2020年7月 Archives

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1,500円という価格はお得感がある講談社学術文庫版。参考書的にも使える。
若冲  講談社学術文庫.png 辻 惟雄.jpg  若冲  河出文庫.jpg 「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」.jpg
若冲 (講談社学術文庫)』['15年]辻 惟雄 氏/『若冲 (河出文庫)』['16年] NHKドラマ「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」中村七之助(伊藤若冲)/永山瑛太(大典顕常)['21年]
I若冲.jpg 伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう、1917-1800)研究の第一人者で、日本美術史への多大な貢献により2016年度「朝日賞」を受賞している辻 惟雄(のぶお)氏による講談社学術文庫版『若冲』は、1974(昭和49)年に美術出版社から発売された『若冲』の文庫版で、原本は若冲の《動植綵絵》全30幅を原色版で最初に載せた大型本でしたが、若冲を知る人がまだ少なかった当時、出版は時期尚早で、発行部数も僅かであったところ、普及版として講談社学術文庫版より刊行され、40年以上を経て再び陽の目を見ることとなったものです。

 原本はカラー図版57図、モノクロ31図を載せた後、Ⅰ伝記と画歴、Ⅱ若冲画小論、Ⅲ印譜解説、Ⅳ若冲流について、の4章から成る本文が続き、それに図版解説、史料、文献、年譜が付いていますが、この文庫版でも、カラー図版、モノクロ図版ともにほとんど原本通りに採録されているとのことなので、原本の迫力には及ばないものの(原本は現在入手困難な稀覯本となっている)、文庫本としては豪華であり、1,500円という価格はお得感があります。

 《動植綵絵》全30幅をはじめ有名作品を網羅した図版数は150点以上となり、しかも文庫本で新たに増補されたものもあったりして、その代表格が、巻頭の口絵《動植綵絵》全30幅の前にある《象と鯨図屏風》で、何とこれがゾウとクジラが互いの大きさを誇示し合っているような画です。これが三つ折りの見開きで6ページ分使っていて、文庫の制約を超えんばかりの迫力です(若冲ってニワトリばかり描いていたわけではないのだ)。
象と鯨図屏風1.jpg 象と鯨図屏風2.jpg

Equncm4UYAAaKzV.jpg おおよそ全350ページのうち、青物問屋の若旦那から転じて画家になった若冲の生涯を画歴と併せて辿った第Ⅰ部までが本書の半分170ページ分を占め、第Ⅳ部まで230ページ、あとの100ページは収録図版の解説となっていますが、個人的な読みどころはやはり第Ⅰ部で、相国寺の僧・大典顕常が若冲の才覚を理解し庇護したことということが強く印象に残りました。

 図録としては、文庫サイズなのでやや迫力を欠きますが、《動植綵絵》全30幅をオールカラーで載せているだけでも貴重と言えます。稀覯本の文庫化だからこそとも言え、最初から文庫だったらこうはならなかったかもしれません。

河出文庫版『若冲』.jpg 河出文庫版『若冲』の方は、伊藤若冲の生誕300年を記念して出版されたもので、若冲について様々な分野の人が書いた文章が17編(16人)収められており、最初の辻惟雄氏のものなど2編は、"若冲専門家"による水先案内のような役割を果たしていまうsが、あとは、哲学者の梅原猛、フランス文学者の澁澤龍彦、作家の安岡章太郎、比較文学者の芳賀徹...etc.その分野は多岐にわたります。

 一人につき、長いもので20ページ弱、短いものだと3ページとコンパクトで、作家の安岡章太郎が若冲について書かれたものはもともと非常に少ないらしいとして代表的な研究者の論考を挙げていますが、本書では、研究者に限定しないものの、よくこれだけ若冲について書かれたものを探し当てたなあという気もします。

安岡 章太郎.jpg その安岡章太郎の文章「物について―日本的美の再発見」も13ページとこれらの中でも長い方ですが、坂崎乙郎の「伊藤若冲」は18ページほどあり、若冲をシュルレアリストと位置付けているのが興味深かったです。結局みんな自分の得意分野に引き付けて論考しているということなのかもしれませんが、それはそれでいいのではないでしょうか。

 安岡章太郎は、《動植綵絵》などは時代を超えて屹立し続ける傑作としながらも、展覧会では「虎図」に目を奪われたとし(これ、講談社学術文庫版の表紙になっている)、また、若冲の膨大な作品の中では晩年の「蝦蟇・鉄拐図」に最も感銘を受けたとしています。

 このように、どの人がどの作品をどう評価しているか、どう気に入っているかというのも本書を読む上で興味深い点になりますが、この河出文庫版は図録が無いので、それが難点。そこで、講談社学術文庫版『若冲』を手元に置いて読むといいかなとも思います。

 「虎図」はともかく、「蝦蟇・鉄拐図」あたりになるとフツーの若冲の画集本には載っていなかったりしますが、講談社学術文庫版『若冲』にはしっかり掲載されています。講談社学術文庫版は、参考書的使い方もできるということかもしれません。

《読書MEMO》
●2021年NHKでドラマ化(全1話「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」)。
ライジング若冲 天才 かく覚醒せり3.jpg【感想】伊藤若冲の実像を、その才能を目覚めさせた僧侶・大典顕常をはじめとする若冲を取り巻く芸術意識の高い京の人々との交流、代表作《動植綵絵》の誕生秘話を交えてドラマ。時代考証担当はNHKの大河ドラマの時代考証でよく大石学氏.jpgその名を目にする大石学氏だが、辻惟雄氏の本と符合する部分が多かった。中村七之助(伊藤若冲)と永山瑛太(大典顕常)のダブル主演で、そのほかに、中川大志(円山応挙)、池大雅(池大雅)、門脇麦(池玉瀾)、 石橋蓮司(売茶翁)。大典顕常が伊藤若冲を支援し続けたのは史実。売茶翁が81歳の時に売茶業を廃業し、愛用ライジング若冲1.jpgの茶道具を「私の死後、世間の俗物の手に渡り辱められたら、お前たちは私を恨むだろう。だから火葬にしてやろう」と焼却したのも事実のようだ。伊藤若冲、円山応挙、池大雅は在京都同時代の画家でライジング若冲2.jpgあるには違いないが、ドラマでは同世代のライバルのように描かれている。実際には、伊藤若冲は1716生まれ、池大雅は1723年生まれ、円山応挙は1733年生まれで、少しずつ年齢が離れている。これに対し、大典顕常は1719年生まれで実年齢で若冲に近い(ドラマでは若い二人の関係がボーイズラブを示唆するような描かれ方になっていた。BWブームに便乗したか)。池大雅の妻・玉蘭も画家だったことを今回初めて知った。

「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」●作・演出:源孝志●出演:中村七之助/永山瑛太/中川大志/大東駿介/門脇麦/渡辺大/市川猿弥/木村祐一/加藤虎ノ介/永島敏行/石橋蓮司●放映:2021/1/2(全1回)●放送局:NHK

中村七之助(伊藤若冲(1716-1800)/84歳没)/永山瑛太(大典顕常(1719-1801/82歳没))
ライジング若冲 若冲・大典.jpg
中川大志(円山応挙(1733-1795/62歳没))/大東駿介(池大雅(1723-1776/52歳没))
ライジング若冲 応挙・大雅.jpg
石橋蓮司(売茶翁[若冲:画](1675-1763/88歳没))/門脇麦(池玉瀾(1727-1784/57歳没))
ライジング若冲 売茶翁・玉蘭.jpg

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ベストセラー日本人論2冊。組織論的にも多くの示唆を含む『タテ社会の人間関係』。今一つ分からない『日本人とユダヤ人』。
タテ社会の人間関係1.jpg タテ社会の人間関係2.jpgタテ社会の人間関係★中根千枝.jpg タテ社会の人間関係3.jpg
タテ社会の人間関係―単一社会の理論 (1967年) (講談社現代新書)』『タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
日本人とユダヤ人1970.jpg 日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア).jpg 日本人とユダヤ人 (山本七平ライブラリー).jpg 日本人とユダヤ人 oneテーマ21.jpg
日本人とユダヤ人』['70年]『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』['71年]『日本人とユダヤ人 (山本七平ライブラリー)』['97年]『日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))』['04年]
Iタテ社会の人間関係 日本人とユダヤ人.jpg 『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』は、社会人類学者の中根千枝氏が1967年に出版した日本論であり、半世紀以上を経た今も読み継がれているロングセラーです。よく「日本はタテ社会だ」と言われますが、その本質を、日本社会の構造、組織のあり方という観点から説明したものです。

 著者によれば、日本人の集団意識は「場」に置かれており、日本のように「場」を基盤とした社会集団には、異なる資格を持つ者が内包されているため、家や部落、企業組織、官僚組織といった強力かつ恒久的な枠が必要とされるとのことです。そこで、日本的集団は、構成員のエモーショナルな全面的参加により一体感を醸成し、集団の肥大化に伴い、「タテ」の組織を形成するのだとしています。

 著者は、社会集団を構成する要因は、「資格」と「場」の2つに大別されるとし、「資格」とは、氏や素性、学歴、地位、職業、経済的立場、男女といった属性を指して、こうした属性を基準に構成された社会集団を「資格による集団」と呼び(職業集団や父系血縁集団、カースト集団などがその例)、一方、「場による社会集団」とは、地域や所属機関のような一定の枠によって個人が集団を構成する場合を指すとのこと(例えば、「○○村の成員」、「○○大学の者」など)。資格と場のいずれの機能が優先されるかは、その社会の人々の価値観と密接に関係するが、例えば、インド人の集団意識はカーストに象徴されるように、「資格」によって規定されているのに対し、日本人の集団意識は「場」に置かれているとのことです。

 だから日本人は、職種(=資格)よりも、A社、B大学といった自分の属する職場(=場)を優先して、自分の社会的位置づけを説明するのだと。それはつまり、日本人にとっては、「場」=「会社・大学」という枠が、集団構成や集団認識において重要な役割を果たしているからであり、とりわけ、会社は個人が雇用契約を結んだ対象という認識ではなく、「私の会社・われわれの会社」というふうに、自己と切り離せない拠り所のように認識されているのだとしています。

 この特殊な集団認識を代表するのは、日本社会に浸透している「イエ(家)」の概念であり、著者の定義する「家」とは、家族成員と家族以外の成員を含んだ生活共同体・経営体という「枠」の設定によって作られる社会集団であるとのことですが、この「家」集団内における人間関係は、他の人間関係よりも優先され、例えば、他の家に嫁いだ娘・姉妹よりも、他の家から入ってきた嫁のほうが「家の者」として重視されるが、これは、同じ両親から生まれた兄弟姉妹という「資格」に基づいた関係が永続するインド社会とはかけ離れているとのことです。

 社会人類学というのは当時聞き馴れない領域でしたが、本書の目的は、人々のつき合い方や同一集団内における上下関係の意識といった、社会に内在する基本原理を抽象化した「社会構造」に着目し、日本社会の特徴を解き明かすことにあったとのことで、ある種、構造主義的人類学の手法に通じるものがあるように思いました。

 前記の通り、著者によれば、日本社会では、「場」、つまり会社や大学という枠が集団構成や集団認識において重要な役割を果たし、こうした社会では、「ウチの者」「ヨソ者」を差別する意識が強まり、親分・子分関係、官僚組織によって象徴される「タテ」の関係が発達し、序列偏重の組織を形成するとのこと。こうしたメカニズムは、年次や派閥がものをいう組織、前任者の顔色を窺って改革を断行できない経営者といった諸問題に繋がっていると言え、これは今も根本的に変わっていないように思います。組織論的に見ても、今の社会に通じる多くの示唆を含む名著であると思ます。

山本七平(1921-1991)
山本七平.jpg 『日本人とユダヤ人』はイザヤ・ベンダサン名義で1970年に山本書店より刊行された本で、ベストセラーという意味では『タテ社会の人間関係』以上に売れ、『日本人と○○人』といった題名の比較型日本人論が一時流行したほどですが、やがて著者は山本書店の店主で、ベンダサン名義の作品の日本語訳者と称してきた山本七平(1921-1991/享年69)であることが明らかになり、'04年に、今は無き新書レーベルの「角川oneテーマ21」には著者名「山本七平」として収められました(解説にも「イザヤは山本のペンネーム」という旨が明記されている)。

 内容は、ユダヤ人と対比することによって日本人というものを考察している日本人論であり、この中では著書のイザヤ・ベンダサンは日本育ちのユダヤ人ということになっています。

 著者が、ユダヤ人との対比において指摘する日本人の特性として、四季に追われた生活と農業とそこから生まれるなせばなるという哲学や、模範を選び、それを真似ることで生きてきた隣百姓の論理、大声をあげるほど無視され、沈黙のうちに進んでいく政治的天才、法律があっても、必ず拘束されるわけではない、それを超えて存在する法外の法に従うという実態などを挙げていて、それなりに説得力があるように思いました。

 ただ、著者はさらに突き進み、日本人の論理の中心に据えられた「人間」という概念を、そのような日本人の特徴をユダヤ人との対比で考察しながら、日本人は、決して無宗教ではなく、「人間」を中心とした一つの巨大な宗教集団なのだという結論を導き出しますが、このあたりから個人的にはよく分からなくなりました。

 著者は、日本人は、無宗教である人が多いと言われるが、実際にはそうではなく、自分自身の宗教をそれを意識すらしないほどに体に染み込ませているという意味で、日本教は世界中のどこよりも強い、強烈な一つの宗教なのだという著者の論理は、受け容れられる人とそうでない人で分かれるのではないかと思いました。

 著者の論理で言えば、キリスト教であっても、仏教であっても、それは全て日本教に組み込まれており、日本人はどんなに頑張っても結局、日本教徒でしかありえず、日本人の究極の概念は、神よりもまず人間であり、神を人間に近づける形でしか日本人は神を理解できないということです。

 普段意識しない日本人という枠組みを、本書によって考える機会を与えられたのは確かで、実際、多くの人がこの本に共感し、「山本学」という学問(?)まで流行ったくらいですが、個人的には「今一つ分からない」といった印象であり、それは当時も今も変わっていません(今振り返ると、随分と難しい本がベストセラーになったものだなあという気もする)。

51Aにせユダヤ人と日本人.jpg 本書に対する批判として、宗教学者、神学博士の浅見定雄氏の『にせユダヤ人と日本人』('83年)があり、それによれば、「ニューヨークの老ユダヤ人夫婦の高級ホテル暮らし」というエピソードは実際にはあり得ない話であり(英語版『日本人とユダヤ人』では完全にこのエピソードがカットされている)、「ユダヤ人は全員一致は無効」という話も、実は完全な嘘あるいは間違いであるとのことです。「日本人は安全と水を無料だと思っている」というベンダサンの警告は当時鮮烈でしたが、その対比としての、安全のために高級ホテル暮らしをするユダヤ人夫婦という話が「あり得ない話」ならば、説得力は落ちるのではないでしょうか(それとも、これも山本教徒にとっては、そんなことはどうでもいいことなのか)。

浅見定雄『にせユダヤ人と日本人 (1983年)
       
比較文化論の試み.jpg日本人の人生観.jpg 個人的には著者の書いたものを全否定するわけではなく、講談社学術文庫に収められた『比較文化論の試み』('75年)は多くの気づきを与えてくれて良かったし(この本は最初に読んだときはそうでもなかったが、読み直してみて、鋭い指摘をしているのではないかと思った)、『日本人の人生観』('78年)もまずまずでした(こちらは、ユダヤ・キリスト教文化圏の歴史観・人生観と日本人のそれを対比させている)。一方で、『日本人と中国人』などは、知識人、読書人で絶賛する人は多いですが、自分にはよく分かりませんでした。

 浅見定雄氏は、山本七平は、自分でもよくわかっていないことを、わからないまま書き連ね、収拾がつかなくなると決まって「読者にはおのずからお分かりいただけるだろう」というふうに書いて、よくわからないのは読者の頭が悪いからだと思わせるごまかしのテクニックを使っているとも指摘していますが、全てがそうでないにしても、『日本人と中国人』などは『日本人とユダヤ人』以上に自分にとってはその類でした。

 ただ、その『日本人と中国人』についても、内田樹氏などは、「決して体系的な記述ではないし、推敲も十分ではなく、完成度の高い書物とは言いがたい」としながらも、「随所に驚嘆すべき卓見がちりばめられていることは間違いない。何より、ここに書かれている山本の懸念のほとんどすべてが現代日本において現実化していることを知れば、読者はその炯眼に敬意を表する他ないだろう」としていて、こんな見方もあるのだなあと。自分が頭が悪いのか、はたまた、この人の場合、書いたものによって相性が良かったり悪かったりするのでしょうか。

『日本人とユダヤ人』...【1971年文庫化[角川ソフィア文庫]/1997年選書[山本七平ライブラリー]/2004年新書化[角川oneテーマ21]】

《読書MEMO》
●『タテ社会の人間関係』
・単一社会―頼りになる集団はただ1つ(p64)
・タテの関係は親分。子分関係、官僚組織によって象徴される(p71)
・リーダーは一人に限られ、交代が困難(p122)
・日本のリーダーの主要任務は和の維持(p162)
・論理を敬遠して感情を楽しむ(p181)

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中国の新型コロナウィルスの封じ込め戦略を紹介(政治的なことにはあまり触れず)。

新型コロナVS中国14億人.jpg中国・武漢市、全市民にPCR検査実施へ.jpg
中国・武漢市、全市民にPCR検査実施へ(日経電子版2020年5月12日)
新型コロナVS中国14億人(小学館新書)

武漢封鎖.jpg ネットメディアで活躍する筆者が、新型コロナウィルスの中国の戦い方をレポート的に紹介し、日本における対策との違いを明らかにしたもの。著者は、中国を「隠蔽で初動が遅れ、ウイルスをばらまいた国」という一面のみでとらえるべきではないと言い、「中国が嫌いな人にこそ本書を読んで欲しい」とも言ってます。実際、中国は、人権国家ならば到底出来ないような強硬な対応策を断行し、今年['20年]春節の前に武漢をロックダウンするなどして、中国全土で人の集まる場所を公共・民間を問わず閉鎖するなどしてきましたが、その結果、4月にはコロナの封じ込めに成功したと公表するに至っています。

武漢  病院.jpg 武漢に昼夜突貫工事の10日間の工期でベッド数1000床の巨大コンテナ病院が建設され、5Gを用いた通信システムにより遠隔診断し治療法が指示され、医療用ロボットが体温測定や消毒、医療品の運搬を行った―。スピーカーを搭載した5Gドローンが住宅地を巡回し、お喋りしている人やマスクをつけていない人を家に追い返したりし、仕舞には「ウィルスをばらまいたら死刑」になるという法律を作ったりとか、我々から見ればやり過ぎではないかと思われることもあったりしましたが、本書を読んで、全部が全部「共産党の一党独裁国家だからできたのだ」で片づけてしまうのも確かに知恵が無いように思われました。

アリババ CT画像から20秒で診断.jpg PCR検査なしでもCT画像からコロナを診断してもよいとされ、アリババ・グループのAI技術がCT画像から20秒で診断(その的中率は96%とのこと)、3月上旬までに中国の160の病院で採用されるなどし、それ以前、2月には、これもアリババ提供の行動監視アプリ「健康コード」が杭州で導入され、赤・黄・緑で表示され、緑であれば自由に行動ができ、黄は1週間、赤は2週間の自宅待機が要請されたとのこと。こうしたことから窺えるのは、政府が全体を統括してはいるものの、実質的なリーダーは医師と企業(IT企業)だったとのことです。さらに言うと、中国国民はそもそも政府をあまりあてにしておらず、自分自身を守るためにいち早く自ら動いたとのこと、タイトルはそのことをも意味しているのでしょう。

 こういうのを読むと、中国に比べて日本の場合は、リーダーは一体どこにいるのかと言っていい体たらくで(国も自治体も責任を取りたがらないのだろう。と言って、医師・専門家の言うことを素直に受け入れるわけでもない)、対応の遅さもありますが、加えて、著者の言うように、IT環境が中国と比べ周回遅れの状況であるなどといった根底的な問題も見えてきます。

 本書についてのAmazon.comのレビューを見ると、中立的な立場で書かれているという評価が多くみられる見られる一方で、一部に、あまりに中国寄りで、すべて「中国は正解」の立場からのレポートになってしまっているとの批判も見られました(「どちらに大きく味方するでない中立的文章が特徴です。いや、今回はちょっと中国よりか。」というのもあった(笑))。

 著者も、中国が最初は新型コロナウィルスの発生を隠蔽したように、この国は政治面で大きな問題を抱えており、それは今後も繰り返されるだろうと言っているし、中国政府の初動対応の失敗については中国人自身が誰よりも怒っている、としています。ただし、政治的なことはそれ以上にはあまり踏み込まず(著者は九州のブロック紙・西日本新聞の記者出身で、中国のエキスパートだが基本的には経済ジャーナリスㇳ)、中国の新型コロナウィルスの封じ込め戦略に重点を置いて、そちらの方を紹介する内容になっているので、「中国をアゲる」意図が無くても、ウェイト的にそういう見られ方をしてしまうのではないでしょうか。

 実は、個人的にも、その辺りが引っ掛かりました。中国が新型コロナウィルスの封じ込めにおいて為した多くの施策の中には、日本が学ぶべきことも多いかと思いますが、日本はなぜ同じことが出来ないのかを考える際に、政治的な背景をあまり考える必要がないものと、そこに引っ掛かるものとがあるように感じられました(評価は、ややどっちつかずだが星3つ半にした)。

《読書MEMO》
●その後の動向
・2020年9月8日:テレビ朝日/中国がコロナに勝利宣言 武漢残った日本人も招待
「新型コロナ拡大の責任」伏せて中国が事実上終息宣言.jpg

・2020年10月17日:テレビ朝日/中国・武漢で"コロナとの闘い"展覧会
中国・武漢でコロナとの闘い展覧会.jpg

・2020年12月9日:産経新聞/「ウイルスの発生源は中国ではない」と訴える中国政府の大キャンペーンが再び活発に
ウイルスの発生源は中国ではない」.jpg

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人間を主人公として書かれた防災史。身を守るため教訓を引き出そうとする姿勢。

天災から日本史を読みなおす1.jpg天災から日本史を読みなおす2.jpg天災から日本史を読みなおす3.jpg 天災から日本史を読みなおす4.jpg
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

 2015(平成27)年・第63回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作。

 映画化もされた『武士の家計簿―「加賀藩御算用者」の幕末維新』('03年/新潮新書)の著者が、「天災」という観点から史料を調べ上げ、日本において過去に甚大な被害をもたらした「災い」の実態と、そこから読み取れる災害から命を守る先人の知恵を探ったものです(朝日新聞「be」で「磯田道史の備える歴史学」として2013年4月から2014年9月まで連載していたものを書籍化)。

 やはり日本における天災と言えば最初に来るのは地震であり、最初の2章は地震について割かれ、第3章では土砂崩れ・高潮を取り上げています。第4章では、災害が幕末史に及ぼした影響を考察し、第5章では、津波から生き延びるための先人の知恵を紹介し、最終第6章では、本書が書かれた時点で3年前の出来事であった東日本大震災からどのような教訓が得られるかを考察しています。

 第1章では、豊臣政権を揺るがした二度の大地震として、天正地震(1586年)と伏見地震(1596年)にフォーカスして、史料から何が読み取れるか探り、地震が豊臣から徳川へと人心が映りはじめる切っ掛けになったとしています。専門家の間でどれくらい論じられているのかわかりませんが、これって、なかなかユニークな視点なのではないでしょうか。

 第2章では、やや下って、江戸時代1707(宝永4)年の富士山大噴火と地震の連動性を探り、宝永地震(1707年)の余震が富士山大噴火の引き金になったのではないかと推論しています。本震により全国を襲った宝永津波の高さを様々な史料から最大5メートル超と推測し、さらに余震に関する史料まで当たっているのがスゴイですが、それを富士山大噴火に結びつけるとなると殆ど地震学者並み?(笑)。

 第3章では、安政地震(1857年)後の「山崩れ」や、江戸時代にあった台風による高潮被害などの史料を読み解き、その実態に迫っています。中でも、1680(延宝8)年の台風による高潮は、最大で3メートルを超えるものだったとのこと、因みに、国内観測史上最大の高潮は、伊勢湾台風(1959年)の際の名古屋港の潮位3.89メートルとのことですが(伊勢湾台風の死者・行方不明は5098人で、これも国内観測史上最大)、それに匹敵するものだったことになります。

 全体を通して、過去の天災の記録から、身を守るため教訓を引き出そうとする姿勢が貫かれており、後になるほどそのことに多くのページに書かれています。個人の遺した記録には生々しいものがあり、人間を主人公として書かれた防災史と言えます。一方で、天災に関する公式な記録は意外と少ないのか、それとも、著者が敢えて政治史的要素の強いもの(災害のシズル感の無いもの)は取り上げなかったのか、そのあたりはよく分かりません。

 2011年の東日本大震災が本書執筆の契機となっているかと思われます。ただし、著者の母親は、二歳の時に昭和南海津波に遭って、大人子供を問わず多くの犠牲者が出るなか助かったとのこと、しかも避難途中に一人はぐれて独力で生き延びたというのは二歳児としては奇跡的であり(そこで著者の母親が亡くなっていれば本書も無かったと)、そうしたこともあって災害史はかなり以前から著者の関心テーマであったようです。

 このような歴史学者による研究書が「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作になるのかと思う人もいるかもしれませんが(自分自身も若干そう思う)、過去には同じく歴史学者で今年['20年]亡くなった山本博文(1957-2020)氏の『江戸お留守居役の日記』('91年/読売新聞社、'94年/講談社学術文庫)が同賞を受賞しており(そちらの方が本書よりもっと堅い)、また、岩波新書の『ルポ貧困大国アメリカ』('08年)や『裁判の非情と人情』('08年)といった本も受賞しているので、中公新書である本書の受賞もありなのでしょう(前述のような個人的思い入れが込められて、またその理由が書かれていることもあるし)。

 最近、テレビでの露出が多く、分かりやすい解説が定評の著者ですが、文章も読みやすかったです。

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「脳を分けることができるなら?」という仮説を巡っての考察が新鮮だった。

「死」とは何か 完訳版1___.jpg『「死」とは何か 完全翻訳版』.jpg「死」とは何か.jpg 
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版

 イェール大学で20年以上続いている著者の「死」をテーマにした講義を書籍化したもので、2018年10月に384ページの「縮約版」が刊行され、翌2019年7月にそのほぼ倍の769ページに及ぶ「完訳版」が刊行されています。本書は前半が、「死」とは何かを考察する「形而上学」的なパートになっており、後半が、「死」にどう向き合うかという「人生哲学」的とでも言うべき内容になっていますが、縮約版では、

『「死」とは何か 完全翻訳版』2.jpg  第1講 「死」について考える
  第2講 二元論と物理主義
  第3講 「魂」は存在するか?
  第4講 デカルトの主張
  第5講 「魂の不滅性」についてのプラトンの見解
  第6講 「人格の同一性」について
  第7講 魂説、身体説、人格説――どの説を選ぶか?

  第8講 死の本質
  第9講 当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
  第10講 死はなぜ悪いのか
  第11講 不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
  第12講 死が教える「人生の価値」の測り方
  第13講 私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
  第14講 死に直面しながら生きる
  第15講 自殺

の全15講の内、第2講~第7講が割愛されていたようです。縮約版は結構話題になったものの、大幅な割愛に対する読者から不満もあったりして、完訳版の刊行となったようです。

 個人的には、後半の「人生哲学」的なパートも悪くなかったですが、結構ありきたりで、やはり前半の「死」とは何かを考察する「形而上学」的なパートが良かったです(実質的には第10講かその前ぐらいまでは、「形而上学」的な要素も結構含まれているとみることもできる)。この本の場合、「死」について考えることはそのまま、「心((魂)」とは何か、「自分」とは何かについて考えることに繋がっているように思いました。

 著者の立場としては、「人間=身体+心(魂)」であるという「二元論」を否定し、「人間=身体」であるという「物理主義」を支持しています。現代科学の趨勢からも、個人的にも、確かにそうだろうなあとは思います。つまり、「私」乃至「私の心」とは、ラジオ(身体)から流れてくる音楽(意識)のようなもの(宮城音弥『心とは何か』('81年/岩波新書))で、両者は一体であり、デカルトの言うように「身体」と「心」は別であるという「二元論」は成り立たないと。ただし、頭でそう思っても、無意識的に「二元論」的に自己を捉えている面があることも否定し得ないように思います。

 本書では(縮訳で割愛された部分だが)、デカルトの「二元論」や、プラトンの「魂の不滅性」に丁寧かつ慎重に反駁していくと共に、「人格の同一性」(=その同一なものこそが「私」であるという考え)について取り上げ、自分とは何かというテーマに深く入っていき、魂説、身体説、人格説のそれぞれを論理的に検証していきます。

 個人的に非常に興味深く思ったのは、魂説、身体説、人格説と並べれば、本書の流れからも身体説が有力であり、実際に本書では、「人格説への異論」を唱えることで「身体説」の有効性を手繰り寄せようとしていますが、同時に、身体説の限界についても考察している点です(第7講)。

 わかりやすく言えば、例えば誰かが他人から心臓移植を受けても、その人が「自分」であることは変わらないですが、脳の移植を受ければ、それは脳の持ち主が身体の持ち主になるということ。つまり、身体が滅んでも脳が生き延びれば「自分」は生き延びるということで、これがまさに「身体説」であるということかと思いますが(つまり、「自分」とは脳という「身体」の産物であるということ)、本書では、「脳を分けることができるとしたら?」という思考実験をしています。

 つまり(知人の子で、生後すぐに脳腫瘍の手術をして脳が片側しかない子がいて、それでも普通に生活しているが)、仮にある人の右脳と左脳をそれぞれ別の身体に移植したら、「人格」も「身体」も分裂できるのか?、その際に「魂」はどうなるのか?(ここで「魂」論が再び顔を出す)という問題を提起しており、ここから、「魂」も分裂できるのか?(この場合の「魂」は「意識」と言ってもいいのでは)、分裂できない場合、「魂」は誰のものか?、分裂できなければ魂なしの人間が生まれてしまうのか?、といった様々な難問が生じ、「魂」説はこの分裂の仮説に勝てず、さらに、圧倒的にまともに思えた「身体説」も同時に脆弱性を帯びてくるということです。

 個人的には、本書の中で、この「脳を分けることができるなら?」という仮説を巡っての考察が、今まで考えたことがなくて最も斬新に感じられ、それを考えさせてくれただけで、本書を読んだ価値はあったように思います。

 後半の「死」との向き合い方とでも言うか、死を通しての「人生の価値」の測り方(第12講)などは、どこかでこれまでも考えたことがあるような話であるし(「太く短く」がいいか「細く長く」がいいかとか、「終わり良ければすべて良し」なのかとかは、無意識的に誰もが考えているのでは)、死ぬまでに考えておくべきこと(第13講)、死と直面しながら生きるとはどういうことか(第14講)、自殺の問題(第15講)なども、ものすごく斬新な切り口というわけでもないように思いました。

 読者によっては、後半の方が「胸に響いた」という人がいてもおかしくないと思いますが、「余命宣告をされた学生が、"命をかけて"受けたいと願った」授業というキャッチコピーほどではないかも。既視感のある「人生哲学」よりも、やはり「形而上学」のパートがあってこその本書の面白さであり、その部分において新鮮な思考実験を示してくれていたので「◎」としました。
「死」とは何か 3.jpg

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「●相対性理論・量子論」の インデックッスへ 「●講談社現代新書」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(湯川秀樹) 「●岩波新書」の インデックッスへ

専門的な数式を避けて現代物理を解説『物理の世界』。アインシュタインの岩波版にも通じる。

物理の世界 講談社現代新書 旧カバー.jpg 物理の世界 講談社現代新書 新カバー.jpg 湯川秀樹 1949.jpg  物理学はいかに創られたか 上.jpg 物理学はいかに創られたか 下.jpg
物理の世界 (講談社現代新書)』['64年]湯川 秀樹/『物理学はいかに創られたか(上) (岩波新書)』『物理学はいかに創られたか(下) (岩波新書)』['39年]

物理の世界/物理学はいかに創られたか.JPG 『物理の世界』は1964年6月刊行で、執筆者に1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹(1907- 1981)博士の名があり、序文も湯川博士が書いていますが、当時は現役の京都大学教授でした(残り2人の著者、片山泰久(1926 - 1978)も当時京大教授で山田英二は助教授)。

物理の世界 真鍋.JPG 堅苦しい理論や専門的な数式を避けながら、現代物理の全体像とキー・ポイントを要領よく説いた入門書を創りたいという湯川博士の念願を実現したのが本書であるとのことで、そのためSFの手法を借りています(先に取り上げた相島 敏夫/丹羽小弥太 著『こんなことがまだわからない』('64年/ブルーバックス)と同じく、イラストは真鍋博)。

 例えば、全9話から成る本文のうち、第1話では、主人公たちの知る博士(SFに定番の所謂「ハカセ」)が、過去に存在した人間の脳を現代に呼び戻す装置を完成させたという前提のもと、アルキメデスやケプラー、プランクを呼び出して彼らに物理学の発見の歴史の話を訊くという設定で、第2話では、金星に向かう宇宙船の船内で、A氏とB氏が、主にニュートン力学に関する対話するといった具合です(A氏とかB氏という表現に真鍋博のイラストが似合う(笑))。こんな感じで最後までいき、最終章の第9話も、ギリシャのターレス、レウキッポス、ピタゴラスらを現代に呼び寄せて会話させるスタイルをとっていて、こうした会話部分は誰が書いたのでしょうか。話はニュートン力学からエネルギーとエントロピーの話になって、電波とは何か、分子・原子とは何かという話になり、相対性原理の話になって、最後は素粒子物理学の話になっていきます。

アルベルト・アインシュタイン.jpg これで思い出すのが、岩波新書のアインシュタインとインフェルトの共著『物理学はいかに創られたか(上・下)』で、1939年10月刊行という岩波新書が創刊された翌年に出た本ですが、こちらも、数式を一切使わずに、一般性相対理論や量子論まで展開される物理学の世界がコンパクトにまとめられています。

 話は古典力学から始まり(『物理の世界』もそうだった)、すべての現象は物体と物体との距離が決めるものであり、そこには引力や斥力が働く慣性の世界があるというニュートン力学の理論を第1章で解説し、第2章でその古典力学に反証を行い、第3章と第4章で、物理学を根本から覆してしまった相対性理論と量子力学を解説しています。

Albert Einstein converses with Leopold Infeld in Princeton.
Albert Einstein converses with Leopold Infeld.jpgレオポルト・インフェルト.jpg 共著者のレオポルト・インフェルト(1898-1968)はユダヤ系ポーランド人の物理学者で、アインシュタインはインフェルトのポーランドからの救出を米国に嘆願したものの、すでに何人ものユダヤ人の脱出を援助していたため効力が弱く、そこで、インフェルトとの共著でこの物理学の一般向けの本を書き、推薦書の代わりにしたとのことです。アメリカに渡ったインフェルトは1936年からプリンストン大学の教職に就き、アインシュタインの弟子となって、必ずしも数学が得意ではなかったアインシュタインに対して多くの数学的助言をしたとのことです(ブルーバックスに『アインシュタインの世界―物理学の革命』('75年)という著作がある)。

石原純 作品全集』Kindle版
石原純 作品全集.jpg また、翻訳者の石原純(1881-1947)は、理論物理学者であると同時に科学啓蒙家でもあり、西田幾多郎や九鬼周造にハイゼンベルクの不確定性原理をはじめとする当時最先端の物理学の知識を伝達したことでも知られている人で、科学雑誌の編集長をするなど一般の人向けにも啓発活動を行っており、 "科学ジャーナリスト"のはしりと言っていい人ではないかと思います。

 両著を比べると、『物理の世界』の方が相対論、量子論はさらっと流している印象で、相対論はやはり『物理学はいかに創られたか』の方が詳しいでしょうか(量子論の方は初歩的な解説して終わっている(笑))。ただ、同じ入門書でありながらも、『物理学はいかに創られたか』の方が、古い翻訳であるというのもあるかもしれませんが、少しだけ難解だったかもしれません。
 

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こんなことがまだわからない9.JPGこんなことがまだわからない0.JPGこんなことがまだわからない―科学を困らす24のナゾ.jpg
こんなことがまだわからない―科学を困らす24のナゾ (ブルーバックス 26)』['64年]
(本文イラスト:真鍋博

 科学ジャーナリストの相島敏夫(1905 - 1973)と科学評論家の丹羽小弥太(1917 - 1983)の共著で、1964年1月刊。ブルーバックスはその前年9月刊行の菊池誠『人工頭脳時代』が創刊第1号なので、同レーベルの中でもかなり初期にものとなります(刊行№は26)。取り上げられている科学の疑問は以下の24です。
 ・なぜ私たちはカゼをひくのか
 ・日本脳炎のウイルスは秋になるとどこへいくのか
こんなことがまだわからない20.JPG ・渡り鳥はなぜ渡る
 ・日本人はどこから来た
 ・太陽はなぜ熱いのか
 ・汗はなぜかく
 ・太陽の使者は私たちに何をもってくるか
 ・花はなぜ咲く
 ・何が雨をよぶのか
 ・海水から真水がとれないか
 ・泡にもナゾがある
 ・夢と眠りのふしぎ
 ・月世界はどんな所か
 ・宝石は合成できないか
 ・地震は予知できるのか
 ・地球の内部はのぞけないものか
 ・地球はほんとうにまるいのか
 ・知られざる塩
 ・どうして味や香りを感じるか
 ・アレルギーはどうしておこる
 ・ガンの正体はつきとめられたか
 ・内臓の交換はなぜむずかしいのか
 ・生きるということ

 「日常の科学」とでも言うか、生活に馴染みがある事象を多く取り上げていて、各テーマの中でも更に細分化されたテーマについて、わかっていることについては解説を、わからないことについてはどこまでがわかっていてどこまでがわかっていないかを丁寧に解説しています。

 何十年かぶりに読み返してみて、今でも依然わかっていないことの方が多いように思えました。大体、科学というものは、わかればわかっただけ、新たにわからないことが多くなるのだろうなあという気がします。

 両著者がそれぞれ「暮らしの手帖」と「婦人画報」に連載したものに加筆したもので、だから身近な事象を多く取り上げているのだとは思いますが、細分化されたテーマの解説などのなかにはかなり専門的な話もあり、密度が濃く、手抜きされてはいないという印象を受けます。昭和30年代から40年代にかけて、日本人の間に強い科学指向があったのではないかなと思います。

 2013年に版元がブルーバックスの刊行50周年を記念して「発行部数ランキング」を「創刊50年の通算ランキング ベスト20」と「21世紀のランキング ベスト10」に分けて発表していますが(本書は19位にランクインしている)、ベスト20のほとんどが60年代か70年代の刊行です(2017年に通算2000番突破を記念して新ランキングが発表されたが「21世紀のランキング ベスト10」の第10位以外は変わっていない)。

 う~ん、他にも「サイエンス・アイ新書」('06年創刊)のようなサイエンス系の新書レーベルが創刊されたりしたこともあったかもしれませんが、「PHPサイエンス・ワールド新書」('08年創刊)が休刊になったりするなど、全体のパイ自体がそれほど増えていない気がします。サイエンス系に関心を持つ生徒や学生の裾野が狭まっているようにも思えますが、どうなのでしょうか。

《読書MEMO》
●ブルーバックス創刊50年の通算ランキング ベスト20(2013年)
1 1998『子どもにウケる科学手品77』 後藤道夫
2 1975『ブラックホール』 ジョン・テイラー
3 1966『相対性理論の世界』 ジェームズ・A.コールマン
4 1968『四次元の世界』 都筑卓司
パズル・物理入門(旧).gif5 1967『パズル・物理学入門』 都筑卓司
6 1965『量子力学の世界』 片山泰久
7 1970『マックスウェルの悪魔』 都筑卓司
8 1965『計画の科学』 加藤昭吉
9 1968『統計でウソをつく法』 ダレル・ハフ
10 1969『電気に強くなる』 橋本尚
11 1971『タイムマシンの話』 都筑卓司
12 1978『相対論はいかにしてつくられたか』 リンカーン・バーネット
13 1974『相対論的宇宙論』 佐藤文隆/松田卓也
14 1972『新・パズル物理入門 都筑卓司
15 1970『不確定性原理』 都筑卓司
16 1968『確率の世界』 ダレル・ハフ
17 2001『記憶力を強くする』 池谷裕二(21世紀のランキング1位)
18 1968『推計学のすすめ』 佐藤 信
こんなことがまだわからない―科学を困らす24のナゾ.jpg19 1964『こんなことがまだわからない』 相島敏夫/丹羽小彌太
20 1977『マイ・コンピュータ入門』 安田寿明
●21世紀のランキング ベスト10(2013年)
1 2001『記憶力を強くする』 池谷裕二
分かりやすい説明の技術.jpg2 2002『「分かりやすい説明」の技術』 藤沢晃治
進化しすぎた脳 中高生と語る〈大脳生理学〉の最前線.jpg3 2007『進化しすぎた脳』 池谷裕二
4 2005『計算力を強くする』 鍵本 聡
5 2004『大人のための算数練習帳』 佐藤恒雄
6 2005『マニュアル不要のパソコン術』 朝日新聞be編集部
7 2001『化学・意表を突かれる身近な疑問』 日本化学会
8 2004『「分かりやすい文章」の技術』 藤沢晃治
村山斉 『宇宙は本当にひとつなのか』.jpg9 2011『宇宙は本当にひとつなのか』 村山 斉
算数パズル「出しっこ問題」傑作選.jpg10 2001『算数パズル「出しっこ問題」傑作選』 仲田紀夫

   
●2017年発表版

 2013年版との違いは、「21世紀」のランキングの第10位が入れ替わっているのみ
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rekidai2.png
創刊(1963年)〜90年代まで
創刊(1963年)〜90年代まで.jpg
2000年代〜現在(2017年)まで
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楽しく読める『中国の名句・名言』。日本人論としても読める『日本の名句・名言』

中国の名句・名言 日本の名句・名言7.JPG中国の名句・名言 (講談社現代新書).jpg 日本の名句・名言 (講談社現代新書).jpg
中国の名句・名言 (講談社現代新書)』『日本の名句・名言 (講談社現代新書)

中国の名句名言_0413.JPG 中国文学者の村上哲見(1930- )東北大学名誉教授の56歳の頃の著書で、同じ講談社現代新書に姉妹書として同著者の『漢詩の名句・名吟』('90年)があります。また、これも講談社現代新書で、増原良彦氏の『日本の名句・名言』('88年)というのもあります。中国の名句・名言を、テーマに沿って取り上げ、わかりやすく解説しています。

 第1章「春・秋」では、『唐詩選』にある孟浩然の「春眠 暁を覚えず」、宋の詩人・蘇東坡(蘇軾)の「春宵一刻値千金」から始まって、これも『唐詩選』にある劉廷芝の「年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず」、張継の「月落ち鳥啼いて 霧 天に満つ」などが紹介されています。

楊貴妃.jpg西施.jpg 第2章「美人・白楽天二題」では、まずは「明眸皓歯」で、これは、杜甫が「哀江頭」において、玄宗皇帝の寵愛を受けながらも無残な最期を遂げた楊貴妃のことを悼んだもの。「顰に倣う」は「荘子』にあり、こちらは越王(勾践(こうせん)の復讐の道具として使われた悲劇のヒロインである西施(せいし)ですが、紀元前500年くらいの人なんだなあ。

 第3章「項羽と劉邦・勝負」では、やはり項羽の「四面楚歌」が最初にきて、「虞や虞や 若を奈何せん」と、虞美人が登場。「背水の陣」を布いたのは、劉邦の麾下の韓信でした。垓下の包囲を脱出したものの、天命を悟って自刎した項羽でしたが、後に晩唐の詩人・杜牧に「題烏江亭」で「捲土重来」(まきかえし)が出来たかもしれないにと謳われます。「彼を知り己を知らば、百戦殆うからず」は『孫子』、「先んずれば人を制す」は『史記』でした。

中国の名句名言_0412.JPG 第4章「政治・戦争」では、「朝令暮改」「朝三暮四」「五十歩百歩」とお馴染みの故事成語が続きますが、やはり杜甫の「春望」の「国破れて山河在り」が有名。これ、『唐詩選』には入ってないそうですが、日本人に馴染みが深いのは、芭蕉が『おくのほそ道』で引用したのと、あと著者は、日本人の敗戦の時の心象と重なるからだと分析しています。ただし、安禄山が唐を破った(亡ぼした)わけではなく、この詩における「国破れて」は戦乱で首都・長安の一帯が破壊されたことをさすとのことです。

 第5章「人生・白髪・無常」では、杜甫の「人生七十 古来稀なり」から始まって、『唐詩選』の魏徴の詩「述懐」にある「人生意気に感ず」、李白の五言絶句「秋浦歌」の「白髪三千丈」、同じく唐の張九齢の「宿昔 青雲の志 蹉たたり 白髪の年」、陶淵明の「歳月 人を待たず」まどなど続きますが、後の二つは何だか侘しい。

 第6章「酒」で最初にくるのは「酒は百薬の長」で、班固の『漢書』にあるから古くから言われているのだなあと思ったら、漢の帝位を奪った王莽が、財政困難を脱するため酒を専売にした際のスローガンのようなものだったのかあ。「一杯 一杯 復た一杯」は李白でした。

 第7章「修養・『論語』より」では、『周易』の「君子豹変」(悪い意味で使われることが多いが、実は"立派になる"こと)から始まって、『大学』の「小人閑居して不善を為す」、『論語』の「巧言令色鮮なし仁」「過ちを改むるに憚ること勿れ」「過ぎたるはなほ及ばざるがごとし」「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と、この辺り、いかにも論語らしいなあと。

 著者の個人的体験や世評風のコメントも織り交ぜ、エッセイ感覚で楽しく読めます。

日本の名句・名言0416.JPG 増原良彦(1936- )氏の『日本の名句・名言』も、同じような趣旨でまとめられていて、こちらも楽しく読めました。ただ、中国の故事成語のようにピタッと漢字四文字前後で"決まる"ものがほとんどなく、例えば「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とか、「何せうぞ、くすんで、一期は夢よ。ただ狂へ」とか、やや長めのものが多くなっています。

 『古今和歌集』から石川啄木、井伏鱒二まで広く日本の名句・名言を拾っていますが、良寛の「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候」や、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」、一休禅師の「門松は めいどのたびの一里づか 馬かごもなく とまりやもなし」のように、仏教の先人たちの言葉が散見されます。これは、増原氏のペンネームが「ひろさちや」であると言えば、「ああ、あの仏教の「ひろさちや」.jpgヒトか」ということで、多くの人が思い当たるのではないかと思います。

 ただ、本書に関して言えば、宗教臭さは無く、むしろ、ある種、日本人論としても読めるものとなっています。『論語』をはじめ、中国の影響を多分に受けていることが窺えますが、日本と中国で「忠」と「孝」の優先順位が逆転した(中国では「孝」が上、日本では「忠」が上)という論は興味深かったです(これ、中根千枝氏が『タテ社会の人間関係』('67年/講談社現代新書)で述べていることにも通じるかもしれない)。本名の増原良彦名義で同じ講談社現代新書に『説得術』('83年)、『タテマエとホンネ』('84年)という著作があります。

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タイトルに違わぬ、故事成句でたどる「楽しい中国史」。

故事成句でたどる楽しい中国史.jpg
  井波 律子.jpg 井波律子氏(国際日本文化研究センター教授)
故事成句でたどる楽しい中国史 (岩波ジュニア新書)

 今年['20年]5月に亡くなった「三国志演義」など翻訳で知られる、国際日本文化研究センター名誉教授の井波律子氏の著書。死因は肺炎と報じられていますが、3月に京都市内の自宅で転倒して頭を打ち入院、誤嚥性肺炎を併発したようで、精力的に活動していただけに、76歳の死は惜しまれます。

 本書は、神話・伝説の時代から清王朝の滅亡に至るまでの歴史を、その時々に生まれた故事成句を紹介しながら解説したものです。別の見方をすれば、故事成句を繋いで歴史解説をしたような形になっているとも言え、それが可能だということは、いかに多くの故事成句が中国史の過程で生まれたかということになり、中国文化の一つの特徴を端的に示しているようにも思えます。全6章から成り、その時代を代表する故事成句が各章のタイトルにきています。

 第1章(五帝時代、亡国の君主たち)のタイトルは「覆水盆に返らず」で、これは太公望が自分が出世したら復縁を求めてきた元妻に言ったもの。そのほか、理想の君主・尭舜の時代の「鼓腹撃壌」や、妲己に溺れた紂王の「酒池肉林」など、優れた君主とダメ君主が交互に出てきて、故事成句の天と地の間を行ったり来たりしている印象です。

 第2章(春秋五覇、孔子の登場、戦国の群像、西方の大国・秦)のタイトルがあの超有名な「呉越同舟」で、そのほか、宮城谷昌光『管仲』('03年/角川書店)でも描かれた一度は敵味方になってしまった管仲と鮑叔の友情(二千七百年前の!)に由来する「管鮑の交わり」、かける必要のない情けをかけてしまった「宋襄の仁」、その他「恨み骨髄に入る」「屍に鞭うつ」と、春秋時代は戦さ絡みがとりわけ多く、「呉越同舟」もその類です。孔子が出てきて、「巧言令色、鮮し仁」とかやや道徳的になるものの、荘子になると「胡蝶の夢」とぐっと哲学的になります。時代は戦国に入って、秦が覇権を握るまで乱世は続きますが、これも宮城谷昌光の『孟嘗君』('95年/講談社)に出てくる「鶏鳴狗盗」とか、この辺りは日本の小説家でいえば宮城谷昌光氏の独壇場?

 第3章(秦の始皇帝、漢楚の戦い、前漢・後漢王朝)のタイトルは班超の「水清ければ魚棲まず」。司馬遼太郎の『項羽と劉邦』('80年/新潮社)にも描かれている項羽と劉邦の戦いにおいては、「鴻門の会」とかありましたが、これはむしろ出来事であり、負けるが勝ちを意味する「韓信の股くぐり」の方が故事成語っぽいでしょうか。「国士無双」「背水の陣」も韓信。一方の項羽が耳にした「四面楚歌」は有名(あれって劉邦の軍師・張良の策略ではなかったっけ)。そして、武勇で知られた韓信も、劉邦の妻・呂后の粛清に遭い、「狡兎死して走狗煮らる」と嘆くことに。その後に起こった漢も、最初は良かった武帝が晩年は「傾城・傾国」の美女に溺れてしまいます。そう言えば、後漢の班超は、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という言葉も遺していました。

 第4章(三国分立、諸王朝の興亡)のタイトルは「破竹の勢い」「治世の能臣、乱世の奸雄」と言われた魏の曹操、「三顧の礼」で諸葛亮を迎え入れた蜀の劉備、そして、劉備と同盟し赤壁の戦いに曹操を破った呉の孫権と、まさに「三国志」の時代。「泣いて馬謖を斬る」ことで信賞必罰の規範を示した諸葛亮は、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とまで言われますが、その死とともに三国志の時代は終わります。「破竹の勢い」で西晋の全土統一に貢献したのは杜預ですが、統一とともに王朝の衰亡が始まるという典型例で、西晋滅亡後三百年も混乱と分断の時代は続きます。

 第5章(唐・三百年の王朝、士大夫文化の台頭)のタイトルは孟浩然の「春眠暁を覚えず」で、ちょっと落ち着いてきたか。それでも、安史の乱があり、安禄山軍に一時拘束された杜甫が「国破れて山河在り」と謳っているし、黄巣の乱では曹松が「一将 功成りて 万骨枯る」と。この辺りは、故事成語というより七言絶句などの故事成句が多く、蘇軾の「春宵一刻直千金」などもそう。時代は五代十国を経て北宋、南宋へ。

 第6章(耶律楚材と王陽明、最後の王朝)のタイトルは「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」で、これ、明代の王陽明の言葉ですが、何だか日本の時代劇でも聞きそうな印象があります。この章は元・明・清の各代をカバーしてますが、太古の戦国の時代のような、短くバシッと決まった故事成語は少なくなってきた印象も受けます。

 以上、各章の故事成句をほんの一部だけ拾いましたが、全体としては陳舜臣の『小説十八史略』('77年/毎日新聞社)を圧縮して読んだような印象です。ジュニア新書でありながらも、こうした本が書けるということは、文学だけでなく歴史にも通暁している必要があり、著者自身は六朝文学が専門の研究者でありながら、その知識の裾野の広さは、ある種"学際的"と言ってもいいのかもしれません(同著者の『奇人と異才の中国史』('05年/岩波新書)にも同じことが言える)。

 昔はこうした、専門分野に限定されず本を書ける学者が多くいたような気がし、中国文学で言えば吉川幸次郎などはそうであったように思いますが、著者は吉川幸次郎に学んだ最後の高弟でもあります。小学生のころの自分を「耳年増(どしま)」と描写していて、京都・西陣の家に近い映画館街に通いつめ、中学に入る前に都合2千本も見たせいだといい、そうした専門分野に捉われない素養が早くから培われたのかもしれません。タイトルに違わぬ「楽しい中国史」でした。

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かなりマニアック? 観た映画があると嬉しいくらい、知らない映画が多かった。

日本映画隠れた名作-昭和30年代前後- 中公選書.jpg日本映画隠れた名作-昭和30年代前後- 中公選書 - コピー.jpg 秀子の応援団長 vhs.jpg
日本映画 隠れた名作 - 昭和30年代前後 (中公選書)』 「秀子の応援団長」高峰秀子/灰田勝彦

 サブタイトルに、「昭和30年前後」とあり、昭和19年生まれの川本三郎氏と、昭和23年生まれの筒井清忠氏の二人の対談形式で、しかも二人とも早くから映画を見始めているということもあって、自ずとそうなるのかもしれません。ただ、読んでみると、「昭和30年前後」の「前後」をかなり幅広い年代にわたって解釈している印象も受けました。かなりマニアック? と言うか、観たことがある映画があると嬉しいくらい、知らない映画が多かったです。

「魔像」(昭和27年)山田五十鈴/阪東妻三郎(二役)
魔像  1952jh.jpg 第1章(「ふたりの映画回想」)で、二人の個人的映画史を一気に振り返っています。川本氏が一番最初の頃に見た映画の一つに、坂東妻三郎の「魔像」(昭和27年)を挙げていて、怖かった覚えがあると述べていますが(坂東妻三郎が二役を演じた)、8歳頃でしょうか。自分も観たことがある映画が出てきて、一瞬ついて行けるかなと思いましたが、どんどんマニアックになっていきました。「二十四の瞳」(昭和29年)や「東京物語」(昭和28年)のような「隠れた名作」ならぬ超有名映画の話も出てきますが、これはあくまで「戦争」という話題に絡めてのことのようです。久松静児監督作は、川本氏が江戸川乱歩「心理試験」の映画化である「パレットナイフの殺人」(昭和21年)をビデオで観たそうで、筒井氏は同監督作では「三面鏡の恐怖愛よ星と共に 01.jpg(昭和23年)を挙げています。北海道つながりで、川本氏が小津安二郎監督の「東京暮色」(昭和32年)の中村伸郎と山田五十鈴が最後北海道に行くことを指摘、さらに、池部良、高峰秀子の「愛よ星と共に」(阿部豊監督、昭和22年)で、池部良が北海道にジャガイモの品種改良に行くと。当時「北海道に行けば何とかなる」という夢があったとのことですが、小津安二郎監督の「出来ごころ」(昭和9年)でも、坂本武が北海道に行く開拓民船(蟹工船?)に乗り込み金を工面しようとしたのではなかったでしょうか。

「愛よ星と共に」(昭和22年)高峰秀子

「黒い画集・寒流」(昭和36年)新玉三千代/池部良
黒い画集 寒流01.jpg 第2章以下は主に監督別に「隠れた名作」を振り返っていて、第2章(「戦後」の光景)では、家城巳代治、鈴木英夫、千葉泰樹、渋谷実、関川秀雄などが取り上げられています。この辺りの監督、あまり観ていないなあと思いつつも、川本氏が、池部良が出てくる清張ミステリーで、新玉三千代がファム・ファタルになる鈴木英夫監督の「黒い画集・寒流」(昭和36年)を忘れられないとし、筒井氏も、人間というのはこういうふうに裏切るんだということがわかる逸品としていて、確かにそう思います。千葉泰樹監督作では、川本氏が、高峰秀子、灰田勝彦共演の「秀子の応援団長」(昭和15年)で、実は二人が一緒の場面が無いことを指摘、川本氏が以前に高峰秀子にインタビューした時、彼女が「あの映画で私、灰本日休診_3.jpg田勝彦さんの顔を見ていないのよ」と言っていたそうで、ビデオジャケットでも共に並んで写っているだけにやや驚きました。筒井氏が戦前の映画とは思えず、戦後的であると言っているのにも納得です。渋谷実監督作は個人的には「本日休診」(昭和27年)しか観ていませんが、川本氏が、好きなのはこの作品くらいかなと言っています(笑)。

「本日休診」(昭和27年)岸恵子/柳永二郎

 第3章(「純真」をみつめて)では、清水宏、川頭義郎、村山新治、田坂具隆などの監督に触れています。ただ、個人的には、この中では清水宏などは〈巨匠〉と清水宏監督 『簪』 1941 .jpg呼ぶ人もいるのではないかなあと。しかしながら、世間一般の知名度で言うと、小津安二郎などよりはマイナーということになるのかもしれません。井伏鱒二「四つの湯槽」の映画化作品「」(昭和16年)を筒井氏が名作とし、川本氏もいいですよと言っています。温泉が舞台で、負傷兵の笠智衆が温泉で湯治いているところへ、田中絹代が身延山参りでやって来る話でしたが、井伏鱒二の定宿が下部温泉にあったそうですが、映画のロケはそこではやっていないそうです。斎藤達雄の大学教授は、あれはインテリ批判だったのかあ。川頭義郎監督は、俳優川津祐介の実兄ですが、早くに亡くなったなあ。

「簪」(昭和16年)田中絹代/笠智衆

「張り込み」(昭和33年)大木実/高峰秀子
『張込み』(1958)2.jpg張込み 1958汽車.png 第4章(「大衆」の獲得)では、滝沢英輔、野村芳太郎、堀川弘通、佐伯清、沢島忠、小杉勇などの監督を扱っています。この中で、川本氏も述べているように、松本清張作品と言えば野村芳太郎になるなあと。「張り込み」(昭和33年)では、アバンタイトル(タイトルが出る前のシーン)が12分もあったのかあ。当時としては珍しかったようです。でも、川本氏が証言2.bmp黒い画集 あるサラリーマンの証言.jpg言うように、宮口精二と大木実が夜行に乗り込んで、東海道本線、山陽本線を経由して、ようやっと佐賀についたところでタイトルが出るのですが、そこまで行くのに丸一日かかったというところに時代が感じられ、良かったです(あれを今の時代に再現するのは難しため、結局テレビでドラマ化されるとどれも今の時代に改変されてしまう)。筒井氏は「砂の器」(昭和49年)と共に大傑作としていますが、確かにそうだけれど、その分"隠れた名作"と言えるのかは疑問です。同じ清張原作でも、「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(昭和35年)は堀川弘通監督作でした。

「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(昭和35年)小林桂樹/原知佐子

エノケンの森の石松 yanagiya .jpg 第5章(「職人」の手さばき)では、中村登、大庭秀雄、丸山誠治、中川信夫、西河克己などに触れていますが、まさに職人というべき監督ばかりかも。中川信夫は「東海道四谷怪談」(昭和34年)が有名ですが、初期作品で「エノケンの森の石松」(昭和14年)というのがあり、あれも舞台は東海道でした(エノケンと柳家金語楼の「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」の掛け合いが)。西河克己は、吉永小百合の「伊豆の踊子」(昭和38年)を撮っていますが、山口百恵の「伊豆の踊子」(昭和49年)も撮っていました。筒井氏は吉永小百合の方が叙情性があると評価していますが、撮られた時代もあるのだろうなあ。

「エノケンの森の石松」(昭和14年)柳家金語楼/榎本健一

 ここにはあまり書きませんでしたが、知っている映画より知らない映画の方がずっと多く、興味をそそられたものが少なからずありました。ただ、そうした映画を今観るのがなかなか難しかったりするのではないかと思います。川本氏は90年代に東京・三軒茶屋にあったスタジオams(西友の5階にあった)に395秀子の応援団長.JPG407秀子の応援団長.JPG通ったそうですが今はもうないし、京橋フィルム・センターやシネマヴェーラ渋谷、ユジク阿佐ヶ谷がマニアックなプログラムを組むことがありますが、邦画に限っていないのでなかなか本書にあるような作品に巡り合わないです(ユジク阿佐ヶ谷は来月['20年8月]で休館する)。結局、筒井氏がCSの「日本映画専門チャンネル」などで殆ど観たと述べているように、そうしたものに加入するしかないのかも。最近、図書館で「日本映画傑作選集」の「秀子の応援団長」を借りて観ましたが、こうしたものを置いている図書館も少なくなってきているのかもしれません(VHSビデオだしなあ。個人的にはテレビデオで観ているが)。

hideo秀子の応援団長.jpg 「秀子の応援団長」(昭和15年)は、当時少女スターとして活躍していた高峰秀子が、弱少プロ野球球団アトラス軍の応援歌を作って見事チームを優勝へと導くという青春映画でした。アトラス軍は、かつて大黒柱だった大川投手が出征しているため、新人の人丸投手(灰田勝彦)が登板しますが、スタルヒンや水原を擁する巨人軍との力量の差は明らかでチームは最下位に甘んじ、アトラス軍の高島監督(千田是也)の家族達は憂い顔。高島家の祖母(清川玉枝)や娘の雪子(若原春江)と一緒に憂い顔なのが雪子の従妹で社長令嬢の女学生・秀子(高峰秀子)で、父親(小杉義男)は野球嫌い、教育熱心な母親(沢村貞子)には謡のお稽古をさせられるも、雪子と一緒にこっそりアトラス軍の練習場へ出かけて二人が作った応援歌を披露したり、謡の先生も野球好きと知り先生を説得して親に内緒で一緒に後楽園に応援に出かけたりするうちに、彼女達が応援に来た試合はアトラス軍面白いように勝ちはじめる―。

秀子の応援団長 0.jpg 高峰秀子と灰田勝彦は、会話シーンもればそのプレイを応援するシーンもあり、祝勝パーティで灰田勝彦がウクレレ片手に歌って高峰秀子も同席しているシーンもあったりしますが、あれ全部"別撮り"だったのかあ。そう言えば、冒頭のスタルヒンや水原らスター選手がいる巨人軍との試合も、本当に試合するはずもなく全部"別撮り"だというのは考えてみればすぐ分かります。秀子らが各球団の戦力偵察に行く設定なので、当時の主要球団の有力選手並びに戦前の後楽園球場、上井草球場?、西宮球場、甲子園球場なども見られ、スポーツ・フィルム史的にみて貴重です。太平洋戦争が始ま394秀子の応援団長.JPGる2年弱前に作られた作品にしては何と明るいこ千田是也.jpgとか(お気楽と言っていいくらいだが、コメディのツボは押さえていて、しかもラストは少し捻っている)。灰田勝彦がプロ球団の投手役というのも見ものですが、戦後、俳優座のリーダー的存在として活躍した千田是也(1904-1994)が、プロ野球の監督役というのが珍しいです。千田是也はテレビドラマへの出演はほとんど皆無ですが、1940年代から1970年代頃まで約100本の映画に出演していて、この作品はそのうちの最も初期のものとなります。
千田是也/若原春江/高峰秀子
秀子の應援團長 【東宝DVD名作セレクション】」2020年12月リリース
秀子の應援團長.jpg

魔像 19562.JPG魔像 dvd 19521.jpg「魔像」●制作年:1952年●監督:大曾根辰夫●脚本:鈴木兵吾●撮影:石本秀雄●音楽:鈴木静一●原作:林不忘●時間:98分●出演:阪東妻三郎/津島恵子/山田五十鈴/柳永二郎/三島雅夫/香川良介/小林重四郎/小堀誠/永田光男/海江田譲二/田中謙三/戸上城太郎●公開:1952/05●配給:松竹(評価:★★★☆)

二十四の瞳312.jpg「二十四の瞳」●制作年:1954年●監督・脚本:木下惠介●製作:桑田良太郎●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:壺井栄●時間:156分●出演:高峰秀子/天本英世/夏川静江/笠智衆/浦辺粂子/明石潮/高橋豊子/小林十九二/草香田鶴子/清川虹子/高原駿雄/浪花千栄子/田村高廣/三浦礼/渡辺四郎/戸井田康国/大槻義一/清水龍雄/月丘夢路/篠原都代子/井川邦子/小林トシ子/永井美子●公開:1954/09●配給:松竹●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(18-05-08)(評価:★★★★☆)

笠智衆/原節子/東山千榮子
東京物語 紀子のアパート.jpg東京物語 10.jpg「東京物語」●制作年:1953年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎藤高順●時間:136分●出演:笠智衆/東山千榮子/原節子/香川京子/三宅邦子/杉村春子/中村伸郎/山村聰/大坂志郎/十朱久雄/東野英治郎/長岡輝子/高橋豊子/桜むつ子/村瀬禪/安部徹/三谷幸子/毛利充宏/阿南純子/水木涼子/戸川美子/糸川和広●公開:1953/11●配給:松竹●最初に観た場所:三鷹オスカー(82-09-12)(評価:★★★★☆)●併映:「彼岸花」(小津安二郎)/「秋刀魚の味」(小津安二郎)

パレットナイフの殺人1.jpgパレットナイフの殺人22.jpgパレットナイフの殺人s.jpg「パレットナイフの殺人」●制作年:1946年●製作:大映(東京撮影所)●監督:久松静児●脚本:.高岩肇●撮影:高橋通夫●音楽:斎藤一郎●原作:江戸川乱歩●時間:71分(76分)●出演:宇佐美淳(宇佐美淳也)/植村謙二郎/小柴幹治(三条雅也)/小牧由紀子/松山金嶺/平井岐代子/西條秀子/若原初子/須藤恒子/上代勇吉/花布辰男/桂木輝夫●公開:1946/10●配給:大映(評価:★★★)

三面鏡の恐怖 vhs.jpg三面鏡の恐怖(1948)6.jpg三面鏡の恐怖06.jpg「三面鏡の恐怖」●制作年:1948年●監督:久松静児●●脚本:高岩肇/久松静児●撮影:高橋通夫●音楽:齋藤一郎●原作:木々高太郎「三面鏡の恐怖」●時間:82分●出演:木暮実千代/上原謙/新宮<信子/瀧花久子/水原洋一/宮崎準之助/船越英二/千明みゆき/上代勇吉●公開:1948/06●配給:大映(評価:★★★)

有馬稲子/山田五十鈴/原節子
東京暮色  1957.jpg 東京暮色 j.jpeg「東京暮色」●制作年:1954年●監督:小津安二郎●製作:山内静夫●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎藤高順●時間:140分●出演:原節子/有馬稲子/笠智衆/山田五十鈴/高橋貞二/田浦正巳/杉村春子/山村聰/信欣三/藤原釜足/中村伸郎/宮口精二/須賀不二夫/浦辺粂子/三好栄子/田中春男/山本和子/長岡輝子/櫻むつ子/増田順二/長谷部朋香/森教子/菅原通済(特別出演)/石山龍児●公開:1957/04●配給:松竹●最初に観た場所(再見):角川シネマ新宿(シネマ1・小津4K 巨匠が見つめた7つの家族)(18-06-28)((評価:★★★★)

愛よ星と共に vhs.jpg愛よ星と共に4.jpg「愛よ星と共に」●制作年:1947年●監督:阿部豊●製作:青柳信雄●製作会社:新東宝・映画芸術協会●脚本:八田尚之●撮影:小原譲治●音楽:早坂文雄●時間:95分●出演:高峰秀子/池部良/横山運平/浦辺粂子/川部守一/藤田進/逢初夢子/清川莊司/一の宮あつ子/田中春男/鳥羽陽之助/冬木京三/鬼頭善一郎/江川宇礼雄/山室耕/花岡菊子/條圭子/水島三千代●公開:1947/09●配給:東宝(評価:★★★)

「出来ごころ」vhs.jpg出来ごころ 1シーン.jpg「出来ごころ」●制作年:1933年●監督:小津安二郎●脚本:池田忠雄●撮影:杉本正二郎●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松田春翠●時間:100分●出演:坂本武/伏見信子/大日方傳/飯田蝶子/突貫小僧/谷麗光/西村青児/加藤清一/山田長正/石山隆嗣/笠智衆(ノンクレジット)●公開:1933/09●配給:松竹蒲田●最初に観た場所:ACTミニシアター(90-08-13)(評価:★★★)●併映:「浮草物語」(小津安二郎)

平田昭彦/新珠三千代/池部良
黒い画集 寒流03.jpg黒い画集 寒流 ド.jpg「黒い画集 第二話 寒流(黒い画集 寒流)」(映画)●制作年:1961年●監督:鈴木英夫●製作:三輪礼二●脚本:若尾徳平●撮影:逢沢譲●音楽:斎藤一郎●原作:松本清志「寒流」●時間:96分●出演:池部良/荒木道子/吉岡恵子/多田道男/新珠三千代/平田昭彦/小川虎之助/中村伸郎/小栗一也/松本染升/宮口精二/志村喬/北川町子/丹波哲郎/田島義文/中山豊/広瀬正一/梅野公子/池田正二/宇野晃司/西条康彦/堤康久/加代キミ子/飛鳥みさ子/上村幸之/浜村純/西條竜介/坂本晴哉/岡部正/草川直也/大前亘/由起卓也/山田圭介/吉頂寺晃/伊藤実/勝本圭一郎/松本光男/加藤茂雄/細川隆一/大川秀子/山本青位●公開:1961/11●配給:東宝(評価:★★★☆)

鶴田浩二/角梨枝子/淡島千景
『本日休診』スチル2.jpg本日休診 スチル.jpg「本日休診」●制作年:1939年●監督:渋谷実●脚本:斎藤良輔●撮影:長岡博之●音楽 吉沢博/奥村一●原作:井伏鱒二●時間:97分●出演:柳永二郎/淡島千景/鶴田浩二/角梨枝子/長岡輝子/三國連太郎/田村秋子/佐田啓二/岸恵子/市川紅梅(市川翠扇)/中村伸郎/十朱久雄/増田順司/望月優子/諸角啓二郎/紅沢葉子/山路義人/水上令子/稲川忠完/多々良純●公開:1952/02●配給:松竹(評価:★★★★)

斎藤達雄  
簪 齋藤.jpg簪 kanzashi 1941.jpg「簪(かんざし)」●制作年:1941年●監督・脚本:清水宏●製作:新井康之●撮影:猪飼助太郎●音楽:浅井挙曄●原作:井伏鱒二「かんざし(四つの湯槽)」●時間:75分●出演:田中絹代/笠智衆/斎藤達雄/川崎弘子/日守新一/坂本武/三村秀子/河原侃二/爆弾小僧/大塚正義/油井宗信/大杉恒夫/松本行司/寺田佳世子●公開:1941/08●配給:松竹(評価:★★★★)
      
大木実/宮口精二
大木実/宮口精二 張込み.jpg張込み 映画2.jpg「張込み」●制作年:1958年●製作:小倉武志(企画)●監督:野村芳太郎●脚本:橋本忍●撮影:井上晴二●音楽:黛敏郎●原作:松本清張「張張込み 1958汽車2.png込み」●時間:116分●出演:大木実/宮口精二/高峰秀子/田村高廣/高千穂ひづる/内田良平/菅井きん/藤原釜足/清水将夫/浦辺粂子/多々良純/芦田伸介●公開:1958/01●配給:松竹●最初に観た場所:池袋文芸地下(84-02-22)(評価★★★☆)
Suna no utsuwa (1974)  丹波哲郎/森田健作        
Suna no utsuwa (1974).jpg砂の器sunanoutuwa 1.jpg「砂の器」●制作年:1974年●製作:橋本プロ・松竹●監督:野村芳太郎●脚本:橋本忍/山田洋次●音楽:芥川也寸志●原作:松本清張●時間:143分●出演:丹波哲郎/森田健作/加藤砂の器 丹波哲郎s.jpg剛/加藤嘉/緒形拳/山口果林/島田陽子/佐分利信/渥美清/笠智衆/夏純子/松山省二/内藤武敏/春川ますみ/花沢徳衛/浜村純/穂積隆信/山谷初男/菅井きん/殿山泰司/加藤健一/春田和秀/稲葉義男/信欣三/松本克平/ふじたあさや/野村昭子/今井和子/猪俣光世/高瀬ゆり/後藤陽吉/森三平太/今橋恒/櫻片達雄/瀬良明/久保晶/中本維年/松田明/西島悌四郎/土田桂司/丹古母鬼馬二●公開:1974/10●配給:松竹●最初に観た場所:池袋文芸地下(84-02-19) (評価★★★★)●併映:「球形の荒野」(貞永方久)

小林桂樹/原知佐子
黒い画集 あるサラリーマンの証言      .jpg黒い画集 あるサラリーマンの証言    .jpg「黒い画集 あるサラリーマンの証言」●制作年:1960年●監督:堀川弘通●製作:大塚和/高島幸夫●脚本:橋本忍●撮影:中井朝一●原作:松本清張「証言」●時間:95分●出演:小林桂樹/中北千枝子/平山瑛子/依田宣/原知佐子/江原達治/中丸忠雄/西村晃/平田昭彦/小池朝雄/織田政雄/菅井きん/小西瑠美/児玉清/中村伸郎/小栗一也/佐田豊/三津田健●公開:1960/03●配給:東宝●最初に観た場所:池袋文芸地下 (88-01-23)(評価★★★☆)

エノケンの森の石松 vhs1.jpg「エノケンの森の石松」●制作年:1939年●監督:中川信夫●脚本:小林正●撮影:唐沢弘光●音楽:栗原重一●口演:広沢虎造●原作:和田五雄●時間:72分(現存57分)●出演:榎本健一/鳥羽陽之助/浮田左武郎/松ノボル/木下国利/柳田貞一/北村武夫/小杉義男/斎藤勤/近藤登/梅村次郎/宏川光子/竹久千恵子/柳家金語楼●公開:1939/08●配給:東宝(評価:★★★)

伊豆の踊子 (吉永小百合主演).jpg「伊豆の踊子」●制作年:1963年●監督:西河克己●脚本:三木克己/西河克己●撮影:横山実●音楽:池田正義●原作:川端康成●時間:87分●出演:高橋英樹/吉永小百合/大川端康成 伊豆の踊子 吉永小百合58.jpg坂志郎/桂小金治/井上昭文/土方弘/郷鍈治/堀恭子/安田千永子/深見泰三/福田トヨ/峰三平/小峰千代子/浪花千栄子/茂手木かすみ/十朱幸代/南田洋子/澄川透/新井麗子/三船好重/大倉節美/高山千草/伊豆見雄/瀬山孝司/森重孝/松岡高史/渡辺節子/若葉めぐみ/青柳真美/高橋玲子/豊澄清子/飯島美知秀/奥園誠/大野茂樹/花柳一輔/峰三平/宇野重吉/浜田光夫●公開:1963/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(85-01-19)(評価:★★★☆)●併映:「潮騒」(森永健次郎)

秀子の応援団長 4.jpg秀子の応援団長ド.jpg「秀子の応援団長」●制作年:1940年●監督:千葉泰樹●脚本:山崎謙太●音楽:佐々木俊一●原作:高田保●時間:71分●出演:高峰秀子/灰田勝彦/千田是也/音羽久米子/若原春江/伊達里子/小杉義男/澤村貞子/清川玉枝●公開:1940/01●配給:東宝映画(評価★★★☆)
登場するプロ野球選手
【東京巨人軍】17 スタルヒン、19 水原茂、27 吉原正喜、3 中島治康【大阪タイガース】9松木謙次郎、18若林忠志、31堀尾文人、32森国五郎、36小林吉雄、6景浦将、27松広金一、29皆川定之、12田中義雄、38三輪八郎、17門前真佐人、35中田金一【セネタース】12佐藤武夫、19保手浜明、18野口ニ郎、5尾茂田叶、7浅岡三郎、14横沢七郎【阪急軍】6石井武夫、12日比野武、23土肥省三、14西村正夫、7下村豊、22重松道雄、24黒田健吾、5上田藤夫、16山下好一

主題歌「青春グラウンド」(唄:灰田勝彦(映画では高峰秀子)) 挿入歌「燦めく星座」(唄:灰田勝彦)
 

「●科学一般・科学者」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●数学」【343】 仲田 紀夫 『算数パズル「出しっこ問題」傑作選
「●分子生物学・細胞生物学・免疫学」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の著書(本庶 佑) 「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(本庶 佑)

成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、自らがそう認めている「幸運」が窺い知れる。

幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書).jpg本庶佑 ノーベル賞 授賞式.jpg  がん免疫療法とは何か (岩波新書).png
幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書)』 『がん免疫療法とは何か (岩波新書)
本庶佑博士のノーベル賞受賞記念講演 2018年12月7日 カロリンスカ研究所
 2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した著者による本書は6編からなり、人間が幸福を感じる仕組みを生物学的に説いた論文「幸福感に関する生物学的随想」(1999年)と、2018年12月にストックホルムのカロリンスカ研究所で行ったノーベル賞の受賞記念講演(所謂ノーベルレクチャーと呼ばれるもので、ネットで視聴が可能)の後に正式な原稿にまとめてノーベル財団に提出した2つの英文稿の翻訳のうちの1つで、自身の半生を述べた「ひょうたんから駒を生んだ、私の幸せな人生」と、もう1つの英文稿の翻訳で、ノーベル賞の受賞理由である「免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見」について書かれた英文稿の翻訳「獲得免疫の思いがけない幸運」、さらに、2019年1月に皇居で講書始(こうしょはじめ)の儀での講義「免疫の力でがんを治せる時代」、そして、前述の英文稿2稿から成っています(165pまでが和文稿4編で、以降264pまでが英文稿2編、内容的には実質的4編ということになる)。

 冒頭の「幸福感に関する生物学的随想」は面白かったですが、不快感を経験し克服する過程に、不安感のない幸福感が得られるとしていて、自身の生活を厳しく律して生物学の研究に打ち込む著者の姿勢が窺えたように思います(ちょっと人生訓っぽい感じもするが)。

 「ひょうたんから駒を生んだ、私の幸せな人生」は自叙伝風ですが、後半からだんだん誰とどのような研究を積み重ねてきたという学究遍歴となっており、やや専門的に。「獲得免疫の思いがけない幸運」において専門性はさらに高まり、ただし、一緒に研究したかしないかに関わらず、がん免疫療法に貢献した日本及び外国の学者の名前や業績が平等に取り上げられていて、何だかとても律儀な人だなあという印象を受けました。

講書始の儀 本庶 佑2.jpg講書始の儀 本庶 佑1.jpg 結局、最後の、平成31年の講書始の儀での講義「免疫の力でがんを治せる時代」が一番分かりよかったかも。昭仁上皇が天皇在位中に行われた最後の講書始の儀となったものですが、簡潔ながらも、聴く方もそれなりに集中力がいるかも。ただ、このがん免疫療法というのは医学界でに注目度は高まっており、注目されるだけでなく実際にトレンド的と言っていいくらい多くのがん患者の治療に応用されているようです。

オプジーボとは.gif がん免疫療法は大きく2つの種類に分かれ、1つは、がん細胞を攻撃し、免疫応答を亢進する免疫細胞を活かした治療で、アクセルを踏むような治療法と言え、もう1つは、免疫応答を抑える分子の働きを妨げることによる治療で、いわばブレーキを外すような治療法であり、オプジーボなどは後者の代表格で、がん細胞を攻撃するT細胞(PD-1)にブレーキをかける分子の働きを阻害することで、T細胞がん細胞に対する本来の攻撃性を取り戻させ、抗腫瘍効果を発揮させるということのようです。免疫のアクセルを踏むことばかりに集中するのではなく、がん細胞の免疫へのブレーキを外してやるという発想の転換がまさに〈発見〉的成果に繋がったと言えるかと思いますが、そうした成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、また、自らがそう認めている「幸運」があったのだなあと思いました。

(上)オプジーボとは(小野薬品ホームページより)
(下)ノーベル賞受賞記念講演をする著者(ANNニュースより)
「がんは持病レベルになる」本庶氏.jpg 著者は、「がんは持病レベルになる」とまで言い切っています。「がんの治療法を発見すればノーベル賞」という見方は一般の人の間でもずっと以前からありましたが、がん撲滅に向けて大きな進捗させる役割を果たしたという点で、まさにノーベル賞に相応しい功績です。ただ、本書について言えば、構成上、やや寄せ集め的な印象が無くもなく、論文の目的も違えば難易度も不統一なので、免疫療法についてもっと知りたいと思う人は他書に読み進むのもいいのではないでしょうか。

 岩波新書に著者の『がん免疫療法とは何か』('19年)があり、いつもならそちらを読んだかもしれませんが、ノーベル賞を受賞してからの急遽の刊行だったらしく、書下ろしと旧著からの引用が混在していて内容にダブりがあったりし、難易度的にもそう易しくないようなので、今回は「祥伝社新書」にしてみました(そう言えば、祥伝社新書の創刊第1冊が、平岩正樹医師による『抗癌剤―知らずに亡くなる年間30万人』だった。会社勤めしながら3か月間の勉強期間を経て東京大学理科三類に合格という平岩氏と、ノーベル賞をもらう人とでどちらが頭がいいかとか考えても意味ないか(笑))。

 余談ですが、著者は和装でノーベル賞授賞式に出席したことが話題となりましたが(日本人の和装は1968年に文学賞を受けた小説家の川端康成以来)、本来、ストックホルム・コンサートホールで行われる授賞式に出席する男性受賞者は、夜の正礼装である「燕尾服」がドレスコードとされるものの、「民族衣装」も公式に認められており、和装はこれに該当するようです。

ユニクロ柳井氏、京大に寄付.jpg 先月['20年6月]、京都大学が「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長から総額100億円の寄付を受けると発表、本庶佑特別教授が進める「がん免疫療法」の研究や、同じくノーベル医学生理学賞の受賞者である山中伸弥教授のiPS細胞を用いた研究に活用するとしており、柳井会長、本庶教授、山中教授の3人で記者会見に臨んでそのスリーショットが新聞に出ているくらいなので、両教授の研究分野への将来の期待の高さが窺えます。

ユニクロ柳井氏、京大に100億円寄付 本庶氏、山中氏の研究支援 - 2020年6月24日毎日新聞

 しかし、やはり、京大出身者は自然科学分野でのノーベル賞レース、強いね。

「京大ゆかりのノーベル賞受賞者は10人に 「自由な学風」が生み出す」(産経WEST 2018.10.2)
京大ゆかりのノーベル賞受賞者.jpg

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カラーイラストで紹介されていて解りやすい。解明されていないことも多いのだなあと。

超美麗イラスト図解世界の深海魚最驚50.jpg 超美麗イラスト図解 世界の深海魚 最驚501.jpg 超美麗イラスト図解 世界の深海魚 最驚502.jpg
超美麗イラスト図解 世界の深海魚 最驚50 目も口も頭も体も生き方も、すべて奇想天外!! (サイエンス・アイ新書)』['14年]

 本書は、世界各国の科学者の研究成果をもとに、驚くべき深海魚の姿形を著者自身のイラストで再現しつつ、その不可思議な生態を紹介したものです。半分図鑑で、半分解説といった感じでしょうか(解説はかなり専門的であるように思えた)。

 同じサイエンス・アイ新書に、同著者の『深海生物の謎―彼らはいかにして闇の世界で生きることを決めたのか』['07年]がありますが、そちらは写真で深海生物を紹介していて、形態が見にくいものには、同じ場所にイラストが添えてあるのというスタイルでしたが、本書は全部カラーイラストで紹介されていて、細部の形状などはこのイラスト版の方が解りやすいかと思います。著者のイラストでは、『深海生物ファイル―あなたの知らない暗黒世界の住人たち』['05年]にあるように白地にカラーで深海魚を描いたものもありますが、本書はバックがすべて黒で、実際に深海で観た場合はこんな感じなのでしょう。イラストがたいへん緻密に描かれているせいもあり、写真以上に効果的であるように思いました。

 紹介されている50種類の内訳は、ムネエソ科3種、ワニトカゲギス科8種、ヒメ科8種、アカマンボウ類1種、オピスソプロクツス科6種、キガントキプリス1種、頭足類6種。キロテウティス科5種、チョウチンアンコウ10種、オニアンコウ科7種と、実は50種を超えていますが、素人目にはどこが違うのか分からないような種もあるので、逆に50種もあったかなあという印象も(笑)。

 それでも、解説を読み進んでいくうちに、深海魚の多様性に触れることができ、特にバラエティに富んでいると思われたのが、目の構造と機能でした。やはり、深海において目は大事なのだなあと。望遠鏡のような構造の目は珍しいものではなく、中には目が4つあるものもあったりして、一方で、形だけあって殆ど目の機能を果たしていないものもあり、そうした種は代替機能のようなものがあったりします。ただ、なぜそういう構造や機能なのかよく解らなかったりするようです。

 また、何を食べているかは捕まえて腹を裂けばわからないことはないけれども、どうやって獲物を探して捕食しているのかとか、より生態学的なこととなると、解らないことも多いようです。それでも、分かっている範囲で、その不思議な生態を紹介しています。自分より体の大きな魚を食べる深海魚などもいて、ホントに不思議な世界です。あとは、これも確かにそうだろうなあと思いまうSが、生殖関係も不思議なことが多く、なぜそうなのか解っていないことが多いようです。

 本書刊行時点で、深海探査艇をもつ国はわずか6カ国で、そのため、そもそも深海で生きる生物たちの姿が写真や映像で撮られる機会は少なく、研究も十分に進んでいないのが実情であるとのことで、これから更に様々なことが少しずつ解明されていくであろう分野なのでしょう。未解明の部分が多いことも、この分野の魅力の一つかもしれませんが、おそらく、研究し尽くされてその魅力が失われるということは無く、研究が進めば進むほど、未解明の部分も多く出てくるように思います。

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体重と体温が、すべての生き物の代謝量、成長速度、そして時間濃度まで決める。

進化の法則は北極のサメが知っていた (河出新書).jpgニシオンデンザメと奇跡の機器回収.jpg
進化の法則は北極のサメが知っていた (河出新書)』 Webナショジオ「渡辺佑基/バイオロギングで海洋動物の真の姿に迫る」
ペンギンが教えてくれた 物理のはなし (河出ブックス)』['14年]
ペンギンが教えてくれた 物理のはなし.jpg 著者は生物学者で、バイオロギングという、野生動物の体に記録機器を貼り付けて、しばらく後に回収し(回収方法を著者自身が開発した)、動物がどこで何をしていたのかを知る方法を活用して動物の生態を研究しているのですが、そこから生物に普遍的な特性を見出すという、生態学と物理学の融合という新境地を、第68回毎日出版文化賞受賞(自然科学部門)を受賞した前著『ペンギンが教えてくれた 物理のはなし』('14年/河出ブックス)では描いています。本書もその流れなのですが、前著が個々の動物の生態調査のフィールドワーク中心で、バイオロギングの説明などにもかなりページを割いているのに対し、本書はより生態学と物理学の融合ということに直接的に踏み込んだものとなっています。と言っても小難しい話になるのではなく、全五章に自身のフィールドワークの話を面白おかしく織り交ぜながら、動物の体温というものを共通の切り口として話を進めていきます。

ニシオンデンザメ.jpgニシオンデンザメを小型ボートの横に固定.jpg 第1章では、北極の超低温の海に暮らすニシオンデンザメの自身の調査を紹介しつつ、動物における体温に意味を考察していきます。そもそも、このニシオンデンザメというのが、体長5メートルを超えるものでは推定寿命400歳くらいになり、成熟するだけで150年もかかるというトンデモナイ脊椎動物で、その事実だけでも引き込まれてしまいます(このニシオンデンザメについてのバイオロギング調査の様子は、ナショナル ジオグラフィックの日本版サイトにおける著者の連載でも写真で見ることができる)

 第2章では、南極に暮らすアデリーペンギンの自身の調査を紹介、哺乳類や鳥類がどのような体温維持をしているか、そのメカニズムを見ていき、この辺りから本格的な科学の話になっていきます。第3章では、オーストラリアのホオジロザメの自身の調査を紹介しながら、一部の魚類やウミガメが変温動物としての枠組みから外れ、高い体温を維持している、その特殊の能力の背景にあるメカニズムを見ていき、約6500万年前に絶滅した恐竜の体温はどうだったのかという論争に繋げています。

 そして、第4章では、イタチザメの代謝量を測定する自身のフィールドワークを紹介しながら、体温が生命活動に与える影響を包括する1つの理論を組み上げ、結論として、生命活動は化学反応の組み合わせであり、生物の生み出すエネルギー量は熱力学の法則で決定され、それは、サメも人間も、ゾウリムシさえ同じであるとしています。最後の第5章では。バイカル湖のバイカルアザラシの自身の調査を紹介し、全勝で見つけた理論を応用して、生物にとって時間とは何かを考えています。

 このように、目次だけみると、ニシオンデンザメ、アデリーペンギン、ホオジロザメ、イタチザメ、バイカルアザラシと海洋生物が続き、その中でも3つがサメであるため、この著者はサメの生態研究が得意分野なのかなくらいしか思わなかったのが、読んでみると各章が、生物全般に通じる理論への段階的布石とその検証になっていて思わぬ知的興奮が味わえたし、各章をオモシロ探検記的に読ませながら、そうした深淵な世界に読者を引きずり込んでいく語り口は巧いと思いました。

 第4章にある、「代謝量は体重とともに増えるが体重ほどには増えない」といういうのは、すべての動物の体重と代謝量には相関がある(ただし、グラフでは、4分の3乗の傾きで一直線に並ぶ(クライバー))ということです。そう考えると、第1章のニシオンデンザメが動きが極めてスローなのは巨大であるがゆえで、第2章のアデリーペンギンの動きが極めて速く、ハイペースで獲物を捕らえるのは体が小さいからということになります。でも、なぜ4分の3乗に比例して増えるのか。代謝量は体重ではなく、体表面積と比例するという説(ルブナー)もありますが、体表面積は体重の3分の2乗に比例するため、ここでも計算が合わず、結局、代謝量は体重と、あとは体表面積とは別の何かで決まることになると。そこで、体温を仮に補正し、例えば人間も他の動物も皆地球の平均温度である20℃が体温であったとすると、恒温動物や変温動物、単細胞生物も含むすべての生物の体重と代謝量が比例することになり(ブラウン)、つまり、生物の代謝量は体重と体温で決まるのであって、これは「人間もカンパチもゾウリムシも同じ」であるとのことでした。

ゾウの時間 ネズミの時間.jpg 代謝量は生物の成長速度、世代(交代)時間、寿命にも直接影響してくるわけで、第5章における「生物の時間」についての考察も興味深かったです。本書で"名著"とされている、本川達雄氏の『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』('92年/中公新書)にも、体の大きな動物ほど成長に時間がかかるとありました。本書でも、確かに例えば競走馬が3歳で成熟するように人間よりも大きな体を持ちながら早く成熟する動物も多くあるものの、ミジンコからシロスナガスクジラまでずらっと並べておおまかに言えば、生物の世代(交代)時間は体重の4分の1乗に比例して長くなるという式が導き出されるとしています。でもこれだけは、成長速度は、体重とも体表面積(体重の3分の2乗に比例)とも直接に比例しないわけで、そこに、先の代謝量は体重の4分の3乗に比例して増えるという公式を入れて初めて整合性がとれると。つまり、代謝量は体温に反映されるので、体の大きさが同じであれば代謝量が高い、つまる体温が高いほど、成長が早いということになるということです。

 これはおそらくそのまま「動物の時間」の速度に当て嵌まり、計算上、ネズミの感じている時間速度はニシオンデンザメより350倍も濃く、つまりネズミの1日はニシオンデンザメのほぼ1年に相当し、人間はその間にあってニシオンデンザメの47倍に相当、つまり、人間の1日はニシオンデンザメの1カ月半に相当するとのこと。私たちが大人になったときに感じる子どもの頃との時間濃度の差は、体重25キロの小学生と65キロの大人と比べると子どもの方が1.3倍濃いと(1日が大人の31時間あることになる)。また、大人になってからは、加齢とともに代謝が落ちていき、20代に比べ40代で10%、60代で15%基礎代謝が落ちるため、時間の重みがその分減っていくということのようです(だんだん"ニシオンデンザメ化"していくわけだ(笑))。

 最後に、各章を振り返りながら、これほど多様な生物が(例えば、世代時間8時間のゾウリムシから150年のニシオンデンザメまで)なぜ地球上に共存しているのかを考察していますが、第1章のニシオンデンザメは、巨大かつ低体温のニ省エネタイプで、その対極にあるのが、第2章のアデリーペンギンで、高体温で体の大きさの割に膨大なエネルギーを日々消費し、第3章のホオジロザメは、ニシオンデンザメとアデリーペンギンの中間にある体温の高い魚類(中温動物)となり...と、それぞれに適応への道、進化への道を歩んできた結果なのだなあと思いました。

 本書のコンセプトは「私が読者だったら読みたい本」とのことで、実際サービス過剰なくらい面白く書かれていて、それでいて巨視的な視点から生物を巡る法則を説き明かしてくれる本でした。『ゾウの時間 ネズミの時間』が、エネルギー消費量は体重の4分の1乗に反比例するというところで終わって、あとは大小の違いによる心臓の拍動数の話となり(この話は「ヒト」は例外となっている)、「大きいということは、それだけ環境に左右されにくく、自立性を保っていられるという利点がある。この安定性があだとなり、新しいものを生み出しにくい」といった動物進化に対するもやっとした仮説で終わっているのと比べると、考え方ではそれを超えている本ではないかと思います。

《読書MEMO》
●マグロ類やホオジロザメなどの中温性魚類は、同じ大きさの変温性魚類に比べて2.4倍も遊泳スピードが速い(195p)。中温性魚類は同じ大きさの変温性魚類に比べ、回遊距離が2.5倍も長い(197p)。
●体重60キロの人間と、同じく体重60キロのカンパチを比べると、人間の方が10倍ほど代謝量は高いが、それは単に体温が違うからだ。60キロのカンパチと、1マイクログラムのゾウリムシを比べると、カンパチの方が1億倍ほど代謝量が高いが、そえは単に体の大きさが違うからだ(250p)。

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