代後半にかけて古代史ブームが起きましたが、著者もそうしたブームを後押しした一人。
 ただし、著者に言わせれば、戦後の古代史研究は、戦前の皇国史観に対する過剰反省から抜け出せておらず、左翼研究者の自虐史観によって歪められているということで、それが本書のサブタイトル"封印されてきた古代史"ということに繋がるようです。

 縄文時代の始まりが5千年ぐらい引き上げられ1万6,500年前とされたことから始まり(これは当時、既に「新たな定説」となっていた)、古代中国における「倭人」の位置づけの高さ、日本語のオリジナリティ、日本神話のイマジネーションの高さ、古墳文化の素晴らしさなど、古代日本文化に対する礼賛が続きます。
 話題は広いけれども、個人的推測で書かれている部分も多く、大学教授ではあるけれども何となく在野の香りがする人。ただし、本書は読み物としては、歴史の〈いろいろな見方〉をわかりやすく示していると思います(〈新事実〉ではなく)。

 本書で一番気に入ったのは、「魏志倭人伝」で邪馬台国について書かれている箇所(漢字2千字足らず)を「ですます調」で現代語訳している部分で(本書で12ページ相当に膨らんでいる)、紀元3世紀の邪馬台国人の姿や風習が鮮やかに浮かび上がってきます。
 "自由訳「魏志倭人伝」"といったところか。やっぱり、作家だなあ。

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「●光文社新書」の インデックッスへ

「普通の京都」コースは「じゃらん」、「特別の京都」コースは「日経おとなのOFF」?。

極みの京都.jpg 『極みの京都』 (2007/10 光文社新書)

京町屋.jpg 著者は京都在住の開業歯科医で、グルメ・紀行エッセイストでもあるとのことで、紹介文から、行楽地として四季を通じて人気が高い京都の、その人気の秘密を探るか、または、一風変った視点での京都観光の楽しみ方を教えてくれる本だと思ったのですが、読んでみて、観光ガイドを新書にしただけという印象を受けました。

 前段の、「京都検定」の問題の出し方に対する異議や、「ぶぶ漬神話」(京都の知人宅を訪ねた際に「お茶漬でも...」と言われたら、辞去を促す婉曲表現であると一般には言われていること)はウソであるという話ぐらいまでは面白かったけれども、すぐに、寺や店を次々紹介する普通のガイド本になってしまった...。

 京都を"極める"のに、「普通の京都」コースと「特別の京都」コースがあるらしいけれど、「普通の京都」コースは「じゃらん」、「特別の京都」コースは「日経おとなのOFF」などに書かれていることとさほど変らないような...(何れにせよ、「特別の京都」コースの方は、さほど自分には縁がなさそうだなあ)。

 文章にも、旅行ガイドの定型表現が多く見られ、最初からガイドブックと割り切って読めば、京都への旅行を計画している人には足しになる部分もあるかも知れないけれど、これで「新書」になるのなら、この手の本の書き手はごろごろいるのではないだろうか。

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「江戸前なんてニセモノ」という通説を覆す旅。

東京湾漁師町.jpg 『東京湾漁師町―江戸前の食を求めて』 (2006/09 生活情報センター) 

 東京湾にまだこんなに色々な魚がいて、またそれを獲る漁師たちがいて、彼らの暮らす漁師町がいくつもあったのだなあと驚かされる写文集。とにかく写真が鮮やかで、写っている獲れたての魚介類がみずみずしいし、それぞれの地元の魚料理もおいしそう。漁師たちの日焼けした笑顔もいい。

 著者は、現在「食コラムニスト」ということですが、もともと世界中を放浪していたジャーナリストだったのが、魚好き料理好きが昂じて地魚料理店を営むようになったという凝り性の人。しかし、世界中を放浪した末に行き着いたのが、東京湾だったという意外性がいいし、千葉・館山から神奈川・三崎まで東京湾を逆時計回りに回る旅を通して、「江戸前なんてニセモノ」という通説を見事に跳ね返してみせています(そんな知ったかぶりをしたら、本書に出てくる漁師さんたちに怒られる)。

 館山の塩イカ、保田のキンメダイ煮、竹岡のシロギスの南蛮漬け、富津名物のアナゴ天丼、冷や飯にアサリの味噌汁をぶっかけた深川めし、川崎の蛤鍋、小柴名物のシャコ、横須賀のミルクイ、宮川のメバルの煮付け...etc. おいしそうなものを挙げればキリがありませんが、本書によれば、アナゴの白焼きにハゼの天ぷらが、やはり江戸前の代表格といったところなのでしょうか。

 主に海辺(かいへん)の大衆食堂を取材し、庶民の味に的を絞っているのがうれしく、夜中に本書をパラパラめくっていると無性に魚料理を食べたくなってくるのが困る点です。

《読書MEMO》
●目次
第1章 内房編1 洲崎から保田まで(洲崎―白亜の洲崎灯台が東京湾の船の出入り見守る
香―香でアジの磯料理に感嘆も漁港は荒涼として ほか)
第2章 内房編2 金谷から浦安まで(金谷―クロダイ釣り師に迎えられ黄金アジに見送られた金谷行
竹岡―竹岡の魚屋料理店で新鮮魚貝に悶絶す! ほか)
第3章 湾奥編1 葛西から羽田まで(葛西―葛西臨海公園で魚のゆりかごアマモを見つける
深川―東京下町に江戸前「深川めし」を求める ほか)
第4章 湾奥編2 川崎から横須賀まで(川崎―チャキチャキ女将が仕切る川崎大師の「蛤鍋」
生麦―生麦魚河岸通りの活気、子安浜の無邪気 ほか)
第5章 三浦半島編 三浦から城ヶ島まで(三浦金田―旅情漂う三浦のダイコン畑と金田漁港の朝市
宮川1―磯海苔と潮の香りをおかずに宮川湾の昼下がり ほか)

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「●か 亀井 俊介」の インデックッスへ 「●岩波新書」の インデックッスへ

マンハッタン島をブロードウェイ沿いに縦断しながら語るニューヨークの歴史と文化。

ニューヨーク.jpg 『ニューヨーク (岩波新書)』 〔'02年〕 亀井 俊介.jpg 亀井 俊介 氏 (東大名誉教授・岐阜女子大大学院教授(アメリカ文学・比較文学))

 マンハッタン島を最南端からブロードウェイに沿って北上し、時に左右のアヴェニューに入り込みながらハーレムまでを辿った紀行文ですが、著者も述べているように、移動手段やショッピングのガイド的解説があるわけでもなく、また高尚な都市論が展開されているわけでもありません。
 ニューヨークを何度も訪れた文学者である著者がそこで語っているのは、バックパッカー的な視点から見た、地区ごとの歴史であり文化の起源です。でも、それらが、今まで知らなかったことばかりで、なかなか面白かったです。

ブロードウェイ.jpg 自分も何年か前にマンハッタン島縦断を思い立ち、島最南端のバッテリー・パークからウォールストリートや世界貿易センタービルに行き、ブロードウェイに沿って、チャイナタウンやトライべカに立ち寄りながら、ソーホー、タイムズスクエアを経て、セントラルパーク沿いを北上し、途中ホットドックを食べながらハーレムの手前のコロンビア大学まで歩いたことがあり(125ストリートぐらい歩いたことになる)、この本を読んで懐かしさを覚えるとともに、見落とした歴史の痕跡を改めて知ることができました。

 ニューヨークという街の南から北に拡大して言った歴史がよくわかりますが、さすが文学者、永井荷風の『あめりか物語』を随所に引き、メトロポリタン美術館では、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』とカニグズバーグの『クローディアの秘密』のことに触れていたりして、それらの作品に対する著者の考え方がまた面白かったです。

Flatiron_8775.jpgChrysler-Building.jpgEmpire State Building.jpg 著者が本書の原稿を脱稿しかけた頃に「9.11テロ」が起き、WTCビルは崩壊しますが、かつてエンパイア・ステート・ビルにもB25爆撃機が誤って衝突したことがあったが大した被害はなかったとのこと。
 著者は、WTCビルの脆さとエンパイア・ステートの頑強さを比喩的に(科学的にではなく)対比させていますが、著者ならずとも、何となく、エンパイアビルやクライスラービルのような昔のビルの方が頑強そうに思えてくるのでは。本書で紹介されているフラット・アイアン・ビルも、個人的には好きな建物。この3つのビルは何れも、それぞれの完成時において世界一高いビルであった点で共通している―と思っていましたが、Wikipediaによれば、「フラットアイアンビルは完成当時高さ世界一だったとしばしば勘違いされるが、実際には、1899年に完成した119.2mのパークロウビルの方が高く、フラットアイアンビルは一度も世界一になったことはない」とのことです。

ny2.jpg ny3.jpg ny4.jpg ny7.jpg ny5.jpg ny1.jpg

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懐胡散臭さければ胡散臭いほど"ヴンダーカンマー的"だというキッチュな味わい。

愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎.jpg愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎.jpg愉悦の蒐集ヴンダーカンマーの謎 (集英社新書ヴィジュアル版)』〔'07年〕

wunder1.jpg ヴンダーカンマーとは、直訳すれば"不思議の部屋"という意味で、16世紀から18世紀にヨーロッパで盛んに作られ造られ、美術品、貴重品の他に、一角獣の角、人相の浮かび上がった石など珍奇で怪しげな品々が膨大に陳列されていた、博物館の元祖とも言うべきもの。

 本書によれば、もともとはルネサンス期の王侯が城の片隅に珍品を集めた小部屋を造り、客人を招き入れて驚かせたり自慢したりするのが目的だったらしいけれども、バロック期になると王侯や富裕市民は珍品収集に熱をあげ、森羅万象を再現すべく、自然物、人工物、自然と人工の複合物などを "ノアの箱舟"的発想で何でもかんでも蒐集したらしいです。

wunder2.jpg 珍獣の剥製から人の死体を加工しオブジェ化したもの、異国の民芸品から最先端の美術・工芸品まであり、まさに「怪奇博物館」といった感じ。
 昔どこかの寺で見た河童のミイラ(猿と何かの組み合わせだった)とか、かつて温泉街によくあった秘宝館の展示物に通じるような胡散臭さもあり、胡散臭さければ胡散臭いほど"ヴンダーカンマー的"であるというのが、キッチュな味わいがあり面白いです。

 写真が豊富で、綺麗に撮られていますが、実際にそこを訪れれば、もっと迫力が感じられるだろうなあという気がするし、ましてや博物館・民芸館などの施設が無かった当時の人々にとっては、かなり刺激的な"愉悦"だったのではないでしょうか。

 科学的実証主義が浸透すれば消えていく運命にあったヴンダーカンマーであり、雑多なコレクションの多くは美術館にも博物館にも行きそこねたのではないかと思われますが、そうした物を掘り起こそうとしている博物学者もいるわけで、「ニッポン・ブンダーカマー 荒俣宏の驚異宝物館」展の開催('03年)に見られるように、日本にも前からこういうの好きな人、結構いたのかも。

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著者の手づくりへのこだわり。手づくりアニメは純粋芸術化していくのか?
アニメーションの世界へようこそ.jpg Atama Yama (Mt. Head).jpg 頭山」山村浩二作品集 1.jpg  雪の女王 dvd.jpg  水玉の幻想 INSPIRACE.jpg
アニメーションの世界へようこそ (岩波ジュニア新書)』「「頭山」山村浩二作品集 [DVD]」「雪の女王 [DVD]」「カレル・ゼーマン作品集 [DVD]

アニメ「頭山」.jpg ケチな男が拾ったサクランボを種ごと食べてしまったため、種が男の頭から芽を出して大きな桜の木になる。近所の人たちは大喜びで男の頭に上って、その頭を「頭山」と名づけて花見で大騒ぎ、男は頭の上がうるさくて苛立ちのあまり桜の木を引き抜き、頭に大穴が開く。この穴に雨水がたまって大きな池になり、近所の人たちが船で魚釣りを始め出し、釣り針をまぶたや鼻の穴に引っ掛けられた男は怒り心頭に発し、自分で自分の頭の穴に身を投げて死んでしまう―。
 
ほら吹き男爵の冒険 サクランボ.jpg落語 頭山.jpg 江戸落語「頭山」(上方落語では「さくらんぼ」)を基にした短編アニメ「頭山」('02年)、シュールな展開が面白かったです。このタイプのナンセンスは個人的好みでもありました。徒然草の「堀池の僧正」が元ネタであるという説があるそうですが、西洋でも、ビュルガー原作の小説「ほら吹き男爵の冒険」の中に、男爵が大鹿めがけて撃ったサクランボの種が鹿の額に命中し、後日、男爵はあたま山 アニメ.jpg頭からサクランボの木を生やしたその鹿と遭遇してこれを射止め、シカ肉とサクランボソースの両方を堪能する―という話があり、サクランボという点で符合しているのが興味深いです。ユーリー・ノルシュテインなどの影響も感じられ、一方で語りは浪曲師の国本武春が弁士を務めているジャパネスク風というこのアニメ作品、世界4大アニメーション映画祭(アヌシー・ザグレブ・オタワ・広島)のうちアヌシー、ザグレブ、広島でグランプリを獲得し、第75回アカデミー賞短編アニメーション部門にもノミネートされ、内外23の映画祭で受賞・入賞を果たしたそうです。

 本書は、その「頭山」の作者であるアニメーション作家・山村浩二氏が、ジュニア向けに書き下ろしたアニメーション入門書(山村氏は今年['07年]、「カフカ 田舎医者」('07年)で、オタワ国際アニメーション映画祭で日本人初のグランプリを獲得し、これで4大アニメーション映画祭のすべてにグランプリを獲得したことになる)。

アルタミラ洞窟画.jpg アニメーションの誕生から現代に至るまでの歴史を辿り、「頭山」のメーキングから、アニメーションの作り方までを、編集・録音、発表・公開まで含めて(この辺りは職業ガイド的)紹介しています。

 アニメーションの発想が、アルタミラの洞窟画の牛の絵などにも見られるというのが面白く(疾走感を表すために前脚が3本描かれているものがある)、法隆寺の玉虫厨子(日本橋高島屋に立派なレプリカがありましたが、今どうなったか?)の「捨身飼虎図」(しゃしんしこのず)なども、ナルホド、アニメーションの発想なのだなあ。  
 
雪の女王.jpg アニメの歴史は映画の歴史とほぼ同時に始まっていて、東欧圏とかに結構いい作品があるのを知りました。

 ロシアン・アニメはレフ・アタマノフ監督の「雪の女王」('57年/ソ連)(アンデルセン原作)など、何本か観たことがありましたが、ディズニーのものとはまた違った趣きがあって良かったです(「三鷹の森ジブリ美術館」の館主・宮崎駿監督が監修した新訳版が来月('07年12月)公開予定)。

水玉の幻想1.jpg 本書はカラー版なので写真が美しく、カレル・ゼマン(或いはカレル・ゼーマン)(KAREL ZEMAN 1910-1989/チェコ)「水玉の幻想」(Inspiration 1948年)などは、動いているところをまた見たくなります(これも手づくり作品の極致)。物語は、ガラス細工職人が、創作にちょっと行き詰ったある日、窓の外の雨の中に見た幻想という形をとっており、木の葉を伝う雨の一雫の中に幻想の世界が広がり、踊り子とピエロの儚い愛の物語が展開するガラス人形アニメーションで、人や動物、草や木、湖や海まで全てガラスで作られており、それらをコマ撮りしてここまでの高度な芸術世界を創り上げているのは、ボヘミアンガラスのお膝元とは言え、驚嘆させられるものがあります。長さ10分強の短編ですが、ゼマンにはこの他に、ジュール・ヴェルヌの小説などを映像化した長編作品もあります(代表作は「盗まれた飛行船(Ukradená vzducholoď)」(原作『十五少年漂流記』 88分、1966年))。 

 本書の全編を通じて、著者の手づくりへのこだわりが感じられます。「頭山」も長さ10分ほどの作品ですが、原画は1万6千枚だそうで、構想から完成までの期間は6年! アニメの作り方も「霧の中のハリネズミ」('75年/ソ連)のユーリー・ノルシュテインなどに似ています。作者(著者)は、自分が今生きているとはどういううことなのか、という哲学を、この作品で描きたいと思ったそうです。

 '06年にディズニーがCGアニメのピクサー社の買収を発表しましたが(ピクサーCEOスティーブ・ジョブズはディズニーの筆頭株主に)、今後ますます世界の商業アニメのCG化は進むだろうと思われ、こうした手づくりアニメは純粋芸術化していくような気もしました。

頭山es.jpg 「頭山」●英題:MT. HEAD●制作年:2002年●監督・演出・アニメーション・編集・製作:山村浩二●脚本:米村正二 ●原作:落語「頭山」●時間:10分●声の出演:国本武春/ブルーノ・メッカー●公開:2003/04●配給:スローラーナー=ヤマムラアニメーション(評価:★★★★)

雪の女王es.jpg雪の女王ド.jpg 「雪の女王」●原題:Снежная королев(スニェージナヤ・カラリェバ)●制作年:1957年●制作国:ソ連●監督:レフ・アタマノフ●脚本:レフ・アタマノフ/G・グレブネル/N・エルドマン●音楽:A.アイヴァジャン●原作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン●時間:63分●声の出演:Y.ジェイモー/A.カマローワ/M.ババノーワ/G.コナーヒナ/V.グリプコーフ●公開:1960/01/1993/08 ●配給:NHK/日本海映画●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(84-01-14)(評価:★★★★)●併映:「せむしの仔馬」(イワノフ・ワーノ)

カレル・ゼマン 水玉の幻想 dvd.jpgカレル・ゼマン 水玉の幻想 .jpg mizutama.jpg 「水玉の幻想」●原題:INSPIRACE●制作年:1948年●制作国:チェコスロバキア●監督:カレル・ゼマン(ゼーマン)●時間:12分●公開:1955/06●配給:独立映画(評価:★★★★)
  
 
幻想の魔術師 カレル・ゼマン コレクターズBOX [DVD]」所収作品:「クラバート」「彗星に乗って」「鳥の島の財宝」「前世紀探検」「シンドバッドの冒険」「狂気のクロニクル」「ホンジークとマジェンカ」「クリスマスの夢」「プロコウク氏 映画製作の巻」「プロコウク氏 家作りの巻」「プロコウク氏 靴屋はいやだの巻」「プロコウク氏 発明の巻」「王様の耳はロバの耳」「ハムスター」「幸運の蹉跌」

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エッシャーの技法の秘密を解き明かす。技法の原理はCGと同じだった。

エッシャーの宇宙70.JPGimagesA7GUKRS4.jpg エッシャーの滝.bmp "エッシャーの"滝".
エッシャーの宇宙』 大型本(梱包サイズ(以下、同)25.8 x 21.4 x 2 cm)〔'83年〕

 物理法則に反しているように見える不思議な「だまし絵」や、同じオブジェクトが繰り返し現れながら変化していくパターン画などで知られるオランダの画家(版画家)エッシャー(M.C.Escher 1898‐1972)の「作品集」、と言うより「作品解説」本。

 「作品集」としても楽しめますが、それはそれでもっと豪華なものがあり、本書は、エッシャーの生涯についての記述のほかに(これは当然のことながら、「本格的作品集」にも書かれている)、主要作品の創作の秘密を明かしていることが最大の特徴です。
 エッシャー自身は自分の作品に芸術的寓意は無いとしていて、本書もそれに呼応するかのように、技術的解説を中心に書かれています。

エッシャー.jpg 最も単純な例で言うと、風景画の一部が突出して見える作品の場合、通常の遠近法で描いた絵に、格子状のマトリックスを被せ、さらにそのマトリックスを意図的に(非ユークリッド幾何学的に)歪めて、元の1つの格子に対応する元絵を、変形された格子に再現していることがわかり、これは、現在のCG(コンピュータ・グラフィックス)の技法と同じだなあと。

 もともと建築の勉強からスタートしてグラフィック・アート的な素養を開花させた人ですが、結晶学的、フラクタル的、リーマン幾何学的なデザインは高度の幾何学的才能を窺わせ、その作品群はまさに「宇宙」と呼ぶにふさわしい。
 ところが、本書を書いたブルーノ・エルンスト(数学・物理の先生で、エッシャーと交友があった)によると、エッシャー自身は数学的知識はなく、直感と試行錯誤の中から数学的構造を見抜いて、これをイメージの上に描き出すことが出来たのだそうです。

 エッシャーの公式サイト(http://www.mcescher.com)では、彼の作品を3DのCGムービーで見ることが出来、また、CGムービーはDVDとしても発売されています。

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同著者のベストセラーのバックグラウンドを知るうえで読むという読み方があってもいいかも。

『若き数学者のアメリカ』.JPG藤原 正彦 『若き数学者のアメリカ』.jpg        若き数学者のアメリカ 文庫.jpg  若き数学者のアメリカ 文庫2.jpg 
若き数学者のアメリカ』〔'77年〕/『若き数学者のアメリカ (新潮文庫)』〔'92年〕/〔'07年/新潮文庫改装版〕

 '78(昭和53)年度・第26回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作。

 『国家の品格』('05年/新潮選書)が大ベストセラーになり、「品格」が'06年の「新語・流行語大賞」にもなった数学者・藤原正彦氏の、若き日のアメリカ紀行。

 '72年、20代終わりにミシガン大学研究員として渡米、'73年に:コロラド大学助教授となり、'75年に帰国するまでのことが書かれていますが、そのころに単身渡米し、歴史も文化も言語も異なる環境で学究の道を歩むのはさぞ大変だったのだろうなあと思わせます。

 時差に慣れるためにわざわざハワイに寄ったり、またそこで、真珠湾遊覧船にたまたま乗って、周りに日本人が1人もいない中で日本人としての気概を保とうと躍起になったり(ここで戦艦ミズーリに向かって"想定外の"敬礼したという人は多いと思う)、本土に行ってからはベトナム戦争後の爛熟感と疲弊感の入り混じったムードの中で孤独に苛まれうつ状態となり、フロリダで気分転換、コロラド大学に教授として移ってからは、生意気な学生たちとの攻防と...。

 武士の家系に育ち、故・新田次郎の次男という家柄、しかも数学者という特殊な職業ですが、アメリカという大国の中で何とか日本人としての威信を保とうとする孤軍奮闘ぶりのユーモラスな描写には共感を覚え、一方、日本人の特質を再分析し、最後はアメリカ人の中にも同質の感受性を認めるという冷静さはやはり著者ならではのものだと―(『アメリカ感情旅行』の安岡章太郎も、最後はアメリカ人も日本人も人間としては同じであるという心境に達していたが)。

国家の品格es.jpg 『国家の品格』の方は、「論理よりも情緒を」という主張など頷かされる部分も多く、それはそれで自分でも意外だったのですが、「品格」という言葉を用いることで、逆に異価値許容性が失われているような気がしたのと、全体としては真面目になり過ぎてしまって、『若き数学者の...』にある自らの奮闘ぶりを対象化しているようなユーモアが感じられず、また断定表現による論理の飛躍も多くて、読後にわかったような、わからないようなという印象が残ってしまいました。

 『国家の品格』というベストセラーのバックグラウンドを知るうえで読むという読み方があってもいいかも。

 【1981年文庫化[新潮文庫]】

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「●や 安岡 章太郎」の インデックッスへ 「●岩波新書」の インデックッスへ

'60年代のアメリカに留学記。"異邦人の憂鬱"とでも言うべき感情が素直に記されている。

安岡 章太郎 『アメリカ感情旅行』.jpgアメリカ感情旅行.jpg 『アメリカ感情旅行 (岩波新書 青版)』 〔'62年〕

 作家・安岡章太郎がロックフェラー財団の招きにより、'60年から翌年にかけて半年間アメリカに留学した際のことを綴った日記風の紀行文ですが、留学先に選んだヴァンダビルト大学のあるテネシーの州都ナッシュヴィルは、公民権運動の勃興期にあたる当時においては、黒人を入れない映画館があったり(それに対する学生の抗議運動なども本書で描かれている)、また近辺には、黒人に選挙権を与えていない町が未だ残っていたりしています(テネシーの南のジョージア・アラバマ・ミシシッピ・ルイジアナの4州は更に遅れていたと思われる)。

nashville.jpg 40歳の留学生である安岡は、自分たち夫妻に親切にしてくれる人の中にも、黒人に対するあからさまな偏見があり、また、それを堂々と口外することに戸惑う一方、黄色人種である自分は彼らにどう見られているのだろうかということを強く意識せざるを得なくなりますが、そうした"異邦人の憂鬱"とでも言うべき感情が素直に記されています。
 滞米中、常に人から見られているという意識から逃れられなかったとありますが、ニューヨークのような都会に行ったときの方が、そうした不安感から解放されているのは、何となくわかる気がしました。

 テネシーは、いわゆる「北部」に接した「南部」ですが(実際、安岡はここで、自販機のコーラが凍るといった厳しい寒さを体験する)、南北戦争の余韻とも思えるような、人々の「北部」への敵愾心は彼を驚かせ、ますます混乱させます。

nashville_2.jpg 一方で、たまたま巡業でやってきた「リングリング・サーカス」を見て"痛く"感動し、住民の日常に触れるにつれ次第に彼らとの間にあった自身との隔たりを融解させていきます(ロバート・アルトマン監督(1925-2006)の映画「ナッシュビルにもあったようにカントリーのメッカでもあるのに、そうした方面の記述がないのが不思議ですが)。

 再読して、自分が初めてアメリカの南部に行ったときのことを思い出し、ナッシュヴィルは"何もない町"だと本書にありますが、テキサスの州都オースティンも、同じく何もない町だったなあと(アメリカの場合、州都だから賑わっているというわけでもないらしい。日本でも、県庁所在地の一部にそういう例はあるが)。
 文中に「病気になりそうなほどの土地の広大さ」という表現がありましたが、テキサス州だけで日本の面積の1.8倍という想像がつかないような広さであり、こうした土地面積の感覚の違いが国民性に与える影響というのは、やはり少なからずあるように思いました。

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「●講談社現代新書」の インデックッスへ

自傷行為に対する本人・周囲・専門医の果たすべき役割と留意点が具体的に。

リストカット.jpg 『リストカット―自傷行為をのりこえる (講談社現代新書 1912)』 〔'07年〕

 自傷行為に関する本は、少なくとも日本においては、一部に研究者向けの専門書があるものの一般向きの本は少なく、あるとすれば、社会学的見地から書かれた評論風のものや自傷者本人が書いた情緒的なエッセイが多いのでは。
 本書は、タイトルは「リストカット」ですが、「緩やかな自殺」などを含む自傷行為全般を扱っていて、それはどうして起こるのか、どうやって克服するかが一般向けに解説された、精神科医(とりわけ自傷行為の専門家)による本です。

monroe.jpgダイアナ妃の真実.jpg とは言え、「リストカット」は自傷行為の"代表格"であるには違いなく、本書で事例として登場するダイアナ妃もリストカッターだったわけです(彼女については、最終的には自傷行為を克服した例とされている)。
 この他に、自殺未遂を繰り返したマリリン・モンローのケースなどが取り上げられていて(『卒業式まで死にません』('04年/新潮文庫)の「南条あや」と)、入り口として一般読者の関心を引くに充分ですが、同時に、様々ある自傷行為の原因を大別すると〈社会文化的要因〉と〈生物学的要因〉がある(とりわけ精神疾患やパーソナリティ障害と高い相関関係がある)という本書の趣旨に沿うかのように、ダイアナ妃、M・モンローの2人ともが、両方の要因が複合した典型例であったことがわかります。

 著者自身の臨床例もモデルとして3タイプ紹介されていて、何れも、治療関係の構築、自傷行為に走る心理要因の把握(自傷行為は心理的な苦痛を軽減させるために行われることが多い)から入り、長期にわたる根気強い治療により自傷を克服するまでのプロセスが描かれていますが、著者自身は、自傷行為への取り組みに最も影響力があるのは本人であり、次に大きな力になるのは家族・友人・教師といった周囲の人々であり、本書で示した精神科療法は、そうした自己及び周囲の働きかけを援助するものに過ぎないというスタンスであり、これは、カウンセリング理論にも通じるところがあるなあと思いました。

 こうした本において、自傷行為と精神疾患の関係を解説した箇所などはどうしても専門用語が多くなりがちですが、本書においては、この部分の原因論的解説は簡潔にし、自傷行為の克服について、本人、周囲、専門医のそれぞれの果たすべき役割と留意点を具体的に述べることに重きを置き、とりわけ、本人と周囲の援助者に向けては、最後に呼びかけるようなかたちをとるなど、一般読者への配慮が感じられる良書だと思います。

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「●日本人論・日本文化論」の インデックッスへ

年代を超えた説得力。近年の「日本人論」よりも知的エッセンスでは一段上。

「甘え」の構造 (1971年).jpg  「甘え」の構造3.jpg  「甘え」の構造4.jpg 「甘え」の構造5.jpg 土居健郎.jpg 土居健郎 氏
「甘え」の構造 (1971年)』/『「甘え」の構造』第3版〔'91年〕/『「甘え」の構造 [新装版]』〔'01年〕/『「甘え」の構造 [増補普及版]』〔'07年〕

「甘え」というものを、周りの人に好かれて依存したいという日本人独特の心理として分析し、日本の社会における種々の営みを貫くものとして「甘え」を論じた'71年刊行のベストセラーで、'91年刊行の「20周年記念」版で再読しました(表紙に「20」という数字がある)。

 「甘え」の心理の原型は母子関係における乳児心理があり、他の人間関係においても、親子関係のような親密さを求めるのが日本人の特質だという言説には批判もあり(乳児心理は普遍的だから、精神分析論的に論じると外国人にも「甘え」の心理はあるということになる)、社会現象、文学作品、天皇制など幅広いジャンルを「甘え」というキーワードで論じている分、それぞれにおいても反論があり、著者自身、その後も続編などで反駁したり説明不足を補ったり(若干の修正も)しています。
 にも関わらず、オリジナル版がたびたび復刻しているのは、オリジナル版に年代を超えた説得力がそれなりにある証拠ではないかと思います(刊行30周年にあたる'01年にも新装版が出され、'07年にも増補普及版が刊行された)。

 読み直してみて、「義理と人情」の項が面白かったです。
 著者によれば、両者は対立概念ではなく、義理とは人為的に人情が持ち込まれた関係であり、義理が器であるとすれば、その中身は人情であると。
 「一宿一飯の恩」などと言いますが、恩とは人から情け(人情)を受けることで義理が成立する契機となるものであり、義理人情の葛藤というのは、恩を受けた複数の相手方の片方に義理を立てれば片方に義理を欠くということであり、相手方の好意を引きたいという意味では、ともに甘えに根ざしていると(人情を強調すれば甘えの肯定となり、義理を強調することは関係性を賞揚することになるが、甘えを依存性という言葉に置き換えると、それを歓迎するか、そうした関係に縛られるかの違いに過ぎないと)。

 続く「他人と遠慮」と「内と外」「罪と恥」の項も面白い。
 遠慮というのは、親子と他人の中間的な関係において働くものであり、親子の間では無遠慮であり、また、全くの他人に対しても往々にして、同様に無遠慮でいることができる、遠慮とは相手に甘えすぎてはいけないという意識であり、遠慮が働くのは根底に甘えがあるからだと。
 日本人が恥を感じるのは、そうした中間的な関係にあたる帰属集団に対してであり、集団から仲間として扱ってもらえなくなることを日本人は恐れる傾向にあると。

 日本人論(それも自省的なもの)がベストセラーになることは多いですが、近年のその類のものに比べて本書は、やや時代を感じる面もあるものの、知的エッセンスでは一段上という感じがします。

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「●若者論」の インデックッスへ 「●光文社新書」の インデックッスへ

結論には共感したが、インパクトが弱い。『「甘え」の構造』がなぜ参考文献リストに無い?

羞恥心はどこへ消えた.jpg 『羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)』 〔'05年〕 菅原 健介.jpg 菅原 健介 氏 (聖心女子大教授)

ジベタリアン.jpg 駅や車内などで座り込むジベタリアン、人前キス、車内化粧などの横溢―現代の若者は羞恥心を無くしたのか? そうした疑問を取っ掛かりに、「恥」の感情を研究している心理学者が、羞恥心というものを社会心理学、進化心理学の観点で分析・考察した本。

 社会的生き物である人間は、社会や集団から排除されると生活できなくなるが、羞恥心は、人間が社会規範から孤立しないようにするための「警報装置」としての役割を持っているとのこと。それは、単なる自己顕示欲や虚栄心といった世俗的なプライドを守る道具ではなく、生きていくために必要なもので、進化心理学の視点で考えると、敏感な羞恥心を持たない人物は、社会から排斥されその形質を後世に伝えられなかっただろうと。

ジベタリアン2.jpg 「恥の文化ニッポン」と言われますが、国・社会によって「恥」の基準は大きく異なり、日本の場合、伝統的には、血縁などを基準にした「ミウチ」、地域社会などを基準にした「セケン」、それ以外の「タニン」の何れに対するかにより羞恥心を感じる度合いが異なり、「セケン」に対して、が最も恥ずかしいと感じると言うことです。しかし、「セケン」に該当した地域社会が「タニン」化した現代においては、一歩外に出ればそこは「タニン」の世界で、羞恥心が働かないため、「ジブン」本位が台頭し、駅や車内などで座り込もうと化粧しようと、周囲とは"関係なし状態"に。

 しかし一方では、従来の「セケン」に代わって「せまいセケン」というものが乱立し、若者の行動はそこに準拠することになる、つまり、平然と車内化粧する女子高生も、例えば、仲間がみんなルーズソックスを穿いている間は、自分だけ穿かないでいるのは「恥ずかしい」ことになり、結局、その間は帰属集団と同じ行動をとった、というのが著者の分析です。

「甘え」の構造3.jpg さらっと読める本ですが、前半部分の分析が、わかりきったことも多かったのと(ジベタリアンへのアンケート結果なども含め)、ポイントとなる「ミウチ・セケン・タニン」論は、30年以上も前に土居健郎氏などが言っていること(『「甘え」の構造』、どうして参考文献のリストに無い?)と内容が同じことであるのとで、インパクトが弱かったです。

 最後の方の、今まで「セケン」に該当していたものが「タニン」化し、「せまいセケン」が乱立しているという結論には、改めてそれなりに共感はしましたが、これも一般感覚としては大方が認識済みのことともとれるのでは。

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「●か 河合 隼雄」の インデックッスへ

Q&A形式だがハウ・ツーではない。思春期までの問題を広く扱っているのが特徴。

I『Q&A こころの子育て―誕生から思春期までの48章』.JPGQ&A こころの子育て.jpg 単行本['99年]Q&Aこころの子育て.jpgQ&Aこころの子育て―誕生から思春期までの48章 (朝日文庫)

河合隼雄.jpg 河合隼雄氏が子育てに悩む親に向けて書いたもので、Q&Aの形式をとり、一般の親たちにわかりよい内容でありながらも、ハウ・ツーになっていないのが、本書の特徴と言えるのでは。

河合 隼雄 (1928-2007/享年79)

 「子育てがうまくいかないのは母子関係が原因でしょうか」という問いに対して「原因がわかっただけでは何の解決にもなりません」とか、「思い通りにならないのは、育て方が悪いからですか」という問いに対して「生きているんだから思い通りになるはずがないです」といったふうに、子育ての問題に対する直接的な解答よりも、それに向き合うための新たな視点を示すことで、子どもたちよりもむしろ親たちに対するカウンセリング効果を生み出しているような本。 

 子どもの発達に沿って話を進めていますが、本書のもう1つの大きな特徴は、ほとんどの子育て本が誕生から小学校入学時ぐらいまで終わっているのに対し、その後の小学生時代、さらに中学生から高校生に至る思春期における問題までを広く扱っていることにあります。

 本書刊行('99年)の背景に、神戸の児童連続殺傷事件('97年)など思春期の子どもによる事件の多発という社会現象があることもありますが、特に、小学校4年生(10歳ぐらい)が、子どもの成長における一つの大きな転換期であり、重要な自己形成の時期であるとみているところは、もともとの河合氏の考えの特質でしょうか。

 残念ながら'07年7月に亡くなった河合氏ですが、『育児の百科』の故・松田道雄(1908‐1998)の後継として、児童精神科医の佐々木正美氏とユング心理学者・河合隼雄の名があがることが多かったような気がします。

 母性原理と父性原理のバランスを重視する考え方は佐々木・河合両氏に共通する一方、河合氏の方がより心理主義的な曖昧さを含んでいる感じもして、実際そのことで河合氏を批判する向きもあるようですが、それは彼が専門としたユング心理学やカウンセリング理論と無縁ではないでしょう。個人的にはどちらの著作も優れたものが多いと思っています。

 本書で一番印象に残ったのは、ドイツ文学者の子安美知子の話で、彼女が姪に本を読んであげようとしたとき、横にいた姪の友達がじゃまをし、読み終ったあと、その子が「もいっぺん読んで」と言うので「?」と思ったら「今度は私に読んで」と言ったというもの。その子は子安氏が姪のためにしか読んでいないのがわかっていて、だから邪魔していたということがその時わかったので、子安さんは「ほな、こんどはあんたのために読むわ」と。
 この話に河合氏は痛く感動したそうですが、そうしたところが河合氏らしいし、自分もこれはいい話だと思いました。

 【2001年文庫化[朝日文庫]】

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「●文春新書」の インデックッスへ

セルフカウンセリング的な効用がある本? 「夢を持つこと」が難しい社会なのかも...。

傷つくのがこわい.jpg 『傷つくのがこわい (文春新書)』 〔'05年〕 人と接するのがつらい.jpg人と接するのがつらい―人間関係の自我心理学 (文春新書 (074))』 ['99年]

ca_img02.jpg  この著者には、同じ文春新書で『人と接するのがつらい―人間関係の自我心理学』('99年)という本もあり、自我心理学が専門だと思いますが、人間関係など社会生活で悩んでいる人への思いやりが感じられ、本書もまた、ブックレビューなどを読むと好評のようです。

 前半部では、傷つくとはどういうことか、なぜ若者は傷つきやすいのかが、最近の社会動向、学校・家庭・職場内で見られる傾向なども分析しながら丁寧に解説されていて、後半部では心傷ついたときにはどうすればよいか、傷つかない心を持つにはどうしたらよいかが、カウンセリング理論をベースに、自律訓練法やリラクゼーションなどの方法論にまで落とし込んで書かれています。

 新書という体裁上、1つ1つの方法論についての解説は簡略なものですが、そこに至るまでに「傷つく」ということを心理学者の立場から臨床的に分析しているため、読者にすれば、本書を読むことで自らの「傷つき」を対象化することができ、セルフカウンセリング的な効果が得られる、それが好評である一因なのではないかと思われます。

 前半と後半の間に、「傷つきやすい若者への接し方」という章があって、社会そのものが若者を傷つけやすい構造になってきていることを指摘し、そうした「傷つきやすい若者」に対して、よき相談相手になることと、彼らの「自己価値観」を高める配慮をすることの大切さを説いています。

 この中で注目すべきは、フリーターやニートの増加を、単に若者の労働意欲の低下によるものではなく、彼らをとりまく厳しい労働環境との関係で捉えている点で、レビンソンの〈ライフサイクル論〉を引きながらも、現代の若者が大人としてのアイデンティティの確立が遅れているのは、社会が「余裕のない」「夢を持てない」ものになっているからだとしています(叶わぬ「夢」を保留するために現実への関与を避け、その結果モラトリアム期間が長期化するということ)。

 "新米成人"にとって「非現実的な夢にしがみつくこと」も「夢の全面的放棄」も満足な生活を与えてくれるものでなはなく、レビンソンに習って、「夢を生活構造の中に位置づけること」が大切であるとしながら、著者自身が認識するように、社会そのものが「夢を持てない」ものになっているというのは、結構キツイ状況だなあと感じました。

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ロールシャッハ、YG、内田クレペリンを俎上に。読み物としては面白かった。

「心理テスト」はウソでした。2.jpg「心理テスト」はウソでした。.jpg 村上宣寛(むらかみよしひろ)教授.jpg 村上宣寛(むらかみよしひろ)・富山大学教授 〔性格心理学、教育測定学〕
「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た』〔'05年〕 

 心理テストと呼ばれるものの曖昧さ、いい加減さを心理テストの専門家自身が(この人、"野宿"の大家でもあるらしいが)、統計学的・実証的に検証してみせた本で、第1章で「血液型人間学」、第2章で「万能心理テスト」、第3章で「ロールシャッハ・テスト」、第4章で「矢田部ギルフォード性格検査(YG検査)」、第5章で「内田クレペリン検査」を俎上に上げています。大学の一般教養の講義を受けているかのように気軽に読め、しかも、隣りの教室で教えている心理学の授業は間違っているよ、みたいな内容なので面白かったです。

 ただし、「血液型人間学」というのは、著者の論駁以前に、未だにこれを科学だと思っている人がいるのかなという気が、個人的にはしました。一方、「万能心理テスト」とは、誰もが「当たっている!」と感じる質問や結果を並べた"ひっかけ"テストのことで、著者が大学院生などに試みて、全員に同じ結果を配っているのに殆どがきれいに騙されているのが面白かったですが(実際、この部分が本書で一番愉快だった)、本書における本格的な心理テスト批判ということになると、第3章以下の、ロールシャッハ、YG、内田クレペリンの3つに対する批判であると言えるでしょう(("3つのみに対する批判"とも言えてしまうが)。

shukanbunshun071108.jpg 高名な学者の言っていることが、比較的簡単な実験でその論拠が大きく揺らいでしまうのが面白く、特にロールシャッハは、権威者3名の同一テストに対する分析がバラバラで、しかも実態から大きく外れているという結果に。YG、内田クレペリンは、学生時代に自ら被験者になり、また結果分析もしたことがあるので身近に感じましたが、その当時から信憑性に疑義があり、今時こんなの使っているのかなという気もしました(実際には、批判も多い一方で、精神科や心療内科などで根強く用いられているようだが)。

「週刊文春」'07年11月8日号(ロールシャッハの誕生日)表紙 デザインは和田誠氏オリジナル

 後書きに、仕事の能力は測れるかというテーマをとりあげ、「SPI」や「コンピテンシー」について若干触れていますが、一般学生や企業の実務担当者などの側からすれば、むしろこのあたりをもっと突っ込んで書いてほしかったという気がするのでは。

 統計の話などは往々にしてつまらなくなりがちですが、わかりやすい論理展開と軽妙なテンポで読者を導き、読み物としては面白かったです。
 
 【2008年文庫化[講談社+α文庫]】

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「笑いの効用」について、三者三様に語る。ちょっと、パンチ不足?

笑いの力.jpg笑いの力』岩波書店['05年]人間性の心理学.jpg 宮城音弥『人間性の心理学』〔'68年/岩波新書〕

 '04年に小樽で開催された「絵本・児童文学研究センター」主催の文化セミナー「笑い」の記録集で、河合隼雄氏の「児童文化のなかの笑い」、養老孟司氏の「脳と笑い」、筒井康隆氏の「文学と笑い」の3つの講演と、3氏に女優で落語家の三林京子氏が加わったシンポジウム「笑いの力」が収録されています。

 冒頭で河合氏が、児童文学を通して、笑いによるストレスの解除や心に与える余裕について語ると、養老氏が、明治以降の目標へ向かって「追いつけ、追い越せ」という風潮が、現代人が「笑いの力」を失っている原因に繋がっていると語り、併せて「一神教」の考え方を批判、このあたりは『バカの壁』('03年)の論旨の延長線上という感じで、筒井氏は、アンブローズ・ビアスなどを引いて、批判精神(サタイア)と笑いの関係について述べています。

 「笑い」について真面目に語ると結構つまらなくなりがちですが、そこはツワモノの3人で何れもまあまあ面白く、それでも、錚錚たる面子のわりにはややパンチ不足(?)と言った方が妥当かも。 トップバッターの河合氏が「これから話すことは笑えない」と言いながらも、河合・養老両氏の話が結構笑いをとっていたことを、ラストの筒井氏がわざわざ指摘しているのが、やや、互いの"褒め合戦"になっているきらいも。

『人間性の心理学』.JPG 人はなぜ笑うのか、宮城音弥の『人間性の心理学』('68年/岩波新書)によると、エネルギー発散説(スペンサー)、優越感情説(ホッブス)、矛盾認知説(デュモン)から純粋知性説(ベルグソン)、抑圧解放説(フロイト)まで昔から諸説あるようですが(この本、喜怒哀楽などの様々な感情を心理学的に分析していて、なかなか面白い。但し、学説は多いけれど、どれが真実か分かっていないことが多いようだ)、河合氏、養老氏の話の中には、それぞれこれらの説に近いものがありました(ただし、本書はむしろ笑いの「原因」より「効用」の方に比重が置かれていると思われる)。

 好みにもよりますが、個人的には養老氏の話が講演においても鼎談においても一番面白く、それが人の「死」にまつわる話だったりするのですが、こうした話をさらっとしてみせることができるのは、職業柄、多くの死者と接してきたことも関係しているかも。

桂枝雀.jpg その養老氏が、面白いと買っているのが、桂枝雀の落語の枕の創作部分で、TVドラマ「ふたりっ子」で桂枝雀と共演した三林京子も桂枝雀と同じ米朝門下ですが、彼女の話から、桂枝雀の芸というのが考え抜かれたものであることが窺えました。桂枝雀は'99年に自死していますが(うつ病だったと言われている)、「笑い」と「死」の距離は意外と近い?

《読書MEMO》
養老氏の話―
●(元旦に遺体を病院からエレベーターで搬出しようとしたら婦長さんが来て)「元旦に死人が病院から出ていっちゃ困る」って言うんですよ。それでまた、四階まで戻されちゃいました。「どうすりゃいいんですか」って言ったら、「非常階段から降りてください」と言うんです。それで、運転手さんとこんど、外側についている非常階段を、長い棺をもって降りる。「これじゃ死体が増えちゃうよ」って言って。
●私の父親が死んだときに、お通夜のときですけれども、顔があまりにも白いから、死に化粧をしてやったほうがいいんじゃないかということになったんです。まず白粉をつけようとしたら、弟たちが持ってきた白粉を、顔の上にバッとひっくり返してしまった...
●心臓マッサージが主流になる前は長い針で心臓にじかにアドレナリンを注入していたんですね。病院でそれをやったお医者さんが結局だめで引き上げていったら、後ろから看病していた家族の方が追っかけてきて、「先生、最後に長い針で刺したのは、あれは止めを刺したんでしょうか」

「●自閉症・アスペルガー症候群」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【829】 バロン=コーエン/他『自閉症入門

自閉症者が自身の特性について書いた初めての本。分析の水準は高い。

我、自閉症に生まれて13.JPG我、自閉症に生まれて.jpg Temple Grandin.gif   Dr. Temple Grandin's Web Page.jpg Web Page
我、自閉症に生まれて』 〔'94年〕 Temple Grandin 

 自閉症者本人が、自己が抱える自閉症の特性について書いた世界で初めての本で、原著("Emergence: Labeled Autistic")出版は'86年ですが、その後、脳神経科医オリバー・サックス博士の著書『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』('95年)の中で紹介されて有名に(ただし、邦訳はその前に出版されている)。
 自閉症者にとって世界がどのように感じられ、どのようなことが苦痛であり、どのようなことに安堵するか、社会と折り合いをつけるのにどのような壁があり、それをどのようにして乗り越えてきたかがよくわかります。

 著者のテンプル・グランディン(1947年生まれ)は、6歳の時に自閉症と診断され、神秘的な発作や知覚過敏を抑制するために、牛桶から着想を得て「締めつけ機」を開発、その後、動物学の博士号を取得し、大学の准教授として勤める傍ら、「畜産動物扱いシステム会社」の社長として成功しています。

 本書が執筆されたのは彼女が30代後半の頃ですが、自閉症に起因する、子供の頃の混乱に満ちた世界観や感性が生き生きと(幼年期の記述は、共同執筆者の協力を得て書かれているようだが)、かつ分析的に書かれていて、特に自閉症の特質に関する記述は、その後の専門家の研究内容の先駆となるような高い水準です。

 彼女は知能指数137の高機能自閉症であるうえに、その後出版された『自閉症だったわたしへ』('92年)の著者ドナ・ウィリアムズが愛情に恵まれない少女時代を送ったのと比べても、指導環境に恵まれたと言えます。
 彼女が設計した「締めつけ機」は全米の屠殺場で使用されていますが、これは、虐待的な家畜施設の改善を図るもので、彼女自身、『動物感覚-アニマル・マインドを読み解く』という本を書いているぐらい、"牛の気持ち"になっているわけです。

 それにしても、屠殺される前の牛の神経を落ち着かせるためにその牛の体を挟む装置が、自身にとっても、落ち着かない時にその装置に身体を挟むと安心感があって"お薦め"であるというのは、写真入りで紹介されているのを見ると、最初はちょっと引いてしまった...。
 発想の順番も、牛よりも自身を落ち着かせることが先なのだろうけれど、その後、日本でも自閉症者が書いた本が出版されるようになり、彼(彼女)らが独特の触覚刺激を持っていることが、研究上も注目されるようになっています。

The Boy Inside.jpg 以前来日したこともありますが、最近どうしているのかなと思ったら、教育番組を対象にした国際コンクール「日本賞」(NHK主催)の青少年番組部門の受賞作「少年の内面」The Boy Inside 製作国:カナダ)という自閉症の中学生少年の内面とその家族の苦悩を描いたドキュメンタリーに出ていました(番組のプロデューサーがこの少年の母親で、自らカメラも撮っていて、成人自閉症者を訪ねるという場面でテンプル・グランディンが登場)。
 彼女ももう59歳だけど、てきぱきとした女偉丈夫ぶり(身長180cm)は変わりなかったです。

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医学が進んでも、難治性がんは残る。進行がんへの向き合い方、さらには人生について考えさせられる本。

がんとどう向き合うか.jpg 『がんとどう向き合うか』(2007/05 岩波新書) 額田 勲.jpg 額田 勲 医師 (経歴下記)

 著者は長年地方医療に携わり、多くのがん患者と接してきた経験豊富な医師で、がん専門医ではないですが、がんという病の本質や特徴をよくとらえている本だと思いました。

 がん細胞というのは"倍々ゲーム"的に増殖していくわけですが、本書によれば、最初のがん細胞が分裂するのに1週間から1年を要し、その後次第に分裂速度が速まるということで(「ダブリング・タイム」)、1グラム程度になるまでかなり時間がかかり、その後は10回ぐらいの分裂で1キロもの巨大腫瘍になる、その間に症状が見つかることが殆どだとのこと。

 細胞のがん化の開始が30代40代だとしても数十年単位の時間をかけてがん細胞は増殖することになり、つまり、がんというのは潜伏期間が数十年ぐらいと長い病気で、早期発見とか予防というのが元来難しく、長生きすればするほどがん発生率は高まるとのことです。

 以前には今世紀中にがんはなくなるといった予測もあり、実際胃がんなどは近年激減していますが、一方で膵臓がんはその性質上依然として難治性の高いがんであり、またC型肝炎から肝臓がんに移行するケースや、転移が見つかったが原発巣が不明のがんの治療の難しさについても触れられています。

 こうした難治性のものも含め、"がんと向き合う"ということの難しさを、中野孝次、吉村昭といった著名人から、著者自らが接した患者まで(ああすればよかったという反省も含め)とりあげ、更に自らのがん発症経験を(医師としてのインサイダー的優位を自覚しながら)赤裸々に語っています。

 医学的に手の打ち様がない患者の場合は、対処療法的な所謂「姑息的な手術」が行われることがあるが、それによって死期までのQOL(Quality of Life)を高めることができる場合もあり、抗がん剤の投与についても、「生存期間×QOL」が評価の基準になりつつあるとのこと。

 著者は、がんについて「治る」「治らない」の二分法で医療を語る時代は過ぎたとし(最近のがん対策基本法に対しては、こうした旧来のコンセプトを引き摺っているとして批判している)、進行がん患者にはいずれ生と死についての「選択と決断」を本人しなければならず、それは人それぞれの人生観で違ったものとなってくることが実例をあげて述べられていて、医療のみならず人生について考えさせられる本です。
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糠田 勲 (ぬかだ・いさお)
1940年、神戸市灘区生まれ。専門は内科。2003年、全国の保健医療分野で草の根的活動をする人を対象にした「若月賞」を受賞。著書に「孤独死―被災地神戸で考える人間の復興」(岩波書店)など。

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認知症についての基礎知識が得られるとともに、著者の人間的な研究姿勢に頭が下がる。

認知症とは何か.jpg 『認知症とは何か (岩波新書)』 〔'05年〕  小澤 勲.jpg 小澤 勲 医師 (略歴下記)

 本書によれば、認知症というのは、記憶障害や思考障害などいくつかの症状の集まりを指す本来は「症候群」と呼ぶべきものであるとのことですが、代表的な疾患として、変性疾患アルツハイマー病など脳の神経細胞が死滅、脱落して、脳が萎縮することによるもの)脳血管性認知症(脳の血管が詰まったり破れたりすることによるもの)があるとのこと。

 中核症状としての記憶障害が現れるのは、身体に染み込んだ記憶(非陳述的記憶)よりも言語で示される記憶(陳述的記憶)においてが先で、その中でも、単語の意味や概念などの「意味記憶」よりも、「いつ、どこで、何をした」というような「エピソード記憶」の障害から始まることが多いとのこと、また、「リボーの原則」というものがあり、代表的な原則の1つが「記憶は最近のものから失われていく」というもので、認知症患者に接した経験のある人には、何れもそれなりに得心する部分が多いのではないでしょうか。

 老人医療施設などで老人が輪になってデイケアを受けている場面がよくありますが、著者によれば、アルツハイマー病と脳血管性認知症では「生き方」が全く異なり、アルツハイマー病患者は共同性を求めるが脳血管性の患者は個別性を求めるので、こうした輪には馴染みにくいとのことです。
 知り合いの老人医療施設に勤める人が、こうした集団的デイケアにまったく参加しようとしない患者さんも多くいるという話をしていたのを思い出しました。

吾妹子哀し.jpg 本書前半の第1部は、こうした認知症に関する客観的・医学的知識を紹介しているのに対し、後半の第2部では、文学作品(青山光二『吾妹子哀し(わぎもこかなし)』)を通して、認知症患者の心のありかを探るとともに、クリスティーンさんという認知症を抱えながらも講演活動で世界中を飛び回っている女性患者を通して、認知症の不自由とは何かを考察しています。

 彼女のケースはかなり稀有なものであるような気がしますが、「高機能認知症」という著者オリジナルの推論的概念は興味深いものがあり、また、著者自身が余命1年というがん宣告を受けている身でありながら、精神科医として、また人間として、認知症患者の世界に深く関わり続けようとする姿勢には頭が下がる思いがしました。
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小澤 勲 (おざわ いさお)
1938年、神奈川県生まれ。京都大学医学部卒業。京都府立洛南病院勤務。同病院副院長、老人保健施設「桃源の郷」施設長、種智院大教授を歴任。著書に「痴呆老人からみた世界」「物語としての痴呆ケア」など。

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